「では背後の人は凍える事を選んでいるのですか?」と民は尋ねた - FARION MES( 1):相 談 室  ◆ パソコン&通信の話題 96/01/12 - 00195/00197 HGC02325 ガッチャ RE:エプソンのDOS/Vマシン ( 1) 96/01/12 00:50 00193へのコメント  #00193 の追加です。     エプソンのDOS/VマシンにWindows95をインストールしてみました。     インストールはのステップは、「1、コンピュータに関する情報の収集」「  2、Windows95ファイルのコピー」「3、コンピュータの再起動とWindows環境  の作成」と3段階ある訳ですが、3モードFDはREMにしてインストールした  せいか、第2段階までは1度のダンマリも無くインストール出来ました。     問題は第3段階のコンピュータの再起動で起きました。     ロジテックのマウスドライバを起動した所で画面に色々な点が表示されダン  マリ状態になってしまいました。     そこで電源から立上げ直し、F8キー連打でトラブルシューティングモードで  立上げました。このモードでは以下のようにな種類の立上げモードを選択でき  ます。     1,Normal             標準   2,Logged             ログファイル(\BOOTLOG.TXT)   3,Safe Mode            SAFEモード   4,Safe Mode with network support SAFEモード(ネットワークサポート)   5,Step-bystep confirmation    各コマンドの実行を確認する   6,Command prompt only       コマンドプロンプトのみ   7,Safe mode command prompt only  SAFEモード(コマンドプロンプトのみ)   8,Previous version of MS-DOS   以前のバージョンのMS-DOS     この中で、6のコマンドプロンプトのみ、で立上げるとマウスドライバの部  分で画面が凍らずに、通常の「C:\>」になりました。そこで次に「WIN」で、  Windows95が立ち上がりました。     その後はインストールの続きの「Windows環境の作成」が行われ、無事イン  ストール終了でした。     画面解像度はインストール前は 1024×768 256色 だったので、インストー  ルした後も同じ解像度になりました。でもやはりV-SYNCが86MHzになってしま  うのです(不思議だ(^^;))                              HGC02325 ガッチャ 00197/00197 HGC02325 ガッチャ RE:Windows95 と MS-DOS ( 1) 96/01/12 12:06 00194へのコメント  #00194 ガッチャ の間違い訂正です(^^;)    |  試しに、DOSプロンプト状態で「VER」コマンドを行うと、  |   |  Windows 95. [Version 4.00.720]  |   |  と表示されます。     最後の 720 はベータ版で、製品版はこうなります。    |  Windows 95. [Version 4.00.950]     以上、訂正でした〜                              HGC02325 ガッチャ - FARION MES( 3):Media Talk ◆ 本/映画/音楽を語る 96/01/12 - 01120/01120 KHC01313 まるにちょん RE:「特攻隊員の…」「今日われ生きてあ り」 ( 3) 96/01/12 03:23 01119へのコメント  #1119 シュメ−ル さん こんばんわ(^_^) あなたにRES付けるのは恐らく初めてのことと思います。 これからもよろしくお願いしますね。 シュメールさん、「特攻隊員の命の声が聞こえる」を読んで下さってありが とう(^_^)  おっしゃるように、確かに感想を書こうとすると絶句してしまいますね。  僕なんかは、紹介しようと文面を考えていると感情がこみ上げてきてなかな か書けないでいました。  実際に、命の声の重さ・美しさを感じるとき、下手な感想なぞ書かない方が いいと思ったくらいです。    「今日生きてあり」は、文庫本ですが、僕も探すのに苦労しました。  殆どの本屋に置いていない有り様で、みんな興味を持たないんで売れないか ら置いていないのかなぁなんて哀しく思ったりしていました。  で、今それを読んでいる途中なんですが、行を追うにつれて、感情がこみ上 げてきてなかなか読み進まないのですよ(^^;  これらの本を読んで、つらつらと考えることは、  若い命を散華してまで、自分の愛する国を守ろうとした人たちの死を、僕た ちは生かしているのだろうかと、無駄にしてはいないかと。  実際のところ僕は毎日うだうだ生きていますが、彼らの死を思うとき、何か 済まない気がします。きっとそれは、日々を懸命に生きてない証拠であり、そ れが後ろめたさを感じさせているのかも知れません。    ところで、もし、英霊の方々が残されたものをお読みになりたいなら、靖国 神社の社務所にて「英霊の言乃葉」が販売されていますよ。  これは、神社の掲示板に昭和35年8月から42年12月まで掲示されたも のを一冊の冊子にまとめたものです。   その中から一節を紹介しておきます。   <南の戦線に征くときに妻に残す>    「戦況日々に激しく南の戦線に出ることとなる。もとより待機していた身   には当然かも知れぬが、直面してみれば、やはり征衣の凡々兵である。   否凡人以下の人間である。目をつぶってみる、頭に浮かぶものは愛らし   い子供、妻、父、母、妹等々。門出の前夜「私を未亡人にしてはいや」   と言った君の顔が、目が、忘れられない。しかし今は、きびしい戦に純   粋な国家への思ひをのみ盛った征衣へのおあづけだ。生死の運命と共に。    ただ、君に願って置くことは、我が生死の問題を超越して常にきみが   結婚当初の感激に生き、心身共に理知美と、健康美に生きていってくれ   ることのみです。数々の思出を心に育くむことにより、生ありて帰れる   日が来れば、その時の新たな感激こそわが生涯通じての極みだと思う。    留守居の安泰を祈ることは結局きみと愛児の無事を祈ることであり、   君と克子とへの愛着である。勿論自分をかくあらしめてくれた両親への   限りなき感謝は別として広いこの世界に君といふ好伴侶者を持ち、克子   とうふいとし子を持ち得たことは、自分の最も幸福なことである。