- FARION MES( 2):Wellcome All ◆ 四次元喫茶 カルフール 95/10/02 - 04586/04586 SDI00635 みれ RE:RE^4:子猫が欲しいよぉ〜〜 ( 2) 95/10/02 08:01 04583へのコメント  #04583 めのう さん  ムツゴロウさんの様に多種多様の動物と暮らす夢…(^"^;)ムフフ…ぢつわ… この私めも同じ夢を持っておるのじゃよ(笑)  その夢を未だに捨て切れなくて、いつかは実現してやろうと虎視耽々と チャンスを窺っております。特に岩手の衣川より上側が気に入っている私 は、いずれはその辺りに安い土地を買って、多数の猫と番犬君、ヤギさん、 家鴨くん、鶏さん…そして出来れば道産子のお馬さんや牛どんなどと共に 野菜やら米やらも自分で作って食べれるようになろうと考えています。  このアイディア、自分だけじゃ実現困難であっても仲間がいれば実現は 近くなると思って、事ある毎にこの話を持ち出している私です(笑)  …と書いている私の横で、去年来た新しい猫の「ちびつ」くんは、プリ ンターの上からキーボードの上に飛び降りようと狙って…い・る・・・!!  わーーーッッッ…ガチャンドタンッッ〜〜ひぃええぇぇぇ〜〜。  お紅茶がぁぁぁぁぁぁぁ…(;_;) ・:*:・みれ・:・。,★ - FARION MES( 5):**/////*/////*/////*/////*/////*/////** 95/10/02 - 00325/00325 JCF02051 めのう 福音 ( 5) 95/10/02 06:56  私の愛してやまぬあのお方が1833日ぶりに復活されるぅ〜。    私の青春。  私の薔薇。  私と夫を結びつけた最も重要なファクター。  あのお方に出会わなければ今の私はなかったの。    その喜ばしい復活と共に「あのお方貯金」も再開ぢゃーーーーっ。                           ◆◆ めのう ◆◆ - FARION MES( 6):ハロー・メッセージ ★ 今日のハロー・メッセージから 95/10/02 - 00141/00143 GBG02043 維/YUI 夢と現 ( 6) 95/10/01 14:07 >>夢は夢を呼び夢幻となり、現(ウツツ)は虚の中に埋もれてゆく… 友人とハロ−メッセ−ジの話をしていたときに、上記が話題になった。 夢は、ユメと読むけれど、片やムでもあるねぇと。 ム・・・無か?? 無は無を呼び、無限となり、宇宙津は虚の中に埋もれてゆく。 無が無限となったら、宇宙はその中に埋没してしまうのだろうか。 荒唐無稽な夢物語を苦し紛れに信じたふりをするよりも、 辛くても着実に自分の足もとを堅め、オヤツチにふれているところで、 自分の歩く道を選ぶのが、血の流れを滞らせない方法なのかなぁ・・・。 などと、わけの分からないことをひとしきり考えた10月の夜でした。 維/YUI。 - FARION MES( 8):恋愛錬金術  ★ 愛と性を本音で語る 95/10/02 - 01110/01110 SDI00635 みれ コーヒーブレーク ( 8) 95/10/02 20:38  日本の風習という本を読んでいたら、結婚にまつわる話が出ていたので、 ちょっとコーヒーブレークとして書いてみよう。  結婚という言葉は比較的新しい言葉なんだそうな。     トツ     メ ア  昔は「嫁ぐ」とか「妻合わす」とか言ったらしい。  妻を迎える立場からは「嫁迎え」といい、夫を受け入れる側は「婿取り」 という風に言っていたのが、明治維新以降に夫婦は対等であるという考えが 入って来て結婚という言葉が使われるようになったそうだ。  そもそも平安時代には通い婚といって、男性が女性の家に通うという形の 婚姻形態だったのが、鎌倉時代から室町時代にかけて夫となる男性の家に妻 となる女性を迎え入れる結婚形態が武家を中心に広まったらしいが、何故、 こうなったのだろう?         メ ア  また「見合い(妻合わせのつまった語)」は自由恋愛が社会的に制限され たらしい江戸時代ごろに生まれたとされるが、何故、江戸時代に自由恋愛が 制限されたんだろう…?  お気軽に簡単な本を読もうと思ったら、クエスチョンだらけになってしま った(;_;) ・:*:・みれ・:・。,★ - FARION MES(10):夢鏡/幻紀行 ★ 夢解釈/カスタネダ研 95/10/02 - 00976/00977 GHD00256 七穂 RE:恐ろしいという気持ちについて (10) 95/10/01 23:14 00975へのコメント   前の夢の、自分の恐怖心の引き金になったものを改めて考えてみました。  ・その男の持っている魔力=自分にはみえないけれど抗しがたい力  ・血と肉の破片=死の暗示  それと、追い詰められる、という切迫した気持ちがあるように思いました。   それであの夢の後、血と肉の破片なんてただの肉体の一部じゃないか、  と思いなおそうとしていた自分がいたのだけれど、それで、今度は現実の話  で、ちょっとズレるのですが、自分の中では前の夢の話を引きずっていると  思える話なので、続けてこちらに書き込んでみたいと思います。イイデショウカ(^^;)   先日仕事場のそばの道路で、猫の死体をみた。  以前、猫の死体をみつけると、わざわざ車を止めて猫の死体を道路の脇に  退けている人の姿をみていたので、それ以来、機会があったら自分もできたら  やろうと思って、以来、遭遇したときに退けたことがあったけれど、今度は  きれいな死体ではなかったので、目をそむけて見ないふりをした。     その後もう一度仕事でそこを通る機会があったので、今度はこわごわ  少しづつ、しかししまいには立ち止まってじっくり眺めていた。  自分の怖かったわけのわからないもやもやしたものは、じっくりみてみると、  毛皮があって、その横に肉片があった。  肉片は、普段スーパーで買ってくる肉の質感と同じだった。  そう思ったら、目を背ける必要はなくなった...     自分はどうして猫の死体を道路から退けられないのだろう?と考えてみた  が、今は仕事中で、手が離せない。それに、死んだ猫にたたられるとこわい。  そう言っている自分がいた。   けれども、後で考えていくうちに、たたりを恐れるなら死体がきれいかそう  でないかということは、実は関係ないはずじゃないかともだんだん思えてきた。  ただ、さっと持ち上げて脇に退けられるかそうでないか、手を血で汚すだろう  ということを厭う気持ちがある。  肉片を持ち上げて脇に...ということを考えているうちに、やっぱり忌避感が  自分の中に湧いてくる。めんどくさいのか、厄介なのか、そういう思い....  (ここでいう、たたられるとこわいという思いなんかは、前の夢の”自分には  みえないけれど抗しがたい力”に対応していそうな気もする..)      以前、簡易?動物園で、蛇おじさんに蛇を首に巻きつけてみるかと誘われた  ことがあった。周りの子供達が巻きつけてもらっているのを見ている時は、  自分でも平気に出来そうな気がしていたけれど、いざ自分の番になってみると  急になんだかわからないけれど、さっと体をよけて逃げている自分がいた。  しかし、本当に心から怖がってはいない自分にもそのとき気がついていた。  (これは心と体が一致していないということになるのかもしれない...)      ...何を書いているのか自分でもわからなくなってきてしまったけれど..  こういう自分を振り返って考えてみると、夢の中の方が展開が強引で次々と  場面が変化して奇天烈ではあるように思えるけれども、自分の思い込みで  次に自分の体験する現実の可能性を作っているように思えるようなところ  なんかは、現実も夢も同じかもしれないなぁと思えてきます。                              GHD00256/ 七穂 - FARION MES(11):狼を生きる  ★ 平井和正の著作から 95/10/02 - 01782/01783 JBH00712 桂 桂 RE^2:台風が来ているぞ (11) 95/10/02 02:14 01778へのコメント  #01778 SHIBA さん  なはは(^^; まだ「犬神 明・8」読んでいませんでしたか。  どうも徳間の営業がそれほど力を入れていないようで、私もようやく手に 入れて読んだくらいなのですよ(^.^) 「ボヘミアン.ST」はどこにいっても 手に入れられるのに、残念ですね〜(^O^;)  早く手に入れて一緒に話しましょうよ〜(^^) <  古来より、預言というものは聞く者にとっては耳に痛いものが多いように思 < いますが、それは、愛するがゆえの厳しさだったのですね。今度から、予言者 < と呼ばれる(呼ばせている)人の言葉を聞く時は、この点に留意することにし < よう。  ウンウン、ここの所同感ですね。  私はそこで、ここの箇所にもう一つ付け加えたいと思うんですよ。  それは世の中で悪い予言をする人の方が圧倒的に多いということなんですよ。  あるいは、そうした予言をして「自分がそれを食い止めた」と得意がって吹聴す る自称「予言者」の何と多い事か。  やはりそうした予言を耳にするのは精神衛生上とても宜しくない。世の中これだ け悪くなっているのに、良くしようとする努力を抜きにして半ばカミ頼みにしてし まうのは、これは本末転倒もいいところだと思えるんですよね。  