片翼の天使、暮れ泥む銀杏並木のイルミネーションの影に…仄明り求めて - FARION MES( 2):Wellcome All ◆ 四次元喫茶 カルフール 95/12/06 - 05035/05049 SDI00635 みれ RE:もう煙草吸ってもいいんだな(^。^; ( 2) 95/12/05 20:49 05034へのコメント コメント数:1  #05034 月影 くん  をを、20歳!!  ☆,。・:*:・゚'★ ,。・:*:・゚おっめでっとぉ〜〜★ ,。・:*:・゚'☆,。・:*:・☆  ☆                              ☆  ☆            祝:成人              ☆  ☆                              ☆  ☆,。・:*:・゚'★ ,。・:*:・゚'☆,。・:*:・゚☆,。・:*:・゚'★ ,。・:*:・゚'☆*:・☆  もうお酒も煙草もOKな年ですね。  ほれほれ、純米酒〜(^O^)/C□☆□D\(^_^ )カンパーイ!>月影くん ・:*:・みれ・:・。,★ 05036/05049 CXK03125 月影 Re*2:もう煙草吸ってもいいんだな(^。^; ( 2) 95/12/05 21:29 05035へのコメント   みれさん   お酒どうもぉ(^_^) うちは、自分以外は妹しかいないんで、侘しい誕生日なんですけど(^^;ゞ   ここは温かいなぁ〜   ありがとうございますm(__)m                 月影 05039/05049 JCF00616 優位 RE:もう煙草吸ってもいいんだな(^。^; ( 2) 95/12/05 23:15 05034へのコメント コメント数:1  #05034 月影 さん |今日から20歳の月影  …水くさいじゃないですか(^_^;)  というわけで、お誕生日おめでとうございます!  これであ〜いうことも こ〜いうこともできるわけですね(゚-゚)トオイメ       月影さんがもう1年以上も通信不在だと勘違いしてた優位(JCF00616) 05049/05049 CXK03125 月影 Re*2:もう煙草吸ってもいいんだな(^。^; ( 2) 95/12/06 15:02 05039へのコメント   優位さん >月影さんがもう1年以上も通信不在だと勘違いしてた   通信の一週間は、現実の一ヵ月っていいまから、 それで換算するならそれ以上かもしれませんよ(^0^;   お祝いありがとうございますm(__)m   ひとまず三十路までがんばってみます(笑)       月影 - FARION MES( 5):**/////*/////*/////*/////*/////*/////** 95/12/06 - 00402/00404 TBE03167 ねずみ RE:むむっ ( 5) 95/12/05 21:55 00401へのコメント うう。>しまうまさん ここの壁って愛着あるんだよなー 便所の落書きとおんなじ感覚で書けて、こう、なんでも無責任にモノが言えると いうこの感じ。 だめなの。ここの味を一度おぼえると、なんか他の場所に移れなくて。 壁がっ壁がなければ俺は生きていけないんだぁぁぁぁぁぁぁぁあああああああああっ    ↑  うるさい 00404/00404 CXK03125 月影 未来への皮剥き ( 5) 95/12/06 15:05 ●生き生きしている自分 ・多くの人に支えられ、自分もまた、その多くの人を支える一人なっている状態 ・何か一つのことに寝食を忘れて熱中している自分 ・何かを『創造』している自分 ・次から次へと溢れる話題に、時を忘れて語り合っている自分 ・欲望に打ち勝ち、いい結果がでた時の清新な感じを味わっている自分 ・溜まった仕事の全てをすまし、遊びにいこうとしている自分 ・誰かに『ありがとう』と言われた自分 ・誰かに必要とされている自分 ・拘りなく、自由に自己表現をなせる自分 ・息もできないほど笑い転げている自分 ・相手の意図や、期待、視線に左右されない自分 ●こうありたいなぁと思える未来の自分   多くの人に支えられ、自分もまた多くの人を支える一人になり、何かを創 造することに全てを忘れて集中し、その創造が心と物質双方の収益となっ   いる状態。   『ありがとう』と言い合えるたくさんの友人に囲まれた生活 自分の中にある自分に基づいて自分を表現し、行動し、それを貫こうと努 力している。   常に、すべきことの全てを終え、結果は空に任せる毎日 ●今、すべきことは?   具体的に何をしたいのか、それは何故か?を考え、ひとまずの基準は、生 き生きしている自分に沿うか沿わないかで考えてみる。 未来に描く自分と、今現在の自分のギャップは何かを識る。   それを埋めるために、具体的に今は何をすべきかを考える。                 月影 - FARION MES( 6):ハロー・メッセージ ★ 今日のハロー・メッセージから 95/12/06 - 00328/00330 GGA02514 KAZE 勇気 ( 6) 95/12/05 18:09 00319へのコメント コメント数:1 しまうまさん、どうも。 > 今もたぶん気づかずに閉ざしてしまっている窓がたくさんあるんだろうなあ。 >少しずつでも風通しのいい心になっていけるといいと思います。 そうですね、ぼくもそれを心がけていきたいなと思っています。 でも、窓をあけたままにしておくのって、けっこう勇気がいります。 自分の気に入らないことだってあるだろうし、 聞きたくないようなことだってたくさんあるだろうし。 すべてを受け入れながら、それらにとらわれないことが必要なのですが、 受け入れるのはいいけど、それらが自分のなかで澱んでしまったら、 その澱みが腐敗しはじめて大変なことになることもあるだろうし。 澱みが腐敗し始めると、その事ばかりがいつも気になって 寝ても冷めてもそのことばかりがはなれなくなります。 それから、窓をあけていろんなことを受け入れていくと、 そのいろんなことのなかには、矛盾したことがわんさか入ってくるので その矛盾を包括できるだけの視点をもてないと、 それこそ混乱を極めてしまうことになりかねません。 もちろんそれだけの覚悟があればとっても勉強になるのだけれど、 そうでなければ、たぶんにっちもさっちもいかなくなります。 たとえば、山に篭もって修行するような禁欲タイプの宗教家というのは そういう点では、窓を狭めることで、平静を得る方法論なわけで、 昔のことならいざしらず、現代ではどっちかというと逃避傾向なのでしょうね。 ともかく、おたがい、勇気をもちたいものですね(^^)。 では、ここでも、今後ともよろしくお願いします。