心の動きと欲に彩られた感情の動きとを分けて見据える練習を… - FARION MES( 4):オ   フ ◆ 出会いふれあいトーク 95/11/27 - 01111/01112 SDI00635 みれ RE:めのくり追撃オフレポート(総括編) ( 4) 95/11/27 07:44 01109へのコメント  #01109 著美 さん  オフのレポートご苦労様でした(^_^)  著美のレポート最高です。  ウルヴィーさんの原稿がスススゥ〜と座席の後ろに消えたのには驚きました が、中座されたご主人様の代わりにちゃんと場を賑わせてくれた「原稿くん」 には頭が下がる思いでした。ウルヴィーさんの躾が行き届いてるのね(笑)  ウルヴィーさん、カッコイイ原画ありがとう。  これをスキャナで取ってデータライブラリに入れさせて頂きます。  で、原画はチャッカリ私が預かっておきますんで安心して下さい(^_^;)  一次会では、途中からシュメールさんが出席されましたね。  ARION書き込み寺での有名人(^^;)であるシュメールさんと会えてラッキ ーでした。  二次会の後、私は呑み足りないなぁとか思ってたんだけど、最後のカラオケ の店で出たサワー系に入ってた焼酎のお陰で、その後頭痛とムカムカで(^O^;) あれはきっと、焼酎甲類に違いない(-_-メ)  家に着いたら午前4時半頃…(^O^;)  久しぶりに夜明けまで呑んだ日でした。  昨日は、珍しく二日酔いで頭がガンガン、目はグルグル〜という状態でした。  最後までカラオケに残っていた方々、つくづくタフだなぁと思う次第です。  めのくり夫婦は噂に違わぬ面白夫婦でした(^^;)イロイロナイミデ  二次会ではARIONも交えての話も出て、実に有意義なオフでしたね。  ということで、私の(慣れない)オフ・レポートでした。 ・:*:・みれ・:・。,★ - FARION MES( 5):**/////*/////*/////*/////*/////*/////** 95/11/27 - 00389/00390 NBB01420 SUKE こんな気持ちは何年振りだろう。 ( 5) 95/11/26 18:58 夕暮れ時を過ぎたばかりの、まだ、生暖かい街並み 店の窓から見えるのは、こうこうと明かりをともして音もなく走る車 ゆったりしたBGM 薄明るい店内で、香ばしいコーヒーをすする。 多くの人が行き交う中、しかし僕はここに独り。 寂しい、けれどそれが心に沁みる痛みが懐かしくて。 車のライトの中に、昔の、とうに忘れていた想い出が残っているようで。 失恋した訳じゃない。 むしろ今日も楽しく過ごした。 語らい会った人は多い。 でも僕はただ独り。 親もいる。兄弟もいる。友人もいる。 でもその絆はどうだ? 僕はたった独りだ。    −−− これは精神的自慰なのか。浸っては流されると言う。俺もただの人間。 そろそろ閉店かな。街も冷えてきたようだ。          '95/11/24 運良く早い仕事帰りに喫茶店で。                     (-.-)…☆ッテナモンダ Suke. 00390/00390 KFQ02761 しまうま RE:明日に向かって・・・ ( 5) 95/11/26 20:42 00386へのコメント #00386 コットンマウスさん  こんにちは(^^)。  タイトルを読んで、ナガブチツヨシの昔の曲を思い出してしまいました(^^;。 : こちらは、本格的な冬の一歩手前です。雪が薄く積もったニセコスキー場 :の夜間照明は、とてもきれいです(^_^)  いーなー。たしかそちらの方に「ニセコアンヌプリ」とかっていう山があり ませんでしたっけ? 登山をやっていた友人が、非常に愛した山でした。きれ いな山なんでしょうね。 : ただ、「幸福な人生」の意義やそれを具現化する方法・手段についても、 :日常生活の中から考察を深めなければならないかと思います。  そうですね。これを忘れてはただの理想論になってしまいますよね。  「本当に幸福な人生」をつかもうとする過程では、必然的に「ウソやゴマカ シのない生活」を追求していくことになると思います。身の回りの人間関係の ウソ・ゴマカシを排除するところからはじめて、地域社会、あるいはさらにグ ローバルに政治・経済など……のウソやゴマカシまで見いだすことができるよ うになれば、現在の破滅に向かおうとしているシステムの本質がつかめるので はないかと思います。そうして、少しずつ大きなウソ・ゴマカシを突き崩す術 を覚えていけば、最終的にはその「破滅に向かうシステムの本質」に対処する 方策も、浮かんだりするんじゃないかなーと、これは多分に楽観論ですが、思 ったりします。  まずは「いかにして身の回りのウソ偽りを排除するか」というところから、 だと自分では思っています。                            しまうま(KFQ02761) - FARION MES( 6):ハロー・メッセージ ★ 今日のハロー・メッセージから 95/11/27 - 00287/00291 QWC01550 コットンマウス RE^6:きょうのハローだけど、 ( 6) 95/11/27 00:04 00262へのコメント #00262 しまうまさん  こんにちは(^^) >:地震に関しては、セミプロのくせに、 >えっ、コットンマウスさんてそうだったのですか。お詳しいはずですね。お >仕事の方ですか? それとも大学で?  仕事で、地震と関わりを持つようになって、もう3年になります(^^ゞ  この間には、北海道南西沖地震を始め、大規模な地震が多発して、事後処理に奔 走しましたし、阪神・淡路大震災以後、最初の県の防災総合訓練(毎年やってます) を担当することになり、想定震度、予想震源域及び訓練方法等について、頭を悩ま せたりしてましたので、多少は地震について、詳しくなりました(^^; それと、大学時代にも、危機管理と絡めて多少勉強していました(実際の現場で は、ほとんど役に立たなかったけど・・・(T^T)カナシカッタ!) >>九州の桜島あたりも不穏なムードだという噂もありますが、ホントこれから >>各地で「日本列島の身震い」が観測されるようになるのかもしれませんね〜。  最近、伊豆半島東方沖群発地震、喜界島地震、硫黄島周辺の海底火山噴火などが 立て続けに起こっていますから、もうどこで地震が起きても不思議ではないように 感じています。ARIONが言っているように、核実験を含む人類の愚行に伴うツ ケを地球へ支払う時期に立ち至っているのかも知れません。 >>:二つの亀裂は同方向を向いてはいるが決して一つになることはない >>これなんかも、見ようによってはプレートかなんかの話かなあと思ったりし >>ました。 印象がまとまりませんが、ちょっと難しそうですね(^^;                         コットンマウス(QWC01550) 00279/00291 NBB01420 SUKE RE^3:苦境に居ること ( 6) 95/11/26 18:56 00276へのコメント コメント数:1 #276 優位さん、お久しぶりです。 金縛りって私は経験無いんですが、死ぬ覚悟が出来てしまう程に恐ろしいもの なんですね。想像できないけれど、馬鹿に出来ない怖さなんだろうなと思いま した。 >> しれないですね。SUKEさんが今までに死の崖っぷちに立ったのは、どんな場合な ん >> でしょう? けっこう興味あります(^^;) 交通事故なんかで死に損なった事はあるんですが、それは横に置いておくとし て、前回書いた意味での崖っぷちと言うのは、事故のような瞬間的なものでは ないものです。 例えば先の夏に私は過労とストレスから神経性難聴になった時は、自分の人生 がひっくりかえるかと思いました。回復し、今こうして過ごしているのは、あ のタイミングで医者に行ったことや、その後の仕事と並行した治療の「あの時」 「このとき」って言う瞬間瞬間の選択があったればこそだと思います。 昔は、浪人時代にはノイローゼで軽い不眠症に陥りましたし、大学時代にも箱 根のヘアピンカーブを崖っぷちに向かって突っ走る車の中で「あぁ、死ぬんだ なぁ」と思っていたり、結構精神的な重圧から死を身近に感じることもありま した。 でも言葉にすると何だかそこらに転がっている普通の事にしか読めない感じに なってしまって、結局「必死の思い」ってのは体験した本人でなければなかな か味わえないんじゃないでしょうか。 