真に忙しい人ほど、よく遊ぶ。中途半端に忙しい人は忙しいと言う - FARION MES( 2):Wellcome All ◆ 四次元喫茶 カルフール 95/11/30 - 04978/04978 PXP02610 修羅 残業 ( 2) 95/11/30 13:28    12月のワークを組むにあたって、うちの部署で誰が一番残業してい   るか、上司が計算したらしい。    うちの会社はワークを組む時に、最初から残業を設定している日もあ   って、それを『通し』と呼ぶんだけど、それは除いて純粋な残業の日だ   けで計算して、ダントツ一位は僕だったらしい(^_^;ゞ    さてさて。    上司はその後、余程暇だったのか(笑)、通し勤務が一番多い人間も計   算してみたそうだ。    結果は・・・・ やはり、僕だったそうだ(^"^;)    最初から通しが一番設定されていて、且つ残業も一番ということは、   僕に早番てあったんだろうかと、自分でも疑問に思ったんだけどなぁ。    この話にはオマケがついてくる。    結果に驚いた上司が、「いやぁ、あいつこんなに働いてたんだぁ」と   呟いたらしい(゚-゚)    この呟きを聞いた僕の同僚達が、いきり立って「今更何いってんです   か!」と抗議したら、きょとんとされたらしい(^_^;ゞ    ・・・・こんな話聞いたら、僕飲みに行っちゃうもんねぇ(笑)                              修羅☆ - FARION MES( 3):Media Talk ◆ 本/映画/音楽を語る 95/11/30 - 01018/01018 GGA02514 KAZE バラード/ルイスキャロル/ミニマルミュージック/古楽/宗教 音楽 ( 3) 95/11/29 17:14 01017へのコメント tenさん、どうも。 > 「教授」^^;;の「美貌の青空」は「Smoochy(スムーチー)」という新譜の1曲目です。 では、早速、聴いてみることにしたいと思います(^^)。 >  エスペラントは、モリサ・フェンレイというモダンダンスカンパニーに >つくったもので、日本でも上演されました。 そうでした、そうでした。 そういえば、そのころは、ミニマル・ミュージックなんかが流行ってまして ぼくもその流行に乗っていろんなのを聴いてたことを思い出します。 フィリップ・グラスなんて方もいましたね(^^)。 >あの曲で引用されているJGバラードの小説「結晶世界」も悲しいけど良いです。 そうですね、「音楽図鑑」はそのなかのどれをとっても そこには背景となる物語が感じられましたよね。 JGバラードといえば、ぼくもディックを読んでた頃によく読みました(^^)。 「〜世界」シリーズをふくめどれもイメージが鮮烈でしたよね。 そういえば、「太陽の帝国」なんかは映画化されましたよね。 余談ですが、あの「太陽の帝国」の本を翻訳した高橋さんという方には、 大学時代に英語の授業を受けたことがありましたけど、 味のある不思議な個性をもった方でとっても好きでした(^^)。 その方は、ルイスキャロルなんかも好きな方のようで、 そういう話を授業でして、学生たちの多くがそれに感心を示さないのを とても寂しそうにしてました。 高橋さんといっても、ナンセンス大全なんかで有名な高橋さんとは まったく違う方なんですけど。 こうやって書いていると、どんどんそのころのことを思いだし始めます。 ジェイムス・ジョイスの「フィネガンズウェイク」を訳出された柳瀬さんなんかも そうしたルイスキャロルもののような言葉遊びを得意とされてましたが、 当時は、ぼくはそうしたものが大好きだったんです(^^)。 >踊りやすい曲は、一番好きなのは、バロック音楽です。バッハとか。 >それから、フォーレのレクイエムのような宗教音楽。 >何というか、古楽器の音や旋律が、心のあり方や居住まいを端正に >してくれるような気がするんです。 > 宗教音楽は、何処の物でも、言葉以上に声そのものが力を持って物質的に >感じられて、何処までも昇っていったり、何処までも小さい者になれるよう >な気がして好きです。 バッハは、ぼくがいちばん大好きな作曲家です(^^)。 グレン・グールドのピアノなんか、よく聴いたものです。 イギリス組曲とかフランス組曲、トッカータなんかも ダンスの要素があるように感じられて、 聴きながら身体のなかで自分が舞っているのを感じることがあります。 古楽器といえば、数年前から、有田さんのフラウト・トラヴェルソや その仲間の方たちのヴィオラ・ダ・ガンバ、チェンバロなんかを よく聴くようになりました。 テレマンやコレルリ、ブラヴェなんか。 それと、最近では、ぼくも宗教音楽をよく聴いています。 ビンゲンのヒルデガルトなんかから、ロシア正教関係、 ルネサンス前後のあれこれなど、ほんとうに不思議な魅力に満ちていますよね。 ぼくは、最近は、ミサ曲なんか、バッハやヘンデル、ハイドン、モーツァルト というような方々の代表的なものなどを聴いたりしてます。 それから、「聴きながら身体のなかで自分が舞っている」のを感じるのは そのほかには、声楽曲などがあります。 