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 00330/00330 KFQ02761 しまうま RE:勇気 ( 6) 95/12/05 19:44 00328へのコメント #00328 KAZEさん  こんにちは(^^)。続いてお世話になりますm(__)m。 :それから、窓をあけていろんなことを受け入れていくと、 :そのいろんなことのなかには、矛盾したことがわんさか入ってくるので :その矛盾を包括できるだけの視点をもてないと、 :それこそ混乱を極めてしまうことになりかねません。  なるほど、そうですね。  僕も今年一年はいろいろと環境が変わって、矛盾やら不合理やらいろいろ感 じる機会がありましたが、今思うのは「むりやり矛盾を解消しようとしない方 がいい」ということです。とりあえず矛盾を矛盾のまま放っておいたりすると、 いつのまにかその矛盾が矛盾として、なんというか“馴染んでしまった”みた いになって、自分の中で矛盾でなくなったり、ということもあるような気がし ます。  そして、そうやって自分の中でじんわりと矛盾を解消し終えた後って、なん だか自分の器が一回り大きくなったような気がすることもあります(気のせい かもしれませんが(^^;)。  そういう感覚を、KAZEさんの「矛盾を包括できるだけの視点」という言葉を 読んで連想してしまいました。 :たとえば、山に篭もって修行するような禁欲タイプの宗教家というのは :そういう点では、窓を狭めることで、平静を得る方法論なわけで、 :昔のことならいざしらず、現代ではどっちかというと逃避傾向なのでしょうね。  あ、なるほど“逃避”という言葉はわかりやすいですね。  昔の坊さんなんかはよく“濁世厭離”とかいって、わざわざ不自由な場所に 行って修行したりしたそうですが、今じゃ下手するとそういう人里離れたとこ ろの方がずっと住み易いっていう人も多いみたいですもんね。特に現実に疲れ ちゃっている人とか……。  昔の人が山にこもって修行して成果を上げることができたのは、当時は世界 そのものがもっと“個人的”で、ある程度“隔離された”ものだったからかな あ、という気もします。だから、そういう個人的で感覚的な悟りにも意味があ った……とか。  現代は、メディアだの通信だのの発達で、もう個人個人、もしくは国と国を “別個のもの”として分けて扱うことができないから、山奥での個人的な悟り にはあまり意味がない……とか……。うーん、ごめんなさい。言ってて自分の 頭がこんがらがってきました(^^;。  混乱ついでに言ってしまうと、昔の“悟り”というのはいわば純粋な物理学 の(摩擦係数を無視して、とか、空気抵抗はないものとして、とかいう条件付 きの)悟りで、現代に求められる“悟り”は、「すべての物質は波である」と か「相互の波が干渉して云々」とかいう、すごく曖昧なところで踏ん張って見 いださないといけない、みたいな感じの“悟り”なのかなあ、とも思いました。   しまうま(KFQ02761) 00329/00330 KFQ02761 しまうま 独特の味 ( 6) 95/12/05 19:44 :どんな物でも味わってみると独特の味に気付く…食事に限らず  『馬には乗ってみよ、人には添うてみよ』ということわざを思い出した。  馬には乗ってみないと分からない、人はつきあってみないと分からない、と いうような意味だったと思う。  言い換えれば「なんでもやってみなけりゃわからない」ということだ。これ は真理ですな。  では逆に「なんでもやってみれば分かる」というのも真理か?といえばそう とは限らない。たとえ「体験しなけりゃわかんないもんね」と思って実際に体 験してみたとしても、それを「思う存分味わってやろう」というある種のどん 欲さみたいなのがないと本当に“体験した”とは言えないのじゃないだろうか。  僕が、内心「あまりよくないことだなあ」と思うことを、欲に負けてやって しまうときには「こういう“よくないこと”も、経験して肌身で感じないと、 本当に“よくない”かどうかわからない。だからとりあえず今回はやってしま おう」という風に自分に言い訳してしまうことがある(ほとんど無意識にこう 思って良心のロックを解除してしまっていることも多いような気がする)。  では、そういう“よくないこと”をするのは初めてなのか?といえば決して そうじゃない。今までもやって後悔したりしているのだが、単に骨身にしみて ないだけだ。  そーゆーのはたぶん単に「経験した」だけで「味わった」とは言えないのだ ろう。もし本当にその後悔を「味わった」のだとすれば、もう同じ過ちを繰り 返そうとは思わないはずだ。どうせ後悔の味なんつーのは苦いに決まっている から、ついつい味わいもせずにあわてて喉元をごっくんと通してしまうのだ。  でも、たぶんそういう苦い思いをこそ、舌の上で丹念においしいワインを転 がすように(飲みたくなっちまったよ(^^;)、じっくり味わうべきなんだろう。 そして「今度こういうことを繰り返したら、またこの思いを味わわなければな らないのだ」ということを肝に銘じておく必要がある。これをキッチリやって おかないと、「ああ、ふと気がつくとまたやっちまっていた」ということにな りかねない。  で、じっくり味わってみると「案外この味いけるじゃん」と、意外な方向に 自分の活路を見いだせる、かもしれない。   しまうま(KFQ02761) - FARION MES( 7):自分を観る  ★ ARIONを鏡にして 95/12/06 - 06641/06649 GGA02514 KAZE RE:RE^2:誰でもそうだったんか… ( 7) 95/12/05 18:09 06632へのコメント 優位さん、おひさしぶりです。 >これはKAZEさんにも大いに関係があることなのですが、ARIONに、シュタ >イナーの修行法?に関する質問を個人的にしていましたところ、ARIONか >らの返答の中に、何を始めるにせよ、「特別意識」が醸造されなければ問題な >い、という文章が入っていました。 シュタイナーの修行法とかいう言い方をすると、 なんだか霊視だとか、霊聴だとかいう類の 特別な霊的能力の養成のように感じられてしまいますが、 そういう霊的能力の養成のように勘違いしている人が、 「特別意識」を醸成していくんでしょうね^^;。 どこにでも勘違いする人はたくさんいて、 「修行法」だとかいう大上段の発想をしてしまうようです。 そのことそのものが「特別意識」だともいえるでしょうか。 必要なことは、何があっても糧にしていく勇気と忍耐力、 そして共感能力、認識能力ということに尽きますから、 そうしたこと以外で特別なことをして自分を誇示しようとしはじめると それがどんなものをお手本にしていようが危険なのでしょうね。 さて、「ミュータントメッセージ」は、面白そうだなと思って買ったまま ツンドクになってしまっていますが^^;、 その「名前」のこと、とってもいい話ですね。 