「あなたは行かないのか?」と天使は凍える人に問うた。 - FARION MES( 2):Wellcome All ◆ いこい処*晴れるや亭 96/01/24 - 05479/05480 QZG02773 ウルヴィー 月は順序の鍵 ( 2) 96/01/24 01:09  みなさん、ご覧くださってありがとうございます(笑)。  アマさん九印さんが言っているように月は大事なキーですね。  絵の順を表す鍵であるとともにこの四枚の絵の主題の大事な  シンボルでもあるのですよ。むふふ(*^^*)。    といっても最初からあれこれ考えて設計したわけではなく  大体のところを大まかに考えてからぱあ〜っと描いたのですが  自分でも気づかないうちにいろいろと「あ、ここもそうか。  ここはそういう解釈もできるぞ」と思える箇所があって、  わたしも驚いています。その辺も解題で発表しますね。    でも8番でみれさんが言っているこの四枚の絵について話を  考えてくださるような企画があるようでしたら解題は  先のばしにした方がいいのかな?(ちょっと図に乗りすぎか(^^ゞ)。    めのくり夫妻とはあわただしくなってしまって…(^_^;)  さすがプロなんてほめても何も出てきませんよ(笑)。              うちの内蔵モデムは144だからなぁ          ロード5は早かろうなぁウルヴィー - FARION MES(11):狼を生きる  ★ 平井和正の著作から 96/01/24 - 01954/01955 MHD02672 TAO 世界の蘇生を願う (11) 96/01/24 00:03 01950へのコメント  #1950 SHIBAさん  どうも。秋葉神社下社は、わりと古びた趣があって悪くなかったですよ。森の中に  建てられていましたし。そういえば、上社の方はガランとした空間の中に建ってい  て、何か間が抜けていたように思えました。神社というのは森の中に在ってこそ、  その独特のエナジーを纏うことが出来るように思えます。  >> TAOさんは、神社にお参りする時は、どの様なことをお願いするのですか?  これを言うのはちょっと恥ずかしいのですが、大概「世界が美しく甦りますように」  という様な祈念をこめることが多いです。人間は散々地球を荒らして来ているし、  地球と人間、どちらが美しい?と問われると、「地球」と答えざるを得ません。世  界が美しい姿を取り戻す為には、人間が自らを犠牲にしなければならないとしたら、  その時は覚悟しなければならないとも考えています。  最も、本当の神の座というのは、神社の中にあるのでは無く、宇宙全体がそうであ  ろうと思います。神社はそのネットワークの拠点みたいなものかもしれませんね。  TAO - FARION MES(13):神秘学遊戯団 ★ 限りなき神秘への航海 96/01/24 - 04211/04211 GGA02514 KAZE 風の本棚●シュタイナーのカルマ論 (13) 96/01/24 00:59 ■ルドルフ・シュタイナー  「シュタイナーのカルマ論/カルマの開示」(高橋厳訳/春秋社)   これは、1910年、シュタイナーが、まだ神智学協会のドイツ支部長を していた頃に、2週間に渡って集中的に行なったカルマ論講義です。 この「カルマの開示」という講義集の邦訳は、すでに2年前、 イザラ書房から西川隆範氏の翻訳で刊行されていましたが、 今回はその同じテキストを高橋厳氏が翻訳したものです。 イザラ書房版が3200円なのに対し、今回の春秋社版が2575円だし、 翻訳も今回のもののほうが丁寧にされているようですので、 購入されるようでしたら、(装丁はいまいちだけど^^;) 新刊のほうがおすすめです。 シュタイナーのカルマ論に関する講義は、再び晩年に集中的になされますが、 この1910年のカルマ論の内容は、それに劣らず素晴らしい内容が 盛られています。 今回、別の翻訳ではありますが、2年ぶりに読み返してみて、 身体の内から感動の熱がわき上がってくるのを感じていました。 これは、ほんとうにおすすめでできるシュタイナーの講義集ですので、 もし、シュタイナーを何か読んでみようかなとお考えの方がいらっしゃれば ぜひこの機会にこの新刊をお読みいただければと思います。 愛と光に織りなされたこの生の意味が、 深く深く読む者の内に沁みわたってくることと思います。 今回は、あえて、引用は避けておきますが、 この内容については、おりにふれてコメントしていこうと考えています。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ - FARION MES(19):世も末ばなし ★ ぶっ飛び話・罰当たり話 96/01/24 - 795/795 QZY01267 猫の手 狂気、正常 (19) 96/01/24 12:06  ときとして、  狂気が正常とみなされるときがある。  正常な意識が堕落とみなされることがある。    何が正常で、  何が異常かは  本当のところ誰にも分からない。  誰もが自分が正常と云う。  たとえ、自分が異常だと云う人に会ったとしても、  自分が異常で居る理由は  この世界が異常性。  自分が正常でいるには、  この世界は狂気に満ちすぎている。  そう云って狂気を生きる。    誰もが狂気を感じてながら  自分も狂気の世界を狂気で生きる  狂気の世界だからこそ  狂気に生きる。    多くの人が、  自分が狂気のまま生きてるからこそ  この世界が狂気のままだということ忘れてる。    何が正常で、  何が異常か  誰も知らないけれど、  何が心地よく、  何が不愉快か  誰もが感じることできる。  だからこそ、  自分が心地よく生きて居られる世界こそ  自分が望める何より欲しい世界でないかしら?  自分が幸せで、  誰もが幸せな世界、  そんな世界が正常と云えないかしら?  それは贅沢かしら?  そんな考え、甘いかしら?  それは欲張りすぎるかな?    でも私は私のために  そんな世界が実現すること望んでる。  そんな世界を造りませんか?  あなたのその手で造りませんか?  どうしたらそういう世界実現できるか  一緒になって考えませんか?    狂気が正常とみなされるとき、  多くの人が不幸を抱く。  狂気が当たり前のとき、  不安がいつもそこにある。  私は不安におののく生き方、もう要らないの   不安の要らない世界  一緒に実現しませんか?  狂気も、  不愉快も、  不安だって、  嫌っている内はそこに在る。  狂気も、  不愉快も、  不安だって、  避けようとするからこそ生み出されてる。    そろそろそのこと  気づいても  良い頃だと思うんだけどなー。          ** QZY01267/『猫の手』 <95/12/06 06:09:09> **