「柴を集めた経緯などについて話をしなさい」と天使は言った - FARION MES( 6):ハロー・メッセージ ★ 今日のハロー・メッセージから 96/02/25 - 00707/00712 KFQ02761 しまうま RE^2:焚き火の場所 ( 6) 96/02/24 17:16 00701へのコメント #00701 維/YUIさん  こんにちはぁ(^^)。毎度どーもですm(__)m。 |焚き火の火種って、何だとおもう?  んー、僕は漠然と、  95/12/18 大きな燭台を掲げた天使…「さて、どちらの舞台に幕を引くのか」  この一連のメッセージの一番最初に出てきた「燭台」の火が、あらゆる焚き 火の根元的な「火」なのかなあ、なんて思っていました。でも、 |火打石みたいにね、カチカチって、擦り合わすのは、 |ヒトとヒト。 |心と心。   うーむ、なるほど!  これで考えると、互いに打ち合う「人の心」には、ある種の「硬さ」が必要 になりますね。もしかすると「確固たる信念」とか「芯のある生き様」とか、 そういうものかもしれませんけれど。  そーゆーものをもっている人同士の心と心がぶつかり合い、磨きあうからこ そ、そこに火が起きる。  そう言えば、「磨く」という言葉も、もともとは「身を欠く」すなわち身を 削るほどの努力をして始めて「磨く」ことができる、ということらしいです。 火を起こすには、互いの「身を欠く」ほどの切磋琢磨が必要なのかもしれませ んね。  逆に、どちらかの「人の心」がふにゃけていたり、ああ言われたらあっちに フラフラ、こう言われたらこっちにフラフラ、という芯の通らないようなもの であったりすると、どんなに打ち合っても「火」は起きない。火打ち石と軽石 を打ち合っても、火花が飛ばない、というのと同じようなものでしょうか(^^;。  うーむ、そう言う意味では、HM中の凍えた人、変なところで「芯」が通っ ているようにも見えるなあ。まだ、希望はあるのかも(^^;。むしろ、変に「柔 軟性がありすぎる」人のほうが、本当の意味で「救われがたい」のでしょうか。 |凍える人が未だに寒いのは、 |まさに表づらだけで、他の天使や焚き火に集まる人と |つきあおうとしているから。  そうですねー。少なくとも天使や焚き火の民と、心と心で「打ち合おう」と は、ぜんぜんしてないですね。天使と会話していても、肝心なところでヨソの ほうに話をもっていくし。  これが、ちゃんと向き合って徹底的に話し合えば、案外「火」を起こすこと ができるのでは?なんて思いました。 |でも誰が何て言っても、凍える人が自分で決めなきゃだめだって |思うんだよね。  うんうん。例えば焚き火の民が「さあ、ちゃんと向き合って話をつけましょ う!」という風に、話し合いの場を設定したとしても、凍えた人が「そうです か」とか言ってトボけてる間はダメですね。  石と石とが「スカッ」とすれ違っているような状況でしょうか(^^;。  石と石、というのは、もしかしたら「意志と意志」なのかも、なんて、こじ つけてみたりして(でも、案外それほど大きく的をはずしてはいないような… …って自分で言うな(^^;>わし)。 しまうま(KFQ02761) 00708/00712 KFQ02761 しまうま RE^3:架空対話は続く(^^;;;; ( 6) 96/02/24 17:16 00702へのコメント #00702 維/YUIさん  続いてこんにちは(^^)。 |(^O^;; ”すぶり”ならまだトレーニングになるかもしれんが、 |この人の場合…、”空振り”になりそ〜で、コアイです………。  ふと思ったのですが、この「空振り」というのも、火打ち石と火打ち石の例 えにぴったりの言葉ですね(^^;。 |お〜し、痛い目見させる会でもつくろーか! …って物騒な…  そこまで行く前に、凍える人が自ら変わる方向に転換するといいなーと思い ます。あと、「痛い目を見させる」というのは、人と人の関わり方としてはか なり深い関わりだと思うので、そこまで凍える人のためを思うことができるか ?という問題も出てきそうですね。「気に入らねーからぶん殴る」という、行 きずりのチーマーかなんかみたいなノリではないでしょうし(^^;。  