「あなたは未だ凍えているね」と天使は凍える人を見て言った。 - FARION MES( 6):ハロー・メッセージ ★ 今日のハロー・メッセージから 96/02/18 - 00683/00684 GBG02043 維/YUI 柴垣 ( 6) 96/02/17 23:20 垣は何の為にあるのか。 自分の領地を外界から分ける為。 又は何かを隔離する為。 ? ハロ−メッセ−ジで使用されている”柴”は、焚き火を絶やさない為。 焚き火は、一人一人の命の炎、そしてその集合体だろうか。 柴が、その人が生きていく過程で学んだ事柄、経験、知識ならば、 自分をよりよく生かす為、そしてそれを他の者と共有して、場を広げて いこうというのが焚き火の意味合い。 その柴が、垣をめぐらすのに使われる。 一人一人が、自分の私腹を満たすため、自分の野心を隠すために知識や 生きる道すがらで得た、コネ、権力などを総動員して、ことにあたる。 それは、他との繋がりを自ら捨てることになる。 柴を使い果たして垣をめぐらし、安穏だと思ったその瞬間には、自らを 温め生かす焚き火の為の柴は無く、凍えた果てには自滅する。 これではまずい!と分かった時点で、柴垣をほどき、焚き火を自ら作れば いいのに、それがなぜかやりにくいものなのだろう…。 戦後の急成長の中で、垣はどんどん頑丈になっていったのだろう。 いつのまにかすりかえられた自由、押しつけの平等。 民主主義という名に隠された個々の野望。 プライバシーの保護の元で保護されたのは、私利私欲。 垣武の夢というのがあったけど、あれは”完無の夢”だったのだろうか。 ほとんどイミフメな発言でした…。 維/YUI 00684/00684 GBG02043 維/YUI RE:【ご意見募集】RTでの論点について ( 6) 96/02/17 23:21 00641へのコメント 少し時間がとれたので…。 * 1)凍えた人が「招いてください」と言ったとき、あなたならどう答えますか?* う〜。 「招かれなくても、焚き火の前に来たいなら、来ていいんじゃない? それに、さっき焚き火の前に来ればいいって、いわれてなかった?」だな。 * 2)凍えた人が招かれて焚き火に加わったことについての責任は、どこに * *  (誰に)あるでしょうか。 * 招かれようが、招かれまいが、火に加わったのは、その行動をとった人の責任。 招いたことで起きる事柄には、招いた人にも責任が生じる。 そしてただ事の なりゆきを見ていた人も、実は当事者なのではと思えてきた。 * 3)『「どうぞ、こちらへ」と焚き火の民は言った…天使は黙している』 * *  この時の天使の心境はどうだったんでしょう。             * わからない。 ただ、招くか、招かないかということだけが問題なのではなくて、 その次からの行動が、どういう心根から生まれ何をめざしているかで、違って くると思う。 招いたことが凍える人にとって、とりあえずあまり良い影響を 与えなかったとしても、その後のそれぞれの行動がお互いに作用した時に、何を 見つめているか、そこに誠実さや自分にとっての問題を解決する意志とかがあり 何が起きても、逃げ出さず一つ一つの事にあたる気持ちがあっての行動なら、 天使にしてみれば、余計な遠回りだということがわかっていても、焚き火の民が 自分で選んだ道を歩み”続ける”ことは、まるっきりの無駄…という訳ではない と思う。 まっとーな文章に相変わらずなっておりませんが…ごかんべんください。^^; 維/YUI - FARION MES( 9):日本魔界巡航 ★ 神と人の関りを探る 96/02/18 - 802/804 MHD02672 TAO 蝦夷RTのまとめ(長文注意) ( 9) 96/02/17 22:25  先日の「北のまつろわぬ民 蝦夷」についてのテーマRTにご参加頂いた皆様、有  り難うございました。多少遅れましたが、まとめです。ちなみに蝦夷に関するとこ  ろだけまとめましたので、抜けている部分もあることをあらかじめ断っておきます。  *************************************  ・一輝さんの「AMA族」シリーズによれば、出雲AMA族と縄文族が日向AMA   族に追われて東北に逃れて来たことになっている。蝦夷はAMA族だとARIO   Nは言うが、出雲系AMA族を指しているのでは無いか?  ・縄文族のナガスネヒコも東北に逃れたが、ナガスネヒコはニギハヤヒと血縁関係   にあった(日本書紀ではニギハヤヒに討たれたことになっている)。  ・神道辞典では、ナガスネヒコは大和地方の土着部族とされている。縄文族はAM   A族が来る前の先住民だったと言う。  ・縄文族は、先鋒AMA族だったのでは無いか?  ・東北にはナガズネヒコの兄とされる安日を先祖とする安倍氏がいる。アベ、或い   はアピと言う言葉は、アイヌ語では「火」を意味する。安倍氏は俘囚長だったと   される。  ・俘囚とは何か?→朝廷に帰属した蝦夷を指してそう呼んだ。  ・俘囚は各地に送られたが、狩猟を好んで農耕は嫌がりもめたという記録が残って   いる。蝦夷は基本的には狩猟民だったとされる。  ・何故俘囚を分散させて各地に送り込んだのか?→その結集を恐れた為?また北九   州にも“兵士”として送られたという。  ・大和朝廷の方針は「夷をもって夷を征す」といい、同族同士を争わせることで根   源の支配者から目を逸らせていた。東北の安倍氏も清原氏も俘囚長として俘囚を   抑えていたが、自分達もしまいには乱を起こした。  ・「蝦夷」とは、朝廷による蔑称だった。彼らは高度な文化を保持しながらも俘囚   の身に落とされてしまったとも言える。蝦夷は金属精錬の技術を持っていたとも   言う。  ・アイヌと蝦夷の関係については、蝦夷とアイヌは同じ種族だと思っている人もい   るが、その関係についてはまだ確定的な説は無い。血縁関係は近いとも思えるが、   文化はかなり違う>蝦夷とアイヌ。遺跡から発見されている土器からも、アイヌ   と縄文は文化圏が分かれているという。  ・出雲AMA族が東北に追われたという話では、出雲と東北はズーズー弁やそばの   文化圏が共通している。出雲の一地方だけズーズー弁に近い方言があるという。  ・大和の蘇我蝦夷という人もいる→蝦夷を自宅に招いて歓迎したという記事が『日   本書紀』にある。蘇我家の人達の名前も後世に付けられた蔑称というが、何故蝦   夷という字を当てたのか? 蘇我家が蝦夷と関係が深かったかも。  ・鬼と呼ばれたものは大抵離散した出雲AMAだったか? 日向系朝廷にまつろわ   ぬAMA系=オニか? 鬼は産鉄民とも関係があるが、追いやられてしまった存   在かもしれない。産鉄民は東北にも進出していたという考古学上の記録がある。   (東北産の鉄が精練され、その製品が北九州から発見されている)  ・東北の安倍氏や清原氏は、鉄に関する技術を持っていたという。AMA族は出雲   も日向も金属精錬技術を備えていたという。  ・産鉄民は古代社会では、シャーマン的な扱いをされていた。刀鍛冶はほとんど神   掛かりでやるという。  ・蝦夷と名付けられた東北勢力が、畿内政権にとっては常に脅威だったと言える。  ・奥州藤原氏は、畿内の藤原氏との関係があるかどうか分からないが、自ら俘囚の   末裔だったと名乗っている。つまり蝦夷と自ら認識している。  ・源義経も奥州藤原氏に育てられているが、何故奥州に連れて行く必要があったの   か? また藤原氏が義経を取り込もうとした理由は何か?  ・義経伝承に始まる判官贔屓とは何か?→1.悲劇のヒーローをまつりあげたい民   衆の意志/2.何故か負けた方が慕われてしまうというのは、強い方が征服者っ   て認識があるのかも/3.民衆そのものに 支配される者としての不満があるか   らか(日本人の原始的な無意識の中に)/4.蝦夷やアイヌ、隼人等のまつろわ   ぬ民への共感もそこから来ているかも  *************************************  この後は話題が拡散してしまい(^^;、何故か「超古代史」的なノリに変わって行き  ましたが(^^;、「超古代」ってどのくらいかという質問には「聖書以前!」という  答がありましたので、聖書以前の歴史の謎を追う「超古代史」RTも悪くないかも  しれません(笑)。  TAO 803/804 GEC00333 ぴの 中矢氏の新刊 ( 9) 96/02/18 03:33 コメント数:1 ご無沙汰しています。久しぶりに書き込みますが、この間、TAOさん が北海道に旅行された頃に、私は大阪で萱野さんの講演を聴きにいく など、結構、TAOさんとはシンクロしているように感じていました。 この前14番会議室の方で「AMA族関係の輪読」の提案があって、 それが最終的にはペンディングになったことを残念に思っていました。 でも、昨日立ち寄った書店で、中矢伸一氏の新刊の   『封印された日本建国の秘密』    日本文芸社、平成8年2月25日発行 を発見して購入。私にとっては、しばらくはこの本がAMA族関係の 輪読の代わりになってくれそうです。 輪読の件以外の理由でも、この本の入手は私にとって、タイムリーで した。先日「邪馬台国が摂津・三島のアイにあった」という説を唱え る高校の先生の話を聴きに行き、資料も頂いてきました。摂津・三島 というのは、淀川の左岸で現在の茨木市や高槻市にあたります。私は 茨木市に住んでいますが、これまでそんなことを考えたことがありま せんでした。確かに、この地域には、三島のミゾクイミミを祀る溝咋 神社、安曇氏の祖を祀る疣水神社、火明命を祀る新屋に坐す天照御魂 神社など、海人系の神を祀る神社があり、銅鐸の鋳型が出土したこと から銅鐸鋳造の拠点であったとされ、そういわれれば何かありそうな 場所です。地図を眺めると、高槻市に安満(アマ)という地名もあり ます。 この説のアイデアは、伊勢外宮祭神で伏見稲荷祭神でもある豊受大神 と、摂津風土記稲倉山の豊宇可売姫と、そして三島の延喜式内社幣倉 神社(現在は阿為神社に合祀)の豊受大明神とが、同一人物であると し、しかも、その豊受大神が魏志倭人伝の壹与(トヨ)であるという ものです。そして、奇稲田姫が卑弥呼であって、その墓が幣倉神社の 隣の幣久良山と呼ばれる塚であるというものです。 邪馬台国が摂津・三島にあったかどうかは別にして、豊受大神に関す る部分は、なるほどと感心させられました。実は、この豊受大神の話 が中矢伸一氏の新刊にも出てきて、伊勢神道の教義では、豊受大神を 国常立尊と同一視し、またの名として大元神とも称したというのです。 