……    生命への自信をもって南へ征くつもりだ。どうか現在の君のままでよ   い。そのままの精神と健康がほしい。静かな中に、情熱に生き、情熱の   中に静かな、性質の持主であってほしい。きみの顔が浮かぶ。……    きみのまぼろしがうかんで消えない。」   昭和17年12月  陸軍歩兵伍長 篠崎二郎             昭和19年1月18日 東部ニューギニアにて戦死 では、また。                   まるにちょん、○ゝ - FARION MES( 6):ハロー・メッセージ ★ 今日のハロー・メッセージから 96/01/12 - 00562/00567 GBG02043 維/YUI RE:凍えている人 ( 6) 96/01/12 02:01 00485へのコメント コメント数:1 改めて今、凍えてる人のことを考えてみた。 天使は火にあたればいいって、いってるんだから、 あとはやっぱりその人が、来る気になるかならないかだと思う。 いっくら人が言ったって、本人がその気にならなければ、物事って 進まないのは、身をもって知っている。 無理やり連れてきたら、どんなかな・・・と、気になるけど。 無関心ではいられない。 好奇心かもしれないけど、その人が 何を懸念して凍えたままでいるのか、知りたい。 火にあたっている方の人は、はやくこっちにくればいいじゃんって 思いもあるんだろうか。 でもさ、人にはそれぞれのタイミングもあるから。 無理やり連れて来ることで、その人か得るものもあるかもしれないけど、 凍えながら、時間をかけてその人が得ることもあるかもしれない。 そんなのその人じゃなきゃわからない。 そうしている間に凍死しちゃったら やだな・・・って思うけど。 維/YUI - FARION MES( 7):自分を観る  ★ ARIONを鏡にして 96/01/12 - 06814/06814 BYH14717 中尾 かたる RE:一見矛盾? ( 7) 96/01/12 03:08 06812へのコメント  SUKEさんこんにちは、中尾です。  >>普通のひとより好き勝手に生きている...  これはその通りだと思います。意識的にではないんだけど、興味のあること にはとことんのめり込むし、興味のないものはまったく興味を持てないです。 いつからこうなのかは覚えてないですけど、生まれつきかもしれないし何処か でこうなったのかもしれません。自分では喰わず嫌いはあまりないほうだと思 いますけど、興味のないことでもやってみれば面白かったりすることもありま すね。同じ趣味の人とは楽に話せるのは誰だってそうだろうけど、何故か趣味 が違っても別に苦もなく話せるんですよ。不思議でしょー(^_^)。自分でもよく 分からないんですけどね。 >>一見矛盾しているかも知れないと言う中尾さんの生き方、それは時によっ て自分の都合の良いような価値観を取捨選択する場合には、矛盾が見えてくる かも....  まあ大体の人は自分を正当化できる理屈を探しながら生きているってところ がありますけど、それが正しいってわけではないですよね。例えば酒飲みの理 屈には「酒を知らない奴は人生の楽しさの半分しか知らない」とかって言って るのもあるし。そうやって考えていれば楽に生きていけるからね。何処かでそ ういった理屈なんかを見つけたら、それを信じたり信じようとしたり、人に よって様々ですよね。  すべてのものには二面性がありますよね。例えばそれは一枚のコインのよう なもので、この世界っていうのは、光が当たれば必ず影が出来ますよね。僕の 住む札幌では「接待費」が問題になってますけど、こういった金は汚いですよ ね。金そのものを汚いと言う人もいるだろうけど。でもお金を汚しているのは 人の心だし、実際にはきれいな金だってあると思います。勿論人は自分の目で ものを見るから、きれいな金でも人によっては汚れたものに見えるかも知れま せん。それはその人の心の中の金に関する部分が汚れてるからかもしれません ね。先入観とか変な常識とかで。  コインに裏表があるからと言って、それが矛盾しているとは言わないで しょ? 両面がある状態で完全な状態だと思うんです。人の心だって同じよう なもので、光も影もあると思うんですよ。言葉だって、ほんの一言で人を殺す ことも出来れば、人を幸せにすることもできますよね(?前に書いたかも)。 電話は、愛の告白に使うこともできればいたずら電話もできるし。ちなみに僕 は、愛の告白も、いたずら電話もしたことあります。  僕は、「嫌いなものは?」って聞かれたら「人間」って答えます。じゃあ、 「好きなものは?」って聞かれたら、やっぱり「人間」って答えます。神がい なければ悪魔が神だったかもしれないんだし、プラスやマイナスがなかったら 電気もどうなっていたか分からないし。その両面の間に立って、両方を眺めて いればそんなふうになってきますよ。僕だけかもしれないけど(^_^;。何にでも いいところも悪いところもあって、その中でどちらか片方だけ見たって完全な ものではないでしょ? いいところだけ見て結婚したって後で困るだろうし、 悪いところだけ見てしまうとただ避けたくなるだけだし。  僕はニーチェの影響を受けているようで、「善悪の彼岸」というのがあるん ですけど、そうした思想に影響を受けているようです。でも僕はニーチェほど 頭良くないし、真剣でもないから、単なる変わり者かも知れません。それに ニーチェになろうと思っているわけでもないから。 僕は中尾以上ではないし、それ以下でもないしね。 「Tat Twam Asi」って言葉があって、意味は「汝はそれなり」なんですけど、 自分の出来る範囲と考えられる範囲で、そして自分の使える言葉で自分でいよ うと思えばこうなっちゃうんですよ。  こんな説明で分かったでしょうか? またしてもまとまりに欠けるし、しか も長くなってしまったけど、分かりにくければもっと分かりやすい説明を考え ときますね(^_^;;;。  じゃ、おやすみなさい。          --== BYH14717 ♂ Y.Nakao ==-- 06813/06814 GBG02043 維/YUI RE^2:まるにちょんさんへ ( 7) 96/01/12 02:01 06783へのコメント >でも、なにか僕の参考になることがありそうなら、ちょこっと書いてくださいね。 あはは。 参考にはなりませんが、せっかくだから書いちゃいます。 