焚き火の民は一瞬鼻白んだ顔をしたが「では私から」と言った - FARION MES( 5):**/////*/////*/////*/////*/////*/////** 96/02/29 - 00644/00652 KFQ02761 しまうま もうすぐ2月が過ぎる ( 5) 96/02/28 23:51  1日の終わりにビデオを見ながら食事して、  机をどんと叩くと  箸が転がって、畳に落ちた。  故郷の友人に電話をすると、  どうも半分寝ていたようなので、  「いいよいいよ、用事じゃないから」とすぐ切った。  自分の周りにあるものが、急にこの身に迫ってくる感じ。  かといって、暖かいわけじゃなく冷たいわけでもない。  甘ったるい哀愁ではなく、屹立する高地に吹く風のような乾燥した何か。  嵐が来るなら、その雨風を避けるよりも、  その真ん中に立って何か大声で叫んでみたい。  自らを変えることなく何事かを変えようとする薄汚さと、  間違っていることを間違っていると言えない柔弱さと、  恐ろしいことをただ恐れるだけですませる無能さを、  大声で告白して、  それから、誰もいない道を何くわぬ顔で歩き出すんだ。 00648/00652 QZG02773 ウルヴィー モラトリアム ( 5) 96/02/29 05:47 決断を意味なく先延ばしにする者。 責任を取るべき時に取ることのできない者。 逃げるなら逃げるで何かしら考え(高飛びするとか)が あるのかと思えばそれもなくただ旅館に泊まっているだけ。 俺も確かにモラトリアムと言われても仕方ない生活をしてはいる。 だが、それは決断を無意味に先延ばししているのではなく、 のたれ死に覚悟の上という決断の末だということははっきりと言える。 決断はタイミングを逃しては意味がない。それを改めて思った。               発砲して蒸発していた警察官に思うこと               たまには真面目モードウルヴィー - FARION MES( 7):自分を観る  ★ ARIONを鏡にして 96/02/29 - 07011/07011 GBG02043 維/YUI RE^2:出発 ( 7) 96/02/29 10:11 07003へのコメント うっ…。そ・そんなのを覚えていらしたとは………。 あの、旅人の歌った歌(歌い手がひどかったんで、おぼえてないと思うけど)は、 私が高校生の時に書いた詞が基になっているのでした。 あのころの倍の歳になって、ふと時々、あのころの想いが今の自分を しっかりと支えているんだなぁ…と思います。 そして、あのころ書いていたこと思っていたことって、自分が 幼子の頃に、むずかしくてちゃんと考えられなかったいくつかの疑問の ヒントになっています。 きっと、自分の疑問の答えを見つけて、それを携えて戻りたいと改めて 思う、このごろです。 (ん〜、どこに戻るかっていうと…、わからない。 でも、戻りたい、帰りたいという気持ちが昔からあるんですよ、私。) 維/YUI - FARION MES(10):夢鏡/幻紀行 ★ 夢解釈/カスタネダ研 96/02/29 - 01138/01139 SDI00635 みれ すっごく変な夢(- -;) (10) 96/02/29 09:09  今朝、目覚ましの5分前に汗をかいて起きた。  凄く変な夢をみた。  ある日、FARIONのオフという設定らしい。 ------------------------------------------------------------------  ウルヴィーさんがアシスタントをしている先生のお宅を訪問している。  先生のお宅は、大きな武家屋敷の様な作りで所々が西欧風の窓や瓦にな っていて和洋折衷で、増築に増築を重ねて作り上げた感のあるお宅だった。  いつの間にか室内(廊下)に居て、ウルヴィーさんが仕事をしている部 屋の前に居る。廊下も広くて、廊下の端っこにはソファなどが置いてあっ たりする(すごぉ〜い(゚o゚;))  ウルヴィーさんの仕事をしている所はコックピットの様な感じで、机の 上に設計図の様なものが乗せてあってスポットライトがあたっている。オ フに参加した人の皆が「へーー、ここでDr.Kが描かれるのかぁ」とか 言いながら感心している。  そこで七穂ちゃんがお手洗いに行きたいと言い、私もお手洗いに行きた くなったので一緒にお手洗いに行った(しかし、私の夢ってお手洗いがよ く出てくる(^O^;))  お手洗いは一般の家庭のとは異なり、広めに作ってある。中には右手奥 に和式トイレ、その隣の手前に洋式トイレという構造。