凍える人は「え?柴を持つ必要があるんですか?」と答えた。 - FARION MES( 3):Media Talk ◆ 本/映画/音楽を語る 96/01/27 - 01144/01147 GFB00026 一輝 『deep forest/BOHEME』 ( 3) 96/01/26 23:57 『deep forest/BOHEME』EPIC/SONY ESCA-6191[国内盤]  世紀末まであと4年。早いものだ。その時「世紀末フォーラム」の名は、どう なるのだろう。アジアでは、香港返還によってひとつの植民地時代が終わってい ることだろう。  1999/12/31へと向かう時の流れ、幾多の人々の遭遇する事件や体験、それらを 一枚のチップによってシミュレーション体験出来る装置のソフトを巡る事件。主 人公はそのソフトの密売人だ。これが、今話題の映画『ストレンジ・デイズ』だ。  このタイトルは、今は亡きドアーズのセカンドアルバムから採用された。脚本 は『ターミネーター』の鬼才ジェームズ・キャメロン。エンディングテーマ音楽 (TV−CFで今盛んに流れている)を担当しているのが、ピーター・ガブリエ ル&ディープ・フォレストだ。  私は映画を観る前にサントラ盤を入手するという悪い癖がある。観ないままに サントラ音楽の方は聞き続けてしまう、ということもある。この映画も実はまだ 観ていないのだ。今日はこのエンディングテーマ音楽を担当したディープ・フォ レストを紹介しよう。  ピーター・ガブリエルは、70年代イギリスの伝説のプログレバンド・ジェネシ ス脱退後、巨額の資金を投じて人類の遺産ともいうべき民族音楽の発掘と録音に 身を投じ、ヒット曲を出しては彼らの録音のためのスタジオ環境作りに全力を注 ぎ、借金だらけとなり家庭は破綻する。その後も音楽活動への思いは激しく、ヒ ット曲を出しては収益を次のアルバムに全面投資、またアルバムを出すたびに恋 人が変わる、を繰り返すのだが、芸術に全てを捧げる者の生き方としては至極当 然のようにも映る生き方だ。彼は手で掴めるモノよりも、決して掴むことのでき ない大切なモノを求めている音楽家なのだろう。  ディープ・フォーレストは、セッションマン・アレンジャー・プロデューサー として活動してきたエリック・ムーケとミシャエル・サンチェーズが結成したフ ランスのユニットだ。ユネスコに資料保存されていた貴重なアフリカや南米の民 族音楽を最先鋭のハウスサウンドと融合するというサンチェーズのアイデアに、 ムーケが協力してユニットがスタートし、ファーストアルバム『アフリカン・コ ーリング』は、予想外の世界的ヒットとなった。ふたりは更に東欧、ロシア、中 央アジアなどの素材を求めて新たなサウンドを創出し、ハウスサウンド色を抑え て素材の生音に極力配慮したセカンドアルバム『ボエム』を発表し、ファースト アルバムを凌ぐ支持を集めた。私も個人的にはこの2枚目のアルバムの方が好き だ。  『ボエム』から流れてくるのは、東欧でも特に東洋色(うねり)の強いスラブ 音楽だ。スラブ音楽は、白人種が奏でながらも文化的にはアジア圏の範疇に入る という珍妙なるものだ。ヨーロッパは永い間辺境の地として文化の停滞を招いて いた。例えば中国で蔡倫が紙を発明したのは105年で、610年には日本へ流 入され、やがて見事な製紙技術を完成するに至った。ヨーロッパへは1276年 にイタリアへ、そしてイギリスに至っては1690年にやっと紙が流入したとい う惨状だった。メディアの停滞は文化の停滞をもたらしていたというわけだ。  同じように行き詰まっていたヨーロッパ音楽へ福音をもたらし、クラッシック 音楽という一大ジャンルを確立したのも、このスラブ音楽を始めとするアジアの 文化のヨーロッパへの流入の影響が大きい。スラブ音楽は、耳にするとわかるの だが人間の繊細な情感の宝庫と言えるだろう。  その昔ARIONから聞いた話によると、スラブは、AMA族の文化と白人種 の文化の双方が融合したものとのことである。ヨーロッパとアジアはスラブとい う土地で拮抗しながらひとつになっていた。そして、東西冷戦構造崩壊以降、西 欧で今最も注目を浴びているのが、スラブ音楽を始めとする東欧の神妙なる音の 調べだ。  『ボエム』に再収録された「マルタズ・ソング」は、ロバート・アルトマン監 督の映画『プレタポルテ』に。「ボヘミアン・バレエ」「アナスタシア」は、新 曲「コーラル・ラウンジ」やピーター・ガブリエルとの共作「ホワイル・ジ・ア ース・スリーブス」とともに、この『ストレンジ・デイズ』の中に登場する。『 ストレンジ・デイズ』でピーター・ガブリエルは、ディープ・フォーレストの作 るハウスビートに乗りながら(一曲だが)スラブ音楽に初挑戦している。もとも と音楽志向性の近い彼らが組むというのは、ごく自然なことのように思える。  スラブ文化は、情感乏しくなりつつある欧米の文化状況に、再び福音をもたら すのだろうか。戦火の真っ只中にあるボスニア・ヘルツェゴビナは、スラブ文化 の故郷のひとつである。カンボジア・アンコールワット遺跡の二の前を踏まぬよ う、これら人類文化遺産が破壊されぬことを人々の生命の安全とともに祈りたい。 