二つの亀裂は同方向を向いてはいるが決して一つになることはない - FARION MES( 2):Wellcome All ◆ 四次元喫茶 カルフール 95/11/24 - 04931/04939 VYC12176 フロリクス61 はじめまして ( 2) 95/11/23 19:23 コメント数:1 はじめまして。 今、「明恵 夢を生きる」河合 隼雄著(講談社+アルファ文庫) を、とても興味深く読んでいます。 どうぞ、よろしくお願いします。 04933/04939 GGA02514 KAZE RE:はじめまして ( 2) 95/11/23 21:18 04931へのコメント フロリクス61さん、はじめまして&ようこそ。 MES13の議長をしておりますKAZEと申します。 >今、「明恵 夢を生きる」河合 隼雄著(講談社+アルファ文庫) >を、とても興味深く読んでいます。 ということですが、河合隼雄さんの著書は、ぼくもけっこう読んでます。 新刊でも「ユング心理学と仏教」(岩波書店)という テキサスA&M大学で行なわれた今年の春の連続講演の記録が 出されてますよね。 それはそれとして、すでにフロリクス61さんはMES10で 夢の話をされているようですので、特に夢に関心がおありのようですね。 ぼくは夢については、そう詳しいわけではありませんが、 精神分析などに興味がありましたので、少しは関心があります。 明恵上人の夢日記は有名ですが、日本では、 法隆寺に「夢殿」というのがあったように、 夢はけっして幻ではなくて、「うつつ」だったようです。 そうそう、日本の古代からの夢の歴史を精神史として描いた 西郷信綱さんの「古代人と夢」(平凡社ライブラリー)というのを 興味深く読んだことがあります。 MES10では、今、カスタネダについてのテーマも展開されてますが、 その著書には、そうした「夢」についての驚くべき洞察があるように思えます。 「夢」についてのさまざまな対話から、いろんなことが見えてくればいいですね。 ・・・と気づいてみれば、自分の担当の会議室の宣伝ではなく、 MES10の宣伝になってしまっていました^^;。 河合隼雄さんというので、つい、いろいろお話してしまったようです。 ま、ということで、当フォーラムにはいろんなテーマの会議室がありますので いろいろのぞいてみて、興味のある部屋で十分遊んでみてくださいね。 では、今後ともよろしく(^^)。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 04934/04939 MXF01761 たけくま RE:はじめましての御挨拶 ( 2) 95/11/23 23:00 04930へのコメント >みれ さま そうですね。ぜひ一度お会いしましょう。 >竹熊さんと一輝どんねぇ…想像している私…(^~^;) >面白そうですね…でも結構編集されちゃうんでしょうね。 >編集前のものの方が面白いかも… ええ、かなり編集していますが、一輝どんと相談した上で全部私がまとめま したので、そう見当外れな内容にはなっていないと思います。 でも、僕や一輝どんのフーテン時代をかなり赤裸々に暴露してますので (時効でなければ書けない話題も含めて)結構過激っすよ(笑)。 そのうち12番会議室にオリジナル・ロング・バージョンを発表する計画も 勝手に考えております。その際はヨロシク(笑)。 なおちょっと宣伝になってしまいますが、『私とハルマゲドン』という本が おととい太田出版から出ました。12番にアップした原稿をさらに大幅に 書き直した文章も入っています。よろしかったら、ぜひ読んでやってください。 たけくま 04936/04939 GCG01101 アマデウス カラスの群れ ( 2) 95/11/24 00:56   今日お昼過ぎ、外で妙にカラスが騒がしいと思って窓から見てみると、  カラスの群れが近くに建物の屋上や木や電線にとまっていた。群れと一口  に言うけど、半端じゃない数だった。カラスが数十羽群れている所を見る  と、何かが起こるのではないかと言う気がしてくる。いったい何だったん  だろう。                               