「皆さん冷たいですね、天使さんも悪魔みたい」と凍える人 - FARION MES( 3):Media Talk ◆ 本/映画/音楽を語る 96/03/11 - 01219/01221 GHD00256 七穂 自分をまもる本 ( 3) 96/03/11 00:49    『自分をまもる本 ― いじめ、もうがまんしない』 \980              ローズマリー・ストーンズ 小島希里訳 / 晶文社     先日、本屋でこの本が目に留まってペラペラめくったら、素朴な言葉で 結構ドキッとすることが書かれていて、また挿し絵もなんだかいいなぁと  思ったので、なんとなく手放し難くなって、買ってきてしまいました。      内容は、題名のとおり子ども向けに書かれた「いじめ対策」の本ですが、  章によっては、「楽しく生きるために必要な知識」として基本的なことを  見直してみるのに、自分にも十分利用できるなぁと思える内容でした。          とりあえず、本の構成を紹介すると・・ 1【いじめってなに?】   いじめってなに?/いじめのしくみ/いじめの影響力/なぜ、いじめるの?/   では、どうすればいいのか? 2【自分と友だちになろう】   自分を大切に思うということは/気持ちって、なんだろう?/自分で自分を   いじめないこと/怒るのはいけないことじゃない/落ちこんだとき/   自分の気持ちを話してみよう/心の力はだれもがもっている/ありのままの   自分でいい/心の力をなくさないで!/落ちこみからたちなおるために/   自分の行動に責任をもとう 3【元気になるレッスン】    1)自分と仲よくなるために 2)さびしいときに、悲しいときに   3)からだにいいこと、やってみよう 4)いっしょに、ちがいをさがそう   5)ホメホメ箱 6)目をとじて、ゆったりと・・・   4【自分をまもるかしこい方法】   いじめのことを話そう/いじめ予防対策/ことばによるいじめには   暴力によるいじめには/護身術をならうと役にたつ?/もめたとき・解決   したあとで/集団によるいじめには/いじめをなくすために/まとめ  ・・という風になっています。 -------------------------------------------------------------------------   特に2【自分と友だちになろう】に書かれていることは、  時々自分が忘れがちなことで、無駄に自分をいじめたりすることがあるなぁ と思えて、興味深く読めました・・。(^^;)   2章で特にほんとだなぁ〜と唸らされた箇所というのはこんな感じでした。  *怒りは、自分がどのようにあつかわれたいと思っているのかを教えてくれる。  *怒りは、あなたが何に納得し、何に納得できないのかを、教えてくれる。  *怒りは、自分が何を大切に思っているのかを、教えてくれる。  *感じては「いけない」気持ちとか「いい」気持ちとか、そんなものはない。   感じたままの気持ち、それがあるだけだ。気持ちのおかげで、わたしたちは   心のなかで何が起こっているのかを知ることができる。  *自分が思っていることを伝えようとして、でも、だれも耳をかしてくれなく   ても、きみだけは大切な友だちだと思って自分自身を信頼してあげよう。   そうしないといつのまにか、自分が何をどう思っているのか、ちゃんとわか   らなくなってしまう。   おもしろいなぁと感じたのは、いじめる側もいじめられる側も、そういう  状況から抜け出したいと思ったなら、まずだれかの助けがいるのだけれども、  その「だれか」というのは、それはまず「きみ自身」なんだよ、という風に  自分自身というものを自分の友人として位置付けているところです。   こういう視点を持つことが、もしかしたら自立への道の第一歩ではないだ  ろうかなんてことを思いました。それで、楽しく生きていくのにも、本当に  必要不可欠なポイントだろうな、と。     3【元気になるレッスン】では、特に挿し絵がカラフルになっているの  ですが、心が和むというか、眺めているだけで、かなりくすぐったくなる  ようなうれしい気分にさせてくれて良いです(^^)。     内容の方で特にいいなぁと思ったのは、  *さびしかったりかなしかったりするときは、自分にごほうびをあげること   にしよう。〜つまり、楽しいこと、何かすてきなことをやってみよう。  ・・・/ゆっくり温かいお風呂に入る/可愛がっている猫をなでる/夕日をみるetc.  *からだにいいこと、頭にいいことを、毎日やってみよう。  ・・・/およぐ/足の爪を切る/くだものを食べる/髪の毛を洗う/パズルをとく/    ひとつの話題をおいかけてニュースをみる/うたをおぼえるetc.  というあたりです。  他愛のないことだろうけど、ひどく落ち込んだりしているときには、  こういったことは頭からすっぽり抜けおちているかもしれない。  そういう時にこそ気分転換を求めることは大切だよなぁと思います。         最後に、訳者あとがきにはこんなことが書かれていました。  少し要約しますが・・・  ”目をそむけたくなるような卑劣で陰湿ないじめ。   おいつめられた子どもたちの自殺。   本書は、そんな子どもたちが生きのびるための手引き書だ。   深呼吸して考えを整理するために必要な、具体的なことだけが書かれている。   現実はこんなに甘くない、といわれるかもしれない。   しかし、だからこそ、自分を信じて自分をまもる術を素朴に手渡していく   ことが、いま、求められている。   助けを求めよう、人の力を借りていいんだよ。― 本書で著者がくりかえし   語りかけているこのことばは、そのまま大人たちに向けられた問いかけ   でもある。助けを求められる関係を子どもたちとの間につちかおうとして   いるのかと。大人たちにもぜひ、読んでもらいたいと思う。”   これを読み終わってなんとなく漠然と感じたことは、  子どもたちとの間に助けを求められる関係をつちかおうとする以前に、 たとえば身近に「いじめ」の問題で悩んでいる子どもがいたとしても、  手を差し伸べる側の大人が、もしかして自分を大切にせず、  自分をいじめることが日常茶飯事のような人間であったとしたなら、  その大人はその状態から抜け出そうなんて普段思い付きもしないために、  身近にいる助けが必要かもしれない子どもに対しても、助けが必要だと  それと気づくことが普段できないのではないか、ということでした。   自分に対するいじめによって、自分に対するやさしさとかの感覚がどこか  へいってしまうことで、他人(子ども)に対しても、同様に鈍感になれて  しまうのではないか?(この構図はいじめる側といじめられる側にも当て嵌  まるだろうと思いますが。)   子どもの「いじめ」の問題を考えていくにあたっては、彼ら子どもたち  自身のことだけを云々しても、良い解決方法って浮かばないのではないか、  まわりの大人達が、自分自身に対する無配慮、無関心さとでもいえるような  ところがないかどうかということについてもっと自覚して考えていく必要が  まずあるのではないか、ということを考えてしまいました。                                  GHD00256/ 七穂 01221/01221 GGA02514 KAZE RE:風の音楽室●STING:mercurry falling ( 3) 96/03/11 11:17 01218へのコメント まるにちょんさん、どうも。 