稲妻…切り裂く空、閃光…切り取る時間、冬立つ思いは厳しい - FARION MES( 6):ハロー・メッセージ ★ 今日のハロー・メッセージから 95/12/09 - 00341/00344 GGA02514 KAZE RE:ルシファーのこと ( 6) 95/12/08 22:44 00339へのコメント しまうまさん、どうも。 悪魔には、ルシファーのほか、 人間に唯物論的な衝動を受けつけようとするアーリマンなどがいて、 虎視眈々と人間を狙っているというわけですが、 それも高次の目から見れば、人間を磨く砥石といった感じでしょうか。 ちなみに、最近、シュタイナーの講義集「悪の秘儀」(イザラ書房)が 訳されましたので、それを紹介したアーティクルが MES13の#3970,#3971にありますので、興味があれば参照してみてください。 ということで、これからもいろいろ対話させていただきながら、 いっしょに自由への道を歩んでいきたいものですね。 では(^^)。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 00344/00344 QZG02773 ウルヴィー RE:仄明かり ( 6) 95/12/09 08:32 00340へのコメント ども。 今回は百合と薔薇についてちょっと。西洋文化圏では、 百合 無垢、貞節、清浄、純潔をあらわすことが多い。    聖母マリアをはじめ処女母、そしてキリストや多くの聖人の持ち物である。    また男根をあらわすこともある。    ヨセフはその杖から百合が咲いたことでマリアの夫に選ばれることになる。    フロイトでは男性のシンボルだ。     薔薇 母性原理や肉体的愛、人間の霊性、また、精神的愛・美徳などをあらわす。         薔薇十字の象徴に見られるように女性器をも意味する。    初期キリスト教社会では娼婦の恥辱のしるしであった。    また、東洋を象徴する菊に対して西洋を象徴することもある。    フロイトでも陰門の形をした薔薇は女性生殖器をあらわす。    ただし白い薔薇は純粋、処女性をあらわすこともある。    また、完全性の象徴ともなる。特に金色の薔薇は完遂を表す。                 (大修館書店 イメージシンボル事典 参照)   ということらしいです。                             わたしの個人的なイメージは百合から薔薇へというのは、何も知らない処女から   愛を知った女性への変貌というイメージに重なります。少女から母へ、タロット   でいえば女教皇から女王への変化、というところでしょうか。   百合には百合の美しさ、素晴らしさがあるのだろうけど、そこにはやはり悲しみ   もあるのでしょう。同じように薔薇にも薔薇のつらさ、悲しみがあるのだろうけ   れども。                    宛名職人買ってきて年賀状作成モードに              突入したウルヴィー - FARION MES( 7):自分を観る  ★ ARIONを鏡にして 95/12/09 - 06664/06665 BYL00120 たいきゅう のっけからゴミですみません ( 7) 95/12/09 03:00 06658へのコメント #06658 SUKEさん  レスというよりは、ごみです。(本人が言うから間違いなしです)  コンテキスト完全すっとばしでお邪魔します。  どうしても書きたくなったもので。 ≫ まず日常生活を活性化するってことになるのかな?(^^;)  さすがSUKEさん、いいことおっしゃいますね〜。  「日常生活を活性化」...これがなきゃあね、やっぱし。  「自分を観る」をいくらやっても、生活にフィードバックできないんじゃ  実効性も半減してしまうような気がしてたんです。  (あれ、日常があんまり充実してない気分だったのって、ひょっとして   僕だけなのかな?もしそうだったらごめんなさい)  もちろん、みんな自分の内面を深める目的で集まっているわけだから、  色々な立場の人をそこの部分で認めてあげるべきであって、  「精神世界に逃避している」(あくまで批判の仕方の一例ですよ)  とか頭ごなしにいうべきではないとは思いますけど。  (SUKEさんに申し上げているわけではなく、上の補足です)  FARIONに入って2カ月弱になりますが、書き込みできるような意味での  「自分を観る」は残念ながら全然進歩していません。それでもある時、  「自分にとって(いろんな意味で)ここは実社会と同じだなあ」  と思えて来て、それ以来ここFARIONと日常を「見比べる」ようになりました。  (うまく言えん..「どっちも直視する」と言ったらいいのだろうか?)  そうすると不思議なもので、軟弱ななりに、日常生活に対して逃げずに  立ち向かおうという傾向が出てきました。(パチパチ..)  もうひとつ。何かに気付くと確かに嬉しいのですが、特にそれが日常的なこと  である場合、その気付きを実行するには時間がかかりますよね。  (「頭では分かってるけど、なかなか行動できない」という意味ではなくて、   「気付きは瞬間だが、実行はその後の地道な継続的行為」という意味です)  その間にしゃべってしまってそっちにエネルギーを使い切ってしまうってこと、  よくありません?(こういう事が多いのも、ひょっとして僕だけ?)  