大きな燭台を掲げた天使…「さて、どちらの舞台に幕を引くのか」 - FARION MES( 2):Wellcome All ◆ 四次元喫茶 カルフール 95/12/18 - 05132/05149 NBB01420 SUKE 芸能人のパソ通 ( 2) 95/12/17 16:43 05123へのコメント #5123 九印さん、台詞間違えまして失礼しましたぁ(^^;) でも案外芸能界の人もパソ通参加していると言う噂は…?? 案外、ファンクラブをフォーラムみたいに持つようになれば、芸能人も来てく れないかな? ファンレターならぬファンメール…むむ、収集がつかなくなりそうだ(-_-;) そういえば九印さんも千葉県民でしたっけ(^^;) 私も学生時代は千葉に住んでいたんですけど、船橋あたりの海辺のイメージし かないもので(^^;)          アップ千葉は語呂が良いけど          アップ神奈川では長すぎるなぁ(^^;)…☆ッテナモンダ Suke. - FARION MES( 3):Media Talk ◆ 本/映画/音楽を語る 95/12/18 - 01047/01049 JCF02051 めのう うたのちから ( 3) 95/12/17 23:31  12月15日、札幌市民会館で行われた吉田美奈子のコンサートに行った。  コンサートも初めてなら動いている彼女を見るのも初めてだった。    とにかく衝撃的だった。  彼女の第一声「ウー」という低い声を聴いただけで、身体が震え、涙がぽろ  ぽろこぼれていた。  今までいろいろな人のコンサートに行って、感動したことだって何度もある  が、こんなのは初めてだ。  「魂が揺さぶられる」とはこのことかと思った。  隣で夫も泣いていた。  2列目だったから歌う彼女と何度も目が合ってちょっと恥ずかしかった(^^;    詞に合わせて手話とマイムの中間のような身振りをしていた。  怒る女を歌うときには怖いくらいの「怒り」が伝わってきた。  歌のそこかしこに「祈り」があった。  彼女の周囲で精霊や天使が祝福しているような気がした。    結局、1曲目からアンコールまで涙が止まらなかった(^^;  「歌には、音楽には、まだこんなにも力があったんだなぁ」と思うと同時に  CDの再現力の限界を感じた。                           ◆◆ めのう ◆◆ - FARION MES( 6):ハロー・メッセージ ★ 今日のハロー・メッセージから 95/12/18 - 00398/00406 GBG02043 維/YUI やろう、やろう! ( 6) 95/12/17 20:48 00392へのコメント 皆様のお知恵拝借RT 維/YUI。 00400/00406 KFQ02761 しまうま 【期間限定】辛いのは…… ( 6) 95/12/17 23:16 :92/08/21 『NAMEさんが辛いのは、愛されないとき?愛せないとき?』  FARIONが開設されて3カ月目、僕が入会して間もないころのHMです。うー ん、懐かしい……シミジミ。  ちなみにこの「NAMEさん」の部分には、HMを見る人のハンドルネームが自 動的に挿入される仕組みになっていたみたいで、例えば僕がFARIONにアクセス すると「しまうまさんが辛いのは……」と表示され、仮にイチローくんがアク セスすれば「イチローさんが……」と表示されていたわけです。  この当時僕はまだ学生で、後輩に好きな子がいました。別に辛いことがある ほど真剣に「好きじゃ〜っ!」という感じではなかったのですが、このHMを 見てちょっと考えちゃいました。  「そりゃ愛されないほうが辛いに決まってる」と、最初は思いました。でも、 考えてみると「愛されなくて辛い」のは、人を愛しているとき、です。自分が 好きでもない人から愛されるのは、逆に辛いことだってあります(そんな経験 ねーけどよぉ(--:))。  では、辛いのは「愛せないとき」なのか? うーん、そうとも言い切れない ような……。そもそも「愛せない」ということは、「愛したい」という気持ち があることが前提になる。しかし「愛したい」と思うことで「愛せる」ように なったりするものなんだろうか? 「愛する」ことはなんちゅうか、もうそれ 一個で完結しちまってるというか、「愛したい」と思って「愛せるようになる」 ようなもんでもないし、「愛したくない」と思ってたって好きになっちゃうと きはなっちゃうもんだ。  まあ、それはいいとしよう。  人を愛していないとき、というのは辛いか?どうか? それはどっちとも言 い切れないと思う。心にすきま風がヒューヒュー吹いて「も、もう……もう誰 も好きになんてなるもんかっ(泣)」なんてときは辛いだろうし、一人でいて、 別に好きな人もいない、なんて場合も幸せなときは幸せだ。  でも、「自分を愛せないとき」というのは、確かに辛いと思う。そう考える と、このHMはしっくりくる感じだ。 「しまうまさんが辛いのは、自分が愛されないとき?自分を愛せないとき?」  この問いになら、はっきり答えられる。別に自分が人から愛されてなくたっ て、別に辛くはない。そりゃ、辛いときもあるかもしれないけど、それは些末 な辛さだ。自分が自分を愛せないときこそ、ホントに根源的に辛いと思う。か つてそうだった自分を思い出すにつけ、そう感じる。  おっと、いつの間にか語調が変わってしまいました(^^;。  ま、そんな時代もあったよね、という話です。   しまうま(KFQ02761) 00401/00406 GGA02514 KAZE 実践論としての八正道 ( 6) 95/12/18 00:09 00396へのコメント コメント数:1 しまうまさん、どうも。 >> 逆に、「王子さま」程度である自分を鏡に映して「立派な王様」である自分 >>を見いだしてしまう、というパターンもありそうな気も、しました。 はい、むしろそういう場合のほうが多いかもしれませんね。 鏡を見ながら、「世界でいちばん美しい人はだあれ」なんて聞きながら、 「それはあなたでございます」なんて言わせて喜んでいるような^^;。 >>:「鏡に映った自分と、鏡に映った自分を見ている自分」との矛盾 >> >> を、その矛盾そのものを原動力にして自覚していく、ということが必要にな >>るんですね。もちろんそのためには、矛盾に気付くことが前提にあるのですが、 >>「影」である自分像に酔いしれちゃっていると、なかなかその矛盾を認めるこ >>ともできない、ということもあるかもしれませんね(あー耳が痛い(^^;)。 はい、ぼくも自分で言っておきながら、耳が痛いんですよね、ほんと^^;。 そこらへんの方法論としての「中道」の実践を お釈迦さんは「八正道」ということで言ってたようです。 いわゆる、正見、正思、正語、正業、正命、正精進、正念、正定です。 そうした自分を鏡にちゃんと映せるような実践を通じて、 発展的にみずからを磨いていくということが必要のようです。 >うーん、自由への道のりって、本当に遠いんだなあ。がんばろうっと。 はい、たぶん、永遠に続くのだと思います。 だって、「自由への道のり」こそが、人間の存在意義なのですから。 (と、少なくともぼくはとらえています) では(^^)。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 00404/00406 KFQ02761 しまうま RE:実践論としての八正道 ( 6) 95/12/18 05:20 00401へのコメント #00401 KAZEさん  いつもありがとうございます(^^)。 :鏡を見ながら、「世界でいちばん美しい人はだあれ」なんて聞きながら、 :「それはあなたでございます」なんて言わせて喜んでいるような^^;。  うぷぷっ(^^;。……と笑いつつも、そーゆー部分が自分の中にあることを感 じます(__;)。 :そこらへんの方法論としての「中道」の実践を :お釈迦さんは「八正道」ということで言ってたようです。 :いわゆる、正見、正思、正語、正業、正命、正精進、正念、正定です。  おお、八正道! 子供の頃日曜学校に行っていた(行かされていた(^^;)の で、名前はよく覚えています。でも、その意味内容とかは全然身についていな いなーと思います。  一言でいえば、「自分の考えや行いを細かく1つずつ常にチェックの対象と する」という感じでしょうか。「あらゆる面で意識的に生きる」みたいな……。 :はい、たぶん、永遠に続くのだと思います。 :だって、「自由への道のり」こそが、人間の存在意義なのですから。  うーん、そうですね。「はい、完全に自由になりました」「じゃあキミ合格 ね」とかいって次のステップに進める、なんてものではなさそうですね(^^;。  その過程を、楽しみつつ、進歩していければいいなと思いました。   しまうま(KFQ02761) 00402/00406 GCG01101 アマデウス 【期間限定】僕の心に残ったHM ( 6) 95/12/18 00:18 00390へのコメント コメント数:1 #390 しまうま さん   【期間限定】って、ビールか何かみたいですね(^^;    この機会にFARION創設以来の全HMに目を通してみたんですけど、  こうやって全部通しで読み直してみると、いろいろ気付くことがありますね。  