瞳に移る四季の色、心に織り成す喜怒哀楽の香り…己を信じる為 - FARION MES( 2):Wellcome All ◆ 四次元喫茶 カルフール 95/11/10 - 04798/04805 GCG01101 アマデウス RE:パソコンがやってくる! ( 2) 95/11/09 23:48 04791へのコメント #4791 あもり さん #4784 九印  さん | 740とは良いお買い物しましたね。フッフッフッ(^.^) | できればメモリも買われたほうが....   メモリは、現在世界的に不足気味だそうです。Macはもちろんのこと、  Winの普及と、Win3.1以上に膨大なメモリを要求するWin95の  出現によって、メモリの大量消費が進んでいるからだとか。   これはすでに9月頃から言われていましたが、メーカではどんなに増産し  ても注文の8割程度しか生産することが出来ない状態で、おそらく12月に  入ったら入手するのが難しくなりそうと言うことです。(日経ビジネスか何  かに書いてありました)   メモリを買うなら、11月中の方が良さそうですよ〜                               アマデウス - FARION MES( 6):ハロー・メッセージ ★ 今日のハロー・メッセージから 95/11/10 - 00207/00208 KFQ02761 しまうま RE:きょうのハローだけど、 ( 6) 95/11/10 03:40 00204へのコメント #00204 CHARANさん  こんにちは(^^)。 :酒匂と聞いて、酒匂川ってあったなと思い探してみたら、 :小田原にあった。丹沢や富士山から流れている。  なるほど〜。丹沢って、“丹”がつくってことは、硫黄だか赤土だかがあっ たんでしょうか。丹って製鉄とも関係があるんでしたっけ?(相変わらず物覚 え悪し(^^;)  「十種神宝」は、「とくさのかんだから」でした(by広辞苑)。以下、引用 します。 :饒速日命(ニギハヤヒノミコト)がこの国に降った時、天神が授けたという一○種の宝。 :すなわち瀛都鏡(オキツカガミ)・辺都鏡(ヘツカガミ)・八握剣(ヤツカノツルギ)・生玉(イクタマ) :・足玉(タルタマ)・死反玉(マカルカエシタマ)・道反玉(チガエシノタマ)・蛇比礼(ヘビノヒレ)・蜂 :比礼(ハチノヒレ)・品物比礼(クサモノノヒレ)をいう。  うーん、ニギハヤヒが出てきましたね。うーん……何した人だったっけ(^^;。 なんか預言解読にも、とっても大切な人だったような……。  「八握剣(ヤツカノツルギ)」は、TAOさんの部屋での桂さんの話にも出てましたね。 ナーイスタイミング(やや意味不明)。   しまうま(KFQ02761) 00208/00208 GBG02043 維/YUI RE:きょうのハローだけど、 ( 6) 95/11/10 10:17 00204へのコメント 酒匂川、丹沢という文字を見て、ついついコメント。 丹沢湖の近く玄倉というあたりで、はじめて本格的なキャンプを したこともあって、いろいろ思い出のある土地です。 と・・・それはともかく。 酒匂で「サカワ」と読むところから思い出すのが、 丹沢からは、地図でみて右側にずれたところに 寒川神社があります。 (サムカワと読むんだけれど、人名のときは大抵がサカワとか サガワとかって読むみたい。) 裏鬼門の神様って言われていたりする。 祭神は寒川比古命、寒川比女命となっています。 が、一説には菊理媛だとか、スサノオ系列の神様だとかって 話もあったりします。 菊理媛が出てきたのは、近くの七沢山系に白山があって、 頂上には菊理媛を祭った白山神社があるので、そのふもとの ほうにあるから、そんな話が出たのかな・・・とも思いますが。 ちょっと思いついたので書いておきました。 維/YUI。 00205/00208 KFQ02761 しまうま RE:心を鍛える? ( 6) 95/11/10 03:40 00195へのコメント #00195 SUKEさん  こんにちは(^^)。 :火にくべると言うのは、激しい情動を思い浮かべますね。 :心を安定に保つだけでは、なまくらになってしまうのでしょうか。  そうですねー。特にSUKEさんが書いてらっしゃる2行目、これ、ホントにそ うだろうなあと思います。たとえば「人に対する怒り」という感情を抑え込ん で、精神的な安定や、いわゆる“善人ヅラ”を保ったとして、それにどれだけ の意味があるんだろう?と思います。