私は金縛りの恐怖は知らないけれど、別の意味で「あ、死ぬ」と思ったことが あったから、きっと金縛りの恐怖も死ぬほど怖いと言うのは「そうなんだろう」 と想像する訳です。 人生一度も「死ぬかも知れない」と思わないで生きられた人って殆どいないん じゃないかと思います。                          (^^)…☆ッテナモンダ Suke. 00285/00291 KFQ02761 しまうま 苦境から脱出(したと思う) ( 6) 95/11/26 22:38 00275へのコメント #00275 SUKEさん  またまたこんにちは。僕のクズみたいな繰り言(^^;にコメントいただき、ど うもありがとうございます(^^)。 :そういう苦しみ方って今まで何度かあって、その時はもう死にたいなんて思っ :ちゃうくらいに苦しい瞬間まであって、でもそれが峠なんですね。 :その翌日から解決したとか、上向きになったとかってありました。 :そして、そこまで行った時は結構身になっている。  そうそう、そういう苦しみって必ず「身になる」んですよね。乗り越えてす ぐ後にはわからなくても、ずっとあとになって振り返ってみると「ああ、あの ときあんだけ苦しんでなかったら、ここまで来れなかったなー」と、僕も時折 思ったりします。  で、今回なのですが、思い切って取引先に電話したら「連絡がないから心配 してた」とのことで、特別叱責されたりはしませんでした。僕は仕事の遅れを 「パソコンが故障しまして」などと誤魔化していたのですが「そういうゴマカ シは通じないからね」とあっさり釘を刺されました。全部お見通しだった、と いう訳で、かえって気分的にはすっきりしちゃった感じです。  電話をかけるときというのは、一種ふてぶてしい感じ、というか開き直り、 というか、怒られるならそれも仕方ない、自分のやった結果だ、という諦めも 混じったような、でも不思議とサバサバした気持ちでした(声だけは思いっき り恐縮したような声で通しましたが(^^;)。 :でも、だからといって限界に挑戦するような苦しみ方って、何時の時も「もう :だめだ」って言う崖っぷちぎりぎりまで行ってたと思うから、生還したのは偶 :然だったかも知れないとも思えるし、だとすると自分から進んでそういう苦境 :に臨むほど自信は無いんですけどね(^^;)  たぶん苦境なんて放っておけば向こうから必要なときにやってくるものなん じゃないでしょうか。苦境がこない間というのはとりあえず、のーぷろぶれむ &えぶりしんぐいずおーらい、という状況だと思ってやってればいいように思 います。で、そうやって「いいやいいや」と思ってやっているうちに人間って 必ず“道”から逸れてしまうものですから、そうすると道の脇に立ちはだかっ ている「苦境」にぶつかる。そこで反省して本筋に戻る……という繰り返し、 なのかもしれませんね。   しまうま(KFQ02761) 00281/00291 KFQ02761 しまうま RE^4:メビウスの輪の裏と表 ( 6) 95/11/26 20:42 00271へのコメント #00271 SUKEさん  こんにちは(^^)。 :なるほど、考えてみれば「表裏の区別をつけるな」と言っても意味は殆ど無い :でしょうね(^_^;)  いえいえ、「表裏の区別をつけるな」というのは、百鬼夜行と絡めて考える とけっこう興味深い解釈だなあと思いますよ。  百鬼夜行の裏だった部分がいつの間にか表に出てきて、表だった部分がいつ の間にか裏に回ってしまうぞ、ということかもしれないなあ、とも思います。   しまうま(KFQ02761) 00289/00291 GBB03425 Paper Birch メビウスの輪を切ると? ( 6) 95/11/27 12:46 00266へのコメント しまうまさん、こんにちは。 遅ればせながら、議長就任おめでとうございます。 同年代の議長ということで、お互い頑張りましょう。 (ま、僕の方は臨時会議室ですから、見習いみたいなもんですけどf^^;)) 6・7・14の、ARIONが直接関わる会議室は、 いわばFARIONのメインストリート見たいなものだと思います。 責任は重大ですが(と、プレッシャーを掛ける(^^;) しまうまさんが、しまうまさんらしく在る限り、きっと大丈夫でありましょう(^^)。 さて、ちょっとばかし割りコメです。 | そうそう、これもおもしろい! メビウスの輪を真ん中からずーっと切って |いくと、2つの輪にならずに1つの輪になって、しかもそれがまたメビウスの |輪になっている……んでしたっけ? あれ? 2ひねりになってるんだったっ |け(ぬるぬる)。 実験してみました(^^)。 確かに1つの輪になりました。 メビウスの輪には、なっていないようで、表と裏があります。 2ひねりになってますよ。 | そんで、確か2ひねりになってる輪を切ると、今度は2つの輪が組み合わさ |った形になってしまう……とかそういうのもあったような気もしないでもあり |ません。 ううむ、これもやってみましょう。[ちょきちょき] ....ホントだ。2つの2ひねりの輪が組み合わさった形になりました。 この絡まり方は、文章で説明するのは難しいですね。 もう一回切ってみましょう。[ちょきちょき] これは、やってみるまでも無かったようです。 同じ2ひねりの輪が4つ、絡み合っています。もぉぐちゃぐちゃ(^^; では、また。 △▼△ Paper Birch △▼△ 00283/00291 KFQ02761 しまうま RE^2:昔のハローメッセージから ( 6) 95/11/26 20:42 00274へのコメント #00274 SUKEさん  こんにちは(^^)。  なるほどー。理不尽な上司って、ヤですよねえ。僕は、社会に出てからは上 司に理不尽さを感じたことは(あまり)ありませんが、学生時代の研究室の先 輩にはおもいっきし感じてました。で、どうしてたかっていうと、ただおとな しくハイハイいってただけですけど(^^;。 :私の印象はそういう手抜き野郎なんでしょうけれど、最近ではそういう印象 :を持たれる事に少し面白味を感じています。  というのはおもしろい心境だなあと思いました。ちょっぴり捨て鉢(?(^^;) な気分なのでしょうか。何か収穫があるといいですね(^^)。  ただ、少しだけ引っかかりを感じたのは、 :肝心な評価は実力で勝負するだけで、そういうのって言葉一つなんて言うも :のよりももっと長いタームで実績として挙げて行くようなものなんだろう、 :と思うことにしました。  の「思うことにしました」の部分です。もしそう思うことが本意でないのな ら、むりやりそう思おうとしないほうがいいのではないかなあ、なんて思いま した。  職場での前後関係をあまりちゃんと把握していないので的外れかもしれませ んね。もし外してたらご指摘くださいませm(__)m。   しまうま(KFQ02761) 00284/00291 KFQ02761 しまうま RE:陽気 ( 6) 95/11/26 20:43 00277へのコメント コメント数:1 #00277 優位さん  こんにちは。お祝いどうもありがとさんです。これからもどうぞご贔屓に(^^)。 :晴れの日も曇りの日も変わらずにあるもの、その存在に気付くこと  僕がこれを読んで思い出したのは、以前でたHMでした。  95/06/26 朱鷺色の雲のたなびく上、夜も輝く太陽は傘の要らない心を作る  95/05/25 外郭に影射すも内殻に輝く太陽に翳り無し、要は太陽を認識する事  で、単純に「晴れの日も曇りの日も変わらずにあるもの」というのは太陽の ことじゃないかなあ、と思いました。  ただ、太陽といってもいろんな意味があるでしょうね。  一人一人の心の中の太陽、という意味もあるでしょうし、あるいは大きく見 れば「日本の日本たる由縁」「大和魂」なんてのもあるかもしれません。  そういう“太陽”は、晴れの日も曇りの日も(個人だとすれば「すべてがう まくいっている日々もどうしようもなく落ち込んでいる日々も」あるいは国単 位でいえば「日本の栄枯盛衰いかなる場面でも」と読み替えることができるか もしれませんね)、見えないにしても雲の上にちゃんとある。夜は真っ暗だけ ど、必ず夜明けはくる。だって太陽が“なくなった”わけじゃないんだから。  