なんのことはない、食事している時に(がっついて食べるんじゃなくて、 歓談しながら・・・って感じ)、なんかでやたらと笑ってしまいまして、 そのまま笑いを押さえず笑い切ればいいものを、なぜか、笑いを納めようと したら、のどにエヘン虫がついて、飲み物を少し口にしたら、それが気管の 方へ行ってしまったらしい。普段ならそんなのすぐに回復するでしょ? でも、その時はどんどん苦しくなって、息ができなくなってしまったんです。 苦しかったよ〜〜!! 息すっても吸えてないみたいでした。喘息の人が 出すようなヒュ−って音のもっとすごい音がするけど、空気がないっ!!! 思いっ切りげほげほして、やっとたちなおったけど、その夜はなんか調子 悪かったです。 こうやって書くと、たいしたことないんだけどね。 なんで、その後もしつこく死を考え続けることになったかというと、 私の父親は、のどにものをつまらして亡くなったんです。 それがどうしても 頭に出てきちゃうんですね。 苦しかったのかなぁ・・・とか。 でも、 すごく安らかな父の顔からは、そうとれなかった。 病院のベッドに 横たわる父を見てなぜか、この人はやるだけやったんじゃないか・・・と そう思ったんですよ。 私が(自分にしてみれば)七転八倒の苦しみ方を して、息しようとしたのは、やり残しまくっているからね・・・と。(^^;;) そんなこんなです。。。 死を意識して生きる・・・。 たしかに、明日は生きてないかも・・・と 思ったりしたときは、いつもの不平不満やらなんやらなんて、ぶっとんじゃい ますよね。 そんなこざかしいことがらになぞ、かまってられない!!って。 悲しいことに、疲れたり喧嘩したりすると、感情にへばりついてしまって、 ワイルドな気持ちにもどれないです、しばらく。 >今年は、お互いにより一層人間に磨きをかけようね。 (^_^)はいな。 実りのある日々を過ごしましょ。 維/YUI - FARION MES(13):神秘学遊戯団 ★ 限りなき神秘への航海 96/01/12 - 04175/04178 GGA02514 KAZE RE:RE^2:実るほど頭を垂れる稲穂かな (13) 96/01/11 17:30 04169へのコメント しまうまさん、どうも。 > なんとなく、最近の日本人(自分も含めて)とゆーのは、何かというと一方 >向へどわーっと意見が偏ってしまうような傾向が強まっているような気がしま >す。マスコミの言うことを鵜呑みにしやすい、というか……。 「最近の日本人」だけではないと思うのですが^^;。 かつてのように地縁血縁による村八分的なものをつくってしまうもとでもある その場の「空気に従う」あり方が「マス」にシフトしただけなのではないかと ぼくは思っています。 どちらにしても、自分なりの意見をもっているわけではなく、 なにかを鵜呑みにしているということでは変わりがない。 >坂本龍馬が「世の中の人が全員いいことをするのなら、自分はただ一人悪い >ことをしなければならない」みたいなことを言っていたように記憶しています >が、これって要するに「常に醒めた目をもつ」ということなのかもしれません。 そうですね、「だれが何と言おうと、自分はこう思う」という主体性と 「だれが何と言おうと、自分はこうする」という勇気がないと、 容易に「戦争賛美」になりますし、容易に「一億総懺悔」になります^^;。 だから、坂本龍馬が希少価値をもつわけです。 >「街に出て摘発」というあたりから、なんかもう狂っちゃってますね(^^;。 いえ、その前からとうに狂っている^^;。 いや、彼女たちは、まさに「正気」なんです、あの時代では。 そもそも「自粛」を「他粛」へと意図的にとりちがえていて、 「贅沢は敵だ!」を無差別的に適応することを正当化して恥じない。 でも、こういうの、今でもほとんど変わりませんよね^^;。 「差別用語」というわけのわからない言葉狩り、 そして、それに過剰反応するマスコミの「自粛」の運動。 > 僕は、元々朝日新聞が大好きで、ずっとこれしかとってなかったのですが、 >最近は、戦争責任や過去の過ちについて、それこそ「謝罪一辺倒」の姿勢を見 >るにつけ、だんだん嫌気がさしてきました。戦争の被害に遭った国の言うこと >は全部「是」で、日本がやったことはすべて「非」という、変な是々非々主義 >がまかり通ってしまっているようなところがありますね>朝日新聞。 >と言いつつ今もとっているのですけれど(^^;。 はい、なぜかぼくも朝日をとっていたりします^^;。 朝日が好きだと思ったことはないんですけどね。 朝日の新聞販売店のおばさんがとっても個性的で好感が持てるのと、 地元の地方紙があまりに論外というほどに稚拙なのとが原因のようです。 しかし、朝日を読むと、「自己正当化を目指す良識」とでもいう わけのわからない、日本人の集合無意識のようなものがよく把握できます。 そういう意味では、意識的に読むと、けっこう勉強になるとは思います。 あの天声人語なんかも、ばかばかしくてあきれかえることがよくありますね。 よく仮想対話なんて手法も使って何かを批判することっもありますが あの稚拙な会話がすべてを象徴しているようです^^;。 「やまだくん」は大好きなのですが、ああいう家族関係というの、 あれもある意味では集合無意識的な日本人の典型がベースにあるようですね。 ぼくは思うのですが、ほかは別としてあの夫婦関係。 どうしてああいう関係が夫婦なのでしょうか。 多くは「そういうものだ」的なああいう夫婦形態なのでしょうが、 なんだか、ものすごく悲しいものを感じてしまうのはぼくだけなのでしょうか。 そもそも子どもができたら、互いを「お父さん」「お母さん」って呼ぶのも、 どうもぼくにはよくわからない日本人の慣習です。 そういう意味で、ぼくはどうも、物心ついてから、 この日本に舞い降りてきた宇宙人のような感覚に襲われることしばしでした^^;。 だから、ほとんど社会的不適応のまま ずっと居心地の悪さを感じてきているのかもしれませんが・・・。 では、では。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 04176/04178 GGA02514 KAZE RE:中道論3●不苦不楽の中道 (13) 96/01/11 17:31 04173へのコメント しまうまさん、どうも。 >どうしてもこの「不苦不楽」という言葉を聞くと、「楽でもなければ苦でも >ない、淡々とした道を歩む人」をイメージしてしまって、「そんなのおもしろ >くなーい(^^;」と思ってしまうのでした。 しまうまさんは、苦や楽が、なんだ坂こんな坂、って感じであって その後にオアシスがあって喜んで、また今度は竜巻が襲ってきて・・・ っていうような波乱の人生をお望みのようですね^^;。 とってもたくましくて、勇気があって、たのもしいですね(*^^*)。 >しかし、KAZEさんのお話を聞くと、どうやらそうではないみたいですね。 はい、肝心なのは、たとえ苦があろうと楽があろうと、 それにとらわれないだけの魂の力を備えたあり方ということです。 苦が好き、とか、楽が好き、とかいうようなあり方ではない、というのが 「不苦不楽」というわけです。 またこうも言えます、 通常の「苦」は「苦」であるけれどもその本質が理解されていない。 また、通常の「楽」は「楽」であるけれどもその本質が理解されていない。 実は、それらは「無常」なものであって、「空」なのだということが 感得されていなければらなない、と。 > 意識的に生きていなければ、人間はついつい「苦」なり「楽」なりに浸って >しまって、とらえどころのない“現実そのもの”から逃避してしまう。仮想的 >な(逃げ込み場所としての)「苦」や「楽」におぼれずに、矛盾だらけの現実 >を生き抜く、というのが中道なのですね。 > 「不苦不楽」というのは「苦にも触れず楽にも触れず」という状況ではなく、 >「苦に浸らず楽にも浸らず、その両方を味わい尽くす」という感じなのでしょ >うか。 はい、そういうことです。 それが可能になるのは、そうしたことにとらわれずに、 それらの本質が理解されてこそだというわけです。 ですから、矛盾から逃げるために「苦」を選択したり、 はたまた「楽」を選択したりというのでは、進歩がない。 だから、その両者の矛盾に橋を架けて統合していくという道が 「中道」だということもいえるのだと思います。 でも、こういう考え方は、慣習的な仏教のとらえかたよりは かなりダイナミックなものになっていますので、 本来の仏教とは少し異なってきているかもしれません^^;。 > だとすれば、仏教が提唱している“涅槃”のイメージも、ずいぶん歪んでい >るのかもしれませんね。僕とかは、なんかこう「悟り澄ましている」みたいな >印象を“涅槃”という言葉に抱いてしまっているのですが……。 それは、仏教に対する誤解だと思います。 たしかに、そういう坊さんは現実にはいますが、それは単なるバカです^^;。 お釈迦さんをはじめとして、数々の名僧の伝記でも読まれると、 そういうイメージとはまったく違った、 激しい生の燃焼が仏教の本来の姿だということがおわかりになると思います。 もちろん、それは仏教にかぎらず、多くのすぐれた宗教家はそうなんですけどね。 > これも、「中」という“定常状態”に向かう、ということではないのですね。 >ついつい僕なんか、そういう風に受け取ってしまいがちなのですが(^^;。 はい、もちろんです。 「中」というのはそのものがダイナミックな運動で、 それは矛盾を統合していくものです。 それは「風」と同じで、止まってしまったら「風」とは呼ばないように、 ダイナミックさを失ったら「中」とはいわないわけです(^^)。 では、今後も少しずつ中道についてお話していきますので、 気が付いたこととや感想などありましたら、よろしくお願いします。 では、では(^^)。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ - FARION MES(14):預言解読村  ★ 預言・予言は何を語るか 96/01/12 - 03557/03564 HQK00566 SOUND RE:「炎で書いた物語」第二章 (14) 96/01/11 16:41 03467へのコメント       「炎で書いた物語」       第二章、幸せってなんだっけ(その4)        全世界的にビートルズがブームらしい。何回目なのだろう。  アンソロジーアルバムがマイケル・ジャクソンのスリラーの記録を抜いたという。  ジョン・レノンの遺作「フリー・アズ・ア・バード」に 残りのメンバーが手を加えて発売したら もう、イギリスでもアメリカでも一位になってしまった。  そのあおりを受けてというか、波に乗ってというかBSの衛星映画劇場で ビートルズ映画特集をやっている。 おかげで久しぶりにビートルズの第二作目「ヘルプ」を観た。  映画の冒頭でバハマの海の秘密宗教団体の儀式が映し出される。  その祭神は暗黒の女神「カイリ」というらしい。  信者たちが声をそろえてカイーリ、と崇めるのを観て >>χ(カイ)の目を潜りχの影を踏む者、存在が知れるが捕まらず >>χ(カイ)なる者はΣ(シグマ)を従え、α(アルファ)とΩ(オメガ)を統合す… >>★打ち砕かれた夢は深海の貝の懐に抱かれ、黄泉帰るだろう… これらのハロー・メッセージに登場するカイを思い浮かべてしまった。  なんだか関連がありそうでおかしかった。  やがて、ジョン・レノンの悲痛な叫び「ヘルプ」の 演奏が始まった。 封切り当時、それがジョンの魂からの救いを求める 叫びだとは夢にも思わなかった。  なんてかっこいい歌だと画面に向かって声援した。 かれは家庭運に恵まれない子ども時代を過ごして成長後 突然、全世界のアイドルに登り詰めてしまった。 あのとき、そのために人とのコミニュケーションのとれない辛さにもがき絶望してい たのだった。  そんなことはだれにもわからなかった。 歌詞をよく読めばわかったのかもしれないが ぼくたちはかれらの次々に繰り出す新曲のビートに酔いしれるだけだった。  過ぎ去った昔を現在の目で振り返ればふっと見えるものがある。  あの映画の暗黒の女神の名が「カイリ」というのもあの頃は気にも留めなかったが 今は気にかかる。何かあるのかもしれない。 そのうちにカイについてもう一度考える機会が来そうだ。       *************  さて、本題に入ろうとする耳元で、    「心を開けば百鬼夜行がわかる」とだれかがささやく。 寄り道のような気がして振り払おうとしたが離れない。  >>95/04/13 開かずの扉、残るは3つ。萬灯を掲げて百鬼夜行の列は進む‥   百鬼夜行とはこのハロー・メッセージで見かけたことがある難解なことばで    映像的に良いイメージが浮かばないし深く考えないでほうっておいた。 それが 心の隅にひっかかっていて今頃、浮かびあがってきたらしい。    それでは素直になって、心を開いてみよう。どんな風に開いたらいいのだろう。     この章では文字霊開きを主におこなっているので     それを試してみる。     「心」を開けば容れ物の左心室と右心室の上にチョンか゛二つ     ひっかかるように乗っている。これは何だろう。     リッシン偏だと性のように|の左右にチョンがひとつずつくっつく。      このチョンに秘密があるらしい。 >>94/03/02 「心=魂の前庭」の機能が落ちると、良心の働きが悪くなる このハロー・メッセージによると心=魂の前庭」とある。  