「あなたの柴は何処か?」と天使は凍える人に真直に問うた。 - FARION MES( 2):Wellcome All ◆ いこい処*晴れるや亭 96/01/26 - 05489/05493 CQE04277 九印 謎の歌の話 ( 2) 96/01/26 00:03 05488へのコメント コメント数:1 # 05488 みんた さん:  お久しぶりです。テスト前なのでRTは控えている九印です。 > 戦時中の事を知ってる人に聞けば、きっと歌って聞かせてくれるでしょう。 > たぶん。(^^;  あー・・・うちのおじいさまは、耳が悪すぎて兵隊にならずに済んだそうです。  今でも、都合の悪いことは全く聞こえないみたいです。補聴器は持ってるのに。  まったく、人の言うことを聞かないから困ります。本当に聞こえないのかなぁ?  皆さん、頑固すぎるのもどうやらボケの一種だそうですので、気を付けて  ください(どうやって気を付けるんだよ>九印)。  新聞の購読契約断ったからって、私のことを頑固だと言うのはやめて  ください>○売新聞の勧誘のおじさん←かなりしつこかった                    CQE04277 九印 - FARION MES( 6):ハロー・メッセージ ★ 今日のハロー・メッセージから 96/01/26 - 00607/00607 KFQ02761 しまうま RE:凍える人と凍える民の違いは? ( 6) 96/01/26 03:20 00605へのコメント #00605 まるにちょんさん  ようこそいらっしゃいませ〜(^^)。 :「民」と「人」を分けて表現していますよね。 :焚き火にあたっている人たちは、「民」で表されていますが、 :今までは「凍える人」で、「民」と表現されたのは初めてです。 :また、次には「人」に戻っていますね。  うーん、おもしろい視点からのご定義、どうもありがとうございますm(__)m。  広辞苑でちょっと調べてみましたところ、「人」と「民」というのは意味合 い的に微妙に異なるらしいです。  まず「人」から、広辞苑で調べてみましょう。 ●人:ひと。ひとを人種・国籍・職業などで分類して呼ぶときの称。  とまあ、こちらはごく当たり前の説明です。  では「民」のほうは……となると、 ●民:統治されている人々。臣民。また、国家社会を形づくる人。人民。キリ    スト教で、神に導かれるものとしての人間。  と、なんとキリスト教がからんできちゃうんですね!  だからどうだ、といわれると、よくわからないのですけれど(^^;。  何かお気づきのことがあったら、ぜひ教えてくださいね(^^)>ALL。   しまうま(KFQ02761) - FARION MES(11):狼を生きる  ★ 平井和正の著作から 96/01/26 - 01957/01957 JBH00712 桂 桂 古風な男女 (11) 96/01/26 01:03  四騎忍は11の時にソープで童貞を無くしたとかビックマウス(大口)を 叩いているが、修羅によれば「大ウソ」だそうで(^^; まさか誰某となく 「筆降ろししたのは何時?」何て聞く訳にはいかない(笑)  御子神真名は美少年好きのニンフォマニア(色情狂)のように書かれてい るが、でも四騎忍には手を出さない。その口性の無さには呆れるが(でも面 白いや(^O^;))  これは妻木美夜でも同じ事で、やはり口は達者でも別にいつでも色好みの オーラを出している訳でもないらしい。冗談好きは御子神真名とドッコイドッ コイなのだが。  この通りこのキャラクター群は一見現代風でも中身は実に質実剛健な古風 な精神生を有している、実に素朴な、それでいて酸いも甘いも舐めこんだ様 な豊かな人間像である。それは現代の冒険小説が物語の形式にこだわり過ぎ た余り、登場する人間像の深みまであまり書き込まなくなったのと正反対の 兆候を見せているせいかもしれない。  最も「地球樹」は人間像が細かすぎて物語背景がさっぱり見えていないと いう弊害があるが(というか何がなんだか判らないと言った方が正確かも(^^ゞ)  四騎千枝に至ってはもはや落語の真打ちといった感じで、冗談もここまで やるともはや一種の芸術のようなものだ(殆ど褒め殺しのような書き方になっ て来たな(爆))。  明治以来旧態依然とした女性像が、近代に生きているというのは一種の感 動ものだが、それですら「自己の使命は忍を育て上げる事にある」と超然と 言い放つのはこれは戦国時代の婦道(女性の道徳的規範、女の花道って訳で すね)そのままである。  