そうですか、まるにちょんさんも、スティングがお好きでしたか(^^)。 》 今までのアルバムの中で、一番ゆったりとリラックスして聞けますね。 》 今までの曲にはどことなく固く張りつめたものを感じていましたが(また、 》 それはそれで良いのですが)、今回のは抜けた感じがしています。 はい、ぼくもそう感じながら聴いてます。 歳を重ねるにつれ、こうしてスティングのように成熟していく人って とってもうれしいですね。 でも、成熟ではなく、枯渇していくほうがずっと多いようで、 そういうのを見てるとなんだか寂しいです。 》  ところで、スティングが「デューン 砂の惑星」と言うSF映画に出演して 》 いたのをご存じですか? はい、観ました(^^)。 とっても魅力的な悪役でしたね。 主人公がけっこうつまんなかったので、なおさらかもしれませんが^^;。 》  彼の俳優としての才能は、結構いけると思うのは僕だけではないはずです。 そうですね、スティングの才能は多彩で、 たとえば、ストラヴィンスキーの歌劇(だったかな?)の語りのようなことも スティングはやっていて(CDで発売してるぶんですが)、 これがけっこういけるんですよね。 悪役といえば、会議室では今「悪」についてお話されてますね(^^)。 とっても興味深く拝見させていてだいてます。 コメントさせていただこうと思いながら、ものぐさゆえに、 そのままになっていますが、「悪」というのは、 ぼくにとっても、会議室を初めて以来の重要テーマでもありますので、 折をみて、参加させていただきますので、よろしくお願いします。 しかし、映画なんかでもそうですが、単なる善玉っていうの、魅力ないですよね。 ぼくなんか、ひねくれてるから、すぐに悪役の味方になってしまうほうです^^;。 では、では(^^)。 ☆☆☆悪役志願のKAZE☆☆☆ - FARION MES( 6):ハロー・メッセージ ★ 今日のハロー・メッセージから 96/03/11 - 00785/00798 GED01563 水戸黄門 RE:柴と袋(75L) ( 6) 96/03/10 15:21 00781へのコメント >誰も知っていることだと思っていたウルは >自分の常識は他人の非常識ということを >再確認した次第です. ワシも同類じゃ。袋の話などは、皆、出典を承知しとるばかり思っておった。 (預言解読には、カソリック系が良いじゃろう)。 葡萄酒の話で、ひとつ、こんな話を聞いたことがある。 「新しい皮袋に新しい葡萄酒をいれると、やはり袋は破ける」 のだそうじゃ。じゃから、 「新しい皮袋には古い葡萄酒をいれてから、新しい葡萄酒をいれる」 そうじゃ。これは、ヨーロッパのお婆さんの知恵だそうじゃ。この「おばあち ゃんの知恵」は、本当じゃろうか? どなたか知っておる者はおらんかの?  おばあちゃんの知恵が本当ならば、ハローメッセージも、また、別の視点が生ま れるかもしれんの。 96/03/10(日) 13:41 水戸黄門(GED01563) 00790/00798 MHD02672 TAO RE:柴と袋(75L) ( 6) 96/03/10 23:18 00781へのコメント  #781 ウルヴィーさん   RTでの約束通りにUPして頂けて嬉しかったです。やっぱり聖書関係は  ウルヴィーさんに振った方が良い様で。(^o^)   聖書に出てくる「柴」については、既にウルヴィーさんが述べられた通り  ですが、ユダヤ民族にとっても「柴」は大切な象徴の様で、アメリカ・ユダ  ヤ神学校の校章は“燃える柴”だそうですね。聖書でも柴は燃え尽きなかっ  たとありますが、真理は火にくべられても燃え尽きないのだ、という暗喩も  込められているそうです。   「柴」が燃えるということは、火の苛烈さにも燃やし尽くされない生命の  強さを象徴しているようにも解釈出来そうですね。  TAO 00787/00798 HGE02116 MAKOTO 柴集めって何だろう? ( 6) 96/03/10 20:17 コメント数:2 >天使は答えず「また経験の為に柴を集めるのも違う」と言った  これ読んで思ったこと。経験の為に柴を集めるって、殊更に意識して、要領よく 生きるための情報を、いろんな所から拾い集めるって風にイメージしたんだけど、 やっぱ、そうじゃないよなって、読みながら頷いてる自分がいた。  柴はわざわざ集めるものじゃないよなぁ。柴は集まっちゃうものっていうか、い つのまにか溜っていくものっていうか…  わざわざ意識して拾い集めなくても、これが柴なんだぞって人に示さなくても、 よりよく生きようとつとめてるうちに、拾ってるって意識さえしないままに、いつ のまにか溜っていくものというか、蓄積されていくものなんじゃないのかしら?  HMの中の柴って、なんかそんなもののような気がする。  なんか、舌っ足らずな文だね。まだ、うまく言葉になってくれないわ(^^;)                           MAKOTO でした☆ 00798/00798 GBG02043 維/YUI RE:柴集めって何だろう? ( 6) 96/03/11 11:29 00787へのコメント 私は当該のハロ−メッセ−ジを読んだとき、経験という言葉の使いかた 認識の仕方が、私って違うのかな…って思ったの。 経験の為にってより、いろいろやって生きてる間に、自分が収穫する 様々なもの、知識とかだけじゃなくて、なんていえばいいんだろ…。 自分を心底からあたためるものって、そういうものじゃない?ね? 人の話を聞いただけじゃ、わからないこと、えられないことって やっぱりあるじゃん。バ−チャルじゃ、絶対に埋められないこと。 MAKOTOさんの言うように、いつの間にか集まっちゃうこともあるだろうけど、 私なんかはぼんやりしていると、すっかり拾い忘れて通りすぎちゃうことが ありそうだなって思うんだぁ…。ザルを通り越してワクになっていることも あったりするし。。。(_ _;)ウッ 維/YUI 00788/00798 HGE02116 MAKOTO RE:責任と義務 ( 6) 96/03/10 22:09 00776へのコメント #776>しまうまさん、RESありがとうございます(*^_^*)  もしかしてしまうまさんは、「関わりたいから関わる」「こだわりたいからこ だわる」といったものを、気まぐれや、我が侭に繋がるものとして、捉えられて いるのでしょうか?  しまうまさんからのRESを読んでいて、あらためて思ったのですが、私は公 私のけじめを、かなりはっきりつける方なんですよね。職場や家庭においては、 しまうまさんの書いていらっしゃるように、感情を交えずに勤めを果たすと言え ばいいのかな、そんな態度をとる事がほとんどです。うちは小売店なのですが、 どんなに腹を立てていても、お客を前にすると人格が変わります。その時の感情 や気分に左右される事はあまりありません。まず、責任を果たそうとします。  「関わりたいから関わる」「こだわりたいからこだわる」は、私にとっては戒 めの言葉といったニュアンスが強い。何か問題がおきると、すぐに責任転嫁した くなるんですよね。でも、それが自発的なものなら、そういうわけにはいきませ ん。ですから、自分に対して「やりたいからやっているのだ」と、言い聞かせて いた面が、かなりあるんです。  最近は、本当にやりたい事をやっているんだという感触が、少しづつですが増 してきていますけどね。無理に思い込もうとしていた頃より、気分的には、かな り楽です。  