建前ばかり言っている内に、それを本音だと勘違いしている者多し - FARION MES( 5):**/////*/////*/////*/////*/////*/////** 95/12/08 - 00408/00408 GBG02755 すまる 久しぶりに・・・独り言 ( 5) 95/12/08 15:17  完ぺき!ってそんなものこの世にはないんだ。 完ぺき、完全なものってない!これは事実だ。 だけど、求めても良い。 完全なるものを求めても良いんだ。 だけど、それは時と場合と相手を選ぶべきだろうな。 全ての瞬間、全ての人間、生き物に、その何もかもを求めるのは、 相手にとっても、自分にとっても苦痛に違いないんだ。 でも、だからと言って、完全であること、完全になることを諦めてはいけない。 それを諦めたら、虚しさがただただ残るだろうから。 だからね、自分の出来るところから、相手の出来るところから、出来る時から、 少しづつ求めれば良いんだ。そして、結果にも完全を求めないことだ。 やれたところで、一応、満足するんだ。 そして、そこを足がかりにして、また、始めるんだ。 一つ結果が出て、そこで終わりじゃない。 一つの方向を試して、そこで終わりじゃない。 いくつもの入口は、いつも用意されている。 でも、いつもとは限らない。気がつけば、そこにあったと言えるようなものだろう。 もっと、自然の流れに任せて、流されてみるとわかるだろう。 自分が自分で、なんとかしなければならないことも多い。 けれど、自分ではどうしようもなかったことも多いはずだ。 そんなことを、きちんと分けて、反省すべきは反省し、人に任せるべきは任せ、 時の流れに任せるものは任せ、 自分は、河を流されている一つの小舟のつもりで回りを見ながら、 自分で、時には舟を漕ぎながら、たゆとうてみてはどうかな。 速い流れもあり、流れるでもない流れもあり、支流あり、大河あり。 季節もうつろい、生まれるも、死もあり・・・・ いつしか、共に流れ行く道行も出来るであろうし、 また、一人になることもあるだろうし、 ・・・・何もかもを満たす、そんな条件など有りはしない。     完全な答などみつかるわけもない。     だが、捜し求めることは自由だ。     幸せって、小さな一つの完全なるものを感じた瞬間かもしれない。     そう・・季節が一つづつ去って行くのを見た驚きのようなものかもしれない。     銀杏の葉が、音もなく静かに落ちて舞う。     その静けさに、切なさに、命と言う瞬間を思い馳せるようなもの・・・                                すまる - FARION MES( 6):ハロー・メッセージ ★ 今日のハロー・メッセージから 95/12/08 - 00337/00340 GGA02514 KAZE RE:RE^2:片翼の天使 ( 6) 95/12/07 17:45 00334へのコメント コメント数:1 しまうまさん、どうも。 ルシファーというのは、シュタイナーによると、 人間を熱狂させたり、地上的なものから解き放とうとする悪魔で、 人間を迷わせると同時に、人間に自由を与えた存在です。 自由であるからこそ、人間は迷うんですよね。 迷う可能性を与えられた。 ですから、それまではある意味でロボットだったわけです。 で、人間は、キリストの愛を理解することで、 悪魔となったルシファーを解放することになるといいます。 本来は、光を担う天使であったルシファーが、 本来の姿を取り戻し、キリストの前を光を掲げて歩む。 なんだか、けっこう感動的なシーンだと思うんですよね、うん(^^)。 ですから、ルシファーというのは、それだけの犠牲をはらって、 悪魔に身をやつしているわけで、そう単純に悪魔というだけでは 理解できないのだと思います。 人間でも、ただただ善人というのは魅力ないけど、 やはり善と悪とを両義的に抱えながらも、 そのなかで迷い傷つき、その果てに輝きを得る、っていうほうが 陰影があってずっと魅力的だと思うのです。 (ま、そういう例だとちょっとまずいかもしれないけど^^;) では、では(^^)。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 00339/00340 KFQ02761 しまうま ルシファーのこと ( 6) 95/12/08 01:54 00337へのコメント #00337 KAZEさん  こんにちは(^^)。 :ルシファーというのは、シュタイナーによると、 :人間を熱狂させたり、地上的なものから解き放とうとする悪魔で、 :人間を迷わせると同時に、人間に自由を与えた存在です。 :自由であるからこそ、人間は迷うんですよね。 :迷う可能性を与えられた。 :ですから、それまではある意味でロボットだったわけです。  な、なるほど! 悪魔(ルシファー)についてそういう解釈があったとは知 りませんでした。  うーむ、確かに人間に“自由意志”なんてものがあるから同類での殺し合い やら性的倒錯やらが生じるわけで、きっと“本能に操られるロボット”であれ ば、そういういわば「宇宙生命潮流」から逸脱するような意味での“悪”は生 じなかったのかもしれませんね。  その意味では、人間以外の生物はとりあえず“ロボット”と言えてしまうの かもしれないなあ、とも思いました。そのお陰で、動物たちは決して嘘はつか ないし、必要以上の殺生は行わないし、すべての命が今日一日を必死で生き抜 くし、死ぬとなったら従容と死の床につくことができるのでしょう。その一方 で、自分自身の存在について思いを巡らすことも、“生まれてきた意味”なん つーあるんだかないんだか分からないようなものを探すこともないんだなあ、 と改めて思いました。 :で、人間は、キリストの愛を理解することで、 :悪魔となったルシファーを解放することになるといいます。 :本来は、光を担う天使であったルシファーが、 :本来の姿を取り戻し、キリストの前を光を掲げて歩む。 :なんだか、けっこう感動的なシーンだと思うんですよね、うん(^^)。  いやー。いいですね、そういう風景(^^)。  もしかしたら、ルシファーが負っている“闇の部分”みたいなのは、すべて 人間の“業”なのかもしれませんね。人間が元々愛に満ちた存在であれば、自 由意志があっても何ら問題はないはずですし。  自分たちの出来の悪い部分を見て、「あいつが自由意志なんか俺たちに寄越 すから、こんなイヤな部分を見ることになっちまった。悪魔みたいなヤツだよ、 あいつは」とか言って、ルシファーに背負わせているだけだったりして(^^;。  人間の進化の過程というのは、ルシファーを光の天使に戻す過程である、と も言えるのかもしれませんね。 :人間でも、ただただ善人というのは魅力ないけど、 :やはり善と悪とを両義的に抱えながらも、 :そのなかで迷い傷つき、その果てに輝きを得る、っていうほうが :陰影があってずっと魅力的だと思うのです。  ほんと、そうだと思います。  