「凍えたからです。焚き火を燃やす為ではありません」と凍える人 - FARION MES( 6):ハロー・メッセージ ★ 今日のハロー・メッセージから 96/01/31 - 00635/00636 KFQ02761 しまうま 焚き火と火種 ( 6) 96/01/31 01:49  以前のHMを読み返してみて、気付いたことを少し……。 :93/02/04 鬼も人も焚き火を囲んで踊る夜、NAMEさん見ていますか?入りますか?  うーん、懐かしいHM。以前ひょうたんさんが引用してくださったヤツです ね(^^)。これを読んでちょっと思ったのは、もしかして今こそ“鬼”が復権す るときなのかもしれないなー、ということでした。今まで不当に“悪役”とか “鬼畜生”とかいう風な扱いを受けてきた“鬼”ですが、結局、傀儡に追われ た国津神や、蝦夷と呼ばれて征討されてしまった原日本人たちのことなんです よねー。時の権力者によって、貶められていただけ、という感じ。  たぶん、“焚き火の民”の中には鬼さんもいるんじゃないかなーなんて想像 してしまいました。 :94/07/04 自らの火種に気付かぬ者は、本当に外部の火種に気付くだろうか?  この「自らの火種」こそ、天使が“凍えた人”に気付いてほしいものなのか もしれない、と思いました。  自らのうちにある火種による暖かさ、その暖かさで人を暖める喜び、そして 一人一人がもっている暖かさを、互いに持ち寄る幸せ……そーゆーものを知ら ずに、ただみんなが暖かそうにしているところへ顔を出したからといって、暖 かい気持ちになれるかというと、決してそうじゃないと思います。  柴を拾いに行く、という行為自体が「本当の意味で暖まること」を知ってい る、という踏み絵(というとイメージが悪いけど)のようなものなのかもしれ ません。 :94/09/20 さて、準備は宜しいかな? 生命(イノチ)の松明に火が点る時が近い  このHMが94年9月でした。そして本番の今年こそ、生命(イノチ)の松明に火 が点る時なんだと思います。  準備、といえばこんなHMもありましたね。  94/10/20 さて準備は宜しいかな? 百鬼夜行は表と裏があり双方共に進む  95/04/24 準備せよ。縄目はきつく編まれているか? 先端は尖っているか?  95/09/16 羆(ヒグマ)の穴に素手で入るのは無謀である、準備万端整えよ  95/11/20 紺青の静かなる世界に泡一つ立昇る、さぁ準備は出来た…と。  うーん、本番の今年、果たしてこれらの準備がすべて整っているか?と聞か れたら、ちょっと返事に困ってしまいますが、それでもやるべきことはやって いかなくちゃ、と思うし、またやっていきたい、と思います(^^)。   しまうま(KFQ02761) 00636/00636 KFQ02761 しまうま ハローメッセージ96年1月分 ( 6) 96/01/31 02:13  1996年1月分  96/01/01 焚き火を囲む天使と人々は新しい息吹を大地から感じていた  96/01/02 暫くした時、再び天使の背後から声がした「私は凍えています」  96/01/03 天使は焚き火に集う者の顔を見てから言った「此処へ来れば良い」  96/01/04 焚き火に集う民らは、各々が持ちよった柴を焚き火にくべた。  96/01/05 「あなた方、今年の為に柴をもっと持ちよりなさい」と天使。  96/01/06 突然天使の背後から声がした「私を呼んでくれないのですか?」  96/01/07 天使は答えた「焚き火の周りに集う者は自分から集まったのだ」  96/01/08 焚き火に集う民が「凍えているのは可哀想だ」と天使に言った  96/01/09 「凍える事を選んでいる者に何を言うべきか?」と天使は答えた  96/01/10 焚き火の民が怪訝な顔をしているのを見て、天使は夜空を指差した  96/01/11 「全ての存在は斯くあるべく選んで在るのだ」と天使は言った  96/01/12 「では背後の人は凍える事を選んでいるのですか?」と民は尋ねた  96/01/13 背後から「皆さん、私の前に焚き火を移してくれませんか」と声が  96/01/14 焚き火に集う民の一人は「あなたがこちらに来れば良い」と答えた  96/01/15 凍えた人は「招いてください」と答え、焚き火の民は困惑した  96/01/16 別の民が「あなたは招かれないと来れないのですか?」と問うた  96/01/17 凍える人は「そうです。招いて下さい」と再度、言った。  96/01/18 焚き火の民の一人が「いいじゃないか招いてあげようよ」と言った  96/01/19 「どうぞ、こちらへ」と焚き火の民は言った…天使は黙している  96/01/20 「では」と凍える民は言い、焚き火の傍に進み出て天使を見た。  96/01/21 天使の視線は焚き火に固定されたままなので凍える人は民を見た  96/01/22 その時天使は目を上げ「もっと柴をくべなさい」と言った。  96/01/23 焚き火に集う民は「そうだ、柴を拾いにゆこう」と腰を上げた。  96/01/24 「あなたは行かないのか?」と天使は凍える人に問うた。  96/01/25 「えっ私ですか?今、焚き火の傍に来たばかりだし…」と凍える人  96/01/26 「あなたの柴は何処か?」と天使は凍える人に真直に問うた。  96/01/27 凍える人は「え?柴を持つ必要があるんですか?」と答えた。  96/01/28 「柴が無くて如何に焚き火を燃やすのか?」と天使は問うた。  96/01/29 「焚き火を燃やす為に私は招かれたのですか?」と凍える人  96/01/30 「では、此処に何をしに来たのか?」と天使は顔を上げ答えた  96/01/31 「凍えたからです。焚き火を燃やす為ではありません」と凍える人 - FARION MES( 7):自分を観る  ★ ARIONを鏡にして 96/01/31 - 06883/06884 NBB01420 SUKE RE:自分の痛みについての熟考 ( 7) 96/01/31 01:47 06873へのコメント #6873 プレアデスさん、こんばんは。 >>自分の正義感が人間一般への怒りに過ぎないということを学びました。 本来自分の内側で持っている価値観であったのに、それを一般に適用してしま う過ちというのは、やはり陥りやすいものでしょうね。特に自分が苦しくなる と、その苦しさを他人のせいにしてしまうことで晴らそうとする。 私も早速今日、仕事の上でそういう事に陥りました。 