焚き火に集う民は「そうだ、柴を拾いにゆこう」と腰を上げた。 - FARION MES( 3):Media Talk ◆ 本/映画/音楽を語る 96/01/23 - 01131/01136 NBB01420 SUKE エバ ( 3) 96/01/22 16:29 コメント数:1 週末に後輩夫婦の新居に招かれて遊びに行ったんですが、アニメに詳しい嫁さ んと好奇心旺盛なダンナに勧められるままに見た「エバ」。 ちゃんと言う名前は「エヴァンゲリオン」と言うらしいんですが、まぁ未来の 東京(遷都3回目らしい)での大型バイオロボット戦闘ものアニメですが(^^;) で、そのオープニングと伴に画面のリズムに魅せられてしまい、すっかり気に 入ってしまいました。CDなんか出てるかなぁ。 主人公が誰なのかまだ良く分かっていないんですが、あの敵役キャラみたいな 怪物じみたバイオロボットの内、零号機にのっかってる綾波レイちゃんが気に 入ってしまいました。 無表情で、無口、時折呟くように語る声、なんと言っても生きることに執着し ていない独特のスタンス…うーみゅ(^^)       今週からちゃんとエアチェックしよう(^^;)…☆ッテナモンダ Suke. - FARION MES( 5):**/////*/////*/////*/////*/////*/////** 96/01/23 - 00539/00539 SDI00635 みれ 凍結道路で見た迷い犬から考えたこと ( 5) 96/01/23 08:45  一昨日、くこの実や山葡萄の実、胡桃やらを仕入れたいと思って旦那と友人 と共に榛名山へ出掛けた。榛名湖は凍結した上に積雪のある状況だったけど榛 名山周辺の積雪は少ないなぁと感じた。でも日陰になる部分の道路には雪の名 残が凍結していた。 榛名神社横にある茶店で胡桃などを買うのだが、生憎、 この日は店が開いていなかったので神社にお参りだけして帰ろうということに なった。既に夕刻に差し掛かり気温も下がってきていたので、凍結道路を避け て箕郷から山の周囲を迂回しようとして道を間違い、結局、榛名湖近くを通る 凍結道路を通るハメになった。  もう真っ暗になっていた山頂近くの山道で、前に車が徐行しているのが見え た。何でかな?と顔を横に出して見たら、その車の前に犬が立っている。犬は 足を引きずりながら車の前を少しずつ避ける様に歩いている。見ると身体はボ ロボロ、足も怪我をしたのかピョコピョコと変な歩き方をしている。前の車は 少し前に出たところで停車して犬を見守っている様子。  暫くすると私達の車の横に犬が来た。賢そうな目をした犬だった。中型の雑 種の様だが身体全体は狼の様な形をしていて、中々良い犬だろうなと思った。 その犬は私達の車の中をぐるりと見渡して誰が乗っているのかを見定めた様な 風情をして私達の車の横を後方へ向かって歩いた。どう考えても犬が歩いてい る様な場所では無い。凍結した道路をボロ布の様になった毛に覆われ疲弊した 様子の犬が歩いているのは何故だろう?と思いながら、私達は一様に「この犬、 どうしよう」と思った。  人里離れた山中に疲弊し憐れな光を湛えた瞳の犬が、夜の闇の中で人里目指 してトボトボ歩いてゆく風景。悲し過ぎて物が言えない。前に停車している車 が犬を何とかしようとしていると判断した私達は、そのまま発進した。カーヴ を曲がると急勾配のカーヴした下り坂、しかも圧雪凍結路だった。車はスケー トをしながら何とか下まで行けた。  その辺りで急に私はさっき犬を車に乗せて来なかったことを悔やんだ。もし 停車していた車が犬を救助してくれていなかったらどうしよう…(;_;) あのま までは死んでしまうじゃないか。そんなのひどすぎるじゃないか。しばし、私 達は車の中で犬を心配して後悔しまくった。でも、あの急勾配の下り坂を上る のは無理だ…【ノ_;】ウゥ〜。  停車していた車が救助してくれたと信じよう。でも、次回、こんな犬や猫を 見つけたら必ず人里まで降ろしてやろうと皆で話し合った。でも、人里離れた 凍結した山中に、人懐こい瞳をした犬や猫が居るのは、とてもおかしいことじ ゃないのだろうか? 