結局自己満足なんじゃないかなあ、なん て思います。  肉体的な話に例えてみます。   「人を殴りたい」という欲求が起きる。    ↓   人を殴るというのはイケナイことだ。    ↓   「パンチ」の動作そのものを自ら抑え込んでしまう。  こうなると、腕の機能の一部が衰えてしまいますね。よろしくないのは「理 不尽に人を殴る」ということであって、「人を殴る」こと自体がイケナイって ことではないはずなのに……。  だから、「人を殴りたい」という欲求が起きたときは、それを抑え込んでし まわず、パンチの素振りをしてみるとか、あるいは枕なりマットレスなりをタ コ殴りにしてみるとか(ちょっと淋しい風景ですが(^^;)、とにかく、欲求な り感情なりを「なかったこと」にしてフタをしてしまわないようにすることが 大切だと思います。  「人に対する怒り」などのような激しい情動についても、同じことが言える と思います。その情動の通り道をふさいでしまわず、何らかの形でその感情を 「使ってしまう」のがいいように思います。怒りをぶつけないにしても。  ぶつける必要があるという判断がつけば、ぶつけちゃえばいいだろうし。  たぶん、情動をため込んでおくと、心の中で発酵してドロドロになっちゃう んですね。んで結局わけわかんなくなって、心の中全体に拡散して薄まる…… というイメージでしょうか。発散しなかった情動は、なくなるわけではなくて、 心全体を多少“濁す”ことでようやくチャラになる、ということなのかもしれ ません。  逆に言えば、情動をストレートに流すことは、心の中の不純物を取り除くこ とに繋がるのかもしれませんね(と、ハローメッセージを読んで思いました)。  で、 10/31 鉄塊を鍛えるに必要な火と水は、人の心を鍛えるにも必要である 11/01 心を鍛えるには、先ず不純物を取り除く為に心を火にくべよ  もう一つ必要な「水」というのは、そのようにして表現した情動を、今度は 自分から離れてハタから見てみる、という作業のことじゃないかな、と思いま す。  そういう情動がどこから出てきたのか? 本当は何に対して出てきているの か? 出すことによって何を求めているのか? 出した結果は、実際どうだっ たのか? そういう点を、主観的事実と客観的事実に分けて、一つ一つ書き出 してみる……とか、そういう地道な作業も、必要なんだろうと思いました。  よーするに、激しい情動を発散した後は、冷静にあれこれ思いめぐらす、て な感じでしょうか。   しまうま(KFQ02761) 00206/00208 KFQ02761 しまうま RE^2:ハローメッセージ10月分 ( 6) 95/11/10 03:40 00199へのコメント #00199 優位くん  こんにちは(^^)。 : 「八方ふさがりでどうにもなりません」 : と或る人が先生にいうと、即座に : 「天があいているよ」と先生はおっしゃった。自分の左右と下ばかりを : 見て、天まで目が向かなかった時で、その人はハッとした。  昨日まで、ほんとに“八方がふさがってる”といっていいくらい、あちこち の仕事の相手先に不義理をしてしまっていたのですが、ようやく二方くらいは 「開いた」感じがします(^^;。  「天があいているよ」というのは、具体的にいうと「神様はあなたを見捨て てはいないよ」ということでしょうか?  「天と地と人」「神様と祖土と日本人」という関係も、なんだか興味深いな あ、なんて思いました。   しまうま(KFQ02761) - FARION MES( 9):神々の曼陀羅 ★ 歴史と宗教を巡って 95/11/10 - 654/654 JBH00712 桂 桂 古代史・こぼれ話 ( 9) 95/11/10 01:15  *古代人の測量技術  京都芸術短大教授の渡辺豊和氏という人物がこんな話をしてました。  教授は有る時、近江富士として名高い琵琶湖畔の三上山とその北東に有る 太郎坊宮が、畝傍山−三輪山を結ぶ夏至の日の出線(冬至の日没線)と全く 平行である事に気付きました。  この太郎坊と言うのは太郎坊山の中腹に有る神社で、二つに分かれた夫婦 岩と呼ばれる巨石が有ります。この割れ目は東西方向を向いており、春分、 秋分時に琵琶湖へ沈む太陽をその割れ目から見る事が出来るそうです。  畝傍山−三輪山ラインと、畝傍山−太郎坊宮ラインとの距離は48.65Km、 古代世界では60進法が普通なので、この数を3ないし6で割ると興味深い 数が得られる。  まず30分の1が1620m。  これを60で割ると27mになる。  