焚き火に集う民の一人は「あなたがこちらに来れば良い」と答えた - FARION MES( 6):ハロー・メッセージ ★ 今日のハロー・メッセージから 96/01/14 - 00572/00577 NBB01420 SUKE 背後の人 ( 6) 96/01/13 23:00 コメント数:1 >>背後から「皆さん、私の前に焚き火を移してくれませんか」と声が これで、何故背後の人が焚き火に当たりに出て来ないかわかりました。 自分から動くのがいやなんですね。 何かして貰おうとしている自分が、実はひどく甘えた存在であることに気付い ていないのかも知れません。 凍えると言うことが、即ち自分で身動きできない事なのかどうか微妙だなと思っ ていたんですが、自分が凍えないために「みなさん」を動かそうと言うのは、 我侭身勝手も良いところ、ここまでわかってようやく、「可哀想だ」と言う発 想は無くなるのではないでしょうか?                        (-_-;)…☆ッテナモンダ Suke. 00575/00577 KFQ02761 しまうま RE:背後の人 ( 6) 96/01/14 11:50 00572へのコメント #00572 SUKEさん  こんにちはぁ(^^)。 :何かして貰おうとしている自分が、実はひどく甘えた存在であることに気付い :ていないのかも知れません。  うーん、確かに(^^;。自分のしていることに自覚があれば、きっとあんなこ と言えないですよねー。  自覚してないだけに、本当にタチが悪いと思います。 96/01/14 焚き火に集う民の一人は「あなたがこちらに来れば良い」と答えた  という、民からの声に、背後の人がどう答えるか、また明日が楽しみですね(^^)。   しまうま(KFQ02761) 00576/00577 KFQ02761 しまうま RTへのご参加ありがとうございましたm(_ _)m ( 6) 96/01/14 11:51  12日のRTにご参加いただきました皆さま、どうもありがとうございまし たm(__)m。お陰様で盛況のうちに終えることができました(^^)。  いやあ、盛り上がりました(^^;。RT開始の直前に書き替えられたHM、 :96/01/13 背後から「皆さん、私の前に焚き火を移してくれませんか」と声が  のお陰で、ほとんど「背後の人」こき下ろし大会と化し、「なんだあの態度 は」「ふざけてやがって」とか「あれは甘えと言うよりも一種の傲慢だと思う」 とか、しまいにゃ「はり倒すしかないわね」などと、物騒な会話も交わされた りしました(^^;。  しかし、そのうち「この背後の人みたいな部分って、もしかして自分の中に もあるのでは?」みたいな意見も出はじめ、やはり他人事として見ているだけ では自分の成長につながらない、というような話もありました。  まあ、結論としては「背後の人」はひとまず放っておくのがいちばん、とい うことになりました。手を貸すことが甘えを増長させることになっては意味が ありませんもんね。  というわけで、次回もたくさんの方々のご来場を心よりお待ち申し上げてお ります(^^)。 しまうま(KFQ02761) 00577/00577 KFQ02761 しまうま 自分の中の“凍えている人”など ( 6) 96/01/14 13:42  天使、というと「温雅」「神様からの恩恵の仲介役」「愛の伝達役」みたい な、柔らかめのイメージを抱いている人が多いと思います(僕もかつてそうで した)。  でも、この一連のメッセージを読んでいると、どうやら違うみたいですね。  冷徹で、融通が利かなくて……。この“凍えている人”にしてみれば「なん で優しく招き入れてくれないんだ。そうすりゃ万事丸くおさまるのに」と、天 使に悪態のひとつもつきたい気分かもしれません。  しかし、この冷徹な態度こそ“凍えている人”に対する天使の愛情なのでし ょう。安易な同情と手助けは“凍えている人”をますますスポイルします。  こうして客観的に見れば「“凍えている人”の振る舞いは非常に変である」 ということがよくわかるけれども、灯台もと暗し、案外似たようなことを気付 かずに自分でやっていることも多いのではないか、という意見が、先日のRT で出されました。  そこで、ちょっと振り返ってみて、自分の中に“凍えている人”がいないか どうか、チェックしてみようと思います。  うーん。もうずいぶん昔のことになりますが、小学校の頃に、好きな子に対 して、授業中、後ろの席から消しゴムのカスを投げつけたり、変なあだ名をつ けてからかったり、差出人を書かずにラブレターを出したりしていました。  まあ子供のすることだからこんなもんか、とも思いますが、「相手にかまっ てほしい」「でも『かまってくれ』とは言えない」「だから思わせぶりな態度 をとる」という行為は、まさしく“凍えている人”の行為と重なると思いまし た。  あ、そういえば今思い出したけど、RTの中で「背後の人が『焚き火を私の 前に移してくれませんか』と言えたのは、今までに比べて進歩した、と言える のではないか。なぜなら『凍えています』という思わせぶりな言葉ではなく、 『自分はこうしてほしい』という明確な意志を表明できたのだから」という意 見も出ていましたね。  話が脱線しました。ええと、ほかに自分の中にある“凍えている人”的要素 としては……。  例えば、相手がやってほしいと思っていることを「できない」「やりたくな い」という時は、はっきり「できません」「やりたくありません」というので はなく、「うーん、どうかなあ……やろうと思ってできなくはないと思うけど ……頑張ってみましょうか。