初期の「NAMEさん」がついたメッセージの中にも、預言っぽいものが結構  沢山含まれていたり(当時は全くそうだと思っていなかったんですけどね)、  繰り返し出されているものがあったり。   何かを感じたメッセージにチェックしながら読んだんですが、チェックの  多いこと。ここから選ぶのは大変だなぁと思うので、とりあえず手始めに、  今年のすべてを一言で表したように感じたこのメッセージを挙げておきます。  95/01/03 この先、目を奪われる事多くあれど、安き心もて諸事に当たれよ   これは以前からRTで何度か言ってきましたし、先日のテーマRTでも  挙げさせていただきました。今年は本当に目を疑うような出来事が続発した  ことは誰も異論がないと思いますが、年頭にそれを指摘していたこのメッセ  ージは、ずっと念頭にありました。(シャレぢゃありませんよ(^^;)   特に僕自身にとっても衝撃的な体験であった阪神大震災がこのメッセージ  のすぐ後で起こったため、なおさらだったのかもしれません。  ということで……                          アマデウス 00405/00406 KFQ02761 しまうま RE:【期間限定】僕の心に残ったHM ( 6) 95/12/18 05:20 00402へのコメント #00402 アマデウスさん  こんにちは(^^)。  期間限定テーマへの早速のご参加、どうもありがとうございますm(__)m。 : 【期間限定】って、ビールか何かみたいですね(^^;  あははは。来年は【地域限定】に挑戦しようかな(^^;ナンチテ。 : 初期の「NAMEさん」がついたメッセージの中にも、預言っぽいものが結構 : 沢山含まれていたり  そーなんですよねぇ。「夢の轍」なんて言葉は、案外初期の頃から言われて いたようですし……。なんかこう、いきなり厳めしく始まってもアレだから、 少しずつ慣らしていこうか、みたいな感じだったのかなあと思います。  それから、なんとなく、HMってFARIONを媒体としてこの世に貼られ る一種の“呪符”みたいな意味もあるのかな、という風にも思います。僕らに まったく意味が分からなくても、その言葉が通信にのって日本全国に散らばる ことに意義がある……みたいな。もちろん、その言葉を読み解こうとすること にも十分な意義があると思いますけれど。 :  何かを感じたメッセージにチェックしながら読んだんですが、チェックの : 多いこと。ここから選ぶのは大変だなぁと思うので、とりあえず手始めに、 : 今年のすべてを一言で表したように感じたこのメッセージを挙げておきます。  うーん、なるほど。「多すぎて選べない」という方はけっこういらっしゃる のかなぁ? もしそういう方がいらっしゃったら、とりあえずチェックした全 部のHMだけを、コメントなしでだーっとアップしていただいても結構ですよ ん>皆さま。 :  95/01/03 この先、目を奪われる事多くあれど、安き心もて諸事に当たれよ : :  これは以前からRTで何度か言ってきましたし、先日のテーマRTでも : 挙げさせていただきました。今年は本当に目を疑うような出来事が続発した : ことは誰も異論がないと思いますが、年頭にそれを指摘していたこのメッセ : ージは、ずっと念頭にありました。  アマデウスさんのこのお言葉には、本当に実感がこもっていますね……。一 時期FARIONの中でもパニックのように安否確認のメッセージが飛び交ったりし たことを、思い出しました。  うーん、改めて「思い出した」ということは、もう忘れかけているのかなあ。 今年あった事ごとというのは、忘れてはいけないこと、心に刻みつけておくべ きこと、そして刻みつけることで、新しい未来の礎にするべきこと……という のがたくさんあったなあ、とも思います。  振り返ってばかりもいられないけど、忘れてしまってはいけませんね……。  アマデウスさんをはじめとする関西陣の皆さんのご無事を、改めて神様に感 謝したい気持ちになりました。   しまうま(KFQ02761) 00403/00406 CXK03125 月影 【期間限定】初体験 ( 6) 95/12/18 01:43 コメント数:1   月影ですm(__)m>しまうまさん>ALL   心に残るHMということで、少しですけど、書かせてください(^^) >94/02/13 神津(カミツ)神志(カミシ)神幸(カミサチ)足る者よ、海神王の嘆きを伝えよ   これは、僕が初めてFARIONにアクセスした時のHM   何も知らず、一つのコマンドを入力するのにもドキドキしていた紅顔可憐 だったあの頃。   NIFに入って一番最初に入れたコマンド 『GO FARION』のあとに飛び出 してきたのが、このHMで、ただひたすら、『カッチョエェ〜(^^;』と唸   っていたのを覚えています。   思えば、『マヤ』誌でARIONとお別れになった時は、すぐさまNIF   に飛び込みたいとか思っていながらも、貧乏高校生だった僕に、通信環境 を整えるすべがなく、『書き込み寺』を読んでは、やりたいなぁ〜   でも、できない。そんなジレンマに苦しみながら・・・・   そして、ゴールでまっていたのは、上のハローなのでした。しかし、ゴー ルはスタートだったんですね・・・・   いゃぁ、しかし、見るたびに、あの日を思い出すぅぅ(^^;   まだワープロも新品で、説明書のインクの匂いにまかれ、四苦八苦しなが   ら、なんとかアクセスしていた自分。   あの頃は、なんでもドキドキしていたなぁ(;_;)  RTも怖かったなぁ(^^;   『>』をつけることも知らず、確か『こんにちわ・ALL』 ↑(笑) とかって、わけのわかんないことをしていたような(^^;   あの頃、夢中になってたCBの友達は今どうしているだろう。   まだ2年ぐらいなのに、大昔のことのようです。        月影 00406/00406 KFQ02761 しまうま RE:【期間限定】初体験 ( 6) 95/12/18 05:21 00403へのコメント #00403 月影さん  ようこそいらっしゃいませ〜(^^)。  タイトルを読んだときは、思わずオトナな内容を期待してしまいました(^^;。 :>94/02/13 神津(カミツ)神志(カミシ)神幸(カミサチ)足る者よ、海神王の嘆きを伝えよ : :  これは、僕が初めてFARIONにアクセスした時のHM  おおっ、いきなりインパクトのあるHMだったんですねー。  最初の頃って、なんか、自分一人に語りかけられているような気がしたりし ませんでしたか?>HM かっちょいいHMだったりすると、なんとなく気分 いいですよね(^^)。 :  RTも怖かったなぁ(^^; :  『>』をつけることも知らず、確か『こんにちわ・ALL』 : ↑(笑) : とかって、わけのわかんないことをしていたような(^^;  ううむ、月影くんにもそんな時代があったなんて(^^;。人に歴史ありって感 じですね。  月影くんの7番とかでの書き込みを読んでいると、「悩みながらどんどん精 神的に深いところに進みつつあるなー」と感心してしまいます。やっぱ若いっ てすごいなあ。  今の時期を、きっといつかは「いい経験だったな」と振り返ることのできる 日がくると思います。陰ながら応援していますよ。頑張れ、月影くん!(^o^)/ファイトー!   しまうま(KFQ02761) - FARION MES( 7):自分を観る  ★ ARIONを鏡にして 95/12/18 - 06712/06722 NBB01420 SUKE 自然を鏡にすること ( 7) 95/12/17 16:44 06710へのコメント #6710 プレアデスさん、こんにちは。 まずこれを読んでいる人々へも意識してここにはっきりさせたい事は、 プレアデスさんが恥をかいたと言うことは全然無いと言うことです。(-_-)KIPPARI と言うのも、平和のために瞑想すること自体はそんなに悪いことではないと思 います。大晦日の晩に瞑想したい人はすれば良いと思いますし、私も大晦日と は言わずに自然と対話するような気持ちで目を閉じていることって何度もあり ました。 プレアデスさんが提案した事が、この会議室の主旨とどう絡んでくるのかが問 題の焦点なのですから、プレアデスさんを否定する意図も無ければ、むしろそ の情報を欲しかった人には有益だったとも思いますよ。(^^) で、これからはプレアデスさん自身について考えて書きますね。 この会議室では他人を鏡にして自分を観ることを試みている訳ですが、 プレアデスさんは自然を鏡にして自分を観る方法を自分なりに作り上げて来た んですね。そしてその中で得たものというのは、自分の無知さの認識であり、 そこから人間に必要な謙虚さと言うものを学んだと。 これはプレアデスさんの貴重な経験ではないでしょうか。 そこで次に皆でこれを行おうと言う提案をされたわけですが、ここで以前に ARIONが書いた「自分を観るについて」(#6255)をもう一度読んでみて下 さい。そこでは、今正に自分にとっての問題があって、それを解決しようと言 う気持ちが不可欠であることが語られています。 そこで振り返ってみると… 皆が瞑想しなければ、プレアデスさんはどのような不都合が生じるだろうか? 皆が瞑想すれば、その不都合が解消されるか? そう考えてみれば、実はこれはプレアデスさんの不都合ではないのでは?