「山奥にこもって修行するのは意味がない」というのは、そういうところで “善なる部分”ばかりに思いを巡らせても意味がない、現実という汚濁にまみ れながら生きていかなくては、というところにも通じるのかもしれませんね。  なんか感じたままを書いたので話にまとまりがなくなってしまいました(^^;。  なんとなく、KAZEさんとお話をさせていただくと、自分の中に“感覚”とし てしかなかったものが、明確に言語化されていくような感触を覚えるときがあ ります。お話しさせていただいて、とってもエキサイティングです(^^)。  13番でも、こちらでも、今後とも何卒よろしくですm(__)m。   しまうま(KFQ02761) 00340/00340 KFQ02761 しまうま 仄明かり ( 6) 95/12/08 02:37  95/11/25 悲しみの百合は喜びの薔薇となるだろう。仄かな明りを瞳に宿せ。  95/12/06 片翼の天使、暮れ泥む銀杏並木のイルミネーションの影に…仄明り求めて  ということは、片翼の天使が、暮れなずむ銀杏並木のイルミネーションの影 から求めている“仄明かり”は、悲しみの百合を喜びの薔薇に変えた人の瞳に 宿る明るさ、なのかもしれない。  百合はちょっとうつむき加減でさみしげだけど、薔薇は力強く上向いて咲き 誇る、みたいなイメージがある。  百合の悲しみってなんだろう。咲いてしまった悲しみ? 後は散るだけ。  では薔薇の喜びは? 今を咲き誇る喜び、だろうか。  95/12/04 花が咲いた時、散る事を惜しむか咲いた現実を喜ぶかで評価が変る  とも関連してくるのかもしれない。  しかし、この片翼の天使。  どーも気になるなあ。  妙にさみしげで、臆病なくせに人恋しげで、切なくて、でもそれを誰にも打 ち明けず、自分の胸が焼けこげるまでそのやりきれなさを持ち続けてさまよう 強さ、みたいな。  もう片方の翼はどうしちゃったんだろう。怪我でもしたのかな?  瞳に宿る仄明かりに、いったい何を求めているんだろう。  そこにもう片方の翼があるんだろうか。いやそういう実利的な理由で求めて いるわけじゃないような気がする。  自分でもよく理由が分からないままに、なぜだか「仄明かりを……」なんて 思ってるんだろうか。  もしかすると、悲しみの百合を喜びの薔薇に変えた人の瞳に宿る仄明かりと いうのは、月並みな言い方をすれば“愛”なのかもしれない。  本当の“愛”は、悲しみを乗り越えた人だけがもつことができる、とか?  いやいや、これじゃますますもって陳腐だ。  そもそも「悲しみを乗り越えた」ことのない人なんているわけないじゃん。  みんな何かしらの悲しみを背負って、普段はそれを忘れてるだけだ。  ほんまかいな。   しまうま(KFQ02761) - FARION MES( 7):自分を観る  ★ ARIONを鏡にして 95/12/08 - 06655/06659 GGA02514 KAZE RE:確かにね(^。^) ( 7) 95/12/07 17:45 06653へのコメント MAKOTOさん、どうも。 》 あんまり味わいたく無いけど、こうなったらもう、逃げてばかりいるわけにもい 》かんでしょ(^^;)  しかし、えらんもんに手を出したもんだわぁ(^。^) 人一倍怖 》がりなのに、大丈夫なんかいな(^^;)(^^;)(^^;) きっと大丈夫でしょう、MAKOTOさんならば。 ぼくの印象では、そうやすやすと挫けそうな感じではないですから(^^)。 MAKOTOさんって、やさしいところと気丈なところとを張り合わせたような (変なたとえですみません(._.))そんなイメージがあるんですが、 たぶん、自分のいちばん怖がってるものを直視したとき、 ほんとうに強くなれるんじゃないかなという、そんな予感がします。 ぼくも、かなりな臆病者ですから、恐いのはいやで、 まだまだ全面的に自分を直視することはできてませんが、 部分的にそれを感じとった(と自分で思っている)ことはあって、 やっぱり、吐き気を覚えるようないやな感じがしたのだれど、 少し勇気を出してみたら、その部分に関しては、 変身!って感じで、強くなれた部分はあるかなと思ってます。 というか、それまで見ようとしなかったから見えてなかったものが そこに光があたったようになるという感じでもあります。 光を当てる作業はぼくもまだまだこれからだけど、 こういう「自分を観る」っていう場所があるというのは、 「みんなでがんばろうぜ!」って感じもあって、 とっても画期的なことなんじゃないかなと思っているのでした。 では、おたがいがんばりましょう(^^)。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 06656/06659 NBB01420 SUKE RE:平和の為に瞑想を ( 7) 95/12/08 01:17 06649へのコメント #6649 プレアデスさん、はじめまして。 SUKEと申します、よろしく。 一応会議室で勧誘宣伝等はダメなんですが、今回のは営利活動ではないような ので、即刻削除対称と言う判断はしていません。 で、肝心の内容なのですが、この瞑想の提案はどこから発せられているのでしょ うか? 一読した限りではポピインディアンの呼びかけだとしかありませんが、主旨は 彼らの代わりに世界中の人々が成り代わってあげようというものですから、主 体は世界中の人々の側にあるのでは? …と、ちょっと脈絡が変だなと言う気もするのですが、いずれにせよ、これか らは出来ればプレアデスさん自身の提案をアップして欲しいと思います。 では今後ともよろしくお願いします。                         7番会議室 副議長 SUKE 06657/06659 NBB01420 SUKE 今日やってみたこと ( 7) 95/12/08 01:17 06625へのコメント #6625 白道さん、こちらこそよろしくお願いします。 感動的な本に出会したときは、それを他人にも伝えたいと思いますが、実際に はその本から何を受け取るかは人それぞれだったりして、余計なことを薦めて しまったなんて後悔することもありませんか(^^;) 私もそういう経験があって、後悔する程のトラブルは無かったものの、現実に はなかなか他人に本を薦めると言うのはタイミングが要るなと思い知ったもの です。 むしろ感動したその自分が、それを元にどう行動するかで周りに伝えて行くし か無いような気がします。                === 自分の存在価値について、今日やってみたことを書いてみますね。 職場でコーヒーブレイクしている時に、今周りの人達を「そこに存在している だけで十分に価値がある」と言う風に見ることは出来ないか?と試してみたん です。 狭い職場ですから、そこにいる人達の名前どころか、だいたいどんな人なのか は既に知っています。性格きつい女子社員、一見だらしない男子社員、飾らな いけど綺麗でもない女子社員、…まぁ誰でも良いところはあるもので、むしろ 価値を下げるような要因ばかりを思い浮かべて見るわけです。 