「では」と凍える民は言い、焚き火の傍に進み出て天使を見た。 - FARION MES( 3):Media Talk ◆ 本/映画/音楽を語る 96/01/20 - 01125/01129 PAG03543 NOISE RE^2:『日本古代歌謡の世界』 ( 3) 96/01/19 00:52 01122へのコメント まるにちょんさん 始めまして。 数年前に雅楽の演奏会を観たんですが、その時の演奏にしても、 舞にしても、日本のものと言うよりは大陸的な印象が強くて、 あまり好きではなかったんです。 ところがこの神楽歌を聴いて雅楽の懐の深さを、改めて認識しました。 でも正確に言うと、雅楽は奈良時代の大陸伝来の音楽だから 神楽歌はその範疇には入らないものなのでしょうね。 音楽的文化遺産を後世に残すために、一流の演奏者を集め、 演奏現場の響きを再現することに努め、収録期間は数年に及んだ というこのCDは、監修者であり演奏者の多 忠麿(おおのただまろ) さんが 「生涯のライフワークとして、心血をそそいで取りくんだ」と語るように、 まさに血と汗の結晶といえるでしょう。 そんな熱意のほどがヒシヒシと伝わってきます。 そもそもこの分野のCDは、そんなに数が捌けるものではないので、 レコード会社も文化事業として、採算を度返しして制作したということです。 01126/01129 PAG03543 NOISE RE^2:『日本古代歌謡の世界』 ( 3) 96/01/19 00:52 01123へのコメント コメント数:1 どうも しまうまさん >>もし「2枚目買うならこれにすれば」みたいなお勧めがありましたら、ぜひ >>ともご教示くださいませm(__)m。 この会議室の[417-418]で紹介した、友川かずきは聴いたことありますか? あの書き込みでは屁理屈を述べてしまいましたけれど、 パンク・ロックも真っ青の過激さと、恐いほど深い抒情は ただただ「凄い」の一言に尽きます。 友川のCDは安易に他人に薦めることができない、危険な代物、 ライブを体験するに限る、のではありますが、あえでベスト盤を選 ぶとすれば……  『LIVE MANDA-LA Special』PSFレコード PSFD-36  吉祥寺MANDA-LAでの定期ライブ(1992〜1993)からのセレクション。スペシャル と銘打つだけに、選りすぐりの名演ばかり。歌の合間の語りも収録されていて、 緊張と笑いに満ちたライブの雰囲気が味わえる。 Q盤では……  『海静か、魂は病み』キング KICS-8116 オリジナルは1981年。ベルウッドからキングにレーベルを移しての最初のアル バム。曲作りではもっとも充実していた時期の作品。 当時のレギュラーバンドであるピップエレキバンド(^_^)のメンバーは 元頭脳警察の奇才ドラマー石塚俊明、古屋恭子(ピアノ)、清野和己(ベース)、 菊池雅志(尺八・横笛)。ゲストとして勝呂和男(ギター)、金子飛鳥(ヴァイオリ ン)と多彩な面々が脇を固めている。 PSFレコードはインディーズレーベルなので入手は困難かもしれませんが、 大きいレコード屋さんなら手に入るでしょう。 NiftyのCD屋さんでは、取り次ぎの関係で異常に時間がかかるので やめたほうがいいでしょう。 現在は「渋谷・アピア」で定期ライブをやっているんですが、 以前よりは酒量は減ったといえ、楽屋でビールで喉を潤し ワンステージで軽く清酒なら一升は飲み干す酔っぱらいです。 そのうえ打ち上げでまた飲むんだから……。 - FARION MES( 6):ハロー・メッセージ ★ 今日のハロー・メッセージから 96/01/20 - 00587/00589 KFQ02761 しまうま RE^2:自分の中の“凍えている人”など ( 6) 96/01/18 20:19 00580へのコメント コメント数:1  登場して以来の、“凍える人”の心の中のつぶやきを想像してみました。  これはあくまで僕の主観に基づく想像なので「そこ違うと思うぞ」「あたし はそーは思わない」などのご意見がございましたら、ご遠慮なくお寄せくださ いませm(__)m。  以下、「−−」の部分が“凍える人”の心のつぶやきです。   しまうま(KFQ02761) ********************************************************************** :「あなたがたと共に火にあたろう」と天使は剣を置いて言った  −−うう、寒い寒い。なんだ、暖かそうな焚き火があるじゃないか。これは いいや。ぜひあたらせてもらおう。それにしてもこの焚き火、どうも知らない 顔ばかりで輪に加わりづらいなあ。緊張するなあ。「入れてください」と言っ て断られたらいやだしなあ。おや、天使がいるじゃないか。なんでも天使は愛 に満ちあふれた存在だそうだから、この人にまず声をかけてみようか…。 :その時、天使の背後から「私は凍えています」と声がした… :「焚き火の前に来れば凍えない」と天使は答え、焚き火を見つめた  −−あれれ、期待はずれ。そりゃね、私だって、焚き火の前に行けば凍えな いのはよくわかってるんですよ。でもね、そんないきなり輪に加わるなんて厚 かましいこと、繊細な私にはできません。「お入り」と誘われたならともかく …。ね、そこのところ、ちょっとわかってほしいなあ。 :天使の背後の声は「焚き火の前に行く勇気が無いのです」と答えた  −−そう、私はちょっぴり勇気がないんだけなんですよ。我ながらうまいこ とを言う。しかも、なんて謙虚なんだろう。見上げたもんだね。 :天使は「私に何かを依頼しているのか?」と尋ね、再び火を見た  −−おや、そう来ますか。失礼な。私が何を依頼したっていうんだ? 「凍 えています」と「勇気がない」って言っただけじゃないか。依頼だなんて、と んでもない。そんな甘ったれじゃないよ、私は。 :背後の声は「私は何も依頼していない」天使は黙している :焚き火を囲む天使と人々は新しい息吹を大地から感じていた  −−うう、ますます寒くなってきた。焚き火の周りは暖かそうだなあ。あい つら、これ見よがしにうっとりした顔をしやがって。ふん、うらやましくなん かないぞ。ちっともうらやましくないけど、でもやっぱり寒いなあ。ぶるぶる。 :暫くした時、再び天使の背後から声がした「私は凍えています」 :天使は焚き火に集う者の顔を見てから言った「此処へ来れば良い」  −−いやね、行きたいのはやまやまなんですよ。やまやまなんだけど、そこ はそれ、人情ってやつですよ。いきなり見ず知らずの人間がずいずい割り込む のもなんだか失礼じゃないですか。ここはひとつ、そっちから呼んでくれるの が筋ってものじゃないかなあ。うん、そうだと思うなあ。だって、私が焚き火 の輪に加われば、みんなの知らないおもしろい話を聞かせてあげることもでき るし、焚き火で簡単にできてビックリするほどおいしい料理を教えてあげるこ とだってできるんだ。こう見えても、私はちょっとした人材なんだ。「来れば 良い」なんて言われてほいほい行けるもんじゃありませんや。 :焚き火に集う民らは、各々が持ちよった柴を焚き火にくべた。 :「あなた方、今年の為に柴をもっと持ちよりなさい」と天使。  −−ああ、ますます焚き火が大きく燃え上がっている。暖かそうだなあ。私 を焚き火に入れてくれたら、天使の言うとおり、もっとたくさん柴を集めてき てあげてもいいのになあ。そうだよ、私が焚き火の輪に加わることは、みんな にとっても利益になるはずだよ。だったら一声「お入りなさい」と言ってくれ たっていいじゃないか。 :突然天使の背後から声がした「私を呼んでくれないのですか?」 :天使は答えた「焚き火の周りに集う者は自分から集まったのだ」  −−うーん、そうなの? いや私だってね、自分からそこに行こうという気 持ちはあるんですよ。ええ、ありますとも。でもね、ちょっと背中を押してく れたっていいじゃないか。軽く手を引っぱってくれても罰は当たらないはずだ よ。そう冷たく突っ放されたら、こっちだって意地になりますよ、ふん。 :焚き火に集う民が「凍えているのは可哀想だ」と天使に言った  −−そうだそうだ。いいこと言うやつもいるじゃないか。わかってるなあ、 きみ。それでこそ人情ってもんだ。まだ世の中も捨てたもんじゃないね。 :「凍える事を選んでいる者に何を言うべきか?」と天使は答えた  −−おいおい、天使がそんなこと言わないでくれよ。イメージ崩れちゃうな あ。凍えることを選んでるだなんて、そんな酔狂なやついませんよ。もちろん 私だって選んで凍えているわけじゃない。みんなが呼んでくれないから、やむ を得ずガタガタ震えてるんじゃないか。そこらへんの機微をわかってほしいな あ。やっぱり天使は人間じゃないから、わからないのかなあ。こんなに寒がっ てるんじゃないか。もう本当にどうしようもなく寒がってるのに、どうして誘 ってくれないんだろうなあ。 :焚き火の民が怪訝な顔をしているのを見て、天使は夜空を指差した :「全ての存在は斯くあるべく選んで在るのだ」と天使は言った :「では背後の人は凍える事を選んでいるのですか?」と民は尋ねた  −−おっと、ここで天使に「その通り」なんて言われたら、こいつらみんな 納得しちゃいそうだぞ。まずいまずいまずい。もう寒さも洒落にならなくなっ てきた。凍え死んじゃうよ。うう、なんとかしなけりゃ。ううう、寒くてもう 何がなんだかわからないや。えーい、もうどうとでもなれだ。 :背後から「皆さん、私の前に焚き火を移してくれませんか」と声が  −−うわあ、すごいこと言っちゃったなあ。寒さのあまり、後先考えずに口 走ってしまった。そりゃ焚き火を私の前に移してくれれば言うことはないけど、 さすがのお人好しの私も、まさかそこまでしてくれるとは思っちゃいないよ。 :焚き火に集う民の一人は「あなたがこちらに来れば良い」と答えた  −−ほーら、言うと思った。焚き火で暖まっているくせに、なんて心の冷た いやつらなんだ。こんなに凍えて冷え切っている私に向かって、あんな冷たい ことを言うなんて、鬼のようなやつだ。その一言の代わりに「ここに来て、ど うぞ火におあたりなさい。暖かいですよ」とでも言えば、私だって態度を軟化 させたものを。礼儀を知らないやつは、これだから困る。こうやって凍えてい る人間がいたら、そっちから招いてくれるのが普通じゃないのか、え? :凍えた人は「招いてください」と答え、焚き火の民は困惑した  −−なんだ、顔なんか見合わせやがって。変なものでも見るような目つきで こっちをみやがって。ふん、礼儀知らずは困るなあ。ここはひとつ、私が礼儀 ってものををたたき込んでやろう。 :別の民が「あなたは招かれないと来れないのですか?」と問うた  −−まだこんなとぼけたこと言ってやがる。普通は招くんですよ。招かれて 「そうですか、じゃあ」とか言って輪に入るもんなの。それが礼儀だし、人情 ってもんなの。 :凍える人は「そうです。招いて下さい」と再度、言った。 :焚き火の民の一人が「いいじゃないか招いてあげようよ」と言った  −−そうだそうだ。わかってるなあ。一言でいいんだ。招いてくれよ。もう いい加減凍えきっちゃったよ…。 ********************************************************************** 00588/00589 JCF02051 めのう RE^3:自分の中の“凍えている人”など ( 6) 96/01/19 23:54 00587へのコメント  #587 しまうまさん  うまい、うますぎるっ(笑)  大いに笑わせていただきました。    ところで、    》天使は焚き火に集う者の顔を見てから言った「此処へ来れば良い」  私はこのメッセージを読んだときに、天使は「こっちへくればいいじゃん=  こっちへおいでよ」という感じで招いているのだと思いました。  私だったらこの時点で「あ、いいですか、それではお邪魔します」ってな具  合で焚き火にあたらせてもらうところなので、「凍えさん」はどうして行か  ないんだろうと思っていました。 》          こう見えても、私はちょっとした人材なんだ。「来れば 》良い」なんて言われてほいほい行けるもんじゃありませんや。  だからこの部分を読んで「おー、なるほど」と納得しましたよ。  ヘンなプライドがこの人を凍えたままにしているのかな。 》「では」と凍える民は言い、焚き火の傍に進み出て天使を見た。  そんな「凍えさん」もいよいよ焚き火の側にやってきましたね。  「天使を見た」のあたり、この人は天使に何かを認めてもらいたいのかなーと  感じました。                         ◆◆ めのう ◆◆ 00589/00589 TBE03167 ねずみ ここいらでいっぱつ ( 6) 96/01/20 12:39 》「では」と凍える民は言い、焚き火の傍に進み出て天使を見た。 ここで「今日は、みなさん、私のために集まっていただきありがとうございます」 てなギャグをかましたら、みんな怒るぞおおおお `w' - FARION MES( 7):自分を観る  ★ ARIONを鏡にして 96/01/20 - 06829/06835 CXE02430 プレアデス Head Trip ( 7) 96/01/18 23:07 ノロガメさん、いつも熱演をくださってどうもありがとうございます。ノロガメ さんのご発言に、私は自分自身の姿を観させていただいております。自分が無で あるというのは、その通りだと思います。しかし、頭で考えてわかった無という のは、英語で言うとHead Tripで、想念の中に真実を見つけて興奮して いるに過ぎません。本当の無は、想念の中にいたのでは体験できず、自分の想念 全体を観るという作業から生じるのだと思います。 精神世界を知ったら何かしなくてはいられなくなるというのも、その通りだと思 います。しかし、何かをする時、その目的はやはり無ではないでしょうか。自己 アピールして誰かを感化させようというのは、作為が有るのであって無とは言えま せん。作為を越えたところの大いなる繋がりを実感するためには、相手に同じ問題 意識を持ってもらおうというような背後の動機をしっかり見据えて、それに影響され ないでいる自己観察の姿勢こそが大切なのだろうと思います。 06830/06835 NBB01420 SUKE ノロガメさんの目的意識に対して ( 7) 96/01/18 23:20 06827へのコメント #6827 ノロガメさん、こんばんは。 最初に一つ確認しておきたいのですが、 >>ARIONK言葉に、精神世界を知ってしまったら、事を起こさずにはいられなく >>なると言うようなものが有りましたが、宗教活動はそんな人間の姿であろうと思い >>ます。 これ、ARIONはこの場を宗教とはしていなかった筈です。 また、精神世界=宗教と言う図式も語っていない筈です。 もう一度確認下さい。もし私が間違っていたらご指摘下さいね。 さて、多少突っ込みがきついやりとりになっても、恐らくノロガメさんは会話 に食らいついて頑張る人だと思いますので、敢えて失礼を承知で進めて行きた いと思います。 むしろ今まで話を続けてこられた気概を信じて、ここはオブラートを書けずに 率直に書きますのでよろしく(^^;)                 === >>「無」になるとは、外部的原因で自分を「無」に至らしめるのではなくて、自意識 >>の改革で自分を「無」として設定すれば、何事もなく生きている状況下でも「自分 >>を観る」ことはたやすいものになると言うのがノロガメの「自己確立」なる吹聴な >>のです。 ノロガメさんが仰有る「無」と言う境地は、つまり物欲的な拘りを一切排除し て、無欲の境地に至った事を言っているのでしょうか。 拘りに左右されずに自分を観ようとするのは、確かに難しく、それでも大切な 事なんだろうと思います。 >>MAKOTOさんの論評、SUKEさんの感想を見ましたが、反論する訳ではないですが、で >>は自分に問題意識がどれだけ有るのかを問いたい訳で、 ノロガメさんはご自分から発言を欲されました。少なくとも今の状況はそうで あって、これに対して周りからコメントを付けているわけです。 発言を欲されたと言うことは、ノロガメさん自身が「自分を観る」を実践しよ うとされたのではなかったのでしょうか? MAKOTOさんや私からのコメントに「あなたはどうか?」と反論されるのは、 ノロガメさんが「他人を観る」をやっているわけで、本来は「ノロガメさんが ノロガメさんを観る」ことのために発言を欲されたのではないのでしょうか? >>                         ノロガメは精神世界を知っ >>てしまったために、問題意識が過剰になり、その意識を外に向けるのではなく、内 >>なる自分の世界へと向けて突き進んでしまったのです。 いや、むしろノロガメさんは決して内なる自分に目を向けているのではなく、 ご自分が悟られた「自分とは無である」と言う事を広める功名心に突き動かさ れて、他人を見る事を実践されているように…私にはそう見えます。 それこそが、ノロガメさんが今まで気付かれなかったご自分の本当の目的意識 なのではないでしょうか? これは成功体験や深い感動を覚えた人がよく陥る罠だと思うのですが。 >>>相手になってくれる人達にしがみつこうとしているような気もする。 >>というMAKOTOさんのRESは観方によっては、正解かも知れませんが、では何故はし ゃ >>いでいるのか、何故しがみつこうとするのかを観て頂きたいですね。 >>ノロガメは問題意識が強すぎて、皆さんとコミニュケーションを図るのがどうもう >>まく行きません。 問題意識と言うのはこの場合、世の中一般に対する問題意識でしょう。 本来はノロガメさん自身に向けてご自分でご自分の問題を意識することこそ、 この会議室で皆が実践しようとしている「自分を観る」作業なのです。 >>この場の目的は「自分を観る」事です。 「この場」と言うのはどういう意味でしょうか? 「ノロガメさんの目的は」では違うのでしょうか? これではノロガメさんの目的が「この場の目的をこの場の人々に実践させる」 と言うことにあるように見えます。 しかし精神世界において道を極めた者であれば、「自分は出来ている」と言う ような態度はとらないと思います。 さて、本当の所ノロガメさんが持っている目的、問題意識と言うのはどの辺に あるのでしょう?                         (^^)…☆ッテナモンダ Suke. 06833/06835 HGE02116 MAKOTO RE:ノロガメさんの問題は? ( 7) 96/01/19 23:35 06827へのコメント #6827 >ノロガメさん。SUKEさんへのRESの中で、私の発言の事含めて述べられ ていたので、割り込ませていただきますね(^^)  読んでいて、特に気になった部分が二つあります。「問題意識」と「演じ」とい う言葉に引っかかりを感じました。  まず「問題意識」だけど、自分の感じた問題点を、普遍的な問題であると思い込 む事で、自分のものであった筈の問題が、曖昧なものとなってしまう事があります。 私は何度もはまってしまいましたので、とても気になります。ノロガメさんは大丈 夫ですか?  自分の感じたものが問題点が、普遍的なものだと思い込む事は、自分の問題点を 他人事にしてしまう一番手っとり早い方法です。でも本当は、問題って感じた当人 のものなんですよね。他人のものじゃないし、みんなのものでもない。気がついた 個人のものです。だから、気がついた者が動けばいい。変えた方がいいと思ったら まず自分自身から、そして自分の身近な所から変えていけばいい。全てがそこから 始まるんだと思います。  でも、ノロガメさんの発言には、理論や理屈はあっても、行動が感じられないの です。実際にどう変えていったかは書かれていない。ノロガメさんの感じている「 問題意識」とは、具体的にはどのようなものなのでしょうか? また、問題意識を 持った後、それを日々の暮らしの中で、どのような形で生かされているのでしょう か? そろそろ、そのあたりの事をお聞かせいただけませんか。  次に「演じ」について。演じているという気持ちの裏には、これは私そのもので はないという意識があるように思います。でも、演技の中にも、確実に自分はうつ しだされます。演技もあなたの一部、一面の姿、自分の中に無いものは演じられま せん。  ここで一つ問題がある。人に演じている姿しか見せない場合はどうなるでしょう か? 虚像が、あなたそのものの姿になるのです。誰もが、意図的に演じられてい る姿しか知らないのですから、貴方がどんなに思わせ振りな書き方をしようと、ノ ロガメさんの思うところの、本当のノロガメさんの姿は見えてこない。これは演技 に過ぎない。本当の私そのものではないと、いくら熱心に言いつのっても、無意味 です。知らないものを察する事はできません。  ご自分の姿から学ぶ事を望まれていらっしゃるようですので、私が今、あなたの 発言からどのようなものを学ばせていただいているかを、書かせていただきます。  今の貴方の態度からは、問題意識の持ち方といったものを学ぶことはできません。 あなたの真意といったものを推測する事もできません。私にとっては反面教師のよ うなものなんですよ。自分の中に、こんな側面は無いだろうかと、自らの態度を振 り返る為に、私はあなたの発言を見つめています。  屁理屈などいらないのです。演技もいりません。無論、演じているあなたも、紛 れもなくあなたの一面の姿ではあるのですが、どうせなら思わせ振りな態度ではな く、生身のあなたを見せてはいただきたいものです(*^_^*)                           MAKOTO でした☆ 06834/06835 HGE02116 MAKOTO RE:話そうと思い立つ時 ( 7) 96/01/19 23:35 06828へのコメント #6828>まゆみさん、RESありがとう(*^_^*)  今は、ここで言葉を交わすことについて、ほとんど不満を感じていません(^^) まぁ、私生活って部分では色々ありますけど、言いたい事を飲み込んでやせ我慢 する事が少なくなりました。それなりに衝突は増えたんだけど、腹に溜め込んで 不満ばかりをつのらせているより、はるかに建設的なようです(^。^)  やっぱりね、今でも抱き締めて欲しいし、許容して欲しいって思ってる。