このところ、非常にベーシックに、シューベルトの歌曲なんかを 聴いてたりするのですが、これがなかなかクセになってるんです。 >  音や声の力ということならば、 > チャールダーシュのような民族的な力を感じられるもの。 「チャールダーシュ」については不案内ですが^^;、よろしかったら教えてください。 「民族的な力」といえば、山城組のさまざまな試みは興味深いですね。 ケチャの構造なんかについても、ぼくは山城組のもので 「なるほど」と思ったことがあります。 あと、教授のつくった映画音楽でも使われてましたが、コーラン。 あれは、真夜中に、ひとりで暗くして、聴いてると、けっこう効きます^^;。 >  一寸、抽象的になってしまいましたが、前にソロで踊った曲で云うと、 >マイケル・ナイマンの「英国式庭園殺人事件」の「オプティカルセオリー」 >ウィムメルテンの「ウィスパーミー」、アンリ・トマジの「12のコルシカの歌」 >(これは、コルシカの古い聖歌からつくったもの)などです。 マイケル・ナイマンやウィムメルテンはわりと聴いたことがあります。 なんだか、そういう踊りかイメージでできるような気も・・・。 アンリ・トマジというのはまだ聴いたことがありませんねぇ。 なんだか、とりとめない雑談のようになってしまいましたが、 いろいろ思い出しながら、こういう話をするのっていいですね。 では(^^)。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ - FARION MES( 4):オ   フ ◆ 出会いふれあいトーク 95/11/30 - 01118/01120 GGD02212 スウ RE:めのくり、東京へ行く(本編) ( 4) 95/11/29 21:07 01117へのコメント  うんうん、ちぃママよりもダンナのほうが男にモテているように見えた。 何やら、はるばる北海道から上京しただけの値打ちがあったようですね〜。  新宿歌舞伎町界隈をさまよった私は「プルプルハウス」の前で幹事さんを 見つけた(嘘)。あ、あの「梟」という字は「ふくろう」と読むんだった。 某弁護氏はコートを着ると「笑ウせぇるすまん」みたい。某カメラマン氏は 日本民話的な父ちゃん、*ュ*ールさんはNIFの専務さんかと思ったら、 古代メソポタミアの博士。某サブシスには毎度幹事の御役ご苦労様の御疲れ 様ですが歌のレパートリーの広さには呆れてしまう。某シスオペが歌った、 「3度はダメぇ」が耳についてしまった。            (スウ) 01120/01120 NBB01420 SUKE めのくり、東京で珍獣扱いか? ( 4) 95/11/30 00:19 01115へのコメント #1115 めのうさん、くりすさん、お疲れさまでした。 僕は北海道でお二人に会ったことがあって、めのうさんは度々上京された折り にお会いして(迎撃オフとゆー意味であるぞ)いました。しかしくりすさんは 関東圏内で見かけることが無かったので、何故か新鮮でした(^^;) と、こう言ったら「殆ど珍獣扱いじゃ」と言われてしまいましたが(^^;) 当日はもうスケジュールに身体が付いて行かなくて、当日昼間予定手いていた 研究会をごめんしてしまったものだから、オフ始めのころはまだ気分が平たかっ たんですよ。でも一次会終わる頃には大分盛り上がってきていましたよ(^^;) せっかくだったのにどうも済みませんでした。m(__)m オフでARIONと話せたのは何だかすっごおいラッキーだったのでは? 僕はビートニクスさんと二人で「僕らはまだ独身だからなぁ」と言いながら耳 をそばだてていたんですが(^^;) でも半分くらいしか聞こえなかったぁ(-_-;) めのうさん、泣かされたとのことでしたが、僕は以前にオフでぐしゃぐしゃに 泣いたことがありまして(^_^;)その時のことを思い出していましたよ。 もっともARION相手ではなかったのだけどね(^^;) で、それから何かがちょっと変わったように思っています。 朝カラでは最後は寝てしまいました>SUKE んで翌日はちょっと声ががらがら(^^;)                          (^^)…☆ッテナモンダ Suke. 01119/01120 MHA01114 シュメ−ル どうも ( 4) 95/11/29 23:26 オフでは皆さんどうもありがとうございました。NIFの専夢です。 最近のぞいている部屋が少ないので、ハンドルを教えてもらっても、かすかな記憶を 辿るのが精一杯で、ついつい声をかけるのも恐縮で、小さくなってました。(?)お まけに遅れてやってきて、真っ先に、消えてしまってすみませんでした。しかし、2 次会・3次会・N次会・N+1次会まである事が前もって分かっていれば、それなり の心の準備をしてたんですが、なんせ、仕事がらみでの上京だったもので、失礼御免 なさい。  初めてということもあるのでしょうが、印象が私にとって特異だったのは実はスウ さんと七穂さんでした。スウさんとは昔(生まれる前)なんかあった気がした。スウ さんのパーソナルな面なのか、霊統的なものなのかは分かりません。スウさんは私に 欠けている何かを持っている感じ。