「いえ、焚き火の火の勢いが小さいので未だ寒いです」と凍える人 - FARION MES( 1):相 談 室  ◆ パソコン&通信の話題 96/02/02 - 00275/00281 GGA02514 KAZE RE:相手も生身 ( 1) 96/02/01 16:32 00272へのコメント コメント数:1 たいきゅうさん、割コメです。 ちょい、突っ込みになりますが・・・ ドイツ語のbekommenは、英語でいうと、getです^^;。 ちなみに、英語のbecomeはドイツ語でいうと、werdenあたりだと思います。 (一応、ぼくはドイツ語やってたもので参考までに・・・) ところで、ぼくはプロバイダにbekkoameを選びました。 ぼくのいる地方では、ほかに選択肢が少なかったのです^^;。 でもって、夜の12時前後は、まず繋がりません^^;。 でも、NIFTYだって、夜の12時前後はそういうときが多いですから、 似たり寄ったりって感じでしょうか。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 00277/00281 HGB02122 あもり RE:マラソンの中継 ( 1) 96/02/02 00:53 00255へのコメント  #00255 九印 さん まいど。Aptivaお元気ですか? 某大学の学生は、一日中頭にCCDカメラ付けて、それをパソコンでリモート してこれも24時間インターネットに流しているそうです。 バカですね〜 HGB02122 あもり - FARION MES( 3):Media Talk ◆ 本/映画/音楽を語る 96/02/02 - 01185/01185 GGA02514 KAZE 微分的vsインプロヴィゼーション ( 3) 96/02/02 10:48 01184へのコメント ぷんすかさん、どうも。 今朝は、ぼくの住んでる地方で、今季はじめて雪が積もってました。 出勤は車なんですけど、雪のためにふだんの倍はかかってしまいました^^;。 >>微分的な、の意味かわからなかったので、 >>よかったら詳しい説明をおねがいします・・スミマセン^^; >>数学の微分・積分を連想してしまいました。 こちらこそスミマセン^^;。 ぼくの勝手なイメージで言葉を使ったりして・・・。 言いたかったことは、なんというか、 「インプロヴィゼーション」の対極にあるということなんです。 つまり、録音技術を駆使して、気に入らない部分だけを差し替えたりして、 そのときどきの演奏の全体というか、 そのとき、その場でしか再現できないあり方から距離をとり、 部分部分にとことんこだわって、自分なりの理想イメージに構築していく。 そんな感じです。 では、では(^^)。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ - FARION MES( 6):ハロー・メッセージ ★ 今日のハロー・メッセージから 96/02/02 - 00640/00642 KFQ02761 しまうま 「焚き火の民」と「凍える民」 ( 6) 96/02/02 05:15 00625へのコメント  ちょっと前に話題になった「凍える民」について、色々考えさせられてしま う話を聞いたりして、また僕なりに考えるところもあったりしたので、少し補 足させてくださいませ。  今のところ、一連のHMには、天使のほかに「焚き火の民」と「凍える民 (人)」が出てきています。  で、おそらく「焚き火の民」というのは今までのHMに出てきた中で言えば、 「獅子の門を目指す者」であり、「アマの子達」であり、「心ある者」であり、 「自分が存在する由を知る者」である人たち……少なくともそうあろうとし、 そうありたいと願っている人たちだと思います(もしかすると「百鬼夜行」の “鬼”たちであるのかもしれません)。  この人たちは、自らが拾い集めてきた“柴”を持ち寄ることによって、焚き 火を作っています。  おそらく「焚き火の民」は、自分一人でも焚き火を作ることはできただろう と思います(もしかすると、「焚き火の民」ももともとはみんな一人ずつバラ バラに焚き火を作っていたのかもしれません)。しかし、一人で作る焚き火で あれば、ある程度大きさは限られてします。それでももちろん暖まることはで きるでしょうけれど、あくまで一人分の暖かさです。  しかし、例えば3人の人が柴を持ち寄り、焚き火を作ったとすればどうでし ょうか。一人一人の柴拾いの労力は同じでも、焚き火の燃え上がり方は3倍以 上になるはずです。  そうして自然発生的に(?)焚き火の周りに集まった人たちが「焚き火の民」 なんだろうと思います。  だからこそ、 :95/12/24 さて剣を携えた天使は、屋外に焚き火に集う民を認め微笑んだ  ということになったんだと思います。「おお、やっとるなー」みたいな感じ でしょうか(^^;。  しかし一方で、大きく燃え上がる焚き火には、さまざまな人を呼び寄せてし まう、という面もあります。「なんや、暖かそうやんけ」というわけです。さ らに言えば「こないぎょーさん火があるんやったら、わしにも当たらせてんか」 ということです。  「焚き火の民」とこの人の違いは、「自ら柴を拾い、焚き火にくべる(すな わち場に貢献する)ために集まった」か、「単に焚き火が暖かそうだから寄っ てきた」だけか、という違いだと思います。  もしこれから先、場に貢献することをせず、「焚き火で暖まること」だけを 目的とした(つまり自分の利益だけを考えている)人が、焚き火の周りに増え てくれば、焚き火という「場」は崩壊し、結局また別のところに作り直さなけ ればならなくなってしまうのかもしれません。  「寄ってきた人を焚き火に招く」ことが、絶対に悪いことだ、とは言い切れ ませんが、少なくとも「焚き火という場の維持」を考慮に入れた上で招かない と、結局場のためにも、自分のためにも、また招かれた人のためにもならない んだろうと思います。 しまうま(KFQ02761) 00641/00642 KFQ02761 しまうま 【ご意見募集】RTでの論点について ( 6) 96/02/02 05:15  先日のRTで、ちょっと論争(とゆーほど物騒なものではないが(^^;)にな った点がいくつかありましたので、皆さんのご意見をうかがってみたいと思う のですが、どないでしょ?  