焚き火の民の一人は「あなたの為の柴じゃない」とハッキリ言った - FARION MES( 5):**/////*/////*/////*/////*/////*/////** 96/02/17 - 00608/00608 PXP02610 修羅 なんだか、な ( 5) 96/02/16 23:23   昨日定休日を挟んで、5日ぶりに仕事に行った。   会社で奨励している年一回の連休以外で、こんなに僕が休みを取ったの  は、初めてなんだよね。   雪祭り期間とぶつかったせいもあって、繁忙期に休みを取るということ  で行く前は、実は結構すったもんだしたんだよ(^_^;ゞ   だから、少々不安があった。   仕事場に戻ったときに、僕の『居場所』はあるんだろうかという、漠然  とした不安。   ヘラヘラと怒った顔など微塵も見せずに仕事をしている僕だけど、じわ  じわと自分が”ほされている”実感はあったから・・・・   早い話、よく気がついて人の倍近く働く僕は、目障りなんだそうだ(^^;   そんなこと言われてもなぁ〜 と言うのが、僕の感想だしねぇ。   昨日何食わぬ顔で、でも内心結構びびりながら「お早うございま〜す」  と入っていくと、事務所の連中にほっとした空気が流れた気がした。   どうしたんだろう?といぶかしんでいると・・・・   なんてことはない。仕事をする奴が戻ってきてホッとしている雰囲気だ  ったんだな、これが(^"^;)   干されていた頃のあの空気が払拭されているのは有り難かったけど、帰  ってきて早々、連日残業っていうのはどういうこった?(・_・;)   頼むよぉ・・・・   風邪引いて今ゲロゲロなんだから、フォロー位いれてくれやぁ(゚-゚)   やっぱ、僕はまだ干されてるのかなぁ(^_^;ゞ                                修羅☆ - FARION MES( 6):ハロー・メッセージ ★ 今日のハロー・メッセージから 96/02/17 - 00677/00681 KFQ02761 しまうま RE:人と民 ( 6) 96/02/17 00:51 00671へのコメント #00671 KAZEさん  いらっしゃいませ〜(^^)。 |このFARIONのコンセプトとしてぼくがとっても気に入っているコンセプトに |「組織なきネットワーク」というのがあります(^^)。  なるほどー。パソコンのLANでいえば「クライアント−サーバ型」ではな くて「ピア・ツー・ピア型」ということですね(うー、我ながらかえって分か りづらい例え(^^;)。  改めて考えてみると「焚き火」というのは、「組織なきネットワーク」の象 徴として、非常にわかりやすく、また的確だなあ、と思います。  焚き火に参加する、ということは、火に当たって暖まると同時に、火を絶や さないために柴を持ち寄らなければならない。“持ち寄らなければならない” といっても、それが義務である、ということではなくて、あくまで「火を絶や したくない」という内的な動機がある、ということが前提になるんでしょうね。  また、柴を加えることによって火がなお大きくなる、ということに喜びを感 じる、みたいなところも、焚き火の民の気持ちの底にありそうな気がします (実際のキャンプを思い出してみると、火が大きくなることで、ほんとに原始 的な満足感を味わうことができるよなあ、とも思います(^^;)。 |その「組織なき」というのは、別に「集まるな」ということではなく、 |「個」として責任を負えるような人、 |一人でも焚き火をつくることのできる人が集まって、 |依存的な関係や甘え合う関係ではなく、自覚と自覚がネットワークしていく |そんな関係でなければならないということだと思います。  「自覚と自覚がネットワークしていく」……うーん、素敵なセンテンスです ね(^^)。  その逆、というと「無自覚な人同士のネットワーク」ということになるので しょうか。これはどちらかというと、集団的無意識(でしたっけ? ユングか 誰かがそんなことを言っていたような)によるもので、例えれば一頭では身を 守ることのできない草食動物が、本能的に身を守る方法として集団を作り、集 団の動向に身を任せつつ、自己の保全をはかる、みたいなイメージがあります。  ただ、こういう「無自覚なネットワーク」というのは、これからどんどん崩 壊していく方向にあるんだろうな、と感じます。