「焚き火を燃やす為に私は招かれたのですか?」と凍える人 - FARION MES( 1):相 談 室  ◆ パソコン&通信の話題 96/01/29 - 00244/00244 GCG01101 アマデウス PPP接続してみたけど ( 1) 96/01/29 00:49   タイトルの「けど」でおわかりのように、期待はずれでした。  何が期待はずれかというと、まずBUSYばっかりで一向に繋がらないこと。  やっと繋がって、「さあFARIONのホームページを見よう」と思って  http://www.niftyserve.or.jpにたどり着いたまではよかったのですが、  そこで止まってしまって、ウンともスンとも言いません。結局、Niftyの  ホームページを見ただけで、Netscapeが回線を切ってしまいました。(-_-;)  もう一度繋げる気力もなくなってしまって。(-_-;)   まあ、サービス開始直後の日曜日だから仕方ないのかも知れませんけど。  NiftyがPPP接続やるって言うんでプロバイダと契約しないでサービス開始  を待っていたのに、今後もこの状態が続くようだと、ちょっと使いものに  ならないですね。課金も高いし。さっさとプロバイダと契約しといたらよか  ったかしらん。                               アマデウス - FARION MES( 3):Media Talk ◆ 本/映画/音楽を語る 96/01/29 - 01158/01163 JCF02051 めのう 私も見てしまった>エヴァ ( 3) 96/01/29 01:17 01152へのコメント  こないだの水曜日、ちょっと早めに帰ったらちょうど旦那が見てました。    オープニングからして「OVAみたいだなー」と思いました。  綾波とかゆー女の子はナツカシの強化人間みたいだなーとか。  この人たちは誰と戦っているんだろーとか。  この学校はエヴァに乗る人養成所なのかしらんとか。    最後まで見たけど、結局どーゆー物語なのかさっぱりわかりませんでした(^^;  そのあと「ドラゴンボール」「るろ剣」と続けざまに見ちゃったい。  さらに「X-ファイル」「古畑仁三郎」まで見ると水曜はTV漬けになって  しまうなー。                           ◆◆ めのう ◆◆ 01161/01163 HQA03154 男爵 RE:エヴァ ( 3) 96/01/29 04:03 01148へのコメント  1/27文化放送にてオンエアされた「アニメスクランブル」にエヴァの監督 さんが出て居られましたが、あろう事か、設定された伏線が全部解かれる予定は ないそうです。  おまけに、まだ、最終回の構想は、未定だとか。  大丈夫なんですかねぇ。      男爵(HQA03154) 01156/01163 GGA02514 KAZE 風の音楽室●バッハ・コレギウム・ジャパン ( 3) 96/01/29 00:23 コメント数:1 ■バッハ・コレギウム・ジャパン  バッハ・カンタータ全曲シリーズVol.1  鈴木雅昭指揮  ・カンタータ第4番「キリストは死の縄目につながれたり」  ・カンタータ第150番「主よ、汝をあおぎ望む」  ・カンタータ第196番「主よわれらを御心に留めたまえり」  (KKCC2195)   身体のすみずみにまで沁みわたってくるような素晴らしい演奏。 この一週間というもの、音楽といえば、こればかりを繰り返し聴いている。 これまでに聴いたカンタータよりずっと透明感にあふれ しかも言葉の力をひとつでも疎かにしないぞという気迫に満ちている。 ソプラノがまさに透明な天使のようであり、 カウンターテナーととけあっている。 バスがまた包容力のある甘さで語りかける。 テノールの透明感も素晴らしい。 そうした声たちがまさに楽器のひとつひとつになって ひとつの聖霊のような世界をつくりあげているようだ。 このバッハ・コレギウム・ジャパンの バッハ・カンタータ全曲シリーズは、これを最初にして 今後10年間に60枚だされることになるという。 この至福の体験が10年間楽しめるとはなんという喜びだろうか。 ちなみに、ユリイカの1月号のバッハ特集に 鈴木雅昭さんとバッハ研究家の磯山雅さんとの なかなか興味深い対談が載ってる。 興味のある方は一読を。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 01159/01163 QZY10121 ぷんすか RE:風の音楽室●バッハ・コレギウム・ジ ャ ( 3) 96/01/29 02:40 01156へのコメント コメント数:1 SUB:ユリイカのバッハ特集? KAZEさん、ごぶさたしております。 ぶんすかはこのところ、卒業試験に向けて勉強 していたので、パソコンから遠ざかっていたのでした。 まだまだ未熟者ですが、今年もどうぞよろしくお願いいたします。 さて、バッハ・コレギウム・ジャパンについて書かれていましたが、 主にどんなことをする団体なのでしょう? 不勉強なもので、名前はきいたことがあるのですが具体的には何も・・ KAZEさんのコメントをみて、改めて興味を持ちました。 バッハの解釈はほんとうにいろいろありますよね。 