私は奥の和式トイ レに入った。入ってすぐに便器の水が通常より多く入っているのに気付き、 「あれれ、何か詰まってるんじゃないの?」と思った。  ほどなく七穂ちゃんが「このトイレ詰まってるみたい〜」と叫んだので、 「こっちもよ。ちょっと一度流してみた方がいいかな?」と答えて、フラ ッシュ・バルブを手前に引いた。ゴゴゴと変な音がして、水が溢れ出てき てしまい、私は「ひぇぇぇ〜っ」とトイレから飛び出たら、七穂ちゃんも 同時にトイレから飛び出て来た。  水が溢れている便器を見ていたら、白い上着の様なものがトイレの中か ら浮かび上がってきた。「何、これっっ!!こんなもの流したらトイレ詰 まるのは当たり前よねぇ」と七穂ちゃんと肯きあいながら、その上着を広 げて(ばっちいね(笑))みると、背中にあたる部分に「栃木県立○○工 業(或は商業)野球部」という字が書いてあったので、野球部員の着るユ ニフォームだと分かった。  その時、何故か七穂ちゃんも私も殺人事件が起きたと思った(^O^;)  で、そのユニフォームを先生に見せたら、先生は趣味(?)で時々、地 方のクラブ員を宿泊させることがあり、昨日も栃木の野球部が来ていたと いう話だった。なんでもその学校の先生は管理が行き届かないタイプで、 出発点呼の際には生徒を見ないでOKを出していたという話であった。  だから一人殺されていても分からないよなぁ…とウルヴィーさんの先生 は事も無げに言うのであった。私と七穂ちゃんは大変なことになった…と 思った。  その後、場面が変わって皆で帰る算段をしていた時、何故か昔離婚した 元夫(リカルド)が皆に混じって荷物を詰めているので、私は驚いて、何 であんたが此処に居るのよと聞いたら、例によって頓珍漢な答えかたをし たので、ちっとも変らないなぁと私は呆れて見ていた。  そうこうする内に皆タクシーに分乗して先に出発してしまい、私は事も あろうにリカルドとタクシーに分乗せねばならない様だったので、先に歩 いて行こうとしてリカルドを見ると、相変わらず訳の分からない事を言い ながら、どうでもいいような物を大きなスーツケースに要領悪い手つきで 詰め込んでいる。私は大声で「Thank God!! You are not my husbund any more!!」と彼に向かって言い、スッキリした気分でタクシーを呼ぶために 手を挙げた。後ろで彼が何か喚いているらしかったけど気分良く無視した。 ------------------------------------------------------------------  とまぁ、こういう夢でしたが凄い変な夢ですよね(^O^;)  兵庫県小野市で起きた高校生殺人事件を気にしていたせいか、高校の野 球部というのが出てきたりしてますが、この夢、変な意味無かったらいい けどねぇ(^^;)  ちなみに起きた時に左の咽頭が痛く喉が乾いた感じになっていました。 夕べ窓を閉め忘れて眠ったのも、この夢に影響ありかな? ・:*:・みれ・:・。,★ - FARION MES(11):狼を生きる  ★ 平井和正の著作から 96/02/29 - 02023/02025 JBH00712 桂 桂 野獣、暁に死す (11) 96/02/28 20:56  昨日、作家の大薮晴彦氏が物故されたとスポーツ新聞各紙で報道がなされていた。  「野獣死すべし」で学生デビューを飾り300近い作品を世に送り出してきた往 年のハードボイルド作家の死である。  血は日本人であるが生まれは韓国。  戦後の生き地獄を血で血を争いながら日本に生還して来た。  焦土となった祖国では喧嘩と酒と女に溺れながら、敗戦国民として、そしてやり 場の無い憤りをどことなくぶつけていたそうだ。  氏の代表作である「野獣死すべし」では、主人公の半生は作者本人と重ねあわさ れている。  高校時代は学内新聞に左翼イデオロギーを書き連ね、演劇部では女子校性と乱交 パーティ。大学浪人時代にはヒモをやって食わせてもらっていたという無頼派には、 正に「アプリゲール」戦後派という言葉が良く似合う。  戦後は遠くなったというのはけだし名言かもしれないが、それでもやはり遠くなっ たといわれると少し悲しい。  現代に有るような飽食と痴呆のような時代に比べると隔世の感が有る。 あの時代は、なんて表現してしまうと年寄りかと思われてしまうが(^^ゞハングリー な物があったように思う。腕っ節一本でのし上がる。獲物を狙い、勝利を得るまで一 瞬足りとも気を抜かない、緊迫感が込み上げて来るようなもの。