「場を共有するものとしての責任」については、かなり感じ方が違うようです ね。しまうまさんには外せないもののようだけど、私はほとんど意識した事があ りません。ルールに従えといった気持ちは薄いようです。  私の場合は、「場を共有するものとしての責任」というより、ごく個人的な心 情から関わる事を選びます。自分の価値判断に適合しないから、何か言いたくな るといった感じなんです。でも、しまうまさんの場合は、自分の気持ちより、ま ず「場のルール」とか「責任」いったものが先にくるんでしょうか…? 私に、 大きな勘違いがあるような気もするのですが、まだちょっとピンと来ません(^^;)  「あなたの為に…」とか、「よかれと思って…」は、自分の価値判断の押し付 けなんですよね。また、本気で相手の為と思っていても、自分でも意識していな い、微妙な感情が作用している事もありますし… 私はこのように思っているん です。そして、それを非常に気にしているというか、そうならないように、心が けているというか…(^^;) > それは「その人のため」でもあるし、「自分のため」でもあると思います。 >自分の強さのため、自分の完璧さのため。うーん、うまく言えませんが(^^;。  なぜ「場への責任」が、自分の強さや、完璧さの為に役に立つのかが、よくわ からりません。それって、人との関わりの中で、実感するものなんですか? ご めんなさい、失礼な言い方で。もし気を悪くなさったなら、お許し下さいますよ うに。                          MAKOTO でした☆ 00789/00798 HGE02116 MAKOTO RE:ピンときません?(゚-゚) ( 6) 96/03/10 22:09 00784へのコメント #784>しまうまさん、続けてRESしちゃいますね(*^_^*) >                              それをきっ >かけに出てきた新しい事実を、話し合いによって発展させていくことが出来れ >ば、それなりの意義はあるんじゃないかなーと思うのでした(^^)。  そうですね。私も、切っ掛けはどのようなものであってもいいと思います。た だ、個人的に、場が整わないと話せない、皆で一斉に盛り上がらないと話せない っていうのでは、ちょっと情けないなって思うんですよね(^^;)  どのような切っ掛けから始まるのであれ、それが、より深い話し、より生きた 会話へと繋がっていくなら、それはそれで、素敵な事だと思います(^^)                          MAKOTO でした☆ 00794/00798 KFQ02761 しまうま RE^2:知識と経験、予感と技術 & 愛情 ( 6) 96/03/11 01:56 00761へのコメント #00761 二木 聡さん  こんにちはぁ(^^)。ご返事が大変遅くなりまして、申し訳ないですm(__)m。  また、お子さんが誕生されたとのこと、ものすごくおめでとうございます! \(^o^)/バンザーイ!!          ~~~~~~~~~~ヘンナニホンゴ(^^; | しまうまさんにとっての「つきあい」とは、「継続」しているか否かが | ポイントなのでしょうか。  そうですねー。「継続」というのは、「つきあい」の中の一要素としての意 味合いは、確かにあると思います。ただ、継続していればそれが「つきあい」 かというと、そうは言い切れないように思います。年に1回程度しか会わない くても、他の人には打ち明けられないような深い話が出来てしまう友人がいる 一方で、毎週のように顔を合わせても当たり障りのない挨拶程度の言葉しか交 わさない人もいます。で、どちらがつきあいとして深いかと言えば、やはり 「年に1回」のほうだと思います。 | もしそうなら、浅いつきあいというのは、しまうまさんにとって「No idea.」の相 手と| 考えてもいいかもしれません。  ごめんなさい。ここのところがあまりよくわかりませんでした(^^;。つきあ いが浅い=相手と過ごす時間が少ない=経験不足=No ideaという感じでしょう か? | 時間や場所などを変えるとつきあえる人って結構多いと思います。  うーん、なるほど。それは大いにあるでしょうね。同じ人でも、商談の場で 会うのと、趣味のサークルか何かで会うのとでは、つきあい方はぜんぜん変わ ってくるだろうと思います(^^)。  えーとそれから「障害」について5W1Hで考えてみる、というご提案をい ただいたのですが、これもどういう風に考察すればいいのか、ちょっと計りか ねています(物わかりが悪くてすみません(^^;)。  もしよかったら、もう少しかみ砕いてお話ししてみてくださいね。  ではでは、お子さまと奥様のご健康を祈りつつ……(^^)。   しまうま(KFQ02761) 00795/00798 KFQ02761 しまうま RE:形式ばった話し ( 6) 96/03/11 01:56 00774へのコメント #00774 MAKOTOさん  どもども〜(^^)。 | あなたは、泣きながら文章を書くことってある?  うーん、思い出せる限りでは、ないですね。泣きたい気分で書いたことはあ るかもしれませんが、実際に泣きながら書いたことはないと思います。 | ふと思ったんだけど、「形式ばった話し」には、もしかして「人に見せたい姿だ |けを見せる」って面もあるのかも知れない。「見せてもいい姿」とか、「こうであ |ればいいって姿」とか、「ちょっとばかり脚色した姿」とか、そんな風に、他人の |視線を意識しての姿。  なるほどー。「形式ばった話」を、そういう風に定義するとすれば、確かに あまりいいものではないですね。  そういう場合の「形式」というのは、自分がついついとってしまいがちな態 度のパターン、と言い換えることが出来るかもしれません。「困ったときは取 り乱した素振りを見せて相手の同情を誘う」とか、「辛いときに限って強がり を言ってしまう」とか、「強い態度に出られると、自分の意見を押し殺してで も相手の言い分に適当な相づちをうつ」とか、「責められると腹を立てて相手 に食ってかかる」とか……何か切羽詰まったときにとる態度というのは、誰し もある程度類型化されてしまいがちですよね。  そういう意味での「形式」を打ち破る努力は、意識的に続けていかなくちゃ な、と思います(^^)。  僕のほうでもピントをはずしてたりして……(^^;。            しまうま(KFQ02761) 00797/00798 GBG02043 維/YUI RE^2:重箱の隅(^^;;) ( 6) 96/03/11 11:29 00783へのコメント まいど〜。 >>経過を見ると、実際そうなっちゃってますねー。 なんかさぁ、やなんだよね。。。  「ないと思うけどね」と書いたのは、そうであってほしくないって気持ちが あったからなんだけど…。(^^;) 別にさ、天使が言ったことがきっかけで、話がはじまるのが嫌なんでは ないのよね。 その後、話をする一人一人が、それを聞く一人一人が、 自分で意味をみいだして、会話の中にいるようになるなら、それはそれで いいと思ってる。 けど、そうじゃないんじゃないかって、なんだかそう思えて…。 ぶっちゃけた話すると、一連のハロ−メッセージから得た感触は、FARIONで過去にも 結構感じた気持ちに近かったんで、なんかすごく歯がゆくってね。 