- FARION MES( 1):相 談 室  ◆ パソコン&通信の話題 96/02/19 - 00349/00359 HGB02122 あもり RE:山 ( 1) 96/02/19 01:25 00343へのコメント  #00343 SUKE さん、どうも。 使用期間の多寡に関らず、FEPとのシンパシィが高まると、個々の個性を 反映した変換方法を取るということが、あちこちのエンドユーザーから報 告されています。戸惑うユーザーに対し、多くのメーカーは「それは良か ったじゃないですか。当社のAI学習機能は....」とお茶を濁すばかりで真 意を語ってくれません。 (某IB*は、FEPの変換がおかしいとパッチをあてたことで有名?) さらに、その人の個性がFEPの学習能力の許容範囲を超えた時、FEPは常識 外の変換をするようになります。 これをFEPの独り立ちと呼んでいます。 FEPはムチでしばけばしばくほど....どうなんでしょ? あることないこと あもり - FARION MES( 3):Media Talk ◆ 本/映画/音楽を語る 96/02/19 - 01200/01200 GGA02514 KAZE RE:微分的vsインプロヴィゼーション ( 3) 96/02/19 12:04 01199へのコメント ぷんすかさん、どうも。 》そうですね・・・ピアノを弾いていると、新しい曲を始める場合、 》最初に譜面をよんで音にする時が一番新鮮です。 》でも、正直言って練習するうちにだんだんと新鮮味が薄れることも 》確かです。 少し観点が違うとも思うのですが、新譜のCDを聴くときなども、 最初に聴くときというのはすごく新鮮ですよね。 で、何度も聴くうちに、その新鮮味はだんだんに薄れていきます。 でも、かなり時間を置いてまた聞き直すと、またけっこう新鮮に感じたりもします。 いいCDだと、その新鮮さというのはけっこう持続するんですよね。 なかなか多くはないけれども。 》バッハのカンタータを指揮したい、というのもすごいですね。 》あのころのブーニンではありえなかったんじゃないでしょうか。 》ブーニン、ほんとうに楽しみです^^ そうですね、あの、非常に感覚的な結晶のようは演奏に ブーニンが本来もっているであろう精神性のようなものが付加していけば けっこう斬新な演奏になる可能性は秘めているような気がします。 もちろん、まだまだ時間が必要なのかもしれませんけど。 ブーニンはまだ30歳くらいで、とっても若いですから、 40歳くらいになったブーニンに期待することにしましょう(^^)。 》あれ、偶然だ・・ 》先日、父、母、姉、姉の子供、私の5人で京都に行ってきたのです。 》そのとき、ちっちゃいけど有名な本屋がありまして、そこにはいり、 》姉はシュタイナー教育の本を買ったのでした。 》その本屋は店の主人の独断で本が集められており(といううわさです^^) 》姉はレジで店の人から「人智学関係の本リスト」をもらい、「いちおう、 》この分野に関してはかなりいれているつもりですが・・」と言われていました。 》それでわたしもシュタイナーのことがちょっと頭にはいっていたのです。 》うちの姉がMES13に書き込んだらおもしろいかも・・ たぶん、そういうのをシンクロニシティというのでしょう(^^)。 ですから、偶然ではない。 ある意味では、世界には、偶然というのはないんですよね。 少なくともぼくはそう思っています。 シュタイナーに関しては、ぼくは、いちおう、 邦訳関係のほとんどには目を通していますので、 もし、そこらへんのことでなにかありましたら、 ご遠慮なくMES13へどうぞ。 人智学のテーマは、教育というのが比較的有名ですけど、 基本は、いわゆる神秘学で、その応用として、そうした教育や その他、医学、農学、芸術、社会学などなどさまざまな分野に及んでいますので、 そうしたうちのどこから入ってもかなり勉強になると思います。 もちろん、「音楽論」なんかもとっても面白いんですよ。 イザラ書房というところから、邦訳もでています。 では、では(^^)。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ - FARION MES( 6):ハロー・メッセージ ★ 今日のハロー・メッセージから 96/02/19 - 00685/00688 KFQ02761 しまうま 問題点のことなど ( 6) 96/02/19 00:45 00681へのコメント #00681 みあじゃさん  こんにちは(^^)。追いコンがもう終わり、というのは、けっこう早いほうで すね。どうもお疲れさまでした。 |つまり、自分の中では問題点を把握しているから、それを見せつけるようなことに |強く意識が向く。だいたいそれは、イヤなことで、腹が立ったりイラついたり...  うーん。僕も最近、自分の問題点とおぼしきところに何度も直面させられて いるので、よくわかります。腹が立ったり苛ついたり、あるいは人を苛立たせ てしまったり。とにかく自分のよろしくない部分を見せつけられるのは気分の いいものではないですね。で、もうそんなイヤな経験はしたくない、という動 機から「よし、そんじゃその問題点をただしてやろう」という気持ちになって いるところです。 |でも、イヤな出来事に出くわすだけでしんどいのに、その上「君のここが問題 |なのだ!!」みたいに言われたら、聞く耳持てないんだよね〜。だから、何度 |でも出くわしてしまう(^_^;  確かにそういう一面もありますねー。  そこで一つポイントになるのは、問題解決の動機が自分の外側にあるか、内 側にあるか、というあたりだと思います。