「それは屁理屈というものじゃないですか…」と奥の焚き火民 - FARION MES( 1):相 談 室  ◆ パソコン&通信の話題 96/03/16 - 00512/00516 BZP00427 大鶴 智博    インターネット ( 1) 96/03/15 20:12 天外司郎著の”未来を開く「あの世」の科学”で270ページに インターネットのホームページの中にも面白いものがあると 書いてあったのですが。どなたか存じませんか? 00513/00516 MHD02672 TAO まとめレスでご容赦(^^;/NifTerm関連 ( 1) 96/03/15 23:06 コメント数:1  #506 ガッチャさん  #508 九印さん  #511 はなさん   NifTerm についての問い合わせへのコメント、有り難うございました(^^)。  ふみみ、16bit版のでも大丈夫な様ですね。じゃあ、九印さんが紹介された  「Ver1.25」を探してみます。………と、どこにあるんだったっけ?(^^;ゞ  TAO 00514/00516 CQE04277 九印 RE:まとめレスでご容赦(^^;/NifTerm関連 ( 1) 96/03/15 23:48 00513へのコメント # 513 TAO さん:  FWINCOM LIB (12) の 129 です。(フルセットです)              CQE04277 九印 - FARION MES( 2):Wellcome All ◆ いこい処*晴れるや亭 96/03/16 - 05902/05902 HGB03731 二木 聡 命名 「美里」です。 ( 2) 96/03/16 01:16 () oO( ^_^) ネエ、ナマエ ドウスル? (@-@;) ウーム、ソウダネェ・・・ () oO( ^o^) ソウダ、ホンニンニ キコウヨ (@-@;) エ゙ー、ナニソレ? () oO( ^o^) ダカラ、ホンニンニ (@-@;) ?・・・ キメサセルノ () (^_^ )Oo ・・・・・ (@-@;) ・・・・・ () (^_^ )Oo サ・ト・ミ・・・ (@-@;) ・・・・・ () (^_^;)Oo ・・・・・ (@-@;) ダメジャナイ? () (^_^;)Oo ミ・サ・ト・・・ (@-@;) ・・・・・ (^^) (^O^ )Oo ワラッテルー (@=@;) ホントダ (^^) (^o^ )Oo ジャ、モウイッペン (@-@;) ・・・・・ サ・ト・ミ・・・ () (^_^;)Oo ・・・・・ (@-@;) ダメダネェー () (^_^;)Oo ミ・サ・ト・・・ (@-@;) ・・・・・ (^^) (^o^ )Oo ワラッタ、ワラッタ (@=@;) スゴーイ!! (^^) (^o^ )Oo モウイッペン ダケ (@-@;) ・・・・・ サ・ト・ミ・・・ () (^_^;)Oo ・・・・・ (@-@;) ダメダネェー () (^_^;)Oo ミ・サ・ト・・・ (@-@;) ・・・・・ (^^)(^o^ )Oo ワラッタ、ワラッタ (@=@;) スゴーイ!! スゴーイ!! スゴーイ ミサトチャン ダイスキー  以上、おもいっきり親馬鹿やってます。  でも、3回訊いて、3回とも笑って応えてくれたんですよ。  それも、「美里」のときだけ3回とも。 特に3回目に訊いた時はおもいっきりほほえんでくれたんです。  嘘みたいでしょ、でも本当のことなんです。                                    二木 聡 - FARION MES( 3):Media Talk ◆ 本/映画/音楽を語る 96/03/16 - 01227/01230 GGA02514 KAZE 自己表現というよりも「気概」として ( 3) 96/03/15 17:15 01226へのコメント コメント数:1 まるにちょんさん、どうも。 》  成熟していくか、枯れてしまうかは、その人がいかに自己表現を続けていくか、 》 それによって何かその人にとって大切なものを希求し続けることにかかっている 》 ような気がします。 ま、「自己表現」ってことである必要はないと思いますし、 むしろそれをあまり意識しすぎないほうが それを「外的な基準」としてでっちあげる落とし穴にはまらないので そのほうがいいかなとも思いますが、 宮沢賢治のような意味で、人生そのものを芸術にしていく方向というのは 大事なことかなと思います。 どんなささいなことでも、また誰にも見向きもされなくても、 坦々とみずからの進むべき道を歩み続ける「気概」といいますか・・・。 さて、スティングのアルバムですが、探したのですがでてきません^^;。 タイトルは、たしか「兵士の物語」だったと思うのですが・・・。 見つかったら、あらためてご紹介させていただきます。 ルシファーにアーリマンですが、それらの悪の存在たちは、 人間そのものの進化にはなくてはならない役割をもった存在で、 単に「効用」だとかいうことではなく、 その両者の力をともにもらいながら、どちらにも偏さないような そんなあり方が必要になってくるのだと思います。 》  正義の味方って、完全無欠を演じなければならないので、見ていて肩が凝るん 》 ですね。そんなにガチガチでほんとに生きてるのか?って聞きたくなります。 正義の味方というのも、とくに、悪を排除的に扱っているようだと、 それこそどうしようもないうすっぺらに見えてしまいますよね。 純粋な方っていうのも同じで、汚れを排除して、 自分だけは純粋でいよう、っていうのも、困り者です。 そうそう、意固地なまでに純粋な方が、 「自分はこんなに汚れてしまった!」なんてマゾになっているのを目にすると、 「そうか、あんたが汚れているというなら、俺なんか真っ黒けだ! そんなに自分を汚れたとか生意気なこと抜かすなら、もっと汚してやろうか」 なんていうように感じてしまうのは、ぼくがひねくれているからだろうか^^;。 ちなみに、ぼくはこのところ、自分のこだわりの部分の 根源にあるものをあれこれみつめる作業をしていて、少し疲れてたりするのですが (もちろん、マゾになんかなろうというのではありません^^;) 「なぜ、自分は○○○なのだろか」ということを問いつめ、 その自分の感覚などを検討していくというのは、けっこう勉強になります。 