いっときから、なんだか自分の思いをストレートに出せなくて、出せないというより 思い自体がゆがんじゃっていたような時期が続いて、自分に対するジレンマと 自分のいるさまざまな場に対する焦りというか、摩擦との戦いみたいなのっていうか で、自分がなんなのかよくわからない状態であった為なのかもしれないけれど。 維/YUI - FARION MES( 7):自分を観る  ★ ARIONを鏡にして 96/03/11 - 07061/07064 GCG01101 アマデウス RE:恐がって隠しているもの ( 7) 96/03/10 17:26 07053へのコメント #7053 めのう さん   こんにちは。割コメ失礼します。 >>  最近、自分の立ち位置が定まらず漂っているような感じがしていました。 >>  何かを見たり考えたりする時も焦点を合わせるのに時間がかかります。 >>  何をするにもいいような悪いような、自分がどこへ向かおうとしているのか >>  わからないことがしばしばです。   僕も今、めのうさんと同じような感覚を持っています。地に足が付いてい  ないと言うか、今まで迷わず信じていたはずのことが、本当にそれでいいの  かわからなくなってきたような感じです。   表面上は、私生活は平穏だし、仕事も以前より充実して取り組めるように  なっているんです。しかしその穏やかさは、本当の問題を隠蔽したまま築い  た、砂上の楼閣のような気がするんですね。   僕の場合、特に私生活でこれを強く感じています。嫁さんとの関係を、も  っと突き詰めて深い部分で意思を通わせるべきなのに、それをやるときに避  け得ない軋轢や、自分と向き合うことの苦しさのことを考えてしまい、とに  かく上辺を和やかにするために取り繕って、本質から逃げてしまっているよ  うな....そんな感じがしています。   これに気づいてから、僕が嫁さんとの関係に真に求めているのは何なのか、  そしてそれに対して僕は何をすべきなのかを遅まきながら考え始めたのです  が、そこでハタと止まってしまいました。今まで自分が求めていたのは、本  当に心の底からの望みなんだろうか?そこの所がグラついているのです。  今まで立っていた所の地面が急になくなってしまったような不安定感があっ  て、居心地が悪いですね。(^^;   多分、僕が「恐がって隠しているもの」は、多分そういう自分の本当の望  みなのかも知れないなぁと思っています。   割コメと言いながら、自分のことばっかし書いてしまいました。(^^;ゞ  すみません(__)                               アマデウス 07064/07064 GBG02043 維/YUI ARIONさんへ ( 7) 96/03/11 11:30 07042へのコメント はげましを、ありがとう。 (*^_^*) 気負いじゃなく、ありがとうっていえるな〜って思った。 > 本番、あなたがたの言動の全てが「そのまま」映される。 怖いことなのかもしれないけど、これ読んで、すごくうれしくなりました。 私は、おぼえている限り昔から、「そのまま」映されていたという 思いがないから。 私自身が幼い頃から、自分の素直な気持ちを表に出さない人だったことも あるけれど、なんでそうだったのかは、わからない。 わからないけど、心の中で何か違うと感じていたように思います。 「帰りたい」って気持ちが、宛も無いのにこと在るごとに湧いてきたのは、 きっとそれのせいです。 私は、私のもとにもどりたかったんですね、きっと。 維/YUI 07063/07064 GBG02043 維/YUI RE:本番 ( 7) 96/03/11 11:30 07040へのコメント 出ました!ヒットですね〜 !! 読んでいて、なるほどなぁと思いましたです。 どっちかというと、舞台監督はFARIONでいうなら、みれさんとかスタッフの 人々とかで、ARIONさんは…やっぱ、演出かな。。。 演出家のおじさんやおばさんが、言ってたけどもともと演出なんてのは、 交通整理みたいなもんで、役者がしっかりしてたら、おのずから舞台は 出来上がるもんなんだって。だから、 >もしARION(すなわち舞台監督)が、大いに口出しをしなければ >ならないような事態になったとしたら……それは「本番」の舞台上で >あってはならないことだと思う。 これはホントそうなのです。 が、しかし今の世の中、まっとうな役者が少なくて、挙げ句、一挙一同まで 演出家が役者に暗記のごとく覚えさせて、舞台を仕上げるそうな。 そんなんばかりじゃないと、私などは思うんだけどね。 これが、芝居の話なら、それでもなんとか過ごせるけれど、 実際の人生という舞台では、致命的なものになるように思います。 舞台上の役者が、その劇を通して何を表したいかっていうのを持っているか 持っていないかで、その舞台の迫力は変わってきます。 ほんとに言われるまま人形のように、段取りをこなすだけでは、 つまらないものになるはずです。 人生がどういう舞台かと考えると、昔の大道芸のような感じを持ちます。 観客はいるときもあればいないときもあり、客がいつのまにか役者に なっていることもあり…、おもいがけないハプニングから、アドリブが 生まれ、もともとはなかった筋書きも生まれる。 役者も緊張感があって、 とても楽しいんじゃないかと思います。 維/YUI - FARION MES( 8):恋愛錬金術  ★ 愛と性を本音で語る 96/03/11 - 01382/01383 KFQ02761 しまうま 『性は聖なり、而るに生なり』(12) ( 8) 96/03/10 22:25 01199へのコメント  さて、今回は連載の第6回から続いてきた「アダムとイブ」がらみのお話の まとめに入りたいと思います。  第6回で提示した疑問というのは、以下の通りでした。 ・創世記の第1章では、万物の一番最後に人間(男と女)が創造されたことに  なっている。 ・ところが第2章を見ると、天と地の後にアダムが造られ、アダムの後に動植  物が造られ、最後に女(イブ)が造られたことになっている。 ・この矛盾をどう考えるか?  で、聖書の矛盾を解くために、アダムとイブに関するカバラ流の解釈を参考 にしてみました。カバラでは、アダムとイブに関してこのような解釈がなされ ています。 ・アダムとは、人間の持つ霊的な性格を純粋に保持した存在であり、両性具有  であり、いわば“この世的な諸力”の影響をまったく受けていない原初の人  間の象徴である。アダムは天上界の存在であると考えられる。 ・イブとは、「天上のアダム」の姿が物質世界(地上)に反映された“影”の  ようなものであり、純粋な魂が地上に降りて人間の肉体という“殻”をかぶ  った存在(すなわち人間そのもの)の象徴である。  この解釈に基づいて聖書を読み直すと、一見矛盾があるように見えたアダム とイブに関する記述が、実は一つの秩序の形成を、異なるスケール(もしくは 視点)に基づいて描いたものである、という事実が見えてきます。  つまり、創世記の第1章は「地上的な視点」から見た天地創造であり、第2 章は「天上的な視点」から見た天地創造なのです。そして、第1章に描かれた 天地創造のストーリーは、第2章のストーリーの中の一部分を詳述したものな のではないでしょうか。  では早速、創世記の第2章をカバラ流の解釈を交えて読み直しつつ、検証し ていきましょう。 | 神である主が天と地を造られたとき、地にはまだ一本の野の灌木もなく、 |まだ一本の野の草も芽を出していなかった。それは、神である主が地上に雨 |を降らせず、土地を耕す人もいなかったからである。 | ただ、霧が地から立ち上り、土地の全面を潤していた。  これは、神が「世界全体」を創造したときの様子であると思われます。霊的 な諸存在が所属する天上界と、それに対応する地上界を、「天と地」という言 葉で表現しているのでしょう。このとき地上には、未だ生命は誕生していませ ん。「雨を降らせず」という表現は、魂が地上界に降りてきていない状態を表 しているのかもしれません。ただし、地から立ちのぼる「霧」があることから、 生命誕生の準備が行われている様子はなんとなくうかがえます。 | その後、神である主は、土地のちりで人を形作り、その鼻に命の息を吹き |込まれた。そこで、人は、生き物となった。 | 神である主は、東の方エデンに園を設け、そこに主の形作った人を置かれ |た。 | 神である主は、その土地から、見るからに好ましく食べるのに良いすべて |の木を生えさせた。園の中央には、いのちの木、それから善悪の知識の木と |を生えさせた。  ここで、すべての人間の魂の原型である「アダム」が創造されます。このア ダムは、地上界に降り立つ宿命を担ってはいるものの、あくまで天上界に所属 する存在です。おそらく、ここで描かれている「エデンの園」は、西洋人の深 層意識に刷り込まれている「天国」のイメージにもっとも近いものでしょう。 つまり、僕たちの魂の根源であるアダムが、元来所属している場所こそ「エデ ンの園」なのです。「エデンの園」とは、人間の魂が肉体を離れた後に赴く場 所である、と言ってもいいでしょう。  「エデンの園」にいるアダムは、まったくもってノープロブレムです。純粋 無垢な魂が、天上界の楽園において問題を引き起こすはずがありません。しか し、何の問題も起きない、ということは、逆に言えば何の進歩もない、という ことでもあります。  そこで、神は「エデンの園」の中央に「善悪の知識の木」という、下手をす ればすべてのバランスを崩しかねない“異常なポイント”を造り出します。こ れが、アダムとイブの地上への降臨の伏線になるわけです。 | その後、神である主は仰せられた。「人が、ひとりでいるのは良くない。 |私は彼のために、彼にふさわしい助け手を造ろう。」 | 神である主が、土からあらゆる野の獣と、あらゆる空の鳥を形作られたと |き、それにどんな名を彼がつけるかを見るために、人のところに連れて来ら |れた。人が、生き物につける名は、みな、それが、その名となった。  これは「地上界での生命の誕生」を象徴しているものと思われます。おそら く、この数行の記述の中に、地球における天地創造(=創世記第1章)の記述 が包含されることになるのでしょう。地上における「アダムの魂」の受け入れ 態勢の整備を、簡潔に描いたのがこの節です。  興味深いのは、あらゆる獣や鳥の名前を人(すなわちアダム)がつけたとさ れている点です。「名前をつける」という行為は、魂そのものを分け与えると ころまではいかないにしても、何かしら「アダム」という原初的な魂の“下位 部分”(?)のようなものが、獣や鳥にも引き継がれているような印象を受け ます(考え過ぎか?(^^;)。 | こうして人は、すべての家畜、空の鳥、野のあらゆる獣に名をつけたが、 |人にはふさわしい助け手が、見当たらなかった。 | そこで神である主が、深い眠りをその人に下されたので彼は眠った。それ |で、彼のあばら骨のひとつを取り、そのところの肉をふさがれた。 | こうして神である主は、人からとったあばら骨を、一人の女に作り上げ、 |その女を人のところに連れて来られた。  ありとあらゆる動物が創造されますが、「人にはふさわしい助け手が、見当 たらなかった」というわけで、いずれもアダムの魂を受け入れる器として不十 分であった様子がうかがえます。  最後に神は、「イブ」すなわち「人間」を創造します。アダムの魂の器にふ さわしい、優秀な頭脳と肉体をもった動物です。この段階が、創世記第1章に 書かれている「神は人をご自身のかたちに創造された」という段階に該当する のでしょう。  「イブ」と出会うことによって、「アダム」はもう純粋無垢ではいられなく なります。人間の肉体という“殻”をかぶって地上界で生きていくためには、 生存競争を勝ち抜くために悪知恵を働かせたり、他の動物の生命を奪ったり、 といった「エデンの園」ではまったく必要のなかった(むしろ邪悪とされてい た)行為を重ねなければなりません。  その様子を表したのが、聖書にある「善悪の知識の実をイブにそそのかされ て食べるアダム」と「神によるエデンの園からの追放」という2つのエピソー ドであると考えられます。  アダムが食べた「善悪の知識の実」という木の実の名前は、非常に象徴的で す。アダムはそれまで、一点の濁りもない、完全なる魂でした。善悪で言えば 「絶対善」とも言うべき存在でしょう。その魂が、汚辱にまみれた地上界に降 臨するにあたって食べたのが「善悪の知識の実」。アダム(とイブ)があらか じめ知らされているのは、あくまで「善悪の知識」という頭の中だけの基準で あり、実体験から体得された「智恵」ではなかったわけです。  本当の「善悪」を識るために、アダムはイブとともに地上に降りた(=魂は 人間という“殻”に宿った)といってもいいのかもしれません。そして、最終 的には日月神示で述べられているような『善も悪も一つぢゃ、霊も身も一つぢ ゃ』という境地(それがどんな境地なのか想像もつきませんが(^^;)に達する のでしょう。    しまうま(KFQ02761) 01383/01383 KFQ02761 しまうま 『性は生なり、而るに聖なり』(13) ( 8) 96/03/10 22:26 01199へのコメント  この連載で大いに参考にさせていただいた本『カバラと薔薇十字』の中に、 印象深い一節がありますので、最後にご紹介しておきましょう。あらゆる密儀 を修得し終えた人間が、今まさに“真理の世界”に赴こうとする場面です。  “真理の世界”の門前では、炎の剣を持った巨大な天使が立ちはだかってい ます。天使は人間にこう宣告します。「人間よ、汝は塵である。汝の魂に吹き 込まれた息は、形の息に過ぎない。炎のように、いつかは消えてしまうものだ。 汝は人間としての本性を越えることはできない。この“真理の世界”に入るこ とは禁じられているのだ」  すると人間はこう答えます。「私は何度となくこの門の前に立ち、“真理の 世界”に入るための許可を求めた。しかしあなたはその度に拒否し、私を再び 闇にさまよわせた。確かに、私は塵から作られたものだ。そして、私の命が炎 のようにはかないこともまた確かだろう。しかし私は、神が人間に救済の手を 伸ばされたていることを知った。神は、その一人子(=イエス・キリスト)を この世に送り、世界の救済を計られたのだ。一人子は磔にされ、その体からは 私を救済する“血”がほとばしり出た。こうして神は我々被造物の中に入られ、 我々の内に神ご自身へと続く道を造ってくださったのだ。それでもあなたは私 が入るのを拒むのか。私はついに密儀を学んだのだ」  すると、声が答えます。「目覚めたるもの、こちらを見なさい」  周りを見渡すと、彼は自分がいつの間にか光り輝く場所にいることに気がつ きます。その中央には一本の木が立っており、その幹には一匹の蛇が巻き付い ています。  「あなたは誰です」と人間が尋ねると、蛇は答えます。  「我はサターン、悪逆の王、汝に敵対するものである。最後の審判を前にし て、汝の破滅を願うものは我である。