8の中の5と3は拮抗し、5の中の3と2は協力態勢にある…見よ - FARION MES( 2):Wellcome All ◆ 四次元喫茶 カルフール 95/12/12 - 01031/01031 GGA02514 KAZE バッハ「クリスマスオラトリオ」など ( 3) 95/12/12 16:58 01030へのコメント ぷんすかさん、はじめまして。 文字化けで少し読みにくいのですが^^;、 たぶん、卒論でバッハの「フランス組曲」に取りかかっているということでしょうか。 ぼくは、聴くばっかりで、音楽関係者ではまったくないのですが^^;、 バッハの「フランス組曲」は、大好きです。 最初に、グレングールドのそれを「イギリス組曲」などといっしょく聴きまして、 ちょっと最近では、キースジャレットのものを聴いたりしました。 ぼくは、なんといっても、バッハが大好きで、 最近は、マタイ受難曲、ヨハネ受難曲などに入れ込んだりしてます。 そうそう、友人の声楽家が今度の日曜日に、 同じくバッハのクリスマスオラトリオのソプラノ役で出演することになっていまして 楽しみにしてるのですが、こないだの日曜日に、 そのことなどでその友人と久しぶりに食事などをしながら 「やっぱり、バッハはいい」ということを話していました(^^)。 ということで(どういうことじゃ^^;)、 ぷんすかさん、今後とも、音楽の話などいろいろ聞かせていただければ幸いです。 今後とも、よろしくお願いします。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ - FARION MES( 6):ハロー・メッセージ ★ 今日のハロー・メッセージから 95/12/12 - 00353/00363 KFQ02761 しまうま RE:カチンと来たHM ( 6) 95/12/11 21:11 00348へのコメント #00348 たいきゅうさん  ようこそ6番会議室へ。心より歓迎いたします(^^)。  ずっぽり肩までハマっていってくださいませm(__)m。  さてさて、僕自身、そんなに人のことをあれこれ言えるほどゴリッパな人間 ではこれっぽっちもないのですが、ちょっと感じたことをお話しさせていただ きますね。 1.え、そんな『いい気』になってなんかないよ。今の自分の卑小さぐらい、   分かってるつもりだ。」 2.成長したい、進歩したいと思うのも、いけないわけ?  の2つに関しては、たいきゅうさんがご自分で分析なさっているのと同じよ うな感触を僕も感じました。一言でいえば「自分に自信がない」という感覚で しょうか?  ただ、「今の自分がしょうもない」という気持ちと「将来の大きな自分を期 待している」という気持ちは、特にずれていないんじゃないかなあ、と思いま した。「今の自分がしょうもない」からこそ、奮起して「将来大きな自分にな ってやろう」ということであれば、むしろとってもいいことなんじゃないかな と思います。  *長さんがおっしゃった言葉自体は、特に気にする必要はないと思いますが、 もしその言葉が自分の気持ちに引っかかるのであれば、よく見てみたほうがい いかもしれませんね。  *長さんが見抜いているのかどうかは別問題、と割り切った上で、なおかつ 自分の本質をつかれたように感じるのであれば、それはもしかするとたいきゅ うさん自身がたいきゅうさんに対して下している判断かもしれません(そうで はないかもしれません)。  たぶん大切なのは、人からの評価よりも自分が自分に下す評価だと思います。  FARIONで疎外感を感じていらっしゃったとのこと。なるほどなー、と思いま した。僕もそんな時期があったように思います。なんだかアクティブの人たち に嫌われているような気がしちゃったりとか。  今は、そういう疎外感はありません。たぶん、集団に対してコミットしてい く必然性(動機づけ、と言ってもいいですが)を自分の中にもっていたこと、 そしてそれに対していくらかでも反応し続けていたことが、疎外感を感じなく なった要因ではないかと思います(すごく抽象的ですみません。ちょっとまだ はっきり整理できていないので。わかりにくかったら突っ込んでくださいね)。  ではでは、これからもどうぞよろしくお願いします(^^)。   しまうま(KFQ02761) 00355/00363 KFQ02761 しまうま RE^2:カチンと来たHM ( 6) 95/12/11 22:10 00349へのコメント コメント数:1 #00349 KAZEさん  こんにちは(^^)。ちょっとだけ割りコメさせてくださいね。 :≫ 自らの輪郭を夕刻の影の様に長く大きいと勘違いしていないか? (中略) :≫ 自らの輪郭をアリンコの影の様に短く小さいと勘違いしていないか? : :っていうことで、 :自分のことをふりかえってみると、 :その両極端をあっちこっちと走り回って、 :偉そうになったり、落ち込んだりしてるんだなあと、そう感じました。  KAZEさんのこの文を読んで、以前のHMを思い出しました。 :95/05/11 己に掛けた手綱の絞め具合一つで、傲慢にも卑屈にも変化する心鏡  あっ、これ今引用して初めて気がついたのですが、「心境」ではなくて「心 鏡」なのですね。  傲慢になったり卑屈になったりするのは、「心の鏡に自分のどの部分を映す か」によっても変わってくるのかもしれないなあ、などと思いました。   しまうま(KFQ02761) 00356/00363 GGA02514 KAZE 鏡 ( 6) 95/12/12 01:04 00355へのコメント コメント数:1 しまうまさん、どうも(^^)。 》:95/05/11 己に掛けた手綱の絞め具合一つで、傲慢にも卑屈にも変化する心鏡 》 》 あっ、これ今引用して初めて気がついたのですが、「心境」ではなくて「心 》鏡」なのですね。 》 傲慢になったり卑屈になったりするのは、「心の鏡に自分のどの部分を映す 》か」によっても変わってくるのかもしれないなあ、などと思いました。 ちょっと、そこらへんのことについて考えてみたいと思いますので、 少しだけおつきあいください(^^)。 鏡というのは、逆対応ではありますが、外界を映し出すものですよね。 よく磨いた鏡であれば、それは等身大の姿を映し出してくれますが、 磨かずに放っておくと、だんだんに曇ってきて、映りが悪くなり、 そのうちに表面が錆びてきて何も映すことができなくなります。 また、鏡の面が平らであればいいのですが、凹面、凸面になると、 姿はへしゃげて見えたり、のっぽさんに見えたりしますし、 表面ががたがたになっていると、もうぐしゃぐしゃに見えます。 人はおそらく自分のうちにあるそうした鏡に 外界を映し出してその外界がどういうものかを認識するように思います。 ですから、その鏡が歪んでいると、外界は必然的に歪んできます。 もちろん、その鏡には、自分の姿も映っています。 さて、自分を見るということはどういうことでしょうか。 これは、哲学などでよく「即自」とか「対自」だとかいうことがいわれますが、 「自分そのもの」と「自分を見る目」というのは違うんですよね。 では、自分を見ているのは自分そのものではないとしたら、 では、いったい自分を見る自分というのはどういうことなのでしょうか。 そこらへんのことが、「鏡」ということに関係してきそうです。 「鏡」を見る私がいます。 「鏡」に映る私がいます。 「鏡」に映る世界があります。 私は鏡に映った私しか見えません。 でも、そこに見えているのは私そのものではなく 鏡に映った逆対応の私です。 鏡に映っている世界も世界そのものではありません。 鏡に映っているのは、逆対応の世界です。 ちょっとややこしくなってきましたが^^;、 ここで少し示唆しておきたいのは、自由ということです。 自由とは自らの由であるといいますが、 つまりは、鏡に映った私ではなく、 私そのものの根源ということを直観するというか そういうことが自由の一側面ではないかと思うのです。 しかし、人は、まずは歪んだ鏡によって 自分も世界も歪んだものを見てしまっていますし、 鏡が平らであっても、ちゃんと磨かれてないと映りづらいですし、 また、鏡が平らであってしかもちゃんと磨かれてあっても、 そこに映っている自分も世界もそれそのものではないということになります。 さて、そこで自由がでてくるのだと思うわけです。 ・・・とまあ、こんな感じでしょうか。 では、また(^^)。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 00363/00363 KFQ02761 しまうま RE:鏡 ( 6) 95/12/12 19:55 00356へのコメント #00356 KAZEさん  こんにちは(^^)。 :自由とは自らの由であるといいますが、 :つまりは、鏡に映った私ではなく、 :私そのものの根源ということを直観するというか :そういうことが自由の一側面ではないかと思うのです。  ううううむ……。なるほど!と思ってしまいました。  まだあまり明確なイメージにはならないのですが、なんとなく「脚下照顧」 という言葉を思い出しました。  あるいは、自分を内側から見る、という感じでしょうか。  以前使った言葉をリサイクル(^^;すれば「自分自身を呼吸する」というよう な感じかもしれない、とも思います。  あ、もうちょっと単純化して言えば「自分の中のものを“そこにある”と見 るのではなく、自分自身が自分の中にある“もの”そのものである、と感じる」 ことでしょうか。そして、その感情だかトラウマだかの“もの”を、客観的に 分析するだけでなくいったんその“もの”の主観で感じてみる。そして処理す る、みたいな(ちっとも単純ではないですね(^^;)。  うまく言葉にまとめられないのがもどかしいですが、なんとなくわかるよう な気がします(まとまらないということは、実はよく分かってないのかもしれ ませんね)。  自分の「心の鏡」というのは、ほんと、いつもきれいに磨いてまっすぐに外 界を映せるようでありたいと思います。  「相手のあーゆーところがおかしい」と思って腹を立てたりするとき、それ が自分の鏡の歪みでないかどうか、という点はきちんとチェックしなければな らないのでしょうね。ちょっとその点、最近の自分はおろそかにしていたかな あ、と思います。  考えさせられるお話、どうもありがとうございました(^^)。   しまうま(KFQ02761) 00357/00363 BYL00120 たいきゅう RE^2:カチンと来たHM ( 6) 95/12/12 01:52 00349へのコメント コメント数:1 #0349 KAZEさん  こんにちは〜。お久しぶりです。コメントありがとうございます。 ≫≫ 自らの輪郭をアリンコの影の様に短く小さいと勘違いしていないか?  なるほど〜、名文句ですね。(感心)  私は「何故嫌な気分になったのか」が分かったので、勝手に納得して  そこで一応止めていたのですが、「じゃあ、どうすれば良いのか」に  ついては、何も触れていませんでしたね。もちろん、  「この大雑把な物を抱えながら、後は日常(& FARION)でぶつかって行こう!」  という気分だったわけで、無責任に「良かった良かった」と  放り出したつもりでは無かったのですが、せっかくこのようにレスも  頂いたことですし、もう少し考えてみることにしますね。  確かに、あのHMでカチンと来る人に共通するのは、  「優越意識と劣等意識が両方とも強い」という傾向でしょうね。  (実際、どっちかが強い人なんて本人の思い込みは別として居ないでしょうね)  しかしながら、ARIONのメッセージは、一応その「優越感」を戒める方向で  出て来ているわけで、私としてはそっちだけにキャストしてみようかなあ、  と思っているわけなのですが、取りあえずとしては。  (深読みすれば、「君達の抱える優越感を直視して行けば、君達が捕らわれ、   苦しんでいる劣等感からも解放されるはずだ」とARIONに言われている   気も、しなくは無いのですよ...)  すぐにはまとまりそうもないので、あのHMを「自分の課題」として、  もう少し長い期間をかけて考えていこうと思います。 ≫ そうそう、小暴君の話はぼくもけっこう考えさせられる話で、(後略)  実は、同居人に対して私自身が「小暴君」である気がするんです。(苦笑)  彼女の精神的な進歩に貢献しているどころか、迷惑かけっぱなしの  馬鹿野郎なんですが...(自分の最も恥ずべき部分)  う〜ん、今この問題を俎上に載せるのは私が精神的に成熟していないので  ちょっと..(自分で自分を窮地に追い込んだ気分です)チョットマッテ、オネガイ...  (KAZEさんに嘆願してど〜する >自分 トホホ...)ペンディングにして〜。  というわけで、今日はこの辺で。(ゴマカシテマセンヨ、チャントカンガエマス、アセアセ...)  とうとう、今週の土曜日ですよ、ソリトンに矢野顕子が出演するのは。  楽しみっすね〜。(前にも大塚寧々の時に出ましたっけね)  kmpから出てる「Piano Nightly」のコピー譜も買いました。  最近のコピー譜としては、とても良質で、採譜者の思い入れみたいな  ものを感じましたよ。(私が弾けるかという問題とは別ですが)  今後とも、よろしゅうに。                         たいきゅうでした 00359/00363 GGA02514 KAZE 小暴君さん、こんにちは(^^) ( 6) 95/12/12 16:58 00357へのコメント たいきゅうさん、どうも。 >実は、同居人に対して私自身が「小暴君」である気がするんです。(苦笑) そういう関係ってありますよね。 親が「小暴君」だったり、反対に子供がそうだったりする。 ですから、そういう、自分を鍛えて下さる方が必ずいるわけで、 ほんとうにありがたいことです^^;、 しかし、ぼくは誰に対して「小暴君」なのかな? ま、なにもわざわざそうならなくてもいいけど、 そういう関係にある方もいるのかもしれないですね。 でも、ぼくはまずは仕事上の無責任など以外では怒らないし、 けっこう、日々是好日って感じでいるから、そう激しくはないと思います。 でもって、ペンディングとはいいながら、少し^^;、 (いやなヤツだと思わないで、思い立ったが吉日なので・・・(^。^;)) >彼女の精神的な進歩に貢献しているどころか、迷惑かけっぱなしの >馬鹿野郎なんですが...(自分の最も恥ずべき部分) その「恥ずべき部分」っての、自覚されてるんですね。 その自覚ってとっても大事なことだと思うんです。 ほとんどの人は、自分で気づいてさえいればなんとかなるもの。 もちろん、ぼく自身についていっても、 気づいてないところがいちばんあぶなかったりする(^。^;)。 だから、小暴君であれなんであれ、気づかせてくれる方というのは とっても大事なのだと思うのです。 自分が小暴君かもしれないと思ったときにも、 それこそ大いなる気づきに一歩近づいたのではないでしょうか。 >今週の土曜日ですよ、ソリトンに矢野顕子が出演するのは。 貴重な情報、ありがとうございます(^^)。 ほんと、楽しみですね。 では(^^)。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 00354/00363 KFQ02761 しまうま 冬立つ思い ( 6) 95/12/11 21:11 :稲妻…切り裂く空、閃光…切り取る時間、冬立つ思いは厳しい  いやー、なんかしらんけど、いいなあ。  僕は夏より冬のほうが好きだ。ピーンと張りつめる空気と、それに呼応する 気持ち。  夏はどっちかというと動きたくなくなってしまう。だって、汗が出るばっか だもんね。  冬の稲妻……って、なんかそんな歌あったっけ?  このHMで描写されている情景を人の心象風景だと考えてみたらどうだろう。 :稲妻…切り裂く空、閃光…切り取る時間  なんとなく、「寄らば斬る」という緊迫感。  空は時折光っているが、決して“明るい”わけではない。それはむしろ嵐の 前触れの光だ。  閃光の瞬間の風景だけが目に焼き付けられる。瞬間的なボルテージの高まり。  冬立つ思い。その前途は平らじゃないんだろう。  それでもきっと、その先に何かがあると思うから、立とうと思うんだ。   しまうま(KFQ02761) 00358/00363 PXY03747 諏訪みのる RE:RE^4:腹を括る ( 6) 95/12/12 12:01 00350へのコメント コメント数:1  しまうまさん、アマデウスさん、こんにちは。 ここ数日、横着して各会議室の巡覧をサボってしまっていましたので、 先程から必死で読んでいたのですが、 「みのる♪」が お話しの中に出て来ていたのでビックリしてしまいました。 あやうく見落としてしまうところでした。(^^;)ゞ 先程これをアップする前に、15番会議室の発言を取り込んでいたのですが、 しまうまさんも とうとうお越しになられましたね。(^^) 「サンクチュアリ」も一気に読んでしまわれたとか…。ウレシ ウレシ あちらでも、よろしくお願いいたします。(^^)/  >しまうまさん アマデウスさんは“マック転び^^;" でいらっしゃるそうで…。 私も、この歳になって、やっと「パソコンいじり」を始めることになりました^^;。 今ひたすら関連本を夜更かししながら読んで勉強中です。 お聞きするに、「サンクチュアリ」も、後一回で終了の予定でいらっしゃるとか。 なんだか少し寂しい気もしますが、 結構言いたい放題言わせていただいて、 おかげで良い“ストレス解消”をさせていただいておりました。(^^) 楽しませていただいていたのは私の方ですので、 私こそ、アマデウスさんには感謝させていただいてます。 また遊ばせてくださいマセ。(^^)/  >アマデウスさん でわ、では(^^)/                みのる♪デシタ。 - FARION MES( 7):自分を観る  ★ ARIONを鏡にして 95/12/12 - 06684/06695 MHD02502 ARION RE:無限ループに陥るよりは… ( 7) 95/12/11 18:50 06644へのコメント コメント数:1  ARIONより #06644 MAKOTOへ  あなたの自分の中にある不満についての考察、よく書けていると思う。  だが、その不満の根拠を自身の生まれ育ちに求めるのは如何なものか。  人は誰しも「自分の生まれ育ち」に某かの疑問や不満を持つものだろう。  「自分の親(或は親権者)」は自分自身では無いのだから、  自分の思い通りにならないのが当たり前だからね。  あなたの不満は「伝わらないもどかしさと、理解できない歯がゆさから」  来ていると書かれてあったが、私はそうでは無いと思う。  MAKOTO自身が書いている様に、あなたの不満は  「欲しいのはただ、抱き締めてくれる手。それでいいのよと言ってくれる声。」    が、あなたの望み通りの形で得られていないことだね?  そしてそれをMAKOTOが得ていない証明が「誰かに賛同を得ることが出来ない=  人に否定されている。拒絶されている」ことだと思っているのじゃないか?  あなたの中にある;  「MAKOTOの言うことに賛同してくれる=受け入れてくれる=抱きしめてくれる」  「MAKOTOの言うことに賛同しない=受け入れてくれない=突き放す」  …という構図を何とかしなければならない。  まず、あなたが非常に嫌う二つの要素;(以下に説明)  「否定される」「否定する」  「決めつける」「決めつけられる」  この二つについて吟味してゆきたい。  これについて思う所をコメントして貰いたい。  心身共に納得していないのに「分かりました」という必要は無いから、  納得の出来る所まで頑張って欲しい。                       −−−ARION,O∴O−−− 06689/06695 HGE02116 MAKOTO う〜ん… ( 7) 95/12/11 23:06 06684へのコメント #6684>ARIONへ  もし親元で育っていたなら、こんな風には育たなかっただろうという、歯がゆさと いうか、諦めというか、後悔のようなものが、今でも強く私をとらえている。そして それは、私の拠り所ともなっている。自分の今を説明し、私自身を取り敢えずでも納 得させるための理由として。…が、言い訳は言い訳に過ぎない。ごくまっとうに親元 で育っていた所で、今度は別の理由を見つけて、今と同じように不平不満を並べ立て ていたと思うよ。 > 「欲しいのはただ、抱き締めてくれる手。それでいいのよと言ってくれる声。」 >  が、あなたの望み通りの形で得られていないことだね?  根っこにあるものはそう。望み通りにならないもどかしさがある。否定されてると も思ってる。…ただ、どうにもすっきりしないんだよな。取り敢えずの賛同を得ても、 大抵の場合一時しのぎにすぎなくて、満足しきってしまう事はない。わかって欲しい という願望と、望みが叶う筈はないのだという思い込みが衝突してる。もし、願いが 叶っても、私はそれに気がつくことさえできないのかも知れない。 > 「MAKOTOの言うことに賛同してくれる=受け入れてくれる=抱きしめてくれる」 > 「MAKOTOの言うことに賛同しない=受け入れてくれない=突き放す」  この構図には苦笑い。ここまで短絡してないと思いたいものだが、まさにこの通り (^^;)  そしてこれは、なんとなく分かってはいるものの、今だ、心から納得してな い構図でもある。  二つの要素については、もう少しじっくり考えてからRESします。まだ、あさっ ての事が、真っ先に頭の中に浮かんでる状態だから(^^;)                            MAKOTO でした☆ 06693/06695 QWB02723 まゆみ RE:ふむ…(^^;) ( 7) 95/12/12 00:45 06660へのコメント  #06660 MAKOTO さん どもども〜  #6644 と #6660 からするとMAKOTOさんの不満は (例えばご家族に)本当の気 持ちが「伝わらないもどかしさ」ではなくて「伝えられないもどかしさ」と、自 分の本当の気持ちを判ってくれなかったことかな?と感じたけど、そんなんであっ てるますか?  (と言っても、ご家族の話とMAKOTOさんのうまく伝わらないことへの不満の話 がよく繋がらなくてそんな風に考えついたのである(^^;) まゆみ 06687/06695 KFQ02761 しまうま 己が存在する由である「自由」 ( 7) 95/12/11 21:12 06636へのコメント #06636 ARIONさん  こんにちは(^^)。  唐突ですが、自分なりに今年1年を簡単に総括させていただきます。  今年僕が学んだ中で、いちばん大きなことは「自分の存在基盤を他人に置か ないこと」でした。  「○○さんがこう言ったからこうしたのだ」「××さんのために自分を抑え てでもそうしてあげる」というのは、結局自分の存在基盤の一部を他人の上に 構築することになるんだ、ということが、実感としてわかったように思います。  内的な存在基盤の構築ができた人同士の連帯だけが、1×1=1以上の成果 を出せるのであって、1を確立できていない人同士の連帯は、0.9×0.9=0.81 という具合に、お互いを生かし合うことなく終わってしまうんだと思いました。  僕自身、1を確立できているかと問われれば、それはまだまだだと思います。 しかし、向かっている方向性は、今のままで大きな間違いはないだろうと感じ ています。  仕事に関して言えば、それこそ全然まだまだまだまだ……という感じです。  まずは自分の納品する仕事のクオリティを上げること。すると、それにとも なって入ってくる仕事のクオリティも上がってくるだろうと考えています。  来年は、分野的にももっと自分の本意に近い仕事を増やしていきたいです。  そして、“忙しさ”に対する耐性を少しずつつけていきたいと思います。  「参戦」という意味では、色々な面で積極的に参戦できたと感じます。  ただ、その結果については100%の満足感はありません。振り返れば、至らな いところが数多く見えてきます。来年は、悔いる瞬間が極力少なくなるような 年にしたいと思います。