アマデウス - FARION MES( 6):ハロー・メッセージ ★ 今日のハロー・メッセージから 95/11/24 - 00253/00261 KFQ02761 しまうま 昔のハローメッセージから ( 6) 95/11/23 20:11 :自らの心に耳を澄ますと、恥ずかしい事もある…それで当たり前だ :問題は恥ずかしいと思うことではなく、それを隠し偽る事にある :他者に対し、何かを隠し偽りたく思う時の自分の望みは何だろう? :外的評価を思いのままにしたいと望む時、往々にして偽りが生じる :外的評価を思いのままにしたとて、自分自身が変化する訳ではない :自分の「心=魂の前庭」に沿わない事は、「腑に落ちない」ものだ :腑に落ちない事を放置し続けると「心=魂の前庭」の機能が落ちる :「心=魂の前庭」の機能が落ちると、良心の働きが悪くなる :良心の働きが悪くなると、人は人であることの意味すらも見失う…  うーむ。「外的評価を思いのままにしたい(偽りたい)」という望みが発する ところから「人が人であることの意味すらも見失う」までの流れというのは、 本当に一本道だなあと思う。少なくとも「良心の働きが悪くなる」ところまで はすぐにたどり着いてしまう(経験者談)。 『自分の「心=魂の前庭」に沿わない事は、「腑に落ちない」ものだ』  今感じているモヤモヤ感というのは、この「腑に落ちない」という感覚と同 じものだろうと思う。しかし、このモヤモヤ感などとゆーものは、ちくとマン ガなぞたしなんでおるうちにすぐさま忘れてしまうのだ(最近は西原理恵子の バクチものに注目)。いや、本当に忘れてしまうわけではなくて、読んでいる 間だけ無感覚になれる、というだけなのだが。  こうやって少しずつ良心が麻痺していくわけですね。あはは。あははは。  で、良心が麻痺するとますます「外的評価を偽る」ことに対する抵抗感が薄 らいでいくのであった。ちゃんちゃん。   しまうま(KFQ02761) 00254/00261 KFQ02761 しまうま 風の谷のナウシカを読んでいたら ( 6) 95/11/23 20:11  7巻の最後ごろ、シュワの墓所の底にある「脈動する肉塊のような壁」の話 が出てくる。この壁には、旧世界から伝えられた知恵が、毎年の冬至と夏至に 1行ずつ新たに刻まれていく、というのだ。そして、その文字を土鬼(ドルク)の 僧会のものたちが解読し、さまざまな(悪しき)技術を復元していく……とか いう話だ。  これって、なんかハローメッセージに似ているなあ、と思ったりした。  ハローメッセージのペースは1日1行だし、マンガの方は生み出されるのが 「悪魔の技」である、ってところが大いに違うけど。  それにしてもナウシカって何度読み返してもよい。特に1巻から3巻までは どの巻にも「泣かせどころ」があってよい。7巻目もユパが死ぬところなんて 読むたびにぢーんときてしまふ。                    そんだけ(^^; しまうま(KFQ02761) - FARION MES(11):狼を生きる  ★ 平井和正の著作から 95/11/24 - 01850/01851 JBH00712 桂 桂 RE^4:辛酸入佳境 (11) 95/11/24 01:42 01842へのコメント  #01842 みんた さん  「辛酸入佳境」の紹介、有り難うございます。  近日中に書店を駆け巡って探し出してきます。あるいは古本屋かな。 辛酸入佳境 楽亦在其中  田中がしたためたこの漢詩には、体験したものにしか解らない重みというのが 込められているいるような気がします。  この時代の政治家というのは現代とは違い、正に身代を削ってでないと政治家 という仕事を続けられない程金が必要なものであったというのをどこかの本で読 んだ記憶が有ります。  普段の人間であるなら易きに流れるものを、「怒り」に殉じる一生を添い遂げ たその純粋さには、ただの澄み切った奇麗さのみだけでなく、世にあって当然の 理不尽さを許さぬ壮絶な覚悟を伴った力強きものを感じます。ただ勢いに任せて 「怒り」を顕にするのは、これは誰にでも出来る簡単な感情でしょう。  しかし、 < 私が、彼から学ぶべきは、「どこでその『怒り』を顕にすべきか」というより <  は、いかに「怒る」かだと思っています。  みんたさんがこう表現するように、どこでそれを表へ出現させるか、そしてど んな怒り方をするか、それによって向かうべき感情の力が単なる感情表現で終わっ てしまうのかそれとも周囲の人達をも巻き込むような大きなうねりになっていく か、その価値が決められるかもしれません。  