分かりやすい(?)例を挙げると、一流の芸術家やスポーツ選手が落ち目に  なっていくとき、かならず直前の絶頂期で饒舌になっている気がするんです。  (「一流」と言われる人でさえそうなのであるからして、やっぱり、どんな人に   とっても、周囲から注目され有頂天になっている時というのは、どん底の時と   比較にならないぐらいの人生最大の試練なのかもしれない。   「峠のてっぺん」というのはたいていの場合、死ぬほどの努力をしないと   人生にもたらされることすらない。その意味でも、二重の試練の気がする。   本当に成長するチャンスを与えられているということでもあるのだろうけど)  というわけで、「日々挑戦と苦難」(註:まともな人には大したことないのかも  しれないが、僕のような軟弱者にとっては..)の日常に戻ります。もちろん、  日常にフィードバックできるような話し合いはどんどんしていけたら、と  思っておりますので、今後ともよろしくお願いいたします。> ALL          頑張ってテメェの面倒はテメェでみることにした、                           たいきゅうでした。 06665/06665 CXE02430 プレアデス 平和のための瞑想(2) ( 7) 95/12/09 12:21 副議長 Suke さんへ ここの場には適切な情報だと思ってアップしたのですが、そうでも なかったみたいですね。でも、世界中の人と直接繋がりあえると信じて 大晦日に瞑想するなんて、ちょっと素敵ではありませんか? これは、 私自身の、ここをROMしている人に対する提案でもあるのです。 しかし、副議長さんと運営上のことで議論するようなことはいた しません。別に悪気のなかったこととして水に流してください。 尚、このことを提案している主体がどこにあるかということですが、 一応アメリカに皆の質問に答える連絡先があります。詳しい事は、インタ ーネットで情報を流しています。 http://home.navisoft.com/unispirit/index.htm/Page1.html - FARION MES(12):精神世界裏表 ★ ニューエイジビジネス を斬る 95/12/09 - 00710/00710 JBH00712 桂 桂 純粋さの影に有るもの (12) 95/12/08 21:43  10月13日、朝日新聞にオウム信者・井上容疑者の陳述書が掲載された。  全文を読まれた方も多いかと思う。  私が際立って印象を受けた箇所というのは、、、、、特に抜粋はしない。  もし敢えて言うのなら、それは純粋さゆえの功罪というものである。  何かを志し、熱意を燃やす。  オウムに入信する理由も、幾つか有る宗教団体、ニューエイジ系の団体に入 るのも、大した区別はないだろう。  「自分を変えたい」  「誰かの役に立ちたい」  「真実を知りたい」  だがその目的に添って作られた団体にはその初志はすでに跡形もない。  そしてその団体に残った人達に残されたものは、一体なんであったろうか。  いつまでも有る筈の無い夢を追い求めていたいのだろうか。  あるいは、それは本当は「理想」を追い求める姿勢ではなかったのかもしれ ない。本当は「理想の自分」もしくは自分の希望する、心地好い世界を夢想し て選んだ道なのかもしれない。もしそうだとするなら、それは自らの純粋さに 隠れた欲望が選んだ道筋なのかもしれない・・・・  かつてのいわゆる「思想」というのもそうだった。  世界を変革しユートピアを実現するために産み出された理論は、結果多くの 屍をさらけ出す事になった。「その屍の上に現代社会が成り立っている」そう 言えば聞こえはいいが、本当の所は理想家の机上の空論に多くの若者が人生を 捧げそして消えて行ったという方がより現実的な言葉だろう。  だからといってその思想家を責める訳にはいかない。  何故なら、その消えて行ったまるで時代の徒花のような人間の心にこそ、純 粋さの裏側に有る泥に塗れたような欲が見え隠れしているのだから。  自らの欲に気付ける人は幸いだ。  その人は自分の行いを奇麗な言葉で包みこまずに、自らの欲求を叶えられるの だろうから。  そうした人達は少なくとも悪い事は悪いと、正確に指摘できるだけの力を持 つ事が出来るのかもしれない。 桂 桂(JBH00712) - FARION MES(13):神秘学遊戯団 ★ 限りなき神秘への航海 95/12/09 - 04027/04030 GGA02514 KAZE "topos"(トポス)という名でインターネ ッ (13) 95/12/08 21:44 Paper Birchさん、こむさん、FLYING Vさん、どうも。 インターネットですが、今日、ようやく申込みまして、 あと数日で無事に利用可能になると思います。 しかし、残念ながら、ユーザー名に"kaze"というのが既に登録されていて、 使えなかったし^^;、考えつく名前がけっこう既に登録されてるのが多くて、 何日もいろいろ考えて、やっと名前を決めることができました。 で、決めた名前が、"topos"(トポス)という「場」を意味する言葉。 このトポスというのは、中村雄二郎さんの著書にも 「場所/トポス」(弘文堂)というのがあるのですが、 これは、西田幾多郎とも非常に深い関係にある言葉でもあって、 この著書のなかでも、西田幾多郎が非常に重要な位置をしめています。 