天使は答えた「焚き火の周りに集う者は自分から集まったのだ」 - FARION MES( 3):Media Talk ◆ 本/映画/音楽を語る 96/01/07 - 01115/01115 VFE01003 くりす RE^2:戦場のメリークリスマス ( 3) 96/01/06 22:56 01110へのコメント #1110 九印さん はじめまして、くりすだす。 「デモテープ2」は坂本のレコード会社移籍の関係ででていません。 ミディを創立した癖にとっといなくなる、気まぐれな教授、、、。 たぶん今の「gut」から出るでしょう(^^;。 高野寛は「サンスト」のデモテープコーナーには間に合いませんでしたが 「不思議の国の龍一」のデモテープコーナーで、「チャイニーズピーターパン」 と言うユニットのデモテープに録音技師兼、ドラムプログラミングで 「寛ちゃんドラム2号」と名乗り参加しています。 でこの時、教授は高野寛の「ヒロシ」を「カン」と読み違えて 漢字に弱いところを暴露していました。(笑)                           くりすでした - FARION MES( 6):ハロー・メッセージ ★ 今日のハロー・メッセージから 96/01/07 - 00502/00511 NBB01420 SUKE まきじゃなくて ( 6) 96/01/06 23:10 00498へのコメント コメント数:1 気が付いてみたら、「まき」じゃなくて「しば」を焼いているんですね。 それも「芝」じゃなくて「柴」で。 加わりたい人もその辺の地面の芝をむしって加われば良いのにと思ったら、 芝じゃなくて柴なんだと。      何だかよく漢字の意味が分からないです(^^)…☆ッテナモンダ Suke. 00506/00511 KFQ02761 しまうま RE:まきじゃなくて ( 6) 96/01/07 00:16 00502へのコメント #00502 SUKEさん  こんにちは!(^^)  「薪」「柴」の意味、ちょっと調べてみました。出典は「高橋国語辞典」で す(ちょっちマイナー(^^;)。 ・薪……燃料に用いる木。たきぎ。 ・柴……山野にある雑木の小枝。そだ。  ついでに「芝」は、「稲化の多年草。茎は地面を這い、節からヒゲ根を伸ば して広がる。」そうです。  「柴」というのは、カミ・コメ・ツチ・ヒトで言えば、コメにあたるものな んでしょうね。でも、もしかするとコメよりは示している範囲が広いかな?  ツチに働きかけて収穫したもの、に限らず、もともと持っていた自分の能力、 だとか、あるいは自分が自由に使える時間、なんてのも、「柴」に含まれるん じゃないかな、なんて思いました(^^)。 しまうま(KFQ02761) 00508/00511 KFR02037 ひょうたん 凍える人を火に招こう ( 6) 96/01/07 02:10 コメント数:1 凍える人(性別不詳だったので今回は仮にKさん)の第2回弁論です。 ARIONは『光の黙示録』の詩的メッセージでこのように述べています。 > 二四、 流れを滞らせるな >     木々を拾い集め 小石を拾い集め >     小さな火をおこせ >     望む者 全てを火の周りに立たせよ >     望む者 全てを宴に招け .... ここでは「望む者 全てを宴に招け」と極めて能動的な対応が表されています。 Kさんが「望む人」であったならば当然「招かれる人」でなければなりません。 たとえ、木々(勇気か?)や小石(自己意志?)を拾い集められなかったとして も、「望む者」であったならば招いて火の周りに立たせてあげねばなりません。 凍える人だけではありません。次のメッセージには乾く人にも同様であることを 証明しております。乾く者、即ち「求める者」には水を満たした木筒を口にあて がうという、これまた能動的な態度をもって臨むべきだと示されております。 > 二〇、 木筒に水を満たしておく様に >     然し その水を人の口にあてがうのは >     止めよ   .......... >     求める者にはそうさせよ では、Kさんが「望む者」「求める者」であるか否かが焦点となってまいります。 Kさんは最近、天使に「私を呼んでくれないのですか?」と尋ねております。この 発言を聞けば、少なくとも「望まぬ者」「求めぬ者」でないことは、もうあきらか でありましょう。よって皆さまの愛の言葉と波動によって、一日も早くKさんが、 自ら「望む」という決意をして、焚き火へ招き入れられることを希望します。 ><29> > あなた方が希望に満ち > 愛の言葉を語る時 > あなた方の愛と > 私 アーリオーンの愛が結ばれ > 凍えた心を持つ人々を覆い > 慰める事が出来る                              ひょうたん 00509/00511 KFR02037 ひょうたん 愛と希望 ( 6) 96/01/07 02:48 00508へのコメント 自己レスでスミマセン(^^;) 希望… 随分、忘れていた言葉の様な気がします。  持ち寄る柴って、愛と希望のことかしらん…   燃やすと、明日が明るくなるもん。                    あ〜した、いぃ日になぁ〜れ… オヤスミ 00510/00511 JCF00616 優位 MES(7)#05274より ( 6) 96/01/07 10:06 00490へのコメント コメント数:1  #00490 しまうま さん &ALL  MES(7)#05274「ARIONより、聞く耳持つ者へ」より −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− ・自ら立ち上がり歩もうとしない者に、  手を差し伸べ、歩ませようとする努力は、見ようによっては美しく見えるが、  これはお節介だと知りなさい。  