わたしはカンタータはさほど知らなかったのですが、 卒業演奏でバッハのカンタータを取り上げ、抜粋で歌っていたのを 聴き、「いいなあ」と思いました。 なにがよかったのかと思い出してみると、 ほんとうに素人判断というか独断なのですが、 「歌心がある」とおもったのです。 うーん、うまく表現できないもどかしさを感じます。 たとえばプッチーニやヴェルディのオペラのアリアを聴けば、 そのドラマチックで魅力あるメロディーに感嘆すると思うのですが、 そういった感動ともまた違う、こうなにか・・崇高というのでもない、 普遍的なものを感じたというか・・・歯切れが悪くてごめんなさい。 またうまい表現を思いついたら書きますね。 話はかわって、ユリイカのバッハ特集は今年のやつですか? もしそうなら早速買ってよみます。 それではまた。 ぶんすか 01162/01163 GGA02514 KAZE バッハ・コレギウム・ジャパン ( 3) 96/01/29 12:08 01159へのコメント ぷんすかさん、どうも。 卒業試験ですか、大変ですね。 がんばってください(^^)/。 >>さて、バッハ・コレギウム・ジャパンについて書かれていましたが、 >>主にどんなことをする団体なのでしょう? ぼくも今回初めて知ったのですけど、CDのノーツにはこうあります。   バッハ・コレギウム・ジャパン(BCJ)は、日本を代表するオルガン、   チェンバロ奏者のひとりで、東京芸術大学助教授の鈴木雅明が、世界の   第一線で活躍する日本のオリジナル楽器のスペシャリストを擁して1990   年に結成した本格的なバロックオーケストラと合唱団。特にヨハン・セ   バスティアン・バッハを中心とするバッハの宗教作品を理想的に上演し、   普及させることを主旨としている。   前身は、1985年から神戸の松蔭女子学院チャペルで定期的にバッハ・カ   ンタータ・シリーズを企画・演奏してきたバッハ・コレギウムと松陰室   内合唱団で、1990年4月大阪いずみホール・オープニングコンサート・   シリーズに招聘されたのを機に拡充・改編、バッハ・コレギウム・ジャ   パンとして発足した。    ぼくの地元にもバッハ合唱団というのがあって、年に数回、 教会などでバッハのカンタータなどを中心に演奏活動をされていますが、 やはり生というのはほんとうに感動的なものですから、 バッハ・コレギウム・ジャパンのを生で聴いたらすごいだろうなと思います。 なにせ、CDであれだけの迫力なのですから。 有名なカール・リヒターのものもそうなのですが、 この鈴木さんのカンタータなども、それぞれの音楽理解と宗教理解が 渾然となったような演奏で、ぼくもかつて不案内だったキリスト教について ここ数年、理解を深めることができたことが、 カンタータなどへの鑑賞にプラスになっているかなと思っています。 >>卒業演奏でバッハのカンタータを取り上げ、抜粋で歌っていたのを >>聴き、「いいなあ」と思いました。 >>なにがよかったのかと思い出してみると、 >>ほんとうに素人判断というか独断なのですが、 >>「歌心がある」とおもったのです。 そうですね、バッハのカンタータなどは、ほかの声楽曲などとは かなり趣を異にしているように思いますし、 それはルター訳聖書などへの理解とその表現力の違いを 表わしているのではないかと思います。 幸い、ぼくはドイツ語が少しはわかりますので、 その内容を比較的直接味わうことができます。 ほんとうに、あの内容あって、あの音楽なんですよね。 で、ぼくは、オペラ系はかなり苦手で、どうも疲れてしまうので、 ほとんど聴いてません^^;。 そういうのとはちょっと別物ととらえたほうがいいようですね。 そうそう、オペラではないのですが、お正月にテレビで、 ムーティ指揮のヴェルディのレクイエムをやってましたが、 とってもいい音をだしていたにも関わらず、とても無粋でした^^;。 というのも、ムーティの解釈がほとんど軍隊のようなレクイエムだったからです。 軍隊行進曲のようなレクイエムって聴けたものじゃないですよね。 ソプラノなんかも、ひどかったですね。 ああいうのをふつうは技術的に素晴らしいというのでしょうが、ううむ^^;。 >ユリイカのバッハ特集は今年のやつですか? はいそうです。 まだ店頭にも残ってるんじゃないでしょうか。 では、では(^^)。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ - FARION MES( 5):**/////*/////*/////*/////*/////*/////** 96/01/29 - 00546/00551 JCF00616 優位 破滅 ( 5) 96/01/28 18:10 コメント数:1  *  僕の親友K君は、大学の入試直前になって、  緊張の余り体がこわばってしまって、勉強に手がつかないという。  僕の友人S君は、(やはり大学入試の真っ直中なのだが)  心理学的な分析によると多重人格の兆候が、  以前と比べてよりはっきりしてきたようだ。  また、子供の頃一緒に遊んでいた1歳年下の従姉妹の女の子は、  同じ高校の友人(女の子)と2人でバイトして生活を立てるといって、  現在も行方不明になっている。  友達の女の子とは、性的な関係も持っていると聞く。  * *  どのケースをみても、僕と同じ団塊ジュニア世代の子供たちに  異変が起きているように思う。  また、どのケースについても、団塊の世代の親に異常が見られる。  異常というのは、子供たちに対する優しさや、思いやり…括って  いうならば『愛』が欠けているように見える。  なぜ親は愛を欠いてしまったのだろうか。  また子供はなぜ愛を感じることができないのか。  僕が思うに、その根本的な原因は地域社会が崩壊した上に、  個人レベルまで場が崩壊していることだと思う。  つまり学校などを含む社会において共有できる場を持てないことに加え、  家庭という最小限の場にさえ立つことができず、  たった一人ぼっちで、ただひたすら、  「安心感」を得たいが為に「何か」を求める。  何か、はK君にしてみれば、大学合格だし、  S君にとっては自分の頭の中の空中楼閣、そして  従姉妹の女の子にとっては、無二の友人であったのだろう。  大学や空中楼閣、そして友人に、  安心できる「場」を求めるより他ないのだ。  もう他に選びうる選択肢が無いということだ。  たとえそれが一過性の仮の場であったとしても、だ。  実に辛いことだと思う。  いつまでたっても安心できない辛さがつきまとう。  辛さが胸に伝わり、思わず唾を飲む。  * * *  これだけ地域社会という場が崩壊しているのに、  更に追い打ちをかけるように、家庭という場さえも  崩壊してしまえば、もう行き場所は無きに等しい。  それは自立、すなわち自分という場の確立のできていない  状態の子供から、土台をはぎ取ってしまうようなものだ。  その時子供はよろけて転んでしまう。  学校に行っても、家庭に帰っても空虚な感覚を覚える。  だからこそ「場」の与える安心感にすがりつきたい。  親の意見を振り切ってでも、周囲がなんといおうが、  その安心感を求めたいのだ。  きっとそうなんだ。                          優位(JCF00616) - FARION MES( 6):ハロー・メッセージ ★ 今日のハロー・メッセージから 96/01/29 - 00629/00629 GHD00256 七穂 RE:火と水について ( 6) 96/01/29 00:53 00626へのコメント  火と水、という言葉をみて頭に浮かんだHMがありましたので、おじゃま  いたしますm(..)m  95/10/31 鉄塊を鍛えるに必要な火と水は、人の心を鍛えるにも必要である  95/11/01 心を鍛えるには、先ず不純物を取り除く為に心を火にくべよ  この、不純物を取り除く為に心を火にくべよ、というのは、  自分の柴を持ち寄って、焚き火にくべることを勧めている  ここ一月あまりの焚き火の話に関係しているような気もしました。     95/09/25 自らの闇を照らすのは自らの生命(イノチ)の炎だ…目覚めよ!  というのもありましたが、自分の柴というのは、自らの闇を照らすために  欠かせないもの、というイメージがあります。  ついでに、9月のHMを読み返していたら、  95/11/29 自己憐憫、自己撞着は填まっている間は心地好い錯覚を覚える  が目に留まったのですが、凍えた人が陥っているのは、この自己憐憫、  自己撞着というものなんではないかと思いました。自分が”凍え”ている  と思えるときは確かに自己憐憫にどっぷり浸っているように思います。    それで、会議室違いかもしれないのですが・・・、ちょうど今日読んでいた  ドン・ファンシリーズの「沈黙の力」の中に、”うぬぼれとは自己憐憫が  ただ単にかたちを変えたものだ”、という部分を見出だして、ウームと唸って  しまいました。(HM中の凍えた人の心理的な解釈にも、この二つの面が  しっかり現われていたように思いますが^^;)  ”自分に対する憐れみをもたなければ、人は今のようにうぬぼれては   いられなかったはずだ。一度うぬぼれの力が働くようになると、   それ自身の勢いが生まれてしまう。この一見独立したように見える   うぬぼれの性格が、それに何か価値があるかのような偽の感覚を   つくりだすのさ”           (P192〜193 沈黙の力)  と本の中ではドン・ファンに説明されていましたが、  うぬぼれの力の”それ自身の勢い”というのはこわいなと思いました。  自分に対する憐れみを感じようとしたり、うぬぼれたり、というのは、  自分の心を鍛えようとする気持ちのかけらもない状態ですね・・(^^;)。    ・・と書いてきたら全然まとまってないのですが(^^;)スミマセン                         GHD00256/ 七穂 - FARION MES( 7):自分を観る  ★ ARIONを鏡にして 96/01/29 - 06866/06871 HGE02116 MAKOTO 不思議なんだよなぁ…(^。^) ( 7) 96/01/28 23:36  たまには、RESという形は、はずしちゃおっと(^。^) で、現在の心境など。  「本当にそれで満足なの?」 そんな疑問を感じて、ノロガメさんに関わる事を 選んだ。自分の出した結論に満足してるから人に薦めてるってんじゃなくて、不安 だから薦めてるみたいなんだもん。