血の滲むような優しさ、という言葉がARIONの本にはありましたが、人 の心を変えるための、ほぼ最終的な手段として「実力行使」という手も、ない わけじゃないだろうなと思います。  うーん。このへんすごく微妙な問題なので、一概に「それがいい!」とは、 ちょっと言えないような気もしますね。うううむ。難しいところです。   しまうま(KFQ02761) 00709/00712 KFQ02761 しまうま RE:「優位君、何か話題振ろうよぉ」 ( 6) 96/02/24 17:16 00703へのコメント #00703 優位さん  いらさいませ〜(^^)。 |そうか、なるほど、と思いました。僕は自分から話題のネタを提供せずに、 |オフでは皆さんが提供する話をただ受動的に聞いているだけの事が多い。 |オフから帰った後の「なんとなくの不満」感はそこから来ているんじゃない |かと。  ふむふむぅ。僕は、特に自分からしゃべることなく場に加わっている人、と いうのがいても、それはそれで場の「バランス感覚」みたいなので言えば、 「存在意義」はあるなあ、という気もします。議論の場ではまた別問題だけど、 雑談なら、そういう人がいることで場の落ち着き、みたいなのが出てくるよう な感じ。なんとなく、ですが。  でも、主体的にしゃべらないことで不満感が残る、という場合は、やはりし ゃべれたほうが嬉しいよね(^^)。言ってしまえばスカッとしちゃうことでも、 腹の中にため込んでおくことで、なんか妙に気になる不快感、みたいなのが残 ったりすることって、ありますもんね(僕も身に覚えはたくさんある(^^;)。  あと、自分がすごく気にしていたことを、思い切って人に伝えてみたら、そ の人は何とも思ってなかったりとか。こういうのって、なんかバカらしいし(^^;。 |実は、告白しますと(^_^;)、「柴を自分でとって来ない凍える人」なんて |「なぁんだ、僕とは関係ないや」と思いはじめていて、最近のHMもあまり |興味なくなっちゃたなぁ…というのが本音だったりしました(^O^;)  実は、告白しますと、僕も一時期「関係ないね」と思ってました(^^;。  んでもねー、この「凍えた人」のいろんな側面を見ていくと、やはり「自分 と関係ない」なんてことはあり得ないなあ、と思うようになりました。  自分の心の中、身の回りの人……そしてもっと広い視野で見れば、日本の外 交政策ってほとんど「凍えまくり」の状態のようにも思えるし(^^;。  よくよく見れば、世の中「凍えた人」だらけではないか!とか(それはそれ で極端な見方なのかもしれないけど(^^;)。 |だから「もっと火が大きくなれば」とはいいますが、会話に置き換えて |みると「ちょっとそれは違うかなぁ」という感があります。 | |だってそれって「皆さんの話し声がもっと大きくなれば」ってのと同じで |なんだか逆に自分が話題を提供していない分、余計つまらなくなるとか、 |会話=喧噪になってしまう可能性、大です(^_^;)  うーん、これはものすごくわかりやすい例えですね(^^)。  会話、ということで言えば、話のネタが“柴”という考え方もできるでしょ うし、あるいはどれだけたくさん“言いたいこと”“言うべきこと”を心の中 にもっているか、ということでもあると思います。  「これだけは譲れん」とか「これは言っておきたい」という、なんか一種の 内部的規範、みたいなものですね。あ、でもこれは、雑談というより「議論」 の時の話だな(^^;。  いずれにせよ、まずは内側からほとばしる“これ言っておきたい!”という 衝動にストップをかけずに、とりあえず一度思い切って身を任せてみる、とい う感じかなあ。ほんの小さいところからでも。  これが「しゃべらなくてはならない!」になってしまうと、もー人の集まる ところに行くのもイヤになっちゃったりするもんね。 |わははは、こうなったらもう後には戻れませんね僕も(^_^;)  うおー、がんばれー(^^)/。 #00704 優位さん  まとめちゃってごめん(^^;。  「自分の身に引き寄せて考える」という話、結局そこに到達したのはRTも たけなわを過ぎた午後2時くらいでした(^^;。  次回のテーマRTでは、「自分のみに引き寄せる」を、いろいろな角度から やってみる、というのをメインのコンセプトにしようかと思ってます。