凍える人は「お帰りなさい、柴をありがとう」と言った。 - FARION MES( 3):Media Talk ◆ 本/映画/音楽を語る 96/02/12 - 01193/01194 HQA03154 男爵 エヴァ怖い……。 ( 3) 96/02/11 04:01 01173へのコメント コメント数:1  今晩は。懲りずにエヴァの話題でやってきました。  あれは、モノスゴク怖かったですねぇ。何せ、喰っちまうんだもんなぁ。  おまけに、シンジはあのまま取り込まれちまうみたいだし。  わたしゃ、これまで、色々と、巨大ロボットには乗ってみたいと思ってはいま したがね、あれだけはイヤですねぇ。         男爵(HQA03154) 01194/01194 NBB01420 SUKE RE:エヴァ怖い……。 ( 3) 96/02/12 00:31 01193へのコメント #1193 男爵さん、こんばんは。 私は特攻自爆したレイちゃんがまだ生きていると信じたいところです(^^;) エヴァって結構頑丈みたいだしさぁ…とうじ君も助かったことだしさぁ… それにしても、「私は死んでも代わりはいるもの」と呟いて特攻してしまう レイちゃんは、やっぱり日頃から死と隣り合わせで生きているんだなぁと思っ てしまった…                         (^^)…☆ッテナモンダ Suke. - FARION MES( 4):オ   フ ◆ 出会いふれあいトーク 96/02/12 - 01164/01167 SDI00635 みれ 修羅ちゃん迎撃オフにご参加の方々 ( 4) 96/02/11 16:11 01163へのコメント  皆さん、ご苦労様でした(^_^)  楽しかったよね〜。  修羅ちゃんは噂通りの美少女(少女…じゃないかな、もう(^O^;))で、 私は以前のRTでの約束通り、【ツンツン〜( ^_^)〃(・_・)ヾ(^_^ )プニプニ】を させて貰いました(笑) なんと修羅ちゃんのほっぺは羽二重餅の手触り で、九印さん共々、FARIONの柔らか少女という呼称を差し上げたい と思うのであります(^-^;)  私はカラオケで部屋が変更になった辺りで、もう頭痛の酷さに我慢でき なくなって「落ちて」しまいましたが、あの後もガンガン歌っておられた んですね…皆さん(^-^;)ゲンキダナァ  初お目見えの満天星さんも楽しんで頂けたでしょうか。  私は折角、安価で譲って頂いたシムアースで遊ぶ元気もなく、今、風邪 らしき熱と戦っておりますです(^O^;)  しかし、新宿に5時間以上停留すると頭痛が酷くなり、その後も居ると 大抵、風邪を引いてしまうという私のこの「新宿忌避症」とでもいうべき 癖は全く嫌になっちまう(-.-)  そう言えば、優位くんも風邪っぽい感じで梟門の途中で帰宅したんだっ たね、大丈夫かな>優位くん  今後、新宿でのオフは5時間以内で引き上げることをモットーにしたい とつくづく思う私であります。 ・:*:・みれ・:・。,★ - FARION MES( 6):ハロー・メッセージ ★ 今日のハロー・メッセージから 96/02/12 - 00656/00661 KFQ02761 しまうま RE^2:【ご意見募集】RTでの論点につい て ( 6) 96/02/09 03:19 00648へのコメント #00648 SUKEさん  毎度ぉ(^^)。貴重なご意見ありがとさんですm(__)m。 | 3)『「どうぞ、こちらへ」と焚き火の民は言った…天使は黙している』 |  この時の天使の心境はどうだったんでしょう。 |ここで天使が初めから「それでは凍えはなおらない」と教えてしまったら学ぶ |機会にならないし、かといって凍えをとりたいその人に、いかにも凍えがとれ |ますよみたいな招き方をしたら嘘になるし。  なるほどー。あえて代弁すればこんな感じでしょうか(^^;。 『あーあ、とうとう招いちゃったよ。焚き火の前に来たからって凍えがなくな  るわけでもないのに……。しかしまあ、ここはひとつ招くまま、加わるまま  に任せておこうか。自分から積極的に参加する意識もないままに焚き火参加  することが、どういう結末を招くのかを、ここで学ぶのもいいかもしれん。』  ……と書いてみたものの、天使の胸中ってホントにわからないなあ、と改め て思いました。もしかしたらこんなゴチャゴチャ考えているわけではなくて、 ただ淡々としゃべる必要がないから黙っていただけ、みたいな気もするし……。  なんとなく思い浮かぶのは、ドン・ファンがよく言っていた「完璧」という 言葉です。天使もきっと、自分の意図を「完璧」に把握しているんだろうから、 しゃべる必要がある時にしゃべり、その必要がないときはまったくしゃべらな い、という感じなんでしょうか。 |天使はその先が分かっていたから何も言わなかったのではないかなぁ。  うーん、煎じ詰めればこういうことなのかもしれませんね。もしかすると、 「わかっていてあえて言わない」というのは、案外人間的な“情”に流された りすると難しいことなのかもしれない、とも思いました(^^)。   しまうま(KFQ02761) 00659/00661 KFQ02761 しまうま 凍えた人はやはり女性? ( 6) 96/02/10 00:07 |96/02/04 「そんな筈ないでしょ!」と凍える人は憤然として天使を睨んだ  なんとなく、この台詞って女性っぽいなー。いや、そんだけなんだけど。   しまうま(KFQ02761) 00661/00661 NBB01420 SUKE 今日のハローメッセージ ( 6) 96/02/12 00:31 02/10 「そ、それは…」と凍える人は口篭り、目をそらした。 お! これで話が大詰めか?と思いきや… 02/11 その時、柴を両手に抱えた焚き火の民の一人が帰ってきた うーむ、飽きさせない展開だ(^^;) (きっとこの柴をくべたら、持ってきた人は暖かくなるのに、凍えさんは震え たままなんだろうな…)                         (^^)…☆ッテナモンダ Suke. - FARION MES( 7):自分を観る  ★ ARIONを鏡にして 96/02/12 - 06933/06950 BYH14717 中尾 かたる RE:自己実現と言うこと ( 7) 96/02/09 00:45 06923へのコメント コメント数:1  こんにちは、SUKEさん。中尾です。    自己実現の意味ですけど、僕はこう思います。    簡単に言ってしまえば、目標を達成したりすることだと思います。例えば、  100メートル走で、10秒を切りたいという目標があったから10秒を切る  ことが出来たんだと思います。あるいはもっと漠然に、ライバルに負けたく  ない、だったかもしれないけど、そうして実力をつけていくことで、周囲から  認めてもらえるようになるし、実力も伸びる、ということだと思います。    これは、SUKEさんの言っているように、自分の存在価値を創り出している  状態と、同じ意味だと思います。目標や夢があったら、それを実現させたいと  思うのが人間だと思うんです。勿論、夢は夢のままがいいという人だって  いるでしょうけどね。    夢や目標でなくても、ただ単に自分を表現したい、あるいは認めてもらいたい  という衝動も、自己実現への道だと思います。ここでみんな話しているように  自分の考えていることなんかを書くというのも、それによって何かを得られる  のなら、自己実現で間違いはないと思います。    若い頃、特に思春期なんかには、そういった衝動をどう表現していいのか分か  らずに、ぐれてしまう人も多いですけど、彼らにとってはそれも一つの自己  表現なのでしょうね。正しいかどうかは別にして、手っ取り早く自分の存在を  アピールできますからね。    誰だって自分の存在を認めて欲しいはずだし、自分が不必要な人間だとは思い  たくはないですからね。個人的には不必要な人間なんて存在しないと思っては  いるのですが、だからといって必要悪は認めるかと聞かれたら、何と答えてい  いのやら....(^^;)。   >そしてこうした自己存在価値と言うのは、常に創り出し続けなければ、すぐに >陳腐化してしまうくらいに世の中は変化を続けていると思います。  時代の流れに合わせて生きて行くのか、それとも関係なく生きるか、あるいは  時代を造っていくかで違うでしょうけど、もっとも根本的なものならば、時代  なんかは関係なしに、その存在価値は認められるものだと思います。    SUKEさんは主に仕事とか、現実的なことで言ったのでしょうけど、仕事を離れ  たところでだって自己実現は出来ますよね。少なくとも、大抵の場合は、家族  の間なんかでは存在価値は認められているのではないでしょうか。最近は必ず  しもそうではないかもしれないけどね(^^;;)。そうならないようにしたいもの  です。   >自分が作り上げた世界の中でなら自己存在価値を創るのは簡単ですが、他者が >認めるかどうかは分かりません。自己満足に陥ってしまうかもしれません。  これはホントにその通りですね。気をつけなきゃならないところですね。  よく、僕の友達でもいるんですけど、自分がそう思っていればそれでいい、な  んて言っているのもいるんです。これは極端な言い方になるかもしれないです  けど、100メートルを8秒で走る才能を持っていたとしても(あるいは持って  いると思っていても)、実際にその才能を使わないのなら、ないのと同じだと  僕は思っているんです。    でも僕は多分、SUKEさん程は現実的ではないと思います。僕は結構自己満足  してることもありますからね(^^;)。ちなみに、「百聞は一見に如かず」とか  「書を捨てよ、街へ出よう」(寺山修二)とかいう言葉もありますけど、僕  はちょっと違って、百冊の本を読んでから一つの体験をするべきだし、本を  持って街へ行こう、という考え方なんです。    と、いったところでしょうか。これからの時代、パソコンを知らなきゃ存在  価値がない、なんていう風潮がもっと強くなるかもしれないけど、パソコン  を知らない人は違う分野で価値を見いだせばいいでしょうし、「真理」にし  ても、人はその時代の人間に考えられる最高のものを求めているだけだと思  うので、やはり永遠に存在価値を求める衝動は消えないと思います。    人類が月に立つなんて考えもしなかった時代の真理と、インターネットを通  じて瞬時にコミュニケーションをとれる時代の真理とでは、モノにもよるけ  ど、違うでしょうね。今の真理だって、500年後にはすっかり否定されている  かもしれないですし。アリストテレスが「生まれないのが一番良く、死は生  に勝る」と言っていても、現代ではどうでしょうね。個人的には、どうして  納得できないことですけど。    また余計なこと書いてしまって長くなってしまいました。それじゃね。            --== BYH14717 ♂ Y.Nakao ==-- 06946/06950 NBB01420 SUKE RE^2:自己実現と言うこと ( 7) 96/02/11 02:30 06933へのコメント #6933 中尾 かたるさん、こんばんは。 コメントありがとうございます。 自己実現とは目標を達成すること…つまり自分の思惑を現実に体現することに なりますか。 確かに私は現実的な仕事を念頭において書きました。何故なら、私達が生きて いるのはこの社会の中であり、だからこそ社会的に自分の存在価値を実現しな ければならないと考えたからです。 言われる通り家族の間等では、もともと自分の存在価値は前提としてあるよう ですね。 しかしそれらは自分で望んで発した思いではなく、あらかじめ前提として横た わっているものです。 