限りない思いを限りある生命の中で育む…人よ宇宙を胸に抱け - FARION MES( 7):自分を観る  ★ ARIONを鏡にして 95/11/15 - 06519/06522 JCF00616 優位 RE:ARIONより全ての人へ ( 7) 95/11/14 19:19 06503へのコメント  #06503 ARION | もっとも大事なことは、相手の質問の意図を自分勝手に作り上げないことだ。  質問の意図といえば、思い当たることがひとつあった。  それは、僕が相手に対して問題に感じる事を、相手に「なぜそうなの?」という  風に尋ねた時に、その問題に関して相手は明確な返事をせず、別な角度から、「  あなたもそうでしょう?」と訊き返された時だった。  その時、僕はその質問に対して腑に落ちなくて、その質問の意図を相手に問うた。  相手からは、「純粋にただ訊いているだけ」という答えが返って来たが、僕は腑  に落ちなかった。よくよく理由を考えてみると、その時の話題の標的は相手に関  する問題であって、自分に関する問題ではないのにもかかわらず、相手は当初の  質問に答えずに、逆に質問してきたから…というのが腑に落ちない事の理由だと  思う。  正直なところ、「おいおい、今はあなたの事話してるんだよ。あなたの質問に対  する僕の返答がどうであれ、あなたは率直に思うところを言ってくれればいい。  ところが、翻って僕に質問するということは、僕の返答次第で、あなたの返事は  変わってしまうということなのか?」…と思った。  次に、「もしそうであれば、」と思った。それは相手の正直な気持ちでない可能  性が出て来る。相手は嘘をつくかもしれない、と思った。また、逆に、「もしそ  うでなければ、」とも思った。ただ本当に純粋な気持ちで質問してきたのかもし  れない。でも、その場合、相手の意図が全く掴めない。相手の意図が掴めないと、  なんだかフワフワ足が地に付かない感じで、不安定な気分になった。  「あなたもそうでしょう?そう思わない?」といって聞き返された時の意図は良  くわかった。というより、ARIONの言葉を借りれば、「相手の質問の意図を  勝手に作り上げた」ことになる。その作り上げた意図とはこうだ。相手にとって、  僕の返事が、「僕もそう思うことはあるけれど…」という風に答えた場合、相手  に安心感をもたらすから、相手はその安心感を得たいが為に、聞き返したのだ、  と。僕はその時(それ以後も)、それ以外の「意図」は推理できなかった。  よく考えると、僕が推理した相手の意図は、僕が推理した範囲内だけにあるもの  で、それ以外の意図である可能性も無いとは言い切れない。僕の「推理」がたと  え相手への配慮から来るにしても、「それ以外の意図」である可能性があるのだ  から、もしそれ以外の意図であった場合は、相手にとっては配慮でも思いやりで  もなく、迷惑このうえない、勝手な思いこみということになるのではないか。  だからこそ、意図が不明瞭である場合には、たとえその時には面倒に思えても、  相手にその意図を訊いてしまうのが何よりも早道なのだろう。誤解に繋がる可能  性は極力無くしておいた方が、建設的に話題が継続できるのだから。  >ARION  ところで、この「手続き」の大切さについては理解が少し深まったような気がし  ますが、以下の部分について質問があります。 |この小さな手続きを怠らない様にするだけで、不毛な論議の半分は回避できる。  もう半分はなんなのでしょうか?(完全に回避するにはどうすればいいのかな、  それとも半分は回避することを諦めなければいけない場合なのかな、と思った  のでこういう質問をしています。)  僕が考えてみたのは、不毛な論議の回避できない場合についてで、それは、  (1)そもそも相手に会話を継続する礼儀や真摯さが欠けている場合。  なのかな、と思いました(これだと、相手:自分の割合が1対1ですから)。  また、半分、という表現が「殆ど」という用語と同じ意味に使ってらっしゃる  のかもしれませんが…。そこまでは分からないので、教えてください。                          