凍える人は「そうです。招いて下さい」と再度、言った。 - FARION MES( 6):ハロー・メッセージ ★ 今日のハロー・メッセージから 96/01/17 - 00580/00582 KFQ02761 しまうま RE:自分の中の“凍えている人”など ( 6) 96/01/16 23:22 00577へのコメント  もう少し、自分の中にいる“凍えている人”について考えてみます。  どんなときに、自分は“凍えている”だろう、と考えてみると、いくつかの 要素が思い浮かびます。  まず、1つは「傷つくことを恐れているとき」というのがあると思います。 例えば、自分の好意を積極的に異性に伝えて、その好意を異性が拒否する。こ ういう事態において、人はたいてい「傷ついた」と感じます。そして、傷つく ことを恐れるがゆえに、異性に好意を積極的に伝えることができない、という 場合もあるでしょう。伝えることができない、でも伝えたい、でも「傷つくか もしれない」というリスクは負いたくない。だから、それとなく相手の気持ち が自分のほうに向くような、思わせぶりなことを言ってみよう。  もちろん、こういう一種の“男女間の駆け引き”的なものは、決して一概に 責められるべき性質のものではないと思います。しかし、もしその根底に“自 分は安全な(傷つかない)ポジションに立ったまま、相手の出方をうかがって みよう”という卑怯な気持ちがあるとすれば、そのとき僕は“凍えている”の だと思います。  もう1つ「自分の陥っている惨状を公表することによって周りの人に何とか してもらおうとする」ことも“凍えている”ことになりそうです。  「自分はこんなにダメなやつだ」「私はどうしようもない人間だ」。そう言 いながらうずくまっている人を見ると、人情としてはついつい「そんなことな いよ」「大丈夫、キミはそんなひどい人間じゃないよ」と言ってあげたくなり ます。「さあ、立ち上がろうじゃないか」と、手を貸してあげる人も出てくる でしょう。しかし、です。手を貸す前に、1つ見極めておかなければならない ことがあります。それは「うずくまっている人が自ら立ち上がろうと精一杯努 力しているかどうか」ということです。努力してなお立ち上がれない人を手助 けするのは、まったく理にかなっています。車椅子の人が階段を上がるのを手 伝うのは、当たり前のことです。  では、自力で立ち上がろうとしない人の手助けをすることは、どういう意味 を持つのでしょうか。それは、単に「手助けする人の自己満足」だと思います。 あるいは「愛情についての根本的な勘違いの現れ」かもしれません。立ち上が る努力もせずにうずくまっている人を手助けすることは「うずくまっている人 の可能性の芽を摘み取ること」に等しいと思います。また、うずくまっている 人からみれば「自分の甘えを助長してもらった」ということになるのでしょう (もちろん両者ともそうは思わないでしょうけれど)。  上記の例の消極的な例としては「自分の欠点を公表することによって周りの 人にそれを容認してもらおうとする」というパターンも考えられるでしょう。 これも、十分に“凍えている人”としての資格ありです。  「私にはこんな欠点があります」「自分はここがまったく至りませんでした」 それが単なる独白で終わっている場合。もしくは「また同じことをやってしま うかもしれません……」と、自分への恨み節のように見せかけておきながら、 「またやってしまうかもしれないけど許してね」という懇願をあらかじめ行っ ておく、という手法。いずれも大甘ちゃんです。「またやってしまうかもしれ ないけど、それでも何とかして矯正する覚悟ですから、皆さんどんどん叱りと ばしてやってください」というのならわかるのですが、上目遣いに「ごめんな さい。自分はこんなにダメな奴なんです。だから大目に見てね」というのでは、 気色悪くてしょうがない。  いずれも、自分の中にある一面です。とりあえず、さらけ出してみました。   しまうま(KFQ02761) - FARION MES( 7):自分を観る  ★ ARIONを鏡にして 96/01/17 - 06821/06822 HGE02116 MAKOTO なんじゃい、これは(^^;) ( 7) 96/01/16 22:22  「変わる」とはっきり意識した時に、自分の中の何かが変わってしまったのかも 知れない。