ぼくは一度名字を変えなくちゃいけなくなったときに、 いっそのこと自分でつけたい名前にできないかなと思って、 裁判所でいろいろ相談したことがあるのですが、 それは現状では非常にむずかしいといわれて断念したことがあります^^;。 でも、こうやってパソ通では、自分で自分に名前をつけることができて、 今のところ、自分のハンドルネームはけっこう気に入っています(^^)。 みんなが自分に責任をとる気概さえあれば、こういうのを、 一般社会でもできるようになればなあと思うのですが、むずかしいでしょうね。 >でも、そこで大勢の人が考えているのは、「ありのままの自分」だけでは、現 >代社会に適合できないんじゃないか、ということではないかと。能動的な愛や >意志を具現する為の場の在り方が、個人の問題と同時に問われるべき問題なの >でもあるのだと思います。例えば僕の学校では、どんなにパソコンやネットワ >ーク通信を使用して情報を収集し、厳選する能力があったとしても、その才能 >を発見される場が与えられていないわけです(^^;) 「ありのままの自分」や「自分の能力(と自分が思っているもの)」が そのまま発揮できる場にいららればそれはそれで幸せなことですが、 ほとんどの場合は、そういう幸せはなかなか得られないのが現実。 だから、人は、自分を認めてくれる場を探して放浪し、 または、今自分のいる場を自分を認めてくれる場にしようとがんばります。 そしてそのことはいわゆる「自己実現」への道として、 とっても大切なことだし、そういう努力は続けていく必要があります。 しかし、「ありのままの自分」というのもけっこうな落とし穴になりますし、 自分の能力(と自分が思っているもの)を発揮できなのは、、 その「場」のせいだ、というように感じがちです。 ですから、まずは「ありのままの自分」だと自分が思っているものを 自分でしっかりとらえてみる作業はどうしても必要になりますし、 「自分の能力(と自分が思っているもの)」が、 その場にとっていったいどういう意味をもっているのかを いろんな角度から検討してみることも欠かせません。 そのうえで、「さて、私はここで何をしようとしているのか。」 「私は何を望んでいるのか」そういうことを「観て」いかなければ、 落とし穴にはまってしまう可能性があるように思います。 落とし穴にはまってしまうと、「私は偉い」という「特別意識」、 または「どうせぼくなんか」という「裏返しの特別意識」がでてきます。 そして、人は自由を手放していくことになります^^;。 その意識は、自由を手放すことを自由の獲得だというように とっても巧妙にすり替えるのを得意としてますから、 お互い気をつけたいものですね。 では(^^)。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 06642/06649 GGA02514 KAZE 恐い話 ( 7) 95/12/05 18:10 06634へのコメント MAKOTOさん、お久しぶりです(^^)。 >大切な事なのに、なんであっさりと、忘れてしまう事ができるのか…? だれでも、自分に直面するのが恐いでしょ。 だからかもしれませんね。 大事なことでも、会社の仕事のように、あとで責任問題になるようなことだと 忘れようとしても忘れられるものではありませんが、 忘れられるものならば、忘れてしまいたいのが人情^^;。 だから、外からなにかがこないならば、忘れたいことは忘れたいものですよね。 それと、人は普通は、だれかほかの人を反射板のようにして、 自分のことを観ていることが多いと思うんです。 「私はこう」と最初にくるのではなくて、 「だってあなたがこうだから、わたしはこう」というように、 だれかを反射板にして「自分はこうなのだ」と考えるクセがついているわけです。 そのほうが、自分のなまなましさを観ないですむから、楽できるんです。 だれかを反射板にして自分を観るのは、 仮面をかぶったまま自分を観ているのと同じですから、 それはそれで冷静で的確に自分のことがわかった気になるものですけど、 その反射板をとりのぞいて自分を直視しようとすると、 やっぱりうろたえざるをえないのではないでしょうか。 で、いちばん恐いのが、仮面をとろうとしてそのむこうをのぞいたとたん その向こうにはないもない、というあたりでしょうか^^;。 そのとき、自分が自分だと思っているものが、 ほとんど幻のようなものであるのかもしれない、なんて感じたりもします。 「幻を愛したの〜」なんて歌詞もありましたが、そういうこと^^;。 ぼくも、毎日会社通って、いやだいやだといいながら仕事をしてるのですが^^;、 そういう会社でいるときっていうのは、特定の役割や人間関係があって、 そういうのを反射板にして自分のアイデンティティを感じているわけです。 そのほかの友人関係にしても、それなりのアイデンティティのかたちがある。 でも、ときおり、ふと、そういう反射板のないままに、 自分の底を観ようとすると、けっこううろたえてしまうことになります^^;。 それは、自分が自分だと思いこんでいるものが、 ほんとうはほとんど作り話にすぎないということが、 ふっと、わかってしまうからだと思うんです。 そういうのって、地震のようですがりつくものがなにもなくて、とっても恐い^^;。 ま、こういうのはひとそれぞれの感じ方なんですけど、 自分がエゴはったり、それが打ち破られたりっていうのは、 それなりの虚構の世界で遊んでいるようなもので、 けっこう安心してられるんですが、 やっぱり自分という物語を自分ではぎとったときの恐さというのは格別です^^;。 恐い話でした^^;。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 06643/06649 NBB01420 SUKE 他人の存在価値を認める ( 7) 95/12/05 23:45 06628へのコメント コメント数:1 #6628 KAZEさん、こんばんは。 >>だから、一人一人が発想を変えるしかないわけです。 >>「奪う」「乞う」のではなく「与える」という方向に。 と言うことは、「自分の存在価値を認めて欲しい」と言う気持ちに対して最初 に打つ手は「他人の存在価値を認める」と言うことになりますか…(^^;) 僕は他人の存在価値を認めていなかったんだろうか。自分にとって一番大事な のは自分と言うことから、結局自分以外の人間は自分にとって存在価値など無 いと思ってきたんだろうか。 考えてみたら未だに一人暮らしをしている僕は、毎日話す相手がいる訳じゃな い。正に必要とする誰かがいる訳じゃないんですね。 誰かを必要とすると言うのは、自立していない事に繋がるような気がして、今 まで掛け替えのない友達はいても、必要な友達とは思わなかった。必要なら毎 日会いたいし、互いに向き合っていたい。しかし僕には男女限らずそういうつ ながりは今現在無いのです。 