とか、そういう明るいニュアンスがありそうですね。  優位くんの「陽気」の話も、なんとなくわかる気がします。   しまうま(KFQ02761) 00290/00291 JCF00616 優位 RE^2:陽気 ( 6) 95/11/27 14:11 00284へのコメント  #00284 しまうま さん | 95/05/25 外郭に影射すも内殻に輝く太陽に翳り無し、要は太陽を認識する事  そうそう、これですよね。僕も最初「太陽」というイメージがあったのですが、  それだと余りにも単純だなと思って、陽気を選んでみたんですけれども、陽気  だって、字をよくみると「太陽の気」と同じ意味なんでしょうから、さして変  わりが無いと言えばそれまで(^^;)(笑)  人間のなかの太陽だとすると…やっぱり愛になるんかいな…ボソ                          優位(JCF00616) - FARION MES( 7):自分を観る  ★ ARIONを鏡にして 95/11/27 - 06576/06582 NBB01420 SUKE 聞きたいと言う気持ちのそれ以上理由が? ( 7) 95/11/26 18:57 06571へのコメント #6571 ジョリーさん、こんばんは。 ジョリーさんのスタンス、何だか共感を持てるばかりで、言い方が違っても要 するに同じ事を考えているんじゃないかって言う気がします。 ところで、最初にジョリーさんにコメントした時に立ち戻って、この話の一方 で私が書きたかったことを書いてみます。これはMAKOTOさんの会話を私が私の 目から眺めていて考えていたことで、案外MAKOTOさんの話に限ったことではな いかもしれないんですが、一応…(題材に使ってごめんねー>MAKOTOさん)                === 何かを言った時に「その質問の意図は?」と聞かれて「聞きたかったから」と 答えているのは至極当然で、誰だって聞きたいから聞くわけです。 意図と言うのはそうではなくて、その「聞きたい」と言う気持ちの背景にはど ういう思いがあったのか?と言うことだと思うんです。だからもう一度質問す るなら「聞きたいと思ったのなら、何故聞きたいと思ったのか?」と言うこと になります。 ところが「聞きたいと言う気持ちのそれ以上理由が要るのか?」と言う所で話 は物別れに終わってしまっているんですよね(^^;)。 そしてそれとは別に「そんなに意図を聞きたいあなたは、なぜ聞きたいのか?」 と言う逆質問も派生している訳です。 こういう状況で私は、大前提となるのは「聞きたいと思う気持ちにそれ以上理 由が要るのか?」と言う感覚の相違だと思うのです。                           (^^)…☆ッテナモンダ Suke. 06577/06582 NBB01420 SUKE 本人がそう言うのだからきっと… ( 7) 95/11/26 18:57 06571へのコメント #6571 ジョリーさん、もう一つレスです。注目点が2つなので分けました。 「聞きたいと思う気持ちにそれ以上理由が要るのか?」についてですが、 もう一つ噛み合わない問題点があると思います。 一見、それ以上理由など必要ないと思っている自分の衝動でも、それが実際に 行動に結びつく程の衝動であれば、その背景は必ずある筈だと言うのが、今回 の問題では押しつけ理論になっているんですね。 そこでジョリーさんの「意図は自分にしかわからない」は当然なのですが、し かし、むしろ問題なのはその先で、「自分にさえ見えていなかった心の奥底の 自分」と言うものを掘り下げて行くことが「意図は何か?」と言う問いの根底 なのではないでしょうか。 それが「あんたはこういう意図を持っているのに気が付いていないんじゃない の?」と決めつけて質問されるのでは当然ダメなんですが。 ただ、誰しも自分の経験と言うものから、相手にない視点を提供する可能性を 持っている訳ですから、ある程度自分の経験から相手の内情を予想して、それ を問うことはあると思います。 それが押しつけになるかどうかは、その回答を取り合えず疑わないことではな いでしょうか。「本人がそう言うのだからきっとそうなんだろう」と認めるこ とですよね。 勿論その答えが質問を勘違いしているとか言うことであれば、何度でも伝える 努力はしておかしくないでしょうけれど。 今回の「意図」の問題は、「本人がそう言うのだからきっとそうなんだろう」 と認めてしまって良い段階と言うのが難しいのだろうと思います。何せ「本人 がそう言う」の「本人」が実は気が付いていないかもしれない奥底を標的にし ているんですから。 それでもやはり最後は「本人がそう言うのだからきっとそうなんだろう」で落 ちつくしか無いのかも知れません。いや、今までそうであって、しかし問題の 根本は未だに解決しないからこそ何度も浮上して来るんでしょうね。解決しな い以上、見落としがあるに違いないと思うのです。 「本人がそう言う」のだけど「本当にそうなのか?」と言う問いをかけること が、この場合妥当なのかそうでないのか食い違っていて、結局物別れに終わる んじゃないかと。         自分も少し頭がこんがらがってきた(^^)…☆ッテナモンダ Suke. 06582/06582 HGE02116 MAKOTO 自分を観る、他人を観る(長文注意) ( 7) 95/11/27 03:09 06569へのコメント #6569>SUKEさんどうも。早速ですが、本題に入らせていただきますね(^^) > すから、まして他人に自分の常識は通用しないでしょうね。  そうです。だからこそ、余計なジレンマまで抱え込む事になりました。私は自分 を変わり者だと思っていますからね。まわりにもそう言われて来ましたし… そん なですから、私にとって常識と感じられることが、人のそれと同じだとは思ってい ません。そしてこれは、私の方がおかしいのだと逃げを打つ原因となってます。ま た、決めつけて終わりにしてしまう事が、どうしてもできない原因でもある。  SUKEさんの小学生時代の話しですけど、私には到底笑い話としてはすませられま せん。大抵は、大人の言うことを鵜呑みにして、わかったつもりになりながら成長 していく。そうしなければ、はみ出してしまって、生き辛いだけですから。生きる 為の技術といってもいいのかも知れない。  そして、SUKEさんの場合は、「本当に分かっているのか?」と疑いながらも、取 り敢えず納得いく形を見つけていらっしゃる。でも、私の場合は、そうする事を恥 じる気持ちが今だに強くてね(^^;)  それでも、いつのまにか擦り込まれた言葉や 認識を、自分の考えとしてしまっている部分はいくらでも見つける事ができます。  それが例えどんな形で取り込んだものであれ、一度受け入れてしまえば、それ以 後は、余程の事が無い限り、疑問に思うことなくすませてしまうのですが、ひとた びそんな部分に疑問を感じてしまったら、自分と存在そのものが揺らいでしまう。 そして、私はずっと揺らぎ続けてるんですよ。「自分」と思ってるこれは何なのか ってね…   *     *     *     *     *     *  SUKEさんの発言は優等生の発言ですね。もしもSUKEさんの仰るような事が、その ままここで、ちゃんと実行されていたのなら、ARIONから具体的に「自分を観 る方法」が示されなくともすんだでしょうに… 人事は人で解決するように促され ていたのに、あの発言を招いた私達は、ここでいったい何を続けていたのでしょう ? 余りにも情けないとは思われませんでしたか?  言おうとした事は何度もあります。でも、残念ながら、とても言葉にできるよう な雰囲気ではなかった。言った途端に、「困った人」「あさっての人」の一人にさ れ、何を言っても相手にもされなくなるだろうと言うことが、火を見るよりも明ら かでした。これが、ここに入会して三年の間に、色んな場面に遭遇して、私自身も 当事者になりながら得た感触です。   *     *     *     *     *     *  「自分を観る」は、強制されるものではないのですが、ここではなぜか強制に繋 がってしまいやすい。ここでは、いかに深く自分を観ているかが、ステイタスとな ります。逆に、自分を観ていない人だと見なされた場合、甘えきったどうしようも ない人物だというレッテルが容易に貼られてしまいます。