どんな物でも味わってみると独特の味に気付く…食事に限らず - FARION MES( 2):Wellcome All ◆ 四次元喫茶 カルフール 95/12/05 - 05033/05034 MHD02672 TAO いらっしゃいませ(^^)>龍之介さん ( 2) 95/12/05 07:32 05029へのコメント  #5029 龍之介さん  どうも初めまして。此処の9番会議室で議長を務めているTAO と申します。  さてさて、エリアーデと聞いて「むっ、出来るな お主」でした(^^)。世界的な  宗教学者なのにも拘らず、何故かあまり話題に昇ることは無いのですね。せりか  書房から出ている全集も、何冊か目を通していますが、あの膨大な知識量は凄い  ですね。  民俗学のサークルにも居られたそうですが、柳田國男や折口信夫とかはお好きで  すか? 私は折口信夫のファンです。  9番会議室は「神々の曼陀羅」なんていう訳の分からないタイトルですが(^^;、  宗教や民俗を主なテーマとしていますので、ご暇な時はどうぞお寄り下さいね。  デハデハ  TAO - FARION MES( 3):Media Talk ◆ 本/映画/音楽を語る 95/12/05 - 01021/01021 GGA02514 KAZE 風の音楽室●細野晴臣「ナーガ」 ( 3) 95/12/04 21:53 ■細野晴臣「ナーガ」(FRCA-1001) 発売されてからもう1カ月以上経ちますが、 「メディシン・コンピレーション」に続く細野晴臣の新譜を やっと手に入れて聴くことができました(^^)。 帯には「アジアの空気と質感が皮膚を通して伝わってくる あなたが待っていた細野晴臣−−極上アンビエント」とありますが、 なるほど、なるほど、聴くほどにぞくぞくと皮膚を刺激してゆくような音楽。 収められているのは、 1.Hindustan 2.Naga 3.Taj-mahal 4.Himalaya 5.Sherpa 6.Jado 7.Seasons 8.Dancing-High 9.Chaitya 10.Angkor-Vat 11.Serpent-Cloud 1-3は、テレビ番組「美の回廊をゆく」のタージ・マハール編から、 4-9は、ネパール・ブータン編から、 10は、正月特別中継TV番組「アンコールワッと」から、 11は、テレビ番組「山河憧憬」の「澄」編から。 どれも刺激的な音で、現代文明のなかで眠りこけてしまっていたものが 皮膚を通して身体の内部から目を覚まして起きあがって踊りだしてしまうような、 そんなイメージに満たされてしまいます。 PS この細野晴臣の新譜とはまったく関係ないのですが、 いっしょに買ってしまったのが、エリック・クラプトン。 ■ERIC CLAPTON:From The Cradle(Reprise 9 45735-2) ブルースです、ブルース(^^)。 このアルバムはもう一年以上前にでたものだが、今回始めて聴く。 たまに聴くと、なんだかすかっとして元気がでる定番ですね、クラプトンは。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ - FARION MES( 6):ハロー・メッセージ ★ 今日のハロー・メッセージから 95/12/05 - 00326/00327 KFQ02761 しまうま RE^2:善、悪、無の三叉路 ( 6) 95/12/05 00:35 00325へのコメント #00325 ウルヴィーさん  こんにちは(^^)。鋭いご指摘ありがとうございますm(__)m。 :95/11/05 三叉路に差し掛かり夢の轍は三方向へ広がる…善悪、それとも無? :>> 善 :>>  \ :>>   −−無 :>>  / :>> 悪 : : ところでこれを語っている本人はどの道から歩いてきたのでしょうか?  うーん、さすが鋭いですねー。僕も書き込んだ後に「そういやこれじゃ来た 道がないよなあ」と思ってました。  それで考えたのは「もしかして、この道って3次元なんじゃないだろうか」 ということです。つまりこんな感じです。             |来 |た             |道 |            /|\   / | \          /120゚|120゚\ 善 |   悪 無  で、これを真上(来た道の延長線上)から見ると、上図のような形になるわ けです。  もしかしたらこの上から下への流れというのは、時間の流れなのかもしれな いなあ、なんて思います。ここからどちらへ軌道修正していくか、みたいな。 :94/04/25 舞い降りる夢の轍、くぐらぬ鳥居の跡、そして龍は咆哮する  このメッセージでも、「夢の轍」は舞い降りるものとされているので、たぶ ん3次元的な解釈をしてもいいんじゃないかなーと思ったりしています。   しまうま(KFQ02761) 00327/00327 KFQ02761 しまうま RE:夢を夢と気付くこと ( 6) 95/12/05 00:35 00324へのコメント  自己レスでーす。 :夢を夢と気付くことを拒否する心は、夢を幽閉し殺してしまう心だ : それでもなおかつ「いや、自分は夢を実現したのだ。自分の中にあった夢は、 :すでに夢ではなく現実なのだ」と思い込む(夢を夢と気付くことを拒否する) :ことは、「現実から目を背ける」ことに繋がる。  で、こうして現実から目を背けていると、なかなかその“現実”そのものに 対する有効な対処というのはできないと思う。つまり「夢を現実だと思いこも うとすること」は、「夢を実現すること」とは反対のベクトルをもつ行為だと いうことになる。「意味がない」どころじゃなくて「逆効果」なのだ。 :95/06/18 現実を生きるのが辛い者は、眠りの夢と幻想の夢を交互に生きる  たぶんこの「眠りの夢と幻想の夢を交互に生きる」というのは、「夢を夢と 気付かない」ための心理的な防衛テクニックではないかという気がする。つま り、眠り=意識が覚醒していない状態、幻想=意識は覚醒しているが幻の世界 に漂っている状態。これを実戦していれば、いずれの状態でも、現実を見ずに すむのだ。  言い換えれば「眠りの夢=麻薬的な夢」「幻想の夢=覚醒剤的な夢」?  ちょっと無理があるか。   しまうま(KFQ02761) - FARION MES( 7):自分を観る  ★ ARIONを鏡にして 95/12/05 - 06636/06640 MHD02502 ARION ARIONより、めのう、維/YUI、MAKO ( 7) 95/12/04 18:47  こんばんわ。  私とARION12は、3日ほど前から急激に忙しくなっている。  それで、再度、暫くの間コメントが出来ないので、暫くの間待っていて欲しい。  今、私達が関っていることの中には地脈水脈関連のものが多い。  書かれてある書より速いスピードで物事が変化してきているので、  それの修正と、既に速いスピードで実現してしまった物事から派生する、  諸問題と影響についてのリサーチと事後処理に携わっている。  あなたがたは、日々の己の姿から、  己が存在する由である「自由」を如何に見出すか?を目的に、  ^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^ ↑(これが自分を観るの目的だ)  残り少ない95年{参戦}の年を振り返ってみて欲しい。  あなたは、あなたの人生に積極的に参戦したか?とね。                       −−−ARION,O∴O−−− 06637/06640 HGE02116 MAKOTO 「情」と「理」か… フム ( 7) 95/12/04 20:12 06627へのコメント #6627>ウルヴィーさん、ありがとう(^^)  「情」で生きている…ですか? なんとなく意外な言葉でした。自分では、理 屈で生きていると思ってたりするんですよね(^^;)  理屈と「理」は、別物なの かしら? う〜ん、ここにも自己像に対する思い込みがあるのかもなぁ…(^^;)  「言葉」についての認識は、ウルヴィーさんのものと、かなりの部分が重なり ます。私も、心の動きを現す為には、言葉は余りにも不完全で曖昧なものだと思 います。前提となる筈の意味づけからして、千差万別、百人百様… 一人として 同じ人はいない。それでも伝える為には、不完全なこの言葉というものを使うし かない。…と、こんな事を意識していると、よくジレンマに陥ります(^^;)  そして、私が伝えたいと思うことは、言葉にしずらい領域のものの割合が多い ようで、いつもいつも、かなりもどかしい思いをしています。  論点のずれについてですが、少なくとも、ずれている事くらいはわかる。それ でも、前提となるものの確認が先のように思えて、ついついそっちの方面に集中 してしまう傾向が大です。まず、そっちをはっきりさせてからでないと、本論に は入れないという気持ちが強くて…(^^;)  その前提というものが、私の場合、言葉に対する認識には、個々でかなりの差 があるというもの。この、違ってるんだって所を押えてでないと、思い込みと誤 解上塗りにしかならないような気がして、どうしても拘ってしまうんですよね。 まぁ、取り敢えずでも話してみて、話してるうちにずれがあるって事に気がつく ってのでも、いいのかも知れないのだけど…(^^;) >逆に言えばわたしはそういうことが苦手です。