自ら立ち上がる努力を放棄し、他者に依存して立たせて貰いたい者は、  自らの手で得る物は何も無いのだから、  何も得ないという結果を持つことが、学びとなる。  自ら立ちたいが能力的に立てない者、  最善の努力を払ったが立てない者には手を差し伸べよ。  自ら立つことが歩みの第一歩だ。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−  そして最後に、こう締め括ってありました。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−  あなたがた、私達神霊族の言葉を虚しくせず、  必ず自分のものとする様に。  天使の愛の真実を、人の愛の現実とするように。  理想と思える事々も、たった一人の努力で現実になる。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−  そして今日のHMがこれですよね…  96/01/07 天使は答えた「焚き火の周りに集う者は自分から集まったのだ」  ということは…天使は「焚き火の周りに集う」事は、自発的に為されるものだ  と言っているわけです。  果たして「凍えた声」は、  ・自ら立ちたいが能力的に立てない者  ・最善の努力を払ったが立てない者  なのか、それともそれ以前に  ・自ら立ちたいと思っていない者  ・最善の努力を払おうとしない者  なのかは、天使の言動に注意すれば、なんとなくわかってきますね(^_^)                          優位(JCF00616) 00511/00511 KFR02037 ひょうたん RE:MES(7)#05274より ( 6) 96/01/07 12:39 00510へのコメント #00510 優位さん > ・自ら立ちたいが能力的に立てない者 > ・最善の努力を払ったが立てない者 > なのか、それともそれ以前に > ・自ら立ちたいと思っていない者 > ・最善の努力を払おうとしない者 > なのかは、天使の言動に注意すれば、なんとなくわかってきますね(^_^) と言うことなんですが、天使のどの言動に注意すれば、どのようにわかってくる のでしょうか、教えていただけませんでようか? 実は、私にはまだ判断がつか ないのです。 もし、凍える人が『自ら立ち上がる努力を放棄し、他者に依存して立たせて貰い たい者』なら、「私に何かを依頼しているのか?」という天使の問に「焚き火に 連れていって欲しい」とか、「火のついた柴を持ってきて欲しい」と答えている でしょう。しかし、彼は「私は何も依頼していない」と答えていましたよね。 >・ある先入観をもって人と対すると、相手はその先入観を裏付ける言動をするかの > ように見えることがある。 というARIONの言葉通り、凍える人に対して、天使は、なおまだ丁寧に注意 深く接しているように見えるのです。                                ひょうたん - FARION MES( 7):自分を観る  ★ ARIONを鏡にして 96/01/07 - 06789/06792 NBB01420 SUKE 「背後の声」状態 ( 7) 96/01/06 23:10 06786へのコメント #6786 MAKOTOさん、こんばんは。 >>あれは、私の姿でもあるから(^^;) そうなんですよね。自分ではあんまり自覚が無くても、一面でそういう自分の 姿もあるんだろうとは思います。だから、「あーまどろっこしい」と思うのは 半分自分を棚に上げた言い方。そういう人が実際に目の前にいたら、自分を棚 に上げたままそう言えるだろうか?と思ってしまう。 でも、そう感じているのは事実なんですよね。口に出して言わなくても、じれっ たい気持ちは湧いてくる。それはもう認めなければならないと思っています。 と言うことは自分自身が「背後の声」状態にいると自覚したときには、自分自 身に向かって「じれったいぞ」と言わなければならないです。 今の私は「背後の声」状態の自覚がないから、そういう覚悟を据えるしか無い ところです。 でも、あのHMはたとえ話として分かりやすくデフォルメされているのではな いかと言う気もしないではない(^^;)                         (^^)…☆ッテナモンダ Suke. 06792/06792 JCF00616 優位 ラクな結論? ( 7) 96/01/07 09:24 06786へのコメント  #06786 MAKOTO さん  ちょこっとちゃちゃ入れします(^^)  これでMAKOTOさんの「逃げ道」を更に塞いでしまうかもしれませんが(^_^;) | でも、そんな風に思う必要なんてないんだよね。そんなの、自分で自分の事 |を貶めてるだけなんだよね。加わりたいなら、加わればいい、ただそれだけの |話し。  話の流れから観ていると、こういう部分がMAKOTOさんの「思っている程理屈っ  ぽく無い」部分なんじゃないかなぁ…と思いました。  この引用箇所の上の部分には、いろいろとこれまでの心理的過程が書かれてい  ますが、とつぜん、上記の引用箇所の部分で「必要なんてない」と結論してい  る部分、これは短絡的に見えました。  当時のMAKOTOさんの心は、その時のMAKOTOさんに必要があったから、そういう  行動を取らせたのではないでしょうか。足を踏み出せない事も、誰かに助けて  欲しいと願いつつも、それをしないようにしていた事などです。  一見、過去の「観たくない」MAKOTOさんの姿が描かれているように見えるので  すが、その「原因」を追求せずに、短絡的な結論を出してしまっているように  思いました。短絡的というよりは、「ラクな結論」っていうのかな。  