自分を純粋に保っておこうとか、正しい部分だけを見ていこうとするなら 人は、そのうち、操り人形のような偽善者になってしまうと思うんですよね。 そういう意味でも、悪のテーマというのは興味深いものです。 それを日常レベルで問題にするだけなら、あまり面白くありませんが、 もっと人間の霊性の根源に迫るものとしてとらえていくならば、 それは大いなる可能性を開く契機にもなるのではないでしょうか。 では(^^)。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 01228/01230 MHD02672 TAO RE:自己表現というよりも「気概」として ( 3) 96/03/15 23:07 01227へのコメント  #1227 KAZEさん   割りコメです(^^;。と言うのも、下記の箇所にウケてしまって、ディスプ  レイの前で「どわははははは」と思わず哄笑してしまったからでした(^^;。  >> そうそう、意固地なまでに純粋な方が、「自分はこんなに汚れてしまっ  >> た!」なんてマゾになっているのを目にすると、「そうか、あんたが汚  >> れているというなら、俺なんか真っ黒けだ!そんなに自分を汚れたとか  >> 生意気なこと抜かすなら、もっと汚してやろうか」なんていうように感  >> じてしまうのは、ぼくがひねくれているからだろうか^^;。                            (改行位置変更)   KAZEさんって意外にサドっ気もあったのかと思ったりして(^^;。これは冗  談ですが(^^;、こういう自虐的な被害者意識というのは、結局は不運や不幸  に見舞われた自分自身を憐憫し、時間の止まった世界で停滞させてしまって  いるだけなのですね。   勿論、自己嫌悪の原因となり、心の傷としても残った事柄自体を無視して  はいけないし、敢えて直視することで超えなければならないのですが、そこ  で「自己憐憫」という罠にはまってしまう方が少なくない様ですね。私自身  も7番で書いたように、過去の陰湿な体験の記憶に足元をすくわれてしまい、  そこから偏った被害者意識を内在させてしまったふしがあります。今でも完  全にふっ切れているのかどうかは、判断し難いのですが(^^;。   でも被害者意識に耽溺してしまうと、他人の不運や不幸に思いを馳せない、  “弱者を装ったエゴイスト”に堕してしまう可能性がありますね。周囲だっ  て、己の不運や不幸を愚痴るだけの人は敬遠してしまうでしょう(^^;。むし  ろ自分の弱点や傷を隠さず、それを糧に前に進もうとする人こそが、正当な  敬意を勝ち得るのだろうと思います。   さてと、この会議室の主旨に合った話に変えまして(^^;。上記のテーマと  も絡んでいてその展開を追っている漫画があって、それは『プチフラワー』  に萩尾望都が連載中の『残酷な神が支配する』ですが、主人公の少年は義父  に犯され続け、義父への憎しみと同時に己への汚穢感にも浸されてしまいま  す。現時点では義父の計画殺人が成功したものの、母も巻き添えで死んでし  まうという、救いようの無い(^^;展開になっていますが、この主人公が果た  してこの生き地獄を抜け出し、自己救済に辿り着くか否か。作者がどの様な  ラストを用意しているかは予想し難いですが、もし主人公が自己破滅に至る  様なら、「お〜い」と文句を言いたくなるでしょうね(^^;。ソレデハ  TAO 01229/01230 QZY10121 ぷんすか KAZEさんへのコメントです ( 3) 96/03/16 02:30 KAZEさん、こんばんは。 高野文子についてはかなり書きたいことがあり、 長くなってしまうかと思い、別のメッセージに書きました。 >それを「執着」と呼びます^^;。 >人は、多く、過去の自分というのにとらわれて今の自分を見てしまっていて >まさに今の自分がどうなのかということを見つめる勇気がないのだと思うんです。 >「ゆく川の流れは絶えずして・・・」っていうように、 >「今」は片時もとどまっていたりはしないわけで、それを「無常」といいます(^^)。 常には無い=無常。 私には無い物の見方かもしれない。 今の自分って、どんなだろうか。 「執着」している自分を見ていただろうか。 過去にこだわることで、私はなにを得ようとしたのだろう。 そして、実際に、なにかを得ただろうか・・・? そういわれてみれば、過去にこだわることが いつからか自分の中であたりまえになっていた。 臆病ものなんだろう、本当の私は。 >ぼくなんか、今関心がなくなると、今やってることがいやになって、 >たとえば、絵を描いてたりしても、書きたい部分を書き終えて、 >完成した状態が見えてしまうと、もう描く気がしなくなって放り出していました^^;。 私もそうですよ。 でも、そういう自分がいやでいやでたまらない。 この気持ちに入ると、気が滅入って二重に 「今」の出来事に対処できなくなってしまいます。 投げやりな気持ちはいけない、とアタマでわかって いるのですが、なかなかうまくこういう状況に立ち向かえません。 >そこでキーになってくるのは、モチベーションのないままに >外的評価や外的強制で持続力を強要されてしまうことで、 >やはり、そういうのはどこか無理がでてくるんだと思います。 >積み重ねられる偽善というのは、いつかは噴火してしまうものではないでしょうか。 そうっすねぇ。 その通りですねぇ。 本当に自分がやりたいことなら、このような心配は要りませんよね。 本当は自分がやりたくないことを、「これしかない」と 間違って思い込んできているのかもしれません。 自分の内側から湧き出る欲求なら、それを疑う余地はない、と思います。 私は外的なことに目を奪われがちかもしれない。 すぐに人の目をきにしてしまいますし、 外的評価にも、わりと敏感です。 >ですから、自分は根源的に何にアプローチしたいのかを問い続け >そこからでてきたものに対して、一切の外的評価、強制から自由に >持続的にアプローチしてさえいけば、こんなに楽しいことはありません(^^)。 本当です。 私もがんばろう。 心のコリをほぐしてゆきます。 ぶんすか 01230/01230 QZY10121 ぷんすか 男爵さんへお礼です ( 3) 96/03/16 03:07 男爵さん、はじめまして。 ぶんすかと申します。 「だれも知らない小さな国」に関する情報をお寄せいただき、 ほんとうにありがとうございます。ウレシイ・・・ 「ピラミッド帽子よ、さようなら」は知らない作品ですが、 チェックしてみます。 それではまた。 ぶんすか - FARION MES( 6):ハロー・メッセージ ★ 今日のハロー・メッセージから 96/03/16 - 00820/00829 HGB03731 二木 聡 容れ物と中身 ( 6) 96/03/15 21:28 >>96/03/06 「新しい袋に古いものを納めていたがこれを世にだそう」と天使  このHMを読んだ時、古いものを納めている新しい袋をゴソゴソと出してくる  天使の姿を想像していました。  つまり、袋の中身を世の中に出すという意味ではなく、  袋ごと世の中に出しましょうという意味です。                                    二木 聡 00822/00829 HGE02116 MAKOTO RE:RE^2:責任と義務 ( 6) 96/03/15 23:28 00819へのコメント #819>しまうまさん、続けてRESいきまぁ〜す(^^)  ええ、「関わりたいから関わる」「拘りたいから拘る」、そして「やりたいから やる」といったものは、私にとっては、戒めであると共に、自らを鼓舞する為の自 己暗示のような意味があります。他人のせい、周囲のせいにしてしまわない為に、 わざわざそんな事を意識しなければならないなんて、ちょっと情けないんですけど ね(^^;)  正直、思い込む事には、かなりの無理もありました。自分に対する強制になって しまって、その結果、不満の種になってしまった事もあります。でも、最近はさほ ど苦痛ではない。実際に、やりたいからやっていると、無理無く思える機会が増え ているからなのかも知れません。こんなものは、「ふり」で無くなれば、それにこ した事はありませんから(*^_^*) > うーんと、「自分の気持ち」と「場のルール」「責任」のどちらが先に来る >か、というのは、時と場合によります。  私も、時と場合によるのですが、ここでは、まず、自分の気持ちを第一に考えて います(^^) 気楽な立場だからかも知れませんが(^。^) >            正確を期すれば、「自分の気持ち」が「場を共有す >るものとしての責任を果たしたい」というほうに向いている、という感じです。  これって、気持ちと義務感が、無理なく一致しているという事でしょうか? そ れが自らに対する強制になっていないなら、とても素晴らしい事だと思います(^^) > 例えば、何らかの理由で「自分の気持ち」に基づくアクションを起こしたい、 >という場合でも、そのアクションが「場を共有するものとしての責任」と相反 >する場合は、「責任」のほうの筋を通します。  お言葉に甘えて突っ込んでしまおっと(^^) その時、本当にしたい事はこれじゃ ないのにって不満は残りませんか? 私の場合、いくら責任を果たす為でも、それ が必要だと思っていても、後に納得いかないものが残ってしまう事が多いんですよ ね。しまうまさんの場合は、そんな割り切れない部分は残らないのか。もし、残っ ているなら、それをどう処理なさっているのか。そんな部分に興味があります。 >と思います。自分の心の中だけで感じることができるのは、いわゆる「生悟り」 >の境地だけではないかなー、なんて思います。  この意見には同感です。確かに自己完結した強さや完璧さなんて「生悟り」に過 ぎないように思います。私も、様々なぶつかりあいの中でこそ、本当の強さが試さ れていくものだと思います。強さだけでなく、自分の力量の全てがね(*^_^*)  あらら、やっぱりムッとされましたか(^^;) こちらも時々、なんじゃい(__;)と 思ってたりして…(^^;)  でも、しまうまさんとのやり取りって、不思議と後に残 らないんですよねぇ。これって、あらら(゚-゚) って思える、いろんな発見があるか らなのかも知れない。こちらこそ、何か疑問に思う事や、わからない事があったら 容赦なく突っ込んで下さいね。その方が面白いから(^O^)                           MAKOTO でした☆ 00829/00829 GBG02043 維/YUI RE:学び舎のことなど ( 6) 96/03/16 09:23 00823へのコメント >言葉そのものに対する「好悪」というよりも、そう言い合った後の焚き火の民 >の会話が発展していきそうか、あるいは停滞しちゃいそうか、という「観測の >違い」だったのかもしれませんね うん。それはあると思います。 語感みたいなところからの推測。 > おおっ、これは非常に興味深いテーマですね。僕は、今のところ、特に「一 >連のHMとFARIONとのシンクロ」について深く感じるところがないので、 以前にも、7番あたりとか、5番に書いたわけわかめな書き込みとかで、 そういう時の気持ちをいくつか書いてたんだよね。 ずいぶん前から。 7番のテーマである、「自分を観る」ってのと、それに(おそらく)賛同している 人々の書き込みと、そして私が分かりたがっていたことを見いだす「わたしを 見つけ出す」作業。 似ているけど、なんか違う感じがしてる。 自分を観ている人々の観ることがそれぞれユニークなのは、個々の違いだから、 いいと思うんだ。 そういうんじゃなくて。言葉が極端になってしまうけど、 会議室での「自分を観る」って、なんだか、大仰な催し物みたいでさ…。 自分を観るってことについてのパネルディスカッションするつもりはなかった んだよね、私。 自分を見つけたい、分かりたいってのはあっても。 歯がゆかったと、前のRESで書いたけど、歯がゆかったのは、そのへんのこと。 