野犬が人に馴れている筈は無いのだから…。じゃあ、誰 かが捨てたんだろうか。  そう言えば、最近、いらなくなった犬や猫を山中に捨てる人が居るらしい。 私は猛然と腹が立って来た。人を信じ、人になついて一緒に生きている小さな 動物を平気で裏切る人間が恨めしく思った。どうしてそんなひどいことが出来 るのか…どうしても手放す必要があるにしても数日で命絶えてしまうような環 境に置き去りに出来る気持ちが理解できない。  ハンターが犬を連れて山に入り、そのまま犬を置き去りにすることもあると TVで言っていた。次の猟解禁まで犬を飼っているより、その都度新しい犬を 買う方が安くつくからという話だった。なんてことだ(`_')  捨てられたらしいワンちゃん、どうか生き延びていて欲しい…そして、凍っ た道傍をトボトボ歩いていた猫ちゃんも、どうか飼い猫ちゃんであって欲しい。 酷いことをする人間を許して欲しいとは思わない。生き延びて欲しい、それだ け…。小さな物の言えない生き物、しかも人間を信頼している生き物を裏切る 様な人間を私は許せないけどね..... ・:*:・みれ・:・。,★ - FARION MES( 6):ハロー・メッセージ ★ 今日のハロー・メッセージから 96/01/23 - 00601/00601 QWC01550 コットンマウス 三筋の亀裂 ( 6) 96/01/23 01:46 00377へのコメント #00377 しまうまさん  こんにちは(^^)。ご無沙汰してまーすm(__)m  さて、#370の中で、95/01/17のHMである 「三筋の亀裂は、一筋から分かれた二 筋の亀裂に重なる所で軋轢を生む」の解釈について、 >: もう起こってしまった地震ですし、当てものみたいになるので、解釈はしませ ん >:が、明石海峡を震源として、同じ活断層帯(有島・高槻・六甲活断層帯)に属す る >:2つの活断層(淡路島北部と神戸市直下)が、ほぼ同時に動いた「双子型地震」 で >:あると思われるとだけお話ししておきます(地震専門家の受け売りですが(^^;)  と申し上げましたが、新たに分かった事がありますので、お話しします。  昨年1月に発生した阪神淡路大震災(兵庫県南部地震)における断層の動きについ ては、地表に亀裂が現れた淡路島北部(野島断層)でははっきりしているのですが、 神戸ー西宮周辺地域での動きは、多くの研究者が調査したのですが、明瞭な痕跡を発 見できなかったことから、はっきりとした事は言えないようです。  ただ、地震が発生して、岩盤の破壊が震央(明石海峡)から北東方向(神戸市の方 角)進む過程で出された地震波は、世界中の地震計で観測されており、この記録の解 析をした横浜市立大学の菊池教授によると、「明石海峡下の震源から出発した岩盤の 破壊は、北東に進んだ後、神戸市西部でやや方向を異なる二つの断層に分かれ、一つ は北東へ六甲山地に進み、東北東に神戸市から芦屋市・西宮市方面へ10〜15キロメー トル進んで止まった」そうです。この解析は、その後の余震活動の分布ともほぼ一致 し、信憑性が高いと思われます。  このことを踏まえて考えると、上記HMの「・・・筋の亀裂」を活断層、「軋轢」 は断層運動を示していると思われ、「一筋から分かれた二筋」は活断層が二つに分か れた様を表しているように感じました。  上記HMが、阪神淡路大震災について語ってるものであるならば、その断層運動を 正確に預言したと言って過言でない思われます。  コットンマウス(QWC01550) - FARION MES( 7):自分を観る  ★ ARIONを鏡にして 96/01/23 - 06845/06848 MHD01716 タカチャン ARIONさんへ ( 7) 96/01/22 19:49 ARIONさんへ 自分を観るとちょつと関係ないんですが はてなちゃんなる、上昇三角と下降三角のくっついた物を見つけてしまい ました。エネルギーコンディショナーだ、そうです。 プレアデス星人が教えてくれたそうですが、ARIONさんの上昇三角と 下降三角と似たような物でしょうか?ARIONさんのそれも何かのエネル ギーシステム?