- FARION MES( 2):Wellcome All ◆ 四次元喫茶 カルフール 95/09/25 - 04567/04575 GGD02212 スウ RE:ばりこん? ( 2) 95/09/24 20:56 04559へのコメント  婆離婚もとい「バリコン」とは、バリ式の結婚式か(嘘)。それとも「ロリ コン」から類推するに、バリに執着することとか(大嘘(^^;)。小学生の頃、 ゲルマニウムラジオのキット(懐かしい)を買ってもバリコンのハンダ付けを 忘れたせいで、いくらダイアルを回しても一つの局しか受信できなかった人が 私と同世代なら少なからずいるはず…ま、チューナーの部品ですよね。(スウ) 04568/04575 JCF02051 めのう RE^2:半導体ってスゴイのね(^^; ( 2) 95/09/24 21:36 04554へのコメント  あーん、だんだんわかんない単語が増えてゆくぅ〜(;_;)           理系の人には無条件降伏(^"^; ◆◆ めのう ◆◆ 04569/04575 JCF02051 めのう RE^2:子猫が欲しいよぉ〜〜 ( 2) 95/09/24 21:36 04561へのコメント  #4561 ガッチャさん  よそのオス猫に比べてうちの猫達がなで肩なのは去勢しているせいなんだと  本を読んで知り、「をを〜〜〜!」と感動しました。  ちょっと(かなり?)おデブなのもそのせいだったのねん(^"^;    うむむぅ〜、やっぱりまんべんなく愛情を注ぐのが大切なんですね。  内向的で飼い主に対して依存心が強い猫は、子猫と一緒に飼うと飼い主べっ  たりではなくなると書いてありました。  するとうちの甘えん坊たちもいいお兄さんになれるかしら。    はじめて猫を飼ったのが16の時で、以来猫がいなかった期間は半年くらい  です。  それ以前は犬やらウサギやらハムスターやらいろいろ飼っていたんですが、  今ではすっかり猫派。もう猫なしでは生きてゆけないわ(^^;                           ◆◆ めのう ◆◆ 04570/04575 JCF02051 めのう RE^4:しゃっくり ( 2) 95/09/24 21:36 04562へのコメント  #4562 ガッチャさん  しゃっくりを起こすコツってなんかスゴイっすねぇ(^^;  真顔でそれをやっているガッチャさんの姿を想像したら....うぷぷぷ(笑)    その手順を逆にやれば止まらないでしょうか?(ムリだって(^"^;)                           ◆◆ めのう ◆◆ 04573/04575 TBE03167 ねずみ 半導体について(マジメ発言につき注意!!) ( 2) 95/09/24 23:13 コメント数:1 re 4568 化学の参考書などをカンニングしつつ書いてみますねん>めのうさん シリコンとは原子番号14の非金属原子で元素記号は「Si」、日本語では 「ケイ素」もしくは「珪素」と書く。 シリコンは価電子が4個、つまり、最外殻に電子が4個あるため、周囲の原子 に4個の電子を奪われるか、あるいは4個の原子を逆にもらうかすると、電子 的に安定な状態になる。 同じく最外殻に電子が4個ある「炭素」との共通点が多い。 炭素が共有結合するとダイアモンドになるが、シリコンも共有結合してダイア モンドと同じ結晶構造をつくる。 共有結合とは、最外殻の4個の電子を他の原子と共有する結合形態である。 シリコンや炭素の場合においては、一つの原子は、周囲の4個の原子と1個ず つ電子を共有しあうのである。 1個の原子は他の4個の原子から拘束されるので、ダイアモンドやシリコンの 共有結合(結晶)は固く、融点や沸点も高い。 (なお、水晶はシリコンの酸化物であるSiO2の結晶であり、シリコンその ものではない) シリコンの原子番号は14で、炭素は6である。 このことから、シリコンの方が炭素よりも原子が大きいため各々の原子間の距 離が長く(シリコンは2.34オングストローム、炭素は1.54オングストローム)、 原子間の引力が弱くなるので、シリコン結晶はダイアモンドに比して弱い。 