自己実現と言うのは、恐らくは自分から何らかの行動を起こして初めて現実化 してゆくものではないでしょうか。 最近気になるのは、自分を認めて欲しいと言う欲求を正当化するために、自分 の「我侭」を「自己実現」と言う言葉に代えて隠しているのではないか?と言 うことです。 本当の自己実現と、自己実現の名を借りた我侭との境目は、認めることを他人 に強要するかどうか…あたりかな?と思います。 こうした見せかけの自己実現に陥らないように、自戒してゆきたいものです。                         (^^)…☆ッテナモンダ Suke. 06940/06950 BYH14717 中尾 かたる RE^2:人間が生きる意味は? ( 7) 96/02/10 20:42 06932へのコメント  WAさん、RESありがとうございました。中尾です。    何だか大変なことがあったみたいですね。僕の身の回りでは、まだ死んで  しまった人というのがいないので、正確にはどんな気持ちなのか分かりま  せん。    「あの時こうしておけばよかった」と思うことはたくさんありますよね。  無駄な生き方はしたくないけど、人生は後悔の連続という言葉もうなずけ  ますね。僕は手紙を出した次の日に、その彼女が結婚するということを  人から聞いたりして、落ち込んだりしたこともあります。僕の場合は相手  がまだ生きているから、WAさん程の辛さはないですけどね。   色々と、今考えてみると、後悔ばかり頭に思い浮かびます。でも僕は、こ  う考えています。ちょっと誤解を生みそうな言葉なんですけど、「辛くて  もこれでいいんだ」って思ってます。後悔ばかりしてもどうにもならない  ですしね。そんなことしてても未来はやって来るんだし。    前にテレビで見たんですけど、脳腫瘍で死が目前になっている人が言って  いたんです。「泣いて生きても一日。笑って生きても一日」って。  僕もつらいことは体験してきましたけど、こんなふうに強くなれればと  思ってます。    それから、こんなことはもう分かっていると思いますけど、友達は大事に  したほうがいいと思います。とは言っても、僕のように仕事そっちのけで  友達と遊んだりしているのも困りものですけどね(^^;)。    僕は仕事するのが好きではないので、何かあれば大抵遊んでいます。でも  それでも自分の時間は造れているので、まあうまく行っているのでしょう  か。でも、仕事は仕事、遊びは遊び、とうまく出来ればもっといいんです  けど、なかなかうまくいきません。    やりたいことがあって、友達と会うためにその時間がなくなるのは、まあ  いいんですけど、仕事に忙しくて時間がなくなるのが嫌だという、何とも  わがままな性格をしています。社会人としてははみ出し者になってしまう  んですけど、僕みたいにはならない方がいいですよ(^^;)。    それでは、色々とお互い強く生きましょう。じゃね。            --== BYH14717 ♂ Y.Nakao ==-- 06936/06950 HGE02116 MAKOTO 諦める、明める ( 7) 96/02/10 00:02 06921へのコメント コメント数:1 >!! あきらめる という言葉は”明らかに観る”ということから来たんだと >いう話を以前FARIONでしていました!! なげやりではないんですよねっ!本来。  #6913 の維/YUIさんの発言を読んでいて、あららって思ったのがこの部分。 それが、#6921 のノロガメさんへのRESを書く動機になった。で、改めて「諦め る」って事が、私にとってはどういう事だったのかを振り返ってみてた。  大雑把にわけると二つの「諦める」があった。行動した後の諦めと、予測に基づ いた諦めなんだけど、私の場合は、圧倒的に後者のケースが多かったように思う。 やっても無駄、言っても無駄、そんなこと出来る筈ない、そんなの不可能だ、など など、これってかなり投げやりな気持ちでの「諦め」なんだよな。これじゃあ「明 め」には繋がらないわな(^^;) やっぱ、精一杯っていうか、自分にできる限りの 事をやりつくした後の「諦め」でないと、「明め」にはならないような気がする。  試みた後なら、すっぱり諦められる。でも、何も試みることなく、結果だけ推測 しての諦めだったら、いつまでもすっきりしない気分を引きずっちゃう。実際にど うなのかは、わからないんだから当然だよね。で、私が「諦める」って言葉を聞い て、潔くないとか、逃げてるとか、卑怯だとか、そんな風な、あんまり良くないイ メージを抱いてしまうのは、「諦め」ってものに、後ろめたさを感じてるからみた いだ。  そして、「あきらめ」って言葉の中に「明らめ」って文字があって、それが「明 らかに観る」って意味だなんて、考えた事もなかったのは、試した後の「諦め」の 爽快さを、ほとんど感じた事がないからのようだ。  最近は、以前なら言っても無駄だと思って言う前に諦めてたような事を、口にす る機会が増えたのだけど、言ってみたら大丈夫だったって事も多いんだよね。まぁ やっぱり無駄だったって事もあるんだけど、それにした所で、言わずに諦めてた時 より遥かにすっきりする。あはは、今頃こんな事に気がつくなんてって、ちょっと 恥ずかしいんだけどね(^^;)  「明らめ」って心境に達するまでには、まだまだいろんな経験積まなきゃならな いようだけど、どうせならこれを実感として得られるようになりたいもんだ(*^_^*)                           MAKOTO でした☆ - FARION MES(10):夢鏡/幻紀行 ★ 夢解釈/カスタネダ研 96/02/12 - 01113/01117 QZE14371 G,S リアルな夢見てしまったの‥‥(__;)ウウッ (10) 96/02/09 18:29 コメント数:1  これは、つい最近見た夢です。とてもリアルだったので、取り合えずワシのHPに UPしていたのですが…。ある人から「夢懐疑室」もとい「夢会議室」にUPしたら いいのにねぇ〜と、助言されたのでUPします。  此処は「夢解釈/カスタネダ研」となっているから、ワシの夢は範疇外だと思って いたの。本当にUPして良かったんだろうか?(場違いだったら削除するね)  で、書き方がいまいち不案内なので、HPとほぼおんなじ書き方でUPします。  (うっ、マルチポストって言われそう(^^ゞ) ////////////////////////////////////////////////////////////////////////  ひょっとしたら、我国の財政は既に破綻しているのではないだろうか…  「認識できなければ、それは存在しないのと等価」…と言う言葉もあるが、 これがもしも正しければ、それゆえ誰も言わないだけで、「財政は破綻して いるよ」と言った瞬間に恐慌が始まるのではないだろうか…、それゆえに、 財政当局は何としてでも破綻を取り繕うとして公的資金の投入を強行しよう としているのではないだうか。  恐い夢を見た。  それは7月にしては寒いある朝のことだ、その日の未明に突然の官房長官 会見が在った。彼は言う…「大変残念な事実を皆さんに報告しなければなら なくなりました。・・・。我国の財政は既に破綻いたしております。・・・。 これは過去25年に及ぶ『赤字国債発行の累積』と『福祉財政支出の負担』 に耐え切れなくなった結果であります。我国の国力(企業活動)民力(高度 な勤勉能力)が、これらの負担に耐え切れない事が明らかとなったのです。 そこで、『平成徳政例』を発布し、『全ての負債から完全に自由となる事を 宣言します。・・・。」  それが発表される2時間も前からネットワークを通じて感知した諸外国の 有象無象の人々により「円」は「紙屑」となっていた…。  あの時…、そう「あの時」公共投資を小出しにしなければ…  バブル崩壊時に公共投資を小出しにした事が今日のこの時を迎える事となっ たのだった・・・  かの時に失われた(諸外国に持ち出された我国の損失は145兆円)金額に 見合う財政支出(公共投資等)を行っていれば、今なお何とか持ちこたえれた ものを…、当局(当時の担当者)が余りにも愚かだったから…。  我国は「負債から自由」となったが同時に「信用からも自由」になってしまっ たのだ。…。そして、その自由は独り我国だけの事で治まるはずもなかった…  後の時代に言われるだろう…かの100年は「恐慌の世紀」だったと…                                 雲上仙人 - FARION MES(11):狼を生きる  ★ 平井和正の著作から 96/02/12 - 01984/01987 JBH00712 桂 桂 RE^2:この木何の木気になる木〜 (11) 96/02/11 00:34 01982へのコメント  #01982 SHIBA さん < 宇宙から地球を見るとき、青い球体が目の前にある訳ですが、目を凝らしてよ < ーく見ると、フィロデンドロンの様な植物が丸まって球体を形成していて、そ < れが3次元の目だと、青い球体に見える、という様なイメージです。  ふみふみ〜中々面白いイメージですよね(^^)  僕は「地球樹」っていうと、北欧神話に出て来るユグドラジル(世界樹)のよう などこかに忽然とそびえ立つ雄大な樹木をイメージしていました。その側には麗し い音楽を奏でる貴婦人が寄り添っているとか・・・・(^^ゞ  アポロ13号の乗船員の誰かが言った「地球は青かった」という台詞は有名です が、想像を遥かに越える雄大な宇宙にあってこの地球は銀河の辺境地に位置するの だそうです。もし、他の惑星に星人がいるのだとしたら、この地球はとんでもない 田舎になるわけですね(^.^)  その辺境の地に宝石に様に位置する惑星、こんな風に書いてしまうとさも美化し 過ぎになってしまうかもしれませんが、太陽系だでけでも人が住める空間はこの星 だけなんですよね。  そのちっぽけな星の「地球樹の代理人」とは、「代理人」というと何か重責を代 わって担うような意味にもとれるかもしれません。小説ですとモロ「地球樹の代理 人になりたければ神成り山に行こう」みたいに書いて有りますから、流石に字面だ けみると相当ヤバイもんでしょうね(^.^) < 意味が込められていると思います。私は、「この世界を良くする為に特別な使 < 命をもって生まれてきた人」ではないかと思っていますが、  うんうん、特別な使命かぁ〜  「使命」って一体何でしょうね。人間には其々やるべきことっていうのがあるの だと思うけど、それが判らないと死ぬまであーでもないこーでもないとさ迷う訳で すから、ヒジョーにシンドイことになってしまいますよね。僕はまだ自分が何をや りたいのか全然判っていないけど、もし判るのだとしたらそれが「使命」っていう ことになるのじゃないかぁとか思っているのですよ(^_-)  まぁこれはSHIBAさんの意見も参考にしてみて「使命とは何ぞや?!」って事を考 察してみたことからなんですが。  そうするとやるべき事には上下左右の天地無用に為る訳でして、さっさとやるべ き事を見つけた方が勝ち、な〜んてことも思ってみたりもして(^O^;)  やることにはエリートも大衆も関係無いですよね(^^)  「地球樹の代理人」て言葉は聞こえが良いから上辺だけの意味で捉えられてしま うかもしれないけど、この狭い惑星で自分のするべき事を見つけられればこれ以上 の幸せっていうのは無いかもしれませんね。  う〜ん、本来の問いかけとは話が別の方にいってしまったけど、まいっかぁ〜(^_-) 桂 桂(JBH00712) - FARION MES(13):神秘学遊戯団 ★ 限りなき神秘への航海 96/02/12 - 04257/04268 GGA02514 KAZE 交通法違反です^^; (13) 96/02/09 11:05 04255へのコメント コメント数:1 ノロガメさん、どうも。 