そこにもう二人焚き火の民が話しながら、柴を抱えて戻ってきた。 - FARION MES( 3):Media Talk ◆ 本/映画/音楽を語る 96/02/15 - 01197/01198 QZY10121 ぷんすか RE:微分的vsインプロヴィゼーション ( 3) 96/02/15 02:02 01185へのコメント コメント数:1 KAZEさん、おひさしぶりです。 返事遅くなっちゃいました・・すみません。 KAZEさんの言われることはわかりましたので。 変な質問してごめんなさい。 ところで、今度中国のラン・ラン君が東京と大阪で ガラ・コンサートみたいなことをするそうです。 観に行けないとおもいますが、前のKAZEさんの書き込みを 覚えていたので、「ああ、この子かぁ!」と思いました。 こんなちっこい子がショパンのピアノ協奏曲を弾くなんて すごいなあ・・とおもいました。もちろん、ナマで聴くのが いちばんですが^^ ああ、それにしてもいつまでたってもイマイチな 私の文章・・最近、私の説明不足で人をいらいらさせることが あって、それで喧嘩になりました。 KAZEさんの文はほんとうにわかりやすいですよ。 以前謙遜なさってましたが、たとえば今回の「微分的」 ということばに関する質問にも丁寧にわかりやすくかきこまれていました。 これでは別の会議室行きになりますね。すいません。どの会議室かなぁ・・7? わたしの最近のお気に入りはショパンのピアノ曲「バラード」第1番、です。 導入の序奏からしてひとをひきつけずにはいられない印象的なメロディー。 そしてモデラートで始まるト短調の旋律。 (そういえば大島弓子の「夏の終わりのト短調」というのがありましたよね。ぶんす かが初めて読んだころはまだわたしが中学生だったゆえにでしょうか、随分難しいマ ンガを描く人だなあ、と思った記憶があります) うーん、なんか安っぽい表現でごめんなさいー。ぶんすかは「バラード」を聴くと、 「せつなさ」を連想してしまいます。身がよじれそうなくらいに。 ところでわたしはようやくデータライブラリをつかいこなせるようになりました。 KAZEさんってFARIONの初期からおられるのですね・・貫禄がちがうわいな^^ しかし過去のログはかなり過激でした(KAZEさんがじゃないよ)。 真剣なのか議論好きなのか激しい意見のぶつかりあい。うーん、それでなにかをつか めたらいいですけど、無意味な議論も無いとはいえない、と私はおもいました。 それではまた。 ぶんすか 01198/01198 GGA02514 KAZE RE:微分的vsインプロヴィゼーション ( 3) 96/02/15 10:41 01197へのコメント ぷんすかさん、どうも。 >>ところで、今度中国のラン・ラン君が東京と大阪で >>ガラ・コンサートみたいなことをするそうです。 そうなんですか、東京と大阪・・・。 田舎に住んでるとそういうコンサートから遠いですから、 さみしいですね。 ラン・ラン君の演奏は、もう一度聴いてみたいです。 はたして、いつも生まれたての音楽を聴かせてくれるのかどうか。 最初のピュアな感覚というのは、多くの場合失われてしまいがちですので。 しかし、本物というのは、そうした砥石を経ながらも 確実にそうした状態を越えていくもののように思います。 そういえば、先日の新聞で、ブーニンが、 いずれバッハのカンタータを指揮したいということを言われてましたが、 ブーニンにしても、いよいよこれからなのかもしれません。 それにしても、バッハのカンタータは素晴らしいです(^^)。 >>わたしの最近のお気に入りはショパンのピアノ曲「バラード」第1番、です。 ショパンのバラード、いいですねぇ。 ぼくも何カ月かに一度は、聴きたくなってしまうんですよね。 おっしゃるように「せつなさ」の必要なときには、とくに。 ひさしぶりにぼくも聴いてみようかな。 >>ところでわたしはようやくデータライブラリをつかいこなせるようになりました。 >>KAZEさんってFARIONの初期からおられるのですね・・ 一応、ぼくはこのフォーラムの開設から、 MES13の「神秘学遊戯団」の議長をさせていただいてます。 この会議室はこのフォーラムのできるまえ別のフォーラムにあったのですが、 このフォーラムの新設に伴ってこちらに移ったわけです。 そういえば、会議室もできてから4年以上になります。 データライブラリにもやまのようにログがあります^^;。 とはいっても、こうしてお話するのに、 参加するのが早いとか最近参加したとかは少しも関係ないわけです。 ちなみに、ぼくのMES13でのメインテーマは、シュタイナー教育や 「モモ」「はてしない物語」などを書かれて昨年亡くなったミヒャエル・エンデで 少しだけ有名なシュタイナーという方の思想に関することなどです。 >>しかし過去のログはかなり過激でした(KAZEさんがじゃないよ)。 >>真剣なのか議論好きなのか激しい意見のぶつかりあい。 >>うーん、それでなにかをつかめたらいいですけど、 >>無意味な議論も無いとはいえない、と私はおもいました。 ぼくもあの手の喧嘩的な議論は苦手なので、 そういうのには極力参加しないできました。 議論は相手を認め合う生産的なものでなければね。 では、では(^^)。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ - FARION MES( 4):オ   フ ◆ 出会いふれあいトーク 96/02/15 - 01194/01195 SDI00635 みれ RE:RE*2 修羅ちゃん迎撃オフにご参加の 方々 ( 4) 96/02/15 07:58 01184へのコメント  #01184 修羅 ちゃん              修羅ちゃん                ↓      ★ ツンツン〜( ^_^)〃(・_・)ヾ(^_^ )プニプニ  ★       ★゚'*:・。.★゚'*:・。.★゚'*:・。.★゚'*:・。.★  私には昔から柔らかいものをツンツンプニプニする癖がありまして(^^;)  もっと親しくなるとチュウチュウ(ギュッとつまむ)しちゃいたくなる。  