「凍える事を選んでいる者に何を言うべきか?」と天使は答えた - FARION MES( 2):Wellcome All ◆ 四次元喫茶 カルフール 96/01/09 - 05281/05285 JCF02051 めのう RE^4:風邪の予防の話 ( 2) 96/01/08 22:35 05277へのコメント コメント数:1  #5277 KAZEさん  こんばんわ(^^)   うーむ、ハーブティーを飲むにも気合がいるんですね(^^; ハイビスカスやローズヒップならけっこういけます。 ミントはストレートはもちろんブレンド物でも「クールミントガムをお湯に ひたしたような感じ」がしてダメでした。 香りは好きなんですけどねえ(^^; 飲むよりも香りを楽しむほうが私には向いているのかもしれません。 でも料理にはハーブやスパイスをたっぷり使うのが好きだったりします(^^) 健康茶もドクダミやクマ笹は平気だったけど、ルイボスティーやギムネマ茶 は全然飲めなかったなぁ(^^;(とりあえず一度試してはいる)                         ◆◆ めのう ◆◆ - FARION MES( 3):Media Talk ◆ 本/映画/音楽を語る 96/01/09 - 01119/01119 MHA01114 シュメ−ル 「特攻隊員の…」「今日われ生きてあり」 ( 3) 96/01/08 20:23  愛するもののために大空へ飛び立ち、空に散華し海へ帰逝した青春。それ は壮烈に美しすぎる。生の絶頂と死の深遠の二極の禁忌的なまでの接近。それ は美しく生きることのアルケーティプスであるかのように我々の心を激しく揺 さぶる。  まるにちょんさんが紹介されていた「特攻隊員の命の声が聞こえる」(神坂 次郎著 PHP研究所)を昨年末に読み、その本ではじめて「今日われ生きて あり」(神坂次郎著 新潮文庫)のことを知った。年末年始、街に出るたびに 本屋によって探したが、見つからず、注文を考えはじめていた。今日やっと何 のことはない家から一番近い小さな書店で会うことができた。  ここで紹介してもらったおかげで読んだ本だから、ここに感想をかかないと、 という思いだけで、一体何をかけばいいのか途方にくれてしまう。絶句。  後者の本の解説の冒頭を引用する。 「冷静な解説のできる本ではない。 思い切って告白するのだが、私はこの本を泣きなんがら読んだ。はじめてこの 本を読んだとき、書斎で鳴咽した。号泣しそうだったが家族を驚かせるのを、 はばかって声を殺して泣いた。なみだが幾度も流れた。」             (前掲書 高田宏氏の解説より引用)  著者の神坂さんがあとがきの部分に「心をこめて書けば書くほどその作品が、 戦争を知らない若い世代から更に乖離していくような思いがしてならなかった」 と書いているが、これが杞憂であることを願いたい。  1ヶ所コピーしたい思うところがあった。それは「父より倫子ならびに生ま れてくる愛し子へ」と題された手紙である。「真に今は皇国危急なり。国の運 命は只一つ航空の勝敗に決す。翼破るれば本土危うし。三千年の歴史と共に大 和民族は永久に地球上より消え去るであろう。先輩の偉業を継いで、はたまた 愛する子孫のために断じて守らざるベからず。」と、特攻隊員の張り詰めた心 情が伝わってくる手紙である。実は昨日からコピー機の給紙がうまくいかず、 修理にだそうかとおもっていたところであった。ところが、つい先刻まで再三 紙づまりを起こしていたそのコピー機がこのときだけは自分に与えられた使命 を粛々と遂行するかのごとくに一発で給紙しコピーしてしまった。私は一瞬あ っけにとられてしまい、堰を切るように流れだした涙を止めることができなく なってしまった。 - FARION MES( 5):**/////*/////*/////*/////*/////*/////** 96/01/09 - 00514/00517 GBG02043 維/YUI 満月新月表(1996) ( 5) 96/01/08 17:06 コメント数:1        満月   新月  一月      6   20 二月      5   19 三月      5   19 四月      4   18 五月      3   17 六月      2   16 七月      1   16        30 八月     29   14 九月     27   13 十月     26   12 十一月    25   11 十二月    25   11 七月は、満月が2かいあることになります。 今の暦は、月の運行に合わせてないから、ずれちゃうんだね。 手帳やカレンダーで、新月と満月を記してあるものとか、 月の満ち欠けを図案にしたものなんかもあります。 たぶん、本なんかでもあるとおもうけど・・・わかんない。 維/YUI。 00515/00517 NBB01420 SUKE RE:満月新月表(1996) ( 5) 96/01/08 21:50 00514へのコメント コメント数:1 #514 維/YUIさん、どうもありがとう!! って、ところで、例えば「満月 1/6」って言うのは5日の夜から6日の朝 にかけてのことだよねー(^^;)?                         (^^)…☆ッテナモンダ Suke. 00516/00517 CQE04277 九印 RE^2:満月新月表(1996) ( 5) 96/01/09 00:22 00515へのコメント コメント数:1 #00515 SUKE さん : > って、ところで、例えば「満月 1/6」って言うのは5日の夜から6日の朝 > にかけてのことだよねー(^^;)?  月が出ていなくても、月齢が15.0であれば 一日中満月なのでは? CQE04277 九印 00517/00517 GBG02043 維/YUI RE^3:満月新月表(1996) ( 5) 96/01/09 10:03 00516へのコメント えっとぉ・・・。 満月だぞ!っていう瞬間が入っている日を満月日とするようです。 だから、その時々で満月が朝だったり昼だったり夜だったりして、 見えない時もあったりするはず。。 ということで、九印さんのおっしゃるとおりぃ〜なのでありますです。 維/YUI - FARION MES( 6):ハロー・メッセージ ★ 今日のハロー・メッセージから 96/01/09 - 00527/00531 KFR02037 ひょうたん RE:凍える人を火に招こう ( 6) 96/01/08 19:43 00518へのコメント コメント数:2  #00515 しまうまさん  #00518 MAKOTOさん う〜む。どうも弁護の方は旗色が悪ぃっすね…。(^^;ゞ かくいう私自身、皆様の 意見を読んで、9割方は、凍える人の自立の為には傍観していたほうがいいのかな ぁ…なんて思ってたりもします。ただ、残る1割で、本当にそれでいいのかなぁ… って、またまた悩んじゃうわけです。 ( 教室の隅でうつむいてる子供が、何かの信号を発したなら、言葉や行動に  ) ( なっていなくても、それが彼にとって精一杯の意志表現なのかも知れない。 ) ( こりゃ、ほっといてる場合じゃないぞ… って、例えば、そんな様な感じ  ) ( でしょうか… 勿論、子供じゃないんだからと言われればそれまでですが  ) 焚き火に集まっている人が、何の為に集まっているのかと考えると、果たして自分 の暖をとるだけでいいのかなぁ…、回りにいる者だけが温ったまればそれだけでい いのかなぁ…と。もし凍える人がいるのなら、おんぶしてまで来なくても、せめて 手招きして、仲間に入れるよう、声ぐらい架けてあげなくてもいいのかなぁ…と思 ったりするわけです。(^◇^) あと、もう一つはハローのことだから(^^;、ひょっとして凍える人には鉛の足かせ なんかがはめられて、鎖で繋がれちゃったりなんかしてないかな?って。 こりゃ、 判断を早まってはいけないなぁ…って思いもちょっぴりありました。(こりゃ余談) でも、もうじき何時間後には、天使の判決が下されそうですね。                                ひょうたん P.S.MAKOTOさんへの答です。凍える人の弁護をしている最大の理由は、、、   私は人より“あまのじゃく”だからなのかもしれません。(^^;ゞ P.S.2 すみません。コメントをつける場所を迷ったのですが、MAKOTOさん   への回答が最後にあったので#518にコメントしました。 00529/00531 NBB01420 SUKE 凍えるっていうことは… ( 6) 96/01/08 21:50 00514へのコメント 優位さん、しまうまさん、ひょうたんさん、割コメです。 凍えていると言う状態って、凍っている状態…じゃないよね(^^;) つまり、固まって動けない状態って訳じゃないよねぇ(^^;) 寒くてしょうがないって事で。 手がかじかんで字が書けないとか、そう言う事ってあるけれど(^^;)      その辺にちょっと解釈の自信がない(^^)…☆ッテナモンダ Suke. 00530/00531 JCF02051 めのう 可哀想? ( 6) 96/01/08 22:35 》焚き火に集う民が「凍えているのは可哀想だ」と天使に言った  今日のHMだけど....    焚き火の前に来れば凍えない、なのに来ない。  呼んでもらえたら来るのかもしれないけど、今のところ自分からは来ない。  それで凍えているのは「可哀想」かなぁ?                           ◆◆ めのう ◆◆ - FARION MES( 7):自分を観る  ★ ARIONを鏡にして 96/01/09 - 06804/06806 HGE02116 MAKOTO (^^;)(^^;)(^^;) ( 7) 96/01/09 00:14 06801へのコメント #6801>中尾 かたるさん、RESありがとう(*^_^*)  そうですね、ふっと肩の力が抜けたとき、唐突に別の面が見えてきたり、心が 軽くなってみたり… 私にもそういった経験があります。なんであんなにむきに なっていたのかしらと、不思議に思えた事もあります。ただ、この解放感は、力 を抜きっぱなしでは分からない感覚のような気がします。  中尾さんは、力を抜いていく事を選ばれたのですね。私も、無駄な力みは抜い て行くつもりなのですが、必要な力みは、やっぱり大切にしたい(*^_^*)  私は ガムシャラってのが嫌いじゃないのよ(^。^)  他の方にどう見えようと、今私は、ここでのやり取りを楽しんでる。かなわん なぁ〜という現実もあるけど、まだまだそれを面白がってる(^^)  中尾さんのお気遣い感謝してます。お話し聞かせてくれてありがとう(^^)                          MAKOTO でした☆ - FARION MES( 9):日本魔界巡航 ★ 神と人の関りを探る 96/01/09 - 727/728 GBG02043 維/YUI RE:【姫神岳】龍伝説の山 ( 9) 96/01/08 17:06 719へのコメント コメント数:1 えっと、3-4年前に読んだ本だったと思うので、うろおぼえで申し訳ないのですが。 姫神岳やら、なんやらのあの辺一帯の神話というかいいつたえのなかから。 早池峰山、姫神山、岩手山だったかなぁ・・・、とにかく母神と娘神なんですって。 このあたりの山神様は、独特で古事記とかには出てきていないようです。 とはいえ、早池峰山は、姫大神を奉っていたのが、いつからか瀬織津姫命を奉る ようになったそうです。 このあたりの伝承を読んでいると、昔は女系家族だったのかなあと思ってしまう。 都内の図書館には、山のようにこのあたりの伝承の本がありますので、 一度読んでみてください。 (私も、また図書館で読んでこよう・・とは思って いるのですけどね。)あのあたりの目立つ山については、何かしら伝承が あると思います。 ついでに、おしらさまの話。 六角牛山(ここも、ちゃんと六角牛神社・六甲子神社がある)の話で、 昔、村の美しい娘が、村に現れた美しい白い馬に恋をして、その馬の嫁さんに なったとか。 (娘は白馬の背中に乗って、山の中に消えてしまったらしい) それで、白い馬に人が乗った置物などが、遠野にはあるんだってことです。 ・・・すっごく簡略して書いたんで、味もそっけもなくなってしまったわ。(- -;) ps:青森の東北町のあたりに千曳(チヒキ)神社って古い社がありまして、 TAOさんあたりはご存じではないかとおもうのですが、白蛇の姿の女神が奉られて いるそうです。 一説によると、白山姫さまなんだとか。 なんにせよ、東北は姫神の宝庫(?!) みたいですね。 維/YUI。 728/728 MHD02672 TAO 北国の女の信仰 ( 9) 96/01/08 22:12 727へのコメント  #727 維/YUIさん  どうも(^^)。興味深い情報をどうも有り難うございました。岩手一帯の山々には、  いわば女系の神々が祀られているようですね。先ほどのアーティクルでは、日本  海側の霊山には女神が祀られている例が多いと書きましたが、東北方面に上がる  ほどそういう傾向が強くなるようです。青森の岩木山神社にも多都比姫神が祀ら  れていますし。  村娘が白馬に恋してその嫁になったって、柳田國男の「遠野物語」がそういう話  では無かったかしら? まだ読んだことが無いので、確認出来ないけど(^^;。  オシラサマとは東北地方に分布する家の神様の名前だそうですが、オシラサマの  祭日は命日と言われ、旧暦一・三・九月の十六日がそれにあたり、三・九月の命  日にはイタコを招いて神寄せの経文を詠んで貰うという慣習があるようですね。  オシラサマの祀り手は殆ど女性と言いますから、東北地方の信仰における女系の  重い位置を感じさせられますね。  梅原猛氏の「日本の深層 −縄文・蝦夷文化を探る−」(集英社文庫)に載って  いた話ですが、アイヌにはオシラサマとよく似た神様、シランパカムイというの  があるそうです。オシラサマは桑の木を用いて人や馬の顔を描いた人形を作って、  それを祀るのですが、シランパカムイも「木の神」という意味で、しかもアイヌ  のイナウ(御弊)も白木を削って顔を描く。この類似に、共通の信仰基盤を感じ  るのはいささか牽強付会でしょうか。  >> 青森の東北町のあたりに千曳(チヒキ)神社って古い社がありまして、  >> TAOさんあたりはご存じではないかとおもうのですが、白蛇の姿の女神が  >> 奉られているそうです。  ふみみ、初耳ですぅ〜(^^;。いくら何でも全国の神社を網羅出来ないし、まして  や、東北方面には殆ど行ったことが無いのです。