メビウスの輪には裏と表があるが、どこから表でどこから裏か? - FARION MES( 2):Wellcome All ◆ 四次元喫茶 カルフール 95/11/13 - 04810/04818 PXM00746 KATSU はじめまして ( 2) 95/11/12 15:53   前からたまにROMさせて頂いてたのですが、最近エアクラのフォーラム登録  をしたところなので、少しづつ仲間に入れて貰いたいなと思います。   以前、古神道関係にちょっとばかり興味があって、このフォーラムを覗いてい  るうちに、昔のノリが少し戻ってきました(^_^;) ここは割と居心地良さそうな  ので、たまには質問や発言などもしてみたいと思っております。   皆さんよろしくお願いします(^_^) PXM00746 KATSU - FARION MES( 7):自分を観る  ★ ARIONを鏡にして 95/11/13 - 06513/06516 JCF02051 めのう 不満 ( 7) 95/11/12 23:05 06509へのコメント  #6509 ARION  コメントどうもです。  さっそく相手への不満をピックアップしてみましたが、これがすごく苦しい。  これまで、小さな不満も溜めないようにしようと思ってその都度相手に伝え  ていたのは、私の中で「相手に伝えてもいい正当な不満」と見做しているも  のばかりだったことがわかりました。    それ以外の不当な、身勝手な、筋の通らない不満(あるいは要求)は、自分  の中にあってはならないものとして却下していたのです。  却下はしたけどなくならない。ずっと自分の中にある。まずそれを認めるの  が苦しくて、昨夜はのた打ち回っておりました。    で、不満。     (1) 相手が約束を守らない   (2) 相手の愛情を十分に感じられない   (3) 相手が私の思うようにならない  小さなこともだいたいこの3つに含まれると思います。  私の中で正当なものとし、相手にも伝えているのは(1)だけです。  (1)の裏には「約束が守られないと自分がバカにされているように感じる」と  いうのもあります。  相手にこの不満を伝えるときは同時に相手が私をバカにしている「証拠」を  探そうとしているかもしれません。    (2)(3)は「そんな風に感じる自分が悪い」として即却下するか、相手には伝  えるが相手と一緒に考えるのではなく、「こう感じているけれど、それは私  自身の問題だから」として自分の中に持ち帰ってそのまま蓋をしています。      ....ここまで書いて、この先の言葉がちょっと出てこないので出直します。                           ◆◆ めのう ◆◆ - FARION MES( 9):神々の曼陀羅 ★ 歴史と宗教を巡って 95/11/13 - 656/657 MHD02672 TAO 三輪山の神秘 ( 9) 95/11/12 23:38 653へのコメント  #653/#655 SUKEさん  どうも(^^)。奈良の大神神社には過去に四回ほど参拝していますし、三輪山にも  三回登っているので、色々と思い出は尽きませんね。その旅行記も、過去にUP  してあると思います。 三輪山ピラミッド説は、三輪山の円錐型の姿があまりにも整っていることから唱 えられているそうですが、確かに遠くから眺めた三輪山の姿は神厳としかいい得 ない雰囲気を漂わせています。それ故に大和国に於いていにしえから、宮廷から 民間にいたるまで信仰を広く集め得たのでしょう。  ▲▲▲  大神神社には本殿が無く、拝殿のみという珍しい形式になっているのも、三輪山  そのものがご神体とあがめられているからであり、他にこの様な形式の神社は、  僅かに埼玉県の、御室ヶ岳を背後に控えた金鑚(カナサナ)神社が見られるのみです。  このように山自体がご神体とされるのも、三輪山に大変な神威があってそれ故に  聖地となっていたからでしょう。 祭神である大物主神(オオモノヌシノカミ) については、大和宮廷が成立する以前から祀ら れていた出雲系の神だったと言うのは多くの学者や識者が唱えるところであり、  日本書紀の崇神紀でも大物主神を祀って三輪山のたたりを鎮める経緯が、事細か  に綴られていますが、宮廷にとっても恐ろしい神だったのでしょう。  