何が変わったのか、よく分からない。はっきりと見える形で変わったと も思わない。ただ、何となく変な気分なんだよな…(^^;)  迷いや、躊躇いや、苛立ちや、恐れといったものが無くなったわけではないし、 敵意や蔑み、虚しさや無力感といったものが、やっぱり心を騒がせるのだけど、そ れがさほど苦痛ではない。最近は、何となく愚痴の数も減ったように思う。  目的ができたからなのか? 退屈している暇がないのもいいのか…? う〜ん、 今この瞬間に、何が私に作用しているんだろう…?  わははは、こんなもんは考え込んでみても始まらないか…(^^;)  ただ、今ここ にいるのが嬉しい。この感覚は暫く味わっているとしよう。                           MAKOTO でした☆ 06822/06822 HGE02116 MAKOTO これが認識違いってものかなぁ… ( 7) 96/01/16 22:23 06815へのコメント  #6815 に対してのRESといったものではないのだけど、とりあえずここに繋げさ せていただきました。以下、文体が変わりますけどご容赦下さい。  自分の思ってる自分の姿と、人の目にうつってる自分の姿ってものには、かなりの ずれがあるんだろうなぁ〜と、ノロガメさんの発言を読むたびに思う。  正直な話し、私にはノロガメさんの発言が、眠気を誘う難しい本ででもあるかのよ うに感じられてる。よって、失礼とは思いながらも、ほとんど読み流してたりする。  それでもいくつか思うところがある。まず、個人にのみ有効な概念があるって事。 また、個人にのみ有効な抽象的な理論展開では、相手には伝わらないって事。それが いくら個人にとって重要なものであっても、会話ってのは相手あってのもの。やはり 相手に伝わってこそのものなんだよなぁ… シミジミ  なんかさ、今のノロガメさんって、相手してくれる人がいるって事実に、はしゃぎ まわってるような気がする。そして、相手になってくれてる人達に、しがみつこうと してるような気もする。…でも、私の目にはそう見えてるってだけで、本当のところ は、やっぱりわからないんだけど…  思いっきり失礼な発言ですね(^^;)  でも、発言を読んでの感想を、一度書いてみ たくなったのです。どうかお許し下さいますように。                            MAKOTO でした☆ - FARION MES(12):精神世界裏表 ★ ニューエイジビジネス を斬る 96/01/17 - 00744/00752 GFB00026 一輝 RE:『クイックジャパン』VOL.5 を読んで。 (12) 96/01/16 22:04 00732へのコメント コメント数:1 どうも「ですます調」で書いていると、当時の雰囲気にフィルターがかかってきそ うなので、いきなりですが、文体を変えることにしました。ご了承ください。 「帰るべきところ問われることもなく ふと見上げし 秋の夕焼け」                     ……『あしっど』Vol.2                       「うたかたのひとつ」河本純 ●乗り換え駅での声 私の通っていた都心の高校は、郊外の自宅から電車で一時間半のところにあった。 いろいろな路線で通ったが、この時間だけは縮まらなかった。学校での盗難騒ぎの 前後、乗り換え駅で奇妙な体験が続いた。電車が来るのをぼうっと待っていると、 目の前に霧状のもやが現れてくる。何度か目線を変えるのだが、何度やっても同じ ような霧が見える。空は晴れているのに変だなと思いながら目を凝らしていると、 その霧は雨のように頭上から降り注いでいた。すると、何やら激しい衝動のような ものが身体中から突き上げてきた。 「このままで俺はいいのか、このままで終わっていいのか」、それは私自身の声の ようだった。そしてまもなく駅の構内に入ってくる始発の急行が入ってくると、そ の霧も雨も衝動も声もかき消されていった。他に誰もいない車両に腰をかけながら 目を閉じると、都心へ向かう急行はたくさんの客を揺らせ超満員となる。私は目の 前の乗客のように流されて生きてはダメなんだと思いながら、やがて深い眠りに落 ちていった。