- FARION MES( 2):Wellcome All ◆ 四次元喫茶 カルフール 95/10/04 - 04588/04589 QZE14371 雲上仙人 秋だから… ( 2) 95/10/03 17:23 コメント数:1  ふぃーーいっ、たまにはお茶飲もうと寄ってみたぜ。  まぁすたぁぁぁ、コーヒーちょうだいっ。  あん? いやいや、相手してくれなくてもいいよ〜ん、隅っこで飲んでるから。  今日寄った理由かい?  うーん、秋だからPROFを変えようかと…ね。  ほれ、一人では寂しいし、HPなんか創ってワイワイやりたいと思ってさ。  うん、そうそうPROFなんぞ見てくれると嬉しいなあ…。                               雲上仙人 04589/04589 HGB02122 あもり RE:秋だから… ( 2) 95/10/04 02:32 04588へのコメント  ##04588 雲上仙人 さん  おじゃましま〜す。  PORFですか....(^_^;  考えて見ればそれほど書き直すものでもないですよね。私の場合仙人さんの  ような発言に気付いたら書き直すようにしていて、「ブットビ」バージョン  と「生真面目」バージョンを交互に書き換えたりしています。  通新世界では結構大切な部分ですよね。>PROF                        HGB02122 あもり - FARION MES( 5):**/////*/////*/////*/////*/////*/////** 95/10/04 - 00326/00328 KFQ02761 しまうま 麗しきかな人生 ( 5) 95/10/03 20:39  おもしろいなあ。「人生っておもしろい」と書こうと思ってエディタを起動 したら、もうそれだけのタイミングのズレで、ハイな気分が消え失せたりする。  「何がオモロイと思っとったんだ、わしゃ?」ってなもんだ。いや、ホント に特に理由もなく、楽しい気分になってたんだ。今、やらなきゃいけないこと が山積み。もちろんドンドン先送りにしてためちゃった仕事だ。ようやく片づ ける気になって、少しリズムに乗ってきたところ。  人の気分はすぐ変わる。ほんのちょっとしたきっかけで。あるいは何の前触 れもなく。もろいっつーか、しょうもないっつーか、頼りにならんっつーか。  逆に言えば、どんなヤル気ない状態でも、つまらんつまらんと思っていても、 ふとしたきっかけで、あるいは何の前兆もなく、猛烈に楽しくなってきたりす るんだ。  あーおもしろい。まるっきりつまらん。いやいや、やめられまへんな、こら。                           しまうま(KFQ02761) - FARION MES( 6):ハロー・メッセージ ★ 今日のハロー・メッセージから 95/10/04 - 00146/00146 HGB02122 あもり RE:深い轍 ( 6) 95/10/04 02:32 00144へのコメント  ##00144 しまうま さん  自分の経験から言うと....  欲の作った回路(水路)と言った方が良いような気がしますよ。18番での  KAZEさんとの話から、どうしても欲って切り離す事は出来ないんですよ。  してもいいけど、人間では有り得なくなってしまう。  だから、欲に向かおうとする水路を少しづつ狭めていくしかないと思うん  です。  (その為には強力な意思が必要だけど(^_^; 私の意思はいずこに....)                        HGB02122 あもり - FARION MES( 9):神々の曼陀羅 ★ 歴史と宗教を巡って 95/10/04 - 635/635 MHD02672 TAO 白山菊理媛幻想 その弐 ( 9) 95/10/03 23:08 627へのコメント  今回は、近代神道オカルティズムの一派における菊理媛像について触れて  みたいと思う。以下は、霊界ファンタジーとして読んで頂ければ幸いであ  る。  大正6年生まれで、昭和30年頃より神道系の宗教活動を始め、近年没する  までに多くの支持者やシンパに囲まれながら(人智学研究家の高橋巖氏と  も交友関係にあったという)、「知行一体」の神道活動を行っていた金井  南龍という神道オカルティストは、「白山王朝」という説を唱えていた。  