また、その“悔い”に押しつぶされずに前進し続ける しぶとさも身につけたいです。  来年は「括りの真っ最中」になるとのこと。「括りの始め」の今年でさえこ れだけのことがあったのですから、来年のことを考えるとまったく想像を超え てしまいます。  あらゆるシチュエーションで冷静に、的確な判断が下せるよう、精神的にも 肉体的にも逞しい人間になりたいです。そして、そうなるための努力を惜しみ ません。  タイトルとあまり深い関わりのない内容になってしまいました。しかし、僕 の中にあるすべての思いの底を流れているのは、あらゆる人間が等しくもつ 「自由」という血脈だと思います。  ちょっと気が早いかもしれませんが、来年もどうぞよろしくお願いします。  今年の残りの日々も、がんばって生きたいと思います。   しまうま(KFQ02761) 06688/06695 KFQ02761 しまうま RE:現実に目をむける ( 7) 95/12/11 21:12 06670へのコメント #06670 まあさん  またまたこんにちは(^^)。 :この‘現実に目をむける’の自分の発言を読み直し、自分は分かったようなこと :言って、悲劇のヒロインにでもなったつもりでいるのか?なんて思ったりもして :どなたからもRESこないと思っていたのでびっくりしてしまいました。  僕は“悲劇のヒロイン気取り”とは全然感じませんでしたよ。たぶん本当に 自分に酔っている人はそんな風に感じないのじゃないかなあ。泥酔している人 が「なんだと〜ぉ? このオレさまが酔っぱらっているだとぉ?」などとくだ を巻くようなもので(^^;、自分で酔ってないと思ってる時こそ危険なのかもし れませんね(自戒、自戒(__;))。 :「思いこみ」これは、彼に対しての「思い込み」として、まずは自分の自分に対す :る「思いこみ」をすてて、彼のため云々じゃなく、自分の気持ちをみつめてみよう :かなと思っています。それからですね、もし彼に話をするならば。  なるほど。自分の気持ちが把握できていなければ、相手の方とお話をしても カラ回りしてしまいそうですもんね。僕も、まあさんのご判断のほうが適切だ と思いました。  みれさんとのお話から、色々とご自分の気持ちに気付かれているようで、よ かったですね(^^)。最初のうちは少し胸苦しかったりするかもしれませんが、 がんばってくださいね。  僕もかつて、会議室上でみれさんに恋愛沙汰がらみのご相談をして、いろい ろ気付かせていただいたクチです(まあさんよりも物わかりは悪かったように 思いますが(^^;)。  また何か気付いたことがあったら教えてください。ではでは。   しまうま(KFQ02761) 06691/06695 JCF02051 めのう 相手主体に物を考える ( 7) 95/12/12 00:02 06666へのコメント  #6666 ARION  お忙しいところをどうもです。  #6636へのRESが後回しになってしまって心苦しいです。 「○○される」という受け身の表現はちょっと意識して使いました。 こういう受け身の表現は被害者意識みたいであまり好きじゃないので普段は 使わないように気をつけているのですが(つまり「よろしくない」に分類し ている)、実際心の中ではそういう感じなのでそのまま使ってみました。 》 何故、「相手主体に物を考える私」的な表現を使うのだろう? 行動や思考の主体は私だけど、それを評価するのは相手だからかな。 「相手が望むから相手の為に○○したい」というより、「相手により高く評 価され、受け入れてもらう為に積極的に○○する」なんだと思います。 あと、責任転嫁というか、相手を悪者にしたいのかもしれません。 評価が低かったり、受け入れられなかったりすると「こんなに○○したのに 〜してくれない(のは相手が悪い)」というふうに考えがちです。 昨夜(というか今朝)夫の帰りを待ちながら、ふと、私は相手を心配すると いうよりも「自分が放り出されるのではないか」という不安のほうが強いの ではないかと思いました。 すると「相手主体に物を考える」はフリだけのような気がします。 受け入れられたい、報われたい、愛した分かそれ以上の見返りを受けたい。  そういう思いばかりで相手不在になっているのではないだろうか。                 混乱してきた(-_-; ◆◆ めのう ◆◆ 06692/06695 JCF02051 めのう RE^2:存在の耐えられない軽さ ( 7) 95/12/12 00:03 06681へのコメント コメント数:1  #6681 SUKEさん    このごろ余裕がなくてなかなか書けません。  思ったことを言葉にしようとするとちょっと違う感じがします。  #6563やその他色々にもRESしたいと思いながらそのままにしていました(^^;  どれも私とすごく似ているなーと思います。    多分、私は夫と出会う前の方が強かったと思います。  (単に世間知らずの向こう見ずだっただけかもしれないけど(^^;)  今でも他の人にならいくらでも強く出られるし、ハッタリを利かせることも  出来るけれど(^"^;、夫に対してはてんでダメです。最大の弱点だわ>夫    そもそも私たちには基盤となるほどの夫婦生活はなかったかもしれません。  制度上は結婚しているものの、今まで「二人で何かを生み出す」ということ  は何もして来なかったように思います。  いつでも個と個のぶつかり合いで、「二人で」という観点が不思議なくらい  すっぽり抜け落ちていましたね。    いちばん近くにいるのでとりあえず夫婦の視点がメインになっていますが、  ここで問題になっていることは人間関係全部に通じているものと思います。   》 僕自身について言えば、やはり決して裏切られることのない相手とか、必ず僕 》 を観てくれるような人を望んでいるんだと思います。でもそんな人はまずいな 》 いよね(^^;)  あー、私もそうですよ。  「掛け値無しの自分を永遠に受け入れてくれる人」とかね。  自分からそういう人になるでもしないとまず無理だろうなーと思いつつ(^"^;    「誰もが必要な存在」だと思うのだけど、自分だけそこからはみ出している  ような気がずっとしています。                私もまとまらんっ(^"^; ◆◆ めのう ◆◆ 06695/06695 SDI00635 みれ RE:RE^2:存在の耐えられない軽さ ( 7) 95/12/12 10:09 06692へのコメント  #06692 めのう さん&SUKEさん  ちょちょい割りコメ(^^;)  全然的外れのコメかも知れないけど、そん時はご容赦! | 「掛け値無しの自分を永遠に受け入れてくれる人」とかね。 | 自分からそういう人になるでもしないとまず無理だろうなーと思いつつ(^"^; | | 「誰もが必要な存在」だと思うのだけど、自分だけそこからはみ出している | ような気がずっとしています。  「掛け値無しの自分を永遠に受け入れてくれる人」←これって誰もが思ってる (望んでる?)ことじゃない(笑)  で、恥を忍んで…(つーか本人は恥だとも何とも思ってないが一応世間一般で の慣習に従ってこう書く(^^;))私の離婚再婚及び恋愛経験から言うとだ(笑)掛 値無しの自分を永遠に受け入れてくれそう(あくまでも、そう見えたってこと) な人と一緒に居たら居たで、これがまた不満の原因になるっつーことが分かった って経験があります(^O^;)  相手はなんでも受け入れてなんでも聞いてくれる人だったりして、しかも私に ぞっこん惚れ込んでいるとして、そのままでいいよ、そんな君が素敵だなんて言 われてその気になって、暫くは幸せってこれかなとか思ってる。ところがです、 人間てのは「静かで動かない」ものじゃないんですよね。  いつの間にか「このままでいいのか?」という疑問が湧いてくる。  相手に「私達、このままでいいの?」と問うても「このままが幸せじゃない」 「君の好きなようにしていいよ」と言われ、またぞろ「そんなもんか…」と思い 直す。そんなことを繰り返す内に相手が如何にも向上心の無いやつに見えてくる。  なんせ、どんな場合でも私を受け入れ認め、肯定するやつなんだから変化は無 い。私は、コロコロと変化する心を持て余しているのに、相手はいつも変らない …こんなのアリ!? 本当に私のこと見てるの?と段々、不満が溜まってくる。  要するに私の言い分を聞いてくれて認めてくれて、常に肯定してくれてという、 世間の女性が皆好きになりそうな(笑)、優しい親切げな相手との平坦な関りほ ど面白くないものは無いということです(^"^;) でもって、こういう相手と平坦 でない関りを求めても、これはまた無理な様です。天の邪鬼だなんて言わないで ね、実際に自分が求めていると言っている相手を具体視してみると、よく分かる と思うけど。  だからと言って私を受け入れることを拒否し、何を言っても否定ばかりという 相手も願い下げですよね(^O^;) こんなんじゃ会話にもならない。  一番いいのは、変わり続ける自分と変わり続ける相手とをキチンと見つめてゆ ける同士であること。必ず「僕」だけを観ててくれるような相手は、「僕」を通 り越して「僕の偶像」を見つめているに違いないと思う。継続して見つめている と、お互いの変化に気付くし、そうするといつも掛値無しに受け入れてなんか居 れないんだから…。「僕の偶像」ならば、いつまで見ていても変化は無いけどね。  ありゃ、辛口のコメントになりつつあるかしら(^O^;)  そんなつもり無いんだけど…ご容赦ご容赦。  人って自分も含めて常に変化してると思うよ。  その変化してゆく分も含めて大きく抱きかかえてゆくだけの度量を、自分も相 手も持とうという気概がなきゃ、駄目だろうなぁと思うのです。明日の自分、明 日の相手がどう変わろうと、真摯に対峙してゆこうという覚悟かな。  そしてこれをするには、しまうま君だっけかが書いてた様に「自立した一個の 個であること」が最低限必要な努力目標だろうと思います。だから、そのために 自分を観るをやってるんだよね…と考えると…なーんだ、やっぱり皆、どっか心 の中で分かってからこそこの会議室で自分を観るをやってるんじゃないの(^O^;)  駄文でした m(__)m   ・:*:・みれ・:・。,★ - FARION MES( 9):神々の曼陀羅 ★ 歴史と宗教を巡って 95/12/12 - 695/700 JBH00712 桂 桂 サンカの肖像 ( 9) 95/12/12 00:10 688へのコメント  #688 TAO さん  拙文をダウンロードして頂き、有り難うございます。  この文章を最初に纏めたのは確か93年頃だったと記憶しております。  それ以前にも少しずつ手元に八切止夫なる人物の歴史物の著作を集めており、 「サンカ」と呼ばれる未知の民族に大変な興味を覚えておりました。  「サンカ」なる存在は戦前、そして戦後ですと昭和40年代の初頭辺りまで は割とポピュラーな存在であったらしいです。現在その年代の頃ではどのよう な目で見られていたかというのは、これはマンガで知る事が出来そうです。  忍者漫画でお馴染みの白土三平氏の大河漫画「カムイ伝」というのはご存じ でしょうか。  マンガマニアの集まる「ガロ」誌で連載され、当時学生から知識人まで熱狂 的なシンパを集めたこの歴史大河浪漫ともいうべき巨編は、今でも愛蔵版から 文庫化され切々と読み継がれています。これは被差別部落の人間・カムイと、 百姓の子・正助を主人公にしながら江戸時代の非人間的な封建制度とその狭間 で国家と言う制度の矛盾点の中で苦悩する侍と浪人達を綴ったストーリィであ ります。  エタの子であるカムイはただひたすらに自らの階級に対する矛盾から脱しよ うと忍びの道を志し、そして一人で生きようとあがき自由を希求します。そこ で出会うその他の忍者とやり取りの中で、「サンカ」という存在が出て来ます。  「ここは山の中、徳川のものでも、マタギのものでもない。故に争うことは   ならない」  忍びの者もの同士の戦いに忽然と出て来るサンカの山長は確かこのように言 っていた(書いていた)と記憶しております。