三叉路に差し掛かり夢の轍は三方向へ広がる…善悪、それとも無? - FARION MES( 3):Media Talk ◆ 本/映画/音楽を語る 95/11/05 - 00982/00983 QZG02773 ウルヴィー ウルヴィー十月の本 ( 3) 95/11/05 01:31    *KAZEさんが書評を始めたのでちとタイトルをいじりました。* 「蜃気楼文明」  ヘルムート・トリブッチ 著 渡辺正 訳  工作舎  \2900     テレビ東京30周年記念特番「蜃気楼の王国」の原作となった本。     世界の古代巨石文明(ピラミッド・ナスカ・ストーンヘンジ)を    蜃気楼信仰という角度から読み解こうとする本。ヨーロッパで興っ    た、蜃気楼をあの世と考える信仰が伝播し、ピラミッド、ナスカの    地上絵、中南米の文明を生んだとする。     すべてを蜃気楼で説明しようとする強引さを感じないでもないが、    確かに納得させられる部分もあり、蜃気楼をいう要素を古代史解明    からはずすことはできないのではないかと思わせる。     ピラミッドの蜃気楼倒立像からの解釈、ストーンヘンジの巨石に    降りる月の蜃気楼、逃げ水を捕らえる装置としてのナスカの一筆書    きの地上絵、中南米文明に見られる蜃気楼を表したとしか思えない    象形文字 etc.。海坊主はイルカやアザラシの蜃気楼像というのも 面白く、読み物としてもいい出来の本である。     ところでこの本には書かれていないが、レイラインもこの蜃気楼    文明という観点からすると簡単に説明できうる。つまり、     【蜃気楼の現れる聖なる場所(多くは埋葬場所となる)】     【蜃気楼観察の指標、物差しとなる巨石】     【蜃気楼を観察する”寺院”】    の三カ所が直線上に並ぶのは光の性質上至極当然のことなのだ。蜃    気楼はある程度の開けた場所があれば、あらゆる方向、あらゆる場    所に出現するので、この三カ所を結ぶ直線は網の目のようになると    いう仕組みである。     番組の再放送があればぜひご覧になることをお奨めする。もちろ    んこの著作もお奨めの一冊である。     長くなったので発言を改め、次の本を紹介しよう。 00983/00983 QZG02773 ウルヴィー ウルヴィー十月の本2 ( 3) 95/11/05 01:32 「脳の冒険」  養老孟司 三笠書房「知的生き方文庫」 \500     言わずと知れた唯脳論・養老孟司のエッセイ集。「脳に映る現代」    (毎日新聞社刊)を文庫収録にあたり、再編集・解題したもの。     今の私はこの人の考え方に心酔しているので客観的なコメントはで    きないかも知れないが、その通りっ!と思うことが多いのも事実なの    だ。     日本人には「普遍」に関する教育が成されていないというのもそう    だし、名前を付けるということは対象を切ることだというのもそう。     宗教体験は、いや、そもそも「体験」というのは常に個人を前提と    するものであり、本人以外の誰かに、一般的「経験」として他人が利    用できるように伝えられるものではない。だから宗教「体験」であっ    て宗教「経験」ではないのだ、というのもそう。死後の世界が気にな    るのはそれが今の日本人に残された唯一予測不可能な未来だからとい    うのもそう。     思うに宗教とは理論、理性、理屈に関したものではなく、感情とど    う折り合いをつけるかという一種の方法論のような気がするのである。 「フィンチの嘴」ガラパゴスで起きている種の変貌   ジョナサン・ワイナー著 樋口広芳・黒沢令子 訳  早川書房 \2200     1995年ピューリッツァー賞受賞作。    ”化石の進化ではなく、ついに現実の進化を目撃した夫妻の研究を追っ   た気鋭の科学ジャーナリストが、種を変貌させる自然の力の驚異に迫る”   進化論についての著作。    進化はあなたの家の裏庭でも今まさにこのとき進行しているというこ   とを納得させてくれる本である。    農薬と害虫の関係、抗生物質と菌の関係(最近問題になっているMRS   Aもそうだ)、年々捕れる魚が小型化しているということも実は進化の   問題であるということを実感している人はどれくらいいるのだろうか…。    アメリカではいまだに約半数の人が進化論を否定しているという数字に   もちょっとビックリしたな。 「超常現象事件[X−ファイル]の謎」   ナイト・ストーカーズ編 フットワーク出版社 \1200    今ちまたで話題の(笑)X−ファイル解説本。    データベースとして一冊持っておこうと思って買った本だ。    いよいよ地上波放送が始まるようで、さて、どういう結果になりますや   ら。       今月はちょっと少なかったかなウルヴィーは       ウイズの攻略本を五冊買いました。 - FARION MES( 6):ハロー・メッセージ ★ 今日のハロー・メッセージから 95/11/05 - 00197/00200 JCF00616 優位 人工衛星の役割 ( 6) 95/11/04 19:31 00192へのコメント コメント数:1  #00192 SUKE さん |>>永劫流転の円錐は大気圏突入し命を終わる。海洋からの応答無し。 | | 何だか電池切れで停止した人工衛星が落っこちてくる見たいな想像をしてしま | いました。それで海に落ちて…  そういえば、過去ログの中に、ARIONが人工衛星について言及していた部分が  あったのを記憶しています。なんでも、人工衛星の役目というのは、(1)…本来の  目的の為、(2)…軍事利用の為、そして(3)…宇宙からの来訪者への目印の為、と  だいたいこんな感じで3つ程挙げていたと思います……。  (3)あたりが臭そうですね(^^;)                          優位(JCF00616) 00199/00200 JCF00616 優位 RE:ハローメッセージ10月分 ( 6) 95/11/04 19:35 00196へのコメント | 10/07 八方を囲まれていても、天と地は空いている。見よ踏みしめよ  『続・如是我聞』という本の中に、これと似たような事が書いてありました。  以下に抜粋して紹介します。   「八方ふさがりでどうにもなりません」   と或る人が先生にいうと、即座に   「天があいているよ」と先生はおっしゃった。自分の左右と下ばかりを   見て、天まで目が向かなかった時で、その人はハッとした。  …この話は大好きだったので、ときどき、思い悩んでいる時などは、フと思い  出してはああ、そうだった、と天を仰ぎ見ることにしています。                          優位(JCF00616) - FARION MES( 9):神々の曼陀羅 ★ 歴史と宗教を巡って 95/11/05 - 649/650 MHD02672 TAO 神葬祭の概要について ( 9) 95/11/04 23:50 648へのコメント  先日から話題になっている神葬祭ですが、その概要を記した書籍を見つけました  ので、大まかに紹介させて頂きたいと思います。  ※「神道のしきたりと心得」 神社本庁教学研究所監修 池田書店  日本の葬儀は仏教伝来以来、仏僧の関与による影響を深く受けていますが、にも  拘らず「枕飯」「北枕」「葬列の松明(タイマツ)・箒(ホウキ) 」「埋葬後のお祓い」は  仏教と関係無く、古来から受け継がれて来た日本固有の葬送民俗だそうです。  恐らく仏教伝来以前から、既に固有の葬送民俗が存在していて、仏教の方がそれ  に妥協していわゆる「葬式仏教」という儀式を発明したというのが、実際のとこ  ろなのでしょう。  江戸時代、徳川幕府によって仏葬が強制されたのは、キリスト教禁圧の為に寺請  制度が発足されてからですが、この登録制度により一人一人の民衆が特定の寺院  の壇家とさせられ、寺院と民衆は強制に結び付けられ、壇徒の葬式も必然的に寺  院で行われることになったという訳です。  それでも、固有の葬送民俗を色濃く残した葬式が、仏僧の手によって行われてい  たということは、いにしえより伝わる霊魂観とは、そうそう変わるものでは無い  ということを示しているようです。  幕末になってからの国学の隆盛に伴って、イデオロギー的に純化された「復古神  道」によって「神葬祭」も復活して来る訳ですが、実際には「仏葬」も「神葬」  も、唱えるものが違うだけで(お経と祝詞)、儀式自体はそう差が無かったので  は無いかと想像しています。神主にしろ、仏僧にしろ、死者の鎮魂・供養を計ら  うのは同じですし。  維/YUIさんが聞かれた祓詞ですが、恐らく下記のものだと思われます。    カ    カシコ イザナ ギノオオカミ ツクシ ヒ ムカ タチバナノオド ア ハギハラ ミソギハラ タマ   掛けまくも畏き伊邪那岐大神筑紫の日向の橘小戸の阿波岐原に御禊祓え給いし   トキ  ナ  マ  ハラエド オオカミタチモロモロ マガゴトツミケガレ ア    ハラ タマ キヨ タマ   時に生り坐せる祓戸の大神等 諸 の 禍事 罪穢 有らむをば祓え給い清め給え    モウ コト キコシメ  カシコミ カシコミ モウ   と白す事を聞食せと恐み 恐みも白す  この祓詞は、神事の前に必ず行われるお祓いの時に唱えられますが、短い割りに  重要なものであり、神棚で祝詞を奏上する前に唱えられることもあります。  拝礼については、「二拝二拍一拝」というのは神拝と同じですが、この時は音を  立てないように叩きます。これは「忍手(シノビテ) 」といいます。  この他、細々とした諸儀が紹介されていますが、仏葬と重なるものが多いように  感じられ、やはり日本の葬儀というのは宗教のそれと同じように、神仏習合的に  なっているようです。誰にでも必ず死を賜るのですから、死者を奉る儀式におい  て外来の宗教がどのように優勢となろうと、どうしても在地の霊性や霊魂観に基  づいた葬送民俗と融合してしまうものなのだろうと思います。  以上ですが、その他にも、葬墓の持つ呪術的な性格……不成仏霊(荒魂)を作ら  ないように浄化し、封じ込める……についても、機会があれば触れて行きたいと  思います。  TAO - FARION MES(10):夢鏡/幻紀行 ★ 夢解釈/カスタネダ研 95/11/05 - 01000/01002 KHE02065 メルク 夢の空への挑戦 (10) 95/11/04 19:08 コメント数:1  こんにちわ。メルクです。  この会議室は、確か始めてですね。  夢についてということで、すこし前に観た不思議な夢について、ちょっとかいて みたいと思います。  昔の夢の会議室にも少し書いたことがありますが、私は一時期、夢の中で空を飛 ぶことに凝っていたことがあります。そのころは、夢の中で空を飛ぶことが楽しく、 毎日のようにフライトしていました。  あるとき私は思いました。「ずっと高く飛んでいったらどうなるんだろう?」 西洋魔術の「諸界への上昇」のように、上の世界があるのか、宇宙に出るのか。と もかく高く高く飛んでみました。でも数十メートルしか飛べませんでした。  なんど挑戦しても、そこそこの高さまで行くと力尽きたように、それ以上は飛ぶ 力が出ないのでした。どうしてもだめでした。そのころは、現実の世界では私はフ リーターで、就職が見つからず、家庭での摩擦も大きく、とても苦しくて飛び立て ない時期でした。  そしてそんなあるとき、ある不思議で印象深い夢を観ました。私が、スピードを 出して空中をかっ飛んでいると、見知らぬ老人が自分の横を、ヒョコヒョコ歩いて いるのに気がつきました。空中を歩いていたのです。私はまねしてみましたが、足 が中をかくだけで、空中を歩くなんて芸当はまったくできませんでした。私は、自 分の無力さを思い知らされました。私は壁にぶつかったのです。その夢を境に、高 く高く飛ぼうと挑戦する夢も観なくなっていきました。  それから時間が経ち、今の仕事に就いてから一年ほど経ったころ、ついにその壁 を越えたのです。かつての私は、頭では高く飛ぼうと思い描きながら、その実足元 ばかり見ていたのでした。しかし、そうではなく、足元の地面など忘れ、まっさら な大空をまっすぐに見上げて、よそ見をせずに一気に突き進むのです。  すると何が起こるのか? やがて地上の町はなくなり、空は渦になり、トンネル をぬけて別の夢の世界に! 本当のことです。数回体験しました。  