大事にしたい相手と思いながらも、次第に疎遠になり、そしていつの間にか互 いが疎遠であるから持ちこたえているような絆になってしまう…そんな不安が あります。 誰もが不要な存在ではないんだと知ることは、決して誰もを自分が必要とする 訳ではないでしょうね。マザーテレサもマザーテレサが必要とすると言ったの ではなく、神の子と言うのだから、言うなれば神から観て必要とされていると 言う意味だったんでしょうか。 僕は僕自身が誰かを必要とすると言うこととは別に、僕の身の回りの人々全て が、不要な存在ではないんだとはっきり思い知ることが出来ていないんだと思 います。その結果、非常に傲慢になっていて、人の価値を優劣で計れて、そし て自分は常に優秀であろうとする…こんな奴が自分だと思うと、全然魅力を感 じないものですね。まして惚れられたりする訳がない(^_^;) 最近仕事の疲れから気分的に落ち込み気味ですが、こう言うときに更に自分の 嫌な側面に気付いてしまうと、結構な脱力に陥るものです(^_^;) まとまらなくて済みません。                        (- -)…☆ッテナモンダ Suke. 06645/06649 GGA02514 KAZE 自分をもう許しちゃうこと ( 7) 95/12/06 00:50 06643へのコメント SUKEさん、どうも。 お疲れのようですね、ご自愛ください^^;。 >僕は僕自身が誰かを必要とすると言うこととは別に、僕の身の回りの人々全て >が、不要な存在ではないんだとはっきり思い知ることが出来ていないんだと思 >います。その結果、非常に傲慢になっていて、人の価値を優劣で計れて、そし >て自分は常に優秀であろうとする…こんな奴が自分だと思うと、全然魅力を感 >じないものですね。まして惚れられたりする訳がない(^_^;) だれだって、自分はいつも優秀でありたいと思うものだし、 人からもそう思ってほしいと願うというのは、あたりまえだと思います。 仕事なんかだと、やはり仕事ができるかどうかで価値判断されるのは当然だし 仕事以外でも、それぞれの観点から価値判断されるのも当然だと思います。 そういうのを無自覚に当然だと思っているとしたら問題だけど、 そういう自分であるということを拒否しないのが大事じゃないのかな。 自分を甘やかすのはあまりよくないけど、許さないのもよくないような。 ぼくは親鸞の悪人正機説ってとっても好きなのだけれど、 それは悪がいいとかいうことじゃ決してなくて、 悪を自覚するということこそが、正機への道なんだということだと思うんです。 人は、弱いものだし、驕るものだし、自分だけ優れたいと思うものだけど、 そういう自分のいやなところを拒むのではなく、全部うけとめてみることから、 そうしたすべてがあるからこそ自分なんだというところから、 はじめてみることが必要なんじゃないでしょうか。 ところで、「惚れられたりする訳がない」ということですが^^;、 惚れることができればいいんじゃないでしょうか。 たとえ自分に魅力がなくたって、惚れることはだれにだってできる。 そして、惚れることって、とっても素敵でしょ。 でも、惚れることを自分に許してあげないと、 惚れたい自分はいったいどこにいけばいいんでしょうか。 愛を与えるとか奪うとか云々という話がありましたが、 愛は愛そのものが素晴らしいから愛するわけだと思います。 「なぜ惚れるのか。それは惚れることそのものが素晴らしいからだ。」 そういうふうに答えたっていいと思うんです。 でも、惚れる自分を許してあげないと、 その素晴らしさが目詰まりを起こしてしまって、毒になる。 もちろん、惚れたから惚れられるというものではないけれど^^;、 惚れられたとしても、自分が惚れてなかったらつまんないでしょ、やっぱり。 別に、惚れりゃあいいってもんでもないですけど、 たとえば、そうですね、「ああ、この音楽はいいなあ」とか 「いい絵だなあ」とか、「こんな考え方は素晴らしいなあ」とかいうように、 自分が何かを気に入ったりすることを、 もう、どこまでも許してしまえるようなことって必要だと思うわけです。 なんだか、変な話になってしまいましたが、 なんだか、SUKEさんは、自分で囲いをつくって、 そこから外へでるのを自分に許してないような、 そんな感じを今回受けたので、こうなってしまいました^^;。 では。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 06644/06649 HGE02116 MAKOTO 無限ループに陥るよりは… ( 7) 95/12/06 00:07 06640へのコメント  考えることに耽っていると、いつものごとくに、またぞろ無限ループに陥りそう だ。途中経過も書いていくことにしようと思う。  不満とは何かを考え続けていて、今浮かんでるのは、やっぱり過去の事。  私は、親元ではなく、血の繋がりやら、しがらみやらが、ややこしく絡みあって いる親族の中で育った。その暮らしの中で、親子ならと、何度も思ったよ。親子な ら、どんなにぶつかりあっても、絆が失われる事はない。でも私は違う。本気でぶ つかりあったその時は、家も絆も失ってしまう、そう信じて暮らして来たの。  反抗期なんて無かった。本気で胸のうちを話した事も無かった。無条件に甘えた 記憶もない。そして、喧嘩してる親子を見ると羨ましくてならなかった。甘えて、 駄々捏ねてる人を見ると、馬鹿にする反面、やっぱり羨ましくてならなかった。妬 ましくさえあったよ。  でも、私には駄々なんて捏ねられない。無理も言えない。甘える事も許されない んだって、本気で思ってた。自分の事を押えて、押え込んで生きて来た。無理して でも周りにあわさなきゃって、私が我慢しさえすればいいんだって、当たり障りの 無いことだけやってればいいんだって、思い込んで生きて来たの。  言わないままに飲み込んだ言葉が一杯あるよ。押え込んで握りつぶした感情の揺 れ。人前では、泣くことも、怒ることも、ほとんど無かった。そして、自分のした い事じゃなく、まず何を望まれているかばかりを考えてたの…  家から放り出される事が怖かった。見捨てられるのが怖かった。自分のままでい ると、受け入れられないような気がして、怖くて、怖くて… それは、小さな頃か らずっと持ち続けてる不安。そして、取りあえず何も問題を起こさない「いい子」 を、ずっと演じてきた。そして、自分が何をしたいのかさえ、分からなくなった。  今もそう。まず、自分の役割を考える。周りに合わせる事を考える。嫌われずに いる為にはどうすればいいかを考える。自分が何をやりたいかは、二の次、三の次。  「やりたいからやる」「自分の為にやる」は、私がよく使う言葉。これは、私自 身に言い聞かせてる言葉。こう言い聞かせてやらないと、不満を外に求めてしまい たくなるの。