少しだけ、 》「中道」の意味なるものは、まあ〜何事もほどほどにと言う 》意味にもとれるのではないかと思いますが。 はい、だから一貫して「そうではない」と言ってるわけです。 勉強が苦手なのは好き好きですからノロガメさんの勝手ですけど、 やはり、ちゃんと読んで最低限のことは理解してからご発言ください。 MES7を見ていても、ノロガメさんは相手の発言を読まないで発言してます。 そういうノロガメさんの姿勢はまさに「ルール無視」だと思います。 ノロガメさんは、まさに信号無視で車を運転しているわけです。 ノロガメさんはルールを守ることを主張されているわけですから、 まずご自分からルールを遵守されますようお願いします。 でないと、交通法違反で減点と罰金が課せられます。 「自己確立」したがゆえの免許停止なんて、恥ずかしいでしょ、やっぱり。 では(^^)。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 04256/04268 GGA02514 KAZE RE:リトル・ブッダ (13) 96/02/09 11:05 04254へのコメント ジョリーさん、どうも。 「\(^O^)/ヨイショ」ありがとうございます。 ま、それはともかく^^; 》「弦を強く張りすぎると切れる。緩めすぎても弾けなくなる。」 》「悟りへの道は中道にある。苦楽の両極端に道はない。」 という有名な部分ですが、ほんとうにこれは基本ですよね。 ただ、そこらへんのことで忘れられがちなことがあるように思います。 いい音を奏でるためには弦をちょうどいい具合に張ってなければなりませんが、 それは張りすぎた状態と緩めすぎた状態を理解することが前提になり、 不苦不楽の道を歩むためにも、苦や楽を理解することが前提になります。 中道を薄っぺらにとらえると、どうしても「まん中がいいんだ」ってことで 両極端はダメだから理解する必要なんかない、というふうにとらえがちですが 決してそうではないんだと思うんです。 もちろん、極端な道も歩んでみる必要があるということではないですし、 それにとらわれて抜けられなくなってしまうのは問題ですけど、 それへの理解なくして中道は歩めないのではないでしょうか。 つまり、他の選択肢なくして中道だけというのであれば、 (それは中道とはいわないのですけど^^;) それは決められたものを決められた通りに歩むだけになってしまいます。 そういうのは、悪の可能性のない善というのと同じです。 親鸞の悪人正機の道というのは、そういう観点からすると、 悪を体験し、その悪の自覚を貫いて歩む足腰の強い道なのだと思います。 そういう人のほうがずっと人間について深い理解が及んでいると思いますし。 》真実のラインは、中道にある。中道を生きるということは、一般の論理的 》思考法が、「ある、ない」の二極、二元的論法に規定されていることから 》の、唯一の脱出法なのかも知れない。「幹を生き、枝葉を疎かにせず。」 》ということか・・・。 そうだと思います(^^)。 もちろん、二元をただ否定するのではなく、 否定的に肯定することにもなるわけですし、 すべてを統合的なダイナミズムとして捉えようとする自覚の道ですから ほんとうに無駄がないですし、 たとえば「神」についてその一面をとらえようとするときにも、 やはりそうした無駄のないとらえ方が必要だとも思うのです。 もちろん、ものすごく射程の長い無駄のなさなんですけどね。 》人智学は、その思考法を確立するために、本来、「無」とか「空」とか言 》われている、まったく説明し難い「中」の部分に、霊学という新しい息を 》吹き込んだのだろうか? いえ、少し誤解があるようですけど、 ぼくが中道についてあれこれ言っているのはぼくが言っているのであって^^;、 人智学がそういうことを言っているわけではありません。 もちろん、発想としてはあると思いますし、ぼくもその発想を使いながら、 それをもとに東洋的な思想を批判的に継承していくための試みということで あれこれと模索しているというわけなのです。 》論理的思考など、使いものにならないと、一時期真面目に考えてきた僕に 》とって、「正」と「反」に、もう一つの「合(中)」というラインを加た、 》三元的な思考法には、なんとなく未来があるように思えてきた。 「三元的な思考法」というよりも、 二元を統合させようとするダイナミックな一元的な思考法だといえます。 もちろん、その「一元」はただ「一元」というのではなくて、 善と悪を統合した一元としての善というような統合としての一元です。 それに対して、悪を排除した善を説く一元だとか、 正しいかそうでないかだけを説く一元というのは、 他を排除する一元ですから、 結局は二元になってしまうんです。 さて、「リトル・ブッダ」の話ですが、 ストーリーとしてはけっこう面白そうなので、ぼくも見てみようと思いますが、 少し気をつけないといけないところを少し。 》シアトルに住む9歳の少年の前に、4人のラマ僧が現れ、彼こそブッダの 》魂を受け継ぐ、尊師ラマ・ドルジェ生まれ変わりだと見込まれたのをきっ 》かけに、ブータン行きを勧められ、そこへ旅に行くというストーリーだ。 もちろん、物語なのでそれはそれでいいのですが、 そういう「〜の生まれ変わり」という発想が現実に転用され、 その「〜」がある種の権威をもっている場合は要注意ですよね。 それが本当だとか嘘だとかいうのが問題なのではなくて、 それを「権威」としてなんらかの運動を起こそうという動きがあるとすれば その権威化に入り込むさまざまについて注意深くあるべくではないかと思います。 そういえば、シュタイナーは、神智学協会が クリシュナムルティをそういう権威化の道具にしようとする動きを批判し、 それをきっかけに神智学協会を脱会してしまいます。 もっとも、神智学協会のドイツ支部長をしていたといっても、 内容的にはシュタイナーは神智学とは違ってたわけですから、 それが表面化しただけなんですけどね。 それはともかく、最近では日本でも仏陀の再誕だとかいうネタがあったりしますが、 やはりそういうので何かをしていこうというのはマズイと思うんですよね。 では、では(^^)。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 04265/04268 GGA02514 KAZE 叡智を愛に (13) 96/02/10 01:07 04261へのコメント しまうまさん、どうも。 》 なるほどなるほど。僕は新約の方こそ多少かじったりしてはいるものの、旧 》約の方のことは、実は全然知らないのです(^^;。でも、又聞きでは、旧約にで 》てくる神様というのは妙に人間味がある、という話を聞いたことがあります ぼくも聖書を少しでも読み始めたのはつい最近のことです。 かつては、どうもキリスト教にはついてけなかったものですから。 もちろん、いまも、通常のキリスト教は似たようなものなのですが、 その本来の意味をシュタイナーを通じて学ぶようになってからは、 なんだか、ぼくなりのキリスト教徒のようになってたりします^^;。 最近は、バッハのカンタータなどを聴きながら涙を流してるわけで、 そうそう、今日も、最近注目の鈴木雅明さんによる「ヨハネ受難曲」のCDを 聴きほれながら、感動に胸ふるわせてたりして・・・^^;。 ううむ、キリストのイメージが迫ってくる(^。^;)。 さて、旧約にでてくる神様が人間味があるというのは、 その神様こそが、人間に自我を与えた存在だからかもしれません。 ちなみに、シュタイナーによれば、人間は、肉体、生命体(エーテル体)、 感受体(アストラル体)、自我という構成要素をもっていますが、 それぞれの構成要素は、そうした天使存在方から与えられたものなんですよね。 その構成要素のなかでもっとも古いのが肉体で、トローネ(意志の霊)から。 次に古いのがエーテル体で、キュリオテテス(叡智の霊)から、 次に古いのがアストラル体で、デュナメイス(力天使)から、 そして自我は、エクスシアイ(形態の霊)であるエロヒムから与えられました。 位階としては、トローネが最も高次で、エクスシアイがもっとも低い位階です。 ここらへんは、少し複雑なのでわかりにくいのですが、 そのうち少しずつご理解いただければ、けっこうおもしろいところです(^^)。 反対に、こういうあたりがわからないと、宇宙進化のダイナミズムが なかなか理解できないということもいえるでしょうね。 》 なるほどー。神そのものの進化、というのはすごく心動かされる考え方です 》ね。突き詰めて考えると、個々の人間の思いや行動、というのは、ごく微妙か 》もしれないけど宇宙全体に影響を与え得るもの、なのかもしれないなあと思い 》ました。 ぼくのとらえる「神」のイメージは、 「完全なるものの、完全なるがゆえのさらなる進化」という感じでしょうか。 でもって、人間はある意味では「神の反射板」なんですよね。 端末であるともいえます。 ですから、変な入力をするとそれが大きな影響を与えることになります。 》 そうなんですよねー。僕の問題の一つは、「こうすべき」という外圧と、 》「こうしたい」という内的動機の区別に、やや曖昧な部分がある、という点だ 》と思います。動機が内側にあるのか、外側にあるのか、もし外側にあるのだと 》すれば、なぜそれを自分が今為そうとしているのか、といったあたりを、吟味 》していかなければならないのでしょうね。 かつて、人間は叡智とともにあったといいます。 つまり、それが「外」から与えられて、本能的に行動していた。 動物達が生まれつきもっている本能というのは、まさに叡智なんですよね。 また、生物などの肉体の構造なども叡智の結集であるともいえます。 しかし、人間は、そうした叡智を失って、 代わりに、さまざまなソフトに対応できるシステムを有するようになり、 そうした叡智に代わるものを、自分で内的に つくっていかなければならなくなりました。 つまり、はじめから外にあるもので動くのではなく、 まったく同じ行動であるとしても、それをいったんは、 内的に理解し、咀嚼したうえで行動しなければならなくなったのです。 そして、そうでなければ、単なるロボットでしかないわけなのです。 シュタイナーによれば、そうした外的な「叡智」を内面化し、 それを種にして育てていくことこそ「愛」であって、 それが現在と未来の人類にとって大きな課題となるのだそうです。 たとえば、ある道徳的行為とされている行為をしたとしましょう。 そのときに、「こういうのが道徳的行為だからこうしよう。 みんな認めてくれるだろう」、では外的な強制でしかありません。 それに対して、「私はこうせざるを得ない衝動に駆られる」というのこそ 内的に自由な真の道徳的行為だということになります。 ・・・しかし、なかなかこうはいかないんですけど、ね(^。^;)。 でも、できないから、がんばれるわけですし、 自由の可能性がそこに広大な原野として広がっているわけです。 》 僕も諸手をあげて賛成です(^^)。できるだけ頻繁に「これで人事を尽くした 》と言えるのか?」を、自己確認していけるようになればいいなと思います。 そうですね、「人事を尽くした」なんていえることはまずありませんから、 そこに「神」のでてくる余地がないともいえます(^。^;)。 おたがい、少しずつでも、あせらないで、がんばっていきましょうね。 では(^^)。