あの会議室は、自分を観るのをするところではなくてね「自分を観る」ことに ついて、話をする場なんだなって、正直なところ感じてた。私はそんなこと やりたくもなかったから、書き込む気も失せていったんだよね。 14番だけにしちゃおかなって、思ったりしてたんだけど、なんかくやしくて。 ある時、会議室の議長は、自分を観るをするところだって言ってた気がしてさ、 んじゃ、私が手探りでやってきたこと、書いたっていいじゃんかって思った。 「自分を観る」について、語ることがいけないっていうんじゃないよ、念のため。 分からないんだったら、こうじゃないか、ああじゃないかって話すのも、必要だ と思うし、事実そういう話が私にも必要だった。 けれど、そこから抜け出して、行動に移った先人が、それを語っていかなきゃ、 けっつまずいて、とんでもない方にころげたりしながらでも、はじめなきゃ、 自分はまるでみえてこない。 後から来た人だって、実際に自分を観ようと 歩き出した人がなにやってるのかを読む方が、「自分を観る」の定義付けの 書き込みよりも、より身近にその行動を捉えられるって思うんだけどな。 自分を観るって、すごく大切なことにつながっていくけど、その行動自体は 地道で、個人個人の日常生活に溢れていることがらから、必要なものを 拾い集めていくような、平凡なことではないかって、私は感じてる。 FARIONでなくたって、大昔からそういうことをやっている人はいる。 だけど、わざわざ7番でそうやってやるってのは、今それだけ我々人間が 自分では何もできなくなる傾向にあるからじゃないかって気もする。 昔ならいざしらず、今は必要な情報はやればなんでも手にはいる。 それどころか、情報だらけで余計なことまではいってくる。 なのに、肝心の自分のことは、以前にも増してわからなくなってる。 自分のこと、自分と家族のこと、友達のこと、街のこと、会社のこと…。 自分と対象となるものとの関係のつかみどころもわからなくなって、 呆然としている人って、私が子供の頃よりか多いと思う。 そんなんで、この先国が、地球がやっていけるわけがない。 中学生が言っていた。「この国も、もうやばいもんね」だって。 外国に行けばなんとかなると思っているのだろうか?「今の自分」 から目を背けて、外人みたいになろうとする人々。 私もそういう時期があった。自分が嫌で、違う国の違う人になりたかった。 でもさ、逃れられないじゃん。 私は私だもん。 だったら、自分の手で 何とかするしかない。 なんとかするためにはなんとかしたい対象のものを ちゃんと分からなきゃならない。 だんだん話がそれちゃったので、終わるね。 少しは分かったかな…過去に感じていたこと。 維/YUI 00824/00829 KFQ02761 しまうま RE^2:形式ばった話し ( 6) 96/03/16 00:18 00801へのコメント #00801 MAKOTOさん  こんにちは〜(^^)。いつも丁寧なコメントありがとさんでーすm(__)m。 | 私の場合、泣きたい気分ですまなくて、ほんとに泣いちゃうんですよね(^^;) |でも、感情をぶつけてるって感じじゃないんですよね。吐き出すようにして心情 |を書き連ねてるって感じかなぁ… そんな時は、人にどう見えるかなんてまるで |頭になくて、推敲もできなくて、ほとんど勢いでアップした後に、う〜ん…と、 |唸ってたりするんですが…(^^;)  ふむふむー。泣きながら文章を書く、という情景を想像してみると、なんか 大変そうだなあ、と思う一方で、案外一種のカタルシスみたいな感じで気持ち いいものなのかも、なんて思いました(^^;チョット、フキンシン?  それから「吐き出すようにして心情を書き連ねた文章」が、特定の相手に対 するものであった場合、MAKOTOさんのほうでは感情をぶつけてるつもりがなく ても、相手にしてみれば「感情をぶつけられている」と感じてしまうこともあ ったかも……なんて、ミョーに細かいことが気になってしまいました。  もちろん、感情をぶつけることによって、新しい展望が開けてくる場合もあ りますから、感情をぶつけること自体に問題はないと思います。ただ、MAKOTO さんにそのつもりがないのに、相手がそう受け取っていたりしたら、話に齟齬 がでてくるかな……?みたいな気がしたので(^^;オセッカイダナァ>ワシ。 | ただ、自分で意識してない部分にも、パターン化してるものがいっぱいあるんで |すよね。これも、せっぱ詰まった時に現れやすいものなんだけど、結構、不本意な |姿って事が多くて、なかなか受け入れる事ができなかったりします。ここらにも、 |注意深くありたいですね(*^_^*)  ありますねー>不本意な姿。  前回の例で言えば、僕自身強烈に当てはまるのは「強い態度に出られると、 自分の意見を押し殺してでも相手の言い分に適当な相づちをうつ」というパタ ーンです。これ、長年ずっとやり続けていたことなんだけど、つい最近になっ てようやく「このパターンのマズさ」に気付いて、軌道修正に取りかかったと ころです。今まで気付かなかった、というのは、それが「不本意な姿」であり、 自分で正視したくなかった、という部分もあったと思います。あと、あまりに もしっくり身に付いていたので、気付かずにやっちゃってた、という部分も大 いにあるのですが(^^;。  しかし、身に付いたやり方というのは一朝一夕には取り除けないようで、ち ょっと気がゆるむとついつい同じパターンにはまってしまっていたりします。 でも、最近は「パターンにはまった時」の感覚がちょっとつかめてきた(よう な気がする)ので、これでまた一歩前進、と自己満足に浸っています(^^)。  ここで歩みを止めないよう、もう一歩前進に向けてガンバるっす。   しまうま(KFQ02761) 00826/00829 HGB03731 二木 聡 帰属意識 ( 6) 96/03/16 01:14 しまうまさん  かねて御質問だった分の返信がまとまりました。  随分と遅いRESとなってしまいましたが、宜しく御査収ください。