「必要なんてない」…この結論をMAKOTOさんが出したのは、一時的に自分の状  態を安定させておく為ではないでしょうか。「こうでなければならないんだ」  式の結論をすれば、それだけ「自分はこうなんだ」と思いこめるので、一時的  にはラクになる。つまり自分を型にはめちゃえば、ラクだ、と…。  だけど「自分はこうでなければ」と思っているのは、自分を抑圧してることと  同じですよね?…ということは、やっぱりこの後も、悩みの種は変わらないん  じゃないかなぁ。「こうでなければ」と思っているのは、自分を観るというこ  ととは遠い。結局は自分を解放せずに、縛ってしまっているから。  「…すればいいだけの話」が、今まで出来ていなかった。とすれば本当に「そ  んな風に思う必要なんてない」のかな? …こんな問いを自らに問うてみたら  良いと思いました。  でも、ぜ〜んぶ的ズレしてたらゴメンなさい(^O^;)(__;)  (もしかしたらこうではないかな?という仮定ですので、全部)                          優位(JCF00616) 06791/06792 BYH14717 中尾 かたる RE:際限なく力みを抜く ( 7) 96/01/07 05:09 06790へのコメント  ども、Sukeさん今晩は。Resありがとう。  >>私は親しくても相手の自主性を損なう事は出来ないと考えます    この辺は難しいところですよね。僕がこの世で一番罪なことだと思っている  のは、人の自由な意志を奪うことだと思ってるんです。僕も普段なら、自分  ならこうする、って言いますけど、時と場合によっては要求することもあり  ます。勿論無茶苦茶なことを要求したりはしませんけどね。  でも僕は、人によっては要求と言うか、後押しして欲しい人もいると思うん  です。それは自主性を奪うことにもなりかねないんだけど、例えば何かに  迷っているときなんかは、誰かに「やってみろ」とか「それでいい」とか、  そう言われて決心がつくということもあると思います。これは、自分の事を  自分で決められない、という人なんですけど、でもそうやって自信をつけて  いけば、いつかは自分の道を自分で見つけられるようになるかも、  というのは結構甘い考えなんですけど、そう思ったりします。もしかしたら  一生頼りきってしまうかもしれないからね。時には拘わったりして、そういう  のを使い分けていれば、うまく行くのでは、と思ってます。    おっ、それから、確かに僕は力が抜けて、砕けきってます。僕はデザイン学校  に行ってたんですけど、入学式も卒業式も出てません。遅刻したり、留年した  友達に付き合ってロビーで待ってたり、すごくいい加減だったりします。  洗濯機で革靴を洗ったり、結構いかれてます。    僕も確かに「力み」っていうのは必要だと思います。大事なのはその切り替え  だと思います。あんまり力みすぎると、そこから抜けられなくなっちゃうん  じゃないかと思ったんですけど、でも発言とかを読んでいると、そんなことも  ないのかな、って思っています。  僕は、精神的な自由ってすごく大事だと思っているので、そう感じたんです。  一つのことを色んな角度から見れた方がいいと思っているんです。    感情っていうのは、自由を奪ってしまうことがあるから、あまり真剣になり  過ぎると、感情が多く入りすぎちゃって自由を失ってしまうんじゃないか、  と思っています。だからといって自由に縛られてはどうしようもないですけど  ね。    あと、バンドのことなんですけど、「何故生きるのか?」って聞かれたら何て  答えます? 僕はとりあえず「自己実現」と答えるんですけど、みんな何らか  の形で自分を表現して認めてもらいたいと思うんです。バンドだけじゃなくて、  日常生活でも。  >>「際限なく力みを抜く」即ち「とことん拘りを抜く」みたいな生き方>>  そんなふうに見えるかもしれないけど、結構拘わってますよ。皆自分を表現  したいんだから、お互いに認めあうことが大事ですね。学生の頃って、はっき  り言って皆下手なんです。だけど自分をもっとよりよく表現したいんですよ。  多分僕は潤滑油みたいな奴なんです。何だかわかんないけど酔っぱらいの喧嘩  とかも止めるのうまいですし。でも結構言いたい事と言うか、言うべき事も  はっきり言うんですけどね。協調性があるってわけでもないし、はっきり  言って自分でもよく分かりません。    お互いに理解し合うには、言いたいことも言わなきゃなんないし、そうやって  時間をかけてゆっくりとやってくもんだと思ってます。でも初対面でもうまく  行くのは何故なんだろう? 誰かに教えて欲しいよ。    人間関係って、前にもどこかに書いたけど、相手が何かでマイナスになったら、  自分もちょっと引いてマイナスになればいいと思うんです。マイナス同士を  掛け合わせれば答えはプラスになるんだしね。結構単純でバカなんだけど、  複雑なことも意外と核になっている部分って単純なことだと思ってます。  世の中を見てると、何だかみんな自分にしがみついて生きているようで、  もっと自分から距離を置くことが出来たら、戦争だって起こらないかもしれ  ないし、って思います。    また今日もまとまりのないだらだらした文章を書いてしまったけど、意味が  通じたかな? じゃ、寝ます。おやすみ。中尾でした。 - FARION MES( 8):恋愛錬金術  ★ 愛と性を本音で語る 96/01/07 - 01296/01297 JCF00616 優位 奥山に聞こえる鹿の声 ( 8) 96/01/06 21:16  もう暫く前の事ですが、「性は聖なり、而るに生なり」というのを体験した  ことがありました。それは修学旅行でいった秋の北海道、然別湖畔の夜のこ  とでした。  然別湖畔のホテルのサービスで、ナイトウオッチングという、なにやら聞き  慣れないサービスを、3学年全員で行うことになっていました。