そうしておいて、「だけどこの人がここに生きていると言うこと自体が、とっ ても凄いことなんだ」と言うような事を自分に言い聞かせてみる。 そうやって見る内に、まるで子供を眺める父親のような感覚と言うか… 良いところも悪いところも全部ひっくるめて、とにかくそこにその人の生命が 生きていると言うことがとても不思議な気がして… それから、確かに自分と同じ思考や意志を持って毎日を過ごしている、非常に 複雑な奥の深いシステムなんだという奇妙な感動があって… 気がつくと、性格の云々とか、能力の云々とか、綺麗だとかだらしないだとか、 そんな事は枝葉のことになっているんですね。 振り返ってみると、「生きている」あるいは「生まれて、この世でこうして生 き続けている」と言う視点から見ると、私の持っていた「他人の良いところ悪 いところ」と言う価値観が如何に社会規範の中にあるのかわかってきました。 要するに、この社会システムがあるからこそ、優劣損得良否善悪が生まれて、 その上か下かで人の価値を見ると言うのは、惑わされた視点なんですね。 この地上に複雑に絡まって重くのしかかっている社会と言うシステムの妨害に 惑わされないで、生きていると言う視点から見た人の価値と言うものを、もっ ともっと日常的に感じとれるようになりたいなと思いました。                         (^^)…☆ッテナモンダ Suke. 06658/06659 NBB01420 SUKE FARIONを面白くする甲斐 ( 7) 95/12/08 01:18 06633へのコメント #6633 ジョリーさん、レス遅くなりました。 タイトルで漢字変換が「会」→「甲斐」になっちゃったんだけど、そのままで も意味が通じるのでそのままにしてしまいました(^^;) >> この際、つべこべ言わずに自分を観る! >> 現在の自分というものをしっかり確認する! ですね(^^;)。僕も他人の事を云々書いていながら、片方で自分は大丈夫なの かだんだん不安になることしばしばです(^^;) 最近疲れてなかなか面白味を発見出来ずに落ち込んでいたのですが、不思議な もので思い切って2番の四次元喫茶を楽に読み流していると、だんだんのめり 込んで行くんですよね(^^;) そうやって7番まで来てみると、今日は幾つかコメント書けそうだ(^^;)と言 う感じになっていました。やっぱ四次元喫茶はありがたいですね。 やっぱり読んでいて「あ、これ一言書きたい」と言う時が一番ノリが良いんで すけど、ここ数日間、仕事がどん底だったりして気分が落ちているとダメです ね。 と言うことは… FARIONと面白くする会の基本活動は、まず日常生活を活性化するってことにな るのかな?(^^;) そうやって自分を活発に盛り上げられなければ、なかなか書き込みも元気が出 ないんだなって言うことを思い知りました。           そういえば風邪もひいてるわ(^^)…☆ッテナモンダ Suke. 06659/06659 NBB01420 SUKE かちんこちん ( 7) 95/12/08 01:18 昨日、朝一番に皆の前で上司から小言を食らった。普段は個人宛の小言は他人 のいないところでする上司であったし、小言の内容はその前の晩に解消されて いた筈のものであったため、内心いたく腹を立てた。 上司はすぐ出張だったし、皆の前で掘り下げた口論を戦わすのも場を乱すばか りなので、取り合えず出張から帰ってくるのを待って、残業遅くなってからで もさしで勝負しようと考えた。 荒れ狂う虎に内心の罵詈雑言で餌をやりながら、ふと思ったのは「義に反する 生き方だけは止めよう」と言うことだった。腹立たしい物事にぶつかった時は いつも事を荒立てても何とかしたくなるものだけど、罵詈雑言どころか殴り合 いつかみ合いをしたところで、決して問題は解決しないだろう。この「義に反 する自分にはなるまい」と言う言葉に気付いた時は、流石に困った。 しかしそれが転機だった。 結局、上司が帰る頃には怒りは静まり、これがいわゆる「カチン」だなと気付 いていた。そして、二度と上司にそのような小言を言わせないように、先回り して仕事を片付けてやろうと言う意欲が湧いていた。 自分は悪意を持って仕事をしているように勘違いされているようだ… このことは今朝方、たまたま話せる同期にちょっと言ってみたが、人を見る目 のあるこの男は、上司の癖もしっかり見抜いていて(^^;)、だから気にするこ とではないだろうと笑っていた。 その通り、今日は一日中席にいた上司の雰囲気は多少違っているような気がし た。 ARION、実生活での「カチン」は厳しいもんですね(^^;)            やっぱりぎりぎりで生きている(^^)…☆ッテナモンダ Suke. - FARION MES( 8):恋愛錬金術  ★ 愛と性を本音で語る 95/12/08 - 01209/01210 JBH00712 桂 桂 RE:『性は生なり、而るに聖なり』(1) ( 8) 95/12/07 23:38 01204へのコメント  #01204 しまうま さん  えー「性は生なり」の文章を読ませて頂きました。  なかなか性神信仰というのは奥が深いですね〜 やはりセックスという言葉を 発言してしまいますと何かこうドロドロしたものを想起させてしまいますが、と ところがどっこい、市井のお祭りなどでは性に関するものが当たり前のように目 の前に有る訳で、何か現代人て昔の人に比べるとスゴク損をしているような感じ になりますね(^_^;)  栃木県宇都宮市の「精神の館」に行かれたそうですが、伝え聞く所によると、 栃木はかなり性神信仰の盛んな土地柄のようですね。私の実家が有る所ですが、 あまり良く知らなかったりします(^^;  2.3覚えていることですが、全国でも名だたる観光地、日光市につづら折り で有名な「いろは坂」という峠道があります。その先を群馬方面に抜けますと、 同じ様な峠道で「金精峠」というのがあります。コンセイと読みまして、どうも その命名の理由は男性の持ち物から来たようです。  また宇都宮市から日光方面に抜ける裏道というのがありまして、その狭い山道 には男性器そのままを型どった道祖神が奉られている場所が有ります。地元では その道を通称でキン○マ峠などと呼んでいたりします(^.^)  昔は凄く大らかだったんですね〜  ちなみにその道祖神は何時の頃からか「卑猥である」という理由からか、木で 作られた祠のようなもので囲まれてしまい、今では車を降りてしげしげと見なけ れば解らないようになってしまいました。  こっちの方がよっぽど卑猥ですよね〜。 桂 桂(JBH00712) - FARION MES(11):狼を生きる  ★ 平井和正の著作から 95/12/08 - 01865/01866 JBH00712 桂 桂 会うは別れの始め (11) 95/12/07 23:38 01864へのコメント  #01864 SHIBA さん  ちょっと長いけどバッサリcutしちゃいますね(^^) <  この巻において、もう一つ注目すべき場面は、やはり後藤由紀子と四騎忍が < 出会うところでしょう。