と思 えるのです。むしろ周りの多くの人々に普遍的にある不都合なのではないかと。 で、それをプレアデスさんが気がついていながら解決しようとしているのであ れば、プレアデスさんは多くの人々に成り代わって彼らの不都合を解決する方 向を打ち出そうとしている、大変な作業を始めてしまったことになります。果 たしてそれは可能でしょうか? プレアデスさん自身がおっしゃるように、私も謙虚さが大切だと思っています。 その意味では、私であれば多くの人々に成り代わる事は出来ません。もし瞑想 する方向性を打ち出そうとするのであれば、自分がその瞑想によってどのよう な成果を得たか、どんな感動を得たか、そしてそこから学んだものはどうだっ たか、そういう事をここに書いてみます。決して他人に勧めないけれど、自分 はこうだった、と、そういう書き方で。 それは「やってみよう」と誘うよりも、自分の身を持って体現するやり方だと 思っています。 それを読んで感動し、共感した人は、自分なりにもやってみようと思うもので しょう。私達が謙虚さを持ちながらも何かを伝えて行こうとすれば、そうやっ て身体で示して行くしか無いのではないでしょうか。ついてくる人が一人もい ないかも知れない、けれど、自分が信じたことを身を持って実践してゆく、そ れしか努力の道はないのではないかと思うのです。 さて、実は今回のレスは多分、私がプレアデスさんの鏡になっているんでしょ う。会議室の主旨と合う合わないと言った表面的なコメントにはしなかったつ もりです。 ですから、署名も1会員としての署名を書きますね(^^;)                        (^^)…☆ッテナモンダ Suke. 06714/06722 QZE00326 白道 ココロはどこに ( 7) 95/12/17 19:29 06657へのコメント #6657  SUKEさん  こんばんは 遅くなりました        数日留守をしていました さて、 >感動的な本に出会したときは、それを他人にも伝えたいと思いますが、実際に > はその本から何を受け取るかは人それぞれだったりして、余計なこと >を薦めてしまったなんて後悔することもありませんか(^^;)  確かに、あの人には薦めなかった方がよかったのではないかと後から 思うことはあります。中には私の頭の中を疑う人もいることだろうと思 っています。 >むしろ感動したその自分が、それを元にどう行動するかで周りに伝 >えて行くしか無いような気がします。  全く同感です。なかなか難しいことではありますけれども。 > 自分の存在価値について、今日やってみたことを書いてみますね。  あなたの素直に物事を受け止める姿勢と闊達に行動に移す実行力に敬 服します。 >この社会システムがあるからこそ、優劣損得良否善悪が生まれて、  私たちがこの世に生を受けて物心が付いた頃には、人間社会が視界の 中に入りきれないほど巨大な存在として眼前に立ちはだかっていること に気づきます。そしてか弱き個々の人間は社会のルールを守り社会シス テムに保護されることによって生命を維持し、社会が提示する幸福観を 自分の価値観の中心に据えて一生をレールの上をまっすぐ進んでいくこ とに自分のエネルギーのほとんどを費やしています。そして、一生を終 えようと言う頃、自分が今まで手に入れたと思っている様々なことを指 を折って数え上げ、「ふむ、私の人生も悪くはなかったな」と妙に納得 して最後の時を迎えます。  私はもう自分を説き伏せて生きていくことはやめにしたいと思ってい ます。                         白道 06716/06722 KFQ02761 しまうま RE:自分主体でやってみるも… ( 7) 95/12/17 21:02 06706へのコメント #06706 まあさん  またまたこんにちは(^^)。割りコメで失礼するです。 :質問。自分主体というと何かしら“欲”みたいなのがでてきがちです :(私だけか?)。  みれさん宛のご質問に僕が横から口をつっこむというのはちょっとオコガマ シイような気もしますが、思うところを少しだけ……。  たぶん、“欲”を頭から否定する必要はないんじゃないかなあ、と思います。 例えば「寝ていたい」「ぼーっとしていたい」というような、自分で「これは “欲”だな」と思うような気持ちが出てくるとき、というのは、もしかすると 心や体が自分では気付かないところで緊張しすぎているのかもしれません。ち ょっと自分の頭の中の規制をゆるめて、“欲”に従ってぼーっとしてみると、 緊張がほぐれて今の状況に対する柔軟な対処の方法が浮かんだりする、とかな んとか、少しはイイことがあるかもしれませんよ。あまり最初から「これは欲 だからダメ」という風には決めつけないほうがいいような気がします。  もちろん、実際に欲に従ってみて「やっぱり後悔だけが残った」ということ であれば、「こういう場合はこの欲には従わないほうがいいんだな」と学習す る必要があるでしょうけれど。  なんとなく、端から見ていると、まあさんの考え方や行動の規範は、一つの “水路”を通っているような感じがします。「こうじゃなくちゃいけない」 「こういうときはこうするべきだ」みたいな。  もし今たどっている水路に行き詰まりを感じられるのであれば、ちょっと選 択の幅を広げてみて、普段は通らないような水路を選んでみる、というのもい いんじゃないかなと思います。  ではでは、がんばってくださいね(^^)。   しまうま(KFQ02761) 06720/06722 JCF02051 めのう RE^2:「半円と半円」から「円と円」へ ( 7) 95/12/17 23:32 06709へのコメント  #6699 & #6709 たいきゅうさん  こんばんわ〜(^^)    6番のもレスしたいなと思いつつ、なんやかやで延び延びにしてました(^^;  そうこうしてるうちに節目を迎えられたようで、ひとまずはおめでとうござ  います。(って言うのもなんかヘンね(^^;)  その間のKAZEさんや他の方のコメントは私にとっても大変ありがたいもので  した。    他の皆さんがここに書き込まれていることのほとんどが自分の問題に直結し  ているように、最近特に感じます。  時間がなくて(言い訳ですゴメン)すぐには反応できないけれど、確実に私の  糧になっています。  皆さんどうもありがとうm(_ _)m   》 しっかり、自分を観ていくよ。しっかり直視するよ。  私も肝に銘じました。                           ◆◆ めのう ◆◆ - FARION MES(13):神秘学遊戯団 ★ 限りなき神秘への航海 95/12/18 - 04054/04054 GGA02514 KAZE 風の本棚●鷲田清一:ちぐはぐな身体 (13) 95/12/18 00:10 ■鷲田清一「ちぐはぐな身体/ファッションって何?」       (筑摩書房/ちくまプリマーブックス93) おそらくこれは、ファッション論としてはかなりラディカルなもの。 しかも、この筑摩書房の「ちくまプリマーブックス」というのは、 高校生に向けて書かれたものなので、とっても気軽に読めるのが素敵です。 著者の鷲田清一氏は哲学者だし、この本も正真正銘の哲学書。 「ファッション」は哲学にならないと考えていたら大間違いで、 これは「身体」から「アイデンティティー」の問題までが、 深く深く関わっているとっても切実な問題なわけです。 ぼくが「ファッション」に関して読んだ最初の思想的な本は、 かつて大ファンだったロラン・バルトの「モードの体系」でしたが、 この鷲田清一氏の著書にも、「モードの迷宮」「最後のモード」 なんていうのがあるから、おそらくバルトの大ファンだったようです。 ちなみに、ロラン・バルトには「言語は権力である」という言葉がありますが それはかつてぼくにとっても衝撃的な影響を与えたように思います。 これはまったくの余談ですけど、 そのロラン・バルトも突然のように交通事故で亡くなってしまいましたし、 フーコーはエイズで、ドゥルーズは自殺で、とフランスの重要な思想家・哲学者は わりと劇的な死に方をしているようです。 前置きが少し長くなりましたが、本の紹介に戻りましょう。 この本は、身体論を導入部として、そのうえで、 ファッションについてのラディカルな考察に移るわけなのですが、 その導入のところで、「身体は<像>だ」というように 身体を確固としたものとしてではなく、こわれやすいイメージとして提示します。   ぼくの身体でぼくがじかに見たり触れたりして確認できるのは、つねにその   断片でしかないとすると、このぼくの身体って離れて見ればこんなふうに見   えるんだろうな……という想像のなかでしか、ぼくの身体はその全体像をあ   らわさないと言っていいはずだ。つまり、ぼくの身体とはぼくが想像するも   の、つまり<像(イメージ)>でしかありえないことになる。言いかえると   見るにしろ、触れるにしろ、ぼくらは自分の身体に関してはつねに部分的な   経験しか可能ではないので、そういうばらばらの身体知覚は、ある一つの想   像的な「身体像」を繋ぎ目としてたがいにパッチワークのようにつながれる   ことではじめて、あるまとまった身体として了解されるのだということだ。   