みんたさんは自分を臆病者かもしれないと言っていますが、僕はそうは思いま せん。  これは僕自身の体験から言えることなのですが、本当の臆病者というのは、言 わざる時に言わぬべき人、そして見て見ぬふりをする人を指す事だと思っていま すから。  ですから自分の意見を自分ではっきり言える以上、それは臆病には当たらない と思うのです。本当の問題は、「怒るべき時に怒らず、言うべき時に言わず、や るべき時にやらざる事」が、何時の時でも遺恨として残るものではないでしょう か。 <  そんなことが、果して自分にできるのか、畏れおののいてしまいます。  それをやり抜くのには、僕は自分の枠を飛び出そうとする意志「勇気」が、必 要ではないのか、このようにも思えるのです。 桂 桂(JBH00712) 01851/01851 VFD01505 みんた 辛酸入佳境 番外編 (11) 95/11/24 12:11 ダムの問題を通じて知り合った仲間の作った歌を 是非皆さんに聞いてもらいたいなと思ったんで、 本人の許可を得て歌詞を転載させていただきます。 今日は、演奏バンドに代わり、皆さんにこの歌を 捧げてしまいます(^o^)/。 【 計画の再考ができる立場にいる全ての人に捧げる歌】 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− あなたは世界だ (作詞/作曲 ヘンドリックス石井) 純真な人がまた騙されている  正直な人がまたいじめられてる ウソをつく人が大きな顔してる  自由のない人がロイヤルスマイルふりまく そうだろ そうだろ そうだろ いいだろ いいだろ いいだろ 僕らが黙ってりゃダムがあちこちできて 川がまたひとつコンクリートで死んでく 僕らが黙ってりゃ原発がまたできて 罪のない明日にツケがまわっていく そうだろ そうだろ そうだろ いいだろ いいだろ いいだろ 戦ってきたあなた 戦わなかったあなた あなたは世界だ あなたは世界を変えられる −−中略−− うたってるだけじゃ世界を変えられない 絵をかいただけでも時代は流れ変えない デモをするだけじゃ平和な日は来ない キスをするだけでは愛は伝えられない ウソだろ ウソだろ ウソだろ いいだろ いいだろ いいだろ 戦ってきたあなた 戦わなかったあなた あなたは世界だ あなたは世界を変えられる いい奴が泣いてる正しいものが負ける 弱いものが苦しんでるつみのない人が死ぬ 祈ってる人を笑ってるだけの奴ら 汗をかいてる人をバカにしている奴ら あぁ あぁ あぁ あぁ あぁ あぁ −−−−−−−−− 以上 - FARION MES(15):マホロバ誕生 ★ 大和魂復活のために 95/11/24 - 00392/00394 KHC01313 まるにちょん RE:日月神示 神は理(コトワリ) (15) 95/11/24 00:31 00386へのコメント #386 諏訪みのる さん まいどまいどの書き込みありがとうさんです。(^^)(^^) >>  「神は理(コトワリ)」、『そうそう♪』と頷きながら読ませていただきました。 >> まるにちょんさんの信仰態度は(おそらく^^;)私と全く同じです。 本当は、「神は理(コトワリ)」は、日月神示の文そのままで良くって、下手に コメント付ける必要はないんだろうと思いますが、私なりの信仰というか、神 観みたいなものを書いたのです。 >>  私の場合、この「全てを任せ切る」っていうのは自我(エゴ)が邪魔をして、 >> なかなかとっても難しいのですが(^^;、それにもメゲず、この心境に常にいられ >> るように心がけております。  私なんか偉そうなことを書いてますが、実は、日々我よし(我欲)心と対面して いて、ほとんどの場合、敗北しています。(^^;  でもね、最近は、この我よし(我欲)の動きが何となくではあるんですけど、分 かるようになってきて、「ああ、今我よしさんが動いている」って感じる場面があ ります。思うんですけど、我欲を無理矢理抑えるのでは、かえって逆効果でいつか 反動が来るんじゃないかと思います。  でね、我よしさんの動きをよく見つめて、動き出したら「どうしたいの?」って 聞いて観るんです。でもって、暴走しないように我よしさんと交渉するんですよ。 「ふむふむ、そういうことがしたいのね。」とか「こういうことが嫌なのね。」