ここで、後藤由紀子は四騎忍に対して恋におちる訳で < すが、四騎忍の方も、同じ気持ちであったのかもしれません。この場面におい < て、後藤由紀子の可愛らしさが存分に記述されています。美少女好きと言われ < ている作者の面目躍如といったところです。この二人の出会いがきっかけとな < り、物語の登場人物が急速に集結することになるのです。  余りにも色々なシークエンスの集合体でどこから切り取って良いのやら戸惑って しまうところなのですが、これって様々な人の出会いと始まりの、最初の扉という 感じがするんですよね。  「ボーイ・ミーツ・ガール」という言葉があります。  少年が少女に出会う。  という意味なのですが、全てはここから始まる、という意味も含まれている英文 です。  言ってしまえばかの「ウルフガイ・シリーズ」でも「幻魔大戦」でも、最初の出 会いが無ければ物語は始まらないのです。青鹿晶子が新宿の雑踏の中で少しばかり 毛色の違う少年を見つけて興味を持った。トランシルバニア王国の女王・ルナが超 絶的な存在と遭遇し、やがて日本の少年・東丈と接触する。その世界の中から何故 か袖が振り合って出会ってしまう事に、運命の歯車は廻り始める訳です。  相変らず思うのは「一期一会」ということです。  そして、確か「新・幻魔大戦」で犬神一族の月影が去り際に言う言葉、「サヨナ ラ ダケガ ジンセイ サ」という言葉も、です。  この四騎忍と由紀子が出会う章も、「会うは別れの始まり」というタイトルでし たね。  僕はてっきりこのタイトルを見て二人は悲しい別れかたをするのではないだろー か、と思っていたりもしたものです(^^; でもどうもそうではないようですね。  人と人との出会い、何てはかないものか。  うまく言い表せないのですが、折角出会ったでのですから、この縁はとても大切 にしていかなければならないですよね(^^) 桂 桂(JBH00712) 01866/01866 JBH00712 桂 桂 RE:辛酸入佳境 番外編 (11) 95/12/07 23:39 01851へのコメント  #01851 みんた さん  どうもご無沙汰しております。  アマチュアのロックバンドの歌詞を掲載して頂いて、ありがとうございます。  僕なんかも学生の頃はこうしたアマチュアのバンドの、聞く方に熱中してお りまして、よく吉祥寺当りのマイナーフォークのライブを聞きにいっていた頃 を思い出しました・・・・  歌って一体何でしょうね。  時に物悲しく落込ませ、時に気分を高揚させる言葉の連なり。  気分に浸らせたり、あるいはまた活力を取り戻したりと、その音と言葉のハー モニーには絶妙なものがありますよね。  ミュージシャンというのは、音楽によって生き方を表現している人達なのかも しれない。その時の自分の気分を表わし、そして他人の気分を代弁する。言いた い事を代わりに言って挙げる。そして普段言えない事を言えるように感情を高ぶ らせる。  それを生き方で表現する人もいる。  俺の背中を見ろ、これが俺の生き方なのだよと無言で問い掛ける人もいます。  田中正造などは、そうした人物であったのかもしれません。  どんなに苦しい事でも悲しい事でも、辛い事でも、目を見開いて目の前にある 「現実」ってやつに眼を向けろ。そしてそこに何を感じ取れるか、お前の体で確 かめろと、無言で周囲に問い掛けていたのかもしれませんね。  そうした人の背中から無言で発せられるような、「言葉にならないような言葉」 を日々感じて生きてゆけるなのなら、と思う今日この頃です。 桂 桂(JBH00712) - FARION MES(13):神秘学遊戯団 ★ 限りなき神秘への航海 95/12/08 - 04021/04023 GGA02514 KAZE RE:ご無沙汰でしたぁ (13) 95/12/07 18:41 04016へのコメント 諏訪みのるさん、MACご購入、おめでとうございます(^^)。 ぼくは、みのる♪さんの買われたPowerBook 150とほぼ能力的に近い PowerBook 145Bをもっているのですが、 ぼくがこれを買ったのが、2年半ほど前の7月頃だったと思います。 そのときの定価が248,000円、購入価格が約20万円で、 それはRAMが4Mしかなかったので、4Mプラスしてもらって、 それが25,0000円ほどしたと思います。 PowerBookシリーズがいきなり半額近くなったものだから 「これは買いだ!」ってことで買ったのですが、 数カ月後にいきなり定価が178,000円とかになって悔しい思いをしました^^;。 その当時の金額にくらべれば、ほんとうに格安の金額で購入されて、 ほんとうに正解ではないかと思います。 そうそう、そのとき、内蔵モデムを買おうとおしたら、 お店の人が、「これはよくない!」といって、どうしても売ってくれませんでした。 思えば、とっても良心的な方だったんですね。 それで、今度、288,000BPSのモデムとMOも同じ所で格安で買いました(^^)。 それはともかく、Paper Birchさんやこむさんもすでにアドバイスされてますが、 ComNifty関係の通信ソフトをまずはそろえられたらと思います。 通信にかぎらず、かなりな部分がフリーソフトででてますから、 随時そういうのをそろえていけば、使いやすくなると思います。 そこらへんのことについては、また随時、追ってということで(^^)。 今はまだ不安と期待でどきどき・・って感じでしょうけど、 MACはほんとうに使いやすいパソコンなので、 使い方をすぐに覚えると思います。 あとは、そうそう、重要問題が残ってました。 FEPの問題です。 標準でついてくる「ことえり」って馬鹿ですからね。 ここらへんのことについても、またいろいろお話しましょう。 では(^^)。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 04018/04023 GGA02514 KAZE RE:シャーマニズムと人間 (13) 95/12/07 16:20 04013へのコメント TAOさん、どうも。 >シャーマンとは勿論、厳密には「霊媒」と同一視出来ないのでしょうが、憑依を主 >とする霊媒的なあり方も「シャーマン」の一つの面として考えるならば、シュタイ >ナーは憑依現象を“人間の問題として”どう考えていたか?という問題になるので >は無いでしょうか。 シュタイナーは、会員向けの講義なんかでは、 「死霊ってのはこんな感じですよ・・・」といいながら、 死霊を憑依させてその実例を見せてたりしたこともあるようですが^^;、 そういう憑依状態をさえコントロールできるだけの魂の力、明るい意識を 必要不可欠として考えていたようですので、 意識を暗くしたままでの憑依現象やわからずに憑依されてしまうことについて そういうあり方は、たとえ悪しきものではないとしても、 肯定しないスタンスだったのではないでしょうか。 