変態かなぁ…(^O^;) でもやっぱ柔らかいものって、人間に限らず好きな ものなんだと思うんだけどなぁ、ウチの猫も柔らかい毛布の上に乗ると前足 でギュッギュッとリズミカルに毛布を押しながら、嬉しそうな顔するもの。  あ、それから男の人が女性の胸やお尻を触りたくなるってのも、この一連 と同じ「柔らか好き」のせいじゃないだろうか(^^;) …と延々、自己正当化 をしているな>私(__;)  この間、NHK見てたら鈴木蘭々って女の子がメガネ無しの修羅ちゃんに ちょっと似ていることを発見! なんか男の子っぽいとこも似てるけど、修 羅ちゃんの方が格段賢そうだった(^^;)  ツンツンプニプニの次は「ダキダキッ」だよね。  この間のオフで、みんたさんを「ダキダキッ」してしまった>私(^^;)  めのうさんにもしたしぃ…若しかして私って前生は男?(^^;)  そうそう、この間飲んだポン酒は「黒龍純米」だったと思います。  黒龍、旨いよね(^_^)  んじゃ、また一緒に飲もうねぇ〜〜。 ・:*:・みれ・:・。,★ - FARION MES( 7):自分を観る  ★ ARIONを鏡にして 96/02/15 - 06961/06962 QZG02773 ウルヴィー 無題 ( 7) 96/02/15 09:42 コメント数:1  とても卑怯なやり方かも知れないが、最近この会議室を読んでいて  思ったことを二つだけ。    コミュニケーションとは相互作用であり、お互いの間を何かが行き交うことで  お互いが変化しあうことだと思う。互いの間を何も行き交うことがなければ、  己が変化することもないかわりに相手も変化させ得ない。私にとって「無」とは  変化しないモノであって(変化するとするなら、それは変化する何かを含んで  いるということになり、無ではなくなる)、「無」とはコミュニケーションを  図ることはできないと思う。    なぜ生きるのか。死ぬという選択はいつ、いかなる場合でも採ることができ、  人間は誰でも死ぬという運命を逃れられない以上、生きている状態にある限り  生きているということを享受しなければ……もったいないでしょ(笑)。  明日は明日の風が吹く、生きてりゃ丸儲け、至極名言だと思うのだが。               別に誰に対するレスというわけではないので           こんな形にしましたウルヴィー 06962/06962 SDI00635 みれ RE:無題 ( 7) 96/02/15 11:39 06961へのコメント  #06961 ウルヴィー さん  こんにちわ。  風邪も治りかけで未だうっすらボンヤリ状態の私の頭にもウルヴィーさん の言葉は分かり易かったです(^^;)  私の感覚もウルヴィーさんのと似ているかも知れない。  誰にという訳ではなく私も感想を書かせて貰いますね。  相互に分かり合う為のコミュニケーションであると私も思っているのです が、どうやら公園で演説する式の会話方法を取る人が最近増えているのでは ないかしら…それとも、これはパソ通に限った特徴なのかしら。  自分が見つけた「いい考え」を他人に分からせようとするのを会話だと言 われたら、困りますね。これは説得でしか無いと思います。  この会議室では自分の経験や気付いた話を基盤に正直に語り合うことで、 お互いに学び、時には傷ついてもそれを乗り越えて会話を続けることによっ て何かを「お互いに得る」場所だと私は思っているので、「説得」や「持論 の押し付け」に熱意を持っておられる方には合わない場所だろうなと思うの です。  例えが悪いかも知れないけど、説得や押し付けで私が思い出すのは新興宗 教の勧誘です。新興宗教の全てがそういう勧誘をしていると非難しているの ではありませんが、私の経験ではそういう事が多かったんです。  そういった勧誘の仕方をされる方は、恐らく自分の見つけた宗教の教えこ そ唯一無二の素晴らしいものだと思い込んでおられるのでしょう。でも、こ の方の世界には他の人は存在しないんですよね。この方とこの方の自我の延 長でしかない他者しか存在しない。つくづく思い込みって恐いと思います。  人が百人居れば、百様の世界があるという現実。  その百様の世界観に類似するものはあっても、恐らくは同一のものはあり 得ないのではないかとすら私なんかは思っていますが、自説こそ!と思われ る人には同一であるのでしょうか…。  自分にとって最善であるものを話すことは良いことだと思います…また、 それが相手にとって最善でないならば理由を問うのもマズイとは思いません。 ただし、あくまでも自分が何かを知りたいという純粋な問う姿勢でなければ ならないと思います。相手に分からせてやろうとかの気持ちが少しでもある のであれば、これはもう説得になるでしょうね。  うぅ〜ん、書いていて何やら訳の分からんことを書いているのに気付いて しまった(^^;) もう少しまとめてから書くべきですね。  失礼しました(__;) ・:*:・みれ・:・。,★ - FARION MES(12):精神世界裏表 ★ ニューエイジビジネス を斬る 96/02/15 - 00794/00796 GFB00026 一輝 履歴隠し/ニューエイジ人種差別 (12) 96/02/15 05:16 00782へのコメント >00782 HALさん 話にコブシが効いてて、面白いですね〜。 会議室に相応しい話題なので、ボロクソでも結構ですよ。 ■ニューエイジ体験の客観視 実は、これを読んでいる人々の中で実際に顔を合わる人もいて、その昔は、 ばりばりのニューエイジ+精神世界好きで、ポジティブ野郎だったり、チ ャネリング野郎だったりしてたのだけど、やっぱそこんころはホラ、恥ず かしいじゃん、人生の汚点だし…、と思っているのか、「書いてください よ〜、あれだけハマッてたんだし」と言っても、なかなか恥ずかしがって 書いてはくれないですね。アレは無かったこと、というか、忘れたこと、 思い出せない昔のこと、にしていますね。 でも自分の過去を客観視できないところに、精神構造の継続性が隠されて いて、知らぬ間に別のスタイルの何かにハマッて、似たようなことを繰り 返してしまうところがあったりするんですよ。人間、頭を壁にぶつけて痛 みを覚えた方が、学習として刻印される場合が多いし、この方法は自分を 超えるひとつの戦略なんだけど、わざわざ意識的に自分を振り返って、そ こまでやろうとはしない、面倒だしね。