手前味噌にはなりますが、一応、「トポス」について、この著書から。   ギリシア語のトポス(topos)・・・は、それ自体がギリシア時代以来の西欧の   伝統的な修辞学の中心概念をなしている。すなわち、ギリシア語では言語に   ついてトポスとは、とりわけ、人間の知的・言語的な遺産としての、或る主   題についてのさまざまな考え方・言い表わし方の集積所(貯蔵庫)を意味し   ている。たとえば、愛のトポス、正義のトポス、自然美のトポスなどという   ものがあって、それによって古人はものの考え方や言い表わし方を学び、豊   かにしたのであった。(P7-8)      アリストテレスはその『トピカ』において述べている。《隠された場所がわ   かれば、隠されたものはたやすく見出される。それと同じように、十分な議   論をしようとすれば、われわれはその問題についての論点の所在(トポス)   を知らなければならない。》 こういうアリストテレスに発する「場所/トポス」の考え方を 哲学、修辞学、物理学、生物学、精神医学、言語論、身体論、演劇論、都市論など をつらぬくものとして考察したのがその中村雄二郎さんの著書なわけで、 そういう「トポス」としての自分でありたいなあという願いをこめたわけです(^^)。 そういえば、15年ほどまえ大学の卒論を書いたとき、 最後に中村雄二郎さんが紹介していた「世界劇場」の考え方を、 ぼくなりの文学的コミュニケーション論の最フィナーレにとりあげてみたことを 思い出してしまいます。 そして、その当時、自分なりにいろいろ考えていたことが 姿をかえていまも自分のなかでテーマになっているんだなあと感慨があります。 4年半まえにこうしてNIFTYでパソ通をはじめたとき、 すぐに、いまの「KAZE」というハンドルネームにしてそのままきているのですが、 今度は、あらたに「topos」という名前ももつことになるわけで、 また新しいドラマがはじまるのかもしれないなあと、 少しわくわくしているのでした(^^)。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ - FARION MES(19):世も末ばなし ★ ぶっ飛び話・罰当たり話 95/12/09 - 743/743 QZY01267 猫の手 認めたくない (19) 95/12/09 08:27  そんなこと言ったって  そんなこと言ったって  寂しいよー  苦しいよー  辛いよー  そんなこと言ったって  そんなこと言ったって  そんなこと信じられないよー  そんなこと信じることできないよー。  何でこんな人生選んだの?  そんなこと言ったって  私は知らない、分からない。  何でこんな世界を造ったの?  そんなこと訊かれても  私は知らないよー、  分からないよー  そんなの私の責任と思えない。  私はただただ、  安心できる世界が欲しいだけ。  私はただただ  自分自身で居られる世界が欲しいだけ。  私が望んでることと違うこと起こってるこの世界。  こんなの私は望んでなかった。  こんなの私の欲しかったものと違う。  絶対違う。  何でこんな世界を造ったの?  何でこんな世界になっちゃった?  こんなひどい世界を造ったのが私なんて嘘だ!  絶対嘘だ!  絶対嘘に決まってる!  そんな責任私はとれない。  そんな責任私は背負えないよ。  認めたくなければ  認めなくていいんだよ。  嘘だと思うなら  嘘だと思ってていいんだよ。  あなたはあなたを生きてればいいんだよ。  あなたはあなたで有ればいいんだよ。  他の何者にもなる必要はない。  他のどういったものになる必要もない。  ただあなたはあなたでいればいい。  ただそれだけでいいんだよ。  他に必要なものなんかないんだよ。  安心が欲しければ安心すればいい。  喜び欲しければ喜んでればいい。  そんなこと言ったって、  そんなこと言ったって、  こんな無力な私に  なにもできない私になにできる?  そんなこと言ったって  そんなこと言ったって  安心できる世界がどこにある?  だらしない私を受けとめてくれる誰がいる?  怖いよー!  怖いよー!  とっても怖いよー  次の一歩が進めない。  次の一歩が恐ろしい。  それは近づけば近づくほど恐ろしい。  それは目の前にくるほど恐ろしい。  本当にそれはくるの?  全く違ったなにかが現れたらどうしよう。  ただ安心していたい。  ただただ安心できる世界が欲しい。  こんな世界を私が造ったなんて  こんな世界を私が選んだなんて。  そんなこと言ったって私は信じない。  もし本当はそうだとしたって、  認めない。  絶対絶対認めない。  それでもいいんだよ。  そうしていてもいいんだよ。  なにもいけないことなんかないんだよ。  今のままいたければ今のままいればいい。  別の自分になりたけりゃ別の自分になればいい。  責任とりたけりゃ責任はたしゃいい。  責任が重いなら逃げてもいいよ。  なにを選ぼうとあなたの自由。  なにをしようとあなたの自由。  したいことし尽くせば、  やりたいことし尽くせば  しぜんと帰り道にたどり着く、  自然に我が家に帰り着く。  あなたはあなたのままでいい。  私は私のままでいい。  ただそのままでいいんだよ。  自分自身のままでいいんだよ。