紺青の静かなる世界に泡一つ立昇る、さぁ準備は出来た…と。 - FARION MES( 3):Media Talk ◆ 本/映画/音楽を語る 95/11/20 - 00999/01001 GGA02514 KAZE RE:風の音楽室●矢野顕子・Piano Nightly ( 3) 95/11/19 22:37 00997へのコメント はなさん、どうも。 こちらこそ、お隣通りなのに、預言っていうのわりと苦手で よくわかんないものだから、疎遠になってます^^;。 ぼくは、小学校の終わり頃に、ポップスやロックを聞き始めて以来、 プログレに凝ったり、ジャズに凝りまくったり、 世界の民族音楽なんかを聴き漁ったりと、 音楽には目がない(いや、耳がない)のですが、 ここ最近では、ほとんどクラシック派になっているんです^^;。 それも、特に最近では、友人の影響もあって、 声楽関係のものなどをじっくりと聞き込んでいることが多いです。 バッハのものなんか聴いてると、ほんとうにものすごいんです。 シューベルトやシューマンの歌曲なんかもいいですけど。 ま、それはそれとして、やはり音楽全般には関心があって、 どのジャンルでも、すぐれものだけは、 折に触れて聞き込むようにしています(^^)。 で、矢野顕子のボーカルは、やはり超天才的だと思っていますし、 それが非常にシンプルにあたたかく発揮されているのが、 ピアノの弾き語りだという気がしています。 ピアノということでいえば、ピアノがお好きであれば、 グレングールドの一連のバッハ演奏、キースジャレットのそれなどは、 ぜひ聴いておいて損はないと思います。一生もんです(^^)。 ぼくもやまのようにピアノ曲を聴いてますが、 本格派のものをちゃんと聞き始めると、 中途半端なこけおどしのものは聞けなくなります。 そうそう、最近聴いたポップスでは、 Tears for Fearsの新譜がけっこう気に入っています。 これからも、おりにふれてぼくなりの好みで、 新譜を中心にご紹介していければと思ってます。 はなさんの音楽の趣味などもお話してくだされば幸いです。 では(^^)。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 00998/01001 GGA02514 KAZE 表現の自主規制など ( 3) 95/11/19 22:36 00996へのコメント ウルヴィーさん、どうも。 マスコミの自主規制についてですが、 ぼくも広告を制作する側として、日々直面している問題です。 公共的なポジションのクライアントからもそういう要請は多くて、 指が5本、たとえ不自然でも見えてなくちゃいけないとか、 お母さんがエプロンしてちゃいけないとか (お父さんならいいというのがまたおかしいのですが^^;) ま、わけのわからない自主規制の嵐です^^;。 ゴー宣など読んで思うのが、差別表現云々ということで一番難しいのは 最終的には、部落問題云々なんかじゃなくて、 女性差別云々的なことをネタに暇つぶししてる方々なんじゃないか。 そんなことを思ったりもしています^^;。 ま、表現規制云々の問題は、それぞれの立場の人間が、 過剰反応的なあり方でごまかし続けるのではなくて、 もっとおおっぴらに激しく論じあうことで、 差別の根っこの部分を白日のもとにさらしてしまうこと以外に、 解決方法は困難なのじゃないかなとも思ったりしています。 そうそう、ゴー宣といえば、 小林よしのりと浅羽通明の「知のハルマゲドン」(徳間書店)も 現代の思想状況について見てみるには好都合な本ですね。 もちろん、それなりの認識的限界はいたしかたないとしても、 けっこういい線いってると思ってます。 では(^^)。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 01001/01001 KHC01313 まるにちょん ちょっとあぶない本棚(^^; ( 3) 95/11/20 03:06  ええっと、KAZE さんのまねっこして、私も本棚をここに置くことにしました。 たぶん、蔵書は少ないと思いますが、一風変わった本棚にしようと思っています。  では、早速、ちょっとあぶない本を照会しましょうか。  え、なんだって、連載があぶないって、ほっといてんか(^"^;)  出口王仁三郎の随筆3部作が復刊しました。  「水鏡」「月鏡」「玉鏡」 あいぜん出版 刊 です。  これらの随筆は、第一次大本教弾圧と第二次弾圧の間に書かれたもののようで す。読んでみて、氏の優れた博識やユーモアに感嘆しましたね。  いろんな事どもを、比較的短い文章で語っています。  聖も俗もいっしょくたになった本です。  彼の宗教観やカミ観が、彼の言葉を通じて語られ、はたまた、氏の大作「霊界 物語」の解説までもが書かれていたりします。  宗教家としての氏のみならず、氏の人となりも伝わってくるような本です。  また、「やっぱり、このおじさん、 あぶないお人やわ(^^; 」とも思ってしま う本なんですねぇ。    でもって、気に入った箇所を少し照会しましょう。      惟神(カムナガラ )   「惟神と云ふ事は、天地の真象に倣(なら)ふと云ふ事である。    又、大自然、或は真理のままと云ふことである。」(水鏡 P.36)  では、また。                   まるにちょん、○=ゝ - FARION MES( 6):ハロー・メッセージ ★ 今日のハロー・メッセージから 95/11/20 - 00231/00232 KFQ02761 しまうま 過去に撒いた種 ( 6) 95/11/19 23:14 :過去に撒いた種が芽を出す時期。如何様に育てるかはあなた次第。  自分が撒いた種というのは、自分じゃあまりよくわからない。  芽を出す頃に、ようやく「ああ、あんな種を撒いたからこんな芽が出たんだ な」と気づくくらいだ。  気づいたところからが、きっと大切なんだと思う。不要な芽ならばつぶせば いいし、必要な芽ならば育めばいい。  いずれにしろ、その芽の行く末はすべて僕次第だ。僕にとっては、今あるす べての芽が愛おしい。  何かせずにいられない。  この身を何かに捧げたい。  そんな焦燥感のようなものが静かに動き始めているのを感じる。  たぶん僕は、僕に生まれてよかったと思う。  よくわかんないけど。 しまうま(KFQ02761) 00232/00232 KFQ02761 しまうま 宇宙を胸に抱け ( 6) 95/11/19 23:14 :限りない思いを限りある生命の中で育む…人よ宇宙を胸に抱け  限りない思い。  何もできない自分。  限りある生命。  そしてその中で、何をすればいいのかわからない自分。  逃げる自分。おそれる自分。ごまかす自分。諦める自分。  流される自分。おぼれる自分。忘れようとする自分。怠ける自分。  そんな自分を支えるのは、僕の中にある何かあついかたまりのようなもの。  胸を押さえてもあふれ出る血のようなもの。  悲しみをこぼさずに笑うのがうまい人。  どうしようもなく馬鹿でへんな人。  さげすまれ、落ちこぼれ、でも自分じゃそうは思っていない人。  誰にも相手にされず、そのまま帰っていった人。  そういう人たちの力になる何か。  そういう人たちの思いを支える何か。  そういう何かを作ってみたいなあ。   しまうま(KFQ02761) - FARION MES( 7):自分を観る  ★ ARIONを鏡にして 95/11/20 - 06551/06554 JCF02051 めのう RE:不満 ( 7) 95/11/19 20:39 06513へのコメント  #6513の続き。    私の中に抑圧された不満や未処理の感情がある。  