人のせい、状況のせいって、責任転嫁したくなる。だから、この言葉 で封じてるの。八つ当たりしたくなる気持ちを、押え込んでるんだよな  MAKOTOという名前だってそう。本名は違うよ。MAKOTOは、好きな言葉ではあるの だけど、それ以上に、自分の事を客観視する為に、夢と希望を失わない為に、虚し さの中に沈み込んで自分を見失わない為の、呪文のようなもの。私はこの名で、私 を縛っているんだから。  今でもね、欲しいのはただ、抱き締めてくれる手。それでいいのよと言ってくれ る声。本当にそれだけなんだよなぁ… それ以外の何もいらないのに。  人に否定されたくない。拒絶されたく無い。そして、人の事を否定したくないし、 拒絶したくも無い。温もりが欲しい、温もりを与えたい、ただ、それだけ… で、 やってる事がこれなんだもんな…  私の不満はね、伝わらないもどかしさと、理解できない歯がゆさから来てる。今 は、そこまでしか分からないや…                           MAKOTO でした☆ 06647/06649 PXL10465 まあ 現実に目をむける ( 7) 95/12/06 01:01 コメント数:1 ’素直な気持ち’について、書いてた’まあ’です。 私のもう一つの問題についても書いてみました。 #06639 めのうさんの「存在の耐えられない軽さ」を読んでいてあまりにも、 自分と似た状態だったので、自分のことを書かずにはいられなくなりました。 (似た状態だといっても、全然違うんですけどね。私の場合と一緒にしちゃう とめのうさんに大変失礼になってしまいます。ごめんなさい。>めのうさん) 私には、とても好きな人がいました。 めのうさん同様、「彼に必要とされること」が私にも必要でした。 これまた、めのうさん同様、物わかりの良い、甘えない人でした。それでいいと 思っていました。そういう状態で頑張ってる自分が好きでした。 だから、私も矛盾だらけの堂々巡り状態の繰り返しでした。 私の場合、彼に「いらない」といわれないために、物わかりの良い、甘えない人 になっていたのかもしれない。でも、それは自分の甘えたいという感情、駄々こ ねたいという感情をことごとく押さえ殺していた。それにすら気付いてなかった。 相手に不満があったとしても、そんなこと思うこと自体おかしいと自分の気持ち を却下し、すべて自分の問題として、かかえこんでいた。相手に求めるのではな く、自分がかわればいいのだと。そうしていくうちに、だんだん自分が分からな くなった。自分の感情も麻痺してきたような気さえしていた。が、それに気付き たくなかった。 彼は、今SUKEさんが、おはなししてるような「自分不必要症候群」みたいな人 です。だから、私は愛情を「奪う」のでもなく「乞う」のでもなく、「与え」た かった。そうすることで、彼に必要とされたかった。必要だと感じて欲しかった。 それがまた、私の役目のようにすら感じてた。相手のために「与える」つもりが、 だんだんと押しつけとなり、しまいには自己満足になっていった。それにも気付 きたくなかった。(私自身こそが、KAZEさんいうところの「愛情乞食」だった ようです) 彼が私のこと好きでなくなっていったことを知った後からも、「絶対私は必要だ」 と、信じて疑わず、彼がイヤだと言えない状況(彼の弱いところにつけこんでた) をつくっては、泥沼状態を続けていた。 私は、彼の中に自分の居場所をみつけたのだと思っていた。だからその居場所が どうしてもすてられなかった。 だから私は自分だけではなく、相手すらも観ていなかったことになる。        ***      ***      *** 以上が、ここ(FARION)での、みなさんの発言を読んでいて、私なりに彼との 関係をみつめなおした結果です。 こんな状態で、本当にいい関係といえるのだろうか? 過去形のように書かれてあるが、実はまだ現在進行形だったりもする。 読み返すと恐ろしい状態だなぁと他人事のように思う。 自分の思いこみの激しさがイヤになる。 そろそろ現実に目をむけなければならなくなってきました。 もう、自分ごまかすのはやめる。逃げるのもやめる。                                   まあ  06648/06649 SDI00635 みれ RE:現実に目をむける ( 7) 95/12/06 12:13 06647へのコメント  #06647 まあ さん  はじめまして、まあさん(*^^*)  私は、このフォーラムのSYSOP をしていますが、今日は一人の女性として、 コメントさせて下さいね。  相手に必要だと思われたいというのは、恐らく誰しもが持つ思いなのでしょ う。私も昔(15年くらい前)はちょくちょく、この思いが脳裏を過りました。  めのうさんとまあさんの文章を読んでいて、懐かしく温かい気持ちになった ので、「おや?」と自分の気持ちを再度、確かめてみたのですが、今は何故か、 必要だと思われたい気持ちが見当たらないのです。  それでゴチャゴチャと自分の気持ちの中を探ってみると、今の私の中にある 気持ちは「相手が必要だ」であって、「相手に必要だと思われたい」では無く なっているのに気付きました。  言葉にすると主体が自分か相手かが違うだけで同じ様な感じですが、もしか したら、これがポイントなんじゃないかなぁ…うまく言えないけど。     「相手に必要だと思われたい自分」が好きか?     「相手が必要だと思う自分」が好きか?  相手に必要だと思われたい=相手が必要だということであれば、主体を自分 に持ってゆくほうがまっすぐな感じがしますし、主体が自分の方が分かり易い。  相手に必要だと思われたい場合には、相手の思いや好きな傾向を自分が先ん じて知る必要があり、思いやり以上のものが必要だと感じて、下手するとそれ が「思い込み」になり兼ねないというのもあります。  相手が好きなことについて思い込んでしまっていることが「思い違い」だっ たりすると、相手には迷惑な押し付けになってしまいますよね(^^;)  相手を思いやる余り、相手主体の考え方に陥ってしまう…でも、自分は相手 じゃないので実際には相手に逐一尋ねないと、どうしていいか分からない…と いう悪循環に陥り易くもなるというのは、優しい心根の人がよく陥る罠(^^;)だ と思います。  まあさん、もう少し自分主体で考えてもいいと思いますよ(^_^)  相手に良かれと思って思いやり過ぎて、相手に負担を掛けてしまい、挙げ句 の果てに「自分で考えろ」なんて言われた日にゃ涙も涸れてしまいますよね。  考えてみると「あなたの為に、こうしたいの」と相手の為に何かをしようと する場合であっても、その気持ちは言い換えれば「(私が)こうするのが好き だから、こうしたいの」の場合も多いのじゃないかな?  だったら最初から「私はこうしたい」と言う方が分かり易いし、相手の為だ の何だの思わない分、相手も楽な気持ちで居れるのじゃないかな。  