鰍(カジカ)の鳴く夜は、子守りの手も凍る…心に灯る火は何処に? - FARION MES( 3):Media Talk ◆ 本/映画/音楽を語る 95/10/29 - 00964/00969 GGA02514 KAZE 風の本棚●河合隼雄・ユング心理学と仏 教 ( 3) 95/10/28 21:40 これから、新刊を中心に、ぼくの読んだ本、読んでいる本について、 「風の本棚」(^^)として、印象に残ったところなどを さまざまにご紹介していくことにしたいと思います。 これまでは、そのほんの一部を、MES13に折りにふれてご紹介してきたのですが せっかくのメディア会議室を活用しないのももったいないということで、 ぼくなりの書籍情報をここでご紹介していきたいと思います。 さて、その最初としては、河合隼雄さんの新刊です。 ■河合隼雄「ユング心理学と仏教」(岩波書店) これは、フェイ・レクチャーという、世界のユング心理学者のなかから 毎年一人を招いてアメリカのテキサスA&M大学で行なわれるものだそうで、 これに東洋からはじめて河合隼雄さんが1995年の3月に招かれた際の 連続講演の記録です。 この内容は、これまでの河合隼雄さんがさまざま著書を通じて 述べていたような内容に加えて、井筒俊彦さんの論などを紹介するなどして 仏教的なアプローチをも試みたものです。 ぼくも、井筒俊彦さんは大尊敬しているだけに、とてもうれしいアプローチでした。 やはり、河合隼雄さんにおいて注目すべきは、 西洋近代的なバックボーンをもつユング心理学を 日本において独自に展開しながら、その新たな可能性を見せてくれたことで、 今回もそこらへんのことについて、あらためて見直すことができます。 さて、この本の詳細な内容を検討するのはここでは荷が重いので、 このなかから、記憶に残っている箇所を拾い出して、 それをご紹介することにします。   免疫学の研究によれば、人体のなかの、神経系、内分泌系、免疫系の各システ   ムは、それぞれが独立して機能しつつ、しかもお互いがうまく調和的にはたら   いておりますが、これら三者を統合する中枢は存在しない、とのことでありま   す。三つのシステムがそれぞれそれなりの統合性をもってはたらいていて、し   かも、全体としてうまく機能していますが、それはひとつの中心によって統合   されてはいないのです。私の友人の有名な免疫学者である多田富雄は、したが   って人体というのは「スーパーシステム」であると言っています。   ここからヒントを得て私が今考えていますのは、人間の心もスーパーシステム   として見るべきではないか、ということです。これまで何度も意識のレベルの   違いについて述べてきました。そして、論理的には矛盾することも、一人の人   間の心のなかでは共存し、むしろ、その共存に価値がある、という考えも示し   てきました。私は人間の心は、意識の異なるレベルでそれぞれの統合性をもち   つつ、全体的には中心をもたずにスーパーシステムとしてうまく機能している   のではないか、と考えようとしています。つまり、心全体としてうまくはたら   いているとき、そこに敢えて中心を求める必要はない、と考えるのです。   通常の意識の中心をユングは自我と呼びましたが、西洋の近代が自我をもっと   も大切と考えていたとき、自己の重要性を指摘したことは、ユングの偉大な功   績であります。しかし、ユングが自己に対して極めて逆説的な性格を与えてい   ることを、われわれは忘れていないでしょうか。ユングは自己が「中心」であ   ると言うと共に「全体」であることも強調しています。私はユングが「自己」   とは何か具体的に示して欲しいという質問に対して、「すべての皆さん」(all   of you)と答えたという逸話が好きであります。それは簡単に「統合」などで   きないのではないでしょうか。(P211-212)    中心のないスーパーシステムというのは、なんだか魅力的でしょう? そういえば、日本の天皇制も、「中心がない」と言われていたりしますよね。 日本人の典型的な人格構造も、中心の自我の確立という方向ではなくて、 そうした中心のないあり方であるともいわれたりします。 第二次世界対戦の集結に際して、来日したマッカーサーが、 日本人は十二歳である、とかいうことを言ったそうですが、 西欧の自我の発達という観点からみたら、そういうことがいえるかもしれませんが 日本人の多くは、自我の発達という方向ではないあり方を発達させていた というふうに見るのがいいのではないでしょうか。 