天使は焚き火に集う者の顔を見てから言った「此処へ来れば良い」 - FARION MES( 2):Wellcome All ◆ 四次元喫茶 カルフール 96/01/03 - 05252/05254 KHC01313 まるにちょん あけましておめでとう ( 2) 96/01/02 21:10 >ALL  皆さんは、お正月をどう過ごしていますか?  私は家族共々寝正月です。(^^;  12月31日から実家に帰っているのですが、その日から子供が39度、 僕が38度以上の熱を出して寝込んでしました。(^^;  元日から救急で病院のやっかいになったりして……。  今日になってやっと子供の熱は下がりましたが、私はまだ37度5分以上 の微熱が続いています。  この冬のはやりは、喉と鼻にきますね。咳にしすぎで、腹筋が痛いのなん のって、風邪に腹筋を鍛えられるとは情けないですね。(^^;  皆様方には、新年の出先からこけてしまった僕のまねになんか絶対にしな いでくださいまし。(^0^;スルワケナイカ…  どうか、いい正月をお過ごし下さいませ。                         まるにちょん、○ゝ  - FARION MES( 3):Media Talk ◆ 本/映画/音楽を語る 96/01/03 - 01096/01102 MHD02672 TAO たぎる女の情念 ( 3) 96/01/02 16:02  【好男好女】 1995年度台湾=日本合作映画  監督:候 孝賢  主演:伊能 静  「悲情城市」「劇夢人生」に続く、候孝賢の三部作完結編と銘打たれた本作は、  しかし今までの候孝賢の作風とはかけ離れた、その斬新な構成には驚かされた。  恋人を失った女優が、映画「好男好女」のヒロインを演じるうちに、女優本人の  愛の記憶と、女優演じるヒロインの愛の姿が次第に重なって行く…という粗筋で  あるが、過去、現在、劇中映画と三つの時制が同時に進行し、カラーとモノクロ  で各パートを描き分けるスタイルに今までの候孝賢とは異なった新境地が伺え、  真の作家とは変貌し続けるものなのだと認識を新たにした。  伊能静は、今までの候孝賢が描く寡黙なヒロインと対照的な、激しい情念に心を  焦がす「女」を鮮やかに体現して見せ、「静謐な」という形容詞でくくられがち  だった候孝賢作品に、新たな熱い血を通わせたのでは無いだろうか。  しかし映画は二人の女(女優と女優演じるヒロイン)の生き方を見せるだけで無  く、台湾近現代史の暗部をも「劇中映画」の中でえぐり出すという凝った構成に  なっており、しかもその複雑で重層的な構成が破綻することも無く、クライマッ  クスで一気に収斂されていくというその手さばきには驚かされた。  「悲情城市」「劇夢人生」はどちらかと言うと、「男の映画」だったように感じ  られるが、「好男好女」は「女の映画」では無いか。それまでの候孝賢らしかぬ、  艶っぽい感触がこの映画にはある。監督は「男女の間の真実の絆と情熱」を描き  たかったと言う。自堕落な生活を重ねながらも死した恋人を忘れられない女優、  政治犯とされた夫の刑死を見届ける劇中映画のヒロイン、二人の対照的な愛の姿  を一人の女優に演じさせることで、候孝賢は普遍的な男女の姿を描きたかったの  では無いだろうか。  男には、それを意識するしないにかかわらず、女が持つ“深さ”にはかなわない  という負い目があるのでは無いか。創造性や感受性に満ちた男性ほど、女の深さ  や強靭さを感知しうるだろう。女の強さが「ずしん」と来た一編であった。            東京・渋谷/西武ロフト館前・「渋谷シネパレス」公開中  TAO 01097/01102 MHD02672 TAO 無垢なる娼婦 ( 3) 96/01/02 16:02  【南京の基督キリスト】 1995年度香港=日本合作映画  監督:トニー・オウ  主演:富田 靖子/レオン・カーフェイ  しょっぱなから断言するが、ヒロイン金花を演じた富田靖子の存在無くして成立  し得なかった作品と言ってもいい。  この映画は芥川龍之介の原作に依っており、主人公の小説家岡川龍一郎は中国で  15歳の娼婦、金花に出逢う。金花は家族の生活を支える為に十代にして娼婦に  なり、敬虔なキリスト教徒でもある。岡川と金花は同棲生活を過ごすものの、岡  川は妻の出産で帰国し、残された金花は性病に侵される。中国に戻った岡川は金  花を日本に連れ帰り治療しようとするものの、金花はその寸前に絶命する。  率直に言えば、優柔不断な男と無学な少女娼婦の稚拙な恋愛ドラマを耽美的に描  いただけで、昼メロドラマに毛が生えたという感じだが、富田靖子の鬼気迫るよ  うな演技が演出の物足りなさを補って余りあるものがある。あどけない少女から  女に変貌してゆく時の艶やかさ、病に侵されて狂気に至る凄絶さを、全裸をも厭  わぬ熱演で見せ切った。富田靖子独特の無垢な眼差しが、神を信じ抜きながらも  苛酷で短い人生を駆け抜けた金花という少女に血を通わせたと言ってもいい。他  の女優では果たしてここまで演じ切ることが出来たかどうか。  富田靖子の主演で無ければ見なかったと思うし、実際富田靖子という存在を抜き  にすれば平凡な作品に終わっただろう。幼くして娼婦に身を落としながらもキリ  ストを信じ切る少女とは、実際に居そうも無いキャラクターだが、富田靖子の個  性がリアリティを与えた。物語自体よりも、一人の女優を誕生させた作品と言え  よう。           東京・渋谷/東急百貨店本館前「シネ・アミューズ」公開中  TAO 01098/01102 KHC01313 まるにちょん お詫びと訂正ですm(__;)m ( 3) 96/01/02 21:09 01089へのコメント #1089 CHARAN さん #1090 みれ さん #1093 メビウス さん >ARION12及び宇宙連合の方々 >横尾さん 中森さん >ALL まず、深くお詫び申し上げます。 大変お騒がせしまして、申し訳ありませんでした。 今回の書き込みは、全くの私の勘違いで書き込んでしまいました。 横尾氏がARIONとのつながりがあったことを知ってしましたので、 てっきり、中森氏もARIONのチャネラーであると思い込んでいました。  だから、本で中森氏がARIONをかたったこともありませんので、今 回については、彼女にはなんら責任はありません。  確かに「天使の愛」には、ARIONの名前は出てきません。  