的外れなコメントだったらごめんなさい。  まあさんの気持ちを分かった積もりになっているかも知れないので、そうで あったら遠慮なく言ってくださいね。 ・:*:・みれ・:・。,★ 06649/06649 CXE02430 プレアデス 平和の為に瞑想を ( 7) 95/12/06 16:21 FROM:楠 宏太郎 ホピインディアンの呼び掛けで世界中の人々が一斉に瞑想をするという 計画があります。今月31日、大晦日の日の日本時間午後8時(グリニッチ 標準時の正午はこの時間になると思っていますが間違えでしたら訂正して ください。)から1時間、瞑想をして来年の世界平和を共に祈ろうというの です。そのための組織もないし、準備委員会もありません。ただ、呼び掛け をたまたま受けた人々が、それを覚えていたらどこかに座って、勝手に参加 すればいいのです。そうしたら、その場所が会場であり、メインステージで す。ホピ族の人々は有史以来ずっと、儀式で地球の自然に感謝の意を捧げて きました。ところが今年はその大切な儀式の場所が、アメリカの公共事業の ために使えなくなり、はじめて儀式のできない事態になったのです。ホピ族 は自分達の儀式が地球にとっても大切なものであると信じています。それが できなくなった今、今まで地球の為に祈ってくれていたホピ族に対しての感 謝も込めて、今度は地球中の人々がそろって地球平和を祈ろうではないかと いうのです。これを読んだ方、もし大晦日にこれを覚えていらっしゃいまし たら、ちょっと寝室へ行って、あるいは居間で家族とともに地球平和を祈っ てみてはいかがでしょうか。 - FARION MES( 8):恋愛錬金術  ★ 愛と性を本音で語る 95/12/06 - 01207/01207 GBA01052 CHARAN RE:『性は生なり、而るに聖なり』(1) ( 8) 95/12/06 13:40 01204へのコメント ウルトラマンのチンチンち言うのは凄いたとえだなぁ。 するってぇと、ウルトラのオヂサンはやっぱしあれは裸では無くて、 戦闘用のスーツを着ているってことだわな。 そう言えば確かに背中にファスナーついてるし・・・ 本当のウルトラのオヂサンはどんな人なんだろう? あっいかん、子供に戻ってしまった。真面目に聞かないでね。 - FARION MES( 9):神々の曼陀羅 ★ 歴史と宗教を巡って 95/12/06 - 684/684 MHD02672 TAO RE:朝鮮のシャーマニズム ( 9) 95/12/06 00:59 683へのコメント  #683 スウさん  どうも。そう言えば、スウさんは朝鮮オタク(?)でしたね(^^;。さて、朝鮮半島の  巫俗信仰には、朝鮮民族の土着的な霊性とでも言うべきものがその底に流れている  ように感じられますね。特に韓国は儒教色が強い国柄ですが(李朝によって普及が  図られたといいます)、儒教や仏教が伝播する以前には、アニミズム信仰が強かっ  たのでは無いかとも想像するのですが、資料が不足していて何とも断言出来ません  ね。シャーマニズムという観点から見れば、元々巫女等のいわゆる憑依現象を受け  入れ易い風土があったのだろうと思いますが。  >> 韓国キリスト教系のラジオ放送で女性の祈祷が流れて来るのを聞いたことが  >> ありますが、神に泣きすがるようで、「鬼気迫る」と表現したくなるような、  >> いかにもイッちゃってるノリの、入神状態の巫女を彷彿とさせるものでした。  ううむ、やはりそうなんですか(^^;。以前フランスへ行った時、教会内での祈祷を  見たことがありますが、いかにも「静謐さ」を感じさせる雰囲気がありましたね。  欧米での洗練された様式に比べ、韓国人というのは良くも悪くもエモショーナルに  潤色してしまうのでしょうか。キムチのように味が辛くアレンジされたキリスト教  なんちゃって(^^;。  TAO - FARION MES(10):夢鏡/幻紀行 ★ 夢解釈/カスタネダ研 95/12/06 - 01036/01038 MHA01114 シュメ−ル 夢の会議室 (10) 95/12/06 06:59 <RE:1034> あ、フロリクス61さん始めまして。フロリクス61さんの明恵関 連発言の番号教えてください。ついでに質問なんですが、『明恵上人神現伝記』っ てのはフロリクス61さんにはどういう印象を与えるのでしょうか。明恵の本質的 な部分に関わってると思うんですが、ま、実にプライベートなおよよ調で、怨歌の 世界といってしまえばそれきりなんですよ。 <RE:1035> スウさんへ  専務という肩書きをスウさんからもらったんで、利用させてもらったわけです。 これ、スウさんの得意技、シリウス返しの術です。あ、19番でスウさんの噂話をし といたので宜しく。御笑読のほどを……  ほう、春日神社が最寄りですか。縁がありますねえ。お参りしたら、いい夢みれ るかも。その節には春日明神さんに失礼の段はお許しを願ってもらうと当方は枕を 高くして眠れます。個人的には春日明神さんは大好きなんです。今どういう仕事を してるんだろうか。  さて、カス話の途中でクチバシをつっこんでるのは私なんですが、ここをスクロ ールダウンしたら、昔FMISITYでお世話になったイストランさんを発見。まだここ 読んでるんだろうか。で、  イストランさんへ  どうも、おひさしぶり。その後、カスタネダ関連の研究は進んでましたか。FSHI SOかどっかに引っ越すとかで、それ以降私はイストランさんは読んでません。ここ で読ませて貰えれば、実にラッキーで夢みたいな話なですが。あの体系を全部ここ で展開するのもたいへんなんですが、シュメ−ルとすれば、カスタネダのいう「夢 見」の逆説性あたりがここの会議室とはリンクしやすいんだろうと思う。もうだい ぶ忘れてるんで、ハズしてるかもしれないんですが、カスタネダの世界だと、たし かこの現実認識自体が夢だというパラダイムじゃなかったでしょうか。これって、 最近でたオーストラリア大陸のアポリジニの本『ミュータントメッセージ』(角川 書店)と同じパラダイムなわけで、こっちだと  「夢の時代の三つめの部分は今現在だ。夢見はまだつづいている。意識はいまだ に私たちの世界をつくりつづけている。」    (前掲書p163 ) ということになる。  ドンフアンやアポリジニの存在の真偽にはこっちは興味はまったくなくって、彼 等のパラダイムが我々に与えるパラダイムショック自体をいわばエポケーの治外法 権の法廷で問題にしたいわけ。ふたつのパラダイムの出会いが我々のパラダイムの 構造的欠陥をあらわにしてくれさえすれば、事足りる。そしてパラダイムが豊にシ フトしていけばいいんだろうと、えらくアバウトに考えてました。  