『deep forest/AFRICAN CALLING』EPIC/SONY ESCA-5666[国内盤] 『deep forest/WORLD MIX』 EPIC/SONY ESCA-6122[国内盤] 『deep forest/BOHEME』 EPIC/SONY ESCA-6191[国内盤] 『STRANGE DAYS from the motion picture』 EPIC/SONY ESCA-6323[国内盤] - FARION MES( 5):**/////*/////*/////*/////*/////*/////** 96/01/27 - 00543/00543 HQA03154 男爵 RE:凍結道路で見た迷い犬から考えたこと ( 5) 96/01/27 04:24 00539へのコメント  こういう話を聞くと、人間を滅ぼしたくなる。  私の前で、動物を虐待した者は、理性を失って絞め殺してしまうかも知れない ので、覚悟してもらいたいものだ。  そうとも、これは、感情論だ。      男爵(HQA03154) - FARION MES( 9):日本魔界巡航 ★ 神と人の関りを探る 96/01/27 - 741/741 MHD02672 TAO RE:二風谷ツアー記 ( 9) 96/01/26 23:09 738へのコメント  #738 スウさん  コメントが遅れました。m(_ _)m 二風谷ツアーではどうもでした。  例の、一見してすぐアイヌ模様と分かる独特の渦巻模様の刺繍を施した衣装ですが、  アイヌ衣装には獣皮、魚皮、鳥羽等の自然の産物を使って仕立てられているものが  多く、特に木の皮や草を糸に加工して織ったのが「アットゥシ 」と呼ばれるもので、  これがアイヌ衣装の代表的なものと言われます。特に、オヒョウという木の樹皮か  ら作られる繊維は、柔らかさと強さと相反する要素を兼ね備えていて、非常に着心  地が良いそうです。陳腐な表現になりますが、大自然の剛さと優しさを、人の着る  物にも紡ぎ出そうとするアイヌの心が伺えますね。  刺繍されるアイヌ文様には、スウさんもおっしゃるようにやはり魔除けの意図や、  精霊の象徴的な表現も含まれているようで、森羅万象に各々の霊魂の存在を認めた  アイヌ・アニミズムならばでの表現でしょう。あの文様は、世界的にもあまり類を  見ないですよね(ケルト文様にはちょっと似ているかなと思いますが)。  アイヌ博物館で見た民具も意匠が非常に凝っていて、日常使う道具とは思えない程  の美しさがありましたが、実際、自分の作った物にも魂は篭もっているとアイヌは  信じている(いた?)様です。芸術家でも何でもない普通のアイヌ(人間)が、自  分達の使う道具にも敬虔な気持ちを払っていたのには、普段物を粗末に扱いがちな  身としては反省させられます。(_ _;)  アイヌの宗教観念を一口で説明することは困難ですが、どうやら「全知全能の至高  神」という概念は無く、この世界では常に善神と悪神が拮抗していると考えられて  いるようで、何となくバリの宗教観念にもあい通じるものがあるなぁ、なんて思っ  てしまいます。  「神と信じる熊を殺す祭り」イヨマンテですが、聖なる動物を殺す祭りと言えば、  ミトラ教の牛屠りが有名で、牛を殺すミトラという図柄の浮彫が多数残されていま  すね。古代日本でも「漢神信仰」と言って牛馬を殺して祀るという祭祀が行われて  いた痕跡がありますし。貴重な動物を神に捧げること、或いは天に帰すことで古代  人は神への帰順を誓っていたのかもしれません。  沙流川ですが、間もなく写真をデータライブラリに登録させて頂く予定なので、そ  の節にご高覧頂ければ幸いです>ALL m(_ _)m  TAO - FARION MES(11):狼を生きる  ★ 平井和正の著作から 96/01/27 - 01958/01958 JBH00712 桂 桂 ヒロイズムの否定 (11) 96/01/27 00:31  最近山本周五郎の「樅の木は残った」を読んだと書いたけど、どこだかの雑誌で この作品を評して「ヒロイズムの否定である」と論じた書評を読んだ。  この作品のあらましを書くと、江戸太平期のおける伊達藩取り潰しの画策を家老 である原田甲斐が10年に渡る年月を掛けて逆賊の汚名を着せられてもただひたす ら耐えて伊達60万石を守り抜くというものだ。近世に至るまで原田甲斐は、幕府 側についた逆臣であると思われていたのだが、山本周五郎は小説という手法と史実 を重ねて原田の心理に迫る事によってその歴史を覆したということだ。  この物語では血気に流行るもの、あたら仁義や武士道にこだわる者こそ非業の死 を遂げ、ただ静かに沈黙を持って忍耐に耐えた原田の行動によって伊達藩壊滅の陰 謀が頓挫する。但し、原田もまた死ぬ事になるのだが。  ヒロイズムの結晶という事では、我等がヒーロー・ウルフガイ・シリーズもまた 英雄ものの傑作の一つである。何せSF小説の中でも「ウルフの子ら」と呼ばれる くらい続出する小説郡を産んだくらいだ。最も本家の方は大自然の精霊が人間の姿 になり変わって人類を告発するという、逆・アンチヒロイズムの形式を取っている のだが。  