一度は、雨雲の部屋とでもいうような場所に入りました。あまり広くない、雨雲 のようなもので覆われた空間で、そこには一人の女性が座っていました。私の倍く らい身長があったような気がします。イメージとしては、古代の日本の高貴な女性 のような印象で、「わらわ」とか言っていたような気がします。そこには二回ほど 行きましたが、彼女が誰なのかはわかりません。  また別のときには、目が覚めそうになりながらもふんばって、サイケデリックな トンネルをぬけた後、サッカーボールくらいの大きさの月が無数に浮いている宇宙 のような部屋(?)にいきました。そこにはガイドだか管理人のような人がいたよ うに思いますが、よく覚えてないです。私には、その月がそれぞれ別の世界への入 り口であると、夢特有の直観でわかっていたので、その一つに突っ込んで、入って みました。すると、それまでの三流SFのようなセットとは打って変わった現実的 な町の風景の中に飛び込んだのでした。で、目が覚めたのですが、エネルギーを消 耗したのか、へとへとに疲れていました。  その後は観ていないのですが、またそういう夢を観る機会があったら、夢の世界 をもっと探険しようと思っております。その時はまたレポートしようかな?  というわけで、ではまた。                           メ ル ク - FARION MES(11):狼を生きる  ★ 平井和正の著作から 95/11/05 - 01814/01814 JBH00712 桂 桂 印象のある言葉(独白調) (11) 95/11/04 21:29 「狼は狼として生まれてと、自己の責任と義務を果す事に専念する。  狼はそうする事にで喜びと満足を得られる。人間とは丁度逆なん  だ。人間は貪欲だ。世界をありのままに受け入れることはしない。  自分にとって都合がいいように改変しようとする。人間の欲望は、  責任と義務を果す事よりもいつも上位に置かれる。人間は、その  結果、自己の欲望を常に最高の位置に置くようになる。自分より  大切なものはなくなる。人間が神になるのではなく、人間の欲望  が神になるんだ。人間は自分自身の欲望に食い尽くされて、あと  かたもなくなり、後は人間の欲望が人間のふりをして存在し始め  る。人間の形をした欲望にとって、世界は何の意味も持たなくな  る。本当の人間だけが世界に意味を見出す事ができるんだ」               ・・・・・・・・「犬神 明・9」より  時々思う事がある。  自然を見て感動する人間が、同じ様に世界を破壊する残酷な衝動を持つ事の 矛盾点について。  どうしてそんなことが出来る? 何をどう考えたら、自分の事しか考えられ ないのかいってね。そう、それは例えば最近身近なニュースで聞いた話だって そうだったな。そいつはHIVの薬害訴訟の話だった。これはかつて厚生省の 役人が舶来品の血液製剤を、HIVウイルスが混入している疑いがあったにも 関らず国内で販売し、その結果その血液製剤を使用した大部分の人がHIVに 感染してしまったという話だ。僅か17歳で将来への希望を絶たれ、病魔と闘 いながらいつ症状が悪化するか解らないガラスの体を引きずりながら、日々を 過ごす事がどんなに残酷な事なのか、おお、その苦しみはどんなに惨いものな のだろう。  そうした人達が国に責任を認めさせようとアクションを起こした。  厚生省の前にデモをし、時の責任者に謝罪させようと訴訟を起こした。  でもその人は謝らなかった。何てこったい。謝るなんて、簡単な事じゃない か。どうして自分の責任をとれないんだい。どうして認めることができないの かい。そんな義憤が、新聞を読みながら脳裏をよぎる・・・・  だがな、果して自分がその場にいたらどうしようとも、思えて来た。  俺は謝れるかい。俺は自分の非を認める事ができるかい。そうとも、間違い を犯さない人間なんて世界のどこにもいないんだぜ。誰か一人を糾弾すること はた易いが、それよりもまるで人事の様にそれを自らの外において、問題の何 たるかを知らんふりをしてしまうことも、また、た易いんだぜ。  そいつは、そう、自分の欲望にうずまく闇を直視したくないからなんじゃな いのか・・・・ 桂 桂(JBH00712) - FARION MES(12):精神世界裏表 ★ ニューエイジビジネス を斬る 95/11/05 - 00667/00682 GFB00026 一輝 …ぼくたちのハルマゲドン… (12) 95/11/04 23:29 コメント数:8 …ぼくたちのハルマゲドン…  「過去の人との再会は、過去の自分との再会を意味する。別れを告げずに   会わなくなった人も、その会わなくなった日の私を小脇に抱えたまま去   っている。そのことを思うと、どれだけ多くの私が人々の心の中へと去   っていったことだろう」…………………………………………………一輝 たまに自分が心を傷めながら去っていった人を思い出してみると、 どこか後悔にも似た複雑な思いが胸の裡を去来することがあります。 そんな人を思い出すとき、砂漠のどこかに思い出の断片を埋め、最 初から無かったことにしてしまいたいような衝動に駆られます。埋 めるのは、まさに相手と過ごした日々の私自身。生き埋めになった 私は、ある日、思いがけない衝撃を伴って私の日常へ現れました。 それは、今年の暑い夏の始まりでした。私は仕事の打合せをいつも より早めに終えると、「突然来てくれた方が僕はいいんです」と言 っていた、ある編集者の顔を思い出し、彼の勤める出版社の近くの 駅から電話で突然アポ取りをやってみた。OKの返事をもらって行 ってみると応接室は来客中で、地下の会議室で話そうということに なりました。 部屋に入ると、何やら奥からどこかで聞いたような大きな声が聞こ えてきます。その声の主を見ると、10年以上会っていない友人でし た。私から先に声をかけると、彼はひどくびっくりしたように見え ました。二、三の声を掛け合ってから、「今ここで出している雑誌 に昔の君のことを書いたんだよ」と彼は言いました。私は軽く「い いよ、昔のことなんだから」と答えて背を向け、先の編集者と話を 始めると、後ろの方で友人の「いやぁー驚いたー」という声が聞こ えてきました。 しばらくして彼が近づいてきてその雑誌を私に見せ、「昔の君のこ とを、今日ここで受け取ったばかりのこの雑誌に書いたんだ。不本 意な内容かもしれないけど、それならそう言ってくれれば、今秋に 出す予定の本では割愛するよ」と手渡してくれました。帰ってから その記事を読んでみると、オウム事件を通して回想する友人の自叙 伝で、その中に「考えれば考えるほど、麻原彰晃に似ている人物に 出会った話」というくだりがあり、それが15年前の私に関する話で した。 私は出版社で再会したとき、なぜ彼がビビッていたのかが何となく 分かりました。彼の心の中では、”麻原のような私”が時間の中に 凍結されたままの再会だったのでしょう。記事中、彼はオウム事件 を通し、15年前の彼自身と私を鋭く分析していました。それは、ま さに私がこの会議室で行ってきた作業でした。私はすぐに手紙と電 話で連絡し、本の出版時での記事の割愛は不要で、書かれた事実に 間違いは無いことと、過去の自分の所業について彼に詫びました。 そして、私はオウム事件を通じて過去の自分を思い出し、かつて自 分の身に何が起きていたのかを、パソコン通信の世紀末フォーラム という会議室で検証しているところなんだと伝えると、彼はFARION の会員であり、12番会議室についてはリニューアルの頃から知って おり、時々読んでいたのだが、あの”一輝”というのが君だったの か、と驚いて答えました。そのことで話は急展開。再び人間関係を 修復し現在に至っています。 私は、今までオウム信者に似た立場でこの会議室に書いてきたつも りです。しかし、麻原のような教祖的存在という立場でもあったこ とをすっかり忘れていました。そこで、彼の書いた貴重な私の過去 に関する文章を、当会議室に転載してはくれないかと頼んでみまし た。すると、彼は本が完成し雑誌の次の号が出たら、編集長に打診 してみると返事をくれました。それから約2ケ月が経った先週末に 許可が下り、これからまもなく友人本人によって連載という形で、 記事を転載してゆきます。 友人の名は漫画原作者(11/22 発売『ヤングサンデー』より新連載 を開始予定)をやっている「竹熊健太郎」。転載する記事は、『ク イック・ジャパン』vol.3 (太田出版)に掲載された「おたくとハ ルマゲドン…なぜおれはオウム真理教に入信しなかったのか…」で す。奇遇にも、私が今年の4月に書いた自分の文書[NO.452 地下鉄 サリン事件で思い出したTV番組 ]は、『クイック・ジャパン』vo l.2 に掲載された竹熊氏の記事からヒントを得て書いたものでした。 無断で申し訳なかったのですが、思えばこの頃からすでに私も、オ ウム事件を通して、自分に起きた過去の出来事や竹熊氏への関心を 深めていたのだと思います。 今回、快く転載の許可を下さった『クイック・ジャパン』編集長・ 赤田祐一氏に感謝するとともに、今月下旬、太田出版から出る『私 とハルマゲドン』に掲載予定の文章を、発売前にもかかわらず当会 議室へ自ら書き込む、竹熊健太郎氏の友情に感謝を述べたいと思い ます。                 FARION 12番会議室*精神世界裏表案内人:一輝 00668/00682 HGB02122 あもり RE:…ぼくたちのハルマゲドン… (12) 95/11/05 03:46 00667へのコメント  ##00667 一輝 さん  とても印象深いお話ですね。  麻原氏はニンゲンの暗部を浮彫りにしたという話を誰ともなく耳にしまし  た。従って、自分の中にいる麻原を陽の目にさらす事が必要な気がします。  私も以前から他者依存傾向があり、考え方が自立していないという危険な  一面を持っています。  一輝さんをまな板に載せて観察するのは極めてぶしつけな事かもしれませ  んが、私の中にも共通する部分を見つけたらRESしていこうと思っていま  す....                   HGB02122 あもり 00676/00682 MXF01761 たけくま RE:…ぼくたちのハルマゲドン… (12) 95/11/05 08:09 00667へのコメント  一輝さんの御紹介を受けました竹熊と申します。 一輝さんのコメントでだいたいの事情は説明されていると思いますので、とりあえず 次のアーティクルから拙文をアップいたします。 「クイック・ジャパン」(太田出版)第3号に発表したほぼ全文ですが、モニター画 面で読みやすいように適宜改行を加え、またごく一部を手直ししています。 今月20日に発売予定の拙著「私とハルマゲドン」(太田出版)は、この原稿を元に 大幅に補筆したものですが、以下の原稿だけでも、私の「言いたいこと」のほとんど は書かれていると思います。 かなりの長文(400字詰め原稿用紙で80枚程度)ですので、全体を4つに分割し てアップします。ではごゆるりとお読みください(笑)。                                竹熊健太郎 00677/00682 MXF01761 たけくま 私とハルマゲドン(オリジナル稿)/1 (12) 95/11/05 08:12 00667へのコメント   号外の真犯人は   俺だぞ………と   人ごみの中で   怒鳴ってみたい           (夢野久作『猟奇歌』)  1  地震が来たら、ドキドキする。  台風が近づけば、ワクワクする。  いつだってそうだった。  三月二〇日の朝、何を思った? 地下鉄の出入口から無数の人々が咳き込ん で這い出し、路上でバタバタと倒れたあの光景……。  正直に言ってみろよ。  いつか夢に見ていたあの光景がそこにあったんじゃないのか?  リモコン片手にワイドショーをザッピングしながら、ドラマではない、遠い 外国の出来事でもない、この日本に起きた現実の出来事なんだと何度も確認し て……。恐ろしいねえ、許せないねえと口では言いながら、心の底で暗い「歓 喜」にうち震えたのではないのか?  これがどんなに顰蹙を買う発言かはわかっている。もし、おれやおれの家族 がああいう目にあわされたら、おれはこんな発言はとてもできないだろう。  でもね。おれもおれの身近な人間も被害には逢わなかった。別れ道はたった それだけのことだ。それだけのことで、おれは、テレビを観るのが楽しかった よ。  