言い換えれば「人からこう言われる (思われる)のがイヤだ」と思っているか、「こういう自分がイヤだ」と思っ ているか、というところ。  もし心底から「こういう自分ってホンマにイヤやねん!」と思っていたとす れば、人から「ここが問題だね」と言われたり、状況的に「問題に直面せざる を得ない」という風になったりしても、「あーもーうるさい! ほっといて!」 という気持ちにはならないんじゃないかなー(あまりしつこく言われると、そ う思っちゃうこともあるけど(^^;)。 |もし、そうした出来事に出会わなくなったとすると、変わることが出来たか、反対 に |逃げたり、ごまかしたりで、自分を曇らせてる状態なのかもしれない。  「逃げたり、ごまかしたり」というのは、僕がよくやってしまうことなので、 気をつけたいと思います(__;)。でも、本当に逃げ切ったり、ごまかしきったり することができる程度のことであれば、それほど大きな問題ではないのかもし れませんね。 |後者にならないように、抵抗はしてもあきらめずにいることが、変化への機会を |逃さない為に必要なことなのかもしれない。  うんうん。抵抗したければ、また抵抗する余地があれば、とことん抵抗して みる、というのも第一段階としてアリのような気がします。いい子ちゃんでい たいがために「そうだ、自分のここが問題なのだ」とすぐに迎合してしまう、 という態度は、逆に問題を長引かせてしまうように、経験から感じます。 |でも、強い引っかかりであればあるほど、それだけ「変えたい」気持ちが強い |のだから、もし変われたらすごいんじゃないかなぁ。  もう一つ「強い引っかかりであればあるほど、変えることに対する抵抗が大 きい点である」という可能性もあるなあ、と思いました。もし簡単に変えるこ とができる点であれば「強い引っかかり」になる前に対処することもできるだ ろうし。  いずれにしろ「変えることができればすごい」なあと思います。  ……と、いろいろ勝手なご託を並べましたが、もしはずしていたらごめんな さいm(__)m。また気づいたことがあったら教えてくださいね。ではでは(^^)/"。   しまうま(KFQ02761) 00686/00688 KFQ02761 しまうま RE:「凍えた人」 ( 6) 96/02/19 00:45 00682へのコメント #00682 二木 聡さん  ようこそいらっしゃいませ(^^)&どうも初めましてm(__)m。 |「凍えた人」は、その登場の時から不必要の象徴として見られているようで |(或いは、見られがち?) |加えて、私たちは「凍えた人」とは対極にいると考えがちですが、 |果たして、そうか。 | |繰返す日常の中で、私たちは「凍えた人」になってはいないだろうか。  うーん。確かについつい「外側の問題」「自分以外の人の話」として捉えて しまいがちな「凍えた人」ですが、まず目を向けるべきは「自分の中にいる凍 えた人」なのでしょうね。  そして、もう一つ、陥ってはならない心境として「自分の中に“凍えた人” がいるんだから、他人の中に“凍えた人”がかいま見えても、それを指摘する 資格は自分にはない」というのがあると思います。僕はすぐにこーゆー論理 (言い訳)でもって、人に対する意見を飲み込んでしまうので、気をつけなく っちゃなーと思っています。 |「凍える人」という存在は | |この場合、果たして必要なのであろうか。 |        不必要なのであろうか。  えーと、この「必要」「不必要」というのは、誰にとっての「必要」「不必 要」なのでしょうか? 物わかりが悪くて申し訳ないのですが、どうかご説明 いただければと思いますm(__)m。  二木さんがおっしゃっていることというのは、なんだかとても大切なことで はないか、という気がなんとなくしています。もう少し突っ込んだお話もさせ ていただければなあ、と思いますので、どうぞ今後ともよろしくお願いします ね(^^)。 しまうま(KFQ02761) 00687/00688 KFQ02761 しまうま RE:柴垣 ( 6) 96/02/19 00:46 00683へのコメント #00683 維/YUIさん  こんにちはぁ(^^)。 |垣は何の為にあるのか。 |自分の領地を外界から分ける為。 |又は何かを隔離する為。  これを読んで思い出したのですが、「垣」という言葉は、古語における「国」 という意味の言葉と、同じ語源である、みたいな話を本で読んだことがありま す。「垣」で他から分けることが「国」の成り立ちの第一歩、という感じなの かもしれませんね。 |柴が、その人が生きていく過程で学んだ事柄、経験、知識ならば、 |自分をよりよく生かす為、そしてそれを他の者と共有して、場を広げて |いこうというのが焚き火の意味合い。  んーなるほど、そうですね。  金属の「精錬」なんていう段階でも、強大な火力が必要になります。人がそ れぞれの経験・知識といった「柴」を持ち寄ることで、火力が増大すれば、そ こで精錬される一人一人の「剣」も、剛性・強度の高い、切れ味の鋭いものに なるのかもしれませんね。  そう考えると、「人の可能性をのばすことが、自分の可能性をのばすことに つながる」というARIONの言葉(例によってうろ覚えですが(^^;)とも、 通じるものがあるように思えます。  もし、焚き火の炎から生み出されるものが「剣」だとすれば、このあたりの ハローメッセージも関係してくるかもしれません。  94/01/20 見よ、剣は錆び柄は朽ちている…各々が瞳に宿す炎を剣に変えよ。  