だからスウさん個人なのかスウさん的な何等かの 傾向なのかもしれない。後者なら単に私の事情だけということいなる。七穂さんは前 世的なものなのか、守護霊的なものなのかよくわかりませんが、背筋にゾクゾクきは じめたのはなんだったんだろうか。単に美人だからというのなら第一印象で来るはず なんでしょうが、後半、血統の話題できたってことはそれなりの訳があるんでしょう。 ガッチャさん幹事ご苦労さまでした。 - FARION MES( 7):自分を観る  ★ ARIONを鏡にして 95/11/30 - 06599/06607 HGE02116 MAKOTO 提案、お受けします。 ( 7) 95/11/29 22:18 06591へのコメント #6591>ARION、RESありがとう(^^)  アドバイス感謝します。私も同じ事を繰り返しそうで怖かった。そして、少し 焦りを感じていました。  質問と答えの間にずれがある事は、何となくでも感じていました。そして、そ の事に焦りを感じていました。なぜ、これでは答えにならないのか…? なぜ、 これで伝わらないのか…? そればかりを考えていたともいえます。そして、そ れがなぜなのか、不思議でなりませんでした。  また、答えと感じられなかったものが、相手なりの答えであったのだと、後に なって気付かされた事も何度かあります。そして、それに気付いたことで、弾い てしまうものをどうすればいいのだろうかと悩む事になりました。  でも、実際に人と話してみると、今でも強く引きずられている事がわかります。 私は今でも、見たいものしか見えていないし、受け取りたいものしか受け取れて いません。さて、どうしたものかと戸惑いが生じていた所です…(^^;) 私は今だに、先に人に変わる事を、求めているようです。変えられるのは自分 だけなのだと言うことに、何度となく気付かせていただいたのに、また忘れかけ ていたような…(^^;)  そうですね、ARIONからの提案を試してみる事にします。実際には、これ を書いている今も、かなり抵抗を感じてるんですけど、試してみないことには、 何ともいいようがありませんから(^^)                          MAKOTO でした☆ 06603/06607 NBB01420 SUKE 電話が怖い? ( 7) 95/11/30 00:20 ARIONへ 聞きたいことがあると言った割に、むしろ話したいことがあると言った方が良 かったかもしれません。 私は今日明日切迫して不都合だと言う程のことはないのですけれど、恋について どうも大きな問題を抱えているんじゃないかと思い始めまています。 最近7番会議室に連続して書いた「こだわりの心理」から、自分の生い立ちを 振り返って幾つか気付いたことがありました。それは    「自分は本当は必要とされるような存在ではないんだ」 と言う潜在した思いが、私の衝動の原因になっていると言うことです。 だから私は、基本的に他人に受け入れられることを信じられないでいる。 私に何の優秀さが無くても、私の存在だけで受け入れてくれる人と言うのは世 の中にいないと感じているようです。 今まであまり意識しては来ませんでしたが、人に受け入れて貰うためには、優 秀さと言うメリットを持っていなければだめだ、と言う思いがあるのでしょう。 実はこれは恋に限らず私の人間関係全般に言えることです。 でも今の私は恋を意識することで特にこの問題に気が付いたように思います。 「自分で自分を受け入れないと、他人はどうも出来ない」と言われてしまいま したが、自分で自分を受け入れることが出来ていないのでしょうか。 幼少体験のせいにばかりしてはいられないと思ってはいました。 また、優れていようとする自分と拮抗してみるために、職場などで私に至らな いところがあるような批評を受けたとき、それが自分にとって不本意であって もそのままにしてみることを試してみます。いわば「悪い人」になってみよう と。 至らない自分をも自分の姿の一つとして、あるいは他人の目に映る自分の姿の 一つとして、それを認め受け入れると言うことが「自分で自分を受け入れる」 と言うことではないかと思います。 こういうのを続けてみるので果たして良いのでしょうか。               === 初めに話したのは、「世の中には突然かかってくる電話に脅迫感を感じる人が いるようだが、自分はむしろこれから電話をかけようと言うときに苦しいもの を感じる」と感じたのがきっかけだったのです。 電話をかけるときに感じる疑いとか苦しさというのは、勿論自分の側に問題が あるのだと思っています。そしてこれもまた、自分は受け入れられないのでは ないかと言う不安感が根底にあるものだと思います。 結局、私の今の問題を解決しようとするなら、「自分で自分を受け入れる」た めにはどうしたらよいかと言うことに行き着くようです。                                Suke. - FARION MES( 8):恋愛錬金術  ★ 愛と性を本音で語る 95/11/30 - 01201/01201 GBG02043 維/YUI なんでやねん? ( 8) 95/11/29 21:35 たまたま、私がそういう体験をすることが多いのかと思おうとしたけど、 友達の話とか聞いていても、結構いるのでそういう傾向ってあるんじゃ ないかと思った次第。 