物事を全体的にとらまえる >ことですね。分割して分析して細かなところから理詰めでやっつけないと >ダメなんです。  ??? 全体的にとらえてる…? 私がですか? 捉えたいとは思ってるけど、 今だに成功した事がありません。これは意外な発言でした。私としては、うまく いかないからこそ、拘ってるんだって気持ちでいるんですけどね…(^^;)  なんか、ぶつ切りにして理詰めでいくことが虚しくてならないのね。私にとっ てそれは、選り分けて、選び出して、不用なものを捨て去る行為に過ぎません。 言葉を当てはめ、分析して、判断する過程で、切捨てざるおえないものがある。 でも、それも含めて全体が構成されている。…なら、捨てずにすませる為にはど うすればいいのかって所に、引っかかってしまってて… まぁ、考えれば考える 程、わかんなくなるんだけどね(^^;)  何はともあれ、面倒な事をお願いしてすみませんでした。ぜひ、詳しく聞いて みたいって思ったんです。色んな所が参考になります。お願いして正解でした。 本当にありがとう(*^_^*)                          MAKOTO でした☆ 06639/06640 JCF02051 めのう 存在の耐えられない軽さ ( 7) 95/12/05 00:57  (同名の映画があったなぁ....と思いつつ)    師走に入ってにわかに身辺が慌ただしくなってきました。  旅行から帰ってすぐにでも書き込みたかったのだけど、何となく気が重く、  落ち着いて考える余裕もありませんでした。(気は今も重い(^^;)    とりあえず自分の中にあるものを書き出してみようかと思います。    ***    かつての私は他人の些細な一言にもいちいち傷ついたりしていたものだが、  今では人に何を言われようと何と思われようとほとんど気にならなくなった。  なのに私は夫の一挙手一投足に怯えている。    とにかく「夫に必要とされること」が私には必要らしい。  いつ放り出されるか、という不安が常にある。  どれだけ必要とされているかをいつも確認したくなる。  小さな約束を反故にされるなどすると、自分が軽んじられたような気がして  不安はますますつのる。    私の中の彼にとって有用な部分を失わないように。  エゴの押しつけと思われないように。  がんじがらめにしないように。  自分勝手な愛情で彼を潰してしまわないように。  いつもそういうことを考えている。  物分かりの良さ、甘えないことが私の美徳だと思っていたし、そういう自分  が好きだったりもする。    夫との間がギクシャクするたびに「物分かりの良い女」をやめようと思うが、  でもそうすると自分はもうお払い箱にされる気がしてやめられない。  彼に必要とされなくなったからって生きていけないわけじゃないこともよく  わかっている。  いつも矛盾した考えが乱立している。  ただ彼に執着しているだけのような気がして、自分の愛情も疑わしく思える。  心から好きだと言える日とそうでない日がある。  不安と平安がかわるがわる訪れて、堂々巡りが続いている。    ***    大波小波はあるものの、こういう感じでこの数年やってきました。  ここ1年くらいは小波かな。  これらは今まで夫に言ったことも含んでいますが、ヒステリー起こしながら  だったりするので(^^;伝わっていないところもあるでしょう。  自分の中で「よろしくない」に分類されることをもうちょっと書き出したい  のですが、それにはさらに気が重いところへ突っ込んでいかねばなりません。                           ◆◆ めのう ◆◆ 06640/06640 HGE02116 MAKOTO まいったなこりゃ(^^;) ( 7) 95/12/05 02:23 06624へのコメント  不満など幾らでも抱えてる。いつも不平不満だらけだから、書くのなんて簡単 だと思ってた。それが、そうじゃないんだよなぁ… なんとまぁ、凄く戸惑って る私がいる。  取り敢えず、いろんな状況を思い出しながら書き出してみる。浮かんだものを 片っ端から書いてみる。なのに、なぜかどれもしっくりこない。いやこれじゃな いだろって、心の声が囁く。  まいったな、こりゃ(^^;)  私のほんまの不安ってなんなんだぁ…? モヤモ ヤと朧な影は浮かんでるのだが、はっきりした形を与える為には、もうちょい時 間がかかるな…(__;)                          MAKOTO でした☆ - FARION MES( 9):神々の曼陀羅 ★ 歴史と宗教を巡って 95/12/05 - 683/683 GGD02212 スウ RE:朝鮮のシャーマニズム ( 9) 95/12/04 23:51 676へのコメント #676 TAOさん。  朝鮮ネタにスウが黙っていないだろう(^^;と思われませんでしたか?先週は 都合でダウンオンリーの会議室が多く、#676に気付くのが遅れてしまいました が、めげすにコメントします。  韓国の巫俗信仰は、むこうで言う「日帝」による弾圧以前から、大陸からの 勢力(仏教や儒教)に圧されて卑しめられて来たそうです。祖霊祭祀の様式も 儒教式に置き換えられてしまったとか。日本以上に仏教以前の信仰が葬られて しまっていた歴史があるのでは、と想像されるのですが。  「クッ」はハングルで[gus]を表わす文字を縦に並べて圧縮した形です が、日本語の「奇し」と同根(必ずしも一方が他方の語源と言うのではない) である可能性が大きいと思われます。  韓国キリスト教系のラジオ放送で女性の祈祷が流れて来るのを聞いたことが ありますが、神に泣きすがるようで、「鬼気迫る」と表現したくなるような、 いかにもイッちゃってるノリの、入神状態の巫女を彷彿とさせるものでした。 あの調子で女に縋られたら男は呪縛されてしまいそうだ…なんて思いました。  天主教(カトリック)なんかでも山中とか野外で祈祷会をするそうですが、 木にぶら下がって枝をゆすりながら叫んだり、凄いんだそうです。  (スウ) - FARION MES(10):夢鏡/幻紀行 ★ 夢解釈/カスタネダ研 95/12/05 - 01034/01035 VYC12176 フロリクス61 「明恵上人神現伝記」について/感謝 (10) 95/12/04 20:50 まだ通信を始めたばかりなので、コメントのつもりがメッセージになってしまって すみません。 シュメールさま 「明恵上人神現伝記」について 途中でクチバシをつっこんですみません。 「明恵 夢を生きる」 河合隼雄 著のなかで、湯浅宗光 の妻に春日明神が降託するところが、私には最も印象的で した。「明恵上人神現伝記」のその部分を紹介して下さっ てありがとうございます。 明恵上人については、「明恵 夢を生きる」を読んだだけ なので、その生涯についてくわしいことは殆ど知りません。 ただ、ひたすら釈迦への直接的な結びつきを求めて修行し てきた明恵上人が、高山寺に住み多くの人々との交わりの なかに生きる意味をみいだすということ、またそれについ て上人自身の夢によって、自分の行くべき道を悟っていく ところが、非常に意味の深いことに思えます。 「明恵上人神現伝記」の部分を読ませていただいて、とて もありがたく思いました。                 フロリクス61 01035/01035 GGD02212 スウ RE:「夢を生きる」 (10) 95/12/04 23:51 01031へのコメント  どうも。書き込みを ありがとうございます >シュメ−ルさん。 ところで、「専夢」って何て読むんですか?(>専務(^^;)<cf.MES(4)#1118> 春日明神というと、当方の地元の最寄りの神社が春日神社ですが、何かの縁かな? #1023 で触れた文庫本は、あのオフの翌日に新宿で カス本 と一緒に買いました。 <RE:1032>漢文(の読み下だし)のUP、ありがとうございます。 <RE:1033>明恵関連の図書紹介、ありがとうございます。  甚だ簡単な まとレスにて失礼しました。              (スウ) - FARION MES(11):狼を生きる  ★ 平井和正の著作から 95/12/05 - 01862/01863 JBH00712 桂 桂 いえいえ、これからです(^^) (11) 95/12/05 01:44 01860へのコメント  #01860 SHIBA さん  おっとこいつはいけない(^^;  どうもこの議長は先走る癖が走るようで、ついつい話題の先行ばかりに目が入っ てしまうようで、これは失礼しました。  車で実家まで飛ばしていったそうですが、くれぐれも事故には気をつけて下さ いね。調書の理由が<愛読書を取りに行く為>ではこれは洒落になりません(^^; <述べたいと思っております。単なる後藤由紀子ちゃんのラブコールに終わらな <い様に努力しますので、期待しないで(?)待っててください。死にそうに忙  ぎゃはは、単なる後藤由紀子ちゃんへのラブコールでも結構ですよ(^^)  といいますのはラブコールと言うもの、本当に愛情があればこそそれは人を動 かす言葉になるからと思えるからです。ただ単に人の歓心を得る為、あるいは受 け狙いを考えて書いた言葉では、それでは人の心は動かせませんよね。