そういうなかで、「中心のないスーパーシステム」という考え方は、 すごく面白いわけです。 「中庸」だとか「中道」だとかいうことが東洋では言われたりしますが、 それもひょっとしたら、そうしたスーパーシステムなのかもしれませんね。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 00965/00969 GBB03425 Paper Birch 「パソコン批評」にみれさんが ( 3) 95/10/28 22:19 一ページだけ書いていました(^^)。 意外なところでみれさんの名前を発見して、ちょっと驚きました。  まぁ、雑誌自体が高かったし(A5判で880円)、98の事ばっかだったの で買いませんでしたが、興味のある方は捜してみてください。たぶん大きな書店 でないと置いてないと思いますけど....。  僕は、姉妹誌の「ゲーム批評」という雑誌を買って帰りました(^^)。 △▼△ Paper Birch △▼△ 00968/00969 GGA02514 KAZE 風の本棚●百瀬明治・出口王仁三郎 ( 3) 95/10/29 01:25 ■百瀬明治「出口王仁三郎/あるカリスマの生涯」(PHP文庫)   「宗教が世界から全廃される時が来なければ駄目なのである」   王仁三郎以前に、「宗教の全廃」というこんな過激な発言をした宗教家が   この世にいたでろうか。   ・・・   王仁三郎の唱える「宗教の全廃」とは、宗教不要論ではない。宗教家があ   えて信仰を鼓舞しなくても、人々がみな正しい教えにめざめ、おのずから   その教えを実践する世界が実現されることこそが最も理想的だということ   の逆説的な表現が「宗教の全廃」なのである。(P4)    ぼくは、MES13で、主にシュタイナーをテーマにして話を展開しているのですが、 そのシュタイナーとおなじくらい敬服し、憧れている、 そのほとんど同時代を生きた人物というのがこの出口王仁三郎です(^^)。 シュタイナーは、学問的な方向でものすごく幅広い実践を残した人ですが、 この出口王仁三郎は、すべてを達観し、深い信念を持ちながら、 少しも深刻にならず、たえずユーモアあふれる態度をつらぬいた、 ものすごく大きな人物で、 シュタイナーとは少し違った観点で、敬服せざるをえないというか、 全幅の信頼が寄せられるというか、そんな人物です。 シュタイナーは、信仰ではなく、認識の必要性を強調しましたし、 出口王仁三郎も、上記の引用のような考え方をもち、 しかも科学的な方向性、芸術的な方向性を重視していました。 出口王仁三郎は、その必要があって、当時のニューメディアなどを駆使しながら、 大本教の拡大に力を尽くしていましたが、 その実、宗教団体というのを本来必要のないものとみなしていたようです。 出口王仁三郎に関しては、ちょうどその孫による伝記 ■出口京太郎「巨人 出口王仁三郎」(社会思想社) というのが、でてまして、これも、出口王仁三郎という人物が いったいいかなる人物であったかを概観するのに、適当なものだと思います。 この2冊とも、文庫化及び再刊の運びになったものですが、 いま、この時期に2冊が新刊で、 しかも宗教書だとかオカルティックなジャンルでなく、 書店にならぶというのもおもしろいなと思いました。 さて、百瀬明治さんのほうから、王仁三郎の洒落っけを表わすエピソードを少し。   王仁三郎はまた、警察に検挙されたとき、「大本はいじればいじるほど大きく   なるわいな」と、股間を指しながら笑って言った。(P128)      王仁三郎は信者を前にした講話の席でも、ユーモア感覚を効果的に用いた。神   を説明するのに、「いうにいわれずとくにとかれず、これはおやじのハゲ頭の   ようなものであります」と言ってのけたというのは、その恰好の例としてよい。   いうは言う・結う、とくは説く・解くであり、なるほど神の実体については言   うのも説くのも難しく、おやじのハゲ頭も結ったり解いたりすることはできな   い。(P129)      第二審を担当した裁判長は、高野綱雄といった。   王仁三郎は、この公判中、「人虎孔裡に墜つ」という禅問答を高野裁判長にし   かけている。人間が虎の穴に落ちた場合、どうするのが最善か−−というテー   マである。裁判長は答えられず、逆に王仁三郎に問い返した。王仁三郎は言う。   「逃げようとしても、立ち向かっても、じっとしていても、虎のほうが強いか   ら所詮助からない。けれども、一つだけ生きる道がある。食われるのではなく   こちらから食わしてやるのだ。