まぁ、はねのけるだけの 自信のある人ならば、気にもとめないでしょうが…(^^;)  確かに強制はない。で も、暗黙の強制といった雰囲気があるように思います。何より、SUKEさんの中にも、 ここで発言する以上、「観て」当然といった意識があるのではありませんか? > どういうつもりで「無意味」とか「関係ありません」と言われたのか、もう少 > し説明して欲しいです。  本気で自分の内面の事を追及していくなら、自分自身との戦争を始めるようなも のですから、「個人の問題を徹底的に追及して行く先に、全体の問題が見えてくる」 という言葉を意識するだけの余裕はありません。この言葉が頭の片隅で響いている ようなら、まだそれだけの余裕があるという事です。  指摘された部分は、私自身でも言葉足らずと感じていた所だったのですが、これ で、質問の答えになっているでしょうか?   *     *     *     *     *     * > ただ私は物理を学んだ時に、「言葉で説明出来る」=「本当に理解している」 > と言うことを経験的に知っています。所詮言葉と言われる事もあるのですが、  科学の分野なら、言葉の前提がずれることはさほど無いように思いますので、SU KEさんがそのように思われていても、おかしくもなんともありませんが、心や生き 方の問題となった場合、どこまで科学のごとく、割り切って説明する事ができるも のか? 言葉の前提そのものがずれている事も多いですし、これこそが正しい言葉 の運用の仕方だといったものもありません。また、曖昧にならざるおえない部分も ありますし、言葉にしきれない部分もあるように思います。私の認識は、このよう なものです。 > 本当の問題なのは説明することそのものではなくて、それによって安心してし > まう心の方だと思うんです。  この文章には同意します。   *     *     *     *     *     * > 今回MAKOTOさんが明確化してくれた事で、無駄にしなくて済みそうではないで > すか。これはチャンスです。  本当にこれがチャンスだと思われるなら、まず、あなた自身の目で見て、あなた 自身で感じとったものを第一として下さい。私には、それが第一歩のように思えま す。                           MAKOTO でした☆ 追伸 「すんごうほども」です。わずかも許されないという意味で使いました。 06578/06582 PXL10465 まあ 素直な気持ち ( 7) 95/11/26 18:58 はじめまして。“まあ”と申します。 パソ通をはじめて、間もありません。失礼をすることも多々あると 思いますが、そんな時は、ばしっと注意してください。 よろしくお願いします。 さて、私も‘自分を観る’についてとても興味があります。 ARIONさんが‘自分を観る’について、書かれておりました。 それに、基づいて‘自分を観’てみようと思いました。 果たして、自分を観るについて、他の人に話をするとき、自分は素直に 自分についての話ができているのでしょうか? 情けないことにまず、こんなことにつまづいてしまいました。 私という人に会ったことのない人に、私という人を全く知らない人に どうしたら、私が思ってることを伝えることができるのか? 私はとても理屈っぽい人のようです。何でも納得しないと気がすまない ようとところがありまして、とことん考えてしまうのです。 とことん考えても答えがでないこともあります。 いろいろどんどん考えていくうちに、自分の素直な気持ちというものが さっぱり分からなくなってきます。 “本当はこうかもしれない、いや、やっぱりこうかもしれない” など、堂々巡りで埒があかなくなってくるのです。 そうなると、最悪なことに、納得しないと気がすまないということに 反して、極端に、最初から何もなかったこととして、その問題につい て、根本的になげだしてしまうのです。 ‘素直な気持ち’というのを、自分自信で見分けるというか、うーん、 そもそも‘素直な気持ち’とはいったい、何なんでしょうか? ひょっとして、このような話題が以前にもあったかもしれませんが、 みなさまのご意見をきかせていただければ、幸いです。 では、何卒よろしくお願いします。                             まあ 06581/06582 QZE00326 白道 RE:RE^5:「愛していると言ってくれ」から ( 7) 95/11/26 22:26 06567へのコメント   SUKEさん、こんばんは。ワリコメです。  あなたの発言の中に「自分の存在価値」という言葉が ありましたね。  実は、私は最近「存在価値」という事柄について漠然 とながら思いを巡らせているのです。それが特に強く意 識させられたのは、先日放映されたあるテレビ番組の映 像によってでした。  そこには、ひたすら買い物をし続ける女性の姿が映し 出されていました。特別に欲しいものも必要なものもな いのに店に入り、お気に入りの店員さんに勧められるま まの商品を手にし、カードで支払いをする。自分の部屋 の中はそういった商品であふれ、中には一度も使わず、 袖も通さずと言ったものも多くあるようでした。そして 問題なのは、彼女にはもう支払い能力がないにも関わら ず、買い物をし続けるということなのです。  「買い物依存症」確かそのように語られていたように 思います。最近はそのような病的な症候群に陥っている 人が多いそうです。彼女(彼)達は、買い物をしている ときが一番幸せだと言います。会社を辞めて肩書きがな くなったとたんただの人になってしまった空しさを商品 を買うというパワーゲームで紛らわそうとしたり、気に 入った店員さんに喜んでもらうことで、自分がその店員 さんの力になれることを証明するために買い物をし続け る彼女(彼)達。  彼らの心の根底に横たわる問題とは、まさに「自分の 存在価値」にあるのではないかと思うのです。そして私 たち現代人すべてが向き合わなければならないのが「存 在価値」の問題ではないのだろうかと思うのです。  SUKEさん、あなたは「存在価値」についてどのよ うに考えていらっしゃるでしょうか?よろしければス ローペースで結構ですから教えていただけませんか?       未だに機械音痴の  白道 - FARION MES( 8):恋愛錬金術  ★ 愛と性を本音で語る 95/11/27 - 01199/01199 KFQ02761 しまうま 『性は生なり、而るに聖なり』 ( 8) 95/11/27 00:09  性。  生。  聖。  同じ読みの単語ですが、こうして並べてみると、その文字が醸し出すイメー ジというのは全然と言っていいくらい違いますね。  僕の印象でいえば、やはり「性」といえば「男女、セックス、繁殖、×××、 ○○○」(後半自粛)という感じ。「生」だとかなり範囲は広くなるけど、あ えて絞れば「日々の暮らし、命、ビール(そりゃセイじゃなくてナマだろ(^^;)、 対極としての死、人間」てな感じでしょうか。「聖」となると「キリスト、教 会、十字、クリスマス、神」と、ちょっと紋切り型のイメージしか湧きません。 「聖」ってちょっと商業的な手垢がつきすぎているような感じもします。  さて、タイトルに掲げた文句。なんかアヤシイ宗教のうたい文句か何かみた いですが、実はこれ、ARIONの言葉なんだそうです。表では「私いつも柔 和で紳士的でーす」みたいな顔をしていながらも、裏面では結構ドロドロした ものを持て余している僕としては、非常に興味をそそられる文句であります。 『性は生なり、而るに聖なり』  うーん、深い。深いね、これは。  深いのはわかるんだけど、深さのあまりその奥は真っ暗闇で、皆目見当がつ かないね(^^;。  というわけで、この言葉の真に意味するところを読み解くために、ちょっと 会議室をお借りしてお話してみたいと思います。性にも生にも聖にも経験の浅 い私としましては、ぜひとも皆さんのご協力を得ながら意味を探っていきたい と思っています。テーマがテーマだけに、ちょっとお下劣な方に脱線する可能 性もありますが、まあそのへんはよしなに、ということで(真っ先に自分から 脱線していきそうな予感もするが(^^;)。  「性」といえば、日本には『浮世絵』『枕絵』などと呼ばれる世界に誇るべ き性文化があります。