と か一応理解してあげたその上で、「じゃあここまでならいいよ」とちょっとばかり 譲歩して、我よしさんをなだめてあげるんです。こうすると結構我よしさんは、納 得してくれて、ダダをこねたり、暴走するのを止めてくれる訳です。  これだけで終わらず、我よしさんの動き出した原因を突き詰めておくことも忘れ てはならないでしょう。我よし暴走防止の傾向と対策がし易くなりますからね。  ここで「我」について考えますね。  「我」って言葉は、日月神示に良く出てくるタームですが、「我」そのものに善 悪は無いと思っています。  確か、日月神示で、「我はあっても困るし、無くても困る。難しいなぁ」ってあ った様に記憶しています。どこに書いてあったのか記憶が…(^O^;ナハハ  「我]が強くなくては、何ものをも貫き通すことはできないのです。  「我」が強すぎて利己的に動き出すと、「我欲」になり「我よし」となってしま うのです。  でもって、この厄介な「我」というもののバランスと言うか、操縦がポイントと なってくるように思うんですよ。ほんまに難しいことだとおもうんです。  話を本筋に戻して、っと(^^; >> そして「全てを任せ切る」ってのは、裏を返せば、神仏の方からも「任せられ >> ている」という事も言える訳ですから、いわゆる“神仏の代身”としての自覚を >> 持って自分を律して行かねばならない義務(?)もあったりして、自由気儘な心 >> の舵取に苦労します^^;)。アバレウマノヨウナココロデスカラ…  ええ、全くそうだと思います。まかされているからこそ、人間には自由意思と言 うものが与えられていると思います。だって、人間が悪いことをしないようするに は神様が人間を操ればいいわけですが、実際にはそうでない。たぶん、失敗からも 学ぶように仕組みがしてあるのだと思うのです。「悪」には「悪のお役目」がある と言うことだと思うのです。 >>  私は、表面上は(…何か変な言い方ですが^^;)仏教徒と思われても、それはそ >> れで間違いはないのですが、内面(心)では「神様」と「仏様」との明確な区別 >> は無くて、実際我が家でも(これはあくまで“形式”としてですが)「仏壇(阿 >> 弥陀様)」と「神棚」のどちらも丁重にお祭りさせていただいております。つま >> り私にとっては神様も仏様もどちらも大切(これも変な言い方ですが^^;)なんで >> す。  かつて日本でも、神と仏の関係を本地垂迹説を唱えて、仏が主、神が従としたこと があります。日本の古代神が下位に置かれたのです。  これを「仏魔」が入ったと言っていると思います。  日月神示にも「何を信仰してもよいのじゃ、順序さえまちがわなかれば」と言って いたように記憶します。またまた記憶が…。(^^;  確かに、仏というものは外来のカミ(仏教で出てくる観音や菩薩を含む)なのです が、根本的なことは同じだと思うのですが…。  謡曲の「誓願寺」に「神といひ、仏といひ、只是れ水波の隔たりなり」とあり、神 も仏も本質的には同じであることを言ったものだと思っています。  現在の仏教は、葬式仏教と化し、お釈迦さまが興してものとは違いますが、考えよ うによっては、古来からある先祖崇拝を連綿と保護してきたと言うことではないかと 思います。日本人の古代の信仰は、この先祖崇拝と自然を神として崇め讃えたのでは ないでしょうか。  私は、現在に欠けていることは、先祖を大切にしお祭りし、また神に対する敬虔な 信仰ではないかと思います。先祖をないがしろにしては、根無し草になってしまいま すね。  おっと、長々と書いてしまいました。  では、また。                     まるにちょん、○=ゝ - FARION MES(16):■特設会議室 ■ シルバーバーチを語る 95/11/24 - 112/112 GDA00236 矢口 俊司    愛について (16) 95/11/24 10:06  皆様が、愛について語り合っておられるようなので、僕の中での 「愛」についてを書きたいと思います。  僕は、「無私の愛」は、無いと思っています。  というと、語弊を産んでしまうかもしれません。  これが言葉という物の不便なところであるのですが、  愛する人の為に何かをしたいという欲求があって、  初めて行動をとるわけですから、自分の欲求を満たすための  行動であって、完全なる「無私の愛」では無いと考えています。  