それを認めたまではいいけれど、この先どうしたらいいかわからない。  考えようとすると頭の中が真っ白になる。    思えば今までもそうだった。  避けて通りたい問題については思考が停止してしまう。  とりあえず問題に蓋をして見ないこと、なかったことにしてしまう。  自分でも理不尽だと思える不満や感情には「自分が悪い」→「表に出しては  いけない」という理屈をつけて蓋をする。    いい悪いの問題じゃないのは理解しているつもりだけれど、私の中にはそれ  以外のものさしが見あたらない。  自分の中にあるものの1つ1つに名前を付けて善悪に分類しないと気がすま  ないし、名前の付けられない、分類不能な事柄があると不安になってしまう。    ....続く。                     ウーム(-_-; ◆◆ めのう ◆◆ - FARION MES( 9):神々の曼陀羅 ★ 歴史と宗教を巡って 95/11/20 - 664/669 MHD02672 TAO 聖なる建築 ( 9) 95/11/19 18:55 662へのコメント  #662 モリネズミさん  こちらではお久しぶりですね(^^)。渡辺豊和氏に関する情報をどうも有り難うござ  いました。『ヤマタイ国は阿蘇にあった』は読んだ憶えがあります。かなり推理に  飛躍があるようでしたが(^^;、結構面白く読めましたね。  1938年生まれというと、今年で57歳ですか…結構なお歳なのですね。自称縄文建築  家ですか(^^;。そういえば最近の発掘成果より、縄文社会の建築は想像以上に大規  模で洗練されたものだったと見なされるようになって来ていますね。  『地底建築論』(明現社刊)ではガウディとシュタイナーの比較が為されているそ  うですが、シュタイナーが設計及び建造したゲーテアヌムは有名ですね。シュタイ  ナー曰く「古代の建築形態を理解したいと思うなら、私たちはまず肉体を離れた魂  がいかにその霊界への道を見出すかを理解しなければならない。このように感ずる  ことの中に古代の建築的フォルムの根源的な衝動がある」(『世界的使命を帯びた  芸術的なもの』)だそうで、霊廟建築が建築の起源を飾っているのは決して偶然で  は無いとも言っているそうです。  まあ、シュタイナーの建築論についてはKAZEさんという専門家がいらっしゃいます  から(^^;、これぐらいにしますが、確かにシュタイナーのゲーテアヌムとガウディ  建築は、その流れるように有機的なイメージには共通するものが確かにありますよ  ね。  日本でも、出口王仁三郎が建造した大本教の「神苑」の例がありますね。特に、企  画・設計から資材の選択まで王仁三郎自ら手がけ、一際力を注いだとされる「月宮  殿」は総石造りで、オリオン星座を地上に移したものだとされています。ゲーテア  ヌムが焼かれたように、月宮殿も官憲の手によってダイナマイトで破壊され尽くす  運命を辿ることになるのですが。  『天の建築・地の建築』『発光するアトランティス』も未読ですが、なかなか面白  そうですね。新書の『不思議な建築』は入手しやすそうですから、早速探しましょ  う(^^)。古今東西の宗教建築史というのも面白いでしょうね。  TAO 668/669 MHD02672 TAO 白山菊理媛幻想 その参 ( 9) 95/11/20 00:44 635へのコメント  今日は大田区の田園調布まで足を延ばし、多摩川の傍らの丘の頂上に建っ  ている「多摩川浅間神社」まで参拝しに行った。この神社へ赴いたのは、  この会議室でも話題に取り上げられた、“木花開耶姫”と“菊理媛”が合  祀されているとの情報を入手し、実物を見たくなった為である。  東急東横線の多摩川園駅のホームに降りると、多摩川方面に小高い丘が望  め、その上に社殿が建っているのが、森の合間を通して見え隠れする。  多摩川園駅の改札口を出て数分も歩くと、間もなく森に囲まれた丘の下に  鳥居が見えてくる。鳥居をくぐって丘の頂上まで石階段を登る。森の中は  森厳とした空気に覆われ、ゴミも全く見当たらない小綺麗さに地元の人々  がいかに丁重に手入れしているか、窺われるようだった。  頂上の平地に着くと、優美な浅間造りの社殿が姿を現す。昭和48年に建造  されたとの旨で、派手過ぎず地味でも無く優しく落ち着いた印象を醸し出  している。二礼二拍一礼してから、社殿の前に置かれている社史パンフレ  ットを手に取って読むと、この社は元々三つの社が合祀されたものだとあ  った。  昔、この地には三つの神社があったが、明治40年に「一村に一社」という  政令が出された為、村人たちが相談して浅間神社にまとめたということで  ある。その三つの神社とは下記の通りに記してあった。   ・熊野神社  祭神 伊佐那美ノ命/速玉乃男命/事解乃男命   ・浅間神社  祭神 木花咲耶姫命   ・赤城神社  祭神 伊佐那岐ノ命/菊理姫命  それ故に、多摩川浅間神社は三つの社紋を持っており、熊野神社の「八咫 烏」、浅間神社の「桜」、赤城神社の「左三つ巴」が同時に使われている とのことである。  合祀ということで、何故木花開耶姫と菊理媛が一緒に祀られているかにつ  いては判ったが、何か調子抜けした感じだった。  ただ、木花開耶姫が富士山、菊理媛が白山ということに関しては興味深い  ことがある。日本列島は二つの大陸の端っこがぶつかり合って出来たもの  であり、シベリア系とアジア系の陸地を繋げている継ぎ目が、あの著名な  糸魚川−静岡を走る“フォッサ・マグナ(中央構造線)”だと言う。それ  で富士山と白山の位置を見ると、このフォッサ・マグナを挟んで富士山が  東側に、白山が西側に立っている。しかもどちらも海寄りである。  荒俣宏氏は『風水先生』で、龍脈という観点から見ると、日本列島はフォ  ッサ・マグナを挟んでニ匹の龍が向き合った形になっていると言及してい  る。白山と龍神の関係については、以前のアーティクルで述べた通りだが、  富士山と龍神信仰の関わりについては調査不足で何とも言えない。しかし  面白い符号ではあると思う。  荒俣氏はまた、富士山は風水的観点から見ると、中国崑崙(コンロン)山脈から  やって来るエネルギーを流して回るコンデンサーの役を果たしており(風  水では祖山と呼ぶ)、関東最大のエネルギー流路だとも言っている。その  真偽はどうであれ、富士山が日本随一の霊山であることは間違いない。そ  の富士山の、白山との関係には見逃せないものがあるのは確かなようだ。  TAO - FARION MES(11):狼を生きる  ★ 平井和正の著作から 95/11/20 - 01842/01842 VFD01505 みんた RE:RE^2:辛酸入佳境 (11) 95/11/20 14:35 01834へのコメント  #01836 桂 桂さん 「辛酸」の版元ですが、今私が手元に持っているのは、角川文庫版です。 「辛酸」 城山 三郎 著 角川文庫 昭和54年初版発行 元々は、「中央公論」(昭和36年6月号 第一部掲載)に掲載されていた作品です。 古本屋もしくは、図書館等でお探しになったほうがよさそうですね。 辛酸入佳境 楽亦在其中 というのは、田中正造が人から揮毫を求められたとき、好んでしたためた、 漢詩だそうです。 まさに、言うは易く、行うは難き心境ですが、田中はこの漢詩のままの人生 を歩んだわけで、その人生を思うと、立派というよりは、一種壮絶な物を感じ ます。 地位も、名誉も家族も財産も投げ捨てて、「野垂れ死」んだ、彼の一生 は、まさに「怒り」に殉じた生であったように思われます。 若いころから、権力者の不正を暴いては、投獄される、というような事を繰 しつつ、代議士となり、果ては路傍で朽ちるかのように死を迎えた。 