私の勝手な思いこみで事実無根の事を書いてしまい、顔から火の出るほど 恥ずかしく思っています。大変反省しています。  関係各位及びこの書き込みを読まれた多くの方へお詫び申し上げます。  また、私のいい加減な書き込みをファイルから削除されることを望みます。  >スタッフ へ   事実無根のいい加減な情報ですので、悪影響が懸念される時は、私の書 き込み#1087は運営削除して下さい。                          まるにちょん、○ゝ お詫び及び訂正の書き込みが遅れた言い訳(^^; 年末、風邪を引いてしまい12月31日夜から1月1日にかけて38度の熱 を出して寝込んでいました。で、ROMもしていませんでした。 今でも37度5分以上の微熱があって、節々が痛いです。 さっきアクセスしたらとんでもないことに成ってしまっていたので、慌てて 書き込みをした次第です。 01099/01102 CXJ14164 染硫 佳乃 CMの曲名は? ( 3) 96/01/02 22:28   あけましておめでとうございます   今年もよろしくおねがいします。   さてさて、昨年から疑問におもってたことなんですが、石田ひかりが  お馬さんを洗っている某健康補助食品(であってるかな?)のCMで、  そのバックで流れているバイオリンの曲なんですが、それのタイトルと  作曲家を知っておられる方、おられましたらお教えねがいたいのですが。   最近はそのCMが変わってしまってあの曲が聞けなくてちょっと悲し  いのです。   よろしくおねがいします。         ドラクエ6 にはまっている 染硫佳乃 でした。 - FARION MES( 6):ハロー・メッセージ ★ 今日のハロー・メッセージから 96/01/03 - 00469/00478 JCF02051 めのう RE:「私に何かを依頼しているのか?」 ( 6) 96/01/02 20:24 00459へのコメント コメント数:3  #459 しまうまさん  今年もよろしくお願いします(^^)  今日のHMを読んで、「だぁーーー、もう、イライラするぅ〜〜(^"^;」と  思ったのは私だけ?(^^; 》暫くした時、再び天使の背後から声がした「私は凍えています」  私なら「じゃあ、どうしたいのよ?」と聞くでしょう。  「そのまま凍えてるでも、勇気振るって焚き火の前に来るでも、好きなよう  にすればいいじゃん」とか思っちゃう。冷たいかしら(^^;    この「背後の声」みたいな人ってけっこういますよね。  困っていることをアピールしながら直接助けを求めるでもなく、こちらが気  づいて声掛けるのを待っていたり、そのくせ「手助けが必要か?」と聞くと  「いらない」と言ってみたり。  人に何かを頼んだり、助けを求めることを恥ずかしいと感じているのかなあ?  自力でなんとかしたいと思っているならアピールなんかしないよねえ(?_?)  で、そういう人に対してやっぱり私は「じゃあ、どうしたいのよ?」と聞い  ちゃうんですが(^^;                         ◆◆ めのう ◆◆ 00471/00478 CQE04277 九印 RE^2:「私に何かを依頼しているのか?」 ( 6) 96/01/03 00:34 00469へのコメント コメント数:1 #00469 めのう さん : >》暫くした時、再び天使の背後から声がした「私は凍えています」 > 私なら「じゃあ、どうしたいのよ?」と聞くでしょう。 > 「そのまま凍えてるでも、勇気振るって焚き火の前に来るでも、好きなよう > にすればいいじゃん」とか思っちゃう。冷たいかしら(^^;  行動を起こせない人を見てるとイライラしますよね。今回のHMに登場する  「背後の人」もそうです。あれもしたい、これも出来ればいいのに、なんて  ことばかり喋る人には言いたくなります。「で、君はそれのために どんな  ことをしているの?」と。 > 人に何かを頼んだり、助けを求めることを恥ずかしいと感じているのかなあ? > 自力でなんとかしたいと思っているならアピールなんかしないよねえ(?_?)  うーん、変なプライドですかね。尊敬されたいとか、馬鹿にされたくないと  いうことに意固地になっているのかも。  うっ、こんな風に書いておきながら、心のどこかでタナボタでThink Padが  手に入らないかと考えている自分がいる・・・。 CQE04277 九印 00476/00478 KFQ02761 しまうま RE^3:「私に何かを依頼しているのか?」 ( 6) 96/01/03 12:12 00471へのコメント #00471 九印さん  ようこそ6番会議室へ(^^)。会議室でははじめまして、ですね。  いきなり割りコメで失礼しますm(_ _)m。 :うーん、変なプライドですかね。尊敬されたいとか、馬鹿にされたくないと :いうことに意固地になっているのかも。  もしそういうことのために“背後の人”がそういう態度に出ているのだとす れば、はっきり言って逆効果ですよね。  自分が何をしたいのか、相手に何をしてほしいのかを明確に伝えられない、 という人は馬鹿にされちゃうだろうし、また自分のあいまいな言動から、自分 の意図するところを相手に読みとってもらおうとするような甘えた態度は、決 して尊敬できるものじゃないなあ、と思いました。  でも、今の世の中、社会に出てすらこういう態度が通用してしまうから、怖 いよなー(-_-;)。 :うっ、こんな風に書いておきながら、心のどこかでタナボタでThink Padが :手に入らないかと考えている自分がいる・・・。  そうやってちゃんと言葉にできていらっしゃるのだから、いいのではないで しょうか(^^;。  では、今後ともどうぞよろしくお願いしますm(_ _)m。 しまうま(KFQ02761) 00473/00478 SDI00635 みれ RE:「私に何かを依頼しているのか?」 ( 6) 96/01/03 08:45 00469へのコメント コメント数:1  #00469 めのう さん  あけましておめでとぉ〜です(^_^) | 今日のHMを読んで、「だぁーーー、もう、イライラするぅ〜〜(^"^;」と | 思ったのは私だけ?(^^;  わははははは、実はね、ARIONからメッセージを貰う度にイライラして いる私なんです(笑)  をいをい、未だ続くのぉぉ〜〜(`_')ムッ …という感じですがARIONは素 知らぬ顔をして続けていますねぇ。