全員が、ホ  テルの係員と一緒に湖畔の道を、明かりもつけずに歩きます。なんでも、然  別湖畔は、「日本でただ2カ所の夜明かりの無い所のひとつ」なのだそうで  す。人工衛星で調べた所、そういうことが分かったのだとか。  つまり、日本で本当の闇を体験できる希有な場所なわけなので、歩く時も、  明かりをつけないようです。  それで、15分くらい歩いて、目的の場所に到着した時には、もう目も闇に  慣れつつあって、澄んでピンと張りつめた夜空に、ポッカリと浮かんだ満月  が神秘的に見えました。係の人はそこで全員に「静かにしてください。一言  も喋らないように」と再三に渡って注意を促し、私達は出来る限り静かにし  て耳を澄ませていました。  …大勢が集まっているのに、誰も喋らないので、時間が経つのが遅く感じま  した。それでいて、周囲にこれといった変化もないので、「これから何が起  こるのだろう」という疑問が浮かんできます。しかし、そんな疑問が浮かん  でいる中、どこからか微かに音が聞こえたような気がしました。  「この音はなんだろう?」…また、少し聞こえてきました。  よく耳を澄ますと、どうも鈴虫のような甲高い声のようです。「シンシーン、  シンシーン……」とても神秘的で、とても高く綺麗な響きを感じました。  全員が大体聞き終わった所で、係の人が静かに語り出しました。「皆さんが  今聞いた声は、鹿の声です。雄と雌の鹿が、新しい生命を生み出す時に、出  す声です」  さすがにこのときは、なにか別の動物の雄叫びか何かだと思っていたので「  まさか」と一瞬思ってしまいましたが、このとき初めて「そうか、これが性  は聖なり、而るに生なりとARIONが言っていたことなんだ」と、スッと  胸に染みるものがありました。  厳寒の夜中、真っ暗な闇のなかで鹿たちが、新たなる生命を生む為に、聖な  る声を響かせる。雌鹿のオルガスムスの声が、あんなにも神聖で神秘的なも  のだとは…。まさに、「性は聖なり、而るに生なり」ではないか…。  「今日の体験はずっと忘れないでしょう」と係の人が言っていた事は、本当  です。山奥で響いたあの声は、未だに僕の頭の中で再生することができるく  らい、強烈に記憶に焼きついているのですから。  こんなに貴重な体験をさせてもらって、本当に感謝せねばならないな、と今  更ながら思う優位でした。                          優位(JCF00616) - FARION MES( 9):日本魔界巡航 ★ 神と人の関りを探る 96/01/07 - 721/724 MHD02672 TAO RE:【姫神岳】龍伝説の山 ( 9) 96/01/06 16:52 719へのコメント  #719 SUKEさん  どうも(^^)。今年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。今度も東北地方の山ですね。  関係無いのですが、初詣で引いたお籤には「方角 北東の方よし」とありましたの  で、1月中旬に予定している北海道遠征(北海道も関東から見れば東北になります  よね)でも何か良いことがあるかもしれません(^^;。  東北というのは調べれば調べるほど、色々と興味深い歴史を秘めていますね。7〜  8世紀に畿内に成立した大和朝廷は、東北地方の人々を指して「蝦夷」と称し、異  種族と見なしていましたが、何度も軍事的征服を試みながらも、明治維新に至るま  では、中央政府はついに東北地方・蝦夷地(北海道)の全てを支配下に置くことは  出来なかったといいます。  みれさんによれば、ARIONは「蝦夷はAMA族」だと述べているそうですが、  AMA族史観に則って見ると、蝦夷は出雲系AMA族(海人族)の末裔だと言える  でしょうか。一輝さんの「AMA族の系譜」に依れば、出雲系AMA族は航海技術  に長けていたと言いますが、津軽半島にある十三湖という潟湖の入り口に、かって  十三湊という大きな港町があって非常に栄えていたという伝承が残されています。  網野善彦氏によれば、15〜16世紀の日本における海上交通は非常に広範囲に渡って  いたということですから、日本海側では北から南に至るまで「海の道」を渡ってい  たのでしょうね。東北に秘められた歴史には、まだまだ奥深いものがありそうです。  さて話を本筋に戻してと(^^;。「姫神岳」というのは何か、女性的でロマンチック  な名前ですね(^^)。多くの龍伝説で彩られているというのも、そんな印象を強めま  す。頂上の石の上に建てられている祠の中に祀られているのも、やはり女神様なの  でしょうか?関係ないけど、東北地方(特に秋田)の女性は色白の美女が多いと言  われますよね。富士山の木花開耶姫もその美貌で有名な女神様ですし、「姫神」と 呼ぶぐらいだから、さぞかし美女の女神様かと…(^^)。下世話な話になりましたが、 実際、日本海側の霊山と称される山では、女神を祀る例が何故か多いそうです。代 表的なのは、菊理媛を祀る白山ですね。  姫神岳についての詳細は、私も生憎と良く知らないのですが、岩手三山の内に入る  名山だったように覚えています。上述の祭神が誰かということも含め、何か情報を  お持ちの方がいらっしゃいましたら、どうぞお知らせの程を宜しくお願い致します。  TAO 722/724 MHA01114 シュメ−ル RE:【姫神岳】龍伝説の山 ( 9) 96/01/06 16:57 719へのコメント コメント数:2  五葉山は何度か登りました。一時間半もあれば麓から楽々山頂に着きます。来ら れるときには案内できます。五葉山は不思議な山です。登り始めると、林内が整然 としているのに感動します。膝下程度の高さの篠が斜面に緑の絨毯のように敷き詰 められ、あとは林冠部を形成する灌木が背丈の上に天井のように広がっているだけ。 