皆飢えていた、その 餓えがギラギラしていた目付きを想起させるのかもしれない。  「掟」シリーズというのがあった。  アクションバイオレンスもので、まぁようするにスーパーヒーローが血みどろにな りながら活躍するというものだ。今でこそ陳腐な響きがあるものの、学生時代にはよ く熱中して古本を買い漁っていた。  好きなものはヒーローが活躍するのではなく、その鋼鉄のような意志によって最後 まで目標を諦めないという性格描写が、だった。彼は好き放題暴れるが、それでも裡 に自らが課した自己基準を頑なに守っている。そしてどのような場面でもそれを手放 すようなことはしないのだ。  それが表題に有るような「掟」という意味だ。  野獣のような作家・大薮晴彦の後塵には自然の精霊「ウルフガイ」を産んだ平井和 正氏もいるし、現代書店に氾濫する多くのハードボイルド、アクション・バイオレン ス小説の基礎は、正に大薮晴彦氏の破天荒な著作活動に因ってもたらされたという言 い方もしてもいいかもしれない。  晩年の「アスファルトの虎」は失敗だったが、それでも「蘇る金狼」「汚れた英雄」 といった単にアクションというジャンルに留まらない「命懸けの生き方」を描いた作 品は世紀末に在っても必読の小説だ。  野獣、暁に死す。  合掌。 桂 桂(JBH00712) - FARION MES(14):預言解読村  ★ 預言・予言は何を語るか 96/02/29 - 03738/03745 HQK00566 SOUND RE^2:炎で書いた物語」第五章(その3) (14) 96/02/28 15:52 03702へのコメント コメント数:2  「炎で書いた物語」第五章       (THE DARK SIDE OF THE MOON)      「狂気」(その3)                      こんなことがあったの、と遠い目をして妻は語り始めた。        十数年前、妻はぼくと結婚することになって、姉とふたりでぼくの実家のある京都 見物に出かけた。    市内の繁華街をぶらつき歩いての帰りに東山区の蓮華王院本堂、三十三間堂に立ち 寄った。  平日のことで人影がなく閑散としている。。ふたりは拝観料を払って一歩入った。  そのとき、薄暗い堂内にずらりと並んだ仏像を一瞥して背筋がぞーっとしたという。    中央に湛慶作の千手観音座像、その左右に五百体ずつの千手観音立像、計千一体が 安置されている。  一旦、こわくなると宗教心のない人には耐えられない。  どちらともなくダーッと駆け出した。まるで百メートル競走、「炎のランナー」の ように。  三十三間堂は実際には六十四間五尺、約118メートルもある。  見ようによっては二本の通し矢のようだったかもしれない。  出口でお坊さんがゴールのテープを持って待っているわけでもないのに  金まで払って競走をするとは…。、どちらが勝ったのかはさだかでない。     仏様たちはどう思われただろう。美しい、、ここは妻がこれを読むときのために  強調しておこう。とてもとても美しい、娘さんがふたり堂内に入ってきて  「やぁ、こんにちは、今日は人出が少なくて退屈していたのですよ、  よくいらっしゃいました」と挨拶をする間もなく、出口に向かって脇目もふらず必 死に 目の前を駆け抜けて行ってしまったのだから。がっかりされたことだろう。  なんなの、あれ…、ここは墓場の肝試しの場所じゃないよ、と。        ********************************************            三十三間堂の正式名称が蓮華王院であることや、    柱の数が三十四本であること、    そして、通し矢の行事。千一体の千手観音像    そこには    なにかあるに違いない。    妻の必死の形相を思い浮かべて苦笑しながら、ぼくのアンテナは作動していた。    薄い魚影だが大物らしい。とにかく飛び込んでみよう。     それでは 蓮華に関するハロー・メッセージを銛にして突いてみる。     >>94/04/27 蓮華の花はヘルメスの杖によって開く、麒麟の瞳は何処を示すか   2/27日の新聞ににスティングのニューアルバム 「mercury falling」が 全世界に先駆けて発売される、と宣伝してあった。 この題名にこのハロー・メッセージのヒントがあった。 ヘルメスとはhermёs、カバンや時計で有名なエルメス。 ギリシアのオリンポスの十二神の七番目。 ローマではメルクリウス、英語ではマーキュリー、 属性は富と幸運、雄弁、熟練そして商売、盗みの守り神。