だから、予言者(あるいは預言者)と呼ばれる人達の言葉に耳を傾ける時は、是 非ともその意志を汲み取る事、そしてそれを我が身のものとして受け取って欲しい ものなんです。  そうやって一人一人が自分のものとして受けとめていけば、きっと世の中うまく 行けるようなキッカケになるのではないかぁ〜、なーんて思っている所なんですよ。  SHIBAさんはどう思われるでしょうか? <  そういえば、平井和正氏は、前世でとある預言者だったという話を聞いたこ < とがありますが、その当時はどういう心境だったのでしょうね。まあ、今でも < 十分預言者といえますが。  いやーここのところはどうでしょうかね。  私は前世の話については、その人の前世が何をしていたかという事より、前世で どんな生き方をしていたか、そちらの方に興味が有るのですよ。  だって転生なんて一度や二度の回数で済む事ではないし、かつて王様をしていて 今生はサラリーマンをしているなんてザラだと思うのですよ(ちと極端ですが(^^;)。  だったら生き方の探求の方がもっと奥ぅの深い事だと思えるのですよ。    さてここの所は如何でしょうか。  という訳で又明日〜(^^)/バイバイ 桂 桂(JBH00712) - FARION MES(13):神秘学遊戯団 ★ 限りなき神秘への航海 95/10/02 - 03600/03601 GGA02514 KAZE 肉体について (13) 95/10/02 00:56 03593へのコメント 柳 風男さん、どうも。 お呼びがあったようなので、出てきました(^^)。 >シュタイナー自身も人間の肉体というものをかなり特別なものだという意識で大切 >にしていたと思います。 はい、その通りだと思います。 ご存知の通り、シュタイナーは現在の人間の構成要素を 肉体、エーテル体、アストラル体、自我というふうに説明していますが、 この4つの構成要素のうちで、いちばん歴史が古いのが肉体なわけです。 シュタイナーは、地球の転生を、土星紀、太陽紀、月紀、そして現在の地球紀 というふうに説明していますが、もっとも古いのが土星紀で、 その土星紀に肉体の萌芽ができます。 ちなみに、太陽紀にはエーテル体の萌芽、月紀にはアストラル体の萌芽、 そして現在の地球紀にようやく自我の萌芽ができます。 つまり、肉体は、土星紀からの長いプロセスを経て、 人間の現在の構成要素のなかではもっとも完成されているといえます。 これからも人間は、地球の転生のプロセスとともに、 新たな構成要素を発達させていくのですが、 次に発達させるのが自我がアストラル体に働きかけて変容させた霊我、 続いて、自我がエーテル体に働きかけて変容させた生命霊、 そして、自我が肉体に働きかけて変容させた霊人です。 つまり、肉体の変容させた構成要素である霊人こそが、 現在の進化のスパンではもっとも高次のものなわけです。 そうした肉体のあり方というのは、シュタイナーのいう「キリスト」、 パウロが復活したキリストとして「コリント書」のなかで、 もしキリストが復活しなかったとしたらすべての信仰は空しくなると述べた その復活したキリストということと非常に深い関係にあります。 そこらへんのことは、シュタイナーの連続講義の「イエスからキリストへ」に 詳しく語られているのですが、残念ながらまだ邦訳がありません。 しかし、そこらへんのことについては、高橋厳さんの 「千年期末の神秘学」(角川書店)のなかの第6章「キリスト衝動」で 扱われていますので、そのなかから該当個所をいくつかご紹介しておきます。   肉体は宇宙創造の出発点から今日まできているので、もっとも長期間に亘営為の   結晶であり、人間存在を構成するものの中でもっとも高度に発達した部分なので   す。そのいちばん発達している肉体が本来、目に見えない性質のものだというの   です。見えているのは、その肉体に物質素材が入り込み、エーテル体、アストラ   ル体、自我と結びついているからで、純粋な肉体形式そのものは可視的ではない   のです。眼に見えず、透明に輝いているのです。そういう肉体の形が、そもそも   の宇宙の発端から、神々によって与えられ、時代とともに進化発展してきたので   す。   その眼に見えない肉体形式のことを、シュタイナーは「ファントム」と呼びまし   た。「ファントム」とは、物体の構成部分を形式と素材に分けるとき、素材の働   きから自由な形式そのもののことをいうのですが、単なる形式であるにとどまら   ず、素材に働きかけて、物体を構成しようとする意志をもった形式のことです。   その形式は非常に強い意志をもって人体を形成してきましたが、その形式に盛り   込まれた内容(素材)が堕落しているのです。   ・・・   ですから二つの人体があるのです。現実の人体と理想の人体の二つです。