見たいだなぁなんて思ってたんですが。 その団体は、想念観察、を勧めています。自分を観るにつうじてますが。この はてな なる物もいい物なんでしょうか? ところで ARIONさんの新しい本はもう出たんでしょうか?去年の12月 ごろにでるような話を聞いたような気が、するんですが、何せ情報が少ない田舎 にすんでいるものでわからないのですが。 タカチャン - FARION MES(15):マホロバ誕生 ★ 大和魂復活のために 96/01/23 - 00467/00472 GGA02514 KAZE RE:日月神示 言乃葉(悪の仕組) (15) 96/01/22 16:55 00464へのコメント まるにちょんさん、どうも。 》 集団を意識することと個を意識することとをどちらにも極端に偏らずにやっ 》ていって、集団の中での位置を拠り所にしつつ、さて「自とはなにか」、次い 》で「自分が日本人であることとは何か」を問い、こそから「日本人とは何か」 》を考えていく。そこからもう一度フィードバックして個と全体について、再度 》見ていくと良いのではと考えます。 ぼくは、どちらかというと、というよりも、かなり^^;、 「集団」というのが苦手で、ずっと今まできていますけど、 おっしゃるように、両方の視点が持てるようになれれば理想ですよね。 少し余談になりますが、この日本に生きている魂のかなりな部分が 過去継続的にこの日本に転生を重ねているという話を聞いたことがあります。 なるほど、って感じなのですが^^;、では自分はといいますと、 どうもそういう感じが希薄なんですよね、いくら考えても。 (考えてもわかるわけはないって!^^;) でもって、やはり、日本人というのは、集団的なのが得意で、 そうでないと、なかなか生きがたいというのが実感です。 「権威」、つまり「みんながそう認めている」「そういうものだ」 を重視する傾向が強いっていうのはありますから、 現代的な課題としては、やはり「個」の重視ということを通じて、 あらためて「日本」を見つめなおしてみる方向性が重要かなと思ってます。 日本人の多くは、お母さんと子どもだけだといわれています。 お父さんというのはいないわけで、それは大きな子どもです。 それは、ふつうの家族を観察してみただけでわかります。 そもそも、子どもがいたら、夫婦が互いに 「お父さん」「お母さん」と呼ぶようになることが多いように、 なんだか、家族全体のメンタリティも子どものレベルなんですよね。 》 しっかし、日月神示では、「排他」なぞ一言も言っていないのですよ。 》 よく「外国」という言葉が、日本に敵対するもの、ともすれば「悪の仕組」 》と一体化して使われているような所もありますが、それは単純に「他国」とか 》「他民族」とかと考えてはいけないんです。 》 外国=体主霊従とも読めますし、外国=外国にいるイシヤとも取ることがで 》きますから、いったん民族的なフィルターを外してみることが必要です。 ぼくは、日月神示をほとんどシュタイナー的に読んで納得してるんですが、 やはり、あの「ぞよ」「ざぞ」表現というのは、 かなり民族的な色彩を感じさせるに足るものだと思ってます^^;。 だから、「外国」っていうような表現は、誤解されてもしかたなくて、 どうしても排他的なイメージはもってしまうんじゃないでしょうか。 ですから、ぼくの考えでいえば、あの日月神示は、 もっと霊学的に解読していかなければならないと思ってます。 でないと、いつまでも、日の丸を鉢巻きして、 「四つ足は食うでない」的な教条で色塗られてしまうと思うんです。 ぼくは、やはり、そこらへんの民族主義的なあり方っていうのは 抵抗感以上のものを感じてしまうんですよね。 >仰るように、民族的な闘争は、イシヤの「悪の仕組」の思うつぼだと思いま >す。 確か、日月神示には、聖典も誤読で逆さまの意味にも読める、というような 内容のことが盛られていたように記憶してるですが(記憶違いかな?)、 そこらへんの意図的、非意図的によらない誤読というのには 特に注意しなければならないんだと思います。 では。