「あなたの凍えは火が大きくても止まぬ」と天使は言った。 - FARION MES( 9):日本魔界巡航 ★ 神と人の関りを探る 96/02/03 - 772/772 GFB00026 一輝 生贄の浅草と呪術師たち ( 9) 96/02/03 07:06 769へのコメント >#0769 CHARANさん  面白い話をありがとうです。待乳山聖天と牛島神社については初耳ですが、 こんな風につらつらと思い出しました。  浅草というのは長い時間枠で切ってみると、東京の中で最も激しく破壊と創 造が繰り返された土地です。江戸時代には度重なる火事や地震で焦土と化し、 大森で出火した八百屋お七の大火事の時などは、海風に煽られて湾岸伝いに浅 草あたりまで焦土。この時代の、丸焼けとなった浅草や死体で埋まる墨田川の 話など記録として残っているそうです。  これが昭和に至るまで何度も何度も繰り返されてゆきます。大正時代には関 東大震災。昭和時代には東京大空襲。それでも、何事も無かったかのように浅 草は常に再生するのです。鎌倉幕府崩壊の時など、死体そのままに都市が廃棄 されることもありましたが、浅草の場合は以前にも増して活気を帯びました。 これはなぜなのか。 ■  浅草神社に三つ網紋と並べられた徳川家の葵紋のルーツは、徳川家と婚姻を 結んだ松平家が、葵紋を神紋にした賀茂神社の氏子だったからだそうです。賀 茂神社の祭神は別雷神であり、本来は出雲族スサノオの子ニギハヤヒですから、 なぜ3点構成の紋章なのかというところに疑問は残ります。後世に書き換えら れた可能性も疑問として拭えません。ただ賀茂神社はヒントになります。京都 にとっての鬼門守護としての賀茂神社の役割を、江戸では浅草神社が担っては いないかという点ですね。  では、なぜ3点構成(日向族系)の紋章で守護する必要があったのか。それ は、単に江戸の町を護る意味ではなく、「征夷大将軍を継承する徳川家を護る 」という意味合いが強かったのだと私は思っています。「征夷」とは即ち「征 出雲族」です。「征夷大将軍」とは、「出雲族を征服している(状態の)将軍 」となります。このように身勝手に推論を進めてゆくと、牛頭天王ことスサノ オを仰ぐ出雲族の怨霊を防ぐ結界が浅草の中に見えてきます。  次に牛島神社ですが、牛はAMA族にとって最も稲作を続ける上で大切な耕 運機であり、現在のように食肉用に育てるなどということは滅相もないことで した。稲作を続ける上で、天候を司るカミの機嫌を損ねることのないように、 出雲族は聖武天皇や恒武天皇による禁令が出るまで、大切な耕運機としての牛 を生贄として捧ていました。実際には禁令が出てもこっそりと飢饉の度に行っ ていたのですが、それも仏教勢力によって禁止されてゆきます。出雲族は、自 分たちの最も大切な存在を、カミに失礼のないよう捧げていたわけです。  AMA族は、カミが契約を守ることを長年の経験や言い伝えの集積で知って いたのでしょう。生贄行為が、小規模な「破壊と創造のドラマ」を演じる装置 になったのだと思います。こう考えてゆくと江戸にとっての浅草が、江戸幕府 鬼門守護の為の生贄の場、あるいは、危機迫る時に動きだす霊的磁場のように 思えてきます。 ■  さて、もうひとつ浅草に関する謎があります。江戸時代の浅草には、非人頭 と呼ばれていた弾家の本拠地があったことです。弾家は墓地や寺に囲まれ、当 時の地図には屋敷も門戸も記されていなかったそうです。悪い磁場に囲まれて 身を守るというのは、呪術的な戦略です。一族の実態は謎だったそうですが、 もともと弾家の祖先は鎌倉幕府の長吏・藤原弾左衛門頼兼。再び逆上れば京都 に居たといいます。弾家は非人を通じて全国に諜報組織を持ち、また箱根以東 の金を管理する金融業者だったそうです。  待乳山聖天のエロチックな二股大根は、恐らくは「ヒョットコとオカメ」の 関係。単に産鉄を生む象徴としての「火男と竈」の関係ということに加えて、 砂金から純度の高い金を抽出するときの、「水銀と砂金」という関係(錬金術 )も想像すれば、弾家がこれらと無関係なはずはありません。  弾家のあった場所が現在の浅草のどこかはわかりませんが、私は浅草神社に 仕掛けた鬼門守護の呪術的背景に、弾家の存在を感じています。それは弾家の ルーツを逆上れば藤原家、更に逆上れば日向族宮廷祭祀役を代々担当していた 中臣家だからです。京都→鎌倉→江戸と、出雲族封じの日向系呪術専門家が裏 で動いていたのでしょうか。江戸も京都のように、日向系呪術によって厳重に 防御された都市だったのでしょうね。                                     一輝 771/772 GFB00026 一輝 スサノオ家は木瓜紋章 ( 9) 96/02/03 07:01 767へのコメント >#0767 はなさん  原田常治氏の著書のどこかにスサノオ家と木瓜の特別な関係が記されていて、 そのことからスサノオ家の家紋は木瓜紋に間違いないのではないかと思いはじ めました。  この木瓜紋は、神の加護があるめでたい紋章と呼ばれ、全国で130種あり 最多の家紋なのだそうです。朝倉義景や皮肉にも彼と敵対し打ち破った織田信 長も木瓜紋。信長は宗教排撃の激しい人でしたが、一方ではスサノオを崇拝し ていました。この木瓜紋は4点構成です。  浅草神社の三つ網紋と並べてある徳川家の有名な紋章は、三つ網紋同様に3 点構成です。このことでひとつの謎が見えてきたのですが、次のCHARANさんへ のRESで改めて述べてみましょう。                                     一輝 - FARION MES(18):武道とは?  ★ 自分に勝つ! 96/02/03 - 02866/02867 BYK00511 導 合気道草歌 (18) 96/02/03 00:28 ご無沙汰しています。 アマデウスさんの発言で思うことがあり、書き込みます。 感情は感覚の延長であるということ。 心というものは勤めて冷静を保つ様にしなくても、自然と中庸を求める ものでありましょう。 恐れ、悲しみ、怒りこれらの感情と痛い、熱い、冷たいという感覚と何処が 違うのでしょうか。痛いという感覚を無視することは体を痛めることです。 恐いという感情を無視することは心を痛めることになります。 冷たいから暖める。寂しいから愛おしむ。 自然の摂理ではないでしょうか。 剣を持ち相手の剣の前に身をさらせば死にたくないと思う。 だから生き残るべき道を全身全霊で求める。 中途半端に求めるから身がすくむのです。 腹を括る。死を意識するとは。生きる道を全てとすることなのです。 頭に来れば怒ればよい。かっこ付けて冷静に装うからしどろもどろになる。 なにくそと言えば喧嘩になるけど、自分の心もすっきりする。 すっきりすれば正しい事が見えてくる。 自分が悪ければ謝ればよい。 これらは当たり前の事だけどなかなか難しい。難しいのはただ自分が難しく 思っているからです。素直が肝心これを誠といいます。 精神というものは八方を見ようと思って見れるものではありません。 逆に一点に集中すればするほど周りが見えてくるという性質があります。 感情を素直に受け入れ、それに自然と対応する心を一心に込めれば、ぱっと 先が開けるもの、これを八方の目付というのです。