これが四騎忍の場合だと、むしろヒトラーの生まれ変わりにように周囲を憎み、 そして破滅させる事によって自らのヒロイズムを昇華させようとする意匠があった ように思えるのだが、むしろこれから「地球樹(第3巻以降ね)」ではそうしたヒ ロイズムを否定した<生身の中学生>として四騎忍を描く事によって有る種の超人 思想というのか、超越的な者への庇護を望む事、あるいは依存といったものを断ち 切るような話になって行ったのではないのか、そんなような気もするのだ。  それは「ラスト・ウルフガイ」によって、犬神明が一切の超絶的な能力を捨て、 生身の青年に立ち返り人間の苦悩を味わい振り切る事によって少年から青年に成長 したかのように、もう一度<どこかに忘れてしまったもう独りの自分>を探し出し その時の苦悩を思い出す事によって過去を清算したかのように。  どこかに忘れてしまった自分、それは一体何処にいるのだろうね。  たまに思い出して、そして探しに行くのもまたいいかもしれないね。 桂 桂(JBH00712) - FARION MES(12):精神世界裏表 ★ ニューエイジビジネス を斬る 96/01/27 - 00758/00759 SGK02506 わう RE:無人販売 (12) 96/01/27 11:52 00755へのコメント  #00755 たあぼう さん こんにちは (^^)/  あんなものが有り得るのは、日本ならではでしょうね。  私が以前住んでいた板橋区の成増にも野菜の無人販売のコーナーが設置され ていましたが、いつ行っても野菜はありませんでした。  当時(7年前)はバブルの絶頂期で中国系やイラン系の外国人がたくさん来 日してきていて、板橋や練馬は彼らの主な居住地だったようです。  地元のおばさんの話だと、人のいないスキを見て外人が盗んでいく、とのこ とでした。「料金箱」という字が読めないだけかもしれないけど、まあ、有り 得るような話ですよね。  日本に来る外国人の多くが、自動販売機の多さに驚きます。それと、コイン 受けを“壊されていない”公衆電話が100%に近いことにも驚きます。  フランスでは、公衆電話のコイン狙いがあまりに多かったことから、テレホ ンカードのICカード化に踏み出したほどです。なぜコストのかかるICカー ドを使うのか。磁気カードを使用したのでは“絶対に”偽造されると踏んでい たからです。  なんともったいないことに、フランステレコムはICカードを使い捨てにし てしまっているのですが、コイン狙いに電話を壊されることを考えれば、使い 捨てICカードでもプラスなんだそうです。  そのぐらいコスト管理をする徹底的な合理主義のフランス人ですが、その昔 フランスの貴族たちは、日本人を好んで雇っていたそうです。  当時フランス領だったアジアの某国の人に比べると日本人の賃金は安くはな いのですが、日本人を雇っていると、物が絶対に無くならないので好まれたの だそうです。使用人を監視する使用人を雇ったり、物品に盗難保検をかけたり するよりは、日本人を雇った方が“コスト安”だったんでしょう。  まあ、そのぐらい日本人って意識が高いんですね。ピストルが出回ってると かなんだかんだ言われても、日本人の血の中には高いモラルが生きているんだ と思いますよ。野菜の無人販売が成立するぐらいですからね(^^)  アメリカでは、野菜の無人販売は絶対に無理でしょう。ドン! ←太鼓判の音 ==☆☆☆== SGK02506 わう ==☆☆☆== - FARION MES(13):神秘学遊戯団 ★ 限りなき神秘への航海 96/01/27 - 04218/04222 GBB03425 Paper Birch RE:ぼくの発想法 (13) 96/01/26 13:56 04205へのコメント KAZEさん、どうも。割りコメです。 |その点、猫の媚びというのは、犬のそれとはまったく質が違うようで、 |犬は、やはり「飼う」という感じなのに対して、 |猫は、「共生する」っていう感じが強いように感じます。  うちでは今、猫を飼っていますし、妻は結婚前は犬を飼っていました。で、 両方を見て思ったのは「犬というのは、飼う−飼われるというより、飼い主の 子供になるのだなぁ」という事でした。ですから、犬は飼うという感じという のは、ちょっと違うかなぁと思います。  ……もちろん、飼い主にもよるんでしょうし、頭の良くない犬だと「飼う」 という感じにしかならないのかもしれませんけどね(^^)。  猫の「共生する」というのは、まさにKAZEさんの仰るとおりですね(^^)。う ちの猫も、普段はホントに人間のことなんか知らんぷりで、餌がほしいときや 遊んでほしいときだけ、ジャレついてきます(^^)ソレガカワイインデスケド。  付け加えれば、遊びに飽きると(さっきまで遊んでやった恩も忘れて)また 知らんぷりですし、出してやった餌が気に入らないと、とっとと外に出ていっ て、自分で鳥やネズミを捕まえてきて食べてます(^_^;ゞ  時々どこかの黒猫が訪ねてきて、一緒に遊んでいるみたいですし(友達らし い(^^))、やっぱり「猫は猫同士」という部分はあるような気がしますね。彼 らにとって飼い主なんて、一緒に暮らしているだけの存在なのかもしれません。  犬は猫と違って、「人間と同じ家族」というか「子供の一人」という感じで、 その分、甘えたりじゃれたりも激しいですね(^^)。