そして、次の乗り換え駅に到着して起きる頃には、それらの一連の出 来事など無かったかのように忘れていた。 あの霧が何であったのかはわからない。しかし私はここで超常現象のことを語りた いわけではない。私は始発の急行列車を「社会の象徴」として捉えることで、自分 の中にある起爆装置のようなものに、毎日繰り返しスイッチをいれていたにすぎな い。私はこの現象を自分だけに起きるものだと悦に入っていたのだった。「自分だ けは他の人々と違うんだ」ということを毎回確認していた。 自分を見失ってしまいそうな社会の奔流に対する抵抗、どこに居ても浮いてしまっ て見える自分、そして社会に抵抗する自分に対するヒロイズム。それは過度の虚脱 状態を温床としたヒロイズムでもあった。自分を本当は宇宙人だと思い込みたがる 者の心理にどこか似ている。現実の苦痛に耐えられぬが故に、脳のどこかにある自 己陶酔の領域へと避難を試みる。しかし、決してそこでは真の安らぎは見出せない。 この一連の行為を脳の外側に投影する旅が、このとき始まったのだ。 私は当時、それを「トリップ」と呼んだ。                                 (つづく) 00745/00752 GFB00026 一輝 RE:『クイックジャパン』VOL.5 を読んで。 (12) 96/01/16 22:06 00744へのコメント コメント数:1 ●自己陶酔の始まり 小学校の高学年に実家の店が忙しくなると、ほとんど放任状態となった私は、毎日 ラジオばかり聞くようになっていった。その中で私を魅了させたのは音楽だった。 この頃、父が買ってきたカセットテープレコーダーに、私は好きな曲をラジオやレ コードから録音しては繰り返し聞いていた。音楽は、勉強よりもずっとルアルな私 の師であり生き方だった。音楽は日頃の嫌なことからの避難場所だったのだ。 中学に入ると学校でバンドブームが起こり、クラスのマセた連中が楽器を始めた。 学芸会はバンド合戦場となり、私も波に乗って参加した。2000円で友人から買った エレキが最初のギターだった。曲はテケテケ音のベンチャーズ。同級生、特に女の 子から注目を浴びることは、劣等感の強い私にとって、「評価されている自分」へ の陶酔をもたらした。 これは当時、団塊世代の若い教師たちが、バンド熱にハマって生徒の前で演奏して いたことによる影響が、大きかったのではないかと思う。彼らは音楽好きで、競っ て生徒の前で演奏した。生徒たちを煽っては、自分たちも楽しんでいたのである。 給食時間や放課後には、教師公認で放送室から次々にロックの新譜が流れていた。 曲はT・レックス、ディープ・パープル、デビッド・ボウイ、ポール・マッカート ニー、エリック・クラプトン…ほか。毎日、校庭にもこれらの音楽は大音響で流れ ていた。放課後のクラブ活動はこれらの音楽がBGMだった。生徒たちにサブリミ ナル効果が出たのか、皆ポピュラー音楽が大好きだった。 私は練習が面倒なのと演奏が下手なのとで、だんだん演奏することよりも音楽を聴 きき漁る方に熱中していった。耳にした歌謡曲やフォーク、ロック、ジャズに飽き 足らなくなってくると、音楽様式にとらわれないプログレッシブ・ロック(やがて この音楽も様式化してゆき生気を失うのだが当初は斬新だった)という、様々な音 楽ジャンルを超えて創作の極みに達しようとする音楽に熱中した。中でもイギリス のマイク・オールドフィールドのヒット曲「チューブラーベルズ」には、形容のし 難い衝撃を受けた。弱冠17歳で作ったというその曲に、自分の何がしかの才能への 可能性を与えられたような気がしたのだ。ひょっとしたら自分も…、という気がし たわけだ。 そもそもビートルズのアルバム、サージェントペパーズから始まった新しい音楽の うねりは、カリフォルニア実験音楽派(テリー・ライリー、スティーブ・ライヒ、 ラ・モンテ・ヤング、ジョン・ケージほか)と呼ばれる現代音楽家たちにも共振作 用を起こし、それらの新たな音楽のうねりが、あらゆる音楽ジャンルを超えてヨー ロッパ各国の音楽シーンへと飛び火していた。チューブラーベルズも、その余波を 大きく受けて成長した音魂のひとつだった。プログレッシブ・ロックという言葉は、 あくまでも日本から切り取って見せたひとつの断面としてのジャンルであり、国内 でしか使われていない。 