ダイアモンドは強固であるため、いくら温度を上げても電子が拘束されたまま で、それ故電気を通さない不導体だが、シリコン結晶は低温時は電子が拘束さ れ不導体だが、温度を上げると電子の振動が大きくなり、一部の電子は金属原 子の自由電子のように自由に動き回り、導体となる。 このため、半導体の一般的性質は高温ほど抵抗が下がるのである。 で、ここまでの説明で、半導体の抵抗を測定することで温度計として利用する ことぐらいは理解できようが、これだけではコンピュータを動かす論理素子と しての機能や、アンプなどの電流増幅の機能にはとても行き着かない。 実は、シリコンはそれ単体では半導体としての価値はない。 しかし、シリコンにわずかな不純物を混入することで、P型とかN型半導体と しての特徴を有するようになり、それらを組み合わせて使うことで、状況に応 じて不導体や導体、あるいはその中間状態にアクティブに変化し、ダイオード (整流作用)、トランジスタ(増幅、スイッチ)、サイリスタ(わけわからん) などのユニークな作用を生じせしめるのであるが、さて、何を混入するのか忘 れた^。^ 誰か教えてー ちなみにシリコーンとは、シリコンが炭素と化学的に似ていることを利用して、 炭素高分子化合物(いわゆる樹脂です。プラスチック、ゴム、etc.)の炭 素をシリコンに置き換えたものです(たしかそうだったはず)。おっぱいにシ リコーンを入れると大きくなって嬉しいが、年をとっておばあちゃんになって もおっぱいだけはDカップのままなのでちょっとこわいです(-。-;) 04574/04575 TBE03167 ねずみ RE:半導体について(マジメ発言につき注意!!) ( 2) 95/09/25 01:01 04573へのコメント コメント数:1 》共有結合とは、最外殻の4個の電子を他の原子と共有する結合形態である。 すんません。まちがいですm(__)m 共有結合は、別に電子の数が4個と決まっているわけではありません。 ですから、「最外殻の4個の電子を」を「最外殻の電子を」にしてください。 正しくは、 「共有結合とは、最外殻の電子を他の原子と共有する結合形態である。」 ということです。 04575/04575 JBH01750 著美 RE:半導体について(マジメ発言につき注意!!) ( 2) 95/09/25 01:37 04574へのコメント  >ねずみさん  うーむ、思い起こしてくれますなぁ。高校時代の 物理や化学の授業で劣等生だったあたしを...(^_^;)  「共有結合」とか「分子間引力」(←だったけ?) とかなんとか...いまもってワケワカメ...(@_@!)  そういうことで、こーゆー用語についての記憶は、 もはや過去の分厚い霧のなかです...(^_^;) # たしか理系クラスだったはずの高校時代のあたし... # 若き日にはそーゆー時期もあったんだな...(゚.゚)ボソッ - FARION MES(13):神秘学遊戯団 ★ 限りなき神秘への航海 95/09/25 - 03541/03547 BYP00077 柳 風男 自由と責任、礼について (13) 95/09/25 02:56 コメント数:1 KZさん、はじめまして、柳 風男と申します。 割りコメでもうしわけないんですが少しお話しさせて下さい。 「人間の肉体を支配しているのは霊である。霊が主で肉体が従である。そのこ とに気づいてはじめて人間は、霊的進化のスタートラインに立つことができ る。永遠なる生命は霊であり、霊あってはじめて肉体は生命活動ができる。 霊こそは、自分の中の神性を帯びた部分をいうのである。」 この部分に関しては皆さん賛成されるでしょう。おそらくノロガメさんも同じことを 言おうとされているのかもしれませんし、こういう事を言いたいのだろうなと皆さん もうすうす気付いていると思います。 ただひとつだけ、重要なポイントとして「自由と責任」、「礼」といった部分が決定 的に欠けているように思うのです。僕の見方ですとここに自我の問題があると思いま す。人間のなかで霊的なもの、神性を帯びたものとはこの自我の部分だと思います。 自由とは自我を基盤としてなりたっている。自由とは自我をもとにあらゆる規制、 ルールは当然として既成の概念、物質的な思考までも超えることである。それゆえに 人間の自我はやろうと思えば意識的にルールを破ることができる。