「お父さん、お母さん、か まってかまって〜!」って感じです。ですから、飼いはじめるにはそれなりの 覚悟(お父さん、お母さんとしての覚悟)が必要かもしれません。でも、それ だけに、何倍も可愛く感じるような気がします。  最後に。街中のアパートでは難しいかもしれませんが、うちのような田舎で は猫を飼うのはとっても簡単です。トイレの掃除と、餌の世話だけすれば良い ですから。あと、お昼の間、窓を開けておけば、勝手に外に遊びに行って、勝 手に帰ってきます。トイレは、何のしつけもしなかったのに、最初からトイレ でしました。そういう行儀の良さは、KAZEさんの仰るとおりですね(^^)。 △▼△ Paper Birch △▼△ 04219/04222 GGA02514 KAZE 中道の話を少し (13) 96/01/26 15:48 04217へのコメント 諏訪みのるさん、どうも。 》妻の体調がおもわしくなかったのは、 》もしかしたら二人目がお腹の中にいるからかもしれない…ということで、 それはそれは、おめでとうございます(*^^*)。 この世紀末に、みのる♪さんをたよって生まれてくる魂に乾杯(^^)/。 ・・・少し気が早すぎますか^^;。 》私の方は、最近すっかり“亀レス”が板に付いてしまいまして、 》KAZEさんのペースには尊敬を通り越して脅威すら感じてしまっています。(^^;) “亀レス”が板に付くと、亀の蒲鉾ができてしまいますが^^;、 ま、ひとそれぞれということで、気長にお付き合いくださればと思います。 さて、ぼくのペースに尊敬も脅威も感じなくていのですが^^;、 ぼくの場合は、パソ通に限るとしても、やりたいことの何十分の一も こなせてなくて、いつも消化不良って感じなんです。 もちろん、パソ通はやりたいことのほんのひとつですから、 なおのこと消化不良が募る一方です。 最近はじめたインターネットにしても、まだぜんぜん勉強できてなくて、 やっとこさ、今、世界のあちこちにあるシュタイナーのホームページや ネット・ニュース、それからメーリング・リストなどを把握しようとして あれこれやっている最中です。 これまで郵送やFAXなどで、人智学協会の本部に書籍注文などを していたのですが、やっとこさインターネットであれこれできそうです(^^)。 そのためにも、これまでかなりさぼってきた英語やドイツ語を 勉強しなおそうとしているところで、これだけでもけっこうツライ^^;。 今ふりかえっても、ぼくがある程度今に繋がる芳香で、 自分なりに勉強をはじめたのが、三十歳やっと過ぎてからで、 気づくのが遅すぎたかなというのが最近の反省点^^;。 でも、過去をふりかえっても覆水盆に返らずですから仕方がない。 ということで、よほどペースアップしていかないと、 80歳頃まで生きられるとしても、あと40年とちょっとしかありません。 少なくともその40年の何倍はないと、今やりたいことの何分の一も できそうにないうえに、日々やりたいことがふえて続けているので、 もうどうしようもない状態なんです。 しかも、一日の大半は仕事しなくちゃいけませんから、 余計になんとかしなくちゃ、って焦りが募ります。 ・・・といって焦っていても仕方ありませんから、 とりあえずは、こうして目の前のやりたいことを、少しずつやっていきながら、 ぼちぼちいこかぁ!っていうふうに思っているんです(^^)。 ですから、お互い、じぶんが一番やりたいことを優先、って感じで、 気長にお付き合いくだされば、ということです。 》これは唯識法相の「空観」を平易な言葉で表現したものと思います。 》その「空観」を人間の心に体現させたものが、 》上述の「かたよらない心…(以下略)」だと 私は解釈しています。 》そして、この心の在り方ってのは、 》そのまま「中道」の在り方だと思うのですよね。 ううむ、中道についての流れから昨日、「三諦円融」についてまとめてみましたが やはり、「空観」というのは、どっちかというと、 「この世に拘らず執着しないで自在に生きる」っていう感じだと思うんです。 それは、この世に生きている我々の陥りやすいことへの 適切なアドバイスだとは思うのですけど、 なんだか、わかったようなわからないような感じになりませんか^^;。 「ううむ、なるほど、いいことをいっている。よし、広い心だ!」って感じ。 でも、中道というのはちょっと違ってると思うんですよね。 「広い」のはいいんだけど、「狭い」との格闘ってのが現実ですから、 その「狭い」にとらわれず、かといって「広い」だけにもとらわれず、 その両者それぞれの真実を体得し、その総合した「観」を得るというのが 中道なのだと思うのです。 そういう意味でも、「中道」っていうのは、すごくシビアです^^;。 すこししつこくなりますが、少しこれについて補足しておくとしますと、 現代における宗教というのは、そうした「空」的なものへの逃避傾向があって その逃避傾向を助長するようなかたちで「現世利益」などがあったりします。 そうした意味での宗教というのは唯物論とそんなに変わりません。 同じコインの裏表にすぎないところというのはあると思います。 コインで思い出しましたが、日本では無宗教が多いといいながら、 お正月になるとなんとたくさんの人が神社に御利益を求めて お金をばかすか神社を中心にした宗教法人に寄付(っていうのかな?)