なんでか、「独りでいたい」と言うと、悲しい顔をする奴が多い。 四六時中一緒にいないと嫌だとか、不安だとかいう奴。 別に嫌いだとも言ってないのに、勝手に「独りでいたいってことは、 嫌われたんだ」みたいに取る奴。 そんなに自信ないなら、とっとと別れてくれ!と言いたくなること しばしば。 友達とだけで飲みたい時とか、独りで景色を眺めたりいろんなことに 想いをはせたいときって、あんたにはないんか?と聞いても、 う〜・・・と下を向き、なんでそんなこと言うだぁ〜って顔をする。 独りぼっちって、さびしいじゃんかって言う。 それに異論はないよ。 私はさぁ、一緒にいることだけが在り方じゃないと思うよ。 居なくてもその人のこと思うだけで、勇気づけられることもあるし。 いつでもどこでも側に居て、何かやってくれていないと安心できない なんてのが、本当の愛なのかって思うよ。目に見えて手にとって わかることでしか計れないものって、なんなんだ??? 私の役に立ちたいって、そうやって私をつなぎ止めておこうと することが、とりもなおさず役に立ってないんだってば。 私の周りだけかもしれないが、夢見がちなのは男の方だ。 維/YUI。 - FARION MES(10):夢鏡/幻紀行 ★ 夢解釈/カスタネダ研 95/11/30 - 01025/01027 GGD02212 スウ 先日、某みれさんに… (10) 95/11/29 21:07  先日、某シスオペに、自分の仕事を書き込みに活かしてないじゃないのぉ〜 と指摘された。んなこと言われたって、こっちは精神科医でもないし心身症も 専門外だし…職場で夢の話題に関係するような体験は多くないんだけどなぁ… 老人とのボケ比べぐらいしか書き込むネタが無い…とか言い訳を考えていたら、 ある患者に「悪夢のせいで体調が悪い」みたいな相談をされてしまった(^^;。 当方は単なる内科医なので、夢の内容を聞き出して分析したりは決してせず、 ごく一般的な精神安定剤を処方するだけ。さほど深刻な症例では無かったので 精神科医へのコンサルトには至らず。まあ、あってもこの程度のことなんで、 当会議室に限っては、医者ネタ・病院ネタはあんまり期待しないで欲しい。… とは言え、カス本によればドン・ファンの教えに「死はアドバイザーである」 “Death Is an Adviser”とある。医療従事者でない人に比べると確かに、 そのアドバイスを目撃するチャンスが多い職場と言える訳で…今後、カス本を 読んでいく途中で気付くことがあればコメントするとします。    (スウ) - FARION MES(11):狼を生きる  ★ 平井和正の著作から 95/11/30 - 01858/01858 JBH00712 桂 桂 中学生の気持ち (11) 95/11/30 01:22 01855へのコメント  輪読会に併せて地球樹を読み返した時、自分の中学生の気持ちが次第に思い  出せて来た。 あの頃の自分は、いつもなにかに焦っていた。 そして苛ついていた。 一体何に対してだろう。 恐らく何に対してでもない、ただただ、自分の無力さとそして大人への憧れ の狭間にいて、やるせない感情を周囲の環境に向けてやり場の無い怒りをぶ つけていた。時にそれは先生であり、体制であり、受験に向かってであった。 尾崎豊の詩に「十五の夜」というのがある(タイトルが違っていたかな?)。 バイクを盗んで夜の街を走り、そして自らのやるせなさを物悲しく語るよう な歌詞であった事を覚えている。そんな無気力感とやり場の無いエネルギー の放出感を詩に感じ、中学から高校性にかけてよく聞いていた。 だからどうしたって? 何も変りやしないさ。ただ「怒り」の感情を若さに任せて遮二無二迸らせて いただけだから。 鷹匠中学校はまるで日本の典型的な管理型の学校として描かれている。 それはそう、まるでステレオタイプに描かれた平凡な当世風の生き方をする 中学生の登校時の姿そのもの。 でも彼らは異端児、四騎忍と後藤由紀子によってその生活を次第に変えて行 く。それは当時望むべくもない、子供ながらにして大人の未知の世界に入っ て行く「一歩違う」まるでスターのような目映い存在だ。少なくとも、あの 時の僕は憧れていた。周囲に溶けこみながら、少しだけ同世代と違う違う世 界に踏み込みだそうとしている自分ッテヤツに。 その頃に比べて今の自分はどれだけ変わったか? いいや少しも変わらない。 大人になろうとして大人になり切れず、未だ理想に自分に夢想している自分。 桂 桂(JBH00712) - FARION MES(12):精神世界裏表 ★ ニューエイジビジネス を斬る 95/11/30 - 00704/00705 JBH00712 桂 桂 戦争機械・7 (12) 95/11/30 01:22 00660へのコメント コメント数:1  学生を含めた左翼の闘志達は、71年における浅間山荘事件「共産同赤軍 派による連続リンチ事件」により今までの運動というものが奇矯に変質し、 そして空疎に瓦解して行くものを感じたのかもしれない。