絶対的一者に帰依奉る、みた いな形のいわゆる“宗教”が力を失い、むしろその有害さばかりが目に付く、 というのもその一例かもしれません。また“身内”である、という意識に基づ いて、お互い甘え合う状況を許し合う、みたいな組織(例えば単なる血縁集団 とか、あるいは会社内での精神論的な一致団結とか)も、今まではある程度有 効だったのかもしれませんが、今後は徐々に影が薄くなっていくんじゃないか なーという気もします。そういう無自覚な結びつきでは、乗り越えていけない ような事ごとが、これから起きてくるのかもしれません。  などと書くと、「組織なきネットワーク」=「非情な集団」みたいな捉え方 をされる方もいらっしゃるかもしれませんが、もちろん「組織なきネットワー ク」にも優しさというのは存在すると思います。でもそれは、粘着性のある、 湿度の高い優しさではなく、もっと熱を持った、ARIONの言葉を借りれば “血の滲むような優しさ”(でしたっけ?)なんでしょうね、きっと。 |「凍える民」は、「組織あるネットワーカー」、 |つまりは、依存的な甘え合う関係でべちゃべちゃしたり、 |権威を重視したピラミッド的な組織をつくったりする人たちの集団だといえます。  うーん、なるほど。「凍える民」というのは、 |96/01/20 「では」と凍える民は言い、焚き火の傍に進み出て天使を見た。  に出てくる言葉ですね。ここでなぜ「凍える人」ではなくて「凍える民」と 書かれているのか、というのが一時話題になっていましたが、もしかすると、 KAZEさんのおっしゃるような「依存的な甘え合う関係」に基づく「組織あるネ ットワーカー」たちの存在を示唆した、という一面もあるのかもしれませんね(^^)。 |ですから、このFARIONで語り合うということも、 |そうした甘えや権威ではなく、それぞれが焚き火を持ち寄れるような |個としての自覚をもった関係でないと、 |そこには真の実りは生まれないのだと思います。  そうですねー。「権威」に盲従したり、「甘え」の中にどっぷり浸ったり、 ということには、いわば麻薬的な常習性がありますから、自分でも十分気をつ けていかなくちゃ、と思います。  その上で、自覚を持った集まりの中から、“真の実り”を得ることができる といいなと思います。この“真の実り”に近づく原動力になるのが「焚き火」 なのかもしれませんね。そこで体を温めることで、骨休めと同時に次の行動の ための準備をする、みたいな。  うーーーん。  今回のKAZEさんのご発言には、考えさせられるところとか、啓発される部分 が多かったです。  皆さんも、もしKAZEさんのご発言を読んで思われるところがあれば、ぜひ書 いてみてくださいね。特に「どこどこについてのコメント」という形でなくて も結構ですので。  ではでは、どうもご登場ありがとうございました(^^)>KAZEさん。   しまうま(KFQ02761) 00678/00681 KFQ02761 しまうま RE^2:人と民 ( 6) 96/02/17 02:02 00672へのコメント #00672 みれさん  どもども〜(^^)。割りコメ失礼いたしますm(__)m。 | このKAZEさんの書き込みで思い当たったんですが、ここのところの |官公庁の不正(住専問題も然り、都の監査の裏金作りも然り)の露呈 |は、凍えさん達のベチャベチャした甘えの結果の露出とも言えるかも |知れませんね。  うーん、そんな事件もあったんですか(-_-;)>都の監査の裏金作り。  僕も、住専問題の解決方法というのが、どうも納得いかないのですが、でも その「納得いかない気持ち」を、どこにどうぶつければ政治に反映されるのか、 というのがぜんぜん分からないです。大蔵省の前で「ふざけるなー!」とかい って、大声大会みたいなのをやってる風景をニュースで見たりしましたが、あ れがどういう効力をもつかと考えると、かなり疑問です。かといって、ほかに 庶民の声を直接的に政治の場に響かせる手段が、ほかにあるとも言えないので すが……。  こーゆー状況って、ほんとに民主主義といえるんかいな(__;)。 | 今年は本番の年だということで、ARIONはこうした「甘えと依 |存の組織」から脱し、組織無きネットワーキングを本気で作るように |私達一人一人の心の中の「凍えさん」に気付いて自覚してゆくように |願っているのかも。  