業者がちょっと気を配らなかったことがきっかけで数時間の無駄働きをしてし まった時のやりきれなさを、その業者に腹を立てることで解消していたんです。 先ほどまでは明日正式に抗議の電話を入れようとさえ思っていました。 しかしプレアデスさんへこうしてレスを書きながら気が付いてしまうと、やは り抗議は止めようと思います。抗議ではなく、「次回からは○○と言うことに も気を配って欲しい」と言う風に要望を伝え、必要ならその理由として私や私 の同僚が被ったロスについて説明をすれば良いのですね。 言葉を荒立てて相手を責めても、恐らく禍根を残すばかりで解決にはならない でしょう。本来は業者側の改善が起こされる事が主眼なのですから。 もっとも、プレアデスさんの状況はこんな軽いものではないのでしょうけれど(^^;) >>そんな時、回りにも自分にも見放されたような気分になります。 最後まで自分を救うのは自分だけでしょうね。自分で自分を見放すことこそ、 自分を愛していないと言う行動なのだろうと思いました。 悔しければなおさら、自分を見捨ててはいけない訳です。失敗した自分と一緒 に、この自分も落っこちて、一緒になって這いあがろうとしなければ、決して 自分で自分を救い出すことは出来ないでしょう。 なぁに、一緒に落ちる相手も自分自身なのですから、恥ずかしがることはあり ません(^^;)。 そこまで自分と裸の付き合いを出来れば、気を取り直して立ち上がる勇気も湧 こうと言うものです。 仕事を立ち上げる時の苦労は私も私なりの経験があります。その時は職を賭け て健康が犠牲になり、僕を気に入らないでいた先輩さえ心配してくれた程にど ん底まで落ちましたが、その成果が出たときはそれが大きな成功体験にもなり ました。 二度とあんな思いはしたくないと思いながらも、また繰り返しそういう思いは しなければ仕事は続いて行かないんだろうとも思います。 このサバイバル、何とか乗り切って、自分の成功体験にして行こうではないで すか。(^o^)                         (^^)…☆ッテナモンダ Suke. - FARION MES( 8):恋愛錬金術  ★ 愛と性を本音で語る 96/01/31 - 01337/01339 KFQ02761 しまうま RE:ヤハウェは固有名詞 ( 8) 96/01/30 22:39 01336へのコメント #01336 ウルヴィーさん  こんにちは(^^)。毎度ご教示ありがとうございますm(__)m。 :「地蔵菩薩」がヤハウェにあたり、「仏尊」がエロヒームにあたる。 :ちょっと乱暴ですけど感じとしてはそういう感じなのです。  なるほどー。わかりやすい例えのお陰で、よくわかりました(^^)。 :ユダヤ教では神の固有名詞であるが故に「ヤハウェ」は発音しては :いけないとされ、我が主という意味の「アドーナイ」という発音を :代用に使います。  ふむふむ、「ヤハウェと書いてアドーナイと読む」という感じですね(^^;。 :たとえば神は完全だから男でもあり女でもある、だから複数形で表すのだ :とかいう説があったりします。  おおっ、さすが! 実は僕もそーゆー話を本で読んで「性は聖なり……」と 結びつきそうな気がして、書いてみたのでした(^^)。 :マンガとか描いているとこれは実感できることなのですけど(^_^;)、 :思いついた話を勢いにまかせてばーっと描きあげると :途中で話がつながってなかったり論理的に間違っていたりしても :すごいエネルギーを持った作品になることがあります。 :しかし論理的にあっている、矛盾点のない話にしようとそれを :描きかえると、最初に持っていたエネルギーはどこかへ行ってしまう。 :そういうようなことがあったのでは?というわけです(笑)。  うーん、クリエイターの方ならではのご意見ですねー。  しかし、確かに「矛盾があるからこそ深みが出てくる」みたいなストーリー って、確かにありますよね。そこに読者があれこれ考える余地がある、とゆー か……。  世界的大ベストセラー(^^;である聖書も、もしかするとそういう矛盾をもの ともしない、むしろ魅力に変えてしまうようなエネルギーとゆーかポテンシャ ルとゆーか、そういうのを秘めた書物なのかもしれませんね。 :          卒論はエゼキエル書の天使ケルビムだった :          よく考えるとすごいなこれ(笑)ウルヴィー  おおっ、それはぜひ読んでみたいっ!  画像の次は、卒論をDLにアップというのはどうでせう?(マジデキタイシテシマウ(^^;)    しまうま(KFQ02761) 01339/01339 HGE02116 MAKOTO 立候補っと(^。^) ( 8) 96/01/31 00:00 01323へのコメント  この会議室では始めまして(*^_^*)>ALL  私は「恋愛は鬼門だぁ〜!!」と公言してはばからない人間です。実際に片思いの 経験はあるけど、これが恋愛だって経験は今だにありません。どうにも、苦手意識 の方が強くて(^^;)  それでもやっぱり、すごく興味はあるわけで…(^^;) 今も RT当日は、絶対に覗きに行こうと思ってるんだけど、どうせなら、一度くらい、 司会者やってみるのも面白いかも知れない。アンマリ ジシン ナインダケドネ(^^;)  という事で、遅蒔きながら立候補しまぁ〜す。で、できれば、三回目の時に司会 者やってみたいです。このテーマなら、私でも何とかなるんではないかと… わは は、最後に立候補しといて、ずうずうしいかしらん(^^;)  日程としては、2/18〜2/22、及び、火曜日と木曜日でなければ、今の所 いつでもかまいません。ラルさんと、KUROさんのご都合によって決めさせていただ きたいと思うのですが、それでよろしい?>スタッフ様  何はともあれ、よろしくお願いしまぁ〜す。  …と、こんなこと書いちゃったものの、なんか後で後悔するような気が…(^^;)                           MAKOTO でした☆ - FARION MES( 9):日本魔界巡航 ★ 神と人の関りを探る 96/01/31 - 761/763 JBH00712 桂 桂 RE:キリストはコーカサイドだったか? ( 9) 96/01/31 00:06 749へのコメント  #749 TAO さん  いやぁ、またまたタネ本を使ったことがバレてしまいましたねぇ(^^ゞポリポリ  今回「白い人間」の参考資料は「別冊歴史読本・禁断の超歴史、科学」です。  この中に収録されていた「白い預言者はどこから来て誰だったか?」という 稿を読んで、思いつきで書いてみたのでした(^^;  という訳で失礼しました〜  PS.