でも 私もね、もしもどこかに全面的に許容してくれるような人がいたとしても、けし て満足はしないと思う。こじつけてでも、あら捜ししてでも、不安や不満の種を まくと思う。所詮、都合のいい夢は夢。そこに安らぎはないんだよね。こんなも の、誰かから与えられるようなものじゃないんだよね(^^)  私もね、いろんな姿を見たいし、見せていきたい。硬直したイメージなんてい らない。思い込みもいらない。そんなものは壊したい。で、もっとのびのび生き たいわ(*^_^*)  とりあえず、これでひと区切りかな? まゆみさんの感じてたことも、色々聞 かせてくれてありがとう。まゆみさんとこうして会議室でお話できて嬉しかった です。また何か気になる事があったら、声かけて下さいね。RTCとかでもよろ しく(^。^)                          MAKOTO でした☆ 06835/06835 GBG02043 維/YUI ノロガメさんの一連の発言を読んで ( 7) 96/01/20 11:12 自分が0である、無である。 そこはわかったんだけれども、 私はその先が聞きたいと思っているのでした。 自分が分かって、自分を観ることができて、それで今どう日々を 暮らしているか、日常起きる事柄が、どう関わってきているか、 そんな話を聞きたいな〜。 維/YUI - FARION MES(11):狼を生きる  ★ 平井和正の著作から 96/01/20 - 01947/01948 JBH00712 桂 桂 我が母の教えたまいし歌 (11) 96/01/19 19:21  「地球樹の女神」PART3は<我が母の教えたまいし歌>です。  これはどこかのクラシックのタイトルだということを以前耳にしたことが 在ります。さて一体何処の曲でしょうか? 時間が有れば調べて見て下さい ね。  この中のサブタイトルにも有る「我が母の教えたまいし歌」では四騎家の 母、千枝について語られているシーンが在ります。中学生を相手に婚約者に なった大神五十鈴が一緒に千枝と背中を流すシーンですが、その中で千枝は 自分について四騎忍を育てるのが運命であった事を話します。  「あの時不思議な事が起きました。わたしの一生涯についてみなわかって   しまったのです。七歳の時に未来を覗いてしまって、自分の人生を知る   事になりました」  それはまだ幼子であった四騎忍を育てるという宿命だったようです。  この時千枝はまだ17の時で、それでも23歳も年上である四騎望の所に 嫁に行き、そして常人とはとうていかけ離れた忍を育て上げるという覚悟を 成したと在ります。  「見も知らぬ他人の幼児に、それまでに義理を感じられるものでしょうか。   自分自身の幸せを全部捨てて、恩も義理もない他所の子供に献身するな   んて、私にはどうしても理解出来ません」  「あなたは勘違いしていますよ、五十鈴さん。未来を見るというのは、た   だ傍観者として見るのではないのです。忍に決して他人ではないという   愛情を覚えたからこそ自分の使命を果たそうと決心したのです。いえ、   それはむしろ当然の事で、改めて決心するというような事では在りませ   んでしたからね」  どうしてそんな気分になれたのか、いやそんな感情が本当に存在するのか、 それは小説中の出来事とはいえ、現実にあるのか定かではありません。  だがこの大神千枝の言葉に、ある人物を想起しました。それは坂本竜馬で す。  平井氏は司馬遼太郎の「竜馬がゆく」の愛読者であったと聞いた事が在り ましたが、竜馬は背中にまるで馬のたてがみのような毛を生やしていたと史 実にもありましたが、おなじようにこの大神千枝にもそのたてがみの様な毛 を生やさしています。  坂本竜馬は幕末にあって、この男一人で維新回転の事業を成し遂げたとま で言われた男です。疾風怒濤の勢いで佐幕、勤王、志士の間を駆け巡り、日 本初の株式会社を造り、多くの門弟を育て上げ、そして理想に死んで行った 正に自らの運命を知り尽くしたかのような人生を生き切った男です。  かたや大神千枝は、武芸を習いながらも幼子を育て上げるという事に自ら の全てを捧げ、そして今や自分のする事はなくなったといわんばかりに今度 は五十鈴に「後は任せた」と国に帰ると言い出します。  坂本龍馬と大神千枝、似ているような生き方です。  もし何か、そう何でもいいのです。自分が一つのことに賭けられそしてや り通すだけの生き方が出来れば幸いです。自分が何をすべきで、そしてどう すればいいのか分るのですから。  そんな賭けられるものが見つけられればいいな、と思います。 桂 桂(JBH00712) 01948/01948 JBH00712 桂 桂 悪夢のかたち (11) 96/01/19 21:31  というタイトルの掌編があった。  どんな内容だったろうか。繰り返される日常の日々を過ごしながらも実は 世界は少しずつ次元移動を繰り返して、主人公は一見平凡な日々を過ごしな がらも同じ様な世界を、同じ悪夢を見続けるというナイトメアな短編だった と思う。  長い夢を見る時がある。  それはやはり悪夢だ。黒い影がやってきて自分を急かす。どこかに行って しまえ、ここはお前がいる所ではない、そんな風に急き立てる。しかしその 言葉に従ってしまえば、元いた所には戻れない、未来永劫のジプシーとなら なければいけない。  高校を終える間際になって頻りと呟いていた台詞があった。  「世捨て人になりたい」  誰とも会わず世間の柵を断ち切って一人で過ごす。  何もしない、何も考えない、独りぼっちの世界。  ふと考えれば、犬神明もそうした生き方を選んで来た。  一人で生き、一人で闘う。誰の為でも何者の為でもなく。  四騎忍は全てを欺き、世界を破滅に追いやる大悪人の道を選んだ筈、であっ たらしい。全ての者に対して心を閉ざし、世界を敵に廻す事選んだ。  犬神明が自らの孤独の影に潜む陰鬱な欲望を捨て切ったのは、エミリーの 助力があって闘う道を再度選ぶ気になったからだろう。自己憐憫と怠惰と厭 世感を捨てて。  四騎忍はその背後に千枝の存在がいた。  彼女の必死の介護と、そして日常生活における厳しい鍛練が、忍の心の轍 を少しずつ融かして行ったのかもしれない。ただし、この箇所は小説中に書 かれていないから全くの想像に過ぎないのだけれども。  孤独ととも歩き始める人間は、何時の日か心を開いてまた歩み始める。  四騎忍の孤独であった姿は「地球樹」の中で独白と客観的な描写以外書か れることはなかったのは、きっとこの主人公がそうした弱さをみせてしまう のを嫌ったからかもしれない。とかおもってしまったりして。 桂 桂(JBH00712) - FARION MES(12):精神世界裏表 ★ ニューエイジビジネス を斬る 96/01/20 - 00753/00754 GDB00302 いのり RE:これが超常宴会芸の本か(笑) (12) 96/01/18 21:15 00698へのコメント コメント数:1 超超おひさしぶりでございます。 秋口以来、すっかりごぶさたしてしまいました。 久しぶりにROMをしておりましたら、YAHATAさんの 昨年11月の書き込みが目に留まりました。 超カメレスをお許しくださいませ。m(..)m ご指摘の通り、私がドップリつかっていたセミナーの 主宰者の本です。しかし、「なんたら文芸大賞」を取っていたとは しりませんでしたね。(^^;; プラスイメージは私のものの見方を変えることになりました。 その後、セミナーに行かなくなってからも私は各種の本、雑誌で 精神世界を探求(放浪?)するのですが″肯定的に物事を捉えるというのは どういうセミナーやワークショップでも基本のようです。 精神世界放浪記も尻切れトンボのままで数ヶ月たってしまいましたが、 ぼちぼち再開いたしますので、きなが〜〜〜にお待ちいただければと(^^;;; 存じます。 - FARION MES(13):神秘学遊戯団 ★ 限りなき神秘への航海 96/01/20 - 04198/04202 KFQ02761 しまうま RE:集合魂 (13) 96/01/18 20:20 04195へのコメント #04195 KAZEさん  こんにちはぁ(^^)。 :日本人がほんとうに不思議なあり方をするのは、 :おそらく古代の集合的なあり方が失われず、封印されたような状態で、 :現代まで継承されてきているようなところにその因があるのかもしれません。 :ですから、多くは集合的なくせに、随時、いきなり目覚めたような方が :大量に出現するようなところがあります。 :ここらへんの話は、ひょっとしたら :AMA族の話ともつながってくるかもしれません(^^)。  うーん、非常に興味深く読ませていただきました。  「集合魂」「民族霊」というのは、日本人の心の奥深いところにインプット されている“OS”みたいなものでしょうか(^^;。1つ1つのアプリケーショ ンはそれぞれ異なる動きをするけれども、根っこはすべてOSでつながってお り、しかもそのOSの基本的な性格に則ってある種の共通項のある動きをして いる……みたいな感じをイメージしてしまいました(^^;アンイダナー。  もしAMA族の血がこの「集合魂」のベースとして存在するとしても、その 表面を覆うエゴ(とゆーのでしょうか)の皮の厚さで、ほとんど見えなくなっ ちゃっている、というのが今の状態なのかもしれませんね。 :つまり、ある表現されたことからフィルターを取り去って、 :その核の部分をちゃんとみながら、 :「では、この表現にはどういうフィルターがあるのか」ということを :検討していくことができるということです。  これも大変参考になりますm(__)m。  僕はこの「核の部分を見る」ための視力があまりよくないようで(^^;、すぐ に活字媒体やニュースで得た知識を鵜呑みにしていまいます。これは「あまり ニュースなどを見ず、情報の入り口が単一に近い感じになってしまっているた め」ではないかなあ、と自己診断しています。  複眼的に世の中を眺める癖をつけるためには、複数のニュースソースをもっ ておいたほうがいいんでしょうね、きっと。 :半ば無意識に働いている集団の力学なんていうのに耐えられなくて、 :だからといって、自分がどうしたいのかもよくわからないままに途方に暮れてた。 :こういうのって、けっこう辛いんですよね。 : :ま、そんなこんなで、この歳になりまして、少しはいろんなことが見えてきて、 :やっと、途方に暮れることだけは少なくなったって感じなんです。  うううううん、なるほど。  僕はどちらかというと「集団の力学」に馴染む、というよりもすっかり取り 込まれてしまっていたような感じです。で、その「集団の力学」の中ではたい てい「弱者」として隅っこのほうにいたような記憶があります。だから僕の場 合“浮いていた”というよりも“沈殿していた”という雰囲気に近いかもしれ ません(^^;。  いずれにしろ、集団のミドルレンジからははずれていた、という感じでした。 そのあたりはもしかして共通項なのでしょうか?(^^;  僕も、最近になってようやくたとえ集団の中で沈んでいたとしてもあまり気 にしないようになりました(^^)。   しまうま(KFQ02761) 04199/04202 GGA02514 KAZE 病気の直接的原因と遠因 (13) 96/01/19 15:35 04179へのコメント 隆ちゃん、どうも。 >経済界というのは、政治家、医者、教育家などの「ぬるま湯」の世界(なんて >言ったら叱られるかもしれませんけど)と違って、ほんとうに実力だけの世界 >という側面がありますから・・・。 確かに、経済界では、言い訳はまったく意味をもちませんよね。 具体的に結果を出すことがリアルタイムで求められているわけです。 また、現代の日本というのは世界でも重要なポジションを占めていますけど、 そのほとんどが経済界の方々の八面六臂の活躍によっているのは事実です。 もちろん、「銭ゲバ」的な側面もでてくるのは避けられませんが、 おっしゃるような「商人魂」には、それなりのエートス、倫理観があって、 単なる「銭ゲバ」ではないんですよね。 そういう伝統のためかどうかはわかりませんが、財界の偉人とでもいえる人が 戦後にたくさん活躍したおかげで経済的には比較的恵まれた今の日本があります。 そういう経済的なバックボーンにささえられて、その他の分野でも・・・と いうふうになればいいのですが、それが足を引っ張るばかりというか(^。^;)。 >             最近の世の中は、トータルな視点どころか、最低 >限の良心さえもない「偉い人」(政治家、医者、教育者、役人、末は博士か大 >臣か・・・アァ、コリャコリャ)が多くて困ったものです。 たしかに「先生」ばかりが増えてしまって、内容がない。 ほんとうの意味での「先生」なんかいかくなったから「学生」もいなくなった。 またはほんとうの意味での「学生」がいなくなったから「先生」もいなくなった。 すべては、名誉と利権だけのための「偉い人」ばかりというわけです。 経済的な分野と違ってほんとうの切実さを感じなくてもやっていけますしね。 >ちなみに、新興宗教は論外です(^^;)。もちろん、真面目に(法治国家の一員 >として、法律を犯さず生計を営んでいるというような意味です)やってる人た >ちもいるんだろうけど、これだけ新興宗教の破廉恥な事件が度々報道されてる >のに、「まぁだ、懲りないか!」って感じてしまいます。 >鈍いんだろうか???!!!。 「心的フォロー」ができないのは、まさに既成の宗教こそ、そうです。 新興宗教との違いは、一応社会的に認可されているので、 あわててお金儲けに走らなくても、そこそこ儲かっているということと あえてリスクをおかしてまで、「心的フォロー」には手を出さないということです。 そういう既成の宗教があまりにもばかばかしいのが多いから、 その隙間商法的に新興宗教がベンチャービジネスを展開しただけでしょう。 今の時代ではけっこう社会的認可を得ている葬式や墓、供養云々にしても、 あれはけっこう近代になってベンチャービジネス的な展開のなかで 今のような半ば内容のない形が次第にできあがってきただけですから、 どっちにしても似たようなものだとはいえます。 ちなみに、先日、死んだら葬式も埋葬もしないで、骨にしてもらって、 それを遺棄してもらえるような協会とかがあるということで、 先日、それを説明したものを入手してきました。 そのうち折りをみて、それに登録しようかなと考えています。 やはり、葬式や墓、供養云々がかなり有効なビジネスになるような そんな状況はなくさなければならないと思うのです。 儀式は儀式として否定しなくてもいいわけですし、必要なこともありますが、 わけがわからずやっている状況だけはやめなければ、 無知と不安と恐怖を食って育つ死のベンチャービジネスは 今後ますます大きくなってしまうのではないでしょうか。 >よく「自分に素直になりなさい」とか「自分に正直になりなさい」といいます >が、結局はこういうことなんでしょうね。僕の言葉で言うと、「スケベ心」は >あってもいいけど、「変なスケベ心」は捨てたほうがよいという事でしょうか。 「スケベ心」があることを隠さず、しかもそれを下品に言い立てず、 その「スケベ心」をちゃんと自分で見据える勇気を持つということでしょうね。 「変なスケベ心」というのはよくわかりませんが^^;、 それはおそらく、自分の「スケベ心」への自覚がないか、 それが他の人にどう影響するかをわきまえず、騒ぎ立てたり、 過剰なまでにその「スケベ心」を隠そうとしたりっていうことでしょうか。   >彼は、どっからみても、困ったおっさんですが、そういう自分の尺度で生きる >っていうスタンスは大事だなぁなどと思いながら、娘達とビデオに撮った「じ >ゃりん子チエ」を見る今日この頃です(^^)。 その「自分の尺度で生きる」というのは、だれがなんと言おうと、 自分なりの価値観を貫くだけの気概ということでもありますよね。 「あの人がこう言うから、自分はこう思うんだけど、こうしておこう」 そんな人って、特に日本人には多いでしょ。 ま、ぼくのように「こうしておこう」というのがないのも困りものですけど、 風見鶏をずっとやっているようなのってダメだと思うんですけどね。 でも、その主体性のない風見鶏を多くは「協調性」だとして 奨励したり空気があるから、ますますそうなってしまうんでしょう。 >「知ろうとしない人は、自分が知らないことを知らない」(変な日本語(^^;)) でも、それっていえますよね、結構名言かもしれません。 無知の知というのはとっても重要だけど、 そういうことを言う前に、知ろうとする努力さえ必要と思わない人が多い。 そういう人は、権威に弱いですから、マスコミなどのばかばかしいまでの見解を すぐに鵜呑みにして、それを真実だと思いこんだりする。 で、そういう人ほど、恐ろしいほど、自分のドグマを振りかざしたりする。 困ったものです。 >こうして、色々考えると、(まっとうに)生きるということは大変なことです。 >まさしく立派な修行とも言えそうですが・・・この修行場を「現世」と称して >新興宗教に逃げ込んで、出家して、修行すると言いながら惰眠を貪ってる(覚 >醒しているとは思えない)奴等の頭の中には、一体何があるんでしょうかね。 >なんもないんだろうけど・・・。マァダ、コリネエカ!(^^;) 考えてみれば、人間は、「(まっとうに)生きる」ために この世に生まれてくるわけですよね。 「(まっとうに)生きる」ことが大変だからこそ、障害が多いからこそ、 それらを克服しながら、「(まっとうに)生きる」ことを目標にする。 それを、禅などでは「平常無事」だとか「日々是好日」だとかいいます(^^)。 「平常無事」だとか「日々是好日」だとかいいながら、 それは非常にダイナミックな状態で、 その状態にいるためには、偽我を滅したりするための修行が必要になるわけです。 しかし、おそらく現代は、かつての時代とは違って、 まさにこの日常生活のなかでそれをしなければならないように思います。 かつてのような「出家」なんて今や逃避にしかならないのではないでしょうか。 もちろん、日常生活に逃げ込むということも、 新興宗教の中に逃げ込むということと何ら違いはないことも知るべきでしょうね。 ですから、日々、テレビを口をあんぐりあけてみながら、 それを鵜呑みにしているだけという人は、新興宗教を笑う資格はないわけです。 同じことなんですから。   >病気になって苦しむのは、この自分を見据える苦しさから逃げてるからかもし >れないなぁと思うことがあります。だからといって、見据えりゃ病気が治るの >かと言われると、そうはいかないので困るのですが(そう簡単に自分を見据え >ることはできませんから(^^;))、僕自身は、その自分を見据える努力を続け >たいと思っています(^^)。 病気ということで思い出したのですが、シュタイナーがよく使う譬話があります。   たとえば、「昔の人はどんな病気も、神か悪魔のせいにした」とよく言われ   ますが、このことはひどい迷信であるとは言えません。ただ現代人は、「神」   や「悪魔」という概念を昔の人がどう考えていたのか、知らないだけなので   す。   このことを次のような会話の例で考えてみましょう。Aが次のように語りま   す。「今見てきた部屋には、蝿がいっぱい飛んでいたが、それは当然のこと   だ。とても部屋の中が汚れていたのだから。」汚れが蝿のいる理由だという   のはよくわかります。一度きれいに部屋を掃除すれば蝿はいなくなる、とい   うのも正しい意見だと思います。   しかしもうひとりのBは、「蝿がいっぱいいる原因は、その部屋に以前から   とても無精な女が住んでいるせいだ」と言うのです。   それに対してAが応じます。「無精を一種の人格のように言うのはひどい迷   信だ。無精が眼で合図すれば、蝿がいっぱい飛んでくるとでも言うのか。蝿   がいるのは、部屋がひどく汚れているからだ」。   私たちの問題にとっても同じような例がいくらでもあると思います。「彼が   病気になったのは、病原菌をうつされたからだ。身体の中の菌を追い出せば   病気は治る。もっと根深いところに霊的な原因がある、というようなことを   考えなくても、病原菌を殺すだけでいいのだ。」   (シュタイナー「シュタイナーのカルマ論」(高橋厳訳/春秋社)P53-54) 目の前の直接的原因を取り除くというのも、病気ではとても大事なことですが、 症状を引き起こしている遠因を改善するというのはもっと大事で、 その遠因を自分で気づかない限り、悪循環でしかなくなります。 「自分を見据える苦しさ」というのは、真の原因を見据えると、 「この病気は病原菌のせいだ」という単純な還元論では済まなくなります。 もちろん、見据えただけで治るなんてことはないですが、 先の引用の例でいうと、そこに住んでいる人が、 少しは部屋を整頓し清潔にするよう心がけることで、改善ははかれます。 対処療法でいえば、部屋をすぐに片づけるのが有効ですが、 その根本原因を改善しないと元に戻るのは時間の問題です。 ですから、まずは対症療法をしながら、その根本原因を見据えること。 そして見据えたと思うだけではなく、それを実践することが必要なんですよね。 >今のマスコミのお下劣さというのは、ひとえに「視聴率至上主義」の産物で、 >その原因の半分は視聴者にある訳ですから、ネットワークが発達しても中身は >同じってことになりかねません。そうならないようにするには・・・やっぱり >一人一人の自覚しかないですから、まずは自分の姿勢をただして・・・あとは >祈るのみでしょうか(^^;)。 「知ろうとしない人は、自分が知らないことを知らない」(「隆」名言集より) ということですから、おっしゃるように、 まずは自分からはじめる以外になさそうですね。 ぼく自身のことを見ても、「知る努力」はおそまつな限りですから、 まずは、自分が知らないことを知るための努力をしたいと思います。 そうすることで、日本でいえば、一億数千万分の一だけは、 少しは改善することができますからね。 それに、かつてに比べれば、こうしたパソ通などのネットワーク手段も 飛躍的に向上してますから、地道にそこらへんで頑張るしかないかもしれません。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 04201/04202 KFQ02761 しまうま RE:不苦不楽の中道の不備^^; (13) 96/01/20 01:32 04196へのコメント #04196 KAZEさん  こんにちは〜(^^)。  