現状を超えて新た なものを物質世界にもたらすことができる。本当に新しいもの、つまり一般的に言わ れている進化ではなく今までの概念では説明できない世界の発展をもたらすことがで きる。そうでなければ本当の自由ではないし、人間が存在している意味がない。 ただし最終的にはその結果を自分が受け取らなければならない。良い結果も悪い結 果も。 これをこうすればこうなるという結果を見据えた上での行為ならばなおさら、結果が わからずやったことでも出てきた結果に対しては真摯に対応し、それを自分の認識に つなげる。そうすることでしかさらなる自分の自由は獲得できないのだから。 (カルマの法則も自我の行為に対する責任にだと思っています。意識的に責任をとる かどうかは別として、最終的にカルマという形で責任はとらなければならないわけで す。) この責任の部分が落ちてしまうと自由は存在しないように思います。ちょっと言葉足 らずですが・・・・・簡単に神を持ち出したりするのは反則で、自分の自我をぼやか す対話というのはそもそも自由を否定していると思っています。 そしてもうひとつ大切な「礼」についてですが、簡単に言えば、人間ひとりひとり が霊的に無限の可能性を秘めている以上お互いに敬意を持って接しましょうよという ことです。わたしもすごい存在だけどあなたもそうなんですよ、といった感じが態度 にあらわれるということでしょうか。自分だけが言いたいことを言って、他人の言う ことには耳をかさない(表面ではどう繕っていても)というのはお互いを落としめる ことですからやめましょうということなのです。 ノロガメさんが追い出されることが無いように個人的には願っています。それは上 記のような考えからです。ただ一人の人間としてもうすこししっかりしてちょうだい というのが本音です。もう少し自分を大切にして育てていきましょうということなの です。 このあたりの問題はかなり大きな問題ですので、是非みなさんと話しあってみたい と思います。 ### 柳 風男 ### 03543/03547 GGD03030 《 隆 》 「遊び」の重要性 (13) 95/09/25 10:29 03437へのコメント  KAZEさん、こんにちは。    どうも、随分ご無沙汰してしまいました。(^_^)ゞ ポリポリ  実はまたまた引っ越しをしまして(^^;)、あたふたしていたのです。今回はなん  とか落ちつけそうですが、どうなりますことやら・・・。    >自分の身体をひたすら酷使したり、スポーツしたりすることが喜びであるとし  >たら、そのことで健康を害するのはそれはそれでいいのじゃないかとも思いま  >す。  そうですね。ただ、おそらく後々に後悔する場合が多いとは思いますが・・・。  僕なんか、まさにそうですからね。もちろん、一生後悔せずにいられる人もいる  のでしょうけど、そういう人は魂の力が強いんじゃないでしょうか。ですから、  スポーツもそのトレーニングの過程で、魂の力を鍛えられるようなら良いのです  が、そういうのってかなりの部分で個人の資質に依存するように思います。僕は  どうだったのか自分ではわかりませんが・・・。まあ、何事も良い部分と悪い部  分はあるものですから、その両方をしっかりみつめなくてはいけないと思います  けどね(^^)。    >しかし、武道の一部にみられるようなあり方は、いわゆるスポーツとは違って  >いて、年齢を超越したところがあるようですので、ぼくもそれにはとても関心  >があります。そうそう、このフォーラムにも「武道」をテーマにした会議室が  >ありますね(^^)。  僕が昔、太極拳を教わっていた先生も小さなお爺さんでしたが、とても強かった  ですし、植芝盛平さんなどもそうですよね。武術も「気」を意識した内家拳など  は、フィジカルな力はほとんど重視しませんから、年齢は関係ないようです。ち  なみに、最近はComNiftyのオートパイロットで巡回するだけなので、どんな会議  室があるのかわからない(^^;)。    >やはり、「ああ、多くを学び、魂の力を育てることができたな」でありたいも  >のです。  そうですね。僕にはまだまだ難しいですが、苦しみも楽しみも、魂の糧にできる  ような形にしてやることが大切なのだと思います。でないと生きている甲斐がな  いですものねぇ。