でも、どうかなあ、できるかなあ」などと、言外 に匂わせたりする癖があります。  仕事上のつきあいでは、そういう言い方が社交辞令の一種で「お断りの文句」 として相手にも明確に認識されるから、それでいい場合も多いと思います。で も、そのままそれが習い性になってしまって、友人の間でもこれが出るようだ と、まずいなあと思います。“雰囲気でわかってもらおうとする”という意味 では、これも“凍えている人”ですね。  なんか話が散漫になってしまいました(^^;。また思いついたら、自分の中の “凍えている人”を出してみようと思います。  皆さんも、もし自分の中にいる“凍えている人”に気付いたら、簡単でけっ こうですので書いてみてくださいね。案外表に出してやると、暖まってしまう かもしれませんし(^^)。   しまうま(KFQ02761) - FARION MES( 8):恋愛錬金術  ★ 愛と性を本音で語る 96/01/14 - 01318/01319 SDI00635 みれ RE:RE^2:「子供を作る」ということ ( 8) 96/01/14 04:02 01311へのコメント コメント数:1  #01311 しまうま さん  そういえば、昔見たTV番組だか映画だかなんだけどね。  アフリカの方でも、大地に男根を突き立てて豊穣祈願をするというのがあり ましたよ(^^;)  でも、棒とかじゃなくてモノホンの男性自身を、大地に掘られた穴に入れる という、正に文字通り大地と性交するという、かなり凄いものでした。見てい て、あれじゃ怪我するよぉ…とか思った覚えがあります。  でもアフリカの乾いた大地に砂塵が舞う中での儀式には、切実なる豊穣への 願いが表れていて、決して笑えなかった覚えもあります。  人は大地に働き(交わり)、神との契約の証しである作物を手にする…とい うのが原初からの自然な姿なのかも知れませんね。今は昔…という感じの話に なりつつあるのが悲しいですね。 ・:*:・みれ・:・。,★ 01319/01319 KFQ02761 しまうま RE^4:「子供を作る」ということ ( 8) 96/01/14 11:51 01318へのコメント #01318 みれさん  こんにちはぁ(^^)。情報をどうもありがとうございますm(__)m。 : でも、棒とかじゃなくてモノホンの男性自身を、大地に掘られた穴に入れる :という、正に文字通り大地と性交するという、かなり凄いものでした。  うひー(^^;。これはモロに直接大地と交わる儀式なんですね。  「割礼」の話を初めて聞いたときは、ワア痛そうと思いましたが、こちらの 儀式もかなりのインパクトがあります(^^;。 : でもアフリカの乾いた大地に砂塵が舞う中での儀式には、切実なる豊穣への :願いが表れていて、決して笑えなかった覚えもあります。  うーん、なるほど。貧しい土地に少しでも稔りをもたらしたいという意志と 祈りに基づく儀式なんですね。そう思えば、鬼気迫る……というよりも、何か 厳粛な気持ちで行われるものなんだろうなあ。  その行為だけを取り上げて、日本の常識に照らし合わせて見れば、なんだか 異常な光景ですが、「儀式に込められている神(地母神?)への真摯な思い」 という面では、僕なんかよりずっと正統派なのかもしれない、と思いました。 : 人は大地に働き(交わり)、神との契約の証しである作物を手にする…とい :うのが原初からの自然な姿なのかも知れませんね。今は昔…という感じの話に :なりつつあるのが悲しいですね。  そうですねー。そういえば最近のHMに、 :96/01/05 「あなた方、今年の為に柴をもっと持ちよりなさい」と天使。  というのがありましたが、今年こそは、一人一人が「自分の持てる精一杯の もの」を、各々の「焚き火」に相当する場に、神様への感謝と祈りを込めて持 ち寄る必要があるんだろうな、と思いました(^^)。    しまうま(KFQ02761) - FARION MES(13):神秘学遊戯団 ★ 限りなき神秘への航海 96/01/14 - 04179/04185 GGD03030 《 隆 》 自分の尺度で生きること (13) 96/01/13 18:11 04165へのコメント  KAZEさん、こんにちは。    >でも考えてみれば、いいわるいに限らず、現代では経済というのは  >もっとも影響力をもっていますから、それだけに、そういう方面に  >人材が集まりやすいのかもしれませんね。  そうかもしれませんね。ひょっとすると、人材が集まると言うより、ある意味  では、人材が育つのかもしれませんよ。経済界というのは、政治家、医者、教  育家などの「ぬるま湯」の世界(なんて言ったら叱られるかもしれませんけど)  と違って、ほんとうに実力だけの世界という側面がありますから・・・。    今、こっちでは朝、「あかんたれ」(大昔のTVドラマ)をやってるんですけ  ど、そこで描かれる花登筐さんの世界は、すさまじいものがあります。もちろ  ん、お話ですから、かなりの脚色や誇張はありますけど、当たらずも遠からず  でして、その徹底的な「商人魂」というのが、少なくとも昔はあったんだそう  です。あのエネルギーというかバイタリティは凄いですし、儲けるためには、  なんでもするという姿勢は、勉強になります。    儲けるためにはなんでもする御仁は、今でも一杯いますが、本当の商人は、商  人としてのプライドをちゃんと持っている。仁義があるんですよね。それはま  さしく「良心」なのですが、最近の世の中は、トータルな視点どころか、最低  限の良心さえもない「偉い人」(政治家、医者、教育者、役人、末は博士か大  臣か・・・アァ、コリャコリャ)が多くて困ったものです。