します。 テレビなどで「今年は○○○神社への人出は○○○万人、お賽銭は○○○円」 という感じで報道されたりしているのですが、 それはそれでだれもかれもがお賽銭をし願い事をしにでかけます。 毎年正月になると、こういうのに不可解な思いを持つのは ぼくだけじゃないと思うんです。 もちろん、現象としてはよくわかるんですが、 あの割り切り方ってとってもコワイ!と思います^^;。 今年は特に、こういう話を聞いたのでなおさらその思いを強くしました。 「昨年○○○神社に正月1万円もお賽銭を入れたのに、いいことがなかった。 だから、今年はあそこはもういかない。今度は○○○寺に行こう。」 こういうのは極端な例かもしれませんが、そうでもないんですよね。 また、こういうメンタリティは、宗教心厚い信仰者とは相いれないように 思えるんですが、ほんとうはこの両者というのは裏腹なことが多いです。 なんだかんだとクドクドしく話してきましたが、 何を話したかったかというと、中道の話で、それは、 「どちらか」でも「どちらでも」でもないということなのでした。 》時代の制約という点から見てみると、 》今や「〜思想」とか「〜教」云々にこだわってしまうと、 》本当にアクティブさに欠けてしまうんですよね。 》これはもう実感として そう思えます。 はい、過去ならいざしらず、現代はもっと アクティブであるべきではないでしょうか。 でも、こだわらないからといって、「〜思想」とか「〜教」を 適当にあしらって「こんなのは時代遅れさ!」っていうのもダメで、 仏教なら仏教をある程度勉強し、栄養分を吸い取った上で、 その内部からと外部から、その限界を認識していかなければならない。 そう思うのです。 それも、「中道」です(^^)。 》中道を見定めるには、その両極をも含めて全てを理解していなくてはならない… 》ということでもありましょうから、 》多面的な視点から物事を見つめて行くという態度は、 》やはり最も大切な事なんだと思います。 はい、そういうことなんだと思います。 何度も繰り返しますが、多面的に見るときに、 一面的な見方を単に否定するだけでは、 今度は、「多面性」に「陥る」っていうことになりかねません。 一面も他面もそれぞれ真実なのだということを忘れてはならないと思うのです。 「群盲、象をなでる」(だったかな?)とかいうのがありますが、 象の全体をわかったからといって、今さわっている象の一部に意味がないかといと 決してそうではないということです。 》私にとっては、人智学的というよりも、 》KAZEさんのビジョンの方が現実的かつ親しみが持てます。(^^;) 「人智学的」というようなあり方はそれなりの「枠」がありますし、 シュタイナーの思想も、すべてを包括したものでもないのは当然ですが、 ぼくの理解では、ぼくの理解した範囲内でも、 そのシュタイナーの思想のほんの一部しかここではお話しできてませんから、 そうおっしゃらないで、その広大で包括的な思想について 理解を深められることをおすすめします。 そうそう、「風の本棚」で「シュタイナーのカルマ論」をご紹介しましたが これは、なかなかに感動できる一冊だと思いますので、 機会があればぜひ読んでみてください。 シュタイナーの思想のほんの一部でもそうなのですから、 全体像となると、もうこれはものすごいわけです。 そのものすごいのに加えて、インターネットで シュタイナー研究や人智学のさまざまな研究成果に関する 資料を少しずつ今入手しはじめたところですので、 またおいおいその成果などもお目にかかることもあると思います。 では、では(^^)。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ - FARION MES(15):マホロバ誕生 ★ 大和魂復活のために 96/01/27 - 00477/00481 GGA02514 KAZE RE:日月神示 言乃葉(悪の仕組) (15) 96/01/26 15:48 00473へのコメント まるにちょんさん、どうも。 》 ううむ、現在の日本には「父性」が何故か希薄な感じがします。 》 特に戦後、この「父性」は衰退しつづけているのではないでしょうか。 》 「父性」の喪失に、現代日本人の問題が隠れているような気がします。 ぼくの考えでは、「父性」というのは昔から希薄で、 かつてはそれが無自覚な形で制度的に容認された形で 「父性」であるかのように思われていただけではないかと思ってます。 そして、戦後は、その「仮面」が剥がれただけ、というか^^;。 日本人というのは傾向としてどうも「母と子」しかないのではないでしょうか。 それについて興味深いのが、日本の昔話と西洋のメルヘンの違いです。 グリム童話などでは「王子様とお姫さま」「王様とお后様」っていう感じで、 王子様がある課題を与えられてそれをクリアしてお姫さまを獲得する、 または、お姫さまが課題をクリアして王子様と結ばれるってのがありますが、 日本の昔話は、爺さんと婆さんにいきなり孫がいたり、 山姥と子どもがでてきたり、あと鬼と和尚さんというのがよくでてきます。 