また、いわゆる『遊郭』(例の「あちきは〜でありんす」 とかいう人たちのいるところ)なんかも独自の文化圏を築いていたようです。  まずはその辺から探ってみよう、というわけで、取材と称して栃木県宇都宮 市にある「博物館 性神の館」に行ってきました。よくある「秘宝館」ってや つか?と思いきや、案外ちゃんと「性文化」を扱っているところで、いろいろ おもしろいものを見たり、興味深い話を聞いたり(館長さんもいい味出してる) することができました。  まずは、この「性神の館」で聞いてきた話を書いてみようと思います。個人 的には、なんつってもいちばん印象に残ったのは「しる」でした(意味不明で ごめんなさい。次回ちゃんと説明します(^^;)。                            しまうま(KFQ02761) - FARION MES(10):夢鏡/幻紀行 ★ 夢解釈/カスタネダ研 95/11/27 - 01019/01022 QFH02012 アラミス RE:はじめまして! (10) 95/11/26 16:34 01013へのコメント コメント数:2 マルさん、はじめまして。 カスタネダの語るドン・ファンが如何なる人物なのかよく知らない私ですが 呪術師だけあって中々ぶっ飛んだキャラクターらしいですね(^^;)。 さて師匠(グル)と弟子の関係については色々と考えさせられるものがあり ますが、特にカスタネダの著作で現される世界が相手では我々が今いる日常 から解離していて折り合いを付けるのが、かなり難しいんじゃなかろうかと 思います(なんか生死のやり取りになりそうで・・・) まぁ、だからこそそういった世界に人は惹かれるものですが。 ・・・師匠と言えば東方先生を思いだす(笑) 01021/01022 KFQ02761 しまうま ゴミでごめんなさい (10) 95/11/26 20:43 01019へのコメント :・・・師匠と言えば東方先生を思いだす(笑)  師匠といえば山崎一夫を思い出す(^^;。 まあじゃんほうろうき大ハマリ中 しまうま(KFQ02761) - FARION MES(13):神秘学遊戯団 ★ 限りなき神秘への航海 95/11/27 - 03970/03973 GGA02514 KAZE 風の本棚●シュタイナー「悪の秘儀」 (13) 95/11/26 14:43 ■ルドルフ・シュタイナー「悪の秘儀/アーリマンとルシファー」(イザラ書房) イザラ書房から刊行されている「シュタイナー天使学シリーズ」の シュタイナー「天使と人間」、ビトルストン「魂の同伴者たち」に続く第三巻目。 シュタイナーの講義から「アーリマンとルシファー」に関して 語られているものを集めたもので、 これはイザラ書房と訳者が独自に編集しているものです。 ちなみに、シュタイナーが「アーリマンとルシファー」だけをテーマとして 一連の講義をしていたということはないようです。 この「悪の秘儀」の主な内容を目次からご紹介してみます。 ・第1章「人間との関係におけるキリスト、アーリマン、ルシファーの本質」 ・第2章「キリストの行為と、キリストに敵対する霊的な力としての      ルシファー、アーリマン、アスラについて」 ・第3章「ルシファーとアーリマンの受肉について」 ・第4章「アーリマンの学院と人類の未来に関する三つの予言」 どの章も非常に意味深い内容を含んでいて、 シュタイナーに感心のある方なら必読ではないかと思われます。 この「悪」のテーマに関して理解を深めるために、 参考になる講義などを挙げておくことにしますので、 興味のある方は参照してみてください。 ●シュタイナー「人智学運動のカルマ(一)(二)(三)」 (上記項目は、「輪廻転生とカルマ」(水声社)所収)  これは主に、第4章の「アーリマンの学院・・・」に関係しています) ●シュタイナー「善なる人種と悪しき人種」 ●シュタイナー「六六六/バビロンの没落/新エルサレム/ミカエルと龍」 (上記項目は、「黙示録の秘密」(水声社)所収) ●シュタイナー「マニ教」(西川隆範訳) ●笠井叡「悪魔論」 (上記二項目は、月刊アーガマ'90年8月号所収) ●シュタイナー「ルチフェル」(藤本佳志訳) (上記項目は、AZ35,1995春号所収) さて、この「悪」のテーマについて問題にするということは 逆説的な意味で「キリスト」を問題にするということでもありますので、 そのことについて第1章の 「人間との関係におけるキリスト、アーリマン、ルシファーの本質」から キーポイントになる部分をご紹介して、 この「悪の秘儀」のご紹介に代えようと思います。 また、第2章には、「カルマ」の本質に関わる内容も含まれていますので、 それについては、「薔薇十字会の神智学」の読書会の「番外編」として 追ってご紹介させていただくことにしたいと思います。   キリストという人物は、現代の人々が描写しているような存在ではありません   でした。本来キリストという人物は、「アーリマン的なものとルシファー的な   ものの間に均衡、つまりバランスを保つということを可能にするような教義を   すべての人間に伝える」という意図を持っていました。「キリスト的である」   ということは、まさにアーリマン的なものとルシファー的なものの間に均衡を   求めることを意味しているのです。・・・   例えば、肉体的な意味においてキリスト的であるということは、何を意味する   のでしょうか。肉体的な意味においてキリスト的であるということは、私が人   間についての正しい知識を身につけることを意味します。人間は病気になるこ   ともあります。例えば人間は胸膜炎に罹ります。「人間が胸膜炎に罹る」とい   うことは何を意味するのでしょうか。これはすなわち、「人間の中にルシファ   ー的なものが多すぎる」といこうことを意味します。ある人間の中に、あまり   にもルシファー的なものが多すぎる、ということが分かったら−−要するに人   間が胸膜炎に罹るときには、その人の中にあまりにも多くのルシファー的なも   のが存在していることになるわけですから、私は次のように言わなくてはなり   ません。「仮に私が秤を手にしているとして、秤の一方が跳ね上がったとする   と、私は錘を取り除かなくてはならない。一方が沈んでしまうときには、私は   錘を乗せなくてはならない。」さらに私はこう言います。「ある人が胸膜炎に   罹ったら、この場合はルシファー的なものが強すぎ、アーリマン的なものを幾   らか加えてやらなくてはならない。そうすれば再びバランスが回復するはずだ」   (中略)   キリスト的なものとは、均衡にほかならないからです。私がいま皆さんにお話   してるのは、「人間を肉体的に治療する際に、キリスト的なものはどこに存在   するか」という問題です。キリスト的なものの本質は、「人間が均衡を求める」   ということの中にあるのです。                (P34-38)    こうしたキリスト観というのは、けっこう意外な側面でもありますが、 仏教で「中道」を説くというのはまさに「キリスト」を説いているということだ ということは、容易に類推可能だと思われます。 中道の道は八正道の道でもあり、三諦円融の道でもあります。 また、「不二」ということも、この中道との関係でとらえていくときに その真の意味が明らかになってくるのではないかとぼくは考えています。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 03971/03973 GGA02514 KAZE シュタイナー:薔薇十字会の神智学●VII-4/番外編 (13) 95/11/26 16:58 ●ルドルフ・シュタイナー「薔薇十字会の神智学」(平河出版社)読書会 <VII-4/カルマ4(番外編)> --------------------------------------------------------------------------- 第7章の「カルマ」は、前回のアーティクルで終了ということでしたが、 <番外編>を加えてみたいと思います。 すでに「風の本棚」ではご紹介しましたが、 シュタイナーの新刊に「悪の秘儀/アーリマンとルシファー」(イザラ書房)があり その第二章の「キリストの行為と、キリストに敵対する霊的な力としての ルシファー、アーリマン、アスラについて」に 「なぜカルマがあるのか」ということに関して、 非常に興味深い部分がありましたので、それをご紹介しようというわけです。 