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 00468/00472 GGA02514 KAZE RE:日月神示「悪の計画」考 (15) 96/01/22 16:55 00465へのコメント まるにちょんさん、どうも。 >> では、「悪の仕組」では、一切神が出てこないか? >> 実は、そうではない。逆に神をかたることによって神を信じさせないようし >>することが可能なのです。 >> 簡単に言えば、霊感商法でぼろ儲けしたり、オウムの様な事件が起これば、 >>これはもう、神も仏もないと人に思わせることが簡単に出来ます。 >> 神なんて人間の都合によって作られたものなのだと。 ぼくの考えでは、「悪の仕組み」というのは、 「神」にも「物質」にも執着させることで、 むしろそのふたつともにちゃんと認識させないようにするものです。 そういう意味では、やたらの霊好きも唯物論もまったく同じなわけです。 どちらも、認識の怠惰を表現しているにすぎません。 「神」を探求するということは、そのまま 「物質」の探求でもあるはずなのですが、 どちらもいいかげんなドグマを仕込んでそれに安住しているものだから、 どちらもわからなくなってしまうのだといえます。 現代においては、ただ、宗教的であることというのは むしろ「悪の仕組み」に加担しているといわれても仕方ないのだと思います。 「信じるだけで認識しようとしない」ことです。 もちろん、物質というものの根源を探求しようとしない 科学主義というのも「悪の仕組み」にほかなりません。 そういう科学主義というのも結局は、 悪しき信仰以外の何者でもないのではないでしょうか。 ご紹介していただいた神示のなかの、「心の窓早うひらけよ」というのは そういう意味では、その双方に対する「窓」でなければ、 片手落ちになってしまうように思うのです。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 00469/00472 VEG02736 たあぼう RE:日月神示「悪の計画」考 (15) 96/01/22 22:07 00465へのコメント まるにちょん さん、こんにちは。 お言葉に甘えまして、参上いたしました。 たあぼうです。 FMISTY の、某会議室に別れを告げてきたばかりです。 私の目的はただ一つ。 「本当のことを知りたい。」 です。 その為には、あえて、常識に反することや、タブーにも、 光をあてなければ、と思っています。(カッコイイー!!) 私は、幼い頃から、宇宙や空飛ぶ円盤などに興味があり、 本を読みあさっていたのですが、 知れば知るほど、分からなくなると言う、悪循環にぶちあたってしまったのです。 そして、時が流れ、 プロトコールに出会ったのです。 これだと思いました。 私にとって、プロトコールは 空飛ぶ円盤の問題だけでなく、人生、社会の問題さえも、 解き明かす、まさに裏聖書だったのです。 > 神様などいない、神は死んだと、そっと耳に囁きかけ、あるいは、神に縛ら >れず人間の自由を取り戻そうと囁きかけます。 「神は死んだ」と言ったのは、ニーチェでしたね。 プロトコールでは、ニーチェ、ダーウィン、マルクス、 以上三人の主義、主張は、 上記の目的のために、 仕組んだ虚構論理だと宣言しています。 そして、「自由」こそが、 人間の品性を、失わせ、国家を破壊させ、社会に混乱をもたらす、 最良の、道具だと述べています。 ちなみに、 自由と平等は、両立しないそうです。 なぜなら、自然には、平等なものなど存在しないからだそうです。 誰かの、自由は、他の誰かの自由を規制してしまうのです。 > 教育現場で、物質中心主義を教え込み、人間の作った科学万能主義を神の代 >わりにすればいいのです。 プロトコールの中で、彼等は、 独創的な考えをもった一人の天才が、出現するのを、怖れています。 だから、独創的考えを持つ人間が現れない教育システムを、導入したそうです。 > なぜ、そうするかと言うと、人間を支配し従属させるのは、人間であって神 >ではないとしたいからではないでしょうか。