一人だと不安でも、仲間がいれば安心できる。 で、仲間というか、同調者というか、そんな人を欲しがってるみたいで… 軽さ、 柔らかさといったものじゃなく、重さ、固さといったものを感じるんだよな。  言葉と行動が遊離してる。いいことも一杯言ってるのに、態度がそれを裏切って る。でも、ノロガメさんは、そんな事気にしちゃいない。あくまで、自分のスタイ ルに拘り続ける。こういう所って、価値観や、問題意識の違いからきてるんだろう けど、なんかしら、釈然としないんだよな。 >所詮正常な姿はつまんないものです。  これは、維/YUIさんへのRES(#6855)の中で書かれていた言葉。他の方達 のRESの中にも、日常の退屈さや、味気なさを現す言葉達がいくらでも見つかる。 私はそれが不思議なんだ。私だったら、こんな言葉は、不満を抱えてる時に口にす るものなんだよな。  日々の暮らしを、生き生きと楽しんでる姿が見えない。社会の中での自分の役割 を、熱意と喜びをもってこなしている姿が見えない。退屈な日常、つまらない暮ら し… こんな言葉からは、周囲に流されるままに、己を暮らしの中に埋没させてる 姿しか感じられない。どうしても、解き放された者の言葉とは思えないんだ。それ どころか、重み、澱み、割り切れなさといったものを、受け取ってしまう。  そんな人が「自己確立」を説く。その素晴らしさを、必死になって説明しようと する。言葉を連ねれば連ねる程に、ノロガメさんにとっての「自己確立」ってなん なのだろうと思う。悩まないことなのか? 唯々諾々と従う事なのか? 問題を回 避する事なのか? それが「自己確立」というものなのだろうか…?  「問題意識」だってそうだ。持つだけでなにになる? 問題意識を持つことはひ とつのステップに過ぎない。意識をもったら、次は解決の道を求め、そして行動に うつす。成功しようが、失敗しようが、それが手順というものだ。…が、ノロガメ さんの場合、問題意識を持つという、最初のステップしか見えないんだよなぁ…  ありふれた日々、平凡な暮らし、社会の中での役割を果たすこと。私も、それが 足場であり、土台であり、基本だと思う。疎かにできない大切なものだと思う。た だ、それを、退屈でつまらないものにするか、感動に満ちたものにするか…?  私も社会を構成する歯車の一つだよ。でも、諦めと、虚無の色に染まった、死ん だ歯車にはならない。どうせなら、生きた歯車になりたい。  別に難しい事じゃない。雲の形が面白い、風が切り裂くように冷たい、星が奇麗 だ… ささやかな感動は、まわり中に満ちてる。家庭の中にだって、仕事してる最 中だって、感動は見つけようと思えば見つかる。ささやかなそれらに響くこと。眠 りこけてる感性を目覚めさせること。ほんの小さな心の動きを大切にする事で、い つでも始められる。その時、特別な思想はいらない。理屈も理由もいらない。ただ 感じとればいい。それが最初の一歩。  つまんないだなんて、本当に、もったいないよなぁ… ほんの一瞬だって、まる で同じ時は無いのにね。退屈な日々、変わらない日常、毎日が同じ事の繰り返し。 そういう事にしてしまってるのは誰なんだ? 日常は、変わらないものなのか?  それとも、変えたくないだけなのか…?            わはははは 今夜は頭出っかちモードの                         MAKOTO でした(^O^) 06867/06871 GBG02043 維/YUI つまらないのは… ( 7) 96/01/28 23:56 06855へのコメント こんにちわ! ノロガメさん。 ”つまんね〜”って書いたのはね、 >>自分が分かっても、自分を観ることが出来ても、毎日の生活をどうこう出来る >>ものは、何一つ有りません。 って意見が、つまらなく思えたのです。 真理はつまんないもんですか? でもね、この間のRESでノロガメさんが、 >自分を観ると言うことは、仕事とは、働きとは、そして生きるとは何かと言うこと >につながって行くものと思います。 って書いてたでしょ? あれは”つまんね〜”の反対でした。”そだよね!” でしたから。 それって、毎日の生活にどうこうしてくることじゃないのかしら? >お前の言うことは説教じみていやだと言うコメントは、これっ >て説教には入らないのかな〜?  おもわず爆笑してしまいました。(^^;) う〜ん…、私はお説教を聞くのは 嫌いじゃないですよ。会社とかの年長者の方々が昼に夜に話すことを 聞くのは、いろいろと楽しいですから。  ノロガメさんのコメントは、説教じみてるというよりか、独り善がりな 感じがしてしまう。結局ノロガメさんは自説がここで通用するかを試したい だけなのか、それとも人としてここで他の人と生きることについて ”語り合いたい”のか、わからなくて…。語り合いたいとおっしゃっている ようなんですけれども。。。    他人様に説教するのが嫌いなのは、会社とかで得た経験上、まずは自分の行動が 自分の考えに合ったものでなければ、例えどんなまっとうな意見だとしても、 耳をかしてもらえないことが多いって思っているし、滔々と自説を展開しても、 そこにその人の生きざまが見えてこないと、「なんか違うよね」って思われて しまうのがオチです。 