ぼくらが着る最初の服は、この意味で、<像>としてのからだの全体像なの   だ。そして、身体はその意味で想像の産物、解釈の産物でしかないからこそ、   もろいもの、壊れやすいものなのだ。(P11-12)    「身体」は、自分というアイデンティティーの支えであることが多いわけですが その身体が「イメージ」それも、非常に壊れやすいものだというのです。 わたしたちは、こうした壊れやすい身体のイメージを補強しようとして、 ほんとうにさまざまなことをしています。 つまり、<わたし>という存在の「輪郭」を補強して、 <わたし>と<わたしでないもの>を明らかにしようとするわけです。 そうでなくては、不安でしかたがないのです。 そのための方法としては、皮膚感覚を使ったフィジカルなもののほかに、 <わたし>というものの性別や性格、職業、ライフスタイルなどを 目に見えるかたちで表現していくというやり方があります。   イメージとしての身体に切れ目を入れる。それが身体の表面にさまざまの意   味を発生させるもっとも基本的な手法だ。たとえば一枚の布をまとうとしよ   う。布の両端を紐かボタンでとめると布は筒になる。するとそこに<内>と   <外>が出現することになる。そしてその内部が、ぼくだけの「秘密の」空   間となる。つまり、見せる/隠すという二つのベクトルが、布をまとうとい   う一つの行為のなかに発生しはじめるのだ。すると、ひとの視線は布とそこ   からのぞく肌との境界に吸い寄せられる。境目をどこに設定するか、という   のが服飾のポイントになってくるわけだ。(P15)    こうした身体の切れ目である<見せる/隠す>その「境界」。 その「境界」が、<わたし>と<わたしでないもの>の「境界」になっていきます。 そしてその「境界」をあいまいにすることを「きたない」ととらえ、 それをさまざまな「タブー」としたりしていくことになるわけです。   それはたぶん、それらの存在を認めれば、意味の差異、意味の秩序というも   のが成り立たなくなるからだ。それは秩序の根幹にかかわる。ひとは連続的   な存在のなかに<意味>という不連続の切れ目を入れて、差異の体系として   秩序をかたちづくる。男/女、おとな/子ども、内部/外部、自己/非自己、   親族/他人、正常なこと/異常なこと、食べられるもの/食べられないもの、   有害なもの/無害なもの……いろんな区切りを世界のうちに設定していき、   そうした意味の体系によってじぶんたちの生活に一定の安定したかたちを与   えているのだ。だからそれが崩れる気配にはとても敏感である。それを防衛   するために、それを少しでもあいまいにするもの、ないがしろにするもの、   侵犯するものを、どんどん摘発していく。それがさまざまの禁止事項なのだ。                                (P26-27)                               もちろん、だからこそ、その境界を侵犯することが 限りなく魅力的なことになり、そこからの誘惑に心引かれることにもなります(^^)。 隠せば見たくなり、いけないといわれればやりたくなる^^;。 そこに真理があるかのように、それを探り当てれば何かがわかるかのように。 しかし、そこに真理があるのだろうか、ないのではないのだろうか、 意識をそらせることで問題そのものを回避させるように仕組まれているのではないか 著者は、そういう問題提起を行ないます。   物語の結末、ことの真相、最終的な真理というのは、じつをいうと、暴露さ   れてしまえばたいして意味のないことの場合がほとんどだ。そこに真理があ   るというより、そこに真相が隠れていると感じさせることがポイントになる。   (中略)   ぼくらにとってこの最終的な真理とはいったいなんだろうか。生きることの   根拠、つまり、じぶんがじぶんであり、他人と秩序だった関係をむすびつづ   けること(たとえば家族や隣人や同僚として)、そのことが、偶然のこと、   つかのまのことではなくて、当然そうあるべき根拠をもっていたということ   を確信させてくれるようなことがらであるが、そんなものはあるのだろうか。   あるいは、ぼくらはそういう秩序の根拠をじぶんたちのうちに見出すことが   できるのだろうか。   たぶんない。      (P40-41)    今回、この本をご紹介するにあたって、 いちばん言いたかったことがこのことに関することです。 著者は、この引用のように、 「ぼくらはそういう秩序の根拠をじぶんたちのうちに見出すこと」が 「たぶんない」と言っているがはたしてそうだろうかということです。 これは「自由」と「個」ということについての非常に重要な問題です。 #4048で西研さんの「実存からの冒険」をご紹介しましたが、 そのアーティクルの最後に、こういうことを述べました。    》シュタイナーの自由の哲学のテーマも 》「善はそうあるべくしてあるのではない、 》それを意志することでそれを創造しなければならない」 》人間は生まれながらにして自由なのではなく、自由を創造しなければならない。 》そういうことでした。 》 》つまり、真理や道徳、共同体、自我といった問題を外的なものとして 》それにアプローチするのでなく 》それを自由意志によって創造していくということ。 》「そうすべきだ」ではなく「そう意志する」というような 》自由で主体的な創造行為としてとらえること。 》それが大切なことではないかと思うのです。 単に、根拠が自分にない、ということを言ってしまうだけでは、 世界は恣意的な無秩序にすぎないと言っているのと同じです。 もちろん、世界を「恣意的な無秩序」として意志するとしたら、 世界はまさに「恣意的な無秩序」と化してしまうことでしょう。 最近の哲学的アプローチというのは、 どうも「恣意的な無秩序」と「快楽」に逃げてしまう傾向にあります。 そこからは、なにも生まれてこないことにそろそろ気づくべきではないでしょうか。 ま、そのことは別として、今回ご紹介した本は、 とっても楽しい気づきに満ちたスリリングなものですので、ご一読を。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ - FARION MES(14):預言解読村  ★ 預言・予言は何を語るか 95/12/18 - 03435/03446 VFG02047 みあじゃ RE:神話に関する参考図書 (14) 95/12/17 16:56 03429へのコメント コメント数:2  #3429 るーん さん  はじめまして、るーんさん、14番のみなさま、 みあじゃと申します。  とつぜんですが、おじゃましま〜す。しばしお話しさせてくださいね。  るーんさんのお書きになっている内容を見て、「あれ?聞いたことあるような...」  と思っていたんです。そして、今回の参考図書を見て、謎がとけました。   *北沢方邦著    『日本神話のコスモロジー』 平凡社  この本は気に入ってて、何回か借りたことがあるんですよ(読み終えては  いないのですが(^_^; ) *J ・キャンベル著 『神話のイメージ』 大修館書店  この本は持っているんです。図版がたくさんあって、辞典のようですよね。  J ・キャンベル著の最後の著作(確か..)『神話の力』を借りて少し読んで、  おもしろそうな人だなと思ったんです。が、対談形式のもので難しくなって  きたので、買うのはもっとわかりやすそうなものを、と思って注文したのが  上の本なのです。これも、パラパラ見ただけなのですが...。    と、ここまでで、お気付きかもしれませんが、そおです。ちゃんと完読  したものがないのです。ゴメンナサイm(__)m...ツンドクばっかりなの(^_^;  西洋や東洋といった、地域や民族にかかわらない、多くの人に共通に影響する  思想やイメージってあるのかな?と思っていたんです。ユングのいっている  共時性というのにも興味があります。  そんな時に読んだ(この私が読み終えることのできた!)  『カミ・コメ・ツチ・ヒト』には、とても考えさせられました。(あ、今も  考えさせられています。)日本人ってどんな民族だったのだろう...って。  自身の民族について理解するところから、他に広がっていくのかな、と思って  います。その上で、神話とはかなり重要なものなんだろう、と  『日本神話のコスモロジー』を眺めながら(^_^;思ったのでした。    なにも分からないのに、いろいろ書いてしまいましたが...  また、教えてくださいね。>みなさま  それでは、このへんで...                            みあじゃ、でした。 03436/03446 GBG02043 維/YUI RE^2:神話に関する参考図書 (14) 95/12/17 20:49 03435へのコメント ようこそ & はじめまして >みあじゃさん。 『日本神話のコスモロジー』は、以前図書館で借りて読んだ後、 本屋さんに頼んで買いました。ここのところ1年ばかりは読んでなかった のですが、たびたび話に出るようになったので、改めて読んだりして います。 初めて読んだ時は、その星々の読み方が新鮮でした。 > なにも分からないのに、いろいろ書いてしまいましたが...     どんどん、じゃんじゃん書いていいんですよ!!