また、豊受大神は、籠神社の奥宮の真奈井神社にも祀られていますが、 真奈井神社の紋は、いわゆるダビデの星と同じ形であることもこの本 に写真付きで説明されています。 ところで、豊受大神と同神である大元神について、宇佐八幡とも関係 があることや、西日本ではアラハバキ神は大元尊(大元神)になって いるいうことも、最近知りました。アラハバキ神といえば、偽書説で 世間を騒がした『東日流外三郡誌』で、アラハバキ神が古代津軽地方 で信仰されていたとされます。その『東日流外三郡誌』で津軽に逃れ たとされるナガスネヒコが、中矢氏の本に紹介されている、富氏伝承 に基づく出雲神族の系図に現れます。つまり富氏はナガスネヒコ直系 の末裔だというのです。そして、この富氏の祖神は「クナトの神」で あり、それは「塞の神」や「道祖神」として祀られている神と同一の 神です。 さて、話を少し戻して、摂津・三島の幣久良山の近くには、道祖本と いう地名があり、そこの住民は塞の神に餅を奉納する信仰があります。 前述の高校の先生は、摂津・三島の地が、邪馬台国であるとともに、 元々の出雲であって、卑弥呼の末裔が迫害されて、道祖本に閉じこめ られたり、東北、北海道に逃れて、アイヌになったという説を展開さ れています。かなり乱暴な議論ではありますが、AMA族伝承におけ る出雲と東北の関係を彷彿させるものです。 それから、中矢氏は、出雲神族がシュメール系海洋民族であるという 見解も示されていますが、これは太田龍氏がシュメールの残党を天孫 族であるとするのと対比できて面白く読めました。シュメールが日本 へ到来したという話は、いわゆる、超古代史の範疇だと思いますが、 私は、昨年、ベルリンの博物館にある復元されたイシュタル門を見学 したりして、一時期は結構、真剣に考えていました。稲作文化の起源 は、どうやら江南流域で決着しそうですが、金属器の伝播については、 稲作とは別の起源地を考える必要があると思っています。これは余談。 長々と書きましたが、中矢氏の本をきっかけにして、いろんなものが 一挙に結びついてきそうな予感がしています。 PINO GEC00333 PS: 蝦夷RTは参加したかったけれど、チャットにどうも自信がないので、 迷った末に断念しました。 804/804 GEC00333 ぴの 新聞から紹介 ( 9) 96/02/18 14:43 803へのコメント 邪馬台国について書いたので、最近半年間の新聞記事から考古学的 な動向をいくつか紹介します。 ------------------------------------------------------------ 昨年の6月に池上曽根遺跡で神殿とみられる高床式建の物跡が発見 され、8月には神殿(正殿)のそばに脇殿も発見されました。この 遺跡は弥生中期後半(一世紀)のものとされますが、正殿・脇殿と いう建築形式は後の時代の飛鳥板蓋宮や伊勢神宮の宮殿形式の祖形 とみられることから、それが既にこの邪馬台国よりも古い時代から 畿内に存在していたことが注目されます。また、後漢尺が採用され ていることや、南北の方位を厳しく守って建物の配置が決められて いることから、中国の建築技術が直輸入されたものとみられ、大陸 と畿内の通交を示唆するものであることも注目されます。 9月には、京都府向日市の中海道遺跡で邪馬台国時代(三世紀)の 祭殿とみられる建物跡が発見されました。 12月には、トヨスキイリヒメの墓との伝承のある奈良県桜井市の ホケノ山古墳が邪馬台国時代(二世紀末−三世紀後半)に築造され た日本最古の前方後円墳であるとする新聞発表がありました。この 古墳の近くには箸墓や巻向遺跡があり、巻向遺跡、ホケノ山遺跡、 箸墓と連続してこの地域を根拠地とする集団がいたことを示唆する ものだと云われます。 ところで前述の中矢氏の本には、「邪馬台国は銅剣・銅鉾分布圏内 にあった」、「崇神王朝が銅鐸文化を破壊した」という記述があり ます。もし邪馬台国畿内説をとるのなら、銅鐸の製造拠点があった 摂津・三島よりも、巻向を拠点とする崇神王朝につながる集団の方 が、いろいろと整合性があると思います。 話が逸れたついでに、崇神王朝の拠点にある穴師坐兵主神社の祭神 が御食津神であり、その御神体が日矛であることが、鳥越憲三郎氏 の『神々と天皇の間』(朝日文庫、昭和62年発行)に載っている。 御食津神については豊受大神との関連で興味深い。また、鳥越氏に よると、日矛とは鏡のことだそうです。そういえば、以前、京都の 伏見稲荷へ参拝して頂いてきたお守りに小さな鏡が付いていたこと を思い出した。もし、日矛が鏡のことであるのならば、古代に但馬 や丹後で活躍したアメノヒホコの名前から受けるイメージが随分と 違ってきます。 今年1月の国際シンポジウム「稲作と長江文明」では、中国最古の 大環濠集落(約8千年前)が長江中流域にあったとする調査結果が 明らかにされました。これは弥生時代の環濠集落のルーツを探る上 で興味深い成果です。 同じく1月に、三重県片部遺跡で土器に書かれた日本最古(四世紀 前半)の文字が見つかっています。 ------------------------------------------------------------ PINO GEC00333 - FARION MES(12):精神世界裏表 ★ ニューエイジビジネス を斬る 96/02/18 - 00801/00803 PFE01162 HAL RE:CIA洗脳プログラム系統 (12) 96/02/18 01:42 00786へのコメント コメント数:1 >#786 ぴのさん なかなかの正しいご意見拝聴しました。 あなたの感覚はほんとにノーマルだと思いますね。でも世の中なかな かノーマルな人は少ないらしい。 どうも西海岸白人エリート趣味のようなものをサイエントロジーも持 っているようです。基本的に彼らは見てくれの良い肉体でもって、経 済的に成功するのが幸福と考えてるようなところがある。 そして、願わくば善意でもってその他のかわいそうな劣等な人々を支 配し、導くのが使命てなところがある。(暴言か?) まあ、淵源を辿るとヒトラーに影響を与えたと言われるイルミナティ の流れからこのカルトも来ていると思いますけど。 また、OTレベルというクリアーレベルを越えた段階における情報に はある程度の知的興奮をそそるものがあうように思われますので、チ ック・コリアなんかもこのあたりにハマっているのかもしれません。 で、おもに五反田においてはですね。二つの種類の人が見られますね。 一つは、主に女性で、現在30代というところ。 最初の動機は、英語が上達して同時になにやら世界のシステムとも言 うものを学べるらしいということでハマ人たちですね。 この人たちは、落ちこぼれキャリア・ウーマンというところかな。 幹部を含めてかなり目に付きます。 もう一つは、例によって自分に自信が持てなくて何らかのシステムの 軒先を借りることによって自尊心を満足させようというタイプかな。 これは20代の男に多いかな。 このような書いていても情けなくなるような人によって構成されてい るのが東京の本部ですね。 そして、時々顔を見せるアーストラリアやロスから来た白人の幹部が 集金の案配を監視するというところでしょうか。 中の日本人は個々の人格としては決して悪い人間ではないし、むしろ 向上心のあるタイプが多いのは当然としてなぜかそこがカルトである と認識してないのがやはりマインドコントロールのいいところ。 じゃない、ヤバいところです。 それでもって、こないだも5年ぶりにちょっと覗いてみたと言いまし たが、これがすごくて、何にも変わってないんですよ。1ミリもね。 これは一輝さんのジャンキー話しと同じですね。 時間が止まっているというのがニューエイジジャンキーの特徴かな。 これは少なくとも社会的にも生物学的にも生き物としての健全な姿で はないわけです。 新陳代謝なんてないものですから。放っとけば自己崩壊するというの が私の見方です。 00803/00803 GEC00333 ぴの RE:CIA洗脳プログラム系統 (12) 96/02/18 16:16 00801へのコメント HALさん 》 なかなかの正しいご意見拝聴しました。 》 あなたの感覚はほんとにノーマルだと思いますね。でも世の中なかな 》 かノーマルな人は少ないらしい。 私がカルトの怖さを本当に理解できたのは、昨年のオウム事件からです。 前にも書きましたが、自分のこれまでの人生を振り返ってみて、カルトに ハマらなかったのは、単に運が良かっただけなんだというのが、偽らざる 実感です。 サイエントロジーには騙されないけど、もっと巧妙なのが来ればイチコロ かも知れません。これは恋愛と似ている面もあるので、絶対に騙されない と断言できるものでもありませんので(笑)。 》 もう一つは、例によって自分に自信が持てなくて何らかのシステムの 》 軒先を借りることによって自尊心を満足させようというタイプかな。 》 これは20代の男に多いかな。 20代の男というのには、多少は同情できます。 誰にでも、特に若い時には、周囲と比較して、自分に自信が持てない時期 というのがあります。そんな時期の行動パターンとして、精神世界に軒先 を借りるという他にも、趣味やスポーツに打ち込むとか、市民運動や地域 活動にのめり込むというのも同じことでしょう。緊急避難という意味では、 何かの軒先を借りることがあっても、それは仕方がないかなと思います。 緊急避難が終われば、無駄にした時間もお金は、将来の自分にとって何か の肥やしになると思って、諦めることですね。まあ、それもハマらないと いうのが大前提なのですが。矛盾がありますね。 それから、私の場合、自信が持てないというよりも、閉塞感が根本にあり ます。これについては前に少し書いたので、ここでは省略します。 PINO GEC00333 00802/00803 PFE01162 HAL RE:履歴隠し/ニューエイジ人種差別 (12) 96/02/18 01:45 00794へのコメント >0794 一輝さん こうやって話しをするのはちょっと久しぶり。お元気そうでなによりです。 履歴隠しというのはあまり意識してなかったですねえ。ただ忙しくて書けなかった だけなんですが。やはり外面気にする人が多いのかな。 私もこの10年くらいはいろいろといわゆるニューエイジ情報を漁ったクチですが それを隠そうとは思いませんね。やらないよりはやったほうが良かったですよ。 