5から 10パターンくらい「引き寄せ方」をあらかじめ考えておいて、それに沿って 話を進める、みたいな。  「身に引き寄せる」の第一人者((^^;?)の優位くんには、ぜひ参加してい ただきたいと思ってますので、その時はよろしくぅ(^^)。                           しまうま(KFQ02761) 00710/00712 KFQ02761 しまうま RE:つきあいと障害 ( 6) 96/02/24 17:49 00705へのコメント #00705 二木 聡さん  こんにちはぁ(^^)。ご返事ありがとうございますm(__)m。  レスが遅いだなんて、ぜんぜん感じていませんよ。お気になさらずに、二木 さんのいちばんいいペースでご返事くださいね(^^)。  さてさて、本論です。 |・深いつきあいなら、深い障害になる(致命的な障害になる) |・浅いつきあいなら、浅い障害になる(浅い障害で済む) | |と、私なんかはついついこうなります。  ううむ、と、僕もちょっと考えてしまいました(^^;。  僕があの文章を書いたときは、以下のようなつもりで書きました。  「深いつきあいをしようとした場合には、それ(表面的な穏やかさを優先す ること)が障害になって、深いつきあいにまで行き着くことができない」。  で、逆に「浅いつきあい」でいいのならば、とりあえずその場の穏やかさを 優先して、相手の耳に逆らうようなことを言わずにすませても、それほど問題 にはならないだろう、と思ったわけです。  しかし……じゃあ「浅いつきあいでいい相手」って、どんな相手なんだろう? と考えてみると、ちょっと行き詰まりを感じてしまいました。  道端ですれ違っただけの相手だったら、例えば「ゴミのポイ捨て」を見逃し てもいいのか? 近所のガキンチョが煙草をスパスパやってるのを見て見ぬ振 りをしていいのか?  ……うーん。僕なんかは「バカなことやってんなー」ですませてしまいがち です。しかしなあ、とも思うのです。こういうバカなやつらが社会を形成して いるからこそ、こんな住みづらい、理不尽のまかり通る、面の皮厚いヤツが勝 ち、みたいなわけわからん世の中になっちゃってるんだよなあ……と思うと、 「浅いつきあい」だから表面的な穏やかさを優先していい、ということにはな らないですね。  やはり「間違っていること」に対しては「間違っている」と、言えるように なりたいと思います。そして、それを裏打ちする信念と“力”をもちたいです。 |しまうまさんにとっての「障害」とは?  えーと、では連想ゲームみたいですが、脈絡もなく書いてみます(^^;。  邪魔なモノ。行く手をふさぐモノ。何かを遮断してしまうモノ。  視野を狭めるモノ。人と人との間にある溝を深めるモノ。人が人としてある ことを否定するモノ。関係性を断ち切るモノ。  穴ぼこ。壁。ハードル。谷間。深淵。  越えるべきモノ。自分を磨くモノ。でもやっぱり基本的にはイヤなモノ。  こんな感じでよろしいでしょうか?(^^; しまうま(KFQ02761) - FARION MES( 8):恋愛錬金術  ★ 愛と性を本音で語る 96/02/25 - 01370/01370 MHD02672 TAO 【クィア・パラダイス】 ( 8) 96/02/24 22:08   最近面白い本を読んだので、紹介させて頂きたいと思います。ゲイ・ライターと  して知られる伏見憲明氏の新刊で、セクシャルマイノリティ(性的少数派)達との  対談集の『クィア・パラダイス −性の迷宮にようこそ−』(翔泳社刊/1500円)  です。   「クィア」という言葉は英語でもともとオカマや変態等を意味し、「性的蔑称」  として使われていた言葉ですが、近年になって欧米では、セクシャルマイノリティ  が自らのアイデンティティを表す言葉、“ストレート”で無い性的あり方を自ら選  んだ人間を表現する言葉に変わって来ています。   私自身、ゲイやレズビアン、バイセクシャルといった人々にも知り合いが結構い  て、それなりにセクシャルマイノリティのことを認識している積もりでしたが、こ  の本を読んで、自分がまだまだ、いかにセクシャリティに関する固定概念に縛られ  ていたか、痛感させられる結果になりました。  