心は魂と深い関係があることはわかる。 では、チョンはタマシイと考えていいのだろうか。 どうして二つあるのだろう。  心の中のタマシイは一つのはずなのにどういうことだろう。 人は二つのタマシイを持っているというのか。 辞書をひもとけばタマシイには魂魄(コンパク)の二種類ある。 >>魄=音(ハク)訓(たましい) 意味 「(魂)か゛、精神をつかさどる陽の雄たましいであるのに対して) 人の肉体をつかさどるたましい。陰の雌たましい」           (角川新国語辞典より)  こうして心のもつ二つのチョンは魂魄らしいとわかった。 心を一応開いたから百鬼夜行に重ねてみよう。 魂魄には確かに鬼が使われている。 ヒャクの音に近い魄(ハク)を調べよう。 「魄」は白と鬼、百に一足りない九十九(つくも)鬼。 百鬼と並ぶと一を足した完全な鬼(カミ)を示す文字が完成する。  その足りないもうひとつの鬼が魂なのだろう。 魄(ハク)一つだけのチョンを宿した不完全なこころに魂を併せれば完全な心が完成す る。 関連する次ぎのハロー・メッセージを見よう。 >>10/31 鉄塊を鍛えるに必要な火と水は、人の心を鍛えるにも必要である  普通、鉄を鍛える、と書けばでいいのに ここにも鉄塊としてヒントの鬼を入れてある。 火と水は陽と陰のタマシイに対応するようだ。 修行か神事か天与かなんらかの手段によって完成(神成)した心を持った方か゛ 百鬼として世に行く。 百鬼夜行とは足りなかった数、一(スメラ、カイ)を加えて完全な鬼(カミ)の力をふる い夜=八、末広がり八のの世開けの仕事を行うという意味と読める。 細かい誤差はあっても大意は違わない気がする。 >>95/04/13 開かずの扉、残るは3つ。萬灯を掲げて百鬼夜行の列は進む‥  残る3つの扉も百鬼夜行によって開きそうだ。 果たして、それは近い将来のことなのか。そうであってほしい。          (つづく)          ♪♪音(SOUND) ♪♪ 03564/03564 GBG02043 維/YUI 栗烈!! (14) 96/01/12 02:02 03554へのコメント レツレツって読むんですって。   栗が並んでイガイガの中で、プルプル震えているなんて、かーいい!!! 須が、用いる・・・ですか? ってぇことは、栗須魔ってのは、繰る術を用いる魔物かもしれないぞ! 倶利伽羅は7番議長のARIONさんも関係しているとかの、不動明王さんが、 倶利伽羅明王とかいう別名でいらしたような・・・。 久里浜は、今日見た雑誌の星占いに、今年行くといいところってなってた。 (あ、でんでんカンケ〜ないでした・・・・失礼。) ぱっと思いついたらすぐにやる・・・やれそうでできない。 そのくせ、妙なことを思いついてやってしまって、あとできゃーきゃー 言うはめになるのよね・・・(_ _;)ウウッ…(爆笑) 維/YUI 03560/03564 PAG03134 はな RE:火・風・水についてのファンタジー・ (14) 96/01/11 22:03 03552へのコメント コメント数:1 KAZE さん >>「火」「水」で「神(かみ)」。 >>「神(かみ)」の間に「我(が)」がはいって「鏡(かがみ)」。 >>ということは、「我(が)」=「風」  今日は「鏡開き」なので、なんとタイムリーな話題なのかと思いま した。(^^; >>この「我(が)」は、エゴではなく真我としての自我(Ich)。  上の文章、興味深いです。これはKAZEさんのご意見ですか? それとも誰かがすでに言われていることなのでしょうか。 >>「火」(か)(ひ)は、「日」「霊」、そして「太陽」。 >>「水」は、「月」。 >>古事記では、伊奘諾の左目からアマテラス(日)が、 >>右目からはツクヨミ(月)が、そして鼻からはスサノオが生まれる。 >>スサノオはキリストであるともいわれる。  ツクヨミに関する神話は少ないそうで、ツクヨミとは一体なんな のか?という疑問がしばしば思い浮かびます。  こちらもメモ程度のレスでした。(^^;                       はな 03562/03564 GGA02514 KAZE 鏡・月読 (14) 96/01/12 01:52 03560へのコメント はなさん、どうも。 >今日は「鏡開き」なので、なんとタイムリーな話題なのかと思いま >した。(^^; とくに意識してはいませんでしたが、何か書こうかなと思ったのは、 無意識のうちにそれを感じたのかもしれませんね。 >>>>この「我(が)」は、エゴではなく真我としての自我(Ich)。 >> >> 上の文章、興味深いです。これはKAZEさんのご意見ですか? >>それとも誰かがすでに言われていることなのでしょうか。 「かがみ」の「が」が「我」であるというのは、 以前そういうことをたぶんこの会議室かどこかで ちらりと聞いたことがあります。 でも、それについての突っ込んだ考え方はあまりなかったような。 ぼくの基本的なとらえかたとしては、 「かみ」が「かみ」のままであるのであれば、 それをそのままこの地上の人間に顕現させるのであれば、 そこに「が」は必要とされなかったのだと思うのです。 しかし、その顕現には、つまりそれを映し出すには「が」が必要であった。 で、その「が」が曇っていたら「かみ」は映りにくい。 だから、その「が」はよく磨かなければならない。 しかし、そこで重要なのは、単に「かみ」を反射するというのであれば 古代的なシャーマニスティックな形の、意識をなくした巫女的なあり方では 人間が人間であるということの真の意味はないのではないかということなのです。 つまり、その「かみ」を主体的に反射させる「が」でなくてはならない。 それが「自由」、自らの由であるということになります。 ここらへんは、神道関係の考え方と仏教関係の考え方、 そしてシュタイナー的な神秘学の考え方などを考えあわせてみると、 なんとなくイメージできる考え方です(^^)。 >ツクヨミに関する神話は少ないそうで、ツクヨミとは一体なんな >のか?という疑問がしばしば思い浮かびます。 太陽霊は、太陽から地球に直接働きかけます。 月の霊は、太陽からの光を月に反射させてから地球に直接働きかけます。 ここらあたりについて考えていくには、 神道関係のビジョンでは非常にわかりにくいし、 わざとわかりにくくされているふしも感じます^^;。 で、そこらへんのことは、シュタイナーの神秘学ではけっこう明確に 「宇宙進化論」的なビジョンとして描かれているので参考になります(^^)。 聖書の創世記には「エロヒム」(エロハたち)という 複数形の霊的存在たちが関わっていることが描かれています。 「そしてエロヒムは『光あれ』と語った。