それをワザワザやるHALさんを 私は面白いと感じたわけです。 ■ニューエイジにとっての穢れと黒人 ニューエイジにとって黒人はケガレなんです。ニューエイジ系の事務所に 来日している黒人さんというのは、私も一度もお目にかかったことがあり ません。いつも白人さんです。自称ネイティブだと言う人がいても、やは り白人の血の濃い混血。 全開ばりばりの自己啓発セミナー出身者で、幸福の科学の試験に落ちたこ ともあるという、上田紀行という学者がいるんですが、この人がNHK− TVで多重人格者の特集番組に出て、アメリカのカウンセリングセラピー の現場を取材していたのですが、ここにも黒人はひとりも出てきませんで した。このニューエイジの人種的な落とし穴について語った人って、今ま で居ませんでしたね。上田氏もそのことについては触れずに終わりました。 ここいら辺が、結局ニューエイジという思想が、人種差別を秘めたアメリ カの一部白人のムーブメントでしかなく、社会を変革するどころか、最終 的に悪化させた原因のひとつでもあると思いますね。                 FARION 12番会議室*精神世界裏表案内人:一輝 00791/00796 VEG02736 山部正人 RE:回顧95 雑 (12) 96/02/15 05:05 00787へのコメント コメント数:1 シュメ−ル さん、こんにちは。 > 領土と国民を防衛する術のない国家への道をいまだに日本は歩いているのだろう >か。(プレアデス星人が選んだ道を日本もまた歩むことになるのだろうか) みんなが、銃を持ち、相手の領地を、虎視眈々と狙っているそんなところに、 銃を持たず、私は、永久に戦うつもりはない、みんな平和に暮らそう。 と、居座れば、どうなるかは、目に見えている。 しかし、その銃を持たぬ彼の少し後ろで、機関銃を持った大男が、彼に近づこうとす る人達を、威嚇すれば、彼は安全かも知れない。 > 1945年、10月16日、マッカーサーは日本軍の武装解除の仕事をあっさりと終えて >しまい、こう語った。 > > 「日本人には、海軍、空軍、を問わず、軍事的なもののすべてが禁じられる。こ >れによって、日本の軍事能力、国際問題に対する軍事的影響力は消滅する。日本は >大きかろうが小さかろうが、もはや国家とはみなされない。」 逆に言えば、軍事力のない国家など、もう国家とは言えない。 となりますかねえ。 そんなことを、言っていたなんて、 もっと、歴史を勉強せねば。 96/02/14(水) 09:43 山部正人(VEG02736) 00795/00796 MHA01114 シュメ−ル RE:回顧95 雑 (12) 96/02/15 08:16 00791へのコメント  山部さんレスどうもです。  あれをupした直後、読んでくれた方から情報があったんですが、日本の再軍備 が日本の政治日程にのりつつあるとのこと。しかし、これは日本国土の防衛のため というよりは、アメリカが日本にアジアの安全保証を分担してほしいからにすぎな い。要は、変わったのは国民の防衛意識ではなく、アメリカの財政状況。竹島がど ういう韓国の意図によって仕掛けられているのか、はっきりしません。アメリカに すれば、「旨くいけば、日本の再軍備の世論を後押しする」と思う可能性は高いで しょう。  イギリスを拠点として活動していた金融資本は大正時代から日本を潰す戦略を開 始ししていたらしい。ドイツの工業主義、モノ造りによる資本主義も金融資本主義 からは目のかたきとされてきた。  食料自給率の低下、200カイリ規制による漁業の破壊、とこれは私の妄想なん ですが、日本は知らず知らずのうちに、食料を自国調達できる道を削られてきた。 捕鯨もその一貫ではなかったか。と、妄想の種はつきないのですが、ま、世界の統 一のみを考えている人達にたいして、世界の統合を提起する、小国の事務局長あた りを日本はめざすべきかもしれないと感じています。  結局、日本は大東亜共栄圏をつくってしまったではないか、と悔しがっている人 達がいるという噂です。  いずれ、太平洋戦争ってのは調べてみると、グレイの死体解剖フィルムじゃない ですが、目からボロボロとウロコがおちてきて、ショックです。 00792/00796 GFB00026 一輝 無知の妄言<ジャンキー鼎談> (12) 96/02/15 05:11 ●無知の妄言<ジャンキー鼎談>  昨年末、昔の友人宅へ7年ぶりくらいに出掛けました。そこでの会話は、7年 前当時としては日常的なもので何ら不思議はなかったのですが、今にして思えば とても奇妙でした。面白いものかどうかは何とも言えませんが、ここにその模様 を再現してみます。  ただし、私の曖昧な記憶力から繋ぎ合わせているので、正確な再現になってい ない箇所もあります。その辺は、ジャンキーの雰囲気だけでも掴んで頂ければ幸 いです。カッコ内は、その時の私の心中のつぶやきです。 ジャンキー1「久しぶり〜」 一輝 「いや〜ホントに。何年ぶりかな?」 ジャンキー1「最後に見たのがあん時だったから、7年ぶりになるかな〜」    (以下略、あいつはどうしてるこうしてる、誰々が別れたくっついただの     世間話。部屋の中では、昔と同じグレートフルデッドやニールヤングの     曲が流れている。ここは時間が止まっている) ジャンキー1「ちょっとさー(ゴソゴソ)」 一輝 「ん?」 ジャンキー1「君が来ると思ってさ、いいモン用意したよ、ほら」 一輝 「あぁ…」(コイツとはいつもこういう展開だったってことを、          すっかり忘れていた。まいったな〜こりゃ) ジャンキー1「いいよ、遠慮なく(と、ライターとパイプを差し出す)」 一輝 「いや、気持ちだけ受け取っとくよ。今は吸ってないから」 ジャンキー1「あ、あそー、そうかー、君もこの7年間いろいろあったんだろうなー、     んー、わかるよそれー」 一輝 「わかっちゃうの?」(何がわかってんだよ、ま、いいけどね、               説明してわかる相手じゃないし) ジャンキー1「うん、うん、わかる(目を閉じまがらうなずく)」    (ピンポン、と呼び鈴が鳴る。