自分の真 心を込めた言葉で結構ですから、SHIBAさんの思いを込めた言葉で書いてみて下 さい。  仕事が忙しかったそうですが、一段落してなによりです。体を御自愛下さいね。  勿論、ボヘミアン.STの話もお待ちしておりま〜すです。 桂 桂(JBH00712) 01863/01863 JBH00712 桂 桂 RE^4:「集合点」 (11) 95/12/05 01:45 01861へのコメント  #01861 S・N さん < しかし「犬神 明」編における「呪術」のあつかいは、ほんのさわりだけ、あ <るいは、「呪術」ってモンがあるんだよ、と、あからさまにほのめかす程度で終 <わってしまい、詳しく語られることは、ありませんでした。  カスタネダと「犬神 明」の相関性についてですが、これは僕も指摘していなが らも詳しい記述はしていませんですよね。僕が似ていると思ったのはまず最初に、 「犬神 明」の第一巻で明が「死の力の満ちた場所に囚われる」一節です。  この時は明は自らの人生を呪う余りに凶々しい力に満ちた岩山で死を迎えるべく その身を晒している訳ですが、この時は謎の呪術師・ポペイによって現実世界に引 き戻されます。  しかしこのポペイというキャラクターも又訳の解らない存在でしたね(^^;  この下りはネイティブ・インディアンの「力の満ちる場所」そして同時に「死に いたらしめる場所」という伝承を思い出させます。ここはカスタネダの著作にある 「戦士が最後に立つ場所」そして呪術師がその超自然的なエネルギーを大地より分 けてもらう為に、力の有る場所を捜す下りを髣髴させます。  このインディアンの伝承とは、大地を神からの恵みで与えてもらったものとして 土を敬い、そして精霊との交流する場所として聖なる土地を崇めるというものです が、同じ様に明もここで毒トカゲと会話をしたり、エミリーが毒蛇と奇妙な会話を する訳です。  しかしながら、残念な事にこのストーリィではその呪術のメソッド・精神までは 詳しく書かれませんでしたね。 < その間、いかなる"事情"があったかはわかりません。とにかく、その後「世界 <の真実」や「呪術」とでも言うべき問題は、『地球樹の女神』に受け継がれた様 <に思われます。  確かに僕も同じ様な感触を受けました。  路線の変更とまでは言わずにせよ、何か短兵急を急ぐ感じがして、あっさり「犬 神 明」編は大団円を迎えてしまいました。キャラクター達もお約束によって中途 半端になってしまいましたね(^^; これは実に残念。氏の小説は実に魅力的なキャ ラクターが多いですから、勝手にその後の身の振り方など想像したくもなりますよ ね。  どちらかというと「犬神 明」では主役のアキラの、超人としてではなく人間と しての魂の成長という観点で話が描かれていたような気がします。  では今後は「地球樹」の話を書いてみようと思っていますのでこちらの方がマジッ クの世界がより深く書かれていると思いますので、何かカスタネダの呪術からもお 気付きの点がございましたら、何なりと書いてみて下さいね。  勿論、「犬神 明」でもいいですよ(^^)  でわでわ〜 桂 桂(JBH00712) - FARION MES(13):神秘学遊戯団 ★ 限りなき神秘への航海 95/12/05 - 04003/04006 GGA02514 KAZE 義務と能力に応じた権利など (13) 95/12/04 17:10 03991へのコメント 隆ちゃん、どうも。 >僕も2日間の絶食で、ずっと点滴の針が腕に入っていたのですが、おかげさまで >腕が腫れちゃいました。また、元々拒食気味なのに、胃が益々小さくなったよう >で、絶食後しばらく食が細って、体重が50kgを割ってしまいました(^^;)。 通常の場合、病院というところは、直接的な病因に対して その治療を施すというのをその目的としていますから、 トータルバランスなんていう類のことは平気で無視するのが通例です^^;。 ふつうに考えればとうぜんのようにわかることでも、 いわゆるマニュアル的にわかること以外はわかりませんから、 よほど気をつけていなと、ひとつの病因の治療のおかげで、 身体全体がぼろぼろになってしまう可能性もあります。 でも、その時でも、また直接的な病因を見つけて、それだけを治療するという きわめてばかばかしいことを繰り返すわけですから、なんともはやです。 もちろん、直接的な病因の治療というのはどうしても必要な場合もありますから、 一概にそれを批判しても仕方がないのですが、 やはりひとつの病気をもっとトータルな見地から見ていくという視点は もってほしいものだと思いますよね。 しかし、そんなこと言ってたら病院経営が成り立たないから、 検査、検査の連続と、薬、薬、手術、手術・・・の連続で、 儲けていかないといけないのかもしれません。 とくにこれが老人の場合だとエスカレートしてくるようで、 一度病院に入ったら、金蔓なものですから死ぬまでは手放してくれません^^;。 >願わくば、この変な病気が完治してくれるとありがたいのですが、まだダメだと >いうことは・・・も少し自分の身体に注意を向ける訓練をしなさいという事なの >でしょうかね(^^;)。 病気になるもよし、ならぬもまたよし、病気が治るもよし、治らぬもまたよし。 肝心なのはそこから何を学べるかということなのでしょうね。 何事も結果ではなく、プロセスのほうが重要ですから、 そのプロセスをありがたく受け取ることで^^;、 きっと大きな実りになると信じてがんばるしかないのかもしれません。 たしかに、病気にかぎらず、自分の弱点というのは、大きな恵みでもあって、 「あなたは〜を学びなさい」という指導要領のようなものですから、 それぞれの現象がいったいなにを語っているのかを 注意深く聴き取るようにしたいものだと思います。   >宗教はともかく、科学が与えてくれる恩恵を僕はしごく当たり前に使っています >が、そうする資格(能力)が果たして自分にあるのかどうか、きちんと考えねば >と思いました。 科学に限らず、なにごとに対してもそういう発想は必要なんじゃないでしょうか。 民主主義の弊害というのも、権利ばかりを主張して、 それに伴う義務の部分を疎かにするところがありますよね。 自分にその権利があるのが当然と考えてしまう場合があるのですが、 よくよく考えてみると、そうでもない場合というのはかなりあるように思います。 わけがわからず「賛成の反対!」を連呼する集団にしても、 少なくとも、それに関するある程度の認識をふまえてなすべきなのですが、 よく見ていると、どうもそうでもない場合があまりにも多すぎます。 宗教にしても、ほんとうは同じことなんですよね。 そこにちゃんとした認識と責任というのが最低限必要なはず。 いや、認識と責任がないから宗教だという場合があまりに多いですけどね^^;。 >ええ、一番たちが悪いです。そもそも偉いのは子供なんですから・・・。しかし、 >「偉い!」なんていうのは、他者に対してのみ用いる言葉であって、一人称で使 >うべきじゃないですね。「俺は凄い!」くらいに抑えなくちゃと思います。 ううむ、別に子どもも偉いわけじゃないと思いますけど^^;。 最近の子どもは、ある一定数、ものすごく傲慢になってるでしょう。 ぼくは思うのですが、子どもの可能性を尊重することは必要ですが、 その上で、やはり子どもは社会的には人間未満の存在ですから^^;、 子どもが社会的なマナーやルールを越えて傲慢な場合には、 大きな拳骨をお見舞いしてやるのがいいのだと思います。 もちろん、教師が大馬鹿者な場合は、誰でも大きな拳固を見舞うのがいいです。 しかし、あの「先生!」っていう教師同士の呼びかけあい、って 背筋がぞっとするほど気持ち悪いものですね。   >納得してするのと、そうでないのでは、天と地ほどの差があります。僕もたいが >い臆病者ですが、納得できないことは、やはりできません。そのために、ずいぶ >ん辛い思いや、ときには恐い思いもしてきましたが、やせ我慢しながら「そこま >でしちゃあ、おしまい」だと感じてきたんだと思います。 納得してしたことには、自分で責任をとろうとする気概が生まれますよね。 そうでなくて、「みんなそうだからそうしておこう」というのでは、 それに対してなんらかの責任をとらざるを得なくなったときに、 「いや、あのぼくはそうしたくはなかったのだけど、その場の空気に逆らえなくて」 なんていうふうな、大馬鹿者的な言い逃れをすることになるんだと思います。 >自分のブロックしている部分というのは、きっと弱点とか欠点に映るのだと思い >ます。でもって、そういう部分ってあんまり見たくないものなんですけど、覚悟 >を決めてじっくり観察してみると、いろんな疑問やわだかまりが、ほよほよと溶 >けて行くことがあります。ですから、解放するような方向にもっていくというの >は大切だと僕も思います。 そう、自分の弱さはだれでも見たくないものですけど、 悪人正機的に、その弱さを直視できるだけの勇気があれば、 その弱さそのものが変容していくことはたくさんあるようです。 その勇気のあるかないか、肝心なのはそれだけなんですよね。 「みんなそうだからそうしておこう」というのも、 「みんなと違ったことをしたら非難されるんじゃないか」とかいうように 自分がどうしたいかということを殺してしまうわけです。 そこで、「いや、自分はこう思う。こうする。」