日本に「白」をキーワードにして歴史を読み解くというのは中々面白い試    みですよね。ついでに「赤」もキーワードにして見るとこれまたオモロイ    かもしれないっとな。チャンチャン 桂 桂(JBH00712) 762/763 KFQ02761 しまうま RE^2:安倍清明伝説 ( 9) 96/01/31 00:46 746へのコメント コメント数:1 #746 ひょうたんさん  この部屋でははじめましてです(^^)。 :P.S.清明が育った安倍の杜は、阿倍野として今では大阪の繁華街に。  うーん、そーだったのかー。  先日、「実は浅草ももともとアマ族の土地だったのではないか」というよう な話を聞きました。浅草も、ご存じの通り、今なおもって栄えてますし、江戸 時代なんかは今どころじゃないものすごい繁華街だったようですね。  で、阿倍野との絡みで考えると……もしかして、アマ族ってものすごく「土 地を見る目」があったんじゃないでしょうか。ちゃんと検証してないので、当 てずっぽうで言っているのですが、もしかすると「かつてアマ族が栄えていた 地」というのは、今けっこう繁華街になってるんじゃないかな?  こーゆーのって、風水とも関係あるのかな?  ……と、思いつきだけ書いて去るわたしであった(^^;。                           しまうま(KFQ02761) 763/763 KFR02037 ひょうたん RE:RE^2:安倍清明伝説 ( 9) 96/01/31 07:02 762へのコメント アマ族が栄えていた地が、繁華街になっているというのは面白い考えですね。 ひょっとしたら、葛飾柴又の寅さんは、かつてのAMA族の歴史を捜す為に フーテンを続けていたりして… そうなると、寅さんとリリーは戸浦と百合の関係にあるわけになりますな。  ‥‥と、思いつきのコメントをかえすひょうたんでした。(^^;ゞ - FARION MES(11):狼を生きる  ★ 平井和正の著作から 96/01/31 - 01965/01965 JBH00712 桂 桂 「地球樹の女神」聖母の宝石 (11) 96/01/30 23:46  さて「地球樹」もいよいよ第四巻になりました。  この間で鷹匠中学校の生徒は奥吉野の神成り山へバスツアーに向かう訳です。  勿論、この山のモデルになったのは奈良県吉野村にある大峰山脈最南端に位 置する玉置山です。  ここで小説に入る前に自分の思いで話しをしてみようと思います。  小説中でも生徒の一行が山に登っている最中に空を能鷹が飛び回ってまるで 一行を出迎えているような場面が在りましたが、僕は何度目かの玉置行きの最 中、実際は帰りの山道を降りて来る時だったのですが、車を運転していてもう すぐ国道に出る橋に近づいていた時でした。  鷹だかトンビだかわかりませんが急降下していきなり車のフロントガラスに 近づき、そしてまるで車を先導するかのように先を悠然と羽を広げて飛んでい るのです。  時間にして僅か2.30秒程度でしょう。  再び羽ばたき彼方へと跳び去っていってしまいました。  動物も時に面白いことをするものです。  玉置山に登った後でしたので、余計面映いものを感じました。  これは今から5年くらい前の話です。  では次回から再び輪読会を行って行きます。  であであ。 桂 桂(JBH00712) - FARION MES(12):精神世界裏表 ★ ニューエイジビジネス を斬る 96/01/31 - 00763/00766 MHA01114 シュメ−ル 回顧95 その3 (12) 96/01/30 22:40  オウム事件が我々の世代に与えた衝撃はなんだったのだろうか。  一般的に言われる高学歴とか優秀な理系という表現はそのオウム幹部とほほ同年 代の我々にとっては、たいして意味がなかった。なぜなら、その学歴とかいったも のの内実を我々は実感として体験してきているからだ。科学はいまだ暗く我々の心 を満たしてはくれないことを我々は世代として感じ取っていた。我々の驚きはむし ろ、自分ではなくなぜ彼等なのか、ということのへの明確な答えのないことへの当 惑であった。サテアンに我々がいてもちっともおかしくはない。それは阪神大震災 において生き延びた人々の当惑、なぜ私でなく彼が死んだのか、ということへの答 えがないことへの呆然とした解答不能性と同値である。  オウムへの驚き、それは我々戦後教育を受け、人権やら思想信条の自由や戦争へ の無条件の反対がしっかり身に着いていると錯覚していた我々の世代の平和観、人 間観をボロボロに打ち壊してしまったことではないか。戦争とはかつての愚かな世 代がその愚かさのゆえに起こした、単純な間違いであって、そんな馬鹿げた間違い は我々の世代では起こり得ない、といった妄想を我々は何時の間にかもってしまっ ていたのではないか。多様な価値観を相互に認めることが常識となっていて、自分 の主義のために大量殺人を起こすような愚かさを我々の世代は当の昔に卒業してい るという錯覚。太平洋戦争の愚かさ、学園紛争の愚かさ、過激派闘争の愚かさ、か つての闘争世代の愚かさは我々には縁遠いものであり、我々がそんな愚行を起こす はずがないという、錯覚。こういった錯覚をオウム事件は一挙に破壊してしまった。  戦後50年が過ぎた。我々はかつてこの国土を賭けて戦われた戦争をいったいど の様に総括してきているのだろうか。我々はいつのまにか、かつての戦争は愚かな 人々がその愚かさゆえに犯した過ちとしてしか評価しない戦後史観を単純に受容し てきただけではないか。この薄っぺらな戦争観は我々が真理として受容してきた新 憲法とともに、戦争を単なる愚行として一顧だにしない姿勢をつくりだしてきたの ではないか。「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高 な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、 われらの安全と生存を保持しようと決意した。」との憲法の妥当性とはまったくべ つの議論の次元において、太平洋戦争とはいったいなんだったのかを学ぶ努力をす べきではなかったのだろうか。当時の日本国民は現在の我々に比べて、単純に愚か なだけだったと考えることは最大の錯誤である。彼等は彼等で真剣に考え、調査し、 分析し、戦争へと踏み出したに違いない。同じ状況におかれたなら、恐らく我々も 同じ選択をしていたはずだ。そのことをオウム事件がかくもスキャンダラスに証明 してしまった。