でもここまで続くと、この苛々する様なや り取りを自分もしていないだろうか?と反省する必要もあるなぁとか思ったり。  ほんと、こういう類の「自分の状態を言えば相手が何かしてくれる筈」と思 い込んでいる人って増えたような気がする。これって「甘え」でしか無いと私 は思うし、こういう甘え方されると私なんか無視しちゃう(^^;) 状況説明ばか りで自分の本当に思っていることや言いたいことを言えない人って、ほんっと に苛々するっっ。  そう言えばで思い出したけど、子供を育ててる時に子供が「お茶」と言って も「お茶がどうしたの?」と問い直すという躾をするべきだとスペイン人の友 人なんかから聞いて「ふむふむ、なるほど」と思ったりしたのよね。その友人 は「子供が名詞を連呼しても、そこから連想される要望を親が汲み取っていて は、子供はキチンとした要求の出来ない子になる」と言ってた。「お茶を頂戴」 と言えなければお茶は出してはいけない…と。これって日本の感性から言うと、 厳しい!!という評価を受ける躾の様だけどね。  「お茶!」とか「お水!」とかって、そう言えば大人になっても言ってる人 多いし、そう言うだけでお茶が出てくるのが親切だとか思い遣りみたいに思っ てる場合が多いよね。こういうことが当たり前で大きくなると、自分の置かれ た状況、例えば「凍えている」とか言うだけで、相手が自分の不都合な状況を 改善してくれるのが親切で思い遣りで、当たり前だなんて思う様になるのかも 知れないねぇ(-.-)  もう子供じゃない立派な大人が、躾のやり直しをしなければならない…のか も知れない。それも他人から言われるのが嫌な自称大人の人達は、自分で躾直 すしか無いよね、難しそうだけど。 ・:*:・みれ・:・。,★ 00478/00478 KFQ02761 しまうま RE^2:「私に何かを依頼しているのか?」 ( 6) 96/01/03 12:13 00473へのコメント #00473 みれさん  こんにちはぁ(^^)。  新年早々割りコメで失礼しますm(_ _)m。 : をいをい、未だ続くのぉぉ〜〜(`_')ムッ …という感じですがARIONは素 :知らぬ顔をして続けていますねぇ。でもここまで続くと、この苛々する様なや :り取りを自分もしていないだろうか?と反省する必要もあるなぁとか思ったり。  うーん、なるほど。  確かに、そういう甘えを「自分の外にあるもの」としてしか捉えなければ、 いくらでも安易に批判することができるだろうし、しかもその批判が自分の成 長につながらなくなっちゃうだろうなあ、と思いました。反省です(--;)。 : そう言えばで思い出したけど、子供を育ててる時に子供が「お茶」と言って :も「お茶がどうしたの?」と問い直すという躾をするべきだとスペイン人の友 :人なんかから聞いて「ふむふむ、なるほど」と思ったりしたのよね。  ふむふむ。これって、自分が親になると結構やっちゃいそうで怖いなあ(^^;。  でも、このスペインの子供はまだ「お茶」と言うだけマシかもしれないです ね。この“凍えている人”の線で行けば、「のどが渇いたなあ」というだけで お茶やら水やらを期待してることになりますもんねー。 :「お茶を頂戴」と言えなければお茶は出してはいけない…と。これって日本の :感性から言うと、厳しい!!という評価を受ける躾の様だけどね。  うーん、日本の「以心伝心」が、歪んだ形で出るとこうなっちゃうのかもし れませんね。自分にもそういうところがないか、ホント気をつけようと思いま す。  ではでは、今年もどうぞよろしくお願いします(^^)。 しまうま(KFQ02761) 00474/00478 KFQ02761 しまうま RE^2:「私に何かを依頼しているのか?」 ( 6) 96/01/03 12:12 00469へのコメント #00469 めのうさん  明けましておめでたい(^^)。 :この「背後の声」みたいな人ってけっこういますよね。 :困っていることをアピールしながら直接助けを求めるでもなく、こちらが気 :づいて声掛けるのを待っていたり、そのくせ「手助けが必要か?」と聞くと :「いらない」と言ってみたり。  いますねー、こういう人(^^;。  その他のパターンとしては、「凍えています」と言ってもこちらが反応しな いと怒り出す、あるいはこちらを恨む、というのもありますよね。よーするに、 たぶんこの“凍えている人”にとって「凍えています」と言うことは、「暖め てください」と依頼しているのと同じこと、であるらしいのです。  だから、天使からの反応がないと、「凍えていますってば」と言い募ること になっちゃうんでしょうね。  ここで「凍えています」→「暖めてください」と、こちらの頭の中で親切に 変換してあげて、暖めてあげたりすると、相手は「これでいいのだ」と思って しまいます。だから、そんなときはやっぱり「何をしてほしいのか」を相手に 言わせるべきなんでしょうね。  ほとんど子供のしつけと同じことですな(^^;。  ではでは、今年もよろしくお願いしますm(_ _)m。 しまうま(KFQ02761) 00472/00478 JCF00616 優位 「此処に来れば良い」 ( 6) 96/01/03 01:31 コメント数:1  96/01/03 天使は焚き火に集う者の顔を見てから言った「此処へ来れば良い」  「焚き火に集う者」というのは、「戦士達」なんじゃないかな。で、(おそらく  ARIONであろう)天使は彼ら戦士達と語り合っている。  そこで背後の声は自らの臆した心でもって「私は凍えています」という。けれど  天使も戦士なので、相手の学びを奪うような「おせっかい」はしない。結局、天  使は「此処へ来れば良い」というしか無いのだ。  さぁて凍えた声は次にどう反応するか。「私の身体は凍えて動きません」とでも  言うのかなぁ。しかしいつまでも甘えてばかりも居られない筈。動いて暖まる道  選ぶか、そこに留まって凍死するか、どっちかなんだろうから。  ARIONがたしかこんなことを言っていたように記憶してる…「自ら立とうと  している者には手を差し伸べなさい」と。だからもし次に背後の声が自ら立とう  とする姿勢を見せるなら、きっと天使は手を差し伸べるんじゃないかと思うのだ  けど…。                 う〜ん、気になる… 優位(JCF00616) 00477/00478 KFQ02761 しまうま RE:「此処に来れば良い」 ( 6) 96/01/03 12:13 00472へのコメント #00472 優位くん  明けましておめでとー(^^)。 :そこで背後の声は自らの臆した心でもって「私は凍えています」という。けれど :天使も戦士なので、相手の学びを奪うような「おせっかい」はしない。結局、天 :使は「此処へ来れば良い」というしか無いのだ。  そうですね。「凍えています」という人を暖めてあげるのは、本来的な意味 では「お節介」でしかないんですよねー。それをついつい美化して考えちゃう あたりが、今の日本人のおかしなところだと思います。 :ARIONがたしかこんなことを言っていたように記憶してる…「自ら立とうと :している者には手を差し伸べなさい」と。だからもし次に背後の声が自ら立とう :とする姿勢を見せるなら、きっと天使は手を差し伸べるんじゃないかと思うのだ :けど…。  あ、ありましたねー、そういうメッセージ(^^)。  僕はついつい「立てないよう」と嘆いているだけの人に対して、「自分が助 けてあげなければ」なんてお節介な親切心(実は親切の皮をかぶった自己満足 なんだけど(--;))を発揮してしまいがちなので、ホント、気をつけなければな らないなあ、と思います。  また、立とうとしている人、そして「手助けの要求」を明確な意志として表 明している人には、積極的に関わっていきたいなと思います。  んでは、今年も何卒よろしくっ(^^)/。 しまうま(KFQ02761) - FARION MES( 7):自分を観る  ★ ARIONを鏡にして 96/01/03 - 06777/06778 KHC01313 まるにちょん ARIONへ ( 7) 96/01/02 23:48 コメント数:1 >ARION  あけましておめでとうございます。  今年もよろしくお願いします。  今年も昨年以上に忙しいでしょうね。  さて、僕は昨年末やっと「参戦」の意味が分かったような気がしています。  ARIONのお手伝いで、オニゴトをする事が参戦であると思っていまし たが、それだけではないことに気付きました。  自分自身の中にある「甘え」と戦わなくてはならないことに、やっと気付 いたのです。  なんともはや、お恥ずかしい…。  自分は強くありたい、また、克己心や忍耐力はあるんだと思っていました が、そんなのは思いこみに過ぎなかった…。  今、ここでは詳しく書いていませんが、根性が定まったら詳しく書いてい きたいと思います。 多少手遅れかも知れませんが、自分の中の甘え根性を、今年は見据えてい きたいと思います。 その時は、お時間があればよろしくお願いしますね。  今年は、できるだけ克己心を養いたいと思います。  明日死ぬかも知れないと思えば、人間すべき事をしていくものかも知れま せんね。  では、また。                  まるにちょん、○ゝ 06778/06778 GBG02043 維/YUI まるにちょんさんへ ( 7) 96/01/03 01:40 06777へのコメント 風邪で熱があるそうですね、おだいじに。 けど、風邪をひいて、ひききってしまうと、前にもまして元気になる らしいですから、しっかり治してくださいね〜! > 自分自身の中にある「甘え」と戦わなくてはならないことに、やっと気付 >いたのです。 そ〜なんですよね。参戦・・・。まずは己との戦い、そして最後も己との戦い なんだと、なんとはなく思ってきている、ここ数年です。 甘え・・・ということでいうと、私はまだ自分の甘えを見切れていません。 甘えと反対のつもりで、実は甘えが前とは正反対の姿ででてきただけじゃないか と、愕然としたりしています。まあ、愕然としてしまっても、わかったなら とっかかり用もあるってもんですけどね。 私は去年のクリスマスの前の日に、端から見るとたいしたことでは無かった んですが、本人としては、”死ぬかと思った”ことがありまして、生きられなく なる辛さをひしひしと感じてしまいました。やっぱり人は、時期がこなければ 死ねないもんじゃないかと、妙に納得しています。 息ようとすることのせつなさと、いきていろいろな自然からの恩恵を受けられる ことのあったかさをしみじみ思いました。 維/YUI。 - FARION MES(10):夢鏡/幻紀行 ★ 夢解釈/カスタネダ研 96/01/03 - 01060/01060 GGD02212 スウ 大晦日深夜の夢 (10) 96/01/02 23:43  謹賀新年。>ALL  ここで新年と言えば初夢ですが、一般的には元旦の夜または1月2日の夜、 (辞書によると)古典的には立春の前夜に見る夢を指すとなっているようで、 12月31日の深夜に見たやつは日付が元旦でも初夢には入らないのでしょうね。 さて、その大晦日の深夜に見た夢というのが次のような意味不明なもの。  何かの鳥?と犬が井戸から二本の柄杓ヒシャクを使って水を汲んではしきりに 何かに注いでいる。見かねた私は手伝おうと柄杓を手にするが、柄が邪魔に なるばかりかその一本は柄が短い紐で結わえられていてなって扱いづらく、 紐がついていない一本を井戸に落としてしまう。落とした柄杓をもう一方で かきよせようとするが、短い紐に結わえられているために届かずてこずって いる…うちに目が醒めた。  これの自己解釈は後ほど…   さてと、今夜が初夢本番、かな。(スウ) - FARION MES(12):精神世界裏表 ★ ニューエイジビジネス を斬る 96/01/03 - 00735/00735 MHA01114 シュメ−ル 回顧 95 その2 (12) 96/01/03 01:30  年末、阪神大震災関連の資料を読んだ。95年の幕開けに起こったこの事件 が同時代に生きる我々日本人にどのような歴史的影響を与えることになったの だろうか。あるいは何を「歴史」として表現へともたらし、文化として蓄積す ればいいのか。    「人ー間」生命の脆さ、貴さ、強さ、美しさ、そして悲しみ。文明の脆さ、 大切さ。  その時我々は文化の衣によって抱かれ隠され忘れかけていた人間の赤裸々な ままの形相をみてしまった。それはあるときには生と死という現世においては 決定的で絶対的な差異であるはずのものが無造作に雑然と同居し、運命などと 言う文化装置の白々しい軽薄さを露にしてしまうことであったり、あるときは 簡易トイレに日々堆積する排泄物の異臭であった。コンクリートの薄布のした で地球の生命活動が悠々と営まれていたように、目新しい意匠が溢れかえる薄 っぺらな文化装置の衣のしたには原初的な人間生命の営みが底知れぬ深みをも っていつでも存在していた。