そうそう、本番っすよね。行動の一つ一つの積み重ねを「本番」の自覚でも ってきっちり築いていきたいと思います。そのためには、心の中の“凍え”に 対しても自覚的に対処していかないとダメなんだろうなーと思います。  そのためには、まず自覚することなんでしょうね(^^)。   しまうま(KFQ02761) - FARION MES( 7):自分を観る  ★ ARIONを鏡にして 96/02/17 - 06964/06964 QZA02327 ノロガメ 勘違い。??? ( 7) 96/02/17 01:32 反面教師の無責任独り言パート2 人間には意味も価値も必要なのだ。 だから、自分が人間であれば、自分にとって意味も価値も必要になる。 これって、勘違い。? 自分には、意味も価値も要らない、自分は自分。 自分は、人間として生きるために、意味も価値も必要になる。 「自分を観る」は、「人間を観る」になっているのではないだろうか? これって、勘違い。? 自分は、純粋なる、生命体とするならば、無色透明の水滴、意味は色であり、価値 も色になる。 自然色は本来有る色、その色の上に人間は自分の色を塗り重ねてしまった。 自然色の感動は、今では観られない、観れるのは混合色の濁りだけ。 いつしか、自分もその色に染まって、濁りの中に自分を観ようとあえいでいる。 これって、勘違い。? 「自分とは何か」自分とは、人間。 これって、勘違い。? ノロガメより愛をこめて。まる - FARION MES(11):狼を生きる  ★ 平井和正の著作から 96/02/17 - 02005/02011 JBH00712 桂 桂 狼 (11) 96/02/17 01:51  狼という生き物は群れを為して生きる動物だが、その中に置いても最も慈愛 の精神の富んだ動物である。  彼らは異なる種族の生き物でも、もし迷子になったり群れから逸れてさ迷っ たりしているのを見つけるとためらいもなく餌を分け与えたり一緒に育てたり する。こんなことを獣は、狼を除いて果しているだろうか。  振り返って人間を考えて見る。  もしあなたの隣人が何事か不幸にあった時、あるいは何事か起きている時、 もし場面に出くわしたら一体どうするだろうか。  見て見ぬふりをする?  それともそんなこともあるか、で終わらそうとするか?  もし出来れば、一緒に話を聞いてやって欲しい。そして出来れば話を聞いて やって欲しい。力になってくれれば尚良い。  何故なら、そこで不幸のままで終わろうとしてしまう事は可能性をつぶす事 になるからだ。何の可能性だって? それはその人の、もしあるかもしれない 未来への可能性だ。  誰だって好んで不幸に成りたがっているヤツなんていない。  だったら、分け隔てなく未来への可能性を信じるべきだ。そして力になって 伸ばしてやろうという気持ちにもなれる筈だ。  他人の可能性を伸ばせるのなら、自分の可能性も伸ばせる筈。  そして社会が、そんな人間で満ち溢れるなら、きっと世の中を変えて行く事 が出来るだろう。 桂 桂(JBH00712) - FARION MES(12):精神世界裏表 ★ ニューエイジビジネス を斬る 96/02/17 - 00797/00800 GFB00026 一輝 オカルト雑誌の新創刊 (12) 96/02/16 16:21  コカイン密輸で麻薬取締法違反に問われ、論告求刑で懲役6年を求刑されて いる角川春樹(現在保釈中)が、荒俣宏を中心としたオカルト及び精神世界雑 誌『ボーダーランド』を創刊するという。時期は不明だが、ネタ切れの精神世 界状況だけに動向が気になるところだ。                 FARION 12番会議室*精神世界裏表案内人:一輝 - FARION MES(13):神秘学遊戯団 ★ 限りなき神秘への航海 96/02/17 - 04300/04302 KFQ02761 しまうま RE:叡智を愛に (13) 96/02/16 23:32 04265へのコメント #04265 KAZEさん  どもども〜(^^)。 |最近は、バッハのカンタータなどを聴きながら涙を流してるわけで、 |そうそう、今日も、最近注目の鈴木雅明さんによる「ヨハネ受難曲」のCDを |聴きほれながら、感動に胸ふるわせてたりして・・・^^;。 |ううむ、キリストのイメージが迫ってくる(^。^;)。  へえええ。僕はクラシックはからきし疎いです(^^;。