ジャンキー1はライターとパイプをサッと隠す) ジャンキー1「はーい(ドアを開ける)」 ジャンキー1「今日はさー、珍しいお客さんだよ、一輝が来てるんだよ」 ジャンキー2「おー久しぶりー、どうしてたんだよー」    (中略) ジャンキー1「これ、いいよ。効くよ(さっき隠したライターとパイプを差し出す。     サランラップで包んだモノをジャンキー2に手渡す)」 ジャンキー2「ありがとう(ライターでパイプの先に火を付ける)」 ジャンキー1「一輝は、吸わなくなったんだってさ(それを受け取って吸う)」 ジャンキー2「あ、これ(『カミコメツチヒト』の本を手にして)バリの写真だ。一輝の?」 一輝 「僕と他にあと三人が撮ってるよ」 ジャンキー2「いーねー、キてるよこれ」    (ピンポン♪と呼び鈴が鳴る。ジャンキー1は再びライターとパイプを隠す) ジャンキー1「はーい(ドアを開ける)」 ジャンキー1「今、一輝が来てるんだ」 ジャンキー3「いやー、懐かしいね」    (略、ジャンキー2は効いているらしく、まだバリの写真に没頭している) ジャンキー3「そういやーさー、俺ら(ジャンキー1〜3 )でバリに行ったことがあんだよな ー」 ジャンキー1「そうだったねー、何年前になるのかな」 ジャンキー3「な?(と写真に没頭しているジャンキー2に促す)」 ジャンキー2「あ。おぉ、そうそう、皆で行った(慌てて気を取り戻すが目は充血)」 一輝 「バリでは、何か(ドラッグを)やったの?」 ジャンキー2「それがひでーガセネタでやんの。匂いとか味はそっくりなのにな」 ジャンキー1「あれじゃ、シロウトは騙されちゃうよね、日本から持ち込んで良かった」    (ジャンキー2は、再び写真に没頭) 一輝 「うわぁーなんて危ないことを、バリでパクられて実刑99年くらった     日本人が、たくさんバリ刑務所にいるってよ」 ジャンキー1と3 「えっ?」   (ジャンキー2は、写真に没頭) ジャンキー3「んー99年? こぇーよー、冗談云うない」 一輝 「本当だよ。可哀相だから日本からトランクに本詰めて差し入れした奴が     言ってたよ。積極的に麻薬の通報が奨励されているって」 ジャンキー1「どーりでガセネタ掴まされたわけだ。アブねぇ」 ジャンキー3「マジックマッシュルームも?」 一輝 「そうだよ。日本大使館から嘆願してもワイロも一切通用しないってさ」 ジャンキー1「俺、もう行くのイヤんなってきたな!」    (君らは行く必要なーし!) ジャンキー3「こぇー、いやだよーそんなの、うちのガキが生まれてすぐの頃だ」 一輝 「じゃーパクられなくて、良かったよねー」 ジャンキー3「命拾いしたな、日本からたくさん持ってってさんざんやってたからなー、     もしパクられてたら、一生ガキはオヤジの俺の顔を知らなかったわけだー」   (ジャンキー2は、なぜか頭を抱え込みながら写真に没頭) ジャンキー1「もうバリは行くのヤメだ! あんな平和な島なのになんでだろう」 一輝 「そうやって島の秩序を皆で支えているんだよ。あの島で犯罪が少ないのは、     ひとりひとりがお互いに気を配っているからなんだよ。俺ら日本人には、     なかなか影の部分は見えないけどね」 ジャンキー3「うへぇー、ショック!」 一輝 「例えば盗みとかあるとね、バンジャールという自警団(村落共同体)が     すっ飛んでやってきて、クルマの後ろに繋げて引き回しのリンチを     やることがある。バンジャールのメンバーは、各々バリの自由と平和を     守ることに誇りを持っているんだ。こういうのって口先だけの僕らには     無いよね」 ジャンキー3「ひぇー!」 ジャンキー1「何だそりゃー(顔をしかめる)、あいつら多重人格か」 ジャンキー2「(事態に気づいて本から顔をやっと見上げて)あーハマった」 ジャンキー1「バリじゃドラッグは、99年の実刑だってさ」 ジャンキー2「ん? そりゃー知らなかった!」 ジャンキー3「でもさー、リンチは暴力だろー。暴力に警察は何もしないのか!」 一輝 「(何が警察だよな、ふだんはあれほど警察嫌いなくせに)彼らは警察なん     か頼らないんだ。自分たちの秩序は自分たちで守る。それが人間の基本じ     ゃないかと思うんだけどね」 ジャンキー3「でも、暴力はダメだよなー」 一輝 「見せしめとしては99年の刑も引き回しも、十分に犯罪予防になると思うよ」 ジャンキー3「あんな平和な楽園で、そんなことがあるなんてなー」    (ジャンキー1〜2 うなずく) ジャンキー1「そういえば、現地の人で吸っているのって見かけなかったなぁ」 (ジャンキー2そのまま目を閉じてうつむき突如瞑想。勝手な奴) 一輝 「両面あってこそバリなんじゃないかな。     ちゃんと見れば、どこの楽園だってこういう話はあるもんだ。     現地の責任者である彼らにとっては、観光地の治安維持は死活問題なんだよ」    (アマゾンだのネイティブだの詳しいはずの彼らが、現地でいったい     何を見てきたんだろう。どの民族だって治安維持の為に必死なんだ。     自分の勝手な自由だの平和だののイメージを、麻薬と一緒くたにして、     今まで都合良く先住民族に当てはめてきただけじゃんか) ジャンキー3「日本が麻薬に厳しいから、俺らは外国へやりに行くのになー」 一輝 「うーん、ちょっとアジアを甘くみてるんじゃないかな。     99年の刑はバリだけじゃない、タイやフィリピンでは終身刑だし、     韓国は死刑、中国は公開銃殺刑だよ。     アジアは、阿片戦争の二の舞は踏みたくないんだ。     旅行中パクられなくて、君らは幸運だったと思うよ」    (混乱と恐怖に陥ったのか、彼らがだんだんバッドトリップしてきたよう     なので話題を変える。また、いちいちひらがなで説明しなければ、理解     に至らないような酩酊状態に突入していた。私は早々にジャンキーたち     を後にして帰った。なぜなら煙立ち込める同じ部屋にいると、私までも     が徐々に効いてきてしまうからだ。話を切り上げたのは、ヤバイと思っ     た瞬間だった。ヤバイと思ったとき、自分の脳が一瞬痴呆になりつつあ     るのを感じた。私が立ち上がった時、各々その場に凍ったように酩酊し     ていた。     彼らの会話は幼児化している。