汝が神によって造られたとき、我は汝の 敵となり、汝を誘惑に誘い、悪の手に渡した。我は汝を謗り、汝に災いを為そ うとした。我は『知識の木』を守るものである」  すると、人間が答えます。「幾劫もの間、私はお前の召使いだった。お前は 私の中に欲望の種を植え、私が肉の喜びを求めたとき、苦しみだけを私に与え た。お前は私に偽りの預言者と偽りの理性を授けた。しかし“真実”を掴もう としたとき、お前の言うことが偽りであり、私の積み上げた努力が間違ってい たことがわかった。偽り多き悪霊よ、私は常にお前とともにあった。しかし、 私はお前の見せる幻影の世界に疲れ果てたのだ。失せよ、誘惑者。お前の説く 利己心と憎悪と欲望の教えには、幸福も平和も善も未来もない。私はそれらす べてを投げ捨てた。お前の支配はついに終わったのだ」  すると蛇は、目に焼き付くほどの光の洪水の中に姿を消しながらこう言いま す。「見よ、悪魔の性を」  蛇が姿を消した光の中から、大きな緋の翼を持った天使が、輝く黄金の衣に 身をくるみながら燦然と立ち現れました。人間はうろたえ、恐れおののきなが ら天使の前にひれ伏します。  「我は汝に敵対する神である。我は、ようやく汝の救済を全うできた」と、 声は続きます。「汝は我を憎む。しかし、来るべき幾世を通じて、汝は必ずや 我を称えるであろう。我は、汝を世俗の幻影から遠ざけ、汝の欲望を断った。 我は、汝の魂の不死性を目覚めさせたのだ。人間よ、我に従え。我は道であり、 命であり、真実である」  うーん、今回の話は「性は聖なり……」からちょっと逸れてしまいましたね (^^;。次回からは、木彫りの男性器を大いに振りかざして奇声をあげる、とい う一風変わったお祭「ごもっともさま」の話に入ります。お楽しみに〜(^^)。    しまうま(KFQ02761) - FARION MES(14):預言解読村  ★ 預言・予言は何を語るか 96/03/11 - 03768/03774 PAG03134 はな χ=カイ=1 → 真実へ (3) (14) 96/03/10 15:49 03764へのコメント ●表のχと、裏のχ  χにも表と裏があるのではないでしょうか。  χはカミでありスメラミコトである数字でした。今わたしたちがス メラミコトとしている神武天皇は、実は日向族により歴史の隠蔽交錯 が為された結果であり、本当のスメラミコト(天皇)ではないとアリ オンは指摘しています。  また、先日7番会議室で発言されたように、 アリオンは、『日本 という国の成り立ち、歴史、その他色々なことがその時々の為政者に よって、隠され改竄されてきたが』と言及しています。 『今まで見えなかったのは何故か?こちらの方が重要なことだとも言える。  日本という国の成り立ち、歴史、その他色々なことがその時々の為政者によって、  隠され改竄されてきたが、もうこの国の魂はそれを許せなくなってきている。                      (7番会議室 96/03/08)』  神武天皇は我が国のスメラミコトではないという研究がされ、原田 常治氏の「古代日本正史」などで、我が国のスメラミコトは神武天皇 ではないことが、実証研究の結果導き出されてきました。  現在の伝説では、最初に大和を統治していたのは神武天皇とされて いますが、最近の研究により、大和を統治していたのはニギハヤヒで あることが明らかにされてきました。  我が国のスメラミコトを日向族出身者にしたいという欲望により、 出雲族出身者ではない、日向族出身の神武が天皇にされたところから、 日本という国の成り立ちが隠され、改竄されてきました。  アリオンは、1について、 「この時隠されるのは、1である。」 と言っているのは、現在表に出ている1(=表のχ)、すなわち神武 天皇が、「旧来の掟が破られるとき」隠されることを示唆しているよ うです。  表の1が隠されるときに、裏の1が表に出てくると言えます。  表と裏がひっくり返る。  この国のスメラミコトになるはずだった出雲族出身者こそが、これ まで歴史から隠されてきた「裏のχ」です。  スメラミコトとしてわたしたちの歴史に立つべき人物は、これまで にいくつかの書籍でニギハヤヒだったはずです。ニギハヤヒは【裏の χ】と言えるでしょう。                       はな 03770/03774 PAG03134 はな πが無いよぉ〜 (14) 96/03/10 20:27 03769へのコメント SOUND さん  もうすぐ始まる花見のごちそうって、そんなたいそうな解読じゃない ですよぉ〜。桜が2分咲きの頃に解読は終わってたりして。  それよりも、今盛りの梅見のおかずにしてくださいまし。(^^;  さて、シークレットドクトリンのなかに、χがみつかった時はうれ しかったですよ。長年探していた宝物をみつけた気分でした。(^^)  ですが、 『χ(カイ)なる者はオズマの、π(パイ)なる者はシグマの夢を夫々見る』 に書かれている「π(パイ)なる者」が、まだ分かりません。(>_<)  χとπもあわせて意味をつかまないと、両者の対比構造が読みとれま せんし。それに、オズマとシグマの夢も、まだ解読中です。  ところで、ブラバツキーの著作は、そのほかにも「神智学の鍵」を購 入しました。こちらは問いがあって答えがあるという、問答形式で書か れてあり、内容もシークレットドクトリンより、若干易しめに書かれて あります。  シークレットドクトリンを読む前の、神智学入門書とでも言うべき内 容でしょうか。とはいえ、内容はかなり骨があるようです。  ブラバツキーの著作から、何か気がつくことがあれば、またこの場で 報告させていただきます。(^^)  いつも迅速なレス、ありがとうございます。                       はな 03773/03774 PAG03134 はな もういっちょコメント(^^; (14) 96/03/11 07:01 03769へのコメント SOUND さん  税込み10000円を超える本と言えば、すぐそばに日月神示が、 15000の定価をつけて鎮座していました。あれもほしかったなぁ。                       はな 03774/03774 GBG02043 維/YUI RE:ゴールデン・ドーン タロット (14) 96/03/11 11:30 03771へのコメント タロットかぁ〜、以前はよく友達を占ってあげて、好評でしたっけ。。。 子供が道化師の変わりになっているんですか、へぇ〜!! 子供の無邪気さ、素直さが表で、 それゆえの残酷さ、自己中心さみたいなのが裏かな? 道化師は、大人が子供を演じているみたいなもんですから、 あながち関係ないってわけでもないですよね、きっと。 敢えて言えば、道化師は「すいもあまいも(ス意も、アマ意も)」分かって 大人の世界を通り抜けて、子供のノリに行動しているわけですから、 智恵に裏打ちされた筋金入りの無邪気さ、素直さ(?!ナンジャソリャ)なんでしょう、表は。 んじゃ、裏は…ってぇと、やっぱし知恵者は恐いってことかなぁ。 0のカードってことを考えると、表も裏もその時々で変わるというか、 表だと思っていると裏だったりするような感じをうけますね。 維/YUI 03772/03774 PAG03134 はな RE^2:人形峠 続編(2) (14) 96/03/10 23:03 03753へのコメント みんた さん >> レスありがとうございました。