震災が露にしたもの、それは地球と生命の活断層 だった。再度、問う。震災はいかなる形で文化に組み込めばいいのか、組み込 みうるのか。  かけがえのない肉親の死という底知れぬ悲しみの深淵によって個々に孤立し 断絶した喪失が、5千乃至6千というありふれた四桁の数列の一つ一つに無造 作に封印されてしまうことへのためらいと当惑。それはわずか1ミリの線分が 無限に分割可能な密度をもっている純粋数学的グロテスクと同値なのだ。しか し、百年も生きることのないアキレスが万年の寿命を持つという亀を造作なく 追い越してしまうが如く、口の中に押し込まれた砂粒を人間はじゃりじゃりと 噛み砕き唾液を混ぜあわせ、やがて飲み込み、胃壁の襞々にしまいこむことだ ろう。その一部はやがて血肉となり、一部は断固として拒絶され排泄されてい く。そして廃墟から拾い上げた杖を頼りに日々つみつむ排泄物の山を便槽の奥 へと突き崩す仕事に環帰することだろう。人間にとって生きることとは美しく 生きることなのだから。そしてか弱く、それでいて力強い個々の力を結びあい、 わずかの糧をわかちあい、新たな街への夢と努力をつみつむことだろう。   「人ー間」生命の脆さ、貴さ、強さ、美しさ、そして悲しみ。 - FARION MES(13):神秘学遊戯団 ★ 限りなき神秘への航海 96/01/03 - 04134/04134 GGA02514 KAZE RE:第二のルネサンス (13) 96/01/02 21:39 04116へのコメント DIRACさん、あけましておめでとうございます。 今年もよろしくお願いします。 >でも、そういう外部の強制的な制限が”悪”を規制する側面というのも無視 >出来ない−−−−それほど、我々の心は未発達な状態であるとも思うわけです。 はい、外的規制による善悪の峻別というのも否定できない側面がありますよね。 それは、多くは共同体全体によって「そういうもの」、 極端な場合は「掟」として、半ば定められているものにしたがって、 善悪として規定されているもので、特にこれまでの歴史においては、 そういう傾向性というのはそれなりの有効性をもっていたと思うんです。 でも、そうした外的規制で形を整える時代は過ぎ去ろうとしているし、 そういうあり方に頼っている限りにおいては、 人間は袋小路に陥ってしまうという気がします。 >いままでの 、”常識的”というものが、ロボット的行動規範ならば、常識が >崩壊してロボットではくなった人たちの次の意識的行動規範は何か?というこ >とだと思うのです。実は、それだけでなく、”内的行動規範”といいますか >(無意識上での)規範も混乱してきていると感じるわけでして、言い換えれば、 >自分の行動への内的干渉としての”良心”の崩壊も進んでいるように思える。 >これらが従来と違った形で発展的に再構成されるまでは混乱期で、 >第二のルネサンスの時代の幕開けともいえる現代の根本の事象ではないかと >思わされてしまうのであります。 はい、早い話、どうしていいか、 だれにもわからなくなってきているということですよね。 「そういうものだ」という権威が崩壊し、 それを内的規範として創造するだけの魂の力も育っていない・・・。 カントは、天上に星辰の秩序正しい運行を見、 内的には「道徳律」という、ある種絶対的な行動規範を見ていましたが、 そういうあり方を提示することが、 非常に難しくなってきているということでしょう。 そこに、自由を基盤とする道徳的想像力の育成が 求められているといえるのだと思うのです。 >私流に言いますと、”救い”の難しさですね。 > ”天は自ら助くるものを助く”という言葉がありますが、 >−−−そういうことだと思います。それには、自分は眠っているかも >しれないと考えられることが1ステップなのでしょうか。 >私なりに言葉を選ぶと”無明”の自覚ですね。次は、内的自由によって >自分をどの様にしたいか”意志”することになりましょう。 >ただ問題なのは、自分の”意志”が真理にかなっているかどうかの判断です。 > 自分の決めた”意志”の実践によって本当に目を覚ますことができるかと >いうのは未知数です。”無明の中にあっての内的自由の行使”が果たして >どこまで有効か? そうですね、まずは無明の自覚から出発すべきではないかとぼくも思います。 言葉を換えると、絶対的な自己否定というプロセスが不可欠だともいえます。 それと、(これはぼくの持論ですけど^^;)、その無明の自覚のための 「反省」の契機としての八正道ということが重要になってくるのだと思いますし それは常に「中道」という、みずからのなかの矛盾を発展的に総合していく 認識と実践の運動ということを自覚の原動力にしなければならない。 そう思っています。 (この「中道」については近日、少しまとめてみようと思っています(^^)) > でも、現代の日本で特に必要だと思う概念は、その”光”は、自分から >発っせられるものでなく、また、自分の能力でもない−−ということだと >思います。 はい、そうした内的自由意志を突き抜けたところの底に見えてくる「光」。 それを大乗ともキリスト衝動とも呼ぶことができると思うのですが、 そういう、内的自由意志がそのままで絶対的他力の器になるような、 そんな「光」の予感があります。 そして、その「光」に向かうためには、まずは通常の外的規範を去り、 内的規範を見つめるところからはじめなければならないのではないか。 ぼくはそう感じているわけです。 今年が、その「光」に向かうためのワンステップになれるよう、 お互いに気づきを深めていきたいものですね。 では(^^)。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ - FARION MES(15):マホロバ誕生 ★ 大和魂復活のために 96/01/03 - 00436/00436 KHC01313 まるにちょん 国際人としての日本人の生き方 (15) 96/01/02 23:48  事有るたびに、日本及び日本人の国際化が取りざたされますね。  私たち日本人は、他国の人々と比べてそんなに国際化ができていないので しょうか?  特に欧米諸国からのジャパン・バッシングは正当な意見なのか?  僕は疑問に思い、日本人が国際化できてないのか?  それはなんなのか?  また、どうすることが日本人にとっていいのか?