支配者自身が神のごとく振る舞う >のに、神は実に邪魔な存在です。 > それと人間を物質で縛り付けることによって、つまり物質が一番いいんだと >思わせることによって、それを与えることができる者が支配者と成り得るから >です。 彼等は、 善良な人間より、先天的不良の人間の方が、数が多いので、、、 と、述べており、 また、別の所では、 大衆は、賤しく、無定見、無節操であることを、認識せよ。 と述べています。 つまり刑務所の管理を、受刑者の中の、軽い刑の人達に任せておくことは出来ない。 私達、看守がしっかり管理しなければ、 と言うところでしょうか。 そしてこの看守は、受刑者に不満が広がらないように、あるいは、 看守の存在さえも忘れさせるように、 テレビ、映画、スポーツ、娯楽の本等々の物質的享楽を与え、 君たちには、自由と平等が、約束されているから、勝手にやりたまえ と、うそぶいているところでしょうか。 > こうして物質面からも精神面からも、神の存在を否定し、神を信じない民を >増やす続けていると考えています。 平等思想から、切り離された、敬神を根拠とした本当の意味の自由を知っている国民 の いる国家は滅びず、彼等の自由とならないので、 神霊の観念を奪い、個人主義的打算的欲望を植え付け、肉体的享楽的欲望を 植え付けなければならない、と述べられています。 うーん プロトコールは、するどいなあ。 感心する たあぼうでありました。 96/01/22(月) 10:15 たあぼう(VEG02736) 00470/00472 KHC01313 まるにちょん 日月神示「悪の計画」考 多数決の陥穽 (15) 96/01/23 02:21 00465へのコメント コメント数:2  さて引き続き「悪の計画」について考えを述べていきましょう。     「公平と云ふ声に騙されるなよ。数で決めるなと申してあろうがな。」                     (黄金(コガネ)の巻 第五十六帖)  (多数決ということ)  僕たちは、学校で民主主義は良いことだと教えられました。  最大多数の最大幸福、多数決によってものごとが決まられることによって、 人間のもっとも望むものを実現させることができる、そうすることで幸せに なると教えられました。  しかし、本当にそうでしょうか?  正しいことと、みんなが望むことは必ずしも一致しませんね。  だから、いくら多数決で決めても、それが正しい選択であるとは限らない。  また、たった一人が「これが正しいんだ」と言ったことが、本当に正しいこ とだってあるんです。  ガリレオが、地動説を教会に無理矢理否定させられたことは有名ですが、 たった一人の意見でも正しいものは正しいんだという実例でしょう。  多数決に頼っていくとどうなるか?  マスコミや教育の情報を操作して、これが流行だとか、これが今正しいとか、 あるは世論はこれこれを望んでいると恣意的に流せば、それに乗りやすくなり ます。  多数決や流行に頼ることによる思考停止が始まります。そうすると、一種の 洗脳にかけ易い環境が生じてきます。  人民はこうして、「去勢された子羊」のように流されやすくなっていきます。  支配者としては、「去勢された子羊」ほど支配しやすいことはないでしょう。  ではどうすれがいいのか?僕なりに考えてみました。  何が事の本質なのか?  これを見極めていかないと、いけない思います。  「みんなが良い」と言うから、「良いに決まってる。」と多数決に依存する ことは非常に楽ですね。  だって、自分の責任はあいまいで、失敗があったときはいつでも他者(ある いは多数決に加わった全ての人)のせいにできますから。  民主主義では、主たる全ての人間が自己の責任において選択することを要求 されるのに、民主主義の方法である多数決は、奇妙にも責任の所在を曖昧にし てしまいます。  こうしてみると、人に頼らず、自分で考え、自分で決めることが大切ですね。  なんだ簡単じゃないかと言うかも知れませんが、自分で決めると言うことは どんな結果が出ても自分が背負うと言うことですから、結構覚悟のいることな んです。  それと、言い意味での懐疑が必要です。  