自分にとってはアイデントを獲得するのに役立ったものです。 それには人間痛い目に会うのは受け入れなきゃ、何事も経験ていうやつですか。 いまはあんまり必要とは思わないけどね。 それにしてもオウム以降手のひらを返したようにオカルト分野の情報は減りました。 なんで日本てこう極端なんだろうとは思います。 誰かにコロがされてんじゃないのという感じがしますね。 黒人はケガれだって・・・ ニューエイジはやっぱそうだよね。 それを言ったら有色人種はみんなケガれでしょ。もうナチスと同じですね。 これは禁句なんじゃないかな暗黙の。遡ればヨーロッパのどこかにたどり着くのが バレてしまいますからね。 もう、タマネギ頭のおばさんがベンツ乗ってボランティアつうのと似たような滑稽 さがあると言っては暴言か。 そういや、サイエントロジーの職員もアボリジニの血を隠そうとしてるのがいたけ ど、見れば分かるルックスしてるのにね。いやイギリスの血がどうたらと言い訳し てんの、こっちはアボリジニのほうがカッコいいねと言ってるのに。 バカじゃないかと思いましたね。 で、ニューエイジにしろカルトにしろ基本的には自分たちは衣食住足りてるものだ から他者の為になにか目に見えるころをしなきゃ気が済まないとなるのかな。 そういう動機を持った人が中間管理に回るんですね。 基本的な動機は善意なんですね。でもそこには他者に対して優越したいという性が 見え隠れしている。 でもって、これをまた利用する集団が居るというわけ。 この利用しようという集団の目指すところは、一部のエリートと大多数の奉仕者と いう図式に集約されるのは目に見えている。 いま、暗黙のコンセンサスによる価値観を全て洗い直すと面白いと思いますね。 多分そこには支配層の優越感と同居したそうでない人々への恐怖感というものが見 えてくるのかもしれません。 - FARION MES(13):神秘学遊戯団 ★ 限りなき神秘への航海 96/02/18 - 04303/04304 GGA02514 KAZE 英語版般若心経とその日本語訳^^; (13) 96/02/18 01:43 04296へのコメント コメント数:1 諏訪みのるさん、どうも。 》欧米の人が英語訳された般若心経を読まれたらどのように感じられるのか、 》とても興味が湧きますね。(^^) インターネットを検索したところ、けっこうたくさん、般若心経の英訳が 紹介されてましたので、そのなかから、 》[Zen Home Page] Southwest Chogye International Zen Academeia / 10/27/95 に掲載されてあったものを参考までにご紹介してみたいと思います(^^)。 また、これだけではつまらないので、それを下手ですが^^;、 簡単に訳してみたいと思います。 ========================================================================= The Heart of the Prajna Paramita Sutra       般若の智慧の心の経 The free seeing Bodhisattva of compassion, while in profound contemplation of Prajna Paramita, beheld five skandhas as empty in their being and thus crossed over all sufferings. 観自在菩薩が 般若の智慧を深く行じたとき 五薀が空であることを見てとり そのことですべての苦しみを消すことができた O-oh Sariputra, what is seen does not differ from what is empty, nor does what is empty differ from what is seen; what is seen is empty, what is empty is seen. おお、シャーリプトラよ、見えるものは空であるものと異なるものではなく また空であるものは見えるものと異なるものではなく 見えるものは空であり、空であるものは見えるものなのだ It is the same for sense perception, imagination, mental function and judgement. 知覚、想像、思考の働き、判断力といった感覚は 同じものである O-oh Sariputra, all the empty forms of these dharmas neither come to be nor pass away and are not created or annihilated, not impure or pure, and cannot be increased or decreased. おお、シャーリプトラ、こうした法の空なる様相はすべて 生じることもなくなってしまうこともなく 創造されることも滅してしまうこともなく 増えることも経ることもありえない Since in emptiness nothing can be seen, there is no perception, imagination, mental function or judgement. 