我々はいまだに決して戦争という愚行から自由にはなっていない。  様々な利害の対立がさまざまな愚行へと至るダイナミズム。その解明のためのこ まやかな追及態度と能力をいつのまにか我々は去精されてしまってきていたのでは ないだろうか。そのことが、悪いことは悪い連中の企みで起こるという安易な陰謀 史観へと我々の歴史および現代史観を誘導している。なぜか。答えは簡単である。 日本は日本の戦争の論理を完全に封印されてしまっているからだ。勝者による敗者 の言論統制を戦後の日本ほどやすやすと受け入れ、自らの正義として主張した文明 国は歴史的に希なのではないか。その端的な現象は戦後のGHQによる戦争の名称 の検閲である。大東亜戦争という日本の戦争論理を語ってしまう名称は徹底的に排 除され、太平洋戦争のみが戦争の呼称として許された。  「公文書ニ於テ『大東亜戦争』『八紘一宇』ナル用語乃至ソノ他ノ用語ニシテソ ノ意味ノ連想ガ国家神道、軍国主義、過激ナル国家主義ト切リ離シ得ザルモノハコ レヲ使用スルコトヲ禁止スル、而シテカカル用語ノ即刻停止ヲ命令スル」         GHQによる神道指令(昭和20年12月15日)  大東亜戦争は単に「国家神道、軍国主義、過激なる国家主義」のみによってひき 起こされたのだろうか。それほどかつて日本人は精神的で天皇主義に洗脳されきっ た国民だったのだろうか。日本を孤立させ、物資輸入を封じてしまったABCD包 囲網はなぜ連合国によって発動されたのか。なぜ、日本はインドの独立にまで防衛 力を注ぎ込んだのか。戦後アジア・アフリカ諸国はなぜ急速に独立することができ たのか。  戦後50年が過ぎた。そして阪神大震災が起き、オウム事件が起きた。我々は、 過去の世代、他国の他民族が飽くこと無く繰り広げてしまっている愚行から我々が 自由ではなかったことを思い知らされ、愚行のメカニズムを解明せずにはおれない アイデンテテイクライシスを迎えてしまった。世界に誇る平和憲法はけっして我々 を生まれながらの平和国民にしてはくれていなかった。我々は、日本が再び愚かな 戦争へと傾斜することをとどめうる世界史的にすぐれた名誉ある平和愛好国民であ るという無意識的前提が実は巨大な錯覚であることにきづかされ、呆然と、立ちす くんでる。阪神大震災において廃墟と化した神戸の街に立ちすくんでいた人々。オ ウムが我々の世代にあたえた衝撃にきづいた人達は、戦後50年に築き上げてきた はずの平和幻想が、がらがらと崩れ去り、廃墟のごとく広がる様に気付いたはずで ある。我々の世代もまた神戸と同様、廃墟から立ち上がり、戦争のない世界建設へ の緻密な努力を開始しなければならない。それぞれがそれぞれの復興を手掛けてい かなくてはならないだろう。  さて、私の復興は、人類の愚行のダイナミズムの理解、大東亜戦争とはいったい なんだったのかを丹念に調査することから始めたいと思う。そしてそれが世界史に おける陰謀というものの正体を見極めることになるだろうと思う。  蛇足になることを覚悟で付け加えれば、そのことは結局は宇宙史における地球の 不幸を理解することになるだろう。そして、地球における人間以外の意識体の不幸 も…。 00766/00766 QZV02351 ホロン RE:吟味するということ。 (12) 96/01/31 09:38 00762へのコメント こんにちは一輝さん とても有意義な発言ありがとうございました。 私なりに、今一度検証してみたいと思います。 私は小さなモノづくりの会社の経営に携わっております。生まれたときから、今の道 に進むべく教えられ、俗にいう「跡取り息子」という環境で、今日に至っております。 こんな立場で、多くの人と出会い、多くのことを学べる幸せを、こころより感謝して、 日々会社経営にいそしんでおります。 私が新しい価値観というものを求めはじめたのは、バブル華やかなころ、カネが右か ら左に動くだけでカネを生む姿に、おおいに疑念を抱き、「何かおかしい、”既存の 価値観”のままでは、きっといつか、社会も人もだめになってしまう」。そんな思い が芽生え、あわせて、それに変わりうるモノ、「新しい価値観」とはなんだろうと考 えはじめたのがきっかけでした。 昨年、その「新しい価値観」をじっくり考える機会を与えていただきました。既存の 価値観を見直し、人の本質を見直し、既存の価値観に変わりうる価値観、「新しい価 値観」の模索を行いました。 その中で、青山氏はじめ多くの方と出会い(一輝さんには、その出会った輩が問題だ と言われそうですけど・・)、EMを実行している農場を見たりし、自分なりに、新 しい価値観の胎動を実感したものでした。 確かに、ヤバそなモノもずいぶん有りましたが、中には否定的できるモノでもなく、 では、それを理解するには、既存の尺度では計れない、かといって、実際に目の前に ある、そんなモノもあったのも事実でした。 既存の価値観を考えたとき、15年前に書かれたアルビン・トフラーの「第三の波」 が、たいへん参考になりました。今の私たちの行動パターンは第二の波(産業革命以 後の工業化の文明)の教育システムの賜物であるとのこと。第二の波と第三の波のぶ つかり合う今日、今の教育システムに作られた概念を脱却しなければならない時期に 居合わせているのではないでしょうか。 新しい価値観とは、そんな既存の価値観を見直したところから始まると思います。既 存の価値観によって隅に追いやられた、昔の良いところ(大和的とか縄文的なんて最 近いわれてますね、なにかと)、今ある知識ですべて理解してしまおうとする無理か ら開放した思考から始まるのではないでしょうか。地球が生まれて45億年、人が生 まれて1万2千年、そして文明を持って、たかが5千年。産業革命からわずか2百年。 人はまだまだすべてを知ってるわけではありません。謙虚に生きたいものです。 一輝さん、そして、わうさん、古賀さんには、いろいろ教えていただけて感謝いたし ます。 尚、前回のコメントは、実名のがいいのかと思い、それでアップしました。これから はハンドルでいきますので、これからもよろしくお願いします。 新しい価値観を求めて・・ ホロン QZV02351 - FARION MES(13):神秘学遊戯団 ★ 限りなき神秘への航海 96/01/31 - 04226/04232 GGA02514 KAZE インターネットのシュタイナー1 (13) 96/01/30 16:27 このところ、インターネットでシュタイナー関係のものを見ています。 まだその全貌を把握するまでには至ってないのですが、 参考までに、これから少しずつご紹介していこうかなと思います。 