そしてサンカはおもむろに今戦 いの地になろうとした山中を塩で清め、サンカ独自の仕草によって彼らの信仰 する神に向かってこの地が汚されそうとする事に詫びを入れます。  では現実にサンカはこのような事をしていたのか? というとそうかもしれ ないという事しか言えないのですが、少なくともその存在は山を住処にし、自 由に行き来する者さえ有る種の(サンカに対して)畏敬の念を持っていたとい うことが言えそうです。  それは言ってみれば「山」そして「人」に対する畏敬の念の現れ、という捉 え方でもいいでしょう。現実では今でも6.70のお年寄りに話を聞けば、彼 らがふとしたきっかけで蓑売りの某が家を訪れ、刃物を砥いだり釜戸の壊れ物 を直して幾許かの金品を得ていた、という話は枚挙に暇がありません。残念な がらこうした話は既に伝承経路を失っており、話を確かめようとこうした漂白 者の足取りを掴む事はほぼ不可能となってしまいましたが。  話をまた江戸期に戻しますが、ではサンカと呼ばれるものと忍者とはどのよ うな繋がりがあったのだろうという疑問が有ります。  この両者は共に山野を駆け巡り姿を現す時は神出鬼没、その正体は杳として 伺い知れません。最も正体が割れた時はこの両者とも「死」あるのみと僅かな 記録では伝わっております。  忍びの者ですと、これは今で言うところの諜報工作員なのですから当然とも いえますが、サンカもまた、どうした具合か「一族郎党の名を世間に明かした 者も死の制裁を加える」という強烈な掟を持っています。  これをサンカ言葉で「ハタムラ」といい、掟と言う意味を持つ言葉だそうで す。  サンカとは果してどのような民族で、どうしてこうした閉鎖的な生き方を旨 とする民族になってしまったのか、それは既に時代の彼方へと吹き飛んでしま ったのか、現存する資料ではこのサンカ研究の尤も初期の段階で書き綴った三 角寛氏の何冊かの研究本と、そして老歴史研究家の田中勝也氏による「サンカ 研究(新泉社刊)」ぐらいしかありません。  八切止夫の話もまた奇妙なものがありますね。  彼は昭和30年代では流行作家で世を賑わしていたのに、途中いきなり「平 将門はいなかった」と言い出して、サンカの話をしだしています。彼のサンカ 説も一つ一つ検証して必要も有りますが、同じ様に彼の人物像も検証して行く べきかと思えます。  では少しばかりですが、稿を区切ってサンカに関する四方山話をしてゆきた いと思います。 桂 桂(JBH00712) 698/700 MHD02672 TAO RE:忍びとサンカ ( 9) 95/12/12 00:30 692へのコメント #692 桂 桂さん  どうも。忍者の話、面白いですね。  忍術の起源については、インドのバラモン仙術が中国大陸に伝わって「遁甲術」と  なり、それが朝鮮半島を通じて日本にも伝播し、大陸半島との国交が途絶えた後は  日本国内で独自の発達を遂げ、忍術となったというのが通説のようです。勿論これ  はあくまでも通説であって、忍術の起源や伝来については実に様々な諸説が流れて  いますね。  サンカと忍者の関係は意外と古く、しかも深いという感じがしますが、どんなもの  でしょうか。  >> 伊賀・甲賀というのは忍者集団でも最大手を誇った集落ですが、実は両郡  >> とも恐怖政治を行い、互いに反目するよう服部半蔵(伊賀)百地三太夫(甲賀)  >> この両者に煽られていたそうです。しかもその実際は、この両者は同一人物  >> であったことが、近代になってから判明しております。  そういう話があるのですか(^^;。ライバル同士が同一人物の手によって争わされて  いたとは深いですが(^^;、どういう過程でそういう事実が判明して来たのでしょう  か。又続きを宜しく(^^)。  TAO 696/700 MHD02672 TAO RE:【サンカ異伝承】 ( 9) 95/12/12 00:29 689へのコメント #689 スウさん  どうも。根来山と言えば根来僧兵軍団を思い浮かべますが、三万人にも及ぶ精悍な  僧兵たちの命知らずの蛮行と、鉄砲製造を手がけて日本最初の一大鉄砲軍団までに  育ったという特異な軍団でしたね。  その根来衆が、「山の民=サンカ」と関係があるかどうかは分かりませんが、秀吉  軍との戦いに敗れた後に各地の山奥に逃げ延びる際は、山岳修験者とのネットワー  クを通じていたのでは無いかというのは、想像し得ます。  >> 当方、その名も三家(サンケ)先生という医学に業績のある方を知っています  >> が、頭が大きくて眉毛が濃く、ずんぐりした感じの体型という特異な風貌で、  >> 日本先住民の遺伝子を濃厚に伝えているのかも…なんて想像してしまいました。  自然人類学者の埴原和郎氏は、アイヌ人は原日本列島人すなわち縄文人を祖先に持  ち、縄文後期から渡来人との混血が進み、アイヌ人と和人が体型的に分かれ始めた  のでは無いか−という説を唱えていますが、アイヌ人も確か体毛が濃くずんぐりし  た体型が特徴だったのでは無いでしょうか(今は資料が見当たらないので、記憶だ  けですが)。とすれば、アイヌ人とサンカの間に果たして血統的な近似性があった  かどうか、興味深いところですね。蝦夷=アイヌ説も根強いですし。  TAO 697/700 MHD02672 TAO RE:【高屋山】日輪神社と飛騨の山々 ( 9) 95/12/12 00:29 690へのコメント #690 SUKEさん  どうも。その日輪神社ですが、その周囲にピラミッド伝承を持つ山が実に16方位に  分かれて点在しているそうです。16方位というと、どうしても例の「16菊花紋」を  連想してしまいますね(^^;。「日輪神社」という名前もそこら辺を意識して名付け  られているのかもしれません。 「ひだ」が「飛騨」と書かれて一般に伝えられるようになったのは、江戸時代以降 だそうで、それまで「斐陀」「斐太」「比太」…と色々あったようです。『日本書 紀』には「飛騨」とあります。飛騨地方には縄文時代から人が住んでいたようで、 石斧や石錐、勾玉等の遺物がいたるところで出土され、住居跡や古墳も発見されて いるといいます。 「ひだ」の名前の由来には、色々な説が挙げられていますが、これといって決定的 な通説は無いようです。  TAO - FARION MES(11):狼を生きる  ★ 平井和正の著作から 95/12/12 - 01869/01869 JBH00712 桂 桂 RE:買ってしまった第一巻(^^;) (11) 95/12/12 00:43 01868へのコメント  #01868 SUKE さん  あちゃ〜新書版6冊買われたということは、これはもしかするともはや 幻といわれる角川ノベルズでしょうか(^^; この頃のイラストはファンタ ジーもので有名になった山田昭博画伯の手によるなんですよね〜 こういっ た画風もまた風情があって宜しいですね(^^)  この時の「地球樹の女神」初出は角川の「野生時代」であったのですが、 やんごとなきトラブルによって版元を徳間に変える事になったのですが、 その次の野生時代に田中芳樹による「地球儀の秘密」という小説が連載を 始めたのは流石に顎が開き放しになってしまいましたが(^.^)  そういえば謎のヒロイン(?)禅鬼修羅は2巻目以降に出て来るキャラク ターでして、実に謎めいているというのか、それとも単に引っ掻き回しに来 ているだけなのか(笑)よくわからない人物なのですが、よく考えてもこの 小説に出て来るのは皆けったいなキャラクターなのでこればかりで驚いてい る場合ではないですね(笑) 一体何処の世界に晒し巻いて男装をした美少 女がいるのだか(^^; その上護身術の達人だしぃ。  しかしこの小説って先を読んでも展開が解らないのですが、一巻ずつ読ん でもどう考えてもギャグの連続しかない訳で、何で最初の頃は冗談ばかりな のかなぁ〜などと考えていました。  でもこれはもしかすると「犬神 明」でドードー(ジム・パットン)が、 しきりに明にけしかけていた「笑え、何もかも冗談だと笑い飛ばしてしまえ!」 と激を飛ばしていた事と関係があるのかな、ととも思えました。  どんな深刻な事態になっても苦境に落込んでも、笑顔が有れば明日のお日 様を又拝めるのではないのかな、と。あるいは現代人に枯渇しているのはこ うした死ぬほどおかしいユーモア感覚なのかもしれません。  しかしそれを言ったら修羅ちゃんほど戯画化されたキャラクターも珍しい ぞ(爆笑)。 桂 桂(JBH00712) - FARION MES(12):精神世界裏表 ★ ニューエイジビジネス を斬る 95/12/12 - 00713/00719 GFB00026 一輝 RE:アムウェイの影にあるもの。 (12) 95/12/11 15:58 00706へのコメント >#0706 たあぼうさん |>環境保護もチャネリングも霊能も、人々にとってそんなに良いもの |>    なら、何で無料で配らないのかなーと、単純に思います。 | |私も、まさにそう思います。 |逆に言えば、 |それが、真実であるかどうかの、判断基準のひとつにになるのではないでしょうか。 ……………その通りですね。世の中で最も高価なものは換金できないものです。      それが真実なんでしょうね。      出産から埋葬まで、あらゆるものが換金可能な世界の淵で、      真実を見極める判断力を一緒に養ってゆきましょう。      これからもよろしくお願いします。                 FARION 12番会議室*精神世界裏表案内人:一輝 00714/00719 GFB00026 一輝 エイズよりも怖いもの。 (12) 95/12/11 15:59 00707へのコメント >#0707 たあぼうさん |エイズという、不治の、しかも感染する可能性のある病気の患者なのです。 |ですから、いい意味の差別、実際的に言えば、隔離すること、そのほうが、 |お互いのために良いと思うのです。 ……………「いい意味の差別」とは「区別」あるいは「区分」のことですね。      私は子供のころ、らい病患者の村(サナトリウム施設)の近くに住      んでいました。彼らは自ら望んで隔離されたその村に住み、長閑な      生活を送っていました。病を移される恐怖もあれば、病を移してし      まう恐怖もある。そんな人々が安心して住んでいたのが、その村で      した。      自ら望んで隔離施設に入るか強制的に入るかでは、意味が違ってき      ます。私は感染であることの分かった人々に、人生の選択の余地が      あって当然と思っています。私が患者なら、ヒトとしての心を失っ      ていない限り、やはり普通の人として最期の日まで存在していたい      と願うでしょう。      ただ気を付けたいのは「隔離するほうがお互いのため」というのも、      しょせんエイズ患者でない人の観点なのかもしれません。たとえ善      意であっても「苦しみを理解して”あげる”」という気持ちが、う      っかり健常者の思い上がりになってしまうことには、気をつけたい      と思っています。自分でも気づかない思い上がりの心の方が、エイ      ズよりも、ずっとずーっと私は怖いです。                 FARION 12番会議室*精神世界裏表案内人:一輝 00715/00719 GFB00026 一輝 オウム的なるものをめぐって。 (12) 95/12/11 21:01 00695へのコメント ■オウムに関する事件の国策的な方針が定められたのは、麻原逮捕が決まっ た今年の5月前後だという。メディアへ流布される情報に何らかの方向性が 定められたのは、これ以降のことだ。 ■それまでの北朝鮮やロシアKGB人脈に関する報道、アメリカの某財団か ら流れた金塊を資金源としていた(この資金はライバル教団へも流れていた と言われているが真偽のほどは定かではない)報道などが、この時期を境に 減っていった。 ■この方針は、景気高揚を促す政府の意向を受けているという話があるそう だ。本来は内乱予備罪に該当するほどの事件なのだが、そのことを政府が認 めてしまったら、50年をかけてやっと作り上げてきた日本という国家に対す る国際的信用を落としかねず、輸出する日本製品のステイタス低落にも繋が るというのだろうか。 ■この意向は分からないでもない。そのため「オウムは銭金に汚いエロ教祖 が始めた教団で、そもそもの始まりからして私たち平均的日本人とは無縁の、 精神的辺境地域から生まれた」かの如きのスキャンダラス偏向報道となった。 ■そこで胸を撫で下ろして安心したのは、政府よりもむしろ、危機意識を感 ぜずに済んだ大多数の国民の方ではなかっただろうか。私がこの事件の報道 への人々の反応について感じたことは、オウム真理教という存在が、もとも と私たちのコミュニティのある部分の映し絵であることを、なるべく感じな いようにして楽しむ傾向だ。 ■オウムを擁護したい者の気持ちを、私はわからないでもない。なぜなら私 の中にも「オウム的なるもの」を抱えてきた経緯があるからだ。擁護したい 者の心にあるものは、オウム自体よりも自分の中にある「オウム的なるもの 」を攻撃に晒されたくないという気持ちだろう。竹熊氏は「オウムを語れば 自分を語ることになる」と言ったが、私も同感だ。 ■しかし、だからと言って私はオウムを擁護する気にはなれないでいる。擁 護したところで、人々の内面に隠された「オウム的なるもの」が生み出んだ 様々な問題が解決するとは思えないし、問題の原因を見逃していたからこそ、 現象の結実としてのサリン事件が起こるべくして起きたとも言える。原因を 己の中に見出さない危機意識の欠如こそが問題なのではないか。 ■オウムを擁護する者には、自分の中にあるオウム的なる自我を擁護するこ とで安心しようとしているし、オウムを非難する者には、オウムを攻撃する ことで、自分の中にあるオウム的なる自我を見いだすまいと安心しようとし ている。オウム擁護にしても非難にしても、自分自身の「オウム的なるもの 」を語っていないのでは、どちらも大差ないのである。 ■両者とも温存したいものは、”今まで通りの自我”なのだ。事件の勃発に よって”今まで通りの自我”の日常をもはや送れないのではないか、という 不安を人々が抱え始めたからだ。私たちの日常こそが”尊師無きオウム真理 教の生活”であることに、人々は本当は心のどこかで気づき始めているので はないか。日本という国土が巨大なサティアンになっていることに…。 ■信者は日本というサティアンが嫌で、オウムのサティアンへ移籍しただけ なのかもしれない。人々が海外旅行に出て解放感を味わうのは、日本という サティアンから出たときの感覚があるからではないだろうか。しかし、それ でもサティアンの心地良さから抜け出せないでいるのは、そこに何の危機意 識も感じていないからだ。 ■オウム事件を楽しんだってかまわない、フィクションよりも面白いことは 認めている。しかし、事件の奇抜さや特異性をクローズアップして追いかけ ては騒ぎ、”自分とは違うオウム信者”を見いだしては、心のどこかで安堵 感に浸っているのでは、自分の中にこそ面白い部分があることを気づかずに 終わってしまう。 ■オウム教団の機関誌『ヴァジェラーヤナ・サッチャ』を編集していた杉浦 という信者は、公判で「オウムは信者にとって居心地の良い教団だった」と 告白した。シミュラークルな世界への没我の喜びとを知ってしまった人々の、 快楽の一群という意味では、オウムム信者も私たちも、互いに自分とは違う 異質な者たちを冷笑しているに過ぎない。いやそれだけではない…。 ■生まれながらに平等だと教育されて、僅かな差異を見つけ出しては悲しん だり喜んだり、「自分だけが違うのでは」という妄想の虜になっている。そ して平等意識の生み出す抑圧感を少しでも払拭しようと、他者の僅かな差異 を攻撃する遊びを始める。攻撃の興奮が陶酔をもたらすからだ。それがイジ メだ。その遊戯をオウムは「ハルマゲドン」と呼んだ。 ■みんな今でも互いに無関心、無感動、無気力、無反応ではないか。気づい ても気づかないフリ。見ても見ていないフリ。疑問なんて持つのが損。自分 さえ良ければそれでいいじゃんか、他人がどうなったって。これが私たちの 日常の規範だ。オウムのサティアン生活と一体どこが違うというのだろう。 ■オウム事件の風化を前にそろそろ認めてもいいのではないか、私たちが「 ”サティアンに棲む信者とは絶対に気づきたくない社会”の信者」だってこ とを…。                 FARION 12番会議室*精神世界裏表案内人:一輝 00716/00719 GFB00026 一輝 RE:純粋さの影に有るもの (12) 95/12/11 21:04 00710へのコメント >#0710 桂 桂さん 戦争機械の連載、いつもありがとうです。 知らないことが多く、勉強になります。 さて、私も桂 桂さんに触発されて思うところを少し……。 |何かを志し、熱意を燃やす。 |オウムに入信する理由も、幾つか有る宗教団体、ニューエイジ系の団体に入 |るのも、大した区別はないだろう。 |「自分を変えたい」 |「誰かの役に立ちたい」 |「真実を知りたい」 |だがその目的に添って作られた団体にはその初志はすでに跡形もない。 |そしてその団体に残った人達に残されたものは、一体なんであったろうか。 |いつまでも有る筈の無い夢を追い求めていたいのだろうか。 |あるいは、それは本当は「理想」を追い求める姿勢ではなかったのかもしれ |ない。本当は「理想の自分」もしくは自分の希望する、心地好い世界を夢想し |て選んだ道なのかもしれない。もしそうだとするなら、それは自らの純粋さに |隠れた欲望が選んだ道筋なのかもしれない・・・・ ……………私自身が、まさにその一途を辿った者として、いろいろ      振り返ってみると、「自分を変えたい」「誰かの役に立      ちたい」「真実を知りたい」と希求する根拠に「自分の      好きな〜」という想いが秘められていたことに気づく。      つまり、「自分の好みの自分に変えたい」「自分の好み      の誰かの役に立ちたい」「自分の好みの真実を知りたい      」というわけだ。このように意味付けを行う以前の、単      なる「好み」の問題になっていることについてを「純粋      な夢」と、私はスリ替えて追い求めていたのではないか。      有る筈の無い夢とは、自分だけの世界の夢でしかない。      では自分の純粋世界の価値基準とは、いったい何なのだ      ろうか。それは「自分にとって好きなもの」「自分にと      って気持ち良いもの」こそが絶対の価値であり、そこか      ら導き出される「快楽本位制の世界」の実現を、本当は      目指していたのではないだろうか。      この「快楽本位制の世界」は、個の視点では「有る筈の      無い夢」であっても、総体としては既に実現されている。      だからこそ、人々はそのことに無自覚でありたい為に、      オウム事件をなるべく他人事として、楽しもうとしてい      るのではないだろうか。この事件を楽しんでしまうこと      すらも、「快楽本位制の世界」では当然の行為だろう。      あらゆる既成のもの、権威あるもの、伝統あるもの、に      対して、何ら価値や意味を問うこともなく、「自分にと      って好きくない」「自分にとって気持ち良くない」とい      う理由だけで、対極に位置すると思われた「自由」とい      う単純すぎる思考構図の領域に、私は自分の身を置いて      いた。      その自由は、単に社会や家族に拘束されないというだけ      であって、しかもこの自由を守るには、社会と敵対する      か逃避するしかない。したがって私は私の自由を守るた      めに、現実離れしたある種の幻想世界を生ききようとし      ていた。これが精神世界やニューエイジへの彷徨となっ      ていったように思う。      「自分にとって好きくない」「自分にとって気持ち良く      ない」などと、ストレートに表現するのはダサイと思い      込んでいるものだから、何かこう、カッチョいー理屈が      必要になってくる。      そのため、幻想世界を理論的に構築する道具が必要にな      った。それはイデオロギー(自分の都合の良い時にのみ      成立する真理)だ。マルキシズムやアナキズムなどを見      つけては、自己正当化に利用していた。玄米正食もトラ      ンスパーソナル心理学にしても同様だった。これらは、      個人の「好み」を正当化する為に作られた理論体系だ。      最後に、オウム事件の核心的心理をえぐり出したと思わ      れる、杉本被告の上申書を部分掲載してみよう。今まで、      本を読んだりセミナーに参加したり、何らかの形で精神      世界・ニューエイジに触れた人々への、問題提起ともな      っている内容である。  『私は教祖の運転手として自分の権力欲を満たそうとしていた。私以外の人々も  それぞれのレベルで自分の欲望を満たしていた。教団にいた者すべてが教祖の歯  車となり、教祖のため、あるいは真理のためとして自らの欲望を満たすために、  そこに集合していたのだ。   いま教団に残っている者は、私たちが本当に目指すべきであったのは、欲望を  満たすことではなく、欲望を滅することであったということを、もう一度、自分  の心を観察して見つめてもらいたい。そしてまず、第一にやらなければならない  ことは、一連のオウム事件で被害にあわれた方に対し、責任を果たすことである  ことをわかって欲しい。   私たちは、教祖を聖なる象徴として礼拝してきたが、それは、私たちが、知ら  ず知らずのうちに、私たちの欲望を満たし得る人物として礼拝していたに過ぎな  いことに、早く気づいてもらいたい』……元オウム信者・杉本被告の上申書より                 FARION 12番会議室*精神世界裏表案内人:一輝 00718/00719 GFB00026 一輝 オウム誤情報の黒幕。 (12) 95/12/11 22:42 00562へのコメント オウム話が続くけれども、「麻原彰晃は同和出身者である」「麻原 彰晃が被差別者である以上、革命を起こしてもいい」「江川紹子氏 が統一協会員である」「江川紹子氏と滝本弁護士は在日朝鮮人であ る」という話が、マスコミ関係者の間でまことしやかに流れていた のは、いつ頃からだっただろうか。 この情報の黒幕を『宝島30』1月号(P.83-85) が突き止めた(前 号では中島渉氏の韓国取材によって麻原彰晃在日朝鮮人説がガセで ある記事を掲載)。記事によると、中沢新一氏が多数のマスコミ関 係者および知り合いの知識人に電話をするなどして、積極的に広め ていたそうである。本人は否定しているものの、中沢氏本人から聞 いたという複数の証言が得られたという。 中沢氏が、事実捏造を誤魔化してきたという話を当会議室[NO.562] にも書いてきたが、自分がオウム擁護をしてきたのは当事者が在日 朝鮮人だったからなどという、今度は自分の権威を失いたくないた めの保身行為なのだろうか。本当だとしたら、これは酷い話だ。 いくら著名だからとはいえ、こういった人を学者として雇う中央大 学側も、そろそろちゃんと考えないとね。                 FARION 12番会議室*精神世界裏表案内人:一輝 00719/00719 MXF01761 たけくま RE:『私とハルマゲドン』読みました。D D (12) 95/12/11 23:18 00712へのコメント >シュメールさん 拙著をそのように読んでいただければ作者として光栄です。 アンチとノンの関係についても私とシュメールさんとはほぼ同じ理解に至って いると思います。しかしここの部分はオタクに限らず今の社会現象をとらえる うえで非常に重要だと思うのですが、わかる人にはわかるし、わからない人に は何をどう説明してもわからないのですね。 などというとこれもひとつの選民思想になりかねないわけですが……。 たとえば小林よしのり氏の「ゴー宣」を読んでも、ある段階までは僕も一致 するのですが、ある段階からはまったく相いれないものが出てくるんです。 