にもかかわらず、当人たちはドラッグを     やらない一般人とは異なる高尚な存在であると、自分を信じ込んでいる。     ひとりひとりはそこそこに”いい奴”だったが、それ以上でも以下でも     なかった。それはモノを交換できるという意味で”いい奴”だったから     だ。     モノが入れば”いい奴”のところに”いい奴”がゾロゾロと集まってく     る。あれはかつての私そのものだ。私もそこそこに”いい奴”だと思わ     れながら、その自己イメージの中に浸っていたのだった。そしてドラッ     グを求めるほどの精神状態の在り処など、誰も互いに知ろうなどとは考     えもしなかったのである。なぜなら、お互いにわかり合っていることを     前提として、つき合っていたからだ。しかしこれも酩酊上の習慣化した、     単なる思い込みにすぎなかった)  私はドラッグをやめて以来、初めて客観的にドラッグをやっている者の酩酊状態 を見ました。無秩序な興奮と鎮静、無配慮。そして際限の無い没頭。恐怖と罪悪感。 会話中の突然の瞑想。民族への無知と身勝手な思い込み。そしてドラッグをやって いない一般大衆は自由と平和を失った愚かな人間たちである、と信じ込む…。  ジャンキー時代には見えなかったことが、彼らを通して見えてきました。私もそ の昔、無知のままにバリへ行き、ドラッグをやっていたひとりだったのです。彼ら の思い込みの世界の中に、私は実体とは別のところで、”いろいろあってアレをや めちゃった一輝”は、勝手に生き続けるのでしょう。私はドラッグをやめて、本当 に良かったと思います。もしやり続けていたら、今頃私はバリの刑務所に居たかも しれなかったからです。  最後に「外国に行けば好きに麻薬が吸える」という虚言を信じて、いま外国で終 身刑に服している日本人、死刑に処せられた日本人(日本に残った家族が事実を覆 い隠すので、こういった情報はマスコミには一切出ない)、そして麻薬について、 未だ何も知らされていないし、知ろうともしないジャンキーたちに、本稿を捧げま す。                 FARION 12番会議室*精神世界裏表案内人:一輝 - FARION MES(13):神秘学遊戯団 ★ 限りなき神秘への航海 96/02/15 - 04282/04291 PXY03747 諏訪みのる 般若心経に思うこと(1) (13) 96/02/14 13:06 04276へのコメント コメント数:4 私達がよく耳にする「般若心経」は、 あの『西遊記』に登場する三蔵法師(玄奘)様が漢訳されたお経で、 文字数は260字ほどの とっても短いお経なんですが、 その内容は、膨大な数の大乗経典のエッセンスを凝縮したものと言われています。 つまり般若心経には大乗仏教の教えの“核”が語られていると見てよいでしょうか。 さて、その般若心経の中身ですが、 意味上の使われ方は別にして 単純に数だけを数えてみますと、 「無」という文字が21個、「不」が9個 含まれています。 ですから心経にザッと目を通すと、それから受ける印象として、 なんだか『無い!無い!』づくしの否定的な表現が目につくと思います。 いったい何を否定しているのかと読んでみますと、 どうも“私達一般の 物事に対する捉え方”を否定しているようです。 では、私達の物事に対する捉え方とはどんなものなのか…という事になりますが、 一言で言うと、 『自分勝手な思い込みに縛られた捉え方』だと言えるんじゃないかと思っています。 同じものを見聞きしても、十人いれば十人が、 それから受ける印象とか連想するものとか、その他様々に受け取り方が異なります。 そして、“対象そのもの”ではなく、 自分の心で着色されたものを対象として認識しているようです。 よく使われる表現で言えば、 個人個人の独自の色メガネを通して着色されたものを、 “対象そのもの”と錯覚して認識し、独自の概念をつくりあげていると言いますか。 仏教では、心も含めて、   『この世のあらゆる存在は「縁起」という法則の中でのみ存在するものであり、  その「縁起」を離れて不変に存在するものは何一つ無い』 という立場をとっている…と私は理解しています。 で、縁起生のものである限り、 存在するモノ自体には固有不変の性質というものは無い訳ですから、 モノそのものは、私達の観念とは全く無関係に存在していることになります。 私達は、そういった本来が無性のモノに対して、 自身で勝手に意味付け(色付け)をして観念をつくりあげ、 あげくには、その観念自体に縛られてしまって、 自由な考え方ができなくなってしまうことがよくあります。 般若心経の中で否定しているものは、物事を“ありのまま”に見ない事、 つまり「縁起」を見ない事に対して『それではダメなんだよ。』と訴えているのだと 私は理解しています。       (続く) でわ、では。(^^)              みのる♪デシタ。 04285/04291 QZD02307 ジョリー RE:般若心経に思うこと(1) (13) 96/02/14 20:57 04282へのコメント コメント数:1  諏訪みのる さん、こんにちは。 この間までは、例年にないほど寒い日が続きましたが、今日の暑さと  言ったら(^^;)シンジラレナイ。 寒さに弱い僕も、コタツムリから脱  出して、書き込みをぼちぼち再会しているところです。  とうとう始まりましたね、「般若心経」解説(^^)。楽しみにしていま  した。 >その内容は、膨大な数の大乗経典のエッセンスを凝縮したものと言われています。 >つまり般若心経には大乗仏教の教えの“核”が語られていると見てよいでしょうか。  僕も、般若心経には、世界のどの思想も表すことができなかったほど  の、凝縮された世界観が、込められていると思います。  しかし、僕の手元にある「人間革命」では((^^;親戚が置いてったの)、  釈尊の説いたお経には高低浅深があり、高い方から、法華涅槃−華厳  −般若−方等の順だそうです。その中でも、多くの迫害を受けながら  も、一番教えの高い法華教を広めたのが日蓮大聖人で、そのことが、  末法の御本仏の資格があることの証明だそうで、そのお偉い方が、説  いたお経こそが、末法の世を救うことの出来る、南無妙法蓮華経なの  だそうです(^^;)。  