水銀、水星。 スティングは水銀柱の意味で使っているらしい。 水銀柱が下がっていく、と。もしくは水星が落っこちるの方が趣がある。 「ヘルメスの杖」とは水銀柱に見えないだろうか。 水銀柱はいつも上下を繰り返す。 零度を境に水は氷になり誕生再生を繰り返す。 百度で蒸気になり気化する。 すなわち、百は氣の中の米(宇宙の根元エネルギー)に還る数。 水銀の「銀」は艮と金を重ねた字。艮の金神をお隠ししてある。 水銀とは水の姿の艮の金神のこと。 水、つまり、肉体を持った艮の金神とはスサノオ。 艮の字で根の国も示唆している。 「mercury falling」で根の国に下りることと考えても面白い。 すなわち、スサノオの杖によって蓮華の花は開く。   >>94/04/27 蓮華の花はヘルメスの杖によって開く、麒麟の瞳は何処を示すか      蓮華とはハチスの華  ハスあるいは、ハチスは八ス。 八素と呼ばれる方はやはり素盞鳴尊。 そうなればスサノオの花は水、つまり肉体をもった艮の金神、スサノオの杖によって 開く。となる。 ヘルメスが地上に降りればどうなるか、ちょっと逆読みしてみよう。 アタリメいや、スルメではない。スメルヘあるいはスメルエ。 おお、なんとスメラに似ていることよ。 どうやら一歩近づいたようだ。             そして、 蓮華王院の王は 三を通し矢が下から上へと貫いた文字。 三十三間堂の通し矢は南から通す。 「王」一文字で三十三を示してある。 観世音菩薩は三十三変身して衆生を救う。     三    三十三     三  このように縦横にミスミの変身をされる。 真ん中に十を置いたこの形が三千世界と呼ばれたり、 三千界(ミチノヨ)または大千界(ダイチカイ) と名づけられてきた。千一体の千手観音で 千を印象づけている。手の字は千と一を重ねた文字。 大阪の十三(ジュウソウ)は 地上に下りたの観音のことらしい。 スミ=隅とも読めるし スサとも読める。 すなわち、須佐 また、この名が出てくる。 観音の地上の姿がスサナルさんなのだろうか。 ここで三十四本の柱の方に注目してもうひとつのミスミの図を作る。 光の黙示録に以前の世界の数が示してある。 >>>月読みは三と四と三 日読みも 三と四と三であった >>(今は そうでは無いという意味) >>太陽はエール 三、四、三 >>月はミューア 三、四、三  これを縦横高さの立体の世界にまとめる。        三     三四三      三      この世界が四を中心に回転し、これに時間のベクトルが加わっていたのだろう。          真ん中の四がわれわれが目指すべき獅子の門と呼ばれる門。   八であり16でもある。            三     三八三      三   こうすると、御代と黄泉、宮と闇の関係がよくわかる。      ヤミ⊆夜見⊇ヨミ            通し矢の行事が暗示する的の中心にわれわれは到達せねばならない。 われわれが八(ヤ)の子孫なのだから。逆八=ソ=祖の千(ち)のモノリスを嗣ぐものなの だから。       >> 95/01/29 三角に結んだ契り、345の有限の封印‥真ん中で閉じよ、開く為         ミスミは昔の三四三から三四五へと進化し、有限の封印がされていたが     もう期限が過ぎて、次ぎの世界へと進化、神化する。    通し矢が的の真ん中に当たるとチョンが入ることになる。          三     三四三      三   の中心に、最後の最後まで隠されていたスメラの数(一)が入ると              三     三五三      三       の世界 が顕現しする。    どこから見ても八の世界。     蓮華=ハチス=八素の花が一挙に開く。          >>94/04/27 蓮華の花はヘルメスの杖によって開く、麒麟の瞳は何処を示すか           蓮華の花はヘルメスの杖によってついに開いたようだ。      麒麟の瞳とは瞳=火 (二)と水(三)=五 で新たな世界の中心の数(五)を示していた。 妻の話で垣間見えた魚影はやはり、大物だったようだ。 しかし、これで心臓を突けたかどうかは不明だ。 銛の手応えがなくてちょっと不安ではある。    ******************************************* この辺まで来ると、ぼくの脳は酸素不足に陥ってしまう。 へたな考え休むに似たりでどうどう巡りをする。 酸素を求めて他の細胞を使う。 そうだ。こんなことがあったのかも知れないっ。 