この時のTV中継 は戦後最大の視聴率をマークした。そして全国全共闘は自らのイデオローグ の限界とその方向性に行き場を無くし、徐々に沈滞を始める。それは日本に それまであった「政治の空気」が消滅する、空虚な時代の始まりであったか もしれない。  だが時代を越えても一度革命の荒波を夢見た闘志達の夢想は断ち切られる 事はない。尚却って新たなる革命の手段を見出すべく新たなる活動を開始し たという言い方も出来るかも知れない。  71年以後、左翼セクトは其々内ゲバに熱意を燃やし別けても中核派と革 マル派の内ゲバはし烈なものになった。  75年には「東アジア反日武装戦線・狼」が無差別企業爆破事件を起こし、 世間の注目を浴びる。右翼である鈴木邦男はその著書「狼と腹腹時計(後に 改題・現タイトルは<テロ>)」において、「三島由紀夫の割腹は、右翼よ りも左翼において強い影響をもたらした」と書いている。  現在活躍中の文化人、著述業、出版業における内外の人物にその昔活動家 であった人物というのは数えてみると以外と多い。現在のオカルトブーム (ブームと言うよりはむしろ一つのジャンル<精神世界>として確立してし まったものだが)の基礎が作られたのも正確にはこの70年代の中盤から後 半にかけて、自らのブランキズムのやり場を失ったかつての活動家、あるい はパルチザンを夢見るヒッピーなどが自らをグルを称し、この世に有るかな しかのユートピアを目指してコミューンを創設しだしたのが次第にメディア の俎上に上がって巷間に流布しだしたのがそのきっかけである事も否めない。  有る意味でそれは<ポップ>なものである。  本来は外来的な思想である魔術・カバラ・ユダヤ・宇宙人・秘密結社など というロジックをあたかも時代を先取りするようなタームで紹介する。メディ アがこぞって紹介すれば、それはすでにそこにあたかも<そのような世界が> 既に有るかのような幻想を抱かせるのには十分な材料になる。雑誌「ムー」 などの大幅な流行(一時はオカルト雑誌は数えて5.6冊刊行されていた時 期もあった)は、そうした一見有るように見えて実は使い古された世界観を 切り取りも新たにまるで手品のタネを手変え品変え見せ付けていることでし かなかった。  だがそれにしたところで一朝一夕にそれが成し遂げたられた訳ではない。  中長期的に何らかの形でイニシアティブを取り続けた人物がいた訳で、そ して一つの立場からささやかなキックを与える事によって細波を立てるかの ように時代の間隙に「オカルト」という世界観の確立(それもファナティッ クで、まるで明日にでも革命が起こって世界史が塗り返るような)を試み続 けたからこそ、今日の精神世界というジャンルがしっかり根を生やしている のである。  その一つの立場に、「八幡書店」というのがある。 桂 桂(JBH00712) - FARION MES(13):神秘学遊戯団 ★ 限りなき神秘への航海 95/11/30 - 03982/03987 GGA02514 KAZE 中・愛・和 (13) 95/11/29 16:25 03976へのコメント 諏訪みのるさん、どうも(^^)。 >「均衡」と「中道」、今後も課題の一つとして留意したいと思います。 キリストの道が「中道」であるということは、 「愛の道」こそが「中道」ということになるでしょうか。 「中」というのは、単に調和的なあり方をいうのではなく、 弁証法的発展のことだということは以前にご説明しましたが、 そうしますと、「愛」というのも、 調和でありかつまた発展でもあることになります。 この「中」や「愛」と似た言葉に「和」という言葉もありますが、 この「和」も、単に調和的に和するということだけではなく、 「大和」というふうに使われるように、弁証法的発展でもあります。 ですから、「大和心」というのは、調和が即発展になるような そんなエートスであるといってもいいようにぼくはとらえています。 これはMES15のテーマでもあるのだと思いますので、 MES15のオープンのときにそれを書き込ませていただいたこともあります(^^)。 さて、この「中」なる道は、実践面においても、 また認識面においてもとらえることができるように思います。 実践面での典型的な例は、「苦楽の中道」といわれるもので、 仏教にお詳しいみのる♪さんならばご存知のように、 苦行に終始して身体を痛めつけることでも、 また感覚的な歓楽に陥ることでも、悟りは得られない。 その「中」なる道にこそ真実があるということですよね。 また、認識面での典型的な「中」についていえば、これもご存知の通り、 「断常の中道」「有無の中道」とかいわれるようなとらえ方があります。 「断常の中道」というのは、真理は常なるもののなかにもないし、 またそこから離れたもののなかにもなく、その「中」にあるということ。 「有無の中道」というのは、たとえば、「私はいるのかいないのか」 「パワーブックはあるのかないのか」というような問いかけの答えでもあって たとえば物質にとらえ、私の肉体の部分を切り離していくとわかるように、 そのどこまでが私であるかまたそうでないのかということからは、 「私」というのはとらえられないというようなことでもあります。 