食われたらあとは何も残らないが、自分のほう   から食わしてやれば、あとに愛と誇りが残る・・・」   王仁三郎の宗教家としての懐の深さをものがたるエピソードであり、高野裁判   長はこの法話に深い感銘を受けたという。(P203-204) 王仁三郎は、最晩年に、陶芸に精を出します。 数年間で三千点ほどの作品を残しているそうですが、 数年前に、友人宅で、そのなかの一点を見せてもらったことがあります。 そのときの感激はいまもわすれることができません。 手のひらにのせて、目で追って、こころ温かく、やさしく、 その作者の心の豊かさ、遊び心、懐の深さ、愛情の深さ・・・ いつまでもさわっていたい、そんな気のしてくる作品でした(^^)。 ほんとうに、こんな人物になれればなあとおもいながら、 それに対する、自分の小心さ、狭量さに、恥じ入る思いがします。    ☆☆☆KAZE☆☆☆ - FARION MES( 6):ハロー・メッセージ ★ 今日のハロー・メッセージから 95/10/29 - 00186/00192 HGB02122 あもり 暖水塊 ( 6) 95/10/28 16:00 コメント数:2 >永劫流転の円錐は大気圏突入し命を終わる。海洋からの応答無し。 本日付け朝日新聞に、暖水塊の記事が載っていました。 日本列島の東西(三陸沖、岩手県のすぐ東と山陰沖、島根県のすぐ西)に、 関東地方くらいの大きさの暖水塊が発生しています。 温度差や潮流の変化といった重要と思われる科学的な記載は何もなく、漁 場に変化が生じると言ったことに留まっていました。 潮流の境目に生じる温度差のある水塊は、その規模によって国の文化まで 変えてしまう影響を持ちます。 弥生前期に東北に大文化圏があったことをほのめかす文書がありますが、 当時は日本海に巨大な冷水塊が存在しており、潮流の蛇行の関係で、対馬 海流が深くまで入り込んだため、東北は温暖な気候が続いた時期があるそ うです。(出典は忘れましたが) 潮流の微妙な影響が社会に及ぼすものとして有名なものにはエルニーニョ 現象がありますね。 四方を海に囲まれた日本ですから、潮流には他国よりも敏感な性格を持って いますから、このHMが何等かに関与していることは確かだと思います。 HGB02122 あもり 00190/00192 KFQ02761 しまうま RE:暖水塊 ( 6) 95/10/28 22:05 00186へのコメント #00186 あもりさん  こんにちは(^^)。  朝日新聞の暖水塊の記事、僕も見ました。記事中の『関係者は「これは海の 珍事です」。』という記述が、なんか聞いたことそのまま書きよんなーこの人、 みたいな感じでおもしろかったです。  今年の5月30日付の朝日新聞(朝刊)の第1面には、「黒潮の蛇行 連続 発生」として、気象衛星から撮影された黒潮の水温分布図がカラーで掲載され ていました。通常であれば、日本の南側を南西から東北向きに直進しているは ずの黒潮が、大きく蛇行している、という記事でした。もしかしてこの黒潮の 蛇行が、暖水塊を生んだのかもしれませんね。 :永劫流転の円錐は大気圏突入し命を終わる。海洋からの応答無し。  このHMを読んで思い出したのは、97年春に地球に接近するという彗星の ことでした。又聞きで聞いているだけなので、正確ではないかもしれないので すが、なんでもハレー彗星より大きいヤツだそうです。  あ、いやいや、それよりこれって人工衛星のことかも。「永劫流転の円錐」 というと、なんか人工的なモノっぽいですね。さらに「海洋からの応答無し」 ということは、人が乗っている衛星か、あるいは自動発信装置みたいなのがつ いている、重要な衛星か……。なんかしらが、海に落ちる、という話かも、と 思いました。  ……書きながら思ったけど、これって14番ネタでしょうか(^^;。   しまうま(KFQ02761) 00192/00192 NBB01420 SUKE RE:暖水塊 ( 6) 95/10/29 01:40 00186へのコメント >>永劫流転の円錐は大気圏突入し命を終わる。海洋からの応答無し。 何だか電池切れで停止した人工衛星が落っこちてくる見たいな想像をしてしま いました。それで海に落ちて…                         (^^)…☆ッテナモンダ Suke. 00188/00192 KFQ02761 しまうま RE:朝が来たら目覚めなければ… ( 6) 95/10/28 22:05 00183へのコメント #00183 まるにちょんさん  こんにちは(^^)。  