\(^O^)/ それでは、またの書き込みをおまちしてまぁ 〜す。 維/YUI。 03441/03446 PAG03134 はな RE^2:神話に関する参考図書 (14) 95/12/17 21:38 03435へのコメント みあじゃ さん  ようこそ預言解読村にいらっしゃいました。(^^)  ここしばらく出張の連続で、帰ってみたら、えらく預言解読村がにぎわって おり、うれしい悲鳴をあげている村長の はな と申します。 >> 『カミ・コメ・ツチ・ヒト』には、とても考えさせられました。(あ、今も >> 考えさせられています。)日本人ってどんな民族だったのだろう...って。  ARIONのハローメッセージには、こんなのもありました。  「この祖土(オヤツチ)を守る為、出ず国の為、カミ・コメ・ツチ・ヒトを」  過去のログを読んでいただくと分かりますが、アリオンは「カミ・コメ・ツ チ・ヒト」を、最初からすんなり公開していなかったのをご存じでしょうか。  最初は「カミ・**・**・ヒト」と言っており、「時期が来るまでは話せ ない」と、もったいをつけていた頃もありました。(^^;  カミとヒトの間にあるコメとツチ、どうして「カミ・ツチ・コメ・ヒト」の 順番ではなく「カミ・コメ・ツチ・ヒト」なのか、みなさんで意見を交換する のもおもしろいかもしれませんね。  それでは、今後とも預言解読村をよろしくお願いします。                       はな 03437/03446 KFQ02761 しまうま RE:神話に関する参考図書 (14) 95/12/17 21:03 03429へのコメント #03429 るーんさん  こんにちは(^^)。毎度丁寧なご返事ありがとうございますm(__)m。 : 七夕と関係のあるトヨウケ(ウケ舟)を象徴する北斗七星は、夏には :稲穂にみたされたウケ舟として夜空にかかり、冬(霜月)には、ちょう :ど、ひっくりかえって伏せた形のウケ舟となります。  ははあ。昔の人って、北斗七星のひしゃくが上を向いているか下を向いてい るか、というあたりまできちんと観察して、しかもそんな情緒的な解釈をされ ていたんですねー。なんかちょっと感動しちゃいました。  僕なんか、そこまでじっくり星を見ることって全然ないし、そういうことに 気付いたとしてもそんなファンタジックな方向には頭がいかないだろうなあ、 なんて思いました。そういう意味では、現代がとっても貧しい時代のような気 がしました(というか、自分は昔の人より心が貧しいんだなと思いました)。  本のご紹介、どうもありがとうございましたm(__)m。懐と相談しながら(^^; 買いそろえていこうと思います。 :これからもお知恵をいただけたら、うれしいです。  こんな貧相で曖昧な知恵でよければいつでもどうぞ(^^;。  過去ログを読んでいると、るーんさんのおっしゃってた意味が今頃になって わかったり、今考えてることのヒントになったりすることって結構多いです。 こちらこそよろしくお願いしますね(^^)。   しまうま(KFQ02761) 03442/03446 PAG03134 はな RE^4:7+5+3=6 (14) 95/12/17 21:39 03407へのコメント るーん さん  ご無沙汰してます、お元気ですか? >>       プレアデス(スバル)五男神 >>                 ● >>            ● >>         ●       ● >>           ● >>                ●  ↑ここだけ引用してどーする。>私 (^"^)  北斗七星、オリオンともに7つの星から構成されていますね。  ですが、このプレアデスについては、かつてから悩みの種になっています。 プレアデスは「7曜星」と言われる傍ら、東洋の神話では「六連星(むつら ぼし)」といわれています。  こんかいるーんさんがご指摘されたのは「5」であり、プレアデスは7・ 6・5など、さまざまな見方が神話に残されています。  どうしてプレアデスには意味する数字が多いのでしょうか?  また、どの数字をどのように預言解読に結びつけたらよいのでしょうか。  うーむ・・(?_?)                       はな 03438/03446 KFQ02761 しまうま RE^4:炎で書いた物語(序章) (14) 95/12/17 21:03 03430へのコメント #03430 SOUNDさん  たびたびどうもです(^^)。  先日のハローメッセージに関連のありそうなのを、ちょっと探してみました。 僕はこういう数字方面のことに実にうといので、SOUNDさんの鋭い解読にとって もエキサイトしちゃいます。何かお役に立てれば幸いですm(__)m。  93/12/17 ★9は4と共に在る。3が4に顕現しない世の中は暗闇である  94/05/17 樹窪から生まれた太陽は、青き3なる山々を背に矢尻形の島を見る  94/07/21 九四は八五と共に…、渦巻く予兆は逆巻く波涛の助力を得るだろう  95/10/17 割れた亀甲の文字を読むに必要な目は、1、5、6、8、13  それから、三角に関してはこんなのもありました。  93/10/12 大三角の合わさる所、白黒の交点、そして白黒の溶ける所  93/10/31 ★三角の力は、かの蛇の助けを得て鳩尾のところで上向き三角に…  93/11/01 上向き三角は額よりやや上に掲げて光を仰ぎ見よ…それでいい  94/02/03 雪雹は熱く、金輪炎は凍るだろう…しじまを縫うのは逆三角の力  94/04/29 上昇三角は白く光り、下降三角は黄泉の光…水平と垂直の運動を…  94/07/18 金色の三角は、その中に四角い底辺を持つ…手の中の束を見よ…  94/12/21 舵取りは星を読めず、鎖は繋がれたまま‥印は紅白玉、闇の三角  94/01/05 麒麟は獅子の鎖を断ち切り、言った「赤い月は闇の三角を超えた」  95/01/06 虹色三角は、緋と藍の交点を頂にした光と闇の三角が用意される  95/01/29 三角に結んだ契り、345の有限の封印‥真ん中で閉じよ、開く為  95/05/16 上昇三角と下降三角の間に、縦横に花開く蓮華を象る人心の連繋を  ちょっとたくさんありすぎでしょうか(^^;。かえって混乱の元になっちゃっ たらごめんなさいです。  過去のハローメッセージは、データライブラリの1番にすべて登録されてい ます。全部テキストですから、もしよかったらダウンロードして読んでみてく ださいませ。あと、過去のARIONの言葉も、主なものは収録されています。 :迷いに迷ってマックにしたんですがいまだにうまく活用できていません。でも、こうし:て書き込んで、試行錯誤しながらも送信ができるようになってきたのはありがたいこと :です。  1番会議室がパソコンや通信の相談室になりましたので、もし何かおわかり にならないことがあったらそちらでお尋ねくださいね。  ではでは、今後ともどうぞよろしくお願いします(^^)/。   しまうま(KFQ02761) 03445/03446 QWC01550 コットンマウス RE:RE:雪?ともんじゅの事故(1) (14) 95/12/18 05:04 03415へのコメント #03415 るーんさん  こんにちわ(^^) はじめまして(^o^) コットンマウスと申す者です。 割りコメで恐縮なのですが、興味深いお話しとお見受けしましたので、一言コメ ントさせてくださいm(__)m >ところで、きょう(12/14)のHM > 「カルルスに炎立ち、夢追い人の魂を乗せたチロンヌップは雪を舞う」 > も原発関連でしょうか。 とても鋭いですね(^^) るーんさんのご発言に触発されて、上記HMについて調 査してみたところ、12月8日に発生した「もんじゅ」の事故との関係がより鮮明 になってきましたので、お話ししたいと思います(^O^)  まず、「カルルス」の意義についてですが、既にしまうまさん(#3420)とTAOさん (#3421)から詳細な説明がなされておりますので、省略しますが、簡単に言うと「ラ ジウム(放射性元素で、白色の金属)が含まれている単純ナトリウム(温)泉叉は その水分を蒸発させて粉末状にしたもの」です。  ちなみに、北海道の登別市に「カルルス」温泉があり、湯治客に人気があります (私も好きな温泉です(^o^;)。  次に、「チロンヌップ」の意義ですが、これも既にTENさん(#3422)から説明があ ったとおり、アイヌ語で「狐」の意味で、語源的には「どこにでもいる動物」です。  それでは、これらの言葉の意義を踏えながら、「もんじゅ」の事故との関連につ いて考えてみたいと思います。  ご承知のとおり、「もんじゅ」は高速増殖炉でして、ウラン238(核分裂しな い)とプルトニウムを混合させた核燃料を核分裂させて発電するとともに、ウラン 238をプルトニウムに転換させ、燃焼させた核燃料全体の約1.2倍のプルトニウ ムを作り出す(増殖する)ことが可能です。  この燃焼を継続させるためは、反応によって生じた中性子のスピードを減速させ ない事が必要条件ですので、冷却材(炉心の冷却及び熱の取り出しを行う)として、 中性子の動きを阻害せず、熱の伝導率が高い「液体状のナトリウム」を用いていま す(通常の原子炉は冷却材として「水」を用います)。  