そして、そうあるためには、おっしゃるように自分の内的な意  志で行動しないとダメなのでしょう。人間は神様に生かされていますが、神様に  報いるためには(ちょっと変な言い方ですが)、自分の意志で生きなければなり  ません。    >ですから、「一方に偏らない遊戯の在り方」としての「中道」は、  >まさに「粋」の極致だともいえるかもしれませんね(^^)。  そそ(^^)。世の中を斜に見るような小利口な人もダメですし、ドーっとのめり込  み過ぎるのも困りものです。何事もほどほどが良いと言いますが、やはり目指す  は本当の意味での「中道」ですよね。    >「遊戯」といえば、「無粋」は遊びがわからないともいえます。  どんな事にも「遊び」は必要です。車のハンドルも適度の「遊び」がないと危険  だし、思索もスポーツや武道も「遊び」があります(ないと本物にはならない)。  一番良い例が、かのオウムさんでして、彼らの思考には「遊び」が全然ないんで  すよね。「遊び」がないとああなっちゃうよというのは、ちょっと不謹慎かもし  れませんが・・・(^^;)。    >そういうふうに、日々を送っていると、だんだんに、いってみれば認識のマッ  >プのようなものがわかってきて、初めて出会う方と話しても、「ああ、あなた  >はあの入口からいらっしゃったんですか。わたしはここからです」なんてこと  >で、会話を弾ませながら、ともに学び合うことができるようになります。  そうなれればいいですね。まだ僕などは「なんなんだこの人は?!」って事が多  くて、なかなか学び合う所まで行きません。要するにマップ上の自分自身の位置  さえも、まだ正しく認識できていないってことなのでしょうけど・・・(^^;)。    >原発にしても、同じような考え方ができますよね。  >かつて「東京に原発を」という本がありましたが、  >作りたければ、その消費地の真ん中に、「安全」とされる原発をつくればいい。  そういうことです。原子力発電所なんか作るお金があったら、もっと有効なエネ  ルギー開発にお金を回せば良いのにと思います。もっと言うと、日頃からぼやい  ているように、電気を使う家庭毎に電気を作る方法を考えるべきです。世の中に  は無駄になっているエネルギーが山ほどあるのですから・・・。    >未来のことというのをひとごとのようにとらえるのは逃避ですよね。  おっしゃるとおりです。子供のいるいないに関わらず、未来に禍根を残すのは失  礼です。まあ、未来に対する責任を回避している人たちは未来に転生しない(あ  るいはできない?)おつもりなのかもしれませんが・・・(^^;)。    >我々は、過去・現在・未来を貫いて生き通している存在であるということを認  >識し、それに恥じない自分であるということを忘れないようにしたいものです。  僕もそうありたいと思います。                               by 隆ちゃん 03544/03547 GGD03030 《 隆 》 全てが愛に繋がる (13) 95/09/25 10:30 03438へのコメント  KAZEさん、どうもです。    >ですから、まさに「何故なんだよぉぉぉ!」の「何故」を  >しっかりとらえる必要があるように思うんです。  はい。せっかく「何故なんだ」と思っているのですから、この「何故」を突き詰  めるのが良かろうと僕も思うのですが、そのためには感情の暴走を抑えなければ  なりません。でもって、感情の暴走が起こる原因というのが、まさに視点の固定  化に他ならないのですよね。いろんな視点を持っていれば感情に流されることも  ないわけです。しかし・・・僕はまだまだ視点が止まってしまうことが多いよう  で・・・難しい(^^;)。    この視点を固定化しないというのと、感情に振り回されないというのは、鶏と卵  みたいなところがあって(少なくとも僕は)、どちらが原因とも言えないみたい  です。できれば両方、少なくと得意なほうから改善して行かなくては思います。    >もちろん、物事を相対的に見て平然としているというのが大切なのではなくて、  >そうしたことを無意識に引きずられるままに放置しないことが大切なのであっ  >て、自分なりの決然とした正義感というのはなくすべきではないと思います。  