m(_ _)m #690 二木 聡 <<「指摘しない方が楽だ」という思いも確かにあるんですが <<問題なのは「その集団に対する帰属意識のなさ」にあると考えます。 <<どこか、見限った部分があるからに違いありません。 #694 しまうま >>「人の至らないところを指摘しない」という判断の根本に「帰属意識のなさ」がある >>という見方は、すごく当を得ているなあと感じました。 >>二木さんはどういったご経験からこのようなことを感じられたのでしょうか? 「村八分」という言葉があるでしょう?  実は今の現場(会社)で約3年間これに似た経験をして、  その時に感じたのがこれだったわけです。  尤も、時折、聞えてくるのが『むらはちにされとる』という噂だったので  『ははぁ、オレはむらはちもんかぁ』と思ってただけで 私の方は単なる「仲間はずれ」ぐらいにしか思ってませんでした。  実際「仲間はずれ」といっても現場の仲間との親睦会に呼んでもらえないとか  陰口をたたかれるとか、デマを飛ばされるといった下らないものばかりだったので  「あほか?あいつらは?」と、結構平気で仕事をしていました。  自分に落ち度がある訳でも無く、他に2−3人似た境遇の人達が居たこともあって  励まし合っていましたしね。ついでに、原因もハッキリ解ってましたし。  『むらはちも、長くて5年だな』とも考えていました。  ところが去年の3月、会社の共済会の幹事にトップ当選で推挙され、  「むらはち」にした人達から『1年間がんばろ』と励まされるに至りました。  それ迄の私は「もし何事もなかったら、普通に仕事をしている筈だ」とか  「どうすれば、あいつらと距離を置き続けられるか?」とか  「オレは絶対に間違った事はしていない」と、心に言い聞かせながら  自分を励ましつつ、日々の仕事をこなしていました。  つまり、私は現場の人達に対して何も働きかけなかった訳で、  皮肉にも「帰属意識のなさ」とか「仲間意識の薄さ」をハッキリ認識したのは  この直後からです。  『でも、よかったじゃない?』と、妻は言ってくれていますが、  事態はそう単純ではありません。  かつての現場の中心人物は今、私以上の「むらはち」に遭っています。  現場と会社の人達は、組織の抱える根本原因を概ね認識していますが、  根本原因から派生する不満は在っても不安は無いから誰も改善しようとしない。  別の言い方をすれば、  「今の状態を維持できれば、今日と同じ明日が永遠に続くと思っている」  と、いうところでしょうか・・・  つまり、シナリオはそのままで登場人物だけを交代させるという  手法を延々と続けている、と言えそうです。                                    二木 聡 - FARION MES( 7):自分を観る  ★ ARIONを鏡にして 96/03/16 - 07079/07081 HGE02116 MAKOTO RE:ARIONさんへ ( 7) 96/03/15 23:29 07077へのコメント #7077>うわぁ、すまると、会議室で話すのってひさしぶりだぁ(^^)  楽しみでもあるし恐れてもいるの。でも、本望だって気持ちが強くてね(^^;) 私も知らない「私」の方が断然多い。で、うろたえるような姿の方が、多いと思 ってます。でも、それだけじゃない。知らない所には、嫌な「私」だけじゃなく て、宝物も埋まっていると思うから。  前向きであろうと、無理する必要はないんじゃないのかなぁ? 限界に挑む為 に突っ走る事も大切だろうけど、同じくらいに、立ち止まって余力を蓄える事も 大切だと思う。私、どちらも必要な事だと思うよ(^^)  で、私は自分の限界がわからないの。自分に何ができて、何ができないかもわ からない。去年の五月、ARIONから、それをはっきりさせなさいって助言を 受けたの。今はそれをはっきりさせる為にも、いろんなこと試そうとしています。 でも、ARIONに言われたからっていうのは切っ掛けなの。自分で必要な事だ と思ったから、試す事にしたの。  なにもやらずに諦め続けてきたからね。やれる筈がないって、いろんな事を諦 めてた。でも、そんな事を続けてちゃ、自分に何ができて、何ができないかなん て、いつまでたってもわかんない。それじゃ、自立なんてできないからね(^^;) >でも、与えられた(自分で選んだかも知れないけど)テーマをこなさなければ >帰れないだろうって気持ちも強く  私もそんな感じあります。課題を果たさないまま、どのつら下げて帰れるんだ ってそんな気持ち。どこだか知らないけど、どうせなら堂々と帰りたいわ(*^_^*)  雄姿だなんてとんでもない(^^;) 臆病な癖に、力みかえって、色々とばかさら してるだけだからね(^^;) もしかしたら私って、精神的なストリッパーなのかも 知れないわ(^O^) コマッタコトニ コレ マジデス(^^;)                          MAKOTO でした☆ 07081/07081 BYH14717 中尾 かたる RE:灰色妙技 ( 7) 96/03/16 12:29 07067へのコメント  #7067 こんにちは、SUKEさん。中尾です。   >正直言うと最初に中尾さんが発言された頃は、難しい相手だなと感じました。 >何故かというと、「これこれこういう事は自分でも問題だと思う」と言いなが >ら「でも自分はこれこれでいいと思っている」なんて感じで、いつの間にか納 >まってしまっている。  何だか言葉の使い方を間違っていたかもしれません(^^;)。「これでいいと思って  いる」じゃなくて、「こう思うんだけど、どうだろう...」という意味なんで  す。勿論、「こう思っている」というのもあります。もっと説得力のある意見  なんかを聞いたり考えたりするまでは、そこから動けないかもしれません。   >この白とも黒とも付かない、かといって一定の灰色でもないスタンスってのは、 >もしかして照れから来るのでは?と思いました。 >あ、こういう事を突っ込むのは無粋ですか?(^^;)  無粋っていう言葉の意味が分からずに辞書を引いてしまいました(^^;)。別に  何をつっこんでもいいです(^^;)。