この対談集に登場して来るセクシャルマイノリティは、実に多種多様に分かれて いて、ゲイやレズビアン、バイは勿論、こちらが想像もしなかったようなセクシャ ルアイデンティティを備えた人々も出て来ます。例えば…。  ・性転換手術で男性から女性になったのにもかかわらず、男性を否定して女性を   愛する「レズビアン」  ・同じく性転換手術で女性から男性になったものの、性的対象として男性と女性   両方を認識する「バイセクシャル」  性転換する人は違う性になりたい訳だから、性的パートナーには当然「異性」を 選ぶものだと思い込んでいたのですが、そうで無い人もいるという事実に「う〜ん、 人間って奥深い(^^;」と思ったものです。しかも両者とも精神的に奇矯な面は全く 無く、普段は普通の会社員なり教諭なりとして日常生活を営んでいる。世間では派 手ハデな化粧をしたドラッグ・クイーンがマスコミ受けするので、それだけがクロ ーズアップされ、それで同性愛者を奇矯な外見や言動をする人だと思い込む人も多 いのですが、それはあくまでも一部に過ぎない訳です。   でも一番興味深く、かつ考えさせられたのは「半陰陽」の方と対談した章で、生  物学的に「男」とも「女」とも分類し得ない人々にとって「愛」「性」とは何か?  という問題を突きつけられたという感じです。   医学的に見て半陰陽には「真性半陰陽」と「仮性半陰陽」とがあって、「真性半  陰陽」は男性器と女性器を兼ね備えたいわゆる“両性具有”を指し、「仮性半陰陽」  はさらに「男性仮性半陰陽」と「女性半陰陽」に分けられます。それも症状に応じ  て更に細分化され、「性腺異発生症」「男性性腺発育不全症」「女性性腺発育不全  症」…と続きます。   対談に応じた半陰陽の方は「男性仮性半陰陽の精巣女性化症」とされ、勃起しな  い短いペニスと膣に見える溝があるだけの不明瞭な性器を持っているということで  すが、彼=彼女の語る自己ヒストリーに「男でも女でも無い存在」としての苦渋が  滲み出ているようで、しかしその苦渋の果てに辿り着いた自己肯定を感じさせる口  調が印象的でした。めそめそした自己憐憫だけだったら、とても読めたものでは無  かったでしょう(^^;(実際、彼=彼女は日本初の半陰陽者の運動を始めようとして  いる)。   現にこういう人達が存在している以上、「男性・女性」という二元論は絶対的な  ものでは無いと分かってくるし、同性愛や両性愛の問題も含めて考えると、人間に  とってのセクシャリティが持つ意味も、想像以上に多様性を備えて来ますね。   もう一つ考えたいのは、「異性愛」「同性愛」「両性愛」という区分が出来るの  は、人間が基本的に「男・女」に分類されているからこそ可能な訳ですが、そうい  う肉体的区分を超えたレベルでのセクシャリティを我々は共有し得るか?という課  題が現れ始めているように思えます。霊的なレベルにおいても「セクシャリティ」  は存在し得るのか、という問題もあります。日本神話では男神、女神と言いますが、  肉体を持たない存在にも「性」という境界線が存在するとしたら、それはいかなる  ものなのか…。   最後にFARIONだから書くけど(^^;、ARIONの言う男性エネルギーと女性エネ  ルギーについての説明(『I LOVE YOU・1』166p〜172p)もやはり“正  常な”範疇に入る男女にしか適用出来ないだろうなと思います。上述のような半陰  陽の方は一体、どのエネルギーを持っているの?と聞きたいし、また生殖能力を持  たない人に当てはめるのも無理ですね。これは別に批判じゃなくて、半陰陽者や生  殖能力の無い人が持つ生命エネルギーとはいかなるもので、どのように現れるのか、  ということについてのARIONの言及をまだ見ていないということです。  TAO - FARION MES(14):預言解読村  ★ 預言・予言は何を語るか 96/02/25 - 03692/03701 HQK00566 SOUND 炎で書いた物語」第五章(その1) (14) 96/02/24 15:23  「炎で書いた物語」第五章       (THE DARK SIDE OF THE MOON)      「狂気」(その1)        そのアルバムのある箇所に来ると、近所の犬が一斉に吠える。  