そのジョークが更に昂然としてしまうのは、「我が母の教えたまいし歌」 の最後に有る<インタビュー後藤由紀子編>だ。これにはトリックスターで ある作者(平井氏)が登場し、臆面もなく初恋の思い出を語っている。  これを恥ずかしい告白と取るか?  それともけれんみたっぷりの純粋ふりと取るか、それはあなた次第だ。  多くを語るのは野暮だが、この作者が作中に後藤由紀子と歩く砲台山とい うのは実在する。  思い出は一時で過ぎ去るものなだが、生きているうち形に止めることも可 能だ。それが例え流行小説というのものであっても、読者の心に刻まれる限 り、それは永遠の炎を灯す。 桂 桂(JBH00712) - FARION MES(13):神秘学遊戯団 ★ 限りなき神秘への航海 96/01/26 - 04217/04217 PXY03747 諏訪みのる RE^2:唯識について (13) 96/01/26 00:46 04206へのコメント   #4206 KAZEさん、こんにちは。    >>奥様のことはもちろん、みのる♪さんのほうもご自愛ください。   ありがとうございます。(^^) 妻の体調がおもわしくなかったのは、 もしかしたら二人目がお腹の中にいるからかもしれない…ということで、 早速今度の休みにでも再び実家へ連れ返って、 病院で診ていただく事となりました。(^^;) もし そうだとしたら、いろいろ大変です。いろいろ…^^;)。 >>ぼくのほうは、少し怠けてるだけなので、そろそろまた >>少しアクセルをふかそうかなとか思ってたりしますが、 私の方は、最近すっかり“亀レス”が板に付いてしまいまして、 KAZEさんのペースには尊敬を通り越して脅威すら感じてしまっています。(^^;) 今以上のペースアップを考えていらっしゃるようですが、 いつもながら^^;)脱帽です。(…って、勝負するつもりは毛頭ありませんが…) >>やはり、どんな思想もそうですが、それぞれ時代の制約がありますし、 >>仏教の話にとらわれると、どうしてもアクティブさに欠けてしまいますから、 >>中道論といっても、あくまで現代において、それがどういう実践的な意味を >>もっているのかということあたりに話をもっていければと思っています。 こうしたKAZEさんの一貫した立場(視点)は、 一年前、初めてFARIONに顔を出させていただくようになってから今日まで、 良い意味で私を啓発し続けています。 お陰様で、この一年の間に、私もかなり見方・考え方が変わってきたように思います。 ありがたい事だと感謝させていただいているのです。ジツハ >>いえ、ぼくはあくまでも「中道」についてお話しています^^;。 >>もちろん、そのなかで「空」についてふれてはいますけれど、 >>それは決して「中道」ではありませんから、念のため。 いえ、こちらこそ勝手な解釈をしてしまって申し訳ありませんでした。(^^;) 私は、「中道」の解釈の鍵は「空」の解釈に在ると思ってきましたので、 KAZEさんの解釈を勝手に我が田に引いてきてしまっていたようです。 「空」と「空の心」とは次元が違いますよね。 法相宗薬師寺の高田好胤管主の銘に、   かたよらない心   とらわれない心   こだわらない心   広く 広く もっと広く   これが般若心経 「空」のこころなり …というのがありますが、 これは唯識法相の「空観」を平易な言葉で表現したものと思います。 その「空観」を人間の心に体現させたものが、 上述の「かたよらない心…(以下略)」だと 私は解釈しています。 そして、この心の在り方ってのは、 そのまま「中道」の在り方だと思うのですよね。 だから前回の あのような表現になってしまったという言い訳です。(^^;)イイワケ >>やはり、どんな思想もそうですが、それぞれ時代の制約がありますし、 >>仏教の話にとらわれると、どうしてもアクティブさに欠けてしまいますから、 >>中道論といっても、あくまで現代において、それがどういう実践的な意味を >>もっているのかということあたりに話をもっていければと思っています。 時代の制約という点から見てみると、 今や「〜思想」とか「〜教」云々にこだわってしまうと、 本当にアクティブさに欠けてしまうんですよね。 これはもう実感として そう思えます。 