これが何を表わしているかというのは、言うまでもないのですが、 日本では、子どもは山姥や鬼に代表されるような グレートマザー的な力との戦いと、それをサポートする和尚さんの叡智。 そういう形で、子どもは恋愛とかいうことではなく、知恵ですぐに老成します。 結局、日本には、子どもと母、そして父不在のまま、爺さんがいます。 ですから、日本でいう「大人」というのは、 「子ども」か、そうでなければ「長老的存在」になってしまっているのです。 で、現代では、その「長老的存在」への道が多く閉ざされてしまいましたから おしなべて子どものままでいる以外に道がなくなってしまっているんです。 》 それと、家族が子供に会わせて「おとうさん」「おかあさん」と呼ぶのは、 》家族の構成する位置的性格を重視する慣習的なもので、これもある集団単位で 》の、自己や他の位置の確認行為なんじゃないかと思います。 》そういう意味では、日本人の集団的傾向が生活に染み着いていると言えるんで 》しょうね。 もちろん、子どもの前で、「お父さんはね」とか「お母さんはね」というのは 「家族の構成する位置的性格」からくるものなのですからいいのですが、 子どもがその場にいなくても、一度「お父さん」「お母さん」になったら、 自分たちも「子ども」の視点で関係づけられてしまうことが多いですよね。 それから、そういう家族関係に限らず、一般に、 子どものことを大人は「ぼく」「じょうちゃん」などと呼び、 少しまたはかなり年上の人を子どもは、「おじさん」「おばさん」、 老人のことを「おじいさん」「おばあさん」と呼びます。 ちょっとしたこだわりになりますが、こういう呼び方ひとつとっても、 どういうことを表現しているかはかなり明白だと思うわけです。 》 ちょっと質問ですが、霊学的観点からの解読とは、具体的にどのようなもの 》なんでしょうか?KAZEさんのお考えを教えて下さいませんか? ううむ、なかなか説明しがたいことではありますが^^;、 ま、たとえば、人間が生死を貫いた存在であるということはどういうことなのかを 人間の構成要素やその関係、またはそれが宇宙進化の過程でどう変遷してきたか そしてそれが未来に向けてどう方向づけられているかということを カルマなどの問題、地球の問題などさまざまな関係において、 「なぜ」ということを理解できるかたちでビジョン化しながら、 「では、日月神示でこう言われていることは、これこれこういうビジョンにおいて こういう意味をもっているのだから、わたしはこう自らを方向づけよう!」 そんな感じで、知情意すべてにおいて総合的に理解するということです。 もちろん、すべてにおいてそれが可能だとは思いませんが、 あくまでも人間学としての実践的かつ科学的観点から、理解した上で、 その神示を参考にしていくということです。 》 聖書も誤読で逆さまに読める云々は、僕は記憶に無いのですが(^^;、 》 「この神示、取り違えてくれるなよ」と言うのはあります。 やっぱり、ありませんでしたか^^;。 しかし、現に、日月神示の解説者がいらっしゃって、 いろいろ自分が権威であるかのような本もたくさんだしてますけど、 けっこう「取り違え」しているような気がしてなりません^^;。 教条的に受け取ったかと思うと、ある部分では、とらわれてはならないとばかり かってな経済学理論などを展開したりしてます。 ほとんど「神国日本」というような「民族主義」的色彩を強め 日本を特権化しながら、ね。 そこらへんは、ぼくの趣味ではないし、 日月神示の本文以外でのそれを解説したところの言葉は、響かないし、 しかもすごく権威好きを感じさせるものになっていますので、 肯定できない部分もけっこうあります。 ・・・というような感じですが、 こういう観点もふくめて批判的な態度をもちながらも、 自分の中に流れている日本の血と縁に対して、 誇りをもちたいものだと思うのです。 では(^^)。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 00480/00481 VEG02736 たあぼう RE^2:日月神示 言乃葉(悪の仕組) (15) 96/01/27 05:09 00473へのコメント まるにちょん さん、こんにちは。 > ううむ、現在の日本には「父性」が何故か希薄な感じがします。 > 特に戦後、この「父性」は衰退しつづけているのではないでしょうか。 > 「父性」の喪失に、現代日本人の問題が隠れているような気がします。 「日銀券は悪魔の隠し絵」 武田了円著 第一企画出版 と言う本を、読んだのですが、 著者の主張によると、 かなり昔から、日本の紙幣や、硬貨などに、 サブリミナル効果のある、絵を、隠し絵として潜ませておき、 日本人の子供を、性的に早熟にさせ。 男子を、萎縮させ、骨抜きにし。 女子を、性的に堕落させ。 日本を略奪する、前段階としての、 マインドコントロールを行ってきた。 とのことです。 かなり過激な本ですが、納得させられる点も、多々あり。 時間と、興味があったら、読んでみてはいかがでしょう。    