でも今年は出来るだけ東北方面  へ足を運ぶつもりです。デワデワ  TAO - FARION MES(11):狼を生きる  ★ 平井和正の著作から 96/01/09 - 01934/01934 BYI04676 ふぁらんどーる ガラスの破片 (11) 96/01/09 00:57  「地球樹の女神」へのモノローグ  実はこの作品からなんだ。私が平井作品をリアルタイムに読み始めたのは。  その頃の私は悩んでた。悩みすぎて、とても苦しんでた。今になって振り返れば一 体何を悩んでたのか、あまりよく思い出せないんだけれど、とにかく悩みまくってた んだ。ほんと、苦しかった。  その苦しみの素は、小さい頃の病気にあってさ、それは今でも私に中にあるんだ。  病気は全快したけれど、その頃にきっと心のどこかが欠けたんだと思う。  4歳くらいの頃だから、もうかれこれ24年。ずっと今でもそのかけらを埋められ ないでいる。  冬の寒い夜だったと思う。  その時私は小児病棟にいたんだ。そこにに仲のいい友達がいてね、よく一緒に遊ん でた。外に出るのを禁止されてたから、専ら病室の中でだけどね。その白い四角い部 屋は、親元から離れて入院している私たちの、小さなお城だった。  真夜中に、突然子供の泣き声が響き渡ったんだ。当直の看護婦さん達が走り回って いて、当直のお医者さんまで駆けつけて。暫くしてその子の両親まで駆けつけて。  そして、泣き声が止んだ。  静まり返った病棟の冷たい廊下に、私はいつの間にか立っていた。  その病室の扉が開いて、看護婦さんが出てきて、私を見つけた。  その後は、もう朧気な記憶だけしか残ってなくて。その子の遺体が運び出されてい くのと、その子の両親が泣きながらついていくのを見たように思う。  死んでしまったのは、私の一番の仲良しだった子なんだ。  その子の死の少し前。私も死にかけたんだ。急性腎炎から、尿毒症を起こして。  ひどく苦しかった記憶が微かに残ってる。救急車で国立病院まで運ばれる間、私は 母に、「もう死ぬの?」と泣きながら繰り返し聞いていた。    きっと幸いだったんだろうね。私はその時死ななかった。  私と同い年のその子は、私よりも元気だったのに死んじゃった。  でも、私はその子が羨ましいと思った。そこで死ぬことが出来たんだから。  不謹慎な言い方だけどね。  中学生の頃からかな。私もあの時死んでいれば良かったって、ずっと思ってた。  そうすればこんな苦しい思いしなくてすんだのにって。  病気は養護学校の小学校を卒業する頃には完治していたんだ。それまでに父親と友 達をひとり、亡くしてたけれど。  地元の中学校に通うようになってから、自分の中に違和感があるのに気がついた。  どうしても他の生徒と馴染めない。仲のいい同級生はいたけれど、どこか違うの。  その意識が嫌われたのか、かなり「いじめ」のようなちょっかいを出された。  勿論それは、私が「保護されてきた人間」で、普通の小学校で育ってきた健康な人 間から見たら実に可愛げのない、「いじめ」るには格好の素材だったからなんだけれ ども。その頃の私はそこまで考えられなかった。  でも、それは私を決定的に傷つけるのに十分だったんだ。  死んでしまいたいとも思ったし、殺してやろうとも思った。笑ってるそいつらの顔 が、「死」の恐怖に醜く歪むのを見てやりたい。泣き叫びながらのたうちまわればい い。そうすれば、私の事が少しはわかるだろう。  なーんてね。心の中にはそんな思いが渦巻いてた。私は世間の人が「自閉症」と呼 ぶ状態になっていたんだ。誰にも心を開こうとはせず、けれどそれを表に出さないよ うに仮面を被る。それがいつしか習い性になっていた。  あれからもう14年。今でもそんな性格は残っていたりして。時々は思い出すけれ ど、それもまた懐かしい。  24年前の心は、今も私の中にあって、痛みを投げかけてくる。けれど未だにその 小さな痛みを癒す術を、私は得られないでいるんだ。              1996/01/08(Mon) 22:01 ふぁらんどーる (BYI04676) - FARION MES(13):神秘学遊戯団 ★ 限りなき神秘への航海 96/01/09 - 04166/04168 GGA02514 KAZE 悪のクリエイティビティ (13) 96/01/08 15:52 04155へのコメント 隆ちゃん、どうも。 >犬と一緒に生活するために、自分の家が欲しいなぁと思う今日この頃です。 うちのマンションの住人に、同じ階で、半ば公認で(ほんとうは禁止なんだけど)、 ベランダに犬小屋をつくっている方がいまして、夜の11時頃になると、 扉の外を飼い主と犬とのわっせわっせという気配が通り過ぎていきます(^^)。 もちろん、賃貸マンションなんですけど、田舎で古いマンションだと、 そういうのわりと平気ですし、一軒家だと、けっこうみんな飼ってたりします。 しかし、マンションで飼うのはネコあたりにしといたほうがいいようですね。 マンション(うちは5階です)で犬を飼うのはやっぱり大変なようです。 個人的には、やっぱりネコが飼いたいなとか思うのですが、 ものぐさな自分の性格をふりかえるにつけ、どうも責任がもてそうにないので、 今のところは見合わせています。 でも、何年か前、撮影のためにネコ(生後3カ月のヒマラヤンでいた)を借りて 何日か共生してたことがあるんですが、かわいかったこと(*^^*)。 珈琲を入れようと台所で豆をひいていると、足下でぼくを不思議そうにみあげて 「にゃあ」っていうふうに「いっしょに遊んで!」ってくるんですが、 こういうのって、なかなか気持ちがなごんでいいんですよね、ほんと。 >       でも、考えてみると、人間の体験はみんな大事なのかもしれま >せんよね。どんなにしょうもない事でも、どんなに恥ずかしいことでも(^^;)、 >一生懸命に生きていれば、それはみんな大事な体験になって行く気がします。 >今の若い世代には、どうも一生懸命さが感じられなくて、ちょっと心配ですけ >ど・・・。 そうですね、意味のないことはひとつもないのだと思います。 しょうもないことや恥ずかしいことも、それはそれでとっても大事のはずです。 でもって、ここで「なにからでも学べる」というふうに言っているのも なにかを無駄な体験だとかいうようなとらえかたをしたくないからなんですよね。 若い世代に関しては、どうなんでしょうか。 たとえば、ぼくらの世代が一生懸命だったかというと、 やはりひとそれぞれだし、ぼくはそう一生懸命でもなかったですしね^^;。 もちろん、かつての世代に比べて、多くの場合、経済的な方面で 恵まれすぎているという点、その点での切実さが希薄なのはあると思います。 それに、先日も話にでてましたように、人間は三十半ばからですから、 若い世代の真価というのもまだまだわからないんじゃないでしょうか。 >                  そういえば、僕は、魂が苦しいという >感覚がよくわかりません。精神的な苦しさはありますが、すべからく、元々の >レベルが低かったせいか、結果的にいつも「ありがたい」とか「やっぱり幸せ」 >に帰着してしまいます。 そこらへんも、ぼくと隆ちゃんの大きな違いの部分のようですね。 どうもぼくは基本的なトーンとして「四苦八苦」っていうのがあります^^;し、 (だから、仏教をいろいろ勉強したりしたんですけど) なんだか荒野のまんなかにひとりぼっちで放り出されて彷徨しているような、 そんな感じで生きてきました。 