更に60で割ると45cm、それを6で割ると7.5cmになる。  この数字は4本の指を握った時の長さにほぼ等しいとの事。        トツカ ヤツカハギ  古事記に「十握の剣」「八握脛」といった表現が出て来る。  この「握」がどれくらいの長さを表わすのかは定説が無い。通常は9cm前 後といわれているが、日本人には長すぎる。  「縄文人の身長は155-160cmと小柄だった。私はこの7.5cmが古代日本の基 本単位だったのではないかと思う。古代の人達はこの単位を元にして、土木 建築工事をしていたのではないだろうか」  というのが氏の説です。  面白い事に琵琶湖の側に有る健部神社、三輪山、釈迦ヶ岳、そして那智山 は一直線に並んでいます。  健部神社と三上山、もう一つ多賀神社というのがあって、これもまた一本 の線で引く事が出来ます。  富士山と遠く伊勢湾の近くに有る神島、次いでに釈迦ヶ岳も、同じ様に地 図上で線を引く事が出来ます。  「地図上に引く事が出来る幾何学模様を目にして見ると、古代人は日本全 土を大きな意図を元にして土木工事を行っていたのではないのか」  成る程、確かに列島の遺跡群は地図では有る程度直線で結ぶ事が出来ます。  それはまるで何かの約束事に従ったように、ピタリと収まって仕舞うのです。  もしかするとこれは現代の時間感覚では及ばないような、遠大な列島改造計 画であったのでしょうか。それとも国土開発?  いや、もしかすると意味を有したネットワークのような物なのかもしれませ ん。  いやはや魂消たもんだわさ。ウンウン 桂 桂(JBH00712) - FARION MES(12):精神世界裏表 ★ ニューエイジビジネス を斬る 95/11/10 - 00688/00688 PFA03563 YAHATA ムー12月号広告レポート (12) 95/11/09 23:53  毎度おなじみ広告レポートの時期がやってまいりました。今回はちょっとし た模様替えが見られます。  今月もトンデモな広告いっぱいでございます。では目に着いたところから。 ・MMエイト  裏表紙から八幡書店が消えた!  その昔「まいんどまいんど八王子」と名乗っていたこの業者、今の名前の由 来も大体わかると思う。そう、「MindMind8王子」。(笑)  着けてるだけで電磁波から体を守るという「BSペンダント」を売っている。 パソコンや携帯電話など使ってる人々もこれで一安心。…ほんとかよ。  下半分にはヘミシンク信号入り音楽CDが多数載っている。 ・日本天翔堂  ついにここもフェロモンに目覚めた。愛染明王の護符に妙な香水を仕込んで 「衝撃の性的誘因効果」だって。香水切れたら縁の切れ目か? ・日本能力科学アカデミー  「神仙道巨万金財術講座」に続き、「神仙道気功武闘術講座」が登場。今に なって武術気功とは、何だか遅れてる感があるのは私だけだろうか。 ・富士皇朝  性格を変えるという「軸線開発魔法陣」が久々に登場。…あれ?住所が変わっ たみたい。 ・悩み相談の寺  特に珍しくもない?いやいや、これは非常に珍しい。同じ広告が2ヶ所に! 何かの間違いか? ・日武会系  前回同様。変わり映えなし。 YAHATA - FARION MES(13):神秘学遊戯団 ★ 限りなき神秘への航海 95/11/10 - 03903/03907 GGA02514 KAZE 明日から屋外イベント、寒いでしょうね^^; (13) 95/11/09 16:52 03885へのコメント 隆ちゃん、どうも。 急に冬型の季節になってしまいましたね。 冬は好きなのですが、こういうときに屋外のイベントが続くと辛いです。 明日から三日間大きな運動場で、ロックコンサートやスポーツイベントの ディレクターをほとんど缶詰状態ですることになっていますが、 天候は大丈夫そうなものの、やっぱり寒いでしょうね^^;。 実は先週も屋外の販促イベントをやってて、すっごく寒かったんですよね。 強風だったのもあって、喉がすこし炎症を起こしかけてたので、 今週末のイベントに備えて、気を引き締めて直したのでありました(^^)。 そうそう、上記のスポーツイベントでは、かつて「びっくり日本新記録」で、 チャレンジャーボーイとして出演していた轟二郎さんをゲストに招いて、 各種スポーツ競技に挑戦してもらうことになっているので、 ささやかな楽しみにしているのですが・・・。 >「科学的に証明されている」などという呪文を唱える方々の一体何人が、ちゃん >としたプロセスを経て、それを正しく理解しているのやら・・・。 