あまり気にならない方なんで...(^^)。    灰色みたいなんですかねー、僕は(^^)。自分では自分のことを、確かに何色  にも染まれると思っていますけど。でも、八方美人とは違うんです。言いたい  とは言う方だし。よく、「本当の自分に...」というのをこの部屋でも見かけ  ますけど、この人と会うときはこういう仮面をつける、なんてこともないし。    小さい頃から、人の考えていることが分かったので、こう対応すればいいかな  なんてところでしょうか。でもこれじゃ八方美人みたいだけど...。基本的に  性格が優しいからでしょうかねー...。何か自分で言ってますけど(^^;)。プレ  ゼントなんかも、やるほうが好きだし。でも結構破壊的なところもあって...。  うまく説明できませんけど、犬みたいな奴なんでしょうか(^^;)。    すいません、さらにどんな奴だか分からなくなってしまったかも...。   >自分が他人を否定しようとした時に、この話を思い出すようにしたいものです。  誰かに反感を感じた時って、否定したくなりますよね。色んな場合があるけど、  例えば、自分も同じことを考えていたときなんかは、プライドの高い人なら、  反感か、それに近い感情を感じるでしょうね。こういうのは、否定とはちょっ  と違うかもしれませんね。自分の方が優位に立とうとするってところでしょう  か。ま、相手を否定していることには変わりないかもしれませんね。    例えば、尊敬されている人がいたとしたら、自分にもその資格があると思って  いる人は、無意識的に相手を否定しますけど、こういうのって嫌ですねー。  僕も、自分の方が詳しいと思っていることを、べらべら喋られたりすると、  反感を感じます。反感というよりも、聞いているのが面倒なのかもしれませ  ん。    自分に尊敬されるだけの資格があると思っていても、実際に周りの人に尊敬  されるかどうかってのとは違いますからね。自分が尊敬されていないんだと  したら、自分の持っているものが相手に伝わってないってことだし。本当に  自分にそれだけの資格があるのか? って考えると、そうでもないよ、って  ことは多いですね、多分。僕も年に何回かは、つい、自分の方が...って思  ってしまうことがあります。    気をつけてはいるんですけどね(^^;)。それでは。            --== BYH14717 ♂ Y.Nakao ==-- - FARION MES(14):預言解読村  ★ 預言・予言は何を語るか 96/03/16 - 03812/03813 GBG02043 維/YUI 8を横にすると。 (14) 96/03/16 09:23 8を横にすると∞。 はなさんが描いてた図、    (表のχ)       (表のχ)       (表のχなるか?)                            ~~~~~~~~~~~~~~~   表のχ ̄ ̄\   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\   / ̄ ̄ ̄ ̄         \ /            \ /    【過去】  X     【現在】     X  【未来】         / \            /|\   裏のχ__/   \__________/ | \____                         | に、似ている。 3は、表か裏かどちらにしろ、方側面を表す。 又は、波線がねじれた形を 表すのかも。 見ようによっては、3は螺旋を表しているようにも見れる。 だからって…、その先がないのでした。 維/YUI 03813/03813 GBG02043 維/YUI RE^2:3と8 (14) 96/03/16 09:23 03806へのコメント >サルにも分かるカバラ」→そんなアンチョコがあるんだったら、 >             私に教えてほしい。(苦笑) 私も欲しい〜! 本屋で大沼氏の書いたカバラの本をたち読みしたけど、 まぁるで、わからん…ってか、”こんな感じ〜”ってことしか、読み取れ ないのでした。。。 基本的に数学的でないのよね・・・私。 答えがカンであたることはあっても、それを証明する公式は何一つとして、 頭に入っていないのだった。 維/YUI - FARION MES(15):マホロバ誕生 ★ 大和魂復活のために 96/03/16 - 00587/00588 KHC01313 まるにちょん 善悪は人だけの観念か (15) 96/03/16 01:28 00585へのコメント #585 火風水混合 さん まいどまいどです。 >>ということは、人間が存在する限りは、「善」と「悪」が存在するのでしょうか? はい、僕は善悪は人間だけの観念だと思っています。 >>  もし、そうなら永遠に犯罪等はなくならないということでしょうか? それとも >>  「悪」は「善」との対比において存在するある種の象徴としてだけ存在するよう >> になっていくのでしょうか?   いえ、そうではなくて、自分中心に今の都合だけを優先するから、善悪の観念  が生まれてくるんだと思います。   つまり、善悪も人間の都合次第でどうでも変化すると思うのです(ちょい極論)   僕の経験から言いますと、何かを判断するとき、その時点でのみ自分の都合の  良いものは「善」で、都合の悪いものは「悪」としがちだと思うのですね。   判断基準として善悪をもってくるのだと思います。まあ。好悪場合が多いと思  いますが。   じゃあ、何をあてにすればいいのか?と言う問題になってしまいますが、  「良心」しかないんです。   自分の心が納得するかしないか(もちろん自分の欲望を満たすための納得では   ありません)の問題だと思います。    >>・・この辺りの議論は、「善」「悪」の考え方が個人で違う為に難しいですね(^ ^;)      そうですね。だから「善」「悪」の判断も人間の都合次第なんです。   むしろ、善にするにも悪にするにも、人間の対処如何で変わるんじゃないかと  思うわけです。