結局小林さんは「アンチ」の人であって、「ノン」というものがついにわか らない人なんじゃないかと。 ある価値観にアンチを唱えるのならば、代案を提出しなければその意見は真に 有効性を持ち得ない。しかし、代案込みの批判というものは、行なうは難しで、 容易なことではありませんね。あくまでこの意味においてですが、マルクスは 偉かったと思います。 小林さんについて言えば、まがりなりにも代案を出している(あるいは出そう と努力している)ことは偉いと思うし、彼の誠実さを表わしていると思う。 しかし代案が出た瞬間にそれに対するアンチが出てくるのも当然のことでして、 それに対するアンチが……という具合で、堂々めぐりになる可能性がある。 結局最後には力によるゴリ押しで勝敗を決するということにもなりかねません。 これは「アンチ」の文脈が持つ本質的な危険性ではないかと思うわけです。 僕ももともと「アンチ」の人だったわけですが、ある段階でこういう堂々めぐ りに嫌気がさして、以後「ノン」の人になろうと、まあなれてるかどうかは別 にして、そうなろうと努力しています。世間的にはこういうのを「あぶれ者」 と言うのかもしれませんけど(笑)。 たけくま - FARION MES(13):神秘学遊戯団 ★ 限りなき神秘への航海 95/12/12 - 04038/04041 GGA02514 KAZE 人間はほんとうはみんな偉い (13) 95/12/11 17:57 04031へのコメント 隆ちゃん、どうも。 >西洋医学に見放されている(^^;)患者としては、この「トータルな見地」の必要 >性を、身にしみて感じます。僕の経験上、病気の大半は、その原因の大きな部分 >に「心的」な要素が関わっていると思うのですが、そういうフォローをしてくれ >る病院はほとんど見あたりません。 「「心的」な要素」というのは、目に見えるかたちにはなりませんから、 「見えないものはない」ということにしておきたいのでしょうし、 それよりなにより、お金にならない^^;。 「「心的」な要素」を重要視しているお医者さんであっても、 それは通常の治療の範囲を超えている部分ですから、 扱いたくても扱えないというのが現状なのではないでしょうか。 現在の医療は、基本的に対症療法ですから、すぐ効果はあらわれるわけですが その反面、その「対症」にあてはまらないものは、扱えないわけです。 もっとも、アーユルヴェーダを勉強されたりして、そういう方面の認識を 治療に使っている方はいらっしゃるようですが、 それが現在の医療システムのなかでどう位置づけられるかは???なのだと思います。 >僕は、100億でも200億でも、くれるんだったら立派に使いきって見せると >普段から豪語しておりますが(^^;)、病院を作るというのも、お金があったらや >りたいことの一つです。 ぼくだったら、その100億、200億は何に使うでしょうかねぇ。 たぶん、病院はつくらないと思いますが・・・。 そうだ、大人のための塾でもつくりましょうか。 子供のための教育機関はあまりに荷が重いですから、 まずは、大人が自分を鍛えることのできる塾でもあればと思います。 もちろん、それは、ビジネスマンなどはもちろんのこと、主婦や老人や そうした方までも射程においた、「生涯教育」的なあり方で、 そこにふんだんに神秘学的な視点を盛り込んでしまうわけです(^^)。 >そのくせ、看護婦さんは安月給で重労働です。 その看護婦さんよりももっと重労働なのがいわゆるヘルパーさんです。 ヘルパーさんは、看護婦さんがいやがる仕事の下請けのようなものなんですよね。 で、そのヘルパーさんの制度が少し前に変わって、 それで困ったことになっているようですね^^;。 そのヘルパーさんは、主に寝たきり老人などのお世話をするわけですが、 そうした老人向けのマーケットというのは非常に儲かるようなのです。 老人医療に食いついとけば儲けられると思っているハイエナには かなり注意が必要なのですが、「老人は惚けるもの」というドグマがあるかぎり そういうハイエナの獲物は増えこそすれ、減るものではなさそうです。 だれでも歳をとり、それなりに、身体器官は衰えてくるわけですが、 だからといって「惚けて当たり前」という変な思いこみはなくしたいものです。 >全ての医療機器メーカーがそうではないにしても、病院経営が苦しいと言いなが >ら、そのかげでマージンで儲けたりする人もいて、よってたかってくいものにさ >れてるんじゃないでしょうか。 病院経営が苦しいといいながら、医者の多くは外車を何台ももってたり、 すごい家に住んでたりしますよね。 儲かってるならば、それはそれで趣味の問題ですから、いいのですが、 借金を山のようにかかえながら、生活をそれなりのレベルにする努力がないとしたら、 やはり、その医者そのものの人格に問題があるのではないでしょうか。 つまり、ハイエナに食い物にされるにふさわしい人物なわけです。 そして、そういう人を見抜き、そういう医者にはかからないだけの眼識をもつことが われわれには必要となってくるわけです。 世の中には、まだまだ「お医者様のいうことをちゃんと聞くのがあたりまえ」 というような認識をもっている方が多いようですが、 そこらへんの認識からみんなが変えていかなくては、 現在の薬漬け医療のばかばかしいシステムはなくならないと思うのです。 現に、アトピーひとつとっても、ちょっとしたことで治療が可能なのに、 どの医者に行っても薬ばかりくれるだけで、治療効果がないということが多いですよ ね。 もちろん、それなりにどの医者も治療を施すわけですが、 単なる対症療法だけに終始する場合が多いものだから、自ずと限界があります。 「○○○にアレルギー反応が起こるから、○○○を食べないように」というのが 不必要だとはいえませんが、そういうことを続けたってどうにもならない、というか そういうのって、なんだか、無手勝流のようなものとしか思えません。 食べ物に気をつけるというならば、その根本のところから問題にしないといけないし 「アレルギーがなぜ起こるのか」ということに対して、 「免疫」ということの根本まで遡って考えながら、 そのうえで、「なぜこういうアレルギー症状が起こることが必要なんだろうか」と 問うことを忘れてはならないんだと思うのです。 >以前住んでいた所の近くに、ホスピスがありましたが、病院には心的ケアーので >きる人がいなければまずいと思います。そうでないと、我々は大規模養鶏場のブ >ロイラーになってしまいます(^^;)。 その心的ケアーですが、やはりそれには、病の意味を 知情意のバランスをとりながら模索していくことが必要ではないかと思います。 ホスピスを、単にリラクゼーションやアトラクションにしてしまうのではなく、 そこに患者と共有できるような深い認識の生まれるようなあり方に していかなければならないのではないでしょうか。 それは教育に関しても言えることで、 大規模養鶏場で解答マシーンを養成するのではなく、 その場を、教師と生徒が深い認識を共有できるようなものとしていくこと。 もちろん、その深い認識というのは、絵を描くことでもあり、踊ることでもあり、 さまざまな形で共有されるものです。 >  ワイドショーでコメントしていた宗教評論家(何じゃい、それ)が、「そ >れがインチキであれなんであれ、自らが信じているかどうかという事が重要だ」 >などと言ってましたが(要するに自分で信じてないモノは宗教でなくて詐欺だと >言いたいのでしょう)、とにかく無責任極まりない世の中です。 ほんと、宗教評論家って何でしょうね^^;。 単に、信じるか信じないかが宗教の問題だと思っているなんて、ほんと馬鹿。 しかし、ワイドショーなんてのももうやめなくちゃいけませんね。 時間を埋めるために、内容のない人たちが内容のない井戸馬鹿、いや井戸端会議。 どうせ余興ならば、もっとパフォーマンス性のある ほんとうにばかばかしいものであったほうがいいし、 まともにするならば、まともな人の責任感のあるちゃんとした意見が必要です。 >まあ、子供が偉いというわけではなく、人間はみんな偉いのかもしれませんが はい、ぼくはほんらい、人間はみんな偉いと思っています。 偉いはずなのに、そうでなくなってしまっていることが悲しい。 (もちろん、自分もそうなので、自分がいちばん悲しいのですが^^;) 子供は子供なりに偉い可能性があるし、 大人は大人なりに偉い可能性がある。 子供が環境のせいでおかしくなっているととしたら、 大人だって最初は子供で環境の蓄積でおかしくなったということになります。 ですから、子供であろうと大人であろうと、それは個人差なのだと思うのですが、 子供の場合、まだその変更可能な余地が多いということでしょうか。 >久美子の通っている、こちらの公立の幼稚園は、そういう意味でとても理想的な >幼稚園です。2km近くある道を歩いて通わせますし、子供に結果を求めません。 >ひたすら子供が社会性を育む過程をフォローしようとしています。ですから、こ >とある毎に「結果は期待しないで下さい。子供達なりに頑張ったところを見てあ >げて下さい」という主旨の文章を目にします。 いい幼稚園ですね(^^)。 しかし、その「結果は期待しないで下さい。子供達なりに頑張ったところを見てあ げて下さい」という文章(たぶん張り紙でしょうが)は、 理解のない親をいっしょうけんめい牽制しているんでしょうね。 苦労が偲ばれます。 >美貴子の時は、「こんなに上手にできるようになりました」→「私が仕込んだの >よ〜」→「どうだ、私は偉いだろう!」っていうバカが1人いて、美貴子は、そ >のバカのヒステリーの犠牲になっていました。 ほんとうに、バカまるだしですね。 人はすべて自己教育するんだという原則を忘れてはいけませんよね。 「学ぶ」ということはできるけれど、 ある意味では「教える」ことはできないのですから。 「私が教えてやっている」という傲慢さが生まれたときに、 生徒は何も学ぶことができなくなってくるのかもしれません。 「教えてやっている」ということは、「学ぶ気はない」ということなのでしょうから。 >しかし、ああ言う人たちって、プライベートでも >「○○先生」って呼び合ってるんでしょうか?。 ぼくの知る限りでは、まともじゃない人はみんなそのようです。 まともな方だと、そう呼ばれても、「今は先生じゃないよ」というふうに 訂正するはずなのですから。 > 自分で納得して、勇気を持ってやったことが誤りであっても、「一度目は許 >される」と僕は子供の頃から思っています(^^;)。そして、自分でしっかり考え >て、納得したことだからこそ、反省もきちんとできるんですよね。「反省してま >す」っていう言葉はよく聞きますが、腹の底からの反省でない限りは、無意味で >すから・・・。 そうですね、反省できない人のうわっつらの「反省してます」ほど醜いものはない。 いくら悪いことをしても、反省できる間は、悪人正機のように、立ち直れます。 たとえば、麻原彰晃氏にしても、自分の行なったことを悔いて、 自分の間違っていたと思われることを、 二度とこういうことが繰り返されないように、というように語るというのであれば、 それなりに美しいものだと思うんです。 なにが美しいかというと、その勇気が美しいわけです。 そういう意味では、反省というのは、勇気のことかもしれません。 >                    子供の側が「受けをねらっている」 >時は、大いに笑ったり、はやし立てても問題はないのですが、本人が真剣なとき >や、「受けをねらっていない」時に、大人の感性でからかったりすると、子供は >著しく自尊心を傷つけられるようです。 はい、ぼくもそれなりに傷ついたことは今でも覚えているくらいです^^;。 もちろん、それをずっと引きずるのは自分のせいでもあるのですが、 やっぱり、小さい頃のそれというのは、基本的な表現態度に関わるものですから、 大事にしてあげたいものだと思います。   >近、子供(自分の娘だけでなく)と接する機会が多くなって感じますが、子供 >と上手く付き合ってゆくためには、かなりの部分で「聞き上手」でなければいけ >ません。大人同士のお付き合いも同じでしょうが、子供も立派な一個の人格なん >だなぁなんて、当たり前のことを再確認したりするのでありました。 