94/05/11 狼煙が見えても剣が鞘から抜けぬまま、酒池肉林の街は更けゆく  うーん。でも、錆びている剣を再度生かすためには、必要なのは精錬し直す ための「火」よりも、むしろ研ぎ直すための「砥石」と「水」になるのかな? |その柴が、垣をめぐらすのに使われる。 |一人一人が、自分の私腹を満たすため、自分の野心を隠すために知識や |生きる道すがらで得た、コネ、権力などを総動員して、ことにあたる。 |それは、他との繋がりを自ら捨てることになる。  むむむ。火を燃え上がらせるために集められた「柴」が、それ以外の目的に 使われることもあるんですねー。もしみんなが集めた「柴」が、一握りの人た ちの我欲のために使われるとしたら、それは本当にもったいないし、とんでも ないことだと思います。それにつけても住専の処理の手際の悪さよ(__;)。 |いつのまにかすりかえられた自由、押しつけの平等。 |民主主義という名に隠された個々の野望。 |プライバシーの保護の元で保護されたのは、私利私欲。  そうですね。僕たちはたぶん、そういう前提の元で精一杯の事をやっていく しかないんだろうと思います。 |ほとんどイミフメな発言でした…。  いえいえ、結構考えさせられました(^^)。また何か思いついたら、気軽に書 いてみてくださいね。 しまうま(KFQ02761) 00688/00688 KFQ02761 しまうま 2ヶ月目に突入 ( 6) 96/02/19 01:12  一連のHM、ついに2ヶ月目に突入いたしました。  いやー、長い。あんまり長いから一番最初の言葉なんて忘れちゃったよ、と 思い、早速読み直してみました。  95/12/18 大きな燭台を掲げた天使…「さて、どちらの舞台に幕を引くのか」  これが、一連のメッセージのいっちばん最初に出てきた言葉でした。  天使と凍えた人と焚き火の民と焚き火……の物語を、舞台上の劇のようなも のと考えれば、この「どちらの舞台に幕を引くのか」というのは、非常に意味 深な言葉のように思えます。  もしかすると、この物語の結末は、未だ(少なくとも物語が始まった時点で は)決まっていない(いなかった)ということなんじゃないでしょうか。  で、このHMを読んだ僕たち自身の行動とか、考え方の変化によって、「舞 台の幕」がどちらに引かれるかが決まる、みたいな……。  単純にハッピーエンドかバッドエンドか、ということではないかもしれませ んが、いずれにしろ、この後に用意されている舞台は複数あり、そのいずれに 幕が引かれ、どちらにスポットライトがあたるのか、というのは、未決定であ るようです。  95/12/19 天使は燭台を飾り机の上に置いた…「林檎は何処に実るのか?」  これが、開始後2日目のメッセージです。  「林檎は何処に実るのか?」これまた、意味ありげな言葉ですね。以前、  95/03/25 噛り取られた林檎の断片は、噛った本人の胃袋にか路傍にか?  というHMもありました。これは「自分が選択したもの、そしてその結果を (たとえそれが“味の悪い林檎”だったとしても)自ら咀嚼し、腹に納め、栄 養とするか、あるいは無責任に路傍に吐き出して、あとは知らないよ、という 顔をするか」ということを語られたHMだったと思います。  でも、このHMとは関係ないかな……。  とりあえず林檎というと「果実」ですから、物事の結果、みたいな解釈も可 能でしょう。その林檎が「何処に実るのか?」というのですから、これも「結 末が未だ決まっていない」ことを指し示しているように思われます。  しかし、  95/10/06 予め記された未来絵図は、空白の部分が埋められつつある…  というのですから、徐々に結末に向かいつつあるのは確かなようです。  一連の物語HMから何を学ぶか、学んだことを、どう実生活に反映していく か……というあたりから、それぞれの「結末」が変わってきたり、あるいはそ ろそろ見えてきたりするのかもしれないなあ、と思いました。   しまうま(KFQ02761) - FARION MES(12):精神世界裏表 ★ ニューエイジビジネス を斬る 96/02/19 - 00804/00804 MHA01114 シュメ−ル 回顧95 その4 (12) 96/02/19 02:26  『アメリカの鏡・日本』(ヘレン・ミアーズ著 株式会社メディアファクトリー 発売 2300円)を一読した。まずは、訳者あとがきの冒頭を引用する。 「私がこの本にめぐりあえたのは、まったくの僥倖である。  1993年暮れ、アイネックス社長の白子英城氏から知人を通じて『かつてマッ カーサーが日本での出版を禁じた本があるのだが、どんな内容か読んでみてほしい』 と依頼された。私は翌年の正月の一ヶ月をかけて読んだのだが、恥ずかしい告白を 許していただくなら、途中何度も泣いた。著者のヘレン・ミアーズが豊富な資料を もとにして詳細に描いた太平洋、沖縄における日本兵と民間人の死、大空襲と原爆 による一般市民の死の惨めさと、同じ惨めさをアジアの人々に強要した近代日本の 運命が無性に悲しかった。」     (前掲書 p425)  同感である。この白子氏とこの本との関係があとがきに触れてあるので引用しよ う。 「同氏は現代史に興味を持ち、自分で勉強しているビジネスマンである。同氏がい まだに評価の定まらない現代史の樹海に分けいっていったのは、長年解きえない疑 問が在ったからだという。『日本はなぜパールハーバーを攻撃したか』『なぜ無謀 な戦争をしなければならなかったか』という疑問である。戦後史観をもってすれば、 答えは簡単で『日本は侵略者だった』からだが、果たしてそれほど単純なことなの か。