ここに「悪抱き参らせる」の意味があるようにも思えます。   >> (1)人を「善」へと向かわせる事が可能な「悪」 >> (2)人を「善」へと向かわせる事が不可能な「悪」   そういう捉え方も良いと思いますね。   「悪」を善に変換させるか否かは、当事者次第です。   いろんな状況の中で、自分の身魂を成長させていこうとする意志を持つように  したいものですね。   僕なんかは、チャンスが過ぎ去った後で気付くことが多くって(^^;   後悔先に立たずですね。   (2)について考えて見たのですが、   他人の可能性を奪うこと、あるいは社会の未来の流れをせき止めること、は 真の「悪」じゃないかと思っています。  いったんは破壊に見えても、そこに大きな成長のエネルギーを内蔵している ものは、人の目に「悪」と見えたとしても、「善」に転換することが可能だと 思います。  すくい様の無いのは、破壊の為の破壊ですね。  「悪」を「悪」と決めつけること自体も潜在する「可能性」を奪うことかも しれませんね。  宗教戦争や民族紛争が良い例だと思います。  お互いに「善」や正義を主張し、他を「悪」と決めつけることが、「悪」を 呼び込むのだと思います。 (2)の「悪」を、抱き参らせるとしたら、それは「悪の見本」としての教 訓とするしかないでしょうね。  そうしないと、犠牲になったものへの手向けにもならないですから。 では、また。                 まるにちょん、○ゝ 00588/00588 KHC01313 まるにちょん RE:RE^4:「悪」を見る (15) 96/03/16 01:29 00586へのコメント #586 火風水混合 さん まいど〜(^^) 早速RES下さり嬉しいです。 >> >>ところで、火風水混合さんは、どうして人間は自然と調和できなくなっている >> >>のだと思いますか? >>  観念的にいうと、「我良し」がはびこったからだと思います。   僕もそう思います。「我良し」は、視野をとっても狭めてしまって、自分の手  の届く範囲しか見えなくさせるものだと思いますから、自然に対して思いが及ぶ  ことはあまりないと思うのです。   >>  ところで、昔は人間は自然と調和できていたのでしょうか? >>  実は私は、昔でも自然と調和できていたように見えていただけで本質的な部分で >> は調和できていなかったのではないか?と思ってます。 >>  自然は、それ自体が生き物である以上、ある程度の不調和を吸収できるような仕 >> 組みになっていると思います。 >>  そして、昔はいわゆる科学が発展していなかった為に、人間が自然の調和を乱し >> ても、自然の側がその不調和を吸収して全体では調和しているようになっていたの >> だと思います。(一部改行編集)   ええっと、僕の考えでは、古代の日本人は自然と対話ができたのではないかと  思っています。   どの動物をどのくらいまで採取していいかとか、自然と対話をして、自然に許  しを得ていたのではないかと思うのです。   巫女のように誰でも、自然に対して畏敬の念を持ち、必ず伺いを立てたのでは  ないでしょうか?   あるいは、自然のバランスを体で本能的に分かる能力があったのかも知れませ  ん。獲物(動植物)の取りすぎなどは、最終的に自分の死活問題になりますから  結構バランスには敏感だったのかも知れないと思っています。   火風水混合さんが言われるように、確かに人間には、最初から自然と調和を欠  くところはあると思います。   だから自然に伺いを立てるようなことをしたのでは無いかと思うのです。   自然のママなら伺いすらいらないですよね。 >>  そして現代では、科学の発展(と我良し主義)の為自然の不調和の吸収力(復元 >> 力)をはるかに上回る不調和が発生し、このような状況になっていると思います。   そのとうりだと思いますね。   科学自体の発展を見ると、面白いことに戦争と相乗効果をもっていることが分  かります。   外宇宙かで観測衛星を飛ばせる技術は、第二次大戦のドイツのロケット兵器が  発端と言えますし、レーザーや原子力エネルギーだって先に戦争で使用されて、  後に平和利用されるようになったのです。   僕は科学の発展自体が悪だとは思いませんが、使用方法によって悪にも善にも  なるものだと思います。   科学がもっと発展すると、公害のない社会が出現するかも知れないし、神につ  いての理解も深まるかも知れないでしょう? >>  他には・・・ >>  「自然とは?」「自然の中の人間とは?」「人間とは?」という問いに対して考 >> えることを疎かにしてきた為でもあると思います。(改行編集)   これってすっごく重要なことだとは思いません?(^^)   最初に言いましたけど、「我良し」って近目で、認識範囲が狭いんです。   例えばこの世は物質だけだと思いこむことによって、霊的な観点を失ってしま  うようなものです。あるいは、自分の目の前の利益しか眼中にないものだから、  何が本当に必要なのかを見落とすことになるって具合です。   ちょっとでも認識の範囲を広げれば、自分以外の人間に関心を持てば、迷惑行  為をみんなで防げるだろうし、川の汚れが気になれば、なんとかしようと思うも  のです。   そうすると、善だ悪だと見ること自体、視野が狭く「我良し」であると言えそ  うですね。  では、また。                まるにちょん、○ゝ - FARION MES(18):武道とは?  ★ 自分に勝つ! 96/03/16 - 02941/02942 BYK00511 導 合気道草歌 (18) 96/03/15 23:54  ご無沙汰しています。ここの所仕事が忙しくアマデウスさんへの返事も気になりなが らもそのままになり、誠に恐縮しております。  さて、集中と拡散意識の問題ですが、多くの瞑想法や精神の訓練法、禅や禊ぎ等の修 法の多くはまず集中から訓練が始まるパターンが多い様に思います。 しかしこれは集中力の訓練が目的ではなく、精神の解放、意識の拡大、自我の真悟がね らいであります。  