お経に高低浅深をつけることで、一番高いお経を取り入れている、自  分たちの正当性を主張しているのでしょうけど、お経に、高いも低い  もあるのだろうか?はたまた疑問であります。  どこかで聞きましたが、「宗論は、どちらが負けても、釈迦の恥」と  いうのが、ほんとうのところではないかと、僕は思っています。  それらの優劣の解釈とは関係なくしても、般若心経というお経は、と  ても興味深ですね。   >なんだか『無い!無い!』づくしの否定的な表現が目につくと思います。 >いったい何を否定しているのかと読んでみますと、 >どうも“私達一般の 物事に対する捉え方”を否定しているようです。  そうですね。無受想行識、無眼耳鼻舌心意、無色声香味触法、無眼界、  不生不滅、不苦不浄、不増不減・・・ 欧米の人がこれを読めば、狂気の  沙汰だと感じるのかも知れません(^^;)。しかしそれは、我々の感覚と  いうのが、如何に不確かなものであるかを表しているのでしょうね。  しかし、我々の肉体で感じている、このリアルな感触の全てが、虚像  だということで、それを否定してしまっては、我々の生きている意味  がなくなっちゃうので(^^;)、その前に、色即是空、空即是色という言  葉が必要なんだろうなとは、僕の感じているところです。  でも、我々の感じている感覚って、本当にあてになりませんものね。  八正道の中の、「正見」一つとっても、あらゆる角度から見ないと、  事の本質ってわからないし、一筋縄じゃいきませんものね。  自分に、それができているかと誰かに問われても、大いに疑問のある  ところではあります(^^;)。  >仏教では、心も含めて、  > 『この世のあらゆる存在は「縁起」という法則の中でのみ存在するものであり、 > その「縁起」を離れて不変に存在するものは何一つ無い』  このあたりは、エネルギー保存の法則を思い出してしまいます(^^;)。  地球上のエネルギー量というのは、どう変化しようが、エネルギー量  は一定。万物の形は、あらゆるものに変容しますが、その最小単位で  ある原子は変化することはない。  仏教では、変化しないものは、人間の霊性なのでしょうが、科学的解  釈にしても、なんとなく似ているところがありません? >私達は、そういった本来が無性のモノに対して、 >自身で勝手に意味付け(色付け)をして観念をつくりあげ、 >あげくには、その観念自体に縛られてしまって、 >自由な考え方ができなくなってしまうことがよくあります。  あります、あります(-_-)。既成概念にとらわれると、目の前の問題、  の一番肝心なところに、気がつくことができなかったりします。  たとえば、僕は、将棋を少し指すのですが、定跡にとらわれすぎてし  まうと、本筋が見えにくくなるのは、よくあることです。  そうそう、将棋といえば、今日、羽生さんが前代未聞の7冠制覇を成  し遂げましたね(^^;)。羽生さんは、自宅のコンピュータに定跡のデー  タを大量に投入して、日々勉強にいそしんでいるそうですが、本番の  直前には、それらを全て忘れてから勝負に挑むそうです。  我々って、生きていくために多くの経験を積み重ねていくわけですが、  その反面、多くの型にとらわれて、自由な思考が出来なくなっていた  りするんですよね。僕も、仕事などの本番の時には、なるべく意識を  ニュートラルにして、いざというときの的確な判断ができるように、  心がけておきたいものです。経験も勉強も、両方大切にしながらね。  次回、楽しみにしています(^^)/でわ。                      ジョリー 04287/04291 GGA02514 KAZE 般若心経全文 (13) 96/02/15 01:38 04282へのコメント みのる♪さんが、般若心経のお話をはじめられましたので、 この際ということで、その全文を掲載しておくことしますので、 参考にしてくださればと思います。 引用するときなんかにも、わざわざ文字拾いをしなくても済みますしね(^^)。 般若波羅蜜多心経            唐三蔵法師玄奘訳 観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 (かんじざいぼさつ ぎょうじんはんにゃはらみたじ) 照見五蘊皆空 度一切苦厄 (しょうけんごうんかいくう どいっさいくやく) 舎利子 (しゃりし) 色不異空 空不異色  (しきふいくう くうふいしき) 色即是空 空即是色 受想行識 亦復如是 (しきそくぜくう くうそくぜしき じゅそうぎょうしき やくぶにょぜ) 舎利子  (しゃりし) 是諸法空相 不生不滅 不垢不浄 不増不減  (ぜしょほうくうそう ふしょうふめつ ふくうふじょう ふぞうふげん) 是故空中無色 無受想行識  (ぜこくうちゅうむしき むじゅそうぎょうしき 無眼耳鼻舌身意 無色声香味触法 無眼界 (むげんにびぜっしんい むしきしょうこうみそくほう むげんかい) 乃至無意識界 無無明 亦無無明尽  (ないしむいしきかい むむみょう やくむむみょうじん) 乃至無老死 亦無老死尽 (ないしむろうし やくむむろうじん) 無苦集滅道 無智亦無得 (むくじゅうめつどう むちやくむとく) 以無所得故 菩提薩唾 (いむしょとくこ ぼだいさった) 依般若波羅蜜多故 心無罫礙 (えはんにゃはらみつたこ しんむけいげ) 無罫礙故 無有恐怖 (むけいげこ むうくふ) 遠離一切顛倒夢想 究竟涅槃 (おんりいっさいてんどうむそう くきょうねはん) 三世諸仏 依般若波羅蜜多故 (さんぜしょぶつ えはんにゃはたみつたこ) 得阿耨多羅三藐三菩提 故知般若波羅蜜多 (とくあのくたらさんみゃくさんぼだい こちはんにゃはらみつたこ) 是大神呪 是大明呪 (ぜだいじんしゅ ぜだいみょうしゅ) 是無上呪 是無等等呪   (ぜむじょうしゅ ぜむとうどうしゅ) 能除一切苦 真実不虚 (のうじょいっさいく しんじつふこ) 故説般若波羅蜜多咒 即説咒曰 (こせつはんにゃはらみつたしゅ そくせつしゅわつ) 羯諦 羯諦 波羅羯諦 (ぎゃてい ぎゃてい はらぎゃてい) 波羅僧羯諦 菩提僧婆訶 (はらそうぎゃてい ぼうじそわか) 般若心経 (はんにゃしんぎょう)      *上記のなかで、表示できない漢字が三文字ほどありましたので、      とりあえず、似た漢字をあてておきました^^;。      <唾←土垂> <罫←四圭> <竟←立日儿>             04290/04291 GGA02514 KAZE RE:司馬遼太郎さんが亡くなりましたね^^ ; (13) 96/02/15 12:13 04278へのコメント ジョリーさん、どうも。 》 そして、光と闇の両側を行き来しているうちに、自分の身体の内なる光を 》 見いだすことが出来た人は幸運だと思います。光の意味を知り、闇の意味 》 を知り、そのどちらの場所にいても、自分という光を信じて生きていくこ 》 とができれば・・・。 そうなんです、光を自分の外からくるものととらえるのではなく 内なるもの、みずから発するものとしてとらえることが必要だと思います。 もちろん、闇もみずからの内にあるものとして。 そうでなくては、いつまでも排他的依存的でしかないような。 光も闇もみずから担っているのだととらえたときにこそ、 自分を信じることができるのだし、また同時に、 他の人をも信じることができるのではないでしょうか。 》 それは、我々の住んでいるこの世界が、「色」の世界であるからこそ、「 》 色」というものを放棄するのではなく、「色」というものが存在する本当 》 の意味を常に考えながら、作用していかねばいけないということなのでし 》 ょう。なぜなら、何かを成し遂げたときの感動の涙も、多くの人に愛され 》 てきたことに気づいたときの喜びの涙も、「空」の世界には、ないもので 》 すもの。 「ハート」という器にさまざまな喜怒哀楽を載せながら、 それらの素材をどれだけ生かしながら料理できるかということでもありますよね。 そういう意味で、「料理の鉄人・達人」ならに「色の鉄人・達人」となることが この世界に生きているぼくらの大いなる課題であるといえそうです。 以前、「ベルリン天使の詩」という映画がありましたが、 その映画では天使の世界はモノクロームで描かれていました。 もちろん、この「色」の世界は天然色(ちょっと古い言い方ですが^^;)。 で、天使が、「色」の世界に憧れて、堕天使として人間になることを選ぶわけです。 そういう意味でも、「空」の世界では得られない天然色を味わいながら、 しかもそれに過度にとらわれることなく、それを体験し、 芸術的に人生を生き抜いていくということの大切さを思います。 がんばらねば(^^)。 》 あと、善人と言われている人には、「力」というものの必要性がポンと、 》 抜けている場合があると思います。 そうですね、インディアンたちも「力」によって ああした状態にまでされてしまうことになりました。 そこらへんは、とってもむずかしい問題なんですけど、 「弱々しき善人」というのは「強さ」を否定した善でしかないわけで、 言ってみれば、そこには自由を放棄した善というロボット状態が 現出しているだけともいえるかもしれません。 もちろん、力に対して力だけで対抗する愚は避けなければなりません。 ですから、力のダイナミズムまでを取り込んだ何らかの方向性を 模索していく必要があるのだと思います。 》 それはそうですね(^^;)。でも、いざとなれば、やくざ者相手でも闘わなく 》 ては、ならない時がくるかも。そんな時でも、物怖じすることなく、最適 》 の判断を下せる力が持てたらなとは思いますよ。 そうですね、臆病者のぼくにはとってもむずかしいですけど^^;、 毅然とすべきときには毅然とすること。 たとえそこにみずからの死がかかっていたとしても恐れないで立ち向かうこと。 しかし、無闇な争いは避けて、逃げ足を早くすること^^;。 そんな自分であれたらなと思っています。 要は、「腹」ですね、それとプライドで向かわないこと。 》 全て、対立構造ですが、欧米にしても「中」を模索しない限りは、半永久 》 的に起きるであろう悲劇を止めることは、出来ないのかも知れませんね。 その「中」には、わかりやすくいえば、「相手の立場になる」という 認識力を前提とした「愛」が必要になるように思います。 悲しいことに、愛を説いたイエス・キリストを信仰する者たちが もっとも愛を欠いてきたわけで、皮肉なものだなあと思います^^;。 》 そのような人間の性を、人間の自由意志で選び取ったものととるか、それ 》 とも、神の意志で決定づけられたものととるか・・・。 自由には、代償が伴います。 よき方向を選択できる可能性には、それ以外の可能性がセットになっています。 ぼくが思うに、神の意志というのは、自由を選んだのではないでしょうか。 ですから、そこに悲惨な状況が現出したとしても、 自由を疎外するような方向をとるならば、すべては無意味になってしまいます。 とっても残酷に見えることばかりが多いんですけどね。 でも、そればかりではないと思うのです。   》 ううむ、あまり本を読んだことがないので(^^ゞ、なんとも言えませんが、 》 (僕に振らないで。)ジョリーの本棚には、「ロシアについて」って本だ 》 けあります。物語形式で、日本とロシアの関わりを書いてあるように記憶 》 していますが、良く覚えていないです(^^;)。 その本は、ぼくも読みました(^^)。 ロシアについて不案内なぼくにも、よくわかるようないい本だったと記憶してます。 司馬遼太郎さんというのは、日本を考えていく場合には、山本七平さんとともに、 戦後においては無視することのできない巨人のような方だと思います。 ま、それはともなく、とくに「竜馬がゆく」は、 これは、長いにも関わらず、一気に読まざるをえないほど ものすごく面白い話ですので、機会があればぜひに。 決して、読んで後悔しない、痛快でためになる本です(^^)。 では(^^)。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ - FARION MES(18):武道とは?  ★ 自分に勝つ! 96/02/15 - 02881/02883 BYK00511 導 RE:同時に聴くこと (18) 96/02/15 00:19 02880へのコメント 今、アマデウスさんが必死に研究されていることに水を差す様で気が引けますが、 やめた方がいいと言って置きます。 