そうなんです。 科学の成果として我々が実際にさまざまなものを享受しているとしても、 それは「科学」を理解しているわけではなくて、 「科学」によって導き出された原理を適用可能にした「技術」の成果を ただ利用しているだけだということを再認識する必要があります。 >科学者は、真実に近づく為に日夜頑張っています。それは非常に重要な事だし、 >科学的な思考やアプローチは価値あるものです。ただし、大事なのは、その行為 >やプロセスなのであって、決して結果ではないと僕は思っています。科学者が導 >き出した「結果」が重要なのではなくて、科学的な発想をする人間が大事なんじ >ゃないかと思うのです。 科学的方法というのは、これは決して否定すべきものではありませんよね。 でも、その成果を信仰するあまりに、それを絶対化して、 それを無批判に受け入れる愚というのはもっと自覚したいものです。 おっしゃるとおり、大事なのは「その行為がプロセス」、「科学的な発想」です。 科学信仰にはむしろ「科学的な発想」がないといえますから、困るわけです。 シュタイナーにしても、科学的方法というのをとても重要視していまして、 その方法を「物質」だけに適用させる限界を目の当たりにして、 その適用範囲を「精神」の領域にまで拡大しようとしたわけです。 そしてそれを「精神科学」としてみずからの営為の総称としていました。 >プロセスをたどれない人が唱える「科学的に証明される」という呪文は、「テク >マクマヤコン」とコンパクトに唱えているのと同じなんですよね(^^;)。 はい、ぼくもまったく同じ印象をもって聞いています^^;。 でもって、「南無阿弥陀仏」などはまだしもありがたいところもありますけど、 科学信仰者の「テクマクマヤコン」は、ただうるさいだけですから始末に悪いです。 >以前、「わかって→必要だと思って→やる気になって→やって→できる」という >循環のお話をしましたが、この前段階で「わからない」が必要だなと思ったので >す。いつもいつもに「わからない」という前提が必要である・・・これってちょ >っとネガかなぁ(^^;)。 いえ、「わからない」を、みずからの怠惰の言い訳にするのではなく、 謙虚な姿勢をいつも忘れないでいるということでしたら、 決してネガではないと思います。 一見ポジのように見える「私はわかっている」「わたしは正しい」というのは そこに謙虚さのない場合、たんなるエゴになってしまいますから、 そういう意味での<「わからない」という前提>は大事だと思います。 それは、人の意見に耳を傾ける許容度にも関係してきますしね。 >僕は(多分KAZEさんも)、「みんなと同じ」という変な価値観に逆らって生きて >きました。・・・しかし・・・なんで他人と同じでなきゃいかんのだろう???。 ぼくは多分に天邪鬼という側面もありましたが、それだけではなく、 気持ちとしては、「みんなと同じ」だったらもっと楽だろうなとは思いながら、 ちゃんと感じ、考えようとしたら、「みんなと同じ」にはならなかったわけです^^;。 もちろん、「みんなと違う」ことによって得るある種の不安感はありましたが、 それよりも「自分で感じ、考える」のが大事だと思ってきましたので、 いまだに「みんなと同じ」というのは、ほとんど無視して生きています。 我ながら、これでよく、会社勤めを続けられているもんだと思うのですが、 ま、こんな人間が、広告をつくり、イベントをやってるのですから、 世の中、なんともはや、不可思議なものです、ほんと^^;。 >一番わけわからないのが、「成功=金持ち」という図式を信じて疑わない人と、 >「ええ女(男)つれて歩きたい」という人。どちらも、成金趣味っていう言葉で >かたずけられてしまいそうですが、全く無粋であります。お金を使うのも、女遊 >び(男遊び)も、もっと粋にやれんもんかなぁ。 たんに、発想の貧困、想像力のなさ、はやくいえば、馬鹿^^;。 もちろん、お金はたくさんあるに越したことはないし、 「ええ女(男)つれて歩」くのも楽しいものですが、 それにとらわれて本末転倒になってしまってはどうしようもないですよね。 しかし、反対に、貧乏故に、お金のために休みなく働くことや 異性に縁なくして寂しく過ごすが故に、異性に過度に執着することなども、 よく考えてみれば、まったく同じ事の裏返しのようにも思えます。 そういえば、ぼくは貧乏で、休み少なく働いていますね、困ったもんだ^^;。 >破壊はストップで、先がありませんが、変容は進化の過程という趣があります。 >ちなみに、インドのシヴァ神は「破壊神」と言われますが、破壊と創造をともに >司っているはずです。ですから、本来は破壊の神ではなく変容の神であるはずな >んですよね。 ぼくは、どうも創造のための破壊という発想には拘ってしまうものですから、 シヴァ神のことをすこしばかり勘ぐってしまうのですが^^;、 たしかに、本来は、変容の神なのかもしれませんね。 それがいつのまにか、破壊と創造がセットになった神になってしまったわけです。 そこらへんのことについては、やはりもう少し見てみたいという気がしています。 それはともかく、破壊が、たとえ方便にしても使われる場合には、 注意深くそれを見ていく必要がありそうですね。 >しかし・・・身体の柔軟性への憧れって、一体なんなのでしょうね(憧れているの >は僕だけではないはずです)。 はい、ぼくも憧れてますけど、思いっきり硬いです^^;。 で、なぜ憧れているかというと、やはり、自分の想像力の世界では、 思いっきり自由な身体が、現実の身体になるとどうにも自由になりませんから、 そのイメージに少しでも近づきたいという願望なのではないでしょうか。 ぼくは、それがかなり否定的にでて、いわゆるスポーツが嫌いでした^^;。 スポーツを離れた野山などでは、けっこう自在なところがあるんですけどね。 そうそう、身体性については、tenさんにお聞きするのがいいでしょうね(^^)。 >犬と一緒に暮らすと感じるのですが、匂いを嗅ぐというのは、一種のコミュニケ >ーションなんじゃないでしょうか。 特に動物にとっては、匂いというのは、生命と密接な関係があるんでしょうね。 前にもお話しましたが、そういう大事な匂いというのを、現代人は過度に人工化し くつられた匂いだけを身に纏おうとしているようですが、 そのことでほんらいの生命感覚が失われてしまわないようにしたものですね。 では(^^)。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 03905/03907 GGA02514 KAZE 「家」から「自由共同体」へ (13) 95/11/10 00:08 03888へのコメント 隆ちゃん、どうも。   >1浪して、次の年も大学全部落っこちた時は、さすがに「どうなるんだろうか」 >と思いましたけど・・・。ついでにいうと、今現在「どうなるんだろうか」と少 >し思っています。(^_^)ゞ ポリポリ ぼくは高校に入学してしばらくはいわゆる優等生っぽかったので、 当然、まずまずの大学の医学部でも入って・・・なんてとらぬ狸してましたが^^; そのうち、学校の勉強は、勉強しないと成績が維持できないと悟り、放棄。 でもって、もうどうでもいいや、とばかりお金のかからない地元の大学へ。 「そのうちなんとかなるだろう」の世界で、半ばぼんやりしてたわけですが、 いまから思い出すと、いわゆる社会的なことをまったく考えないで過ごしてまして、 「なんでみんな就職のことを気にしてるんだろう、面倒だな」っていう感じ。 で、就職に関しては前にお話したとおりです。 しかし、今はというと、別の意味で「どうなるんだろうか」なんて 実は、ほとんど考えてなかったりして、三つ子の魂百までというかなんというか^^;。 しかし、ぼくはいったい何をしようとしてるんだろう・・・なんて 今更ながら考えてみたりしてね^^;。 勉強したいことはとっても具体的にあるんだけど、 それがほとんど社会的に無意味なことばかりなので困ってしまうわけです。 >以前、血液型の話題が出たとき、KAZEさんとカミさんの気があっていた事を思い >出しました(^^)。僕もけっこう行き当たりばったりに生きていますが、カミさん >には負けます。旅行に行くときに、乗る汽車さえ考えないのですからねぇ(KAZE >さんも確かその口ですよね)。 ううむ、そう緻密に考えるほうではないですね、確かに^^;。 それで奥さんと意気投合したりしましたね(^^)。 でも、それで、これまで特に問題を起こしたこともないですし、 仕事などでもけっこう時間には正確なほうですから、人それぞれなんでしょうね。 もちろん、相棒にはよく「そんなことも考えないでよく生きてられるね」と 称讃の言葉をいただくのですが(ケイベツダッテ?)、 そのぶん、いわゆる動物的直観というか嗅覚を働かせて、 自分では問題なく過ごせていると思っています(または思いこんでいる?)。 >「金儲け」「野心」「成功」「名誉」、みんな無粋な言葉ですよねぇ。