上九一色の教団施設への度重なる強制捜査(カナリア付き)、ゴルゴ13みた いな警察庁長官への狙撃事件、気が狂いそうな怪情報、あまりにキャラの立ち 過ぎた教団幹部とオウム・ウオッチャーの面々、「ユダにやられた…」なんて 三流ミステリーの台詞までおまけについた刺殺事件。まるで大映テレビかジャ ンプの漫画みたいなヒキのよさじゃないか。  いただけなかったのは〈尊師〉のXデーだよな。逮捕劇も盛り上がりに欠け たが、もっと問題だったのはその後の護送風景。誰かが「退屈なマラソン中継」 なんて言っていたけど、ほんと、その通り。  でも、その退屈を飽くことなく見つめていたおれは、いったい何を期待して いたんだろう?   集団自殺? または“白い愛の戦士”が「尊師奪環」を叫び、身体にサリン 袋を巻きつけて皇居に突入する?  こんな「期待をした」のはおれ一人ではないと思う。さもなきゃ、一連のオ ウム騒動の視聴率の高さが説明できない。〈尊師〉や幹部が逮捕されて、どう やら残りのサリンはないらしいとわかったら、潮が引けるようにオウム特番が 減っていった。さすがにネタが切れたこともあろうが、単純に視聴率がとれな くなったからだろう。テレビは正直だよね。 〈尊師〉逮捕の際のあの寂漠感をどう例えたらいいのか、おれはずっと考えて いた。で、さっきようやくわかったよ。  あれは「笑点」だったんだ。日曜日の終わりが近いことを告げるあの番組。 外で友達と缶蹴りをして、家に帰ってテレビをつけたら流れてくる、(尊師の 歌にも匹敵する)あの間抜けなメロディだ。そのメロディに脱力しつつ、明日 から始まる学校での退屈な授業を想ってため息をつく。あの時の気分と同じじ ゃないか。  2  おれはいまオウムについての文章を書いているのだが、書こうとすればする ほど、それは結局、自分のことになってしまう。編集長の赤田氏から聞いたと ころによれば、中森明夫氏も似たようなことを言っていたらしい。  憂鬱だよね。そりゃ、誰だって自分のダーク・サイドなんて見たくはない。 でも、まあ、こうなったら仕方がない。自分自身の話を、愚直に書くことにし よう。  オウム真理教の幹部とおれは三〇代半ば。まったくの同世代だ。向こうは学 歴エリートで、こっちはそうじゃないという違いはあるけど、おれは彼らがど んな育ちをしたか手に取るようにわかるよ。どんなテレビを見て、どんな本を 読んできたかまで、かなりの確度で指摘できる自信がある。個々の事件の真相 はともかく、オウム幹部の言動を聞いて、おれが思わず苦笑してしまうのは、 それが、あまりにもわかりやすすぎるからだ。  不用意に世代論をふりかざすのは危険だと思うが、同時に「世代」という言 葉でしかくくれないものがあるのも確かだろう。上祐、青山、村井といった幹 部の顔をテレビで見て、おれは妙な感覚に襲われた。彼らと自分との差がよく わからなかったからだ。おれもオカルトにはまったこともあるし、「肝試し」 と称して怪しげな宗教団体を覗き歩いたこともあった。いま思えば、ヤバイ遊 びをしていたものだ。  そればかりか、おれは世界を滅ぼしたことだってある。子供の頃、おれは漫 画家になりたいと思っていた。それで漫画を描いていたんだけれど、話を最後 まで作るのがかったるくて、いつもラストを地球が割れるシーンで終わらせた ものだ。  おれはどうしてそんなことをしたのか。たぶん、ハッピーエンドが嫌だった んだろう。平和になってめでたしめでたしというのは、嘘だ。完璧に平和な時 代がもし本当に来るのだとしたら、それは耐えがたいくらいに退屈な世の中だ ろう。未来永劫続く平和なんて、おれには耐えられない。  まあ、そういうことを考えるいやらしい餓鬼だったから、おれはよくいじめ られた。もっとも、いじめられたことで被害者面するつもりもない。なぜなら、 おれはさらに弱いクラスメートをいじめたこともあるから。  いじめで思い出したけど、そういえば、大人になってから知り合った“元い じめられっ子”がいた。そいつは中学時代を通じて特定のグループにからまれ 続けていたのだが、ある朝校門の前で、いつものようにからんできた不良の頭 を隠し持ったスパナで思い切り殴ったんだそうだ。額が割れ、そいつは仰向け に倒れた。元いじめられっ子は、そいつに馬乗りになって何度も何度もスパナ で殴ったそうな。  それからの彼は誰からもいじめられなくなった。いや、アブナイ奴というこ とで、接する者がいなくなったといった方がいいだろう。彼は孤独を代償にし て、自由を手に入れたというわけだ。  今度はおれの話をしよう。おれはいじめっ子を呪い殺そうとしたことがある。 肉体的な喧嘩はまったく不得手だったし、得物で不意打ちするような度胸もな かったから、呪殺できるものならそれが一番いいように思えたのだ。しかもこ れは犯罪にならない。  ただ準備に手間取っているうちに、あやしげな絵を書いたり奇妙なロウソク を作っているところを親に見つかって、未遂に終わってしまった。かえすがえ すも残念だよ(笑)。  3  そんなわけで、小学校高学年から中学にかけてのおれは、ずいぶん暗い餓鬼 だったと思う。不思議と自殺は考えなかった。考えることといえば、ある日突 然世界が消滅することばかりだった。おれの場合、それは恐怖ではない。死ぬ のが自分だけなら恐怖だが、きれいさっぱり人類が消滅するのなら、これ以上 の平等はないからだ。究極のハッピー・エンドではないか。  人類滅亡は全然怖くなかったが、滅亡以前に、自分だけが病気か事故で死ん でしまうのは嫌だった。余談だが、もう少し後になって、個人的な死の恐怖を ごまかす理屈をおれは発明した。あくまでゴマカシではあるけれど、こういう ものだ。つまりガンや交通事故の死亡率が何パーセントかは知らないが、そん なものは人間の死亡率に比べればものの数ではないということである。人間の 死亡率は100パーセント。何をやっても、どんな立派なやつでも人は必ず死 ぬ。死んだ後は、きれいさっぱり何にもない。なにもハルマゲドンを待たずし ても、人間は「死」に関しては生まれながらに平等だということ。こう考える と、愉快な気持ちにならないか。  だからおれは、ハルマゲドンの恐怖を云々する宗教はそれだけで信用できな い。ハルマゲドンはいいけど、なまじ生き残ろうとするから恐怖になるんじゃ ないのか? オウム真理教もハルマゲドンからの救済を強く主張するようにな る以前は、けっこうましな宗教だったと思う。麻原彰晃に対してもかなり好意 的な印象を持っていた。そのことについては、後で述べる。  閑話休題。こうしたわけで、おれは中学生にして死の恐怖をごまかすすべを 会得したのだったが、それとは別に現実生活でのいじめは、なんともならない 壁となって立ちはだかっていた。これを克服するきっかけを与えてくれたのは、 中二の時に同じクラスになった、ある人物である。  その名を国鉄鉄民という。これはもちろんペンネームである。今でいう鉄道 おたくだったので、自分でこう名乗るようになったのだ。  おれは国鉄さんから「おたくとしての生き方」を学んだ。もちろん当時はお たくなんて言葉はなかったから、国鉄さんはなんとも名付けようもない“変な 人”だった。鉄道おたくといっても、彼はその後おれが知った鉄道おたくの誰 とも違っている。彼は総武本線という特定の路線にしか興味がなかった。当時、 おれたちは千葉県に住んでいたのだが、通っていた中学の脇をこの路線が走っ ていたのだ。  当時(七三年頃)の総武本線は単線で電化もされておらず、どこの田舎にも 走っているようなぱっとしないローカル線だった。国鉄さんは、この路線の複 線電化に青春を賭けてもいいとおれに語った。  彼がそこまで思い詰めた理由はよくわからない。とにかく、彼は実行の人だ ったので、猛然と知事や千葉鉄道管理局に手紙を書き始めた。それも手紙ごと に筆跡を違え、名前を変えて、県内の各地から投函するのである。できるだけ 多くの人間から苦情が来たと先方に思わせれば、それだけ効果も高いと考えた からだ。学校の休み時間によく電話もかけていた。数種類の声色を使い分け、 中学生である自分の地声から果ては七〇歳の老人にまで扮して「総武本線の複 線電化」を陳情する。これをジョークではなく、真剣にやるのである。  国鉄さんはまた電話帳おたくでもあった。当時、おれはこの世にそんな趣味 があるとは想像すらできなかった。彼の家に遊びに行くと、国鉄さんは真剣な 表情で電話帳を読んでいる。読みながら何かメモをとっているので、そっと覗 き込むとそれは遠山金四郎の電話番号だった。水戸光圀の電話番号もあった。 世の中には歴史上の人物と同姓同名という人が意外にいるものだ。つまり国鉄 さんは「歴史的偉人と同姓同名の一般人の電話帳」を作成していたのである。 電話局にも通って全国の電話帳から同姓同名を探し出し、できあがった国鉄さ んの電話帳は、今にして思えば現代芸術の域に達していたともいえるだろう。  国鉄さんと過ごした中学時代の二年間は、おれにとって、ほとんど宗教的な 時空間だった。国鉄さんという偉大なグルと共に“変な時間”を過ごしている うちに、おれもすっかり“変な人”になっていた。いや、おれの中にももとも とそういう要素があったのだろうが、それをおれに自覚させ、自らの生き方を もって非生産の世界に導いてくれたのが国鉄さんだった。気がついたら、おれ は“いじめ”の世界から完全に解脱していた。いじめっ子の視界から、おれの 存在を消すことに成功したのだ。  いじめというのは、一種のコミュニケーションである。いじめられるやつは、 おのれの知らぬ無意識の中から“いじめてフェロモン”を分泌している。それ はコミュニケーションの渇望から発生するといっていい。健全に成長した少年 であるなら、その願望は“お友達フェロモン”として分泌され、まっとうな友 人関係を築くことができるのだろう。しかし中には少しだけ屈折して成長した 結果、“お友達フェロモン”の中に少しだけ“変なやつフェロモン”の成分が 混じる場合がある。中途半端に混じった異質な成分は、容易に“いじめてフェ ロモン”に変質し、彼はいじめられるのだ。  しかし、完全に“変なやつフェロモン”しか分泌しなかったら、どうだろう か。  その場合、他人とのコミュニケーションは成立しなくなる。なまじ少しだけ “お友達フェロモン”が混じっているからまずいのだ。完全に“変な人”にな ってしまえば、理論的にいってもいじめは成立しない。  4  中学時代を通じて、おれは国鉄さんと“変な人”道をひたすら邁進したので あるが、そのハイライトは秘密結社「国鉄白虎隊」の結成であっただろう。そ もそも国鉄さんは小学校時代からの北京放送マニアであって(この人にいった いいくつ趣味があったのか、おれはいまだによく知らない)、中学に入ってか らは朝鮮中央放送も愛聴していた。  その結果、わけもわからず国鉄さんは共産主義を信奉するようになった。担 任教師とソリがあわなかったこともあって、自分を「マルクス・レーニン主義 及びチュチェ思想を理論的主柱とする暴力革命により、担任教師の粛正、つい でに総武本線の複線電化を悲願とする虐げられた労働者」と中学生のくせに規 定していた。おれもその思想に共鳴し(なんだかわからないけど面白いから)、 その結果発足したのが「日本共産革命党」である。  だがこの名称だと代々木にある似た名前の政党と間違えられるのではないか と思い直し、「国鉄白虎隊」と名称変更したのが中学二年の秋(国鉄さんが阪 神タイガースのファンであったところからおれが名付けたのである)。名称変 更に併せて党綱領にも変更を加え、「党の絶対的無謬性、反対勢力の徹底的粛 正、総武本線の複線電化、阪神タイガースの支援、及び全人類の絶対的恒久平 和」としたのであった。この時点から、おれと国鉄さんの妄想はファシズムの 色彩を帯びることになる。  全人類の絶対的恒久平和とは何か。それは、無謬性を持つ絶対者(国鉄白虎 隊)による世界民族国家の絶対的統一である。こうしたスローガンのもと、お れと国鉄さんはたったふたりで妄想の世界征服運動をくりひろげたのだ。もっ とも、具体的には阪神を応援したり、甲子園球場の看板を研究したり、千葉鉄 道管理局に総武本線複線電化の陳情をするだけの、政治とはまったく関係ない ものだったが。  しかし妄想だけは肥大化していき、遂にわが白虎隊は、ハルマゲンドン思想 を有するに至った。いいだしっぺはおれだ。中学三年になって、おれは、かね てからのハルマゲンドン願望を理論化することに成功した。つまり真実の恒久 平和とは宇宙的見地からも無謬の思想であらねばならない。