優位(JCF00616) 06520/06522 HGE02116 MAKOTO ぼやき…かな(^^;) ( 7) 95/11/14 20:17  実を言うと、三連ちゃんのARIONのRESには、びっくりしたのである。  私、めのうさんの会話する態度を、すごいなって思ってた。ちゃんと人と話 しができること、見習わなきゃって思ってた。私はすぐに会話を破綻させてし まう。今までら。何度もそんな事を繰り返していたから… めのうさんの事、 羨ましいなって、思ってたんだよ。  維/YUIさんの事も、すごい人だって思ってた。ちゃんと生きてる人、一 生懸命生きてる人、強い人だって思ってた。がんじがらめになって苦しんでる なんて、思ってもみなかったもの… で、何となく比べてしまって、自分の事 を情けないなって思ってたもの…  水鳥の水面下の水掻きの激しい動きが見えないように、表にでてない部分の 事って、本当にわかんないなぁ… なのに、勝手に比べて、勝手に羨んで、勝 手に情けながって… 馬鹿みたいだわ。  私、何見てたんだろう…? 勝手なイメージを、勝手に当てはめて、勝手に 納得してただけじゃないか…(__;)  まいるよなぁ…                         MAKOTO でした☆ - FARION MES( 9):神々の曼陀羅 ★ 歴史と宗教を巡って 95/11/15 - 658/658 JBH00712 桂 桂 三輪の道 ( 9) 95/11/15 01:38  三輪山の話が出ていましたので雑学を少々。  三輪山から冬至日没の方向には大和三山の一つ、畝傍山を通り、忌部山の 方向に向かっているのだそうです。この線を更に延長しましすと、水沢峠、 和歌浦を通って九州の高千穂峰に到ります。さあ、地図を持っている人は線 を引いてみましょう(^^)  そしてこの線上には数々の神武天皇ゆかりの地や神社、そして日浦、日置 などの地名が散見します。  これを記紀神話と重ねてみましょう。  アマテラスからスサノオ、大国主、タケミカズチからスクナヒコと、神話 における政権移譲の変遷が、何となわなしに目に浮かぶようです。  古代の日本人が移動したルートには山の道と海の道と二つ有ります。  山は集落毎にそのまま政治の移動を伝え、そして海は新天地を求めて荒ぶ る波に向かって出て行った古代人の考えがそのまま伝えられているようなロ マンチズムも感じてしまいます。  三輪山には大山祇神も一緒に奉られていたとおぼろげに記憶しています。  この神は元は四国の金毘羅山にいた神で、船を守る神であったかと覚え ています。  どうしてはるばる奈良盆地までやって来たか?  奈良盆地の異伝承では、古代はこの盆地自体が巨大な湖であり、それがあ る日突然火山の噴火で水が放出され盆地が出来たというのがあります。三輪 山の麓からは奈良盆地を一望に出来る公園が有ります。此処から眺める眺望 は、確かにこの盆地が湖であったかもしれないということを想像するには実 に風雅な光景です。  ちなみにそこの近くにある三輪素麺の店はとてもお薦めなところです(^^)  三輪山を登った時なのですが、地面から光る石を見た事があります。  これも名称を忘れたのですが、その結晶は鉱石物で、普通なら谷間に見ら れるものでしてどうしてそれが山の上の方に有るのか、これは三輪山の謎の 一つに数え上げられているものだそうです。  大山祇、カタカナで書けばオオヤマギ、あるいはオオヤマツミですから、 もしかしてこの神は山の石を運ぶ工匠の神だったかもしれませんね(^^; 桂 桂(JBH00712) - FARION MES(12):精神世界裏表 ★ ニューエイジビジネス を斬る 95/11/15 - 00693/00693 MHA01114 シュメ−ル さすらいのネットワーカーさんたちへ (12) 95/11/15 07:57  えー。これまで通信はワープロだったんで、パソコンに切り替えるのにてまどって ました。楽するためには苦労しなきゃいけないみたいですね。  はい、それでは、竹熊さんに、若干きつめのコメント書いてみます。  