人間の眼は何かに焦点を合わせる様に出来ているし、聴覚は何かを聞き分ける為に 出来ています。 感覚を拡散させることが感情を豊かにし、又は精神を安定させるものであるならば 、何故人はものを見、言葉を聞くのでしょうか。 遠山の目付の本当の方法は一点に視線を集中させることで、己の見ようとする想念を 打ち消す法です。 聴く方法もしかり、聖徳太子が何人もの話を理解したとありますが、全部を聴こうと すれば全て聞き逃します。 一人の話に意識を集中すると不思議と周りの話も理解出来ます。 合気道で多人掛けといって大勢を相手に闘う方法がありますが、八方に囲まれた時 八方に意識を広げてはやられてしまいます。 では何処に意識を集中させるのかと言えば、斜め左の相手に意識を集中させます。 すると不思議と後ろの動きが分かります。 何故かは説明がつきません。 ただ、私が嘗て述べたたった一人を愛する様に万人を愛し、万人を愛する様に たった一人を愛するとはこの事を意味します。 そして、感覚を以て意識を変革しようという試みは、酒や麻薬に溺れる事と究極的に 等しい。これは魔道であります。 意識は変革すべきものではなく天与の至宝であります。 即ち自らにして然りとは自然の理これを真理といいます。 そして、導とは私が誰かを導くという意味ではなく、あらゆる存在は因果関係に結ば れ、以てこれを愛たらしめる宇宙の現象を導きと証します。この機会は一瞬刹那にも 存在するが故私は合気道を愛機導と解釈し、ここにおいて我が真意を導と一文字に 表したのであります。 愛とは観念的存在として認識されるものではなく、存在の実証を意味します。 しかし、私は観念も物質も現象も同質の存在であると考えております。 故に精神的活動と物質的現象は全く一つのものであると考えます。 その実証が合気道という武道です。吾我と性を科学する武道と開祖は言いますが、 これがその意味でありましょう。 私の言葉はあちこち飛び火し、又感覚的にわき上がるものを言葉としていますので 音楽として読んで下さい。 そうです、貴方はフルオーケストラの音楽を理解出来るでしょ。 あれが、遠山の目付です。 - FARION MES(19):世も末ばなし ★ ぶっ飛び話・罰当たり話 96/02/15 - 820/820 VEG02736 山部正人 RE:宇宙の始まりと終り・路傍の石が神に (19) 96/02/15 05:19 816へのコメント シュメ−ル さん、こんにちは。 たあぼう 改め 山部正人(やまべのまさひと)です。 が、ここでは、 たあぼう教 教祖 たあぼう として、お話しさせて貰います。 > 最近気になってるのが、創造者と被造者との連続性問題。石は神になれるか。石 >はそのままで神なんだといってしまえばおしまいなんですが、 私は、全てに神の魂が、宿ってるのではないかと思っています。 ただ、その量の違いというか、振動の高低の違いというか、 そう言う差だと思っています。 > 足立さんは >        中性子=意識=調和 >        陽子 =意思=愛 > >と、定義し、「電子の役割というのは、現実化する役割です。(前掲書p85)」と >しているから、この宇宙の物質的存在形態の全ては意識−意思の現実化したものに >なっている。 私も、そう思っています。 全ての物質的存在は、宇宙意識の顕れ、と考えるのが、 今の私には、一番納得がいくのです。 > −中略− 人間型生命体が地球上に住むようになるには、彼等が地球以外のどこ >からかやってきて地球に順応するか、地球上にすでに存在していた種族の手によっ >て遺伝子学的に創り出されるかのどちらかしかありません。魂でさえ遺伝子コード >の中に組み込まれて創り出されるのだということを、あなた方は知っていますか? >魂は遺伝子的に産出されるものです。」 ちょっと、このへんは、ついていけなかったですね。 人間型生命体には、すでに神が宿っていると思うのです。 ただ、その神が、完全には、発現していない。 一方魂は、神が物質界を知るために、必然的に自分を、分化したものであり、 それが、遺伝子的に操作された人間型生命体に、悪く言えば、憑依したものが、 今の人間なのだと、考えています。 だから、人間型生命体は、オリジナルの未だ「低次元の神=魂」と、 神自ら、分化して、宿った「高次元の神=魂」との、 二重構造になっているのではないかと、考えています。 >この宇宙に魂をもった生命体が流入してきたらしい。しかし、結局は最初に魂を造 >ったのは誰か?というアポリアにぶつかるのだが、これは、宇宙史の最大のアポリ >アらしい。我々もそれが知りたいといってた知性体のはなしを読んだ記憶がある。 この、魂の起源についてなのですが、 以下、思考上の、単なるトリックなのかも知れないですが、私はこう思います。 最初は、完全なる無であったと、しかし無から何も”物質的な”ものは、 生まれない。しかし、物質的ではない、何かがあった。 つまりそれは、空間とか、時間とかを、超越したところに、あった。 (これも正しくは、空間と時間が、あるから、ものは存在できるのだから、  時空を超越したものは、なんと言えばいいのだろう。存在しないものを、  どうやって認識し、どうやって言葉で表すのか。表現不可能だ。) そして、たぶん、神は、または、宇宙意識は、思考し、意志が生じた。 そして、聖書の言う「言葉」が、発せられた。 ビッグ・バンのようなものが、起こり物質的宇宙が誕生し、膨張し、 果てしない時間の流れの末に、全ては、ブラックホールのようなものに、向かい。 また、完璧な無になり。そしてまた、ビッグ・バンが起こり。。。 そして、その完璧な無と言うのは、物質世界からは、決して認識できない。 こんなだろうと、自分では、今のところ、納得しています。 >魂の根本起源は結局は根本創造主なんでしょうが、この分裂と統合をめぐっての謎、 >解けるときが、宇宙の終りかもしれない。 ここの、”分裂と統合”と言う、人間から見ると、対立する概念も、 時間と、空間を、超越している神なれば、分裂していながら、同時に統合している、 と言うことが、成り立つのではないかと想像しています。 96/02/15(木) 05:14 山部正人(VEG02736)