人様に学ばせてもらうことはあっても、人生について 人様に教えを授けることができるような身分ではないですから、私。 せいぜいが、”こんな経験をしたよ、だからこうしたほうがいいって、私なら 考えるな・・・”と話すくらいでしょうか。 ちなみに、”〜がいやだ”というコメントがあったとしても、それは説教 じゃないんじゃないですか? ただの意見でしょう。”〜はいけない。なぜ なら、…だからだ。ゆえに、そんなことはするな。”ぐらいになると、説教 かもしれませんが。 >維/YUIさんも、本当は言いたいことが一杯あるのではないですか? 私? ありますよぉ〜! ここでもずいぶんと迷惑書き込みしてますね(^^;;) けど言いたいことってのは、FARIONの会員の人にだけじゃないですから、 それはその相手に言わなきゃ、意味ないですけどね。(あ、横道にそれた・・。) >自分を観る」と言う共通 >の課題に取り組んで、それぞれがそれぞれの意見を出し合うことが肝心なことであ >ると思う訳で、何とか皆さんにすかれるように取り入ることは、自分と言う部分を >覆い隠す事になってしまうのでは、それでは果たして「自分を観る」事が出来るの >かな〜? これって自分を正当化する、言い訳でしょうか。 そですね。言い訳ではないでしょうか。 皆さんにすかれるように取り入る必要はないと思います。 けど、取り入るのと、甘えて自分のやり方”だけ”をつらぬこうとするのは、 どっちもどっちだと思いますけど。 自分を観るで得たことや、ハロ−メッセージから思いついたこと、日常生活 の出来事で得たことを、その次の瞬間からどう自分の生き方に反映し、活かして いくか・・・ということが私のここへの参加動機です。 言ってしまえば、 ここにこなくてもやればできることです。 んじゃなんでここにくるかって言うと、 ここに来る人びとが好きだからです。 ここでの会話を聞くことが好きだから です。 それは通信以外の友達と会話するのとさして変わりません。 違う とすれば、ここで話すことには一応のテーマがあり、ここでのルールがあるって ことぐらいです。 テーマやルールがあることで、より深くつっこんだ話も できるでしょう? ところで、話はまったくかわるのですが、最近の一連のハロ−メッセージに ついて、ノロガメさんはどんな風に感じますか? 忙しいかもしれませんが、 なにか思うところがあれば、聞かせてもらえませんか? 6番の会議室で扱っている話題ですけれど、テーマが絞られているので、 皆と意見のやりとりをするなら、やりやすいのではないかと思うのです。 興味がないようであれば、仕方がないですけれども。。。 (こういう話は、6番でしなきゃいけないんだっけか?>SUKEさん 話が 続いて、長引くなら移るってので大丈夫かしら?) 維/YUI。 - FARION MES( 9):日本魔界巡航 ★ 神と人の関りを探る 96/01/29 - 751/754 JBH00712 桂 桂 RE^2:安倍清明伝説 ( 9) 96/01/28 20:53 746へのコメント  #746 ひょうたん さん  またまたどうも。  清明伝説と照射するような豊玉姫のエピソードですが、豊玉姫の正体が鰐という のはとても面白いものを指し示すものだと思います。  鰐はインドネシアから東南アジアにかけて聖なる神の使いとして、乗り物であり そして守護するような存在であるからです。いわば日本における竜神信仰のような 形で受け取る事も可能ではないのか、そうにも思えます。  また貴人が珠を持って送られるというのは、これまた幾つか偏在する天地を揺る がす異能力を持つ人間の伝承として共通な所も見逃せませんですね。どうしてこの ような何れも似たようなエピソードが存在するのか、その大本に何があるのか、と ても興味があります。  元々中国から来た諺の「太公望」、釣りをする人を指すような意味で使われるよ うになってしまいましたが、史伝に語られている太公望は本当は竜宮の珠を釣る為 に針のまっすぐな釣り竿を垂れているのであり、そして釣ったものは竜そのもので す。これは人生における「栄光」と「真理」そのものを指す求道的的な寓話です。  珠を取るというのは古事記にあるような「海幸彦・山幸彦」にもあるようにこれ も似たタイプのストーリィです。また、十種の神宝にも珠が含まれていましたよね。  僕はこうした「珠取り伝説」は古代史に於いて何らかの権力収奪・あるいは移譲 過程が寓話化したものではないかと推理しています。あるいは何らかの闘争ですね。  「赤」も「白」もいたのだが、どうしたことだが権力闘争が表面化してしまい、 その結果歴史が飛び飛びになってしまった、そんな感じです。  安倍氏の行く末ですが、これまた清明とは関りがあるのかどうかわかりませんが、 後に奥羽・三陸地方、あるいは八戸まで安倍氏というのは移動しています。これが まだ何によるものだが僕はうまく理解していませんが、おそらくは大和朝廷との軋 轢によるものであろうとは推測しています。  そうした中にあって中世に安倍清明が都で活躍したというのは得意な歴史のエア ポケットを示すものではないでしょうか。  天満といえば管公・菅原道真ですよね。生玉は十種の神宝の一部ですか。  AMA族との歴史との史実的相応にも大いに着目して見たいと思っています。  