まず、標題。『クイック・ジャパン』の「おたくとハルマゲドン…なぜおれはオウ ム真理教に入信しなかったのか…」は雑誌のタイトルとして妥当ですね。ただ、出版 予定の本の内容がほぼ今回のものと同じなら、私は、「私とハルマゲドン」よりは一 輝さんの「ぼくたちのハルマゲドン」のほうを採りたい。著者としては幅広い読者層 を期待するのも自然だけれど、やはり、コアリーダーというか、中心読者層に狙いを 定めたタイトルのほうが商品としての完成度は高い。オウムを世代論として読み解く ことがウリだと思う。(なんて素人が言ってしまいますが、いつも金を払って本を買 っている消費プロなんだし…)オタク経験者が手にとって読むのは「ぼくたちの…」 の方だと思う。ついでにお節介させてもらえば、 夢野久作『猟奇歌』の詩がいいで す。オビに 号外の真犯人は 俺だぞ………と 人ごみの中で 怒鳴ってみたい     (夢野久作『猟奇歌』) と  春の世の電柱に 身を寄せて思う 人を殺した人のまごころ     (夢野久作『猟奇歌』) を前、後に配置すれば、手にとる読者層はいっきょに60年、70年安保世代まで広 がるのではないか。  竹熊さんが指摘しているように、麻原さんの特徴は確信犯ということ。死刑論議も 含めて、確信犯がその重大な犯罪行為を罪として認めず、かつその犯罪者の生存が社 会の安全に脅威となる場合、その犯罪者は死刑とすべきかいなか。  オームの問題は様々に論じられてきてますが、世代論として深刻に受け止める必要 はひしひしと感じる。我々は宇宙の旅人である半面、地球定住者でもあるわけで、そ ういうハビタントとしての責任を旅人として果たしていくことが、必要でしょう。そ れぞれがリアリティを感じる領域を保持しつつも、そこからでさえ何時でも旅立てる 身軽さ。誤解のないように付け加えれば、旅はニフティのGOコマンドと同様、肉体 ベースの移動を必要とはしない。寅さんみたいなさすらいのバーガボーンにならずと も、世界観フリーパスで、事足りる。というか、本質はこっちのほうなんで、そのた めに肉体ベースの移動を要する人もいるし、要しないひともいるだけ。  永遠と今を携えさえすれば、旅立ちの支度は十分なんだと思う。                               - FARION MES(13):神秘学遊戯団 ★ 限りなき神秘への航海 95/11/15 - 03919/03920 GGA02514 KAZE 沢村貞子「老いの道づれ」 (13) 95/11/15 15:59 03896へのコメント 諏訪みのるさん、どうも。 そういえば、ぼくとしては、しばらくぶりの書き込みになります。 なんだか、いつにもまして慌ただしい一週間で、 少し過酷な仕事だったせいか、何年ぶりかとも思えるような体調の悪さでしたが、 やっと今日になって、バランスを取り戻すことができたようです。 幸い、風邪はひかなくて済んだようですので助かりました。 しかし、この1週間、ろくにテレビも新聞も見てないので、 世の中でのことがぼんやりとしかつかめていません。 でも、たまには、そういう日々もあっていいのかもしれませんね。 あまりに雑多な情報に右往左往して結局なんにもできないのですから そういう情報から距離をとってみることで見えてくるものもあると思います。 さて、 > カルマの法則それ自体には“益”も“無益”も無く、ただ厳然と“在るだけ” >なんでしょうが、そこに意味を見出す「カルマ論」は、実践なくしては それこ >そ何の意味も持たないものになってしまうということですね。単なる「宿命論」 >で終わってしまうと。 ぼくの見方では、カルマの法則はそのものが“益”です。 というのも、原因と結果の連鎖があることによって、 この宇宙は展開しているのですから、その法則は“益”であると。 もちろん、“益”というよりも、 「有意味」であるといったほうが適切かもしれませんね。 ですから、自分がここに存在し、生き、感じ、考え、なんらかの行動をする、 そうしたことそのものが原因になって、結果を生み出していくということは そのことそのものがまるごと「有意味」で、 だからこそ、「宿命」という発想は、そうしたものを「無意味」にしてしまいます。 >ここまで含めて真の“自業自得”と観ることができるんですね。(^^) はい、“自業自得”というのはなにも否定的なことではなくて、 自分の生み出したものをまるごと受け取ることができるという まさに「立命」そのものであるということができます。 > ここの所が私のような凡人には判断付け難い所なんですが、一見“冷酷”に感 >じるような仕打ちでも、本人の自覚(ひいては、その人の命を生かす事)の為を >思っての行為ってありますよね。相手の表面的な苦しさを見るに見かねて行った >行為が、その本人にとっては原因の解決とはならず、かえって結果的に“余計な >お世話”となってしまう事も この娑婆世界では往々にしてあります。 > やはり大事なのは、表面的な現象だけで判断しないと言うことでしょうか。 そうした判断は、だれにとっても非常に難しいものだと思います。 「私の判断は絶対に正しい」と思ってる人ほど危なかったりして^^;。 ですから、まずは自分が自分なりにとれる最良と思える判断力を身につけることと そのことによる言動を、自分の全責任のもとに行なうということ以外に、 基準は存在しないのかもしれません。 それがどういう果実を実らせるかわかりませんが、 それはそれでいいのだと思うのです。 いかにおそまつな認識と言動であっても、腹を切る覚悟さえあればね^^;。 >私も市内などで時々托鉢僧の方に出会うと「お布施」させていただくのですが、 >させていただいた後で施者に対して深々と頭を下げられるのは勘弁していただき >たいですね^^;。 たぶん、深々と頭を下げる施者は、モグリかもしれません^^;。 少なくともよくわかっていない方である可能性は大きいと思います。 それに、やはり、この現代の社会状況において、 いまだに托鉢している方というのは、どうなんだろうかともぼくは思っています。 そもそも、「私は宗教者である」とかいう特殊な役割に甘んじているのは、 現代においては怠慢の部分も大きいと思うのです。 もちろん、修行はそれなりに苦しいものではあるのでしょうが、 ビジネス社会を生きながら、それに埋もれないほうがずっと苦しいはず。 その修行僧が、ばりばりのビジネスマンとしてやる能力がありながら、 そのうえで、そういう修行をされているのならば、話は別ですけど。 話は変わりますが、相棒から聞いて、12日付の朝日新聞の天声人語を読んで、 さっそく購入して、涙を流しながら読んだ本があります。 ●沢村貞子「老いの道づれ」(岩波書店) ですが、相棒といっしょに、こんな生き方が理想だねと頷きあっていました。 沢村貞子さんといえば、もと女優で、八十七歳になったところ。 ぼくぐらいの歳だとテレビでもけっこう出演されていたのは 度々見たことがあるでしょうね。 でも、こういう方だとはこれまでまったく知りませんでした。 「天声人語」のほうから、それをご紹介してみることにします。   「五十年ぴったり寄り添ったなんて、自分ではうれしがってますけどね、戦後   の五十年は、皆さんどんなに苦労した方が多いか、その中で私たちが一所懸命   やりましたなんて、ちょっと気恥ずかしい」   「でも主人は、そんなことないよ、いつでも二人でいっしょでしゃべってたか   らね、夫婦というものはメシ、フロ、ネルだけじゃなくて、話していたほうが   しあわせだよ、ってことを皆さんに知らせたほうがいいよ、って」   きのうの誕生日は、結婚五十年の金婚式の日でもあった。けれども恭彦さんは   その日を待たず、去年の七月に亡くなった。だから、さっきの話も、沢村さん   が毎朝話しかける。居間に飾られた恭彦さんの写真との語らいなのだ。・・・   その隣に、ちりめんの、沢村さんの好きな風呂敷に包まれて、骨壷がある。墓   はない。妻が死んだら、夫の骨といっしょに相模湾に流してもらうことになっ   ている。<待っててね。ねえ……あなた。>で本は、閉じられる。   いま、沢村さんは読書三昧。最近、エンデの『モモ』を、読み返した。「人間   は、ほんの少しだけ地球の上で生きている。