以下、論点を列挙してみます。 ************************************************************************* * 1)凍えた人が「招いてください」と言ったとき、あなたならどう答えますか?* * 2)凍えた人が招かれて焚き火に加わったことについての責任は、どこに * *  (誰に)あるでしょうか。 * * 3)『「どうぞ、こちらへ」と焚き火の民は言った…天使は黙している』 * *  この時の天使の心境はどうだったんでしょう。 * *************************************************************************  うーんと、ほかにもあるけど、とりあえずこの辺りが人によって意見の相違 が激しかったように思います。僕自身も「みんなきっとこんな風に思ってるだ ろうな」と予想していたのと、ぜんぜん違ったりして、おもしろかったです(^^;。  全部についてのお答えでなくても結構です。「これについてはワシはこう思 う」という、ピンポイント攻撃(?(^^;)でも結構ですので、お気軽にご意見 をお寄せくださいm(__)m。どうぞよろしくぅ(^^)。   しまうま(KFQ02761) 00642/00642 GBG02043 維/YUI RE:あなたの凍えは解決したか? ( 6) 96/02/02 11:01 00639へのコメント この人、柴を拾いに行かないのかな〜って、はじめに思った時、 柴を一生懸命さがして体を動かすことで、血の流れが活発になり 少し寒さも薄らいで思えるんじゃないか…などとも考えていたのね、私。 理屈じゃ無くってさ、自分がそうだから。 寒くってかじかんで動けない気分のとき、でも最後のひとふんばりって 思って、行動するとなんとかなるんだよね。 本当に駄目だぁ〜って時はあるだろうけど、人間の力を甘くみてはいけない んだよね。 結構底力あるんだもん。 心が萎えてしまった時の方が危ないよね、ヒトって。 そんなこんなで、今日(2/1)たまたま金八先生をTVで見ていたら、 たき火の話があってさ、金八先生が言うのよ。 たき火にあたって 暖まる人と、薪を作ってたき火にあたって2度暖まる人がいるって。 薪を見つけるのは大変だけど、後者のように、そうやって薪を作ろうとすることで 暖まり、さらにその薪をくべたたき火で暖まるほうが、より素敵ではないか っていうようなことを言ってたのだわ。 (いまどき珍しいほどクサイ台詞の多いドラマなんだけど、妙に醒めた おしゃれなドラマよりか見ていて楽なんだよ。) ****************** と、ここからは、しまうまさんの書き込みを読んでいて思ったこと。 FARIONを焚き火にたとえての話なんだけど、これってもしかして、 焚き火をこの地球と置き換えて考えてみても、いいんじゃないかな。 地球がおおげさだったら、日本とかね、その人その人がいる場って こと。 その”場”で私たちは、心の炎を集めて一つの焚き火にしている。 本当は皆そのつもりのはずだったのに、いつかしら忘れてしまった人も いて、たとえば柴を探しにいった先で、遊びほうけてしまって、気が ついたら耐えられないほど寒くなっていて、とにかく暖まりたくて焚き火を 探してうろうろ。せめて焚き火を探すときに柴を拾うのも一緒にやって ほしい気がするけど、長いこと遊んだからそんなことすっかり頭の中から すっとんでしまっている。 それでも焚き火にたどりついた人は、まだ 良い方なのかもしれない。  こころがあったかいって感じる時が、最近少ないなって思います。 都会の雑踏歩いていても、世の中をにぎわす大多数のニュースを聞いても。 もともとあんまり人づきあいの好きではない私が、そんな風に思うのだから、 よっぽどなんだろう。 バブルがはじけた時に思ったんだよね、この後で真価が問われるだろなって。 実際に食べちゃうわけじゃないけど、人が人を食らうような状況が出てきて いるなぁと、思ったりします。 バブルのころでも、堅実な努力を重ねてきた 人は、就職難と言われている今、良い職場に転職をちゃんとしているし。 ありゃ、すっかり井戸端モードです・・・失礼。 維/YUI - FARION MES( 7):自分を観る  ★ ARIONを鏡にして 96/02/02 - 06896/06899 CXE02430 プレアデス 無ついて再考 ( 7) 96/02/01 22:46 コメント数:1 ここで、もう少し無について書きたいとおもいます。ノロガメさんは、この 結論を吹聴するに足る重要な見識であると思われるのに対して、Makotoさん、 Sukeさんは、結論をうんぬんすること自体に意味を感じていらっしゃいません。 結論を述べるよりも、一つ一つの自分の行為に、隠された動機を観ていく作業に 意味があるというのは、全くその通りだと思います。しかし、ノロガメさんが私 にくださったアドヴァイスの中に、ノロガメさん自身の無への経緯が書かれてあ りました。これは、注目されるべきところだと思います。 私はまだ修行中の身で、無とはほとんど縁のない俗世に苦しみながら生きて います。しかし、結論としては、自分の実体は無であると理解しています。 そのことの意味をここで吟味させてください。 ノロガメさんは、ロボットという表現を使われましたが、これは肉体だけを 指しているのではなく、マインドの動きをも含んでいるものとして私は理解 しています。普通私たちは自分をこの揺れ動くマインドそれ自体であると認識 しており、またマインドは自分の肉体を自分そのものであると信じています。 しかし、このマインドというものは、動くなと言ったって記憶や因縁によって 自動的に動いてしまいます。だから、これは自分ではないと悟って手放しても、 依然として動き続けていることでしょう。しかし、自意識から解放されるとマイ ンドは伸び伸びと創造的に動くようになると思います。ロボットというのは、 そこではあまりいい比喩ではありません。 私たちの存在の本質が無であるということは、私たちがマインドではなく、マインド を作り出す存在であるということだと思います。