ものすご〜〜〜く遅くなってしまいましたが、娘さんが無事誕生されたとの こと、本当におめでとうございます\(^o^)/バンザーイ! :>> 曙色に染まる地平線、輝く雲の輪郭…朝が来た、新たな朝が。 (中略) : 話は変わって、地平線は「地」を、輝く雲は「天」を象徴してるように思えま :す。ってことは、神界も人間界も「新たな朝」を迎えるのかも知れませんね。  うーん、なるほど、と思いました。  天(雲)の輪郭が輝いていて、地(地平線)が曙色に染まる、ということは、 天のほうが一足先に「新たな朝」を迎える、ということなのかもしれませんね。 そして、その影響を受けて地も曙色に染まりつつある……となると、僕たちも うかうかしていられないなあ、と思います。  自分では起きられないまでも、神様が鳴らす目覚まし時計をとめてもう一寝 入り……ということだけはしないようにしたいと思います(よくやってしまう ので(^^;)。   しまうま(KFQ02761) 00189/00192 KFQ02761 しまうま RE:新たな朝 ( 6) 95/10/28 22:05 00184へのコメント #00184 維/YUIさん  こんにちは(^^)。 :そして、その空には白いうろこ雲がくっきりと列び、太陽の光を浴びて :輪郭から金色に染まっていました。  というあたり、なんとなく日の光を浴びる金龍、という風な景色を思い浮か べてしまいました。  そういえば先日、僕は夕日のほうでしたが、きれいな鱗雲の夕焼けを見まし た。すごく微妙な染まり具合で、やがてすぐに色あせてしまったのですが、儚 いながらもけっこう「日本の美」みたいな感じで、よかったです。   しまうま(KFQ02761) - FARION MES(10):夢鏡/幻紀行 ★ 夢解釈/カスタネダ研 95/10/29 - 00992/00993 HGB02122 あもり RE:二十数年前の夢(^^; (10) 95/10/28 15:59 00990へのコメント コメント数:1  ##00990 スウ さん  お邪魔します(^_^)  意味合いが違うのでレスにはならないかもしれませんが....  「心象風景」という言葉が出てきましたので、何となくレスを付けてしまい  ます。違うかも知れませんが、ユングでは「原風景」とか呼んでいましたっ  け?  夢とは違いますが、過去の風景が強烈に心の中に残っていて、似たような風  景に出会うたびに、ふと回路が繋がったように思い出す時があります。(デ  ジャ・ビュに似ている)  それは幼い頃に見た紫がかった茜色の空だったり、高山の杉の落ち葉の湿っ  た匂い、最近ではバリ島の午後の風景だったりします。  電気的に考えると分かりやすいのですけれど、それらのオブジェクトと何等  かのきっかけをもってふと回路が接続する瞬間があって、一瞬心がシフトし  てしまうような感覚が起こります。  心の中にしまわれた過去の風景が余程その時の自分にとって強烈であり、新 鮮さを失わずに保存されているような気がします。それが何等かのきっかけ で通常の世界に浮上してくる。 何だか時間とか空間とかを切り張りしたような感覚です。 これって、その時の心理状態が特別な時に刻み付けられるものなのでしょう か? (特に分析する気は起きませんけれど) HGB02122 あもり 00993/00993 GGD02212 スウ RE:二十数年前の夢(^^; (10) 95/10/29 00:55 00992へのコメント  へい毎度どうも>あもりさん。  もしかして当方は「心象風景」という言葉を本来とは少々ズレた用い方を したかも知れません。しかし、当方の記憶ではユングの使う用語に「元型」 と言うのがありましたが、「原風景」はあまり出て来なかったと思います。  当方の場合、あの風景は音楽とリンクされたオブジェクト<コンピュータ 用語っぽい表現をしたくなったのでしてしまいました(^^;>になっていて、 視覚的には夢以前に見た記憶は不明瞭ですが聴覚的にはラジオの深夜放送で 似たようなのを聞いていたかも知れません。素材的には元々あったものから 構成されているにせよ、いかにも世紀末とかのテーマを表現しているような 心象風景というか視聴覚イメージで、後になって読んだ聖書の黙示録にある 「天使の吹き鳴らすラッパ」のイメージと重なる感じがするのです。(スウ) - FARION MES(11):狼を生きる  ★ 平井和正の著作から 95/10/29 - 01808/01808 JBH00712 桂 桂 RE:みんな愛のせいね (11) 95/10/29 01:30 01801へのコメント  #01801 ふぁらんどーる さん  あいやパソコン直ったのですね(^O^)  お早いお帰り、嬉しいですね。