「そうやって皆さん口々に私を非難するのですね…」と凍える人 - FARION MES( 7):自分を観る  ★ ARIONを鏡にして 96/03/21 - 07102/07103 PAG03134 はな RE:受け入れられると言うこと ( 7) 96/03/20 19:30 07099へのコメント SUKE さん  こんにちは。この会議室にはご無沙汰です。  今日、本を読んでいて、いいヒントがあったのですが、時間がない 時間がないと思っている人がいて、よけいなテレビ番組を見ないよう にして、できるだけ時間を削っていった後に、最後に削った時間が、 「自己正当化に費やす時間」だったそうです。   *  *  SUKEさんが、ご自分の弱さをさらけ出したときに、それを受け入れ てくれるかどうかを考えられているようですが、自分の弱さをさらけ 出す時に、「こうだったら、より自分が受け入れられやすくなるので はないか?」を、自分にうそをつかない範囲で考えられておられるの だとしたら、それだけでも疲れてしまうでしょう。  今回のSUKEさんの話は、会社のことなので、自己正当化の場面も必 要だとは思います。でも、私生活でも同じように考えている時がある のではないか?と考えると、「自分に嘘をつかない範囲での自己正当 化に費やす時間」が至る所にあるならば、それが気力を弱めてしまう 一因ではないだろうかと思いました。  かく言う私も、「自己正当化」に費やす時間は多いほうです。(^^;                       はな - FARION MES( 8):恋愛錬金術  ★ 愛と性を本音で語る 96/03/21 - 01388/01389 KFQ02761 しまうま RE:しまうまさんへ分からないこと ( 8) 96/03/20 20:36 01387へのコメント コメント数:1 #01387 アイラさん  どうも初めまして(^^)。コメントありがとうございますm(__)m。 |アダムと、イブは元は一人しかいないわけだから、地球上の人々はみんなアダ |ムや、イブの(同じ)魂が入った入れ物ということなのでしょうか?  えーと、僕が読んだ『カバラと薔薇十字団』という本によれば、アダムとい うのは穢れを知る以前の無垢な「天上の魂」の象徴であり、イブというのは天 上から堕ちて人間という“殻”をかぶった「地上の魂」の象徴である、という ことでした。ですから、すべての男性が「アダム」の魂をもち、すべての女性 が「イブ」の魂をもつ、という意味ではありません。男性は、魂の中の女性的 な部分を抑圧した存在であり、女性は、魂の中の男性的な部分を抑圧した存在 である、という感じです(詳しくは#01357と#01363をご覧ください)。  ただ、すべての人間の魂の大元は「アダム(天上の魂)」であり、またすべ ての人間は「イブ(地上に堕ちた魂)」である、という意味では、「地球上の 人々はみんな同じ魂が入った入れ物である」と言っても間違いではないと思い ます。 |もしそうだとしたら、男と女でさえあれば誰でもいい(元の一つの魂の状態を |疑似的に再現できる)というような気がしますが、そこのところはどのような |解釈をすればよいのでしょうか。  うーんと、「元の一つの魂の状態を再現する」というと、まるで今は「魂を 引き裂かれた状態」であるかのように思えてしまいますが、カバラの智恵によ れば、今生きている人間一人一人がすでに「完全な魂」であり、不完全に見え るのは単にその一部分を抑圧しているからである、ということになります。で、 僕もこの考え方を熱烈に(^^;支持しています。  ではなぜ男女が惹き合うのでしょうか。それは「自分が抑圧している部分を 開放している魂」を身近に感じることによって、抑圧している部分を刺激し、 活性化するためではないか、と思います。抑圧している部分を甦らせることに よって、人間は「完全な魂」の状態に近づくことができるんだと思うのです。  で、「男と女でさえあれば誰でもいい」かどうかという問題ですが、僕は 「誰でもいい」わけではないと思います。また「誰か特定の相手でなければな らない」わけでもないと思います。  例えでお話ししてみましょう。「完全な魂」を、仮に「完全な球体」だとし ます。で、僕たち人間の魂は、どこか歪んだ「いびつな球体」です。「いびつ な球体」は、「完全な球体」より劣った存在かといえば、そうとも限りません。 「完全な球体」は、その状態ですでに完成しており、それ以上の進化はまず望 めませんが、「いびつな球体」は、歪んでいるからこそ、そこからさまざまな 変化が生まれ得ます。退化や堕落の可能性と同時に、進化と向上の可能性を秘 めているわけです。  で、「男」と「女」というのは、お互いに「出っ張っているところ」と「欠 けているところ」の傾向が、ほぼ正反対です。ですから、男同士や女同士では 刺激されない球体の一部分が、男は女と、女は男と接することによって、刺激 され、うまくいけば活性化されることになります。それぞれの人の歪み方や欠 け方、出っ張り方は、千差万別でしょうから、「自分」という球体にとって刺 激の強い異性もいれば、刺激の弱い異性もいるでしょう。