雑然とした雑木林を庭師たちが丁寧に刈り込んだみたいなのです。そこを鹿たちが 穏やかに歩んでいる。巨大神社の境内といった雰囲気。巨石群も壮観です。五葉山 に住んでいる神々は女性系かと思われる穏やかさを持った山です。妄想の一種なん ですが、頂上付近にひとつ、山道からすこしはずれたところにあるもう一つ、湧き 水があります。その後者のほうに一人で立ち寄ったとき、穏やかな一陣の風が唐突 にふきてきて、再び静まり返った経験をしました。直観的に、五葉山の神が歓迎し てくれた、との思いが訪れました。それだけ。  姫神は稜線がきれいな山です。山頂の直ぐ側まで車で行ける山です。何時か登っ てみたいと思ってますが、まだ山頂にはいってません。直ぐ下の道路を通過しただ けです。  五葉山も姫神も岩手県の北上山系の山です。中学で貰った地図帳で確認できます が、この北上山系は日本列島で最も古い古生層からなる山脈です。五葉山はその南 端、姫神は北端に位置します。遠野はこの古生層に抱かれた町で、柳田の遠野物語 の伝承ル−ツである隣の江刺は宮沢賢治が愛した土地です。そしてこの江刺はアテ ルイや安倍の影響をいろ濃く残す地域です。安倍といえば前九年の役の主戦場の衣 川が著名ですが、衣川、江刺、そして北上山地の最高峰早池峰山周辺の伝承を当た っていくと、かつては、山形県の月山、長野県あたりと文化的交流が在った様子が 見えてきます。   北上山系の石たちは私はお喋りな石達という印象を持っています。シュタイナー チックになりますが、彼等石達と我々人間の魂がまだ分かれていなかった頃の記憶 を彼等は持っているんじゃないのだろうか。そして、彼等にしてみれば、人間たち はかつての仲間のような気がして語りかけてくるのかもしれない。いつか一晩五葉 山の岩たちの側で眠りに着いてみたい。  そんな人懐っこい石達も今は、雪に抱かれて、静かな眠りに着いていることだろ う。   723/724 MHD02672 TAO 蝦夷の国、日高見国 ( 9) 96/01/06 22:53 722へのコメント  #722 シュメ−ルさん  どうも。シュメールさんは岩手の方でしたね。貴重な、詳細な現地報告を有り難う  ございます。「雑然とした雑木林を庭師たちが丁寧に刈り込んだみたいな」五葉山  の景色が目の前に浮かぶようです。  女神達がおわすかのような穏やかな雰囲気が五葉山には有るとのことですが、日本  海側に面している霊山には何故か女神を祀っている山が多いそうで、日本海のエネ  ジーが関係しているのかなとも思わされます。  ヤマト政権のある種凶暴な王化対策が及ばなかった、まつろわぬ民が遺してくれた  もう一つの国「日高見国」の記憶が、東北には漂っているように思えますね。蝦夷  研究で知られる高橋崇氏は、『人国記』で陸奥国の住民が「日ノ本ノ故也、色白ク  シテ眼ノ色青キ事多シ、人ノ形儀イヤシフ而、物語卑劣ナレドモ、勇気正キ事、日  本ニ劣ル可キ国トモ思ハレズ」と評されていたことを紹介していますが、かくも日  本人離れした住民が東北には居たのですね。  >> 遠野はこの古生層に抱かれた町で、柳田の遠野物語の伝承ル−ツである隣の  >> 江刺は宮沢賢治が愛した土地です。そしてこの江刺はアテルイや安倍の影響を  >> いろ濃く残す地域です。  阿弖流為アテルイと言えば、征夷大将軍の坂上田村麿と何度も戦い、最後には桓武天皇  に死を賜った蝦夷の長でしたね。桓武天皇が怨霊におびえていたことは有名ですが、  桓武天皇は蝦夷を征伐すると共にその怨念を恐れてか、慈覚大師(円仁)をも東北  に派遣していたそうです。慈覚大師はかの最澄の直弟子にあたる人で、東北には慈  覚大師が開いたと伝えられる寺が多いとされます。最澄が平安京の鬼門にあたる比  叡山を封じ込めたように、慈覚大師も蝦夷の怨霊を封じ込める為に派遣されたじゃ  ないかな、と想像しているのですが。  ありゃ、どうも蝦夷の話になると脱線しがちになりますね(^^;。  今後もどうぞみちのく情報をお寄せ下さいね。ではでは。  TAO 724/724 NBB01420 SUKE RE^2:【姫神岳】龍伝説の山 ( 9) 96/01/06 23:11 722へのコメント #722 シュメ−ルさん、こんばんは。 コメントありがとうございます。 図らずも北上山系の南端と北端でしたか。 確かに高校の地図帳で確認出来ます。五葉山と姫神岳を直線で結ぶと、その中 点付近に早池峰山がありますね。そしてこのラインを着たに延長すると十和田 湖に当たります。 東北地方の山やレイラインは、他の地方と異なり整然としていて、他の土地よ りもはっきりと残っているような気がします。東北地方に残る「黒」とか「森」 と言う地名もこれらのレイラインに関係するようです。 黒と書くと鉄を思い出すのですが、古代金属と言われる「ヒヒイロカネ」も主 成分は鉄であると言われます。 また、義経伝説で有名な平泉の黄金文化についても、東北地方の金の技術は西 のそれよりも数段優れていたと言う記事も読んだような覚えがあります。 東北は、歴史の表舞台として戦乱と相次ぐ政権交代にさらされた関東以南と違っ て、古代の遺産がよく留められているのかも知れませんね。                          (^^)…☆ッテナモンダ Suke. - FARION MES(11):狼を生きる  ★ 平井和正の著作から 96/01/07 - 01932/01932 JBH00712 桂 桂 魔法使い(独り言風に) (11) 96/01/07 02:00  そういえば四騎忍は独鈷杵を普段に持ちあるくわ、謎めいた神符はペタペタと 貼りだすわ、これではまるで超能力者だよな。