「日本」というのはあるのかないのか、なんていうのも面白い問いかけです。 日本とは日本の国土のことなのか。 それでは現在の日本人がいなくなったら日本か。 それでは、日本とは日本人のことなのか。 日本人とはいったい誰か。 ・・・とまあこう言ったことをつきつめて考えていくと、 「日本はあるともいえるしないともいえる」 いやむしろ、あるとかないとかいうことではとらえれれないといえます。 仏教では、こうした側面での議論が詳細になされていて、 そこからぼくも多くのものを学ぶことができたのですが、 そこらへんのことは、神秘学を学ぶことで、 議論を非常にクリアにしていくことができるように思います。 > ルシファーの衝動とアーリマンの衝動が、区別できないくらい複雑に絡み合っ >たり増長し合いながら人間を突き動かしているのが現状の姿だと思います。 そうですね、その通りだと思います。 ですから、それを慎重に解きほぐしていくことで、 その衝動から自由になる道もまた見いだされるのではないかとも思っています。 > この“飲み込まれずに済ます事”の中にキリスト的なものの本質、つまり「均 >衡」や「中道」があると考えて良いのではないでしょうか。 そうですね、健全なバランス感覚ですよね。 それは、ルシファーの衝動とアーリマンの衝動への誘惑を理解しながらも、 そこに呑み込まれる前に踏みとどまることのできる勇気でもあると思います。 >プラスの方向に選択した者がプラスに成長できたならば、その者に選択の自由を >与えた“いわゆる「悪なる存在」”は、その時点でドロンと「善」に変身してし >まう(^^;)。 まるで法華経の中の、方便によって様々な姿を模して現れた「仏」 >みたいな存在ですよね。「悪」というのは「方便」かもしれませんね。 はい、大いなる「方便」だといえそうです。 でも、その「方便」はものすごく本気の「方便」、 つまり、人間のチンケな「方便」ではなく、「神の方便」ですから、 我々はその影響を受けて、すぐに本気で堕落してしまいます^^;。 シュタイナーの人智学というあり方というのは、 それに対して、認識を深め、実践を行なっていくことで、 その「方便」の意義を最大限に生かしていくものだということもできます。 それが「中」という「キリスト」の道なのではないかと そうぼくはとらえているわけです。 では(^^)。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 03986/03987 GGA02514 KAZE 風遊戯70●ほんとうのことば (13) 95/11/29 18:20 ずうっとむかし世界はほんとうのことばでできていた ほんとうのことばは永遠のはずだった けれど今は永遠なんかじゃない 今じゃことばは嘘でいっぱいだ ほんとうのことばはどこにあるんだろう ほんとうのことばは空のはて空想の国にある そんなことをいってほほえむ人もいるけど ほんとうはそんなんじゃない ほんとうのことばはどこか遠いところにあるんじゃない ほんとうのことばはだれかがどこかからもってくるんじゃない もしほんとうのことばがあるとしたら それはぼくたちがそれを話さなくちゃいけない そしてぼくたちがほんとうのことばになるしかないんだ だからぼくたちは嘘をやめなくちゃいけない 嘘はぼくたちがぼくたちであることをだめにしてしまう 嘘はどんどんぼくたちを食べていって おしまいにはぼくたちはぼくたちではなくなってしまうんだ ずうっとむかし世界はほんとうのことばでできていた いまはほんとうのことばがどんどん死んでいく時代 ということはぼくたちがぼくたちでなくなっていく時代 だからぼくたちはぼくたちのなかで ほんとうのことばの種を育てなくちゃいけない はじめはほんの小さな種かもしれない けれどそれをだいじに育てていければ きっとそれは大きく大きくなって 花が咲きたくさんほんとうのことばの実をつけるはず そしてまたその実がまかれて そうして 宇宙はほんとうのことばの樹になって 永遠にむかって育っていくんじゃないかな ☆☆☆by KAZE☆☆☆ 03987/03987 QZD02307 ジョリー RE:自己教育 (13) 95/11/29 23:31 03957へのコメント KAZE さん、遅くなりました(^^;)。 >しかし、このところ毎週のようにいろんなイベントをかけもちしながら、 >本来の広告の仕事もたくさんあるものですから、 >少しばかり体調を崩してしまうことになりました^^;。 >でも、もう大丈夫、すっかり元気になっています(^^)。  ううむ、KAZEさんのバイタリティーには、見習うべきところがたくさんありま  すね。僕は、仕事をしているときはいいのですが、うちに帰ると力が極端にぬ  けてしまうほうなので、ボーっとしているときの方が多いです(^^;)。 で、風  邪にもかかりやすいので、困ったもんです。 >高橋厳さんの書かれた角川選書のシリーズの一冊ですよね。 >このシリーズは、どれを読んでも、それなりの気づきに満ちていますし、 >なによりも、とても読みやすいのでいいですよね。  