一年前の自分と、まがりなりにもこのFARIONで学ばせていただいた今の自分とでは、 物事の見方・捉え方が、良い意味で広がった事は確かなんです。 ほんとに感謝させていただいているんです。(^^) でも、ただただ感謝しているだけでは駄目なんですよね。 まずは自分の守備範囲から正の方向へ体現(実践)させて行かないと…。 今、そのことについて あれこれと思索している最中なんです。 >>仏教は、なにかというと、すぐに、煩悩を滅することをいいますから、 >>結局は、その煩悩について深く理解しようとする姿勢はありませんし、 >>まして、なぜ煩悩があるのかなどについてはふれてないと思います。 以前、老婆焼庵事件(笑)「乾木 暖気無し」のお話しをさせていただきましたが、 仏教を名乗る全てが「煩悩」をネガティブに捉えている訳ではないのでしょうが、 多くは、それこそ「煩悩」自体にとらわれている…といった感は否めませんよね。 こうした傾向そのものにも、正に中道であらねばならないと思います。 中道を見定めるには、その両極をも含めて全てを理解していなくてはならない… ということでもありましょうから、 多面的な視点から物事を見つめて行くという態度は、 やはり最も大切な事なんだと思います。 >>で、その人智学的なビジョンのひとつの切り口として、 >>狭い意味での人智学の枠組みを越えた実践論のキーとして話そうとしているのが >>まさに「中道論」なわけです(^^)。 私にとっては、人智学的というよりも、 KAZEさんのビジョンの方が現実的かつ親しみが持てます。(^^;) それこそ人智学の枠組みを越えた実践論…とも言える訳ですから。 今後もKAZEさんの「中道論」、大いに楽しみにさせていただきたく思います。(^^) でわ、では。(^^)              みのる♪デシタ。 - FARION MES(14):預言解読村  ★ 預言・予言は何を語るか 96/01/26 - 03599/03600 HQK00566 SOUND 「炎で書いた物語」第三章、 (14) 96/01/25 19:40      「炎で書いた物語」第三章       (IN SEARCH OF THE LOST ARK)      (イン サーチ オブ ザ ロスト アーク)       「失われたアークを求めて」(その1)         昨夜(1月24日)、TVシリーズ「Xファイル」を観た。  その中に出てきた天才コンピュータ科学者が設立した会社の名前が 「EURISKO」(ユリスコ)といって車のナンバープレートにも使用していた。 その意味はギリシャ語で「ものごとを発見すること」という。  ぼくはギョッとしてアルキメデスの故事を思い出した。   アルキメデスは銭湯で比重の原理を発見して大声で   EUREKA」(ユーレイカあるいはユーリーカ)「わかった!、しめた!」   と叫びながら素っ裸で町中を駆け回ったという。   この二つの語に共通するユリの部分は「発見」を示すようにひらめいた。   この発見にぼくは寒いので精神の上だけで裸で走り回り   つぎのハロー・メッセージを開いた。   >> 95/10/02 麒麟の咆哮は大地を轟かせ、白菊の君は百合を龍に与えるだろう このハロー・メッセージの百合(ユリ)が「発見」ならば 白菊の君は龍になにか大切なものを発見させることになる、と思った。 ギリシャ語をご存じの方にとっては、なにを今さらと思われようが ぼくにとっては新しい発見でうれしかった。    そして、 思考は、「Xファイル」のような以前のアメリカの空想科学テレビ番 組につながる。 「宇宙大作戦」と呼ばれた「スター トレック」は映画のシリーズとしてもヒットし ている。 記憶は次々と関連情報を浮かび上がらせ、重要なキャラクター、 ミスター・スポック役のレナード・ニモイがホストを務めた (IN SEARCH OF THE NOAH'S ARK)(イン サーチ オブ ザ ノアズ アーク)  という30分の科学ドキュメンタリーシリーズがあった事を思い出した。   NOAH'S ARKとは旧約聖書のノアの方舟で、 世界各地の方舟の跡の残る到着地らしい山などを訪ねて それに関連する 謎を探求するというものだった。 毎週、現代も残る世界の不思議を様々な角度から検討して興味深い番組だった。  そしてその後、その題名にヒントを得たような映画が公開された。 