一体この小説って学園ドラマなの か、それともスーパーヒーローモノなのか、はっきりしてもらいたいよね、って そのどっちも合わせた欲張りな作品であったか(笑)  一つだけよくわからないシーンがあって、特務工作員に誘拐された後藤由紀子 を救いに行く時に四騎忍が一人で独鈷杵を振り回して瞑想するというシーンがあ る。  雷鳴が渦巻く中を無意識の内に独鈷杵を降り奇妙な軌跡を描く事に時間と空間 の把握を切り拓くという謎めいた描写(「雷雨の中で」)は、ほんの数行足らず のシーンだが妙に気にかかった。  雨の中に美少女を救出にいくヒーローにしては決まり過ぎだが、それも其の筈 か、何せ作家自身が自分の理想像として主人公を描いているのだから(^^; それ くらい謎めいた、かっこ良すぎる描写だ。  ミステリアスな雰囲気が興味をそそられる。  美女も美男も多少隠し事を持っているような感じが良い。  全てをあからさまにさらけ出すより、影を背負っていた方が絵には成り易い。  天下の陰陽師・安倍清明の成り代わりの姿というだけにあって、魔法を使う時 も様になる。おっとこれじゃ誉め過ぎか(笑) 桂 桂(JBH00712) - FARION MES(12):精神世界裏表 ★ ニューエイジビジネス を斬る 96/01/07 - 00738/00738 JBH00712 桂 桂 戦争機械・9 (12) 96/01/07 02:00 00660へのコメント  戦争機械・第二部  ☆1975年以降  中核派と革マル派の内ゲバは75年頃がピークであったらしい。  以後の日本の左翼思想は徐々に後退を示し、そして70年代の後半は緩やかに 白け始めて行ったかのようにみえた。  映画も文学も第一線より後方戦線への撤退を余儀なくされようとしたかに見え る。  がくしゃらだった革命への燃えたぎるエネルギーは時代の徒花のように空ろぎ 始めていた。  この頃より世間では横溝正史や夢野久作の再評価の気運が高まり、一種のリバ イバルブームが起きていたらしい。また自然食運動やエコロジー運動が静かに一 つのコミューンと成り始めたのも、動きの一つであった。  1976年4月、「日本的狂気の源泉を探る」という言葉を引っ提げた雑誌が 絃映社から創刊された。「地球ロマン」がそうである。編集長は武田洋一(後に 改名、崇元)氏である。オカルト雑誌としてはカルト的な内容を売りにしており、 言わば現在の秘教的なオカルト・精神世界の魁になった雑誌である。かなり伝説 的な雑誌で、今では古書店街でも見つけるのは容易ではないだろう。  同誌はその先駆的な内容により6号にて廃刊となる。  武田氏は「地球ロマン」休刊後、武田益尚のペンネームにて「UFOと宇宙」 誌の編集長に就任するなどしていたが、1979年に「地球ロマンの霊統と遺産 を発展的に継承する」として白馬書房より「迷宮」誌を創刊するが、これは3号 にて休刊した。  また学研のオカルト雑誌「ムー」にも79年の創刊当初より顧問として参加、 様々な企画に携わっていたという事だそうである(現在はどうなっているかは知 らない)。  「迷宮」という雑誌はオカルト情報を単なる好事家のネタとしてだけではなく、 文化史上の資料として対象化するというマニアックな雑誌であったという。  その復刊第一号は「偽史倭人伝」と銘打たれ、「武内文献」「上記」などのいわ ゆる超古代史と日本=ユダヤ同祖論、シュメール起源説などの日本民族起源論異論 を扱う内容だったという。  「偽史」とはもう一つの影の日本史の事である。  従来語られて来た天皇万世一系説を更にエキセントリックにし、超古代文明にお いては天皇は超科学を駆使して世界を神聖統治しており、そして日本人はもっとも 優れた民族として君臨していたという異端の史説である。  この偽史は例として上げた「武内文献」のみに関らず、歴史においても「もう一 人の天皇」熊沢天皇や、あるいは60年代後半から突如として「この国にはもう一 つの民族がいる」と声を挙げた八切止夫(サンカ説)なども、同じ様に「我こそは 正統なり」と声を上げた人達がいる。偽史運動というのは総じてものを一からげに した言い方だが、これらは纏まった運動体というよりは、正に「日本的狂気」とし て個々の事象を事実経緯と時代背景に基づき厳密に検証されなければならないだろ う。  後退して行く左翼イデオロギー運動と偽史は静かに交錯したのか。  「地球ロマン」誌復刊一号の編集後記から武田氏の文章を抜粋して見る。  「偽史にまつわるエピソードを二つ。一つは、数年前、赤軍派の梅内恒夫が地下   からのアピールで<天皇アラブ渡来説>の八切止夫を日本始まって以来の人民   歴史家と賞賛。マルクス主義を放棄し、ゲバリスタに志願した事。一つは、秦   史ユダヤ人説を信奉する手島郁郎が、岡本公三を転向させた事、最も急進主義   的な党派に属する二人の人間の思想的転宗に、何らかの形で偽史が介在した事   は果して偶然でしょうか?」  これは当時(75年頃)流れた噂であるらしい。  岡本公三氏は日本赤軍派。テルアビブ空港乱射事件(註:事件の真相は無差別乱 射事件ではないらしい)の一人。手島郁郎氏は牧師で、岡本氏とは接見した事は有 るそうだが教化までには到らなかったらしい。ただそれにしてもこのような形で噂 が流れるというのは確かに興味深いものが有る。  八切止夫(故人)氏の「もう一つの民族」サンカ説は赤軍派の梅内恒夫に多大な 影響を及ぼし、「第三世界の窮民」「虐げられたる民族」という新たなる概念を産 み出す事になった。そして多くの左翼学生の間に異端歴史学への傾斜をもたらすと いう副産物をも産む事になった。  武田崇元氏は東大出身である。  学生時代にはブント(通称・共産主義者同盟、略称共産同)に属していたという。 