すると、光があった」 この「エロヒム」を共同訳などでは単純に「神」と訳されてますが そんなに単純に訳すからわけがわからなくなるわけです。 ま、それは別として、エロヒムは7柱あったといいます。 そのエロヒムをシュタイナー的な天使論での9つの位階のなかに 位置づけますと、人間の一段階上のアンゲロイ、その上のアルヒアンゲロイ、 そしてアルヒャイとあり、これが第三ヒエラルキーを構成するのですが エロヒムは、このアルヒャイの一つ上のエクスシアイであり、 第二ヒエラルキーとしてのエクスシアイ、デュナミス、キュリオテテスの 最下位の位階ということができるのだそうです。 しかし、「七柱」とかいうと、神道なんかの匂いもしてくるでしょ(^^)。 でもって、途中をほとんどはしょっていうと、 このエロヒムは地球進化のプロセスにおいて、 太陽とともに地球からはなれ外から働きかけるようになります。 しかし、そのなかで地球と結びついた形で残ったエロヒムがいます。 それを「ヤハウェ・エロヒム」といい、 それが月と結びついて地球進化を演出したわけです。 これについて、シュタイナーは「創世記の秘密」(水声社)という講義集の 「人間のなかの月的なもの」という章で次のように語っています。   創世記には、エロヒムが偉大な、指導的な力であると書いてあります。   月の放出を生じさえ、人間の本来の存在を導いたのは、エロヒムの本質   をヤハウェ・エロヒムに上昇させや力にほかなりません。その力が月と   結合したままにとどまり、月を地球から分離させたのです。ですから私   たちは「月体として私たちの創造のなかに見出されるものに、ヤハウェ・   エロヒムは密接に結びついていた」と、いうことができます。(P167-168)    こうした記述は、宇宙進化論的ビジョンを理解しないと、 けっこう難解に感じられると思うのですが、 要するに、太陽霊と月の霊というのは、太陽から働きかけるエロヒムと 太陽から月に反射させて働きかけるヤハウェ・エロヒムということであり ですから、ヤハウェ・エロヒムは地球の霊と深く結びついています。 でもって、キリストというのは、その太陽霊の一柱が、 人間として受肉することで地球に内部から働きかける存在として描かれます。 月読だとかスサノオだとかいうのは、この関連でいうと、 前者はヤハウェ・エロヒムであり、後者はキリストなのですが、 月読だとかスサノオもまだ、そうした「キリスト」としての働きを まだ受け入れる前の存在として、両者が分離していず、 結びあった存在としてとらえられるのではないかと ぼくはそうとらえているのです。 つまり、真の「天磐戸開き」はこれからであって、 それがなされるとき、月読はその役割を終え、太陽霊の一柱となり、 またスサノオもまた地球進化を導くキリストとして真に顕現する、と。 ちなみに、アフラ=マズダというのも、こうした太陽霊と 非常に深く関係しているんですよね(^^)。 あらら、けっこう長くなりましたし、 おそらくかなり意味不明の部分もあるでしょうが^^;、 ま、アウトラインとしてはこういうイメージかなと思います。 では(^^)。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 03558/03564 PAG03134 はな 輪読会について (14) 96/01/11 19:51 03548へのコメント TAO さん >>9番会議室ではAMA族関連情報をどう扱うかを考えていたのですが、輪読会と >>いう手には気付きませんでした(^^;。ここで中矢氏の著作を扱うのでしたら、そ >>のソースとなっているARIONのAMA族情報について、9番でも展開させた >>方が相乗効果があっていいかもしれませんね。14番で「日本古代史の秘密」、 >>9番で「AMA族の系譜」の輪読会を平行してやりましょうか?  TAOさんにも相談せず、14番の書き込みをしたことに申し訳なさを感じな がらも、9番会議室との協調路線が見えたようで、心強いとも感じています。  私も、AMA族の系譜は9番会議室にて進めていければいいなぁと思って います。「日本古代史の秘密」は、出雲族の神々というタームを全面に出し ていますが、つまるところAMA族になってきますので(^^;、「日本古代史 の秘密」を輪読することは、AMA族について輪読するということに、かな り近づいてきます。  9番会議室と14番会議室で扱うテーマを、たとえば9番はかなりつっこ んだ内容にするなどして、扱うレベルに差をつけるのも一方法だと思います。                       はな 03559/03564 PAG03134 はな 輪読会について (No.2) (14) 96/01/11 19:51 03548へのコメント TAO さん  私なりの判断からすれば、AMA族の内容はアリオン預言の解読に必要な 知識だと思います。また、私自身が日本の歴史観について知識が乏しいので、 是非みなさんのご意見を聞きながら、いろいろな展開に結びつけばいいなと 思っています。  この企画は一回ではとても足りないと思うので、一回ごとにテーマなり、 第何章をトピックにするなどして、話題を絞ったほうが、継続的かつ長期 的にみてもよろしいかと思います。  TAOさん、さらにお忙しいとは思いますが一輝さん達と相互に連絡をとり ながら、会議室の流れをつくってゆければと思っています。  この件につきまして、今後ともよろしくお願いします。>ALL                       はな 03561/03564 JCF02051 めのう RE^2:ワケワカメ・・・ (14) 96/01/11 23:59 03546へのコメント  #3546 はなさん  はーい、お呼び?    村祭りには私もぜひ参加したいでーす(^^)/                           ◆◆ めのう ◆◆ 03563/03564 GBG02043 維/YUI RE:預言解読RTの件  [おしらせ] (14) 96/01/12 02:01 03551へのコメント <お題について>  今度のだと無理があるかな〜って思ってるんだけども、 預言の”裏表360度変化(ヘンゲ)”ってのをさぐってみたいのです。  読む人、状況などによって、複数の意味があるといわれる預言。 本来の進化というのは、破壊と創造がセットになって繰り返されている ようだから、もしかして預言も破壊的な感じのもののなかに、創造的な ものが隠れていたりするかもしれない・・・なんて具合に考えたわけ。 