空のなかには何も見えないから 知覚も想像も思考の働きも判断力もない There is no eye, ear, nose, tongue, body or consciousness. Nor are there sights, sounds, odors, tastes, objects or dharmas. There is no visu-al world, world of consciousness or other world. 眼も鼻も舌も身体も意識もなく 視覚も音も匂いも味も対象も法もない 視界も意識界もその他の世界もない There is no ignorance or extinction of ignorance and so forth down to no aging and death and also no extinction of aging and death. There is neither suffering, causation, annihilation nor path. 無知も無知のなくなることもなく さらに歳をとることも死ぬこともなく、また歳をとらないことも死なないこともない 苦しむことも因果も滅することも道もない There is no knowing or unknowing. Since nothing can be known, Bodhisattvas rely upon Prajna Paramita and so their minds are unhindered. 知ることも知らないこともない、それは何も知られ得ないからだ 菩薩は般若の智慧に依るならばその心は妨げられない Because there is no hindrance, no fear exists and they are far from inverted and illusory thought and thereby attain nirvana. それは妨げるものがなく 恐れがなく、そしてそれらが倒錯や錯覚から遠く離れ それだから涅槃を得るのだ All the Buddhas in the three per-i-ods of time fully accomplish the an-nut-ta-ra-sam-yak sambod-hi by relying upon Prajna Paramita. 三つの世にあるすべての仏陀たちは 般若の智慧に依ることで 阿耨多羅三藐三菩提を完全に達成する Therefore, Prajna Paramita is known as the most divine mantra, the great enlightening mantra, the utmost mantra, the in-com-pa-ra-ble mantra, destroyer of all suffering! since what is true is not in vain, listen to the mantra of the Prajna Paramita--it goes like this: だから、般若の智慧は最も神聖な真言、 偉大な悟りの真言、 最高の真言、 無比の真言、 すべての苦しみを滅する者として知られているのだ! 真実であるものは虚しいものではないのだから 般若の智慧の真言を聴きなさい−−それはこうだ GATE GATE PA-RA GATE PARASAM GATE BOD-HI SVA-HA! ガテ・ガテ・パ・ラ・ガ・テ・パラサム・ガテ・ボ・ディ・スヴァ・ハ! ========================================================================= ま、こういう感じで、ほとんど直訳で、 なんだかあんまり面白くないし、ありがたみもありませんね^^;。 もちろん、もっと意訳した解説的なものもあったりして、いろいろのようです。 》“縁起生のものだから否定されるべき”と捉えるのは筋(本意)から外れる訳で、 》このあたりの誤解は是非とも明確にしておくべきなんじゃないかと思っています。 》般若心経が、いや、縁起が最も誤解され易いのは、この点だと思うんですが。(^^) そうですね、でも、ぼくが思うに、 般若心経というのは、第一義には、 この世への執着を離れるように説いているという側面が かなり強いのではないかと思っています。 ですから、とくに不浄仏霊なんかにはよく効くわけです^^;。 不浄仏霊っていうのは、この世に執着を残して死んだ存在なわけですから。 ということで、今回は、 参考までに英語版の般若心経をご紹介してみました。 では、では(^^)。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ - FARION MES(14):預言解読村  ★ 預言・予言は何を語るか 96/02/18 - 03662/03663 PAG03134 はな RE^2:獅子の門とは至福の門 (14) 96/02/17 23:17 03661へのコメント SOUND さん >> もうすぐ蓮華の花も開き人心の連繋ができあがりそうです。  