桂 桂(JBH00712) - FARION MES(14):預言解読村  ★ 預言・予言は何を語るか 96/01/07 - 03532/03534 KFR02037 ひょうたん 風と光と海水と (14) 96/01/07 02:21 03529へのコメント 新聞を見ていたら、大阪市が招致運動をしている大阪五輪の会場予定地である 大阪湾の埋立地、夢洲と舞洲には、太陽光や風力による発電や、ゴミ処理で出 る廃熱の利用、海水を使った地域冷暖房計画などを掲げ、5万人の街のエネル ギー自給を目指しているとか… 五輪招致のアドバルーンのような気もしないことはないけど、原子力一辺倒の エネルギー政策に頼るよりは、新しい試みとして大いに期待したいものです。             こんな「夢」なら「舞」って欲しいですね。(^^) 03533/03534 KFR02037 ひょうたん 焚き火の祭り (14) 96/01/07 07:08 03495へのコメント 95/12/24 さて剣を携えた天使は、屋外に焚き火に集う民を認め微笑んだ クリスマスを挟んで続いている天使と焚き火シリーズなのですが、西洋ではクリス マスを前後して、キリスト教以前の風習を伝えると思われる行事が行われ、丸太に 火をつけたり、麦藁を焼いたりすることがあるそうです。日本でも、1月の15日 頃には左義長とかどんどとか呼ばれる行事があり、焚き火によって注連飾りや昨年 の御札などが燃やされます。 面白いのは、どちらも厄払いとか、鬼やらいとかの意味あいがあり、所によっては 現在でも仮面や麦藁で仮装した鬼や悪魔が登場するということです。このことは、 今でこそ追われる立場の鬼たちですが、かつては主賓として、あるいは主宰として、 この焚き火の行事に参加していた証しであるとも考えられます。 93/02/04 鬼も人も焚き火を囲んで踊る夜、NAMEさん見ていますか?入りますか? このHMからは、なんだか冬の祭りの原型のようなものが見えて来そうですね。                                 ひょうたん 03534/03534 KFR02037 ひょうたん 栗須魔と垣内魔 (14) 96/01/07 07:10 03516へのコメント 「栗須魔」と同じ年、同じ月に「垣内魔」もHMに出ていますね。 95/09/12 栗須魔(クリスマ)動じて天変を為し、帆柱靡いて影を為す…歩め義の道 95/09/23 垣内(カキツ)魔あり…精進せよ。合わせ鏡のご神事なれば人の世は? 『栗須魔』動じて → 歩め義の道 『垣内魔』あり… → 精進せよ 何か関係はあるのだろうか?                             ひょうたん - FARION MES(19):世も末ばなし ★ ぶっ飛び話・罰当たり話 96/01/07 - 781/782 QZY01267 猫の手 真理を求めて (19) 96/01/07 08:40 776へのコメント  オームの信者は悪魔だろうか?  統一協会の信者は悪人だろか?    いつだったか、  桜田淳子さんが身を隠して近くの温泉に立ち寄ったという話を聞いた。  彼女は何か悪いことやったのかな?  彼女は何かいけないことでもしでかした?  アイドル歌手として虚構の人形となり  ハードスケジュールこなし、  有名になったら幸せになれると思っていたけれど、  綺麗な洋服を着て着飾って  多くの人の前で羨望のまなざし受けてきた。  にもかかわらず幸せな感じがしてこなかったその彼女  にもかかわらず孤独のままでいたその彼女が  さも「これが真実だよ。」と  優しい手招きに応じてしまうのは自然なことだった。    ところが世間はそれを許さなかった。  ところが世間はそれを非難した。  彼女の寂しさを理解してくれる人居なかった。  彼女の辛さいたわる人居なかった。  アイドルとして持ち上げられていたのとは逆に  今度は全く逆に、  要危険人物と指名手配されたかのように扱われ、  どこへ行っても落ちつける場所を失ってしまった。  元々アイドル時代から落ちつける場所などなかっただろうけど。  疲労困憊した彼女を益々世間は責めつけた。  彼女は真理を求めた一人にすぎなかったのに  彼女はやすらぎを求めたか弱い一人にすぎなかったのに      オームの真理を求めた人々  彰晃ちゃんの教えに真理を求めた人々  彼らは路頭に迷っている。  自分がオームの信者だと知れたらどんな仕打ちが待っていることか  びくびくしながら路頭に迷っている。  自分が期待していたもの  実際の現実  自分が信じてきたこと  その中で信じられていること  自分の頭の中では整理が着かないまま  誰にも相談できず、  相談したところで  偏見のまなざしと  危険人物としての烙印を押され  入信する以前以上に孤独にさいなみ  彼らは路頭に迷う。    本当は誰も真実なんか知りはしない。  本当はどこにも救世主なんかいやしない。  自分がちょっと他の誰かと違う能力あって  自分がちょっと誰かに持ち上げられちゃった者が  おだて上げられ、祭り上げられ 「教祖」となって、 「救世主」となって、  のぼせ上がっているだけのこと。  にもかかわらずひとは自分を救ってくれるひと  にもかかわらずひとは自分に安心与えてくれるもの望み  何かを信じ込む。    そして人々は、  その思想が自分の信じているものと違っているとそれを非難し、  そして人々は、  自分の思想を踏みにじると言って弾圧してく。  そして人々は、  自分が批判されるの怖れ  そして人々は、  自分が傷つくの怖れ  自分は何も信じていないとうそぶき  自分が何を信じているかを隠し  そのうちに自分が何を信じているのかも分からなくなっていく。  そして今、  なんでも「科学」を持ち出せば共通の信仰として容認されて  何も分かっちゃいないのに 「科学的」と言っただけで信憑性もち  現代科学の最先端では  その科学の基盤が総崩れしているという話を知りながら  いまだに「科学信仰」を堅く握りしめている人々。  