同じ預言でも、あの人にはここが分かってこういう意味で、この人には こういう意味でということがあるときもあると実感しているんだけれども、 どうでしょうか? 村長も書いてたよね、預言は皆が少しづつ知っている分かるんだって いうようなこと。 実際、世の中のことを表した預言があったら、 それにいろんな人がいろんなことを持ち寄って解読したり、その結果 何かがよい方に変わっていったりするってのが意味あることで、 誰かが一人で全部やって、さあどうだって皆に話して聞かせてそれで おしまいってんじゃ、意味がないんだろうな。 それは、それとして・・・。 はじめての預言村RTだから、ぼちぼちいきましょうよ。 維/YUI - FARION MES(15):マホロバ誕生 ★ 大和魂復活のために 96/01/12 - 00447/00447 KHC01313 まるにちょん 日月神示 言の葉(神の御用と人の仕事) (15) 96/01/12 03:24  今回は、カミゴトとヒトゴトについて書いてみたいと思います。  まずは、日月神示からの引用です。   「神の御用と申して自分の仕事休むような心では神の御用にならんぞ、    どんな苦しい仕事でも今の仕事十人分もして下されよ。神は見通しざ    から、つぎつぎによき様にしてやるから、慾出さず、素直に今の仕事    致して居りて呉よ、その上で神の御用して呉れよ。」   「神で食うて行くことならんから、呉れ呉れも気をつけて置くぞ」  この言葉は、まずは宗教屋(神仏を利益追求に利用する人たちを、僕はあ えてこういう呼び方をします)を諌(いさ)めるものであると解釈できます。  神の使いだ、仏使いだと言って、あるいは神仏そのものであると言って、 まっとうな仕事もせずに、信者を募り、お布施をさせて、自分はそれで食っ ているような人間は、本当にダメだと思います。論外ですね(^^;。  神様の罰が当たりますね。  オウムのA氏なんかが良い例でしょう  でも、これだけではないと思っています。  それは、神様のお使いを実際にする人間に対しての警句であると言うこと です。  神様の御用、カミゴトを行う人間は実際に存在します。  それは、その人間の役割としての勤めであると考えられます。 しかしながら、人間はともすればカミゴトをすることが、何か神様に選ばれ たような気になって傲慢になってくる、そんな傾向があるように思います。 (そんな人間ばかりでは無いことは明記しておきます)  そうすると、なんでもかんでも神様の御用だと言うことで、自分の都合ま で神様のせいにしてしまうように成って、ついには自分の本来しなければな らない人間としての仕事を疎かにしてしまいます。 ここで言う人間としての仕事とは、労働はもとより、人としてしていくべき このごとを含んで言っています。  こうしてついには、ちょっとした能力が有る程度で慢心して、宗教団体を 興したりしてしまう…。  これを僕の亡き叔父は「神狂い」といっていました。  その叔父によく言われたことは、「神を信仰することは良いことだが、そ ればかりで人間の仕事を疎かにしてはならない、でないと人間としては狂っ てしまう。」と言うことです。  これを僕なりに考えて見ますと、まずは、人間としてやるべき事はきちん とこなしていく。人間として出来ていなければ、神様の御用も勤まらないと いうことですね。つまりは、ヒトゴトをしっかりやっていくことですね。  その上でのカミゴトであると思うのです。  それと神様の御用を言い訳にして、やるべきことをやらないのは、もって の外だと思うのです。 また、神様神様と言っている内に、実生活と乖離していって仕舞うでしょ う。人間は霊と肉で構成されていますから、どちらかに極端に偏ってしまう といろいろ狂ってくるものだと思います。  いくら霊主体従だからといっても、バランスが必要だと思います。  また、ある知人がこうも言っていました。  「カミゴトはボランティアみたいなもの。自分のことができて、その上で   残った時間などをカミゴトに精進すればいい」  僕のその通りだと思いますね。  その上、ボランティアだから当然無報酬、神で食うことはしません。  まあ、偉そうなことを書いていますが、  僕自身がヒトゴトをきちんとこなしているとは言えません(^^;。  ただ、日月神示の言葉を生活に活かせるように、心がけて行くことにして います。  頭で理解するより、実践していかねば、何事も進まないと思います。  では、また。                  まるにちょん、○ゝ - FARION MES(18):武道とは?  ★ 自分に勝つ! 96/01/12 - 02817/02820 CQE04277 九印 RE^4:第2弾テーマRT (18) 96/01/11 23:08 02815へのコメント #02815 アマデウス さん : >  なんでも、「ラマーズ法離婚」というのがあるそうですね。出産を目の > 当たりにした旦那さんが、ショックのあまりこの先一緒にやっていく自信を > 失って離婚に至るのだとか。(^^; あなおそろしや(^^;  立ち会わない方がいいんでしょうかね、父親は‥‥‥。自分ではどうしよう  もないですものね。  男性でも女性でも、強烈な感情は自分の糧になると、私は信じているの  ですけれど。「受け入れる」ことについては、女の方が優れているのかも  しれませんが、「打破する」ことに関しては、男性の方が断然勝っている  と思っていたのですが、私の思い込みでしょうか? その旦那さんは、  ショックをプラスに持っていけなかったんだろうと思いますが、離婚した  後、どうやって暮らしていくんでしょうか‥‥‥。  ところで。  「ラマーズ法」って、呼吸法ですよね。リズムに含まれるんでしょうか? CQE04277 九印 02818/02820 GCG01101 アマデウス RE:第2弾テーマRT (18) 96/01/12 00:46 02810へのコメント #2810 あもり さん >>  ちょっと話は変わりますが、黒沢明監督の「七人の侍」の中で、何人もの >>  人が殺されるありさまが描かれていますが、本当にあっけない。間際の >>  一言もなく、「ぐえ」とくぐもった声を最期に倒れていきます。 >>  「死」なんてこんなものでしょう。しかし、最近の映画やドラマなどは、 >>  本当に美化されていて、背景に薔薇の花束を散りばめたような長い一時で >>  「死」が饒舌に語りかけます。オオウソですね(^_^;   現在武道を実践している人でも、実際に真剣での斬り合いを経験した人は  いません。その意味で言えば、映画に描かれている殺陣も偽物に過ぎないん  ですね(演劇としての完成度とは別次元の話として)。最近の映画やドラマ  では、更に偽物度(?)