気休めの言葉が後で毒になることもある…この日この時を大切に - FARION MES( 3):Media Talk ◆ 本/映画/音楽を語る 95/11/16 - 00990/00990 JCF02051 めのう 夜毎の音楽>『EXTREME BEAUTY』 ( 3) 95/11/15 23:00  私は自分から積極的に音楽を聴く方ではないので、家にあるCDのほとんど  が夫の持ち物だ。    夫は寝る前に必ず何かCDをかける。  私は「うるさくないやつ」とだけ注文する。  聴いているうちに気が滅入って眠れなくなるものや(でも夫は傍らで爆睡し  ている)、眠いのを我慢しても最後の1曲まで聴きたいものもある(やはり  夫は爆睡している)。    そうやって夜毎聴いているもののうち、最近一番のお気に入りは吉田美奈子  の『EXTREME BEAUTY』。  声がいい。歌がいい。詞がいい。曲がいい。  私はあまり音楽の人を誉めたりはしないのだが、この人は別だ。  いつもの「しなやかでたくましい大人の女」のイメージに、本作ではさらに  「都市に棲む精霊」が加わった(と、私は思う)。    聴きながら「なーんか、みれさん+ARIONのイメージと重なるなぁ〜」  なんてことを思っていたら(6曲目の「ANGELDUST」なんて特に)、  夫も同じことを言ったのでびっくりした。    来月、はじめて彼女のコンサートに行く。  幸運にも2列目が取れちゃって、もう期待しまくり。                その前に来週は教授だ ◆◆ めのう ◆◆ - FARION MES( 7):自分を観る  ★ ARIONを鏡にして 95/11/16 - 06523/06532 HGE02116 MAKOTO 触発されて…(^。^) ( 7) 95/11/15 22:53 06519へのコメント コメント数:1 > もっとも大事なことは、相手の質問の意図を自分勝手に作り上げないことだ<  発言そのものへのRESじゃないんだが、優位さんの発言に触発されて、昔の事 を色々考えてた。私はこのフォーラムで、何度か泥仕合を演じてきたわけだけど、 ちょっとその時の事を書いてみたくなった。しばしお付き合いのほどを>ALL  私はここで「あなたの質問の意図は何か?」というRESをよく受けた。そして これが、泥仕合の発端になった事が多かったように思う。  聞かれた時はその都度、私なりに説明しようと試みた。それでも、私が自分で答 えと思っているものは、大抵は相手に受け入れらなかった。そして、何度も同じよ うな質問が繰り返される。泥仕合に発展するのに、さほど時間はかからなかった。  なぜ答えが答えにならないのかで随分悩んだよ。なんとか答えようとはするもの の、それは相手に伝わらず、質問だけが延々返ってくる。苛立ちだけがつのってい く。しまいには、こっちがちゃんと答えてるのに、質問しか返ってこないのは、最 初っから聞く気なんてないんだ。ただ、いちゃもんつけたいだけなんだって、むか むかするほど腹立が立った。響くものが何もないのは、あまりに虚しい作業だから、 そうとでも思わないと、やりきれなかった。  相手の意図を知りたいと思うのは、別におかしな事じゃないし、確認作業は大切 な事だと思う。それでも、まず質問に答えてみてから、改めて意図を聞いてくれて いたならばと思うよ。そしたら、もっと違う展開になったような気がする。私にも 質問に質問で返した経験は何度もあるのだけど、これってやっぱり、話しをもつれ させる元凶になりやすいと思う。  私は今まで、まず相手の質問には、答えるようにしてきた。理不尽だと感じられ るものであってもね。(感情的な調子になる事も多かったけどね…(^^;)) だから 余計に疑問に思う。相手の意図がわからないと、絶対に質問には答えられないもの なのだろうか…?  また、相手の答えを受け入れずに、何度も同じような質問を繰り返す事について だけど、これは質問した時には既に、相手はこう答える筈だという予測と言うか思 い込みが、自分の中にあるからだと思う。自分の望む答えが得られないからこそ、 何度も質問を繰り返すんじゃないのか? けして、相手そのものは見ていない。た だ、相手の中に自分の見たいものを捜し求めているだけ。個人的に、これも虚しい 作業だと思うよ。  今まで書いてきた事は、私を基準にして書いたかなり一方的な言い分。相手には 相手の考え方があり、言い分があると思う。ここには今、心当たりのある方が何人 かいるよね? あなたの言い分とか、貴方の中にあった心の動きとかを、ちょっと 書いてみる気ない?  そうだね、聞かれる前に質問の意図を書いておくことにしようか(^。^)  一度聞 いてみたいと思っていたんだよ。そして、どんな気持ちで続けていたのかを、今で も知りたいと思ってるの。理屈じゃなく、感情も含めた正直な所を聞いてみたいん だよね。  でも、私には無理じいする気はない。MAKOTOの相手など二度と御免だって思われ てても仕方がないと思ってるからね。