それが悪魔の仕業とも知らず。  それが自滅への道とも知らず。  真理を求める人の足を引っ張り  自ら真理を求めることを思い留め  救い様のないこの世界を容認し  にもかかわらず自分だけは救われたいと  怖れ戸惑い続けてる。    そろそろ真理を求める人々許しませんか?  そろそろ自分が真理を求めること許しませんか?  今のまま行ったら  自分も周りの誰もが生き場を失うと分かっていながら  盲目の人生歩み続けますか?  にもかかわらず私は言うだろう 「誰も真理なんか知りはしない。」 「誰も真実なんか知りゃしない。」  とは言っても  あなたも私も  真実を求める人々を許す必要あって  自分自身で真理を求め続けなければならないの。    そうしたときにこの社会  そうしていったときのこの世界  少しづつ、少しずつ  変わっていくこと知っている。  少しずつ、少しずつ  私もあなたも救われていくこと知っている。    誰も持ち上げず、  誰にも持ち上げられず、  孤独を孤独として受け入れながら  自分自身がこの世界の創造者だったことを思い出すこと。  誰も彼も、何もかもがこの世界の創造者だったことを思い出すこと。  それは嘘かもしれない。  それは大嘘ッ八かもしれないけれど、  そのあたりから真理を求めること初めて見ませんか?  真理を求めること許しませんか?      ** QZY01267/『猫の手』 <96/01/04 12:40:06> ** 782/782 QZY01267 猫の手 孤独を生きる。 (19) 96/01/07 11:26 780へのコメント  私は何よりも孤独が怖かった。  私は何よりも孤独が恐ろしかった。    孤独を怖れ、  自分をねじ曲げ  孤独を恐れ  自分を偽り、  八方美人になりたくてあれやこれや  八方美人は嫌われるからとあれやこれや  気を使い、  気を回し、  気を使うことでまた嫌われて  気を回しすぎて煙たがられて    多分私は適当に好かれていたら  それで満足だったと思う。  きっと私はある程度慕われていたら  それで十分だったろうと思う。  でも、  徹底的に嫌われて、  あからさまに避けられて、  病原菌を扱うように嫌悪され、  理由を訊いても答えてもらえず、  問い詰めたって本音は言わず。  ただ冷ややかに無視されて  孤独を味わい  孤独にさいなみ    多分私は、  そんな私を擁護して  支えてくれる誰かが居てくれてたなら  それだけで済んでたでしょう。  きっと私は、  そんな私を赦してくれて  容認してくれる誰かが居てくれてたなら  それだけで終わってたでしょう。  でも私にはそんなひと誰も居なかった。  でも私にはそんな誰も現れなかった。    最初は、  相手の要求に合わせようとした。 「こういう人に成りなさい。」 「ああいう人に成りなさい。」  何とかそうなろうと努め、  そうあるべきと信じ込み  そうあろうとしてきたけれど、  逆にそのことでまた嫌われて  また避けられて。  そして、私は世界を責めた。  私を避ける人々責めた。  理不尽だと責めたてた。  だからと云って  優しくしてくれるひとなんか居なかった。    一体何が真実で  一体どうすることが正義なの?  孤独にさいなみながら  寂しさにもがきつつ  ひとに好かれるための努力に疲れ果て  誰かを責めることに疲れ果て  私を守るたった一人の存在に出会う。  私を支えるたった一人の存在が居ることを知る。  その存在はいつでもどこでも私に着いてきていた。  その存在は誰よりも私のことを知っててくれた。    多分、  私の外側にそう思わせる誰かが居たなら  そのこと気づかなかった。  きっと、  私の近くにそう思える誰かが居たなら  そんなこと分からなかった。  きっと、間違いなく、  普通に暮らし、  普通の夢見て  ごく普通に  ごく当たり前の生き方してたと思う。  そして、ごく当たり前の幸せで  満足させていたでしょう。    でも私は他の人たちと  あまりに違いすぎ  でも私は他の人たちと  あまりに溝が深すぎて  同じになろうとする努力はむなしく終わった。  ホントは私は他の人たちと  ちょっと違っていただけで  ホントは私は他の人たちと  僅かにずれていたにすぎないけれど  その違うことが居心地悪い人たちが居て  そのずれが許せない人たちが居て  それがなんだか分からないままに嫌われて  それに無理に合わせる努力に疲れ果て。  問詰めたって  必死にすがりついたって  その違うということが嫌だと感じてる人が  どんなことしたって好きになってくれること  そんなことないって知ってしまった。  その溝はあり続けるって分かってしまった。  追いかければ追いかけるほど  逃げて行く。  合わせようと思えば思うほど  ずれていく。    だから私は私のままに  だから私は私を支え、  嫌う人もいたわって  避ける人も赦し、  私は私を生きる。    私は今も孤独が怖い。  私は今も孤独が恐ろしい。  でも、それを怖がることで  しかし、それを恐れることで  もっと大切なもの失うこと知ってしまった。  もっと大事なの捨ててしまうこと分かってしまった。   きっと私はこれからも  嫌われるでしょう。  きっと私はこれからも  避けられるでしょう。    でも、私は私を生きる。  しっかり、私は私を生きる。  誰でもない私のために  大切な大切な私のために。  私は孤独を生き続けるでしょう。  誰もかも  何もかもが幸せ感じれるようになること願って  私は私を生き続けるでしょう。  きっとその時はすぐそこに来ていると信じ。         ** QZY01267/『猫の手』 <96/01/07 10:22:07> **