それで、やっとここ数年で、それから少し脱出できたような・・・。 (だから、仏教への関心が、少し薄れたといいますか) で、ぼくは感謝の念が希薄な、傲慢な性格のせいか、もともとは 「ありがたい」やか「やっぱり幸せ」がでてこなかったんです^^;。 >    他人の庭はよく見えるといいますが、僕には羨ましく思えるKAZEさん >の状況も、僕にはわからない苦しみだとか悲しみがあるんだなぁと思いながら、 >人間の不可思議さを感じたのでした。 ううむ、ぼくの状況が羨ましいっていうのはよくわかりません^^;。 物心ついてから魂のよるべなさを感じ続けていた状況っていうのは、 シュタイナー教育などを学んでみても、けっこう悲惨なもので、 生きていくのに魂の基本トーンとして「悲しみ」を抱えていたのって そう羨ましい状況ではないと思うんですけどね・・・。 もちろん、いまはそれとは少しちがっていますけど、 ぼくはそういうかつての状況という土壌から育ってきたのだしね。 ま、人にはそれぞれの特有のあり方があるのでしょうね。 そうそう、こういう話を聞いたことがあります。 なにかのセミナーで「ぼくは武田鉄矢さんのようになりたいんです」っていう質問に 「あなたは武田鉄矢さんではなくて、あなたのようにしかなれません」 という答えがあったのですが、なるほどなと思いました。 人はその人でしかできないからその人として生まれてきたわけです。 その意味をちゃんと考えないといけないのでしょうね。 ぼくも、以前はよく「〜のようだったらなあ」というのをあれこれ考えましたが 今では、いかに変な人間だとしても「ぼくはぼくでしかない」、 そういうふうに思おうと努力しようと思えるようになりました^^;。 >なんとなくわかるような気はしますけど、真のクリエイティブと「権威をふり >かざすのがクリエイティブなこともある」の関係がいまいちわかりません。 >「権威をふりかざす・・・」は真のクリエイティブとは違うんですよね???。 これは、「クリエイティブ」の意味をどうとらえるかだと思います。 たとえば、テレビの水戸黄門の話にたとえるとすると、 あの悪代官っていうのも、それなりにクリエイティブだと思うんです。 もし、あの番組で登場人物がみんな善人だったら物語になりません。 もちろん、テレビの勧善懲悪といっしょにはならないところもありますが、 シェークスピアのいう「世界劇場」っていう考え方でいいますと、 「世界」ではいろんな役割を担ったドラマが展開されているわけです。 たとえ、それが陰惨な事件であったとしても、その超悪役のおかげで、 ある自覚が生まれることもあるように思うんです。 別のいいかたをしますと、例の「悪人正機」の考え方も参考になるでしょうし、 善悪という二項対立的な善のクリエイティビティと、 悪をも含みこんだ善のクリエイティビティとを比較するのもいいかもしれません。 で、ぼくの好みからいいますと、ただただ「めぇ〜めぇ〜」と泣いてる子羊よりも 「てめぇら、泣くんじゃねぇ」と鞭をくれながら、悪さをし、搾取をし、 そのくせ心のなかでは屈折しながら自分を痛めつけているような^^;、 そんな役柄のほうが、ずっと魅力的に感じますし、学ぶものもたくさんあるんです。 >         「暗くて」「ちょっと屈折」した人は、そうしたくてして >るわけではないし、自覚もない場合が多いように思います。まあ、これも感覚 >の問題ですけど、感覚こそ重要って気もしますし・・・。 もちろん、自覚のない場合のほうが多いかもしれませんけど、 そこに自覚が生まれたときの歓喜というのは、ぼくは好きですね。 たぶん、ぼくじしんが、かなり「暗くて」「ちょっと屈折」して いるからなのかもしれませんが^^;。 相棒に話しても、「そうだそうだ」と言ってました^^;。 ちなみに、相棒はぼく以上に「屈折」しているのが親近感があるようです。 >                         ちなみに、「悲しみ」 >というのは、感じるモノで考えるモノではないと僕は思っていますが、KAZEさ >んはいかがですか?。なんか、「悲しみ」を考えても、ドツボにはまるだけな >気がするんですけどねぇ(^^;)。まあ、解消できない「悲しみ」をずっと引き >ずって行くのも、これまたドツボですけど・・・(^^;)。「悲しみ」を感じら >れれば、そのうち氷解して行くような気がします。これは「痛み」も同じなん >ですけど、僕の思い過ごしなんでしょうかねぇ。 「悲しみ」はもちろん、感じるモノですけど、 それをもとにしてあれこれと考えるモノでもあります。 しかし、「悲しみ」は「そのうち氷解して行く」ようなものではないと思います。 それは、積極的に魂の力を持続的にふりしぼってはじめて、 変容の可能性をもつのではないでしょうか。 そこらへんのドツボははまってみなければわからないと思います。 でも、そこから一度抜け出せたら、けっこうコツはわかるんじゃないでしょうか。 そもそも、ドツボには二度とはまろうとは思わないでしょうね。 さて、小坂国継さんの文章についてですが、隆ちゃんに何も伝わらなかったとしたら、 それはぼくの紹介の仕方が間違っていたという以外はないと思います。 そのそもそれは西田哲学の解説書ですから、そもそも西田哲学のどこらへんについて あれこれ強調したりしているのかがわからないはずなのです。 そしてそれについてはぼくのほうの説明ミスってことです^^;。 ぼくの勝手にイメージしている全体像の「ここらへん」というのが、 短い引用で伝えるということはそもそもちょっと、ね。 でも、ぼくとしては、小坂さんの著作はすごくすぐれていると思ってます。 >あと、ついでながら、最近、言葉の意味がどんどん曖昧になってきているよう >に思います。 そうですね、伝えるための言葉が機能不全になりがちですね。 そこらへんについては、コミュニケーションの場を広げてしまうと、 どうしても言葉は深い意味を盛り込めなくなってしまいますし、 それを狭めてしまうと今度は、その外では???ってことになります。 ぼくは仕事柄、かなり広い一般的なコミュニケーションの枠組みで 広告の表現を毎日あれこれと考えているのですが、 そういう枠組みで、どれだけのことが盛り込めるかの臨界値あたりには 日々けっこう苦戦しています^^;。 あたらしい表現を盛り込みながら、だれでもわかる言葉の使い方が 広告にはどうしても必要になってきますから。 ですから、できるだけ幅広く勉強していくことと、 その場の「空気」を明確に直観的にとらえる力の双方から 攻めていくしかないように思うんです。 >          肉親の死に涙している人に、マイク突きつけるようなバ >カに、「差別表現」の自主規制もあったもんじゃないです。規制とか自由とか >言う前に、良心をもってもらいたいものです。プンプン 彼らには、人を理解しようとか共感をもとうとする心がないのかもしれません。 で、そうした中でそうした心のある方は、心が病んでいく^^;。 もちろん、前者は最初から心が破壊しているんですけど・・・。 どうも日本人というのは「自粛」という集団現象が得意なんですよね。 そのくせ、なぜ自粛しなければならないか、ということになると、 だれもわからないて「そういうものだ」っていうことになります。 