- FARION MES( 2):Wellcome All ◆ 四次元喫茶 カルフール 95/09/22 - 04552/04553 HGC02325 ガッチャ RE:しゃっくり ( 2) 95/09/22 02:34 04549へのコメント  #04549 自分でRESつけちゃう     その後、しゃっくりは出ず。     前の書込み後、(こんな状態では寝れないかなぁ〜)と思いながら、しゃっ  くり状態のまま寝たけど、気が付かないうちに寝てしまっていた(^^;)     疲れ+眠さにより横隔膜痙攣は無視されるという結果を得るに至る(^^;)     次の日、ちょっと胸焼けしたけど今はもうなんともない。よかった。    |  みなさんの所ではどのようなしゃっくりの止め方があるのでしょうか?     でもこういう話は聞きたいんだなぁ。                              HGC02325 ガッチャ - FARION MES( 6):ハロー・メッセージ ★ 今日のハロー・メッセージから 95/09/22 - 00137/00137 JCF02051 めのう 奇術師 ( 6) 95/09/22 00:37  タロットの本を買った途端、目に止まったメッセージ。 》奇術師は死に至る賭けをテーブルの下で行い、燭台をひっくり返す  賭けというのは普通2つの結果があるものだと思うけれど、ここではどちら  転んでも死が待っているということかな。    奇術師の本来のステージは観客の見守るテーブルの上。  でも賭けはその下で行われた。  賭けというより奇術のタネを仕込んでいるような感じがするけど(^^;  テーブルの下で行うにはアクションが大きすぎたのか、上にあった燭台がひっ  くり返って観客はビックリ、というところかな。  タネがバレバレでは奇術師失格、で待つのは「死」なのだろうか。    手元の本によるとタロットカードの奇術師は「現状に満足せず、絶えず意味  と変化を探求し続ける人物」だそうで。  でもこのメッセージの奇術師は逆位置っぽいなあ(^^;  逆位置だと「巧妙な手さばきで人々を翻弄するトリックスター」という感じ。  死は一つのサイクルの終わり、新たな生に繋がると考えるとして、  (宮沢賢治が妹の死を「新しく天に生まれる」と表現した詩を思い出すなあ)  トリックスターが死んで新たに生まれるのは何だろう?                           ◆◆ めのう ◆◆ - FARION MES( 9):神々の曼陀羅 ★ 歴史と宗教を巡って 95/09/22 - 632/632 GEC00333 ぴの RE:良渚遺跡 ( 9) 95/09/22 01:57 631へのコメント TAO さん 北陸方面へ出かけられて、白山比v神社に参拝されたのですか。 私も今週は仕事で富山へ行ってきました。今回は夜に移動したので、 残念ながら、白山を車窓から眺めることはできませんでした。 この会議室のテーマとは、あまり関係ない話ですが、北陸方面の駅弁 って、ちょっと独特だと思いませんか。あっ、鱒寿司とか、蟹寿司の ことです。その起源はそんなに古くはないそうですが、あのシンプル で粗野な味を受け入れる心情の起源というのは、結構古く迄、遡れる ような気がしました。と、帰りの車中で、今回もまた鱒寿司を食べて 思いました。 中国の稲作遺跡については、「長江中流域にある彭頭山遺跡で1988年 に発見された水稲遺跡は、河姆渡遺跡や羅家角よりも、1000〜2000年 古い、8000〜9000年前のものである」という記述が今日見ていた雑誌 *1 にありました。稲作の起源地は、どうやら長江の中下流域には違いな さそうですが、今後も新しい発見が期待できそうで、それを特定する のは未だ時期尚早のように思えてきました。 それから、梅原猛氏の最近の発言を読むと、梅原先生は、良渚遺跡の *2 翡翠製の玉器と、日本の縄文遺跡の翡翠から、共通の東アジア文化圏 のようなものを想定されているようです。ただ、翡翠だけが伝わって、 何故、同じ時期に稲作が伝わらなかったのかは、謎ですが。夢のある 話なので、これも今後に期待したいと思います。 ついでに、佐藤洋一郎先生の新刊タイトルも下記に紹介ご紹介します。 *3 内容は前著とは殆どオーバーラップしていません。 PINO (参考文献) *1 日中文化研究 第7号『長江文明』勉誠社 3600円 *2 例えば、稲盛和夫・梅原猛『哲学への回帰』PHP研究所 1300円 等 *3 佐藤洋一郎著 『稲とはどんな植物か』三一書房 750円 - FARION MES(18):武道にありて ★ 道の実践 95/09/22 - 02561/02562 BYK00511 導 合気道草歌7 (18) 95/09/21 23:33 あらゆる存在は相対的 価値によるもの。 存在という理念、即ちあるということは如何。無い に相対するものではないか。故に無即有也。しかし、この立脚点を 一歩先に出ると有も無もこだわることのない広々とした世界が開ける。 これを空という。禅はこの空を実感するもの。 我とは何か、嬉しい、悲しい、幸せと感じる、苦しく思う、皆対象が あるではないか、理由があるから泣き 理由があるから笑う。 愛すべき人がいるから愛に喜びが伴う。 我即他ではないか。しかし、喜び、悲しみ、愛を抱く主体は如何。 真実の自己、ひたすらな流れ、今貴方が存在する事の原点は一即多也。 過去において数え切れない生命の煌めきと滅却。未来に於いて無限の 分岐点を内在するもの、それが今ならば今を規定する我は時也。 時は空間を規定する観念也。故にこの場は宇宙そのものを内蔵する。 我は宇宙を内蔵するもの、また宇宙に抱かれるもの、そのことを実感する 道は今をこの場を実感する事也。ここに於いて主観も客観も同じ意味になる。 此を空と言う。 合気とは合機でもある。即ち必然なり。 02562/02562 VFF00063 KURO 神経は針の如く木の枝の如く (18) 95/09/22 16:23   一つの場に集中する無かれ。   針の如く貫き、木の枝の如く四方に伸びよ。   ちわんKUROっす、暫くぶりです。ちょっと知り合いの名言を    書いてみました(笑)