ノロガメさん、いかがでしょうか。 それを本当に理解するためには、Sukeさんもおっしゃるように、失敗している 自分でも、成功している自分と全く同じ様に受け入れていくことが肝要だと思います。 Sukeさん、適切なコメントをどうもありがとうございました。 - FARION MES( 8):恋愛錬金術  ★ 愛と性を本音で語る 96/02/02 - 01340/01341 KFQ02761 しまうま 『性は聖なり、而るに生なり』(8) ( 8) 96/02/02 03:53 01199へのコメント  前回から思い切り間が空いてしまいました(^^;シツレイ。  もう忘れてしまった方もいらっしゃるかもしれませんので、簡単に……。 「聖書の中のアダムとイブに関する記述には、なんだか知らないけど妙な矛盾 がある。それってもしかして“意図的な改竄”によるものであって、それなり に“意味のある矛盾”なのかもしれない」  とかいうような、そんな話をしていたところでした(以上、「前回までのあ らすじ」でした(^^;)。  では、なんでまた聖書を“意図的に改竄”したり、部分的にわかりづらくし たりする必要があったのでしょうか? 前回も引用した『象徴哲学大系III  カバラと薔薇十字団』(マンリー・P・ホール著、人文書院刊)を参考にしつ つ、僕なりの考えを交えたりもしながら、ご説明させていただきます。  ウルヴィーさんからのコメントにも少し触れられていましたが、「旧約聖書」 という名の下にまとめられたエピソードの中には、もともとイスラエルの秘密 教義を伝承していく目的で作られたものもかなりの割合で存在するようです。 で、キリスト教は、イスラエルの教義を取り込むためにそれらを「旧約聖書」 として位置づけ、「新約聖書」より古いものではあるけれど、一応自分たちの 奉ずる神の系列に属する話である、という扱いにしている節があります(前出 の本には「キリスト教は仮借なくユダヤ人を迫害した後、『旧約聖書』を不当 に冷遇したという感じもする」とありますが、そうなんでしょうか>誰となく)。  つまり、もともと「旧約聖書」は、キリスト教の成立以前に、ユダヤの知恵 すなわち「カバラの知恵」を伝承していくエピソードの集大成として存在した、 ということらしいのです。 (「カバラの知恵」といえば、ARIONが以前言っていた「アマ族の知恵と カバラの知恵を融合せよ」(でしたっけ?)という言葉を思い出しますが、こ れは余談(^^;)  一方、カバラの知恵には、悪用されるとかなり恐ろしいことになる、という 両刃の刃的な性格もあるようでして、悪用を防ぐために、カバラの精神(?) をきちんと体得した人にしか理解できないよう、非常に寓話的に、言い換えれ ば“わざと分かりづらい形で”表現されているらしいのです。  だから、聖書の中に矛盾があったり難解な箇所があったりする場合、それが “意図的な改竄”であり、さらに言えばそこに何かが“隠されている”という 可能性もあるわけです(もちろん、中には不正確な写本や、順序の混乱といっ た不慮の事故もあったのでしょうが)。  そういう目で聖書を見直してみると、色々おもしろいことが見えてきます。  例えば、「創世記」の中に「われわれに似るように、われわれのかたちに、 人を造ろう。」という神の言葉があります。この「われわれ」という人称を見 ると、どうも「神は複数存在する」ということになりそうです。これは、一神 教であるキリスト教の教義と明らかに矛盾します。  さらに「創世記」で“神である主”と和訳されている存在は、もともと“エ ローヒム”と記されているそうなのですが、これもまた元来は「複数で男女両 性語を表す」単語であるらしいのです。日本語には特に単語に性別はありませ んが、あえて“エローヒム”を正確に和訳するならば「性別のわからない複数 の創造神」という感じになるでしょう。  もう少し先へ読み進むと、「神はこのように、人をご自身のかたちに創造さ れた。神のかたちに彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。」という記述 があります。しかし、この段階ではまだ性の分離が行われていないので、正確 を期すれば「男と女」というのではなく「男女」(もしくは「男−女」)とい う両性具有的な存在として造られた、ということのようです。で、この「男− 女」は、もともと神が「ご自身のかたちに創造された」ものですから、煎じ詰 めれば神様ご本人も性別のない存在なのだろう、という推測が成り立ちますね。  さらに先を読んでみましょう。すると、神が「男−女」にむかって「生めよ。 ふえよ。地を満たせ。」と命ずる場面があります。最後の「満たせ」という言 葉は、原本では“replenish”という単語で表記されているそうです。この“re” という接頭語には「原初のまたは以前の状態もしくは地位に復する」という意 味がありますから、この「男−女」以前にも、何らかの存在が「地を満たして」 いたのではないか、とも考えられます。  ここに、連載の(6)で提示した疑問を解く鍵があるのではないかと思うのです。 : もし、聖書の記述に誤りがまったくないとすれば、どんなに好意的に解釈し :たとしても「神は、天地創造の一番最後に人(男と女)を創造された。それと :は別に、エデンの園でアダムとイブを造られた」ということになってしまいそ :うです。  という矛盾点に関する疑問を解くための鍵が。  もしかすると「エデンの園のアダムとイブ」は、「創世記」で記された「人 間(男−女)」の創造以前に地を満たしていた「何らかの存在」と関連がある のかもしれません。いや、どうも実際に関連があるらしいのです。そして、そ の糸をたぐっていくと、最終的にはカバラの教義とも密接に絡んできます。  とゆーわけで、次回は、「アダムとイブ」のカバラ的解釈に触れる予定です。    しまうま(KFQ02761) 01341/01341 KFQ02761 しまうま RE:立候補っと(^。^) ( 8) 96/02/02 05:15 01339へのコメント #01339 MAKOTOさん  こんにちは(^^)。  ふむふむ、第3回の議長として立候補、とのことですね。