そうですね。正義感はきちんと持って、なおかつ傲慢に陥らないことが大切だと  思います。本当の正義感というものは、その大部分が自分自身に向けられている  ものですから・・・。    >ですから、怒りがこみ上げてくるよりも、その前に悲しみが襲うというか(^^;)。  >ま、こういうところに、個性がでてくるんでしょうね。  ふうむ、考えてみると昔の僕は怒りはあっても悲しみはなかったですねぇ。やっ  ぱり、かなり傲慢だったんだろうなぁと思います(^^;)。    >しかし、どちらにしても、まずは、テーマを内的に自覚するということが先決  >で、わけのわかなからないものをわけのわからないままにしておくというので  >は、解放も昇華もするわけがありませんよね。  ですね。そのあたりの気づきが、もうちょっと早かったらなぁと思いますが、ま  あ、気づかせてもらっただけでもありがたいと考えなくてはね(^^)。    >断じるのではなく、その「苦」としての現われを「自覚」し、  >それを解放、昇華させていくことが大事なのではないでしょうか。  「苦」だけでなく「悲しみ」もそういうものだなあと最近思います。先日、亡く  なられた蔵間さんの遺言みたいなテープをテレビで聞きましたが、強い人には強  い人の悲しみが、弱い人には弱い人の悲しみがあるのだなぁと感じました。強い  人の悲しみを弱い人はわかりませんし、逆もまた同じです。でも本当はその両方  をわからないといけないんじゃないかと思うのです。少なくともわかる努力はし  なくてはと。そして、この「わかる」はやっぱりそれだけではダメで、愛に昇華  させることが大切だと思います。    全てが愛に繋がると思う今日この頃ですが、我に返って実生活とのギャップを考  えると・・・まだまだやらねばならんことは・・・山のようにありますね。  山のようにあるで思い出しましたが、読書会での「虚言はすでに発生したアスト  ラル的な形象、これから発生すべき形象を殺し、人類の進化を阻止するのです」  の一節にはドキっとしました。みのる♪さんもおっしゃっていましたが、ちょっ  と恐ろしくなってしまいした。僕は嘘が上手で(^^;)、昔は数限りなく嘘(方便  もひっくるめて)をついていたような・・・。さすがに30歳を越えてからは、  そういう事はなくなりましたが・・・かつての嘘つきの報いが今になって来てい  るのかも・・・なんて思います。ま、そういう報いも自覚してかみしめるより他  はありませんけどね。(^_^)ゞ ポリポリ    >煩悩即菩提というのがありますが、煩悩が大きければ大きいほど、  >それが変容してできる宝物も大きいのでしょうから、  >煩悩や苦しみの大きいのを嘆かず、希望をもっていきたいですね(^^;)。  その宝物を見つけられるのが、いつになるのかはわかりませんが、希望を失わず  に淡々と生きて行きたいと思います。                               by 隆ちゃん 03545/03547 GGD03030 《 隆 》 ほっと一息 (13) 95/09/25 10:31 03443へのコメント  みのる♪さん、こんにちは。    どうもご無沙汰でした。やっとこさっと未読もこなし、ぼちぼちとレスを書いて  います。    >天気が良かったせいか お昼過ぎには真夏のような日差しが照りつ  >け、汗だくになってしまいました(^^;)。  僕はその汗がかけないので倒れちゃうんですね(^^;)。いつ何時でもちゃんと汗  がかけるというのは良いことです。僕も暑さに身体が慣れるとちゃんと汗もかけ  るのですが、涼しいのに慣れている時に急に暑くなると、身体の体温調節機能が  間に合わず、頭がオーバーヒートしてしまいます。トホホ    >そうそう、公園内に「スヌーピー ランド」なる大きなお店ができた…と聞い  >て、期待して行ったのですが見つからなかった・・・・(^^;)。 どこにあるのかご  >存じでしょうか?  うっ・・・実は僕は鶴見緑地に行ったことがありません(^^;)。花博も結局行き  ませんでした。っというわけで、わかりません。