まず、主な部分を概観してみましょう。   アトランティス時代の半ばから、アーリマンの霊の集団が人間に働きかける   ようになりました。このようなアーリマンの霊の群れは、何を目指して人間   を誘惑したのでしょうか。アーリマンの集団は、人間が周囲の世界に存在す   るものを物質的に受け取るように、すなわち人間がこのような物質的なもの   を通して、物質的なものの真の根拠である霊的なものを洞察することがなく   なるように人間を誘惑しました。(中略)   では、人間を絶えず進化させようとするあの霊的な存在たちは、このような   誘惑に対抗して−−つまり感覚的なものから生じる誤謬や幻影に対抗して−   −どのような手段を講じたのでしょうか。人類を進化させようとする霊たち   は、誤謬と罪と悪を克服する可能性を感覚的な世界の中から再び獲得するこ   とができるような状態に、人間を置くことを試みました。(中略)つまり人   間を進化させようとする霊たちは、「カルマを担い、それを作用させる可能   性」を人間に与えたのです。人類を進化させようとする存在たちは、ルシフ   ァー存在たちの誘惑によって生じた損害を埋め合わせなければならなかった   ので、世界に悩みと痛みを、そしてまたそれと結びついた死をもたらしまし   た。それと同じように、人類を進化っせようとする存在たちは、感覚的な世   界に関するアーリマン的な誤謬の中から流れ込んでくるものを修復しなけれ   ばなからなかったので、人間に「みずからのカルマによってあらゆる誤ちを   再び取り除き、自分自身が世界の中に引き起こしたあらゆる悪を再び消し去   る可能性」を与えたのです。もし人間が悪のみに、誤謬のみに陥っていたら   何が起こったでしょうか。そのときには、人間は少しずつ、いわば誤謬と一   体となり、進化することができなくなったことでしょう。(中略)   カルマの恵みは、どこから来るのでしょうか。私たちの地球の進化において   「カルマが存在する」というこの恵みは、いったいどこから生じるのでしょ   うか。進化全体においてカルマを生じさせる力とは、キリストにほかなりま   せん。                          (P64-74)    ルシファーによって与えられた感覚的な欲望への対抗措置に対しては それに人間が陥ることのないような反作用として、 病気や悩みや苦痛が与えられました。 ルシファーが病気や悩みや苦痛を与えたのではなく、 ルシファーに対抗する高次存在たちが、 人間にそれらを「恵み」として与えたわけです。 それと同じように、アーリマンは人間に唯物論的な衝動を与えましたが この世の物質的な世界に溺れないように、 唯物論的な世界観に埋没してしまわないように、 キリストによって人間に「カルマ」が与えられました。 アーリマンが「カルマ」を与えたわけではないのです。 「カルマ」はキリストの「恵み」そのものなわけです。 そこで考えてみなければならないのは、 なぜルシファーやアーリマンが存在しているのかということです。 ただ人間を惑わすためにだけ存在しているわけではないはずです。 ルシファーやアーリマンの働きかけがなかれば、 人間はそれなりに高次存在の働きかけを受けて、 順調に進化を遂げていたのでしょうが、 なぜそうした「悪」とされる存在の影響を受け、迷いの中に陥り、 そうした苦難を通る必要があるのでしょうか。 これに対しては、なぜ子どもが純粋な状態で生まれてきて、 その後さまざまな制約のなかで迷いながら成長していくのか。 そういう問いかけに対する答えと同じような発想が可能です。 そして、子どもの純粋さと一度それを失った後で もう一度獲得した純粋さとの違いについて考えてみるのがいいと思います。 それとも、ある問題が与えられて、その解答をそのまま写すだけの行為と 解答を見ないで、その問題を自分で解いていく行為の違いともいえるでしょうか。 人間は誤謬と罪の可能性のなかに置かれています。 と同時に、人間はそれを脱して進化していく可能性ももっています。   キリストを通して、カルマの可能性が人類の中に入り込んできました。しか   しいまや、人間は自己意識を備えた存在として、キリストの本質を、そして   キリストと世界全体のつながりを認識しなかればなりません。そうすること   によってのみ、人間が実際に一人の「私(自我)」として活動することが可   能になるのです。(中略)   現在人間は、もしそれを欲するならば、キリストを認識することができます。   人間は、いま、キリストを認識するために、あらゆる知恵を集めることがで   きます。そのことによって、人間は何を行なうのでしょうか。そのとき、人   間は途方もなく大きなことを行なうのです。「キリストとは何なのか」とい   うことを洞察するためにキリストを認識し、知恵と現実的に関わり合うなら   ば、人間はキリスト認識によって自分自身を、そしてさらにはルシファー存   在たちをも救済することになるのです。もそ、「私は、かつてキリストが存   在したということに満足している。私は無意識のうちに救済されるのだ。」   と言うだけならば、人間はルシファー存在たちを救済するために寄与するこ   とは決してできません。(中略)ルシファーの霊たちを通して、人間は自由   を獲得しました。しかし人間がキリストを認識するとき、恵みとしての自由   が霊的な領域へともたらされます。「人間にはこのようなことが可能である」   ということ、また「人間はキリストを認識することができる」ということ、   そして「ルシファーは新しい姿で復活し、聖霊としてキリストと一体になる   ことができる」ということを、キリスト自身も予言として、周囲にいる人々   に次のように告げています。「あななたちは新しい霊、聖霊とともに照らさ   れる。」                         (P79-82)    人間が自由であるということは、ルシファーの恵みです。 もちろん、その自由とともに悪の可能性も人間はもつことになりました。 そのことの意味を考えてみなければなりません。 人間はなぜ自由の可能性をもつ必要があったのか、ということです。 自由は堕落する自由でもあり成長する可能性でもあります。 そしてその選択肢のなかでプラスの方向を選択することで 選択した者が成長するだけではなく、選択肢を与えた存在も成長するわけです。 ルシファーも、人間がキリストを認識することによって 「キリストと一体と」なることができます。 そして、ルシファーは光としてのキリストを支える「光の担い手」となるのです。 このことは、「悪」の役割について非常に重要なことを示唆しているといえます。 <第7章「カルマ4(番外編)」終了> ☆☆☆KAZE☆☆☆ 03973/03973 QZE03111 こむ RE^8:瞑想 (13) 95/11/27 05:35 03972へのコメント  KZさん、こんにちは。  こちらこそ、催促したようで申し訳ありませんでした。ただ、最後の質問が 質問として認識されていないような気がしていたものですから。  まず、「この子のためなら私はどうなってもいい。」という愛が、『利己心 の一遍も入っていない「愛」』かどうかは疑問です。それは自分の子と自分と が未分化であるとも言えると思います。  ぼくが「基準」と言ったのは、それが必要だということではなく、まさにそ うした基準などないから『日々を「愛」に生きておれば問題はないのです が、』というようなことは言えないということです。  なぜならば、『日々を「愛」に生きて』いるという基準が何か(瞑想)をす るための「資格」になるとするなら、「愛」に生きている人間と「愛」に生き ていない人間を区別することになり、そうした区別がいったい人間に可能であ るのかという疑問が生ずるからです。そして、「愛」に生きていない人間にす ら働きかけることができないものに何の価値があるのだろうかとも思います。  全ての人間にとって有効であり価値があるものでなければ、それには普遍的 な価値などありません。 》人や物、そのほかのものを恨んだり妬んだりしているときに、「愛」の波動は 》同時存在しません。  であれば、『「愛」の波動』は、あったりなかったりするものなのでしょう か?