高校に入ってからも中学時代からのバンド仲間とは毎週会っていたが、練習などそ っちのけで新譜を聞きながらの批評会となった。彼らも聞き慣れないこの手の音に 飢えていた。私はこの頃、通常のラジオ番組に飽き足らず、短波ラジオの受信に凝 りだして世界中の音楽を聞いていた。                                 (つづく) 00746/00752 GFB00026 一輝 RE:『クイックジャパン』VOL.5 を読んで。 (12) 96/01/16 22:12 00745へのコメント コメント数:1 ●音楽を通じて出来た信頼関係 すさんだ高校にあって音楽は、私にとって一番の慰めだった。幸いにも音楽好きは 多く、学校でも同級生と新譜の貸し借りや批評をすることが日課となった。高校2 年になると、殺伐とした学校の中で、クラスを越えた音楽愛好者だけのネットワー クが出来てきた。だんだん「音楽のわかるヤツは裏切らない」と思えるようになっ たためだ。 この頃の音楽好きというのは個性的で、私はやらなかったが、当時はウォークマン がまだ登場しておらず、デンスケという携帯といっても今のデッキくらいの重さが あるステレオデッキを肩にかけ、耳全体を覆う重いヘッドホンを付けて、遊園地へ 行く者がいたという。重いステレオデッキを腹に抱えながらジェットコースターを 楽しんでいたのだ。 校内には、勉強などそっちのけの長髪バンド野郎がウロウロとし始め、コンサート がたびたび開かれた。盛んだったのは、プログレやハードロック。この時代(1970 年代半ば)の音楽の主流は、フォークからロックへと主流の変換が起きていた時期 で、ダウンタウンブギウギバンドや矢沢永吉が脚光を浴び、リーゼントスタイルで ロッケンロール、「そこんとこヨロシク!」ってな具合だったから、アバンギャル ドなロックやジャズ、シンセ音楽、現代音楽、民族音楽にのめり込む、長髪の私や 同級生などは、時代の枠から宙に浮いていた。                                 (つづく) 00747/00752 GFB00026 一輝 RE:『クイックジャパン』VOL.5 を読んで。 (12) 96/01/16 22:13 00746へのコメント コメント数:1 ●もうひとつの学校 やがて、音楽好きの同級生や音楽雑誌の情報から、国内でプレスされていない輸入 レコーを置く店が都内にたくさんあることを知り、学校の帰りに立ち寄るようにな った。国内に居る限り、良質の音楽を早く良い状態(国内版は、海外から送られる オリジナルテープのコピーを基にプレスするので音質が悪い)で入手することはで きないことがわかっていた。その問題をクリアできるのは、現地から直接レコード を輸入する専門店で入手、あるいは店で聴く以外に方法は無かった。この情況は、 20年を経た今でも根本的には変わっていないのではないかと思う。 私は学校が終わると予備校に行って、授業での成績不振を挽回する予定だったが、 予備校のテキストは受験向けになっていて、これもまたついてゆけなくなった。や がて私は予備校をサボって輸入レコード店へ、毎回親に内緒で通うようになった。 そこは世界から私へ届く、最新音楽と美術の学校だった。私は学校が終わると店へ 直行し何軒もハシゴして歩いた。小便もガマンして渡り歩いていたので、何度かチ ビリそうになったものである。 輸入レコード店でいい音楽を見つけるという行為は、砂浜から宝石を探す行為に似 ている。つまり当たり外れが大きいということだが、良い音楽にはそこまでリスク を背負わないと出会えないものなのだ。しかし、当たり外れが大きいと言っても、 当時レコードは大変高価で、特に私が当時注目していたドイツやイタリアや北欧の レコードは、高校2年の私が買うには勇気のいる値段(1975年時点で2800円から32 00円はした)だった。また万引きするにしては大きすぎたし、万が一見つかってし まうと、その店へ二度と行けなくなるという問題もあった。私は欲しいレコードを 買うのではなく、ジャケットと値段を眺めながら、店員がいい音楽を店内に流すの を聴くために通っていたわけだ。                                 (つづく) 00748/00752 GFB00026 一輝 RE:『クイックジャパン』VOL.5 を読んで。 (12) 96/01/16 22:14 00747へのコメント コメント数:1 ●音楽で知ったコミューンの存在 ヨーロッパの音楽家の中には、自分たちの思想を音楽で表現する者たちがいた。彼 らは音楽の新天地を求め、既成概念に一切とらわれぬ聖域として、コミューンと呼 ばれる生活共同体で寝起きをしていた。彼らにとって日常生活とは創作活動と同じ ことを意味していた。アメリカ・カウンターカルチャーの影響下にあったものだっ ったのかは未だ不明だが、彼らが70年前後にフランスで起きた5月革命など、ヨー ロッパ極左学生運動の流れから生まれたことは確かだろうと思う。フランスのゴン グやマグマ、ドイツのアモンデュール他、多くのコミューンバンドが活躍していた 時代だ。ゴングはイギリス人も参加する国際色豊かなコミューンで、現キングクリ ムゾンのドラマー、ビル・ブラッドフォードもイエス脱退の後に一時在籍していた。 これらのバンドは各々ユートピア物語をそれぞれ持っており、その神話性を音楽で 表現していた。ゴングはラーマーヤナを模倣したような冒険物語の音楽構成で、シ ンセとジャズビートを融合させた幻想的な音楽空間を創造していた。マグマは自分 たちをコバイア星から転生してきた人間と本気で信じ込み、故郷への思いや帰還を 目指して奇々怪々な音楽を作っているのだった。また、ドイツのアモンデュールは、 破壊的で恍惚とした音楽カオスを表現し、何を歌っているのかよくわからないのだ が、録音中に幼い子供がマイクの前をしゃべりながら通り過ぎて行くシーンがあり、 それだけでも十分に、コミューンでの彼らの生活を表現していたのではないかと思 う。                                 (つづく) 00749/00752 GFB00026 一輝 RE:『クイックジャパン』VOL.5 を読んで。 (12) 96/01/16 22:15 00748へのコメント コメント数:1 ●サブカルチャーへの入口 これらの音楽を安価で聴くには、もうひとつの方法があった。それは当時流行って いたロック喫茶だった。店主によっては流す音楽に好みがあって、その辺はとても 個性的だったように思う。レコードが置いてあれば自分で好みの曲をリクエストで きたが、リクエストにも順番があって、混んでいるときは自分の聞きたい曲がかか るのに時間がかかった。 それを待つのも楽しみで、そんなときには店の隅に置かれたマンガ本やサブカルチ ャー本を読んでいた。これが本屋ではなかなか見かけないものばかりで、ちょっぴ り大人の世界に浸っているような気分になった。社会問題を取り上げたなかなか考 えさせられる本も置いてあり、ロック喫茶もまた、私にとって”サブカルチャー学 校”と言えるものだったようだ。私は学校へ行く時間よりも、これらのスペースに いる時間の方がだんだん長くなっていった。私が後にやたらとサブカルチャーに詳 しかったのは、そこで過ごした時間のせいである。                                 (つづく) 00750/00752 GFB00026 一輝 RE:『クイックジャパン』VOL.5 を読んで。 (12) 96/01/16 22:17 00749へのコメント コメント数:1 ●繰り返されるカルマ 2年ほどまえ、こんな奇妙なエピソードがあった。父は長い間、先祖のルーツ探し というのをやっていて、家系図などを作ったり、墓標や伝えられる先祖の逸話など を調べるなどしている。一応の目標までは達したようなので、今度は自分の妻、つ まり私の母のルーツを調べようと、母が幼い頃に30歳で死んだ祖父についてを調べ ていた。葬式に祖母の知らない女性がたくさん現れて、オイオイ泣き崩れていたと いう話だが、肝心の祖父の死因について、祖母がなかなか話そうとしないので、恐 らくは自殺ではないかと父は話してくれた。その調査の中で出てきたものは、祖父 の戸籍謄本の写しだった。 私の母方の祖父は、それまで福岡に祖母と住み、大型船の食堂でコックをやってい たということだったので、九州人だと祖母も含めて家族はそう思っていた。ところ が出てきた戸籍謄本の写しには、本籍地は渋谷となっていたのである。