インターネットをされている方で、シュタイナーに関心のある方は、 実際にご参照いただければと思います。 もちろん、日本語で展開されているホームページなどはなく、 主に英語、ドイツ語の世界です^^;。 (この際、日本語のシュタイナーホームページを つくちゃおかなとも思ったり^してるのですが、ううむできるかな^^;) 特に、英語の不得意なぼくとしても、この際、英語も含めて、 なんとかインターネットに不自由しないほどまでには、 勉強し直そうと思っているところです。 でないと、そこでの議論などにも参加できそうもありませんから^^;。 さあ、がんばらなくっちゃ(^^)/。 しかし、いろいろインターネットでシュタイナーの資料を見てますと、 これだけでも、日本語での資料よりもたくさんあるのは確かで、 多くの方にとって英語だと、辞書を引き引きやっていけば、 なんとかなるというところでしょうから、 そこらへんのものも、活用できるものは活用していきたいなと考えてます。 著作、講演リストなども、ドイツ語でご紹介するとわかりにくいですが、 英語だとなんとかわかると思いますので。 でもって、今回は、その最初として、 シュタイナーのホームページの主要なものの宛先などをば。 ■Rudolf Steiner Archive -- http://www.c4systm.com/Steiner/ ■Rudolf Steiner -- http://ezinfo.ucs.indiana.edu/~mcooke/mcooke/Steiner.html ■Anthroposophy -- http://www.io.com/~cradock/rsc-anth.html ■ Rudolf Steiner -- http://www.io.com/~cradock/rsc-rs.html ■Rudolf Steiner College -- http://www.io.com/~cradock/rsc-thp.html ■RUDOLF STEINER COLLEGE BOOKSTORE -- http://www.io.com/~cradock/rsc-bs.html *上記のなかで、「Anthroposophy」とあるのは、「人智学」のことです。 次回からは、この上記のホームページの中味をはじめ、 その他のものなどもふくめて、具体的にご紹介していくことにします。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 04227/04232 QZD02307 ジョリー 雄叫び (13) 96/01/30 22:27 コメント数:1     僕の胸を今 突き破るような高鳴りがある   この胸の高鳴りを 誰に伝えよう   この胸の高鳴りを どうやって伝えよう   高鳴りは言葉ではない 言葉にはなっていない   では、どうやって伝えよう?   絵にでも描こうか・・ それとも歌にでもしようか・・   そうだ 風に伝えよう   誰かに伝えたい この胸の思いを   誰かに伝えたい この雄叫びを   風に乗せて伝えよう   肌を突き刺す冷たい風よ    僕の思いを その誰かに届けておくれ   肌を突き刺す冷たい風よ   誰かの返事を 僕のところへ運んでおくれ    ジョリー 04230/04232 GGA02514 KAZE 「雄叫び」に寄せて (13) 96/01/31 12:37 04227へのコメント                 ジョリーさんへ(^^)         はるか彼方まで届けられるクジラの歌のように   私のこの鼓動は伝わるだろうか        ああ伝わるよ     その胸が熱ければ熱いほど      深いマグマから吹き出してくるこの熱が   私の頬さえ紅潮させる   ああこの鼓動は伝わるだろうか        ああ伝わるよ     熱せられた思いが上昇し     さあ届けと風に乗る        声にならず叫びになり   叫びがいつしか歌になる   ああこの旋律は響くだろうか        ああ響くはずさ     その歌が清らかであるほどに     鼓動は天の鼓を打ち鳴らす   ☆☆☆KAZE☆☆☆        04228/04232 KFQ02761 しまうま RE:空と縁起、矛盾を生きる中道 (13) 96/01/30 22:40 04208へのコメント #04208 KAZEさん  こんにちは〜(^^)。 :「存在しているものすべてに空という性質がある」というふうに :とらえなければ、仏教は「この世ははかない」と説いているだけの :無力な教えであるということになってしまいます。  なるほど、般若心経の世界ですね。あのお経、正直いって意味はまだちっと も明確に把握していないのですが、なんというか、腹に響くようなリズミカル な力強さ、みたいなのはとても好きです(^^)。  うーん、僕は仏教が「無力な教え」であるとは思いませんが、何かこう、や はり「この世ははかない」から始まっている、というイメージは確かにあるな あと思います。 :「縁起」というのには、わかりやすくいえば二つの観点、 :つまり、時間的な観点と空間的な観点があります。 :時間的な観点でいうと、いわゆる「因−縁−果」という原因−結果の法則、 :空間的な観点でいうと、すべての事象は関係しあっている網の目なのだという :最近の量子力学的な観点に近いあり方です。  うううううむ、なるほどっ……というほどよくわかっていないような気もす るのですが(^^;。  KAZEさんのお話を聞いたイメージとして、こんな感じに僕は把握してしまっ たのですが、間違ってないでしょうか?  ええと、例えば「空間」を二次元の平面とする。で、その平面に垂直な軸を 1本立てて「時間軸」とする。その平面と軸が形成する空間の中にいろんな大 きさ・色・形・質量のボールが無重力っぽく浮いていて、そのボールがそれぞ れの事象。ボールの1個をちょんと指でつつくと、ふわふわ〜とただよって、 別のボールに当たる。それが縁。ぶつかったボールがまた別の方向にただよっ て……とゆー具合に1つの事象の変化があまねく関係し合っている状態が「縁 起」。人間は、そういう事象の中のひとつで、自分が存在する時間軸の間を、 時間の流れに沿って意識を移動することによって、平面に平行にいわばスライ スしながら、事象の有り様を見ている。その一方で、それらの事象に影響を及 ぼしつつある。  うーん、自分で言いながらよくわからなくなってしまいました(^^;。 :だから、人間は、そうした「縁起」を理解しながら、 :みずからの存在を深く見つめなければならないということになります(^^)。  ふむふむ、自分の存在を、「空」と見ることを入り口にして深く掘り下げ、 そこから積極的な意味を見いだしていく、というのがポジティブな((^^;?) 仏教の捉え方なのかもしれませんね。 :右端でも左端でもあり、右端でも左端でもない。 :そんな絶対矛盾を生き抜くことが中道なのだ、と(^^)。 :矛盾を避けるのではなく、矛盾を生きよ!と。  最初にこれを読んだときは「ふむふむ、なるほど」と思っただけだったので すが、レスを書こうとして改めて読み返してみると「うーん、これってめちゃ めちゃいいフレーズだなあ」と思ってしまいました(^^)。  「矛盾を避けるのではなく、矛盾を生きよ!」  そーかー。これが中道の極意だとすれば、中道というのはものすごく凄烈で、 厳しくて、それでいて何でもアリ(^^;みたいな、人間そのもののあり方に深く 関わってくるような概念なんだなあ、と改めて思いました。  次回の「中道としてのキリストの道」も、楽しみにしております(^^)。   しまうま(KFQ02761) 04229/04232 KFQ02761 しまうま RE:天使の奏でるハープとしての感情 (13) 96/01/30 22:40 04209へのコメント #04209 KAZEさん  またまたこんにちは(^^)。 :積極的に利用するというよりは、 :そういう極端な感情に左右されることがなくなるように、 :感情をコントロールできるようにするということなのだと思います。 :感情をコントロールするというと冷たくイメージされたりしますが、 :決してそうではなく、魂の力を強くすることなわけです。  これ、ものすごーく身に沁みました(__)。  僕は、自分ではどちらかというと感情がコントロールできる人間、みたいに 思っているところがあるのですが、なんとゆーか、自分でコントロールを意識 していない瞬間、とか、あるいはコントロールしなくてもいいと思っている事 柄、に対しては、極端に走ってしまう傾向があるんですよねー、これがまた。 おおかたの場合、欲がからんでいたり、長年の習い性だったり、やけくそにな っているときだったり(^^;するのですが、そういうときは自分では正しい(と いうか当たり前)と思ってやっているので、「積極的に利用しよう」と思って いると、ホントにものすごく極端な感情・極端な行動になってしまうんです。  そーかー。そういうときこそ、極端な感情に右往左往させられないように、 自分を客体視することが必要なんですね。 :激情や耽溺などという音楽は、やはり、天使には似合わないと思いませんか。 :それが似合うのは、天使にすりかわった悪魔のささやきなのではないでしょうか。 : :ま、悪魔のささやきを聞くのも、 :また、それなりに興味深いことではあるのですが^^;、 :そのささやきをちゃんと識別する魂の力は必要だと思うのです。 :一種の、選曲眼でしょうか(^^)。  これまた脱帽ですm(__)m。  僕はどこか「激情や耽溺(タンデキ)」を良しとするよーな傾向があるのですが、これ もまた欲だの何だのがからんでいるときに限って「良しと」しているような気が、 自分でします。  あらゆる「激情や耽溺」を否定するべきだとはぜんぜん思わないのですが、 それこそKAZEさんのおっしゃる「選曲眼」が必要になって来るんでしょうね。 もしかすると天才とか言われる人たちは、自分の「激情や耽溺」を世界の中で うまくハーモナイズできちゃう人なのかも……なんて思いました(^^)。   しまうま(KFQ02761) - FARION MES(14):預言解読村  ★ 預言・予言は何を語るか 96/01/31 - 03610/03611 PAG03134 はな 生命の樹について (その2) (14) 96/01/30 22:25 03605へのコメント  カバラを学ぶ上で、必須の概念に「生命の樹」があります。生命の樹は 10個のセフィロトと22の小径(パス)で成り立っています。     【生命の樹】        (1)         ●        /|\       / | \   (2)●−−−−−●(3)   ‥‥‥‥横線1      |*  |  *|      |* |  *|      | * | * |      | * | * |   (4)●−*-−-*−●(5)   ‥‥‥‥横線2      |\ *|* /|      | \**/ |      |  ●(6)|      | /|\ |      |/ | \|   (7)●−−−−−●(8)   ‥‥‥‥横線3      * \ | / *       * \|/ *       *  ● *        * (9) *      (はな注:「−」も「*」も、        * | *        小径を現す点では同じです)         *|*         ●(10)         ↑     「中央の縦線1本」  『赤い横線3本の中央に直角に交わる群青の線1本‥浅黄色の裏地‥』 というハローは、生命の樹について述べているのではないかと思ったのは、 生命の樹が、上記のような形をしているからです。  横線3本とは2−3、4−5、7−8をそれぞれ結びつける道(これ が小径です)であり、中央に直角に交わる1本とは、1−10の小径で す。                       はな 03611/03611 PAG03134 はな 小径の前フリ (14) 96/01/30 22:26  小径3本「2−3」「4−5」「7−8」は、競馬ではないぞい。  アリオンのハローを枠連で解くとか言わんよーに。(^^;                       はな - FARION MES(15):マホロバ誕生 ★ 大和魂復活のために 96/01/31 - 00492/00496 GGA02514 KAZE RE:「悪の計画」 学と神力の戦い (15) 96/01/30 17:54 00479へのコメント まるにちょんさん、どうも。 》 感動するこころ、 》 喜怒哀楽をいたずらに抑制することのないこころ、 》 神を信じるこころ、 》 人を信じるこころ、 》 を取り戻すには、いったん学や智恵を忘れてもしくは横に置いて(捨てなくて 》もいい)、理屈で物事を考えたり捉えたりしないで、素直な気持ちを保つことが 》一番だと思います。 