この「白山王朝」について、金井南龍の著書及び雑誌のインタビューから  引用しつつ、その内容を紹介させて頂く。  ▲▲▲  金井南龍の主張によれば、大和朝廷以前の原日本には白山菊理媛を奉ずる  「白山王朝」が存在し、縄文時代は白山信仰の世界だったという。この説  の根拠については、金井南龍自身が己の神秘体験で知り得たことで、本人  も科学的には証明出来ないだろう、と認めている。にもかかわらず、この  「白山王朝」及び菊理媛の霊的な働きに関する金井南龍説は、新鮮なイン  パクトを感じさせる。  金井の唱えるところでは、天孫族が白山王朝を滅ぼし、菊理媛始め白山系  の神々を封じ込めて皇家神道を創始したが、それ故に皇家神道は菊理媛の  持つ役割及び力を欠いているのだと言う。菊理媛の力とは何か。  「…皇家神道の持ち上げる神々にはククリの力、つまり肉体に魂をつなぎ  とめる力がないんです。…(中略)…タカムスビ、カミムスビは、いわば  神界の陰と陽で、それを再び統一するのも菊理媛のククリの力です。天津  神と国津神、表と裏、正と反、善と悪などの矛盾を統一する場、バランス  の基点をなすのも菊理媛で、皇家神道にはこれらの力がまったくないんで  す」              (『金井南龍の 神さま丸かじり放談』より)  簡潔に言い表せば、森羅万象の調和を司る或いは取り仕切る、即ち「くく  る」というのが、菊理媛という神の役割だと言う訳である。そして皇家神  道は、菊理媛を含める神々を奉っていた「プレ神道(白山王朝の宗教)」  を覆滅して出来上がったものだから、菊理媛のこれらの働きを欠くことに  なったと言う。  ▲▲▲  歴史的に見てみると、被差別部落と白山神社の関係は深く、特に愛知県以  東の東日本の部落の殆どには、白山神社が祀られていると言う。部落内で  は大抵、天然痘や歯痛や眼病に霊験あらたな神様として拝まれていたとさ  れる。  「白山神社と被差別部落」(明石書店)の著者である本田豊氏は、白山信  仰を伝えて来たのは非農耕民系の人々であり、皮革職人や鋳物職人等のい  わゆる技術者集団では無かったか、と推察している。福井県や石川県等の  日本海側でも、白山信仰を支えていたのは漁労民か漂海民だったと考えら  れており、これらより、白山信仰とは元々農耕民が信仰していた神では無  かったとしてもいいだろう。  農耕信仰と分かち難く結ばれている皇家神道と白山信仰の乖離は、天皇制  と被差別部落の関係から見ても、矛盾は無いように思える。ただ、加賀の  白山神社は、南北朝時代に南朝を支持して北朝の武家政権と対立したりし  たので、非人等の“異形の者ら”を好んで起用した後醍醐天皇との関係も  興味深いモチーフになりそうである。  ▲▲▲  話を戻して、金井南龍は神秘体験で白山王朝のことを知り得たばかりで無  く、白山菊理媛が霊的に封じ込められていたのも、自ら封印破りをしてし  まったとも言う。その真偽はともかく、かなりスケールが大きく面白いエ  ピソードなので、ざっと紹介したいと思う。  昭和35年8月9日、台風が吹き荒れているのにもかかわらず金井南龍は  白山登頂を敢行し、暴風雨の中を頂上まで辿り着くや、すぐに磐境が崩壊  しかけていたのを修復し、神事(カミゴト) を行って菊理媛とその配下を根の  国から救出したのだと言う。磐境というのは、菊の花弁状に並んだストー  ンサークルであり、神の菊座に相当するそうである。  「私が菊座の弁にする生き石 −これはどんな石でもいいというわけには  参りません− を探し集め出しますと、皇軍霊団の最後の抵抗なのでしょ  うが、暴風雨は雷鳴や稲妻を近くで伴奏しはじめました。菊座石というの  は小さいものでは役にたちません。100キロ、200キロなんですナ。  それが火事場のバカ力というか、神行のバカ力、神のお助けにより、非力  の私にも楽々と運搬出来ました。   菊座をならべ終わると、リュックの中からお供え物を取り出して献饌し、  祝詞をあげて祈りに入りました。