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ - FARION MES(14):預言解読村  ★ 預言・予言は何を語るか 96/02/12 - 03636/03646 HQK00566 SOUND RE^3:「炎で書いた物語」第三章、 (14) 96/02/08 15:39 03624へのコメント  「炎で書いた物語」第三章       (IN SEARCH OF THE LOST ARK)      (イン サーチ オブ ザ ロスト アーク)       「失われたアークを求めて」(その4)  1月28日の毎日新聞、日曜くらぶ「二枚の絵」欄に イラストレーター和田誠氏が選んだ興味深い絵が紹介された。 一枚は東京都現代美術館が購入することになって価格が議会で問題になった "THE MELODY HAUNTS MY REVERIIE" 名曲「スター・ダスト」の一節をとって題された ROY LICHTENSTEIN (ロイ・リキテンスタイン)の作品。 コミック雑誌のひとコマを素材にしてマイクを持って歌う女性の 歌詞"♪THE MELODY ♪♪HAUNTS MY REVERIIE"をバルーン(吹き出し)の中に入れてあ る。 それは現代の作家がことばを絵の中に取り込む方法だ。  そして次ぎのページに印刷されたもう一枚の絵が コルトーナ(Cortona)・教区美術館のテンペラの板絵「受胎告知」(Annunciazione)だ っ た。 15世紀のドメニコ会厳格派の修道士であり画家であった  Beato Angelico フラ・アンジェリコ、俗名、グイド・デイ・ピエトロ、の 1433年頃描いたと宗教画である。  ぼくはコルトーナという町の名前も知らなかったが この絵に引き込まれた。   回廊に座って聖書を読んでいたマリアのもとに大天使ガブリエルが 舞い降り、救世主キリストの受胎を告知する。  ラテン語で  「聖霊が汝に臨み、いと高き者の力が汝をおおうであろう」  と上下二行に分けて書かれ  マリアの返答  「わたしは主のはしため。おことばどおりこの身になりますように」 が、その間になんと上下逆さまに記されている。  天使のことばとマリアのことばを書き分けるとき  後に聖人の下の位である福者に叙せられたこの画家兼修道士は 苦心したことだろう。  天使のことばは順方向で書き  マリアのことばは逆に書いたのはなぜだろうか。 それは天上の神に読まれるためということである。  人のことばは天から見れば逆になるらしい。 それがフラ・アンジェリコ流の絵の中に声を取り込む方法だった。          ******************************* >>太陽はエール 三、四、三 >>月はミューア 三、四、三 >>エールとミューアで 二〇 >>最高神が 一〇 >>一〇を分けた二〇であれば均衡状態 >>(今はそうでは無いらしい)~~~~~~~~ >>今 現在の数については 教えて貰っていません     (光の黙示録より)  太陽はエールとはなんのことだろう。 エールで思い浮かぶのは大学の名前、応援やエール・フランス。 そのあたりで連想がとまってしまう。  まるで知らない国のことばのような響きだ。 ここで発想を変えて さきほどの絵の天上の神の目で読む。 エールを逆に読めばルーエだが意味をなさない。 アルファベットにすればEELだろうか。これでは鰻。そんなはずはない。 逆にしてもLEEではジーンズ。 エー=AとしてLをRにするとARにたどりつく。 やっと見えてきた。  エールとはRAを逆読みしたARであった。 すなわち、太陽はRA =ラー エジプトの太陽神である。 しかし逆さの世界の太陽だからエールと読む。 やはり、裏表合わせ鏡の世界のことばだった。 ミューアはアルファベットにすればMUA、 逆さに読めばAUM(オーム)が現れる。  エジプトの古代文字、ヒエロ・グリフを解読したシャンポリオンに 倣って推量すれば、古代エジプトでは月神はAUM(オーム)であったらしい。 弘法大師の宗秘論でも「AUM(オーム)字の色は白にして月のごとし」と観じている。         ***************** >>94/11/04 逆卍と卍が重なる為、古(イニシエ)のツチ鳴る力を黄泉帰らせよ…桜花  この物語をここまで読み進めてこられた方にとってはこのハロー・メッセージは 比較的容易かもしれない。 逆卍と卍が重なると「田」が現れ、真太陽の完全な回転神力が戻る。 ツチとカタカナにしてあるからにはただの土ではない。ツチ、(土、壌、地、鎚)  そして真土=砂鉄→産鉄 ツチが鳴るのは鉄を鍛えるために鎚が揮われるときと考えられる。 古のその力を黄泉帰らせる、とは読み還らせるでもある。 ヨミ=読み=黄泉=四三は何度もくどいほど苦心してをわからせようとして出てくる。 もう素直になって読み還らせたい。  桜は日本の象徴としてマホロバの民に呼びかけているようだ。 そして、 逆卍と卍が重なる季節も示している。もうすぐ 桜の咲く季節! 花は八七でもありその中に七五三を合わせ持ってイザナギの鼻から生まれ、古の土 を生り成り鳴らせた素盞鳴尊を象徴する。     >> 94/05/19 蘇る力、水と火、火と水、狭間に雷電と風の夢乗せて       ここでも蘇る力が語られる。それは何度も言うように 黄泉帰るであり、読み還るでもある。      それが逆の世界に生きるわれわれができる太古の力の蘇らせる方法なので ある。  では具体的にどうすればよいのか。その方法が光の黙示録に例として示してあった。 太陽、RA(ラー)であればAR(エール)と逆に読むことがその具体的な方法である。 それが読み還るということ。  月AUM(オーム)ならミューア(MUA)と読めばよいことを示唆しているのだ。  これまでの宗教でアーメン、エイメン、阿吽(アウン)、南無(ナーム)、オン、 等々、としてAUM(オーム)の変化形を繰り返し唱えて来たが、 その順ではA=誕生、から始めてU=維持、とすべての母音を含みながら進み、最終的 にはM=破壊に到達する。  それが仏教の「卍」の水の回転のマークに象徴される。    新たな時代を開き、再生を期するわれらが唱えるべき OPEN SESAMI(開けゴマ)のことばは  Mから始まりUAと逆に進んで読み還らなければならない。 それがまことの蘇ること。逆卍の開(火陽)く回転を与えること。 >>94/11/04 逆卍と卍が重なる為、古(イニシエ)のツチ鳴る力を黄泉帰らせよ…桜花    古(イニシエ)のツチ鳴る力を黄泉帰らせて逆卍の力が蘇ることによって   ついには逆卍と卍が重なり、新たな「田」の時代が開く。       >> 94/09/03 「火(カ)」→「タタラ・アタタラ」→「水(ミ)」…順を追って…  >> 94/01/31 炎と水、そして風=「水(ミ)」→「火(カ)」→「タタラ・アタタラ」    ここまでくればもうこのハロー・メッセージが意味するところが自ずとほどける。  神はまず火を熾し、「タタラ・アタタラ」の回転力で水と産霊(むす)んで風を生ん だ。     炎と水から生まれた風である人は逆方向の水から進んで火、に達したとき、 「タタラ・アタタラ」の古の回転力を得る。  それでは実際に試してみよう。 目で文章を追って頭の中で構築するだけでは音霊は力を生まない。 脳がわかったように感じるだけにとどまる。    火=カ、水=ミ、を蘇る方向に母音を帯にして続けて声に出してみる。 ミーーカーーではない。それでは音霊が正確に逆に進んでいない。 光の黙示録に示されたRA(ラー)を逆読みしてAR(エール)としてあった例に倣って、  火水=KAMIと一旦ローマ字にすれば逆にたどりやすい。 そうすればイーマークと発音される。 これで音霊的に完全に逆転した。 「イイーマアアーク」 何度も発音している内にわかってきた。 そこに隠されていたのは「今開く」というキイ・ワードだった。 このことばに到達したとき、封印が解けて、新たな時代が開くことを設定してあった らしい。 こうしてもうひとつの失われていたアーク(開く)が陽の目を見た。 失われたアークとは(悪、明)、神であったらしい。  図に乗って、タタラ・アタタラ」も逆に読んでしまおう。 一旦、ローマ字にすると、TATARA ・ATATARA 大声で読むと「あらたた・あらたっ」と鳴った。 まるで、「北斗の拳」のケンシロウになったような気分だ。 そう、その音霊が鳴ったのである。 わかりやすく漢字を使えば  「新た田・新田っ」  新田とはいうまでもなく。真太陽であり神殿でもある。 これまで長々と述べてきたことの結論がこれではがっかりされただろうか。 しかし、「水(ミ)」→「火(カ)」→「タタラ・アタタラ」のままに素直に実行すれば      今開く     「新た田・新田っ」 となるようにこのハロー・メッセージは創られていたのである。  「タタラ・アタタラ」のアタタラもアが意味なくつけられていたわけではなかった。 逆に読んだときはじめてその秘められた意味を露にした。  もう、そろそろ本番の年も桜の季節になろうとしている。 番の字の中の田の中心にもチョンが入り回転を始めそうだ。 心棒が入るといよいよ神の大回転に拍車がかかりそうだ。 急がなければならない。   (第三章終わり)   ♪♪音(SOUND) ♪♪ 03638/03646 PAG03134 はな 赤 (その1) (14) 96/02/08 17:35 03610へのコメント コメント数:1 『赤い横線3本の中央に直角に交わる群青の線1本‥浅黄色の裏地‥』  このハローは、「赤」「青」「黄」3色が入っています。  アリオンのメッセージを見ると、「赤」「青」「黄」は、それぞれ、 さまざまな色が用いられています。  ○ 赤系統 「赤」、「朱」  ○ 青系統 「青」、「群青」、「藍」  ○ 黄系統 「浅黄」、「萌黄」 以前、卍と十字を解読していたとき、アリオンから 『「鬼」「まつろわれぬ者」「AMA族」「鉄鉱民」のルーツは同じ』 とヒントをもらいました。  このヒントを用いて、まず、「赤」に迫ってみます。                       はな 03640/03646 GCG01101 アマデウス RE:ベクトル*ベクトルの世界 (14) 96/02/09 00:36 03632へのコメント #3632 優位 さん   外積ですか。なつかしいなぁ。(-_-)トオイメ >> ベクトルは物理的に捉えれば、方向を持った力ですよね   えっとですね、ベクトルを物理的にとらえたものが力なのではなくて、  ベクトルって言うのはもともと物理現象を解析する必要から生まれたもの  だったかと思います。ベクトルは「方向を持つ量」一般のことを指します。  方向を持たない量をスカラーというのは教科書にも書いてあったと思います。  ベクトルで表される物理量は、力だけでなく速度・加速度や電界・磁界、  変わったところでは光の偏光方向なんかもそうだったと思います。   で、外積ですが、 >> ま、結局いいたいのは、第三の世界というのが、1、2、3…というように順番 >> に並んだ中のひとつの世界、ということではなくて、3=1*2(外積)として >> 表現されるようなモノなんじゃないかなぁ…ということなんです。   というのは正しいんじゃないかと僕も思います。二つの力ベクトルは、  ただ足し合わせただけだといわゆる合力にしかなりません。平行四辺形の  対角線という、アレですね。優位君が書いてくれた図形で言うとベクトル  PRです。   合力はしょせん最初の二つと同じ平面上の力でしかなく「第3の世界」  ではありえません。外積というのは2次元から3次元への転換であって、  まさしく新しい世界を生み出すものと言えると思います。   ただ、次の部分ですが、 >> 2つの力が掛け合わさって(実際にベクトルは掛けることができない)見かけ上 >> の力の世界が現出する…というようなカンジです。   