そうした素直さというのはとても大事なことだと 素直さを等閑にしがちだった経験者として実感してます^^;。 ぼくは物心ついてから、どうもひねくれた天邪鬼のようなところがあって、 そのために何かを虚心に受け取って謙虚に学ぶ姿勢に欠けていたようです。 しかし、あえていえば、そういう素直さをいいわけにして、 物事をちゃんと認識しようとしないムード派と 物事にとらわれないで何からでも学んでいこうという姿勢とは よく混同されがちですから気をつけたいですね。 感動する心をもちながら、その感動に溺れず 喜怒哀楽を抑制しないで、しかもそれに振り回されず 神を信じながら、神まかせにせず、 人を信じながら、人に依存しない、 そういう素直さを言い訳にしない虚心な自助努力こそが 必要なのだと思うのです。 》    「理屈は悪魔と申してあろうが」 》    「神にまつはらずに、学や智恵が何になるのか、底が知れてゐるでは 》     ないか」               (富士の巻 第十八帖) これを少し敷衍してみるとこういうふうになるでしょうか(^^)。 (日月神示には失礼ながら、少し遊んでみました^^;)   理屈は悪魔と申してあろうが   されど生きた理屈も解せぬ者は悪魔にも悖るとも申してあろうが   悪魔と申して悪魔を解せぬ者の多いこと   死んだ理屈を回心させよと申してあろがの      神にまつはらずに、学や知恵が何になるのか、底が知れてゐるではないか   神よ神よと祈りながら、学や知恵を憎む者の祈りも、底が知れてゐるではないか   神にまつはって、人として半分しか生きぬ者も、底が知れてゐるではないか   神にまつはって、学や知恵を生かすのが道じゃと申してあろうが   生かす道を歩かぬ者の底には何があるのかの    >悪の計画は、この理屈を最大限に利用します。 だからこそ、その理屈に負けない真摯さも必要とされるわけです。 理屈を越える魂の力が求められているのではないでしょうか。 素直でありながら素直さに甘え、依存しないようでありたいですね。 では。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 00496/00496 VEG02736 たあぼう RE:真に受けていいですよ>たあぼうさん (15) 96/01/31 05:13 00485へのコメント まるにちょん さん、こんにちは。 > 僕は、たあぼうさんが、ここで持論を展開してくれてるのが興味深し、もしそ >こから多くの人の意見へと発展していけばなおさらいいですからね。 早速ですが、私の持論を簡単に展開させていただきます。 (私が読んだ本の内容を、自分が納得いくように再構築すれば、 次のようになります。) その1  人間とは・・・本来は霊的な体なのだが、何らかの理由により         地球上の生物に憑依せざるを得ない状況になった。         そして、その物質的欲望の虜となり         衣服としての肉体を失い、霊的な体となっても、         物質界に 憑依しに戻って来てしまうようになった。 その2  神とは ・・・はじめであり、おわりである         最小であり、最大である         すべては、神の思考から生まれた         万物すべてに神の霊が宿っている         神の視点から見れば 善も 悪も等価値である その3  サタンとは・・・物質界の生物にこそ憑依していないが          人間が物質界にとどまることを よしとしている           霊的な体を持った存在          その下部組織として、世界を管理しようともくろむ          超エリート集団がある            以 上 あくまでも、本を読んで、私はこう思うと言うだけのものであり、 なんら確証はありません。 96/01/30(火) 22:35 たあぼう(VEG02736) 00493/00496 KHC01313 まるにちょん プロトコールの真の目的は? (15) 96/01/31 02:17 00481へのコメント  #481 たあぼう さん  どうも、RESが遅れて済みません。 >> これらの、解答が、そこにあったのです。 >> 彼等が、そうすると書いてあるから、そうなっている。 >> 「シオン賢者の議定書」が、本物なら、 >> 現在の状況は、当たり前のことなのですから。 プロトコールの真偽はともかくとして、これを作成した人間もしくはグルー プは、人間に対する洞察力に大変優れていたと考えます。  僕の観察では、人間は常に自分のケツを蹴り飛ばしながらでないと前に進ま ない(^^;、つまり常日頃から切磋琢磨していかないと、すぐに堕落してしまう 生き物ではないかと思うんですよ。  根元である魂は、この現象界に肉体を持って生まれて、自己の持つカルマを プラスに変換して成長するようになっている筈なんです。  魂は、いろんな欲望や困難を乗り越えて苦しみを砥石にして、ごしごしと丁 寧に磨きを掛けていくんです。  ところが、僕たちの肉体は、実に欲望や苦痛に弱い(^^;、 だからこそ、克服する価値もあるんですが、すぐに囚われてしまうんです。  囚われると魂の成長はそこで一旦停止を余儀なくされてしまう。  ここがプロトコールを作成した人間達の狙い目だとは思いませんか? 人間の弱点をよく知って、それを最大限に利用しようとしています。 だから、彼らの書いてあることが、そのまま現在に当てはまるようになるん じゃないかな。  だって、魂の成長のないバブバブな人間ほど支配しやすい者はないですから ね。いつも甘い飴をしゃぶらせておいて、いざというときは力でねじ伏せるこ とが可能だからです。  精神的力や魂の持つ霊的力が赤ちゃんなみの人間ほど、彼らには支配しやす いのだと思います。  彼らの動きは巧みで、常に双頭先楽です戦略です。  例えば、たあぼうさんが言われるように、  プロトコールが本物なら、一個人としては対応しようがないし、偽書のカモ フラージュが巧みに施されていたとすれば、被害妄想狂と言うことになる。 どもみち一個人では対抗できないということになるんです。 >> まるにちょんさん何かみんなに、隠していませんか? >> 本当は、真実を知っているのではないですか。そんな言い方ですね。 >> このフォーラムでは、タブーなのかも知れませんが、 >> あの、悪い意味でのこのフォーラムの生みの親、 >> 錬金術師の発言 >> これに関係があったりして、、、 >> と言っても、彼については、未だあまり知らないのですが。 いいえ、何も隠してはいませんよ。 