重要なのは、魂の力の養成の問題で、その核になるのが、 自由を獲得できるだけの思考の力だということなわけです。 憑依といえば、現代の人間の多くは、短期的(日替わりなど^^;)にせよ 長期的にせよ、憑依状態にあることが多いように思われますが^^;、 問題なのはそれに気づかずに、自分の低次アストラル的なものが増幅され 操られているということなのだと思います。 もちろん、高次の指導的なあり方も、憑依といえばいえるですけど、 どちらにしても、それに気づけるようであるのがいいのではないでしょうか。 人間はシュタイナーの表現によれば「自由の霊」ということでもありますので その自由を発現させる方向でなければ、憑依が低次であれ高次であれ、 受け入れるべきではないのだと思うのです。 そして、「先祖帰り的な原始的霊視」というものが高次の能力であるとしても それが自由を前提としてないのだとしたら、受け入れてはならないのだと。 >「薔薇十字的な方法によって発展させられた霊視」と「先祖帰り的な原始的霊視」 >の違いについてのシュタイナーの見解には、「霊視する主体と霊視される対象の関 >係性」という問題も含まれているように思えます。シュタイナーの説明自体(翻訳 >のせいもあるのかもしれないけど)が分かりづらいのですが(^^;、要するに、霊視 >のあり方によって認識形式も変化して来るということでしょうか。そこには、霊視 >する主体の人生観や世界観も霊視の際のフィルターとして大きく関わってくるだろ >うし、意識が混濁したトランス状態での憑依と、覚醒した意識での憑依とでは、当 >然ながら憑依状態での意識状態が全然違って来ますよね。 つまり、霊的世界での認識様態とこの世界での認識様態は、 そのまま直通させることは困難なので、そこには変換装置のようなものが必要で、 それが神秘文字の解読というようなことが求められるにもかかわらず、 直接、死者が語りかけてきた・・・とかいうふうな状態になることに対して、 それはこの物質界における反映を受け取っているだけなのだというわけです。 要するに、霊界の言葉を習得しなければならないということだと思うのです。 もちろん、それはこの地上での言葉とは違っているのは当然なんですけど。 >明るい意識、意識が完全に覚醒している状態で、見えざる存在とのコンタクトが可 >能になるというのが、新時代の人間存在のフォーマットになってくるとしたら、単 >なる先祖帰りでは無い「存在としての進化」が可能になってくるのでしょうね。そ >ういや、シュタイナーも広義でのシャーマンと言えないことも無いですね。人間と >しての主体性を放棄しない、知的で自律的なシャーマンと言えますが。 ううむ、ぼくは、そのシャーマンという呼び方は好きじゃないですけど^^;。 シャーマンっていうと、民族とかいう根っ子に結わえ付けられているような。 積極的な「故郷喪失者」であれ、というのがシュタイナーなのですから。 それに、「見えざる存在とのコンタクト」とかいうことに あまりとらわれてもならないんだと思います。 少なくとも、ぼくの趣味ではないです(ぼくの趣味を聞いてるんじゃないって?^^;) それよりも、花の気持ちになったり、石の気持ちになったり、 そういうことのほうが、ぼくは好きですね。 では(^^)。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 04019/04023 GGA02514 KAZE ポイエシスとプラクシス (13) 95/12/07 16:20 04014へのコメント しまうまさん、どうも。 > なるほどー。これって今までのお話の流れで言えば「花を呼吸する」という >感じになるのでしょうね。 > そういえば、なんかの修行法で「花になりきる」みたいな瞑想があったなあ、 >なんて思いました。 はい、そんな感じです。 自分が種になって発芽し、葉をつけ、成長し、やがて花をつけ、実り・・・ そういうプロセスを体験するような感じでしょうか。 そういうふうに、自分の外界を「呼吸」していくこと。 そうそう、「事物を呼吸する」ということでいうと、 ちょうど、風の本棚でご紹介した西田幾多郎ですが、 その「ポイエシスとプラクシス」という概念が参考になると思いますので、 小坂国継さんの「西田幾多郎/その思想と現代」(ミネルヴァ書房)から その概略をご紹介してみることにします。   一般に、ポイエシス(制作)とは物を作ることであり、これに対してプラクシス   (実践)とは自己を作ることであると考えられている。したがって、両者はいわ   ば相反する方向の働きであると考えられている。しかし、西田は、両概念を行為   的直観のもつ二方向(ないしは二側面)と考え、したがって何らかの意味でポイ   エシス的でないプラクシスというのものなければ、プラクシス的でないポイエシ   スもない、両者はいわば相即不離の関係にあり、ポイエシスはプラクシスである   からこそポイエシスであり、またプラクシスはポイエシスであるからこそプラク   シスであると考える。われわれは外に物を作るという働きを通して、実は内に自   己自身を形成していくのであり、したがってプラクシスはポイエシスをとおして   おこなわれる。そしてここから西田の実践概念の観想的ないしは心境的性格がで   てくる。ポイエシスにおいては内即外・外即内、主体即客体、客体即主体である   ように、プラクシスにおいても内が外であり、外が内である。主体が客体であり   客体が主体である。そしてこのような相即的関係は主体すなわち自己の側の絶対   否定をとおしておこなわれる。西田はそれを「物となって見、物となっておこな   う」とか「物来たって我を照らす」とかいった表現でいいあらわしてはいるが、   要するにそれはわれわれの自己が物になりきることであり、「物の真実に行くこ   と」(本居宣長)である。西田哲学には、「善の研究」以来、このような身心一   如あるいは物我一如の境地において真正の自己が実現され、したがってまたその   ような境地においてはじめて真の実践がおこなわれるという確信が一貫して見ら   れる。(P8)    ちょっとわかりにくいところもあるでしょうけど、 いわんとすることが例の「不二」であることは、 ご理解いただけるのではないでしょうか。 自己の絶対否定によって「物となって見、物となっておこなう」ことで 逆に自己を形成していくというダイナミクス。 それが「事物を呼吸する」ということでもあるのではないでしょうか。 > これって、例えば夫婦とかの人間関係にも当てはまりそうですね。 > 特に「自他の矛盾を包括して統合しながら二は二でもある」なんて、理想的 >な人間関係だなあと思いました。 そうですね、融合では決してない結びだともいえるでしょうか。 それは、共同体のあり方でも理想なんですよね。 