でわでわ。 桂 桂(JBH00712) 753/754 MHD02672 TAO RE:安倍清明伝説 ( 9) 96/01/28 23:15 743へのコメント #743 桂 桂さん  天下一代の陰陽師、安倍晴明とくれば、これ以上「日本魔界」にふさわしい人物は  いませんね(^^)。ひょうたんさんとの晴明談義、面白いです。  陰陽師というのは、そのイメージとは裏腹に実際は朝廷の“国家公務員”みたいな  ものだったようで、律令時代から陰陽寮というのが設置されていますね。呪術も国  家運営の一つとして営まれていた訳で、魑魅魍魎が溢れていた時代だったんだなと  改めて想像させられて面白い限りです。桓武天皇の時代、平安時代というのは怨霊  や呪詛にまつわれた時代でしたね。  去年京都へ行った時、晴明神社へお参りして来ましたが、その時に一条戻橋も渡っ  て来ました(^^)。晴明の墓は、京都嵯峨野の長慶天皇陵のそばにあるそうですが、  まだそこまで行っていません。  晴明の母、葛乃葉姫を祀った神社も大阪にあるそうで、和泉市の葛葉稲荷神社がそ  れです。さすがに「稲荷神社」なんですね〜。  ひょうたんさんへのコメントで、谷川健一氏の「白鳥伝説」に触れましたが、奥州  安部氏、蝦夷、アイヌ、物部氏…とAMA族史に縁が深い名前が並んでいるので、  改めて読み直しているところです。以前では気付かなかったであろう新しい発見も  あることでしょうね。デワデワ。  TAO - FARION MES(15):マホロバ誕生 ★ 大和魂復活のために 96/01/29 - 00484/00488 KHC01313 まるにちょん RE:RE^2:日月神示 言乃葉(悪の仕組) (15) 96/01/29 03:42 00480へのコメント  #480 たあぼう さん 本の紹介どうもありがとう。 第一企画出版さんの本は、過激なのが多いですね(^^; 僕は、ヤコブ・モルガン氏のユダヤ世界支配の議定書(プログラム)シリーズ に興味津々です。今日「新 最後の強敵日本を撃て」を買ってきました。 読み終わったら紹介しますね。 >> 日本人の子供を、性的に早熟にさせ。 >> 男子を、萎縮させ、骨抜きにし。 >> 女子を、性的に堕落させ。  日月神示にもありますね、   「神界の乱れ、イロからぢやと申してあろう。男女関係が世の乱れの原因で    あるぞ。」                 (黄金の巻 八十五帖)  僕はこれは性的な退廃を意味するだけでなくって、本来性差として備わってい るものが破壊されて、男女がそれぞれ持っているエネルギーの方向性や特徴を狂 わせていくことを言っているようにも思います。  肉体的にも霊的にも、男が男でなくなり、女が女でなくなるとどうなるか?  自然の摂理からかけ離れてしまっては、生物としての生存力も低下してしまう と思います。勝手な憶測ですが、先進国と呼ばれている国の出生率が低下し続け ていることと関係しているんじゃないでしょうか。                ☆ ☆ ☆  ARIONは「男と女」について、こう言っています。  「 現在、この地球上の高等生物である人間は『破滅の予感』を持っている。   自分達が自然の宇宙律動に即して生きていない事を、体のどこかで感じている   為だろう。しかし、それでどうするか?という事になると返答出来ない状態で   もある。    男性は元々、創造力のエネルギーを多く持っている性だ。    女性は破壊のエネルギーを多く持つ。    男性は生まれ持っているエネルギーは創造のエネルギーだけで、破壊のエネ   ルギーは女性と接する事で取り入れられる。    女性は破壊のエネルギーを持って生まれてくる。そして生理的に創造を行う   (受胎・出産)という一期完結性の創造エネルギーをも併せ持つ。    男女双方共に原理、つまり両極エネルギーを受け入れる器としての男性部分   と女性部分を併せ持つが、エネルギー発信体としての創造・破壊エネルギーを   双方共に持っているのは女性である。肉体的に創造出来るが故の破壊の能力と   も言える。    しかし、女性の創造エネルギーは、一期完結性というタイプの創造エネルギ   ーで創造の対象と範囲に限界がある。    射程距離に例えて言えば女性の創造力は射程距離が短く、男性の創造力は射   的距離が長いと言える。    男女の持つエネルギーは、性質も動作も電気エネルギーと似ているので、二   つの電極として話を進めよう。破壊エネルギーと創造エネルギーの極性は、破   壊がプラス・エネルギー、創造がマイナス・エネルギーとなる。電気と似てい   て一極だけでは機能しない。女性は生まれつきプラス・マイナスの揃った性で   あり、男性は、優れてはいるがマイナス電極しか持たない。電気を流すには両   極必要だ。男性の創造エネルギーに優れた働きをさせようとすれば、女性の破   壊エネルギーが必要になる。    良き創造は良き破壊と組み合わせで成立するからである。    破壊の持つ飛散する力としてのエネルギーと、創造の持つ構築する力として   のエネルギーは相反する力だが、お互いに片方だけでは均衡が保てないだけで   なく成立しない力なのだ。       