というだけの勇気があれば、 そして、それが間違っていたとしても、それを謙虚に反省できる勇気があれば それだけでいいんだと思うんです。 >大人には大した問題ではないことでも、子供は敏感に反応することがあります。 >その反応を見過ごすと、子供を抑圧する結果になることもままあるのでしょう。 >子供の目に映る自分の言動とともに、子供に発する言葉や態度もまた十分に気 >遣いが必要です。 ぼくの場合もそうでしたが、子どもが個性的な動き方をしたりすると、 大人はその動きといっしょに遊ぼうとするというよりも、 それをマネしてからかってしまうことって多いんですよね。 子どもはそうした大人の反応にとっても敏感です。 子どもにとってそれは、自分が受け入れられるかそうでないかという とっても大きなことなんですけど、大人にはそれがわからなかったりする。 もちろん、人に迷惑をかけたり危険だったりするときには、 それを厳しく禁止することは必要なのですけど。 >魂はどんどん進歩して行く必要がありますが、少なくともこの身体で生きている >かぎり、我々は自然の一部です。それなりの進歩はあるでしょうが、それは自然 >と共にしかないように思われます。人工物をことさらに否定する気はありません >が、それは自然のものにとって替われるものではありません。 そうですね、言葉を変えれば、この地球上で生きているということは、 この地球と運命共同体だということでもあります。 地球が荒廃してしまうとしたら、我々の身体も荒廃してしまいます。 もちろん、それによって魂だけが成長するなんていうことは望めないでしょう。 すべてのものは関係しあっているのがこの宇宙なのですから。 >アートなんてものは、結局自然の創造物にいかに近づくかっていう事なのだと言 >うことです。それが意識の中で、顕在しているか潜在なのかは人それぞれでしょ >うが、僕の目にはそう映ったのでした。 ぼくは、自然というのを素材にして、またそれを通して、 人間の意識がそれをどうとらえようとするのか、また表現しようとするのか、 そうした自然と意識との相互変容のようなものがアートだと捉えています。 それは、自然だけ、人間だけというのでないからこそ、意味があると思うのです。 もちろん、そういうのはひとそれぞれとらえかたはいろいろなんでしょうけど。 >自然を愛でる気持ちがあるなら、アスファルトのないところは、自分の足で行く >べきでしょう。 それが基本ですね。 RV車がふえると、どうしてもその自然への浸食度は大きくなりますから、 よほどマナーをもってのぞまないと、自然を汚してしまうばかりになるでしょうね。 それから、RV車を通常乗り回してると、どうしても通常の乗用車に比べて、 燃料のロスというのはどうしても大きくなりますよね。 そこらへんのことについても、もっと配慮が必要なのかもしれませんね。 では(^^)。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 04005/04006 GGA02514 KAZE 実践で鍛えられた魂の力を関数にする (13) 95/12/04 21:54 03994へのコメント 隆ちゃん、どうも。 >より良い認識のために知識が必要なのは、言うまでもないことですけど、知識を >理解するためには、実践で鍛えられた魂の力がきっと必要なのです。この魂の力 >と知識(智恵と言ったほうがよいでしょうか)の相乗効果が大切なのだと思いま >す。どちらかに偏りすぎるとマイナスの効果を現す、難しい相乗効果とも言えま >すが、ここでも「中」というかバランス感覚が要求されるんですよね。 おっしゃるとおりだと思います。 少し表現を変えますと、「実践で鍛えられた魂の力」そのものを関数にして すべての知識を智慧に変容させていくといいますか。 ですから、「実践で鍛えられた魂の力」がないとしたら、 あらゆる知識は知識のままでただ累積していくだけで、何の役にも立ちませんし 悪くすれば、弱々しい魂の力という関数によって、 その知識をめちゃくちゃな目的のために使ってしまうこともあるように思います。   >我々は、順境のときは奢って力を発散させ、逆境にあってはただただ喘ぐ(また >は他人に助けを求める)状態に陥りがちです。喉元過ぎれば熱さを忘れるといい >ますが、熱さを忘れず、次の熱さのために準備しておかなければいけませんね。 >準備することによって、熱さは単に困ったことではなくて、糧に変容するはずで >すから・・・。 この順境と逆境のときに必要な態度というのは、基本中の基本なのですけど、 やはり、人間、楽には溺れやすいですし、苦にも流されやすいもので、 よほどふだんから、心がけていないとなかなか実践できるこよとではないようです。 さきほどの「実践で鍛えられた魂の力」ですけど、 そうした魂の力を得るためには、そうした実践がもっとも有効のようで、 そのためにも、この会議室では、むかしから、繰り言のように^^;、 「何からでも学べる」ということを連呼しているわけです。 ま、そういうのを連呼しとかないと、自分でもすぐ忘れてしまうものですから^^;。 ですから、今自分が最も学べる可能性の高いのは何かということを いつも意識しておくというのがいいのだと思います。 >「自然体がいいなあ」なんて思いながら、「自然体になろうとしている」自分を見 >つけたりする事がよくあって、我ながら「ばっかみたい!」と思います。 いえ、そういう「ばっかみたい!」を通ってこその「自然体」なのかもしれません。 百足が自分の足を意識して混乱した後、もう一度最初の動きを獲得すること。 最初の百足の足の動きは、自然体なのではなくて、自然なだけですから、 一度はその自然から切り離されなければ、自然体にはなりません。 ですから、自然体になろうとして自然を崩して「ばっかみたい!」になって そうして苦心惨憺して自然体をつかんでいくのが素晴らしいのではないでしょうか。 それは何度も何度もいってますが^^;、 「子ども」というのと「子どものよう」というのでは、 プレとポストの大きな違いがあるというのと同じなのだと思うのです。 >ち               なみに「宇宙の謎」って何なのでしょう?。 >僕は「僕って何?」と考えているタイプです。まあ、僕は宇宙に含まれ、宇宙は >僕に含まれているようですから、求めているモノは同じだったりするのかもしれ >ませんが・・・。 はい、「宇宙の謎」というのは、「私はいったい誰か」、 「どこから来てどこに行くのか」ということと同じことです。 それは、自己認識と世界認識がベクトルを逆にしているようで、 その実、同じことであるというのと同じです。 >ところで、下の娘が横に座ってこれを書いているのを見ながら、「風がKAZEさん >になればいいのにねぇ」などとのたまっております。 ふふふふ、実は、ぼくはたまに風になって空を飛んでいたりします(^^)。 そういうイメージって、あるんですよね、実は。 どうも人間やっているよりは、風にでもなって気まぐれをしてたほうが ずっと性にあってるんじゃないかなあという気がしているのです。 さすがの久美子ちゃん(^^)。 >しかし、KAZEさんは我が家の娘達に人気がありますね(^^)。他の家でも子供に好 >かれるタイプなのでしょうか?。以前、猫には人気があるとお聞きしましたが そうでもないと思うんですけどね、やっぱり相性でしょう。 ぼくは、大人と子どもというように、人を分けてしまうことができないので^^;、 「あなたは子どもだからこういうふうにお相手してあげましょう」なんていう ような態度がとれないので、それがプラスに働くか働かないかで、 変わってくるんじゃないかと思います。 しかし、相手を子どもだとおもって「そうでちゅねぇ」とかいうような 幼児言葉とされているつくりもので子どもと話そうとするような 恐るべき傲慢は許せませんよね。 >カミさんから又聞きの心理学(だったと思う)によると、自分の嫌いなモノとい >うのは、自分自身の姿である場合が多いんだそうですが、「なんて嫌な奴なんだ >ろう!」と思う人をつぶさに観察し、「どうして?」っという考察を重ねると、 >そこに自分の姿を見つけることは確かにあります。 はい、ぼくもよくあります。 相手を鏡にして、自分を映しているわけですから、 それに手を合わせてお祈りでもすればいいのかもしれません^^;。 ま、相手が完全な鏡になっているのではないにしても、 こちらでカチンカチンとやたらと感じる場合というのは、 なぜ「カチン」とくるのかをいろいろ考えてみると、 こちらのほうの拘りが透けてみえてきたりするときもありますよね。 それが少し見えてきたときに、その拘りが果たして拘ってしかるべきなのか そうでないのかを、検討してみると、ほんとうにいろいろ勉強になります^^;。   >日本人はいつからこんなに羞恥心がなくなってしまったのか・・・。ナサケナイ 恥じ入る心というのは「良心」ということですよね。 その「良心」というのは、結局、人の立場に立つ、人を思いやる、 そうした心によって生じるものなのだと思いますが、 そういう心の働きが鈍くなっているということかもしれません。 その良心というのは、人間が人間であるための核の部分でもありますから、 それが衰えてきているとしたら、ほんとうに恐ろしい限りですね。 そういう良心をスポイルする最大のものがマスコミの力のようで、 その力について、マスコミはもっと注意すべきなのですが、現状はいやはや^^;。   >僕は知らなかったのですが、新聞によりますと、世の中はちょっとしたヘーゲル >ブームなんだそうです(ほんとかなぁ(^^;))。 はい、ヘーゲルブームというほどではなくても、 ほとんど見捨てられていた状態からは、 ここのところ、少しだけ浮上しているようです(^^)。 ほとんど見捨てられていたというのは、あの「国家論」が評判悪かったというのと やっぱり、ちゃんと思考能力がないと読めないというのとがあるようですが、 やはり、西洋の哲学の最大の牙城といえばヘーゲルで、 マルクスもヘーゲルをねじ曲げて変にしちゃったというほど、ヘーゲルなしでは、 近代の問題を見渡すことはできないんじゃないか、というところでしょう。 >しかし、ヘーゲルさんに限らず、ドイツ語文化圏には、きら星のように偉人が・ >・・。老後の楽しみにドイツ語を勉強し直そうかなぁと思う今日この頃です。 そうです、ドイツ語はなかなかいい言語でして、英語よりずっと腹があります。 バッハのマタイ受難曲やカンタータなんかも、 ドイツ語がわかれば楽しみが増えますし、 モーツァルトの「魔笛」だって、楽しみが何倍にもなります。 哲学はもちろんドイツ語なしでははじまりませんし、 おっしゃるように、物理学だって。 それよりなにより、シュタイナーが原文で読めてしまうという 最大の魅力があります。 ぼくも一時期ドイツ語から遠ざかってたのを、シュタイナーが読みたいばっかりに ドイツ語を少しずつ勉強しなおしていまして、 テレビやラジオのドイツ語講座をけっこう聞くようになっています(^^)。 >正直に言いますと、「ここでこんな話していていいのかなぁ」と思ったことも何 >度かありました(^^;)。なんか、会議室を公開メールにしてしまっているような変 >な罪悪感です。 いいのです、ぼくは日常神秘学派!ですから、 こういう茶飲み話+お勉強の話というのからこそ、 もっとも多くを学べると思っているのです。 たぶん、この会議室がけっこう長く続いているのも、 こういう日常派的なスタンスだからかもしれませんし。 それに、いつもむずかしい話ばかりしてたって、息苦しいですから。 >しかし、僕にしても、これだけ長期間にわたって、これほどコンスタントに書簡 >(といっても、爺の茶飲み話だったりしますが(^^;))を取り交わすなんてこと >は今までなかったことですから、パソ通のありがたさを痛感しています。 ほんとうに、パソ通のこういう「場」としての働きは格別ですね(^^)。 こういう「場」のもつ自由なサロン風の雰囲気を 時と場所を選ばず味わえるというのはとても素敵です。 今後、GUI風な環境に、このパソ通がなってきたとしても、 基本的なあり方はこういう感じで続いていくんでしょうね。 では(^^)。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 04004/04006 PXY03747 諏訪みのる RE:ご無沙汰でしたぁ (13) 95/12/04 18:36 03960へのコメント  隆さん、こんにちは。  ローカル・ネタですが、ハチ北では もうスキーができるのだそうです。 またもや毎年恒例の“スキー客渋滞”に悩まされる季節になってしまいました。  今年の冬は本格的な積雪が望める…ということで、スキー場周辺の民宿などで はホクホク顔で準備を進めているそうですが、何ら恩恵を受けることの無い…特 に通過点に過ぎない町村の住民には、頭の痛い季節です^^;)。  但馬にもチャンとした道路を作っていただきたいものです。南北を結ぶ幹線道 路が この程度ではあまりにもナサケナイ。(´`;) 》しかし、あんな所に長時間いて 》ほんとに身体が良くなるんでしょうか(僕はすっごく状態が悪くなりました)。  自分には幸いに入院の経験は無いのですが、気い遣いいの私には、他人様と一 緒の部屋で生活するという事自体が、病気云々よりも気が重く感じてしまうじゃぁ ないかと思ってしまいます。それでは却って良くないですね^^;)。こんな性格に いつから変わってしまったのかなぁ・・・寮生活中は何とも思わなかったんです がねぇ。(^^;)ヘンダナァ  でも、はやく退院できてよかったですね。(^^) 》意識を越えた天の配慮というのは、ひょっとするとギリギリまで意識した人 》にのみ与えられるのかもしれませんねぇ。  なるほど(^^)、確かにそういうのってあるのかもしれませんね。 “ギリギリまで意識した”状態って、私のような凡人には、「いわゆる無意識」 とは別次元の より完全な(?)無意識状態をイメージするのですが、「その道 の達人」と呼ばれるような人になると、無意識で行っていることが即「完全な無 意識(意識を越えた意識)」に繋がるのかもしれませんね。  そういう達人って憧れますが、でも人は皆誰でも、ほんの瞬間でも、それこそ 無意識の内に そういう経験をしているのかも知れませんね。達人の達人たる所 以は、意識して(?)意識を越えられる、また持続できる…点にあるのかも知れ ませんね。 うーん、里の仙人をめざす者としては、やはりとても憧れますが、特別な“修 行”などしなくても、日常生活に於いて日々コツコツと真面目に取り組んでいれ ば自ずと会得できるものなのかもしれませんし、それを信じて今日も精一杯お仕 事させていただきますか・・・・。(^^;)← アソンデナイデ シゴト シロヨナ! 》僕も欲しいモノは山ほどあるのですが、ぜ〜んぶ断念しています(^^;)。  これでも私も、多くを断念してきたつもりでいたんですが、後から振り返って 考えてみると大したモノじゃないんですよね。その時には『なくてはならないモ ノ』って感じていたはずなんですが・・・^^)。  本当に『なくてはならないモノ』なんて限られているんですよね。ただ欲張っ てたり、「あると便利かな?」程度のモノが私の場合ほとんどだと思います^^;)。 ただ、時間やお金などに換算してみて明らかに無駄が生じている場合は、そのモ ノによって無駄が省けるなら、今のところ『なくてはならないモノ』として認め てあげようと思います。  ・・・っていう口実の下、PowerBook を手に入れることにした訳ですが、妻に は“ごっつう疑ったような眼差し”で見られています。これに対しては、更なる 口実…「子供の成長記録のアルバムが簡単・奇麗にできるから」…ってのを用意 しているのですが、もしできなかったらどう言い訳すればいいのかまでは、まだ 考えていません^^;)。その時は、こむさん・KAZEさん・PaperBirchさん・隆さん・ ジョリーさんの み〜んなのせいにしよ〜っと。(^^)♪… ウソウソ カワウソ♪ トッテモ タノシミ 》そういう神様や仏様やご先祖様の力は、運命云々というより、そっと手を添 》えて下さっているという感じです。「これが宿命なのだからしょうがない」 》ではなくて「こういう運命に導いて下さってるんだから頑張ろう」という風 》に思いたいものです。  同感です(^^)。たぶんそれが本当のところだと思います。 「因縁」は、自分のまいた種を自分で収穫するのが原則ですから、誰にでも平等 に経験できる(与えられている)ものですが、神仏や先祖の導きには、やはり個 人差があると思っています。  先祖はまだしも、いくら神仏の愛が無尽蔵であるとしても、その愛を受け取る 側(個人)に、受け入れる心構え・・・というか“受け入れる器”を持っていな ければ、与えたくても与えられないと思うのです。受け入れる気持ちを持たない 者に、押さえ付けてまでして「これが私の愛なんだ。どうしても受けてもらうぞ。 なぜなら私は「神様」だから。」と言って無理やり与えようとはなさらないでしょ う。(^^;) 神仏の愛を受け入れる気持ち…とか器…ってのは、正に隆さんのおっしゃられ る「こういう運命に導いて下さっている」と受け止められる事なのではないかと 思います。つまり、「今在る自分の謙虚な全肯定」とでも言いますか…。  ̄ ̄ ̄ 》ちなみに僕は、若い女の子がお好きでして、最近の発育の良い女子中高生を 》見ると、胸がワクワクします(^^;)。  確かに見る分には私もワクワクしますが、話している話を変な日本語で聞くと 途端に頭がクラクラしてしまいます。(^^;) オトコ モ オンナ モ オナジナノデスガ…  この子も いずれは人の親になるんだろうなぁ…と思うと、将来の日本はどう なっちゃうんだろうと真剣に考え込んでしまいます。もちろん、頭が良い・悪い …っていう次元の事ではなくて、今の自分を真剣に見つめているのかどうか…っ ていう事なんですが。10代の彼等に、若者らしい生き生きとしたエネルギーが 感じられないのは悲しい事だと思うのですが・・・。  でも、心と身体の そうした極端なアンバランスが、何か別の“怪しい魅力” というモノを醸し出している事も事実だと認めますが・・・。(^^;) 》…、結論を言いますと、安い、2・3年で捨てても惜しくないマック(中古 》でも良い)を買って、マックを知ることが先決だと思います。  …と言うことで、皆さんから強くプッシュのあったPowerBook 150 を注文させ ていただくことになりました。ただ、写真等のビジュアルの創作に使うのには、 基本的に無理があると思いますので、今回は「パソ通」と「慣れる為」という二 つの目的だけに的を絞って決めさせていただきました。