ただ、ここの言語空間はけっこう飛んでいて、パラダイムシフトなんていうなま やさしい頭の中のことじゃなくって宇宙自体のシフト問題がいわば常識化した空間 なんで、うまくイストランさんが着地できるかどうか不安ではありますが。 ……しかしま、夜ごと訪れる夢と明恵の夢とドンファンの夢をいっしょにぶちこん でしまうというここの会議室もずいぶん飛んでます。ほんと夢みたいな会議室。  さてと、そろそろ現実という夢がしのびよる時間帯になったのでこの辺で。 - FARION MES(13):神秘学遊戯団 ★ 限りなき神秘への航海 95/12/06 - 04007/04012 GGA02514 KAZE 風遊戯71●しない歌とやってみようの歌 (13) 95/12/05 18:10 しない しない なにもしない なにかしなくちゃ不安なときは なにもしない やってみよう やってみよう なんでもやってみよう なんにもやる気にならないときは なんでもやってみよう ☆☆☆by KAZE☆☆☆ 04012/04012 GGA02514 KAZE 風の本棚●西田幾多郎・三冊 (13) 95/12/06 18:39 ■上田閑照「西田幾多郎/人間の生涯ということ」(岩波書店・同時代ライブラリー) ■思想1995/11月号「西田幾多郎没後50年」(岩波書店) ■小坂国継「西田幾多郎/その思想と現代」(ミネルヴァ書房) 岩波の思想はもう先月号になってしまいましたが^^;、 先月の11月は、西田幾多郎に関する重要な書籍が、三冊もでました。 上田閑照さんは、西田幾多郎の研究者としてもっとも定番の人であると同時に ドイツ神秘主義、特にマイスター・エックハルトの研究者でもあります。 また、西田幾多郎の関連で、禅に関する研究、著作もあります。 今回の「西田幾多郎/人間の生涯ということ」は、 西田幾多郎の思想に関する研究というのではなく、 その生涯を追いながら、「生きることの意味」を問いかける興味深いもの。 また、思想の11月号は、今年は西田幾多郎の没後50年ということで、 それを記念して、西田哲学に関してさまざまな方が 次のような論文を寄せたものです。 ・坂部恵「思想の言葉」 ・中村雄二郎「西田哲学と日本の社会科学」 ・新田義弘「学問としての西田哲学/非・対象の現象学」 ・野家啓一「歴史の中の科学/西田幾多郎の科学哲学」 ・大橋良介「群論的世界/西田哲学の「世界」概念」 ・木村敏「西田哲学と医学的人間学」 ・E.ヴァンマイヤー「西田とハイデッガー/比較哲学の試み」 ・上田閑照「西田幾多郎/「あの戦争」と「日本文化の問題」」 ・B.スティヴェンス「京都学派の問題」 ・J.C.マラルド「世界文化の問題/西田の国家と文化の哲学の体得へ」 ・大峯顕「西田幾多郎と夏目漱石/その詩的世界の意義」 ・源了圓「近代日本における伝統観と西田幾多郎」 ・遊佐道子「アメリカで西田研究を考える」 この思想の特集に関しては、西田幾多郎について不案内な方には あまりおすすめできないかなという感じはありますが、お買い得ではあります。 さて、三冊目の小坂国継さんの「西田幾多郎/その思想と現代」は、 それとは違って^^;、おすすめの一冊です。 小坂国継さんの西田幾多郎に関する著作は、 「東洋の論理−西田幾多郎の世界」(北樹出版/残念ながらこれは未読^^;)、 「西田幾多郎と宗教」(大東出版社)についで三冊目ということですが、 この「西田幾多郎と宗教」も、とってもおすすめの著作で、 これはこの夏に読んで非常に刺激を受けた一冊でした。 この「西田幾多郎/その思想と現代」は、 西田幾多郎の後期、完成期の思想を扱ったもので、 「弁証法的世界」、「行為的直観」、「ポイエシスとプラクシス」、 「歴史的身体」、「絶対矛盾的自己同一」、「逆対応」といった 非常に重要な概念が、その問題点への指摘も含めて、 とてもわかりやすくきちんとまとめられてあります。 これについては、追って、「西田幾多郎入門」として、 解説していきたいなと考えていますので、興味のあるかたはご期待ください。 一度は、この会議室でもまとまって西田幾多郎をご紹介したいなと ずっと思ってましたので、いい機会になりそうです。 ちなみに、ぼくの基本的な考え方の核の部分は、 シュタイナーとこの西田幾多郎で尽きるといっても過言ではありません。 そういう意味でも、西田幾多郎はシュタイナーとならんで、 ぼくのライフワークのひとつでもあります(^^)。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ - FARION MES(18):武道とは?  ★ 自分に勝つ! 95/12/06 - 02703/02704 HGB02122 あもり RE:長い挨拶 (18) 95/12/06 02:44 02687へのコメント  ##02687 鷹 さん 何度か読み返してみました。 実質的な内容もさることながら、「言葉で説明できること」って、自分にとっては 結構大切なことじゃないのかな?と思いました。 >> 時間の細分化ということから言えば、ある瞬間を10に切り分けると考えて、そ >>のひとつひとつに1の意識を与える。当然全体で言えばその1つの瞬間の中に10 >>の意識が持込まれることになる。より細分化出来れば、より多くの意識を持込める >>ことになる。それだけ1つの瞬間に濃厚に意識が働くことになる。 例えばこの説明も以前したのですが、読み返してみると「何だ分かってないじゃな いか>私」ってな感じです。 私の話すことは、いつも抽象論的なことに終始してしまって、問題の中心点みたい なことがぼやけてしまいます。で、鷹さんのような簡明な言葉で理路整然と解かれ ると、自分の姿がなくなってしまう(^_^; これはKAZEさんにしてもアマデウスさんにしても同じで、自分とは分かっているも のの質がちょっと違うんじゃないかな〜と考えてしまいます。 増してや、体の実質的な動きを基調とする武道の話などをしていても、話がぼやけ ればぼやける分、何か落としているものがあるんじゃないかと言う気がして来ます。 だからこそ、「ゆっくりした動き」が必要だったんじゃないかと(一面ですが)妙 に納得してしまっている私です(^_^; しかし、これは普段の生活でも同じ事で、どうも私は、日々の出来事を良く噛み含 める前にハンパに納得してしまって....要するに分かった振りをして....暮らして いる部分が多い。 人と話していると、些細なことでも面白い発見が多いのは、人がそれだけ客観的に 世界を見つめているのであって、反対に自分が現実をぼーと見ているせいなんじゃ ないかと....(^_^; >>この会議室、ずうっと読ませて貰ってます。興味深い内容なんですけど「武道」と >>いうものを言葉で表現するのはやっぱり難しいですよね。でもそこをあえて言葉で >>伝えることによって分かってくる何かが有りそうだ。ということで私も参加してみ よ >>うと思った次第です。 そうですね。だからといって言葉で説明できないものの方が多いのが武道ですよね。 