大歓迎です(^^)。  えーとそれから、以前立候補してくださったラルさん、優位さん、KUROさん は、何回目のRTをご希望ですか? もしよければ、実施希望日と一緒に書い てみてくださいね。  ではでは、RTの開催楽しみにしています(^^)。 しまうま(KFQ02761) - FARION MES( 9):日本魔界巡航 ★ 神と人の関りを探る 96/02/02 - 765/769 GFB00026 一輝 白いAMA族 ( 9) 96/02/01 21:27 761へのコメント >#00761 桂 桂さん   お話の途中に失礼します。  その昔ARIONに聞いたところによると、AMA族は他の部族と違って肌の色  が白かったそうです。バリ島に棲むトゥガナン村のバリアガ、台湾のアミ族など、  色白アジア美人の産地ですね。   マヤ文明の金星の神ケツァル・コアトル(霊鳥ケツァルのヘビの意、バリでは霊  鳥ガルーダ、蛇神あるいは龍神はAMA族のもたらした稲作神であり、私は稲荷神  の本来形は蛇神あるいは龍神だったと思っています)も肌が白く、住民が再来を信  じていた為に、征服の為に上陸した肌の白いスペイン人を、当初ケツァル・コアト  ル一族と間違え、大歓迎していたという話があります。   以下は、12番会議室が「アジア・チャンプル」だった頃に書いたものに加筆した  文書です。山口県土井ケ浜遺跡・人類学ミュージアムでは、一般見学者を対象とす  る人気アンケートがあります。なかなかの人気で、自分がどのタイプなのかが分か  るというので、好評を得ているそうです。遊び心であなたもチャレンジ! *Q1 頭の形は?      円に近い(3点)  中間(2点)  前後に長い(1点) *Q2 頭の輪郭は?      面長(4点)  普通(2点)  丸顔、四角い顔(0点) *Q3 あごの先端は?      あまり出ていない(3点)  普通(2点)  出ている(1点) *Q4 耳たぶは?      小さい(3点)  普通(2点)  大きい(1点) *Q5 鼻の高さは?      低い(3点)  普通(2点)  高い(1点) *Q6 眉の濃さは?      薄い(3点)  普通(2点)  濃い(1点) *Q7 目の形は?      細い(3点)  普通(2点)  大きい(1点) *Q8 まぶたは?      二重(1点)  片方が一重(2点)  一重(3点) *Q9 唇は?      厚い(1点)  普通(2点)  薄い(3点) *Q10 耳垢は?      湿っている(0点)  乾いている(3点) *Q11 血液型は?      A型(3点)  AB型かO型(2点)  B型(1点) *Q12 体毛は?      濃い(1点)  普通(2点)  薄い(3点) *Q13 身長は?      低いほう(1点)  普通(2点)  高いほう(3点) 〔判定〕12点〜23点………………縄文人タイプ     24点〜28点………………中間タイプ     29点〜40点………………弥生人タイプ     32点以上で、 Q1で「円に近い」、     Q2で「面長」、     Q3で「出ている」、     Q5で「高い」を、     全て選択している場合          ………………未来人タイプ   『誤解のないように断っておくが、どのタイプに属していようが、人間の価値と  しては無関係だし、れっきとした「現代人」でもある』『ただ、地域によって縄文  や弥生人の影響が強いところと、弱いところがあるということを知ってもらいたい  と思う』とは、このアンケートの作者、形質人類学者・人類学ミュージアム館長、  松下孝幸の弁。   このアンケートでの集計では、点数の多い方が弥生人タイプの傾向が強いことを  示しています。さて弥生人は、中央アジアに端を発するAMA族と呼ばれる人種で  す。では、そのAMA族たる種族の形質で見た傾向を探ってみます。先のアンケー  トが満点である状態から、更に極端な形質を採択してみることで、原初のAMA族  の形質を探ることができるかもしれまん。 *Q1 頭の形は?      円に近い *Q2 頭の輪郭は?      面長(4点) *Q3 あごの先端は?      あまり出ていない(3点) *Q4 耳たぶは?      小さい(3点) *Q5 鼻の高さは?      低い(3点) *Q6 眉の濃さは?      薄い(3点) *Q7 目の形は?      細い(3点) *Q8 まぶたは?      一重(3点) *Q9 唇は?      薄い(3点) *Q10 耳垢は?      乾いている(3点)   …と、こうなります。以上に肌の色が白かったことを付け加えると、より当初の  AMA族像に近くなるのでしょう。                                     一輝 768/769 PAG03134 はな RE^2:キリストはコーカサイドだったか? ( 9) 96/02/02 07:10 761へのコメント TAO さN 桂 桂 さん  割りコメです。 >> PS.日本に「白」をキーワードにして歴史を読み解くというのは中々面白い試 >>   みですよね。ついでに「赤」もキーワードにして見るとこれまたオモロイ >>   かもしれないっとな。チャンチャン  「白」と「赤」が出てくると、「黒」もでてきますね。  以下のハローは、以前預言解読村にアップした「卍と十字」で触れまし たが、意味がしっくりと分からないハローです。  05/28 闇は元々「赤の世界=隔り世」だが、黒は隔り世のことでは無い  05/29 黒は赤から生まれたが隔り世から生まれた訳では無い…一考あれ。  「一考あれ」っていわれてもなぁ‥‥ >アリオン       二考も、三考もしてるんやけど。                       はな 766/769 GFB00026 一輝 浅草神社の三つ網紋 ( 9) 96/02/01 21:28 762へのコメント コメント数:2 >#00762 しまうまさん   浅草神社には「三つ網紋」という紋章が大切に保存されていて、  それがユダヤの失われた十氏族のガド族の「三幕舎紋」とそっくり  であることから、ひょっとしたらこれはAMA族の痕跡(私は3点  構成の紋章を日向族、4点・8点構成の紋章を出雲族ではないかと  考えています)なのではないかと個人的に睨んでいるので、しまう  まさんの浅草の話には、うなずいてしまいます(「三つ網紋」は賽  銭箱の上に徳川紋と並列に並べて掛かっており確認可能です)。   