それはピンク・フロイド、桃色風呂井戸(こんな字を使ったらプログレファンに殴 られそう)の怪物アルバム(THE DARK SIDE OF THE MOON)。なぜか日本語の題は「狂 気」だった。歌の中にLUNATICという言葉が出てくるからかも。 アメリカの音楽誌「ビルボード」のアルバムトップ100 で通算何百週もチャート入りを記録する大怪物アルバムである。 ある箇所というのは何千という時計の音が響きわたるあの部分。 あそこは心臓に悪い。近所の犬たちも何事かと驚くのだろう。 ぼくはわざとその時だけ寒さをこらえて窓を開けてあげる。感動をともに味わうため に。  (DARK SIDE OF THE MOON)ということばはいかにもなにかありそうで幻想が膨らむ。  宇宙船から撮った月の裏側の写真を見せられても、なにか違うような気がする。  超科学者、関英男博士なんかはあの太陽でさえ、摂氏25度という。  それなら、あの「鉄腕アトム」の感動のラスト・シーンはどうなる。  人類のためにわが身を犠牲にして太陽に突っ込むのだ。  それが25度の天体では、どこに感動がある。 こんなところでぼくがいきまいても仕方がない。  原作者、手塚治虫氏は今頃、霊界で事実を確かめておられることだろうから。      *****************************************************       >>   (*1)…過去にス抜きのスサノオにされていたが、本体はス在りのスサノ  >>   オだということです(ARIONからの情報)   みれさんがくださったこのARION情報を読まれた方はピンとこられただろう。                        A         M          A         T         E          R         A  AMATERA ARETAMA         A          R         E         T         A         M         A             この十字を見てわかった方に謎解きするのは恥ずかしいけれど  一応、読んでいただきたい。  ス抜きのアマテラスすなわち  AMATERAというのは逆に読めば地に下りたときの名前がわかる。 アレタマ、荒魂、ほら見えてきた。  過去に大切なスがなくて荒魂(新珠)から和魂(ニギタマ)となられた有名なあの方。  荒(須佐)鳴るさん。  ス抜きのアマテラスとは同時に素抜きのスサノオでもあったのである。  本体はス在りのスサノオだということは、もう時が満ちて上図の十の中心に入られ る のかも。  これはえらいことですよ。上図が完成してしまう。素盞鳴尊がスそのものなのだか ら。  す(素、主、子、十)であってすべての元なのだから。  そうだとすればおちおちしていられない。  といいながらもなにをしたらいいのかわからなくて困ってしまう。                 ウロウロウロウロ。             (つづく)                             ♪♪音(SOUND) ♪♪ 03693/03701 HQK00566 SOUND RE^6:炎で書いた物語」第四章(その4) (14) 96/02/24 17:15 03685へのコメント #3685みれさん こんにちは(^^)。 >>まさか、SOUNDさん居なくなっちゃうの?…間違いですよね?(;_;)  >>折角、面白いお話を沢山聞けるようになったんだし、ずうっと此処に居て くださいましね(お相撲の露払いはずうっと居ることだし(^^;)) どうもすみませんでした。 言葉足らずのようでしたね。 ぼくはぽくを生かしておいていただいている存在がお許し下さるかぎり ぼくの仕事を全うさせていただくつもりです。 今はこのフォーラムのみなさんと一緒に 来るべき新世紀の夜明けに向けて生きることが仕事の一つだと考えています。 これから大変な時代に入りそうですね。 みんなそれぞれの仕事を与えられてそれぞれの役割をまっとうしていくのでしょう ね。 