プロトコールを 裏聖書として崇める 悪の伝道師 たあぼう ってか                                  96/01/26(金) 20:08 たあぼう(VEG02736) 00479/00481 KHC01313 まるにちょん 「悪の計画」 学と神力の戦い (15) 96/01/27 03:27 00472へのコメント  日月神示には、よく学や智では、この世は治まらないと言っています。     「理屈は悪魔と申してあろうが」     「神にまつはらずに、学や智恵が何になるのか、底が知れてゐるでは      ないか」               (富士の巻 第十八帖)  理屈と膏薬はどもにでも引っ付くといわれますよね。  人は往々にして自分に都合のいい理屈を考えたしります。  僕もその内の一人と言えますが、ちょっと横においといて(^^;。  理屈が過ぎれば詭弁になっていきます。  理屈は、自分に都合の良いように物事を切り取りますから、なにも本当の姿 を観ることができなくなってしまいます。  理屈は、「素直さ」と対局にあります。  ここに悪の計画(イシヤ)の狙い目があります。  素直な心は、神に通じます。  素直さは、自分自身を知り、他人を知ることを助けます。それは物事を偏見 なり、何らかのフィルターを通さずありのままに観ることができるからです。  悪の計画は、この理屈を最大限に利用します。  まず、教育やマスコミなどにおいて、弁の立つのが優秀なように思わせます。  しかも、学や智恵(知識)を駆使して理屈を論じることがいかにも知識人で 進歩的だと思わせるよう演出するのです。  そうすることによって、理屈を言うことが、優れた人間の証と思えるように 仕向けます。  こうして、素直な心を学や智恵(知識)という鎧でで理論武装させ、心を硬 させて行くのです。  こうして神との交流を妨げ、神の光が人間の心に届かないようにする訳です。  神とのつながりが弱くなった人間は、霊的にも虚弱になってしまいます。  霊的虚弱は、人間のいきいきとした感性を鈍らせて、なにか抜け殻のように させてしまうでしょう。    それに、理屈ばかりで心の目を覆う内に、物事が見えなくなってしまいます。 心の鏡を曇らせてしまうのです。  そうすると、人間同士、相手の姿をゆがんだ形で映すこととなってしまい、あ げくに相互に疑心暗鬼に陥り、密接な交流が図れなくなってしまいます。  理屈は人間、自分自身をも阻害してしまう恐ろしいものなんですね。(^^;  おそらく「悪の計画」では、人間を精神的な暗闇に追い込んでおいて、何も信 じなくさせ、ふわふわした根無し草のようにしておいておくほうが、静かに支配 することができると考えているのではないでしょうか。  また、強権を発動させて一気に表で支配にかかったとしても、霊的、精神的に 暗愚にされた人間に抵抗する力は無いと考えていることだろうと思います。  感動するこころ、  喜怒哀楽をいたずらに抑制することのないこころ、  神を信じるこころ、  人を信じるこころ、  を取り戻すには、いったん学や智恵を忘れてもしくは横に置いて(捨てなくて もいい)、理屈で物事を考えたり捉えたりしないで、素直な気持ちを保つことが 一番だと思います。 では、また。                    まるにちょん、○ゝ 00481/00481 VEG02736 たあぼう RE^2:日月神示「悪の計画」考 (15) 96/01/27 05:11 00475へのコメント まるにちょん さん、こんにちは。 > たあぼうさん、よければもっと、プロトコールと「悪の計画」について、思 >うところを書いてくれませんか?正直プロとコールについては不勉強なので、 >たあぼうさんから情報があると助かります(^^; > きっとおもしろいと思うのですが。 まるにちょんさん 上のこと 素直にまにうけて良いのでしょうか? 最近は、疑心暗鬼と、自己矛盾に陥っているところです。 私は、小さい頃から、疑問に思っていました。 人を殺すことは悪いことと、誰もが認めるのに、戦争はなくならない。 人間って、そんな愚かな存在なのか。 物質的に、満たされれば満たされるほど、精神的には、 虚しさが増していくのはなぜか。 性の問題は、なぜにこんなに、人の人生に影響を与え、 そのエネルギーは、抑えがたく増幅し過ぎているのか。 これらの、解答が、そこにあったのです。 彼等が、そうすると書いてあるから、そうなっている。 「シオン賢者の議定書」が、本物なら、 現在の状況は、当たり前のことなのですから。 ここで、大問題が、発生です。 もし、「シオン賢者の議定書」が、本物なら。 世界は、殆ど彼等の支配下にあり、たとえ一国が、戦いを挑んだとしても、 万に一つも、勝ち目はないと言うことです。 さらに、 私のように、全く無害な者が、キ○ガ○の戯言として、 騒ぎ立てるのは、問題ないと思うのですが、(それとも、消される可能性もある?) 彼等が、無視できないと判断する勢力が現れたとしても、其の勢力を、生かすも、殺 すも、 彼等の、自由であり、私達には、選ぶ権利はない、と言うことです。 全く勝ち目のない戦いです。 もし、「シオン賢者の議定書」が、偽書なら。 私は、被害妄想狂で、責任転嫁常習犯の典型的人物、差別発言多発の非国際的人間、 と、世間に認められ、 一方、世界は、今まで通り、混沌と、物質崇拝で、歩んで行くでしょう。   結論として、 上の二者択一しか許されないなら、どっちに転んでも、私には、良いことはない。 