相変らずの遅い返事で失礼します(^^ゞポリポリ  うみみ、貴重な子育て談をお聞きしてしまいまして色々と考えらせる ことが実に多いですね。こんな話を聞いてしまうと、思わず私も子供を 持ちたくなります(*^^*) ポッ           カスガイ  世はおしなべて「子は鎹」などという方もいるのでないのか、という 気がしましたがこれはどっこい、親の心情というもの、なかなか傍目で は押し眺められないものがありそうですね。  私はまだ子供の視点でしか世の中を見られないものですが、これを一 つ物の見方を変えて上というものではなく、「親」という視点で世界を 眺めて見たらこれは何か「トッテモスゴイ」ってことになっちゃいそう ですね(^^;  どちらかというと私は両親の愛情に育まれて育った方だったといえる かもしれません。  喧嘩はしょっちゅう我が儘も始終、という具合でしたが、よく話もし たものです。親からすれば、いつも大変に我を通す子供で実に扱いずら かったのではないのかという気もしますが。流石にそれも今になって回 顧出来る事ですね(^^ゞナハハ  話し変わってようやく「犬神 明・9」を読み終えました。  ツンドラの最中で今回のエピソードが終わった所です。  この中で氷原の魔力によって明が青鹿先生の幻想に囚われるシーンが ありましたよね。  明は幼少の折りに最愛の母親と生き別れになったという悲痛な体験の 持ち主ですから、きっと女性の好みも母性的なものに惹かれるという傾 向があったのではないのかという感じもしました。  彼はアリゾナ砂漠で自己憐憫に取り付かれていた時でも、それは母親 の寵愛を受ける事が出来ずに、自らの苦しみを慰める術を持たずに彷徨 したことによるものではないのか、そんな気もします。そういえば再び エミリーもやってきましたね(^.^) 最も狼の姿で、それも精霊の様な 感じで。  明を助ける女性というのは、全て素敵な女神的な「立派な女性」とい う感じで描かれているような気がします。するとマーは、子供の自立を 妨げる幼児的な、過保護な母親かな(^^;ナーンチャッテ  さて今日はこの辺で。子育てにもパソコンのメンテにもしっかりがん ばって下さいね〜  でわでわ。 桂 桂(JBH00712) - FARION MES(18):武道にありて ★ 道の実践 95/10/29 - 02629/02630 HGB02122 あもり RE:ゆっくりした動き?? (18) 95/10/28 16:28 02619へのコメント 正確で緻密な動きを心掛ける、というテーマですが、ここで実際的な話をひと つ。 自分の顔面の中心を殴ってくる相手がいるとします。 それを避けるために、身体ごと動かして避けることが必要なのか?という事で すが.... 顔の中心から顔の側面までの長さはそれほどあるものではありません。(試し に自分のを計ってみたら10センチくらいだった)したがって、相手の突きを 避けるのであれば、10センチ強ほど顔をずらせばクリーンヒットは避けられる 計算になります。 従って、過分な動きは必要ない訳です。(前回の「反動」と同じですね) これは武道で言う「見切り」になります(かどうかは分からない(^_^;) この辺りはボクシングの世界では研究されているようです。残念ながら私は詳 しくないので、誰か知っている人がいたら教えてください。 面白いことに、そのギリギリの線で避けると、突いて来た相手の体勢が崩れる という状況が発生します。 当たるか当たらないかの距離で相手の攻撃を避けると、相手にしてみれば、 「当たる」という思い込みが瞬時に発生します。そしてこの「当たる」という ことをベースにして次の行動の計画を立ててしまうんですね。「当たる!」と いう事前の感覚は、微妙な体重のかけかた、上半身の動きの流れ、それらのも のに結構な影響を与えます。当人は、当たった後についての仮想的な部分から の攻撃を始めている訳です。 人の体のバランスは案外不安定なもので、一寸した思惑が絡んでくることによ って乱されてしまいます。 合気道とかの間は、常にそれを踏まえてバランスの崩れたところに仕掛ける技 を多く持っています。相手の力を自分の都合よく利用してしまうという部分で す。 これは何も武道の話に限らず、日常での自分の思惑と相手の反応のずれに「あ れ」と思ってしまうことが良くありますよね。 