「正直さの是非を話していた訳じゃないでしょ?」と焚き火民 - FARION MES( 2):Wellcome All ◆ いこい処*晴れるや亭 96/03/18 - 05909/05924 TBE03167 ねずみ RE:はじめましてです ( 2) 96/03/17 13:55 05908へのコメント Arui.hさん 僕なんか、FARIONは長いけど、ローカルルールなんて 読んだこともないぞ(笑) ふつうでいいんでない^^ 05922/05924 JCF02051 めのう いらっしゃいませ>Arui.Hさん ( 2) 96/03/17 23:36 05908へのコメント  FARIONへようこそ(^o^) @。/ まずはウエルカムドリンクをどうぞ〜。 ▼ ( ^^)/ ̄ うーん、厳しいかな〜。       パソ通以外の日常生活で求められるごく当たり前の「良識」と       さほど変わらないと思いますが。              ま、別に肩ひじ張った話ばかりじゃありませんので、フツーに       いきましょうよ(^^)                       晴れるや亭*女将 ◆◆ めのう ◆◆ 05919/05924 JCF02051 めのう RE:お久し振り(-_-;)です ( 2) 96/03/17 23:35 05903へのコメント コメント数:1  #5903 HPLさん  ご無沙汰でした。    結果はどうあれ人はいつでもその時の最善の選択をしているんじゃないかな  と漠然と考えています。  結果も最善のものにするにはその後の努力が不可欠でしょうが。  やっぱノーテンキかも(^^;>ぢぶん               オフで逢いましょう(^^) ◆◆ めのう ◆◆ - FARION MES( 3):Media Talk ◆ 本/映画/音楽を語る 96/03/18 - 01232/01234 GGA02514 KAZE RE:自己表現というよりも「気概」として ( 3) 96/03/18 01:05 01228へのコメント TAOさん、どうも。 》  KAZEさんって意外にサドっ気もあったのかと思ったりして(^^;。 ま、マゾに対するリアクションって感じですか^^;。 》  でも被害者意識に耽溺してしまうと、他人の不運や不幸に思いを馳せない、 》 “弱者を装ったエゴイスト”に堕してしまう可能性がありますね。 ぼくは、「被害者意識」っていうの、好きじゃないんですよね。 少なくとも、ぼくの場合は、自分を「被害者」「弱者」って思ってしまうと そこで自分の人生を放棄してしまうのと同じ意味だと思っています。 もちろん、こうした言い方をすると簡単に誤解されてしまうご時世ですから^^;、 言葉づかいは気をつけないといけないのですが、 それにしても、不幸感覚を売り物にしてそれを生き甲斐にしてしまう向きには どうもつき合いきれないものがあります。 》 自分の弱点や傷を隠さず、それを糧に前に進もうとする人こそが、正当な 》 敬意を勝ち得るのだろうと思います。 はい、まさにそういうことです。 だれにでも弱いところや傷の部分というのはあると思うのですが、 それは自分の成長のためにはなくてはならない栄養分だともいえますから、 その栄養分を否定してしまってはどうしようもないです。 泥のない蓮って感じで、どうもね^^;。 さて、萩尾望都の 『残酷な神が支配する』ですが、ぼくも読んではいるものの どうもかなりエグイ話ですよね^^;。 最近気づいたのですが、萩尾望都って、 どうも「破滅」的なテーマが好きなのではないでしょうか。 ですから、たぶんこれまでのパターンでいくと、 おそらく主人公は「自己破滅」してしまう可能性は大きいと推測します^^;。 ちなみに、ぼくは最近、この萩尾望都の世界には、 ちょっとばかし辟易するようになっています。 もちろん、かつてはその部分に魅力を感じてたんですが・・・。 では(^^)。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 01233/01234 GGA02514 KAZE カメレオン症候群 ( 3) 96/03/18 01:06 01229へのコメント コメント数:1 ぷんすかさん、どうも。 》過去にこだわることで、私はなにを得ようとしたのだろう。 》そして、実際に、なにかを得ただろうか・・・? 過去へのこだわりというのは、 過去においてこうだったから、自分は〜できない。 そういうふうに作用することが多いですよね。 (ぼくにもけっこうあったりして、自分を戒めることが多いのですが^^;) おそらくは、「過去」というのは そういうふうに、今の自分の言い訳に使っちゃいけないんだと思うんです。 