柳田國夫と共に日本民俗学の曙を開いた、民俗学者の折口信夫は、「(崇神)天皇  が大和に移られてからは、大和を治める為には、大和の魂を持たねばならなかっ  た。其大和の魂を持つてゐたのは、物部氏だと考へられていた。最初は、にぎは  やひの命であった」(『古代人の思考の基礎』より)と言っています。  市井の古代史研究者である故原田常治氏は、著書「古代日本正史」(婦人生活社  刊)で、「にぎはやひ=饒速日尊」の遺骸が葬られているのが三輪山だという説  を唱えていますが、三輪山が饒速日尊の墓だとしたら、大和宮廷が三輪山を敬い  恐れたのも、実はその中に葬られている饒速日尊の魂に対してであったと言えそ  うです。  ▲▲▲  三輪山には三回ほど登っていますが、頂上の巨岩群=磐座に対しては、二回目ま  では「何か鎮められている」印象を持ったものです。三回目の時は、一番前の巨  岩に張られていた注連縄が、何か鋭利な刃物で切られたようにプッツンと切れて  いたのが鮮明に記憶に残っています。 頂上の磐座については、故三島由紀夫が『奔馬』(遺作『豊饒の海』より)で、 このような印象的な文章を記しています。  ………沖津磐座は崖道の上に突然あらはれた。     難破した巨船の残骸のやうな、不定形の、あるいは尖り、あるいは裂けた    巨岩の群が、張りめぐらした七五三縄のなかに蟠つてゐた。太古から、この    何かあるべき姿に反した石の一群が、並の事物の秩序のうちには決して組み    込まれない形で、怖しいやうな純潔な乱雑さで放り出されてゐたのである。     石は石と組み打ち、組み打つまま倒れてゐた。別の石は、平坦すぎる斜面    をひろびろとさしのべてゐた。すべてが神の静かな御座といふより、戦ひの    あと、それよりも信じがたいやうな恐怖のあとを思はせ、神が一度坐られた    あとでは、地上の事物はこんな風に変貌するのではないかと思はれた。  いかにも、才能と感受性に恵まれていた作家ならばでのと感嘆せずにいられない  鮮やかな記述で、三島由紀夫は三輪山の神威というものをダイレクトに感受して  いたのでは無いかと思われます。  実際、神道研究者の鎌田東二によれば、三島由紀夫は「奔馬」執筆に際して三日  間、大神神社と三輪山中に参篭したということです(『神界のフィールドワーク』  青弓社刊 より)。太古より厳かに存在し続けて来た霊山の神威が、現代にもな  お生き続けているのだと思わされるようなエピソードですね。  ▲▲▲  三輪山を取り巻くレイラインについては、実に色々な説がありますね。こういう  超古代史ノリ的な(^^;話題については、ちょっと苦手なところですが、頂上の巨  岩群の中の、注連縄を張った岩というのは、記憶が曖昧ですが一つしか見かけな  かったような…。地下道うんぬんについては何とも言えませんね(^^;。  TAO 657/657 MHD02672 TAO 建築とレイライン ( 9) 95/11/12 23:39 654へのコメント  #654 桂 桂さん  どうも〜(^^)。渡辺豊和氏については、何冊かの著書を読んだ記憶があります。  正直な話、霊山や神社等を結ぶレイラインうんぬんについては、守備範囲外なの  で(^^;、何ともコメントしづらいのですが、つい最近、加門七海の「大江戸魔法  陣」「東京魔法陣」を読んでいて、“神社は呪術的戦略兵器だ”というフレーズ  にいたく感じ入ってしまいました。  神社というのは神を祀る為だけにあるのでは無く、地霊というか土地に流れるエ  ネルギーをコントロールする為の呪術のツールともなっているのだとしたら、生  きている人間が、彼岸の世界に存在する霊を封じ込める為のすべを心得ている訳  で、考えてみれば結構凄い話だなと思いますね。風水術というのも、考えてみれ  ば、自然のエネルギーを人間側の都合の為に調節する術な訳で、これもまた建築  物がツールになっていますねぇ。 ▲▲▲  飛行機も無かった時代に、どーやって正確な幾何学図形を描くように神社を配置  出来たんでしょうね。ある方なんか、幽体が遊離して上空から見おろしてそれぞ  れの位置を決めたのでは無いだろうか?なんていうぶっ飛んだ説を披露していま  したが…(^^;。ま、そこまで行かなくとも、昔でもかなり正確な土地測量が可能  だったと見ています。  ▲▲▲  話が前後しますが、加門七海も前述の著書で、都内での祭神同士に縁がある神社  が三角形等の幾何学図形を為すように配置されている旨を指摘していますが、レ  イライン呪術についてこういみじくも記しています。  ………霊的な土地を霊的な図形で結び、連結し、ブロックを造り壁となす。層と    なった三角は共鳴し、より強い呪力をもって、東京の西に広大な魔法陣を作    りだすのだ。     そう。これらの図形を魔法陣と命名したい。      『大江戸魔法陣』p54  河出書房新社 刊 より  また、#654で桂 桂さんもこう述べていられましたが、  >> 「地図上に引く事が出来る幾何学模様を目にして見ると、古代人は日本全  >> 土を大きな意図を元にして土木工事を行っていたのではないのか」  このように、建築を使って土地の力を駆使する為の魔術或いは呪術を、しかもそ  の呪術を最大限に活かす為の、精密な土地測量の技術を、人間はどうやって知り  得たのでしょうね。何か空恐ろしくなって来ます(^^;。  TAO - FARION MES(11):狼を生きる  ★ 平井和正の著作から 95/11/13 - 01829/01829 VFD01505 みんた RE:辛酸入佳境 (11) 95/11/13 10:01 01813へのコメント 桂 桂さん レスをどうもです。桂 桂さんからレスをいただいたおかげで、「辛酸」を 再読することができました。 そうそう「知ってるつもり」は残念ながらみの がしてしまったんです。 再読してつくづく思ったのは、日本の官僚機構というのは、明治、大正時代から 本質的に全く変わってないんだなぁ、ということでした。 足尾銅山事件で、立ち退きを拒否した人達は、役人の手によって、家をぶちこわされ 掘っ建て小屋暮らしを続けて、なんとかその場で生活をしていくわけですが、その 過酷な生活と鉱毒による、疾病のため、多くの人が死んでいきます。 読んでいて最初は、ここまでひどい事は、今は行われて無いよな。と一瞬考えたんで すがHIV問題の事を思い出して、全然同じだな、と思い直しました。 オウムは警察に捕まり、裁判にかけられ、解散を命じられても、問題の血液製剤を売 った 製薬会社が、相変わらず、営業を続けているこの世の中ってなんなんでしょうね。 会社組織はまだしも、厚生省の最終的な責任者って誰なんでしょう、国ってなんなん でしょう、厚生省が謝らないのは、誰が謝るべきか、きっと当事者にも判断がつかない からなんじゃないかとすら思います。 みんな、自分の責任じゃないと思ってるんですよ。 「しょうがなかったんだ。」 いろんな言い訳がくりかえさえれ、うやむやになっていくなにもかもが。 そして、同じことが繰り返されるんです。 正しく「怒る」力が欲しいと、心の底から考える今日この頃です。 田中正造の生き方は,「狼を生き」たと言ってふさわしいものだと思います。 「黄金の心」の持ち主だと。  「辛酸」のテーマはその,黄金の心の持ち主  の側にいる,凡人の大変さ,とでもいったものなんですが,考えさせられました。            とりとめのないレスですみません     みんた  ] - FARION MES(19):世も末ばなし ★ ぶっ飛び話・罰当たり話 95/11/13 - 710/710 QZY01267 猫の手 純粋さ (19) 95/11/13 06:20  純粋なものは気をつけなさい。  そこには魔力が潜んでる。  純粋であれば純粋であるほど  魔力は強い。  一度その純粋さにはまったら、  抜け出すのは大変だ。  人は弱い、  弱いが故に純粋さを追い求め、  追い求めている内に  それがなければいられなくなるだろう。    すべてを受け入れること、  善と悪の観念を捨て、  清い汚いの観念を捨て、  ただすべてを受け入れること。    何が欲しくて  その純粋さを追い求めていたのか  思い出してごらん。  何が欲しかったのか。    ここはすべてがごちゃ混ぜの世界、  ごちゃ混ぜだからこそ美しい  ごちゃ混ぜだからこそ素晴らしい。    悲しみがあって  歓びがあり、  怒りがあって  笑いがある。    ごちゃ混ぜだから  感動があり、  ごちゃ混ぜだから  味わいがある。    求めていたもののすべてが  今ここにある。  何にもしなくても  今ここにある。    感じてごらん。  ただ感じてごらん。  今ここにあるものを  ただ感じてごらん。    それは、  宇宙をつくったあなたからの  あなたに贈った贈り物。