−中略−  ミアーズがこの本を書いた動機も同じ疑問である。  この疑問は多くの日本人が戦後50年間、心のどこかに抱き続けてきたものでは ないだろうか。 」     (前掲書p426)  個人的なことなのだが、今月、私には残念な別れがあった。知り合いの女性が韓 国に旅に出た。理由は統一協会の合同結婚式で結ばれた韓国男性との縁を全うした いからだ。彼女の親から相談を受けたこともあって、彼女と親密に対話する時間を もったのだったが、協会や教義についてある程度冷静に見るようにはなったように 見受けられたが、最善の人として結婚式まであげた人との縁を大切にしたいという 願いを変える根拠を残念ながら私は充分に提示することは出来なかった。私が彼女 の話しを聞いて一番驚いたのは、日本人が韓国を侵略した罪を彼女たち日本の花嫁 が贖罪しなければならないという統一原理協会の教義を信じているらしい事だった。 それが両親のため日本国民のためなのだという。日本は歴史が始まって以来連綿と 韓国人を虐待し大東亜戦争にまでいたっているのだいう。すくなくとも50年前、 日本は侵略戦争を全アジアにしかけたという戦後史観と戦後教育がついにそれに一 抹の疑問ももたない世代を作り上げてしまっていることに私は衝撃を受けた。かつ ての日本の罪は50年の年月を経てもなお20代の乙女をその贖罪として捧げねば ならないものなのか。そして沖縄でのアメリカ兵少女暴行事件。沖縄の少女達がア メリカ軍の駐留をどのように理解しているのか私には確実な知識はないが、もし、 万々がいち、日本がかつて憎むべき侵略戦争をしたために私たちにこの様な不幸が あるのだ、といった意識が彼女たちにあるのなら、再び、問いたい。かつての日本 の罪は50年の月日を経てもいまだに10代の少女に犠牲をもとめねばならないも のなのか。  彼女が日本を離れるに際して私に書き送った手紙の一節を引用する。 「韓国においては、日本人に対する多くの恨みの霊界があるそうで、日本人を追い 出そうとする見えない圧迫があるみたいです。そして昔、日本人が韓国人に無理や り日本語を覚えさせたという恨みのため、日本人が韓国語を覚えようとするときに その苦しみを同じように味わうそうです。恨みのゆえ、すべてがうまくいきにくい そうですが、それを乗り越えることによって韓国人の日本人に対する過去の恨みが はれていくそうです。」 この一節を読んで、私は暗澹たる気持ちになった。だたし、この文章の後に、「そ のような事よりも私にはやるべきことが日本であったのに、」との文章が続いてい て、若干私の心にもやすらぐところはあったのだが…。  さて、『アメリカの鏡・日本』の日本語約を出版する労をとった前出の白子氏は 「日本語版の刊行にあたって」において出版の動機をこう書いている。 「終戦50年のいま、われわれ日本人は、現代の歴史を日本中心の観点だけでなく、 アジア、ヨーロッパ、アメリカを同じ時間帯で見すえるグローバルな視点から、な ぜそうなったのか、をもう一度考え、議論し、そして、現代史を総括しなければな らないと思う。それによって、われわれ日本人が、過去にやってきたことで、何が 悪かったのか、何が間違っていたのか、何が正しかったのかをしっかりと理解しな ければならない。  悪かったこと、間違ったことは心の底から反省し、謝罪しなければならない。同 時に、正しかったこと、間違っていなかったことは、正々堂々と主張し、理解され るよう努力しなければならない。そうすることによって、日本のアイデンテティー が確立され、国際社会から信頼されるようになるのではないか。」   (前掲書p4-5) 実に尤もである。しかし、白子氏(そしておそらくは訳者の伊藤延司氏)にも盲点 がある。それは、「天皇を頂点とする狂信的国家神道によって洗脳された日本国民 は、アジアを支配すべく侵略戦争を行った。」という戦後史観を生まれて以来ずっ と教えられてきた世代がすでに日本国民の3分の1を占めつつあるという国内事情 である。海外よりも国内のほうが事態は深刻ではないのだろうか。祖父や父がなぜ、 誰のために、自らの命をかけ、人間を殺したのかを追及しようともしない国民、自 分たちの国民を自分たちで防衛する責任を全うしていない国民がはたして国際社会 から信頼されるのだろうか。否、それ以前にその国家は何年存続していくのだろう か。  著者はこの本において日本が西欧の列強からなにを学び、卒業し、一人前として 認められ、その西洋流のパワーポリテクスを駆使し、そして列強の包囲網のまえに 破れ去ったかを、冷静に分析している。そして著者の祖国アメリカがヨーロッパの 植民地主義と戦い、独立を勝ち取ったあと、自らが結局ずるずると英国流の植民地 主義に染まっていってしまう姿を告発している。日本をアメリカはどういう論理で もって裁く権利があるのか、裁き方を間違えると、再び世界に戦火が広がる危険が あることを警告している。その筆致はバランスが取れていて、説得力がある。そし てそれゆえに、大東亜戦争にいたる日本の軌跡が鮮やかに浮かび上がってきている。 大東亜共栄圏なるものの日本にとっての必要性が見えてくる。決して敗戦国日本に 同情的な解釈をしていない。それゆえにかえって、我々日本人には日本が当時おか れた国際情勢がリアルに迫ってきてしまう。アメリカと日本との圧倒的な国力の違 い。  この本が広く読まれることを願うのだが、そう、国内の事態は甘くはないだろう。 以下、幾らかの引用によって、本書の内容を紹介する。 「もっともこれらの委員会はおおむね、軍事技術的側面を重視していた。