むしろ、それは、過去をちゃんと見据えるという 「反省」のためのものとしなくちゃいけない。 その「反省」というのは、未来へのジャンプ台のようなものですから。 》本当に自分がやりたいことなら、このような心配は要りませんよね。 》本当は自分がやりたくないことを、「これしかない」と 》間違って思い込んできているのかもしれません。 いわゆる世間体だとか世間の常識とかいうことのせいで、 ほんとうはやらなくても差し支えないことの重荷を背負っていることって けっこう多いように思うんです。 そして、その世間体や世間の常識というのは、「外から」ではなく、 多くは、みずからの「内から」、「そうではいけない」というふうに 作用することのほうが多いように思います。 ですから、そういうあれこれのなかで、 自分のほんとうにやりたいことがわからなくなっていくわけです。 つまり、「こうすれば、人は納得してくれるだろう、評価してくれるだろう」 そういう発想を惰性でしてしまうようになるということです。 そういうのって、けっこう悲しいことなのですが、 日本の教育の現状というのは、そういうのを奨めてるわけで、 悪くすると、それに適応すればするほどに、 自分をスポイルしてしまうことになります^^;。 ぼくは、それを「カメレオン症候群」と名づけてたりするんですが^^;、 その病にかかると、自分の色がいったい何色なのかわからなくなって、 だれかが「赤がいいな」といえば、「はい、私は赤が好きなんです」となり、 だれかが「やっぱり青がいいな」といえば、「やっぱり青ですね」となります。 そういえば、ハムレットのなかでも、そういうシーンがありましたね、たしか。 》私もがんばろう。 》心のコリをほぐしてゆきます。 おそらく、自分のなかの「カメレオン」というのは、 ある意味ではとっても楽な側面がありますので、 そうでない、自分の本来の色をみつめる作業はとっても苦しい場合がありますが、 それこそが「創造」ということでもありますので、 お互い、挫けずがんばってゆきたいものですね。 では(^^)。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 01234/01234 QZY10121 ぷんすか RE:カメレオン症候群 ( 3) 96/03/18 08:13 01233へのコメント KAZEさん、おはようございます。 >おそらくは、「過去」というのは >そういうふうに、今の自分の言い訳に使っちゃいけないんだと思うんです。 >むしろ、それは、過去をちゃんと見据えるという >「反省」のためのものとしなくちゃいけない。 >その「反省」というのは、未来へのジャンプ台のようなものですから。 私は自分でも、「なんでこんなに過去のことを気にしてしまうのだろう」と 思っていました。とにかく、「ああ、あのときこうしてさえいれば、いまごろは こうなっていなかったのに」「むかしにもどってすべてやりなおしたい、いまは こうなってしまうという結果がわかっているから、過去にもどれたなら、もうおなじ しっぱいはするまい」という気持ちへ流れてしまうのです。 KAZEさんの言葉のなかでいちばん響いたのは「今の自分の言い訳に使っちゃいけないと 思う」です。 そういわれてみれば、こんだけ思いつめながらも結局私は何にもしようとはしなかった。 「今の自分」といわれても、何をもって「今の自分」といえるのか? 私にはそれが理解しにくくなっているみたいです。「過去の自分」に目をむけてばっか りいたからだと私は思います。 逃口上を探し続けてこのままきてしまった。これは自分でもマズイと思います。 過去というものは「見なければならない」けど、「とらわれてはいけない」んでしょう ね。 >おそらく、自分のなかの「カメレオン」というのは、 >ある意味ではとっても楽な側面がありますので、 >そうでない、自分の本来の色をみつめる作業はとっても苦しい場合がありますが、 >それこそが「創造」ということでもありますので、 >お互い、挫けずがんばってゆきたいものですね。 わかりやすいたとえでした^^ しかし、私は自分の色がわかんなくなってしまっています。 そういう状態に逃げて、ラクしてきた私があるわけですから あたりまえです。 KAZEさんとのやりとりをしていると、自分にむきあうことが 多くなってきて、たしかにつらいなァ・・と思うときがあります。 私は「ムー」誌のチャネリング特集で北川恵子さんとARIONの存在を知って、 早速「光よりの・・」「I LOVE YOU」「世紀末書き込み寺」を手に入れ、 夢中で読みました。