だから、無私だとか、無我だとか、奉仕だのと鯱張らず、  唯、自分が相手にやりたいと思うことを素直に、やるようにし  ています。  聖書で言う「右手が行うことを左手に判らないように」、  分かりやすい言葉では、「無意識のうちに」、人の役に立てる  事が最良なのでしょうが... また聖書での「汝の敵を愛せ」もシルバーバーチが語る内容と  全く同じものであります。  レッド・クラウドの中でも、聖書からの引用 (全く同じ言葉ではなくかなり言い換えられています、 レッド・クラウド曰く、「聖書の言葉はだいぶ変えられているため」) が多数あります。  いつになったら「無意識の愛」を「全てのもの」にふりまく事が出来 るようになるのだろうかと自分に問いつつ、又次回の書き込みまで。 GDA00236/矢口俊司 - FARION MES(19):世も末ばなし ★ ぶっ飛び話・罰当たり話 95/11/24 - 718/718 QZY01267 猫の手 RE:生命の記憶 (19) 95/11/24 02:22 717へのコメント  バトゥーラさん初めまして、猫の手です。  もらってきたPowerBook100をカスタマイズしていたら、私の持っている PowerBook150もろともおかしくなってしまい、手も足もでない“亀さん”状態 に落ち入っています。  そんな訳でこれもUPできるか分かりません。   >> あんた自分の家壊してどうするの!? >>お隣さんがそれしてたら、「おいおいちょとまってよー!」て、 >>友達ならだれでもいうわなぁー たぶんあちこちのチャネラーが言っていることはそういうところから生まれ てきているのでしょうね。  ただすべての生き物は経験したくてそこに生きているようだから、それがど んな経験であれ、経験するしかないのかもしれません。  だから私は、「本当に経験したかったことはどんなことだったのか?」とい う問い掛けをすることが大切なんだと思います。どんなことであっても、やる こと、やったことを見えなくしていても、感じられなくしていようともそれに 値した分だけ自分に戻ってくるのですから。  一般的なカルマの考え方とともに私には「遠い未来=遠い過去」という強い イメージがあり、今この世界で見て感じているすべての存在を自分が生きるこ とになるような気がしています。  こんな考え方は多くの人には飛躍のし過ぎと思われるかもしれません。で も、この宇宙は元々なんにもないところから生み出されつくられたのですか ら、意識していようと意識していまいと誰もがこの宇宙を生み出した創造者と 言われるものの細胞の一部であることは確かだと思います。  時間もなかった。  空間もなかった。  光も闇も元々なかった。  なにもない中で神は  この宇宙を生み出した。  自分自身をつかって生み出した。  ただ必要だった  創り出すことが必要だった。  創り出さずには居られなかった。  すべての空間  すべての時間の中で苦しんだ。  すべてが自分だったことで苦しんだ。  この宇宙の中にはなにもないってことで苦しんだ。  忘れてることがあるということは素晴らしい。  思い出せないということは素晴らしい。  気づけないということは素晴らしい。  ただ今というときがあることは  とても素晴らしい。    思い出させる必要もなかったけれど、  思い出す必要もないけれど、  あまりに自分で自分を傷つけすぎて  あまりに痛めつけすぎてしまって、  それもあまりに辛すぎて、  そろそろ少し取り戻してもよい頃かもしれない。  そんな気がして  そんな気がして  書いてます。    気に入らなかったら御免なさい。  つまらなかったら御免なさい。  私があなたを生きてるときも、  幸せであり続けたいと思うから、  あなたはあなたを生きればいいと思っています。  あなたが幸せだというならば、  それ以上何も言えません。    こんな文章が浮かんできてしまいました。  この会議室があって、私が通信ができる状態であるならば、誰かにやめろと 制されるか、自分でやめたくなるまで少しずつ少しずつ、私の思いを綴ってい きたいと思っています。私のつたない文章を読んでくれてありがとう。           ** QZY01267/『猫の手』でした。 <04/01/02 05:04:30> **