「愛」というのはそんなに弱いものなのでしょうか?  例えばマハリシは『超越瞑想と悟り』の序文で次のように述べます。    永遠の「存在」(『Being』の訳)は形に現われない非具象の絶   対として偏在しており、形をとって現われた創造世界の多様性の中   においてさえも、「それ」(『That』または『It』の訳)としての   地位を保っています。そして、だれもが自己の本質としてこの「存   在」を実現する可能性をもっているということ、これが『ヴェー   ダ』の永遠の哲学が説く偉大な真理です。    『ヴェーダ』は、目に明らかな創造世界の多様性の根底にある、   生命の不変の「統一」を明らかにします。なぜなら、形に現われた   ものも形に現われないものも、ともに「実在」(『Reality』の   訳)であり、「それ」のみが存在しているからです。「我はそれな   り、汝はそれなり、これすべてはそれなり」という有名な言葉があ   りますが、これこそが真理です。  「我」もまた「存在」であるなら、『「愛」の波動』がないなどとは言えな いと思うのです。ただ生命の本質から離れてしまったがために、「目に明らか な創造世界の多様性」のみに視野が偏ってしまったものと思われます。  瞑想はまさにそこを正すためにあります。 》その人が本気で努力していれば、たとえ一日目、二日目と結果がでなくてもそ 》の動機が純粋であるが故に、守護霊が守ってくれます。瞑想のときも守ってく 》れます。本気になったときから「愛」を求める波動が出るからです。守護霊は 》そのときをいつもまっています。  ぼくにはその真偽を云々することはできませんが、たとえばオウム信者の中 にも「動機が純粋」な信者はいたでしょう。また結果的には「守護霊が守っ」 たことになるのかもしれません。ですからこれだけでは何とも言えません。  また、上記マハリシの説明を踏まえると、究極の「利己」は同時に「利他」 たりえると思います。  最後に、「絶対領域」とは「存在」のことです。それが「絶対」であり、 「相対」ではない、つまり不変であるということです。  変化したり、あったりなかったりするものは「相対領域」ということになり ます。誤解のないように断わっておきますが、それは優劣の問題ではありませ ん。     *****こむ より***** - FARION MES(14):預言解読村  ★ 預言・予言は何を語るか 95/11/27 - 03369/03369 KFQ02761 しまうま 狐狸の知恵 (14) 95/11/27 00:09 :95/08/12 狐狸の知恵は狐狸のもの、使いこなすには狐狸にならねばならぬ  狐狸=コリアもしくは高麗、かなあと思いました。  傀儡の知恵は傀儡のもの……傀儡がこれから為そうとしていることを見抜こ うと思ったら、「傀儡になりきる」くらいの“実力”(という表現が適当なの かどうかわかりませんが)が必要なのかもしれません。傀儡になりきってこそ、 傀儡の意図することが見えてくる……とか。  ドンファンの「忍び寄り」にも通じそうなテーマですね。   しまうま(KFQ02761) - FARION MES(16):■特設会議室 ■ シルバーバーチを語る 95/11/27 - 119/120 GBB03425 Paper Birch シルバーバーチ読書会・七章(その3) (16) 95/11/27 01:15 ■「シルバー・バーチの霊訓.(5)」読書会(感想会)■ ■七章 動物は死後どうなるのか(3)■  潮文社刊『シルバー・バーチの霊訓(5)』の感想会です。シルバーバーチの 霊訓を読んだ感想を語り合いましょう。今回は、7章の3回目です。  例によって「(中略)」を「/」と記しました。  霊界には、生前、人間にかわいがられていた動物達が、再び飼主と一緒に暮ら せる日まで生活する「動物界」があるようです。   「地上で可愛がられている動物、親しまれている動物、大切にされている   動物、人間とほとんど同等に扱われて知性や思考力を刺戟された動物のす   べてがおります。そうした動物は飼主の手から離れたことでさびしがった   り迷ったりするといけないので、動物界に連れてこられて、他の動物といっ   しょに暮らしながら、動物の専門家の特別の看護を受けます。」  動物の霊の場合、人間と違って肉親などの身寄りがいるわけではありませんし、 友人や守護霊もいません。ですから霊界側で、飼主が霊界に来るまで世話をする 専門家が必要なわけです。  野生の動物の場合は、死と同時に類魂に没入してしまいますから、そういう事 は必要有りません。   「そして時には地上にいる飼主の家の雰囲気内まで連れてこられ、しばし   その懐かしい雰囲気を味わいます。心霊知識のない人でも自分の飼ってい   た犬を見たとか猫が出たとか言ってさわぐのはそんな時のことです。何と   なくあの辺にいたような気がするといった程度にすぎないのですが、地上   の動物の目にはちゃんと見えています。霊視能力が発達しているからです」  こういうことは、わりと頻繁にあるようです。僕の、個人的知り合いの中には、 霊感の鋭い人が何人かいるんですが、その中でも動物を飼った事のある人達は、 かなりの割合で、死んだペットと会っていると言っています。  余談ですが、僕がかよっていた某県立芸術大学には、感受性の強い人が多いた めか、ほとんど「霊能者」と言っても良いぐらい霊感の鋭い人が、ゴロゴロいま した(僕自身は全然でしたが)。それに加えて古戦場跡という場所柄もあって、 結構面白い話もいろいろあったものでした。  話を戻しましょう(^^)。  その、動物達の世話をする専門家というのは、どういう人達なのでしょうか。 シルバーバーチの言葉を見てみましょう。   「その世話をしている人はどんな人たちだと思いますか。動物が大好きな   のに飼うチャンスがなかった人たちです。それはちょうど子供が出来なく   て母性本能が満たされなかった女性が、両親に先立って霊界へ来た子供の   世話をするのといっしょです。犬とか猫、その他、人間が可愛がっている   動物が飼主に先立ってこちらへ来ると、動物が大好きでありながら存分に   動物との触れ合いがもてなかった人間によって世話をされるのです。もち   ろん獣医のような動物の専門家がちゃんと控えております。それもやはり   地上で勉強したことがそのまま霊界で役に立っているわけです。知識は何   一つ無駄にはされません」  こういうのを読むと、霊界というのは本当に良くできていると感心します。す べての要素が歯車のように上手く噛み合っていて、何も無駄になることが無いん ですから。  尤も、この世での獣医の経験が、果たして霊界でも通用するのかという疑問も あるかもしれません。しかし、やはり、物質界の肉体と、霊界の霊体とのあいだ にも、何らかの類似性はあるようです。  一例として、心霊治療の技術の一つに、霊体手術というのがあります。通常の 心霊治療との違いを説明するのは難しいのですが、読んで字の如く、霊体を手術 するのだそうです。心霊治療家の背後の治療家の霊が、患者の霊体を手術するの だということです。心霊治療家は、患者より数センチ上で、実際の外科手術のよ うな手の動きをするのだそうです。 (詳しくは、潮文社刊『霊体手術の奇跡』G・チャップマン著、近藤千雄訳)  もちろん、そういう事を抜きにしても、医師のノウハウというのは、単なる技 術的なことや、知識だけではないはずですね。  さて、人間と動物の関わり合いを語る上で、動物実験の問題を避けて通ること はできません。シルバーバーチは何と言っているでしょうか?   「神の創造物に対して苦痛を与えることは、いかなる動機からにせよ許さ   れません。ただ、動物実験をしている人の中には、人類のためという一途   な気持でいっしょうけんめいなあまり、それが動物に苦痛を与えているこ   とに全く無神経な人がいることも忘れてはなりません。しかし摂理を犯し   ていることに変りありません/    動機はなるほど結構なことかも知れませんが、法の原理を曲げるわけに   はいきません。実験で動物が何らかの苦痛を受けていることが分かってい   ながらなお意図的に苦しみを与えるということは、それなりの責務を自覚   しているものと看做(ミナ)されます。