どうもご心配をお掛けするような書き方をしてごめんなさいm(__)m。   HAVE A NICE DAY! ** HQK00566/SOUND <02/24 17:09> ** SOUNDでした 03695/03701 PAG03134 はな イシスとマリア:ホルスとキリスト(1) (14) 96/02/25 00:21 03674へのコメント コメント数:1  SOUNDさんの発言で、興味を抱いたのが以下の部分です。 >> 「我らが母」で思い浮かぶのは、天空神Uranosの妻、地母 >> 神、Gaiaガイア、エジプトの豊穣の女神Isisイシス、そ >> れはキリスト教では聖母マリアに変化した。  イシス神と聖母マリア、共に処女懐胎という共通点があります。  イシス神から生まれたホルスには、聖母マリアから生まれたイエス があてはまります。 『イシス女神を聖母マリアに仕立てると、自分はホルスとなり、オシ  リスは神であり、自分が死してオシリスになる古代エジプトの理論  はぴったりであった。「神であり、神の子であり、聖霊である」と  いういわゆる三位一体論はここから出たものである。聖霊は古代エ  ジプトでは「カア」といわれ、自らと同一化できるものなのである。                   (古代エジプト女王伝より)』  イシス、オシリス、ホルスは、惑星にも対応しているようです。  【イシス‥‥‥太陽  オシリス‥‥月  ホルス‥‥‥地球】  ここから、古事記に出てくるアマテラス、ツクヨミ、スサノオとの 対応が見えてきます。(つづく) <参考文献>  古代エジプト女王伝 吉村作次著 新潮選書                       はな 03697/03701 PAG03134 はな イシスとマリア:ホルスとキリスト(2) (14) 96/02/25 01:11 03695へのコメント コメント数:2  【イシス‥‥‥太陽  オシリス‥‥月  ホルス‥‥‥地球】  ここから古事記神話にでてくる「三貴子(みはしらのうずのみこ)」 との対応も見えてきます。  古事記神話には、黄泉の国からイザナギが帰り、阿波岐原で身体を 清め、身体を洗い、禊ぎをする姿が描かれています。身体を洗ってい ると、左の目からアマテラスが、右の目からツクヨミが、最後に鼻か らスサノオが生まれました。  私からみれば、イザナギが黄泉の国から帰ってきたこと自体、疑わ しい話でありますが、三貴子(みはしらのうずのみこ)は、そのまま イシス神話と対応できそうです。  イシス ‥‥太陽‥‥アマテラス  オシリス‥‥月 ‥‥ツクヨミ  ホルス ‥‥地球‥‥スサノオ  併せて、キリスト教の三位一体説を重ねてみましょう。  イシス ‥‥ 太陽 ‥‥ アマテラス ‥‥ マリア  ‥‥ 聖霊  オシリス‥‥ 月  ‥‥ ツクヨミ  ‥‥ 神(?)  ‥‥ 神  ホルス ‥‥ 地球 ‥‥ スサノオ  ‥‥ キリスト ‥‥ 子 ここまで対応させることができました。                          はな 03699/03701 GGA02514 KAZE RE:イシスとマリア:ホルスとキリスト(2) (14) 96/02/25 02:00 03697へのコメント はなさん、どうも。 >> 【イシス‥‥‥太陽  オシリス‥‥月  ホルス‥‥‥地球】 ということですが、ぼくの考えでは、   【オシリス‥‥‥太陽 イシス‥‥月  ホルス‥‥‥地球】    なのではないかと思います。 神話でもまさにオシリスは太陽であるというのがありますし、 イシス像のなかには角のついたのもあるということですが、 その角は三日月をあらわしているという話もあります。 イシスはオシリスを恋しく思い、それを追っているという話も。    それと、古事記神話との対応ですが、ですから  オシリス ‥‥太陽‥‥ アマテラス  イシス   ‥‥月‥‥ ツクヨミ  ホルス  ‥‥地球‥‥ スサノオ   って感じだと思います。 それと、さらにつけ加えるとすれば、 ホルスは父のない子であり、 スサノオは母のない子だといえまして、 エジプト神話で表現されている霊性と 古事記で表現されている霊性というのは 相補的な側面があるのではないかと思います。 