「みんながこうである」と言っているけど、ほんとうにそうなのか?と疑っ てみる、必要ならば、実際に行動で試してみることなんです。    つづく      まるにちょん、○ゝ 00472/00472 KHC01313 まるにちょん 日月神示 「悪の計画」考 平等と本分 (15) 96/01/23 02:25 00470へのコメント  続けましょう。  今回は、平等とか公平についてです。   「平等とか公平とか申すのは悪魔のワナであるぞ、天地をよくみよ、人    民の申す如き平等も公平もないであろうがな、一寸のびる草もあれば    一尺のびる草もあるぞ、一寸の草は一寸が、一尺の草は一尺が頂点で    あるぞ。これが公平であり平等と申すもの。…」                         (五葉の巻 第九帖)  僕は、学校や職場で、人間は平等で差別してはならないものだと聴きまし たし、全てを公平に扱わなければならないとも聴きました。  でも、ひねくれの僕は、なんだかそれは偽善的で心から頷くことができま せんでした。  で、今平等や公平については、「可能性を阻害されないこと」の平等さや 公平さが一番重要で、法律で定められた権利なぞは2の次のように思ってい ます。(^^;  日月に話を戻しましょう。 日月神示で言うところの、「平等」や「公平」は、僕たちが一般的に使用 する法的な意味あいのものではありません。  自然界には、人間の言う平等や公平はないとまで言い切ってますね。  考えて見ると、僕たちは、生まれた生活環境も違えば、顔かたちも違う、 当たり前の話ですが、そう言う意味では、平等や公平ではあり得ないんです よね。  では、何が「平等」で「公平」なのか?  それは、生きとし生けるもの全てが、その本分に従って精いっぱい生きる こと、命を燃やすことが出来るという点で「公平」であり「平等」であると となんです。  また、先にも言いましたが、「可能性」を持っている点で「平等」であり 「公平」であるとも言えますね。  自分自身を存分に活かしてやることが、それぞれの生命を「平等」で「公 平」にすると思います。 みそもくそも「平等」だ「公平」だと言えば、今度は人それぞれの持つ特 質や本分が薄れてしまいます。  自分というアイデンティティを維持できなくなってしまうことだってある んじゃないでしょうか?  それと、それぞれの置かれている環境を活かして、例えば逆境であっても それを糧にして人間を磨いて行くことが可能な訳ですが、 そんなとき、「平等」やら「公平」を持ち出すと、被害者意識に埋もれて折 角の成長の機会を逃してしまいます。  つまり、「平等」や「公平」が、現実逃避の言い訳にあるんです。  しかも、恵まれていると思われる人間に対して、逆恨みして攻撃するため の武器さえなってしまう。  本当は悔しかったら、努力してはいあがって行くのが筋なんですが、既に 逃げていて面倒なことはしたくないが、うらやましいそんなどっちつかづな 状態に陥ってしまいます。  「平等」や「公平」を美談として、推賞することによって、実は個人の本 分や努力を失わしめることが、「悪の計画」なのですね。  「平等」や「公平」を声高に主張し、その実己は何にもしない、他者を相 対的に引き吊り降ろしたい人間、どうしようもない人間を増やすことで国力 を低下させ、社会の活気を喪失させることが、「悪の計画」、イシヤの陰謀 なのです。  では、また。                   まるにちょん、○ゝ - FARION MES(19):世も末ばなし ★ ぶっ飛び話・罰当たり話 96/01/23 - 794/794 QZY01267 猫の手 声 (19) 96/01/23 06:20  その声は、  時を越え、時代を超えてある気がするの。  その声は、  野を越え山を超え響きわたっている気がするの。  その声は、  いつもいつも私に囁いている気がするの。  その声は、  どこの誰であろうと何であろうと何にでも囁き続けてる気がするの。    総てが幸せ手にしたときに  何もかもが幸せ感じたときに  きっとしてるだろう。  