ガド族は「3」の数字を重んじ、野営のたびに正三角形の位置に  天幕を配置し、つねに「将軍」や「民の頭たち」の補佐役の部族。  司法・治安・護衛を担当していました。浅草神社も一之宮、二之宮、  三之宮という3構成です。このように数字に凝るというのは、公的  記録に敢えて残そうとしなかった、部族特有の何らかの呪術の痕跡  ではないかと思っています。こう考えてみると、浅草が何とも摩訶  不思議な街に見えてきますよね。                                     一輝 767/769 PAG03134 はな RE:浅草神社の三つ網紋 ( 9) 96/02/02 07:10 766へのコメント 一輝 さん  割りコメです。 >> であることから、ひょっとしたらこれはAMA族の痕跡(私は3点 >> 構成の紋章を日向族、4点・8点構成の紋章を出雲族ではないかと >> 考えています)なのではないかと個人的に睨んでいるので、  これって、日向族は「3」、出雲族が「8」という預言解読と、大い に関係していそうですね。  引き続き、一輝さんの考察、楽しみにしております。(^^)                       はな 769/769 GBA01052 CHARAN RE:浅草神社の三つ網紋 ( 9) 96/02/02 13:25 766へのコメント 一輝 さん、こんにちは。 :  浅草神社には「三つ網紋」という紋章が大切に保存されていて、 : それがユダヤの失われた十氏族のガド族の「三幕舎紋」とそっくり : であることから、ひょっとしたらこれはAMA族の痕跡(私は3点 : 構成の紋章を日向族、4点・8点構成の紋章を出雲族ではないかと : 考えています)なのではないかと個人的に睨んでいるので、しまう : まさんの浅草の話には、うなずいてしまいます(「三つ網紋」は賽 : 銭箱の上に徳川紋と並列に並べて掛かっており確認可能です)。 この話は知りませんでしたが、僕は違う方面から浅草はどうも怪しいと 睨んでいたところです。 それは待乳山聖天と牛島神社の存在なんです(一輝さんは知ってそうだな)。 待土の読みは「まつち」で「真土」、つまり「砂鉄」のことらしく、 もともと東京湾は砂鉄の宝庫であったことからも、 ここが産鉄関連である線は出てきそうです。 また待土山はかつてはかなりの高さのあった山で、 東京湾への海からの目印として利用されたという歴史もあったらしい。 ちなみにこの聖天(作りは完全な神社ですが)のシンボルは、 パンパンに膨らんだ巾着とエロチックに絡み合う二本の二股大根という 変わったもので、単に商売繁盛夫婦和合なんてご利益で片付けられていますが、 これはいかがなものでしょう。 牛島神社の方は現在は言問橋のたもとにありますが、 以前はもっと北よりにあって徳川家が鬼門守護として奉っていたそうです。 同じく江戸城の鬼門守護と言われる浅草寺のさらに東北にあたります。 狛犬の他に狛牛のいる神社は初めてみました。 牛島というとおり、かつてはここに牛のいる島があったそうで、 浅草が東京湾の一大港湾都市であったと考えれば、牛の集積や売買の拠点のような イメージがあって、それを拓いたのはやはり牛と関連の強いAMA族と 考えても不思議はないと思います。 「吾妻鏡」におもしろい記述があって(と自分が調べたようなことを言いますが)、 建長三年に「牛のごとき妖怪が浅草寺に走り込み、食堂にいあわせた僧五十人のうち、 二十四人がたちまち長患起居進退不能、七人の僧は即死」 別の記述からは「牛鬼のごとき異形のもの」が墨田川から浅草寺を 来襲したというのもあります。 浅草寺は何度か焼失した歴史もあるようで、そういうことからも浅草寺の仏教勢力と 支配を受けたAMA族との間に抗争の歴史があったことは想像に難くないと いうところではないでしょうか。 鬼門という意味では江戸の東北にまさに鬼としてのAMA族の存在があったわけで、 そういう面からもなかなか浅草というのは興味深い土地であると思いますね。 - FARION MES(11):狼を生きる  ★ 平井和正の著作から 96/02/02 - 01967/01967 JBH00712 桂 桂 四騎忍の憂鬱 (11) 96/02/02 00:18 01965へのコメント  鷹匠中学の一行が神成り山バスツアーではしぃでいる最中、東京では四騎忍が 憂鬱な顔をして喫茶店で戯れている。  願望達成能力を無くしてしまったせいで、何もかも巧く行かないということだ そうだ。  大体が人生で何もかも巧く行かないというのは、これは誰にでもあることであっ て、よしんばそう度々あってもそんな時は「わっはっは(^^)/」とでも笑い飛ばせ るくらいのクソ度胸くらい欲しいものだ、とか呑気に思ってしまう。でも四騎忍 にとってはそれまで超能力を駆使して好き放題やりまくっていたのだから、これ は笑い事ではなかろう。  こんな時に接近して来るマスコミ関係者の法馬騎一郎とかいうのもとんでもな い好き者だなぁ、とか思ってしまう。現代のマスコミ人に果して義理人情がわか るやつがどれくらいいるのか、新聞報道にしてみても社会通念や常識、そして仕 事に対する責務感を持ち合わせている人間がどれくらいいるのか、自分であると 思う人がいるなら一度会ってみたいものだとか思ってしまう。  そうそう、自分から「私は悪人です」と言って来る方が余計正直だな、とかも 思えるのだが、だからといって同情をかって食われては堪らない。  その点、荒気というのは面白いキャラクターだ。  天下の大新聞社の穀潰し(これってスゲェ悪口だなぁ(^^ゞ)、自らをワルぶって 憚らないあの犬神明をホーフツとさせる飄逸さ、い〜ねぇ(^O^)  とか何とか言っている間にバスツアーの中坊どもはさっさと奥吉野に旅立って いるのであった(^^; 桂 桂(JBH00712) - FARION MES(13):神秘学遊戯団 ★ 限りなき神秘への航海 96/02/02 - 04237/04243 GGA02514 KAZE RE:中道の話を少し (13) 96/02/01 16:32 04231へのコメント コメント数:1 諏訪みのるさん、どうも。 