そうそう、中でも、「あらゆる教育問題の中で最も緊急に重要な問題は、教育  者養成の問題だ」という言葉が、一番ハッとさせられました。日本には、その  ような教育の基盤がないし、第一、教育者を養成する教育者はだれなんだろう?  と、考えると眠れなくなってしまいます(^^;)。 >現在の教育のあり方の最大の問題は、教師は教える人、生徒は教えられる人、 >そういうふうに固定的にとらえてしまうことにあるのではないでしょうか。  そうですね。「教えることは学ぶこと」というような姿勢で、教育に挑むこと  が理想なのかも知れませんね。生徒も教師も、共に学びながら成長していける  ような環境であれば、日本の教育も少しは、ましになるのにと思います。 > を、先生が少しでも損なうということは、絶対に許されません。いちばんいいの > は、これも極端な言い方になってしまうのですが、子どもの人格を否定するよう > な言葉を子どもに向かって吐きかけないように努力することです。否定的な言葉 > を言いたかったら、否定的でない方法をいろいろ探します。 (P77-79)  これを読んで、かつて自分が受けてきた学校教育がどんなにお粗末なものであ  ったか、愕然としてしまいました。まだ、将来可能性のある子供達に向かって、  無神経な言葉を吐き続ける、未成熟な教師がどれだけ多かったか・・・・。 >まさに、「自死」には、「あとに愛と誇りが残る」のではないでしょうか。 >それに対して、「自殺」には、「愛」も「誇り」も残りませんよね。  そうですね。僕も、少なくとも死ぬときぐらいは誇りを持って死にたいです。  もっとも、その時の状況によっては、大きく左右されそうですけれどね(^^;)。 >その反対に、先の自己教育ということに関連していうと、 >自己教育的な思考とでもいえるものが生きた思考といえるでしょうか。  なるほど、こう言われてみるとよくわかります。  僕も、「生きた思考」で自分を見失わないように、心がけていきたいと思いま  す(^^)。では。     ジョリー - FARION MES(14):預言解読村  ★ 預言・予言は何を語るか 95/11/30 - 03377/03382 GBG02043 維/YUI おしらせ > ALL (14) 95/11/29 22:58 毎度、御贔屓にいただきまして、心より御礼申し上げます。 さて、預言解読村・はな村長の通信用計算機(パソコン)が 故障のため暫くの間、留守することとなってしまいました。 ここにお集まりの村民の皆様には、誠に心苦しいのですが、 復旧するまでの間、茶店のおばば(=私)とお茶でも飲んで いてくださいとのこと。 しまうまさんをはじめとして皆さん、村長のRESはちょいと 遅れるかもしれませんが、その間手をこまねいていることなく たくさん書いて、村長の未読数を増やしてあげましょう!!! きっと、戻ってきたときは感涙してくれると思います。(^^;) と、いうことで皆様今後もよろしくね!! 連絡係 >> 維/YUI。 03379/03382 GBG02043 維/YUI くくり (14) 95/11/29 22:58 03374へのコメント コメント数:1 菊理媛のイメージって、清く正しく美しく〜とでも言いましょうか、 凛とした白さ、日本の白菊の気高さみたいなのを感じます。 おそらく、媛さまが動くということは、今世の中にあふれかえる 汚れ切った気持ちから生まれるような事柄は全て排除する、される ということではないかと思います。 人の中には、それに対してあんまりだという声もきっと有ると 思うのですが、どう考えても今の地球を思うと、反論するには分が悪い ですね。 ところでくくりですが、九苦理とすると、とことん苦しんで膿を出させる 仕組みともとれますし、九苦離とすると、現世=苦界での苦しみから離れる という風にもとれます。 それから、膿ですが、海、生み、熟みとオンで取ると、首尾よく自らの膿を 排出できたならば、新しく生まれ、さらに熟した存在としてのヒトも有り得る のかな・・・などと思います。 維/YUI。 03381/03382 KFQ02761 しまうま RE:くくり (14) 95/11/30 02:29 03379へのコメント #03379 維/YUIさん  こんにちは(^^)。  僕は、決して白山菊理媛という神様についての知識がある、というわけでは ないのですが、ホントになんというか、きっとこの国を統べる媛神さまなんだ ろうなあ、と思います。  そんで、これまたなぜだか、その媛神さまのお役に立ちたいなあ、と思って しまっていたりします(ナウシカを読んだ影響だろうか?(^^;)。  なんとなく、この日本という国を男の神様ではなく媛神さまが統べる、とい うのは、イメージ的にもしっくりくるなあ、なんて思います。  日本をいい国にするために、自分に何ができるか、もういい加減いい年だし、 そろそろ真剣に考えなくっちゃ、とも思ったりしました。   しまうま(KFQ02761) 03380/03382 GBG02043 維/YUI 7+5+3=6 (14) 95/11/29 22:59 03376へのコメント コメント数:1 変な足し算なんですが、ちよっと足してみたら、15なんですね、753って。 (だから、15日にやるのかな? ) んでもって、15は6。 すると、裏も表の進み方の起点と実は同要素を持つものなんじゃないかと そんな風にもこじつけられるわけです。 維/YUI。 03382/03382 KHE00451 るーん RE:7+5+3=6 (14) 95/11/30 08:09 03380へのコメント 維さん、こんにちは。ちょうど、小学4年生の子どもの学校の勉強(作文の練習) で、七五三について調べるというのがあって、資料探しなど手伝っていた所です。 7+5+3の足し算、同じことを私達も考えました。 15というのは、十五夜の満月にもちなんでいるそうですね。それと、旧暦です と霜月は12月になりますので、冬至とも関係しているそうです。 7、5、3の聖数は、冬至の星座といわれるプレアデスとオリオンに関係している ところからきています。 るーん - FARION MES(19):世も末ばなし ★ ぶっ飛び話・罰当たり話 95/11/30 - 725/725 QZY01267 猫の手 好きなことができない私へ (19) 95/11/30 06:39  好きなことをしていいと言われても、  好きなことをしたっていいと言われても。  その先に起こることに不安が残る。  その先で何が起こるか分からない。  好きなことをしていいと言われても  好きなことをしていいと言われても  妬む奴等が出てくるだろう。  足を引く輩が現れるだろう。    私まで好きなことをしていたら、  この世の秩序はどうなるの?  私まで好きなことをしてしまったら、  みんな勝手放題してしまったら、  余計にこの世界は住み難く、  余計にこの世界は荒れ果てて、  それでも私に好きなことしなさいと  言い続けるその根拠は何ですか?    好きなことをすればいい。  好きなことをすればいい。  自分をもっと大切にできることすればいい。  それが自分を傷つけることなら傷つければいい。  それが自分を汚すことなら汚せばいい。  それがしたいことならば、    いつどこで何をしようとも、  誰でもない自分で選んだ自分の選択  今ここでこうしてることだって、  自分で選んだ自分の選択。  何をしていたってかまわなかったのに  何をしていようと自由だったのに  私は今ここでこうしてる。  それは誰でもない自分で選んだこと。    脅されて何をしようと、  怒られて何をしようと、  おだてられ何をしようと、  総て自分で選んだことだって知っていた?  脅されたって抵抗する人もいる。  怒られたって無視する人もいる。  おだてられたって乗らない人もいる。  それがどうであっても自分で選ぶ道。  誰でもない自分で選ぶ道。    今ここにこうして居ることも  自分で選んできた結果。  誰でもない私が選んできた結果。  自由にするのもしないのも  何をするのも選んでる。    キリギリスが唄う、踊る。  楽しんで唄う踊る。  笑って唄う踊る。  その脇で、アリが働く働く。  黙々、働く働く。  明日のため、未来のために、働く働く。  秋が来るにもかかわらず、  唄い続ける、踊り続けるキリギリス。  その脇で黙々働くアリが居る。  冬が来る。  アリに訪ねるキリギリス  「なにか食べ物下さいますか?」  「暖かい暖炉にあたらせて下さいますか?」  アリが答えて言うのには  「どうぞ食べて下さい、あたって下さい。」  「そしてまた、唄って下さい、踊って下さい。」    そんなことが起こるだろうか?  そんなことがありえるだろうか?  今までの教えと違うじゃないか。  じゃあ何故なんだい?  聞いてごらん、  訊ねてごらん、  アリの言い分話してごらん。    私が辛い仕事をしてた時、  あなたの歌は私の慰めだった。  あなたの踊りは私の希望だった。  あなたの歌がなかったならば  私はくじけていたでしょう。  あなたの踊りがなかったならば  私は耐えることできなかったでしょ。  あなたの苦しさ知っていた。  あなたの不安も知っていた。  誰もが冬がくること知っている。  誰もが冬を恐れてる。  にもかかわらず、  あなたは唄い続けてくれました。  踊り続けてくれました。  あなたの苦しみ知っていた。  あなたの不安を知っていた。  私がそれをするのには  不安が強くなりすぎて、  私がそれをするのには  恐れが強くなりすぎた。  できない私に替わって  あなたは唄い続けてくれました。  できない私に替わって  踊り続けてくれました。  せめて私のできること、  それはあなたを食事に招くこと。  暖かな暖炉にあたってもらうこと。  何もできなくなったこの冬に  私の暖炉の前で  唄いましょう。  踊りましょう。  そしてまた春が来て、  誰かがキリギリスになれるよう。  誰かが唄い続けれれるよう  誰かが踊り続けられるよに。  そのときに  誰かがアリになってくれるだろ。  そして冬が来て、  一緒に唄い、踊ろうよ。  総て自分で選ぶこと。  総て自分で選ぶこと。  キリギリスになるのも  アリになるのも  自分で選ぶこと。