「蓮華が開く」本当にそうなるといいですね。(^^)  16日、薬害エイズ訴訟で、厚生省が国の責任を認めたこと も、蓮華が開いたヒトコマだと思います。原告団で精力的に活 動していた川田君を見ながら、お母さんが「うれしくて、心臓 がドッキンドッキンしています」とコメントされていました。 彼女の発言は、とてもストレートな表現だけに、私の心に強く 響きました。  蓮華と言えば、優位君が一時熱心に解読されていたけど、 最近はご無沙汰だなぁ。元気?>優位君 はな (PAG03134) 03663/03663 PAG03134 はな 北海道の漁場の話(その1) (14) 96/02/18 22:41 「光よりの光」に記されたアリオン預言は、会議室でも抜粋され、過 去のログをオンラインで読まれた方もおられることでしょう。 ・『紀伊半島から能登半島沖にかけての断層の動きが、再びはじまる   だろう。すでにその予兆は3年前にあったはずだ。この断層の動   きは、琵琶湖の水量にも影響する。そして、活性化したマグマの   動きが海洋の流れにも影響して、回遊魚の種類が変化する。紀伊   半島沖では、豊漁であったりして人々は喜ぶが、経験の豊富な漁   師は、何か不吉な感じを持つだろう。』 ・『オホーツク海の流氷に変化が起きるが、これも経験のある漁師が   発見するだろう』  アリオン預言によれば、漁師さんが地殻変動に敏感に気づくことが 記されています。また、九州では「不知火」が見えなくなるとも書か れています。これからお話しすることは、北海道にて実際の漁師さん が語られていた話です。                       はな - FARION MES(15):マホロバ誕生 ★ 大和魂復活のために 96/02/18 - 00531/00533 KHC01313 まるにちょん 責任の擦り合い>住専問題 (15) 96/02/18 02:23  ひさびさにぼやこうと思います。(^^;  連日新聞紙上をにぎわせている住専問題ですが、いっかな事の真相が見えて こない気がしています。  証人喚問だって、責任の擦り合い「悪いのはどこそこで、こちらは悪くない」 式の答弁ばかりでうんざりしています。  経営が破綻すると言うことは、経営陣の失敗が原因であって、問題は経営方 法にあったはずで、外からの要因も確かに問題であったろうけど、それはあく までも問題の一要因であって核心ではないと思いますね。    いい大人が、それもいっぱしの経営者がこともあろうに悪開き直りして、責 任を他へもっていこうとする様は、何かしら滑稽で無様で、見ている方が恥ず かしいくらいでした。  こう言うのを責任の不在と言うのかな。それとも問題意識の欠如と言うのか な。  住専もノンバンクも母体銀行も大蔵省も、持ちつ持たれつの甘えあいで、今 までお互いになあなあで済ませて来たんだろうけど、そろそろ年貢の納め時の ように思います。    日本の社会全体が、なあなあの甘えあいで溢れていて、依存ばかりで自立し ないならこの先どうなることだろう…  何か事があったら、他人のせいにしてしまって、自分は知らん顔であったら どうだろう…。  大変恐ろしい世の中だと思う。  バブバブのハイハイしかできない人間ばかりの社会に未来は無いかもしれな いと思ってしまう今日この頃です。  もちろん、僕もバブバブなので、早く大人に慣れるよう頑張って行こうと思 っています。その為には、自分の中の幼稚さや無責任さ、問題意識の欠如など を見ていかないといけないなぁと思います。  自分には問題がないと思い込むほど、目を曇らせるものはないと思う今日こ の頃です。(^^;  では、また。                   まるにちょん、○ゝ - FARION MES(16):心霊学研究所 ★ シルバーバーチと共に 96/02/18 - 353/354 GGD02212 スウ RE:僕も同じ0.03 (16) 96/02/18 03:14 340へのコメント  遅くなりましたが、常設に昇格おめでとうございます。> Paper Birchさん  「視力0.03」に目がとまって今ごろゴミ・コメントを思い立った当方も(^^; 確か視力は両眼ともそのくらいで、斜ランQもとい斜乱視もはいってます。  ところで、先天的あるいは後天的に一方の視力あるいは聴力に障害があって 弱い側の目や耳から霊芝もとい霊視または霊長もとい霊聴を来すようになった <霊芝→サルノコシカケ→サル→霊長類という複合ワザ(^^;>という霊能者が 何例かあったかと思いますが、そういうことってあるんでしょうかね。(スウ) - FARION MES(18):武道とは?  ★ 自分に勝つ! 96/02/18 - 02895/02895 BYK00511 導 合気道草歌 (18) 96/02/18 20:56 人は見たいものを見。見たくないものを見まいとする。 聴くことも感じることも、自己という立脚点で受け取る。 おなじ物でも、見る人によって異なる。 従って人はこの違いを文字や言葉という道具を使い概念化した。そうすることで 人は人間という社会を築き、一つの生命とした。 しかし、真実は我々の感性から遠く離れるに至った。 