また実家が 米屋で親と問題を起こし、家出をしていたという新たな逸話を祖母から聞いたこと を父は私に伝えた。しかし、町名は古い地名であるため、現在の地図には出ていな い。 そこで、私はその写しを持って渋谷区役所に行き、資料閲覧室の係の人に相談した ところ、明治末から大正末頃までに使われた古い渋谷の市街地図を出してくれた。 その本籍地が米屋のあった場所だ。私はその古い地図にあった場所と現在の地図の 場所を照合しているうちに、あることに気づき愕然としてしまった。 渋谷は関東大震災と終戦を経て、全く別の町として道路も区分も変貌していたのだ が、その祖父が飛びだした米屋のあった場所は、私が一番好きで通っていたロック 喫茶があったのだ。私はその時に、人間にはカルマというものが本当に存在するこ とを確信した。後に記すことになるが、祖父と同じように、私もまた実家の商店を 継がずに家出し、親と問題を起こした、”もうひとりの祖父”だったのだ。 私は自分の蹉跌の中で、再び先祖と同じことを繰り返そうとしていたのではないか。 それは、死に至らしめるドラッグによる自覚無き自殺でもあり、私という魂の生きな がらの自殺でもあった。そしてそれは私だけに終わらない。私が繰り返せば、子孫も また繰り返すのだ。その責任を選んで私は生まれてきたとも言える。なんと因果な話 なのだろう。しかし、本人が自分でそのことに気づかぬ限り代々継承されてゆく。こ れが時の鎖だ。その鎖を断ち切ることは、そのことに気づいた本人にしかできない。 断ち切ることを選択することで、子孫の未来もまた大きく変わるのだ。これを一人一 人がやったら、未来は必ずや新しい頁を開くことになるだろう。そのために私たちは 生まれてきた、と言ったら大袈裟だろうか。                                 (つづく) 00751/00752 GFB00026 一輝 RE:『クイックジャパン』VOL.5 を読んで。 (12) 96/01/16 22:19 00750へのコメント コメント数:1 ●日本にもあったコミューン 話を戻そう。たいがいのロック喫茶には、店の端っこにある棚には、様々な魅力的 なミニコミが売られていた。ヨーロッパの音楽に関する情報を得ることができたの も、こういったロック喫茶で入手した音楽系ミニコミのおかげだった。あまり迷わ ずに、目的のいい音楽と出会うことが出来るようになったのだ。 そして、これらのミニコミ群の中に、「地域に根ざし日常生活レベルでの反権力の 空間(=共同体)の創出を目指す」と銘打ったものがあった。それが、「あしっど ・かんぱにぃ」というコミューンが作ったミニコミ『あしっど』だった。後にわか ったことなのだが、こういったコミューンは74〜75年をピークにして全国各地に散 在していたようである。 私は日本にもフランスやドイツのコミューンのようなものが存在していることに、 胸を踊らせた。また、私が学校や社会に対して、日頃から言語化できずにいた問題 意識を、当然の如く誌上で主張する者がたくさんいることも、私を喜ばせたことの ひとつだった。周囲に同じような問題意識を持つ者は、この時点では皆無だった。 ミニコミはB5版で20頁前後。定価200円。手書き文字の頁もあれば写植印字の 頁もありで手作り感があった。『あしっど』の誌面の調子はこんな感じだった。  「おもしろいキャンプがあるんだけど、君行かない?」  「おもしろいって、キャンプはキャンプでしょう」と私が言うと、  「それが普通のキャンプと違っておもしろいんだよ。   キャンプはもちろんキャンプだけど、来る連中もおもしろければ、   やることもちょっと違うね」と彼。  「何が違うの?」  「まず、食事は全部自然食で、玄米でパンを焼くんだ。   まあ、あとはありきたりだけど、UFOに熱心な奴とか、カメラをいじくって   いる奴ね、物書きに絵描き、マンガを描いている奴とか、まあそんないわゆる   芸術家みたいな連中が集まってくるんだよ」 (以下略) ……『あしっど』 Vol.1                    「キャンプイン・あしっどとの出会い」         はらさちこ 「あしっど」とは酸の意味なのだが、、LSD(リゼルグ酸ヂエチルアミド)のこ とを指す隠語だと知ったのは、ずっと後のことだ。 