これは、山本七平さんの「空気の研究」という名著のなかでも あれこれと述べられているのですが、そういうテーマについては、 だれも主体的ではないのに、「全員一致」で決まっていきます。 「そういう空気」で、それに逆らえなくなるというのです。 それも、結局、「個」としてちゃんと自覚がないから、 「そういうものだ」で、マイクをつきつけて、平気になってしまうわけです。 つまりは、だれも自由でないから、そういうことができるともいえます。 では、では。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 04167/04168 GGA02514 KAZE 「あたりまえ」を問いなおすこと (13) 96/01/08 17:55 04164へのコメント バスチアンさん、どうも。 >     だから、KAZEさんのように基礎を知らずに鵜呑みにするのはまずい、と >いう考え方も確かにあると思いますけど、「基礎」と言ってしまうとそれもまた教 >条的なような気がして怖いのです。むしろ大切なのは、またウィトゲンシュタイン >を出しますけど、『論考』の最後の方で説かれる「読者は、いうなれば、梯子を登 >りきったのち、その梯子を投げ捨てなければならない」ということ、投げ捨てても >大丈夫だという確信を得ることだろうと思っています。 そういう言葉をきくと、バスチアンさんの姿勢にとっても親近感がわきます(^^)。 すこし誤解があったかもしれませんが、ぼくがいう「基礎」というのは、 アストラル体だとかエーテル体だとかいうのはほんとうはどうでもよくて 教条的なありかたを去って、考え、感じ、行動する魂の力とでもいいますか そういうことなのだとあらためて思いました。 まさに、その魂の力とは、「梯子を登りきったのち、その梯子を投げ捨て」る ことのできる勇気なのだと思います。 シュタイナーの数々の営為というのは、まさにそうした魂の力をもって、 この生を生き抜くことのできる力を人がもてるようにするためのもので、 シュタイナー教育もまさにそういう力を養成するものなんだと思います。 もちろん、そういう姿勢でいられるからこそ、 シュタイナーの思想を学ぶことができるわけで、 そうでないとしたら、それは単なるブランド志向にすぎないわけです。 >     KAZEさんは更に「自覚」という言葉を用いられていましたが、自覚する >となると、なおのことそれを言語化されたものとして捉えたくなるわけです。しか >し社会関係を維持するためのものを制度として、そのうちの内面的なものをもし意 >識的に自覚しなければならないとすると、そこには強迫神経症に陥る可能性がある >ような気がするのですが、いかがなものでしょうか。 「内なる制度」というのは、わかりやすくいえば、 「そういうものだ」というふうに、疑いさえもたずに思いこんでいることです。 ですから、「内なる制度」を「自覚」するということは、 そうした「そういうものだ」に「なぜ」で問いかけるということでもあります。 ですからそれはもちろん、ある意味では危険な作業になります。 そして、それは単に言語化云々ということにとどまらないで、 仏教的にいうならば、色声香味触法すべてにわたるものです。 シュタイナーでいえば「十二感覚」になりますね(^^)。 もちろん、だからといってそれを破壊するとかいうことではないのはもちろんです。 むしろ、それらをもっと深く体験するためにそうすのです。 禅で「花は紅、柳は緑」というのがありますが、 これは、いってみれば「あたりまえ」のことなのですが、 先の言葉を使えば、「内なる制度を自覚する」ことによって、 それをすべてタブララサとしたうえでそれをもう一度捉え直す作業を通じ、 「平常底」、いってみれば新次元の日常性ともいえるものを獲得するわけです。 禅の十牛図というのも有名ですが、これもこれと似た問いかけでもあります。 > あと、ウィトゲンシュタインの「語り得ぬもの」を「安易な境界づけ」とKAZEさ >んはおっしゃいましたね。私は『論考』を初めから最後まで読んで充分に理解して >いるわけではないし、日本人の書いたいくつかの解説書なり研究書を読んだくらい >なのですが、私は決して安易だとは思ってはいません。「沈黙しなければならない」 >というウィトゲンシュタインの提示によって、認識不可能なもの、神秘なるものが >遠い存在となるのではなくて、むしろもっとリアルに、つまり「言葉を超えたもの」 >としてひとつの方向性をもって捉える可能性ができたのだと思っています。 はい、「安易な境界づけ」というのは「安易な表現」だったかもしれません^^;。 確かに「ヴィトゲンシュタインと道元」だとかいう著作があるように、 ヴィトゲンシュタインのアプローチというのは、そういう部分が強くあります。 しかし、ヴィトゲンシュタインも、その後「哲学探求」のような試みなど 「確実なもの」へのアプローチを通じて、「語り得ぬもの」を語りだそうとします。 「論考」の試みは、まるで禅の書のような趣をもっているのですが、 それは言語と世界の写像ということを前提にした言語観に基づいて 「沈黙しなければならない」ということを引き出してきたように思うのです。 ぼくもかつて、ヴィトゲンシュタインの影響をもろに受けて、 「沈黙」の後、「哲学探求」の「言語ゲーム」の考え方などを辿りながら、 コミュニケーションについてアプローチするはめになりました^^;。 > さて、そうなると、いかにして前進するかということを次に考えるわけですが、 >私がシュタイナーに興味を抱く理由はそこにあるのです。沈黙し、さらに「聴く」 >ことが求められているのだ、ということを前述した仲氏の講演を通じて思ったので >す。 はい、「聴く」ということは非常に重要だと思います。 「聴く」ためにはある意味で、からっぽにならなければなりません。 自分を楽器にしなければならないのです。 その自分という楽器、つまり「器」に流れ込んでくるのです。 数年前からぼくはシュタイナーの音楽に関する考え方などの関連から、 声楽家の方といっしょに「声」や「音楽」について勉強をはじめました。 もちろん、ぼくが演奏する云々ではないのですけど^^;。 その方もぼくと同じとらえかたをされたいたのですが、 「声を出してはいけない。出そうとする声は声ではない。 声はこちらが器になっているときに流れ込んでくるもの、それが響くものだ。」 そういうことをおっしゃって、それがぼくのイメージと一致したのです。 このことは、後に有田正弘さんというフラウトトラヴェルソの演奏をされる方が 「吹いてはいけない。音はくるのだ。」とおっしゃっていると聴いて、 あらためて実感を深めたことでもあります。 > そういった「聴く」姿勢を一つの例として、そんな風にして、神秘なるものへの >畏敬の念、あるいは世界に対するアプローチの仕方、創造的な生き方、などが、自 >分の問題として見えてくるのではないかと期待しているのです。まずは姿勢を正す >ことから始めようというわけで、そのための足がかりがシュタイナーの思想の中に >はあるのではないかともくろんでいるわけです。 それは非常に深いとらえ方ですね。 「世界」に対するアプローチは、まさにこちらが、 打てば響く器のようなあり方通じて可能になるのだと思います。 そういうとらえ方は、先の禅などもそうだし、 また禅と深く共通するものをもっているドイツ神秘主義などもそうです。 