激昂しやすく、裁判所においては、裁判官を怒鳴りつけ、心証を悪くしてし うようなこともあったそうですが。 その怒りの純粋さには、多くの人がたじろがざるをえなかったのでしょう。 佐野市では「田中正造大学'95秋期講座:田中正造の思想と現代」 というような、講座が開かれているようです。(モウオワッチャッタミタイデスガ) 近くに住んでいたら、ぜひとも行ってみたかったです。 私が、彼から学ぶべきは、「どこでその『怒り』を顕にすべきか」というより は、いかに「怒る」かだと思っています。 「怒り」というのは、強い破壊性をともなう感情です。でも、ただ「怒り」を 抑圧すればいいというものでは無いことを彼の人生は教えてくれているのでは ないでしょうか。 私は長い間、その「怒り」のエネルギーを自分の内側に向けていました。 私はそのことを、自分が自制的な人間であるかのように、錯覚していましたが 結局のところ、自分は単なる臆病者だったのではないかと思うようになってき ました。 正しく「怒る」には、自分の内側の不純物をも焼きつくさなければ ならないのではないか。 そんなことが、果して自分にできるのか、畏れおののいてしまいます。 みんた - FARION MES(13):神秘学遊戯団 ★ 限りなき神秘への航海 95/11/20 - 03934/03944 GGA02514 KAZE RE:3日がかりで (13) 95/11/19 22:37 03933へのコメント コメント数:1 こむさん、どうも。 >3日がかりで過去ログ(神秘学遊戯団の(含FMISTY))を全てダウンして、 >ブラウザ上で連結しました。圧縮しても7メガ近くある。 ご苦労さまです(._.)。 おそらく解凍したら、16〜17メガくらいにはなると思います。 自分でふりかえってみても、この4年間、けっこう書き込んだなあと思います^^;。 もちろん、まだまだこれからで、 その分量もまだまだ増大していくのではありましょうが、 量だけではなくて、質の部分も重視していきたいものだと思っています。 それもこれも、すべてこむさんをはじめとした方々との、 楽しい交感如何ですので、今後ともよろしくお願いします。 >全部読もうなどとは思わないが、拾い読みしているとなかなか面白い。 >常連各氏の登場と変遷などは、特に面白い。 もちろん、全部読むなどは、無謀なこと^^;。 でもって、先日から、こうして蓄積したログの山を ただぼーんとまとめてデータにしておくのももったいないので、 これからこうしたデータを利用できるようにしようと、 テーマ別にデータ化してみようとか思っているのですが、 思うだけで、なかなか作業が進んでない状況です^^;。 で、もしなかに面白そうなテーマがあれば、 そのテーマに沿ってログをデータ化していきたいと思っていますので、 なにかご意見がありましたら、聞かせてください。 よろしくお願いします。 そうそう、こむさんでしたら、こむさんのいらっしゃってからの TMに関する話も貴重なデータになるものと思いますので、 よろしかったら、まとめてくだされば幸いです。 では(^^)。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 03936/03944 QZE03111 こむ RE^2:3日がかりで (13) 95/11/20 03:03 03934へのコメント コメント数:1  KAZEさん、こんにちは。  そうですね。意見などはまだ出せませんが、データ化には協力させていただ きます。  いちば〜ん最初の、 》KAZEの考える神秘学は、 》一見全然関係しないか、まったく相入れないかのような 》さまざまな事柄の背後にある必然的な共通性を見いだしながら、 》さらにそれらがどのように全体として生成発展しているのかという 》宇宙進化論的アプローチということです。  これが、一貫して流れているのはすごいなと思いました。また、 》「脚本家多くして遊戯団ストーリーを失う」という諺(?)は当てはまりませ 》ん。先ほどもいったように、あらゆる戯れの背後にある共通部分をしっかり見 》ようというのが「神秘学」なのですから。  これもいいですね。ぼくも最初にそれを理解していたら、あんなにあたふた とした登場はしなかったのですが^^;;  最近それがよく解るようになってきましたので、じっくりまとめてみようか なと思っています。 今、『はてしない物語』を読んでいます。どういうわけか今まで読む機会が なかったもので。これはすごく良いですね。なぜもっと早く読まなかったんだ ろう。あと、平行して『ソフィーの世界』と『フィンチの嘴』というのを読ん でます。でわ。     *****こむ より***** 03938/03944 GGA02514 KAZE RE:RE^2:3日がかりで (13) 95/11/20 12:51 03936へのコメント こむさん、どうも。 >データ化には協力させていただきます。 よろしくお願いします(゚゚)(。。)ペコッ。 この会議室のコンセプト部分ですが、 早い話、統一場的な認識という大風呂敷を広げようというわけです。 というのも、先日、ドゥルーズが自殺しましたが、これは象徴的なことで、 あえていえば、ポスト・モダン的な哲学というのが、「差異」「差延」とかいう、 いってみれば「ずれ」の部分をお遊戯してしまうという方向にあるのに対して、 それでは行き詰まって自分の足を食うタコのようになってしまうという反省から この際、「宇宙に要らないものはない」という縁起的な発想をぶちあげながら、 日常的なところから宇宙の謎に至るまで同じ土俵で語ろうとしているわけです。 ですから、ネタが切れるなんてことはまずありませんし、 どんな人でもどんなことからでも、話し合えれば何かが得られる。 そういうことがパソ通でできればな、と思っているのです。 それから、自分の人生の中ではだれでも自分が主人公であると同時に、 すべてのひとは、その主人公であることをそのまま、この宇宙に持ち込めるはずだ。 縁起という発想ではその両者は矛盾しないはずですから、 いろんなベクトルがあれば、そのつどそれらを統一場しちゃえ! っていう発想もあります(^^)。 自分でいうのもなんですが、こんな脳天気な発想で^^;、 この「神秘学遊戯団」という船は、航海に乗り出しているわけです。 >今、『はてしない物語』を読んでいます。どういうわけか今まで読む機会が >なかったもので。これはすごく良いですね。 そうですね、エンデも訴訟さえ起こした映画の「ネバーエンディングストーリー」は ものすごい駄作でしたが、原作は、最高傑作です。 この作品のなかには、「ファンタージエン」というのがでてきますが、 これは、人の魂の力そのものだともいえると思います。 このファンタージエンというのは、唯物論的、科学主義的なあり方が、 どんどん排斥してしまっているのものだから、それがどんどん弱体化している。 その弱体化というのは、人間そのもの存立を危うくするものでもあります。 シュタイナーには「道徳的ファンタジー」という自由の根本理念がありますが その自由そのものを人間は手放そうとしているわけです。 これほどの重いテーマがこれほどのわくわくどきどきの物語になっているというのは ほんとうに驚きです。 そうそう、この『はてしない物語』ほどの物語はなかなかないと思ってましたら これに匹敵する物語も翻訳されています。 ハンス・ベンマン「石と笛」(河出書房新社)という全4巻の物語なのですが、 これは、いわゆるメルヘンという形をとりながら、 『はてしない物語』とは別の角度から、もっと深いテーマを盛り込んだものです。 