メンバーは、映像作家、極左運動家、自然食家、ミュージシャン、デザイナー、建 築技師など、業種はさまざまだったが、反権力を目指していたという点で、学生運 動崩壊以降の流れの中にあったように思う。面白かったのは、メンバーの芸術指向 の強かったことで、自主制作映画の上映会など、毎週様々なイベントや集会をコミ ューンで催していた。                                 (つづく) 00752/00752 GFB00026 一輝 RE:『クイックジャパン』VOL.5 を読んで。 (12) 96/01/16 22:27 00751へのコメント ●リアルなトリップを求めて 高校2年の中間テストが終わった頃、当時人気上昇中だった情報雑誌『ぴあ』のイ ベントスペース欄に、毎回あしっどかんぱんにぃのイベントスケジュールが出てお り、彼らが文化の日に、ある大学の正門脇で市民バザーをやることを知った。 私は彼らがどんな連中なのかを、この目で確かめてみようと考えた。メディアで知 るに終わらず、リアルなトリップを体験したいという願望が抑えられなくなったか らだ。その後、私が直接自分で体験しなければ済まないようになったのは、このこ とがきっかけだ。「トリップ」という言葉は、日常生活は人生に於ける旅の途上に 過ぎない、というところからドロップアウトした連中の間で流行していたものだ。 この意味の中にはヒッチハイクによる旅、ドラッグによる内的な旅やSEXも含ま れていた。彼らにとって生きるということ、創造するということ、その全てがトリ ップだった。以下にミニコミへ掲載された、トリップという感覚をシンプルに表す 文章を紹介しよう。 「ひとつの風景とおまんこしていれば、地平線が俺を呼ばなくなるんなら、   俺は、たとえ湿っぽい、ボロベッドの上にでも、居られるだろう。だけど   だめなんだ。向こうの方へハイ・ウェイが続いてゆき、地中海のような深   い青空の空と緑の丘とか出会ってたりするのを横目に見ながら、俺はひと   つの風景とおまんこを続けることなんかできない。あっちへ行こうとして   しまうんだよ。旅立つと決めし 心の暗闇に 言葉なくせし 昨日が光る」                     ……『あしっど』Vol.2                       「うたかたのひとつ」河本純                                 (つづく) - FARION MES(14):預言解読村  ★ 預言・予言は何を語るか 96/01/17 - 03579/03579 KFQ02761 しまうま RE^4:「炎で書いた物語」第二章 (14) 96/01/17 01:04 03572へのコメント #03572 SOUNDさん  こんにちはぁ(^^)。丁寧なご返事ありがとうございましたm(__)m。 :1=カミ=カイ=スメラ尊という部分を今のぼくは素直にそのまま信じています。 : このことばの意味が解けるとき、新時代の幕が開きそうな気がしているのです。  うーん、なるほど。もともとはARIONのメッセージの中にあった言葉だ ったのですね(^^)。ご教示ありがとうございます。  「新時代の幕」、ぜひ開いてほしいなあと思いました。  スメラミコトというのは、天皇ですよね。それがカミでありカイである、と いうことは……うーん。確かに以前ARIONは、著書『カミ・コメ・ツチ・ ヒト』の中でこのように語っています。 :天皇は「カミ」の代弁者であり、「カミ」の力の権威そのものだ、 :と人々は教えられたし、その通りであった事実もたくさんある。 :しかし、「カミ」の威信が薄れると同時に天皇の威信も少しずつ薄れて行った。 :特に第二次世界大戦後、天皇は「アラヒトカミ」からただの「ヒト」におとしめら れた。 :同時に、人々は「カミ」を捨てた。  ここでARIONは、客観的な言い方ではありますが、天皇がカミである (あった)事実を認めているようですね。 : カイの秘密に迫れるのは最終章「ひかりの国へ」あたりになるのではないかと予 感し:ています。  壮大な計画の元に書き進めていらっしゃるのですねー。先がとっても楽しみ です(^^)。  こちらこそ、今後ともどうぞよろしくお願いしますね。   しまうま(KFQ02761)