はい、その「聞き上手」というのは永遠の課題です。 ぼくもなかなか「聞き上手」になれなくて、自己嫌悪になることがあります^^;。 どうしても聞いていることができなくなって、口を挟んでしまいます。 それは早い話が、エゴがイラチというかたちで表現されているわけです。 「待つ」ことがどれだけできるか、その課題はぼくにもずっと続きそうです。 >それと関連しますが、RV車には何故か(結局は燃料費の節約の為→経済性なの >でしょうが)ディーゼルの車が多いのです。大気汚染の事を考えると、ディーゼ >ルはガソリンより劣ります。安けりゃいいってもんじゃないだろうにと思います >が、本当はガソリンも使わずに走る車を早く作らなくては・・・ですね。 はい、ぼくもそれを切実に感じます。 それを開発するために、ほかの予算をかなり削ってもいいと思うのです。 もちろん、それは電気の供給においても同じです。 そのために、医療費なんかもうこの際、半分削ってしまえばいい! なんて過激なことを考えたりもするのですが、 ちゃんと必要なところを残し、不必要な部分をカットしていけば、 十分可能だと思うんですけどね。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 04039/04041 GGA02514 KAZE 「世界」への責任と自由、そして遊戯 (13) 95/12/11 22:58 04037へのコメント 隆ちゃん、どうもです。 >人間(それは魂の力そのものだったりするのでしょう)という関数を通して、知 >恵もその他の現象も時々刻々ダイナミックに変化しているのが、この世の中なの >かもしれません。 はい、それがぼくのいちばん基本的な考え方になっています(^^)。 人間はこうして生きていることそのものが重要なのだし、 世界に対して責任を負っていると同時に、 それだからこそ自由の可能性を有しているというわけです。 >宇宙進化論においても、理解の助けになりそうですね。 はい、むしろ、宇宙進化論のけっこう面倒なことをあれこれ覚えたりするより、 自分がこの宇宙で責任を持ちながら、過去から未来へと、 時を旅しているのだということが理解できればそれでいいのだと思います。 それこそが、「神秘学」を「お遊戯」するという考え方そのものなのです(^^)。   >                 「自然体」で生きている人たちを羨ましく >思いながら、こうも色々な人間が居るのはどうしてなのかなぁと思ったのでした。 >世の中がダイナミックであるためには、多種多様な関数が必要なのかもしれませ >んが・・・。 一人一人はかけがえのない役割をもっているんだと思います。 ですから、本来は、一人として同じ人はいないはずです。 もちろん、似ているということはあるでしょうが、同じであるはずはありません。 それだと、違う「個」である必要がなくなるからです。 それなのに、だれかといっしょでなきゃ不安だとかいうことで わざわざ、人といっしょの事ばかりしようとするのはおかしいですよね。 > 「どこから来てどこに行くのか」という問いかけを聞くと、ハリソン・フォード >さんが出ていた(というより、大好きなルトガー・ハウアーさんが出ていたと言 >いたいのですが)映画の「ブレードランナー」を思い出します。しかし、ほんと、 >人間はどこから来て、どこへ行くのでしょうねぇ。 ぼくも、ルトガー・ハウアーさんが好きです(^^)。 「ブレードランナー」でも、ハリソン・フォードは むしろルトガー・ハウアーの引き立て役だったとさえ思っています。 あの、悲しみの果てにアンドロイドが見たものは・・・。 さて、人間はどこから来て、どこへ行くのかですが、 人間は神から来て、神に向かおうとしているのではないでしょうか。 ・・・なんていうと、ちょっと安易な感じもしますが、 やはり、それしかないなと思います。 それは、「一」が「多」として顕現しながら「一」を自覚していく、 そのプロセスを遊戯しているのだということにほかなりません。 繰り返しになりますが、「神秘学」を「お遊戯」するというのも そのプロセスを自覚する遊びであるともいえるでしょうか(^^)。 >そうでしたかぁ、正真正銘の「風来坊」ですねぇ(^^;)。ちなみに、久美子に申 >しましたところ、ぎゃははと笑った後(どうも、このへんの感覚がどうもよくわ >からない(^^;))、変な踊りを踊りながら「ぴゅぅぅぅって行くのかなぁ」と申 >しておりました(一体どんなことを考えているのか・・・頭の中を見てみたいも >のです)。 ひょっとしたら、そのとき、ぼくの分身が久美子ちゃんのなかを ぴゅぅぅぅっと駆け抜けていったのかもしれません(^^)。 そういう久美子ちゃんの踊りっていうのは、どこか宮沢賢治を思い出させますね。 野原をほーほー言いながら風のように駆け抜けていった賢治。 やはり人目が気になるぼくは、さすが行動としてはできませんが^^;、 ぼくのなかを駆け抜けていったり踊っていったりする さまざまな気配に、変な踊りを踊りたくなることがあります(^^)。 ひょっとしたらほんとうに、ぼくの頭の中と同じようなのかもしれませんね。 ぼくから、いろいろ理屈っぽいところをとったら、そういう感じなのかも。   >子供の中にも不遜な奴がよくいますが、不思議な事に、こちらがきちんと礼儀を >尽くすと、不遜だった態度が改まることがよくあります。大人の場合は、かえっ >てつけあがるバカ者が多いですが、やはり子供のほうが柔軟なんでしょうかね。 子供は、まだ「鏡」としての透明度をもっているからでしょう。 礼儀で対するとあちらも礼儀という鏡でかえしてくる。 大人の多くは、もはや鏡としては曇っているどころか、 変な反射の仕方をたくさん覚えているから、ばか者になるんでしょう。 そういえば、ぼくもたくさん馬鹿な反射版になっていることが多いので、 反省してしまうことがたくさんあります^^;。 >            かつて、妖怪人間ベムが「早く人間になりたい!」と >叫んでいましたが、今の人間の多くはベム以下です。良心に欠ける人たちという >のは、果たして人間になりたいと思っているのか・・・いないのか。 あのベムは、むしろ人間を超えた存在であって、人間の理想なのかもしれません。 だから、むしろ彼らは、人間にならなくてもよかったのではないでしょうか。 もし人間になっていれば、あの誇り高さを忘れてしまうことになったのかも。 それだと、退化でしかないですよね。 しかし、人間というのは、本来誇り高くなくてはいけないように思います。 ですから、人間は生まれつき人間なのではなくて、 人間になっていくのではないのでしょうか。 それは、自由ということと同じです。 自由も最初からあるのではなく、獲得、創造してはじめて手に出来るのですから。 >ちなみに、昔、一応、資本論は読んだんですが・・・いまいちでした(^^;)。 ぼくは、資本論のアンチョコを読みましたが^^;、やはりいまいちでした。 マルクスはまだ「経済学哲学草稿」(だったかな?)あたりのほうが 関係論的な部分があってダイナミズムを残していたようです。 とはいっても、マルクスの発想そのものが、精神の運動を物質や経済の運動に 逆転させてしまったものですから、どちらにしてもいまいちなんですけどね。 それに、マルクスの伝記を読めばわかりますが、ほとんどタカリですから、 あまり尊敬できるタイプではないようです^^;。 労働者を強調したくせに、自分は少しも労働なんかしなかったのですし・・。 その点、思想はともかくとして、エンゲルスは立派な方のようです。   >僕もそのうちドイツ語講座を聞いてみましょうかねえ(^^)。 はい、けっこう面白いですよ。 それとも、そのテキストを使って、ここでドイツ語の勉強会でもしましょうか(^^)。 >       実は僕も最近、インターネットのWWWで遊んでるのですが、あ >あいうのは、よほどのものでないと結構飽きてしまうんですよね。 隆ちゃんもインターネットをされてるんですね(^^)。 ぼくも少しは遊んでいますが、ホームページをあれこれのぞくのも そう楽しいものではありませんね、確かに。 それよりもぼくは今、世界のあちこちに眠っているシュタイナー関係の資料を そのうち検索してみようかなと思っています。 それと、「風の本棚」でも紹介した「インターネットストラテジー」に 書かれてあるように、インターネットがひらくであろう人と人との新しい関係、 システムとでもいったものに注目してみたいと思っています。 >「しない歌とやってみようの歌」、とっても面白かったです(^^)。自分のことを >言われているようで、ちょっとドキッとしましたが・・・。 いえ、あれは、ぼく自身のことを笑ってやるためにふと思いついて書いたのでした。 反対のことばかりして、愚かなことばかりする自分を ちょっとおちょくってやろうということです。 もちろん、ぼくと同じ方もいらっしゃるだろうとは思ってましたけど^^;。 では(^^)。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 04040/04041 GGA02514 KAZE 風の本棚●ミネルヴァの森の哲学教室 (13) 95/12/12 13:42 ■山口實「ミネルヴァの森の哲学教室」(TBSブリタニカ) 「ソフィの世界」が話題になっていますし、それはそれで西洋哲学史の概観を 面白く描いているのは、画期的なことかなと思うのですが、 やはり、哲学はもっと深くさまざまな問題に切り込んでいくほうが、 ずっとスリリングだと思います。 シュタイナーも最初は、ゲーテの自然学の研究ととともに、 哲学の問題として、人間の自由をはじめとした根本問題を さまざまに探求していました。 そしてそれがその後に展開される神秘学の認識的基盤にもなっていたわけです。 今回ご紹介する山口實さんの「ミネルヴァの森の哲学教室」は、 生命の問題の根本の部分についての、非常に分かりやすく しかも非常に深い切り込みがなされているように思います。 この本を手に取るまで、ぼくは、この山口實さんのことを知らなかったのですが この方はカントの「純粋理性批判」の解説に取り組んでいるのをはじめとして 最近、「生命のメタフィジックス」という著書など書かれたということで それも早速読んでみようかなと思っているところです。 カントといえば、シュタイナーの「自由の哲学」というのは、 カントを超える認識を提示しようとしたものでもあります。 この「ミネルヴァの森の哲学教室」は、アテネの女神、アテナが ミネルヴァの森のフクロウに「生命」ということについて 二十三夜に渡ってお話をしていくという設定で書かれていて、 毎回、ひとつのテーマがわかりやすくとりあげられています。 全体としては、「生命は物質だけから偶然に誕生するか?」 「すべての生命の根源である<驚異的な叡智を持つ生命>が存在するか?」 という二つのテーマが扱われています。 たとえば、こんなふうな具合に話は進められてゆきます。 「第一夜/生命の存在はどのように証明されるか?」より。      女神 また、あなたは、とても心のやさしいフクロウさんだから、悪いことはし   ないけど。仮にもしも何か犯罪を犯したとしたら「私のやったことは機械の必然   的な運動の結果だ。だから何も責任を問われる筋合いのものではない」と本心か   ら言うかしら?   フクロウ 言えないでしょうね。   女神 なぜ?   フクロウ <その行為をしなくてもすむ自由があったのに、それをあえてした>   ということが内心、自分で分かっているから。   女神 そうね。機械と生命が根本的に違うのは、そこなの。機械には自由がない   ということなの。機械は、どんなに判断を素晴らしく出来るように見えていても   あくまで物理的な法則の上に厳密に乗って動いているだけなの。   フクロウ そう言われてみて、あらためて人間の社会をのぞいてみると、確かに   どこもかしこも「自由と責任」の問題ばかりですよねえ?感謝したり、怒ったり   愛したり、憎んだり。みんな「自由と責任が問題にされていることばかり。実際   「自由と責任」が問われなくなったら、人間社会なんて、なくなっちゃうんじゃ   ないかな。