「空」についてですが、僕がなんとなく感じているのはこんな雰囲気です。 誤解があったら、ぜひ正してやってくださいませm(__)m。 ・なんとゆーか、一種の「まだ形を成していないエネルギー」のようなもの。 ・そのエネルギーが、何らかの刺激(縁?)によって、形を成す。 ・エネルギーの形成の一形態が、この世の中。 ・今、この世の中があり、またこの世の中に自分が居るのは、単に“空”なる  エネルギーにごく微妙な“縁”が加わっただけの状態であって、“縁”がな  くなれば、またたちまち雲散霧消する、という程度の虚しい存在。 ・そんな虚しいものに執着するのは虚しいからやめましょう(煩悩を滅する?)。  うーん、正直いって自信ないです(^^;。 :ここらへんは、けっこう混乱したりもするところだし、 :仏教的説明そのものがけっこういろんな意味を混同させてるようなので、 :そのうち整理してみようかなとも思っています。  ぜひともお願いいたしますm(__)m。 :仏教は中道を強調してますけど、 :そのくせ「四苦八苦」だとかいうように、「この世は苦」を強調します。 :それを絶対化するきらいがあるのです。 :でもって、どうもそこらへんから「解脱」ということがでてくる。 :こういうのって決して「中道」ではありませんよね^^;。  ああ、なるほど! 確かにそうですね。この世を「苦」であると規定するこ とにもなんか無理があるような気がしますが、それよりも「苦」から永遠にオ サラバするために「解脱」を希求する、という姿勢は自然ではないなあ、と思 いました。  中道を求めるのであれば、苦を好きになっても嫌ってもいけないし、また楽 を好んでも毛嫌いしてもいけないんでしょうね。うーん、僕はそういうほうが いいなあ、と思います。 :その意味に切り込んでいかなければならないところを、 :どちらも「不苦不楽」とかいうように否定の中道としてしか :とらえられないでいるわけです^^;。 :もちろん、その観点は重要ではあるのですが、それだけでは不備です。  ううむ、なるほど。苦や楽を否定する、肯定する、という姿勢も、中道から は離れていますね。「右端でも左端でもないところが中道である」ということ ではないし、また「右端と左端を足して2で割ったところが中道である」とい うことでもないのですね。 :やはり、肉体をもってこの世に生まれ、そして育ち、老いていくことの意味を :積極的にとらえていくことのなかで、その意味を深く実感し、 :認識を深めていくための中道でなければならないと思うのです。  そうですね。僕も、生まれてきたからにはいろんなことを実感し、認識して いきたいと思います。苦、楽にこだわらず。そういえば、認識の大元になる心 を、この会議室でずいぶん耕させていただいているような気がします(^^)。   しまうま(KFQ02761) 04202/04202 KFQ02761 しまうま RE:風の本棚●天使が私に触れるとき (13) 96/01/20 01:32 04197へのコメント #04197 KAZEさん  またまたこんにちは(^^)。 :このような新たな視点を獲得するときもはやわたしたちは地上的な幸福や不幸 :に翻弄されることはなくなる。安易に有頂天になることも、闇雲に絶望するこ :ともなくなる。  この言葉、たいへん感銘深かったです。安易な有頂天、闇雲な絶望……どち らもついつい浸ってしまいがちな精神状態ですが、できるだけ早く気付いて、 現実的な対応ができるようになりたいなと思いました。そういう強健な心でな いと、この世紀末、マジで生き抜いていけないような気が最近しています。  理想的には、そのハイになった気分や落ち込みを、積極的に利用していくと いう感じなのでしょうか。それはまだ僕には難しそうですが(^^;。   しまうま(KFQ02761) - FARION MES(14):預言解読村  ★ 預言・予言は何を語るか 96/01/20 - 03582/03586 HQK00566 SOUND RE^2:「炎で書いた物語」第二章 (14) 96/01/18 22:24 03557へのコメント 「炎で書いた物語」       第二章、幸せってなんだっけ(その5) >> 94/09/03 「火(カ)」→「タタラ・アタタラ」→「水(ミ)」…順を追って…  1986年、埼玉県川口市に移ってきたぼくは図書館の隣の 建物の名前を見ておかしな名やなあ、と関西弁で感じた。 「たたら荘」というのだ。それはこの町に点在するお年寄りの憩いの施設の名称だっ た。そのときはただそれだけのことで、のちにこの変わったことばにこんな形で出会 ってその秘められた意味を探ることになるとは思いもしなかった。  吉永小百合さんと浜田光夫氏の日活映画、浦山桐郎監督作品「キューポラのある町」 はこの町が舞台になっていると知ったのはつい最近のことだ。  「キューポラ」とは鋳物工場の円筒形の溶銑炉のことである。  東京オリンピックの聖火台を造った鋳物の名人、鈴木文吾氏は 近くの戸塚中学校で開かれた講演会の途中、 山下清氏と邂逅に話が及んだとき、感極まって激しく泣き出した。 「山下清先生はわたしのような労働者でも友達と言ってくれたんです」 それが鈴木氏にとってどんな重い意味をもつのかぼくには量れないが 魂の深いふれあいがあったのだろう。  鋳物に使うふいご「たたら」はこの町の産業を示す誇り高い代名詞として  「たたら荘」という名前に残されたらしい。   **********************************    >>「火」「水」で「神(かみ)」。 >>「神(かみ)」の間に「我(が)」がはいって「鏡(かがみ)」。  鏡開きの日にKAZE さんの出されたこの素晴らしいコメントは見事に鏡を開かれた。  そのコメントを踏まえて合わせ鏡のご神事を考察すると、  鏡のカとガとミを合わせる神事と思われる。 すなわち神事によって我に火(カ)と水(ミ)を合わせてしまうのである。  その神事の方法が >> 94/09/03 「火(カ)」→「タタラ・アタタラ」→「水(ミ)」…順を追って… >> 94/01/31 炎と水、そして風=「水(ミ)」→「火(カ)」→「タタラ・アタタラ」 のようなハロー・メッセージに示されている。 つまり 火水はそのままでは合わないから「タタラ・アタタラ」という手段を使う。 >> 94/05/19 蘇る力、水と火、火と水、狭間に雷電と風の夢乗せて 火と水の狭間には雷電と風があるらしい。それが「タタラ・アタタラ」。 タタラ=雷電とするには雷電の文字霊を開かねばならない。 その開き方を示すハロー・メッセージが出されている。 >> 95/05/01 傀儡の傀儡たる由縁、鬼の鬼たる由を食うて何世紀‥離断せよ  この不可思議なハロー・メッセージを素直に実行して 鬼や傀儡から由を離断してしまおう。するとヒトアシと人々と由とに離れる。 雷電も離断すれば雨と分けられた亀が隠されているのが見えた。 アメの亀とは天亀。 亀は日目でありヒメとも通じる。すなわち、ホトタタライススキヨリヒメか。 これはわからないがヒメは秘めであってまだ秘められている。 以前、多々良純という役者さんがおられたがその多々良を当てはめて みたがもなにもみえてこない。 タタラ=田田裸、田田螺という漢字を当てはめるとどちらでも田が三つも使われて いる。 「田」は「日」のように今では本来の意味が封印されて 今は田畑の意味が主になってしまった。 「田」の文字の本来の意味を喚び起こそう。 そのために次ぎのハロー・メッセージを使う。 >> 93/08/26 第4と第5は同時に馬に跨り、第6は地に降り…卍は卍と共に  「卍は卍と共に」の卍は十字の右(水気)回りの回転(締める方向)を示す字である。 ムー大陸の人々は卍(スワスチカ)を太陽として崇め、海に沈んだ。 弘法大師、空海も仏教のマークにこの字を使った。  総統、火虎( ヒトラー)は左(火垂り)回り(開く方向)の 逆卍(ハーケンクロイツあるいはサヴァスティカ)をナチスのマークにした。  火を吐くようなと形容された演説で扇動し 松明行列をして炎の力を最大限に利用して人々を操った。  「卍は卍と共に」 この二つの逆方向の卍のマークを重ね合わせていただきたい。 そこにできる文字が「田」である。真太陽の文字。 封印されていた□に縦の棒|のヒと横棒の曰、ヒが組み合わされている。 完全な十(カミ)の回転力を示す文字だ。 「力」は十の回転の途中を表現した文字である。  本来の文字霊を使っているのは  成田山、臍下丹田、田の神、などの時。 さて、タタラに戻ると田田螺とはカミの回転の力が加わる業のようだ。 タタラを踏むことによって回転がおこり火が熾り風が起こる。  それは、神の子、ヒト(火徒、霊止、水人)のおこりでもある。 それでは言霊を形成する元になる音霊でタタラ・アタタラを開こう。   TATARA ・ATATARA となってほとんどAばかりだ。 発音してみる。繰り返し繰り返し、続けると口がおかしくなる。  ぼくはこういうことは苦手で巻き舌もうまくできないので笑われてしまう。  千回以上やって家族に愛想をつかされない自信がある方は試していただきたい。  気がつくとタタラだけの繰り返しになってしまう。  結局、あーーーー、と帯のようにつづける母音をオルガンの通奏低音のようにして t、t、rの子音を舌で区切ることになる。  タタラ・アタタラ、全体を支配する音霊は「あ」、その上にttrがちりばめられ  リズムと抑揚が生まれてどんどん回転していることを感じさせる。    アタタラは、タタラだけでは見えない全体を支配するアの音霊の力を示し 強めているように思える。  AはAUMのA=始まり、誕生、再生、を司る音。   >> 01/29 父は炎、母は水、子は風であった…子は亡き者とされ、今に至る  >>01/30 その子が居たこと、そして今も在り続けることを思い起こさねば… >> 94/09/03 「火(カ)」→「タタラ・アタタラ」→「水(ミ)」…順を追って…    のように神は 順を追って  火(K)+(A)=誕生、再生の音霊にタタラ・アタタラの回転を与える神事で水と交 わり子=風を生んだ。 神の子の命は人の内に亡き者とされてきたが、その神の子の命はわれわれの内に今も 在り続ける。 >> 94/01/31 炎と水、そして風=「水(ミ)」→「火(カ)」→「タタラ・アタタラ」  風=子=人は肉(ミ)を持つ存在ゆえに「水(ミ)」→「火(カ)」→「タタラ・アタタラ」の 方向の神事をとり行う。   それが人の使命である。       ******************  ここで、アの音霊に関連してARIONのプロフィールを以下に掲げてその意味を 探ろう。    >>★光よりの光、オリオンの最上の帯としての光より来たりて伝える、 ★我が名はアーリオーン、愛と光の天使  光よりの光とかオリオンの最上の帯とかわかりやすそうでよくわからない。  新約聖書を開くと    >>万物は言によって成った。 >>成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。 >>言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。   (新共同訳聖書、ヨハネによる福音書一章より)  のように、言=命=光、という聖句が見られる。  言は音から成るので、音→言→光、となる。  別物のように思われる音が光であることがわかれば (今はCDやレーザーディスクの登場で、違和感なくわかる)  「光よりの光、」は光よりの音とも言い換えられる。 つまり、アリオンは光で(あり音)である。    オリオンの最上の帯の光とはあ行の「ア」の音の帯域、  あ」は五十音の最上段の周波数帯。    帯であることを示してアーと伸ばされアーリオーンと書かれている。    、   「愛と光の天使」を   愛=天意と書けば、ARIONの使命がわかる。  「意」は心に音を乗せて、天の心の音と光の天使の姿が見えてくる。    アリオンを漢字にすれば  吾理音あるいは五理音かも知れない。転じて十理となる時が来る音のようだ。  そのとき、十理音、トリオンあるいはスリオンと呼ばれるのだろうか。      >> 95/10/19 明星は暁と夕闇の双方を照らす…帯を解く時期が来た、微笑みを…    アリオンは光と音の帯を解き、暁と夕闇を照らそうとしているようだ。            素直に微笑みたい。          (第二章、おわり)           ♪♪音(SOUND) ♪♪ 03584/03586 QWC01550 コットンマウス 須魔と須磨 (14) 96/01/19 23:33 03554へのコメント #03354 七穂さん 維/YUIさん  こんにちわ(^^) 割コメ失礼いたしますm(__)m  >ところで、栗須魔の須の意味をみてみたら  >(須・・用いること。しなければならないこと。)でした。栗を用いる?  >須魔が須磨、だと今も地震で揺れたりとかするんでしょうか?  >・・・と、何かふるえることばかり連想したりして(^0^;)     ゴミRESかも知れませんが、ちょっとコメントさせてください(^^)  七穂さんの書き込みを拝見して、約1年前の阪神淡路大震災(兵庫県南部地震) に起こったある事を思い出しました。  神戸市須磨区に、平敦盛を記念した敦盛塚があるそうでして、空・風、火、水、 地を象徴する4つの大きな石を積み上げた高さ3mの五輪塔です(方向は、南南東 を向く)。構造的には、空・風を現すくびれのある円筒型の石に突起(直径20Cm、 長さ15cm)があって、下の石(火を現す台状の石)に空けられた穴に差し込まれて おり、他の石の底面は全て平です(大きな揺れがあれば、簡単に崩れる!)。 この敦盛塚は、約1年前の阪神・淡路大震災の時に被災しました(付近の須磨断 層が活動して)が、不思議な事に、くびれのある円筒型の石のみが跳ね上がって西 の方角に落下したそうです。  これは、単なる偶然なのか、何か意味ある現象なのか、ちょっと疑問でした(思 い過ごしかなー?)。もし、何かお気づきの点があればご教示ください。  ちなみに、須磨断層(明石海峡から神戸市南部にかけて延びる)は、阪神淡路大 震災の際に大きく活動しており、今後しばらくは安全と言えるかと思いますが、そ の付近で長期間活動していない活断層が多くあり注意が必要でしょう。タブン!?                    小心者の震える子鼠(?)の                           コットンマウスでした 03583/03586 GBG02043 維/YUI それで、思い出した。 (14) 96/01/19 01:35 03580へのコメント CHARANさんの書き込みを読んでいて、思い出したこと。 二年くらい前にうちの近くの区役所の横の歩道のタイルとタイルの間 (目地っての?)が、ひび割れていたのに気がついた。 去年の(多分淡路と 神戸の地震よりか後)前半に、その周りのタイルにヒビが入っていたのを見た。 そして、それからさほどたたないある時、うちの旦那の車いすを押していて、 前はなかった段差におどろいてしまった。たしか、前に車いすで通ったときは あんなにギャップなかったよなぁ・・・・と。 それ以来、そこを通ると ついつい目がいってしまうのだが、2センチくらいはギャップがあった。 重い車でも駐車したのかなぁ・・・とも考えてみたけど、そんなもんが 停まれるような所でもない。 ちなみに最近そこを通ったら、ギャップが なくなっていて、タイルも割れていなかった。 そこと道路を隔てて反対側に、コンクリートのブロックみたいなのを 敷いた歩道になっているところがある。 ここも、ここ1年ほど妙に ガタガタしている。 角のガソリンスタンドは車が出たりはいったり ひっきりなしだから、そんなのの影響が出てる・・・と思えばそうなの かもしれないとは思ってみる。 でも、車が乗れないようなところが妙にゆがんでしまっているのは、 なぜなんだ? ある時、横浜の古い地図を見て、お〜っと思った。 あのあたりって 海だったのね、近代になるちょっと前まで。 そういや、旦那がいってたっけ、元町から野毛に向けて、細い岬が 突き出していて、それが横に広がった浜になっていたから、横浜って 言われるようになったんだと。 だから、中華街のところや、関内の 駅あたりは、もともとは深くれぐれた湾の中だったところだって。 げ〜、そういやぁ、区役所のあたりって横浜スタジアムに向けて、 下り坂になってるもんなぁ・・・。 地面ってのは、もともと動くもんだから上辺だけ固めても、 いずれひびがはいるものではないかと思っているのだけれど、 そういうことでなくて、西新宿のようなことになっているのだろうか。 結婚前は西新宿にもすぐ行けるところにいたので、ムーの写真をみた後、 現場を実際に見たけれど、あんなごまかしようのないズレをシカトしてて いいのだろうか・・・。 っていっても、行政は「でもどうしようも ないじゃん、いまさら。」とでも言いそうで。 あの辺に生活する人びとは、いざというときには皆であきらめろと いうのだろうか。 西新宿のはずれの熊野神社、そこの弁天様は池の中にある。 もともとは綺麗なわき水のあるところだったらしいけど、今はどうなのかな。 そういや、昔の横浜の突端と、対岸の野毛には弁天様が奉られていたけれど、 区画整理して官公庁を建てるということで、内陸に移動させられてしまい、 今は見る影も無い。弁天橋と弁天通という名だけが、その名残。 そして、その先の対先頃まで海だった所は、遠くまで埋め立てが進み、 みなとみらいという、街が出来上がろうとしている。 ランドマークタワーがあって、横浜はとても自慢しているそうだけど、 綺麗なビルだけど・・・。 あの街、なんかリアルじゃない。 人の息遣いがない。土臭さがない。 最新技術という魔術で造った空中楼閣だ。 あんなところでは、人は生きていくことができなくなるよ、あのままじゃ。 人を守り土を守ってくれた神々を、あとどれだけ追いやるつもりだろう。 そして、災害が起きたら人びとは天を仰ぎ神に助けを請い、かなわぬ時は 呪うのだろうか・・・そんなの悲しすぎる。 どうしても、雑談モードに突入してしまう・・・。 維/YUI。 03586/03586 KFQ02761 しまうま もんじゅのこと (14) 96/01/20 01:32 03530へのコメント #03530 コットンマウスさん  こんにちはぁ(^^)。こちらでも今日ようやく雪を見ることができました。落 ちてはすぐに溶けちゃうようなやつでしたが……。  さてさて、ぼんやりとした疑問なのですが、あのもんじゅがらみで自殺され た方、あれほんとかなあ?と、不謹慎ながら思ってしまいました。  なんか、一人亡くなられたことで、ほかの人たちの責任までうやむやになっ てしまいそうで、怖いです。少なくとも、世間の論調に多少の“同情ムード” が漂い始めているのは確かだと思います。  そして、これは危険な兆候のような気がします。   しまうま(KFQ02761) - FARION MES(15):マホロバ誕生 ★ 大和魂復活のために 96/01/20 - 00461/00463 GGA02514 KAZE RE:日月神示 言乃葉(悪の仕組) (15) 96/01/19 00:20 00460へのコメント まるにちょんさん、どうも。 >> 「悪の仕組」を少しでも阻害するには、僕たちが日本人とは何かを意識して、 >>日本の文化・伝統を見直していくことだと思います。 >> 日本人が日本人たる由を知ってみることによって、日本人の血霊の持つ力を甦 >>らせて行かなければならないと思っています。 「日本人が日本人たる由」。 それを知ることというの、言うは易しですが、 とっても難しいことですよね。 正直いって、ぼく自身のことを考えてみても、 「日本人であるということ」ということは、 とっても抽象的になってしまっていますし、 「愛国心」というテーマについてもはっきりとは答えられそうにありません^^;。 日本で生まれ育ったということ。 日本語を母国語としているということ。 そして、そういう環境の中で、善かれ悪しかれ日本文化の影響を 強く受けてきたということ。 そこらへんは明確に確認できますし、 個人的に、日本の文化・伝統にはかなり関心があって、 それに対する理解を深めたいという気持ちはかなりあること。 こうしたことはすぐにでも言えるのですが、 そうしたなかで、自分が色濃く影響を受けているということによって それだけで「日本人が日本人たる由」は明確にはならないように思います。 また、そうしたことくらいで、「日本人が日本人たる由」を確認したと思いこむのも 軽率なことだと思うのです。 「ぼくは日本人だから日本を問いなおさねばならない」というよりも むしろこう問うべきなのではないでしょうか。 「ぼくはなぜ今、日本人なのか」 この問いは似ているようであって、前提が違っています。 「日本人」である前に、「人間」であり、「ぼく」なのですから。 これは、「男」である前に「人間」であるというくらい当然のことなわけです。 しかし、「人間」である前に「男」や「女」だったり、 「日本人」だったりすることのなんと多いことでしょう^^;。 ここらへんのことから出発して、 「では、そのぼくの中に流れているものを探っていこう」とすることで 「日本」という要素がでてきますし、 またそこから「悪の仕組」についての問いも始まっていきます。 でないと、そうしたことを「個」であるより前に、上から、 集合的にとらえてしまうことになり、一種の群集心理で動いてしまうことになり 結局は、そうしたすべてが「熱狂の戦い」になってしまうわけです。 「日本人が日本人である由」のまえに「私が私である由」 それを明確にしていくことなくしては、 「日本人が日本人である」ということさえ成り立ってきませんし、 「日本人であること」から外に出られなくなってしまうように思うのです。 日月神示などの影響を受けて活動されている方々もいらっしゃいますが、 悪くするとそういう活動が、日本を自己目的化することに繋がり、 そこで「排他」という要素が色濃くなり、 単なる民族闘争のような色合いを濃くもってしまうという愚だけは 避けなければならないように思うのです。 そうしたことこそまさに「悪の仕組」の ひとつの極になってしまうことになるのではないでしょうか。 