動機は人のためということで結構です   が、しかしそれが動物に苦痛を与えているわけです。そうした点を総合的   に考慮した上で判断が下されます。いずれにせよ私としては苦痛を与える   ということは賛成できません」  つまり、動機と結果の二点から、加点と減点が為されるということですね。こ の『加点と減点の法則』(←いま僕が名付けました(^^;)は、いろいろな事に当 てはまるようです。譬えば、他人を助けるための自殺とか、戦争などで国を護る ためと信じて人を殺したりした場合などです。  ところで、動機ということからも(動物実験に関して)   「神の摂理に反した方法からは正しい治療法は生まれません。人間の病気   にはそれぞれにちゃんとした治療法が用意されています。しかしそれは動   物実験では発見できません」 ということもシルバーバーチは言っています。  イエスの教えの中に、動物に関するものが少ないのは何故かという質問に答え て……   「その当時はまだ動物の幸不幸を考えるほど人類が進化していなかったか   らです   /あなたがたはイエスを人類全体の模範のように考えたがりますが、それ   は間違いです。イエスはあくまで西欧世界のための使命を担って地上へ降   りてきたのであって、人類全体のためではありません。イエスにはイエス   の特殊な使命があり、イエス個人としては動物を始めとする全ての生命に   愛情をもっていても、使命達成のために、その教えをできるだけ制限した   のです。その使命というのは、当時の西欧世界を蝕(ムシバ)んでいた時代お   くれの腐敗した宗教界にくさびを打ち込んで、人生の照明灯(サーチライト)とし   て難解なドグマに代る単純明快な人の道を説くことでした   /ただイエスの場合はその教えをよく読めば動物への愛も含まれています。   イエスは例の黄金律を説きました。すなわち〃汝の欲するところを人に施   せ〃ということですが、この真意を理解した人なら、他のいかなる生命に   もむごい仕打ちは出来ないはずです」  確かに、イエスの教えは素晴らしいものだと思いますが、あまりにも神聖視し、 絶対視するべきではありませんね。だって人類は、イエスの当時より2000年 分は進歩しているハズなんですから。  7章はこれで終わりです。動物に関してもっと詳しくは、『ペットは死後も生 きている』(ハート出版)を一読されるとよいでしょう。著者はシルビア・バー バネル。シルバーバーチの霊媒のモーリス・バーバネルの奥さんです。 △▼△ Paper Birch △▼△ - FARION MES(18):武道とは?  ★ 自分に勝つ! 95/11/27 - 02690/02691 KFQ02761 しまうま 武道の動きについて (18) 95/11/26 20:43 02670へのコメント #02670 あもりさん  こんにちは(^^)。遅いご返事ですみませんです。 :実際、自分にとって最高の型を知っているのはやはり自分の体なんじゃない :かなと思ったりします。 :先人達は皆、自分の流派を創生してきましたが、結局は自分の体に合せ :た動きを詰めていっただけかもしれません。 :そう思いません?  うううむ、はっきり言ってまだ自分の体の動きというのが実感としてつかめ ていないので、よくわかりませんが、「自分の体の動き」に注目していると飽 きないというか、「ふーん、こんな動きをしているんだー」と思うことがいろ いろあります(すぐ気がそれてなかなか“動き”に意識が集中できない、とい うそれ以前の問題もあるのですが(^^;)。  同じ「人間の体」ということで、共通する土台となるような動きというのは あるのでしょうけれど、そこから先は個人個人の特性によって何がベストな動 きかという点は変わってくるのかもしれませんね。  まず“土台となる動き”をしっかり身につけないとなー>自分。                           しまうま(KFQ02761) 02691/02691 KFQ02761 しまうま RE:長い挨拶 (18) 95/11/26 20:43 02687へのコメント #02687 鷹さん  こんにちは(^^)。「おおっ、鷹さんだー」と思わず身の程も知らず(^^;レス してしまいます。 :従って、武道で言うならば、達人のレベルになると「何かを」予測するのでは :なく、予測している内容自体が「何か」であって、何が起っても予測と現実が :一致したということになるのでしょう。  まるで禅問答のようだなあ、と思いました。はっきり言ってたぶん全然理解 はできていないと思うのですが、でもこの文章を読んだときに頭に浮かんだ “感覚”みたいなのはすごくおもしろい感じでした。文章を読んで似た感覚を 感じたことがあったな、と思ったら『光の黙示録』の「遊び」に関する章を読 んだときでした。  文章を意味でとらえようとすると矛盾してるように感じるんだけど、でもな んとなーくおもしろい感じが湧いてきます。「おもしろい」という形容しか思 い浮かばないのが情けないのですが(^^;。 :瞬間の中のある部分で動作に不都合が有った場合、意識は都合の悪いパーツを :別のと取り替え、結果として動作を成功させる。従って、一つのパーツは小さ :いほど小回りが効き、パーツのストックが多いほうが応用が効くということに :なる。  な、なるほどー。これはすごくわかりやすいです。パーツの「細かさ」と 「ストックの多さ」というのは、とってもイメージしやすいです。それらをT POに合わせて適切に組み合わせて使えた方が、勝負を制するのでしょうね。  そういう意味で言えば、自分の動きは本当に大ざっぱなパーツしか使ってな いし、ストックも貧弱だなあと思いました。  うーむ、一人稽古せねば(^^;。                           しまうま(KFQ02761) - FARION MES(19):世も末ばなし ★ ぶっ飛び話・罰当たり話 95/11/27 - 720/720 QZY01267 猫の手 何をやってもいいって!? (19) 95/11/27 06:59  何をやってもいいんだよ。  何をやってもいいんだって。  何もやってもいいんだってば!!  でも、でも、でも、  「でも」をつけたい私  でも、「でも」はいらないの。  本当に芯から「でも」はいらないの。  本当に「でも」はいらないんだってば!!  「でも」をつけてしまったら  行動を制限する。  「でも」をつけてしまったら  押さえてしまう。  そのままでいいの。  そのままでいいの。  何も無理することはないの。  ただそのままでいいの。  自由にすればいいんだよ。  何でもかんでも自由でいいんだよ。  全く自由になってしまったとき  足を引っ張り続けることなんかできないんだから。  それを信頼すればいい。  もし信頼できないなら  信頼しなくていいんだよ。  ただそのままでいい。  ただそのまま、  あるがままでいい。  受け入れたくなければ  受け入れたくなくてもいい。  嫌いだったら  嫌いのままでいい。  そのままでいい。  そのままでいい。  そのままでいい。  そのままでいいんだってば!!  そのままで居たくなければ  何かすればいい。  何かしたければ、  それをすればいい。  自分が自分でいればいい。  何かになる必要もない。  特別になる必要はない。  ただそのまま、  ただそのまま  あるがままでいい。  あるがままでいいんだってば!!  不安になったら、  訊ねればいい。  寂しくなったら、  求めればいい。  何もしちゃあいけないことなんてないんだから  何もしなきゃあいけないこともないんだから、  初めから傷つけたかったわけじゃない。  初めから嫌いだったわけじゃない。  ただそうすることが必要だっただけ。  ただそうしたくなってしまっただけ。  もっと良い方法があるって知ってれば、  もっと信頼さえできてれば、  そんな必要なかったけれど、  弱い私で御免なさい。  こんな弱い私でも  こんなつまらない私でも  受け入れてくれる処があるならば、  居させてくれる処があるならば、  そこが私のマイホーム。  そこが私の拠り処。  そこがあるって知ってれば、  そんな処があるって知ってれば、  今は苦しくたって、  辛くても、  今は寂しくたって  悲しくも、  それを拠り処にして  生きてけるでしょう。