すなわち人類救済 ではなくして、宇宙救済であらねばならない。しかるに人類は地球に害をなす ばかりの宇宙的にはゴミのごとき存在である。したがって、わが無謬なる絶対 者=国鉄白虎隊によって、人類はこの宇宙から抹殺されねばならない……。ク ラスメートからみれば、こういう内容を笑いをこらえながらつぶやくおれも国 鉄さんも狂人にしか見えなかったろう。  進学の時期になって、おれは神奈川県の高校に進学することになり、国鉄さ んとは別々の高校に進学した。当然、中学時代の究極の「ごっこ」だった国鉄 白虎隊も、事実上消滅した。  しかし、楽しかった。おれと国鉄さんがやったようなものはまあ特殊にして も、おれたちのような“変なやつ”はどこの学校にもいただろうし、「無意味 なことを真剣に遊ぶ」妄想シュミレーション・ゲームだって決して珍しくはな いだろう。たとえば、ホイチョイ・プロダクションが実は成蹊大学の小学部か らの仲良しグループが作っていた「ホイチョイ国」という架空の国家に由来し ているのだときくと、思わずニヤリとしてしまう。  おれの現在の仕事は、中学時代の国鉄さんと鍛えた妄想が土台になっている とはっきりといえるし、おそらくホイチョイの人たちだってそうなのではない かと思う。おれの場合は、物書きという職業を得て、子供時代の妄想をソフト ・ランディングさせることができたのだが……。  だからこそ、オウム真理教には困ってしまうのだ。冗談じゃないぞ。あれは、 まるでおれと国鉄さんの妄想が、そのまま実体化したようなものではないか。 あいつらは、おれの二〇年前の妄想を本当にやってるんだ。  おれがオウム真理教と、彼らが起こしたとされる事件の報道に、戦慄する以 前にある種の親近感めいたものを感じてしまったのは、たぶんこうした理由か らだ。だからおれは、彼らがああいう怪物を築き上げてしまった内的な過程を “わが事として”シミュレーションできるような気がするのだ。  彼らはどうしてオウムに入信したのか? 報道が真実なら、彼らはどうして ハルマゲドンを「実現化」しようとしたのか? それ以上に、どうしておれは オウムにならなかったのだろう……? 00678/00682 MXF01761 たけくま 私とハルマゲドン(オリジナル稿)/2 (12) 95/11/05 08:17 00667へのコメント  春の夜の電柱に  身を寄せて思ふ  人を殺した人のまごころ             (夢野久作『猟奇歌』)  5  世間にはオウム内部に「インテリ」が多数生息していることを驚く人がいる。 上祐、村井、青山は明らかなインテリだし、「それがどうしてあんな(荒唐無 稽な)教義を信じるのか」とおれの親なども驚いていた。  しかし、オウムに「やられた」インテリはなにも内部の人間だけではない。 たとえば中沢新一、荒俣宏、ビートたけしといった人たちも、オウム(正確に いえば麻原彰晃)にシンパシーのエールを送っていた時期がある。  実を申せばかくいうおれ自身、麻原のインタビューや対談記事、テレビでの 発言を見て、「こいつ、意外にまともじゃないか」と思ったことがあった。そ れまでもおれはオウム真理教を知っていたが、世間一般の印象と同様「俗流オ カルトにかぶれてイっちゃった集団」というネガティブなイメージしかなかっ た。それが麻原という「個人」の顔が見えた瞬間にシンパシーめいた感情を抱 いてしまうのだから、単純なものである。  ここからしばらく、麻原彰晃の“魅力”について考えてみようと思う。一見 してあんな肥満オヤジのどこがいいのかと思う人がいるだろうが、魅力がなけ ればあれほど“優秀な”信者が集まるわけがない。認めるべき部分は素直に認 めよう。麻原彰晃は、たしかに魅力的なのだ。  長髪、髭モジャ、肥満体に異装をまとった麻原は、まごうことなき“異形の 者”である。生まれつき視覚に障害を持つ彼は、壇上やスタジオに登場すると き必ず幼い自分の娘に手を引かせたり、あるいは蓮華座を組んだまま椅子ごと 従者に運ばせたりする。この徹底した演劇性。それはもはや完成された漫画の キャラクターといってもいい。この格好で平然と自分を最終解脱者とか超能力 者と自称するのであるから、常識で考えれば、“イッちゃってる人”であろう。 失礼ながら、食堂で相席などしたくないタイプである。  ただこの人の討論をビデオで見ていておやっと思ったのだが、意外と笑顔が いいのだ。誰かがジョークめいた突っ込みを入れると、急に顔をほころばせ、 小さい目をさらに小さくしてニッコリする。これが茶目っ気タップリで、なか なかの笑顔なのである。もちろん風体が風体だから怒ると相当に迫力がある。 しかし怒った後でこの笑顔をやられると、効果は絶大。いきなり憎めない“大 きな子供”になってしまうのだ。相手が女性であれば、これは母性本能をくす ぐるタイプかもしれない。  次に麻原の声である。説法を聴くと、非常に滑舌が悪い。例の「修行するぞ、 修行するぞ」のテープを聴いても、ところどころつっかえたり、語尾がよく聞 こえなかったりする。アナウンサーとは対極の“ヘタ”な発声なのである。し かし声質そのものは決して悪くはない。結構なバリトンで、これが彼の声をギ リギリ“耳ざわり”から救っている。ヘタウマの魅力とでも言おうか。これが なまじ熟練のセールスマンのように弁舌さわやかであれば、むしろ嘘くさく聞 こえるだろう。麻原の声は、嘘に聞こえない、あるいは嘘をついても許せてし まう奇妙な親近感に満ちているのである。  しかし親近感だけでは、他人に共感は与えても、説得することはできないだ ろう。会話で相手を説得するためには、そこになんらかの論理性がなければな らない。意外に聞こえるかもしれないが、麻原本人が「ディベートの天才」と 呼んだ上祐外報部長の弁論術よりも、麻原の方が論理の説得力にかけてははる かに上なのだ。  上祐の弁論は極めて巧みだが、それは、相手の言葉尻をとらえて自分の言質 は決してとられない、技術的な巧みさである。だから彼は議論で負けることは ないだろうが、勝つこともない。大学のディベート大会ならともかく、現実の 議論の場においては、言葉のレベルで相手を言い負かしても反感を買うだけで ある。本来、議論の目的とは、最終的に相手を自分に共感させ、説得しなけれ ば意味がないのだ。  麻原流ディベートの極意とはなにか。それは相手の潜在心理まで射程に入れ た論理である。言葉のレベルで相手の反論を無効化するだけではなく、聞いて いるうちにだんだん自分が間違っているように思えてくる、相手が正しいよう に思えてくる、そういう悪魔的な論理である。  6  具体例を挙げよう。以下は、一九八九年一〇月四日に麻原彰晃が早川、上祐、 石井ら高弟を率いて、フジテレビ「おはよう!ナイスディ」に出演した際の、 アナウンサー(軽部真一)とのやり取りの抜粋である。  軽部「あの、いわゆる超能力のようなことでね、まあ尊師ご自身もこう身体  が宙に浮くとかですね、あるいは透視の能力とか、部屋を揺らすような念力  とかですね、伺っているんですが、実際にはそういうことも起こるというか  ……」  尊師「例えば、ここにいる人達は、すべてそれを経験していますね。それか  ら信徒の方も、もちろん経験しています。ですから、まあ『サンデー毎日』  には、まやかしだと書かれましたけれども、経験しているものは仕方がない  と。経験しているものを精神病だとおっしゃるのだったら、それは精神病で  しょうと。それは狂気でしょうということになりますね。」(『オウム真理  教は狂気か?』八九年 オウム出版より)  このやりとりの中に、麻原流ディベートの神髄が隠されている。つまり、相 手から問われてもいないのに、自分を「精神病だ」と言い切ってしまうところ だ。  これが放送されたのは、最初にオウムの出家制度が社会問題になった時期で ある。出家したまま家に戻らない子供たち(とはいえ、多くは成人年齢に達し ていたのだが)を取り戻すため、父母を擁護するかたちで「サンデー毎日」を はじめとするマスコミがオウム糾弾のキャンペーンを張っていた。(ちなみに、 このテレビに麻原らが出演した時点では、坂本弁護士一家失踪事件〈八九年一 一月四日〉はまだ起こっていない)。  このときマスコミは教団内部でのさまざまな“イニシエーション”、たとえ ば教祖の血を飲むだの、風呂の残り湯を飲むだのといった行為を“異常”とし ていささか煽情的に書き立てた。こうした記事を読めば、そりゃ誰だってまと もな集団とは思わない。しかし、もちろんマスコミははっきりと「麻原彰晃は 気狂い」と書いたわけではない。ましてや放送コードの厳しいテレビでは、の ど元まで出かかったってこんなセリフは言えやしないだろう。  ここがポイントなのである。  麻原はそうした心理を巧みに察して、最初に「オウム真理教は狂気だ」と先 方の疑問を奪い取ってしまう。結果、相手は二の句がつげなくなるのだ。なぜ なら、狂気を自覚している者はもはや狂気ではないからである。  そこには確かに自分の行動を自覚した、どこまでも冷静な麻原彰晃がいる。 風体が風体だけにみくびっていたら、自分よりもはるかに冷静で、論理的です らあることに相手は驚愕する。話したら、意外や意外、全然まともではないか。  気がついたときにはもう遅い。相手は心の中で、麻原に対する第二の疑問を 問わずにはいられない。この男は、明らかに“わざと”やっているのだ。では 自覚しながら、なお狂気を演じる理由はなんなのか? この疑問を見透かすか のようにして、麻原はニコニコ笑ってこう言うのだ。 「宗教は、狂気なんです」  おれたちは、この命題に対して、どこまで有効な反論ができるだろうか。  少なくともおれには反対する理由が見つからない。麻原はしごく当然のこと を言っているからだ。キリストも釈迦も日蓮も生きていた時代にあっては狂人 扱いされた。宗教は社会の矛盾の中から発生する。矛盾は苦しみをもたらし、 そこからの救済として宗教が現われる以上、反社会性を持つのは当たり前のこ となのである。反社会性が時の権力のみならず、もっと身近な習慣、倫理、常 識にまで及んだとすれば、社会がこれを「狂気」と認めてもおかしくはないだ ろう。  ここで麻原に「でも真の宗教は人間に幸福をもたらすものではないですか」 などと言おうものなら、それこそ麻原の思う壷である。麻原は「真の宗教とは なにか?」「幸福とはなにか?」と矢継ぎ早に質問を繰り出すだろう。おれた ちは、きちんと答えることができるだろうか。  おれたちは、個々の教えはともかくとして、総体としてのオウム真理教を明 らかにおかしいと思っている。しかし、そのおかしさを証明する以前に、いつ の間にか議論は麻原のペースになっているのだ。  7  こうした“ひらきなおる”ことでマイナスをプラスに転じる能力は、まさに 麻原の独壇場といっていい。そして上祐サンには、こうした離れ業は決してで きない。彼のディベートは絶対に自分の「弱みを見せない」ことで成立してい る。相手の弱みにはつけこむが、おのれの弱みは見せない。なるほど強いはず だが、それでは決して他人の心を打つ言論にはならないだろう。  ここでもう少し麻原の“ひらきなおり”の例を見てみよう。麻原が『朝まで 生テレビ』に出演したときのことだ。手元の資料によると、放映は九一年の九 月二八日。タイトルは「若者と宗教」である。幸福の科学が講談社フライデー を告訴して話題になっていた当時のやつで、テーブルをはさんで幸福の科学と オウム真理教が口角泡を飛ばすという、『朝ナマ』史上でも一、二を争う面白 さであった。  番組の冒頭、例の朝ナマ・バトルの中で、麻原はなかなか自分のペースがつ かめず、いらだっているようにも見えた。彼はなかなか自分の番が回って来な いことに腹を立て「これじゃ話にならない。帰らせていただきます!」とヒス まで起こす。この時点では、麻原は単なるワガママな子供に見えた。  麻原に最初のチャンスが巡ってきたのは、誰かが次のような発言をしたとき である。「超能力だの神通力だのといっても、そんなものどこまで信用できる のか」。その瞬間、麻原は我が意を得たりとばかりに例の“黄金のパターン” 発言を繰り出した。 「(超能力は)心身症ですね。宗教が心身症であることは正しいと」  思わず笑ってしまうお決まりの展開なのだが、たしかにこのパターンは効き 目があるのだ。それ以降、番組の流れが明らかに変わってくる。  この日のハイライトは、麻原が輪廻転生とカルマについての説明を述べたと きに訪れた。麻原が「カルマの法則とは、因果応報である。前生でカルマを積 むと、今生でその報いが現われる。