つまり委 員会が究明しようとした疑問は、あたかも訓練のように意図的に飛行機、艦船を集 結させていた米軍基地(*パールハーバーのこと)が、敵の攻撃にとらえられたの は誰の責任か、ということであった。」   「大統領、ハル長官、ノックス海軍長官、スチムソン陸軍長官、マーシャル将軍、 スターク提督の会議記録もある。この会議で議論されたのは『われわれがさしたる 損害をうけない範囲で、彼ら(日本)に第一撃を仕掛けさせる作戦』であった。 「アメリカ側のさまざまな公式声明から考えるならば、『卑劣な攻撃』『屈辱の日』 は違う言葉で考えなおす必要があるようだ。これは『世界征服』を企む野蛮人によ る『一方的』で裏切りの攻撃だったのか。あるいは圧倒的に強い国との力のゲーム にひきずりこまれたと思っている国が、経済封鎖に対して挑んだ攻撃だったのか。 この違いはきわめて大きい。」 「日本軍がフィリピンで犯した残虐行為は、日本の歴史にとって永久の汚点となる だろう。日本兵が残虐で残忍であったたことは明らかな事実だ。」 「戦争は非人間的状況である。自分の命を守るために戦っているものに対して、文 明人らしく振る舞え、とは誰もいえない。ほとんどのアメリア人が沖縄の戦闘ニュ ース映画で見ていると思うが、あそこでは、火炎放射器で武装し、怯えきった若い 米兵が、日本兵の後に続いて洞窟から飛び出してくる住民を火達磨にしていた。あ のわかい兵士たちは残忍だったのか?もちろん、そうではない。自分で選んだわけ でもない非人間的状況に投げ込まれ、そこから生きてでられるかどうかわらない中 で、怯えきっている人間なのである。戦闘状態における個々の『残虐行為』を語る のは、問題の本質を見失わせ、戦争の根本原因を見えなくするという意味で悪であ る。」 「 政策としての大量殺戮を告発するほうがより重要である。戦争当初、日本の戦 争機関が恐怖政策の一貫として中国の非戦闘員を爆撃したことに対するアメリカ人 の怒りは正当な感情だった。」 「 おいつめられてヒステリー状態にあったとはいえ、2千人の非戦闘員を殺すと いうことは、もちろん恐るべき犯罪である。しかし、絶体絶命の状況のもとで戦っ ているわけでもない強大国が、すでに事実上戦争に勝っているというのに、一秒で 12万人の非戦闘員を殺傷できる新型兵器を行使するほうが、はるかに恐ろしいこ とではないのか。山下将軍の罪は、なぜ広島、長崎に原子爆弾の投下を命じたもの の罪より重いのか。」   (前掲書 p32-41) 以上がわずか10ページの間で引用しておきたいと思える内容である。424ページ がいかに豊富な内容を伝えてくれるかの片鱗が伝えられれば幸なのだが。   パールハーバーについての著者の意見はこうである。 「パールハーバーはアメリカ合衆国の征服を企んで仕掛けられた『一方的攻撃』で あるというが、この論理では日本を公平に罰することは出来ない。なぜなら、わた したちの公式記録が、パールハーバーはアメリカが仕掛けた経済戦争への反撃だっ たという事実を明らかにしているからだ。パールハーバーは晴天の霹靂ではなく、 しかるべき原因があって起きたのだ。原因は、1941年7月25日にアメリカ、 イギリス、オランダが打ち出した『凍結』令である。3国は自国領内にある日本の 全資産を凍結し、貿易、金融関係をすべて断絶した。日本は輸入必需品の80%を 『凍結』地域に頼っていたから、3国の行動は日中戦争の泥沼化だけでなく、国内 経済の窒息を意味するものだった。」               (前掲書p87)  また、戦争におけるアメリカと日本の「占領方針」のちがいについての貴重な記 録がある。  マーシャル諸島の一部クワジャリン環礁は、激しい戦闘の末、日本からアメリカ に支配権が移った島である。その後も踏襲されることになる占領方針は以下であっ た。  「今後住民はアメリカの支配下に入る。特別に発行する合衆国通貨が唯一の合法 的兌換券となる。住民は『すべての命令に即時』従わねばならない。しかし『既存 の個人権、財産権』は尊重される。また『既存の法律、習慣は、本官の義務の遂行 上変更の必要があると判断する場合を除き、効力を持つ。」                      (前掲書p44)  これに対し、日本の占領の実態は海軍兵ドナルド・T・ワイダー中尉の無線送稿 した記事によると以下である。  「ジャップと現地住民の関係はまずくはなかった。……ジャップは現地人労働者 を口汚なく罵ったり蹴とばしたりして、怨みを買ってはいたが、全体としての住民 の扱い方は良かった。子供達が8時から11時まで学校にいくことを義務付けた以 外は、現地の生活習慣に介入しようとはしなかった。ジャップは、すべてが首長に 帰属するマーシャルの共同財産制度を破ろうとした。当然、これは島の上流階級に は不人気だったが、一般島民は歓迎していた。」                      (前掲書p47)  本書が伝える日本の戦闘状況は痛々しいものである。  「激しい戦闘で人間的感覚が麻痺している海兵隊員でさえ、連合軍の猛爆と逃げ場 のない退却の末、精神錯乱状態で島の中をさまよう日本軍の掃討には、吐き気を催 していた。    (前掲書p4)  (ジョージ・E・ジョーンズ記者による)  「1945年5月6日、A・W・ローレンス記者が伝えるように『一言でいえば、沖縄 の戦闘は勝ったといえる。なぜなら、敵には立て籠もる洞窟がなくなり、われわれ は殺すべき日本人がいなくなったからである。」           (前掲書p126) 「同統計による(*日本人の)全戦死者数は468、855人である。