現実の   人体は遡るとアダムにまで行き着くのに対して、理想の人体はキリストに行き着   くのです。この二つを併せ持っていることが、われわれの肉体の意味なのです。   人体とは、言い方をかえれば、自然の体と霊の体のことです。それでパウロが、   「コリントの信徒への手紙」で、「自然の体で朽ち果てて、霊の体で甦る」と書   いたのです。                               (P147-149)                                続いて、ではなぜ肉体の存在が重要なのかということに関しても 見ておくことにします。   シュタイナーがキリスト教の本質を復活論の中に見て、パウロ的なキリスト教を   大切にしようとしたのは、人体の存在が本当に重要だということを知っていたか   らです。なぜシュタイナーは、人体のことをそれほどだいじにしたのでしょうか。   そもそも人体は土星紀から、神々が長い時間をかけて創り上げてきました。人間   は人体から始まったのです。もちろん人間の人格にとって本当にだいじなのは、   人体ではなく、人体の中の自我です。けれどもその自我は、肉体がないと発達し   ません。自我と肉体とは不可分の関係にあって、それを媒介するのがその中間に   あるエーテル体とアストラル体なのですが、肉体は人間の自我を発達させるいち   ばんの大切な道具なのです。人間には肉体がありませんと、地上を生きる人間の   課題を果たす自我が、その力を十分に発達させることができません。                                 (P153) もっと詳しく説明すると面白いのですが、長くなりますのでこのくらいにしますが、 こうした考え方の展開として、シュタイナー教育などもあるわけで、 ここらへんは基本的にきちんととらえておく必要があるように思います。 では(^^)。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ - FARION MES(14):預言解読村  ★ 預言・予言は何を語るか 95/10/02 - 03184/03186 KFR02037 ひょうたん RE:通りすがりにちょっと (14) 95/10/01 18:53 03183へのコメント コメント数:1 私も通りすがりに‥‥ >「奇術師は死に至る賭けをテーブルの下で行い、燭台をひっくり返す」  奇術師とは仰木マジックを操るマジシャン、オリックスの仰木監督。  燭台と言えば七つの照りをを灯す事から7戦で争う「日本シリーズ」。  死とは四。先に4勝した方が優勝だから、四を賭けて戦う事になる。  テーブルの下は「脚」。イチローを始めとする機動力野球のことか?  通読すれば「仰木監督は4勝を争う日本シリーズで、足を使った攻撃で  スワローズをかきまわし、7戦目を逆転でひっくり返す」という大予言?                    ちょっと息抜きに…                    がんばれKOBE                          ひょうたん 03186/03186 GBG02043 維/YUI RE^2:通りすがりにちょっと (14) 95/10/02 00:59 03184へのコメント いらっしゃいませ、ひょうたんさん。 はじめまして、ですね? 維/YUIです。よろしく。 なんだか、書き込みを読んで、思わず ニヤッ(^O^) としてしまいました。 なかなかあざやかな解読で、拍手してしまいました。 おひまがあったら、また書いてくださいね〜! どうぞ、ごひいきに m(_ _)mペコリン 維/YUI。 03185/03186 KFQ02761 しまうま RE^2:奇術師の賭 (14) 95/10/01 20:57 03182へのコメント #03182 はなさん  こんにちは(^^)。ご無沙汰しとりますです。 :マスコミの多くは、ある種の方向性を持ってコントロールされている。 :国策上やむを得ないこともあるだろうが、あなたがたはその方向性を持った :情報に右往左往していては見えることも見えなくなってしまう。 :混沌より清水を得る為には、奇術師の忙しい右手だけではなく、空いている :左手もそしてテーブルの下にも目を配らなければならないね。  なるほど〜。ご教示ありがとうございましたm(__)m。  上記のARIONさんの発言の前後関係から推測すると、この「奇術師」は、 マスコミをコントロールしたり、国策をある程度左右したりする力を持ってい る存在でもあるようですね。  95/06/15 亀甲に刻まれた年月、人の顔に刻まれた年月‥同じ年月だろうか?  