今度は、ほんとうに、おめでとう(^^)/(^o^)/ヽ(^。^)ノY(^_^)Y 現代日本はいい時代で、苦しくともまず食べていけないことはないですから、 生まれて来ようとしている魂としっかりがんばってくださいね。 (なんだか、貧乏を奨励してるようですが^^;) 》いよいよ当会議室のシュタイナーの勉強会も、 》World Wideに成ってくる訳ですね。 いえ、それほど大げさなものじゃないです^^;。 インターネットなどで入手する情報は参考にはなりますが、 やはり、ここでは日本でシュタイナーから学ぶということが大事だと思ってまして それだから、仏教なども射程に入れるようにしてるわけです。 ぼくの直観では(あてにはなりませんが^^;)、シュタイナーは まさにこの日本でこそ保管され発展の可能性のキーを 獲得できるのではないかという気がしてます。 》私は語学も皆目ダメですので、KAZEさんに全面的に“おんぶ・だっこ”してもらっ て 》『美味しいトコだけ おこぼれを頂いて…』なんて、 》おっと、これではまるで寄生虫以下ですね。(^^;)コドモニ メンボクナイ いえ、ぼくも語学はダメです^^;。 ほとんど読めないから、これから勉強していこうと思っているのです。 ですから、“おんぶ・だっこ”はダメです(^。^;)。 どちらにせよ、みのる♪さんもそのうちインターネットを使われるのでしょうから 今のうちに少しずつ慣れておいたほうがいいと思います。 シュタイナーの講義や著作の英訳や解説もありますから、それをテキストに 少しずつ読んでみるものいいかもしれませんね。 インターネットはまだはじめたばかりで まだまだよくは利用方法をわかってませんが 少し面白いなとか思ったのは、 大学の図書館のデーターベースなどを公開しているところにアクセスすると けっこうおもしろいテキストが手には入ったりします。 それと、自分の興味のあるテーマで交わされているメールや議論などの記録も その都度入手する機会もあるのが、なんだかライブ感があっていいですね(^^)。 そういうのを楽しむためにも、英語の単語力と読解力を もう少しはあげないとだめだなあというのが実感です(^。^;)。 》私のやりたい事なんて、考えてみたら、 》あまりに俗的で恥ずかしいようなモノばかりだもんナァ…。 》そのうえ、どれもが生涯事とも思えないような、つまらないモノだし…^^;)アアー いえ、ぼくも似たようなもんですよ。 (違いは、ぼくが開きなおってエラソーにしてるだけ^^;) 先日から、10年計画で聴こうと思ってるのがバッハのカンタータ全集なのですが こういうのも趣味の問題で、好きこそもののなんとやらでしかありません。 》そんなこんなで既に三十路も半ばを超えてしまいました。 ぼくなどは今月でもう38歳になってしまいますけど、ま、これもとらえ方次第で、 ぼくは人間は35歳からやっとスタートだと思ってまして、 ぼくもまだやっとスタートラインからよちよち歩き始めたばかりだから、 そういう意味では、ぼくよりもみのる♪さんのほうが有利だと思います。 》“体得された経験”が とても大切だと思っています。 そうですね、とっても大切だと思いますし、 逃避的にならないためにも、ぼくもいつもそれを肝に銘じるようにしてます。 また、その“体得された経験”ということに加えて重要なのは、 ちょっと逆説的になりますし、ちょっと説明しがたいのですが、 直接的に知覚できないことについての思考訓練ということです。 それができないと人間は自由であることができません。 常に目の前の感覚的知覚、その都度の情動に振り回されてしまいます。 そのひとつの例が、ミヒャエルエンデが「はてしない物語」で描いた 「ファンタージエン」の重要性ということでもあります。 それは、決して現実から遊離するためにあるのではなく、 むしろ、それは現実の内的形成力とでもいうべきものです。 希望や勇気や愛といった重要なファンタジーも、 直接的に知覚できるものではありませんし、 唯物論的にいえば、まったく無意味な概念なのかもしれませんが、 ほんとうは、それらこそが、私たちの存在理由としての自由を 内的に形成するものなのだということを忘れてはならないのだと思うのです。 では(^^)。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 04241/04243 GGA02514 KAZE インターネットのシュタイナー2 (13) 96/02/02 12:51 04226へのコメント 今回は、前回ご紹介したホームページのなかから、 もっともポピュラーな(ぼくが勝手に思ってるだけかもしれませんが^^;) 「Rudolf Steiner Archive」をご紹介したいと思います。 ■Rudolf Steiner Archive -- http://www.c4systm.com/Steiner/ このページをまるごと載せればいいのですが、そういうわけにもいきませんので、 このなかからかいつまんでいきながら、少しだけ解説を加えていきたいと思います。 まず、導入部です。 》Welcome to the Rudolf Steiner Archive and e.Lib 》 》The Rudolf Steiner Archive and e.Lib is our gift to the world-wide 》Anthroposophical Movement in general, and to the Spiritual Community of Ma n. 