そして爆撃 による民間人の死者は672、000人にのぼる。」            (前掲書P127)  この本を著者について前出の白子氏はこう論評している。 「 アメリカと日本の戦争をめぐる政策に対する彼女の論拠には、私たちの認識を はるかに越える鋭さと、公平さがあり、真実を静かに語りかける文章の迫力に圧倒 される。アメリカで出版されたとき、当然のことながら日本擁護者として批判され、 それゆえ彼女は、この本とともに、学者として世に出ることができなかった。−中 略−  それにしても、戦争が終わって間もない1948年という時期に、このような本 が出版されたという事実に、アメリカの懐の深さ、偉大さを思い知らされる。  このような、かけがえのない、貴重な著書をのこしてくれたヘレン・ミアーズの、 真実を追及しようとした勇気と信念に対し、心から尊敬と感謝を捧げる。」  さて、ここで再度日本国憲法の前文を引用する。 「日本国民は、恒久の平和を祈念し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く 自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公平と信義に信頼して、われらの安全 と生存を保持しようと決意した。」  この決意の意味するものは重い。戦争を回避することは戦争を遂行することより もはるかに困難なはずなのだから……。 - FARION MES(13):神秘学遊戯団 ★ 限りなき神秘への航海 96/02/19 - 04305/04310 QZD02307 ジョリー 責任感は、どこへ行ったの? (13) 96/02/19 00:26 04290へのコメント  KAZE さん、こんにちは。 >そうなんです、光を自分の外からくるものととらえるのではなく >内なるもの、みずから発するものとしてとらえることが必要だと思います。  問題は、その「みずから発する光」って、あるんだかないんだか、わかり  にくいんですよね(^_^;)。自分が、どこへたどり着けばいいのかわからな  くて迷っているうちは、探しては見失い、誰が敵で誰が味方なのかとか、  信じては裏切られ、などの幸、不幸の人生の繰り返し。    そこで、ある人は、何かうまく行かなくなったときは、すぐに放り出して  は、他の誰かや、会社や、世の中のせいにしてしまうから、いつまでたっ  ても「みずから発する光」を見つけることができない。  やっぱり、自分に関わるものごとの、あらゆる面で自分に責任を負わせて  いかなくては、「みずから発する光」を感じることはできないし、人生を  自分のものとして獲得できないのではないかと思う。  オウム信者にしても、「信じる」という極の方向へみんなが傾いて行って  しまったときに、麻原の言うことなら、良いことも悪いこともみんな正し  いものになっちゃって、いつの間にか、「自分」を失っちゃったんじゃな  いかと思うんですよね。  宗教を語る場合には、「信じる」って言葉は一見絶対条件であるように、  世の中では思われているみたいですけれど、それが、個々の自立を妨げる  要因となる場合の方が、僕は多いのではないかと思う。だから、信じては、  いけない(^^;)。教義を頑なに守るよりは、自分を伸ばすことを先に考えな  いとねぇ。それを、教祖ももっと自覚して考えなければ、いけないと思う  し、信者も主体的に自分の立場を、考えていかねばならないと思う。ちょ  っと、暴論かな(^^;)。   >光も闇もみずから担っているのだととらえたときにこそ、 >自分を信じることができるのだし、また同時に、 >他の人をも信じることができるのではないでしょうか。  そうですね。自分の中の悪性と善性の所在を、認めることができて、初め  て自分を信じることもできるのでしょうね。それには、自分の中に、「悪  性」があっても、それを見いだす努力をしなければいけないし、たとえ見  いだせたとしても、実際にそれを選択しない努力が必要ですし、いろいろ  と難しいところですね。 >「ハート」という器にさまざまな喜怒哀楽を載せながら、 >それらの素材をどれだけ生かしながら料理できるかということでもありますよね。  しかし、いつの間にか、喜怒哀楽に心が支配されたりするのが、僕を含め、  人間の弱いところですね(^^;)。どんな感情の味付けの中にいようと、自分  という一本の幹を、忘れないようにせねば、ジャガイモはジャガイモの素  材の味を失ってしまうし、ニンジンもニンジンの素材の味を失ってしまう  ということなのでしょう。  それでいて、臆病な人間は、素材のまま朽ち果ててしまうのでしょうし(^^;)。  うーむ、要は、素材の味を生かしながら、さまざまな料理に挑戦するとい  うことなのでしょうね。  そうそう、先日、うちの親戚の女の子が結婚したらしくて、その披露宴の  料理のシェフが、かつての料理の鉄人、石鍋さんだったそうです。僕は、  出席しなかったのですが、いとこの話では、半端な美味しさではなかった  そうです(^Q^;)。  さらに、タレントの今井美樹ちゃんが、その娘のかねてからの友人だそう  で、頼んであった、サインと生写真を、見事ゲットしました(^^)ラッキー。   >以前、「ベルリン天使の詩」という映画がありましたが、 >その映画では天使の世界はモノクロームで描かれていました。 >もちろん、この「色」の世界は天然色(ちょっと古い言い方ですが^^;)。 >で、天使が、「色」の世界に憧れて、堕天使として人間になることを選ぶわけです。 面白そうですね(^^)。今度、見てみます。 >もちろん、力に対して力だけで対抗する愚は避けなければなりません。 >ですから、力のダイナミズムまでを取り込んだ何らかの方向性を >模索していく必要があるのだと思います。  これも、同感です。しかし、戦争なんかの場合、どんな力の選択肢があるの  だろう?(-_-)ウーム。 >自由には、代償が伴います。 >よき方向を選択できる可能性には、それ以外の可能性がセットになっています。 >ぼくが思うに、神の意志というのは、自由を選んだのではないでしょうか。 >ですから、そこに悲惨な状況が現出したとしても、 >自由を疎外するような方向をとるならば、すべては無意味になってしまいます。  鳥籠の中の自由ではなく、泥沼の自由ということですね(^^;)。  はたまた、共産国の自由か、資本主義国の自由か?そういう面で、日本人って、  共産国のような自由を、資本主義経済の中で求めてきたような気がするな〜。  経済だって、まだまだ保護貿易って感じだし、何でも組織のせいにして、自分  で責任取りたがらないし(^^;)。 >ま、それはともなく、とくに「竜馬がゆく」は、 >これは、長いにも関わらず、一気に読まざるをえないほど >ものすごく面白い話ですので、機会があればぜひに。  古本屋で、1冊百円で売っていたので(^^;)、4冊ほど買ってきました。ところ  で、これって、何巻まであるのですか?  あと、マハシリさんの「超越瞑想入門」って本も買ってきました。これって、  TM関連の本なのでしょうか(^^;)?>こむさん、と、いきなりつっこむ。                         ジョリー 04306/04310 NAG02033 EX RE:英語版般若心経とその日本語訳^^; (13) 96/02/19 05:12 04303へのコメント KAZE さん、こんにちは。 普段は不真面目なROMerですが、般若心経の話題は面白そうなのでつい。 般若心経には様々な解説書があります。中村元さんの訳注の岩波文庫はもっとも 手軽で信頼がおけそうで、ちょっと面白いものにはあの遠藤弁護士のマンガつき 解説書なんてのもありました。 >般若心経というのは、第一義には、 >この世への執着を離れるように説いているという側面が >かなり強いのではないかと思っています。 >ですから、とくに不浄仏霊なんかにはよく効くわけです^^;。 >不浄仏霊っていうのは、この世に執着を残して死んだ存在なわけですから。 KAZEさんのバランスの取れたスタンスには感心しますね。 ここで、禅の十牛図ではないですが、悟り前、修行中、悟り中、悟り後のように、 レベル分けしてみますと、 ・悟り前では俗に執着して苦しんでいる ・修行中は執着から厭離しようとしている ・サトリ中は俗から離脱して究極の真実に浸っている。 ・悟り後は真実存を保持しつつ俗世間にその真実を広げる。 のようになるのかもしれません。もっともアリキタリナ典型かもしれませんが。 で、心経の場合、お経の前説にもある通り、上の例でいえば2−3番目の気付き の伝授ではないでしょうか? したがって、執着からの遠離と悟りの意識の描写が主であることが納得できます。 しかしながら第4のレベルからはもう少し付け加えることができるでしょうし、 それは、「もともとすべての存在は悟りから成っており、永遠に悟りそれ自体である。 迷いというのは有り得ない、幻である。」 とでも言うべきものかもしれません。 そしてそこから、「無理しない。」とか「今ある場所を生かす。」 「聖俗を含めて凡てを肯定する。」等の考えも生まれる様に思います。 勿論、その際にも空の創造性、遍在性、万能性を踏まえたヒエラルキーが逸脱すべか らざる ものとして厳としてあり、その言いようというか匙加減のバランスが微妙になるのか と・・・ さて、三五館というところから出ているポケット・オラクル・シリーズの「般若心経  真言」 という小冊子がございまして、その訳がそういう意味でも、なかなか考えさせられま す。 KAZEさんの訳しておられなかった最後の真言の部分はその本によればこうです。 GATE GATE  PARA  GATE PARA-SAMGATE  BODHI    SVAHA きた きた すべてを超えてきた 光の中に、来た この、目覚め 今、ここに、い る (一般的な訳) 往ける者よ、往ける者よ、彼岸に往ける者よ、彼岸に全く往ける者よ、さとりよ、幸 あれ。 (岩波文庫 般若心経・金剛般若経 中村元、紀野一義訳註から) 蛇足:中村元さんといえば、ご自身が翻訳に尽力された原始仏典などの お話をNHK3ch、衛星放送などでお聞きすることがあります。 先日私も、そういう原始仏典の一つDHAMMAPADAのパーリ語とその英訳本を 手に入れたのでございます。幕張メッセの国際ブックフェアに事情があって赴いたの ですが、 そこにスリランカの本屋さんが出店しておりまして、なかなか珍しいものを手に入れ たと喜 んでいる次第です。 とはいえDHAMMAPADAも上記書籍のものとは別訳ですが、インターネットで 全文参 照できますね。(http://moon.iss.nus.sg:8888/~cmtan/Dhammapada/) まことに便利な世の中になったものです。(^^) 御参考までに。 ではまた。 96/02/19(月) 03:20 EX(NAG02033) 04310/04310 GGA02514 KAZE 摩訶・返歌・・変か? (13) 96/02/19 13:45 04304へのコメント スウさん、「ゴミ・コメ」ありがとうございます(^^)。 