ハナシガ、ワキニソレテシマイマシタ(^_^)ゞ    >いや、それよりも、多くのひとが「心的フォロー」を大事に思うことが先で  >そうならなければ医療のあり方も基本的に変わらないのかもしれません。  僕もそう思います。お金にならないというのも、そういう需要が、そもそもな  いからかもしれませんものね。    >しかし、新興宗教は別としても、「心的フォロー」のできる精神科医って  >どれだけいるのでしょうか。  さあねぇ。僕は神経科のお医者さんしか知りませんが(どっちも似たようなも  のだと思いますけど)、結構、唯物論的にものを考えるかたが多いと思います。  まあ、普通の内科医よりはましですけどね。心や精神が病むという事実だけは  認識してますから・・・(^^;)。ただ、その治療法はやはり対処療法が多くて、  「心的フォロー」までやってるかたは少ないんじゃないでしょうか。精神安定  剤とか催眠剤も無用ではないと思いますけど、それだけではちょっとまずいで  すよね。薬を処方しておけば、それでよいという事は絶対ないはずですからね  え・・・。    ちなみに、新興宗教は論外です(^^;)。もちろん、真面目に(法治国家の一員  として、法律を犯さず生計を営んでいるというような意味です)やってる人た  ちもいるんだろうけど、これだけ新興宗教の破廉恥な事件が度々報道されてる  のに、「まぁだ、懲りないか!」って感じてしまいます。  鈍いんだろうか???!!!。    >特に二十代は、わかりたいことがわからない煩悶の日々って感じでした。  その当時は「まあ、いっかぁ」っていう感覚はなかったんですか?。今も変わ  らないのだけど、僕は昔から脳天気なところがあったので、悶々とすることは  少なかったです。悩んでいても、すぐ悩むのをやめてしまうような・・・だか  ら進歩がないという気もしますが・・・(^^;)。    >で、最近、けっこう燃費がよくなってきたかなと思うのは、  >その思考のじたばたした動きがなくなったというのでは決してなくて、  >そのじたばたした動きを、ちゃんと自分で意識的に  >追えるようになったからではないかという気がしています。  ふうむ、そういうもんなんでしょうか。僕はまだ、自分のじたばたを冷静に追  えるような状況にはないので、ちょっとわかりませんが、そうなれるように努  力してみます。    >吉永小百合っていうひとのすごさは、なんでもちゃんと受けとめることと、  >それを表現するときの美意識にあるんだなということでした。  それはわかるような気がします。女優としての吉永小百合さんを、僕は好きじ  ゃないんですけど(^^;)、「あのきれいさは一体何なのだろう?」とは思って  いました。あの人の人間としてのきれいさっていうのは、そういう所からきて  いるんですね、きっと。    >悩みやジタバタや恥ずかしさなどを自分でちゃんと受けとめられて、  >それらを「これがわたしの悩みやジタバタや恥ずかしさです」と提示できて  >そしてそれが開き直りにならない。  よく「自分に素直になりなさい」とか「自分に正直になりなさい」といいます  が、結局はこういうことなんでしょうね。僕の言葉で言うと、「スケベ心」は  あってもいいけど、「変なスケベ心」は捨てたほうがよいという事でしょうか。    吉永小百合さんに比べると、大変卑近な例で申し分けありませんが、僕は最近  同じような感覚を「じゃりん子チエ」の竹本哲に見いだしています。粗野で、  バクチ好きで、子供で、もうほんとにどうしようもない、本能だけで生きてる  ケダモノのようなキャラクターですが、それでもみんなに愛されて生きている。  まあ、マンガのお話の中の事ですけど、どうしてかなと考えると、それは彼が  自分に正直に、そして自分の尺度で生きてるからなんですよね(多分)。彼は、  どっからみても、困ったおっさんですが、そういう自分の尺度で生きるってい  うスタンスは大事だなぁなどと思いながら、娘達とビデオに撮った「じゃりん  子チエ」を見る今日この頃です(^^)。    >とくに大事なのは、後者の「無知の知」のほうなのですが、  >それは知ろうとする努力というのが前提にあるのだと思います。  そういうことですよね。「知ろうとしない人は、自分が知らないことを知らな  い」(変な日本語(^^;))ってな、けったいな事になってしまいます。    >大事なのは、そうした失敗や欠点を虚心坦懐に認める勇気のように思います。  これが、なかなか凡人には難しいのですが、少しでもそういう勇気が持てるよ  うに心したいものです。隠そう隠そうという「変なスケベ心」を持ってても、  疲れるだけですしね。    >それは、失敗や欠点を認める勇気をだしたあとのことですよね。  >認めはしたもののその後、それを補う努力がないとしたら、  >そのせっかくの勇気は無意味になります。  こうして、色々考えると、(まっとうに)生きるということは大変なことです。  まさしく立派な修行とも言えそうですが・・・この修行場を「現世」と称して  新興宗教に逃げ込んで、出家して、修行すると言いながら惰眠を貪ってる(覚  醒しているとは思えない)奴等の頭の中には、一体何があるんでしょうかね。  なんもないんだろうけど・・・。マァダ、コリネエカ!(^^;)    >ですから、ぼくも自分が気づけずにいることをできるだけほじくり返して  >今の内にそうした数々の問題をクリアしておきたいと思っています。  >でも、そういうのってかなり辛いことが多いですから苦しい^^;。  