力積は見かけ−−−単なる概念上の理屈−−−ではなく、実質を伴った  ものです。高校の物理でフレミングの左手の法則というのを習うと思います。  あれは、親指(電流ベクトル)と人差し指(磁界ベクトル)の外積を取ると  中指(力ベクトル)が発生するという法則でしたね、確か。力ベクトルは  見かけのものではなく、実際に作用するものです。でないと、モーターは  回らない。(笑)   コリオリの力なんてのも、力の外積じゃなかったかしらん。(昔、ゴルゴ  13が遠距離狙撃をするとき、コリオリの力を考慮に入れて弾道を計算して  いたという話を読んで感動した覚えがあります(^^;ゞ)   外積のアナロジーが通用するならば、ARIONの言う「第3の道」と  いうのは、頭の中のことだけではなくて実質を伴ったものなんでしょうね。                          一応理系 アマデウス 03641/03646 PAG03134 はな RE:ううっ…書くんじゃなかった (14) 96/02/09 07:03 03634へのコメント コメント数:1 維/YUI さん >>世の中におきかえると、ある物事(A)と別の物事(B)があって、そこから >>(C)という前述の2つとは違う物事が導き出せる …ということ。  維/YUIさんのコメントから、アリオンの言う「Flat:BB Cross」を 思い出しました。  『私の側の説明は、つまり普段は平面に並んでいない要素が平面に並び、   それらの要素の二番目に重要なものが、十字形に並ぶということだ。   ナゾナゾの様だが、ちょっと分析して考えてごらん。   あなた方の生活の中で、普段は平面に並んでいない要素は何か?   そして、それらの二番目に重要なものは何か?   そしてそれらのものが十字形に並ぶと、どうなるか?』            (mes#013 91/04/03) >>たとえば、与党と野党。 導き出されるのは…妥協案?さらなる不況 >>だったりして。たとえば、住専の裏や表。さらに国民の反応なども加 >>わったりして。たとえば、現世と隔世(?)。そこからは次の世が導 >>き出されるのか。  与党と野党のFlat:BB Crossからは、「政治なんてたいしたことない」 「政治家なんて、誰もかれもうそっぱち」という結果が生じていますね。                      はな 03642/03646 GBG02043 維/YUI 平面?十字? (14) 96/02/10 14:10 03641へのコメント ほとんど忘れかけていた「Flat:BB Cross」!!! たとえば、社会党と自民党が手を組んだってのは、平面に並んだと 言うのかしら? 十字形に並ぶってのがよくわかんないんだけど。。。 一番目に大切なのは、権力? 二番目に大切なのは、党の方針?? 党の方針は、本来なら社会党と自民党はまるで違うはずだから、十字とか??? あ〜、ややこしー! わかんないもん!! >「政治なんてたいしたことない」 >「政治家なんて、誰もかれもうそっぱち」という結果 これ、これ! このフレーズなんて聞き飽きちゃうんだけど、 この結果はすごい落とし穴だよね。 たしかにそういう気がしてきちゃうけど、だからって政治に無関心になって、 「勝手にやれば」になってしまうのは、やはり責任放棄じゃないかと、 しばしば思う今日このごろ。 だって、勝手にやれば…って、勝手にやられてあとで「こんな政策酷い!」 なんつーったて、後の祭りやがな。まあ、騒いでも無駄に終わることが 多いからかもしれないけどね。 だいたいさ、良い政治家を見分けるのも難しいし、選挙で選ばれるまでは いい奴なのに、朱に交われば…って顔つきまで変わってしまう人っている もんね。 それでも、選んだのはやっぱり国民なんだと思う。 あんな人が って思うような人が選ばれてしまうことってあるけど、それだって誰かが その人に入れているからじゃん。 もう一つ言うと、政治家だけがうそっぱちだったり、たいしたことないん だったりするのでもないと思う。 最近のニュースなんか、なんでそんなことやってしまうわけ?って話が 多すぎるよ。 みんな好き勝手にやろうって方針になったのかな…って 思っちゃうようなのばっかり。  >あなた方の生活の中で、普段は平面に並んでいない要素は何か?  >そして、それらの二番目に重要なものは何か?  >そしてそれらのものが十字形に並ぶと、どうなるか? これ、探してみようかな…。 維/YUI 03643/03646 GBG02043 維/YUI 地盤沈下の特集記事 (14) 96/02/10 14:17 03580へのコメント コメント数:1 週間プレイボーイの2.20No.8に、東京の地盤沈下の写真が特集されて 載っていますね。 記事の中にARIONさんの名前がちらっと出ています。 かなり”きて”いるなぁ〜、という亀裂の数々。 是非、観て、読んでください。 > ALL 維/YUI 03645/03646 HQK00566 SOUND 炎で書いた物語」第四章、 (14) 96/02/11 16:19  「炎で書いた物語」第四章       (ROUTE 66)      「ルート・66」(その1)        昨年、アルコール飲料のCMに「ルート66」が 使用された。 そのCMはアメリカ中南部あたりのプール・バー(玉突酒場)が舞台でバックに 渋い声のブルース・シンガーの歌う「ルート66」が流れる。  それもなかなか味があるが、ぼくにとっては「ルート66」はなんといっても 大昔のテレビ・シリーズ「ルート66」の主題歌だ。  シカゴからロサンジェルスまでの高速66号線で起こる事件の数々。 あの頃はアメリカテレビ映画の最盛期で 「サーフ・サイド6」「サンセット77」など住所番地付き題名がはやった。  ナット・キング・コールでも有名だった「ルート66」を ジョージ・マハリスがテレビ・シリーズ「ルート66」の主題歌として ロックンロール仕立てで歌った。 何ともいえない疾走感があってアメリカの フリーウェイに憧れた。残念なことに今は分断されてしまったそうだが…。 66号線は歌の中だけで命を保っているらしい。   ローリング・ストーンズもシカゴ・ブルース風にカバーしていたが印象は薄い。 やはり、ぼくにはロックで66の666(ミロク)の方が意味深いような気がするから。        ******************************************  前章を読み返すと  「開けゴマ」の(OPEN SESAME)をSESAMI と打ち間違えていることに気がついた。もう一度セサミ・ストリートで勉強し直すべ きか。   とにかく、もう開くときが来ているらしい。  ぼくはこのところ、一日中、 ♪ もう開く、今開く、アラタタ・アラタ♪♪  と口ずさんでいる。   「今開く、アラタタ・アラタ」は前回説明したが、 「もう開く」はAUMの前にKをつけて神をカムと読む場合を考えたのだ。 KAUMを遡るとムーアクになる。 それでは言いにくいし、語呂が良くて意味もよくわかる「もう開く」にした。 でたらめな、メロディとリズムで口ずさんでいるがなかなか調子が良い。  なんとかここまで意味の通ずるフレイズにたどり着くまでに家族には迷惑をかけた。  >>94/11/04 逆卍と卍が重なる為、古(イニシエ)のツチ鳴る力を黄泉帰らせよ…桜花   の、「古(イニシエ)のツチ鳴る力を」を土鳴る(ドナル)力と読んで   怒鳴りちらしていたのだから。      いいおっさんが脂汗を流して   「むううーあーあーあーーく、   いーいーいーーむうーあーーく   ああーあーーらーーたた・あーーらーーたーっ」   とわけのわからない呪文のようなことばを吼えているのを横目で見て あなたはどう思うだろう。   正視できるだろうか。   こうして家族のアキラメと忍耐力に支えられて、なおも物語は進む。   逆卍と卍が重なって新たなる「田」の力が生まれるということは   田と力を重ねてできる「男」の時代の始まりを意味する。男の創造力の時代であ る。   これまでは、月(AUM、肉、物、卍、満ち欠け、破壊、女)の時代だった。 想像力、創造力を駆使して男の時代を拓かねば。 想像できることはいつか実現できるが想像できないことは近づくこともできない。 心を柔らかくして素直に進んでいきたいと思う。       ******************************     >> 94/05/31 940602…門戸開け、940610…結界開き、940611…行く開け…。   開くと言ってもなにが開くのだろうか。 「開」の字を調べてみる。  門の中に鳥居がある。普通、神社の鳥居のマークには円のようなチョンが入ってい る。 開くと鳥居の中のチョンがいなくなるのだ。  鳥=十理=チョンと考えて、籠の中に潜んでいらした鳥が出ていってしまう。 それが開くことの意味のようだ。  >>94/01/28 封じられた門が開き、祖土(オヤツチ)は子供達に印を与える‥起きよ  >>94/05/24 闇を封じることは光を封じることに繋がる、闇は悪では無いのだ。  >>94/05/25 闇に光が無いのではなく、闇には「光でないもの」があるのだ。  >>95/08/21 暗闇で名を呼ばわる声がする、小さな声だが聞き取れる‥見よと      これら一連のハロー・メッセージの言わんとするところを考える。   封じられた門を開こう。闇の門を無理矢理開いてしまう。   そこには音がひっそりとおられた。          「光でないもの」とはもちろん音である。         >> The light shines in the darknes ,光はやみの中に輝いている     (日本聖書協会新約聖書ヨハネによる福音書第一章五節)          闇の中に輝いている光=音とはなんだろう。  音とは立つ日。 われわれが闇と呼ぶ隔り世で輝く封じられてきた文字、口に縦棒のヒ。闇の太陽。  音→言→光、となり、この世の光の元である。  音はノンとお呼びする。NONと書けばあの世でもこの世でも  逆読みしてもノンであることがわかる。宗教によって正(聖)観音とも呼ばれる。     闇から門が開いて音(ノン)がお出ましになればこの世の横棒の日と縦棒のヒが重な る。   真太陽「田」が顕現する。  「暗闇」の「暗」、にも日の陰に音が潜んでいらっしゃることにお気づきだろうか。 そして、われわれの存在そのものである「意識」をよくご覧いただきたい。 意にも識にも、ちゃんとおられる。 それはわれわれの精神を司る口に縦棒の陽であるから。 魂魄の魂の方といってもいい。 >>94/01/28 封じられた門が開き、祖土(オヤツチ)は子供達に印を与える‥起きよ  封じられた門はこれで開いただろうか。  もう、そろそろ起きなくては…。     (つづく)           ♪♪音(SOUND) ♪♪ - FARION MES(15):マホロバ誕生 ★ 大和魂復活のために 96/02/12 - 00516/00519 KHC01313 まるにちょん カミ・コメ・ツチ・ヒト☆輝き (15) 96/02/09 00:00  ARIONとみれさんの著作「カミ・コメ・ツチ・ヒト」から僕の好きな 箇所を紹介したいと思います。この本はとても好きなので、どの箇所も良い と思っているのですがね。(^_^)  <輝き>      輝く為には、光を反射するものがなくてはならない。   あなたがた輝きたくば、反射しなさい。   真実の光を受けて、反射しなさい。   真実に反射するとは、真実に反応して行動するということ。   あなたがた、輝きなさい!  最初に読んだとき、輝くとはどういうことだろうかといぶかったのだけど、 僕なりの感じでは、自己表現としての行動ではないかと思います。  