(^^)  今後は、フォローの方面でもよろしくお願い致します。 >ALL  でわ、では(^^)/               みのる♪デシタ。 - FARION MES(16):■特設会議室 ■ シルバーバーチを語る 95/12/05 - 149/150 GBB03425 Paper Birch シルバーバーチ感想会・二章 (16) 95/12/04 16:50 コメント数:1 ■「シルバー・バーチの霊訓.(5)」感想会■ ■二章 死は第二の誕生■   「あなたの(霊の世界を見る)目がさえぎられているのが残念でなりませ   ん。(霊の声を聞く)耳が塞がれているのが残念でなりません。その肉体   の壁を超えてご覧になれないのが残念でなりません。あなたが生きておら   れる世界が影であり実在でないことを知っていただけないのが残念でなり   ません。あなたの背後にあって絶え間なくあなたのために働いている霊の   力をご覧にいれられないのが残念でなりません。数多くの霊----あなたの   ご存知の方もいれば人類愛から手を差しのべている見ず知らずの人もいま   す----があなたの身のまわりに存在していることが分かっていただけたら、   どんなにか慰められるでしょうに。地上は影の世界です。実在ではないの   です。」                          (P.29)  背後霊とか守護霊という言葉があります。よくテレビに出ている有名な霊能者が、 ある人を霊視して「あなたには守護霊はいませんね。」とか何とか言っていたこと があって「ああ、世間一般の認識なんてこんなモンか」と思ったものです。それに しても、よく人に向かって守護霊がいないなどと(思いやりのかけらもなく)言え たものです。上のシルバーバーチの言葉とはなんたる違い(-_-;;。  ま、それはともかく。私たちが生まれてくる前の(霊界での)友人達や、この世 で先立たれた友人が、今でも私たちを助けてくれていると思うと、確かに慰められ ます。もちろん慰められるだけではダメで、彼らの労に報いることが出来るよう頑 張らなくてはいけないわけですが、なかなか難しいですよね。タハハ(^_^;ゞ   「四季の絶妙な変化、途切れることのない永遠のめぐりに思いを馳せてご   らんなさい。すべての生命が眠る冬、その生命が目覚める春、生命の世界   が美を競い合う夏、そしてまた次の春までの眠りに備えて自然が声をひそ   めはじめる秋。               〜〜〜略〜〜〜    同じサイクルが人間一人の生命においても繰り返されております。大自   然の壮観と同じものが一人一人の魂において展開しているのです。まず意   識の目覚めとともに春が訪れます。続いて生命力が最高に発揮される夏と   なります。やがてその力が衰えはじめる秋となり、そして疲れはてた魂に   冬の休眠の時が訪れます。しかし、それですべてが終わりとなるのではあ   りません。それは物的生命の終わりです。冬が終わるとその魂は次の世界   において春を迎え、かくして永遠のサイクルを続けるのです。」 (P.30)  「冬」の部分は、スピリチュアリズムで言うところの「サマーランド」のことと 解釈すればいいでしょうか。宗教の世界では「極楽」とか「天国」と呼ばれている ところで、悟りを開いた(どの程度の悟りかは別にして)という人がかいま見るの もこの程度の世界だそうですが、要するに、この世から霊界に行く前の魂の休憩所 のこと。  そこでこの世の疲れを癒して、ある人は霊界へ、またある人はもう一度この世に 誕生するのでしょうね。    スピリチュアリストとして活躍していた同志が他界したことを聞かされ   てシルバーバーチは----   「大収穫者すなわち神は、十分な実りを達成したものを次々と穫り入れ、   死後にたどる道をより明るく飾ることをなさいます。    肉眼の視野から消えると、あなた方は悲しみの涙を流されますが、私た   ちの世界ではまた一人物質の束縛から解放されて、言葉では言い表せない   生命のよろこびを味わいはじめる魂を迎えて、うれし涙を流します。私は   いつも“死”は自由をもたらすものであること、人間の世界では哀悼の意   を表していても、本人は新しい自由、新しいよろこび、そして地上で発揮   せずに終わった内部の霊性を発揮する機会に満ちた世界での生活を始めた   ことを知って喜んでいることを説いております。ここにおいでの方々は、   他界した者がけっしてこの宇宙からいなくなったのではないとの知識を獲   得された幸せな方たちですが、それに加えてもう一つ知っていただきたい   のは、こちらへ来て霊力が強化されると必ず地上のことを思いやり、こう   して真理普及のために奮戦しているわれわれを援助してくれているという   ことです。」                        (P.32)  これを書いている現在(19日10:30)、兵庫県南部地震で他界された方の数が、 3000名を超えてしまったようです。この悲しいニュースに、私たちは涙を流します。 しかし、霊界側から見れば、このような信じられないほどの悲劇も、決して悲劇と ばかり言えないということ。他界した方々にとっても、喜びでさえあることが分か ります。  もちろん、だからといって、親しい人達と離ればなれになる事に変わりはないで すし、この世に肉体を持って生きている「人間」にとって“死”が悲しい事、重く のしかかる悲しみであるのは間違いありません。が、本当は、それは悲劇ではない、 悲しいことではない、涙を流すような事ではない....と、それを知る事ができたこ とは、せめてもの慰めではないかと思います。   「私たちの目的は魂を解放することだけが目的ではありません。               〜〜〜略〜〜〜    挫折した人を元気づけ、弱き者、寄るべなき者に手を差しのべ、日常の   最小限の必需品にも事欠く人々に神の恩寵を分け与え、不正を無くし、不   平等を改め、飢餓に苦しむ人々に食を与え、雨露をしのぐほどの家とてな   い人々に住まいを提供するという、こうした物質界ならではの問題にあな   た方が心を砕いている時、それは実は私たち霊の世界からやってくる者の   仕事の一部でもあることを知っていただきたいのです。その種の俗世的問   題から超然とさせるために霊的真理を説いているのではありません。霊的   な真理を知れば知るほど、自分より恵まれない人々への思いやりの気持ち   を抱くようでなければなりません。」             (P.34)  地震のことばかりになってしまいますが(あまりにもショックが大きかったので (;_;) )、今、霊界からの救護団が関西方面に大集結していることでしょう。その 働きがどんな形で現れているのか、興味深く見守りたいものです。  霊界の人達だけではなく私たちも、はたして今何ができるのかを考えなければい けないと思います。何もしないで済ませてしまうようでは、霊的な事を勉強してい る甲斐がないですよね。  それでは最後に、二章の締めくくりの言葉をご紹介します。あまりにも長くなっ てしまいますから適当に略しながら書きますので、テキストを持っている人は、そ ちらをご覧ください。カットした部分には「(略)」と書く替わりに「/」を入れ ますので、そのつもりで。   「鏡に映るあなたは本当のあなたではありません。真のあなたの外形を見   ているにすぎません。身体は人間がまとう衣服であり、物質の世界で自分   を表現するための道具にすぎません。その身体はあなたではありません。   あなたは永遠の霊的存在であり、全宇宙を支えている生命力/大霊の一部   なのです。その大霊と同じ神性をあなたも宿しているという意味において、   あなたも神なのです。本質において同じなのです。程度において異なるの   みで、基本的には同じなのです。/    /身体の内部に、いつの日かすべての束縛を押し破り真実のあなたによ   り相応しい身体を通して表現せずにはいられない力を宿しておられるので   す。そうなることをあなた方は死と呼び、そうなった人のことを悼み悲し   んで 涙を流されます。それは相も変わらず肉体がその人であるという考                       ^^^^^^^^^^^^^^^^^^   えが存在し、死が愛する人を奪い去ったと思い込んでいる証拠です。    しかし死は生命に対して何の力も及ぼしえません。/死は生命を滅ぼす   ことはできません。/もしあなたが霊眼を持って眺めることができたら、   /肉体という牢獄からの解放をよろこんでいる、自由で意気揚々として、   うれしさいっぱいの甦った霊をご覧になることができるでしょう。    その自由を満喫している霊のことを悲しんではいけません。毛虫が美し   い蝶になったことを嘆いてはいけません。カゴの鳥が空へ放たれたことに   涙を流してはいけません。よろこんであげるべきです。そしてその魂が真   の自由を見出したこと、今地上にいるあなた方も神より授かった魂の潜在   力を開発すれば同じ自由、同じよろこびを味わうことができることを知っ   てください。死の意味がおわかりになるはずです。そして死とは飛び石の   一つ、ないしは大きな自由を味わえる霊の世界への関門にすぎないことを   得心なさるはずです。