今回の事故は、2次冷却系(1次冷却系の冷却材から熱交換機を経由して、熱を 受取り、発電タービンを回す)の「液体状のナトリウム」が漏出し、酸素や水と反 応して、約1000度以上の反応熱と白煙を出しながら、最低3時間以上燃焼した そうです(自然鎮火しましたが)。 その結果、床にナトリウム化合物の粉末が堆積したそうです(動力炉・核燃料開 発事業団の発表。以下「動燃」と称します)。  このことを、上記HMに当てはめると、「カルルス」が「液体状のナトリウム」 を指し、激しい燃焼状況から「・・・に炎立つ」と言えると思います。  あと、動燃の発表では2次冷却系統からの漏出とありますが、「カルルス」温泉 に放射性元素が含まれてることから考えて、1次冷却系からの漏出もあったのかも 知れませんね(邪推ですが)。  さらに、白煙が上がるとともに、白色のナトリウム化合物が床に積もってる様は 「雪を舞う」に重なる状態と感じました。丁度、雪原に雪煙が舞うように・・・                             (2)につづく 03446/03446 QWC01550 コットンマウス RE:RE:雪?ともんじゅの事故(2) (14) 95/12/18 05:05 03415へのコメント  ところで、今回の事故がわが国の原子力行政の推進に大きな打撃を与えるととも に、その見直しを迫るものであるのは、世界的なウランのだぶつきとプルトニウム 保有への風当たりの強まりと相まって、まず間違いないでしょう。  この観点から、考えるに、「夢追い人の魂」とは、原子力行政推進によって得ら れる利益(エネルギー不足の恐れからの解放、税収及び人口増加、莫大な建設費等 による利権、技術水準の向上等)を夢想する国、関係地方公共団体、電力業界、建 設業界等の思惑を指していると思われます。  すると、夢追い人の魂をのせた「チロンヌップ」(=「狐」)は、原子力行政そ のものと原子力行政を推進する行政機構(科学技術庁、動燃、通産省、資源エネル ギー庁、関係地方公共団体等)を指すものと考えられます。「狐」の持つ強い「意 志」、狡猾な「知恵」、人を化かす(けむにまく)「技術」は、「原子力を推進し なければ国が潰れる」という強い信念のもと、知恵を絞って道なきところに道をつ けて進んできた「原子力行政」とそれを推進してきた行政機構と、相通じるものが あると思います。  今回の事故が、動燃の設計施工上の不手際と事故発生後の対応のまずさに問題が あると推測すると(原因については、調査中ですので断定はできませんが)、自ら の不手際で、「雪を舞わせ」(白煙とナトリウム化合物を舞わせて)、自らの方向 性(核リサイクルとプルトニウムの利用促進)を見失い、立ち往生する状況に立ち 至ってると言う事ができるでしょう(積雪地帯の田舎道で、車の運転をしていると、 雪が舞って視界が遮られ停車したり、ハンドルを切り損ねることがよくあります)。  さらに、チロンヌップの語源(どこにでもいる動物)からしても、全国的に影響 が波及して、各地で原子力行政の停滞(叉は後退、見直し)が見られるのでしょう。  上記のHMが、カルルス(温泉)いう地名とチロンヌップ(アイヌ語)という北 海道に関係ある言葉を持つことから、北海道に立地計画(叉は構想)のある原子力 関連施設について考えてみました。    現在、日米ロ欧(EU)が共同で熱核融合炉の研究開発進めており、まもなく実 験炉(ITER)の建設にかかる予定ですが、その候補地の一つとして、北海道の 苫小牧東部大規模開発工業基地(以下「苫東」と称する)が挙げられています。  当然、世界各国でも誘致の動きはあるものの、誘致する以上、建設費の負担割合 が高くなる事が避けられないという思惑から、模様眺めの状況にあります。  国内的には、青森県六ヶ所村(再処理工場建設中)が正式に立候補、実験炉の設 計を行っている日本原子力研究所・那珂研究所のある茨城県那珂町が名乗りを挙げ ています。  苫東は、重厚長大産業が華やかなりし、高度経済成長期に大規模な石油化学工業 を立地する目的で造成されたのですが、オイルショックや産業構造の変化により、 事実上、事業失敗の状況(苫東を管理する第3セクターの抱える赤字が約1600 億円)にありました。  そこで、現知事が選挙公約に苫東への実験炉の誘致を掲げたことを契機に、北海 道の産学官が連携して、誘致に向けて強力に動き出しています。仮に誘致が実現す れば、実験炉の建設費(約1兆円)の経済波及効果に、遊休地の活用・周辺社会資 本整備もでき、さらには、税収アップによる道財政の改善も期待できます。  そして、この余勢をかって、前知事の反対で頓挫していた幌延町への高レベル放 射性廃棄物研究・貯蔵施設の建設(地元は賛成)、北海道電力泊発電所の3号基の 増設や不要と言われているダムや放水路建設に発電用というお墨付きを与えるなど (ITER稼働には、最大65万KWの電力が必要と言われる)懸案事項を一気に 解決するシナリオが描けます。  このことは、新千歳空港の滑走路3500m化(新東京国際空港や関西新空港に つぐ規模)と相まって、このところ不祥事にが多い国と北海道の権威回復と予算の 確保に寄与する事と思いますが、今回の事故原因によっては(施工ミスや人為的原 因等)、他国に建設が決まり、負担金のみたくさん取られるという事態に陥りかね ないと感じています。  いずれにせよ、今後の展開を注意深く見守っていきたいと考えております。  大変長くなり申し訳けありませんでしたが、ご一読頂ければ幸いでございます m(__)m コットンマウス(QWC01550) - FARION MES(15):マホロバ誕生 ★ 大和魂復活のために 95/12/18 - 00427/00428 GCG01101 アマデウス 「サンクチュアリ」語録(5) (15) 95/12/17 21:27 00353へのコメント   これまで4回にわたって、「サンクチュアリ」から心に残ったセリフを  ご紹介してきました。読む度に心に響いた箇所を選びましたが、自分が受け  た感動のごく一部しか伝えられないもどかしさを感じています。作品の中で  はご紹介するシーンに至る背景があり、ムードが徐々に盛り上がった末にセ  リフがでてくるのですが、そのシーンだけを抜き出してしまうと、書生っぽ  い理想論のような印象を与えてしまうことは否めません。またそれに対する  感想も、然りです。   たとえば、浅見が初めて選挙に打って出たときの街頭演説で、次のような  セリフがありました。 | [4巻 P37] \ |   浅見  選挙は戦いだ! |       そしてこの戦いを左右するのはあんた達一人一人が |       持っている武器だ! | |   聴衆  武器…!? | |   浅見  あんた達ももうそろそろ気がついてもいい… |       選挙とは代議士の戦いではない! |       一票という武器を持ったあんた達の戦いなんだ!! |       忘れるな!この国を生かすも殺すもあんた達の武器なんだ! |       使わずに戦いを放棄しては何も始まらない! |       武器を腐らせるな! |       あんた達…あんた達の子供…そしてこの国の未来… |       すべてあんた達の戦いだ!!   ここだけを読むと、正直言って紹介している僕自身ちょっと気恥ずかしい  気持ちになります。(^^; しかしここで言われていることは正論です。正論  を前に居心地の悪さ(?)を感じてしまうのは、そうと知りながら自分には  できないと思っているからです。そして「頑張ってるな〜、そんなに頑張っ  てどうすんだ?」と茶化してしまう、シラケた気分があるからです。「そん  なにまでしなくても」と言うことによって、実は汗をかくことを避けている  自分の姿がそこにあります。   本当にそれでいいのだろうか。「使わずに戦いを放棄しては何も始まらな  い」というセリフを、ただ読み流してしまわずに、日常生活のちょっとした  ことでも実践することが出来ないだろうか? 周囲の制約があるから…とい  うのはよくある言い訳ですが、本当にそうなのか、逃げる口実を周囲のせい  にしていないか、といった観点で顧みると、実に沢山の逃避をしてしまって  いることに気付きました。   最初からできる人には実にレベルの低い話と思われるでしょうが、そうい  う安きに流れ易い自分を自覚した上でそれを克服することこそが、僕のよう  な凡人の勲章になるのだと自らを励まして(^^;、逃げないことに挑戦してみよ  うと思いました。   「戦い」と表現されると大仰ですが、それはつまり「自分の意志で生きる」  ということなのでしょう。そこに人としての誇りが生まれ、そして他者の同  様な誇りをも尊重することができるようになるのでしょう。それが「自立」  ということなのだろうと思います。そのような誇り…それこそが何者にも侵  されざる「サンクチュアリ=聖域」なのです。   それでは最後に、次の北条のセリフを以て、この連載の締めくくりとさせ  ていただきます。 | [10巻 P137] \ |   北条  人間は動物ではない…どう生きるか、どうやって生きるか、 |       本能だけでなく自分の意志で決められる… |       だからこそ、…歪んだ教育を与えれば、当然その意志も歪む! \ |       この地球上では人間そのものが素晴らしい一つの資源であり、 |       それゆえに大きな義務、責任を負わされている… |       人間は、それを忘れてはならないんです! \ |       人を殺すも、国を殺すも、この地球を殺すも、 |       その人間次第なんです…                       「サンクチュアリ」語録 了 00428/00428 KHC01313 まるにちょん 伝国之辞 (15) 95/12/18 02:19 00425へのコメント 先にコメントしました、伝国之辞を再掲します。 >>    一、国家は先祖より子孫へ伝え候国家にして、我私すべき物には >>      之無く候  当たり前の事なのですが、国家を私物化してはならないですね。  また、国は、先祖から子々孫々に至るまで、大河の流れのように連綿と受け 継がれていくもので、国家の主と成ったとしても、それはその流れの中の一事 象であり、星の瞬くほどの時間でしかない。  ですから、私物化できようものでも無いものなのです。  それでもなお私物化し、国民を苦しめる藩主には、何かしら人間の業の哀し さを見るようですね。 >>    一、人民は国家に属し足人民にして、我私すべき物には之無く候 これまた、当たり前のことですが、人民は国家の一員としての地位にあるだ けで、たまたまその藩に生まれたのであって、決して藩主の為に生まれてき たのではなく、ましてや奴隷でもないと言うことですね。  権力を握り支配することとは、領民の親として慈しみ、その幸福を願い実現 すること、それが支配者たる義務である。  ところが、人間の欲とは恐ろしく、支配者としての権利の行使(通常必要と される年貢の取り立てや使役など)を恣意的に行い、領民を苦しめることとな ります。  権力を持つこと=自分の思いのままになることと勘違いしていると世の中が 乱れますね。権力を持つとは、それと裏腹に多大な責任と義務を果たさなけれ ばならないものなのです。 >> 一、国家人民の為に立たる君にて、君の為に立たる国家人民には >>   是無く候  君主は、国や人民の為にあるのであって、君主の為に国や人民があるのでは ない。まったくその通りなんですね。  現代の政治家にこの言葉の意味するところが分かっていると、もっと善い国 になるんでしょうね。(^^; 至福千年王国をつくるか?それとも私腹専念王国なのか(^^; 代議士としての地位を金儲けに利用してしまう日本の政治家達には、鷹山の 爪の垢でも飲ませてやりたいですね。 では、また。                  まるにちょん、○=ゝ - FARION MES(18):武道とは?  ★ 自分に勝つ! 95/12/18 - 02725/02728 GCG01101 アマデウス RE:勝つこと....宮本武蔵(2) (18) 95/12/17 21:28 02714へのコメント #2714 & #2723 導 さん >> しかし、ふと気付くと目的を定めたのも自分であった事に気付きます。 >> そして、自分で自分を締め付けていることに気付く。 >> 又、勝も負けるも、行くも行かぬも結局自分次第であり、即ちどうしょうが >> 自分以外に何も出来ない事に気付く。   企業で働く者として、「勝つこと」について考えさせられることがあり  ます。僕はかなり大きな企業に勤めているのですが、多くの勤務者は自分で  目的を定めると言う意識を持ってはいません。しかしその代わりに、会社  から仕事で成果を出すように求められます。企業と従業員の関係というのは、  仕事の成果と報酬で成り立っていますから、会社の目的に従うことになるの  です。   仕事にはいろいろな種類がありますが、概してラクして報酬をもらえる  ような仕組みにはなっていませんから(^^;、かなりの苦労や葛藤を強いられ、  それを克服していかなければなりません。そして場合によっては袋小路に  追いつめられるようなこともあるわけです。そのような中で、逃げて・  または潰れてしまう人と、雄々しくそれを乗り越えて新境地を開拓して  いく人とに分かれるのです。ほとんどは前者になってしまうわけですが、  その分かれ目はどこにあるのでしょう。   僕の見るところ、それはその人がどこを見ているかによると思うのです。  そしてどこを見ているかは、つまるところ自分の目的を自分で定めているか  どうかだと思うのです。   会社から目標を与えられた。ノルマを与えられた。いついつまでに答えを  出すことを求められる…会社からは、従業員に対して様々な要求があります。  ここで、会社の方を見て(より厳密には会社の上の方を向いて)仕事をして  いる人は、会社が定めた目的に唯々諾々と従うのみになります。こういう、  人から与えられた目的−−−たとえ一時的にでも自分の目的と合致している  と錯覚したとしても、それは借り物に過ぎません−−−を信奉している人は、  やせ我慢すらしていられないような追いつめられた状況になると、逃避に走  ってしまうように感じるのです。これは、就職して以来、多くの実例を目撃  してきて思うことです。その実例の中には、自分自身も含まれているのです  が(-_-;)   しかし数は少ないですが、追いつめられても(と傍目には映る)それを  乗り越えていける人は、会社の与える目的に盲目的に従うのではなく、それ  を自分なりのフィロソフィーで消化して、自分のものに変容させているよう  に思えるのです。まさしく導さんがおっしゃる、「自分で目的を定めた」と  いうことになるでしょう。あるいは「自立すること」でもあるのでしょう。  そういう人は、「厳しい状況だ」と認識してはいても、「追いつめられた」  というような感じ方は決してしないようです。自分で決めた道だから、自分  がやるしかないと覚悟を決めて(そういう意識すらないでしょうが)坦々と  対処しているように見えるのです。   話をしてみると、大体後者の人の方が前者よりもものを考えるスケールが  大きく、存在感があり、周囲を引っ張っていく人間的魅力に溢れていること  に気づきます。これは後者の人が、以前導さんがおっしゃっていた「感性」  が豊かである証かも知れません。   つまるところ、「勝つこと」とは「自立すること」なのではないか…  そんなことを考えました。                              アマデウス 02726/02728 GCG01101 アマデウス RE:勝つこと....宮本武蔵(2) (18) 95/12/17 21:28 02721へのコメント コメント数:2 #2721 あもり さん >> 目的と手段ははき間違え易いものだと痛感しています。もし日々の >>  練習に疑問を感じないようになってしまっていたら、恐らくハマっ >>  ているからであり、目的がいつの間にか手段にスリ替わっていると >>  思って間違いありません(経験談)   はい、手段だったはずのものがいつのまにか目的になってしまうことは、  企業でもよく目にすることですね。思うにそれは、目的が十分自分の中で  こなれて居ないからではないでしょうか。   たとえば企業の開発現場で、○○日までにある装置の開発を完了すると  いう目的を掲げたとき、開発チームのメンバーがその目的だけを頭に描いて  いても、何から手を付けたらいいのかわかりません。その目的を達成する  には何をやらなければいけないのか、必要作業項目にブレイクダウンし、  各作業担当者に仕事を割り当てるコーディネートをしなければ、開発チーム  は単なる烏合の衆になってしまいます。   こういうチーム活動だけでなく、個人でも同じですね。日本で初めて  ロケットを打ち上げた糸川英夫博士は、趣味でチェロを弾くそうですが、  難しい曲を弾けるようになるための氏の取り組み方はとてもシステマチック  だそうです。その曲の全小節数を、現在から演奏会までの日数で割って、  一日あたりにマスターすべき小節数を計算して、毎日確実にそれを積み上げ  ていくというのです。システマチックどころか当たり前すぎるような内容  ですが(^^;、毎日数小節の練習をしながらも、最終到達目標をつねに念頭に  置いて継続していくのがミソですね。最終目標を意識できていれば、今日  のノルマは簡単だからすぐに練習が終わったけど、明日の所は難しいから  今日ちょっとだけ練習してしまおうとか、きめ細かな調整をすることが  できます。   日数とか小節数のように定量化できる指標がある場合は、このように  比較的わかりやすく進めていくことができるのですが、武道の練習の場合は  ちょっと勝手が違いますね。でもそのコンセプトは参考になるのではないで  しょうか。                              アマデウス - FARION MES(19):世も末ばなし ★ ぶっ飛び話・罰当たり話 95/12/18 - 754/754 MHA01114 シュメ−ル うさぎたちへのレクイエム (19) 95/12/17 23:11  うさぎたちへのレクイエム  数年前から家で飼っていたうさぎが死にました。老衰の身でこの冬は越せな かったのでしょう。  昔、研究室で免疫の実験用に飼われていたうさぎの目を見て反射的に身を離 したことがあった。