ハムレットはオフィーリアに冷たく 「尼寺へ行け」 と言った。それを立ち聞きしていた心優しいスサノオは同情して自分が アマテラのもとへ行って天照皇大神となったのでした。めでたしめでたし。 なんのこっちゃ。シラー、シーン…。静寂の音。 めでたいのはぼくだけらしい。  (つづく)     ♪♪音(SOUND) ♪♪ 03744/03745 GBG02043 維/YUI RE^3:炎で書いた物語」第五章(その3) (14) 96/02/29 10:12 03738へのコメント 毎度、どうも〜。 >SOUNDさん。 いつも、すっきり快調に飛ばしている書き込み、感嘆しています!! >「尼寺へ行け」 >と言った。それを立ち聞きしていた心優しいスサノオは同情して自分が >アマテラのもとへ行って天照皇大神となったのでした。めでたしめでたし。 と… これこれ! アマテラさんのもとにス(サノオ)さんが行くってことで、 本来のアマテラスになるというのは、以前みれさんだったかが、話して くれた、ヒムカとイズモの確執(?)に通じるところがあると思いました。 アマテラス(日向の人)さんは、実際スサノオ(出雲の人)さんと婚姻を していたという話があります。 けれど、ヒムカのアマテラスさんの以前の恋人だか、参謀だかの人が スサノオさんとの婚姻をやっかんだのか、なんなのか、呪詛をしたそうで、 そのせいで、上手く行くはずだった二つの部族に争いがおこり、その流れは 歴史のあちこちに痕跡を残して今も続いているとか。(すごい執念だわよね…) 今、改めて、本来の婚姻が滞り無く行われ、恨みも払拭することで、 はるか以前に成されるべきだった、大和の統一ができるのでしょう。 と、イメージはあっても、それがなんだかは皆目見当がつかないのでした…。 つづきに期待してます!!! 維/YUI 03745/03745 GBG02043 維/YUI RE^3:炎で書いた物語」第五章(その3) (14) 96/02/29 10:12 03738へのコメント もしかして… スサノオさんの仏としての姿って、 荒魂は、不動明王 和魂は、観音菩薩 なんでしょうか? 維/YUI 03740/03745 PAG03543 NOISE 「ウツ」と「カイ」 (14) 96/02/29 01:32 03707へのコメント しまうまさん、こんばんわ 「ウツノカムイ」と「カイ=スメラミコト」について 連想したことを書いてみます。   「ウツノカムヒ」の「ウツ」は 「虚ろ」(ウツロ)「空ろ」(ウツロ)の「ウツ」 中国の「大虚」(タイキョ・オオゾラ)は「宇宙万物の根源」 大いなる「虚ろ」(ウツロ)としての宇宙 「空ろ」(ウツロ)であるがゆえに「器」(ウツワ)   「ウツノカムヒ」の「ウツ」は 「現し」(ウツシ)「写し」(ウツシ)の「ウツ」 顕現する宇宙 「現」(ウツツ)であるがゆえに「移ろう」(ウツロウ)   虚(火カ)であり実(水ミ)である宇宙は「真澄の鏡」(マスミノカガミ)     虚  実・実  虚     空即是色・色即是空 火→→水・水→→火 カ  ミ・ミ  カ 天アメ地ツチ・地ツチ天アメ  下降   上昇 真澄の結び・結びの真澄       ↑     [シンメトリーの鏡象] 「カイ」は「梭」 「梭」は機織りの道具 縦糸の間を左右に走らせ、横糸を通すシャトル。   [梭の働き]         天(アメ)         火(カ)          │          │    地(ツチ)水(ミ)│  左手←─────│─────→右手 横糸 (地の火)     │     (地の水)          │          │          縦糸 「梭」(カイ)は縦糸(天アメ)と横糸(地ツチ)を結び機を織る道具 カイ=スメラミコトは   天と地を統(ス)める(統べる=ひとつに纏め、束ねる)ミコト    經緯の理の絲紊れずば      織成せる絹伊照むものぞ たてよこのみちすじのいとみだれずば      おりなせるきぬいてらむものぞ                本田親徳 03741/03745 PAG03543 NOISE RE:日向と出雲 (14) 96/02/29 01:32 03736へのコメント しまうまさん まいどどうも >> あ、僕もそういう印象があります。父性的、母性的、というとよりしっくり >>くる感じ。 >> でも、日向の代表がアマテラスで、出雲の代表がスサノオもしくはニギハヤ >>ヒだとすると、人物でえば男女が逆なのになあ? これは大本教でいうところの 変性男子(へんじょうなんし)と、変性女子(へんじょうにょし)の関係でしょう。 