とにかく本に書かれてある言葉が鋭く、私の胸を ついてくるようでした。 「自分を見る」という言葉をもとに、私もやってみよう、と思いました。 しかし、これが難しかった。 「カメレオン症候群」がゆえに、もう私がどれがどれだかわからなくて、 とっても面倒くさい、しんどいと思い続けてきました。 そしてある日パソコンを父が買い、ニフティに入って即FARIONに行き、 今にいたります。 KAZEさんとのやりとりで、再び自分を見るつらさを味わっていますが^^、 非常にいい機会だと思っております。 それと、「棒がいっぽん」に関して私が別に書き込んだためにKAZEさんに二つの レスをさせてしまいました。ごめんなさい。 わたしは「絶対安全剃刀」のなかでは「ふとん」「うしろあたま」が好きです。 「ふとん」のストーリー、当時の私では理解しづらく、絵(特に観音)のなめらか な曲線のほうが印象的でした。 「うしろあたま」の主人公の女の子の気持ち、よくとらえてあると思います。そこが 好きです。 「田辺のつる」は、大島弓子の「綿の国星」「夏の夜の獏」などを思い浮かばせられま す。 といっても実際の作品の発表年は前後しますが・・ 話はかわって、大島弓子の「さようなら女達」が白泉社文庫から出たのをご存知ですか。 その巻末に彼女がマンガによく描いていたサバという猫の死が、彼女自身のマンガによ って描かれてありました。私はサバを主人公とした一連の作品をみて、井の頭公園まで いってきたことがあります。単純です^^; それでは。 QZY10121 ぶんすか - FARION MES( 7):自分を観る  ★ ARIONを鏡にして 96/03/18 - 07090/07091 MHD02672 TAO RE:恋情の自然発生について ( 7) 96/03/18 00:40 07078へのコメント   #7078 SUKEさん   どうも(^^)。   そうですね、めのうさんのおっしゃった「逃げられない」という表現は、  自然発生的な恋愛の様相とか感触をいみじくも言い表していたと思います。  恋人にしろ仕事にしろ、必ずしも得られるとは限らない場合、先行きが不  安になるのは人情だと私も思いますが、だからと言って諦めれば尚更、可能  性が低くなってしまう訳で、でも願望に固着するのもまた、必然的に願望が  叶えられないという不安も内在させてしまう訳で、ジレンマに陥ってしまい  ますよね。   ではどうしたらいいのか?と言うと、願望に執着する暇が無くなるぐらい、  自分の本当にやりたいことを最優先させるのが本当では無いかと思います。  恋愛を人生のおまけとは思いませんが、他の事を差し置いてまで執着する程  のことでも無いんですよね。恋愛願望に陥ったら、もう周りのことが見えな  いというのは実は恥ずかしいことでは無いでしょうか(^^;。  自分の人生を悔いなく生きたいという気概を持っている人にとっては、恋  人とか配偶者というのは、自ずから現れてくるという様な感覚なのかもしれ  ませんね。現れなくてもそれでも良しというか。   相手に合わせて、自分の価値観や見解を抑えて迎合してしまうと、肝心な  人生の上での主体性が喪失されてしまいますね。相手にとって「都合のいい  人」を演じてしまうことの味気なさ(^^;。でも相手に嫌われたくなくてそれ  をやってしまうことも珍しく無いみたいですね、巷では(^^;。   だから自己抑圧を感じないで済む相手というのが、実はもっともベストな  のかもしれませんね。情熱は感じなくとも、程良い開放感を共有し得るとい  う間柄というか。もっとも緊張感も無さ過ぎて、関係性が弛緩し切ってしま  うのも問題があるでしょうが(^^;。  >> ところで、TAOさんのその人って、もう一度会えると良いですね。(^^) >> うーむ、どんな人だろうか(^^;)   うーむ、大人しい人でしたが、嘘は付かないという感じの誠実な印象があ  りました。魅力的だけど平気で嘘を付いたり、自己正当化に抜け目が無いと  いう人にも振り回された体験もありますから(^"^;)。やはり最後は人柄なの  でしょうね。  TAO 07091/07091 MHD02672 TAO RE:夫婦が共有するもの ( 7) 96/03/18 00:41 07080へのコメント  #7080 アマデウスさん   今晩は(^^)。   夫婦だからこそ、人生を共有することを後悔しないだけの深い関わり合い  を新たに築くことが求められる時期に差し掛かって来ているのかもしれませ  んね。これは肉親の間でも、お互いの間の関わり合いを疎かにしてしまって  いると、必ずいつか綻びや破綻が現れてくるということと根が同じなのだと  思います。   