それから菊座の中心に錫杖を突き立てて、  根の国の底に届く穴をあけ、姫神やその侍神とか配下・眷族を救出する神  行に取りかかったんです」                  (『神々の黙示録』 徳間書店より)  真偽はともかく、このぶっとびぶりは面白い。ご本人はきっと命懸けだっ  たのに間違いないのだが。  ▲▲▲  14番でも白山菊理媛が話題になって来ているが、次回に於いて先日の白  山比v神社参拝記も含め、締めくくりたいと思う。  TAO - FARION MES(14):預言解読村  ★ 預言・予言は何を語るか 95/10/04 - 03200/03206 PAG03134 はな RE:岩手山で地震 (14) 95/10/03 21:27 03192へのコメント コメント数:2 みれ さん  こんにちは。(^^)/~~~ >> 去年から今年の8月終わりまでに何度も岩手山周辺を神事(カミゴト) で訪れてい >>たので他人事とは思えない私です(^^;) それに今年の8月には岩手山の溶岩石を >>貰って来てるし…(-_-;)ウウム  岩手山で火山性微動が観測されたのですか。最近の伊豆の地震も併せ、 オヤツチが蘇ろうとしているようです。  みれさん、以下の発言を7月25日にされています。 >> 神界での折り返し=現象界とはならないことは、はなさんのおっし >>ゃる通りです、恐らく現象界には、今のペースだと2ヶ月くらい後( >>或は間)に現われるでしょう。  時期からいくと、ほぼ2ヶ月たって伊豆も岩手山も動いていますね。 今回の一連の地震は、百鬼夜行の折り返し地点にすぎないのでしょうか。                       はな 03201/03206 KFQ02761 しまうま RE^2:岩手山で地震 (14) 95/10/03 22:45 03200へのコメント #03200 はなさん  こんにちは(^^)。割りコメどえす。 :今回の一連の地震は、百鬼夜行の折り返し地点にすぎないのでしょうか。  ふむふむ。となると、はなさんのこのHMに関する解読(#3145「百合と百鬼 夜行」)も、ドンピシャリって感じですね(^^)。 :95/06/23 07/11‥黒い羊の笑い 07/23‥返す百合、乗る刃 07/29‥黄泉雪  で、“百合返し”のもう一つの意味として、「物質へのシフト」から「魂・ 心へのシフト」への揺り戻しという含みもあるのかな、と思いました。  それから、「乗る刃」のほうで言えば、白山のすぐ近くに「金劔宮神社」 (だったっけ? 相変わらずうろ覚え(^^;)という神社があったのを思い出し ました。白山の麓のほうは、確か刀鍛冶関連の地名が多かったと思います。神 界での「揺り返しのタイミング」が07/23で、「揺り返し地点」が白山、という ことになるのかもしれません。  ちょっとこじつけが強引でしょか(^^;。 しまうま(KFQ02761) 03202/03206 SDI00635 みれ RE:岩手山で地震 (14) 95/10/03 22:45 03200へのコメント  #03200 はな さん  うぅっ…記憶力がいいのね、はな村長(^^;)  7月25日の私のコメントを思い出されるとは。  確かに、ほぼ2ヶ月くらいでしたね(^^;)  それ以前に、あちこちでの神事(カミゴト) には必ずレスポンスと呼ばれる 自然界のお返事的なものがあって、それらは地震や火山噴火、洪水や暴風 雨などでしたが、あまりにも多くの場所に出掛けていてレスポンスもほぼ、 3〜7日間のあいだにあったりして、それらを記す時間も気力も無かった ので、まだ何もまとめていないのでした(- -;)  これらの神事(カミゴト) から類推するに、一連の地震が百鬼夜行の折り返 し地点に過ぎないとは思えません。今まで潜象で始まっていた百鬼夜行が 現象にはっきりと現われてきただけというには、何か違うような気もしま すが、これが何か?と問われても私には未だ分かりません。  思えば桓武天皇あたりの渡来系の文化や風俗、習慣などの伝播や維持な どのためにこそ有効であった数々の「封印」は、この日本を祖土(オヤツチ)と する蝦夷達の文化や風俗、習慣などを根絶やしにする目的を併せ持ってい たんだなぁと、色々な文献を調べるうちに思うようになりました。  