例えば前生でいくら身分が高い暮らしをし ていても、悪業を働けば、今生では低い身分に生まれることもありうる」と述 べると、誰かが言った。 「すると麻原さんは、例えば被差別部落民も、前生のカルマだというのか?」  スタジオ中が固唾を呑んで麻原の返答を待った。一瞬考えてから、彼は言っ た。 「そういうこともあるでしょうね」 「あんた、自分が何を言ってるかわかってるのか?」  しばらくたってから、麻原が答えた。 「例えば、わたしは目が見えません。こういうふうに生まれついたのも、前生のカル マのためです」  ある意味で完璧な解答だとおれは思う。少なくともここに矛盾はない。仏教 徒以外には非常識な論理に見えるかもしれないが、カルマの法則からすれば無 矛盾なのだから、道義的に咎めようとしてももはや不可能である。不用意に発 言を撤回させようとすれば、それは「仏教」そのものを否定するはめにもなり かねないからだ。  一事が万事この調子で、以後、番組は麻原の独壇場と化していく。景山民夫 ら幸福の科学の幹部たちがいくら頑張っても、麻原が一言話すだけでその場の 流れを奪い取ってしまう。カリスマのケタが全然違うのである。オウムの席に はあの上祐さんも座っていたのだが、彼でさえ、麻原の前では単なる教団説明 係に過ぎなかった。  思えばあの時点でのオウム真理教は、かの坂本弁護士失踪事件や衆議院選挙 大敗といった「疑惑」と「汚名」を抱え、内実は満身創痍と言っても過言では なかったはずだ。それが『朝ナマ』出演一発で逆転勝利してしまったのである。 それは島田裕巳・西部邁・栗本慎一郎といった面面が、途中から露骨にオウム 側に立った発言をし始めたことからもわかる。それほどあの日の麻原の弁論は 「お見事」だった。  8  おれは麻原の答えに感心すると同時に、しかし、別の意味で、麻原流弁論術 の秘密を見たような気がした。  麻原ディベートの最大の特徴は、最初にいきなり自分の「弱みを見せる」と ころにこそある。そしてこの弱みは、彼が“ひらきなおった”瞬間、一気に絶 対の強みに転化するのである。  麻原の「弱み」、それはたとえば「狂気」であり、「視覚障碍」である。こ ういった「負性」は、大っぴらに語らないというのがわれわれの常識(良識) であろう。ましてや健常者が障碍者の“その部分”を指摘することは、かりに 差別的文脈でなくとも避けるのが「思いやり」であり、ヒューマニズムである ということになっている。  この種の「思いやり」は、実は一皮剥くと偽善であることが多い。こうした 偽善は普段は表面にでてこないが、ただ「障碍者」が「健常者」に対して自ら の「負性」を積極的にさらけだすときにのみ露わとなるのである。  これはどういうことか。たとえば発語障碍者は自分のことを「どもり」と言 うことができるが、健常者は同じ言葉を決して言えない。そのとき健常者の内 面にはどういう気持ちがわきおこるのかといえば、それは「後ろめたさ」だろ う。自分の中のひそかな優越感と裏腹の差別心を自覚させられ、「後ろめたさ」 を感じるのである。  反対に「障碍者」はある種の解放感を味わう。自分の「負性」を積極的にぶ つけることが、実は「健常者」への最大の攻撃になることを発見するからだ。 「障碍者プロレス」というものがあるが、あそこで「健常者」と戦う小児マヒ のレスラーにも、そうした解放感があるのではないか(このへんの感情は、お れ自身「どもり」だからよくわかるのである)。  言論の場においては、これは相手に精神的優位を保つ最高の武器と化す。自 分が「精神病」であり「視覚障碍」であることを巧妙に突きつけることで、麻 原は相手の心に鎖をかけてしまうのだ。無意識のままに相手は劣位に立たされ、 そのまま麻原のペースにはまっていく仕組みになっているのである。麻原の最 大の「強み」がここにある。上祐さんや村井さんにこうした「武器」は始めか らない。ただ麻原のみがこれを使える「特権」を有しているのだ。  さて、もう一度「オウム真理教は狂気だ」という麻原の論法に戻ってみよう。 この発言は、実は二重の意味で巧妙なのである。ここには自己言及(ひらきな おり)で相手の質問を封じると同時に、究極の問い掛けが含まれているからだ。 「では、あなたがたが暮らしているそちらの世界はまともなのか」 「狂っていない、といい切れる自信があるのか」 これが、あの発言に秘められた問いである。おれたちは、知らず知らずこれを 答えるはめに陥ってしまうのだ。  おれは、おれが「まともである」ことを、どうやって証明すればいいのだ?  頭がよくて真面目なやつほど、これは難問だろうと思う。いい大学を卒業し て、いい会社に入って、いい結婚をして、出世するのが「まとも」な生き方な のだろうか。たしかにまともかもしれないが、それがはたして幸せといえるの か。  考えれば考えるほど「まとも」がわからなくなってくる。ふと前を見ると、 麻原尊師がニッコリ微笑んでいる。さあ、入信まではあと一歩だ。  この時点で強引に思考を停止させ、麻原を「やっぱりこいつは狂ってるんだ」 と切り捨てることができる人は幸いである。しかし、ある種の屈折したインテ リの中には、必ず、彼に惹かれる者も出てくるはずだ。  要するに麻原は典型的な「確信犯」だからである。確信犯とはそれだけで魅 力的なものだが、屈折したインテリにとっては、なおさら魅力的である。なぜ なら屈折したインテリとは、確信犯になりそこねた存在だからだ。 00679/00682 MXF01761 たけくま 私とハルマゲドン(オリジナル稿)/3 (12) 95/11/05 08:20 00667へのコメント  神様の鼻は  真赤に爛れてゐる  だから姿をお見せにならないのだ             (夢野久作『猟奇歌』)  9  屈折したインテリは、その持て余し気味の知性ゆえに、世の中とうまく折り 合いをつけることができない。  世の中の仕組みが彼には「見えて」しまうからである。  家族・学校・会社といった彼をとりまく社会構造は、利点と同時にさまざま な矛盾や無意味を含んでいる。彼にはこれらの「無意味」が我慢できない。こ うした「無意味」を自覚せず、のほほんと日常を送っている一般人がどいつも こいつも思考停止の馬鹿に見えて仕方がない。  かくしてまことに鼻持ちならないニヒリストが誕生するわけだが、こんな奴 が一般社会とうまく交われるはずがないのである。学校のテストならまだしも、 たとえば恋愛とか上司との関係であるとか、こうした人間関係の局面において は、知性などなんの役にも立たない。こういうものは失敗を繰り返し恥をかき ながら身体で覚えるしかないからだ。  屈折したインテリにとって、これは恐怖以外の何物でもない。  行動するよりも先に頭で考える屈折したインテリは、そうした行動の結果発 生するであろう失敗や恥があらかじめ「見えて」しまう。失敗や恥は、どのよ うな結果をもたらすのか。それはつまり、彼が軽蔑してやまない「一般人に馬 鹿にされる」という世にも恐ろしい結果をもたらすのだ。  いったいどうすればいいのか。たとえば、彼は行動を慎重に抑制することを 覚える。ボロが出ない最大の方法は「何もしないこと」だからである。  何もしない限り、彼は自分のプライドを守ることができる。しかし、これは 同時に、社会的には無能であることを意味してしまう。当面のプライドは守ら れるが、長い目で見れば、やはり彼は社会から馬鹿にされるのだ。自縄自縛に 陥り、自我のみが肥大していき、彼は世の中を呪う存在となる。  もし、彼に多少なりとも世の中と折り合いがつけられる能力があれば、ちょ っとした社会経験を経て、彼は「成功したインテリ」になれるかもしれない。 あるいは家庭が経済的苦境に陥りでもして、嫌でも働かざるをえなくなれば、 こうしたヘッド・トリップの地獄から脱出できるかもしれない。  しかし幸か不幸か、現代の日本は、豊かな社会なのである。いつまでも親の 脛を齧るデクノボーが一人いたところでなんとかなってしまう社会なのだ。ま た親は親で、いつまでも自立しない我が子を顔では悲しみ、心で喜んでいるの だから始末が悪い。いつまでたっても親離れできない子供を抱える家庭という ものは、たいてい、親の子離れもできていないことが多いものだ。  屈折したインテリにとって、これはこれでなかなか忸怩たる状況なのだが、 恥をかくのが親だけで済むわけだから、なんとか我慢するしかない。赤の他人 の冷たい視線を受けるよりも百倍ましだからである。(しかし、親との関係が 臨界点を越えてしまうと、彼は家の中で金属バットを振り回すようになる)  10  戦後日本の経済的成功と、70年代以降の「イデオロギーの時代の終焉」は、 世界に例を見ないほど大量の「屈折したインテリ」を出現させた。彼らの多く は「おたく」と呼ばれ、ありあまる知性を、アニメやマンガ・SFなど生産に は何の役にもたたない領域に注ぎ込み、熱中するようになった。  親や世間は「子供っぽい」だの「無駄なことに熱中して……」だのと眉をし かめるが、眉をしかめればしかめるほど、彼らはますます非生産的な作業にの めりこむ。のめり込む対象は、無意味であればあるほど、非生産的であればあ るほどいい。  それが彼の「戦い」なのである。何に対して戦うのか。それは彼を取り巻い ている、ヘドが出るほど無意味な「生産性の世の中」に対してである。  おたくにとって生産と効率を旨とする世の中は、無意味以外のなにものでも ない。なぜなら、我々は今でも充分に満ち足りているからだ。これ以上、何を 生産せよというのか。この疑問に答える者は誰もいない。とにかく人間は生き なければならないし、生きている限りは生産しなければならない。あらゆる人 間に行き渡っても、なお生産し、蓄積しなければならないのだ。これ以上の無 意味、不条理があるだろうか。  屈折したインテリは、こうした無意味な生産社会に対して、なんとか意義申 立てをしたいと考える。一昔前ならば、それは学生運動という形をとったのだ ろう。その頃にはまだ「ありうるべき社会」のイメージがあり、それを実現さ せるためのイデオロギーがあった。  現代の屈折したインテリ(おたく)は、そうしたイデオロギーが幻想である ことを、幸か不幸か「知って」いる。仮に政治的な革命が実現したとしても、 それがどうしたと彼は思う。革命の陶酔は、まさにそれが夢であることによっ て陶酔するのであって、実現してしまったら、あとにはただ「日常」という名 の退屈が待っているだけではないのか。  おれはかつて「大晦日の法則」という言葉を考えたことがある。人間はどう いう状態の時により「楽しさ」を感じるのかと考えると、正月よりも大晦日の 方が楽しい、クリスマスよりもイブの方が楽しい、日曜日よりも土曜日の方が 楽しい……という理屈である。  この伝でいくと、大人になるよりも子供のままの方が楽しい、ということに なる。いわゆる「ピーターパン・シンドローム」というやつだが、あの言葉を 聞いたとき、なんとも嫌な気持ちがした。あれは「大人社会」が、いつまでた っても大人にならない「子供」に対して「病気」のレッテルを貼る言葉だから である。  しかしおれに言わせれば、大人になるとは無意味な生産社会に無自覚なまま 組み込まれるということであり、それはそれで充分に病気だ。大人にならない 子供を「病気」と診断する前に、まずは大人社会の「病気」をなんとかすべき だろう。もし大人になることが楽しいのであれば、子供は先を争って大人にな ろうとするだろうし、ピーターパン・シンドロームなどは、あっというまにこ の世から消滅するだろう。  11  これまでのメディアの報道と、彼ら自身の発言を読む限り、上祐・村井・青 山といったオウム真理教の幹部が、「おたくという名の屈折したインテリ」で あることは明らかだ。  おたくが神秘主義やオカルトに惹かれることは、別に不思議なことではない。 それは非生産・非日常の極地であって、生産的な日常社会とまっこうから対立 するものだからだ。むしろこれは、あらゆるおたくがたどり着く最終地点であ るともいえよう。  この場合、伝統的な既成宗教であってはならないのである。なぜなら、それ らの宗教は長い歴史の中で上手に「生産社会」と折り合いをつけてしまったか らだ。こういうものは、おたくにとっては面白くもなんともないのである。  だからオカルトにしても、高尚なものではなく、誰がどう見ても異常で奇怪 な理論でなければならない。異常であればあるほど、社会は眉をひそめるから である。ここが肝心だ。社会の眉をひそめさせたいのである。