面白さは超一流ですし、翻訳もなかなかいいですので、 機会があればぜひ読んでみてくださいね。 では(^^)。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 03935/03944 GGA02514 KAZE 風の本棚●魂の同伴者たち (13) 95/11/20 00:04 ■アダム・ビトルストン「魂の同伴者たち/スピリチュアル・コンパニオンズ」          (シュタイナー天使学シリーズ2/大竹敬訳/イザラ書房) イザラ書房から(たぶん)全4巻ということで出されてることになっている 「シュタイナー天使学シリーズ」の第2巻目。 シュタイナーは生前、「天使」に関してのまとまった講義をしていませんが、 これは、その天使論を一冊にまとめてそれを深い認識のもとに シェークスピアなどの例をひきながら美しくまとめたものであり、 非常に意義深い一冊であり、シュタイナーの神秘学を学ぶ上では、 非常に貴重なものだと思われます。 ぼくとしても、ここまでまとまった天使論は非常に参考になりました。 また、著者のアダム・ビトルストンという方は、 シュタイナーの助言で設立されたキリスト者共同体の司祭を 長年努められたかただということで、 それだけにこれだけの深い内容になったのだと納得しています。 ただ、この本の帯に書いている内容だけはどうも感心したものではなくて、 帯には「シュタイナー+シェイクスピア」とかあるのですが、 どうもそこらへんのイザラ書房の「売り方」には疑問がわいてしまいます。 この翻訳が刊行されたのは数週間前のことだが、内容の深さと、 読んでしまうのが惜しいのとで、読み終えるまでけっこう長くかかりました。 そうこうするうちに、このシリーズの3巻目の シュタイナー「悪の秘儀/アーリマンとルシファー」も出ていますので これもまた読み終えたら、「風の本棚」としてご紹介したいと思ってます。 ちなみに、この「シュタイナー天使学シリーズ」は次の通りで、 第4巻目も12月には刊行されるそうなので、楽しみ。 1)シュタイナー「天使と人間」 2)ビトルストン「魂の同伴者たち」 3)シュタイナー「悪の秘儀」 4)リントホルム「天使がわたしの触れるとき」 さて、内容ですが、シュタイナーの天使論によると、天使の位階は、 人間に近い方からいうと、第三のヒエラルキアの天使、大天使、アルヒャイ、 第二のヒエラルキアのエクスシアイ、デュナミス、キュリオテテス、 第一のヒエラルキアのトローネ、ケルビム、セラフィムという9位階で、 この本ではまさにそうした天使たちが「魂の同伴者たち」として 非常に生き生きと描かれています。 ちなみに、わかりやすくいうと、第一のヒエラルキアは魂の世界に、 第二のヒエラルキアは生命の世界に、 第三のヒエラルキアは物質の世界に影響しています。 これについては、現在行なっている「薔薇十字の神智学」の読書会の 最初のあたりにも略述してありますので、ご参照いただければと思います。 では、この本のなかから、通常、もっとも注目されていない 第一ヒエラルキアと「物」の関係に関しての、非常に注目すべき視点を 示唆しているところを、少し長いですがご紹介してみることにします。   ヒエラルキアについて考えをめぐらせていると、次の疑問が何度も頭をよぎる   ものです。「現実(reality)」とはなんだろうか」realという英語はラテン語で   「物」を意味するresに由来します。したがって、ラテン語に近い言語を用いる   人々は、現実とは物の問題であると教わるわけですが、特にそのことを意識して   いるわけではありません。その一方でオランダ語やドイツ語では現実(reality)   は「機能」や「有効性」と関連があります。おそらく地球上の人間の大半は、   物理的な事実と過程に関係があるものとして現実を捉えていることでしょう。し   かし、こうした考え方から抜け落ちているのは、外的事実に対する私たちの概念   は、人が知覚したり、考えたことから生まれているという事実なのです。言い換   えれば、私たちの概念は、「意識」の内部の出来事から生じるのであって、単な   る空間と時間から生じるわけではないのです。物に意識がなくて、物を感知した   り理解する人が誰もいないとしたら、物とはいったいなんなのでしょうか。存在   していないのと同じことではないでしょうか。現実(reality)は、意識のある存   在とその活動と存在同士の相互関係から成り立つ、と考えたほうがはるかにわか   りやすいのです。   私たちはまったく意識を持たないように思える物体を扱いながら、生涯の大半を   過ごしています。しかし、それは幻想であるというのが本書の主旨なのです。石   や人間の作った工芸品も植物と同様に透明になって、私たちに創造的な霊的存在   の世界を垣間見せてくれると思ってはいけないのでしょうか。   (中略)   容易に理解できることですが、物に対して無関心な態度を取ると、物の方も人間   に対して無関心な態度を取るようになることがあります。そして、物を大切にす   れば、人も大切にしてくれるようになるものです。私たちは物にも人にも関心を   持っていることが実際多いのです。一般に、物は人が作り、人が所有するものだ   からです。ところが、私たちは物は取り替えが効くと考えがちなのです。その一   方で、人間を取り替えることは不可能だと承知しているのです。   まるで、物質の世界が「私をどのように用いてくれるのか」という大きな疑問を   私たちに問いかけているようなものです。問いかける存在がいないと思いこんで   しまうと、人間は破壊者となってしまうかもしれません。この世では生命のない   物体と思える存在から本当は問いかけを受けていると信じている人間の心の中に   は、畏敬の気持ちが育つこともあります。次のような発言をするようになるかも   しれません。「動物や成長を続ける植物の背後に存在する霊的存在は偉大で崇高   な方々である。しかし、私は、もっと遠方まで探求を続け、一層深い畏敬の念を   感じるようになる必要がある。みずからの忍耐力と犠牲のおかげで、無生物の世   界を作り出している霊的存在の世界を求めていこうとするならば」(P193-196)    物を「取り替えが効く」としか考えず、それに注意を払わない不遜があります。 その不遜は、その物を作り出している存在への畏敬の不在がその根源にあります。 古くからの霊性を比較的残している日本人は、「供養」ということで、 単に人間や動物に留まらず、「物」にまでその「供養」を行ないます。 それはおそらく、そうした「物」を作り出している存在たちのことを 意識の深いところでわかっているからなのではないでしょうか。 民芸の美などに深い理解を示した柳宗悦さんの「新編 美の法門」という 晩年の仏教美学に関する著作集がもうまもなく岩波文庫からでるそうですが、 この柳宗悦さんの営為というのは、そうした「物」への深い畏敬ゆえのものです。 現代は「唯物論」的な考え方が蔓延していて、それがゆえに、逆説的に、 「物」についてまったく理解できなくなっているのが実状です。 この「魂の同伴者たち」という著作は、人間の魂に働きかける天使から、 こうした物に働きかけている天使まで、幅広く扱いながら、 現代に生きるわれわれのもつべき視点の一端を 味わい深く指し示してくれる好著だと思います。 ☆☆☆KAZE☆☆☆             03941/03944 GGA02514 KAZE 「恩寵は世界に、責任は自分に」 (13) 95/11/20 14:12 03899へのコメント tenさん、すっかり忘れたころにやってきたレスですが^^;、 ぼくとしても日々それを通じて学んでいるような とっても大事なことが書かれていましたので。 > 相手の中に要因をみてしまったら、細かい理屈や観念や批判ばかりになって、自 >分の感覚が狭くなったり、卑しくなっていってしまいそうな気がし、そう言うおま >えはどうなのだと言う言葉が何度もやってきました。とにかく、愛情というか、平 >静なあり方で物事を受けとめていくこと、相手の理も考えてみること、すべてを自 >信のこととして引き受ける努力をすること。これをひたすら課していました。やっ >ぱり戦ったり、不愉快な言葉や態度を受けたこともありましたけど。 相手の立場に立つということは、口でいうのはやさしいのですが、 それを実行していくというのは途方もなくむずかしいことですよね。 どうしても、「自分はこうなんだ」ということを主張することになってしまいます。 それで、後になって「しまった、相手の立場も尊重するやり方もあったんだ」と 後悔することしばしです。 むずかしいのは、「相手の立場に立つ」というのが、優柔不断であってはいけない つまり、自分なりの意見をちゃんと持ちながらでなくてはならないということですが、 よくよくさらに考えてみると、自分なりの確固とした「理」がないから、 「相手の立場に立つ」という余裕がないということもあることに思い至りました。 自分なりの確固とした「理」があれば、それが相手の理によって害されるとか、 そういうような「守り」にまわらなくていいですし、 もし相手の理にくみ取るべきところがあれば、それをくみ取る余裕ができるはずです。 しかし、ほとんどの場合は、相手の理を受けとめるということが、 そのことで自分が否定される恐れで、そういう余裕が生まれないわけです。 > そうそう、先生が、ある方からいただいた言葉だと言って「恩寵は世界に、責任 >は自分に」と「(魂や感覚の)喉が乾いたら自分の中に井戸を掘って水を飲みなさ >い」という言葉を教えてくれました。当分座右の銘かな。(ザユウノメイダラケ^^;;) とってもいい言葉ですね。 「自分がそれだけ得ることができるかは、どれだけ与えることができるかということ」 「自分の認識の範囲を測るためには、自分がどれだけ責任を負う覚悟があるかだ」 そういう意味のことをどこかで聞いたことがありますが、 「与える」ということと「責任をとる」ということは、実際には非常に困難なこと。 従って、与えることのできない「わたし」のなかみは貧困のままだし、 責任をとることのできない「わたし」の認識の範囲はごくわずかしかない。 そんなことをあらためて思い起こすことができたようです。 > 創作のような内的だったり、非日常(大きな意味では日常だけど)では、どこか >物事が善悪を越えていってしまったり、色合いが濃厚になって露になっていくので、 >良い修練の時間だなと思いました。何か特別なことをしなくても、普段もそう言う >濃密な思考や感覚の状態をもっとしっかり持ったり意識できるようになるといいん >だけど。 そうなんですよね、外的な力によってなにかをなすのは それが困難なことであっても、それを克服するのはまだ容易な場合があるけれど、 外的なことなしで、自発的にあるテンションをもつということは難しい。 それは、逆境よりも順境のときのほうが、 その人の真価がわかるというようなものです。 ですから、日々の小さな気づきを大切にしていくことというのが、 ほんとうに重要なんですよね。 では(^^)。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 03943/03944 HCB00374 DIRAC この1年 (13) 95/11/20 15:09  こんにちは。 久々のDIRACです。ご無沙汰しています。 もう11月ということで一年を振り返ろうと している今日この頃であります。 まだ詳しいことは考えていませんが何やら不 気味な一年でしたね?  阪神大震災は、今まで築きあげてきた近代 的生活がいかにもろいものであるか、 また、そのもろいものにどれだけ頼って生活 しているか、さらに、日々いかに生かされて いることに感謝できず当たり前にしているか ということ反省させられました。 このときに何か、当たり前にしていた大前提 が、それがどのような分野であろうと 多岐にわたって---------崩れていく時代の 雰囲気を感じたのは私だけではなかったと思 います。  そしてサリン事件。 日本でこのような事件が起こるとは思いませ んでした。治安がよい日本という神話が 崩壊してしまいました。一連の今も続くこの 関連の問題は、思いがけず非常に大きい テーマを抱えていたようです。 一つは、宗教と国家権力の問題です。もう一 つは、宗教自体のありかたの問題です。 今までとは違い、国家、人間の存在に関係す る根本的な重要なテーマです。  そして沖縄。 よくわかりませんが、民族紛争が世界のあち こちで存在します。 心配しすぎかも知れませんが、思いもかけず 紛争に発展しないことを祈るのみです。 そのほか、天変地異、終身雇用の崩壊への課 程、リストラ、円高、財政赤字、増税、 金融の-------- 少なくとも 大転換期 を 迎えていることは間違いありません。 最近、中央線で人身事故がやたらと多いです ね。10月には、出張帰りの特急が八王子 付近で人を引いてしまって遅れました。(こ の日は3件あったとか---) 何かが変わってきているという時代の雰囲気 をひしひしと感じるこの1年でした。 ですが、こういう時代だからこそ、毎日生か されている実感が出てくるのであり、 苦しいから援助してくれることへの感謝。そ うしてその感謝から、大乗の実践と なってゆく絶好のチャンスといえます。そう いう中に、方便としての無常があり、 その無常を越えて常なる”法”を知るにいた って混迷から抜け出せるのでは無いかと。 そこに勇気と希望をもった日々生活が展開さ れて、明るい未来につながると信じます。 最後に、事故、天災等亡くなられた方々のご 冥福をお祈りして、終わりとさせて いただきます。                           がんばりましょう ! 03944/03944 GGA02514 KAZE シュタイナー:薔薇十字会の神智学●VII-3<カル マ> (13) 95/11/20 16:24 ●ルドルフ・シュタイナー「薔薇十字会の神智学」(平河出版社)読書会 <VII-3/カルマ3> --------------------------------------------------------------------------- カルマの法則をより深く理解するためには、 神秘学的に、人類の進化、地球の進化を見ていくことが必要です。 このアーティクルでは、そこらへんについてご説明していくことにします。 人間は、肉体、エーテル体、アストラル体、自我で構成されていますが、 このなかで最も古い由来を持つのが肉体で、最も新しいのが自我です。 人間は最初は肉体のみの存在で、それにエーテル体、アストラル体、自我が 次々に付加してきたのです。 もちろん、肉体が最初から現在の肉体のようであったわけではなく、 最初に肉体の原基ができ、それが次第に現在のような肉体になる過程で、 他の構成要素が加わってきました。 他の構成要素も、最初はその萌芽ができ、それが発達してきているわけです。   解剖学や生理学の視点を超えて心臓を研究しますと、非常に高次の叡智の表現   が見いだされます。アストラル体はその性質上、肉体の心臓と同じように非常   に完成されたものと考えるわけにはいきません。心臓は精巧に、叡智に満ちた   仕方で作られています。