(^_^)ゞ ポリポリ  万博会場跡(吹田)にはよく行きましたが(民博に古い友人がいるので)、関西  に戻ってから、大阪・神戸近辺にはあまり出かけてませんねえ。病気のせいもあ  りますが、最近すっかり出不精になってしまいました。そういえば、カミさんに  ぜひ一度見せてあげたかった姫路城も行かずじまいでした。    >実験以降の事ならいざしらず、以前に買われた物なら別に気になさらなくても  >よろしいのでは?(^^;)。  そう思いたいのですが・・・果たしてどうなりますことやら・・・(^^;)。    >さっきもラジオで、どこそこの議会で「フランス製品のボイコット運動」が可  >決された…と言っておりましたが、またまた「じゃあ、中国に対しては?」と  >独り言を呟いている自分に気が付き、苦笑いしてしまいました(^^;)。  我が家では、もちろん中国製品もボイコットの対象です。昨日も里芋の冷凍が大  安売りだったのですが、カミさんが手に取ったとたんに「これはパス!」と言う  のでよく見ると中国製でありました。    >「理想」を言ってても“腹は満たされない”ってことですか(^^;)。ハズカシイ  「武士は食わねど高楊枝」なんていうのは、今の日本にはないようですね。貧乏  人の僕は、「さあ、みんなで楽しく貧乏しよう」(外国の顔色伺いながら儲けよ  うなんてのはやめにして)と思うのですが・・・却下されるでしょうね。タハハ    >なんか、「負い目だらけの日本」を奇しくも露呈してしまったような感じです。  ですね。でも、その根本原因は「負い目」を隠して、自分では見ようとしない事  なんですよね。最初からきちんと「負い目」を見つめて処理しておけば、何でも  言える筈なのですが・・・。ナサケナイハナシダナァ    >その為には核に変わる代替えエネルギーを得られることが急がれる訳ですが、  そうなんですよね。ただ、いわゆるフリーエネルギーに関する研究においては、  有望な技術が出てくると、石油メジャーから凄い圧力がかかるという噂も耳に  します。ここでも経済原理が人間の進化を阻んでいるのかもしれません。    エネルギー問題は戦争の原因のひとつでもありますから、なんとかしたいもので  すが、僕の頭もそれに貢献できそうにありません。せめて無駄遣いしないように  努力しなくてはと思います。それに最近は電力会社が売電を認めていますから、  小規模でもいいから環境に影響を与えない自家発電を模索するべきですね。太陽  電池を屋根にくっつけるやつも、今はまだ高価ですから(400万円くらいでし  ょうか。うまくすると何かの補助で半額くらいにはなるそうですが)ペイはしな  いでしょうが、節電には役立つようです(万が一、お金ができたら僕はつけてみ  たい)。    >当初の、教えを文字として残されなかった頃の「釈迦牟尼の説法を諳じる」と  >いう形に似通った点も見つけられますが、あれは自分の修行の為ですし、供養  >の内容から考えると、「地獄」「極楽」の思想が強調されはじめた頃からと考  >えると辻褄が合いそうな気もします。とすれば、浄土思想の影響?。  仏教に限らず宗教は顕教と密教に分かれて行くようで、密教の方が初期の色合い  が濃く現れるのではないかというイメージを持っています。それだけ危ないとも  言えますが・・・(^^;)。逆に顕教の方は聖典みたいな形で広がるような感じが  します。そして、そこにはいろんな後世の人たちの解釈が入り込む。    初期の仏教に先祖供養なんてものは、きっとなかったんでしょうが、今の仏教は  先祖奉りが主体になっちゃってます(儒教の影響のようですが)。おっしゃるよ  うに「地獄」「極楽」の思想も大きいのでしょうね。僕自身はどうも、いわゆる  鎌倉仏教(浄土宗や日蓮宗)が好きになれません。坊主のくせに長髪だったり、  肉食ったりするのがどうもね(^^;)。本当はこんな拘りなんて、害にしかならな  いんですけど・・・なかなかね。(^_^)ゞ ポリポリ    「地獄」「極楽」で思い出しましたが、日本に残っている地獄絵って面白いです  よね。うちの上の娘は何故か妖怪が大好きでして(僕の影響かしらん?)、いつ  ぞや水木しげる展に行った時にも、水木さんの絵と一緒に鎌倉時代の「六道絵」  や室町時代の「百鬼夜行図」が展示してありましたが、どれもこれも引き込まれ  るものがあります。