今、固有の文化を忘れ去ろうとしている国があり、その名を日本と呼ぶ ならば、この国を立て直すには古来からの知恵である蝦夷の文化や風俗、 そして習慣などを悉(コトゴト)く退けてきた「柵(シガラミ)」をこそ取り払わ ねば…と、つくづく思います。  この柵(シガラミ)は、風水の知恵として大地を括るものであったり、文 化や風俗として心を括るものであったりしますが、私達人間一人一人に出 来ることは、心の柵を取り払うことです(注:風水の知恵を否定している のでは無く、それを何の為に取り入れて使ったのか?を問題にしています)  百鬼夜行は、私達に柵の在処を教えているように思います。  それは私達の大地と私達の心の双方を揺るがすでしょう。  鬼と呼ばれ恐れ蔑まれてきた存在は、実は「穏(オン)」の状態にされた私 達の祖先です。彼らの魂の足音が日本の大地を轟かせているんだと、私は 思います。私達子孫は、気付かねば…。 ・:*:・みれ・:・。,★ 03203/03206 KFQ02761 しまうま 覚え書き (14) 95/10/04 00:12 03185へのコメント  当会議室の#3094のるーんさんの発言に、興味深い2行がありました。忘れな いうちに(ゴメンネ、ワスレッポクテ(^^;)ここに書いておきます。 :籠の目=籠目舟=亀甲紋=ウミガメ :       =竜宮舟  「亀甲=籠目=篭」だとすれば、 :95/07/01 夢路を急ぐ者あり、その途は遠く険しい‥葛篭(ツヅラ)に眠るのは?  というHMとも関連が出てくるかもしれません。 :亀の甲、金銀を積んでも手に入らぬ夢。さて幕が開く‥準備良し :傀儡の永き夢に終止符を…。朱雀は黄金を玄亀に与える。  この2つのHMにも「亀」と「夢」が出てきますね。  あるいは「亀(カメ)」の中に「五(ゴ)」が入って「籠目(カゴメ)」とか?  あと、「亀甲=籠目=龍の目」だとすれば、 :93/09/15 ★幾星霜を超えて漸く目覚めた呼び声は、龍の目に輝きを取り戻し :94/10/25 朱き門に丹塗りの矢、小槌の沙汰は龍の眼尻を掠め、矢は的に… :95/06/02 真珠貝に抱かれし子は目を開けた。夜の目と朝の目、そして龍の目  あたりとも関係がありそうです。  2つ目に出てくる「小槌」でいえば、同じく#3094のるーんさんの発言に、 :小槌=大黒天の持ち物=地のモノリス??  というのもありました。  あ、それからこれ、今またふと思いついたんだけど、「葛=九頭」で、「篭 =竜=龍」だとすれば、葛篭(ツヅラ)って「九頭龍」のことなんじゃないでしょ うか。で、九頭龍は、白山菊理媛の化身でしたよね。  もっと厳密に考えれば、「葛篭」とは九頭龍が竹(竹かんむり)をかぶって 眠っている(葛篭に眠る)状態のことでしょうか。そういえば、白山の神社の 参道って竹が生えていましたよね。あの辺り竹は多いのかな。竹をかんむりに いただいて眠っている九頭龍って、白山そのもののことだったりして……。  うーん、頭の中錯綜状態。 しまうま(KFQ02761) 03205/03206 KFR02037 ひょうたん RE:白菊の君 (14) 95/10/04 00:34 03189へのコメント わぁっ! どれにRESつけたらいいかわからなくなっちゃった。(^^;ゞ                  ・            ・   ・  白山菊理媛のことですが、どうして白山姫が菊理媛かというと「百」に「一」 足らないことから「九十九」。この「九」の重なりから連想されて、くくり媛 の棲む山という発想が生まれてきたのではと思ってみました。黄泉路の媛とい うだけでも背筋が寒くなりますが、「九十九」には「つくも」すなわち憑喪神 という裏の面もあり何かゾォーッとする威力のある数字ですよね。       ・・   ・    ・   ところで「百合」を「合わさって百になるもの」と解釈すると、「九十九」 に欠けていた最後の何か「一つ」がそれかもしれません。「菊理媛が何らかの 理由で自分に備わっていなかった最後の一つを己が化身であるところの九頭龍 に与える」と読んで見ることもできそうです。   ク ク リ   ユリ   九十九合から百合へと代わる 秘め事があるのかもしれませんねぇ。                              