女性のエネルギーなら、どんな状態でも破壊エネルギーで、男性の創造エネ   ルギーの糧になるか?現在の問題はここにある。    原始時代ならともかくも、現代は教育という名の下にエネルギーの変質化が   行われているからだ。現状では女性の本来持つ破壊エネルギーは、自己充足の   域を出ない程度の規模になってしまっている。    つまり女性自身の創造力を補足・促進するだけの破壊エネルギーしかない状   態になっている。    つまり男性は女性から純粋な破壊のエネルギーが貰えなくなってきていると   いう事だ。しかし男性にとって破壊のエネルギーは、自身の創造力にとって起   爆剤とでも言うべきもので、表現をしようとすれば必要となってくる。   表現者として生きようとすれば、当然の事ながら必要になってくるものなのだ。    特にこの頃、女性が表現者として社会の表面に現れてくる事が多くなった。   自己充足の表現者として、女性が社会に出て来たのには大きく分けて二つの理   由がある。    一つ目には、前述の教育によるエネルギーの均等化、変質化があげられる。   この傾向は特に第2次世界大戦後の、安易な民主主義思想の輸入によって促進   される事となった。没個性、没特性の促進ともなった。これは民主主義の誤っ   た解釈が意図的に行われた結果だろう。    もう一つは、前述のメッセージの母原病の席巻による男性の弱体化だろう。   純粋なる破壊エネルギーを男性に供しようとすれば、絶え間無い自己犠牲の精   神が必要となってくる。つまり絶え間無い自己破壊の連続の結果、破壊エネル   ギーは純化されてゆくからだ。    その作業は、現在では男尊女卑と呼ばれ、疎まれる傾向の強い作業であり、   その作業の結果としての、純化された破壊エネルギーを受け止め、自分の中に   取り入れ、起爆剤として創造力を発動させる為に使えるだけの力を持った男性   が減ってしまった事が大きな理由の二つ目だ。    現在では、ほんの一部の男性の中に、弱体化以前の男性の片鱗を見る事が出   来るだけで寂しいものだ。しかし、それも片鱗でしかない。    表現者としての男性エネルギーと、絶え間無い自己破壊の連続の結果の純化   された破壊エネルギーを持つ女性エネルギーの結合による、破壊を内在、包含   する表現は、全ての人の中に眠る『至福の為の創造願望』を揺り動かす事が出   来る。それら眠れる人々の心臓を捕まえて離さない、強くそして優しく、固く   そして柔らかい、醜くそして美しい、二律背反のエネルギーこそ、現在の人々   が、生物的に感知している『破滅の予感』に揺さぶりを掛けて、破壊の為の大   いなる非連続の破壊ではなく、創造の為の小なる連続の破壊を引き起こす事が   できるのだ。      創造の為の小なる連続の破壊は、車のエンジンの原理と似ている。車のエン   ジンは小さな連続した爆発の力で、車を推進させる。    破壊の為の大いなる非連続の破壊は、原子力爆弾搭載ミサイル発射ボタンを   押す行為に似ている。指一本で大いなる破壊が行われる。連続などあり得ない。   連続する場は、最初のアクションで消滅するからだ。    あなたがた、日本人の智恵は全世界を凌駕するほどのものなのに、何故に気   が付かないのだろうか?    気付かないフリで大いなる破壊の片棒を担いでも良いものだろうか?」   <I LOVE YOU 1 (アーリオーン 北川恵子)より引用>  では、また。                     まるにちょん、○ゝ - FARION MES(16):■特設会議室 ■ シルバーバーチを語る 96/01/29 - 307/310 GBB03425 Paper Birch 心霊学より日本神道を観る(1-5) (16) 96/01/28 20:55 『心霊学より日本神道を観る』            浅野和三郎著 心霊科学研究会刊 昭和13年 ---------------------------------------------------------------------- ●神社と祈願 (P.10-11) 神に近づき得る。原則として彼自身に許される祈願は、精神的・霊的なものだ けである。他人の為にのみ、彼は物質上の恵みを祈願して差し支えない。さら に忘れてならぬことは、祈願はこれを述べる場所の違いによっては、少しも神 聖化しないということである。神社、寺院、教会などは、あなたの精神を正し い方向に導く効果はあるであろう。これと同様に山間の静寂境なども、あなた の気分を高めるのに適当かも知れない。祈願を行うに際して、あなたがそうし た境地を選ぶことは非常に望ましい。が、どこに居ようが、先決問題として大 切なことは、あなたの心から、恐怖、疑惑、猜疑心、利己心、怒り、怨み、そ の他の罪・汚れを、きれいに払いのけることである……。こういった一般的忠 言は、あまりにも、難しきを人に求めるように見えるかも知れないが、各自は その分に応じて、差し障りのないよう取捨すればよい。各自は知的にも、また 情的にも、それぞれ等差があるのであるから、これらの忠告の適用は、各自に 於いて工夫することが必要である。これを要するに祈願に大切なものは、真心 の一語につきる。