私としては、それだけの泥仕合だったと思っ てる。だから私に対して、嫌いだとか、気に入らないとか、そんな感情を抱いてる 人がいても不思議じゃないし、それはそれで構わないの。RESの方はまぁ、書き たい人がいればということです(*^_^*)                           MAKOTO でした☆ 06530/06532 NBB01420 SUKE RE:触発されて…(^。^) ( 7) 95/11/16 03:33 06523へのコメント #6523 MAKOTOさん、こんばんは。 私もその泥仕合?に関わった者の一人だと思います。で、その時の話のシチュ エーションの詳細は忘れているので、今回の話と言うことで書きますが。 MAKOTOさんが何かを質問するときの意図というのは、私との話の最後では大体 お互いに了解しあったところがあったと思います。それはMAKOTOさんは単純に 「知りたい」から質問しているのだと。 で、今の私がこれに対して思うことは、「で、答えを知ったらどうするの?」 と言うことです。 MAKOTOさんが「知りたい」と思って質問するのは構わないし、それについて答 えるのも構わないんですが、知って気が済んで終わりでは全然意味がないと考 えているんです。その事にMAKOTOさんに気付いて欲しいからこそ、答える事で 安易に終わらせたくないと言う気持ちが働いたのではなかったかと。(実際ど ういうシチュエーションだったか忘れているので、今読んでこう思うと言うこ とです) MAKOTOさんの感覚では確か「腑に落ちない」と言うのは「気にかかる」と言う ことでしたね。しかし以前ここでもちょっと書いた事ですが、「腑に落ちない」 と言う引っかかり方と言うのは良心に基づいての話なんです。単純に自分の感 覚や常識と整合しない事を言っているのでは無いわけです。 MAKOTOさんの場合はどちらかというと、MAKOTOさん自身の感覚に整合しないも のに引っかかりを覚え、その事を確認する為に質問し、自分と違うと言う事実 を知ってまた引っ込んでしまう。その結果MAKOTOさん自身がどうするのか、少 なくともどう考えたのかと言うことさえ見えてこない、そんな感じがありまし た。 だからこそこの質問をして本当に自分を観る足しにしようという意志があるの かどうか、単純に拘りたいだけではないのか、と言う疑いを抱いていたんだと 思います。 実際には多分、MAKOTOさんも色々考えている筈なんですよね。しかし自分で書 かれているとおり、そうした諸々を表に出さないで来た。しかしそれで逆に課 題が浮上せずに埋もれてしまうこともあったかも知れません。その意味では、 今回のこの流れはちょっと変わってきたのかなと思います。 他人のイメージを勝手に作り上げていると言う話は私も他人事ではありません で、MAKOTOさんの今回の話もMAKOTOさんの言われる通りの一面があるかもしれ ないです。これもそろそろ蹴りを付ける問題ですね。                         (^^)…☆ッテナモンダ Suke. 06524/06532 JCF02051 めのう RE:ぼやき…かな(^^;) ( 7) 95/11/15 23:00 06520へのコメント  #6520 MAKOTOさん  会議室ではお久しぶりです(^^)    私もビックリしましたよ〜>ARION3連発    私の場合、家庭での会話が破綻しまくりなので(^^;、せめて会議室上ではちゃ  んと話せるようにしたいと思っています。  パソ通なら「書く→推敲→アップ」と手順を踏む間に冷静になれますしね。  もちろん会話の相手となってくださる方の多大なるご理解とご尽力のおかげ  でもあります(^^)    勝手なイメージを作り上げて独り合点してしまうのは私も同じですよ。  (私なんか自分にも、自分以外の人にもそういうことをしてる....)  誤解したり嫉妬したり思い込んだり。  顔の見える付き合いでもそうなのだから、文字だけのやりとりとなると余計  です。  これに気づいたからには、今後はそうならないように気をつけるしかないよ  なぁと思っています。(気をつけるところだらけだなー>私(^"^;)                            ◆◆ めのう ◆◆ 06525/06532 NCP14402 みしぇる 運命はあるの? ( 7) 95/11/15 23:44 コメント数:1  初めまして。みしぇると申します。  このフォーラムには何か引っ掛かるモノを感じて、大分前に入会していたにも かかわらず、今まで2、3回覗いただけ(今回初UP)で恐縮なのですが、どな たか、わたしの素朴な疑問に応えて頂けないでしょうか。  タイトルで、どういう内容なのか判ってしまいますが、誤解を避ける為、もう 少し突っ込んで書きます。  この世は、ちゃんと一定の法則に則って動いているのでしょうか。もしそうな ら、この世の始まり(或いはそれ以前)から、全ては決まっていることになり、 寸分も変えられない運命が存在することになる筈です。