ひょうたん 03206/03206 KFR02037 ひょうたん RE:RE^2:白菊の君 (14) 95/10/04 01:10 03199へのコメント ところでHMの麒麟ってよく吼えますねぇ‥‥ ワォーッ Э゚゚) …ってな事はともかくとして、キ○ンビールの麒麟の絵って、どこか北米大陸 に似てるなぁ....と思いません?(そう言えば、龍体の日本に吼えたり、揺さ ぶったりできるのは、いまんとこアメリカぐらいしかないものネ。)   ノ アラスカ ・. 彡 З ラブラドルハント- ラ)匕 〜# → ノ ) _◇ ( ◇◇◇) ( 北 米 ) 息抜きネタでスミマセン くく ル U\ \ U                麒麟 カルフォルニアハント- フロリダハント- ひょうたん - FARION MES(15):マホロバ誕生 ★ 大和魂復活のために 95/10/04 - 00296/00298 KHC01313 まるにちょん RE:大和魂を阻むもの(雑感) (15) 95/10/04 03:51 00292へのコメント #292 諏訪みのる さん  どもども、カメRESでごめんね。(^^; >> 「戦後教育の問題点」の一つとして、“「権利」の履き違え”があり、 >> 本来、「権利」と「義務」は一体として考えなければならない… >> という旨のご意見だと思いますが、私も同感です。  う〜ん、私の言いたかったことが2行でまとまってしまいました。(^^;  そうなんですよ、「権利」と「義務」は一体として考えなければならないし、 それが本来の性質だと思うんです。 >> 「義務」や責任といった面には目や耳を閉ざし、 >> 「権利」や自由という面ばかりが強調されるという風潮ですよね。  そうそう、人も行政も「権利」については敏感です。  ちょっと教育とは話がズレますが、関連していいますと、  人は自己の利益のために「権利」に聡いし、できるだけ拡大解釈して主張しよ うとすることが多いように見受けられます。  行政は、個人の権利を守り、また犯さないように神経を使いっています。  いや、むしろ「権利」を盾にもめ事に巻き込まれるのを避けるのに神経を尖ら せていると言うべきでしょうか…。  (私の知っている行政の実体には、「権利」を声高に主張するロビイストや利  権屋と事を構えるのを避けるため、半ば彼らの主張する「権利」(*注1)を  なし崩し的に認めてしまっているものもあるのだが…)  *注1:彼らの主張する「権利」には、正当と思われるものも、一般的に見れ      ば有利に扱いすぎているものもある。 >> 「権利」とか「自由」は、単なる“我がまま”になってしまう訳ですが、 >> 多くの「個」が、それぞれに“我がまま”を主張し始め、 >> そして それが当たり前の事のように許されて(許して)しまったことも、 >> 今の憂えるべき現状を導いた 一つの大きな要因であったと考えています。  そうなんですよね。わがままを「権利」とはき違えて、それを自他ともに認め てしまったことに、現代の社会情勢の原因があると思います。  それは、家庭での躾から、行政府の法の執行に至るまで、「権利」とわがまま のはき違いをしてしまっているのが現状なんです。  なぜか、ダメなものはダメと言えない風潮になっていますね。  正論で「その権利の主張はおかしいよ」と言っても、声高に権利を主張する者 には無視されてしまうか、悪くすれば「権利の侵害」と訴えられかねない…(^^;  話を教育に戻してっと(^^;、  諏訪みのるさんのおっしゃるとおり、現在の教育には自己を養うことは教えて も他を活かすことを置き去りにしてしまっていますね。  しかしながら、私の知っている教育現場では、そう言った問題を重視して個性 を活かしながら他者との共生と考えようと動きがあるようです。  この動きも権利を主張することに力を注いできた様に見える日教組に属する教 師が実施していくのであるならば、どうなることやらとも思いますが。  成功を祈るばかりです。 >> 現在 各方面に現れている“行き詰まった姿”であると私は見ています。 >> つまり、「全体」から「個」を引き離してしまった結果なのではないかと…。 >> これは日本だけでなく、全世界的に言えることかもしれませんね(^^;)。  私の感覚では「個」即「全体」であり、「全体」即「個」と感じています。  個なくして全体はなく、全体なくして個はありえないのではないでしょうか。 我々は、改めて「個」と「全体」の関係を見直し、その結びをやり直す時期 ではないかと思います。  「個」と「全体」を再構築することが、「まほろば」を蘇らせる一歩ではな いかと考えています。  そう言うことができるのが、教育現場であり、最小単位では家庭なんです。  だから、そういう場でこそ、頻繁に「個」と「全体」について考えて行かね ばならないと思うわけです。  長くなりましたね。               まるにちょん、○=ゝ P.S.おっと、「愛国心」については別に取り上げますね。 00297/00298 KHC01313 まるにちょん 祈りについて(雑感) (15) 95/10/04 03:52 00293へのコメント #293 ゆきぼう さん  祈りについての内的効果を興味深く読んでいますよ。  私なりに、祈りについて思うところを書いてみましょう。  人間誰しも何らかの祈りたい気持ちは有ると思います。  ゆきぼうさんの書き込みのあったように確かに祈りには、  ・何らかの報酬を求めて為すもの  ・無報酬のもの  があるように思えますね。    何らかの報酬を求めて祈ることは、別に卑しいことではないと思います。  むしろ卑しむべきは、報酬が与えられたときに感謝を念を持たなかった時で す。感謝の念が、報酬を求める祈りを昇華するように思えます。  無報酬、無私の祈りは、それ自体うつくしいものだと思います。  ただ、私自身自戒している事ですが、こういう祈りを行った時は口外すべき ではないと考えます。  なぜなら、無私で有るはずなのに、「私は、こうこうの為に祈った」と言っ たとたんに、誰それにその事を認められたいあるいは誉められたいと言う欲が 働くのを嫌うからです。  また、見返りを求めない祈りなら、何も人に言う必要もないですね。  静かに祈るのみですね。(^^)  祈りとは、命(イノチ)を宣(の)るとも言えると思います。  つまり祈ると言う行為は、実は命がけの行為ではないかとも思います。  なんとまとまりが有りませんが(^^;  ではまた。                   まるにちょん、○=ゝ 00298/00298 KHC01313 まるにちょん RE:知識は人を小さくする (15) 95/10/04 03:53 00295へのコメント #295 ゆきぼう さん どうもです。(^^) >>  まるにちょんさんの、戦後教育論を契機に、小生の考えたところを >> 書かせていただきます。それは、「知識は時には人を小さくする」と >> いうものです。  「知識はそれ自体、毒にもなれば薬にもなる」と私は思っています。  ゆきぼうさんのおっしゃる主旨は、その通りだろうと思います。  知識を我欲のために使えば、知識が毒に変化するのだと思いますし、 知識を持つが故に愚考し愚行に走るケースもあるかと思います。  知識は、自他ともに活かしてこそ、実生活での智恵として我々に恵み を与えてくれるのではないかと思います。  少しだけ法律について、 >>  人間同士であるどころか、深く縁のある肉親である以上、それぞれ >> 相手のことを思いやり、誠意を持って話し合うのが一番のはずです。 >>  経済的に成功した相続人もいれば、その反対になかなか経済的に恵 >> まれなかった相続人もいるでしょう。健康に恵まれた者とそうでない >> 者とか、親の老後を世話した者とそうでない者とか、相続財産を分け >> るにあたって、考慮されるべきことは色々有るものと思われます。し >> かしながら、法はこれらの殆どを無視します。  判例では、相続人が、被相続人に対してどれだけ尽くしたかと言うこと を考慮して、法の規定(分数)とは別に相続の配分をします。  これを「寄与率」と読んでいます。  単純に分数で配分したのでは、現実を考慮に入れないことになりかねな いのでこういう法の運用があります。ご参考まで。  では、また。                まるにちょん、○=ゝ