抗体を血液から採取するために飼われていたうさぎなので、 いってみれば、しょっちゅう注射によって体を苛められている。そしていつか は全血液の採取実験になって初めて檻から解放される運命にある。彼女(?) の目から放射されている暗い呪詛のような光に私は一瞬で怯んでしまったのだ った。二度とあの目はみるまいと強く思った。  そんなかつての経験があったせいで、うさぎが突然家にやってきたときには、 複雑な心境だった。そして、たまに餌をあげたりするときには、うさぎの目を みる習慣がついた。幸い、狭い住居にもかかわらず、うちにもらわれてきたう さぎは平和な穏やかな目を失わなかった。声をもたないこの哺乳類は私にとっ ては敬意の対象だった。そして、彼女は人間には感知できない領域でもってわ が家に貢献しているように私には感じられていた。彼女はほんとうに狭い空間 で毎日を過ごしているのだが、退屈しているという印象は一度も受けなかった。 (人間の耳に聞こえないだけで、彼女、すごいおしゃべりなんじゃないかとい う印象を持ったことがあった。)  この宇宙の博物館地球にうさぎとして立ち現れている宇宙存在はいったいど こからどのような歴史と文化をもって地球帰化しているのだろうか。外界を受 容するためのあの大きな耳。にもかかわらず、声を必要としない彼等の表現形 態のつつましさ。そして無防備なまでに穏やかで、決して他者に求めることの ない大きな瞳。シャカの転生物語にでてくるのもうなづける。  平和と幸福のシンボルみたいなうさぎなのだが、研究室のうさぎは免疫実験 の過酷さには耐えかねたのだったろう。うさぎやモルモットの犠牲によって様 々な医学や薬学の進歩があった。そのことは感謝してはいる。しかし、こうい う実験やら犠牲やらというシステムを当然に前提にしてしまう、この地球のシ ステムに対していまだに私はしっくり来ないところがある。意志の自由を相互 に保証するための犠牲という行為。そしてそもそも食物連鎖というエネルギー 循環・回収システムに改善の余地はないのだろうか。否、そもそも生命という 存在様式が持つ不安定さは一体なんなのだろう。  犠牲や実験という関係性もこの宇宙がもっている相補性原理・対消滅原理・ 極性原理に従って、カルマとして流転し、解消を迫るらしい。「目には目を、 歯には歯を」とのハムラビ法典は現代理解されているような単純な復讐・報復 の原則ではなく、おそらくは、カルマの一般的法則・カルマ解消のテクニック だったのではないか。『ミュータント・メッセージ』のなかにそういった記述 があった記憶がある。記憶があいまいですが、友人に足を折られてしまった人 が、友人の足を折ってしまうという話だったような気がする。それがいわゆる 復讐ではなく、当事者が相互のカルマを閉じるためにそうするというものらし い。関連話題をすこし引用しよう。 「人はみんなこの世界に立ち寄った魂にすぎないの。すべての魂は永遠の存在 なのよ。ほかの人との出会いはすべて経験で、すべての経験は永遠につながっ ているの。<真実の人>族は、一つ一つの経験の輪を閉じるのよ。ミュータン トのように経験の端っこをそのままにしておかないの。相手に嫌な感情を持っ たときにその輪を閉じずに離れていったりしたら、人生の後半で同じことがく り返されるの。そのことを学ぶまで何回も苦しむことになるのよ。起きたこと をよく観察して学んで賢くなるのはとてもいいこと。あなたのように感謝と祝 福を与えて、平和な気持ちで離れるのがいいのよ。」   『ミュータント・メッセージ』(角川書店 マルロ・モーガン著)    P103-104  このカルマ解消原理は規模の大小を問わない。地球の今回の世紀末にプレア デス系が関わっているのも、彼等の理解では、このカルマ原理の銀河系規模で の解消テクニックの一貫とのこと。こっちも引用しとこう。  「私たちの祖先は、あなた方が非常に数多くの変化を遂げてくるなかで援助の 手を差し延べてきただけでなく、地球に混乱も引き起こしてきました。あなた がたはプレアデスから二種類の影響を受けてきたのです。プレアデスが与えた 影響の記録を見てみると、プレアデスのエネルギーは地球では愛され、尊重さ れており、地球上の文化でプレアデスに対して否定的な感情を持っているもの はほとんどないことが分かります。しかし、はるか昔にプレアデスのエネルギ ーが人間の遺伝子を操作し、また爬虫類とも繋がりを持っていたということは 私たちも認めざるを得ないのです。私たちがいまこの次元に戻ってきて癒そう としているのは、このことにほかなりません。それこそ、私たちが地球にきて いる目的なのです。  なぜプレアデスで現在大きな混乱状態が起きているのかを探っていくうちに、 私たちは未来を見せられ、あなたがたなしではどうにもならないこを悟ったの です。別ないいかたをすると、私たちが創造したすべての存在に、私たちの持 っている能力と権利のすべてを与えるまでは、創造者として進化することはで きないのです。自分が創造したものを、制限したりコントロールすることは許 されないのです。」  『プレアデス+地球を開く鍵』(バーバラ・マーシニヤック著 太陽出版)       P43     (send >スウさん)     (おーい、スウさん。ここにでてくる爬虫類ってのが私が      スウさんと同じ印象をもったといった友人のいってるや      つだとおもうんですよ。ゼータ・レクチル星人ってのは      遠い親戚らしい。爬虫類の夢をよろしく。      )  そういえば、プレアデス系チャネルのなかに、現在プレアデスは敵対する勢 力の攻撃によって壊滅寸前である、との情報があったっけ。(HALさん情報 だった気がする。)  シャカさんがカルマを離れようとしたっていう心境、分かる気がする。ま、 システム抜け。この地球で、人類を対象に実験を計画し、観察している宇宙存 在たちもその実験結果が自分たちに跳ね返ってくるリスクを背負っているはず。 というかこれまでの宇宙実験カルマの清算システムとして地球は計画されらし い。リラからはじまった実験結果を記憶として回収し、次の宇宙のデータベー スとして活用することになるのだろう。  ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』の大審問官の前に、イワンがま ったく罪のない子供に降懸かってしまった苦悩は未来永劫解消を認めない、と 語る場面がある。引用しとこう。 「…したがって、神聖なる調和は平にご辞退申すのだ。なぜって、そんな調和 はね、あの臭い牢獄の中で小さな拳を固め、われとわが胸を叩きながら贖われ ることのない涙を流して、『神ちゃま』と祈った哀れな女の子の、一滴の涙に すら値しないからだ!なぜ値しないか、それはこの涙が永久に贖われることな くして棄てられたからだ。この涙は必ず贖われなくちゃならない。でなければ、 調和などというものがあるはずはない。しかしなんで、何をもってそれを贖お うとするというのだ?それはそもそもできる事なのだろうか?それとも、暴虐 者に復讐をして贖うべきだろうか?しかし、われわれには復讐なぞ必要ない、 暴虐者のための地獄なぞ必要ない。すでに罪なきものが苦しめられてしまった 後で、地獄なぞが何の助けになるものか!−中略−一体この世界に、許すとい う権利を持った人がいるのだろうか?僕は調和なぞ欲しくない、つまり、人類 に対する愛のためにほしくないというのだ。僕はむしろ贖われざる苦悩を持っ て終始したい。」 (ドストエフスキー著『カラマーゾフの兄弟』岩波文庫判 第2巻p72-73)    (この文章、時節がらブランコにのった楽しげな男の子の映像         がフラッシュバックで蘇り、胸が痛む。         )  イワンはキリスト教の最後の審判のパラダイムにおいて思考しているから、 多少現代的に変換する必要はあるが、基本的には現代的な輪廻パラダイムにお いてもイワンの救済否定は説得力を持つ。カルマシステムの拒否。時間次元を つかった辻褄合わせなんて認めないということだろう。これは根本的システム への否であり、重い課題だと思う。しかし、認めようが、認めまいが、すでに そういうシステムの宇宙に住んでしまっているんだから、ひとまずはどうしよ うもない。じっくりと、実態を把握して改善策を模索するのが建設的でしょう。  実験材料になってしまったうさぎが発信したあの呪詛の瞳は早晩カルマとし て回帰することだろう。希望的観測なのだが、多分、うさぎの呪詛は実験材料 としての境遇のためではなく、研究者たちからの取り扱われ方に向けられたの ではなかったろうか。研究者が研究活動に生涯を捧げるように、うさぎもうさ ぎの生命活動を免疫研究に捧げているのだという意識。共に同じ宇宙に響存し、 生命の謎を探求する生命の同胞としてうさぎをみていさえすれば、うさぎはあ るいはあの穏やかな大きな瞳を最後の仕事の時まで失なわなかったのではない だろうか。血液が取り出され、意識が薄れていく時、彼女の記憶もまた透明に とけていくことだろう。  時折風の中に雪が舞う冬の日の午後、娘たちと共に、わが家の兎のささやか な葬儀をした。初々しい葡萄の房のような実が赤く色づく南天の木の下で、う さぎは穏やかに土に還ることになる。あの瞳を形成していた素粒子群が南天の 赤い実となって空を見つめる日は何年先だろうか。