を考えていました。  (多少偏見も入っていますので、ご注意を(^^;)  <温室育ち>   日本は、古来より外国の侵略を受けて、危機に瀕したのは元寇と日露戦  争ぐらいで、そのほか、第2次世界大戦のとき占領されたときでしょう。   その他は、外国から侵略を受けて民族的危機に曝されたことはなかった  ように思います。   そんな中で、日本人は「安全」については、あって当然という風土がで  き上がってきました。   また、長いこと鎖国も続きましたし、日本の中で常識であることが、そ  のまま世界の何処でも通用すると思い込んでいる節がありました。   現代、回りを見回すと、アジアでは、成金でなんでもどん欲に漁っていく  日本人のイメージが強いように思います。いい鴨ネギな客ではあるが、決し  て尊敬されない客としての日本人…。   一つ例を挙げれば、94年は米不足と言われて、コメがアジアから輸入さ  れましたが、多くを買い付けたために、地元のコメの価格は上がってしまっ  たといいます。自国だけ良ければいいと思われても仕方ないのかも知れませ  んね。   さて、欧米諸国はどうか?   極東の小さな国が、めきめきと経済力を付けてきたのが恐らく気に入らな  いのでしょう。貿易ではいつも摩擦だらけ、日本を押さえつけようとやっき  になっているように見えます。   ポツダム宣言、GHQの占領政策で、軍事力を奪い、天皇を地に貶めるこ  とによって、民族的な求心力・収束力を奪い、日本の古き良き場を破壊する  ことに成功した筈なのに、それでも焦土から奇跡的な経済的復活を遂げた日  本…、西欧が幾百年築いてきた伝統と技術を席巻しまいかねない日本。   そんな日本をなんとかして押さえたい、そんな気持ちが欧米には有るよう  に思えます。   しかし、西欧だけが悪いのではないでしょう。   観光旅行に行けば、これまた列をなして高価な貴金属を買い込んだりする。   西欧には西欧のマナーがあり、それを無視するかのような振る舞い…   西欧の人々が腹を立てるのも仕方がない…。 じゃあどうすればいいの?(つづく) では、また。                    まるにちょん、○ゝ うう、風邪が、熱が38度線を突破した… - FARION MES(16):■特設会議室 ■ シルバーバーチを語る 96/01/03 - 216/216 GGA02514 KAZE RE:あけましておめでとう! (16) 96/01/03 00:31 215へのコメント Paper Birchさん、あけましておめでとう! >ところで....僕は、まだ年賀状を書いてます(どういうこっちゃ) >誰か助けてくれ〜。(-_-;;ウウム ぼくも、今回は年賀状を放棄しようかと何度思ったことか^^;。 でも、なんとか、30日になって、重い腰をあげて、 昨年のうちにはなんとかやっつけてしまいました。 しかし、毎年思うのですが、儀礼的なこういう慣習、 もうやめにしたほうが、気が楽だと思うのですけどね^^;。 でも、今、来ている相棒の実家の父は、 この年賀状をライフワークのように楽しみにしているので^^;、 一概に敵視もできないのですが、 辛い人もいることは理解してほしいような・・・。 変な話になりましたが^^;、この会議室のますますの発展と 正会議室への昇格を心から願っています。 しかし、会議室の運営っていうの、やりがいはあるものの、 それなりのプレッシャーってけっこうあるでしょ^^;。 別に誰からも何も言われるわけではなくて、 自分のやりたいことをやっているわけだけど、それだけに、ね。 とにかく、本年もよろしくお願いします(^^)。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ - FARION MES(18):武道とは?  ★ 自分に勝つ! 96/01/03 - 02766/02775 GCG01101 アマデウス RE:RE^2:リズムと間 (18) 96/01/02 17:24 02761へのコメント コメント数:2 #2761 あもり さん他、 みなさん   あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願い申しあげます。 >> 拍子の間を知るは、敵により早きも在り、遅きもあり、敵にしたがう拍子なり。 >> 武道でのリズムは自分ではなく、あくまでも敵にあるという事なのでしょうか? >> それとも、敵の気を押えつつ自分のリズムを乗せていくということなのでしょ >> うか??   まるっきり素人としての感想になりますが、そのいずれでもないように思い  ました。自分のリズムだけで相手のリズムを考慮せずに打ちかかっていくのは  問題外、逆にまるっきり相手のリズムに合わせてしまうのでは、相手の土俵で  勝負することになってしまうように思います。   そうではなくて、相手のリズムを見極め(それを押さえてしまうのでも、  乗ってしまうのではない)、そのリズムの拍と拍の間に自分のリズムを差し  挟んでいくようなイメージを持ちました。たとえてみれば、相手のリズムの  拍を櫛の歯一枚一枚とすると、その櫛の間に自分の櫛をはめこんでいく、  櫛の歯合わせみたいな。(^^; しかしこれはイメージだけで、実際の所どの  ような感覚なのか想像がつきませんが。(^^;   あと、相手のリズムを見極めようとするときに、自分のリズムが全面に出て  しまうと、それに邪魔されてしまうでしょうから、見極めの瞬間には自分の  リズムを一旦止める(という表現は適切ではないかも知れませんが)ことが  必要になってくるのではないでしょうか。これを以て「空にあたる」あるい  は「無念無想」と表されているのではないかと思いました。 >> また、無念無想と言うは、身を打ち様にして、心と太刀は残し、敵の気の間を >> 空より強く打つ、これ無念無想なり。   この部分を読んで、前回引用しました津本陽著「勝つ極意 生きる極意」  (講談社文庫)に紹介されていた、柳生宗矩の言葉を連想しました。それは  「兵法家伝書」の中の“懸待表裏”(ケンタイヒョウリ)という言葉です。その意味  するところは、次のようなことらしいです。 >> 「身は懸かり心は待つ」−−−相手に対して身体が打ちかかろうとして >> いるときに、心は一歩退いて待つ体制に入るべきである。