その時に生きていない私に向かって  その場に生きていないあなたに向かって  そこに居合わせなかった総ての私に向かって  「その時はあるから安心しなさい。」  というメッセージを送ること。  「そうなる時があるから勇気を出しなさい。」  というメッセージを送ること。    この世界にはいつもそんなメッセージ流れてる。  この宇宙にはいつもその声満ちている。  あなたにはその声聞こえますか?  あなたにはそのサインが見えますか?    夢中で居るときには分からない。  気を逸らしていたら見逃してしまう。  わずかなわずかなサインだけれど、  弱い弱い声だけど、  その声はいつもいつも流れてて  その声はいつもいつも囁き掛け続けてる。  聞こうと思ってもなかなか聴けないそのメッセージ。  見ようと思ってもなかなか読めないそのサイン。    あなたはそれが聴こえますか?  あなたはそれが読めますか?    少しずつ最近それが強くなってる気がするの  少しずつ最近それが近くなってる気がするの  それは私の思い込みかもしれないけれど、  それは私の思い過ごしかもしれないけれど、  間違いなく、間違いなく、それに近づいている気がするの。  間違いなく、間違いなく、そこに近づいている気がするの。    もしそれが私の思い込みだったとしても  もしそれが私の思い過ごしだったとしても  そんなことかまわない。  私がそれを信じれることが大切なんです。  私がそう思うことが出来ることが大事なの。  少しずつ、少しずつ、  そう思うことが出来るようなことが多くなってきて  少しずつ、少しずつ、  そういう出会いが増えてきて、  そう思えることが大事なの。  そう思うことが大切なんです。    そう思っている人が、一人、二人、  あそこにも一人、  ここにも一人、  少しずつ、少しずつ増えている。  私でさえ数年前までそんなこと想いもしなかった。  それが今は  ここに一人、  あそこに一人、  確実に確実に増えている。    そしてその声が、  以前は全く気にも留められなかったその声が、  少しずつ、少しずつ、はっきりしてきてる。  確実に、確実に、強くなってきてる。    それは私が私に送ったメッセージ。  それはあなたがあなたに送ったメッセージ。  どんなに挫けそうになろうとも  「必ずそこに行き着く」と  私を勇気づけるため  私が私に送ったメッセージ  あなたがあなたに送ったメッセージ  そうそれは、自分が自分に宛てたメッセージ    それを受け取り始めたとき、  それを受け取ることが出来るようになってきたとき  あっちの人も、こっちの人も  それを受け取り始めたときそれはもう近い。  永遠の彼方から、  送り続けてきたメッセージ  私が気づこうと気づくまいと  送り続けられてきたメッセージ    じーっと耳を澄ましてごらん  じーっと目を見張ってごらん  じーっと全身でそれを感じてごらん。  今はまだ弱いけど  今はまだ良く分からないかもしれないけれど  それは必ず誰の元へも、  流れてきていて  それは必ず誰にだって  感じられるようになるんだよ。  そしてその時は必ずくることになっている。    昔からそれをかんじてた人が言っていた。  「それは近い。」  それを近いと感じてた人は  もうすでにそこで待っている。  私たちが来るのを待っている。  そう、私がそれ感じること出来て  そう、あなたがそれ感じること出来るようになったなら  そう、それは私にも近いし、あなたにも近い。    じいっと、じいっと耳を澄ませてごらん。  じいっと、じいっと目を見張ってごらん。  じいっと、じいっと全身に感じさせてごらん。  それはすぐそこに来てること分かるから。    その声はずうっと流れてた  その声はずうっと囁き続けてた  その声は昔昔遠ーい昔から  野を越え山を超え、時を越え、時代を超えて  流れ続けてきていたの。    そして、その時は  もうそこまで来ているの。         ** QZY01267/『猫の手』 <96/01/03 10:26:37> **