そのほんの少しの時間を何に使う   か、この本は、それを教えてくれるんです」    「カルマ論」とかについていろいろお話していますが、 結局のところ、「せいいっぱいよりよく生きようとする」、 そのことだけで十分なんだと思うのです。 地上での「ほんの少しの時間」、それをせいいっぱい生きる。 あとは、執着を残さない。 仏教でぼくが嫌いなのは、 「生老病死」「愛別離苦」・・・といった四苦八苦を説くこと。 四苦八苦を通してしかわからない喜びがあるということ、 そのことをこそ説くべきではなかったのか、そう思えてきます。 この沢村貞子さんの著書は、生きることそものをいとおしくさせ、 また死に際しても、寂しさを越えた信頼感を感じさせるものです。 ある意味では、難しい仏教の教理を越えているのではないか。 そう深く感じながら、流した涙なのでした。 では(^^)。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ - FARION MES(15):マホロバ誕生 ★ 大和魂復活のために 95/11/15 - 00367/00372 PXY03747 諏訪みのる RE:「サンクチュアリ」語録(1) (15) 95/11/14 17:59 00362へのコメント コメント数:1  アマデウスさん、こんにちは。  この機会に、また本を読み返しています。(もう何度目になるかなぁ^^;) …で、今回は、ポイントとなりそうな箇所をチェックしながら読んでいたのです が、その部分とアマデウスさんが引用される部分とが ほとんど一致しているん ですよね。 おもしろいなぁと思います。(^^) >「平和」は与えられるもの・当たり前のものとして今まで突っ走って来たけど、 >度重なるジャパン・パッシングを見ていると、どうもそうじゃないのかも知れ >ない。なぜ叩かれるのだろう?どうしたらいいのだろう?と、誰でも思います >よね。  はい、自分も、日本人として この「ジャパン・パッシング」をされる度に、 たとえそれが自分自身には直接かかわりが無い事柄であっても、気が重〜くなっ てしまう口です。(^^;)ジッサイモンダイ 一口に「ジャパン・パッシング」と言っても、昨今の日本は色んな方面で文句 を買っていますので、一括りにして言えないとは思うのですが、その多くの根本 には、やはり「お金(経済)」が絡んでいるように思います。 「お金」・・・。その構造や過程まで考慮に入れると、複雑で多岐にわたる問 題になると思われますが、要するに『自分とこばっかり儲けやがって けしから ん!』という腹立ちと妬みが根底にあるのでは?。全てを楽して儲けているよう に見られているのかもしれませんよね。  日本は技術大国として ここまで豊かな(金持ちの)国になってきたのですが、 その「技術」を開発したり改良したり応用したりできるまでの過程に於いて、関 係者は相当な苦心をなされているはずで、決して「楽して」いる訳ではないと思 うのですが、いざ一つの技術が確立すると、あとはある程度放っておいても需要 のあるがままに「お金」を産み続けます。その技術が、他の真似のできないモノ であれば尚更ですよね。  そしてその「技術」は、不良品産出率を限りなく「0」に近づけようとする… いわゆる“完璧”を求めようとする性格とかプライドや、会社や仲間に対する強 固な帰属意識といった独自の国民性で裏付けられているだけに、この分野では日 本は、突出した存在に成っていったんでしょうね。だから、ライバルが少ないだ け市場競争にも強くなるのは当然で、その間にドンドン利益を膨らませて行った んですね。(…の割には「豊かさ」が実感できていませんが^^;) ヘイワボケ?  どんな分野でも同じことが言えるのでしょうが、新しいものを最初に産み出し た者が より多くの益を得ることができる訳で、出遅れた者が先行く者と肩を並 べるのはとっても大変です。そういう意味では日本は、明治の開国時には西洋に 対して“出遅れ組”だった訳ですが、先人の努力(と何らかの陰の力添え^^)の お陰で(その間、敗戦という憂き目を経験しながらも)、今日の繁栄を手に入れ る事ができました。