確かに苦しいですよね。病気の苦しさというのとは、また違うんでしょうけど、  病気になって苦しむのは、この自分を見据える苦しさから逃げてるからかもし  れないなぁと思うことがあります。だからといって、見据えりゃ病気が治るの  かと言われると、そうはいかないので困るのですが(そう簡単に自分を見据え  ることはできませんから(^^;))、僕自身は、その自分を見据える努力を続け  たいと思っています(^^)。    >ただ心配なのは、ちゃんと「組織なきネットワーク」していけるための  >ちゃんとした「個」としての自覚をもった方が飛躍的に増えるかな、という  >ことで、そうした方がふえていけば、おのずとマスコミも変質していくはず  >なんですよね。  それはそうですね。今のマスコミのお下劣さというのは、ひとえに「視聴率至  上主義」の産物で、その原因の半分は視聴者にある訳ですから、ネットワーク  が発達しても中身は同じってことになりかねません。そうならないようにする  には・・・やっぱり一人一人の自覚しかないですから、まずは自分の姿勢をた  だして・・・あとは祈るのみでしょうか(^^;)。    >両手のひらを合わせるというのも感情を鎮める働きがあります。  そうか、そういうのもあるんですね。今度やってみます(^^)。    >どんなに怒りがこみあげても、深呼吸をして手を合わせる余裕さえあれば、  >それだけで感情の嵐のなかに、光が差し込んできます(^^)。  そうありたいものです。魂がほんとうに怒っているのなら、それはそれで良い  のですが、自分の身勝手からくる感情のもつれが原因の怒りは、単なる自己満  足でしかありませんから、心せねばなりません。                              by 隆ちゃん 04184/04185 KFQ02761 しまうま 日本人の集合無意識のようなもの (13) 96/01/14 10:45 04175へのコメント #04175 KAZEさん  こんにちは〜(^^)。 :かつてのように地縁血縁による村八分的なものをつくってしまうもとでもある :その場の「空気に従う」あり方が「マス」にシフトしただけなのではないかと :ぼくは思っています。  あ、なるほどそうか、と思いました。「周囲の言っていることを鵜呑みにす る」という体質は以前からあったもので、その「周囲」の範囲が以前は村単位 だったのに、マスコミの影響力が増大するにつれて国単位になってしまった、 というだけなのかもしれませんね。うーん、これが表目に出れば「団結心が強 い」とか「逆境に一団となって立ち向かう」という感じになるのでしょうけれ ど、裏目に出た時に「何も考えずに時流に流されてしまう」ということになっ ちゃうのでしょうか。 :しかし、朝日を読むと、「自己正当化を目指す良識」とでもいう :わけのわからない、日本人の集合無意識のようなものがよく把握できます。  こちらもなるほどです。新聞から単に情報を得るだけでなく、その新聞にか かっているフィルターを意識しながら読むことで、いわば“一粒で二度おいし い”味わい方ができる、という感じですね(^^;。 :「やまだくん」は大好きなのですが、ああいう家族関係というの、 :あれもある意味では集合無意識的な日本人の典型がベースにあるようですね。 :ぼくは思うのですが、ほかは別としてあの夫婦関係。 :どうしてああいう関係が夫婦なのでしょうか。  そういえばそうですねー。日本の新聞の4コマに出てくる家族の夫婦関係っ て、たいていあんなもんですね。お父さんはちょっとぐうたらで、お母さんは それに愛想を尽かしつつも、なんとか主婦の仕事はこなしてる……みたいな。  確かにあれじゃ“愛情に基づく関係”とは言い難いですね。 :そういう意味で、ぼくはどうも、物心ついてから、 :この日本に舞い降りてきた宇宙人のような感覚に襲われることしばしでした^^;。  うーん、そうだったのですか。  僕はどちらかといえば順応性がありすぎて、主体となる自分があやふやで、 もっと確固たる自分の意志、在り方、みたいなのを身に付けたいなあ、と思う ことが多いです。もしかして正反対なのかもしれませんね(^^)。   しまうま(KFQ02761) 04185/04185 KFQ02761 しまうま RE^2:中道論3●不苦不楽の中道 (13) 96/01/14 13:42 04176へのコメント #04176 KAZEさん  またまたこんにちは(^^)。 :しまうまさんは、苦や楽が、なんだ坂こんな坂、って感じであって :その後にオアシスがあって喜んで、また今度は竜巻が襲ってきて・・・ :っていうような波乱の人生をお望みのようですね^^;。  確かに、そんな傾向はあるかもしれません(^^;。いわゆる一般的な意味で言 う「幸せ」というのは、僕の場合「苦難を乗り越えたあとの一休み」みたいな ところにあるような気がしています。  「苦難の最中の充実感」というのもあるのですが、それはいわゆる「幸せ」 という言葉ではくくりきれない、という感触です。 :また、通常の「楽」は「楽」であるけれどもその本質が理解されていない。 :実は、それらは「無常」なものであって、「空」なのだということが :感得されていなければらない、と。  うーん、この「空」という概念も、実はあまりよくわかっていないものの1 つです(^^;。「楽」にも「苦」にもとらわれない、という感じなのかな……と いう気はするのですが、あくまで「気がする」だけです(^^;。 :ですから、矛盾から逃げるために「苦」を選択したり、 :はたまた「楽」を選択したりというのでは、進歩がない。 :だから、その両者の矛盾に橋を架けて統合していくという道が :「中道」だということもいえるのだと思います。  なるほど、そうですね。「苦」ばかりを選択することも、「楽」ばかりを選 択することも、矛盾に満ち満ちた現実を直視しない、という意味では現実逃避 に変わりない、という感じでしょうか。  言い換えれば、自分を責めてばかりいることは、自分を甘やかしてばかりい るのと同じようなものだ、ということになるのかもしれませんね。 :お釈迦さんをはじめとして、数々の名僧の伝記でも読まれると、 :そういうイメージとはまったく違った、 :激しい生の燃焼が仏教の本来の姿だということがおわかりになると思います。  うう、確かに、よく知りもしないで「なんとなくこんな感じ」みたいな先入 観が多く混じっているような気がします(^^;>僕の“涅槃”観。 :では、今後も少しずつ中道についてお話していきますので、 :気が付いたこととや感想などありましたら、よろしくお願いします。  楽しみにしています(^^)。こちらこそ、よろしくお願いいたしますm(__)m。   しまうま(KFQ02761) - FARION MES(14):預言解読村  ★ 預言・予言は何を語るか 96/01/14 - 03568/03569 PAG03134 はな RE^2:輪読会について (No.2) (14) 96/01/13 22:23 03565へのコメント TAO さん >>どうも(^^)。「AMA族の系譜」等のデータライブラリに入っているAMA族関連 >>の資料は、結構量がありますので、長期的に取り組んだ方がいいのでは無いかと考 >>えています。9番では、基本的にはAMA族について良く知らない読者の方々にも >>徐々に理解して貰えるように、第一章から順々に進めて行こうと考えています。  TAO さんのお考えに賛成です。私が特に重要視しているのは「基本的にはAM A族について良く知らない読者の方々にも徐々に理解してもらえるような」とい う点です。  アリオン預言を解くために「出雲族と日向族」について予備知識があるといい なぁと思い、今回の企画を立てました。  9番で「AMA族の系譜」を徐々に進めていただく傍ら、預言村では「出雲族 と日向族についてアリオンはこんなことを話しています。出雲族と日向族につい て参考になる本の一冊に中矢さんの著作があります」と、私がこの会議室で少し ずつ、ご紹介していくパターンもいいかなと考えています。                               はな 03569/03569 PAG03134 はな お知恵拝借RTありがとうございました (14) 96/01/14 01:00 お知恵拝借RTご参加のみなさま  第1回お知恵拝借RTに参加いただきましてありがとうございました。  内容は編集して、14番に報告するつもりです。なお、14番に発言者 匿名にてアップすることは、RT参加者の同意を得ていることを、付け加 えさせて頂きます。  またのご来場(ご来村?)を、心よりお待ちしております。(^^)         はな - FARION MES(15):マホロバ誕生 ★ 大和魂復活のために 96/01/14 - 00450/00454 GBB03425 Paper Birch RE:「サンクチュアリ」語録(3) (15) 96/01/13 22:52 00440へのコメント アマデウスさん、こんにちは。 |  理想を現実のものとするためのエネルギー源として、このような「感動」 | 「情熱」は欠かせないものだと思います。理想とは、「夢」と言い換えても | いいでしょう。今日では、会社でも学校でも社会でも、「夢」を語れる場と  「感動」や「情熱」も、方向を間違えると、ヒットラーのようなファシズム の熱狂になってしまうのは困りものです。しかし根底に理性的な“まなざし” が有れば、そこから本当に素晴らしいものが生まれるはずですね。  そういう、感動を与えてくれるものの一つとして、僕が16番会議室で紹介 させていただいている『シルバーバーチの霊訓』があります。しかも、シルバ ーバーチは「理性」を強調していました。本当にバランスの取れた、誰にでも 勧められるものであると思っています(^^)。  しかし、実はもう一つ、それとは全く傾向は違いますが、いつか紹介したい と思っていたものがあります。(霊言ではないですよ)  それは、民族派(新右翼のと言った方が通りがよいかもしれませんが)の思 想家、野村秋介さんです。僕は、必ずしも彼の思想の全てに同意するものでは ありません。しかし、彼の情熱や、日本を愛する心は、本当に深いものだった と思います。現代の日本にもこんな人間がいたのだということを、一人でも多 くの人に知って貰いたいと思います。  で、これは15番会議室向きだと思いますので、そのうちこちらでご紹介し ていきたいと思っています(少しばかりサンクチュアリ語録に感化されていま す(^^;)。ま、しばらく先になるかもしれませんが、取りあえず今日は「予告」 ということで…(^^)。 では、また。 △▼△ Paper Birch △▼△ 00451/00454 GGA02514 KAZE 度量 (15) 96/01/14 01:18 00446へのコメント まるにちょんさん、どうも。 まるにちょんさんの話されていることはとっても共感できるところが多くて ほんとうはたくさんレスをつけたいところなんですが、 機会を逸してしまっていました。 でもって、せっかく「日月神示」がでてますので、この機会にと思い、 少しコメントさせていただくことにしました(^^)。 >  「人が悪く思えたり、悪くうつるのは己が曇りているからぞ」                         (日月の巻 第三十四帖) これについてぼくがよく考えているのは、 たとえば、いかに自分が正しいと思い、たとえそうであるとしても、 少なくとも、「人が悪い」と思っているのは自分で、 自分がいなければ、「人が悪い」という思いも存在しないということです。 ま、当然だといえばいえますが、この当然に鍵があるように思うのです。 自分がいるからこそ、いろんな受け取り方をする。 もちろん、自分がいないほうがいいというのではなくて、 自分にそう映っているということを見つめることを 忘れないようにしなくてはいけないな、ということなのです。 それから、「郵便ポストが赤いのもみんな私が悪い」・・・とかいう 冗談のような、少し自虐的な表現もあったりしますが、 よくよく考えてみれば、「どれだけ責任がとれるか」によって その人の器が決まってくるということがいえるのではないでしょうか。 そういう意味では、神はすべての責任を抱き抱えている存在である。 そういうことがいえると思います。 「度量が大きい」という言葉がありますが、神は途方もなく度量が大きい。 ですから、自分があれこれとつまらぬことでいい悪いを決めたり、 逃げたりしていればいるほど、神から遠いということもいえます^^;。 > それと、「自分のことを分かってよ」と言うときは、相手の姿を自分の寸法 >に無理矢理合わそうとするもので、これも相手の姿が性格には映らない。 >この場合。「分かってよ」と言う「甘え」が曇りとなっているのです。 これも、度量の大きさのあるかないかで考えてみると、 相手に受け入れてくれというのは度量がないということで、 それが「甘え」だともいえます。 「分かる」のは自分ではなく相手だというのは、 考えてみれば、ものすごく稚拙なことですよね。 そういう意味では、神はすべてを分かっているしすべてを受け入れている。 とりあえず、少しだけコメントしてみました(^^)。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 00452/00454 GGA02514 KAZE 半神でなく全人に (15) 96/01/14 02:11 00447へのコメント まるにちょんさん、どうも。 続いて少し。 》 これを僕なりに考えて見ますと、まずは、人間としてやるべき事はきちん 》とこなしていく。人間として出来ていなければ、神様の御用も勤まらないと 》いうことですね。つまりは、ヒトゴトをしっかりやっていくことですね。 》 その上でのカミゴトであると思うのです。 ぼくにはカミゴトというのはよくわかりませんが、 ぼくの好きなシェーンベルクという音楽家に 「人は全人であろうとせずに、半神になろうとする」 という内容の言葉があります。 シェーンベルクは、シュタイナーの影響を強く受けた人でもあるのですが、 それはともかく、この言葉は、 ヒトゴトをろくにしないでカミゴトをしようとするというようなものでしょうね。 しかし、神さん大好きというのは、容易に自分が神になりかわろうとしたり、 自分が神から特別な役割を与えられているとかいうふうに思い上がったり、 そういうことに転化しやすいですから、気をつけたいですね。 ぼくは、エゴいっぱいの人間ですから、無明もいっぱいですが、 だからといって、ヒトゴトしかできないわけですから、 そこで頑張るしかないと思うんですよね。 ま、カミゴトに縁がないというのもありますけど^^;・・・。 でも、あったらイヤだな。 たぶん、逃げるでしょうね^^;。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 00453/00454 KHC01313 まるにちょん 日月神示 言乃葉(借銭) (15) 96/01/14 02:18 コメント数:1  引き続きまいりましょう、今回は借銭がテーマです。     「祓いせよと申してあることは何もかも借銭なしにする事ぞ。    借銭なしとはめぐりなくすることぞ、昔からの借銭は誰にもあるのざぞ、    それはらってしまふまでは誰によらず苦しむのぞ、人ばかりでないぞ、    家ばかりではないぞ、国には国の借銭あるぞ。世界中借銭なし、何しても    大望であるぞ。今度の世界中の戦は世界の借銭なしぞ、世界の大祓ぞ、…」                           (地(クニ)つ巻 第8帖) (借銭)  日月神示では、よく祓いせよ、とか身魂(ミタマ)の掃除をしなさいとかがよく出 てきます。  それは何故かというと、人はメグリを持っているからです。 これは簡単に言えばカルマ(過去世での業)のことでしょう。 これを日月神示では、借銭と読んでいます。  僕風に言うと、心に垢が溜まっている状態です。(^^;  このカルマや心の垢がある内は、心の鏡は曇ったままで、正しく映すことがで きないし、その為に苦しむことに成るわけです。  僕にも多くの垢が心に溜まっていて、これを少しづつ洗い流そうとしています。  例えば、時間にルーズなところ、これは大変はた迷惑なことですが、遅れて取 り返しの付かないこともあったりして、痛い目を見たこともあります。  時間にルーズなのは、自分の都合しか考えないことで、これは「我よし」な訳 ですね。こうした事を続けると心に垢が溜まってくるのです。  最近は注意して改善しつつありますが…。  話を元に戻して、  借銭・メグリは、人間だけではなく家にも国にもあると言っていますね。  家の借銭とは、先祖のカルマ、その家の血統と霊統に絡む悪業因縁みたいな ものではないかと考えます。  