即ち、俗に云うアカシッ クレコードは存在するのか、はたまたこの世はカオスが支配する全く予測不可能 な世界なのか、ということが知りたいのです。  不確定性原理というモノがありますが、不勉強のせいか、今ひとつ信じられま せん。どなたか、不確定性原理はこーゆーものだから、間違いじゃないよー、な どと解説していただけると、とても嬉しいのですが。  こういうことは、結論が出なくても、議論するだけで意義があると思うので、 たくさんの人の意見を期待しています。                              By.みしぇる 06531/06532 NBB01420 SUKE RE:運命はあるの? ( 7) 95/11/16 03:34 06525へのコメント #6525 みしぇるさん、はじめまして。 SUKEと申します、よろしく。 私の書く事が正解であるとは限りませんから、その辺はご了解の上で読んで欲 しいのですが… 運命について気になさっている様子ですね。私もずっと若い頃は気になってい て、このよの破滅だなどと言われると不安になったものです。 しかし今では「運命は作るものだ」と考えています。 例えば避けようのない未来と言うものあります。交通事故などは、その一瞬前 の段階では衝突を避けられない力学関係になっているわけですから、恐らく変 え様のない未来ですね。しかしそのような力学関係に持ち込む間での段階では まだ自由度があります。たった1秒の差で回避できるものかもしれません。 つまり、決まっているように見える未来でも、そこに至るまでの瞬間瞬間で徐 々に作り上げられて行くものだと考えたのです。 人間誰も、時間は川のように流れて行く一本線の様に考えてしまうと思います が、ちょうと何本もの色糸を編んで帯を作って行くようなものだと思ってみれ ば分かりやすいかと思います。編んでいるのが現在で、これからどのような模 様を編むかは現在が選択して行くわけです。そうして網上がった帯が歴史となっ ていると。 (実は過去も変化すると言う考え方もあるようですが) 私達は予知能力みたいなものは普通ありませんから、むしろ未来をどうしたい かと言う思いを持って日々過ごしているわけですね。その思いこそが未来を選 択して行く力なのだと思います。 (かのタカツカヒカル氏は予知能力をそういう未来選択力のような力だと説明 していました)                  === ところで、みしぇるさんは毎日、運命は変え様のない定まったものと考えて生 きているのでしょうか。 私から見るとどのような生き方になるのかなぁと思います。実際にそんな話を して頂ければ話しやすいかと思います。              今後ともよろしく(^^)…☆ッテナモンダ Suke. 06526/06532 KFQ02761 しまうま RE^3:自律 ( 7) 95/11/16 00:42 06521へのコメント コメント数:1 #06521 めのうさん  こんにちは(^^)。  「ウソ」について正直に教えてくれて、どうもありがとう。  今までの話にウソがあったということは、ここから先の話は再スタートとい うことになりそうですね。もしかすると、以前と同じことを再度訊ねたりする かもしれませんが、どうぞ悪しからずおつきあいくださいませm(__)m。  さて、ビシバシ突っ込む前に、確認しておきたい点が2つあります。1つは 「以前の会話の中でつかれたウソは、意識してついたものですか? それとも 無意識のうちについてしまっていたものですか?」という点。もう1つは「今 後も同じパターンのウソをつく可能性がありますか?」という点です。  どうぞよろしくお願いしますm(__)m。   しまうま(KFQ02761) 06529/06532 JCF02051 めのう RE^4:自律 ( 7) 95/11/16 03:20 06526へのコメント  #6526 しまうまさん  またしても言葉の使い方を誤ったと後悔しています。 私は今までの書き込み、会議室のみならずメールやRTなど、パソ通で書き 表したことの全てにおいて意識して嘘をついたことはありません。 また、他者に対して無意識のうちに嘘をついたことも多分ないと思います。 (未確認情報を曖昧なまま人に伝えて、結果的にその内容が間違っていたこ  とはあります) #6521での「ウソを申しておりました」のくだりは「その時は正しいと信じて 言ったことが実は誤りだったとその後の検証や気づきによって判明した」と いう意味合いで書いたものでした。全く言葉足らずで申し訳ありません。 今の時点で誤りだったと言えるのは、しまうまさんとのやりとりにおいては 「感情/自己の抑圧」ただ一点のみです。 私は自分では抑圧していないと思っていたのですが、#6521にも書きましたと おり、実際には自分の内部で「表に出してもいい」と判断したものだけを選 んで表現していました。 