アストラル体は欲望を持つことによって何十年間も心   臓に毒を注ぎ込み、心臓はアストラル体から流れ込む毒に抵抗しつづけていま   す。将来、アストラル体は肉体と同じく完成されたものとなり、肉体よりもず   っと高次なものとなります。今日では肉体が最も完成され、エーテル体はまだ   未完成、アストラル体はもっと未熟で、自我はまだ赤ん坊のような状態です。                                  (P100) 人間は、その構成要素を、輪廻転生を繰り返すことで 構成要素を発達させてきたのですが、   これと同じように、地球も輪廻転生を経てきましたし、 またこれからもそれを続けていくことになります。 地球はこれまで、三つの受肉を経てきました。 最初が「土星紀」、続いて「太陽紀」、そして「月紀」です。 現在の受肉紀は「地球紀」と呼ばれます。 そして、次の受肉は「木星紀」、続いて「金星紀」、「ヴルカン星紀」、 というふうに続きます。 人間の肉体の萌芽ができたのが、「土星紀」、 エーテル体の萌芽ができたのが、「太陽紀」、 アストラル体の萌芽ができたのが、「月紀」、 そして、「自我」はこの「地球紀」でやっとその萌芽が生まれたばかりです。 次の「木星紀」で、人間のエーテル体は、現在の肉体のように完成され、 「金星紀」で、アストラル体がその段階にまで至り、 そして「ヴルカン星紀」で、自我が最高の進化段階に達することになります。 「土星紀」、「太陽紀」、「月紀」、「地球紀」、「木星紀」、「金星紀」・・・ という名称は、一週間の曜日のなかにみられます。 「火曜日」と「水曜日」が見あたりませんが^^;、 これは、「地球紀」が「火星−水星」の進化段階を内包しているからです。 このように、一週間の曜日の名称は、地球の経る進化状態を表わしたものです。 さて、現在の地球紀で人間が獲得した「自我」について、 テキストに興味深い記述がありますので、それを。   自我は密接に血液に関係しています。自我が人間に受肉する以前には、人体   の中に血液は流れていませんでした。血液は地球の進化に関係を持っている   のです。もし、地球が進化の過程で火星と出会うことがなかったなら、血液   は形成されなかったでしょう。火星との邂逅以前には、地球上に鉄は存在し   ませんでした。血液が存在せず、血液の中に存すべき鉄分もありませんでし   た。地球紀は前半に火星から決定的な影響を受け、後半に水星から重要な影   響を受けます。火星は地球に鉄をもたらし、水星からの影響は人間の魂をい   っそう自由で独立したものにします。地球紀の前半を火星、後半を水星期と   いうことができます。地球進化は「火星−水星」と表現できます。火星、水   星という言葉は今日の火星と水星を指しているのではなく、地球紀の前半と   後半に影響を与える存在を意味するものです。(P102)    このように、地球の進化と人間の進化とは密接に関わり合っています。 人間は地球とともに進化してきましたし、 これからもともに進化していくことになります。 逆にいえば、人間が進化しなければ地球は進化することができません。 最近では、地球環境保護を唱うラディカルな方々の間では、 「この地球上に人間がいなければ地球は平穏な星でいられる」 そういう言葉が聞かれることもありますが、 神秘学的にいえば、それは地球と人間との関係を知らないから そういうことが言えるのだということがわかります。 地球は昔からずっと現在のような物質体であったというイメージも 神秘学的観点からすると、非常に稚拙な見方であるということがいえますし、 人間の進化に関しても同じ事がいえます。 もちろん、それは現在の科学主義的な、現在の五感のみを基盤にした認識様態からは 容認されるものではないのは、だれにでもわかります。 しかし、そういうとらえ方も決して根拠のあるものではないことは 真の科学者であれば常識であると言ってよいでしょう。 もし、視覚なしで世界をとらえている考え方があったとしましょう。 その視覚のない四感を基盤にした認識における科学は その範囲内でそれなりの世界観を導きだすことができます。 しかし、その世界観が、視覚のある世界を否定することはできません。 芸術的感性や魂の受容度などの「差」に応じて 「世界」は「同じ」とはいえないということもまたいえるのだと思います。 ですからここでは、まずは、「ファンタジー」としてでも、そういうビジョンから 人間、地球、宇宙をとらえてみることからはじめてみましょう。 次章からは、そうしたファンタジーのなかでももっともファンタジーっぽい 「宇宙の進化」について見ていくことにしたいと思います。 (第7章/終了) ☆☆☆KAZE☆☆☆               ☆☆☆KAZE☆☆☆ - FARION MES(14):預言解読村  ★ 預言・予言は何を語るか 95/11/20 - 03363/03364 KHC01313 まるにちょん RE:十種神宝は、王位継承の証 (14) 95/11/20 03:05 03361へのコメント  #3361 はな さん どうもです。きっとお仕事忙しいんでしょうね。 >> 「幽遠(ユウオン)に木霊(コダマ)する「ハジカミバシ」の音、桜咲く頃、壷の中‥」 >>  (95/02/14) >> >>  ここにも「はじかみ」が出てきます。もっとも「ハジカミバシ」になっており、ど >> うしてこのような差が出てきたのか、まだ分かりません。 >> >>  「ハジカミバシ」は「84カミ84」とでも読むのでしょうか。  うーむ、このハローはなかなか難物で、正直に言って何を意味するのかが分か りかねています。(--;  ところで、84という数は、よくでてきますよね。  84を西暦でいうと、1984年で、ハレー彗星がきた年でもあります。  おそらく、ハレー彗星からの何らかの影響が、地球や人類に大きな何かを与え たのだと思います。  で、84カミ84ですが、84火水84とも当て字できます。  私は、この84を橋と考えてみます。           /        O     |    火        />   彼岸 =====     ===== 此岸      | | |  水  | | |        火         水 幽遠の中を、彼岸と此岸に架かる橋の上を、何かが足音を立ててやってくるの ではないかと考えています。恐らく鬼ではないかと推察しています。  その、橋は、火の上に架かるものと、水の上に架かるものと二つあるのではな いかと思います。火と水は、浄化の象徴であり、実際の現象でもあると思います。  書いてて思い出したのですが、長野県の穂高には、大王わさび農園があり、清 流の流れる川に、わさびを植えているのですが、そこには大きな橋が架かってい て、上からわさびの青々した葉が見えました。橋の行き着く先には、大王と言わ れた「鬼」の岩窟があるんですよ。ハジカミバシは、はじかみ橋だとも思えますね。  奇妙なシンクロを感じています。  あ、そうそう、私がそこへ行ったのが、今年の三月の下旬で、ちょうどわさび の可憐で白い花が咲いていました。わさびが色立つトキでしたね。  しっかし、「壷」ってなんだっしょう?    では、また。                   まるにちょん、○=ゝ 03364/03364 PAG03134 はな 753 (14) 95/11/20 06:27 03356へのコメント  mes#3356にて七五三について、少し触れるとお約束しておりました。  ちょっとばかり前、ARIONからこんな話を聞きました。      「7と5と3は、旧来の掟を破り表に出る。       この時隠されるのは、1である。       1はカミであり、カイである。       