チョットヘンデショウカ?    >「祈祷」という語が出てきているところを見ますと、密教思想の影響もある  >ようにも感じます。(般若心経の括りには真言がありますよね^^;)  僕は般若心経を毎日お送りしている割には、表面的な意味しか知らなくて、全然  勉強不足なのですが(^^;)、確かに真言がそこかしこにあるような・・・。真言  密教は昔から好きで、それなりに本なども読みましたが、仏教というより修験や  神道の色合いが強いですし、ヒンズー教的でもあります(他にも、KAZEさんなど  はゾロアスター教の影響を感じるとおっしゃっていたように記憶しています)。  密教の仏様はそのほとんどがヒンディーの神様と符合しているらしく、知り合い  のインド人夫婦(この人達は一応バラモンです)が引っ越しをすると言うので近  くの聖天さんに連れていった(聖天さんはガネーシャ様で、インドでは新しい事  を始めるときはガネーシャ様に祈るんだそうです)時などは「こんな所にシヴァ  が」とか「こっちはビシュヌだ」などなど。こういうダイナミックでごちゃごち  ゃした感じが、真言密教に惹かれる理由かもしれません。ただし、時期が時期だ  けに真言密教だとかチベット仏教・ヒンズー教の話なんかしてたら、危ない人だ  と思われそうですが・・・(^^;)。    >特に三宮界隈は商売で成り立っているという面もありますので、今後も県内・  >県外を問わず多くの人に行っていただいて、まず経済からでも活気を取り戻し  >てもらいたいなと思います  それが一番なのでしょうね。今更ながら思うんですが、神戸って観光都市なんで  すよね。だから、人が寄りつかなくなると困る街なんです。しかし、僕が引っ越  したとたんに大きな本屋ができたりして・・・どうも間が悪いなぁ。そういえば、  初めて並行輸入でCD−ROM買ったんですが、とたんに円安になりました(^^;)。    >昭和天皇様でしたか、誰かが「雑草」という言葉を使った時、『「雑草」とい  >う名前の植物はないのだよ』という趣旨のことをおっしゃられた…というのを  >思い出してしまいまして・・・  僕もその言葉にいたく感動した覚えがあります。それにつけても、日本の皇室は  天皇陛下をはじめ、人格者が多くて嬉しい思いがします。こんな事を言っては何  ですが、英国やモナコ公国の王室のスキャンダラスな事といったら・・・なんと  も品性お下劣ですな(^^;)。    >また一から出直しです。ヨーシ!  残念でしたねぇ。僕も山の写真でも撮りましょうかね・・・っと思ったんですが、  まともなカメラが手元にありません。8mmビデオカメラも壊れてしまった(本  体は動作するのですが、バッテリーチャージャーがポシャった)し、お金はない  し・・・ああ、僕はどうしたらよいのだろう。やっぱり、しばらくは・・・貯金  でしょうか。(^_^)ゞ ポリポリ                               by 隆ちゃん - FARION MES(18):武道にありて ★ 道の実践 95/09/25 - 02569/02569 BYK00511 導 合気道草歌 (18) 95/09/24 23:11 1点への集中は極限に於いて意識の無限な広がりに通じる。 対峙する相手の剣を見るのでもなく、相手の目を見るのでもなく、ただぼんやり 全体を眺めるのではない。 自らの魂の鏡面に写るぴかりと光る星を見つめるのである。 この時、相手の過去、未来を瞬間に捉えることが出来る。 これを勝速日という。 故に自らの魂を常に磨いておかねばならない。 人は誠であるべしとはこの事也。 これを吾勝という。 誠は真と書くべし、真は真実なり。これを正勝という。 正勝即ち北斗也、魂の鏡面にぴかりと光る星は北斗也。 吾勝、正勝、勝速日とはこの事である。 型は心也。形なくして心なし、心無くして形なし。 どんな優れた型も心なくして、何も無し。 「剣は心也、心正しからずば剣も正しからず」うろ覚えで恐縮ではあるが、 大菩薩峠の中で島田虎ノ助が語った台詞であったか。 勝海舟の剣の師匠である島田虎ノ助は剣は神仏を直接見る道也と勝海舟に 語ったそうである。 全て神仏に通じる事無く武は無いのである。 神仏とはただ生死一如也。