人に感謝するのも、その相手が<やらなくてもいい自由があったのに   やってくれた>からですよねえ?怒るのは、<こちらに失礼なことをやらなくて   もすんだ自由があったのに、あえてやった>からなんだ。(P11-13)    このように、非常に重要で深い問題を、きわめてわかりやすく、 実感できる形で、この哲学は展開されています。 この内容からでも、ほんとうにいろいろなことを考えることができるでしょう。 たとえば、唯物論という問題を、この自由と責任から考えてみると、 唯物論の最大の問題は、その認識から「自由や責任」がでてくることができない。 だから、そこに生命や愛ややさしさといったことが無視されてしまう。 そういうことになることがわかります。 「ソフィの世界」で、哲学に興味をもたれた方は、 ぜひ、目を通してほしいなと思う一冊です。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ - FARION MES(14):預言解読村  ★ 預言・予言は何を語るか 95/12/12 - 03401/03404 GBG02043 維/YUI RE^2:百合の解釈について (14) 95/12/11 17:16 03394へのコメント おひさしぶりです。>ひょうたんさん アッシジのフランチェスコ聖堂の写真、早速観てみました。 う〜ん、どうみても12弁の菊にしかみえないぞ・・・。 維/YUI。 03402/03404 GBG02043 維/YUI RE:空白の未来が埋められつつあること (14) 95/12/11 17:16 03399へのコメント おかえりなさいです>はなさん  「予め記された未来絵図は、空白の部分が埋められつつある…」                           (95/10/16 ハロー) 預言は、変えられることのないものでしたよね。 しかし、未来が変えられないものってことではなく、 そこで、ここに生きるもの達の想念も含む全ての行動が必要と なってくるのでしょう。。。 空白の部分が埋められつつある・・というのは、未来絵図のなかの 預言にはない部分のことで、それは生きる我々の意志と行動の総合された もので埋められていってるのではないかと思っていました。 黙示録的・・というか、壊滅的な未来予想へと、いつの間にか頭の中が ぬり変わってしまっている人がかなりいる・・・という話、ニュースでも 耳にします。 現実の状態を無視した楽観視というのも変ですけれど、 半ば諦めきったような世界観を持っている人が多いらしいことを聞き、 唖然としてしまいます。 キリスト教信者の方々の中には、ハルマゲドンを心待ちにしている人も いるそうで、そのためには戦争が起こらなければならないだとか、 今の世界的な情勢不安みたいなのも、「いよいよか!」と妙にさとった ノリでいる人もいるとか・・。  う〜、わからん。。。 間違ったことは正さなきゃって思うけど、なにも全部壊滅させることは ないじゃんかって思うんだけどな。 なんか変だよ、自分達のやってきた間違ったことを正していこうとも せずに、神を信仰して祈っていれば、最後の審判で助かるもんだろうか? もんじゅのことは、やたら気にかかっています。 他国では、事故が起きたあとは、活動を停止しているようだけど、 日本はきっと、再開するんではないか・・・とニュースを観ながら 旦那が言ってました。 なんでそんなにまで、プルトニウムやらに拘るのか、本当のところを 聞いてみたいぞ・・・教えてくれないだろうけど。 スピードが早くなるってのが、「坂道を転がり落ちるように」 とめられなく、方向も修正できないようになってしまうのは まずいよ・・・と思いました。 でもね、かたや今の世の中の辛い状況をひとつひとつ片づけて、 自分の歩いてきた道で、かたずけなければならないことを きちんとかたずけていけば、良い時代を築けるんじゃないかと 思う人が増えてきていて、なげやりではなくなってきてたりして、 少しは期待したいって、私は思うんだよね。。。 維/YUI。 - FARION MES(19):世も末ばなし ★ ぶっ飛び話・罰当たり話 95/12/12 - 747/749 MHA01114 シュメ−ル RE:犯罪分類 (19) 95/12/11 23:36 745へのコメント SUB:時間フラクタル RE:745  HALさん先日はどうも。そう、即友人のとこへいって変換してもらいました。 お陰様で、とてもおもしろかったです。いつもお世話になってます。感謝です。  さて、相変わらずのシュメ−ルやってました。水場をあらす鳥の件ですが、アポ リジニにとって我々がミュータントになってしまうってことは、ミュータントプロ ジェクトというか、実際文明化を指導してきた宇宙勢力一般に、どういう印象をも ってるんだろうと、注意しながら読んでたら、鳥の悪口がでてきたもんで、あれれ、 と思った程度です。アポリジニさんたちと我々でいったいどっちが自由人かっての は難しい問題。  それと、みれさん関連では、私の文章で誤解をうけちゃまずいはな。基本的に、 HALさんが誰かの生き方を批判したことって会話のうえではあんまり記憶に無い。 様々なお誘いがあって、それらに対してHALさんが靡かなかったという経緯が在 るだけでしょう。その意味で、生きる基本姿勢においては実に、付き合いの悪い人 なんでしょう。その分、日常的な付き合いは多分、かなりいい人なんじゃないかと 思う。すくなくとも、私はずいぶんお世話になってる。ま、仕事の依頼はしょっち ゅう入るが、いっこうに首を縦にふらないゴルゴ13みたいな分類でどんなもんで しょうか。…とオリ・シリ・プレとは違った分類をひとつ。確かにHALさんのい うとおり、何かの分類に拘ると、そこからこぼれるものも多くなる。分類ってのは 対象を良く見るための道具というよりは、対象を支配するための道具になってしま う。見たものの二次加工になってしまう。曖昧さに耐える精神の強靭さみたいなも のを失ってしまう。視るのではなく、聞くこと。もともと音楽は所有できるもので はなかったと思う。最近のヘットホンリスニングって、音楽を所有するものに変え てしまってはいないんだろうか。  今回は依存、自由、恐怖あたりをメインテーマにしたいところですが、我々の自 由や独立ってどうもシステムに保証された枠内での自由という線を越せないでしょ。 システムを越えたとおもっても、そこにはまた新手のシステムがある。世界を横向 きに旅してさまざまなシステムを体験しても、世界を縦向きに追及して、フラクタ ルの眺める視点や扱える周波数を高めても、そこにはいつかみたフラクタルがまた 見えてくるだけしゃないのだろうか。「帰りたい」以上に、「消滅したい」って願 いが出てきてもおかしくない。この手の退屈が蔓延しだすと、宇宙は消滅へのサイ クルへとはいっていくんだろうか。  最近、シャンバラにはシャンバラのシステムが在って、そこももしかすると、現 代の会社組織みたいな構造をしてるんじゃないかという思いに囚われて、えらく興 ざめしてたりしてました。パソコンに例えれば、ひとつのOSのもとで、バージョ ンアップしてきたのがそろそろ別のOSにモデルチェンジするっていうんで、旧O Sで動いていたソフトが決死の覚悟で新しいOSの作成システムをサーチしてみた。 すると、そこにはOS造りの専門技術者がいて、彼には彼の属するセクションがあ って、チーフがいて、課長や部長までいたりする。どっかで散々見慣れた風景がそ こにも展開している。これって興ざめだよ。そのうちに「そういえば、俺も昔OS 作ってて、自分でつくったOSで走るソフト造りのほうがおもしろいかもしれない と思って、仕事変えたんだった。」なんて事を思い出したりする。宇宙の空間的構 造がフラクタルであるだけでなく、創造プログラムの発動システム自体もフラクタ ルなのかもしれない。結局、この宇宙って空間的にも時間的にもフラクタルなんじ ゃないか。   748/749 NBD02346 ION HIPHOP... (19) 95/12/11 23:53 音楽は確かに未来を写してますね。 HIPHOPは特に強力な力の関与を感じます。 テクノや、オルタナティヴも何か、近い未来や遠い未来の錯綜した イメージのサンプリング機能を果たしているのでしょう。 日本のHIPHOPも、何か、確かに、関与しているものの手触りがあるのですが。 例えば、いとうせいこうの再発アルバム。 例えば、ヤン富田のドゥーピータイム。 例えば、ウォーターメロングループの再発アルバム。 749/749 QZY01267 猫の手 RE^2:もう、信じなくてもいいんでしょ!! (19) 95/12/12 01:51 744へのコメント  信じなくていいんでしょ。  信じなくていいんでしょ。  あなたの言うこと信じなくていいんでしょ。  そんなに押し付けがましく言う人大嫌いよ。  知ったかぶりする人大嫌い。  私は私の世界で満足してるの  私は私のことで精一杯なの。  私はあなたにいろいろ言われても、  私のできることしれている。  私は日々のことに精一杯で、  世界のことになんか、  ましてや宇宙のことになど責任もてないわ。  私は今の私のことで精一杯だというのに。  今を苦しみもがいてる私に何をやれと言うの?  今をうろたえている私に何しろというのよ?  ちっぽけな私  ちっぽけな私  こんなにちっぽけな私に  何をしろと言うのですか?  私は今の私で精一杯なの  私はそれ以上できないわ。  私が助けてもらいたいときに  私が苦しんでるときに  私に何しろと言うのですか?  もう私に妙な期待はしないで欲しい。  もう私にかまわないで欲しい。  私が助けてもらいたいのよ  私が救われたいのです。  他の人がどうかは私には分からない。  他の人が何考えてるか私には分からない。  私を救ってくれる誰かが居るならば  私を癒してくれる誰かが居るならば  私はそれで十分よ。  私はそれ以上求めない。  私を愛してくれる人  私を守ってくれるもの  私はそれはあれば十分よ。  私はそれを信じたい。    私が辛いとき小言なんかいわな言わないで  私が苦しんでるときにさらに重荷を乗せないで。  私は何も要らないから  私は何も欲しくないから  私を護っていて欲しい。  私を柔らかく包んでいて欲しい。  今は何も要らないなんて言いつつも  欲張りになってしまう私も知っている。  そんな私も赦してくれて、  そんな私も護ってくれる  そんな人が近くに欲しい。  そんな何かを私は信じたい。  わがままな私でご免なさい。  好きなこと言ってしまってご免なさい。  私はそんな大きなこと考えられない。  私はちっぽけなちっぽけな人間だから。  あなたの言うようなこと  もっと偉大な誰かに言って欲しい。  私みたいな無力な者に  そんなことそんなことできないわ。  あなたが私を護ってくれると言うならば  何も言わずに護っていて欲しい。  あなたが私を助けてくれると言うのなら  何も言わずに助けて欲しい。  ただただ私を助けて欲しい。  私のわがまま聞いて欲しい。  私のわがまま受けとめて欲しい。  それが私にとっての愛、  それが私の望んでる愛。  他に何も要らないの  他に何も望まない。  無力の私を  無知な私を護って欲しい。  わがままな私を  いいかげんな私を赦して欲しい。    あなたに何も言うなと言われたけれど  あなたに嫌われてしまったけれど、  一言言わせて欲しい。  宇宙はあなたの望んだそれそのものだっていうことを  誰に対しても、  何に対しても  あなたの望んだそれそのものだっていうことを  誰もがあなたと同じこと感じてる  誰もがあなたと同じこと思ってる  それを信じなくていいけれど  何を信じてもいいけれど。  あなたはあなたを大切にして欲しい。  あなたはあなたのままでいい。  ちっぽけなあなたも  わがままなあなたも  宇宙はみんな受けとめてくれていて  宇宙は総てを見護ってくれている。             ** QZY01267/『猫の手』 <95/12/11 08:29:40> **