/」                 (P.35-38) △▼△ Paper Birch △▼△ (元発言のタイムスタンプ:mes(13) 95/01/19 12:55) 150/150 GBB03425 Paper Birch RE:シルバーバーチ感想会・二章 (16) 95/12/04 17:04 149へのコメント  シルバーバーチ感想会の二章を巡って行われた議論のダイジェストです。 02089 Paper Birch シルバーバーチ感想会・二章 ├02100 KAZE RE:シルバーバーチ感想会・二章 |└02101 Paper Birch RE:シルバーバーチ感想会・二章 | └02102 KAZE 霊的世界との反射板としての人間 |  └02113 Paper Birch RE:霊的世界との反射板としての人間 |   └…シルバーバーチから話題が離れたので省略 └02105 YUKI #2072へ+第2章  ├02108 KAZE 魂の応用力  └02148 Paper Birch RE:#2072へ+第2章 ■02100 KAZE RE:シルバーバーチ感想会・二章 |霊的世界を否定して、物質的世界だけしかないのだと |この世に執着して生きる考え方へのアンチテーゼとして、 |「死は第二の誕生」であるというのは意義深い視点だと思います。 | |しかし、「あなたが生きておられる世界が影であり実在でない」というあたりは |悪くすると「現世否定」的な見方に偏る恐れがなきにしもあらずかなと思います。 |仏教なんかでもそうです。 |この世は仮の世で、諸行無常で諸法無我だというのです。 |だとしたら、こうして現に生きていることをどうしたらいいのでしょう。 |絶対ではないとしても、私たちには日々お金が必要です。 |たとえお金にまったく執着しないとしても、 |それが不要だということではありません。 |ぼくの考え(ですから、半ばあてになりませんが^^;)では、 |この世には、霊的世界では持ちえない自由があり、 |だからこそ、その自由を神へと向かう方向へと行使する課題があって、 |それは劇場のように、仮構的な舞台ではあるけれども、 |その舞台でしかできないような重要な役割があると思うわけです。 |そして、この物質世界を「影」だといっても、 |本来はこの物質そのものが光の凝縮した供儀でもあるわけですから、 |それを否定的にとらえるのではなく、 |もっと積極的にとらえていく必要があると思うのです。 |そうでなければ、グノーシス的な、 |「この世は牢獄」的な見方にしかなりませんから。 | |ぼくとしては、本来の霊的存在としての自分も、 |また現在のような肉体をもった存在としての自分も、 |ともに、どちからかを実在と影に分けることはしたくないのです。 |それは、「神」の目からみれば、現われの違いにすぎないはずですから。 ■02101 Paper Birch RE:シルバーバーチ感想会・二章 | ですから「この世が実在ではないという事が分かって、それでおしまい」では |なく、その先に何があるのか(どういう事が考えられるのか)が重要です。シル |バーバーチの基本的なスタンスは、そこにあるようです。 | つまり、霊は存在する・霊界が実在の世界だという「霊的真理」を知るのが目 |的ではない。そこからどういう哲学が導き出せるのか? それではこの世の人間 |は、どのように生きるべきか? それが主眼なのでしょう。 |「俗世的問題から超然とさせるために霊的真理を説いているのではありません。」 |と、シルバーバーチ自身も言っていますし。 | そう考えるとKAZEさんのおっしゃる「この世は牢獄」的な見方も、否定的な側 |面ばかりではなく、別の意味を持ってくるような気がするんですが、どうでしょ |うか。つまり「住みやすい霊界を離れて、わざわざ牢獄のようなこの世に生まれ |て来たという事は、この世でしかできない何か重要なことがあるはずだぞ。」 ■02113 Paper Birch RE:霊的世界との反射板としての人間 | この世も、あの世も、お互いに影響を与えあっているのでしょうね。特に、バ |イブレーションの近い世界の間では、その影響は決して小さくはないはずです。 |この世の雰囲気が悪くなれば、霊界の下層階のあたりにはかなり大きな悪影響が |あるでしょうし、もっと上の世界にも波紋が広がることでしょう。 | | スピリチュアリズムの計画にしても、霊界の上の方の世界から永い時間をかけ |て少しずつ低い世界に影響力を広げてきたのだということです。それが地上に届 |いたのが1848年(スピリチュアリズムが始まった年)だったとシルバーバーチは |言っています。 ■02105 YUKI #2072へ+第2章 | さて、私もKAZEさんとPaper Birchさんがお話ししていらっしゃる『現 |世絶対と現世否定』のバランスのとり方に興味があります。スピリチュアリ |ストを気違い扱いする方々がおられます。これらの方々とスピリチュアリス |トに違いは、この『現世絶対と現世否定』のバランス感覚の差だとお思いま |す。柔軟なバランス感覚こそ、今の私の最重要課題のように感じています。 ■02108 KAZE 魂の応用力 |仏教では、「空」つまり霊的世界にもとらわれず |「仮」つまり現世にもとらわれないようなあり方を「中道」と言いますが |(最初は、苦楽中道という苦行でも快楽でもないような修行を |「中道」というふうにいっていたようですが) |どちらにもとらわれすぎないで、しかもどちらも軽視しないような、 |そんな姿勢で生きられたらいいのになと思っています。 ■02148 Paper Birch RE:#2072へ+第2章 | 「バランス感覚」ということについて言うと、「霊的にはこれが正しい!」と |いうことに囚われすぎないことも必要ではないかと思います。郷に入っては郷に |従えで、この世にいる間はこの世のルールに従う....と言うと、抽象的すぎてわ |かりにくいでしょうか?「古代霊は語る」から引用しましょう。 | |   死後の世界を知ったからといって、われわれは、かりそめにも地上生活 |  を軽んじることがあってはならないと思います。その戒めをよく表した俳 |  句があります。決して名句とは言えないまでも、よき教訓を含んだ句とし |  て最後に紹介しておきます。 | |   浜までは海女(アマ)も蓑(ミノ)きる時雨(シグレ)かな |                    高神覚昇著「般若心経講義」より | |肝に銘じたいものです。 以上です。 △▼△ Paper Birch △▼△ - FARION MES(18):武道とは?  ★ 自分に勝つ! 95/12/05 - 02702/02702 GCG01101 アマデウス RE:コメントが付けれん (18) 95/12/05 00:27 02699へのコメント #2699 鷹 さん | どのように着目するか?それは、取りあえずゆっっっくりやってみると良いので |はないかと思ってます。例えば、意識してゆっくりキーボードを打ってみる。そう |すると、「この指よりこっちの指で打った方が打ち易いな」というのに気づいたり |します。そして、そこを何度も練習して習慣による無意識の動作を組み替える。 | そうして練習しているうちに、今までの習慣通りに指が行こうとするのを意識し |つつ新しい打ち方を強引に割り込ませる、何てことが起こります。この辺、慎重な |る瞬発力と似てません?→アマデウスさん   以前、あもりさんあてのレスで書いた水泳のスタート練習で、似たような  ことを感じたことがあります。   スタート時に一旦腕を後ろに振って反動を付ける癖を改め、手でスタート  台を押して飛び出せるようにするために、スピードを落として練習したので  すが、確かに腕が後ろに行くのを意識した瞬間がありました。一旦それに気  付くとすぐに、今度は腕が動こうとするのを直前に感じとれるようになりま  した。動き出す前に察知できれば、それをとどめようとすることができます。  腕の動きに気付いてから癖の解消までは早かったと思います。   身体感覚としての記憶は残念ながら乏しいのですが、かすかな痕跡を掘り  起こすと、気付いて「あっ」と思った瞬間、止まったような気がしました。  もちろん一連の動きの中で意識したのですから静止してはいなかったはずで  すが、一瞬身体の意識が空白になったような感じがしたのです。ほんまかい  な(^^; 何だかとんでもないことを書いているような気がする。(^^;   同じ事が感情の上でも起こるのでしょうか。感情の動きを観察していると、  「あ、今こういう感情が起こった」と気付く瞬間があります。その瞬間とい  うのは、何も意識せずになすがままにしているときとは確かに異質な感じが  するような気がします。えらく歯切れが悪い表現ですが、うまく言葉に出来  ないからですね。(^^;   手っ取り早い例で、相手にカチンと来たときの事を考えてみると、相手の  言葉なり態度なりを察知した瞬間、その「カチン」が思いっきりズームアッ  プするような感じですかね。今まで広角レンズでどこに焦点を当てるともな  く見ていたのが、いきなり望遠でシャープな映像に切り替わったような。  そういう時に特に時間経過を意識しているわけではありませんが、感覚の密  度がけた違いに濃いような気がします。   