共同体としては諸矛盾を包括統合した「一」でありながら、 その構成員それぞれはやはり「多」として存在しているということです。 そういうのを西田幾多郎好みの表現でいうと「一即多」「多即一」となります(^^)。 今後、ちょっととっつきにくそうな西田哲学について、 ぼちぼちご紹介していこうと思いますので、 おもしろそうなところがあれば、またコメントくだされば幸いです。 では(^^)。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 04022/04023 GGA02514 KAZE 風の本棚●インターネット・ストラテジー (13) 95/12/08 10:38 ■松岡正剛・金子郁容・吉村伸  「インターネット・ストラテジー/遊牧する経済圏」(ダイヤモンド社)   今、ぼくはインターネットをはじめようと思って その基本的なところから少しずつ勉強しはじめているところなのですが、 そうした中、この対談集に出会えたことはとてもラッキーだなと思ってます。 とくに、「情報工学」という視点からアプローチしている松岡正剛さんの視点が ここに加わっていることで、ぼくにとって非常に示唆的なものになっています。 さて、この本のプロローグとして置かれている 金子郁容さんの「三つのインターネット・ストラテジー」ということについて 少し見てみることにします。   本書では、そのタイトルであるインターネット・ストラテジーという言葉に、   次のような三つの意味合いをこめている。   その第一の意味合いとは、世界中のコンピューターをつないでワールドワイド   なコミュニケーションを可能にしたインターネットという強力なツールを得た   いま、個人としてまた企業としてそのツールをどう有効に使いこなし、また、   いかにしてビジネスに結びつけるか、その戦略ということである。   (中略)   第二の意味合いは、インターネットが与え始めているこのような社会・経済へ   の本質的な影響の下で、われわれが個人としてまた企業としてどう考え、どう   ふるまい、どのような新たなる関係を築いていけばいいかということに関する、   第一の意味合いよりは深い意味での戦略である。   現在起こっているいろいろな現象をていねいに観察すると、インターネットは   秩序を壊し、関係変化を促すものであると同時に、その反対のベクトルをもも   っていることがわかる。つまり、インターネットは世界をつなぎ自由な情報の   やりとりを可能にすることで、多種多様な共同体をつくりだし、新たなる秩序   を自己編集的につくりだす。ここには人々の間に広がる意識的なレベルの統一   性とか世界感覚とでもいうものをもたらす力が見て取れる。(中略)   インターネット・ストラテジーの三番目の意味合いは、このような多様性の中   でのまとまりとでもいうべきものをつくりだす新しい組織論にわれわれがどう   かかわるかという戦略である。インターネットは機械システムというよりは、   世界を覆いながら伸縮自在の関係を自分でつくりだし、鼓動し息づいていると   いう生物的なイメージがあるが、たとえば「DNAは生き残りの戦略として遺   伝プロセスの自然淘汰メカニズムに対抗するために多様性を確保する」などと   いう言い方があり、また人体には自己と非自己を差異化する免疫ネットワーク   の戦略もありうる。そのように新しい組織論とは、ある種の統一的世界感覚を   つくりだす意識体としてのインターネット自身の戦略といえるかもしれない。                                 (P8-9) FARIONのひとつのコンセプトとして、 「組織なきネットワーク」というのがありますが、 それは、ヒエラルキー的な組織としてのあり方ではなくて、 作用そのものが自己組織化していくというネットワークのあり方を ただただアナーキーな方向にもっていくのではなく、その危険性をはらみながらも、 「自分を観る」という自由を基盤において自発性によって 伸縮自在の生きた形を形成していくことなのではないかなとぼくは捉えています。 つまり、「自分を観る」という自己組織化力によって 「組織なきネットワーク」を実現していく場所としてのFARIONです(^^)。 最近、ヘーゲルなどがちょっとしたブームということですが、 それは「共同体」ということに対する関心の高まりでもあるように思います。 それは「阪神・淡路大震災」で一躍注目をあつめた「ボランティア」という コンセプトとも関係してくることで、 その「共同体」の問題を、インターネットは顕在化し、 そのビジョンを提示していく可能性を秘めているのではないでしょうか。 しかし、インターネットというコミュニケーション・ツールによる可能性は 個々人の人格的能力とでもいうものによってサポートされてはじめて、 未来への新たな可能性をひらいていけるように思います。 それが、単なる既存の組織の破壊を意味するだけではならないと思うのです。 さて、ぼくも、これからインターネットをお遊戯しながら、 それがひらくビジョンを体験してみたいと思っています。 そういうなかで、この「インターネット・ストラテジー」は 非常に示唆的で、必読の一冊なのではないでしょうか。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ - FARION MES(14):預言解読村  ★ 預言・予言は何を語るか 95/12/08 - 03389/03391 PAG03134 はな 今日は月がきれいだった (14) 95/12/07 22:45  帰りがけに月を観ていたら、月の両側は曇があるのに、雲の流れに沿う ように、切れ間から月が光々と輝いていました。雲の切れ間から月から何 か波のようなエネルギーが降り注いでいるのかなぁと思うくらい、今日の 月はきれいでした。  以前も月に見とれた頃、ARIONのメッセージで「第7霊線は角を刻 印した」なんてのがありましたっけ。その時は満月でしたが、今日の月は 満月だったのだろうか。                       はな 03390/03391 PAG03134 はな RE:百合の解釈について (14) 95/12/07 22:45 03384へのコメント コメント数:1 しまうま さん  しごく素朴な疑問なんですが、なぜ「百合」と「菊」なんじゃろね?                       はな 03391/03391 KFQ02761 しまうま RE^2:百合の解釈について (14) 95/12/08 01:54 03390へのコメント #03390 はなさん  こんにちは(^^)。 :しごく素朴な疑問なんですが、なぜ「百合」と「菊」なんじゃろね?  うーん。はなさんに訊かれて改めて考えてしまいました。  ふと思ったのは、もし「百合」がカバラの知恵の象徴だとしたら、「菊」は 日本(菊のご紋の天皇の統べる国)もしくはアマ族の知恵の象徴かもしれない なあ、ということです。  