では、輝く為には、反射しなくてはならないのですが、今度は反射するとは なんだと言うことになります。  光を反射するためには、鏡が必要ですが、僕は人間が真実の光を反射させる ものは、心か魂ではないかと思います。  心に真実の光を入れて、自分の心を照らして、それを反射するんですね。  この場合、心と言う鏡がゆがんでいたり、曇っていたりすると光を十分に反 射させることはできないんだと思います。  では、光を反射させる為には、まず、自分の心をごしごし磨いて行かなけれ ばならないことになる。それも毎日毎日ですね。  これは結構しんどいことで、書いている自分自身が十分にできていないこと なのですが、これをやっていかないといけないんですね。  僕の思うところでは、鏡を磨くとは、毎日の生活をきちんとこなしていくこ と、命を燃やすことなんです。  (うーむ、書いていて反省しなきゃって思ってきたぞ(^^;)  こうして、鏡が磨き上がって始めて、真実の光を十分に反射させることがで きるのでしょう。  次に真実に反射することは、頭だけの理解だけではだめで、ちゃんと行動が 伴わないと意味がないと思います。  真実に即して行動する、(その中には、真実を求めることも入るのかな?) 見栄や虚言を廃して、本当の自分で考え行動することなのだと思います。  真実に反応するためには、真実とは何かを知らなければ、あさっての方向に 進みかねないから、何が真実かを見極める必要がありますね。  これも、日々命のままに一生懸命生きていくことで学んでいくんだと思いま す。それには何よりも正直であることが必要ですね。  僕は都合が悪いとその場を切り抜けるのに嘘をついたりしていましたが、そ うすると自信なものと誇りがどんどん枯れていってしまうんです。  これではいけないので、ちょっとづつ改善させていっています。  自ら輝くとは、真実を知って(常に求め続けて)、それに即して行動するこ とだと思います。  その光が他の人にも届けば、光はどんどん広がっていくんじゃないかと思い ます。  真実の光を反射できるように、毎日命を燃やして生きていきたいですね、皆さん!  では、また。                   まるにちょん、○ゝ 00517/00519 VEG02736 たあぼう RE:日月神示 悪抱きまいらせよ (15) 96/02/10 05:17 00515へのコメント コメント数:1 まるにちょん さん、こんにちは。 久しぶりに、発言します。 >  「 今日までの御教は、悪を殺せば善ばかり、輝く御代が来ると云ふ、こ >   れが悪魔の御教ぞ、この教の人民は、すっかりだまされ悪殺す、ことが > 正しきことなりと、信じしことのおろかさよ、…(中略)…悪殺すてふ > 其のことが、悪そのものと知らざるや、…(中略)…悪抱きませ善も抱 > き、あななふ所に御力の輝く時ぞ来るなり…」  (海之巻 第五帖) このへんが、 日月神示の凄いところだと思います。 世間一般には、勧善懲悪が当たり前とされ、 テレビや、ドラマ、映画などでは、悪が滅びて、正義は必ず勝つのが、一般的で、 悪を改心させるというのは、ほとんどないですね。 正直言って、私もこういう考えに慣らされていて、 悪が滅びるのを、拍手喝采で見ていました。 上記の日月神示の言葉は、 戦争を起こす人達の論理によく当てはまると思います。 自分たちは、正義である、ならば悪は、葬り去らなければならない。 なぜなら、我々は善をなそうとしているのだから。                                上記の日月神示からすると、 戦争というものの、本質は、「毒を以て毒を制す」なのかも知れないですね。 96/02/06(火) 22:41 たあぼう(VEG02736) 00519/00519 KHC01313 まるにちょん RE:日月神示 悪抱きまいらせよ (15) 96/02/12 02:56 00517へのコメント  #517 たあぼうさん こんにちは(^_^)  立春を過ぎても、まだまだ寒いですね。 >> 世間一般には、勧善懲悪が当たり前とされ、 >> テレビや、ドラマ、映画などでは、悪が滅びて、正義は必ず勝つのが、一般的で、 >> 悪を改心させるというのは、ほとんどないですね。  ええ、そうですね。  悪を滅ぼすことばかりでは、根本的に悪がなくなることは無いでしょうね。  悪は、悪なりの効用と言うものがあると僕は考えています。  少し、たあぼうさんの言っていることとずれるかもしれませんが、まず、個 人の問題として悪を考えてみたいと思います。  例えば、自分の中に悪の部分があるとしますね。これは怠け癖とか我良しと かでもいいです。  これをとにかくダメなものとして、その原因を探らず否定してしまうことは 何の解決にもならないと思います。  臭いものには蓋をしてしまう式では、悪を善に転換することは絶対にできな いんです。  僕には、この傾向が強くって、どうも悪を悪と決めつけてしまいがちで、反 省しなきゃいけないなと思うことが多いです。(^^;  自分の中の悪を善に転換させるには、その悪そのものを良く知ることだと思 います。  なぜ、怠けるのか、怠けたいのか、なぜ自分さえ良ければいいのか、を考え ていくかないと、改善の方法も見つからないと思うからです。  悪が嫌いなというか見たくない傾向の僕の経験をお話ししますと、  僕は拗ねる癖があって、これを悪としてきて、拗ねないようにしなきゃと必 死に思い込んでいたんですが、こうしているとなぜ拗ねるのかがいっこうにわ からずにいるんです。むしろ拗ねる自分が嫌で、拗ねることの原因を見たくな いと思っていたんですね。  じゃ、徹底的に拗ねてみて、ある時点でもやもやした気持ちに対して、なぜ 拗ねるのかを尋ねてみたんですが、そうするとに本当の自分の気持ちというか、 なにがしたいのかが見えて来るんです。  これを掴むと、ではどうしたら、拗ねを良い方向にもって行けるかが分かっ て来ます。拗ねる場合は、自己表現がうまくいかない幼稚な行動なので、良い 方向で自己表現できるようにもっていくんです。  この時、悪の持つ暗くて重いエネルギーは転換して、良い方向へ進んでいく バネになって行くように思います。 >> 戦争を起こす人達の論理によく当てはまると思います。 >> 自分たちは、正義である、ならば悪は、葬り去らなければならない。 >> なぜなら、我々は善をなそうとしているのだから。  人間は自分達の悪を見ず、他に悪を見る傾向が強いんでしょうね。  その方が、楽なんでしょう。自分たちが善であると定義すれば、他は憎むべき 悪で、滅ぼしても心は痛まないということになるんでしょうね。  しかし、ここでも本当に悪を知悉していれば、何をそうすればいいのかが見え てくるはずだと思います。悪を知らずに、善をすることはできないと思います。 >> 戦争というものの、本質は、「毒を以て毒を制す」なのかも知れないですね。 ええ、でも、毒が毒を呼ぶ相乗効果だけは避けたいですね。 僕は戦争も学びになりうると思います。 戦争と言う毒の華も、人間にとって生きることの価値を教えてくれると思うか らです。 - FARION MES(16):心霊学研究所 ★ シルバーバーチと共に 96/02/12 - 338/338 GBB03425 Paper Birch 有名治療家達の場合(金銭授受) (16) 96/02/11 00:36 281へのコメント 続きです。  M・H・テスターの著書「私は霊力の証を見た」には、氏が治療家を始める ときにどうしたのか書いてあります。テスターさんは、患者からお金を取らな いようです。治療日は毎週月曜日の午後2時から6時まで、一週間に一日だけ です。確かに、患者からお金を取らずに、普通に仕事をしながら治療家をする には、一週間に二日以上は無理でしょうね。  しかもテスター氏の場合、自分の所に来る患者のタクシー料金を肩代わりす る事にして、患者からお金を取らないようにタクシー会社に掛け合う念の入れ ようです。これが出来たのは、テスターさんが本業のほうで経済的には余裕が あったからかもしれません。  でも、お礼をしたいという人もいるはず。そういう場合はどうしているのか? ちょっと引用してみます。   入口のところに献金箱が置いてある。私は治療代を取らない。どうして   も礼をしたい人はその箱へ思っただけのものを入れていただく、それを   集めて恵まれない人々のための寄付金にする。治癒能力は神から預かっ   たものだ。それは必要な人には無料で与えられるべきだというのが私の   信念なのである。      (潮文社刊『私は霊力の証を見た』M・H・テスター著P.59より)  うーん。みれさんが仰るのと同じ事が書いてありますね。ついでにもう一つ、 67ページから引用です。    新しく来た患者に私は必ず次のように言うことにしている。「私は医   学的資格は何一つ持ち合わせません。私が治療を施すのは私に病気を治   す能力があることがわかり、それを人に施すべきだと考えるからです。   どなたにでも施してあげるし、お金も、いかなる形での礼も戴きません。   従って今日の治療も一つの試みと考えて下さい。それで治れば私もうれ   しいし、たとえ治らなくても、あなたにとって何の損もないはずですか   ら。」  この本の中にはもう一人、有名な心霊治療家のテッド・フリッカー氏の診療 所の様子も描かれています。料金に関する描写はありませんが、その質素な様 子を見る限り、少なくとも高額の料金を取っていないことは分かります。  もう一冊、三浦清宏という方の『イギリスの霧の中へ----心霊体験紀行』と いう本にも心霊治療の様子が書かれています。こちらは、どこかの会場で治療 が行われた時のことのようです。数人の治療家が並んで治療をしていると書か れています。  こちらも、特に料金というものは無く、終わったあとに「志(ドネイション)」だ け小皿に入れていくだけのようです。お皿の中に入っているのは、数十円から せいぜい500円位で、それは治療家ではなく組織の方に入るのだそうです。 みんなボランティアみたいな感じなのかも知れませんね。  ただ、著者の方の感想として「治療してもらう者にとってはいいにしろ、年 輩の、質素な身なりをしたヒーラーなどを見ると、何となく気の毒な気がする」 と、書かれています。  ううむ、こうして見てみると「お金をもらって良い」という考え方は、旗色 が悪いですねf^_^;ポリポリ しかし僕は、それでも「料金が絡むべきではない」 と言い切るほど確信が持てないんですよね。  シルバーバーチは、よく「奉仕(サービス)」ということを言います。心霊治療 というのは奉仕であるというイメージがあって、だから無料でないといけない という理屈があると思います。しかし、近藤千雄さんによれば、サービスとい うのは決して無料奉仕だけではなく、お金をもらっていてもサービスで有り得 る場合もあると言います。  要は、治癒能力が神から預かったもので、神聖なものであるとしても、それ がお金を受け取ることで汚されるかどうかは、治療家の「心」次第ではないか ……とも、思ったりするわけです。  それに、霊界からあずかったものでお金を稼いではいけないとなると、日本 画家として稼いで暮らせるようになることを目指す、僕の立場が危うくなりま す(^^;。僕のような、時々しか展覧会に入選できないレベルの絵描きでさえ、 インスピレーションは感じていますから。そういうのと、ヒーラーへの霊界か らの治癒エネルギーとを、どう分けて考えれば良いのだろうかと悩んでしまう んですよね。  もちろんテスターの「必要な人には無料で与えられるべき」という言葉はそ の通りです。