》Here, we offer summaries of his books translated from the original German to 》English, a catalogue of holdings, a chronological listing of his lectures 》(over 6000), and a few of his books and lectures for interested readers to 》contemplate. If nothing else, the topics covered should make you think -- 》and that is good. This is an on-going project -- there will always be new 》information presented here. いきなり英語を載せるなという声も聞こえてきそうですが^^;、 ま、雰囲気を楽しんでいただくのもいいかな、と。 それに、ご覧になればおわかりのように、比較的理解しやすい表現でしょ(^^)。 とりあえず、この内容をかいつまんでいうと、こういう感じです。 この「ルドルフ・シュタイナー・アーカイヴ(記録保管所)」は、 世界の人智学運動や霊的な共同体への贈り物。 ここには、ドイツ語から英語に訳されたシュタイナーの本の要約やカタログ、 6000回以上にも及ぶ講義録の年代記などが収められています。 その他にも、さまざまなトピックスをご紹介しようとしていますが、 このプロジェクトは進行中ですので、常に新しい情報をお届けしていきます。 でもって、その導入部にあるのが次の項目です。 ちなみに、それぞれの項目ごとにさらにページがリンクしています。 ●シュタイナー・アーカイヴとは何か。 ●目的と意図 ●ルドルフ・シュタイナーとは? ●シュタイナーのスケッチ 次に、ライブラリー部分があります。 ●シュタイナーによって書かれた書籍の目録 ●シュタイナーの主要書籍の紹介 ●シュタイナーの主要講義の紹介 ●人物と写真 レジュメとインフォメーションが続きます。 ●シュタイナーの著作、講義録のレジュメ ●著作、講義録シリーズのレジュメ検索 ●講演の年代順のリスト ●実施年毎の講演のリスト ●講演・書籍についてその他の資料 これに加えて、次のようなコーナーがあり、 登録できるようになっています。 ●ディスカッションとフォーラム そして最後に、関連したホームページなどに このページから直接リンクできるようなリストが挙げられてます。 ・General Anthroposophical Society General Anthroposophical Society in Dornach, Switzerland ・The Jaerna Bridge [New] Information about Anthroposophy - Jaerna and Ytterjaerna,Sweden ・Anthroposophical Society in America ・Rudolf Steiner College - Fair Oaks, CA ・Directory of North American Waldorf Schools ・New Zealand Rudolf Steiner Schools ・Eugene, Oregon Waldorf School ・Waldorfsidorna [New] The HomePage of the Swedish Waldorf Schools ・Lefty's Home Page ・A Personal Edition of the Philosophy of Freedom これをご覧いただいたらおわかりのように、 さまざまな国で、いわゆるシュタイナー学校(「ヴァルドルフ学校」)を中心に さまざまな試みがされています。 そこらへんについては、まだまだぼくも不案内なので、 そのうちいろいろ調べてご紹介してみたいと思ってますが、いつになることやら^^;。 ちなみに、このホームページは、次の方が設置、管理しているのだそうです。 ・James Stewart / jds@c4systm.com また、これは、1996年の1月8日のアップデートです。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 04242/04243 GGA02514 KAZE 中道論6●中道としてのキリスト (13) 96/02/02 14:40 前回までは、主に仏教における中道の考え方をご紹介しながら、 それに少しだけエッセンスを加えてみたという感じなのですが、 今回から、ぼくのメインテーマでもあるシュタイナーの思想を引きながら これまでみてきた「中道」の考え方を展開していこうと思います。 それで、今回は、「中道としてのキリスト」をテーマに お話していきたいと思っているのですが、今回お話するのは、 MES3970,3971のアーティクルでもご紹介したことのある内容でもあります。 それを「中道」という観点でとらえてみたいと思うのです。 さて、いわゆる悪魔なる存在について、 シュタイナーは主に二つのタイプを挙げています。 ルシファーとアーリマンです。 (この場合、第三のタイプの「アスラ」については除きます) 人間にこの世は物質がすべてだというように思いこませ、 唯物論的な世界観を浸透させようとする悪魔がアーリマンで、 ゾロアスター教で、アフラ=マズダという太陽霊に対抗する 悪魔として描かれている存在です。 それに対して、人間を霊的な方向に逃避的に導こうとして、 いわゆる解脱病的な方向性やトランス、熱狂などを煽る方向に 向かわせる悪魔がルシファーで、聖書にも登場したりする有名な堕天使で、 その名前は「光をもたらす者」を意味している、そんな存在です。 では、こういう存在は悪魔だから邪悪で危険で否定すべきかというと そうでは決してなくて、その二つのタイプの悪魔は、 人間が人間であるためにはむしろ必要な存在でもあるのだといいます。 アーリマンは、人間に厳密な思考方法を与え、 それによって科学、学問をもたらした存在でもあるのだけれど その傾向が行き過ぎると人間は機械のようになってしまいます。 また、ルシファーは、人間に自由と自我の独立性を与え、 それによって自ら努力して進化していこうという情熱を与えたのだけれど、 その方向を誤ると、いわゆるエゴの暴走になってしまいます。 ですから、その二つの影響に対して意識的でありながら、 その両者のまさにバランスするところを歩むことこそが 人間が進化していくためには必要だというのです。 