もちろん、 >こういうのを斜めから見て、文句言うだけでは情けないですから、こういう無粋 >な事の犠牲が少しでもなくなるように、憎まれ者になる所存ではありますけれど >も・・・相手にされていないという気も・・・します(^^;)。 はい、ぼくも相手にされていないくちですけど^^;、 たかが数十年の命、されど数十年の命、自分の信じるもののために生きたいですし、 それは「金儲け」「野心」「成功」「名誉」にはまったく関係ないことですから そういうことしか信じられない人は、哀れというかなんというか。 >特に、僕のように感情に呑み込まれやすいタイプには、関数に置き換えてみると >いう操作自体が有用なんじゃないでしょうか。 「自分を見つめる」と言うのはたやすいですが、 実際にはどうすれば自分を見つめたことになるのかわかりませんよね。 そのためにも、自分を「働き」としてとらえて、 その影響関係について見つめてみるという作業は有効かもしれません。 「どうして自分が関わるといつもこういう結果になるんだろう」ということから 自分が「関数」としてどう働いているかが発見できることもあるはずですし、 Xというタイプの表現に出会うと自分はなぜか腹が立ってしまう、なぜか、とね。 >日本という風土が「家」を非常に大事にしてきたというのは、多分当たりだと >思う(少なくとも支配階級では)のですが、現在の価値観の貧しさとか、いわ >ゆるアリさん体質の良くない部分の原因を「家」というキーワードでかたずけ >るのは、ちょっと疑問です。むしろ、「核家族」になってしまった事による、 >「家」に対する帰属感の喪失が、無個性を招いているような・・・。帰属する >モノがない恐怖が、均一を呼ぶというか、なんとか固まろうとするとでも言い >ましょうか。 問題は「核家族」化してなぜ無個性になってしまうか、でしょうね。 「家」というのは、確かにそれなりの磁場がありますので、 その帰属感(それへの反発もふくめて)によってそれなりの個性が醸成されます。 しかし、帰属しなければ「個」として成立しないあり方というのが、 最も問題になってしまっているのではないでしょうか。 「家」が「家」として成立するのはそれはぞれで意味深いことだけど、 それから離れたあり方もまた模索されるべきではないかとぼくは思っています。 少なくとも、ぼく自身の問題としてとらえるとすれば、その道しかありません。 ぼくはまずは「個」としてのぎりぎりのあり方を模索していこうと思っています。 そしてそのうえで、共同体的な方向性を模索することになるでしょうね。 ま、途中で野垂れ死にするのも、また良しです(^^)。 しかし、それにしても、帰属したいよ〜!っての、なんか情けないですよね。 生まれてこのかた、帰属意識のないぼくは冷たく語るのであった・・・^^;。 >全体を生かす部分であるためには、どうしても「自覚」という自己教育が必要だ >ということですよね。全体を構成している部分に、しっかりした自覚がなかった >ら・・・想像するとけっこう恐いですね(^^;)。 これから「家」ということを新たな意味で重視していく方向性があるとすれば、 それはその構成員が「自覚」を持つ場合のみではないかと思います。 もちろん、「家」のための自己というのだけではなく、 自己のための「家」をもふくめた自覚ということです。 そうなれば、むしろ「家」ではなく、「自由共同体」となっているはずです。 哲学者のヘーゲルは、超難解で有名ですが^^;、 このヘーゲルも、そうした「共同体」の問題を考えた結果、 有名な「国家論」という方向性に至ることになりました。 そして、それがもとで、それをひっくりかえした形でマルクスがでて、 独裁的な共産主義国家が生まれることになってしまいました。 現代に生きる我々は、そこらへんの問題から目をそらすのではなく、 あらためて、ヘーゲルが描こうとした理想の本来のものに立ち返り、 そこにある落とし穴について、深く考察していくことが必要だと思います。 実は、そこらへんのこともふくめて、シュタイナーは、 社会有機体三分節の考え方を打ち出したのですが、 この考え方は、まさに現代において再検討されるべきだとぼくは考えています。   でも、まだまだ勉強不足で、ちゃんと説明できるまでに至っていないのが 苛立たしい限りなのですが、いずれ、ぼくなりの「共同体論」などをば 展開してみたいと思っているのですが、いったいいつになりますことやら^^;。 しっかし、勉強したいことがやまのようにあるのに、時間がたりん^^;。 