さらにいうならば、スサノオは、母がいないからこそ それが無意識の部分でその母性な要素が強烈に働き、 ホルスは父がいないからこそ、それが無意識の部分で、 父性的な要素が強烈に働くのだともいえます。 キリストとの関係でいいますと、 キリストは、その死を通じて大地の奥底深くまで下ったといいます。 つまり、黄泉の国まで下った存在なわけです。 そういうことで、ホルスとスサノオを統合した存在こそが キリストなのだともいえるのではないかと思います。 日本の古事記神話では、アマテラスも月読もスサノオも すべて母のないままに伊邪那岐の生んだ子です。 むしろ、祓禊までして、黄泉の国の穢れを祓ったわけです。 つまり、黄泉国を切り離した存在から生まれたのが この日本であるということになります。 天磐戸開きにはいくつかの側面があると思うのですが、 まずは、アマテラスを騙して岩戸から連れ出したのだから、 ほんとうのアマテラスはまだ隠れているという側面。 さらに、黄泉国を切り放した岩戸開きではなく、 黄泉国の岩戸まで開いたものとする側面。 そうしたことなどを見ていく必要があるのではないかと思うのです。 えっと、思いつくままに、少しだけコメントしてみました。 では(^^)。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 03698/03701 PAG03134 はな 禁:無断転載(おしらせ) (14) 96/02/25 01:58  かつてから、当フォーラムおよび、当会議室の話を無断で転用、転 載されることがしばしば発生しているようです。  このようなことは言いたくないのですが、当会議室の発言の内容を 転載希望される方は、事前に発言者本人に転載許可のメールを差し出 すようにしてください。  少なくともアリオンのメッセージ、私の発言内容は、著作権を放棄 するものではないことを、ここで明言しておきます。  (ああ、言いたかないや、こんなこと)        FARION 14番会議室 預言解読村 議長  はな - FARION MES(19):世も末ばなし ★ ぶっ飛び話・罰当たり話 96/02/25 - 830/831 QZY01267 猫の手 828,829の削除について (19) 96/02/25 00:28  茄子での編集中のファイルを  自動パイロット中にUPしてしまったのですぐに削除しました。  このあとに『こだわり』として再度UPし直しました。    どうも私はこういう失敗やら、  忘れ物をよくします。  それを「迷惑だ。」と言われたら、 「御免なさい。」  と言うしかないですネ。  それによって一番あたふたして  かけずり回っているのは私なんだけど。    こんな私に楽しみながら  付き合ってもらえたら嬉しいな。      ** QZY01267/『猫の手』でした。 <96/02/25 00:22:02> ** 831/831 QZY01267 猫の手 こだわり (19) 96/02/25 01:29  先日高速バスに乗って面白いことあった。  今の高速バスは予約制、  立ったまま乗車できないために  以前は立ち席もあったのに  それは昔の話。  その日も、途中乗車して席の番号を指定されました。  でもそんなことに関係なく  前の方に空いている席があったのでそこに座り込みました。  ところが運ちゃん、  私が指定した場所に座らなかったのが気に入らなかったみたい。  偉い剣幕で怒りだしちゃった。 「指定した席に座りなさい。」って  でも私は知っている。  その席が空いているのは  その席に座る予定の人が  後ろの空いている席に座っていることを。  でも運ちゃんは、 「予約無しの私を乗せてやったんだから  自分の言うことを聞くべきだ。」  とはばからない。  私が座った隣の席もまたその隣もその隣も隣も  空いているのにかかわらず。  別の席に移ったってどうってことはなかったけれど  自分の権力に嵩を着て私に指図しようとする輩には  逆らいたくなってしまうこの私。  元々その席に座る予定だった人は  後ろの空き空きした方に行って座っているであろうこと  運ちゃんだって知っている。  