日本人であることを問いなおすということは、 「日本人」であることに閉じこもるということではなくて、 みずからの中に流れている日本人であるということを確認できるだけの 視野の広さや複眼をもとうとすることなのではないか。 そして、そのことを通じてしか、 「日本人の血霊の持つ力を甦らせて行」くことはできないのではないか。 そう思うのです。 では、続きを楽しみにしています(^^)。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 00462/00463 KHC01313 まるにちょん 日月神示 言乃葉(メグリ) (15) 96/01/19 03:41 コメント数:1  ここで、もう少しメグリについて、書きたいと思います。  まずは、引用から、   「心にメグリ積むと動物のイレモノとなるぞ、神のイレモノ、動物等に    自由にされていて、それでマコトの神の臣民と申されるか、判らんと    申してあまりであるぞ。ゴモク吐き出せよ、其侭にしておくと段々大    きくなりて始末にゆかんことになりて、しまいには灰にするより、手    なくなるぞ、…」                        (磐戸の巻 第十一帖)  ええっと、自分なりに上の言葉を解釈しますと、  心にメグリを積むこととは、悪いカルマを積むことです。  動物のイレモノになると言うのは、2通りの意味が在るように思います。  一つは、メグリを積むと心に垢が溜まってきたなくなり、波動の悪い動物霊 にとりつかれると言う意味かなと思います。  心の垢が人間としての働きを鈍らせ、魂の光が出ない状態になって、類は友 を呼ぶ式に、動物霊を呼び寄せてしまうのだと思います。(あくまで想像です が、実際とりつかれたら恐いですね(^^;)  もう一つは、得手勝手なこと、我よしなことをしておいて、心に垢を溜めて おくと、心が人間の働きをしなくなって、人間じゃないものになっていくと言 う意味にもとれると思います。  僕は後者の解釈の方が、ぴったりとくると思います。  心を曇らせるもの、動物霊を呼ぶのも、結局は自分の心がけ一つだと思うか らです。メグリを積まないようにしなければいけないんだと思います。  また、KAZEさん風に考えると、メグリを積んでしまったら、ほって置かない で、そのメグリも自分を教育する肥やし=エネルギーに転換させて、自己を成 長させて行くこともできるのではないかと思います。  ゴモクは、心にあるわだかまりみたいなものかなと思います。  わだかまり(腑に落ちないことと考えてもいいと思います)を心の中に放置 しておくと、それがいつのまにか腐って腐臭を放ってくるんだと思います。  壮なる前に吐き出せと言うことでしょう。  わだかまりや腑に落ちないことを外に出して、自分は何がどうしたいのか、 なんでそう思うのかなどを吟味していく事が大切なのではないでしょうか?  まあ、ゴモクを吐くと言っても、自分勝手な不平不満をぶちまけるだけと言 うことではないと思います。  例えば、不平不満をぶちまけても、その不満の根本は自分の中にあるとした ら外にぶつけても仕方ないと思います。  開き直って言えば、思い切り不平をぶちまけてもいいんです。ただ、その後 で、「どうして?」自分に問いかけてみて、原因はどこにあるのかを確認して いけばいいのではないでしょうか。認識することによって、初めて改善もでき ると思います。  ううむ、僕の書き込みって説教臭いかな…(^^;  では、また。                   まるにちょん、○ゝ 00463/00463 GGA02514 KAZE RE:日月神示 言乃葉(メグリ) (15) 96/01/19 21:21 00462へのコメント まるにちょんさん、どうも。 「心にメグリ積むと動物のイレモノとなるぞ」というのは、 やはり、動物霊に云々ではなく、人間の存在理由でもある真我働かない状態で、 人間の低次の感情などに振り回されるようになる状態だとぼくは考えます。 ぼくの考えでは、人間は、神を入れる器になるのがこの世で生きる目的で、 その神を入れる器こそが真我であり、それが正常に働けば働くほど 逆説的にみずからを「自由」にすることができます。 しかし、その器は最初からできあがっているのではなく、 この世に生まれてから自分でそれを作っていかなければなりません。 ですから、人によれば、その器は汚物入れにもなり、 またその反対に輝くばかりの器にもなります。 そして、その器に応じたものがそこに盛られることになります。 また、その器を弦楽器のイメージでとらえてみるのもいいかと思います。 人間は自分を楽器にしていく楽器職人で、 できあがった楽器に応じた弾き手が宇宙から私という楽器を弾いてくれます。 天使の弾くすばらしい音楽にもなるでしょうし、 また悪魔の弾く、魅惑的ではあるけれども破壊的な音楽にもなります。 また、まともに音のでないポンコツにもなります。 ま、そんなイメージをぼくはもっています。 ですから、「ゴモク吐き出せ」というのは、 先の器の例でいうと、自分という器に悪しき感情などばかりを載せるようになると その器そのものがそれに相応しい器になってしまうという警鐘でしょう。 そして、悪くすると、その器は使いものにならなくて、捨てられてしまいかねない。 つまり、人間であることができなくなるということだと思います。 》 また、KAZEさん風に考えると、メグリを積んでしまったら、ほって置かない 》で、そのメグリも自分を教育する肥やし=エネルギーに転換させて、自己を成 》長させて行くこともできるのではないかと思います。 はい、ぼくとしては、「メグリ」を単に使いものにならないから捨てる発想より その「メグリ」はそのままでは使いものにならないけど、 その使い方を考えれば、リサイクルだってできるかもしれないし、 もっと有効な使い方だってできるかもしれないといろいろ考え、 できるだけ無駄なく使ってみようという欲深い発想をしたいです。 もちろん、たとえば、その「メグリ」が腐っているもので、 それを食べたらお腹をこわすというのであれば、食べるなんて無茶はしないで それにEMをかかえてボカシにしてそれを肥料に使う、という感じです。 》 開き直って言えば、思い切り不平をぶちまけてもいいんです。ただ、その後 》で、「どうして?」自分に問いかけてみて、原因はどこにあるのかを確認して 》いけばいいのではないでしょうか。認識することによって、初めて改善もでき 》ると思います。 そうですね、とっても大事なことですよね。 ただ、おそらく認識するだけでは片手落ちですから、 もっと実践的に、具体的な行動を通じて自分を変容させていくことが その時にはどうしても必要なのだと思います。 そういうの、ぼくの体験からいってもとっても苦しいのですけど、 なんだか、そういうことではじめて、 自分が自由であることを実感できるところがあるように思います。 ぼくも苦しさから逃げるのを得意としてますから、 自分に鞭打ちながら頑張らねばと思っています。 (いえ、マゾではないんですけどね(^。^;)) では(^^)。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ - FARION MES(16):■特設会議室 ■ シルバーバーチを語る 96/01/20 - 262/265 GBB03425 Paper Birch 明日にも飢餓地獄か.... (16) 96/01/18 23:35 251へのコメント ジョリーさん、こんにちは。 「森高に恋人発覚!」の所為(セイ)で泣きそうな、Paper Birchです(;_;)。 ああ、もう僕だけの森高じゃ無いんだね。....って、最初から違うけど。 | 特に、穀物自給率に限っていえば、ヨーロッパ諸国が80〜200%なの | に対して、日本は、30%くらいですね。  ううむ(-_-;;ヒヤアセ。ほとんど1/3以下なんですね。ヘタをすれば明日に も、アフリカ以上の飢餓が待っているかもしれないとは……。  「先進国だ」とのぼせあがって、高いところに登ったものの、気がついた ら、いつ梯子を外されるか分からない状態になってしまっている。いや、ま だ「気がつい」ていないんでしたね。  もっと言ってしまえば、もしも「食料」という(外交上の)カードを使って 追いつめられたら……。何時また日本も戦争を起こさざるを得ない所まで追い つめられないとも限らない……。飢餓の危険だけでは済まないんですよね。 | 一度荒れた土地を元に戻すことは、もちろん大変な事ですが、これだけ減 | 少してしまった農業就労者を、どれだけ増やしていけるかというのは、至 | 難の業でしょうね。それに、お金もかかります。土地の購入はもちろん、  そうですね。実は、恥ずかしながら「減反」などの事までしか思い至らなか ったんですが、やる人がいないということの方が深刻な問題ですよね(小学校 の社会の授業で習いますよね)。特に今は、農業という職業に魅力を感じる人 が少ないと思いますし。実際、僕だってやってないんですから(^_^;ゞ。  これは、政治でなんとかなるかというと、それは難しいかもしれませんね。 でも、そもそもやる気がありそうにも見えないのが困ったものです。ちったぁ なんとかしようとせぇよ>政府  ただ、今のまま景気が回復しなければ(僕は、このまま永久に回復しないん じゃないかと思っていますが)、却って農業が見直される日が来るのではない かと思っています。  うちも今は人に貸しているものの、田畑は持っていますから、そのうち農業 に返り咲くこともあるかもしれない。 ……取りあえず、家庭菜園からかな(^^) △▼△ Paper Birch △▼△ 263/265 GBB03425 Paper Birch この程度の国民にはこの程度のマスコミ (16) 96/01/19 00:03 253へのコメント ジョリーさん、続けてどうも。 | それは、新聞記者が勉強してないっていうのが一番の現況だと思うので | すが、それ以外に、基本的に、真実を書く勇気がないんでしょうね。自  もう一つ、読者の質が低いというのもあるでしょうね。この程度の国民だか ら、この程度の政治家、この程度のマスコミ。この程度のマスコミだから国民 の意識も育たない(僕も人のことは言えない)。国民の意識が育ってないから、 そのレベルにあった政治家しか出てこない。不勉強なマスコミは的確な批判が 出来ない。  何をとっても国が良くなる希望が見えませんね。 ……が、この話題は会議室違いのようです。日と場所を改めて、いつかまた展 開することにしましょうか。(^^) | そ、シルバー・バーチについて、深ーーいお話をせねば(^^;)。そう言え | ば、あと半月で、タイムリミットの3ヶ月ですね(^^;)。  今月末で終わってしまうかどうかは、この会議室の内容をARIONさんと みれさんが、どう判断されるかに掛かっていますね(それだとやばい?(^_^;ゞ) この会議室の未来を信じて、あと10日間頑張りましょう。 △▼△ Paper Birch △▼△ 264/265 GBB03425 Paper Birch 肉体という下等なもの (16) 96/01/20 01:38 255へのコメント KAZEさん、どうも。  