(引き換えに、手放してしまった大切なものも多いですが…)  そして、流通上の構造的な問題もあるのでしょうが、結果として、「追いつか れて利益に大きな目減りを来した国」や「頑張っても追いつけない…つまり思う ような利益を得られない国」などから、『あん畜生…!』と反感を持たれてしま う・・・。  お金(経済)に絡んだパッシングを含めて、様々に投げ付けられるパッシング の多くは、案外、思うように行かない者の上手くやってる者に対する「やっかみ」 という単純な感情論からきているじぁないかと思うのですが…。チガウカシラ? 『出る杭は打たれる』でしょうか? (^^;)  「打たれ強い」とは お世辞にも言いたくないのですが^^;、これだけ打たれ 続けている割には、日本人ってあんまり声を荒げて怒りませんよね。まさか“感 情的になることは大人気ない事だ”って思っている訳ではないですよね^^;。マサカ  何故打たれるのか解っていないか、あるいは自分側に非があるから怒りたくて も怒れないかのどちらかなのでしょうね。打たれる事がいやならば、このあたり の問題をキッチリと解決、あるいは意見の統一をしておかなければ、今後も打た れ続けられる事になるんじぁないかと思います。  いつまでも「見て見ぬふり」は通用しなくなると思われます。『マァ、なんと かなるでしょう』、『誰かがきっと解決してくれるさ』、『腫れ物には触るな』、 『臭いものには蓋をしましょう』。・・・もうこのようなトボけた事言っている 猶予はありませんよね。(^^) | [3巻 P118] | |   北条  極東のちっぽけな国が… | 経済という力で大国にふくれ上がった・・・ | |       いつの日にか必ず |       世界中の敵(ターゲット)にされる日が来る! | | 平和ぼけした今の日本に その抵抗力はない! | | 裏の世界とて同じ事・・・ | | | ・・・今の日本なら 一気に攻め込める!! でわ、では(^^)/     みのる♪デシタ。 - FARION MES(19):世も末ばなし ★ ぶっ飛び話・罰当たり話 95/11/15 - 712/712 QZY01267 猫の手 “愛” (19) 95/11/15 06:51  愛って何?  愛って何?  愛って何?  愛するってどういうこと?    愛してると  恋人達はささやき合って  愛してるから  と子どもに叱る親がいる。  愛って何?  愛って何?  愛って何?  愛ってなんなのさ。  愛してると言って  嫌われる人が居て  愛してると口走る人々を  けちらして歩く人が居る。  愛って何?  愛って本当はどんなもの?    「愛は惹き付けるもの、魅せるもの。  美しいもの、感動を与えるもの。  愛は、勇気を湧き起こすもの。」    じゃあ、  愛するってどういうことなのさ。  「それは相手から愛を感じてるということ。  自分が愛を発していることとは違うでしょう。  あなたの愛に魅せられている  ということに過ぎないでしょう。」    じゃあどうすれば愛を発することができるのさ    「簡単、簡単、  信頼すること、  信頼すること、  ただ単純に  信頼することさ。」    信頼することってどういうことなのさ。    「相手も幸せになりたがっている。  相手も幸せになりたがっている。  相手も幸せになりたがっている。」  「その相手も自分も両方が幸せになる方法があるってこと。  その方法が見つかれば、  相手も、自分さえもそれをしたくなるってことを  そして、相手にも自分にもそれだけの能力があるということを  ただ信頼することで  愛は生まれ、育まれていく。」    信頼、信頼、信頼、  信頼こそ愛の根元。  信頼していればこそ、  相手を赦し、いたわることができるだろう。    信頼していれば、  希望を見続けることができるだろう。  信頼における最後に大切なものは、 「今というときが、  何もかもすべてが幸せを手にする途上にある  ということを信頼するということさ。」     ** QZY01267/ 『猫の手』 <95/11/14 08:53:25> **