また途中から別の人が来て座るとか言っちゃって、 「じゃあ来たらそのとき譲るよ。」  と言ったって聞きゃしない。  一度私も荷物をまとめて移動し掛けたけれど、  運ちゃんが私の席まで来て怒り立つのに出会って止めちゃった。  結局途中で乗り込んでくる人、ひとりいたけれど  同じ場所で降りる人も沢山いたりして  席はがらがら  運ちゃんもわざわざ席を指定せず、  その人は空いている席の中から  運ちゃんのすぐ後ろの席に座り込み、  わざわざ私の席に来て 「その席に座らせてください。」  なんてこと言わずに終わった。     数年前、年賀状に撮った写真のサービス版をそのまま使った。  ネパールに居たときその写真のサイズを  ポストカードサイズとして売っていた。  実際ポストカードに使って  ちゃんと葉書の値段でネパールから送って  日本の郵便屋さんも配達してくれた。  でも日本で出すときそう云うわけにはいかない。  その前年はLサイズの写真に紙を付け足し、  葉書の最小寸法に合うようにして送ったの。  そのときもやっぱりすったもんだあったんだけどね。  ところがその年、写真を焼き増しした先、失敗しちゃって  更に一回り小さなサイズでプリントしてしまったの。    仕方がないから奮発して  封書用の切手を貼って出したの  ところが封書の最小寸法にも満たないと云って返されちゃった。  しかたないので今度は更に奮発して  特殊郵便料金の切手を貼って出したの。  そしたらそれでもいけないと云って突き返されてしまったの。  葉書よりちょっと小さいだけで葉書の3倍の料金払っているのに・・・  と私は思ったけれど、  何でも配達できるものの最小サイズにも満たなくて  荷札を付けなきゃいけないとか。 「この写真そのものが荷札だよ。」 「荷札だけでは送ってくれないの?」 「荷札に写真が貼ってあるんだよ。」  そんなこといろいろ言ったけど、  そんなの屁理屈だって  村の郵便局長さん直々にいらして説明してくれた。 「荷札には紐がついていて、  その先に送る物がついていることになっている。」  そういう説明。  それ以上言い合ったって面白くもないので  その用件満たす努力を試みた。  その送ろうと思ったカードが荷札の用件満たせばいいだけだから  カードの先に穴を明け、  そこに黄色い水糸を縛り付け、  その先にはゼムクリップをハート型にして付けて垂らしてやった。  結局郵便屋さんにとっては  一枚のカードを送るよりも  気を使って配達することになったけど  それは本人の希望だからしかたがないね。    私の言うことが屁理屈なのか  そんなことはどうでも良いけれど  荷札の目的が何であるのか分かっていれば、  もっと柔軟に対処できるはずなのに。  そのころ私はまだ市民運動なんかやっちゃって  拳を握りしめていたようなところあったから、  それを郵政局長さん宛にも出したんだけど  結局なんにも返事来なかった。   私は何が正しくて何が間違っているかなんてこと  論じる気持ちはないつもり。  でもね、権威とか権力とか  自分以外の力によって私を縛ろうとする誰かには  屈することはしたくない。  そうしてしまうその誰かをいたわりはするけれど  だからといってそれに従うなんてこと約束できないこの私。。    私は約束事は必要だと思うし、  ないと不便だと思う。  でもその約束事も目的あっての約束事だと思う。  どもこの世の中ではその目的どこかに行っちゃって  約束事だけが一人歩きしちゃってく。  その約束事が生み出された目的よりも  その約束事の方が大切がごとく。    私のこだわりはそこにある。  私はいつもその意図、その目的に  意識合わせていたい。    どんな意図も  どんな目的も  初めから不幸になること願っていない。  誰かを傷つけること願っていない。  にもかかわらず  不便にしていく行為があって  傷つけ合ってしまう行為があるみたい。  だから私は自分が傷つけられることがあろうとも  そのこと意識していたいと思うけど、  それ以上に私の意識は   ちょっと違うところに行っちゃうみたい。  それが私のこだわりみたい。     ** QZY01267/『猫の手』 <96/02/24 10:23:19> **