これは#6513に書いた「不満のピックアップ作業」において気づきました。 抑圧していないつもりだったが実はしていたことがわかった、それを「ウソ」 と表現してしまった私のミスです。本当にごめんなさい。  ここまでをご理解いただいたうえでなお「嘘」という語を使うならば、それ  はしまうまさんに対する嘘ではなく、私自身に対する嘘であったと思います。 2番目のご質問についてですが、今後も他者に対して嘘をつくつもりは毛頭 ございません。 自分自身に対する嘘はこれから逐一検証してゆくつもりです。 自分に対して新しい嘘をつくことは極力避けたいと思っています。 正しいと思ったことが誤りだったと後で知ることは、今後もたくさんあるだ ろうと思います。  こんな答えでご理解いただけましたでしょうか。                           ◆◆ めのう ◆◆ 06527/06532 NBB01420 SUKE RE^4:自律 ( 7) 95/11/16 00:45 06517へのコメント #6517 しまうまさん、こんばんは。 ハローメッセージにあった虚脱感、私が書いたのは多分虚無感と言うより虚脱 感だったようです。 状態が移行する時に何故虚脱感を抱きやすいのかはまだ分かりませんが、この 言葉自体は覚えておきたいと思いました。きっとこれから先、何かで虚脱感を 感じたときにふっと振り返ってみれば、実は自分の環境なりが変化している時 だったりするのかも知れません。                         (^^)…☆ッテナモンダ Suke. 06528/06532 NBB01420 SUKE RE^4:自律 ( 7) 95/11/16 00:46 06522へのコメント #6522 めのうさん、こんばんは。 わけわかめは私の読解力集中力の問題も含まれていますので(^^;)一方的に めのうさんが引け目を感じられてしまうことは無いと思っています(^^;) 虚無感と虚脱感は、どうも違うものみたいですね。私が割りコメしたのはむし ろ虚脱感の方に近いです。 ミヒャエル・エンデ作「果てしない物語」の中で語られる「虚無」と言う得体 の知れない魔物は、夢を無くした大人達の心の渇き具合を示したような気がし ます。 そういえば前編では「虚無」、後編では「空っぽ」が魔物の名前でしたが、ど ちらも似たような意味かと思いました。 めのうさんが感じている虚無感と言うのは、これからも話をして行く都度にだ んだん分かってくるかも知れませんね。                         (^^)…☆ッテナモンダ Suke. 06532/06532 SDI00635 みれ ARIONからの伝言 ( 7) 95/11/16 09:53  こんにちわ、今日はARIONからの伝言を引っ提げて登場致しました(笑)  以下にARIONからの伝言を掲載しますので宜しくお願いします m(__)m -----------------------------------------------------------------------------  「    ハザードを解き、此処に参加してくれてありがとう。    私達ARION12は、現在フェニックスである欧米と龍であるアジアの    亀裂に働いているので、少しの間会議室への書き込みが出来ない。    今、しばらくの間、私達からの返答を待っていて貰いたい。                 ***    流れの中央に淀んでいたものは、現在取り除かれようとしている。    あなたがたの生命の中に巣食う反剋から生じる虚無は、    形を変え色を変えて、あなたがたに喜びを与えるかのように振る舞うが、    これを見逃さず、見据える人が増えてきている。 喜ばしいことだ。    虚無を撲滅しようと思ってはいけない。    これを、見据え勝手に動き回らせないようにするだけでいい。    反剋もまた、生命活動の一つではあるが、これから生じる虚無は生命活動    では無い。    虚無に浸るな。    これは冷徹な魅力を持つが、実態は冷徹ではなくドロドロした溶解物だ。    虚無を見据えることから、あなたがたは多くを学ぶ。    これを撤去しようと思うな。    在るがままにせよ。    しかし、これに囚われるな、浸るな、愛玩するな。    あなたがた、自らのものさしを大事にする余り、    他者からの働きかけも届かず、    他者の言葉も虚しく響く。    あなたがたと同様に自らのものさしを大事に思う人が集まっても、    そこに会話が成立しよう筈もない。    お互いのものさしを振り回すだけのことだ。    振り回したものさしが当たったから傷ついただの、    そちらが振り回したからだのと言い合っても、    本質の話からは遠ざかるばかりだ。    相手が自分の話を分かってくれないと言い募る者よ、    先ずは自分が相手の話を理解しているかを自分に問いなさい。                      −−−ARION,O∴O−−− 」 - FARION MES( 9):神々の曼陀羅 ★ 歴史と宗教を巡って 95/11/16 - 660/660 MHD02672 TAO 三輪山への道 ( 9) 95/11/16 00:54 658へのコメント  #658 桂 桂さん  どうも。三輪山とは、色々とこちらの想像をかき立てるような不思議さを漂わせて  いますね。かの額田王が、天智天皇の近江遷都に際して詠んだ歌も、三輪山への切  ない愛着を醸し出していて、非常に印象深いですし。    ウマザケ ミ ワ                  マ   カク      クマ    味酒 三輪の山 あをによし 奈良の山の 山の際に い隠るまで 道の隈                                 サ    い積るまでに つばらにも 見つつ行かむを しばしばも 見放けむ山を    ココロ    情なく 雲の 隠さふべしや    【反歌】            カク        ココロ     カク    三輪山を しかも隠すか 雲だにも 情あらなも 隠さふべしや  額田王は、三輪山の蛇神を祀る“蛇巫”だったというのが、民俗学者・吉野裕子氏  の説ですが、額田王が、物部氏族の祖神とされる饒速日尊が葬られている(故・原  田常治説)三輪山の神を祀る巫女であったとすれば、物部氏族と額田王の関係も抜  き差しならぬものが感じられます。おまけに、谷聲氏によれば額田王は出雲系の神  事に精通していたということですから、額田王は出雲系の高級巫女であり、三輪山  の神の嫁の役割をも果たしていたと言えそうですね。ここら辺の考察は、『“悲”  の巫女 額田王の謎』(梅澤恵美子著/学研刊)に詳しく述べられています。  ▲▲▲  最初からちょっと脱線しましたが(^^;、三輪山が関わるレイラインには色々な説が  ありますね。『増補 大和の原像』(大和書房刊)では、小川光三氏は北緯34度  32分の東西ライン上に伊勢神宮から淡路島まで、神社や遺跡がほぼ等間隔で並ん  でいることを指摘していますが、この「太陽の道」と呼ばれるレイラインに三輪山  も乗っていましたね。  ▲▲▲  大山祇神(オオヤマツミノカミ) とは、『古事記』では伊奘諾尊・伊奘冉尊二神の国生みの時  に生まれた神(天照大神の兄神にあたる)、『日本書紀』の一書では伊奘諾尊が軻  遇突智(カグツチ) を三段に切った時の、二段目に生じた神とされていて、この伝承の  差異にはどういう意味があるのか不明ですが、一般に山を司る神とされていて、全  国にこの神を祀る神社が広く分布しているようです。思い出しましたが、富士山の  女神、木花開耶姫もこの大山祇神の娘神でありましたね。  「この神は元は四国の金毘羅山にいた神で、船を守る神であった」ですが、愛媛県  越智郡大三島町にある大山祇神社は、瀬戸内水軍が信仰し奉じていた古社ですから、  航海と関係が深い神だとしても不思議は無いですね。となると、大山祇神とは、海  の民が祀る山の神という訳です。そういえば、大阪の住吉神社の祭神も、航海と縁  が深い神様だったような…。  大山祇神社の由来については、神武天皇東征前、南九州から瀬戸内海に東進して来  た小千命(オチノミコト)によって祭神が祀られたとされており、境内に小千命が植えたと  される、樹齢三千年(!)を数える神木が立っているそうです。  この神については考究する余地がまだまだありそうですね。  TAO - FARION MES(10):夢鏡/幻紀行 ★ 夢解釈/カスタネダ研 95/11/16 - 01007/01007 KFQ02761 しまうま RE:こんな言葉も (10) 95/11/16 00:42 01005へのコメント #01005 桂 桂さん  こんにちは(^^)。  「信ぜず、報酬を期待せずに行動する。面白半分に行動する」  これいいっ!と思いました。座右の銘にすべえ。   しまうま(KFQ02761) - FARION MES(13):神秘学遊戯団 ★ 限りなき神秘への航海 95/11/16 - 03921/03922 GGA02514 KAZE 自殺 (13) 95/11/16 00:23 03898へのコメント ジョリーさん、どうも。 >「自殺」は、個々の事情も様々なのでしょうが、どのような状況にあろう >が、生きることの放棄には違いないと思います。神秘学的な観点でいえば、 >死んでも、エーテル体、アストラル体は残っているはずですから、そうい >う人たちは、きっと、死んだ後に事の重要性に気づくのかもしれませんね。 シュタイナーの訳書をたくさんだしている西川隆範氏は その著書「死後の宇宙生へ」(廣済堂出版)のなかで、 「自殺」について、神秘学観点から次のように説明しています。   病死の場合、死の日までに、身体に結びついた感情が徐々に消えていっている。   病気で徐々に身体が衰えるにしたがって、身体に結びついた感情も消えていく   のである。   