これは 自己矛盾だ。。。何のために、私は、真実を求める? いやその前に、このまるにちょんさんの誘いは、罠かもしれない。このネットだって、 当然監視されているだろう。 疑心暗鬼だ。。。いや、この疑心暗鬼こそ彼等の目的とすることだろう。。。 きりがないので、やめますが、 ところで、「シオン賢者の議定書」の本文ですが、 某○○-VAN の未知の世界(MITI)の、9番フォーラム「資料室」の532番から5 92番に全文アップされているので、参考に為されたらいいかと思います。 > 単なる知的探求心を充足させることも良いと思いますが、本当の事を知るこ >とは、結構覚悟のいることなのかなと思います。 > 本当の事を知ることは、大切なことだと思いますが、それを知ることによっ >て何かを背負うことになるんじゃないかと思います。 まるにちょんさん何かみんなに、隠していませんか? 本当は、真実を知っているのではないですか。そんな言い方ですね。 このフォーラムでは、タブーなのかも知れませんが、 あの、悪い意味でのこのフォーラムの生みの親、 錬金術師の発言これに関係があったりして、、、 と言っても、彼については、未だあまり知らないのですが。 > えっと、たあぼうさんが真実を知りたい理由はなんでしょうか? > 不躾な質問失礼しますね。(^^; 理由はないんです。真実を知ること自体が目的なのです。 なんか、自分が、真実だと納得している布団でなければ、安眠できないと言うか。 そんなところです。 かっこよく言えば、真実への渇望ですか。 > >>> 私にとって、プロトコールは >>> 空飛ぶ円盤の問題だけでなく、人生、社会の問題さえも、 >>> 解き明かす、まさに裏聖書だったのです。 > > へえぇ、 ここらあたり大変興味深いですね。 > よかったら、どうしてそう思われたのか書いて下さいます?(^^) 以下、世界を統一管理している超世界政府があると、仮定して話してみます。 その1 −空飛ぶ円盤問題− ・彼等以外の人の目を、何か他の得体の知れないものに向けさせ、  彼等の存在に気がつかなくさせる。 ・彼等がすでにスーパーウエポンを持っている事実を隠すためのカモフラージュ。 ・彼等の作戦に、  隠したいのなら、人の目に付くところにおけ、と言うようなのがある。  また、情報を、極限にまで氾濫させ、正常な判断が出来ないようにせよ、と言うの もある。  よって、  現在の、混沌とした、UFO問題も納得がいく。 その2 −人生、社会− ・人間は、自由で平等だと、思いこんで生活してきたため、  人と劣っている部分を見つけると、劣等感にさいなまれたり、自己嫌悪に陥ったり する。 また、ある人の自由は、他の人の自由を奪うので、自由を奪われた人は、なぜ自分は  自由なはずなのに、自由でないのだろう、と、悩み、解決不能のまま、  無気力地獄に堕ちていく。あるいは、犯罪に走る。 ・テレビ、性教育、エイズ教育による、子供の、性的早熟化と、大人の道徳心の欠如、 人間としての誇りの放棄は、大人も子供も、過度の性的享楽に走らせ、政治や、社会、  選挙などに対する、関心を消滅させ、ましてや、彼等の存在の可能性さえ、  思いもよらないようになっている。  映画、スポーツ、まんがなども、上記に一役買っている。 ・別の本によると、  コーラや、ロックは、性欲を昂進させる効果があるという。 ・金がすべての世の中が、彼等の主張するように、出現してしまった。  現社会では、人間の行動のほとんどは、すべて、お金に結びついていて、  いかに、彼等の言うように偽善と欺瞞の溢れる社会になってしまったことか。 その3 −未来− ・コンピューター、カード社会が、さらに発展し、各家庭に端末1台、ノーキャシュ 時代到来、  国民総背番号制確立、額か右腕に目には見えないバーコードのようなものを植え込 まれる。 これにより、完全に個人が管理されるようになり、彼等に逆らえば、野か山にこもり  自給自足の生活をするしか生きる手段がなくなる。 ・世界は、より一つになろうとする。世界は、一つの国になるのだ。  ある特定の、エリートが管理する、完璧な世界の出現だ。 ・案外、生活は、いいのかも知れない。  戦争は、其の金稼ぎ、国民の目を他国に向けさせる、あるいはその他、の目的を失 うので、  存在価値を失い、消滅する?   性的享楽を求める傾向は、彼等に都合の良いことに、さらに加速し、  誰も自分が、管理されていることに、気がつかないだろうし、  誰も政治、社会になど関心を示さなくなるだろう。  性的満足が得られる機会が増え、政治や社会に口出ししなくても良くなるから、  案外楽で良いかも? ・銀行がつぶれる。仕事がなくなる。−−−>最後の戦争へ? 以上の、私が思うところの状況証拠と、上記の未来に走りつつある現状を観るにつけ、 ある意味で、真実を語っているという事で、裏聖書としました。 −−おまけ−− 当然の結果として、 私はこう宣言しなければならない。 もし私が、変な死に方をしたり、 急にこれや、あれやのネットワークを、 退会してしまったら。 彼等のせいだと思ってください                 と 96/01/26(金) 20:46 たあぼう(VEG02736)