現に僕は、先祖の因縁を経験させられました。  また、国の借銭とは、その土地に宿るの霊的なものや磁場、民族の持つ因縁 みたいなもの(民族魂のもつ性質?)、あるいは国家として為してきたことへ の因縁だと考えます。 (借銭を無くすこと=祓い)  借銭を無くすのは、おそらく並大抵の事ではないと思います。  しかも、世界中が借銭のない状態にならなければいけない時代にとなってき ているように思えます。  だからこそ、”戦”と表現して、借銭を無くす為自ら”参戦”しなければな らない時だと思います。僕自身問題を多く抱えていますが、これを放置して置 いていい時ではないと実感しています。この借銭を祓う為の戦いをしなければ いけない、そう思います  では、そうしたら借銭を払う=メグリを祓うことができるのか?     「…神主お祓いの祝詞あげても何にもならんぞ、お祓い祝詞は宣(ノ)るのぞ、    今の神主宣ってないぞ、口先ばかりぞ、…臣民の心にはきたなく映るであ    ろうが、それは心の鏡くもっているからぞ。悪や学にだまされて肝心の祝    詞まで骨抜きにしているではないか、これでは世界はきよまらんぞ。    祝詞はよむものではないぞ、神前で読めばそれでよいと思うているが、    それ丈では何にもならんぞ。宣るのざぞ、いのるのざぞ、なりきるのざぞ、    とけきるのざぞ、神主ばかりでないぞ、皆心得ておけよ、神のことは神主    に、仏は坊主にと申していること根本の大違いでぞ。」  頭で分かっていても、それだけではだめで、身魂を綺麗にしようとする実践無 しに借銭祓いはできないでしょう。  「祝詞を読む=口先だけの改善を言う」のではなく、  「祝詞を宣る=改善を実行する」ことだと言うことです。  借銭を祓うこと、身魂を洗濯し磨くことを心から神に祈り、自分にも願う、  そして、「祈りそのものに成りきること=実行していくこと」、  ついには「溶けきること=意識しないでも行動がそのまま借銭祓い」であるこ とです。  みんなが心がけて置かないといけない、各自一人一人が自分の借銭を祓うこと によって、家の、国の借銭も無くなって行くように思われます。  では、また。                    まるにちょん、○ゝ 00454/00454 GGA02514 KAZE 借銭から投資へ (15) 96/01/14 03:54 00453へのコメント まるにちょんさん、どうも。 また、引き続いてどうも。 「借銭なし」について、少し感じたこと。   >>  「祓いせよと申してあることは何もかも借銭なしにする事ぞ。 >>   借銭なしとはめぐりなくすることぞ、昔からの借銭は誰にもあるのざぞ、 借銭というのは、いってみればマイナスのカルマ形成で それを返さなければならないということですよね。 で、素朴な疑問なのですが、「貸し付け」「投資」なんてことに関しては 日月神示にはなにかあるのでしょうか。 というのも、カルマというのは、単に「借銭」だけではなくて 未来投資型もありますから、そこらへんのビジョンというのは なにかあるのかなと感じたわけです。 それとも、「めぐりなくする」ということは、 未来投資的なとらえかたも一種の「めぐり」ですから、どうなのかなと。 たとえば、「教育」というテーマがあるとすれば、 それは「カルマ」の借財的な部分を未来投資型に転化することですから たんに「祓い」するだけでは足りないような・・・。 日月神示はかなりダイナミックな神示ですから、 そこらへんのことについてなにかあるかなと思い そこらへんの部分について、教えていただければと思ったものですから。 ということで、お暇な折りにでも、よろしくお願いします(^^)。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ - FARION MES(16):■特設会議室 ■ シルバーバーチを語る 96/01/14 - 246/246 GBB03425 Paper Birch カルマについてなど (16) 96/01/13 22:52 208へのコメント 矢口俊司さん、こんにちは。  結局、妻の実家に2泊もしてきてしまいました。スキーは、大雪のために心 配した家族の猛反対にあって、行くのを断念しました(;_;)。まー、仕方がな いですね。でも、注文していたスタッドレスタイヤも届きましたし、再来週に は必ず行くつもり(^^)。  さてさて、留守にしている間に#236へのコメントをいただきましたが、それ へのレスを書く前に、#208へのレスを書かせてくださいね。…順番にしないと 分からなくなってしまうんです(^_^;ゞ。  ツーワールズは、矢口さんのおかげで申込書を送ることが出来ました。年末 年始の郵便事情は分かりませんが、それでも12月28日に送りましたから、 そろそろ向こうにも届いている頃でしょう。果たして無事に受理されて、うち に届くようになるのか? 楽しみです(^^)。 | また、ハリー・エドワーズとシルバーバーチの話の中で、カルマの問題が |出ていたかと思うのですが、僕はカルマについては全く解らないし、自分の |中では、カルマの法則と言われる物は存在しないのではないか、否、存在し |ないで欲しいと思っていますが...(後の思いの方が強いのですが)  僕は全く逆で、カルマの法則(という言い方は好きじゃないですが……)が 無かったら困ってしまいます。だって僕は、今までたくさんの人に迷惑を掛け てしまってきていますから……。