でも、よほど貧しい人以外からなら、治療家も(生活保護を受け なくても暮らせる)最低限の生活を営める程度の料金を戴いても良い(場合も あるかもしれない)と思います。 |治療家の金銭授受について、 |多少なりとも皆様にご意見を伺っておければ |その方の参考にもなるとも思います。  ということで、僕は少し甘めの意見かも知れませんが、それでもやはり、ど ちらかというと心霊治療で生活していくというのは望ましくないような気はし ています。  ですから、鍼灸とかカイロプラクチックとかの資格を取って(そんなに簡単 に取れるものかどうか知りませんが)、それと併用していく事が出来れば良い のではないかと思います。それならば、悩む必要もなく料金をいただけますし。 少なくとも、漢方などの東洋の医療の知識を持つことは、霊的治療にも良い影 響があるはずですし、無駄なことではないと信じます。  それから、「無料です」と言うよりも、初診の料金は決まっていた方が患者 さんは安心に治療を受けられるかもしれません。これは、インチキが多い日本 ならではですね。お志(ココロザシ)でも良いかも知れませんが、これも見栄っ張り が多い日本では、却って金銭的に問題が出てくる可能性もありますね。 |実際の治療風景などは、もし皆様のご参考になるのなら、 |ニフテイとこのフォーラムの規約にのっとり、 |個人名、具体的名称などは一切記載せず、 |可能な範囲で、ご紹介して参りたいと思います。  はい。ぜひ御紹介いただきたいと思います。商業的な宣伝行為にさえならな ければ、何も問題ないと思いますし(^^)。 では、また。 △▼△ Paper Birch △▼△ - FARION MES(18):武道とは?  ★ 自分に勝つ! 96/02/12 - 02876/02877 GCG01101 アマデウス RE:宮本武蔵 五輪之書(2) (18) 96/02/09 00:28 02875へのコメント  #2875 あもりさん >> 該当部分の「負けたことはないけれど悟ったのは五十才だった」というのが、 >> なまなましいですね。   あれだけ自己の甘えを排した人生を歩んだ武蔵にして、なお悟ったのが  晩年とは、遥かな道のりを感じずには居られませんね。そればかりか、  「悟ったのは五十歳だった」と書きはしても、実際にはなおも満足せず求道  を続けていたようですね。   例の正月12時間ドラマ「それからの武蔵」を見ると、死の間際でさえ、  なおも達磨大師の幻影と戦う武蔵が描かれていました。だいぶ脚色が入って  いるのだろうと思っていましたが、死の床で昏睡状態にあった武蔵が、突然  起きあがったと思うと掛け軸の達磨の絵に刀を投げたことや、埋葬の時に  稲光が炸裂したことなどは史実だったという話を聞き、その壮絶な人生と  わが身を引き比べて、彼我の差に愕然となりました。(^^;ゞ   我々はこうして武蔵の凄さに感嘆しますが、彼自身は意外とちっとも凄い  と思っていなかったのではないか、と思いました。ただ自分の魂の求めるまま  に、一番いいと思うことをやっていたらそうなっていた、と。 もちろん、  寂しさや虚しさなど、克服しようともがいたのでしょうけど、究極的には  やはり自分が望んだからそういう人生を選択したのでしょう。   はたして自分に、武蔵と同程度とは言わないまでも、求めるものがあるだ  ろうか?(-_-)ウーム                               アマデウス 02877/02877 BYK00511 導 合気道草歌 (18) 96/02/10 23:41 あもりさん、アマデウスさん今晩は。 先日の件、感情についてですが、私の言葉足らずでしょうが、私の 主旨は感情は感覚器官の延長であるという事でした。 人間には様々な感情がありますが、これをコントロールしようという 事に無理があり、過ちがあります。コントロールではなく処理です。 恐らく、アマデウスさんが問題にしている事はこの処理の主体者である自己の 能力の範囲ではないでしょうか。 即ち、器というものでしょうか。 器とは何かをはっきりさせれば、心の実体が見えてくるものでしょう。 私はこの器を価値観と捉えます。 何を人生の基軸としているかで、心の許容範囲は決まります。 怒りを怒りのままにと私が申した意味は、怒ろうが、悲しもうが、喜ぼうが すべて人生の色に過ぎず、色を愛でる心の余裕を述べたかったのであります。 そして、意識は集中するほど広がるとは、まさしく人生の基軸が不動であること を意味します。 では、この不動の基軸は何か即ち信と今は述べておきます。 またの機会に。 - FARION MES(19):世も末ばなし ★ ぶっ飛び話・罰当たり話 96/02/12 - 810/815 QZY01267 猫の手 布教すること (19) 96/02/08 21:26 「宗教」  それは心の支え、  信じる神がいて、救われる。    元々あるのは  誰もが必要な  生きるための教え  生きるための支え    そしてそれを深く理解できなくなってしまったとき 「私が正しい」 「いや、私の方が正しい。」  そんな言い争いが起こり始めた。  その教えを自分のものにできなかった人々が居た。  そこからその元々の教えに様々な解釈が加えられ  そして新たなる宗派ができた。    仏教にも、  キリスト教にも  様々な宗派ができた。  そしてその同じ教えだったものに対して 「私が正しい。」 「私の方が正しい。」  そんな争いをし始めてしまう。    正しい教えを広めるために  布教活動が行われ、  その正しい教えに従わないと  不幸になると脅して勧誘をする。 「唯一幸せになるには私の勧める宗教を信じることだ。」  そううそぶいて、  相容れないものは  叩き壊しても  自分が信じる宗教の正しさ主張する。      私も私が思い至ったこの思い、  布教すること必要と思った。  そしてそのこと口にしたあと、  別なことを考え始めた。    私が布教することに怖れがあるなら  私は布教することも必要かもしれないけれど、  それとは違う次元で  私の頭が回転し始めた。    もし仮に、  総ての人が私の思想に染まって  総ての人が、  同じ考え、  同じ行動し始めたなら  私は何と思うだろうか?    きっとそのとき私は  不幸になっていないかな?  そんな想いが頭をよぎる。  様々な考えあって、  様々な想いがあって  それぞれ違った生き方をして  いろんな人がいて  それでこの世界は素晴らしい。    何も正しい道など在るとは思えない。  絶対なければならないことも  あってはならないことも  あるとは思えない。  どこの誰もがこんな私と同じに染まって  どこの誰もが同じになっちゃったなら  きっとこの世界、詰まらない。    この世界はいろいろあって面白い。  そう、  この世界はこのままで素晴らしい。  とするならば、  私が布教活動しなければならない理由など、  微塵にもありゃしない。    そう、  全くそんな必要性ありゃしない。    でもね、  私が私を生きようと思ったときに、  誰かに影響与えることが  私の悦びとなる。  だから私は  目の前の誰かに変化を与えることが目標になる。  それは、  良いとか悪いとか云うことじゃないの。  ただ私はこの世界に対して  なんかどうかの変化を生み出すこと  できればそれで満足なの。    自分が生きていた証に  何か形に残るものを残すことが目標になる人もいる。  でも私は形じゃないもの、  私の名前すら残る必要ないけど  私の目の前に現れる  ひとりでも多くの人が幸せ感じられるように  していきたいの。    誰がどうあってもかまわない。  でもね、  私はそういう生き方するのが  私みたいな気がしているの。  もしかしたら、  もっと別な生き方あるかもしれないけれど  それが良いって私が思ったら、  きっと今度はその生き方選ぶでしょう。  でも今は、  こういう風に生きていくのが  私の生き方みたい。        ** QZY01267/『猫の手』 <96/02/08 19:56:21> ** 811/815 MHA01114 シュメ−ル 「テオドール…」及びチャネルバイアス (19) 96/02/09 02:50  『テオドールから地球へ』(ジーナ・レイク著 たま出版 1500円)を読ん だ。 内容はおもしろい。しかし、テオドール自身への言及が少なく、位置付 けにちょい苦労する情報だ。高次元といわれても、認識ベースをどこにおいて いるのかを明示してもらわないと、チャネル情報源自体へのバイアス設定がオ ートドライブできずに、苦労する。ま、自分で考えろ、ということなのか、ジ ーナさんの別著書において触れられてるのか、良く分からない。  ただ、『プリズム オブ リラ』(リサ・ロイヤルほか著 星雲社)と近い 内容になっていて、チャネラーサイドでの影響関係不明のもとでの推測なんで 危険ですが、共に、リラについて語る数少ないチャネル情報源である。これは 逆に、チャネル源を特定している本はシリウスはシリウスのプレアデスはプレ アデスのオリオンはオリオンなりの個性がある事と対比して興味深い。そして、 認識ベースを明示したチャネルにはなぜかリラは出てこない。リラが出てくる チャネル情報は銀河系スタンダードとでもいえる偏りの少ない、穏健な内容に なる。しかし、リラ自体への反省のない内容になってしまっているし、シフト 情報もどっかきれいごとに終わってしまっている。  これと対照をなすのが、プレアデス系の情報。『プレアデス+かく語りき』 『プレアデス+地球をひらく鍵』(バーバラ・マーシニアック著 太陽出版) はもろプレアデスのバイアスを全面にだしていて、壮観だ。そしてこのプレア デス本にはリラが出てこない。もしかしてまったく、きれいさっぱり出てきて ないかもしれない。そのかわりにでてくるのが『リジー』というプレアデスが 批判している宇宙勢力。このリジーって何者なのか、いろいろ考えていたんで すが、『テオドールから…』とうリラ関係情報を読んで、結局、プレアデスか ら見れば、リラもレテクルもグレイもまとめてリジーという爬虫類系の銀河系 主流派(30万年間の主流派)に分類しているんじゃないかと思えるようにな ってきた。そう考えると、プレアデスの2冊が読めてくる。30万年まえに地 球が乗っ取られたという過激なプレアデスのプロパガンダも地球を泣く泣く放 棄してプレアデスへと旅だった、リラ出身の地球人からすれば、もっともなわ けで、彼等をリラと呼びたくないのも、もともと自分たちもリラだからでしょ う。リラ星系でのアペック事件とプレアデスの先祖がリラを離れた時点の前後 関係を確認しなければならないが、遥か昔にリラをとびだしたプレアデスにと ってみれば、その後そちこちに分散し発展した異星人はシリウスまでもふくめ てみんな同じ穴のむじなに見えてしまうって傾向は理解できる。リラとレテク ルとグレイはどこがちがうんじゃいといいたくなってくるのも分かる。しかも 彼等がリラならプレアデスもリラなわけで、彼等をリラとは口が裂けても呼べ ない。で、プレアデスはもともと地球人を同胞と思っているから、シフトにつ いての地球への情報リークも積極的で、それこそリジーサイドが地球人に隠し ている内容も積極的に暴露してくれてしまう。たとえば、 「原初の計画立案者たちが対象にしているのは、地球だけではありません。彼 らは、宇宙全体のDNAをシフトさせようとしています。−中略−彼らの計画 はもっと大きなものです。宇宙全体の周波数を変えようとしているのです。こ れを実現するために、鍵となる重要な地帯に侵入して、内部爆発を同時に引き 起こそうとしています。宇宙の中心的な場所において、大きな覚醒が生じ、そ の結果、宇宙全体の振動数が来るべきときに変わることでしょう。」 (前掲『プレアデス+かく語りき』P79) などという表現は『テオドールから…』には望めないリアルさがある。そして 同じ様に、『テオドールから…』のポジテブで明るい雰囲気、イシヤをばっさ り抜きにしてしまう路線は、結局、彼ら『リジー』主流派にとってはイシヤも 手の中の駒に過ぎず、その影響力は彼らの支配権に属していることを語ってい ると推測できる。  あと、感じるのは、情報操作というのではなく、『プリズム…』や『テオド ール…』の情報源は過去からのものであって、最新データというか創造主たち の創造的活動についていっていないのかもしれない。リラについて教育的に語 るとなれば、どうしてもすでに確定した歴史としてのリラを語らざるを得ない。 情報源自体が高次元からであってもそれが地球のチャネラーに流入するチャン ネルが時間の制約をかぶってしまう。  さて、推測の域を出ない解釈私論ですが、ひとつの情報のみに固執したり分 裂した宇宙象を放置してしまうよりは、自分にあたえられた情報をあたえられ た能力と直感によって再編成し、現代の地球の指針として採用することが地球 人としての我々の努めでしょう。それが新しい時代のチャネルだと思う。 812/815 QZY01267 猫の手 事実とか真実とか (19) 96/02/11 04:36  誰もが信じたいこと信じてる。  誰も彼もが  信じたいこと信じてる。  自分の信じていることは事実で真実で、  自分の信じていないことは虚実で嘘!    昔は地球は平らで  人々は亀の甲羅の上で生活してる。  そう信じられてた時がある。  ところが今は地球は丸ーるく、  その丸ーい地球の上で人々は生活してる。  そう信じられている。    でも今も、  それを信じようとしない人々もいる。  その人々は  政府がそういうデマを操作してると信じてる。  ジェット機が地球を一周するのも  人工衛星が地球を一周するのも  アポロが月に降り立ったのも  みんな政府のでっち上げた虚実だという人々が  今もいるという。    実際私も自分の足で地球を一周したわけではないから  それが本当か嘘かは確かめることできやしない。  海岸で船のマストが現れてくるのを見たって  磁石を持って地球を一周したって、  それは状況証拠であるけれど、  それを絶対的な証拠と云うのは難しい。    UFOを信じるか信じないか  お化けがいること信じるか信じないか  輪廻転生を信じるか信じないか  全く同じこと。  いくら状況証拠を突きつけられようと  信じたくないものは信じやしない。    もしかしたら私は  毎日あちこち動き回り  世界中あちこち旅をしているつもりになってても  パソコンのディスプレーの前に  ずーっと座り続けているだけのことなのかもしれないのだから。    ふと空を見上げる。  雲の高さは数千メートル。  一番高い山も八千メートル。  毎日私が移動している距離は150km。  アレッ?  じゃあ私の毎日の上下の移動量は?  せいぜい数百メートル。  1kmにも満たないじゃない。  私は自分が立体空間の中で生きていると思っていたけれど  私の動きはほとんど平面的だ!  私の移動した軌跡は線で表され、  それは宇宙空間から見れば  点に等しいものでしかない。    自分の見ていることの総てが事実とは限らない。  同じものを見てたって  私の見ているそれと  誰かの見ているそれが違うこと  よくあることだから。    事実はどうであれ、  真実はどうであれ、  大切なのは  それをどう用いるか。    ニュートンの万有引力の法則も  相対性理論、量子力学の世界では無視される。  にもかかわらず  それにより生み出されたものの恩恵を  私は受けている。    そう、だから私は  平らな大地の上で生活をして  人工衛星から送られてくる電波の恩恵を受け  宇宙人が伝えてくると云う話に耳を傾け  あれやこれや迷いつつ悩みつつ  私は私を生きる。    誰かが人類のDNAを操作したかもしれないけれど。  私はそうされた世界を楽しんでいる。  水槽の中の金魚たちが  その水槽の世界を楽しんでるように。  もしかしたら人類のDNAを操作した者達も  水槽の金魚かもしれないのだから。         ** QZY01267/『猫の手』 <96/02/11 04:24:47> ** 813/815 QZY01310 苗(miao) あいまいな境界が生んだ悲劇 (19) 96/02/11 10:53  現在の日本社会の原動力は税金と言っても過言では無い。国税、地方税、諸々存在  するが、その中でも地方税はその場所に住む者を管轄する地方自治体にとっては重  要な財源となっている。その土地に住む人が払う住民税、遊興税、或いは固定資産  税等がそれに当たる。この財源をめぐる一つの問題が最近問沙汰されるようになっ  た。それが県と県、或いは町と町の境界線から生じた財源、つまり自治体の収入問  題だ。  日本一を誇る富士山でさえこの問題に自治体は頭を抱えている。つまり境目の曖昧  な場所で生じた税金を誰が搾取するか、という問題である。当然自治体は多少で在 れ大切な財源をみすみす他者に譲る気など毛頭無いのは明白で、互い所有権をめぐっ  て一歩も譲らず答を見ないまま永遠に論争は続く。すでに富士も山梨と静岡が20  0年来争って決着を見ない。この様な例は全国枚挙にいとまなく境界はここである  という古文書の諸々を持ち出し、互い自己の都合の良い境界線に線引きをしてはば  からない。おやまのてっぺんで商売をした事業税は一体誰のものなのか?。  何故この様な事態に陥ったのか。それはかつて日本の幾つもの場所で地区共同体が  存在し、運営は地区共同体が自治権を持って行っていたからだ。部落というこの共  同体の存在はその意味で大変貴重で重要だったのだ。それは一つの精神性に依って  管理され(いわゆる神の住む山、或いは道の交差点にあるさえの神の存在)、多く  の人々が自らの労役を部落共同体に依存し共に暮らした。そこに別な社会という規  範に則ったルールが介入した時問題は起こった。  そのマニュアルに則った時、部落共同体に依って運営されていた場所へ嫌応無く境  界を引き分割する自治体。そして部落共同体の自治制は金が絡んだ時崩壊する。複  数の地方自治体で構成される境界線上に依存しあう部落共同体の人々は、地方自治  体に対して精神的なものを拠り所にする使役を放棄せざるをえない。何故ならば、  精神性を共通項に支え合ったものはマネーという利害関係の現実に両立出来難い社  会になったからだ。  全てはマネーに始まりマネーに終わる。金に追従し金の動きに人間が合わせている。  精神文化と金を相入れない水と油にしたのは一体誰か。ここに社会の病む原因が存  在する。  境界線は境界線を作る地方自治体同士の問題であって、その場所で生き暮らす人々  のものではない。その場所で暮らす人々の自治権を復活し、本来の生活権を取り戻  す事が本当の地方分権なのに、それも解らない政治家が今日も住専の波に乗り遅れ  まいと必至に自らの命を繋ぐ。プラザ合意で始まったバブルの崩壊や地価下落が悲  惨な現実を引き起こし、民衆の血税を巻き込んで泥試合へと流れるばかり。税金は  政治家の為のものでは無く血液の様に全体に旨く流れる為のものなのに。  マネーであれ、水であれ、血液であれ、滞る事無く流れる所に意味はあるのに、分  断し遮り、そして滞らす事が、まるで自分の分身を増やしたかの様に錯覚し喜々と  する。帝都分散移転などと声高に叫ぶより本当の地方分権とは何か親身になって考  えて貰たいものだ。マネーの奴隷になった者達にはそれが見えない。  流れない社会に未来は見えない。日本は重度の脳梗塞を起こしている。 *~゚ miao qigong * wushu taiji quan shixiong ゚~* 814/815 SDI00635 みれ RE:アダムとイブが、○○○を隠した訳 (19) 96/02/11 16:11 809へのコメント  #809 猫の手 さん  おひさしぶりぃ〜(^_^)  ちょっと思い付きモードで書いていい? | 人は、化粧したり、装ったりすることで | 性を刺激しているような気がするネ。 |  | 恥じらってくれてみたり、 | 素敵に飾ってくれてみたりしてくれなくちゃ | 魅力は半減しちゃうものネ。  これをね、ちょいと考えていたんだけど。  例えば素敵な女性が居て、奇麗に着飾っていて魅力的だとして、  この人の何が素敵なんだろう?と考えてみるに、  なんか私の思うのは、こうして素敵に着飾ろうというこの女性の気持ちとか、  そうやって精一杯奇麗であろうとする心の持ちようとかが素敵なんだな、  と思うわけです。  人が魅力的であるのは、きっと魅力的であろうと努力するからで、  その努力する心が装飾品なんかを輝かせるからなんだろうなと。  何の努力も無しに、ただお金に任せて飾るだけ飾っても魅力的じゃない人が  いるということから考えても、やっぱり、心なんだよねと思います。  人間って、面白いね。  興味尽きないよね(^-^;)  心が虹色であるとき、その人も虹色に輝いているんだろうなとか思うと、  ああ、心がいつも虹色であればいいな…と。 ・:*:・みれ・:・。,★ 815/815 VEG02736 たあぼう 神々の神話/たあぼう (FMISTYより転載) (19) 96/02/12 05:04 こんにちは たあぼう教 教祖 たあぼう です 以 下 FMISTY 18番会議室から、転載します。      * * * 始めに神の頭の中に、無があった。 神は、宇宙を、思い、宇宙が生まれ。 神は、宇宙に触れたく思い、 自分の分身を、宇宙に思った。 時は流れ、 神は、あるいは、その分身か、私には分からないが、 宇宙の中の、物質世界に触れたくなり、 さらに 分身を派遣した。 こうして、分身は、物質世界を存分に味わうことができた。 神は、分身を通じて、物質世界に触れることができるようになった。 そのうちに、もっと長く物質世界にとどまり、より多く物質世界を、 味わいたいと思う、分身が、現れた。 その分身は、その願いを叶えられる、 惑星を探し、その惑星上の一番適していると思われる生物を、 分身が棲みやすいように、再創造した。 そして、惑星上で分裂を繰り返し、その数を増していった。 いつしか、物質世界とその上の世界の中間に、 肉体を失った分身が、また物質世界に帰るための休憩所のようなものが生まれた。 そこで休んでいる分身は、その分身の状態により、 物質世界にまた降りたり、上の世界に帰ったりしていた。 一方、 地上では、 分身に寄生された、生物に、いろいろ問題が起きていた、 未だ、完全には、直立歩行が、可能ではないのに、 二本足で立ってしまったため、肉体には、常に病気がつきまとうことになったし、 いくら地上で肉体を持って、実感を持って生きているとは言え、 他の生物に寄生している事実には変わりなく、神の分身としての本質と、 生物に本来宿っている神の未だ低レベルの分身との間には、衝突が避けられなかった。 そして、それらの肉体的不快感は、本来の神の分身としての本質を、曇らせ、 地上に、悪を出現させることとなった。 上の世界からは、 いくらかの期間をおいて、 元の世界に戻るようにと、勧告と、その方法が知らされたが、 その結果は芳しくはなかった。 つまりは、上の世界には、 地上生物に寄生した、神の分身を通じて、地上を支配しようとする、 神の分身も いたのだ。 その、神の分身は、 地上を支配するために、 地上の神の分身を、常に援助しているし、 この上の世界に、戻ってこないように、いろんな手段を講じている。 96/02/11(日) 19:35 たあぼう(VEG02736)