中身のない浮ついた言葉が一番いけない。無邪気で熱心な、 粗野な田舎者の子供っぽい祈願が、しばしば堂々たる礼式と荘重なる言葉使い で行われる大僧正の祈願に勝って、神に達するゆえんである……』  説いて充分とはいえませんが、これなどはたしかに、祈願の性質をきめるの に、多少の参考になるところがあると思います。  次に私は祈願の対象について一言したいと思います。『どこの神様にお頼み をすればよいか?』----私はよくこういう質問に接しますが、実際問題として、 それはあまり拘泥するには及ばないと信じます。たとえば、ここに洋上で難破 した船舶があるとします。そうした場合にとるべき最善の手段は、できるだけ 強力な無線で救助を求めることで、どこの無線局と特別に指名する必要もなけ れば、また余裕もない。祈願の場合も、これと同様です。神霊の世界は、四通 八達(シツウハッタツ)の連動装置になっており、必要と考えれば、時と場合で、それ ぞれ適当な援助を与えてくれます。この際大切なのは、ただ強く正しく『神様』 を念ずるだけで、それ以外に人間の方で、申込所の選択などを気にする必要は ないでしょう。  最後に一言ご注意申し上げておきたいことは、いかにすれば祈願を強力にす ることができるか?ですが、これはきわめて簡単で、できるだけ焦点を造れば よいのです。換言すれば、その目標をただ一つにきめて、これに全力をあげれ ばよいのです。やたらに気ばかり多くて、両手に花、犬も歩けば棒に当たるの ような軽薄な態度は、ただ祈願の場合にうまくいかないだけでなく、何をやる にも、まず失敗は免れないと思考されます。               (昭和十一年十月二十四日於大阪有恒倶楽部) - FARION MES(19):世も末ばなし ★ ぶっ飛び話・罰当たり話 96/01/29 - 798/798 QZY01267 猫の手 言葉を覚えるように。 (19) 96/01/29 00:23  多分私には  中庸がないと思う。  いつもやらないかやるか  YESか、NOか  二つからの選択。    ある時に  そうしてる自分が見えて、  オルタナティブな生き方を求めてきたけど、  ふと気づかぬ内に、  二者択一の生き方選んでる。  いつまでたっても  極端な二つの対応で、  どちらを選ぶか悩んでる。    オルタナティブを意識し始めたものの  今までやったことのないこと難しい。  それをやっている誰かが近くに居れば  それをお手本に出来るだろうに、  お手本に出来る誰も身近に居ない。  それでも遠くであっても居てくれるから  それでも少しずつ、  少しずつ、  オルタナティブも出来るように  いろんな対応できるように  あっちから少し、  こっちから少し、  つまみ食いしつつ  試してみつつ、  どう転んでも  幸せで居られる  私にしていくの。      幼い子どもはどうにでも  染まること出来る。  親の教え込むこと、  社会の教え込むこと  次第次第に染まっていって  次第次第に身に着けていく。   「日本人の子どもは英語がしゃべれない。」  そりゃ当然、  英語を話す人  近くに居ない。  そんな当たり前なこと  分かっていながら分かっていない。    両親は自分の子どもに自分以上の生き方期待する。  でも「カエルの子はカエル。」  そう云って諦める。  ただ単に、  別の生き方してる 「見本にできる誰かが居ないだけ。」  とは思わない。    きっと多分、 「人間の子が人間」であるように 「カエルの子はカエル」なんだと思う。  にもかかわらず、  どこの誰であろうとも、  日本で育てば日本語しゃべり、  フランスで育てばフランス語しゃべる。  何が違うのか?  ただ単にお手本が居るかいないかの違いだけなのに。  どのお手本の真似するかは本人次第だけれど、  英語を話すお手本居なければ英語は話せない。  そして、  一番身近な誰かをお手本にして  言葉を覚える。  話し方覚える。    大人になって  英語を話そうと思うと苦労する。  今まで身に着けた習慣を変えていくのは苦労する。  今まで身に着けてしまったやり方あるから  新しい単語を覚えるのに苦労する以上に  それを脇に置くのに苦労する。    単語を覚えても、  文例による応用効かないと  単語だけでは役立たない。  身に着けるには  見よう見まねで  うまく話している人の物まねをして  子どものように  見よう見まねで  繰り返すしかないみたい。    でも大人になってしまうと  根気がなくて  障害が多いのも手伝って  なかなか身に着けていくこと難しい。    ようやく英語の単語もどうやら覚えてきたけど、  ようやく英語の文例も少し使えるようになってきたけど、  まだまだ自由に話すの難しい。    でも毎日  少しずつ、  億劫だと思いつつ  少しずつ、  子どもが覚えるよりも  僅かずつ、  今まで使えなかった言葉を覚えるように  新しい反応の仕方、  新しい想いの持ち方、  身に着けていくの。  そうすることでまた  少しずつ  今日もまた  少しずつ、  どこでも  どうとでも  対応できる私になっていく。         ** QZY01267/『猫の手』 <96/01/27 20:07:28> **