あわよくば、こ んな社会などお仕舞いにしてやりたいのである。もちろん、その結果もっと悲 惨な世の中になってしまうかもしれない。でも、“それはそれで構わない”の である。少なくともそれは一からやり直すきっかけにはなるだろう。やり直す きっかけが彼は欲しいのだ。  オウム真理教についていえば、仏教団体のくせにシヴァ神がご本尊だったり、 ノストラダムスが出てきたり、教祖がキリスト宣言したりするのである。まと もな宗教家なら「ムチャクチャだ」と怒りだすところだが、ムチャクチャであ ればあるほどいいのである。  非日常・非生産・非常識なものほど、おたくは魅力を感じる。それはつまら ない日常を根本的に否定する存在だからである。非日常を日常として生きるこ とこそおたくの戦いであり、理想の生き方なのである。  しかしこれは、日常を生きるのとはまた別の意味で、とてつもなく困難な道 でもある。なぜなら、完全に非日常になってもいけないからだ。身も心も非日 常になってしまっては、彼は精神病院に隔離されるはめにもなりかねない。こ うなってしまっては、戦いもなにもあったものではない。おたく的生き方とし ては失敗なのである。  まっとうな(?)おたく的生き方とは、たとえばこういうものだ。最低限の 社会(日常)生活を送りつつ、非生産的な行為や、非日常的な言動を繰り返す のである。当然世間は眉をひそめるが、その瞬間、彼はニヤリと笑ってこうい うのだ。 「ボクって病気でしょ?」  つまりこれは「俺は馬鹿じゃないよ」という意思表示である。最後にこうい うオチをつけることによって、世間は反論ができなくなる。世間が彼に制裁を 加える一歩手前で、彼は自分を安全地帯に回避させ、ささやかな復讐を終える のだ。  これはまさに麻原彰晃が、世間に対して語りかけた論法そのままではないだ ろうか。    12    麻原が普通のおたくと決定的に違ったのは、彼が文字どおりの「確信犯」と して事を行なったことであろう。  普通のおたくには、彼を取り巻く環境、つまり親や世間とまっこうから敵対 する度胸はない。彼は「親=社会」を呪ってはいるが、しかし彼がおたくをや っていられるのも呪うべき「豊かな家庭=社会」があればこそなのだ。「こん な社会なんかなくなっちゃえばいいのに」と心では思っていても、自分の手で それを実行することなど思いもよらない。それは結局、自分の首を締めること になるからである。おたくはそれを本能的に察している。だからどうしても 「確信犯」にはなりきれない。  しかし、そこに「じゃあ、俺がチャラにしてあげよう」という人物があらわ れたとしたら、どうだろうか。  麻原は、世代的には「おたく世代」のほぼ上限に位置するといっていい。溢 れるインテリジェンスを持った麻原は、自身がおたく的知性の持ち主であると 同時に、普通のおたくとはレベルの違う、社会に対する「呪い」を抱いていた。 それが彼の不幸な生い立ちや障害と無縁の感情であったとは思えない。彼の呪 いは骨がらみだ。「不満のないのが不満です」といった観念的な不満とは質が 違う、もっと明確な身体性と方向を持った不満である。  しょせんは普通のおたくにすぎなかったオウムの幹部連中は、麻原という 「異人」との出会いにショックを受け、自らの漠然とした不満に明快な形が与 えられたと感じたのかもしれない。また麻原は、こうした彼らの見えない不満 を巧みに察知して、それにはっきりと方向を与える形でオウムを作ったのかも しれない。  いずれにせよ麻原はかつてどのおたくもなしえなかったような壮大な夢を実 現させた。奇怪な宗教団体を作り、出家制度を導入して呪うべき家族や社会か らの駆け込み寺とした。サティアンの内部は無限コミケであり、永久に続く学 園祭である。上九一色村は、まさに押井守の『ビューティフル・ドリーマー』 さながらの、おたくのユートピアだ。  過去のオウム関係の資料を読む限り、オウムがかくも社会から顰蹙を買い、 それゆえに多くの若者を惹きつけた要素が、まさに「駆け込み寺としての出家 制度」にあったことがわかる。麻原自身、先にも引用したテレビのワイド・シ ョーの中で、このように言っている。  尊師「それからもうひとつは、子離れできない親に対する不信感ですね、私  にとっては。(中略)トラブルが起きて、それを教団の責任にしていると。  (中略)」  軽部「(中略)まあ、そういった親御さん達はですね、非常に大きな不満を  持っていらっしゃるというか、悲しみを持っていらっしゃると言ってもいい  と思うんですけど、これに関してはいかがなんですか」  尊師「実はですね、今から二年前までは、オウム真理教自体が、未成年の出  家については特に気を遣っていたわけですね。ところが、こういう問題が四  例起きました。三例は(竹熊註:親が)子供を精神病院に放り込んだと。つ  まり、オウム真理教に行っている。お前、気が狂っているということで。  (中略)もう一例は、子供を監禁し、手錠を掛けたと。(中略)憲法で保証  されている『信仰・宗教の自由』を守るとするならば、それはやはり、そう  いう(竹熊註:親に監禁される)危険性のある場合は、協力してあげなけれ  ばならないということで、オウムは協力しております。(中略)で、私は、  その子供達の衝動というのは、駆け落ちに似た衝動ではないかと考えている  わけですね、結論から言いますと。ですから、きちんと(竹熊註:親に)話  せる人は、話してくるだろうと。そして、親から弾圧を受けている子供達は、  やはり一言二言は言うだろうけど、身の危険を感じて駆け落ちすると。つま  り、その駆け落ちした先がオウムであると」(『オウム真理教は狂気か!?』  八九年 オウム出版)  もちろん今の我々の目からすれば、この時の麻原の発言を、額面通りに受け 取ることはできない。出家制度がそのまま麻原や教団幹部の私腹を肥やすこと に直結した部分は、確かにあると思えるからだ。実際、かなり初期の時点から さまざまな修行やイニシエーションに何十万何百万という法外な値段がつけら れていた。だから「麻原は金もうけのために子供を奪って教団を作った」とい う社会の非難は、決して的外れではないだろう。  しかしおれは、そうした社会の非難をすべて理解したうえでも、なお出家し た信者のすべてが(麻原の真意はどうあれ)単純に「拉致監禁」されたとは思 えないのである。どうしてこんなことが言えるのかというと、まさにおれ自身、 二〇歳のときに「家出」をした経験があるからなのだ。このときのおれの気持 ちはオウム出家者のそれに極めて近かったと思う。これについては後で詳述す る。  ハルマゲドンに邁進したここ数年はともかく、初期のオウム真理教において は、たしかに出家制度が有効に機能していたとおれは思う。そしてそれによっ て「救われた」信者が多数いたはずなのだ。  そう、そのレベルで止まっていたなら、オウム真理教は社会に対するラジカ ルな問題提起を行なうユニークな(?)新宗教のひとつとして、多少のいざこ ざは起こしながらもそれなりに定着していたかもしれない。  だが……現在のオウムが置かれている状況を、はたして麻原はどこまで「予 言」していたのだろうか。麻原には、出家制度が社会と多少の摩擦を起こすこ とくらいは、当然わかっていたはずだ。しかしそうなっても「宗教法人」とい う憲法で保証された「絶対安全地帯」が最終的に自分たちを守ってくれるだろ うと、たかを括っていたのではあるまいか。  麻原に誤算があったとすれば、それは「組織の力学」を甘く見ていたことに 尽きるのではないだろうか。ある一定の規模に膨れ上がった組織は、もはや個 人の意思ではどうにもならない存在になってしまう。組織は必然的に発展する ことを要求するし、発展するためには絶えまない「幻想」の供給が不可欠であ る。  ある時点で麻原という個人とオウムという幻想共同体の力関係が逆転現象を 起こし、麻原はそれの歯車になってしまったのではないのか。そんな気がして ならないのである。麻原には「予言」を行なう義務が生じ、予言が外れたら幻 想共同体としての明日はない。そういうせっぱ詰まった状況に追い込まれてし まったのではないだろうか。こう考えなければ、オウム・バッシャー言うとこ ろの“単なる守銭奴”たる麻原が、ハルマゲドンを起こす理由が見つからない。 変な言い方だが、ある意味で麻原は「宗教家」として真面目すぎたのかもしれ ない。 「豊かな社会の中で大人になるとはどういうことか」を考えることは、現代の 日本において、思想家がやるべき最重要課題だろう。しかしこれは恐ろしく困 難な命題だと思う。というのは、この命題自身、自己矛盾をおこしているから である。  つまり「豊かな社会」とは「子供のままでいられる社会」のことだからだ。 00680/00682 MXF01761 たけくま 私とハルマゲドン(オリジナル稿)/4 (12) 95/11/05 08:22 00667へのコメント 山の奥で仇讐同士がめぐり合った 誰も居ないので 仲直りした        (夢野久作『猟奇歌』)  13  最後に、おれ自身が「出家」した話でもしようか。  おれは二〇歳の時に、通っていた学校を退学し、ついでに家も出た。  学校は、業界ではそこそこ有名なデザイン学校だったのだが、別にデザイナ ーになりたかったわけでもなし、しょせんは滑り止めで入った学校だったので、 半年も通っていたら、すっかり嫌になってしまった。  かといって、辞めて何になりたかったというわけでもない。いまさら再受験 してどこかの大学に潜り込む気力もなかったし、もともと成績も悪かったしな。  高校時代、おれはささやかなミニコミ作りにハマッていた。「摩天樓」とい うタイトルの半個人誌である。これは一七から二〇の三年間に、ちょうど一〇 冊刊行して休刊した。おれはこの雑誌を作る過程で、編集の魅力にすっかりと りつかれてしまった。授業そっちのけで原稿書きやレイアウトに没頭した。浪 人中にも刊行は欠かさなかったのだから、これでは受験に失敗しても当然であ るが、まあ、それはどうでもよろしい。  最後の一〇号目は、デザイン学校在学中に刊行したものである。おれにとっ ては、いろいろな意味で記念になる号だ。おれはこの号で“遅れてきたヒッピ ー”を自称する、ある男をインタビューした。デザイン学校で知り合った友達 が「面白い人がいるぜ」といって紹介してくれたのだ。そのヒッピー、仮に “X”としておくが、彼との出会いが、おれのその後をよくも悪くも規定した といっていいだろう。  当時(八〇年)の東京のカルチャー・シーンは、テクノポップやストリート ・パンクが全盛を極めていて、おれは、ヒッピーなんて言葉はほとんど死語だ と思っていた。ところがどっこい、ヒッピー・カルチャーはニューサイエンス やエコロジーと合体して、まだそれなりに健在だったのだ。  Xは、驚いたことにまだ二一歳で、おれとひとつしか違わなかった。ヒッピ ーなんていうくらいだから、おれはXをてっきり当時で三〇歳くらいかなあと 想像していたのだ。しかしXの話は魅力的だった。Xのカウンター・カルチャ ーに対する知識と経験は当時のおれをはるかに凌駕していた。Xは神秘主義を 語り、ドラッグを語り、ドロップアウトの意義について熱っぽく語った。  Xは、高校の途中でドロップアウトし、さまざまなコミューンを渡り歩いた のだそうだ。おれが会った時は、彼は池袋にある某エロ系出版社の社員になっ ていた。  おれは完成した「摩天樓」を持ってXのアパートを訪ねた。Xは、おれのミ ニコミをしばらく読んでから、実は今度月刊の自販機本を編集することになっ たんだけど……と切り出した。おれは、一緒に編集しないかと誘われたのだ。 自販機専門の雑誌とは言え、生まれて初めて「プロの仕事」ができるチャンス だったので、おれは一も二もなくその話に飛びついた。  14  月刊誌を編集するとなれば、もう学校なんかに行ってはいられない。学校に 行かなくなれば、当然親とは衝突するだろう。今まで面倒をみてくれた親には 申し訳ないが、このまま家にいてもいいことなんて何もないように思えた。X はXで「家なんか出ちゃえ。早く大人になんなよ」とさかんにおれをそそのか した。 “早く大人になんなよ”。これはその後のXの口癖のひとつとなる。これは、 おれの心に突き刺さる刃物のような言葉だった。一〇代後半のおれは妙にプラ イドが高い嫌らしいガキだったから、その内面と現実とのギャップがすでに充 分におれを打ちのめしていた。結局、大学にも行けなかったし、彼女がいるわ けでもなく、このまま実家で“こども”のまま無為の過ごすことを考えたら、 ほとんど恐怖に近い感情がわきおこった。  