この「ずれ」って結構面白い現象なのではないでしょうか? HGB02122 あもり 02630/02630 GGD02212 スウ RE:発言者削除:居着きの子守歌 (18) 95/10/28 19:01 02628へのコメント  はい。あれはタイトルオンリーの一行ギャグです。(^^; >あもりん  そもそも この会議室は熟読していないもので(^^;、度々タイトルに出て来る 「居着き」の意味も良くわからず、低級な駄洒落しか思い浮かばなかったので 「イッツキー」"It's the key !"(これも駄洒落(^^;)と言えるような、気の 利いた一本も書けなかったのですが、幾つかのコメントを読み返して見ると…  たとえば#02619の「不動金縛り」の術は「相手の行こうとする方向にばかり 避けようとして右にも左にも行けず自転車を降りてしまうオバチャン」みたい ですね(^^;。相手の動きにつられて、と言うか、微妙なタイミングのズレから 逆の逆つまり同じ方向に動いてしまう、ああいうのを巧妙にコントロールでき ると柔術の技みたいになるんでしょうか。  さらにコメントをさかのぼると…あらら、桂 桂んの「狂四郎の円月殺法」 の話(#02434)が出て来て、「慎重なる瞬発力」に纏わる話題だったんですね。 いったん止まってしまうと再びスタートするために相当のエネルギーと時間を 消費するのは、自動車の始動でもそうですね。会議室でもいったん書き込みが 滞ってしまうと活性化するのに費やすエネルギーと時間も…うぐぐ(^^;(スウ) - FARION MES(19):世も末ばなし ★ ぶっ飛び話・罰当たり話 95/10/29 - 694/694 QZY01267 猫の手 麻が地球を救う?? (19) 95/10/29 07:28 どこの会議室にこれをUPしようかと考えたけれど、発想が今までの観念を覆 す内容だというところからこれもこの会議室にUPすることにしました。   麻、大麻、マリファナというとどのようなイメージがあるでしょうか?   多分、多くの人は麻薬と同じような危険なものと認識しているのではない かと思います。その麻が「地球を救う。」などと言われてにわかに信じ難いも のがあるかもしれません。   本当にその可能性があるのかどうか、興味がある方は以下のシンポジウム に行ってみてください。私も行こうかどうしようか迷っています。   信州からそれだけのためにでていくのはちょいとしんどいナー。 これは私の友達から送られてきたシンポジウムの紹介です。   ************意識を変える麻が地球を救う*************** <<<<<シンポジウム・展示・コンサート>>>>> 95.11月3日(文化の日)午後1時より 中央大学多摩校舎8号大教室(八王子市) (京王線多摩動物公園駅下車)   麻(マリファナ、大麻)をめぐる世界の論調、識者の見解は今、大きく変 換しています。ハーブ・薬草として、繊維パルプとして、食料として、地球環 境の悪化を食い止める植物として、各地で盛んに栽培されているのです。先進 国では酒、タバコより害のない嗜好品として大麻喫煙は一般的になっていま す。ではなぜ日本では大麻で逮捕されるのか、大麻とはどんな植物なのか、大 麻を喫うとどうなるのか。真実を語り、資料を解説し、率直な疑問に答えま す。   出席者   丸井英弘:弁護士/1970年代の芥川裁判をはじめ多くの大麻裁判を担当。        一貫して大麻取締法の違法性と大麻使用の有効性を主張している。   山田塊也:画家・作家/日本初の大麻検挙に立ち会う。今までに延べ1000人        以上に大麻喫煙を伝授。大麻弾圧抵抗の生き証人。著書「アイ        アムヒッピー」他。        前田耕一:ジャーナリスト・日本大麻党代表/日本で初めて大麻商品・大麻        関連用品店「大麻堂」を大阪ミナミで営業。著書「マリファナ・        トリップ」他   上田圭一:日本ホリスティック医学協会理事・翻訳家/向精神薬物の作用に        よる心身の癒しに造詣が深い。アンドリュー・ワイルの翻訳書は        定評がある。           コンサート       :ど ん と (元ボガンボス)         主催 中央大学・大麻ーマリファナー麻シンポジウム実行委員会                                      連絡先 TEL0426ー74ー2782                               ** QZY01267/ 『猫の手』 でした <95/10/29 02:31:09> **