しかし、そういう神秘主義からさらに一歩を踏み出す必要があると思います。 それが、まさにシュタイナーの「自由の哲学」で提示した観点であるし、 人智学の残した貴重な宝物なのだと思います。 >あと、『薔薇十字会の神智学』買いました。そのうち化石レスをつけるかもしれま >せんのでよろしく。 できれば、シュタイナーの教育観を実践的に講義している 「教育術」(みすず書房)などと平行してよまれるのもいいかなと思います。 そのほうが、『薔薇十字会の神智学』でかなりトンダ内容のように思われることが 非常に実践的なものなのだということを理解できると思いますので。 では、では(^^)。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ - FARION MES(14):預言解読村  ★ 預言・予言は何を語るか 96/01/09 - 03539/03548 GBG02043 維/YUI ワケワカメ・・・ (14) 96/01/08 17:07 03515へのコメント コメント数:2 う〜、う〜・・・。 ワケワカメのハロ−なんつーたら、山のように書き連ねちゃうわよ>私 でも、今年は少し村祭りでもやんないとね〜。 御神輿は、ひょうたんさんに発注して・・・。 お神酒とかは、めのうチイママに発注して・・・。 んじゃまぁ、そんちょう、企画書でも書いてみっぺか? 維/YUI。 03545/03548 PAG03134 はな RE:ワケワカメ・・・ (14) 96/01/09 00:39 03539へのコメント コメント数:1 維/YUI さん >>んじゃまぁ、そんちょう、企画書でも書いてみっぺか?  今やりたいなぁと思っているのは、中矢さんの「日本古代史の秘密」 輪読会ですね。この本には、アリオンが登場しています。  データライブラリに「AMA族の系譜」がアップロードされていま すが、それとの絡みで「出雲族」と「日向族」についてみなさんと理 解を深めてゆければと思っていますが、いかがでしょうか?  「日向族」「出雲族」が見えてくると、預言解読も2倍おいしくな る。そんな企画です。            14番会議室 預言解読村 村長 はな 03548/03548 MHD02672 TAO RE:ワケワカメ・・・ (14) 96/01/09 07:41 03545へのコメント #3545 はなさん  >> 今やりたいなぁと思っているのは、中矢さんの「日本古代史の秘密」  >> 輪読会ですね。この本には、アリオンが登場しています。  >> データライブラリに「AMA族の系譜」がアップロードされていま  >> すが、それとの絡みで「出雲族」と「日向族」についてみなさんと理  >> 解を深めてゆければと思っていますが、いかがでしょうか?  9番会議室ではAMA族関連情報をどう扱うかを考えていたのですが、輪読会と  いう手には気付きませんでした(^^;。ここで中矢氏の著作を扱うのでしたら、そ  のソースとなっているARIONのAMA族情報について、9番でも展開させた  方が相乗効果があっていいかもしれませんね。14番で「日本古代史の秘密」、  9番で「AMA族の系譜」の輪読会を平行してやりましょうか?  TAO 03540/03548 GBG02043 維/YUI RE^2:栗須魔と垣内魔 (14) 96/01/08 17:07 03536へのコメント 会議室では、おひさですぅ〜、七穂さん。 七穂さんの解釈を読んで、改めて >95/09/12 栗須魔(クリスマ)動じて天変を為し、帆柱靡いて影を為す…歩め義の道 を読みました。 ところで栗は、繰り、庫裡・・・など”くり”で拾うと あれこれ勘ぐれます。(笑) とりあえず、栗なんですが、これは食べる栗の意味以外に、”恐れてふるえる” という意味がありました。これは栗のイガイガに由来するものではないかと 思います。栗烈と書いて、すごい寒さのことなんだそうです。(知らなかったわ) 庫裡は、台所。 たとえば、くくりが苦庫裡だと、台所があぶない。まるで 日本の財政状態のようですが・・・。(私のとこも、あてはまりそうだわ…ボソ) 帆柱が靡くって、肝心かなめの柱が斜めになってしまうことなんですかね? 国の柱が斜めになってしまったら、下々の者にその影を帯びてしまいます。 栗須魔が揺れ動き、全ての支えとなる柱が傾いて、その傘下にあるものの 日常に陰りがでる・・・、その時要となるのは、折り目正しく、約束は きちっと守り、正しくあろうとする独り独りの気持ち。 くりすまってなんだ??? 維/YUI。 03543/03548 KFR02037 ひょうたん RE:栗須魔と垣内魔 (14) 96/01/08 23:54 03536へのコメント わぉ! 葛篭開きの七穂さんだ! はじめまして(^^) 七穂さんや、維/YUIさん達との連携プレーで、葛篭から籠女まで展開して いった時は、皆さんの予言解読に鳥肌が立つほどしびれちゃいました。(^^;A   今回もよろしくお願いしまぁ〜す。 「帆柱靡いて」なんですけど、鉄製のポールじゃなくて竹の柱なのかも知れま せん(なら帆柱しなってかな)。あるいは、途中でぼきっとくの字に折れて、 上下にばたばた帆と一緒に揺られているとか… うーむ。難解ですね。                               ひょうたん 03541/03548 GBG02043 維/YUI 垣内魔 (14) 96/01/08 19:15 03537へのコメント コメント数:1 垣というのは、垣根を築いた役所を示すこともあります。 ってぇことは、役所の中に魔がいるのね。このところの 世の中の事件を見ていると・・・。笑えない・・。 垣根の内=家の内とすると、各々の家庭のなかにひっそりと こっそりと、でも着実に魔が住み込んでいるのだろうか。 外の事ばかりにとらわれて、家庭を顧みないでいると、 有事になったとき、どうにもならない事態をまねいてしまうかも。 垣根の内=個人の胸の内とすると、各々の心の内にある魔。 他人の批判ばかりしていたら、ある時自分自身の裏切りにあう。 正していかなければならないのは、自分だの他人だのを越えた ところの話。 *=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=* 七穂さん、正月早々からの連ちゃん書き込み、うれしいです!!!!! なぜだか娘さんが少ないのよね、この村って。。。 (とかいって、男のふりしてるおねーさんがいたりして・・。) そんちょ〜とか、常連さんも、かっこいい人ばっかりなのにな。 そんなわけで、女の子(人)もぜひぜひ遊びにきてね!>該当者 維/YUI。 03547/03548 PAG03134 はな RE^3:「炎で書いた物語」第二章 (14) 96/01/09 06:57 03526へのコメント SOUND さん  こんにちは(^^) >> ヒの発音に注目すれば、関連性がある文字に >> 「日、霊、水、冷、火、陽、氷、干」などがあり水も含まれる。  ヒについての発言は、以前「火−水」の循環サイクルとして、NOISE さんが発言されたのを覚えています。ちょっと今は手元に発言番号の控 えが無いので分かりませんが。SOUNDさんに似た着眼点でした。  