おれは、明らかに自分自身を変えたがっていたのだ。  だが“大人になる”とは言っても、世間一般のコースで大人になることはど うしても嫌だった。おれは人にはない才能があると信じていたので、何か「奇 跡」が起こって、世間はおれの才能を認めるのではないかと勝手に考えていた。 本当に恥かしい奴だったと思う。こういうことは若い時期には「誰でも考える のだ」ということを知った今となっては、穴があったら入りたい気分になる。  まあ、いわゆるひとつの青い日々をおれは送っていたわけだが、Xにさえ出 会わなければ、ちゃんと学校を出て、普通に就職をし、今頃はそれなりにまと もな親父になっていたのかもしれない。しかし、おれはXに出会ってしまった。 Xの向こう側には巨大なアングラの世界が広がっていて、そこは物凄く魅力的 に思えた。当時のおれの感じからすれば、それは「大人でも子供でもない」世 界だった。世間の尺度を超えた「あっちの世界」だ。おれは、その時点ですで に「こっちの世界」に対する興味も、「こっちの世界」で生きて行く自信も失 っていた。  程度はだいぶ違うだろうが、オウムに出家した連中も、この時のおれと似た ような心理が働いたんじゃないかと思う。後で詳しく述べるけど、考えれば考 えるほど、Xと麻原彰晃は似ている。こんなこと言ったらXは怒るだろうが、 仕方がない。Xにも明らかに一種のカリスマ指向があった。おれにとって幸い だったのは、Xは麻原に比べればはるかに中途半端なカリスマだったことだ。 だから、おれは最終的にXを突き放すことができたし、そのお陰で現在のおれ がある。  もし、おれがXではなく麻原彰晃に出会っていたら、迷うことなくおれはオ ウムに入って、今頃は「ヴァジラヤーナ・サッチャ」を編集していたかもしれ ない。それを考えると妙な気分になる。要するに、おれは「ここではないどこ か」に連れて行ってくれるのだったら、誰でもよかったのだ。  話を進め過ぎた。おれの家出の話だ。もちろん不安はあったよ。具体的には、 おれにはアパートを借りる金もなかった。そうおれがいうと、Xは「じゃ、お れの家に来い。しばらく面倒みてやるから」と毅然として言った。後光が射し て見えたな。おれは、迷うことなく全財産の五千円をポケットにねじこんで、 家を出た。  その足でXの家に行ったのだが、Xは、なんだか戸惑ったような、曖昧な笑 顔でおれを出迎えたのを覚えている。今にして考えると、おれは笑ってしまう。 X自身、まさかおれが本当に転がり込んでくるとは思っていなかったんだろう。 しかし、おれとしては今さら後には引けないわけだ。  Xは、「まあ一服」と言って、おれに「タバコのよーなもの」を勧めてくれ た。おれは、生まれて初めて「タバコのよーなもの」を試した。どういうルー トで手に入れてたかしらないが、あいつの部屋はまるで薬局だったよ。それ以 来、Xと出社して仕事し、帰宅しちゃあ「タバコのよーなもの」その他を一服 ……という泥沼のよーな生活がしばらく続くのだが、このへんは少しボカして 書かざるをえない。まあ、とっくに時効なんだけどね。  15  月刊誌は、Xとおれ、それからKという後に漫画家になった男の三人で編集 した。KはXと同い年だから、平均年齢二〇・五歳。編集長のXは一八くらい でこの世界に飛び込んでいるから、一応経験者なのだが、それでもたったの二 一歳。この年で編集長というのは普通ではまず考えられまい。当時の自販機エ ロ本の世界は、そういう出鱈目が通用する世界だった。それでも若いには違い なかったが。  異常といえば、編集費も異常に安かった。原稿料やカメラマン代、モデル代 の総枠で七〇万くらいだったと思う。Xは社員だからよかったが、おれもFも あくまでフリーだったから、これ以外にライターだのイラストレーターだのデ ザイナーだの頼んだら自分のギャラが飛んでしまう。最初のギャラなんて一ヵ 月働いて五万円だったと思う。このままでは死ぬしかない。結局、二ヵ月目か らは外部の人間を一切使わず、原稿もレイアウトもイラストも全部この三人で まかなうことになった。これでギャラはなんとかなったが、肉体的に死にそう になった。でも、そのおかげで雑誌製作の一通りを三ヵ月くらいで覚えてしま ったわけだから、何が幸いするかわからない。  Xの編集術は、当時のおれにしてみれば仰天するようなものだった。いや、 今だって仰天してしまうが、Xは、雑誌を編集するに当たって「黒魔術」を応 用していたのだ。やや専門的な話になるが、雑誌を編集するには、まず台割と いうのを作る。ページごとにどういう記事を入れるかを決定する表のようなも のである。この表に、Xは大きく逆三角の記号のようなものを書き込んでいた。 何をしているのかと聞いたら、黒魔術なのだという。  Xの理論によれば、三角形の各頂点に位置するページに「ある種のチカラを 秘めた企画」を配置することが重要なのだという。「ある種のチカラ」が何な のかいまだにおれはよくわからんのだが、とにかくそういうことらしい。わか らないながらも、徹夜明けの編集部で「タバコのよーなもの」を吸いながらX の暗〜い声で説得されると、なんとなく納得してしまうのだった。  おれが編集という思想に目覚めたのは、中学時代の国鉄さんとこのXのおか げだったといえる。Xは工作舎のオブジェ・マガジン「遊」や、ハードコア・ オカルト雑誌「地球ロマン」の愛読者だった。これにニューウェーヴ・エロ本 「ヘヴン」を加えれば、七〇年代〜八〇年代初頭の三大カルト雑誌が揃うこと になる。  それらの雑誌に通底していたものは、かっこよく言えば、「編集」という行 為がひとつの思想でありアートであることの高らかな宣言だった。「編集の時 代」がすぐそこに来ている気がして、おれはひたすら興奮していた(結局、コ ピーライターがブームになったような形では、エディターの時代なんて来なか ったわけだが)。  Xは、特に「遊」の編集長である松岡正剛に心酔していた。現在の松岡に昔 日のおもかげはないが、いま「遊」の編集後記を読み返してみると、あれがい かに異常な雑誌だったかがわかる。それはスタッフ一同の松岡に対する「信仰 告白」のようなものだった。読者欄では、香山リカ、浅羽道明、祖父江慎とい った学生がそれぞれの「信仰告白」をしていた。松岡正剛は屈折した知的若人 のカリスマであり、工作舎は疑似宗教団体みたいなものだった。古本屋で「遊」 を見かけたらぜひ立ち読みしてほしい。気持ち悪いぞ。  おれたちの作っていたエロ本もこうした流れにどっぷり影響されていたから、 何も知らずに買った読者は本当にお気の毒としか言いようがない。何しろただ の一ページもセンズリ・ポイントがないのだから。ページを開けていきなり 『タオ自然学』の著者と今西錦司の架空対談が始まったりするのだから、こり ゃサギだわな。  自信をもって断言するが、おれは読者のことなんかこれっぽっちも考えてな かった。おれは、ただ隣に座っているXやKを喜ばせる原稿だけを書いていた のだ。こんなアホな仕事をさせてくれたのだから、今ではA出版に感謝してい る(もう倒産しちゃってるけど)。    16    ところでXには妙な口癖があった。おれやKに対して「他人とはあまりつき あうな」というのだ。理由は「みんなバカだから」。  出版社には約二〇人くらい社員がいたのだが、Xは、自分の机のある一角を 本棚や衝立で囲んでしまい、独自の空間を勝手に作っていた。この密室の中で、 おれは誰とも口をきかず、ただ黙々と誰にも理解できないような知的オナニー に耽けっていたのだ。思えば、A出版自体が第七サティアンみたいなものだっ たけど、その中でのおれたちの一角は、さしずめクシティガルバ棟だったと言 える。たまにXからふるまわれる「タバコのよーなもの」その他は、オウムで 言えば「バルドーのイニシエーション」であろうか。  この閉鎖空間の中で、おれはXを通して世界と繋がっていたのだ。たとえば、 仕事はすべてXを通して入ってきた。その後、XがA出版を退社してからもこ の関係はしばらく変わらなかった。当然、Xはギャラをピンハネした。なんと なく不満だったが、精神的におれはXに従属しきっていたので、なすがままに されるしかなかった。  気がつくと、Xの周囲には、おれみたいな“半人前”のライターや編集者の タマゴがいっぱい集まっていた。おれたちもXもタメ口をきいてはいたけど、 その実、全員がXに従属する関係だった。この辺の奇妙な人間関係を言葉にす るのはなかなか難しい。Xにはつきあう相手を必要以上に“半人前”だと思わ せるオーラのようなものがあった。思うに、Xは周囲に対しても「黒魔術」を かけていたのだろう。そういう変な才能がXにはあるのだ。今で言えばマイン ド・コントロールの才能ということになるだろうが、Xの奇怪な知識や「タバ コのよーなもの」の大判ぶるまいは、他人をマインド・コントロールするうえ での格好の武器だったに違いない。  ある日、Xの見ていないところで、おれはやはりXから仕事をもらっていた 奴に対して、恐る恐る日頃の疑問をぶつけてみた。なあ、Xってほんとに大し た奴なんだろうか。おれたち、ひょっとしてあいつに利用されてるんじゃない のか?  相手の反応はおれ以上に激烈だった。いきなりXの悪口大会が始まったのだ。 だいたい「大人になれよ」なんて言ったって、あいつだっておれらと変わんな い歳じゃねえか。「魂を解放する」だの「精神のチャンネルを変える」だの立 派なことを言うが、本人だってどこまで解放されてるんだか怪しいもんだ。や ってることはピンハネじゃないの。  驚いたことに、おれの知る範囲で、Xとつきあっている人間のほとんどが同 じ不満を抱いていた。あっというまに、Xが単なるセコイ奴に思えてきた(笑)。  おれたちは顔を見あわせて苦笑した。おそらく、Xには本当の友達なんてい ないんじゃないか。自分をことさらに神秘化し、周囲を精神的に利用する。お れは、Xが哀れにも思えてくると同時に、そういう男に依存していたおれ自身 の姿に落ち込んだ。  考えてみれば、おれがXに惹きつけられたのも、家を出るきっかけが欲しか ったに過ぎなかったのだろう。おれは、実家や学校での生活が嫌でたまらなか ったし、退屈な人生の予感に最初からうんざりしていた。そうしてXと出会っ たわけだが、しばらくして気がついたら、おれはXに精神的に従属する関係に なっていただけだった。要するに、何にも変わっちゃいなかったのだ。  オウム真理教の信者が置かれている境遇を見て、おれは苦笑せざるをえない。 あれはかつてのおれ自身の姿だからだ。社会から「出家」して、彼らは自由を 得たように錯覚したのだろう。しかし今の彼らは客観的には全然自由ではない。 彼ら自身なんとなく違和感を感じているに違いないが、それは「修行が足りな い」という一言で合理化される。これは、かつてXがおれに対して「大人にな れよ」といいながら決して大人にさせてくれなかったやり口と一緒だな。 00681/00682 MXF01761 たけくま 私とハルマゲドン(オリジナル稿)/5 (12) 95/11/05 08:23 00667へのコメント  17  人間ほどわがままな生き物はないとおれは思う。人間は二言目には自由を求 めるが、自由ほど恐ろしいものはない。自由の代償は孤独だ。究極の自由状態 ……たとえば、南の島でロビンソー・クルーソーになることを想像すればいい。 そりゃ自由かも知れないが、そんな孤独におれは耐えられない。  人間が生活するためには、結局なんらかの組織に依存する仕組みになってい る。たとえフリーターであっても、バイト先に依存することには変わりはない。 要するに完全な自由(わずらわしい人間関係からの解放)なんてものは、幻想 だということだ。人間関係が少しでも発生すれば、そりゃ気をつかうし、ルー ルも守らなきゃならないだろう。  Xとの関係を絶ったあと、おれはもう、誰かに従属したり、何かに所属する ことがほとほと嫌になった。でも、すぐにそれは不可能だということを悟って 落ち込んだ。それこそハルマゲドンが来ればいいなと思ったよ。でも、鶴見済 じゃないけど、そんなものは簡単に来やしない。地下鉄サリン事件が起こった 時に、思わずおれ自身、中学時代の気分が蘇っちゃったわけだが、テレビに齧 りついてみても、心のどこかで醒めている自分がいた。あれはハルマゲドンの 予告編ですらない。ただの「お祭」だ。  お祭が終われば、退屈な日常の始まりだ。