「自殺の場合も、自分の意志で命を断つのだから、意識が身体から離れる覚悟   はできていたのではなか」と、いわれるかもしれない。   ところが、そうではないのだ。「世をはかなむ」というけれど、もっとちがっ   た状況だったら生きていたかったのだ。だから、自殺の場合は身体に関する感   情が心魂に残っているのである。そのうえ、自殺にいたる原因になった、成就   されなかった切望が自殺者に激しい苦悩をもたらす。   自然死の場合、心魂は身体から離れる準備が徐々にできている。事故死の場合   は、身体が抜け落ちたという感情を強く受けるのだけれども、心魂が身体から   離れるのは、自殺の場合ほどの苦痛をもたらしはしない。事故死の場合−−ど   こかでそれを予知するところがあるのだろう−−病死とおなじく、身体から意   識が離れる準備がすでになされているのだという。自殺の場合は、そのような   準備がなされないで命が断たれるので、大きな穴が空いたような喪失感に打ち   のめされることになるという。(P162-163)    自殺をしようと思って生まれてくる魂というのはないだろうし^^;、 この世に生を受けるということは、それを全うすることを前提にしているはずで、 その前提を台無しにしてしまうような「自殺」というのは、 一種の契約不履行とでもいえるのかもしれません。 ですから、身体も、心魂も、それについて準備ができていないわけで、 それに対する責任は重大なものとなるといっていいのではないでしょうか。 上記の引用にもあるように、自殺というのは生への欲望が少ないのではなく、 むしろそれが限りない執着になっているともいえます。 ですから、そこで、一種のダブルバインド状態が現出してくることになります。 もっと生きたいのに、それが自分の願望とは違った形なので、 それを拗ねて(世を拗ねて)それを放棄してしまったから、 その願望で自分を縛ってしまうということです。 そうそう、先日、フランスの現代哲学を代表するドゥルーズが自殺しましたが、 氏は、「変化し続ける生の躍動を肯定」していた哲学者でした。 しかし、その「肯定」が、呪縛でしかなかったことを、 その自殺という顛末で、みずからの哲学的営為の詭弁を露呈したことになります。 ぼくもドゥルーズにはかつて結構傾倒したこともありますけど、 そうしたいわゆるポスト・モダンの詭弁に気づいてから、 ここ10年ほどはそれほど重視したいとは思っていません。 神秘学を学ぶということは、基本的に知行合一であることを求められまから、 ポスト・モダンを語る者の詭弁的ディスクールが見えてきたからなのです。 しかし、そうしたなかでは、デリダはいちばんまともかなと思っています。 >結局、責任から逃げてばかりいる人には、「中道」を通ることはできないの >ではないでしょうか?そして、本当の意味での「自由」を獲得することも、 >できないのでは?  自由と責任というのは、よく語られているように、 ペアで論じるのがよさそうです。 いや、むしろ、自由と責任というのは、 同じ事の両面だといったほうがいいかもしれません。 自殺というのも、「生」という自らが選択したことの責任を 放棄したことであって、そのことで同時に、 自由を放棄したことになるということなのですから、 それなりの「ツケ」を払わなければならなくなるというわけです。 でも、その「ツケ」とは結局、別の形での責任の履行でもありますから、 人間をやめないかぎり、自由を獲得するための責任は逃れられません。 実際問題としていえば、責任を自覚的なかたちでとるというのは、 これは非常にむずかしいことで、悩みの種なのですが^^;、 それを内的にとらえられるか、外的強制として迎えるかの違いで、 自由の質もまったく違ってくると思いますので、気をつけたいですね。 もちろん、ぼくもそういう自覚的に責任をとるということは とてもむずかしいのですが、そこらへんの視点をもっと知行合一的に とらえられるようになることで、自由の質を向上させなければと思っています。 ま、ライフワークですね、これは^^;。 >近代社会は、エネルギーを大量消費して、後の世代への財産を食いつぶ >しているわけですが、今の子供たちの将来の事を思うと、気の毒ですよ >〜(^^;)。 もちろん僕らの世代にも、先人の残した借金がこれから降り >かかってくるわけですが・・・。 そうした視点については、それを後代だとか先人としてとらえるのではなく、 自分で自分に蒔いた種、これから蒔こうとしている種としてとらえることが やはり必要ではないかとぼくは思っています。 どうも、「子供たちの未来のために」というのには、 半分詭弁があるようで、どうも好きになれません^^;。 「未来のわたしのためにも、良き種を蒔きたいと思う」という決意が 自利即自他的なあり方として必要なのではないかと。 >また、この現代に、イエス・キリストは、どのような形で再臨するのか? キリストの再臨というのを、救世主の誕生というふうにとらえるのは、 非常に危険な信仰になってしまうのに気をつけなければならないでしょうね。 