HGB02122 あもり 02704/02704 HGB02122 あもり RE:コメントが付けれん (18) 95/12/06 02:45 02699へのコメント  ##02699 鷹 さん >>あもり議長 >> 武蔵ですか?いいですね。実は私「隠れ武蔵ファン」でして。五輪の書はもう何 >>度読んだ事か。あれって抽象的な部分の少ない「マニュアル」みたいな書だと思い >>ます。 >> 本当に尊敬に値する人だと思いますが、もし同時代に生きていたらきっと友達に >>なりたくないタイプの人だろーなー(^^;) 今は、天性の才能に酔った佐々木小次郎と、それでも悩む武蔵という場面に差かか っています。 この辺り、何か興味深いものを感じます。 HGB02122 あもり - FARION MES(19):世も末ばなし ★ ぶっ飛び話・罰当たり話 95/12/06 - 735/738 JCA00652 のんのん爺 シンクロナイザ-はおもしろいか (19) 95/12/05 22:45 世の中にはいろいろなシンクロナイザ−があって、それぞれまか不思議な ことが書かれていたりします。私もメガブレインという機械を持っています。 1600通りのプログラムが可能で、自分でもオリジナルのものをつくるこ とができます。 他の機械は知りませんが、メガブレインの場合、原色の色が乱舞したり、 ピンク、オレンジ、ブル−などめくるめく色の出現は幻想的で、万華鏡など よりもよほど美しい。 しかしこれがキャッチフレ−ズにあるように幽体離脱や、願望実現、その他 神秘な現象を誘発させる、あるいはその手の能力を開発させる影響力を持ち えるのかどうかは知りません。根気よく使えばいいのかも知れませんが。 まあ、おもしろいことはおもしろい。この種の機械で何か珍しい能力の開発 がなった人はいますか? それにしてもあの光りの色の、竜のように乱舞する様は実に幻想的でうっとり するものが確かにありますが……。神秘体験は私もしました。このメガブレイン もし欲しい人がいたら一式3万円くらいで譲ります。ゴ−グル、ヘッドホン、 買ったときの箱、みんなついています。使用したのは20回程度で新品同様です。 年末でお金が必要になりました。欲しい人はメ−ルで。定価は148000円で、 記念価格とかで135000円で買いました。広告を見るといつも記念価格 らしいですが。 それはそうと、この手の機械は本当にリラクゼ−ションに効果があるので しょうか。きれいな色の広がりが次々と変化する様を見ているとミステリアスで 意識的な興奮を伴うような気がしますが……どんなもんですかねえ。 JCA00652 のんのん爺 736/738 GFH02347 ゾウリムシ 聞いてみたいものだ。 (19) 95/12/05 23:33 30 年間建設現場で働き、ホームレスになった人。 それを、川に投げ込んで死亡させた若者。 他人から預かった金を無責任運用し、その尻拭いを国民にさせようとする、 高給取りである、銀行や日銀や大蔵の連中。 他人の生き血を吸っている極道共。 みたところ、銀行、日銀、大蔵の連中も、極道共も、いい暮らししているなあ。 こういう社会現象を神は、どう見ているのか。 神とまでいかなくても、アートマン達は、どう見ているのか聞いてみたいものだ。          ・・・・・ゾウリムシ・・・・・ 737/738 QZY01267 猫の手 本当の私探して (19) 95/12/06 06:31 コメント数:1  素直になればいい。  素直に言えばいい。  素直に自分を表現すればいい。  誰もが自分が傷付くのが恐い。  それが故に自分を偽装する。  それが故に本当の思いを隠す。  寂しいと言えばいい。  悲しいと言えばいい。  強がらなくても良いんだよ。  そのままの自分で良いんだよ。    隠すことで  本当の自分が隠れ、  隠すことで  自分を造る。  そうして自分を造り続け、造り続け。  本当の自分は浮かばれず。  気心しれて、  本当の自分を出したいと思ったときには  その相手は嘘の私に恋い焦がれ、  本当の私に出会って逃げていく。    始めから寂しい思いをしていても  本当の自分で居続けることで、  どこでも本当の自分で居られるだろう。  この私を好きになってくれる人も  そのまま素のままの私を好きになってくれるだろ。  素のままの私ではいけないと教えられ、  ちゃんとすることを教えられ、  何とか認められ、受け入れるために  頑張り続けてきたけれど、  ほんとはそんな必要なかったことを  人生半ば過ぎて知ることになり、  本当の自分ってどうだったっけ?  そんな旅に出てきた私。  未だに本当の自分に出会えた気もしないけど、  少しずつ、自分が自分らしくなってきた。  未だに本当の自分てどうなのか分からないけど、  少しずつ、本当の自分見えてきた。    寂しい想いが多くても、  自分が自分で居るときに歓びがある。  自分が自分で居るときに幸せがある。  ただ信頼すること、  信頼し続けれること  私が私で居ることで  他の周りの人も  自分で居ることができるようになる。  私が私で居ることで  他の誰もが自由になれる。  私が私で居ることでしか幸せはない。  私が私で居ることでしか歓びは生まれない。  本当の私探す旅してみませんか?  本当の自分に出会ってみませんか?  誰かが教えてくれる、  その姿が本当の私かも、  自分で認めたくなかったそれが  本当の私かも。  それを許したときに  それを認めたときに  もっと大きな私が姿を見せる。  もっと素敵な私が現れる。  きっとそうだから、  必ずそうだから。  情けない私も、  つまらない私も  馬鹿な私も  みんな認めてあげて欲しい。  そういう私を受け入れてこそ  出会いたかった私に出会うことできる。  そういう私を認めてこそ  欲しかった歓び手にできる。           ** QZY01267/『猫の手』 <04/01/03 09:38:31> ** 738/738 BYL00120 たいきゅう RE:本当の私探して (19) 95/12/06 13:45 737へのコメント #737 猫の手さん  はじめまして、たいきゅうと申します。  いつも、素敵な詩をありがとうございます。  「本当の私探して」  本当にそうですよね。心が洗われました。  うんうんうん....  僕は、周囲からマイペースに見られがちなんです。  全然、そうじゃないのに、余裕をかましてるように  見られるんです。それもこれも、  自分が素直じゃないからなんですね。  これ以上感想を書くと素敵な詩を  だいなしにしてしまいそうなので、  もっと、味わって、実際に行動に移してみます。  ありがとうございました。  これからも、楽しみにしております。            たいきゅうでした。