スメラミコトの数字でもある。」  このメッセージには、これまでこの会議室で疑問になっていた点を解 決してくれる事柄が多く含まれています。  「光の黙示録」では「10:絶対神」と扱われており、この数字を基に、 発言をしたことがあります。(mes#02903) 『光と風の回転によって 水が生まれる  風と地の回転によって 火が生まれる  火と風の回転によって 地が生まれる  光と火の回転によって 風が生まれる  六 → 八 → 四 → 一〇 → 二 → 一 (大地から最高神へ)  読みは四と三  月は三  月読みは三と四と三 日読みも三と四と三であった  (今は そうではないという意味)  太陽はエール 三、四、三  月はミューア 三、四、三  エールとミューアで 二〇  最高神が 一〇  一〇を分けた二〇であれば均衡状態              ~~~~~~~~  (今はそうではないらしい)  今 現在の数については 教えてもらっていません』                 (光の黙示録23) 『 六 → 八 → 四 → 一〇 → 二 → 一  (大地から最高神へ)             』  これをみると、両側が大地と最高神を表わしているという、重要 かつ確実なヒントです。  「6‥大地」、「1‥最高神」 としてみます。これでいいでしょうか? これではツメが甘い状態 です。それは、  『 最高神が 一〇 』 と、書かれているからです。すると、  「6‥大地」はいいとして、「10‥最高神」と、考えなおす必 要があります。残りの「2」と「1」が不明ですが、mes#2891には 「2」と「1」が出てきませんので、割愛します。気になるくらい だったら、とっととそれ以外の数字を解かねばなりません。」                     (以上mes#02903より)  「1」が何を意味するのか。それは「最高神」ではありませんが、 「カミ」であり「カイ」を現す数字だとARIONは言います。  また、1は「スメラミコト」の数字でもあるそうです。このスメ ラミコトが、「7と5と3が、旧来の掟を破り表に出る時」に隠さ れることをARIONは伝えています。  「7と5と3」は「7と8」という見方ができます。  ARIONは続けてこう言ってくれました。  「出雲の八は日向の三と五を持つ数字である。   さらに、この隠された五は「二と三」に分けられる。   かつ「一と四」にも分けられる。」  「まことに八は、隠された数字の部分を多く持つ数字であり、こ   れ故に末広がりとして構成に伝えられることになったのだ。」  これらの情報を基に、さらに預言解読を進めるつもりです。みな さんもご意見がありましたら、是非お寄せください。                       はな - FARION MES(15):マホロバ誕生 ★ 大和魂復活のために 95/11/20 - 00381/00384 NBB01420 SUKE RE^2:狡い甘えとコトナカレは亡国に導く ダロ (15) 95/11/19 22:44 00379へのコメント #379 ひろさん、はじめまして。 SUKEと申します、よろしく。 私の職場では、何度電話しても話し中の某会社サポートセンターに、一日中電 話をかけてくれた事務員がいます。 つまらない決まりかどうかは分からないのですが、少なくともルールを守ろう とする努力をする人間を「要領が悪いやつ」と小馬鹿にされたような感想を持 ちました。 まして >>むしろこういう大阪人根性が、 >>えーかっこしいの東京人の作った これでは如何にも大阪に囲いを造って東京に向かって競争意識をむき出しにす ると言う感じしか受け取れないのですが(^^;) 神奈川に住んでいる私としては、何を競争ぶってるんだかと思ってしまいます。 もっともひろさんもそのようなつもりでは無かったのでしょうけど。(^^;) まるにちょんさんのお話の主旨は、「世の中ごねれば通ると思っているのは考 えが甘いのではないか?」と言うことであって、「何事も生活をかけて一生懸 命なら許される」と言う話ではなかったと思います。      最初から辛口でしたが、今後ともよろしく(^^)…☆ッテナモンダ Suke. 00382/00384 KHC01313 まるにちょん RE:狡い甘えとコトナカレは亡国に導くダ ロウ (15) 95/11/20 03:05 00379へのコメント  #379 ひろ さん どもども、お久しぶりです(^_^) ひろさんのRESももっともなんですが、どうも例の業者はそんなに仕事熱 心でもないようですよ。(^^;  で、RESの形でもう少し説明をしますね。 >> この営業なり社長さんが、仕事を取れないと、 >> 金が入りません。入らないと社員が路頭に迷います。 >> そうしたら仕事をとるのに、つまんないルールや決まりを守ってる >> 余裕なんかありません。秘密の電話番号を知ったら、これ幸いと必死に >> しがみつくのは当然でしょう。  まあ、そうなんですけど、多くの他の業者は、例の電話番号を知っていても 一応ルールを守ってくれて居るようです。(例外はあったりするそうですが)  例の業者は、全くルールを守る気がないそうです。 >> これほど強引をしても、仕事を切られないのは、 >> そうするだけあって、仕事も良く出来るのでは?  それが、仕事が良くできて、しかも仕事熱心が高じてのルール破りならば、 知人もそんなに問題視することはなかったと思います。  つまり、例の業者は、知人の上司におんぶに抱っこ状態で、きっちり仕事を こなすのではなく、ある程度はやるけど、不都合はそちらでなんとかしてよ、 って人なんだそうです。(--;  面倒なことは、押しつけてくるので、困ってしまうのだそうです。で、断ろ うものなら、秘書課に怒鳴り込むんだそうです…。  極言するならば、甘えているんです。 >> そうでなければ、幾ら強引でも、ひろの所は切られます。  そのとおりなんですが、困ったことに、騒がれるとイメージダウンに成りか ねないし、そうなるとなぜか叱責されるのは上司なんだそうです。で、上司も やはり我が身が可愛いので、なんとかコトナカレで済ましたいのが本音のよう だそうです。 >> むしろこういう大阪人根性が、 >> えーかっこしいの東京人の作った >> 今までの仕組みをぶちこわして、 >> 新しい活力を生むと思ったりしますがどうでしょう? 確かに大阪人のパワーは、既成概念を覆すくらいのものはあると思います。 しかし、大阪人のガメツサ(どん欲)さには、私も大阪人として時に恥ずか しくなってしまうんですよ。(^O^;  我さえ儲けりゃ、後は誰が迷惑してもかまわないってところが、最近とみに 目立ってきてますね。不況だからでしょうけど、仁義をわすれれば、人間とし ての誇りを失ってしまいます。  私は、大阪人のパワフルなガメツサが、仁義を貫き人間としての誇りを守る ものでなけりゃ本物ではないと思っています。  どうせガメツイならば、小欲よりも大欲ならんってね(^_^)  では、また。                  まるにちょん、○=ゝ 00383/00384 PXY03747 諏訪みのる RE:「サンクチュアリ」語録(1) (15) 95/11/20 16:56 00373へのコメント  アマデウスさん、こんにちは。  兵庫県も北部の方は、紅葉も既にピークを通り過ぎ、山々も全体に茶色っぽく なってしまいました。地面には落ち葉が重なり落ちていて、下になった葉は既に 腐りかけています。  おかしいかもしれませんが、こうした枯れ葉の腐った匂いって、慣れているせ いか私は好きなんです^^;)。 