「RAIDERS OF THE LOST ARK」(レイダーズ オブ ザ ロスト アーク) スティーヴン・スピルバーグ監督の「インディ・ジョーンズ」シリーズの第一作「レ イダーズ」だ。 ARKとは一般的には、神が十戒を炎で刻んでモーゼに与えた二枚の石板を入れた 契約の箱のことを意味する。 スティーヴン・スピルバーグは、アークに新しい解釈を加えて これまでのあらゆる冒険活劇のおいしい部分を満載して スリル満点の傑作エンタティメント映画に仕上げた。 どうもアークとはキリスト教社会では探求されたり奪い合いされたりする ような夢をかきたてる魅力的な存在のようだ。  そこには文化の違うわれわれにわからない意味が隠されているような気がする。 アークの音を日本語に変換するとなんだろう。歩く(アルク)なのか。 それとも悪だろうか。 日本人にとっては初めからアークということばは失われていて 日本語の語彙には入っていないような気がする。 この章で、ぼくも思考宇宙のアーク探しの旅に出ることにする。 今はまだ五里霧中だが物語を進めて行くうちに霧が晴れてなにかが現れてくるのか もしれない。       ***************************          さて、今回は「以前、急いで通り過ぎたハロー・メッセージを再掲して 違う角度から光を当てる。 >>95/11/09はじかみの色立つ午後、酒匂(サカワ)の戒めが解かれる…十種神宝 このハロー・メッセージの解き方を示すハロー・メッセージを見つけた。 >>95/02/27 黄金の文字は、黄金そっくりの文字の中に埋没している。探せよ  このハロー・メッセージの説くところを実行して埋没している黄金そっくりの文 字を探す。    はじかみの文字霊を見るために漢字表を探したが  はじかみの漢字は残念ながらJISとシフトJIS の漢字表にないので似た字を掲げる。 「橿(カシ)」、この字から木偏をとってクサカンムリを乗せた字がはじかみである。 どうか辞書を参照していただきたい。 ここには田が仲良く二つ使われている。まぎらわしいので 一柱の田の神様におひきとりいただいて前章のように離断してしまう。 そこに残されたのは黄金の黄にそっくりな形の字である。 どうやら、これが上のハロー・メッセージの示す、埋没していた文字のようだ。 とすれば、はじかみの色とは黄の色。 色霊の面からを開こう。 >>95/01/06 虹色三角は、緋と藍の交点を頂にした光と闇の三角が用意される   虹色は (赤、橙、黄、緑、青、藍、紫)の七色で黄は中央にある。  七色唐辛子は(胡麻、山椒、罌粟、菜種、麻の実、陳皮)などを使うので はじかみ(山椒)が使用されてハロー・メッセージに登場したらしい。 緋と藍の光を混ぜれば黄色になり 緋と藍の交点は黄で黄を頂にした光と闇の三角が 用意される。  >> 05/13 赤い横線3本の中央に直角に交わる群青の線1本‥浅黄色の裏地‥  このハロー・メッセージをよく読めば  1本の群青の線は3本の横線の全部を縦切りにして交わっているわけでなく 中央の線だけと直角に交わっている。 たとえば「王」の文字と考えれば上下の横線は赤のまま。  赤線と青線が交わった中央だけが黄に変わる 王の文字の中心の結び目が黄。  「田」の字としてもやはり十のヘソが黄ということになる。   浅黄色の裏地=朝来色の裏の地、つまりわれわれの立っている地の裏ではすでに朝 が来ている。  >> 05/14 浅黄が萌黄に変わり、朱鷺色の枢軸の輝き増す頃、新たなる決意を 萌え黄=くさかんむりをとれば明ける黄=中心、 朱鷺色=桃色=白と赤の混ざった色、この世の光=白と隔世の光=赤が混ざって輝く。 朱鷺の文字霊は 「鴇」で解けばヒの十の鳥、十がヒの回転して世を開く鳥。 いよいよ、朝が来て世が明けこの世とあの世の光が混ざって輝きを増してきたので 新たな決意で出発しなければならないようだ。  「はじかみ」のハロー・メッセージはあまりにも奥が深くて長くなりそうなので  次回に稿を分けなければならない。           (つづく)        ♪♪音(SOUND) ♪♪ 03600/03600 GGD02212 スウ □+△ (14) 96/01/26 07:04 03594へのコメント  ワリコメの割り米。すでに当方が過去に発言した内容の繰り返しですが、 □の中に△というと、4つ星の中に3つ星というオリオン座の構造と同じ。 