出口ナオ   アマテラス 変性男子(身は女、魂が男) 火 出口王仁三郎 スサノヲ 変性女子(身は男、魂が女)  水 この二人は事毎に対立しあい、ぶつかりあって、信者も王仁派とナオ派 中立派と別れ、最終的には教団の分裂まで行ってしまう。 ほんとうは二人の対立は火と水のムスビの過程であったのに、 教団内でそれを理解できる人物は小数でした。 ちなみに、変性男子の原形は仏教用語の「変成男子」。 「法華経」提婆達多品では、童女が男子となって成仏した話があります。 03742/03745 GBG02043 維/YUI RE^3:Flat:BB Cross (その5) (14) 96/02/29 10:11 03694へのコメント ども、はなさん。 八七三(笑) ***>> 何とかしたいですね、私達の国。 ***>> でもその前に、私達、人が頑張らねばね。 *** *** 「でもその前に」って、何の前かな?と考えてしまいました。(^^; の解釈で、 ***わたしたち人間の蓮華の広がりが未だ十分でないから、人ががんばらねば と書かれていました。 これって、本格的な立て直しをするにあたって、未だに人は自分の足で立ち 歩むことができていない者ばかりである。自分の足で歩けない者が、どうして カミと共に、清冽な立て直しのことごとにあたれるはずがあろうか……っと いったところでしょうか? 人がそれぞれ自立して、さらにその人々が協力し、損得ではない心のある 繋がりが広がっていって(いわゆる、組織のないネットワーク)、はじめて カミと共に、私たちを操りさらに牛耳ろうとしているもの達と戦うことが できるってことでせうか? ん〜、ここ二ヶ月におよぶ怒涛のハロ−メッセージ(^^;)にもリンクして ますね。(ま、あたりまえっちゃ、そうだけども) う〜、なんか耳が痛いというか、恥ずかしいというか、ごめんなさいと いうか………。(; ;) 維/YUI 03743/03745 GBG02043 維/YUI RE^2:みなさんの書き込みに感謝します (14) 96/02/29 10:12 03735へのコメント はじめまして、高木さん。一応副議長してます維/YUIです。 どうぞよろしく。高木さんとは同年代です、たぶん。(1963.03.13生まれ) 大本教関連って、本をパラパラっと読んだ程度なのですが、イシヤってのが そこに出てきたのは覚えています。 >でも、オウムの事件があって、彼らの思想っていうのは結局 >超反フリーメーソン的じゃないですか。それであんな破壊的なことを >やっちゃって結局何なんだろうか、分からなくなってきました。 う〜ん。。。そうでもあり、そうでもなしってところではないでしょうか。 実態は知っているわけではないので、憶測だけですけれども、 反フリーメーソンのつもりでありながら、実は躍らされているだけってことも 往々にしてあると感じます。 超反フリ−メ−ソン的に思えたオウムは、破壊的なことをやってのけた。 けれど、あれは結局各自のエゴや虚栄心などを、人びとをだまし得るもっとも らしい勧善懲悪的なオブラートにくるんで、満たしていたように私には 思えました。 オウムの事件が引き起こしたものの一つに、宗教団体への嫌悪感っていうのが あると思います。 もちろん、”うちはああいうところとは違うわ”っていう ことで、信仰を強くした人もいると思いますが。変な宗教団体への警戒心や そういうものを見極める慎重さがでるだけならいいけれど、なぜだか、信仰への 嫌悪感というか、心のよりどころとなるものへの不信感が広がったような気が します。 いままでだって宗教っていうと、なんだかうさん臭いイメージを抱くような ノリが、私が育ってきた頃の世間にはありました。 *ここ10年くらいは精神世界がブームになって、少し自分の心魂について興味を 持つのがそんなに変なことではなくなってきていました。 *そして、オウム。 やっぱり宗教はうさん臭い、危険だ。良いものもあるかも しれないけど、どれがそうかなんてわかんない。わからないものには近づかない 方がいい。 *そのくせ心は空しさを感じていたり、渇き切った魂を潤す術を見つけられず、 世の中なんて…となげやりに一時しのぎな生活をするようになる。その日 楽しけりゃいいや、自分が楽しめばいいやって。 イシヤという存在があるとして、もし狙うなら、そのなげやりで表づら 楽しけりゃなんでもやっちゃいそうな、そんな心になってしまった人々 を狙うと思います。 一見楽しそうで、嫌なことなんてないよ〜って 話をもっていけば、ホイホイついてくるなんて、こんな操り安いことって ないじゃないですか。 