キリストの再臨とは、キリスト衝動のことであり、大乗的なあり方のことで、 それは人類すべての内において再臨されねばならないことでもあります。 日本神話の譬喩でいうと、天照大神の天磐戸開きといえるでしょうか。 また、シュタイナー的にいうと聖杯の秘儀ともいえます。 それから、シュタイナーの講義によれば、キリストはすでに再臨しています。 しかし、それは物質界におけるものではなく、エーテル界でのものです。 それをどう受けとめるかは人類の問題なわけで、 その存在が人類を救うという発想ではなく、 人類が自らを救うという発想になることが求められているといえるでしょうか。 このエーテル界へのキリストの出現に関しては、邦訳がありませんので、 それについての「エーテル界へのキリストの出現」という一連の講義録を いずれご紹介できればと思っています。 では(^^)。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 03922/03922 GGA02514 KAZE 風の本棚●ルドルフ・シュタイナーの大予言 (13) 95/11/16 13:29 MES3で「風の本棚」という書籍紹介を先日からはじめましたが、 やはり、この会議室にふさわしいテーマについてだけは、 この会議室で、同じ「風の本棚」ということで、ご紹介していきたいと思います。 ■渋沢賛+松浦賢「ルドルフ・シュタイナーの『大予言』」(イザラ書房) なんだかものものしい「ノストラダムスの大予言」を思わせるタイトルですが^^;、 なんだか、イザラ書房の渋沢賛という方は、どうもこういう表現が好きらしい。 おそらく、「売り」を意識してのタイトルだと思うのですが、嫌ですね^^;。 シュタイナーの営為を「予言」とかいう形でとらえるのはどうかと思いますが、 未来を的確に見通していたとはいえるように思いますので、 テーマ別にシュタイナーの発言を紹介してもらっているという意味では、 それなりに読む価値があるとは思います。 ただし、シュタイナーの発言を細切れにして、 「予言」的な部分だけをピックアップするやり方は、 どちらかというと、避けたい方法ではあります。 一応、そのことだけは前置きしておいた上で、その内容を。 この本は、第一部と第二部に別れていまして、 第一部が「宗教・カルト」「教育」「政治・経済・社会」「医療・科学技術」、 第二部が、「アーリマン」の働きについて、 シュタイナーの発言の紹介とその説明がなされています。 内容としては、共産主義の崩壊やチベット密教の堕落などなど、 非常に的確なシュタイナーの未来に関する発言が紹介されているのですが、 そこで重要なのは、それはただただ「未来はこうなる」と言っているのではなく、 「なぜそういう方向性に向かうのか」ということが述べられているということです。 「予言」というと、なんとなく「わたしは未来を知っている」的な イメージがありますが、シュタイナーは、神秘学的な見地にたちながら、 「こういう原因はこういう結果を引き起こす」ということを講義していたわけです。 たとえば、現代の知育教育の弊害がもたらすものについて、 シュタイナーはこういう講義を残していますが、 これは正しく認識し、正しく判断すれば、 ある程度だれにでもちゃんと理解できることです。   現代の人間は確かに精神生活を営んではいますが、それは精神的な世界と関わり   あうことのない純粋に知的なものです−−中略−−この知的な生活とは、どのよ   うな種類のものでしょうか。この知的な生活は、人間の現実的な関心と結びつく   ことはほとんどありません。私はここで皆さんに、「内なる感激から学問に仕え   るためにではなく、単に外面的な職業を得るという目的のために、さまざまなレ   ヴェルの教育機関を出たり入ったりしている人間が、今日どれだけたくさんいる   でしょうか」と、問いかけてみたいと思います。このような人々の間では、自分   たちが学んでいる学問と魂の直接の関心が結びついていません。このような傾向   は小学校の時期にまでさかのぼることができるのです。人生のさまざまな段階に   おいて実に多くのことが学ばれるわけですが、ここには本当の感激や関心が存在   しません。知的生活が、それに没頭する多くの人にとって極めて外面的なものに   なるのです。現代ではきわめて多くの人々があらゆる精神的なものを生涯するこ   とを余儀なくされますが、その成果は図書館に保管されるだけで、精神的な生活   として生き生きとしたものになることはないのです。知性主義的な精神生活の中   では、人間的な魂の暖かさが燃え立つこともなければ、人間的な感激が存在する   こともありません。そしてこのような生活の中から発達してくるものすべてが、   アーリマンの登場をそれ自身の意味において促すのです。(P149-150) 最初に述べさせてただいたように、これを「予言」として読むのではなく、 現在の我々の認識をサポートするためのガイドとして読むときに、 この本は、けっこう参考になるように思います。    ☆☆☆KAZE☆☆☆       - FARION MES(14):預言解読村  ★ 預言・予言は何を語るか 95/11/16 - 03354/03356 PAG03134 はな RE^4:この時期に見直しておくべき言葉 (14) 95/11/15 23:29 03347へのコメント ホロン さん  丁寧なレスありがとうございました。  ホロンさんが言われる「波動」とは、いろいろな意味が含まれていると察 します。  この「波」と、ホロンさんがご指摘される「新しい価値観」は、確かにわ たしも強く感じています。  波の部分でいえば、村山節氏が著書「歴史の法則と武装中立」において、 「文明の二重らせん構造」を提唱されたことを想起します。この会議室を読 まれておられる方々で、ご存じ無い方のために少し内容を説明しますと、 「西欧文明と東洋文明は800年の周期をもって盛衰を繰り返してきている」 というものです。  紀元前400年頃にはギリシャ・ローマ文明が全盛を極め、西暦400年 頃からはアジア文明が栄え始めました。その後東洋文明が衰退すると共に、 ルネッサンスや産業革命に代表されるように、再びヨーロッパ文明が興隆し 始めたと歴史は証言しています。  そして、西暦2000年には再び東洋文明が興隆するのではないだろうか ということが、西欧文明と東洋文明が800年周期で盛衰を繰り返している ことから導き出されるという説です。氏によると、我々は、今まさに「文明 の交代期」にいることになるそうです。  説明が長くなってしまいましたが、これからはアジア中心の世界になると わたしも予感しています。ただし、アジアが再び息を吹き返す龍になるため に、日本の果たす役割が非常に大きいとも、意識しています。  この、アジアと西欧については、ARIONも非常に関心があるところで あり、これまでにも過去の発言の中でいくつか言及している部分があります。 ARIONがどのような発言をし、どのようなことを教示してくれるのか、 ホロンさんは興味をもたれているようですし、もし時間が許せば、膨大です が過去のログをあたってみられるのもよろしいでしょう。  わたしも気づいたことがあれば、ARIONのメッセージを思い出すと共 にこの場で話を深めて行ければと考えています。  それでは、今後ともよろしくお願いいたします。                       はな - FARION MES(19):世も末ばなし ★ ぶっ飛び話・罰当たり話 95/11/16 - 713/713 QZY01267 猫の手 Untitled (19) 95/11/16 06:32  信頼しろって言ったって、  信頼しろって言ったって  そんなの無理だ。  そんなの無理だよ。  できないよ。    何を根拠にそんなこと言うんだよ。  こちらが心を開いていたって、  相手も心を開いてくれるとは限らないし。  逆につけ込まれて  ぼろぼろにされるのが関の山。    この世の中には  自分のことしか考えてない人が沢山居るというのに  私だけ善人ぶってそんなことできないよ。    みんな勝手に  自分だけは豊かになることを考えているというのに  私だけそんな善人ぶったことできないよ。      休んで良いんだよ。  休んで良いんだよ。  そんなにせかなくたって大丈夫。  ゆっくりやれば良いんだよ。  自分のペースでやれば良いんだよ。    誰も振り向かなくたって  それは起こる。  誰も見向きもしなくても  それは起こる。  自分のペースでやっていて  それは起こる。  犠牲なんか必要ないさ  罪悪感なんか必要ないさ。    どこかの誰かに  犠牲させる必要も  罪悪感を抱かせる必要もないんだよ。    寝ていたって  それは起こる。  好きなことやっていて  それは起こる。    ただただ、  自分は自分で居ればいい。    無視している人だって  嫌悪している人だって  しぜんなことが愛だったって  気づくときがくる。    自分が自分で居るときに  歓びがある。  寂しいこともあるだろう。  苦しいこともあるだろう。  それと引き替えに  自分でないことをやるのも自由。    何をやっても自由だから  本当に欲しいものを手にすればいい。    苦しかったら逃げればいいさ。  悲しかったら泣けばいい。  優柔不断で良いんだよ。  弱虫だって良いんだよ。    ただただ欲しいものがなんなのか  いつもはっきり心に抱いていれば  いつかそれは必ずやってくる。    信頼してごらん、  信頼してごらん。  ただただ信頼してごらん。  それだけで良いんだよ。    総てが幸せを感じられるようになる  途上に今というときがあることを    それだけで良いんだよ。  それだったら難しくないだろ?  ただただ  自分が自分で居ることが  『愛』なのさ。       ** QZY01267/猫の手 <11/15 19:44> **