が進んでいるということですね。   ホラー映画なんかでは、技術の進歩により人を切り刻む描写がより生々し  くなっていて、確かに怖いのですが、不満なのは「恐さ」が「恐さ」で終わ  ってしまっていることです。もちろん娯楽作品として作られているので当然  と言えば当然なのですが、人間をモノとして扱いすぎている分、ヒトのリア  リティ−−−自分にもいずれ訪れるであろう死の重みというか−−−が、  むしろ失われているような気がします。え、ホラー映画をそういう見方する  なって?(^^;ゞゴモットモデス   最近僕がアーティクルでよく引用している、「勝つ極意 生きる極意」  (津本陽著、講談社文庫)ですが、その中に、渡辺昇(現存の人物とは無関  係です(^^;)という幕末の武士が実際に斬り合いをしたときの経験談が紹介  されています。 :  幕末の大村藩士で渡辺昇という神道無念流の達人が書き残したものが : ある。渡辺はのちに京都府知事なども務めた人物である。渡辺が述懐して : いるところによると、斬り合いの朱鷺に「渡辺」と声をかけられて「なに : を?」と刀の柄に手を掛けたところまでは覚えているが、そのあとは全然、 : 意識がないという。ハッと気が付くと、血脂の乗った刀を手に以て立って : いた。相手は血を流して前に倒れている。「いったい俺はどのようにして : 相手を斬ったのか」と自問自答するような状態である。何度斬り合いをし : ても、いつも意識不明の状態だったと渡辺は述懐している。それが人間の : 真実の姿である。 (P31)   僕はこれを読んで、本当に怖いと思いました。僕だけかしらん。   九印さんが#2813で、次のようにおっしゃてましたが、 >>  恐さの後の、現状を受け入れるということには、かなりのエネルギーを >>  必要とするのではないかと思います。「恐い」という感情を自分のものに >>  してこそ、強さを発揮できるかと考えますが・・・(ちょっとドロ沼)。   本当にそうなのだろうなと思うのです。「恐さ」から目をそらすのではな  く、それを受けとめた上で昇華することに大きな意義があるのではないかと。  本当の強さというのは、そうしないと身に付かないのではないかなぁ、と、  これは知ったかぶりですね(^^;ゞ                              アマデウス 02820/02820 GBG02043 維/YUI RE^4:リズムねぇ・・・ (18) 96/01/12 02:02 02814へのコメント >無心の演技を続けているうちに、自ずと感じとれるものなのかな。維/YUI > さんの経験では、いかがでした? つい最近では、無心というよりか必死な人が多かったんだけれども・・・ね。 私は、なんとなく感じでわかるんです。 会場のざわめきとかってのは、もろ 五感でとらえたものだけども、それ以外に、なんだか空気にテンションがある んだって感じがしたり、何って言えないんだけど、役に没頭できる雰囲気。 台詞を言ったときの、聴き手の吸収力みたいのが、なんとなく肌でわかるんですよ。 それは、観客がひざをつき合わせて座るような小屋でもそうだし、千人以上 お客の入れるホールでもそう。 まるで、コンクリートの壁にぶつかったみたいに、冷たくはじかれてしまう ことがあれば、空っぽの空間を素通りしていっちゃうみたいなこともあって、 そういうのは、どっちにしてもダメです。 綿が水を吸い込むみたいに、すっと入っていくときは、気分もいいです。 客の視線、行動、表情を読んでいたら、芝居ができませんです、私はまだ。 う〜、言葉にしてもなんともあいまいにしか書けなくて・・・。ごめんなさい。 維/YUI - FARION MES(19):世も末ばなし ★ ぶっ飛び話・罰当たり話 96/01/12 - 786/786 QZY01267 猫の手 慌てないために (19) 96/01/12 12:58  そのときは来ちゃうの  何をしてようと  何もしていなくても  焦って騒ぎ立てようと  のんびり構えてようと  忘れていようと  憶えていようと  そのときは来ちゃうんだよね。    そのときを待ちわびるのもいい  そのときが来てしまうのを怖がるのもいい  そんなことは総て自分の選択だから。  そのときの準備のために食料を買い込むのも  シェルターを造るのもいいけれど、  きっとそんなものは役に立たないことを  そのときになれば分かってしまう。  「生きていて良かった。」と思うか  「死ねて良かった。」と思うか  そのときになってみなけれりゃ分からない。  僅かな食料を奪い合い生き抜くのだって  僅かな食料分かち合い生きるのだって  自らの選択だから  死んでしまったことを悔しがり  生きている人々を妬むのも  肉体に縛られなくなったこと悦んで  旅立っていくのもだって  みんな自由だから  その自由をどう使うか  みんな勝手なことだから  何をしようが  どうしようが  元々自由  周りの誰が何を云おうと  どうするかを選ぶのは  みんな自分の自由。  総て自分で選ぶこと  実はね、  恐れの向こう側にあるのは  いつも、いつも玉手箱  悲しみを越えた向こうにあるのは  歓びのとき  怒りを昇華した先にあるのは  やすらぎのとき  悪感を流し去り  いたわりが生まれる。  本当は何も逃げまどわなくても良かったの。  本当は何も怖がらなくても良かったの。  恐いものがある限り  幸せには成れないの。  嫌悪するものがある限り  幸せには成れないの。    もしそのときが来たときする事は、  もしそのときが訪れたとき大切なのは、  どう生き残るか、  どう切り抜けるかということじゃない。  ただそれを受け入れるだけのこと。  ただそれを受け入れて、  その流れに身を任せ、  その流れのままに波に乗る。  その流れを受け入れて、  その流れに身を預け、  その流れた先には玉手箱。    その玉手箱  私は手にすることできるだろうか?  強く握りしめてる拳を弛めてごらん。  弛めた分だけ楽になれるから。  そのときが来たとき、  握りしめている分だけ、  受け入れること難しくなるでしょう。  握りしめてる分だけ苦しむでしょう。  流れに乗る唯一の方法は  力を抜いて、ただ力を弛めて  その流れに身を任せるだけのこと。  どんなに落っていったとしても  その先にあるのは玉手箱  何が出てくるか玉手箱。  きっと私もその玉手箱  手にすること出来るから。  安心して拳を弛め、  肩の力を抜いて  身を任せて良いんだよ。     ** QZY01267/『猫の手』 <96/01/11 22:45:20> **