意味するところは例えば□が東西南北の空間性で△が過去現在未来の時間性、 □+△で統合された時空、宇宙の全体性の象徴とか。立体化して表現すれば 前後左右の4点を貫く上中下の3点で正八面体(正逆一対のピラミッド)。                     こんなんもんですけど。(スウ) - FARION MES(16):■特設会議室 ■ シルバーバーチを語る 96/01/26 - 284/292 GDA00236 矢口 俊司    RE:治療家の金銭授受について (16) 96/01/25 17:39 281へのコメント コメント数:1 心霊治療と報酬について  皆様から色々な意見が出ておりますが、僕も非常に大切な問題であると 思いますので、書かせていただきます。  「神の物は神に、カエザルの物はカエザルに」と聖書に書いてあるとおり 霊界からのギフトである力を使って、生計を立てようとすることには、 与えられた肉体を使って労働することを放棄している訳であり、霊的な進歩 の道を自ら狭くしているのではないでしょうか。  高いお金を取らないと有り難がらないような人が来るとか、 お金を取らないと責任を持って治してないのではないかとか、 自分の仕事に自信を持っていないのではないか、いう人しか 来ないのならそれは結局、その霊能力者の程度が其処までであるという事の 現れではないかと思います。  ほかの仕事で費やす時間を、一人でも多くの人を治すために使いたいと 口では言う人がいますが、乱暴な言い方ではありますが、肉体を使って労 働することを、サボタージュしているとしか思えません。  遠くまで出向いたりすると、「お足代だけでも受け取って下さい」 というように、金銭でお礼の気持ちを表そうとする人もいるでしょうし、 「家でとれた野菜を...」とか「晩御飯を食べていって下さい」とか 感謝の気持ちを物で表そうとする人が多いのも、ほかにお礼の気持ちを 表す方法を知らないからであり、それはそれで受け取っても良いのでは ないかと思います。  アリゴーは、コーヒー一杯すら、受け取らなかったと言いますが、 目の前で苦しんでいる人たちが良くなっていく様を見ること、苦しんで いる人たちに対して自分を通して働く力に依って、自分が役立っていると いう事が、何よりの楽しみであり、何よりの報酬ではないでしょうか? GDA00236/矢口俊司 285/292 GDA00236 矢口 俊司    RE:半信半疑ながら「虫とり」について (16) 96/01/25 17:48 280へのコメント 癇の虫の出し方を、僕が人から聞いた方法があるので、 書いてみたいと思います。(シルバーバーチとは何の関係もありませんが)  手をよく洗い自然乾燥させ、粗塩(海水から作った物が望ましいが 無ければ食塩でも良い)を手に乗せ、両手で擦り会わせる。   ただ、是だけの実に単純な方法だそうですが、僕が実験してみたところ これがそうなのかな、と言う感じで細い糸の様な物が、指先から出ました。 GDA00236/矢口俊司 - FARION MES(18):武道とは?  ★ 自分に勝つ! 96/01/26 - 02855/02855 HGB02122 あもり 第2回テーマRT概要 (18) 96/01/26 03:16  27日(土)に、テーマRT第3回「恐さ−2」を実施します。  「恐さ」について、もっと細かく見てみようとするのが趣旨です。  参考のため、以下に前回の要素を上げておきます。  ★異性が恐い→自分の弱さ、愚かさが露呈するのが恐い        →どう反応するか分からないから恐い  ★永遠、無が恐い→??(^_^;  ★何をやるか分からない、目つきが狂暴な人が恐い    →危険、避けようとする自衛感覚が働く  ★「失う事を恐れている」(ARION)  ★「対象によって害が加えられる」「対象自体が分からない事」=恐い  ★予測出来ない事  ★クモが恐い→赤ん坊はクモを恐がらない  ★自分が恐い  ★喧嘩が恐い  ★犯されるのが恐い(女性意見)  ★神戸大震災の後、おちおち眠れなかった  ★心霊写真はそれほど恐くない。しかし、影から覗いてるのとか恐い  ★見知らぬ土地で闇夜に放り出されたら恐い    →(反論)実際にそうなったら恐くないだろう  ★「死ぬ」のが恐い(恐くない人もいた)  上記、出来るだけ「恐い」に触れた部分を抜き出してみました。  