やはりポップスが漫画 だとしたら(註:漫画に例えてるのは決して別称ではありません。むしろ誉め 言葉)、クラシックは小説みたいなもので、ある程度“聴きこなす耳”みたい なのが必要なのでしょうか。それとも単なる僕の“聴かず嫌い”かな?(^^;  いや、決して「嫌い」という訳ではないのですが、なんか取っつきにくいよう な……。 |ちなみに、シュタイナーによれば、人間は、肉体、生命体(エーテル体)、 |感受体(アストラル体)、自我という構成要素をもっていますが、 |それぞれの構成要素は、そうした天使存在方から与えられたものなんですよね。  肉体・エーテル体・アストラル体(ATOKによれば「明日虎留隊」だそーです。 なんかカッコいいぞ(^^;)の3つに分けられる、というのは、確か神智学でも 言ってましたよね(うろ覚えなので違っていたらすみませんm(__)m)。  このエーテル体とアストラル体というのは、僕のイメージでは同じもののよ うな気がしているのですが、どう違うのでしょうね? 心と魂、みたいなもの なのでしょうか。 |その構成要素のなかでもっとも古いのが肉体で、トローネ(意志の霊)から。 |次に古いのがエーテル体で、キュリオテテス(叡智の霊)から、 |次に古いのがアストラル体で、デュナメイス(力天使)から、 |そして自我は、エクスシアイ(形態の霊)であるエロヒムから与えられました。  うーむ、なるほど。肉体・エーテル体・アストラル体に加えて、自我が入っ てくるんですね。肉体でもエーテル体でもアストラル体でもない「自我」って ……なんとなくあまりちゃんとイメージできません。この3つをひとまとめに する力、みたいなものなのでしょうか? |反対に、こういうあたりがわからないと、宇宙進化のダイナミズムが |なかなか理解できないということもいえるでしょうね。  うーん、反論できないのがちょっと悔しい(^^;。 |つまり、はじめから外にあるもので動くのではなく、 |まったく同じ行動であるとしても、それをいったんは、 |内的に理解し、咀嚼したうえで行動しなければならなくなったのです。 |そして、そうでなければ、単なるロボットでしかないわけなのです。  確かに、最近「自分の意志で動くこと」の大切さや、「自分の意志を貫くた めの強さ」の必要性を感じる場面が多いです。  人の意見に耳をふさぐ、とかいうことではなく、自分の先を行っている人の やっていることや考え方をどん欲に吸収しつつ、なおかつそれを鵜呑みにする のではなく自分なりに使いこなす……ことができればいいなあ(^^;。  僕の場合ついつい「ふむふむ」「ほうほう」と相づちをうつばかりになって しまいがちなので、要注意です(__;)。 |そうですね、「人事を尽くした」なんていえることはまずありませんから、 |そこに「神」のでてくる余地がないともいえます(^。^;)。  いやー、僕もそう思うことが多いです。「人事を尽くせますように」とお願 いしたりするのは反則でしょうか(^^;。   しまうま(KFQ02761) - FARION MES(15):マホロバ誕生 ★ 大和魂復活のために 96/02/17 - 00529/00530 KHC01313 まるにちょん RE:日月神示 悪抱きまいらせよ (15) 96/02/17 02:32 00522へのコメント  #522 KAZEさん いつもどうもです。   >> ぼくが知っている範囲でいえば、日月神示のなかでいちばん気に入っているのが >> ご紹介いただいた「悪抱きまいらせよ」あたりなんですよね。 >> それに、不思議なことに、そこらへんの内容というのは、 >> シュタイナーの神秘学的なとらえ方と非常に近しいものなんです。 >> あと、近いものといえば、親鸞の悪人正機説でしょうか。 へぇー、そうなんですか。僕もこの「悪抱き参らせよ」が大好きです。 悪が何故存在するか?って考えると、悪も使い道次第で、善への転換エネル ギーに変わり得るのではないかと漠然とながら考えています。 >> ただ、日月神示で伝わって来にくいのは、 >> なぜ「悪抱きまいらせよ」なのかということだと思います。 >> そもそも「悪」がどういうものなのかについてもよくわからないところがありま す 。 >> 従って、もちろん「善」とは何かについてもよくわかりません^^;。  ええ、何故「悪抱き参らせよ」なのかは、書かれていなかったように思います。 