あえて、真実を伝える為に不立文字という言葉を作らなければならなかった事は 皮肉なものである。 全ての概念を剥ぎ、なおかつ見たい、見たくないという分別心を振り払う事で真実 という存在の実証を人は見ることが出来るのである。 一点に視線を集中させることで、まず見たい見たくないという分別心 を捨てる。 例えば、相手と剣を交えるときの目付、私は相手の襟元に視線を集中させる。 剣先や相手の間合いや両拳、相手の両目見るべきポイントは沢山ある。 しかし、常にきょろきょう見ていたのでは、落ち着かない。 剣先を見つめれば間合いを詰められ、相手の目を見ればフェイントに騙される。 しかし、全てを同時に捉えることは、遠く離れなければ、目の機能上無理である。 では、見なければよい。 相手の襟元に視線を固定することで、ポイントを見ようとする思いを捨てる。 すると様々な分別心が止まり、無分別に情報が流れ込む。 この情報がそのまま身体を動かす。これが合気の原型である。 - FARION MES(19):世も末ばなし ★ ぶっ飛び話・罰当たり話 96/02/18 - 823/823 QZY01267 猫の手 反省 (19) 96/02/17 22:56    反省させること好きな人が居て  反省すること好きな人がいる。  反省なんか必要ないのに  反省させたい人が居て  反省したい人が居る。    何のために反省するの?  悪いことをしたとき 「反省しなさい。」と教えられたから。  何が悪いことで、何が良いことか、  それさえも疑問だけどね。  良いことをして反省する人  居ないよね。  ところが悪いことしたときだけ  反省すること強要される。    反省すること心地良くってする人居ないと思う。  心地悪いくせに反省するのが好きな人が居る。  何故かって?  反省していれば  頭撫で撫でしてくれる人が居た。  そうしてる内に  そうしてないと落ちつけなくなってしまったの。  反省してないと 「反省しろ。」と強要する人が居る。  だから少なくともポーズだけは反省してないと  立場が危なくなっちゃうの。  実際に行動改めるかどうかは別問題。    反省させたい人が  反省させることで優越感抱きたいから  その優越感を満足させるのに  反省してることが必要なのよ。  だから反省させたい人が一番困るのは  反省させる人が居なくなってしまうこと。  反省させる材料、なくなってしまうこと。  誰かを反省させていて  優越感を感じることできる。  自分が偉くなった気分になれる。  見下げる誰も居なくなってしまったら  惨めさ味わう羽目になる。    ところで、ところで、  真冬のプールに飛び込んで  冷たい思いしたからと云って  反省する必要ありゃしないでしょ。  冷たい思いしたからもうやりたくないとか  冷たい思いしたけど面白かったからまたやりたいとか  そういう想い、抱くだけのこと。  それが自分にとって心地良い体験だったならば  またやりたいと思うだろうし、  それが自分にとって心地悪かったなら  もうやりたくないと思うだけのこと。    悲しい映画見て  その映画のヒーロー、ヒロインに  なったつもりになったとしても  反省する必要ありゃしないでしょ。  ある場面になって  私ならこうする。  私ならああする。  そう想うことあったとしても  反省なんかする人居ないでしょ。  でもちゃんと糧になっているはずだから。   「反省しなければ良くならない。」  そう思い込んでいる人が居る。 「良くならないのは反省が足りないから。」  そう思い込んでいる人が居る。  本当にそうかどうかは分からない。  でもね、  多分ね、  そう言っている人は  そう言いながら  ずうっとそうしてきたに違いない。  そんな気がするけど  どうなんだろう?    「いくら言っても直らない。」  そう言う人が居る。  その人はそれにより  自分が哀わまれているということには想い至らない。  その人がそう云っていられる状態を  わざわざ造ってもらっているとは想わない。  本当は直ってしまって一番困るのが  反省させたいその本人だったとは  その本人気づかない。    反省したけりゃ反省していればいいさ。  でも反省したからと云って  そうしなくなるなんてことありゃしない。  反省はあくまでも  反省でしかないからね。    まあ実際、  ホントはどうでも良いことなのさ。  何しろそういうことも  経験すること大切だから。  経験が、体験として納得されるまで  何度でも、同じこと繰り返そうと  経験するしかないんだよね。  同じこと経験することに飽きたなら  別のやり方してみたいって思うはず。    でもね、  別のやり方するためにはね、  今までやったことないだけに  勇気が必要なのよ。  本当に変えたいと思ったならば  勇気を生み出す工夫が必要なの。  どうしたら勇気を生み出せるかと云えば、  まず自分に少しずつ、少しずつ、  勇気を注ぐしかないだろうね。    私はね、  挫けても、挫けても、  少しずつ、少しずつ、  まず自分に勇気、  注いでいくことに決めたんだ。     ** QZY01267/『猫の手』 <96/02/17 21:02:58> **