そこで相手が >> 表と出れば裏にまわり、裏とでれば表にかかる構え、宗矩は構えとは言 >> わず“身の位(クライ)”というのだが、それが第一に必要なことであると >> いっている。   武蔵の言う「身を打ち様にして、心と太刀は残し」という所とイメージが  重なります。また「相手が表と出れば裏にまわり、裏とでれば表にかかる」  という表現は、相手のリズムの間をとることを示しているようにも思えます。   以上、剣法のことだけを考えて書いてきたつもりなのですが、よく考えて  みると、これはまさしく対人関係一般にあてはまることのように感じるんで  すよね。相手の一言が自分のカンに触ったと言って腹が立ったり、喜んだり。  まさしく自分のリズムだけしか見えていないような状態です。こんなとき、  相手のリズムを見てみようなどとは、普通はなかなか思わないものです。  そこで一旦自分のリズムを止めて相手のリズムを観察してみること・・・  これって、以前KAZEさんがおっしゃっていた「自分を否定して相手を受け  入れる器になること」と通じることではないかと思いました。                               アマデウス 02775/02775 HGE01437 鷹 RE:RE^2:リズムと間 (18) 96/01/03 11:32 02766へのコメント   「リズム」ということで、ちょっと自分の戦い方について考えて見ました。   敵に乗じる際によく利用する「リズム」には、「呼吸」があります。   相手が息を吐き切った瞬間、今まさに次の息を吸おうとする瞬間に攻撃を仕掛け  ると、応ずることができないようです。虚を突かれるというか、居ついてしまうん  ですね。   私自身、そのような攻撃をされたという記憶は残ってないのですが、いま思えば  「あっ」と思った瞬間、打込まれていたというのが、その瞬間だったのだと思われ  ます。「息を吸おうとした瞬間、打込まれた」というより、「一瞬、時間が止った」  と感じました。   では、どうやってそういう機会を捉らえるかというと、相手の肩や胸に意識を払  い、「呼吸を読む」ということをしながら、自分は細く長く息を吐き、呼吸を読ま  れないようにする。その間の自分のリズムは「止めている」というより「消してい  る」と言った方が適切かもしれません。そして、ひと呼吸で打つ機会を掴めなかっ  た場合は、瞬間的に間合いをはずし、または正中線をそらして短く早く息を吸い、  また、間合いに入る。この、間合いをはずす瞬間が曲者で、この時に敵に乗じられ  安いので、やはり呼吸を計ってはずします。   これは、日常的にも結構使えて、例えば論争になった時など、相手が息を継ぐ瞬  間に突っ込みを入れると、ペースを乱され、思考が纏まらなくなるようです。   このように考えると、自分の大きなリズムの中に相手のリズムを抱え込んでしま  うという感じがあります。この面だけに拘って言えば、リズムの早い方が負けと言  うことになります。まぁ、そんなに単純なものではありませんが・・・。   「櫛の歯を合わせる」についてアマデウスさんが発言しておられましたが、私の  場合ちょっと受け止め方が違っておりまして、というのは、相手の「拍」と「間」  に自分の「拍」と「間」を合わせたのでは自分の「間」に相手の「拍」が入り込ん  でしまう。自分の「間」は相手に見せるものではないと思います。   私は、櫛の歯と歯の間に「楔を打込む」という感じではなかろうかと思うのです  が、アマデウスさん、いかがでしょうか?                                    鷹 02773/02775 GBG02043 維/YUI リズムねぇ・・・ (18) 96/01/03 01:40 02770へのコメント ども、ども。 いわゆる音楽系のリズムみたいな話とか、プロっぽいことはとんと わからないんですが・・・ (^^;;) 演技には拍子があると思います。 もっとも、人自体にノリがそれぞれ あるから、それを演じて見せる芝居に拍子がないわけないんだけど。 音楽でいうと、ジャズなんかのインプロビィゼ−ションや、民謡や祭りの おはやしの合いの手のような感じ。 相手の言い回しや行動(拍子)をきちんとその場で捉えられないと、 かったるい芝居になったり、主従関係がくつがえってしまったりします。 お互いの拍子が相手を無為に妨げることなく、しかもちゃんとすれ違わず かみ合うには、ものすごい集中が必要です。 ちょっと集中が切れると (はずす・・と言います)あっという間に舞台上に妙な空間ができるん ですよ。 たとえ、台詞が一字一句違えていなくても。 で、それって知らなくても観客はちゃんと受け止めていて、とたんに 会場がわさわさしだしたり、眠くなったり、ひどくなると休憩時間に 帰ってしまったりするんです。 集中が必要と書いたけれど、がちがちになって必死でやっていては だめなんです。 ぽっとその舞台にいるようでないと。 今台詞をしゃべっている相手だけではなくて、自分のまわりのことは なんとなく分かっているようでないと。  段取り、台本は、裏打ちで、舞台に上がったときは、それらを全部 無いことにして、その場で相手や状況と対していくって感じです。  型どおりのことができてあたりまえで、その上それ以外の 見えない行動までできるゆとりがないと、本当に芝居をやるのが おもしろいとは思えないです。 それがちょっとでもキマッタ時は、 たいてい、そこはお客さんも納得してくれるし、演出からどやされる こともないです。  去年12月の公演のとき、本番はずっと客席で見ていたんですが、 おもしろかったです。 舞台の上の役者同士の拍子が生み出す エネルギ−の流れの他に、客席からの流れっていうのがすごく 強くて、役者の力量不足のところを、それがひっぱっていって くれていたりするんですよ。 ところがこれも、急激に引っ張られ ると、役者がバランスをくずしたりもするんですね。 こういう「拍をとれる」ようになれたらいいなぁ〜・・・と 心底思いますです。 あんまりおもしろい話がなくて、ごめんね・・。 維/YUI。 - FARION MES(19):世も末ばなし ★ ぶっ飛び話・罰当たり話 96/01/03 - 776/776 QZY01267 猫の手 洗脳 (19) 96/01/03 03:34  そろそろ洗脳しませんか?  そろそろ頭の中洗って出直さない?    みんな洗脳されること恐がって。  みんな洗脳されてはいけないと気張ってる。  それはなんのため?  