岐阜県御嵩の長岡の白山神社の祭礼は、あぜ道に白菊が咲く頃に行われるそ うです。  古い記録では、桓武天皇の時世、797年に菊花の宴がもたれて、 「この頃の 時雨の雨に 菊の花 ちりぞしぬげき あたらその香を」  という歌が詠まれています。これが、菊の花が歌に詠み込まれている最初の 例だそうです。  桓武天皇といえば傀儡=渡来系勢力を思い起こしてしまいます。  また、菊といえば9月9日の重陽の日=菊の節句ですが、この99というの は九九理(くくり)を思い出させますね(あ、これはひょうたんさんの説でし た。ちょっとお借りします(^^;>ひょうたんさん)。  という感じで、まだまとまった考えにはなっていません(^^;。   しまうま(KFQ02761) - FARION MES(16):■特設会議室 ■ シルバーバーチを語る 95/12/08 - 157/161 QZD02307 ジョリー RE^4:ガラスのコミュニケーション (16) 95/12/07 15:59 137へのコメント KZ さん、どうも。 > スピリチュアリズム七大綱領の2番目、 >「人類は同胞」というのも、その本質において神である生 >命はすべて同じものなのだから、「同胞」なのだというこ >とでしょう。これは人類のみに言えることではなく、動物 >他、すべての生命に言えることなのではないでしょうか、  僕は、実は、シルバー・バーチのことは全然詳しくないのですが(^^;)、  「人類は同胞」という言葉の意味は、何となくわかるような気がします。  人類が、地球という惑星に住む共同体であるという認識が、宗教間、思  想間を超えて、必要なんじゃないかという考えは僕にもあります。そう  考えると、善人も悪人も、優等生も落ちこぼれも、お金持ちの人も、ホ  ームレスの人も、みんな「同胞」ですよね。  現代人っていうのは、身近な人間にさえも、挨拶の一つもできないで、  自分勝手な生活ばかりに、固執していたりしますが(僕はしているぞ)、  こんなんじゃ、人類全体の「同胞」意識っていうのには、足下にもおよ  びませんね(;_;)。まして、動物達の未来など・・・。  ちょっと、寂しい気持ちになってしまいました(^^;)。 > つまり、自分で発見しないといけないもので、誰も教え >てくれないものが「愛」なのですよね。 > > 「愛」とは難解ですね(^^;;)  そうですね、本当に難解です。KZさんが、「自分で発見しないといけ  ないもの」と仰るのは、自立した人間としての「愛」なのかも知れませ  んね。「愛」とは、誰かが与えてくれるものではなく、自己自前の力で  探し出さすのが本当の「愛」なのかも。  確かに、難解なんだけど、それがどのようなものなのか、自分で見つけ  出したい気持ちは、僕の中にはあります。聖書には、「狭き門」という  言葉がありますが、イザヤ、ペンダサンの「日本人とユダヤ人」という  本の中に、以下のような意味で記されています。     大学入試が近づくと、何人に一人の割合の「狭き門」などという    見出しで、大学の門が新聞に出る。この場合の「狭き門」とは、だ    れにでも知られ、みなが入りたがるが、多くの人が入れないで門外    に残る門という意味であろう。新約聖書の「狭き門」にはそういっ    た意味は全くない。だれにでも知られ、広い道が通じ、皆が殺到す    るのは「広き門」である。一方、だれにも知られず、低く狭く人が    見向きもせず、ただ小道が通じている「門」(というより普通の日    本語でいえば、潜り門か裏木戸のような、人ひとりがかろうじて通    れる、全く目につかない入り口のことである)から、身体をよじる    ようにして入れ、というのである。その道を見つける人はほんのわ    ずかだ、と聖書は書いている。       (角川文庫 P-152)    これが、「真の愛の道」であるとすれば、僕などにはとうてい及びもつ  きませんが(^-^;)、これは、KAZEさんのいうところの「中道」に通じる  のではないかと、今、ぼんやり考えたりしています。   >>自分の思い通りの結果を得られなかったために > >これは、結局自分を愛していただけで相手を「愛」していた >訳ではないから、ということになります。 > 愛は憎に絶対転換しないものでしょう。  そう。「愛」は、どうやら人間の好き嫌いの判断の仕方で作用していく  ものでは、ないのではないかと思います。では、一体愛とは・・・(^-^;)。 > こんなこと言ってる私も行動となると甚だあやしいものです。 > 努力はしているつもりですが・・・・(^^;;;;;;)  僕も、かなりあやしいです(^^;)。努力はしているつもりですが・・・。  では(^^)。    ジョリー 161/161 GDA00236 矢口 俊司    地上と霊界両方大切!? (16) 95/12/07 17:56  地上世界と、ヴェールと彼方の世界とのバランス感覚 一つ間違えれば、現世を軽視する恐れがあるのは、解り ますが、スピリチュアリストに関して言えば、未だ知識 の浅い方々や、勘違いをなされている方々を除いて、 現世を軽視することはないのではないでしょうか?  人間が生まれて来る意味は、スピリチュアリズムの 真髄をきちんと理解していれば解ることなのですから。  自分なりに、自分が生まれてきた理由を考え、その為 に精一杯の努力をするが大切だと思っております。  そして、肉体を持っているが故の喜びに溺れることな く、かといって、低俗なものと蔑まず。  (僕はまだまだ、酒、煙草の快楽から、抜ける事が出 来ず、怠惰な食生活を送り、折角授けられた肉体を、 ちっとも大切に扱っていないのですが...)  肉体を持っているが故の不自由さを、ハンデとして喜 んで背負い、決してそこから逃げることなく生きていく ことが、自分を地上に送り出してくれた霊界への何より の恩返しであり、自らの魂の向上への唯一の道であると 信じております。 追記  本家(こう書くと何だか妙ですが)、サイキックニュース に、「自分はヘンリー3世である」と言っているお爺さんの 話が出ていました。(日本のテレビニュースでも少し紹介さ れたのでご存じの方もいらっしゃるかとは思いますが)  その人が、と言うか、その人の中のヘンリー3世が、本を 書いたそうです。今手元にその記事がないので、購入方法の 紹介が出来ないのですが、次回是非紹介したいと思います。  僕は購入してみたいと思っています。 GDA00236/矢口俊司 - FARION MES(18):武道とは?  ★ 自分に勝つ! 95/12/08 - 02705/02705 HGB02122 あもり RE:合気道草歌 (18) 95/12/08 00:07 02698へのコメント  ##02698 導 さん  武蔵の若い頃の生き方は、史実は謎めいているばかりで想像しようも  ありませんが、吉川英治の小説の武蔵像から判断してみると、やはり  強さに対する「迷い」でしょうか?  