ここが分かり難くいところの一つだと思います。  善や悪は、人間が生きていく中で判断して行くしかないのかも知れません。 失敗も勉強の内といっても良いかも知れません。(だからと言って、それを言い 訳にしてもいいこととは違いますが)  僕が愚考するに、神様の中では善も悪も違いは方向性だけであって、絶対値的 なエネルギーとしては一緒ではないかと思います。 >> ぼくの知る限りでは、日月神示の解説などを見ても、 >> >>    善では立ちて行かん、悪でも行かん、善悪でも行かん、悪善でも行かん。 >> >> という神示の内容に反して、善ばかりを強調してしまうんですよね。 >> やはり、それでは、他の凡百の宗教道徳のような埃を被ったものと >> なんら変わるものではなくなってきます。 そうなんですよね。僕も日月神示をちゃんと読むまでは、善と悪を分けて考 えて、善ばかりをいいものとしてきましたが、やはり善だけでは弱いと言うか 本当の悪に出会った時に立ち向かえないと思うのです。  変な言い方ですが、悪の力に裏打ちさえれたハイパーな善で無ければダメな んじゃないかと思います。 >> そのためには、やはり、悪の自覚ということが必要になります。 >> 「自分は正しい」とだけ思い続けるほどの悪はないともいえるわけです^^;。 >> それから、善を目指すにしても、それは善悪という二項対立のそれではなく、 >> 悪をも「抱きまいらせ」た善でなくてはならないというのがひとつです。  悪を知らなければ、善も知ることもできないだろうと思います。  己の中の悪を自覚することから始めないと、外側に悪を見るだけでは本当の 善も理解できないでしょうね。ましてや、悪を抱き参らせることなぞできない ことだと思います。 >> それと、「悪」といっても、さまざまなレベルの「悪」の「お役目」があります か >> らそれらを混同していっしょくたにしてしまうと、 >> そのこと自体がまたひとつの無自覚な悪と化してしまうということもあります。 (改行編集)  「悪」にもいろんな役目があると思います。 僕の考えでは、例えば、堕落させるための「悪」は同時に敵役のように自分を 成長させるのものであったりもして、「悪」も両面的であると思います。  「悪」自体をどの様に活用するかは本人の自覚次第だと思っています。 (ここで言っているのは、自己の中の「悪」のことです)  「悪」の「お役目」について、KAZEさんの意見で大事なことだと思うので、 ちょっと突っ込んで質問したいのですが、さまざまなレベル「悪」の「お役目」 の見分け方やヒント、それに「悪」の正しい使い方(^^;などについて、なにか ご意見があれば教えてください。お手空きの時で結構です。  では、また。                    まるにちょん、○ゝ 00530/00530 KHC01313 まるにちょん RE:カミ・コメ・ツチ・ヒト☆輝き (15) 96/02/17 02:33 00523へのコメント  #523 KAZEさん、いつもどうもです。 >> 「輝く」というのは、その人がその人であるためのかけがえのなさを >> 存分に発揮していくことだというふうにぼくは感じました。 >> ですから、反射板としての人としては、ただ精度の高い鏡であるだけでは >> ダメなんだというふうにも思いました。 なるほど、単なる鏡ではなくって、「自らがある由」を自己表現の光として 発っしているということでしょうか? >> ですから、「輝く」ためには、人が人として個性的であるということ。 >> 単に、己を空しくするのではなく、己をちゃんと形成しながら、 >> その己を一種のアンプのようにしていくことが必要ではないかと思います。 この表現凄く分かり易いですね。 アンプみたいなものなら、光も増幅したり変換したりできますね。 真実の光を受けて、自ら新しい光を想像することも可能ですね。 受け売りで仕入れたものをいくら反射したからと言って、それは単なる模倣 に過ぎ無くって、光の量は増えることはないし、自らが反射しているとも言え ませんね。単なる電線みたいなもののようになって仕舞いますね。  光が光を反射し、増幅してあって、光満ち溢れるような世の中にしていきた いですね。  まずは、自分がアンプ的鏡にならなきゃね。  では、また。                   まるにちょん、○ゝ