何故そうしなきゃいけないの?  みんな  「洗脳はいけないこと」と染脳されている。  みんな  「自分が染脳されてた。」と気づいてない。  そして  みんな洗脳、恐れてる。    誰が「洗脳はいけないこと」と教えたの?  誰に「今の考え方が一番良い」と教わった?  それはなんのためだった?  それを鵜呑みにして信じ込み、  人の顔色うかがって信じ込み  そう信じないと叩かれて  そう信じないと仲間外れにされ、  それが正しいか間違ってるかということよりも  自分一人取り残されるの怖かった。  守ってくれる者達と一緒ということ大切だった。    でもそろそろ洗脳しませんか?  でもそろそろ染脳されてたこと気づきませんか?  自分の脳の中洗い直して出直さない?  「洗脳する。」っていうのは  自分の信じてきたことに疑問をもつこと  自分の行動の総てに疑問をもつこと 「こうあるべきだ。」 「こうすべきだ。」  ということに疑問をもつこと。  今まで染脳されてきてることに気づくこと。  本当に大切なもの  本当に大切なこと  それを思い出すこと  「染脳」っていうのは  ある誰かの云うこときかすため、  その誰かの有利なように信じ込ませ、  それが幸せ造ると信じ込ませ、  本当に大切なもの  本当に大切なこと  それを忘れさせること    一番一番欲しいものなんだった?  その自分の今の行動が  本当に本当にそこに向かってる? 「欲しいもの何もないさ」とうそぶきながら  誰かの行動を批判して  礼を失した奴と非難して  全然気づいてないひともいる。 「私はあんたの為にやっている。」と  怒りを顕にしながら、  顔を赤くして  分かっていないひともいる。    今この時期に洗脳することが大事なの  今ここで思い出すことが大事なの  何が一番欲しかった?  何が一番大切だった?    それが欲しかったはずなのに  それが大切だったはずなのに  それが欲しかったが故に  それが大切だったが故に  大切なものをねじ曲げて  大切なことを切り捨ててしまってきたこと  洗脳すればそれだけが残るから  洗脳すればそれ思い出せるから。    何を信じても良かったけれど  何を疑ったって良かったけれど  何故それを信じてしまったか  何故それを疑うことにしてきてたのか  思い出してごらん  思い出してごらん  そして見てごらん  しっかり見てごらん。  そのことが一体何を生み出しているかって  そのことがどういう結末招くかって 「それが欲しかった」 「それは私のせいじゃない」  そう思うのも  そう信じるのも勝手  勝手勝手私の勝手、  勝手勝手人の勝手でしょ。  にもかかわらず私は問い続けてしまう。 「そうしてることが幸せなんだ。」  と教えてくれたのは誰?  あなたに「この世界で起こることの  責任とるだけの能力なんかない。」って  教え込んだのは誰?    そう思うことの方が楽だったから  そう信じる方が身を守れたのだから  幼い私がそう信じるのは仕方がなかった。  幼い私がそう信じ込んでしまうの仕方がなかった。  でもそろそろ目覚めるときが来ているようです。  でもそろそろ責任とるとき近づいてきてるようですよ。    誰も持ち上げる必要なんかないんだよ  誰も祭り上げることなんか要らないよ。  どうせ何が真実かなんてこと  誰も知りやしないから  自分より知ってる人に出会って  それを持ち上げたにしても  そいつも何も知りやしないから  そいつはちょっと自分より知ってるにすぎないんだから  そいつだって真実なんて知りやしないから  そいつを崇めることで  そいつを祭り上げることで  そいつは自分に力があると思い込んでいくだけのこと  私を持ち上げれば私は浮かれるだろう。  あなたを持ち上げればあなたは浮かれるだろう。  自分だけが特別と思い込み始めたら物笑い。  そういう夢を見るのも時には気持ちいい。  そういう夢を時には見たいのも良く分かる。  にもかかわらず一番欲しいのなんだった。  にもかかわらず一番大切なことなんだった。  そう、そう、そんなことに浮かれていたら  そう、そう、そんなことにうつつ抜かしていたら  一番欲しいもの、一番大切なもの  のがしてしまう。  一番欲しいもの、一番大切なもの  私が私で居られるところ  私が私で居て安心できること  何よりも何よりも欲しいもの  どの私も  どんな私も  どこにいる私も  私が私で居られる処、  私が私で居ることを喜んでくれるとこ、  何よりも何よりも大切なこと  どの私も  どんな私も  どこにいる私も  私が私で居ることで安心できること  私が私で居ることで喜び手に出来ること    宇宙の根元、その根元  私が私と感じるよりもっともっと深い深い根元  そう総てが私だったから。  そう全ては同じ根元から生まれているのだから  そう、だからあなたはあなたで良いんだよ。  そう、だからあなたはあなたのままで良いんだよ。  あなたも私も同じ根元から生まれてる同胞だから  あなたも私も元々私だったから  どんなに邪悪なものも  どんなに醜いものも  みんな私だったから  邪悪だと私が逃げてたら、  醜いと私がさけてたら  私はそのものに対して悪魔になってしまう。  私は私を粗末にしてしまう。  昔ーし、昔ーし、  遠ーい、昔ーし、  私はあなただったときがある。  未来の、未来の、遠ーい遠ーい未来に  私はあなたになっている。  そのときに私はあなただったこと  あなたは私だったこと覚えちゃいない。  にもかかわらずこの宇宙は同じ一つの想いから出来ていて、  にもかかわらずこの宇宙は同じ一つの根元から出来ている。  だから私はその根元に戻ったあとに  あなたになって生まれてくることもあるでしょう。  どんなものに生まれてくるか今の私には分からない。  どんなものに生まれてこようとも  私は私で居たいし、  私はいつも愛されていると感じてたいの。  だから私は私が自由であるとともに  だから私は誰もが自由でいて欲しい  だから私は何もかもを愛していたい。    信じたくなければ信じなくたっていいよ。  信じたければ信じていいよ。  全てはあなたの自由  総てはあなたの選択。  に関わらず私は声掛ける。  そろそろ洗脳しませんか?  そろそろ思い出しませんか?  本当に欲しかったものなんだった?  本当に大切なものなんだった?    多分、それ問い掛けることから  新しい世界が始まるの。