夫婦にしろ親子にしろ、「生活の基盤を共有する分、他の人間関係よりも  深い絆を持たねばやって行けない面が」あるのは確かですね。親子の場合は  血縁がその上に重なって、血縁を根拠にした相互依存(甘え)が安易に成り  立ってしまう可能性が常にありますが、夫婦の場合は逆に、血縁に拠らない  結び付きであるだけ、簡単に関係が瓦解してしまう可能性を内在しているの  では無いかと考えています。まあ、夫婦の中で「夫−妻」「父−母」という  役割を固定化し、そこに安住してしまってお互いに個々の人間としての成長  や切磋琢磨を抜かしてしまうというのも珍しくない様ですが。   一人暮らしというのは気楽なものですが(^^;、同棲や結婚生活を通して相  手との齟齬や切磋琢磨を経ながら、一人だけでは到達出来ない境地に辿り着  くというのも、人生を共有することの醍醐味なのかもしれませんね。自分は  残念ながらそういう相手との縁はまだ現れていない様ですが(^^;。   「第3の基盤」とは、アマデウスさんもおっしゃるようにどちらか一方だ  けで無く、双方に成果が現れてこそ成り立つものなのでしょうね。一方のエ  ゴを満たすものだけでは絶対無いのは確かな様です。一方が一方を説得する  のでも無く、また譲歩するのでもさせるのでも無く、お互いの本意を力づく  で抑え込むのでも無く。ううむ、お互いが納得するまでには試行錯誤が何度  も繰り返されるのでしょうね(^^;。夫婦関係というのは、親子関係のように  力関係が固定されていず、取りあえず対等な立場であるだけに、「正反合」  や「二律背反の超越」というテーマを展開させ易いのでは無いかと思います。   ではこんなところで。  TAO - FARION MES(13):神秘学遊戯団 ★ 限りなき神秘への航海 96/03/18 - 04376/04376 GGA02514 KAZE 風の本棚●司馬遼太郎・この国のかたち五 (13) 96/03/17 15:20 ■司馬遼太郎「この国のかたち五」(文芸春秋) 「この国のかたち」のシリーズは、楽しみに読んでたので、 この五巻目でたぶん終わりになるかと思うと少し寂しい気がします。 今回のテーマは、「神道」「朱子学」といった 日本人の精神史を考えるうえでは非常に興味深いもので、 今回もあっと言う間に読み終えてしまいました。 最後に、「人間の魅力」というテーマで語られたものの記録も 収録されていて、その中で語られている坂本龍馬、吉田松陰、 大村益次郎、高田屋嘉兵衛などの話に、あらためて、 まさに「人間」が歴史のなかで生きている面白さを感じることもできました。 司馬遼太郎さんの歴史観に、神秘学的な視点を取り入れれば、 ものすごく面白いと思うのですが、無い物ねだりだともいえます。 もしそういう視点が入っていれば、これほどの受け入れられ方は まず望めないものだというのもおそらくは正しいという気がしますから。 しかし、歴史は、単に民族の継承のような直線的な見方では、 ほとんどそのかたちだけしか見えてこないように思います。 人の転生というのは、ある役割をもってさまざまなところで行なわれ、 それによって、ある国の、ある地域の歴史が形成されていきます。 日本の歴史も、その時代によって、そこで活躍する人間は さまざまな色彩をもっているわけですし、 今も、そしてこれからもある時代を形成するべき人たちが ある霊的関連のもとにこの日本に生まれ変わってきます。 そういう視点をもって見ていけば、民族主義的な偏狭さから 自由でいることもできますし、 また、そこで育まれてきたものの意味を深くとらえることも できるように思います。 これからの私たちの課題というのは、単なる人類学的な歴史観を越えて、 そうした霊学的な観点を身につけていくことではないかといえないでしょうか。 そういう視点において、司馬遼太郎の残した歴史観を、 「再構築」していく作業の重要性がでてくるんだと思うのです。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ - FARION MES(14):預言解読村  ★ 預言・予言は何を語るか 96/03/18 - 03817/03822 HQK00566 SOUND RE^3:炎で書いた物語」第六章(その3補遺) (14) 96/03/17 16:08 03814へのコメント 「炎で書いた物語」第六章  「意正神」(IMAGIN)(その3補遺)     前回の書き込みがあまりにも長大になって、ニフティの制限行数を超えたため、  ブチンと切られて尻切れトンボに終わったのでここに補足しておく。      +----------------------------------------------+ >>    |                        | >>   |        \成 的 矢/        | >>   |   (円)   \   /   (円)   | >>  |          \ /          | >>    |  (雲の絵)  音 × 弦  (雲の絵)  | >>   |          / \          | >>   |         / 須 \         | >>    |        /波   礼\        | >>  |                        | >>   |  弓 (| 退       悪 |) 玉  | >>   |  神 (| 久   大   魔 |) 置  | >>    |  楽 (|    胎 金    |) 宮  | >>   |    (|     日     |)    | >>   |                       | >>  +----------------------------------------------+     上図の読み方は逆時計回りで、向かって右側の円が日で   向かって左側の円が月ということから明ける。という字が完成する。   そのまま、左回転で読み進むと、弓神楽がある。   これは訓読みでは「ゆみかぐら」であるが、   ARIONもよく使う「夢」の意味を含ませているのだ。   「夢神楽」すなわち、この世の夢舞台で繰り広げられる地に下りた神々の舞い。   二本の矢、Xの交点スを中心にして、向かって左側にこの世が描かれている。   弓神楽を音読みすれば、キュウシンガクで九の数霊の支配がわかる。   しかし、その隣の退久(タイキュウ)でその九が退くと書かれている。      そのまま、読み進めば、隔り世に入って魔悪、悪魔の逆さ読みになる。   これは、「失われたアークを求めて」の章を読まれた方はご存じだろう。   (マアク)の発音は神(カム)の逆さ読みそのものなのだ。   やはり、ここ玉置神社にアークが埋まっていた。     音霊的な逆転なので気づきにくい。うまく隠されている。 発音してみて始めて姿を現すのだから見過ごしてしまう。   早い話が神と悪魔は表裏一体の関係である。  二本の矢はまだ左回転している。そのまま進めば、  最後の文字、宮置玉にまでのぼってやってきた。  宮は以前に何度も触れたように逆さにすると闇である。  闇とは隔り世。闇の奥(置く)に玉は置かれている。             大              胎 金              日           上の回転曼陀羅の意味するところは   大、すなわち、人が回転し胎蔵界、金剛界を巡ることを示している。   日が第三の道。ヨ(世、夜、代、四)が明けて新たなヒ(日、田)が始まる。         大が地(テラ)から矢となって的に突き刺されば「天」(アマ)という字が生ま れる。   言い換えれば人が一の数霊を持ったとき天となる。   天地人(アマテラス)が完成する。         >>95/05/26 一片の曇りもない意識、亀裂を超えて矢のように‥       ひとの意識に一片の曇りもなくなったときがその時。    二本=日本の矢が過去の亀裂を超えて組み合わされ    中心の主(ス)を得て回転する。       そのとき、大の字が手を繋ぎ地球を囲む。    それが、大和、大いなる環の意味らしい。    大和成る。それは単に日本一国にとどまらぬ    世界の、いや宇宙の夜明けのようだ。        ( 第六章終わり) ♪♪音(SOUND) ♪♪ 03822/03822 PAG03543 NOISE 蟇目の神事 (14) 96/03/18 03:00 03810へのコメント  アマデウスさん こん××は  この玉置神社の御札は「蟇目の神事」に関するもののようですね。 「蟇目」(ヒキメ)は弓矢の矢尻に、数個の穴目を開けた木製の鏑 (カブラ)を 付け、射るとその穴目に風が当たって鳴り響く神具で、「鏑矢」「鳴り鏑」 「鳴り矢」などと称します。「蟇目」の語源は「響き目」の転、 目は鏑矢の穴目。鏑は野菜の「かぶら」に形状が似ているため。  弓矢は武具であり、また、妖魔邪気は鳴弦の音、鏑矢の音を嫌う、として古 代から伏魔の守りの呪具でありました。  正月の縁起物の「破魔矢」の起源ですね。  