》" Mark her hang near her a meter sing your..." とは、なかなか^^;。 では、返歌として、こんなのを。 魔歌犯似哉破裸観絶神行 とか 馬家飯煮屋腹満炊深業 とか 間禍犯尼也胎診断身業 とか、ね。 目には目を、ゴミにはゴミを、っていうことで^^;。 また、ゴミをよろしくお願いします。 ☆☆☆リサイクルショップ・KAZE☆☆☆ 04307/04310 GGA02514 KAZE RE:インターネットの検索はYahoo! (13) 96/02/19 10:58 04298へのコメント Paper Birchさん、どうも。 》       まぁ、Yahoo!の検索は条件が厳しいみたいで、出てくる数が少 》なかったりしますが、そのまま他の検索エンジンと繋がっている(?)のが便 》利だと思いました。 そうですね、一番最後の部分に、ほかの検索ができるようになってますから、 物足りないときにはそれをひとつひとつしていくと大変な数になりますよね。 全部見てたらきりがないので、適切な情報を的確に判断できるだけの コツのようなものが必要のようです。 そうしたことは、情報時代の必須の技術だともいえそうですね。 本屋さんや図書館などで本を探すのも似たようなものですけど。 》 しかし、それを見る以前に、mes 16で矢口さんの協力も得て年間購読を始め 》た「TWO WORLDS」誌も読まないといけません。お経を読みたくて、天竺まで妖 》怪に襲われながら旅をした(^^;昔の人達とは逆ですね。情報の洪水に、消化不 》良を起こさないように気を付けねば。 そのためには、まずは、きらびやかなだけのゴミのような情報を ばっさばっさと切り捨てていくだけのおもいきりの良さがいりますね。 そのうえで、これは!という情報だけはじっくりと見ていく。 なかなかむずかしいことではありますが、それができないと、 これからの時代の展開をサーフィンしていくことはできないのだと思います。 もちろん、ぼくの場合、まだまだなかなかそこらへんができてませんから、 つまらない情報にふりまわされることも多いので、気をつけなければ^^;。 》 ううん、やっぱり僕とは違うなぁ。僕は今、電子ブックの英和辞典が欲しい 》と思っています。紙の辞書はめんどくさくって。 ぼくも、いずれパワーブックの新しいののを買って、 メモリーなどをふくめ周辺環境を充実さえることができれば、 電子ブックの各種辞典類はほしいなと思ってます。 そこらへんの環境は、日進月歩なので、活用せぬ手はない。 でも、ぼくとしてはやはり両方ほしいなと思います。 》どちらにしても英文を読むには、人間のバージョンアップが必要なようです(^^) はい、そういうことだと思います。 そろそろマルチタスク化する必要もありそうですし^^;。 では(^^)。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ - FARION MES(14):預言解読村  ★ 預言・予言は何を語るか 96/02/19 - 03664/03666 PAG03134 はな 北海道の漁場の話(その2) (14) 96/02/18 23:34 03663へのコメント  彼の話によれば、オホーツクの流氷は、6年くらい前から道東の東 端、知床半島、地名で言えば斜里から岩尾別、知床にかけて、流氷が 着岸しなくなったそうです。  昔は冬場でも流氷を船で砕きながら漁に出ていったそうです。船体 やプロペラを傷だらけにしながら前に進むため、船の痛みも激しかっ たとのこと。  それが、今では流氷が着岸しないから、砕くべき氷もなく、船は何 の労もなく漁に出ていける状態が続いています。労もなく漁場まで船 を出せるのはいいのですが、肝心な魚がおらず、漁にならないと聞き ました。  魚とは温度にすごく敏感だそうで、水温が1度でも違えば、住み易 い海域に移動してしまうそうです。水温が5度を好む魚が、海流の流 れ方や、地質活動が活発になり、海底の温度が上昇したりして、水温 が変化すると、すぐに場所を変えてしまいます。オホーツク沿岸、知 床半島近辺で、漁が不漁になったのは、水温の変化の影響が大きいよ うです。  流氷が接岸しなくなったのは、暖冬のせいもありますが、それだけ ではないようです。流氷が接岸するのは、北方から吹く風にあおられ るからであり、シベリアから吹き込んでくる風が弱くなったため、流 氷がなかなか流れてこないとも分析してくれました。  海水温度の変化と、地上に吹く風の変化。海底でも、空でも異変が 起きています。  樺太で地震がおき、多数の死傷者がでたのは記憶に新しいところで すが、すでに6年くらい前から、海水の温度も微妙に変化しているこ とが伺えたお話でした。                       はな - FARION MES(19):世も末ばなし ★ ぶっ飛び話・罰当たり話 96/02/19 - 824/824 QZY01267 猫の手 RE^2:常識 (19) 96/02/19 07:16 822へのコメント  みあじゃさんコメントを有り難う。  読まれることを期待せず、自分で自分を表現するためと、自分で自分を励ま すためにUPしていこうと思っています。  でも、みあじゃさんのようなコメントがもらえるとやっぱり嬉しいです。    私は気まぐれなんでいつすっぽかすか分からないですが、今の所はネタが思 いつく内はUPし続けてみたいと思っています。  久しぶりのコメントがとても嬉しい『猫の手』でした。         ** QZY01267/『猫の手』 <96/02/18 08:25:54> **