こうやって眺めてみると、「具体的」であればあるほど分かりやすいような  気がします。  今回予定しているRTでは、なるべく具体的に恐いと思った事を用意して  置いて下さいね。  ARIONがかつて言った、「未知のもの」についてもちょっと話せたら  いいなと思います。                       HGB02122 あもり - FARION MES(19):世も末ばなし ★ ぶっ飛び話・罰当たり話 96/01/26 - 796/796 QZY01267 猫の手 異端児の中のそのまた異端児 (19) 96/01/25 23:13  チャネリングものを読む。  多分そうだと思う。  きっとそうだと思う。  でも何かが違うと感じてしまう。  そこかしこに違和感感じてしまう。    多分、アセンションはあるんだと思う。  それは必ず起こっちゃう。  そう私も思ってる。  この三次元の束縛から  五次元への広がった生き方  出来るようになるという。  永遠の命を得るという。    多分そうだと思う。  きっとそうなんだと思う。  でも何かが違うと感じてしまう。  ちょっと違うと思ってしまう。    異端児のそのまた異端児の『猫の手』は  永遠の命って元々あったと思ってる。  スターシードでなかろうと  ライトワーカーでなかろうと  誰もが元々永遠の命に属してる。  ただ自分がその一部だと云うことを  忘れているに過ぎやしない  そう思ってる。    必ず、  この現実と云う世界に於いて、  天変地異はあるでしょう。  私が息をしている  この地上において  誰も生きていられないほどの  激変するときくるでしょう。    それは地球の再編の時  それは宇宙の再編の時  宇宙の創造者が新しい世界を望む時    その意図に合うものはアセンション。  その意図に合わないものは処理される。  さて、  どういったものがアセンションできて、  どういったものが処理されるのか?    でも本当に  アセンションするのが幸せで、  処理されるのは不幸せ、  そんなことホントに云えちゃうの?    もしかしたら、  アセンションするものよりも  処理される闇のものたちの方が  幸せになってしまうことだって  あり得るんじゃないのかな?    そんなふうに考えてしまう私は  どこか変?  そんな私は何か変?    処分されてしまうものこそ、  真っ直ぐに宇宙の根元に溶け込むことになり、  この宇宙の創造者の意識に立ち返るような  そんな夢を見てしまう。  そんな私は頭が変で、  そんな私はやっぱり異端児かな?    アセンションできなかった者達が  処理された後、  どうなってしまうかは  マスター達もホントは知らない。    どこのどんな悪魔であろうと  どこのどんな厄介者であろうとも  この宇宙の大切な大切なその部分だから  この宇宙の創造者そのものだから    ただただ苦しめ続けるなんてことしやしない。  本当に苦しくなったら  本当に本当に  苦しみの限界越えたら  必ず救われるから  絶対救われるから    それまであなたも私も  まだ耐えられるということだから  まだ我慢できるということだから    大丈夫、  今回の騒動は  地球が音を上げて  地球が次元上昇するだけだから  それと共に次元を移るものがあり  今の次元のまま残るものもあり、  更に、宇宙の根元に帰るものもある。  ただそういうことが起こるだけだから。    異端児たる私は、  宇宙の根元に帰ることを望んではいるけど、  きっと、多分、間違いなく、  アセンションしてしまうでしょう。  やっぱり私は私として  この宇宙に存在し続けてしまうでしょう。    大丈夫、  あなたにはあなたの最良の道が開けているから。  私には私の最良の道が開けているように。    大丈夫、  誰も地獄になんか行かないから  あなたも天国行けるから  私が天国行く様に。    大丈夫、  あなたは私と別れることになろうとも  ちょっと住む世界がかわるだけだから    大丈夫、  肉体持ち続けることに  囚われる必要ないんだよ。    大丈夫、  アセンションすることに  囚われなくても良いんだよ。  必ずみんな  行くとこ天国だから。       ** QZY01267/『猫の手』 <96/01/25 23:11:50> **