さて、そのようにアーリマンとルシファーの「中」を歩むことをも ここでは「中道」の本質を突いたものとしてとらえたいと思います。 シュタイナーは、アーリマンとルシファーの「中」を歩むあり方を 「キリスト的」であると言っています。 つまり、「キリストの道は中道の道」ということです(^^)。 ここで、シュタイナー「悪の秘儀/アーリマンとルシファー」(イザラ書房)から 病気を例にとって、このことを説明している部分をご紹介します。 (これは、#3970での引用箇所と同じです)   キリストという人物は、現代の人々が描写しているような存在ではありません   でした。本来キリストという人物は、「アーリマン的なものとルシファー的な   ものの間に均衡、つまりバランスを保つということを可能にするような教義を   すべての人間に伝える」という意図を持っていました。「キリスト的である」   ということは、まさにアーリマン的なものとルシファー的なものの間に均衡を   求めることを意味しているのです。・・・   例えば、肉体的な意味においてキリスト的であるということは、何を意味する   のでしょうか。肉体的な意味においてキリスト的であるということは、私が人   間についての正しい知識を身につけることを意味します。人間は病気になるこ   ともあります。例えば人間は胸膜炎に罹ります。「人間が胸膜炎に罹る」とい   うことは何を意味するのでしょうか。これはすなわち、「人間の中にルシファ   ー的なものが多すぎる」といこうことを意味します。ある人間の中に、あまり   にもルシファー的なものが多すぎる、ということが分かったら−−要するに人   間が胸膜炎に罹るときには、その人の中にあまりにも多くのルシファー的なも   のが存在していることになるわけですから、私は次のように言わなくてはなり   ません。「仮に私が秤を手にしているとして、秤の一方が跳ね上がったとする   と、私は錘を取り除かなくてはならない。一方が沈んでしまうときには、私は   錘を乗せなくてはならない。」さらに私はこう言います。「ある人が胸膜炎に   罹ったら、この場合はルシファー的なものが強すぎ、アーリマン的なものを幾   らか加えてやらなくてはならない。そうすれば再びバランスが回復するはずだ」   (中略)   キリスト的なものとは、均衡にほかならないからです。私がいま皆さんにお話   してるのは、「人間を肉体的に治療する際に、キリスト的なものはどこに存在   するか」という問題です。キリスト的なものの本質は、「人間が均衡を求める」   ということの中にあるのです。                (P34-38) さて、このアーリマンとルシフェルについて話し始めると、 これだけで一年はかかってしまいそうですので、 ここではスケッチ的に述べるだけに留め、 今回はアーリマンとルシファーの中を行く道こそが 中道としてのキリストの道であるということだけをお話しましたが、 次回は、これを展開させて、「キリスト的中道とカルマ」について お話してみたいと思います。  ☆☆☆KAZE☆☆☆ - FARION MES(15):マホロバ誕生 ★ 大和魂復活のために 96/02/02 - 00502/00507 GGA02514 KAZE RE:「悪の計画」 学と神力の戦い (15) 96/02/01 18:14 00500へのコメント まるにちょんさん、どうも。 》はあ、KAZEさんが天邪鬼ですって? 》ちょっとにわかには信じられないなぁ(-_-)ウタグリノマナコ いえいえ、ぼくは本来、甘えんぼで、拗ねもので、 しかも理屈の勝った天邪鬼です^^;。 ただ、そういう自分をなんとかしなくちゃと思い続けているだけです。 今では少しだけは解消しているところもある社会的不適応にしても、 そういう性格の裏返し・・・でもないな、そういう性格そのものだといっても いいように思うのです。 今でも、隙あらば、すぐに仕事などからも逃げを打ちたい気持ちは いつもあります。 逃げを打たないのは、生活に困るからということとプライドだけだったりして^^;。 ま、そんなもんですけど^^;、そういう自分が余りに情けないものですから、 改造計画に移ったのが18歳頃からでしたが、なかなか進展せず、 やっと5〜6年前くらいから少しだけ浮上をはじめたかなという感じです。 これからも、まだまだそこらへんの課題は続いていきそうなので、 手綱を緩めないようにしたいなと思っているのです。 》 「溺れず、浸らず、流されず」と言う言葉を思い出しました。 》 これを生活の上で、常に円筒に念頭に置いておけば、素直さ自体が言い訳に 》なることもでしょうね。 いい言葉ですね(^^)。 まさにそのとおりだと思います。 「信じず疑わず」っていうのとも似てますね。 そうした表現はすべて否定形になってますけど、 その否定は大いなる肯定のための否定のように感じます。 そういうのって、単なる肯定よりももっと肯定的なんだと思います。 今ある自分に甘んじてはならないし、また同時にマゾになってもならない。 自分を謙虚に見据えながら、その今ある自分のできることを着実にしていく。 そういう感じなんでしょうね。 》日月神示で遊んでしまうなんてKAZEさんらしいですね。(^_^) はい、不遜なヤツです^^;。 どうも、深刻な感じがダメなんですよね。 天邪鬼だし。 いつか報いを受けるかもしれません^^;。 》 理屈も持つ本質も知らないで、単に日月神示に書かれているからと言って、 》理屈はダメだと思ってはイケナイ。 日月神示は全部読んだわけでもないのですが、 読んだ範囲では、内容的にも言霊的にもすごく感銘を受けています。 けれど、やはり、あの内容は、ただただ押しいただいたのでは なんにもならないと思うんです。 やっぱり、「だから、こうしよう」というのでなければね。 それに、それが教条的に受け取られてしまうようなときには、 断固としてそれに「なぜ」をぶつけなければならないと思います。 そうでなければ、人間は単なるプログラムされたロボットになってしまいます。 そういう意味でも、ぼくのスタンスはあくまでも「人間学」でありたいなと そう思っているのです。 では(^^)。 ☆☆☆KAZE☆☆☆