しかも、その人たちは自ら選んでついてくる訳 ですから、なんかあっても、”あんたが選んだことでしょ”で逃げられる。 そういう手が通用しているとすれば、世の中にそういうノリで進んでいる 物事って、かなりあるような気がしてしまう。 宗教についても、政治に ついても、流行なんかも。 もしかすると一番上のほうのかみさま(?)は、それら全部をシクンで、 ヒトの成長をじっと見ているのかもしれない。けれど、悪の役割が勝って しまって、挙げ句私たちが用なしになるのって、私は「やなこった」です。 ユダヤっていうのとフリ−メ−ソンっていうのとイシヤっていうのは、 同じようで違うんじゃないかと私は思っています。 人種でいうところの、ユダヤが悪であるとは、私は考えられないし、 フリ−メ−ソンに入っている人が、すべて悪であるとも思えません。 安直にこれは悪、これは善って決めつけていると、足元をすくわれる気が しています。 私たちを牛耳ろうとしている者に対して、私たちができることって、 私たちの足元をまず固めることだと感じています。 虚ろでない心には、悪魔のささやきは巣くうことができない、 本当に一生懸命に自分のイノチの生かし方を探って、人と接し、場を 育てようと生きている人には、近寄りにくいものなのではと思います。 長くなってしまいました、ごめんなさい〜。 また、書いてくださいね。 維/YUI - FARION MES(15):マホロバ誕生 ★ 大和魂復活のために 96/02/29 - 00541/00542 PXY15374 和 RE:「悪」を見る (15) 96/02/28 22:12 00540へのコメント まるにちょん、さん、こんにちは。 悪や善は元々それ自体では存在していなく、その事(現象)を見る人の視点 によって悪や善が生まれると思っています。 私は今、会社の中で、皆に完全に悪人だと批判されていますが、罪悪感があ りません。 私はホントはすごい悪人かも? 悪が、私自身にとって 一番の良い対戦相手だと実感し、悪に感謝できる日が いずれくるとおもいます。(来世かも知れないケド) ○ゝさんの質問に答えてないですね。 お許しを。 96/02/28 PXY15374 ))))) 和 ((((( 00542/00542 QZY01310 苗(miao) RE:「悪」を見る (15) 96/02/29 09:27 00540へのコメント  こんにちわ。まるにちょんさん。  悪のお話しについて…。やたら多々の話しをしても乱雑になるだけなので要点だけ  絞って書いてみました。とは言え長くなりそうです……。  取りあえずは立脚点の事です。何らかの判断には必ず置かれた位置から見た見え方  が答を左右します。それは専ら「利害」だとか「損得」という、どちらかと言えば  自分を中心にした要因で行われる事が多いです。ですから、立脚点如何で善悪も変  化してしまいます。しかし、その判断の基準は何処まで行っても「自分」というも  のです。が、基準値は変わらないから基準となりますが、本当に変わらないもので  しょうか?。  自分が立つ立脚点が本当に何処なのか確かなのか確かめる事をしていますか?。実  は自分という存在は確かなようで不確かなもの。自分は確固たる物のようで不実な  もの。それがまた苦しさを生み出すものです。  人間は常に成長します。心も身体もそして考え方も。幾ら一つの執着に固執しても、  全然変わらない人間というものはまず有り得ません。そしてその流転がまた自分の  立脚点を不明にします。ある時は悪に見えても明日には善に変化するかも知れない。  例えそのものが変わらなくても自己が変化する事で善悪も変わる、そういったもの  だと思います。  さて般若心経にこの一節があります。色即是空、空即是色、「色」とは現在過去未  来に渡り流転変化に依って起こる苦しみを表したもの。人は生まれそして死に行く、  常では無い、つまり無常なのです。そして「空」とは、その極めて何も無い根拠も  理由も、自分の存在も時間も全てが「空」不確かで取り留めが無く確固として見る  事は出来ないもの。と言われます。  そこには善悪という物の判断もありません。この空と色は恐らく陰陽にも通じてい  ます。陰極まり陽となり陽極まり陰となる、それが即是なのです。  多分に哲学的になりますが、人は常に流転に流れ、その流れの中の不確かさを故に  確かな物を追い求め、それが善悪という一つの対比を集約させる事で何かを得よう  としているのだと思います。