ううむ、修行じゃ!修行じゃ!・・・って感じですね。 では(^^)。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 03904/03907 GGA02514 KAZE しばらくアクセスできません (13) 95/11/10 00:07 明日(10日)の早朝から日曜日(12日)の深夜まで、3日間、 仕事の出張イベントのため、アクセスできませんので、 よろしくお願いします。>ALL ☆☆☆KAZE☆☆☆ 03906/03907 QZY01267 猫の手 RE:「縁」とは不思議なものですね (13) 95/11/10 06:35 03895へのコメント コメント数:1  みのるさん隆さんこんにちは  尻馬に乗って割りRESさせてもらいます。  私も学生の頃は経済的に貧しく、家から仕送りが来たときに米だけは買って おいて、月末は炊いたご飯にしょうゆと、マヨネーズをかけて食い繋いでいま した。  冬から春にかけては、大家さんがりんご農家だったためにりんごだけはふん だんにもらえてりんごで食い繋いでいたこともありました。すきま風が入って くる部屋でこたつにあたりながらりんごを食べると寒さが更に身にしみてきて こたつに潜り込み、そのままうたた寝してしまう日々もありました。  私も前世には興味がありますが、私の場合はそれよりも、前世と今生の間で 何を考えたかということの方に興味の中心があります。多分、そこで考えたこ とによって今回の生のセッティングをしたり考えたりしているのではないかと いう気がします。もしかしたら私のことだから成り行き任せ風任せだったのか もしれません。 ** QZY01267/ 『猫の手』 でした <95/11/09 22:00:33> ** - FARION MES(19):世も末ばなし ★ ぶっ飛び話・罰当たり話 95/11/10 - 707/707 QZY01267 猫の手 出口 (19) 95/11/10 06:36  私はそのとき出口を求めていた。  苦しかった。  胸が締め付けられるほど苦しかった。  そのときの状況から逃げ出したくて私は苦しんでいた。  苦しんで苦しんだ末、  私はポッと抜けてしまった。  何かが抜けてしまっていた。    出口はいつでもどこにでもある。  だから安心しなさい。  いつでもどこからでも帰っていける。  だから安心して良いんだよ。  やりたいことをやり尽くしなさい。  苦しくってダメだと思ったらやめればいい。  いつでも出口は用意されているのだから。  そこへはいつでもどこからでも帰っていける。  この世界は私が私のために創った世界。  誰でもない私のために。  だからやりたいことをやり尽くせばいい。  安心すればいい。  何もしなければならないこともない。  何もしてはならないこともない。  納得するまでやってみればよい。  傷つけるも、傷つけられるのも自分自身なのだから。    苦しかったらやめればいい。  悪いことなど何もないんだよ。  失うものなど元々何もないのだから。  全部自分で生み出したのだから。  壊すも造るも思い次第。  造りたいものを造ればいい。  壊したいものは壊せばいい。  誰でもない自分で造った世界。  残した思いがああるならやり遂げればいい。  逃れたいことからは逃れればいい。  何でも自由。  苦しみ続けるのも自由。  楽しみ続けるのも自由。    なくなるなんてことはないんだよ。  終わってしまうなんてことはないんだよ。  いつでもどこでも総てが一緒にあるの。  求めている出口もいつでもどこでもあるの。  出たいときにはいつでも出れる。  まだ何かやれると思ったらやってみればいい。  思い残すことがあればやってみればいい。  いつでもどこからでも出口には行き着ける。  やりたいだけやりたいことをやればいい。  本当に求めているものはなんだった?  思い出してごらん  本当に求めていたものを  本当に求めていていたものを手に入れるまでやってごらん。  出口はいつでもどこにでもあるのだから  心配しなくていい。  ダメだったら帰ってくればいい。  いつでもどこからでもやり直しはきくから  やってみればいい。  本当にやりたかったことをやってみればいい。  きっと手にしたかったものが手にはいるから。  本当に欲しかったそれが手に入るから。       ** QZY01267/ 『猫の手』 でした <95/11/09 19:56:32> **