日常は日常としてなんとか生きる しかないわけだけど、この退屈をどうにかしたいと考えるあなたに向かって、 最後にとっておきのヒントを教えよう。  もちろんこれが完全に正しいヒントかどうかはわからない。けれども、オウ ムの若き出家者や、かつてのおれのような、日常と非日常の狭間で引き裂かれ そうになった魂の持ち主にとっては、ひとつの啓示にもなる考えじゃないかと 思う。  それは「旅人の論理」だ。  これはもちろんおれの考えではない。西江雅之という文化人類学の先生が教 えてくれたのだが、こういうものだ。つまり、旅人というのは、その土地の因 習から自由である。どんな土地、どんな世界にもルールというものがあるが、 その世界に生きる限り、おれたちは嫌でもそこのルールを受け入れて生きなけ ればならない。  しかし、唯一自由な存在があるとすれば、それは旅人だ。これは「旅の恥は 掻き捨て」という意味ではない。つまり旅人だからこそ、その土地のルールを 素直に(ある意味では土地の人間以上に)受け入れることができる。なぜなら、 嫌になったら、彼は別の土地に移動することができるからだ。だから、旅人に は退屈もないのである。  おれは、ここで本当の旅の話をしているのではないよ。  たとえば、西江雅之さんは実際に世界中を飛び回るプロの旅人でもある。が、 あの人の異常なところは、日本で生活していてもアフリカにいるのと変わらな いことだ。西江さんはデパートで化粧品のデモンストレーションなどをやって いると、1時間でも見ていて飽きないのだという。その時の彼の目は、アフリ カの何とか族の化粧を見ている目とまったく変わらないのだ。驚くべき才能で はないか。  この目があれば、家庭や、学校や、会社でも、退屈することなんてないだろ う。つまり、その時のおれやあなたは、家庭や、学校や、会社に「旅をしてい る」わけだ。そりゃ楽しいぞ、旅なんだから。  この思想は、オウム真理教問題や、その奥に潜む「大人にならない子供」問 題のひとつの解決策になるのではないかと、おれは考えている。もちろん、お れ自身まだ修行が足りんので、今だってつい人間関係のしがらみにからめとら れて苦しくなることもあるけどね。だから、そういうときはこの「旅人の論理」 を思い出すことにしている。  嫌になったらいつでも逃げられる。もちろん途中で放り出して逃げてもいい んだが、そうすると二度とその場所には「旅する」ことができなるから、とり あえず目の前の問題だけは片付ける。そう考えるとなんとかしのげるから不思 議だ。たいていの「問題」なんて、実は自分が感じるほどたいしたものではな いんだよね。  オウム真理教は遠からず崩壊するのだろう。その時、路頭に迷った信者たち を、どのように「こちらの社会」に受け入れるべきか、今から頭を悩ませてい る人たちがいる。御苦労さんとも思うし、大きなお世話だとも思う。  あっちの世界も、こっちの世界も、そこにしがみつく限り、日常という名の 退屈でしかない。  ただ旅人のみが退屈からまぬがれるのだ。  だから信者は、こっちの世界に「帰る」必要なんてさらさらない。オウムの 諸君は、ただこちらに「旅して」くればいいんだ。で、旅人の目でみれば、こ っちの世界もまんざら捨てたものじゃないことが見えてくるかもしれない。そ うなりゃ、あくまで旅人としてこの世界を「愛すれば」いい。それはそれで素 敵なことではないかい。  ぶっちゃけた話、ハルマゲンドンなんかとっくの昔に起こっているんだよ。 だから「帰ってくる」必要なんかない。おれたちにはもともと「帰る」場所な んてないんだから。                                                                       完 00682/00682 MXF01761 たけくま 私とハルマゲドン/本会議室のあとがき (12) 95/11/05 08:27 00667へのコメント お疲れさまでした(笑)。4つに分割してアップするつもりでしたが、最後のセクショ ンが300行を超えたので、結局5つに分割しました。以上が本文です。 文中後半に登場する「X氏」は、一輝さんのことです。ここで描かれた「X氏」像は、 10年前の私の主観的フィルターを通したもので、かなり一方的な非難になっている ことは否めません。しかし、実を言えば私は「X氏」から編集や出版のイロハを教わ った人間ですし、オカルトの世界の目を開かせてくれるなど、公私ともにかなりの 利益を受けてきた事実があります。 そのため、これをそのまま本に収録することにはかなりの逡巡がありましたが、当時 の私の「主観的事実」には相違なく、また他ならぬ「X=一輝」さん御自身が「この まま収録した方がよい」との意見でしたので、「X氏」に関するくだりは、著書でも ほぼそのままになっています(ただし本では「X氏」との和解に至る経緯をまとめた 「付記」を補足的につけてあります)。 その「付記」でも書きましたが、「クイック・ジャパン」で拙文を発表した直後の 一輝さんとの劇的な再会は、「男子三日逢わざれば刮目して逢うべし」とのことわざ そのままであったことを記しておきます。 ここに描かれた「X」像は、あくまでも10年前の彼(それも私の主観を通した)で ありまして、現在の彼ではありません。現在の彼は(私の主観から見ても)公私とも に調和のとれた円満な人格であることを強調しておきたいと思います。なによりも一 輝氏にとっては一方的で、不本意な部分も多分に含まれているであろう「過去」を、 「そのまま収録してよい」と言っていただくこと自体が、おこがましい言い方ですが、 彼の人格的成長を示していると思います。同時に、「過去」をウジウジといつまでも ひきずっていた私自身の態度を恥じるものです。 現在多忙につき、すぐに返事は書けないかもしれませんが、レスは必ずいたしますの で、御感想等ありましたら、どなたでもご遠慮なくお書きください。                                  竹熊健太郎 追伸/やや宣伝めいて恐縮ですが、「クイック・ジャパン」第5号(本年12月中旬 発売予定)に私と「X氏」との対談が載ります。この会議室の皆さんにはとても興味 深い内容だと思いますので、よろしかったら読んでみてください。 - FARION MES(13):神秘学遊戯団 ★ 限りなき神秘への航海 95/11/05 - 03875/03881 GGA02514 KAZE RE:不二から (13) 95/11/04 17:37 03852へのコメント 南天さん、どうも。 > 中道ですか。真の意味での「普通」の道ですね。 >これこそ簡単なようで、一番難しい生き方でもあるのでしょうね。 >風の吹き具合でどちらにも向く風見鶏ではなくて、 >どんな強風にも傾かないように常にバランスを維持して行かなければ >ならないわけですね。やじろべえの綱渡りのようなものでしょうか。 中道というのは、単なるバランスではなくて、 むしろ、正−反−合といった、弁証法的なあり方に近いとぼくはとらえています。 スタティックなイメージではなく、ダイナミックなイメージなんですよね。 バランス的なイメージというのは、単に中道をスタティックなイメージで とらえたときのありかたであって、それを生成的な観点でみていってはじめて そのダイナミックさがわかるということです。 >厳しい修行の末、それでも究極の悟りには至らず、疲れ果て、 >諦めて菩提樹の下に座していたとき、悟りが開けたというものです。 >この最終的な諦めこそ、エゴの滅却であったと考えられます。 そこらへんのとらえかたは、ぼくはちょっと違ってるんですよね。 「エゴの滅却」という「諦め」では、何の意味もないのではないかと。 「エゴ」を単に「滅却」してしまうというのは、「中道」ではなく、 それは発展を放棄したひとつの極端な選択でしかないのではないかと。 それであれば、むしろ「中道の放棄」にほかならなくなります。 もちろん、「疲れ果て」「菩提樹の下に座していた」というのはあるとしても それは、次なるダイナミックな道を歩むための、 いってみれば「放下」ということではなかったのでしょうか。 両手がふさがっていては、なにかを得ようとしても、受け取る手がないから、 一度、自分の両手にあるものを放すということです。 > とかく、心というものは、規則正しさよりも、むしろ、雲のように >うやむやで気まぐれなものであるように思います。それを正してきたのは、 >身近には、人間の直立歩行という体の姿勢ではなかったでしょうか。 >人間は体があるので、右と左、上と下、前と後の区別が着きます。 >思考に分別が着くのも、このような形体のイメージに助けられているからだと >観じるのですが、如何でしょうか。 そうですね、人間は健全な身体を「鏡」にすることで、 思考などを正しく反射することができるのだと思います。 三半規管がイカレてしまうと、平衡感覚がなくなりますし、 卑近な例では、二日酔いするだけで、世界はどんよりしたものになって、 まともな思考力などは期待できなくなります^^;。 ですから、この三次元世界に身体をもって生きている限り、 その身体の健全なあり方には十分に気をつけなければなりませんし、 その身体を器にして、そこにともすれば変な方向にいきがちな心を ちゃんと盛りつけてあげないといけないようです。 ぼくも、身体の健康には日々けっこう気遣うようにしていまして、 もう4年近く風邪さえひかないようになっています(^^)。 でも、ぼくが一番気をつけているのは、感情の過度な波立ちを押さえて、 それを暴走させないということです。 ここ数年、実験をしてみてわかったのは、 風邪というのはウィルス云々というより、 一種の憑依状態であるのではないかということでした。 ですから、身体の健康と同時に、マイナスの波動を「中」するような心のあり方を いつももっていることが、バランスを崩さない重要なポイントなんですよね。 つまり、マイナス波動を拒否するのではなく、それを包みながら、 それを変容させていくというような感じでしょうか(^^)。 最初の「中道」ということに話を戻しますと、 心と身体の「中」というのが、こうして生きていくうえでは、 非常に重要だということだと思います。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 03876/03881 GGA02514 KAZE 風遊戯68●心象スケッチ (13) 95/11/04 17:38 歩く夢のなかで出会う光の向こうを もうひとりのわたしが歩いている 砂が次々と形を変えながら わたしの大地性をめくるめく物語にする 聞こえてくる音の粒と粒が踊っているのは あれはわたしなのだ 見えてくる光の色と色が踊っているのは あれはわたしなのだ どきどきする恋人よ あなたのきらめきとときめきの時間は あれもわたしなのだ ひたすらな祈りの言葉また言葉のない沈黙 そのはてしない透明な時空は あれもわたしなのだ 泳ぐ夢のなかで出会う光の向こうを もうひとりのわたしが泳いでいる 星が次々と姿を変えながら わたしの天上性をめくるめく物語にする ☆☆☆by KAZE☆☆☆ - FARION MES(14):預言解読村  ★ 預言・予言は何を語るか 95/11/05 - 03335/03336 KFR02037 ひょうたん 星の誕生 (14) 95/11/04 15:03 コメント数:1  新聞を見てましたらハッブル宇宙望遠鏡が撮らえた星誕生の瞬間として、 「わし星雲」の立柱のように伸びた真黒なガス雲の先端が明るく輝いている 画像が載っていました。画像を分析した研究グループはその中に約50個の 星を確認したとか…。  科学的なことには全然知識のない私ですが、今まで星の誕生っていうのは なんとなく星間ガスの集まったもやもやした雲のまんまん中の一番圧力が高 まった場所…っていう感じがしていたのですが、こんな先端で起こるとは意 外でした。(こりゃ、まるで星の産卵だぁ!圧力の高いガスの真ん中で星が 誕生しても、とても高温高圧の中では生命の誕生はおぼつかないけど、こう して宇宙ガスの突端から生み出された恒星の中には、ほどよい環境を得て、 生命をはぐくむ惑星が出来てくるかもしれない‥‥)  んでもって、ガス雲の立柱の伸びた方向と時間を矢印にしてみると、その 収縮点に星の誕生があるわけで、例の砂時計▽なんぞも、ちと思いうかべて みたわけでした…。           △ P.S.卵巣からの排卵って宇宙時代の記憶なんでしょうか? >女性の皆さん                             ひょうたん