あれからまたちょっと考えてみたのですが「亀甲に刻まれた年月」は、 :93/09/11 ★然り龍の子は姿を変え、大いなる亀の文様は読み取られる…  の中の「亀の文様」に通じる、という解釈はどないなもんでしょうか。  あるいは、「亀甲に刻まれた年月」が“ひび割れ”とかそういう意味だとし たら、 :95/05/18 麒麟の蹄は玄亀の甲に吉祥のヒビを入れ、雷艇神は杖を用いよと  といったあたりと関連があるのかもしれません。 :95/01/17 三筋の亀裂は、一筋から分かれた二つの筋に重なる所で軋轢を生む  これも、読みようによっては「三筋の“亀”裂」ということですから、「亀 甲に入ったひび割れ」という解釈も出来なくはないように思います。 :94/05/05 3つに割れた亀甲、回転する燭台…炎を掲げ持つのは誰か?  の「3つに割れた亀甲」とも符合します。  はたまた、まるっきし見方を変えて「亀(カメ)」=「瓶(カメ)」=「壷(ツボ)」と いう風に結びつければ……とも考えたのですが、ややこしくなりすぎて自分で もよくわからなくなってきたので、ちょっと出直します(^^;。  ひとつおもしろいかなと思っているのは、 :95/04/27 3つの櫛は夫々背中の部分で陰と交わる‥読みは黄泉に繋がる  から「読み」=「黄泉」だとすれば、 :93/09/11 ★然り龍の子は姿を変え、大いなる亀の文様は読み取られる…  「大いなる亀の文様」が「黄泉」で(?)「取られる」になるのかなあ、と いうことです。だとすれば「亀」=「黄泉の壷」?  でもって、 :95/02/27 黄金の文字は、黄金そっくりの文字の中に埋没している。探せよ :95/09/23 傀儡の永き夢に終止符を…。朱雀は黄金を玄亀に与える。  といったHMと考えあわせると「黄泉」=「黄金」なのかも、という気もし てきます。  ああ、やっぱり整理がつかない(^^;。 しまうま(KFQ02761) - FARION MES(18):武道にありて ★ 道の実践 95/10/02 - 02578/02584 HGB02122 あもり 居着くことと弱さ (18) 95/10/01 21:38 02577へのコメント コメント数:1  >アマデウスさん、桂さん  知人と会話している最中に自分の心の問題に行き当たってしまって、見事に  居着いてしまっています。  心の問題とは、ズバリ言うと「嘘を付く」ことなんですが、他人の基準で見  た自分の弱みや嫌いなところを、巧妙に自己正当化して誤魔化してしまうこ  とにあります。「他人の基準で見た」とは、「他人だったらこういう自分は  情けなく思うだろう」「こういう自分は嫌われるだろう」といったことです。  従って厳密に言うと、自分から見た自分の姿を嫌っていないことになります。  カンの良い知人がこの点を見事に突いて来て、現在は見事に押し黙ってしま  った状態が続いてしまいます。  この時の心の状態は、思考回路が断線してしまったように空白になり、論理  的な思考がまったくできなくなります。さらに、何を聞かれようが反応がで  きなくなってしまうくらいに「居着いて」しまうのです。  自分がしたことの(この場合は重要な局面で居眠りをしてしまったこと)の  善し悪しや、その時の感情、霧に包まれたようにまったく分からなくなって  しまうほどの白痴状態になってしまいます。  感覚として自分の周りにバリアをはって本当の自分の姿を他人の眼から守ろ  うとしている働きのようです。 >>  さっさと仕事に取り掛かっててきぱきとこなしてしまった方が、残業時間 >> も短くなって自分の自由な時間が取れるのに、と普通に考えたらわかりそう >> なものです。 ところが、居付いてしまっている最中にはそんな当たり前の >> 判断さえできなくなってしまう。  現在の私の状態を極端に現したような発言です。  あ〜もう時間が....(会社にて)                      HGB02122 あもり 02579/02584 BYK00511 導 合気道草歌 (18) 95/10/01 23:39 恥とは心の鏡なり。 合気道に五戒在り、即ち恥じる、悔いる、畏れる 省みる、悟るである。 心が何かに囚われる、居付くは心の病。 即ち心に曇りが在るゆえ也。我即ちこれ也。 全て、居付くは我に発す。 自身が如何に生かされている存在か理解し得る時 畏れが生じる。 畏れは自身の行為を省みることによって初めて尊ぶ心に 変わる。即ち悔い改めの意味也。ここに於いて恥は悟り に通じるのである。 武士道は恥に始まり恥に終わる。 これ、あくまでも真実に対する恥也。 現代の恥は畏れ無き恥故に悟れぬもの也。 心の耳と書いて恥じとなるこの意味、よくよく味わうべし。 心が晴れれば、明鏡の理自ずと明らかとなる。 これを水月 と言う。即ち居付く事無し。