そこで何故集中がある瞬間に拡大という変化を産むのか。私は主観と客観の交代であ ると思います。極度に一点に意識を集中させて行くとその対象物。意識の集中する対象 物とそれを見ている自己が入れ替わる感覚が生じます。西田幾太郎先生のいわゆる禅の 考察において、客観対象物は見られることにより実在するという考証はこの感覚の論文 化でありましょう。  意識の集中先はろうそくの炎でも朝日でも対峙する相手の襟元でも3尺先の床でも何 でもよいのでしょう我と他の交換、即ち自己は見る行為により見られる存在に規定され た実在であることの実感。分かりやすく言えば私と言う存在は他者に形作られた存在で あることの実感であります。これが宇宙と一体になった感覚。宇宙イコール私という感 覚の拡大であります。人間の能力は不思議なものですね。千里眼や過去未来を見通す力 は実在します。 武道は極度の集中の訓練でもありましょう。武道に限らずともよいのですが。ただ集中 の奥底に、或いはその先に広がる自己と世界の反転した視感を得るには、何かの為の集 中ではなく、ひたすら見つめるという無心の行為が必要なのです。 相手の突きや斬りつける剣先を避けるという目的の為に見つめるのではなく、ただ見つ めるという行為に自己を埋没させるとどういう訳か相手が逆によく見えてくるのです。 - FARION MES(19):世も末ばなし ★ ぶっ飛び話・罰当たり話 96/03/16 - 867/867 QZY01267 猫の手 例外 (19) 96/03/16 08:21 835へのコメント  この世界には法則がある。  様々な法則がある。  いろんな人が様々な事例を元に、  その共通項の中から法則見付け出す。  それは天文学も、物理学も  社会学も、経済学も、  はたまた隣のおっちゃんの語る法則も 同じこと。  ところが総てに当てはまる法則は  見付け出されたことがなく、  総てに適用できる法則は見当たらず、  その法則思いついた直後から  その法則に合わない現象見出され、  それでもある処ではその法則適用できて、  その二つの矛盾の間に悩む羽目になる。  万有引力の法則も、  総てに適用できず、  光速に移動しているものほど例外的事象が発見された。  それをまとめるために、  相対性理論なるもの導きだしたけど、  それにも当てはまらないものあって  不確定性原理なるもの考えついた。  行き着くところ、  何かを決めれば他のものが決められなくなってしまうという  訳の分からぬものが理論となった。  きっと多分、  それにさえ収まらないものがある。  いやむしろ、  それにさえ収まらないものがあること  物理学者達そのものが知っているからこそ  日夜彼らは奮戦してるのでしょう。  天文学も、  長い間平らな地面が信じられ、  その次に  丸い地球のアイディア浮かび  太陽系というアイディアが浮かび、  銀河系というアイディアが浮かび、  ビックバンというアイディアが浮かんできたけれど、  常に最先端の観測はそれらのアイディアに例外見出した。  1+1=2  それを長いこと信じてきた。  ところがそれを  1+1=10  にする奴現れた。  1+1=1  にする者も現れた。  現代医学では  切った貼ったで治療できた。  薬の投与で治療できた。  今まで治らないと言われた病気治癒できた。  その技術を磨けばなんでも治療できると信じてきた。  ところがどっこい  どんなに医学が発達しても  治療できない例外の山が残された。  隣のおっちゃんの法則は  お金がないと不幸せになるという  多くの人もその法則信じ、  私もその法則信じ、  身を粉にして働いて働いて  自分は不幸になるまじと働いて、  自分の持っているお金の量で自分の幸せ推し量りつつ  自分自身はそれほど幸せ感じていたわけでもないに関わらず  どこかの見えない誰かと比較して  何とか自分を納得させていた。  ところがやっぱりその法則に漏れる者が居た。  お金があっても不幸せな人。  お金がなくても幸せな人。  その法則を信じれば信じるほどに  この世界はその法則によって  動かされている気がしてしまう。  醒めればさめるほど  その法則の例外が目に付いてしまう。  この世界に対し、  自分が信じた法則の枠を被せたいと思う誰かは  魔女狩りをする。  実際に起こっている例外に蓋をする。  その例外が起こっていることが  自分の枠を広げるチャンスだったにも係わらず。  自分でそれを虐げて無視することで  自分を狭め自分の可能性押さえ込む。  その法則に縛られて  その法則に縛られることのない  自由な世界見失う。  そしてその結果、  蓋と共に吹き飛ばされる。  私も信じたそれ等の法則、  まぎれなく、  ある枠の中じゃそういう法則あるのは確か。  でも私は自分の枠を広げたい。  自分の意識広げたい。  更に私は自由で居たい。  そして私はその法則から  漏れている誰かに注目をする。  漏れていることに注目をする。  本当に大切なのは  法則の網を掛けることじゃなく  本当に大切なのは  法則を見つけだすことじゃなく  法則に縛られることのない  より広い自由を手にすることだと私は思う。  法則は法則として有るのを受け入れて、  私はその法則にさえ縛られることのない  自由を手にしていたい。  私の見つけた法則は、 「例外の中に抜け道がある。」  もう魔女狩りなんかいらないよ。  もう蓋を覆ぶせることいらないよ。  何故ならそれが  その事実こそ、  その法則に縛られずに居られるということの証になるから  その証があることで  自分自身もその法則に縛られず  自由に生きる可能性示唆されている。    たとえ、  法則があったにしても大切なことは  その法則を利用することであり  その法則に拠って  誰かを縛ることじゃない。  そのはみ出し者の誰かこそ  その束縛から抜ける何かを持っている。  だからこそそれを大事にしたい。  私の思いついた法則に  例外があったにしても。   ** QZY01267/『猫の手』 <96/03/16 08:00:02> **