これが慎重なる瞬発力と関係するのかどうか、よくわかりません。ただ単  に「頭に血が上った」経過を記述しているだけのような気もします(^^;が、  普段の意識状態と違う状態が存在すること(そしてほとんどすべての人が  それを体験済みである)ことは確かのようです。おそらく、広角から望遠に  走りすぎると、「囚われ」「居着き」になってしまうのだろうと想像します。  いかにそうならずに意識をコントロール下に置くのか…が課題です。                               アマデウス - FARION MES(19):世も末ばなし ★ ぶっ飛び話・罰当たり話 95/12/05 - 733/734 QZY01267 猫の手 RE^2:ぶっ飛びおバカの彰晃ちゃん (19) 95/12/05 06:25 732へのコメント  ぶっ飛びおバカの彰晃ちゃん。  中途半端に真理を究めてしまったが故に  中途半端に偉大なる霊たちと出会ってしまったが故に  中途半端に様々な宇宙人と出会ってしまったが故に  それらに心を揺すぶられてしまったおバカさん。  それらの助けを自分の力と思いこんでしまったおバカさん。  あなたはあなたを指導した存在の言うことを  ひたすら信じた。  全く信じ続けたのでしょう。  そいつらの云うことが  全く正しいと思い込んでしまったのでしょう。  そして気づいたときには非難の嵐、  期待とは裏腹の批判の嵐、  今更そいつは助けてくれない。  今更そいつは何も言ってはくれない。  昔と同じように  ただ見守っているだけ。  ただただ見守っていてくれるだけ。    私もあなたのように、  物知り顔の存在に  つぶやきかけて来られていたら、  私もあなたのように、  自分だけ特別と思い込んでしまっていたら、  あなたと同じことしてたかもしれないネ。  それは、戦争に駆り出される兵士と同じ。  自分では深く考えることなく、  相手の国の人々を殺すこと  平和を造ると信じ込んでる。  自分の正しさ握りしめ、  それが自分の為、ひとの為、社会の為、  と信じ込んでいる人々も同じ。  何かと戦い続ける限り、  敵を創り、正義を創る。  ただ持ち込んできた物差しが  ほかの日本人とちょっと違ってただけ。  ただそれだけのこと。  あなたの功罪、何ですか?  沢山の人をあの世に送った。  それ以上に多くの人を  恐怖におののかせた。    あなたも、幸せになろうとしてた。  あなたも、安心したかった。  そのことはどこの誰もと一緒。  そのことはどこの誰もと同じこと。    あなたの最大の功績、  オームの聖音を  猫も杓子も  ばあちゃんちゃんから子供達にまで  口走らせるようにした。   この一年、多くの人が  「オームは、」  「オームが、」と  知ってか知らずか  『オーム』の聖音を  毎日毎晩唱えてくれた。  何の信仰も持たない者も  「オーム」「オーム」と唱えてくれた。  「オーム」と唱えることが大切だった。  そこにどんな思いがあっても  「オーム」の波動は世界に響いた。  「オーム」の聖音響きわたって  世界が浄化されていく。     ぶっ飛びおバカの彰晃ちゃん。  たとえ、人間社会では叩かれようと、  あちらの世界では功労者、  表彰されることになっている!?    ぶっ飛びおバカの彰晃ちゃん。  あなたが天国行ったなら、  多くの人が不満に思う。  多くの人が「何故?」って思うでしょ。  でもあなたも天国行くでしょう。  天国ってところは  自分で自分を裁かない限り  誰かを裁こうとしない限り、  幸せで居られる処。  あなたはアセンションへの  ひとつの鍵を持っている。  あなたを赦せるか赦せないか。  赦せない人は  天国にあなたの姿を見つけて怒るでしょう。  赦せない人は  天国で楽しそうにしているあなたを見つけて妬むでしょう。  そういう人は、その怒りの分だけ苦しむでしょう。  そういう人は、その妬みの分だけ  天国に居ながら地獄を味わうことでしょう。  いつでも、誰でも同じおバカさんに成り得ること、  忘れてる人は苦しむでしょう。    あなたがアセンションへの  一つの鍵を持っている。  あなたはリトマス試験紙となるでしょう。    あなたも幸せ望んでた。  あなたも安心欲しかった。  あなたは何処にでも居るおバカさん。  だからあなたは何処の誰もと同じように天国行ける。  そして、自分で次の行き先選ぶことできる。  それは何処の誰もと一緒。  それは誰も同じ。  ただ他人がどうであろうと、  誰がどうであろうと、  自分が自分を生きている者だけが  天国行っても幸せで居ることできる。    ぶっ飛びおバカの彰晃ちゃん。  私が何しなくても、  あなたはあなたの始末自分でつける。  それ知ってるから  私は総てをあなたにお任せします。  だからそろそろ  あなたも自分のしたこと認めていいよ。            ** QZY01267/『猫の手』 <04/01/01 01:21:50> ** 734/734 MHA01114 シュメ−ル 犯罪分類 (19) 95/12/05 07:48 引き続き、『ミュータントメッセージ』に口火をきってもらいましょ卯。 この本で、笑ってしまった箇所が一つ。引用しときます。 「岩の割れ目の水を汲んだとき、自分の匂いをつけないためと動物を驚かさないため に近付き方を教わった。結局、それは動物たちの水でもあるのだ。動物たちも人間と 同じ様に水を必要としている。その部族は手持ちの水がどんなに少なくても湧き水を 汲み尽くすことは決してしなかった。どの水場でも彼等は同じ場所から飲んだ。どの 動物もそれぞれに飲む場所が決まっているようだった。そんな決まりを無視して自由 に水を飲んだり跳ね散らかしたり汚したりするのは鳥だけだった。」 『ミュータント・メッセージ』(p63)  この鳥ってプレアデスへの当て付けとも取れる。ここじゃプレアデスシステムの代 表選手はHALさんなわけで、HALさんをふくめてプレアデスシステムはアポリジ ニからこのような評価を受けてるのかも知れないなと思うと、笑いが止まらなかった。 そう、鳥は自由の象徴だ。  まえにミレさんとはじめてあったとき、HALさんのことが話題になって、その時、 ARIONさんとHALさんとのチャネリング記録をHALさんがもってるかもしれ ないということを教えてもらったんで、早速、HALさんに頼んで、見せてもらった。 まえ評判どおり結構ハードコアチャネルになっている。その内容については当事者に 著作権があるので、お任せするとして、その中に、宇宙連合と銀河連合の役割を加速 と減速の違いだと語ってる部分があった。これ、実に納得。減速というと銀河連合サ イドのバイアスが掛かってって、シュメ−ルが思うに、減速は原則であって、秩序で しょう。要は、自由と秩序という地球でも昔から御馴染みの対立概念のこと。銀河連 合・宇宙連合という枠だとまだ私の扱える領域じゃない感覚があるんで、この銀河系 レベルの話しにダウンサイジングさせてもらえば、プレアデスシステムとオリオンシ ステム、シリウスシステムの3極構造になる。プレシステムが担っているのが自由。 オリシステムが担っているのは、秩序・制限で、要は中心・周辺構造。で、シュメ− ルがオリオンシステムからなぜかバッシングを受けないのは、どっちつかずの内容の ないインターフエイスだからで、ま、いってみれば、シリウスシステムの隠れ蓑の裾 野に位置してるからと解釈できる。で、先日のオフで縁が復活しそうなスウさんのあ の恐怖のダジャレシステムはエッシャーのだまし絵と同じシリウスのゲシュタルトチ ェンジ技法の日本語バージョンと解釈できる。で、スウさんが夢解釈の部屋をまかさ れたりするってのは、夢とは現実のゲシュタルトチェンジだからでしょう。とすると、 シュメ−ルとスウさんの関係ってのはともにシリウスの息がかかってるってことかな。 とすれば、スウさんの中性的イメージってのも実は、シリウスシステムはこの地球の 二極構造に根本的には同化できない性質をもっていて、性の分裂に適応できてないっ てことなわけで、要は男に生まれると、女性っぽく、女に生まれると男性っぽくなる という悲劇(?)を昔から演じ続けてきてる。  で、序でにいっちゃえば、HALさんが昔から批判していたミレさんの取り巻きシ ステムはオリオンシステムの中心・周辺スキームが現実のミレさんの回りにも展開し ちゃうからなわけで、それはオリオンシステムによるエネルギー生成システムなんだ から、仕方がないんでしょう。ミレさんはミレさんの友達グループから中心としての 位置とエネルギーを得、友達グループはミレさんから活性化エネルギーを得るという 共利共生関係。これ、宇宙のミニチュア版。  と、人のことばっかりいってないで、シリウスシステムを考えてみると、スウさん を勝手に巻き込んで、ゴメンですが、シリウス系はとすれば、性システムフリーにな ってしまうってことで、現実の性的な規範やタブーが通じなくなる可能性を秘めてい る。とすれば、同性愛とかロリコンとかいったアブノーマルセックスにご用事という ことになるぞい。だは、そうすると、アナーキーなテロリスト犯罪ってのがプレアデ ス系犯罪で、宮崎事件はシリウス系犯罪で、オウムはオリオン系犯罪という犯罪分類 ができるな。   さて、幸い、時間がきましたのでこの辺で。