イチャモン・レスは歓迎ですよ(^^)。賛同レスより、コメントが付けやすい 事もありますから(^^;。でもKAZEさんのイチャモンは、毎度鋭いので結構苦労 します(^^;。 |ではありますが、イチャモンをつけたい部分は、ご想像通り、 |「肉体などという下等なもの」とかいう表現です^^;。 |引用部分にも「肉体は精神の従僕です」という表現がありましたよね。  はい、あれを書いたとき「KAZEさんは、きっとここにコメントを付けるだろ う」と思いました。いや、ワナを張っていたワケじゃないんですけどね(^^;;;。 (それから、テキストを持っていない人のために言っておくと、元の本ではシ ルバーバーチ自身が「肉体という下等なもの」という表現をしています。) |だからといって、肉体を「下等なもの」だとか「従僕」だとかいってしまうと |やはり「肉体」の意味について深く理解している表現だとは |思えないんですよね。  そうでしょうか? 確かに「下等なもの」という表現は過激ではありますが、 ここでは、心霊治療家を目指している人が病気になってしまっている状況で、 それに対して「こう思いなさい。」という為に、ああいう言葉になっているの だと思います。  もちろん、矢口さんが指摘しているように、翻訳の問題もあるかも知れませ んが、僕の考えでは、ここではそれは考えなくても良いのではないかと思いま す。  それからもう一つですね(^^)。「従僕」という表現ですが、これはおそらく、 言葉の意味の捉え方の問題ではないかと思います。KAZEさんは「従僕」という 言葉から、「肉体は無価値なもの、意味のないもの」というイメージを受ける のがマズイと思われたのではないでしょうか。ただ、これはシルバーバーチの 言葉の使い方が特殊なのかもしれませんが、決して「従僕=無意味な存在」と いうことではありません。  たとえば、シルバーバーチは自分のことを、(大霊の)「僕(シモベ)」である とか「従僕」「奴隷」「召使い」等と言っています。しかし、だからといって、 自分の存在が無意味なものと思っているわけではないはずです。  それでも問題になってくるのは「肉体の意味」ということの捉え方だろうと 思います。この世で生活するためには、この世の物質の肉体が必要なわけです し、それを持たなければ出来ないことというのも確実に存在します。肉体の重 要さや、そこから学べるものの多さについては、異論無いでしょう。  そこでKAZEさんは、「肉体と霊は、どちらが上でどちらが下ということは無 いのだ」という考え方を重視したいのだと思います。しかし僕は、やはり、霊 は肉体の上位に位置するものだと考えるべきだと思うんです。  もっと言えば、エーテル体とかアストラル体、コーザル体などの霊的な身体 も、この世の物質の肉体よりは精妙ではあろうけれど、やはり(霊的な)物質 に過ぎない。その中でも、もっとも質の低いのが、この世の肉体であると考え ています。  ……が、人智学ではたしか、人間の構成要素のうちでもっとも古くから存在 するのが肉体なんでしたよね。そういう立場からすると、やっぱりちょっと認 められないだろうなぁという気はします(^^;。 ここまでを前半として、とりあえず発言を分けます。 △▼△ Paper Birch △▼△ - FARION MES(18):武道とは?  ★ 自分に勝つ! 96/01/20 - 02848/02850 GCG01101 アマデウス RE:恐れと恐さ (18) 96/01/20 02:42 02845へのコメント   #2835 あもり  さん   #2836 みれ   さん   #2841 ウルヴィーさん #2845 九印   さん  をを、凄いマルコメじゃ(^^;   大ざっぱに言って、「恐れ」は自分の想像を越えたものが対象で「恐さ」  は自分の想像が作り出したイメージの産物であると言うのは、だいたい共通  する語感のようですね。 自分が思い煩う心配や幻影が「恐さ」だとしたら、  それは武道の場面で人の心の自由を妨げる「恐さ」でもあるのでしょう。     恐いと思えば恐い、逃れようとするとますます強くなる     恐さを押さえつけようとしなければ恐さは消える   「恐さ」に限らず感情一般に通用することだと思うのですが、この当たり  前と思えることが、難しいんですね。(と思いこんでいるだけなんだろうか)   今、吉川英治の「宮本武蔵」を読んでいるのですが、1巻で武蔵が初めて  「恐さ」を感じる場面が出てきます。恐れ知らずの暴れん坊だった武蔵は、  沢庵師に捕らえられて樹に吊るされ、人として、武士としての強さとは何か  をこんこんと諭されます。    沢庵 「腕ずくでは、なるほど、おぬしが強いに極まっている。        虎と人間では、角力(スモウ)にならん。だが、虎はやはり、        人間以下のものでしかないのだぞ」    武蔵 「・・・・・・・」    沢庵 「たとえば、おぬしの勇気もそうだ、今日までの振舞は、        無智から来ている生命(イノチ)知らずの蛮勇だ、人間の勇気        ではない、武士(サムライ)の強さとはそんなものじゃないのだ。        怖いものの怖さをよく知っているのが人間の勇気であり、        生命(イノチ)は、惜しみいたわって珠とも抱き、そして、        真の死所を得ることが、人の人間というものじゃ。        ・・・・惜しいと、あわしがいうたのはそこのことだ。        おぬしには生まれながらの腕力と剛気はあるが、学問がない、        武道の悪いところだけを学んで、智徳を磨こうとしなかった。        文武二道というが、二道とは、ふた道と読むのではない。        ふたつを備えて、一つ道だよ。−−−わかるか、武蔵」          (「宮本武蔵(一)」講談社吉川英治歴史時代文庫 P189)   この後逃亡した武蔵は、姉が囚われている山中の関所に救出に向かいます  が、攻め入る好きのない砦を見て、初めて恐さを感じます。知らないうちは  恐くなかった。でも人としての生に目覚めた今になって、ようやく人並みの  恐さを感じることが出来るようになったわけです。   その後の武蔵の人生は、沢庵師の教えを実践して恐さを克服していく道行き  になるのです。(まだ半分も読んでないけど、きっとそうなんでしょう(^^;)   苛烈な武蔵の生き方をそのまままねることなど、僕にはとても出来そうに  ありませんが、武蔵と同じ気概だけは持っていたいと思いました。                               アマデウス - FARION MES(19):世も末ばなし ★ ぶっ飛び話・罰当たり話 96/01/20 - 792/792 QZY01267 猫の手 信じてしまった理由 (19) 96/01/18 22:01 790へのコメント  何か信じているかと訊かれたら  私はアマノジャクだから 「何も信じちゃいない。」と  答えてしまう。     自分で言いながら、 「全てが私」だなんてことさえ信じちゃいない。  もし本当は  誰か造った存在が居てくれて  それが責任とってくれるなら  そうして欲しいと思ってる。  しかも  私の都合のいいように。    でもきっと  自分の責任放棄してしまったら  私の抱く期待も、望みも  私の都合も、状態も  全く無関係  私はその蚊帳の外      私は精一杯  理性的に考えたいと思ったの  私は私の経験の中で  考えられる限りに考えてみたの    だからそれが本当か嘘かは分からない。  言っている自分も分からない。    もし誰かが  それは違うと言ってくれて  本当のこと教えてくれたなら  嬉しいよ。  きっと嬉しいよ。  必ず嬉しいよ。    でも誰も  本当のこと  教えてくれなかったから。  でも誰も  私の疑問に  答えてくれなかったから。    みんな怒ったり  はぐらかしたり  頭ごなしに信じること強要したり、  結局、誰も  本当のこと知らないの分かってしまったの。   「どうしなさい。」 「こうしなさい。」  そう教えてくれる人は  たくさん居たけれど  私の知りたいこと  教えてくれる人  居なかった。    そして私は  求めることを辞めた。  そして私は  自分がどう生きたいか  どうしたいのか  考え始めたの。    何が欲しくてそれを知りたかったのか  想い巡らせ始めたの。    答は簡単だった。  自分が幸せだと思えなかったから。  もし私が幸せだったなら  きっとそんなこと  突き詰めやしなかったと思う。  もし私が生きること楽しんでいたなら  きっとそんな想い抱かなかったと思う。    どうしたら幸せに成れるだろうか?  どうしたら幸せで居られるだろか?  やっぱり考え、考え、  想いを巡らせ、巡らせ、  自分がどうしていれば幸せで居られるか  考え続けてみたよ。    でも結局、  その答えもなかったような気がしてる。  誰かに 「幸せください。」と  言ってみたところで  誰も私に幸せあげられないのも分かってしまった。    とりあえず  心地良かったりすることあっても  それは一時しのぎに過ぎないような  そんな気がして  何をやるのもアホらしくなり  しばらく何もしないで居ようと思ったの。    けれど  何もしないことすら出来ないことが  自分自身で情けなかった。  何もしないで居られたならば  どんなに幸せかと思ったけれど  腹が空いたら飯を食わずに居られなかった。  飯を食ったら食ったで  排便せずには居られなかった。  自殺することも諦めていた。    私は諦めた末、  私は私で居ることでしか  幸せでは有り得ないと思ったの  私は私で居るしかないと思ったの。  ただそれだけのこと。  何かしなくちゃいけないと思ってる  誰かに出会ったとしても  やっぱりその人  ただ怒り出す  はぐらかす  はたまた 「信じなければ不幸になる。」と  脅すだけ。  そうなのね、  みんな信じ込めているから平気なんだって。  信じ込んでいた土台が崩れてしまった私は  何をやっても  何を想っても  疑問が湧いてきてしまっていたの。  ただそれだけのことだと分かったの。  ああ、そうか、 「自分で信じることを選べるんだ。」  ようやくそのこと分かったの。  自分に都合が良くて  安心できて  納得できること  それを選んで信じれば良いんだって。  そう私は思ったの。    それで私は、 「全ては私」  そのこと信じることにしてしまったの。  それで私は、  誰もが幸せ求めてて  誰もが幸せを手にする途上に今と云う時はあるのだと  信じることにしてみたの。   きっと誰もが幸せ求めてるから  幸せ手にする近道知ったなら  その方法し始めるって  信じることに決めました。    でも誰かに私が 「あなたは何を信じてますか?」  なんて訊かれたら  やっぱり私は 「なんにも信じちゃいません。」  そう答えてしまうでしょうね。    やっぱり私は  アマノジャクなのかな?       ** QZY01267/『猫の手』 <96/01/18 21:19:24> **