コットンマウスさんのようなお立場の方と >>おちついて、お話できる、このフォーラムの存在に感謝してます。  フォーラムの存在に感謝されて、悼みうります。このようなことを おっしゃっていただくと、「私もがんばろう」って気持ちになります。 割りコメになりましたが、今後ともFARION をよろしくお願いします。(^^)                       はな - FARION MES(15):マホロバ誕生 ★ 大和魂復活のために 96/03/11 - 00573/00573 VEG02736 山部正人 RE^6:「悪」を見る (15) 96/03/11 06:25 00570へのコメント まるにちょん さん、どうも こんばんわです。  魂そのままならどうでしょう? >  何も学ぶ必要もなく満ちている状態ではないでしょうか?過ちを犯すこともな く > 、善悪を越えている状態だと思うのです。 >  これでは、それ以上成長することはないのではないかと思うのです。  これに関して、宇宙考古学者の話しとして、次のような話しを聞いた事があり ます。どこだかの惑星に、霊のような体を持った宇宙人が居て、しかし、その霊 体にも寿命が近づき、どうしたらよいかという話しになったそうです。そこで、 考えられたのが、霊体に肉体を与え、惑星におろし、いろんな経験をさせる方法 だったそうです。  と言うのは、霊体で経験するのより、肉体を持って経験する方が、何倍も学習 能力が、あがるからだそうです。つまり、同じ長さの時間を過ごす場合、多くの 貴重な経験を多量に積んだ方が、魂の進化の度合いが、早く、霊体で経験するよ り、中身が濃い分、学習の時間が、節約できると言うことだそうです。  そんなようなことを、言っていました。 >  肉体に惑わされながらも、反省して、肉体と心の統合ができるよう学習してい る > のではないかと思います。 >  また、肉体があるからこそ、それと対比して精神性について省察する事ができ、 > 霊主体従に気付くのだと思います。 >  人間は、肉の身を持つことでしか得られないものを、学んでいるのではないか と > 思うのですよ。  ”汝 狭き門より入れ。”ですね。  学習、あるいは、魂の進化、これらの観点から見たとき、まさにその通りだと 思います。 > 嫌な奴だなと自分のことを徹底的に嫌ってみるといいですね。何で嫌いなんだっ > て今度は見てみるんです。 >  偽善が悪いと決めつけてそこで終わってしまうのではなくって、何で偽善が引 っ > かかるのかを見ていくといいんじゃないかなと思います。  ほんとに、偽善と言う奴は、やっかいです。聖書には、良いことをするとき は、右の手のしていることを、左手にしらせるな、とありました。さらに、良い ことをした報いを、この世で、受けるなとありました。隠れたことを見ている神 は、隠れた良いことに対して、報いてくれるそうです。  今回は、なんか、取り急ぎのレスになってしまいました。 どうもすいません。(^_^;) 96/03/10(日) 22:55 山部正人(VEG02736) - FARION MES(18):武道とは?  ★ 自分に勝つ! 96/03/11 - 02933/02933 HGB02122 あもり テーマRT「死」Part-1 (18) 96/03/11 02:35 3/9、午後11時半から、テーマRTを実施しました。 「死」というテーマです。 RTを実施していて気付いたことが一つあります。 それは「外側の死」「自分の死」という全く異なった観点があるということで す。 「外側の死」の代表的な意見は、「意識されることがなくなったら、死んでい ると同等だ」ということです。 例えば、隣の住人。 普段は意識されることがなく、生きている死んでいるという基準がありません。 ところが、ゴミ捨て場で顔を合わせたりすると(なんて現実的)その隣人は途 端に生きた人になる訳です。 「意識しなくなったら死」これはあまりにも無謀な観点とも言えるかも知れま せん。 意識外にある存在はすべて無という、非常に現実的でない考察が出来上がって しまいます。現実的には、それぞれが生きて日常の営みをしているからこそ、 「普通に」朝が来て夜の帳が落ちると言うことが繰り返されるんだと思います。 ここで、「他者との関係性」という面から考えると、意識はしていなくとも、 生きている上でなにがしかの(目に見えない部分で)関係があり、街一つ分の 人達がその関係性を放棄したとしたら、日常の生活はもはや成り立たなくなる、 少なくとも日常ではなくなる、僕はこちらの方が現実的だと思います。 その関係性の中にあって、関係性を省みない生活を一般的だとするならば、前 述の意見が表すように、目に見える範囲外はすべて死だということが表現でき るでしょう.... 「身近な死」ということで数人にお聞きしたんですが、親類縁者、心を寄せて いた動物の死....共通するものとして、「信じられない感覚」「夢を見ている 感覚」があげられました。 ありふれた感覚ではない、非日常のショックをともなう状況ですから、精神な ダメージ、そして現実からの遊離、そんなふうに考えたとしても間違いはない でしょう。 また、「死んだらただのモノ」として受け止めているという意見も同時に多く 出されました。 実際の目に触れる死は、実は個人個人の意識の集約だという感想を持ちました。 それは一つのストーリーでありつつも、生命→モノへの移行を現実として把握 している、これはどういう事かというと、「その人はもういない」という現実 を少しでも隠そうとするような働きのようにも見えます。 例えば藤原新也の映像に描かれた「死」や黒沢映画の「死」と、最近のトレン ディードラマの「死」を比べてみればいかがでしょうか? いろいろ書いては見たけれど、いずれも「外側の死」なんですね。 もう一つは「自分の死」です。 これは実際に体験したことがない人がほとんど(^_^;)ですから、「よくわか らん」という意見がほとんどでした。 実は、これを問題にしていきたいと思うんですね。 「恐い」RTから発した「死」RT。 今後の展開が楽しみです。 レポートになってないぞ あもり - FARION MES(19):世も末ばなし ★ ぶっ飛び話・罰当たり話 96/03/11 - 845/846 GBB03425 Paper Birch シオンの議定書について (19) 96/03/10 21:24 833へのコメント #833 山部正人さん、はじめまして。(19番で発言するのも初めてかも(^^;) 一週間も経ってしまいましたが、少しだけコメントさせていただきます。 | 最後に、シオンの議定書についてですが、偽書だという事については、証明が |なされていますが、その書かれた年代と、内容については、否定しておらず、な |ぜ、100年以上前に書かれたことが、現実化されているかについて、言及がな |かったのが、残念です。  証明がなされていると言いながら、「なぜ〜残念です」と仰る部分を見ると、 納得はしておられないように思えます。しかし「トンデモ本の世界」を読んだ 限りでは、僕にはやはり偽書としか思えないんですよね。  年代的には1905年には知られていたと言うことですから、信じるにしろ 信じないにしろ、問題は無いでしょう。プロトコールの触れ込みでは1897 年の議事録ということですし、たった8年の違いです。(それでも100年以 上前ではなく、99年前ですが)  内容的な事は、僕は、そのプロトコールの全文を読んだことが無いので何と も言えません。