武蔵は剣に禅を求めるようなマネはせず、ひたすら強さに対して邁進  していく訳です。武蔵の、直接弱い者に対する言及はありませんが、  伏線としての弱者との比較から、かたくななまでに拘り続ける強さへ  の憧憬のみが浮彫りにされています。緩み弛み、甘えを許さず、日々  あくまでも緊張を常に内に向けているんです。  この猾さやウソのない求道精神に、良いも悪いもあまり感じませんで  した。感じたといえば、「到底自分には不可能だ」と思いましたね。  若い武蔵には「ここまで行ければ強くなった」という結果を想定して  いないところが、現代の強さの指標と違うところだと思います。私怨  や後悔から「あいつを倒してやりたい」と言った目的ではないんです。  あくまでも「絶対的な強さ」という巨大な目標を据えていたからこそ、  求める道がまっすぐだったのではないか?  そう思います。  今時の、「これをしたらあっちがだめになる」「これは常識ではオカ  シイ」というような部分が欠落していたからこそ、歩めた道だと思い  ますね。                     HGB02122 あもり - FARION MES(19):世も末ばなし ★ ぶっ飛び話・罰当たり話 95/12/08 - 741/742 MHA01114 シュメ−ル RE:犯罪分類 (19) 95/12/08 01:27 739へのコメント スウさんどうも。げ、その夢、アブノーマルセックスの世界ですねえ。いやー私も驚 きの経験をしてしまった。山形に出張がはいったんですが、宴会の一次会が終わって、 私はいつものとおり、天童温泉にゆっくり浸って、お先に寝てた。他の人達は夜の温 泉街に出ていった。いい気持ちで寝ていると、突然、夜中に唇に不気味な圧迫感があ って目が覚めた。と、なんと、多少同性愛傾向があるとなかば周知の人物が寝ている 私の唇を奪ったのだった。ま、酩酊状態で、なにやら××大好き、**大好き、おれ は皆大好きだ、と私やほかの人の名前を何人か叫んでいる。博愛主義はいいけれど、 まいった、まいった。あとは「さあ寝る」とかいって寝てしまった。こっちはえらい 被害をうけてしまった。ま、酔っ払い相手に怒る気にもなれないし、ま、この程度の 被害ですめばいいほうかもしれないし、寝たトラを起こすきにもなれず、私もそのま ま寝ることにした。次の朝はとうの人物も記憶があるのかどうかさだかでもないし、 こっちも話題にするきにもなれないので、何事もなかったように、旅の日程がスター トしたのだった。気持ちが悪いといえば、そのとおりなんだけど、ちょい文化が違う と、同性でもキスはごく普通の習慣になる。ま、口づけまでするのかどうかは分から ないけど。愛してもらうのはありがたいんだけれど、勘弁してほしいよなあ。彼もシ リウスだとはなんか思いたくないんだけど。もしかすると、怒ったシリウスからのシ リウス返しのキッスだったかも。とすれば私の自業自得の世界だわな。天罰のスピー ドもずいぶん早い。書くってことももしかすると随分リスキィなんだかもしれない。 みなさん、お口にご用心。  さて、口直し。愛っていうのは一体性原理ですからね、一体化願望はごく当然の願 いでしょう。プレアデスによって人間に性別が導入されて以来、星の数ほどの恋愛が 演じられてきている。あたかも引き離された織姫と彦星のかなわぬ願いが地球に投影 されているかのようだ。リラとアルタイル。(そうそう、『プレアデス+地球をひら く鍵』はセックスの話題がやけに多かった。あれってプレアデス的バイアスなのかも しれない。)性別実験って成功したんだろうか。この世紀末、性欲バブルをこれだけ 膨ませて、どう収拾をつけるんだろうか。  性の分離の時代はまだ続くのだろうか。性の統合は性交によるつかのまの忘我にお いてしか果たされないのだろうか。地球の重力圏にとどまる限り、切り離された自ら の半身を求めてさすらう旅の終わる日は訪れぬのだろうか。それはリラとアルタイル を結ぶ遥かなる銀河回廊の旅路……。  742/742 QZY01267 猫の手 何故こんな世界を造ったの? (19) 95/12/08 06:58  こんな世界を何故造ったの?  こんな世界を何故造ったの?  むこうでは戦争があり、  飢えと貧困があり  こちらでは酔っぱらいがくだを巻き  自分の子どもをコインロッカーの中に預ける母が居る。    いったい何でこんな世界を造ったの?  こんなひどい世界を  何故造ったの?  こんな世界を造ったのはあなた、  こんな世界を造ったのは私、  こんな世界を造ったのは誰でもない自分自身。  なんでこんな世界を造ったの?  なんでこんな世界になっちゃった?  あなたはテレビゲームに向かう。  それは何の為?  あなたはテレビゲームを造る。  それは何の為?  あなたはディズニーランドで遊ぶ。  あなたはディズニーランドを造る。  いったいそれは何の為?  この世界があるのはそのことと一緒。  遊びたい人が居て、  遊ぶ場を造る人が居る。  そこで遊んでいる人が神ならば  あなたは神でしょう。  その世界を造ったのが神ならば  あなたは神でしょう。  あなたは何故こんな世界を造ったの?  あなたは何故こんな世界に現れた?  総ての答えはあなたの中にある。  総ての答えは私の中にある。  総ての答えは自分自身の中にある。  やめようと思えばいつやめることもできる。  にも関わらず私はこの世界に生きている。  あなたはなんの為にこの世界に居るのですか?  この宇宙には  様々な世界があるにも関わらず、  あなたは何故この世界に居続けるのですか?  総てはあなたが望んで造ったもの  総ては私が望んで造ったこと  総ては自分自身の生み出したもの。  あなたがこのゲーム始めた目的なんですか?  あなたがこのゲーム造った目的なんですか?  あなたに答えが出せないならば、  隣の誰かに聞いてごらん。  撃ち合い、殺し合いのゲームをしてる人に訊いてごらん。  撃ち合い、殺し合いのゲームを造ってる人に訊いてごらん。  何故あなたはそんなゲームするのですか?  何故あなたはそんなゲーム造るのですか?    いつでも終わらせるられるのに  あなたは今もこのゲームを続けてる。  いったいそれはなんの為?  いったいそうしろと誰に教わった?  いったいそれはなんの為?  あなたはどういう風にこのゲーム  終わらせたいですか?  あなたはどんな結末欲しいですか?  きっとその結末得られるまで  あなたはこのゲーム続けてる。  きっとその結末得られるまで  あなたはこのゲーム繰り返す。  あなたの欲しい結末手にして下さい。  きっとそうしたら終わらせることできるから。  ゲームは自分がやらなければ進まない。  ゲームは何もしなくても進んでく。  望む結果には、  自分で進まない限り行き着きゃしない。  望まない結果には、  何もしなくても展開、進展し続ける。  いったいあなたはどうしていきますか?  いったいあなたはどんな未来をお望みですか?