『古事記』では須佐之男命の孫にあたる大山咋神(オオヤマクイノカミ)を、 「この神は近江国の比叡山に鎮座し、また葛野(カドノ)の松尾に鎮座して、鳴 鏑を用(モ)つ神なり」としています。  比叡山はもともとは日枝(ヒエ)山で大山咋神は日枝神社(日吉神社)の御祭神、 「葛野の松尾」は京都市右京区の松尾神社、この神社の御祭神は「鳴り鏑」を 御神体とする雷神。  「蟇目の神事」は各神社で流儀が異なりますが、基本的には2月4日、古く は陰暦正月4日に行われ、これも各神社で違いますが、須佐之男命、大山祗神 (オオヤマツミノカミ)、雷神、龍神、日神、月神、風神、などを祭り、弓の弦 を鳴らす鳴弦行事、的に鏑矢を射る蟇目行事と続きます。  鳴弦行事は巫女が神降ろしのとき、梓弓(アズサユミ)を打ち鳴らす音霊を連 想させますね。  さて、いみじくも維/YUIさんが「波・須・礼」を「はずれ」と解釈して いましたが、この「はずれ」のハズの語源を調べると「弭」(ハズ)からきてい るんですね。「弭」というのは弓の両端の弦をかけるところで、矢弭(ヤハズ) ともいいます。矢の弭は、弓の弦と当然合致するものだから、当然そうなるこ とを意味する「筈」で、たとえば「今日は6時に仕事が終わる「筈」だから」 などと使われるわけです。で、当然合致する筈の矢弭が合わない場合「筈が合 わぬ」、つまり、予想や見込みが「外れる」わけです。  それにしても御札に「ハズレ」は縁起が悪い。  しかし「弓の弦と当然合致」する「弭」(ハズ)に命令形の「レ」を合わ せた「弭礼」が本来の姿で、古代「ハズレ」とは「当たれ!!」の意味があった のかもしれない。なんてね。  もしくは「羽摺れ」、矢羽の弓にすれ当たる音、空気を切り裂く音。                大                  胎 金                 日  これは神仏混交の修験道のお札にありがちですね。  縦の軸が大日如来、横の軸が金胎。金胎(コンタイ)は大日如来の智徳の面の 「金剛界」と、理の面である胎蔵界。  やはりこの御札は戦前の読み方のように、右から左に読むようですから、上 から「矢・的・成る」ヤマトナル、「弦・音」ツルのネ、「須」ス、「礼・波」 レハ、となるようですね。最後がわけがわからん。霊波??。 真ん中の部分、縦に読んでいくと面白い。 「的−須」は「スの神」、矢の的は「まるにちょん」 「成−音−波」は「鳴る音の波動」 「矢−弦−礼」は「矢と弓の霊」??      弓矢立つ。ここも高天(たかま)の原なれば。     あつまりたまえ。四方(よも)の神々。     [鳴弦の神歌より]      天の下あらぶるものを。しづめんと。     神の御代より。ひきめいるなり。                           [蟇目の神歌より] - FARION MES(19):世も末ばなし ★ ぶっ飛び話・罰当たり話 96/03/18 - 872/872 GED01563 水戸黄門 RE:御老公の独り言(5) (19) 96/03/17 21:43 英語を使うビジネスで、しばしば、エクスキューズという言葉にでくわす。エク スキューズの意味は、言い訳とでも訳すのが良いのじゃろうが、ニュアンスはも う少し広いようじゃ。たとえば、コンピュータが動かなくなって、倉庫に出荷指 示ができなくなった。しかたがないので、徹夜で手書きの伝票で出荷指示を倉庫 に依頼した。一方で、システム回復の指示も関係部門に依頼した。しかし、やは り出荷手配が間に合わない。上司に怒られた。そのとき、上記の事情を話して、 善処していると話したとしよう。この上司への報告も「エクスキューズ」なのじ ゃ。 ワシは、アメリカ人と仕事をする機会が多いのじゃが、アメリカ人のエクスキュ ーズに、手を焼いてきた。彼らが無責任に見えたのじゃ。言い訳がましいとも思 っておった。甘ったれた連中じゃとも思った。他人や環境の責任にして、自分は 努力しているし、自分は悪くないと言い張るからじゃ。しかし、最近、日本人も エクスキューズが多いことに気がついたのじゃ。絶対にエクスキューズしないで 人生を生きることは、不可能に近い。そして、自分に本当に非がないと信じる場 合、エクスキューズしないと、責任や賠償を求められることも多い。解雇された り、降格もありうるじゃろう。 甘えるな、エクスキューズするなということは簡単じゃ。しかし、修羅場の中で も、エクスキューズせずに突き通すことができるじゃろうか。ワシには無理なこ とじゃ。自分で責任をとる。甘えないということは、実は、そんなに簡単なこと ではないのじゃ。 96/03/17(日) 21:02 水戸黄門(GED01563)