善悪を見つめる事で自分を見る。自分を見る事で善悪  も変わる。不確かな中から善悪をして自分の位置を知り、立脚点を空に置く。これ  が今の所私の持つ善悪感です。  現代の社会というのは、モノという実体に余りにも固執しています。永遠に存在す  るものなどはこの世に存在しません。人間の命でさえ明日には儚く消えるものです。  固執から抜け出て辺りを見渡してみなければ、自分というものの位置さえ確認する  事は不可能です。しかし、その曖昧で不透明な場に留まる事は並大抵な事で叶う訳  がありません。自分を構成している様々な執着慢心怒り嫉妬独占無知から解放させ  る事、それをやってみようと、日月神示は言っているのでしょう。このプロセスを  経験しなければ貴方に未来は見えないのだと。  そしてこれから最初に戻ると、   善 → 行動 → 結 果 行動形態 \                      \   悪 → 意識 → アプリ 目的意識 ―― * →→ 統合 三身一体   ?                  / ↑  (神)→ 肉体 → ハード 行動原理 /  立脚点  立脚点は善でも無く悪でも無くさらには肉体にも神にも自分を置かない、空に置く  事で、これらの全ては見渡す事が出来るのだと思います。それが統合するという事  への一歩だと。ですから、悪抱き参らせよ、という事は「悪」「抱く」「参る」の  何処にも自分を置く事は出来ません。一つの何かに偏る事で結果的には違う方向へ  と行ってしまうからです。しかしそのそれぞれに対して当事者でなくてはなりませ  ん。単に傍観者ではいけないという事です。そうしてみればむしろ立脚点は無いと  いえるものかも知れません。そもそも無とか空に置く事は出来ないからです。 >>    善では立ちて行かん、悪でも行かん、善悪でも行かん、悪善でも行かん。  もう一度この意味を考えてみるならば、行くという事を目的にすればその後に続く  事は何か、意識と行動を統合するだけでは無い、善と悪の間にある「空」の部分に  光をあてる事が、意識と行動の間に生まれるものが大事な事なのだと言っているの  だと思います。  まるで禅問答になってしまった感もありますが、実は本当にこれが禅の本質という  ものかも知れません。最後にこの空を理解する為に良いテキストを紹介下さった、  YHVHさんに敬意を表します。  これは余談ですが、禅というのは型から入るんだと、これを書きつつ気づきました。  何処かで仰っていましたか?、型に付いて…。型は一口で言えば入門であり修練で  あり最後にたどり着くもの。という事だと理解しています。  今私が取り組んでいるのが一指禅という中国のお寺等で発達した気功なのでした。 *~゚ miao qigong * wushu taiji quan shixiong ゚~* - FARION MES(18):武道とは?  ★ 自分に勝つ! 96/02/29 - 02905/02908 PXY15374 和 RE:型の意味 (18) 96/02/28 15:03 02904へのコメント コメント数:1 まるにちょん、○ゝさん、あもり議長 さん、はじめまして。 日頃、合氣道を楽しんでいる 和(キャズ)といいます。 突然ですが今後ともよ ろしくお願いします。 あもりさんへの武道の「型」についての問いかけですが、私が気がついた事を 書きます。 >> この「型」は基本中の基本と言われ、重要視されているように思いますが、 >> それはなぜなのでしょうか? >> 「型」さえできれば、強くなれるのでしょうか? 「型」について、型=言葉(単語・名前)みたいなものと思います。 この事は02902/02904 「同時に聴くこと」で話されていた名前をつけるという 行為に似ていると思います。 会話するのには心の動きを言葉や名前をつかって表現するのと同様に、武道の 場合、「型」という名前の技(わざの形)で表現していると考えています。 型の稽古は、語学の稽古みたいなもので、その学んだ語学「型」を使って相手 や 自分と対話し、表現していく。 これも武道の一つの側面だと思います。 >> 「型」さえできれば、強くなれるのでしょうか? 素晴らしい言葉や表現方法、つまり「型」さえ知っていれば、それを活かせる つまり「強くなれる」のでしょうか? と置き換えれば疑問はとけると思いま す。 私は型さえできればどころか、いまだ「型」すら満足にできないで、この先も 何年も稽古し続けていくつもりです。 これからも、この会議室楽しみにしています。 )))) 和 ((((