PC-VANのどこかに、その全文があるらしいですが、あちらの IDは持っていませんし。  よろしければ、プロトコールを読んで「100年以上前に書かれたことが、 現実化されている」と、山部さんが思った部分を御紹介いただけませんか?  『トンデモ本の世界』でも紹介された『悪魔(ルシファー)最後の陰謀(プログラム)』 という本は読んでみたんですが、その中で引用されている部分を見る限りで は、「そこに書かれている事が現実化している」と思える部分は皆無でした。  その他にもいろいろ伝え聞いた限りでは、「世界が、これに書かれていると おりに成ってしまっている!」と驚愕したり、「やはり裏に陰謀が……」と思 う程のものとは思えません。せいぜい「人間というのは、百年前から大して進 歩していないなぁ」と思った程度です。僕だったら、あれは古代ギリシアで書 かれたものだと言われても驚きませんよ。  むしろ、プロトコールとほぼ同じ時期に書かれたH・G・ウェルズのSF小 説の方が、当時の一般の人達では想像もつかなかったであろう事がたくさん現 実化していると思います。あれこそ、まさに驚異的ではないでしょうか。 |が、陰謀がないことの、証明のように言っていますが、情報操作ってそんな単純 |なものなのでしょうか。陰謀論に関する本が、多く売れていると聞きますが、ほ |とんど誰も信じてはおらず、興味半分、からかい半分だという事実は、誰も陰謀 |など信じないのだ、と言う、情報操作が、成功している良い例とは言えないでし |ょうか。  言えないと思います。(と言っちゃあ身も蓋もないですね(^_^;ゞ)  興味半分、からかい半分でしか扱われないのは、僕が見る限り、そういうふ うにしか扱われない程度のものばかりだからでしょう。陰謀論の本は確かにた くさん売れているようですが、あのレベルの本を読んで「信じろ」と言われて も(少なくとも僕には)不可能です。  それとも、あれらの陰謀本の著者達は、フリーメーソンに抹殺されないため に、ワザと頭が悪いフリをしているとでも言うのでしょうか。  なんだか、初対面から否定的なコメントになってしまって申しわけありませ ん。しかし僕は、ユダヤ陰謀論の如き、人種差別を助長する思想は許せないと 思っていますので、ハッキリとした書き方になってしまいます。決して、山部 さんに対して悪感情を持っているわけではありません(非常に誠実な方だと思っ ています(^^))ので、その点、ご理解いただきたいと思います。 では、また。 △▼△ Paper Birch △▼△ 846/846 QZY01267 猫の手 理想の押し売り (19) 96/03/11 07:30  誰かを評価するとき  私は不幸の中にある。  何かを評価するとき  私は不幸の中にある。  私は理想持っていて  その理想と比べてしまう。  理想に適っていたときしか喜べず  理想と違うときには怒りが湧いてくる。    本来ならば、  それがあること自体が喜びのはずなのに  本当は  そんな嫌なことさえも  自分が望んで生み出したことのはずなのに。  約束守らなかったと怒りが湧いて  自分のことしか考えないと怒りが湧いて  どこかの誰かを自分の思い通りにしたくなる。  そんな誰かが居ることを  自分が望んでいたにもかかわらず。  叩きたい私が居るから  叩かれる誰かが現れる。  にもかかわらず、  叩いても叩いても思い通りにならないと  怒りばらまいてしまうことになる。  意識の上では思い通りにならないと嘆きつつ  その下では思い通りになること恐れてる。  誰かをいじめる誰かがそこに居る。  いじめたくなるその気持ちも分かっているけれど  いじめることも痛ましい。  もし、 「いじめることはいけません。」  なんてこと云ってしまったならば  それはいじめと同じ。  それは私の理想の押し売りでしかない。  そうやって私の理想押しつけて  理想通りにならないと  やはり嘆くことになる。  あなたは間違っていると  怒りばらまくことになる。  だからといって、  それを見て見ぬ振りするのも心が痛む。  なぜならば、  いじめられる方も  いじめる方も  私の理想と違うから。  人は理想を生み出していきたくなるものらしい。    ところが目の前で展開する世界理想と比べ、  評価し始めたときに  不幸訪れる。  その状況を  自分が生みだしたこと忘れてしまう。  その状況を  自分が望んでいたこと忘れてしまう。  表面的には望んでいなかったと言ったって  そういう関係になること予期してた私居る。  そしてまた、  理想通りにならないと  嘆くことになる。  理想通りにしてくれないと  責めることになる。  それにより  理想を手にすること  遠ざけているにもかかわらず  この世界はあまりにパラドキシカル。  理想を手にするためには  理想と思えていないその状況を  99.999・・・%の純度で理想と感じていなければならないなんて。  100%その状況を受け入れたとき  その状況に変化がもたらされ  相手の理想と、  自分の理想が絡み合い  お互いの共通の理想が生み出され  お互いの理想が実現し始める。  最初はそれがどんな理想であったにしても  独りよがりの理想でしかない。  それはどんなに素晴らしく見えたにしても  絵に描いた餅。  自分がその餅を生きない限り。  その餅は誰かに出会い変化して  形が変わり、  色が変わり  中身が変わりつつ食べていく。  食べても食べてもなくならず、  食べ飽きることのない餅となる。  私はなにも自己主張するためだけに  UPしてるわけじゃない。  だからといって議論するつもりもないヨ。  議論にはさんざん疲れてしまったから。  コミュニケーションすること  放棄してるわけじゃない。  ただ話し相手どこかに消えてしまっただけのことだから。  今の私には  一日に何十件ものRES読んで  コメント付けるだけの気力ない。  気が向いたときにここにUPして  誰かが何か感じてくれたならそれで良く  誰かが何か言ってくれたなら嬉しいの。  無理に理想の違う誰かを説き伏せたいとは思わない。  素敵な誰か、  素敵な何かに触れたなら  私はここにUPする。  そして誰かが私の理想に触れて何かを感じて  どこかで何かをしてくれて  それが連鎖反応のようにつながって  私に触れるときが来る。  そして私はまた私の感じた世界UPする。  誰であっても、何であっても  自分の物差しで評価したくない。  自分の物差しで批判したくない。  自分の理想とかけ離れたものに  悲しみの詩が生まれ、  自分の想いを塗り替えるような  素敵な発見に喜びの詩が生まれてく。  そしていつかどこかで誰かが勇気を湧かすことできたなら  それは私の歓びとなる。  誰にも私の理想押し売りできないから  押し売りしたって理想は生み出せないこと知ってしまったから  私はこうして詩綴る。  そして私の理想も  日々変化しながら  この世界の変化と共に変化しながら。  新しい世界生み出していく。  その先は  私の想いが変化して  私がこの世界を丸ごと受け入れること  できるようになるのが先かもしれないし、  この世界が変化して  私の期待通りになるのが先かは分からない。  いずれにしてもその二つがどこかで結ばれるときが来る。  そう私は信じてる。  たまに私にも  感想のRESでもメールでも  もらえたら嬉しいよ。   ** QZY01267/『猫の手』 <96/03/11 07:14:37> **