「炎と水、そして風=「水(ミ)」→「火(カ)」→「タタラ・アタタラ」」                          (94/01/31 ハロー)  このハローも是非参考になさってください。「火←→水」が見えてく ると、「火←風→水」が次なる課題ですよね。  そして、以下のハローにつながってきます。  01/29 父は炎、母は水、子は風であった…子は亡き者とされ、今に至る  01/30 その子が居たこと、そして今も在り続けることを思い起こさねば…                       はな - FARION MES(15):マホロバ誕生 ★ 大和魂復活のために 96/01/09 - 00444/00445 KHC01313 まるにちょん 短所とハサミは使いよう。 (15) 96/01/09 00:50 00441へのコメント コメント数:1  さて、先に引き続いて、もう少し長所と短所についてお話ししましょう。  人間には、顔かたち体格から、技術・能力面でのいろんな違いがありますね。  それと同様に、性格的特徴、個性というものがあります。  この個性には、一般的意味で長所と短所があります。  しかし、この長所と短所、実はそれぞれが裏返しの関係にあることが多いと 思うんですよね。  仕事の手が早くててきぱきしている人は、短気で怒りっぽいとか、おとなし くて穏やかである人は、別の見方をすれば、覇気がなく陰気であるとも言える ようにです。  さて、この短所と長所の関係を実に簡単に分かり易く、会田氏はこう言って います。    「私たちが日常使っている長所と短所というものは、全く同じ内容に対す    る正反対の表現でしかないのであります。    周辺の人が、ある人について、自分につごうのいいことを長所といい、    つごうの悪いときには、これを短所という。自分もそう思う。…    ですから、ほめられたらけなされたと思い、けなされたらほめられたと    思えばいいのです。」 (短所とハサミは使いよう?)  さて、この短所について書くことにしましょう。  こと私については、いろんな短所があります。  世間に対する「甘え」はありますし、これは、裏返しても長所にはなります まい(^^;  まあ、長所になりうる短所と言えば、結構しつこいタイプなので、いったん やり出したことは結果がでるまで諦めずに、やっていこうとすることぐらいで しょうか。短所でいえば、執着心が強い、長所で言えば、ねばり強く根気がい い(ホメスギカ?(^^;)と言うことになります。  それと、とにかく我が強いこと。  自分の思いを現実にするためには、結構必死になりますね。  我が強すぎると周囲を省みないので、大顰蹙を買いますが、この我が強くな いと、何事もやり通すことは出来ない。  で、今考えているのが、この大短所になりうる「我の強さ」を活かして長所 に転じることなんですね。  我が強いことを、目標までの道のりが困難であっても、それを乗り切って目 的を遂げる、良い意味での粘り腰の強さに転換していくことができれば、いい んじゃないかと考えています。  どうして、こんな事を考えるようになったのかと言いますと、  これは、以前、シスオペのみれさんと何かのお話をしたときに出てきたこと がヒントになって、「我の強さ」をどう良い方向に活かすかを考えるようになっ たことと、今回紹介しています会田氏が著書で「短所も活かせば長所に」と、 おっしゃっていたことによります。   「私たちは長所と短所を考えたとき、短所を直そうと努力します。……    これは、もし成功したら、同時に長所もなくなるということです。    たとえば、軽佻浮薄な人は、同時に社交がじょうずだという長所も持っ    ていますから、それが努力して、軽佻浮薄でなくなって、慎重になった    ら、社交だ下手になるということになります。それだけのことです。    短所を矯(た)めますと長所も失う。」   「…反応が早いからといって、それにブレーキをかける必要はない。その    反応が正しい方向をとるように磨きをかければいいだけです。    どんどん特徴を生かしていくことだと思います。」  では、また。                   まるにちょん、○ゝ 00445/00445 KHC01313 まるにちょん 日本人の特徴の捉え方 (15) 96/01/09 00:51 00444へのコメント  さてと、余談が長くなってしまいましたが(^^;、  では、日本人の特徴・個性をいかに捉えていくかという事に入りましょう。  先に長々と説明したように、特徴には、短所と長所の両面があり、それぞれ を活かすことによって、良い方向へ特徴を育てていくことだと思います。  こう言った観点でもう一度日本人の特徴を見ていけばいいのではないでしょ うか?  日本人は、欧米諸国から言われるように、本当に理解しがたい民族であるの か?他のいわゆる先進国(僕は個人的にこの言い方が好きではありません)と 比較して、日本は国際化を含めて何かにつけて「遅れている」のか?などと言 うことをですね。  会田氏は、日本人の特徴をどう活かすかについて、こう言っています。  短所は短所で隠さず、いなおるしかないと(^^;   「私たちの持っている個性をはっきり認識し、自分はこういう欠点、短所    も持っているんだということを心得た上で、いなおるべきでしょう。    悪い面があることをじゅうぶんに承知して、その面ばかりが外へ出てい    かないように、謙虚に反省もし、工夫もし、気をつけていかねばいけま    せんが、そういう配慮の上に立って、民族の長所をどんどん発揮してい    ったらいいと思うのです。」  思わず頷いてしまう意見です。  民族の独自性を、長所も短所も活かして良い方向へもっていくことが重要で あると思います。  単に、西欧化とくにアメリカナイズされたものをそのまま実行するには、や はり民族的な無理があるように思います。  自国の伝統や文化を省みることなく、単に西欧化を急いだために、日本人は 変な民族になりつつあるように思います。  いったい何人だってことになってしまうんではないかと、密かに危惧してい ます(^^;。 国際化は、大きな波のうねりのようなものですから、嫌でもやっていかなけ ればならないでしょう。  その為には、まず、自国の、自国民の特徴を知ることから始めるべきだと思 います。  外国人から短所だと言われる事柄も、ちゃんと耳を傾けて素直に聞き、なぜ そう言うことを言われるかを考えていく。  その上で、反論があれば、ちゃんと反論すれば良いし、直すべき点は直して いく。それも自国の特徴を活かす形でも改善が望ましいように思います。    それと、他国の民族的な特徴を知ることも重要なことは言うまでもないでし ょう。幸いインターネットのWWWなどでは、アジア諸国や西欧の文化紹介の ようなものもあると聞きますから、そういったものから情報を仕入れて、徐々 に個人レベルでの国際化を計っていくことがいいんじゃないでしょうか?  では、また。                   まるにちょん、○ゝ - FARION MES(18):武道とは?  ★ 自分に勝つ! 96/01/09 - 02802/02806 GBG02043 維/YUI ふみ・・・なるほど。 (18) 96/01/08 17:07 02780へのコメント >その「間」にこちらから何かアプローチをすること、それが武道の > 「攻撃」の一面なんじゃないかな?と思ったりします。 う〜ん・・・。武道の試合を見ていると、あっちとこっちの戦い(攻撃)ってより も、 ついつい全体の流れの綺麗さに目を奪われてしまって・・・(^^;;) ほら、上級者の試合なんか、二人が向き合った瞬間に、ひとつの旋律が 場に流れているみたいな感じしませんか? 戦うってのが、そのへんの 繁華街やなんかである喧嘩とは、まるっきり違う。(しろーとの話なんで あたりめーだろ!とか、おこんないでね。)なあなあじゃないんだけれども、 お互いに納得ずくで、真剣な感じで。 で、あもりさんの上記の書き込みを見ていて、劇をしていて上手い人が わざわざ”はずす”ことがあるのを思い出しました。 なぜはずすのかと いうと、他の俳優やら、その場のノリがある一定の抑揚(リズム)のロンド に填まってしまって、酷い時には、台詞が全部同じパターンで流れてしまって、 舞台上が寝てしまったような感じになるんですよ。 台詞って覚えたら、 情景反射でも勝手に出てきますからね。観ていてもそういうのはホント、 睡眠効果抜群です。そんなときそれをうちやぶるために、わざわざはずして、 いつもと違う台詞まわしなどで、相手の眠ってしまった注意を引き起こすんです。  武道の場合は、相手がロンドしてたら、あっという間に攻めちゃうよね。 戦いは、相手を倒さなければならないから、すきあらば攻めるだけど、 舞台など、何かを複数で造り上げていくときは、すきあらば埋めるんだよね。 同じすきでも、利用目的で変わるね。 維/YUI。 02803/02806 GBG02043 維/YUI RE^2:リズムねぇ・・・ (18) 96/01/08 17:07 02785へのコメント >客席からの流れですか。僕は役者の立場になったことがないのでよくわか > りませんが、例えばジャズでソロのアドリブの部分で、聴衆の拍手があると > ソリストがさらに乗れる、というような感じなのでしょうか。 (^^;) そ・そういうのもあるんですよ。 観客の拍手は何にもかえがたい励みになります から。 拍手だけじゃなくて、その場の気迫って感じです。 で、なんで上記のフェィスマークがあるかっていいますと、たとえ舞台上の演技が 上手くなくても、台本が良かったりすると、観客がその話にどんどん気持ちが入って きて、上手く演じられていない役者を乗り越える勢いで、次はどうなる、その次は・ ・ と、どんどん舞台に期待を寄せてくるんです。 それが役者の精いっぱいの行動を 呼び起こして、結果的に割りと良い評価を得られたりします・・。 そういう意味での客席からの流れを想定していたので、思わず苦笑いしたという訳。 > のリズムから揺らぐのが当然だそうですが、名手と言われる人の揺らぎ方と > いうのは、人間が心地よいと感じるツボを押さえているのでしょう。 名手は、良い送り手であると同時に、より良い受け手なんでしょう。 何を聞いたら、何を見たら、何を嗅いだら、心地よいのか、それが ピタリと分かってしまうんじゃないかと思います。ライブで分かり 瞬時に自分もそれに対してさらに送り続けるんだから、本当に開かれて いるんだろうな・・・。 ・・・ライブハウスに行きたくなってしまった・・・。 維/YUI。 - FARION MES(19):世も末ばなし ★ ぶっ飛び話・罰当たり話 96/01/09 - 783/784 MHA01114 シュメ−ル RE:はじめましてよろしくお願いします (19) 96/01/08 21:27 779へのコメント  きょうこさんはじめまして。1年間の通信ブランクのリハビリをここでやら してもらってるシュメ−ルです。 HALさんやみれさんについてはご本人た ちがそのうちコメントくれることを期待しときましょう。さて、どういう方な んだろう。あの二人は少々のことではむっとしないことは私が保証しときます。 何せきょうこさん以上に失礼なことを私はしょっちゅうやってますが、人間関 係は壊れてないように私のほうからは見えます。もともと人間じゃないからか もれない。  身近のプレアデス、おもしろいですね。そういえば『となりのトトロ』って のが昔ありましたが、『となりのプレアデス』となんか語感がにてる。その方 どういう方のですか?とすかさず聞いておきましょう。それから、すみません、 安達育朗さんも初耳のような気がしてました。教えてください。なんせ田舎に 住んでるもんで…  プレアデスの位置についてはまたそのうちに文章つくってみます。 784/784 QZY01267 猫の手 本当はちゃんと知ってるよ。 (19) 96/01/09 12:18 782へのコメント  私が悲しむのは悲しみたいから  私が孤独なのは孤独な思いをしたいから  私が傷つくのは傷ついたと思いたいから  私は私の感じたいこと感じてる。  私は私が思いたいこと思ってる。    私が思いを換えれば  私の見る世界が変わり  私の感じる世界が変わる。    この世界の全てが幻想だから  この世界の何もかもが夢だから  モノがあってリアリティーがあり  生きているという実感がある。  まるで夢じゃないような夢。  全く現実のような夢。  でもその現実が大事なの。  夢を見ていることが大切なの。    私は何もかも総ての歓びのときの夢を見る。  私は今ここに起こっている現実の夢を見る。  私はその間に立って悲しんでいる夢を見る。    嫌われるのは  嫌われたい私が居て  嫌いたい誰かが居るからなの  いじめられるのは  いじめられたい私が居て  いじめたい誰かが居るからなの  嫌われて嘆きたい私が居るから  嫌われて  いじめられ嘆きたい私が居るから  いじめられ    今はちょっと  嫌われる悲しみ味わいたいの。  今は少しの間  いじめられる苦しみ味わいたいの。  嫌われるってどういうことか  知りたかったから  いじめられるってどういうことか  知りたかったから  でもちゃんと知ってるよ  私がそうしてることに興味がなくなれば  私がもっと面白いこと見つけてしまったら  私はここにこうしていないということを  ちゃんと分かっているよ  私が歓び見つけて  私が楽しみ見つけて  私が私を生きていくことで  私は輝き始めると云うことを    私は楽しんでるの  自分で自分を傷つけ苛む世界を  私は夢見ているの  戦い合い、せめぎ合うこの現実を    恐れの先は玉手箱  その玉手箱を開けたとき  この世界から抜け出てしまう。  今はひとときその玉手箱を脇に置き  もう少しこの世界を味わうの。  悲しみや、苦しみや、  そして楽しみ、歓びことを味わって  この世界を味わい尽くし  私は次なる世界に旅立つの。    あなたバカだね。  いつまでそんなことに囚われているの?  そんなバカなひとりに私もなってみて  そんなバカな世界を味わってみて  始めてこの世界が分かる。  始めてこんな世界もあることを知る。    嫌われて嘆く相手が居なくなったとき  いじめられ悲しむ相手が居なくなったとき  小悪魔達は別の悦び求め  もっと楽しい現実求め  私とともに歓びの世界生み出していくこと  本当はちゃんと知ってるよ。      ** QZY01267/『猫の手』 <96/01/09 09:15:33> **