- FARION MES(10):夢鏡/幻紀行 ★ 夢解釈/カスタネダ研 95/10/01 - 00972/00972 GCG01101 アマデウス RE:トナールとナワール (10) 95/09/30 17:02 00970へのコメント #970 みれ さん   割りコメ失礼します。 |                          私達が「知っている」 | 「知らない」の二つに分けて考えている事自体が、トナールからの影響なん | じゃないかな?と私は思う訳です。   う〜む、これは気付かなかったです。(-_-;)  言われてみれば確かにそうですね。僕達が「知っている」と言うとき、それ  はトナールの理屈にあてはめて知っているという意味だし、「知らない」と  言うときも、トナールの定規に合わないという意味でしかない。 無意識に  「当たり前だ」と思っていることも、ちゃんとその前提を吟味しないといけ  ないですね。 |                 一方を知らない、もう片方を知っている | と分けて考えること自体はオカシイことでも何でも無いのですが、存在自体 | を分けて認識してしまうと見えなくなるものがあるんだろうと思います。   今、カスタネダの第7作(文庫も含めて)「意識への回帰−−内からの炎」  (二見書房刊)を読んでいるのですが、同じ「知らないこと」のように見え  るものにも「未知」と「不可知」があり、それらは全く違うものだと言う話  が出てきます。 >>  彼らは未知と不可知のあいだに境界線を引き、未知を、人間から >>  ヴェールで隠され、恐ろしい何かによって見えないようにされて >>  いるが人間の手にくところにあるもの、と定義した。未知のもの >>  も、あるとき既知になるのだ。一方、不可知は表現しえぬもの、 >>  考えられぬもの、理解しえぬものだ。人間に知られることは決し >>  てないがたしかに存在し、その広大さゆえに恐ろしいと同時に目 >>  をくらませる。                          (前掲書 P45)   まだ1/3も読んでいないので結論はできないのですが、ここで言う既知  はトナールのこと、未知はナワールのことのようです。(僕の解釈)   してみると、ナワールは知らないけど手の届くところにあるものという  ことになります。これを「知らない」と言い切ると、手の届かないものと  短絡してしまう、つまり「知らないものはすべて不可知」としてしまうよ  うな印象がありますね。 |  「知っている」と「知らない」、「知っていながら知らない」と「知らな | いながら知っている」、そして「知りもしないし、知らない訳でもない」と | いう言葉にすると凄くおかしな表現になりますが、こういうことなのかなと | も思います。   最初これを読んだときにはさっぱりチンプンカンプンだったのですが、  上述のような解釈に立つと、なるほどナワールはそんな感じのものかなと  うなずけるものがあります。           ちょっとカス研らしくなってきた?(^^; アマデウス