それと錬金術師のことはよく知らないんですよ(^^; >> > えっと、たあぼうさんが真実を知りたい理由はなんでしょうか? >> > 不躾な質問失礼しますね。(^^; >> >> 理由はないんです。真実を知ること自体が目的なのです。 >> なんか、自分が、真実だと納得している布団でなければ、安眠できないと言うか。 >> そんなところです。 >> かっこよく言えば、真実への渇望ですか。 ううむ、かっこよすぎるなぁ(^^; 真実が知りたいって言うことは、何かしら根元的な欲求なんですね。 堪らなく知りたいこともあると思います。私もそう言う事が多々あります。 ただ思うのは、真実を受け入れるには、それなりの魂の進化というか、人間 的成長が必要だと言うことです。  真実の重みを理解し、次の行動の原動力とするだけの力量が必要だと思いま す。               ☆ ☆ ☆  たあぼうさんの仮説を読んで、はたと気付いたのですが、  こうして観ると、プロトコールの真の目的は、何が真実か、何が価値有るも のかを見えなくすること、さらにそれによって魂の成長を邪魔することなので は無いでしょうか。  プロトコールの呪縛を破るためには、自分の目をしっかりしたものにするこ と、人間的な日々の鍛錬を怠りなくやっていくことなのだと思います。    では、また。                   まるにちょん、○ゝ - FARION MES(18):武道とは?  ★ 自分に勝つ! 96/01/31 - 02862/02862 HGB02122 あもり RE:感情をパノラマで見ることができるか? (18) 96/01/31 02:12 02860へのコメント  #02860 アマデウス さん RTご苦労様でした。次は「死」ですよ。どーしましょう(^_^; この文章を読んでいて、ふとARIONが、「血の滲むようなやさしさ」 「攻撃的な愛」とか言っていたのを思い出しました。 今まで僕はこれを感情のレベルで考えていましたから、想像が頭打ちになっ ていたんですよ。ハイハイ、そういうことですね....そこで終わりです。 頭の中だけでこれを繰り返していて、これが必要なんだ、こうじゃなきゃ、 それだけだったんです。 実はこれ、実践のことだったんですね。←相当なボケです だとしたら、愛に激する(溺れる)感情や、やさしさに浸る感情も必要ない のではないかと思ってしまいます。もちろん、冷静でいられればいられるほ ど、 実践には役に立ちますよね。 >>  「どこにも視線を合わせない」ようにしていると、なんとなく視界が広が >> ったような気がします。やる前は、無意識のうちに視線が視野全体をスキャ >> ンするようなイメージを持っていたのですが、そういう感覚ではなく、視界 >> がパノラマ写真のようになって均等に見ているような感じがします。気のせ >> いか、自分の回りの空間が繊細かつ濃密になったような。(ちょっと言い過 >> ぎかも(^^;) そう、こんな感じだと思います。視野が開けて明るくなる感じです。 もうちょっとおおげさに言うと、人間もモノも、等価に見えてしまう。 ただし、僕の場合、視野をパノラマ化するのはほんの一瞬のことで、隣を 美人がすれ違おうものなら途端に地に落ちてしまいます(^_^; HGB02122 あもり - FARION MES(19):世も末ばなし ★ ぶっ飛び話・罰当たり話 96/01/31 - 800/800 QZY01267 猫の手 どんな人も (19) 96/01/30 21:18  どんな人も  どこの誰かも  天国に行く。    それは  宇宙の根元。  宇宙の源泉。    それは、  しなければならないこともなく  してはいけないこともなく  自分が総てであって  自分が何もかもだった  そういう大安心の世界。    かつて、  アングラマーラーという人が居た。  999人の人を殺し、  1000人目にして仏陀に出会った。  そしてその世界に飛び込んだ。  そしてそれから人を殺す必要なくなってしまった。    かつて、  スターキングと呼ばれる男が居た。  強盗殺人したい放題、  結局逮捕され、  拷問を受け、生殺し、  失神すること数十回  そしてその世界に飛び込んだ。  そして刑務所の中の聖者となった。    何をやっていようと  どうしていようと  その世界には帰っていける。    どんなに善行積もうと、  どんなに悪行積もうと、  神の愛は変わりはしない。    エゴイスティックになってごらん。  利己主義者になってごらん。  あなたはあなたが思ってるような  エゴイスティックな人間になれないこと知っている。  あなたはあなたが信じてるような  利己主義者にはなりゃしない。    そうしないと幸せになれないと信じ込み、  押さえてきたことで  押さえられてた自分が苦しんで  あがいていただけだった  きっとそのこと分かるから。   「どうすべきだ。」 「こうすべきだ。」  そんな想いをみんな解放してごらん。  押さえ込められている私が居る限り  私は幸せになりゃしない。  忌み嫌われている私がある限り  私は幸せになりゃしない。   「恋人達の街角」  そんな題名の映画があった。  彼は神と出会って  宗教で事業を興す。  市場調査の結果  個人の利益の追求こそが救いの元として  キャンペーンを展開してく。  あるおばさんも信者になって  やりたいように利己探求  そして癌が癒され、  お金も入って幸せを手にした。   どこの宗教団体もそのキャンペーンに負けて  経営難に陥っていき、  彼らのスキャンダルを探して回る。、    誰かに施しすることが悪になってしまった世界では  それをしないことでストレス溜まる。  この世界は悪も善もあってバランスとれている。  どっちも押さえちゃいけないの。  それを諭した乞食に施しをして  その宗教終わる。    この世界はアンバランスだって感じてるでしょ?  誰もが自分の中で  何もかもがそのものの中で  バランスをとろうとしてること知っていた?   「それはいけない。」と押さえ込み  自分自身でバランスをとれないならば  無意識の自分がバランスとるために  反対側を描き始めていく。  そう、そのことに無意識である限り、  その自分自身の無意識を  叩き続け、  嫌い続け、  そう、それは自分自身を傷つけていく。    そう元々誰もが完全な存在だった。  そう元々何もかもがそのままで良かった。     ** QZY01267/『猫の手』 <96/01/30 07:17:48> **