そして、この枯れ葉達は新しく土の養分として生き て、次代の我が子孫たちの成長の為に役立って行くんですよね。  ・・・素晴らしい命の循環です。  ・・・さて、人間は?。(^^;) ナンチュウ カキダシヤ…; > 安易に他者を叩く人達も、叩かれたことを免罪符にしてしまう人達も、同じ >ように悪いカルマ(^^;を積んでいるのでしょうが、この際他者のことはおいと >いて、少なくとも自分は転嫁しない生き方をしたいですね。  叩かれる…と言うと、つい先日にも代議士の偉い先生が、「暴言」を吐いたか 吐かなかったという事で、マスコミや関係各国からバコバコ叩かれ、辞任に追い 込まれるというニュースがありましたが、この手の暴言問題は叩いても叩いても 雨後の筍のように出て来ますよね(モグラ叩きゲームとも言える)^^;。  この手の問題が浮上する度に思うのですが、もし自分の言い分に確固たる信念 があるのなら、そして 同じ政治生命を賭けてでも言いたいことがあるならば、 どうしてその意見を押し殺して「うやむや」にしてしまうのか、不思議でなりま せん。こういった問題こそ政府・国家を挙げて事実確認なり検討作業なりを真面 目に行うべきなのではありませんか?。どうも陰でコソコソ・ビクビクしながら 愚痴や不満を言っている貧相な輩達…っていうイメージがあります。  この手の問題を口にすること事態が“善からぬこと”として観念づけられてい るような風潮にあるように思われるのですが、公正でオープンな立場からの検討 作業を行うのであれば、誰からも非難を受けるはずもないでしょうし、結論が出 る以前に作業そのものを非難するような者がいるならば、それこそ彼の非論理性 を自ら暴露するようなものですから、なんら支障があるはずがないと思うのです が、いかがなものでしょうか。  そして、出された結論について論議して行くというのが本筋で、(これは今ま で真剣に取り組むことのなかった行政関係者の怠慢と勇気の無さが原因でもある と思いますが)正しい事実関係の把握なしに議論しようとしても端から無理があ る訳で、あたかも感情論で行政が行われるという“漂流行政”に陥ってしまって いるように思えます。 > 平和ボケしてしまってバッシングに抵抗力がないままでは、本当に将来は暗 >いですよね。  はい、とっても。(^^;)  バッシングに抵抗力が無い理由の一つには、「何故?」という原因解明ができ ていない事が挙げられますよね。そして仮に原因の解明ができたとしても、それ を他に説明・納得させられないという非力さ…ですか。  「まあまあ」「なあなあ」の事なかれ主義って言うんでしょうか。長いものに は巻かれろ主義とでも言いますか、何でも真っ向から立ち向かおうとする態度が あまり見られないですよね。自分も含めて、そういった態度は改めて行かなけれ ば、ますますグローバル化して行く国際関係に於いて、日本はリーダーシップど ころか、発言権すらも奪われて行ってしまうことになりかねないですよね。  頑張らないと!(`´)。ビシ ビシ でわ、では(^^)/                みのる♪デシタ。 00384/00384 PXY03747 諏訪みのる RE:「オデッセイ」について (15) 95/11/20 18:44 00376へのコメント  まるにちょんさん、こんにちは。  議長さんがお留守の間に「サンクチュアリ」の語録感想会に参加させていただ いております。(^^;)マタ ヤッテキマシタ♪ 「オデッセイ」についてのフォロー、ありがとうございます。(^^)/ 私もあれから、書店で立ち読みさせてもらいました。(^^) ← カッテナイデス > いわば鬼子のように扱われている自衛隊をクローズアップすることによって、 >PKOやPKF、未解決の戦後処理・補償を問題にしています。  チラッと読んだだけですが、確かにそのようですね。 確かにこの自衛隊の問題は、日本では「鬼子」ですよね(^^;)。 扱い様によっては直接「日本国憲法」に触れなければなりませんし、 「過去の歴史」という、良く解らない“足かせ”も問題を複雑にしています。 でも近い将来、避けては通れない問題となるでしょうし、賛否はどうあれ、 こうしたメディアを通してでも多くの人々に真面目に考えてもらいたい問題です。  「自衛隊」「憲法」については、「沈黙の艦隊」という漫画でも扱っていたと 思う(読むのが途中で止まってしまった^^;)のですが、今回の「オデッセイ」の ストーリー展開も興味深く見て行きたいと思います。 >私は立ち読みしてまして、単行本になってから買おうと思っています。  私も単行本を待ちます。(^^;) ← イジニナッテル でわ、では(^^)/               みのる♪デシタ。 - FARION MES(16):■特設会議室 ■ シルバーバーチを語る 95/11/20 - 094/099 BYA03363 KZ RE:愛とは何か? (16) 95/11/20 01:13 090へのコメント コメント数:1 ジョリーさん、おひさしぶりです。  愛についてですね。  そう、愛と言っても色々ですよね。私はよく「無私の愛」 といいますが、この「無私」というのは実は「愛」の中に 含まれちゃっているものなんですよね。でも、あえてそう書 くのは、「愛」の意味があまりにも曖昧になっているからな のです。その色々出来ちゃった「愛」では「愛」本来の意味、 最も大事な所が抜けちゃっているんです。  だから、わざわざ「無私」なんてつけちゃってるんですよね  仏教でいう「無我の境地」とは実は「愛」なのではないでしょ うか?と私は思っています。「無私」「無我」同じ意味に思えま せんか。どうでしょう?    つまり、「無我の境地」とは「愛」そのものであり、全く利他 的、自分の事を省みずに行う奉仕そのものを行うことではないか と考えています。  禅や瞑想で得るものではないように思います。行為そのものの 中に存在する自己の意識、そこに自我の欲が入っているか、全く の自己犠牲か、その所に判断の基準があるように思えてなりません。  また、こむさんに怒られそうですが、瞑想自体でも「無我の境地」 (つまり「愛」と言う意味でですが)を体現する方法はあります。 しかし、それだけではないという意味にとって下さい。 >しかし、それは現実には不可能なことであると・・・  不可能ではない(ようです。)<−−えらい弱気やね  シルバーバーチはこうも言っているはずです。 −−必要なものは必要な時に必要なだけ必ず間違いなく与えられる−−  たとえ全財産を投げうっても、生きる道が必ず開けるということでは ないでしょうか。  しかし、そこまでする必要はないのではないでしょうか、自分の出来る 範囲で精一杯のことをすれば良いのではないでしょうか、なにも全財産を 使わずとも、日常生活至る所に愛を持って行えることが山ほどあるはずで す。それが出来なければ財産を投げうつことなどできないように思えます  あいさつ、仕事、友達との会話、・・・その中で、いくらでも「愛」 (完全な利己心のない自己犠牲)を行うチャンスは無数にあります。  そういった小さなことを積み重ねていかなければ大きなことは出来ない ように思います。  これはシルバーバーチの言っている愛と全く同じもののように思います  愛は、金額や事の大きさで計れるものではないのではないでしょうか。  一人の人を助けるのも、1億人の人を助けるのも、犬を助けるのも、動機 において利己心が無ければ同じ愛の行為です。  まったくそのとうり身近な自分の出来ることから始めてなんの不都合も不 利益もありません。また、それから始まるのが正常なんですよ。           えらそ−なことを言うわりに弱気な KZ でした。