その人達に償ったり謝ったりしたくても、現 実的には不可能な場合や、今更その人のところに行っても、却って迷惑にしか ならないだろうということが多いじゃないですか(^^)。  そこで、カルマというものがあれば、自分の犯した罪は必ず償うことが出来 るという事になります。逆に、迷惑を掛けられた人達には、その埋め合わせが あるということにもなります。僕の如き罪深い人間には、これがなければ、い ったいどうなることかというのが想像も付かないほどです。 ですから…… | シルバーバーチの本を読むにつれ、カルマを伴って生まれてくることが出 |来るが故に、過去の罪をきちんと償い、霊性を高めることが出来る、大変な |チャンスなのではないかと、思いつつもあります。  まったくその通りだと思いますし、こんなに有り難いことはないと思ってい るんです(^^)。「カルマの法則、有って良かったぁ。」ってなもんです。 ……これじゃあ、どっかのコンビニのCMですね(^_^;ゞ △▼△ Paper Birch △▼△ - FARION MES(18):武道とは?  ★ 自分に勝つ! 96/01/14 - 02829/02829 SDI00635 みれ 恐れと恐さ (18) 96/01/14 04:02  え〜と、突然ですが(^^;)  恐れと恐さって、字で書くと同じ様に見えるけど何か違う様な気がするんで すが、どうでしょう?>皆さん  私が恐れという時、何かしら全く知らないものに対する感情の様な気がしま すが、恐さという時は少しばかり想像つくもの、知っているものに対する感情 の様な気がします。これは私だけの感触かも知れないけど、取り敢えず書いて おこうと思って書いています(笑)  それから、以下に私の備忘録を(^^;)  人間って不思議。  時には全く知らない感触に対して「恐怖」する。  全く知らないのに「恐いもの」と思い込む。  そう思い込む自分の感情を「恐い」と表現する。  それって本当に恐れているんだろうか?  私は昔、すこぶるつきの恐がりだった。  ある時、「恐いものは世の中にゴマンとある」とA氏にいわれ、  「そうだ、あるんだよね」と恐い気持ちが起きた時に自分に言い聞かせた。  でも、身体はガタガタと震え恐い気持ちは消えなかった。  再度、A氏に「恐いものを退けようとするから恐怖感が消えないんだ」と  言われた。  そうか!と思った。  恐いと思うものを退けて消してしまおうと思うから、恐怖感が消えないんだ。  じゃあ恐いと思うものは在る、で、この世に一緒に居るんだと思ってみたら、  身体のガタガタは止まった。  凄く不思議だった。  恐いって、じゃあどういうことなんだろう?  恐れとは違う様な気がする…。 ・:*:・みれ・:・。,★ - FARION MES(19):世も末ばなし ★ ぶっ飛び話・罰当たり話 96/01/14 - 787/787 QZY01267 猫の手 流れ中で (19) 96/01/13 14:43  何が起ころうともそれは必然、  前もって用意された世界  前もって用意された現実  それを聞いて自暴自棄になるのも  それを聞いて反論したくなるのも  総て前もってプログラムされてたこと    注意深くありなさい。  注意深くありなさい。  私の行為が私の周りに私の現実を造る。  私の思いが私の周りに私の現実を造る。  常に自分と自分の周りに注意の網を張ってごらん。  そして自分の行為を選んでごらん。  それをどう想うか選んでごらん。  それがどういう効果を顕すか  注意深く、注意深く観察すること。  自分の行為の結果、  自分の思いの結果  どういうことが起こるのか注意深く観察してみたら。  何が目的だったのか深く深く探ってみたら。  何を望んでしてるのか改めて探ってごらん。  欲しいものを得るために、  本当に望んでることを実現するために  自分が何を望んでて、  私のしてる行動が  どういう効果を顕すか  観察していたら。  注意していたら。  本当に大切なもの  本当に望むものを手にできる。    まず大切なのは、  自分が望んでるのはなんなのか?  自分自身に尋ね続けること。  自分の中を探ること。  瞬間的に沸き起こる欲求に流されず、  いつも望んでるものを手にし続けること。  本当に大切なものなんだった?  本当に欲しいものなんだった?  今それを手にしてる?  今それが入ってきてる?  もしそれが手には入っていないのならば、  そこから注意を離さない努力をしていれば。  欲しいものはなんだったのか  いつも注意を向けていれば。  それが欲しいもの手にすることできる。  それが最初の一歩。  その次は自分のしてる行為に注意を向けること。  自分のしていることが  そっちに向かっているのかどうか?  いつも観察してごらん。  注意してごらん。  本当に欲しいものを手にするために何したらいいかは  自分が知っている。  誰でもない自分が知っている。  分からなかったら尋ねてみれば。  勇気を出して尋ねてみれば。  きっと誰かが教えてくれる。    そして自分の思いに注意を向けること  自分の想いで総てが変わる  自分の想いで起こること変わる。  同じこと起こってるように見えてても  起こること変わる。  自分の思いがどういう方向向いてるか。  観察し続けてれば。  じいっと観察し続けていれば。  きっとそれだけで世界が変わる。  きっとそれだけで欲しいもの手に入る。  短気を起こさず  長ーい目で見て  長ーい、長ーい目で見て  そうなることひたすら信じて  一番欲しいもの実現するために。  ひたすら歩き続けてほしい。  ひたすら、ひたすら歩き続けて欲しい。  流れに乗って、流れを楽しみながら。