また、心地よい刺激 をもたらす異性も、不愉快な刺激を与える異性もいることでしょう(どちらが いいとか悪いとかいうことではありません)。ですから、自分の不活発な部分 を活性化するのにできるだけ適した刺激をもたらしてくれる相手を選ぶのがい いんじゃないかなーと思います。  ただ、「活性化に適した刺激」が、必ずしも「心地よい刺激」であるとは限 りません。変化を好まない人や、不活発な部分に触れられるのがイヤだと思っ ている人にとっては、「活性化に適した刺激」を「不愉快な刺激」だと見なす かもしれません。逆に「活性化に適さない刺激」を「馴染みのある刺激」「居 心地のいい刺激」と感じてしまう可能性もあります。そのあたりは、自分の心 によくよく問いただす必要があると思います。  うーん、うまく説明できたかどうかわかりませんが、僕はこんな風に思って います。 |恋する仕組みとか、科学的に解明される事ってあるのでしょうかね。DNAの仕組 |みを解き明かしても、これだけは秘密のままであってほしい気がする今日この |ごろ。  これはおそらく心配ご無用でしょう(^^;。科学がどこまで進歩しても、恋す る仕組みは解き明かされないと思います。何しろ神様が仕組まれた謎ですから、 人間が人間である限り、解き明かすことはできないでしょうね。  ただ、よりよい恋愛関係を築くための智恵を積み上げていくことは、努力の 方向さえ間違わなければ、可能であると思います。ではでは(^^)。    しまうま(KFQ02761) - FARION MES( 9):日本魔界巡航 ★ 神と人の関りを探る 96/03/21 - 821/824 PAG03134 はな RE:「八」の日本 ( 9) 96/03/20 14:13 818へのコメント コメント数:1 TAO さん  聖徳太子の番組が放送されるのですか。それも2時間! 「知ってるつもり」 もきばった内容にしてますね。あの番組は、以前実家にいたときはよく見ていま した。吉田松陰に興味があって、彼の特集を組んだときにはじめて見始めた番組 でした。  先日も奈良斑鳩の里の番組をNHK教育テレビで放送していたのを少しみまし た。三者択一のクイズ形式で、出題者と回答者が奈良の遺跡をめぐっている内容 でした。  日曜日の晩かぁ。実家からの帰省中だから見ることは難しそう。  寮にテレビもおいてないし。(^^;                       はな 823/824 MHD02672 TAO RE:「八」の日本 ( 9) 96/03/20 22:54 821へのコメント コメント数:1  #821 はなさん   もう放送は終わっていますよ〜(^^;。  TAO 824/824 PAG03134 はな RE^2:「八」の日本 ( 9) 96/03/21 06:37 823へのコメント TAO さん >>  もう放送は終わっていますよ〜(^^;。  どぁぁぁ〜〜!!                       はな 822/824 MHD02672 TAO 阿毎多利思比孤 ( 9) 96/03/20 22:54 820へのコメント  #820 スウさん   どうも(^^)。聖徳太子特集の番組、私もビデオ録画はしておいたんですが、  時間が無くて早送りでざっとしか見ていません(^^;。   特に新しい発見があるという様な内容ではありませんでしたが、聖徳太子  についての予備知識が無い人にとっては、まあまあのガイド役を果たせたの  では。   「アマタリヒコ」ですが…。   例の「日出づる処の天子、書を日の没する処の天子に致す。恙なきや云々」  という有名な一文が出てくる古代中国の史書『隋書』では、当時は推古天皇  という女帝の時代だったのにもかかわらず、スウさんが触れられた「アマタ  リシヒコ(阿毎多利思比孤)」の名が日本の王の名前として登場して来ます  ね。隋の煬帝が日本へ使者として遣った裴世清のリポートでも、女性の王と  は明記されていませんし、『隋書』と『日本書紀』の日本の王に関する記述  の食い違いには意味深なものがありますね。   「アマタリヒコ」が果たして固有名詞だったか、それとも単なる敬称だっ  たかという議論も交わされている様ですが、この人物が聖徳太子と同一人物  なのかどうか、ここにも突っ込みが欲しかったところです。   ところで「阿毎(アマ)」というのは姓だそうですが、そうなるとAMA  族との考えられなくも無いか? どうも聖徳太子という伝説的な人物には、  古代史の謎が集結されているように思えます。  TAO - FARION MES(10):夢鏡/幻紀行 ★ 夢解釈/カスタネダ研 96/03/21 - 01191/01191 PAG03134 はな RE^4:変な夢 (10) 96/03/20 14:13 01186へのコメント スウ さん  コメントどうもです。痛みの記憶を素材としてその知覚が夢で再構成されたと のことですね。痛みの記憶といえるほどの素材を持っていたかは疑問であり、よ くわかりません。 >> もしかすると、チャネラーになりたい自分?がある一方で(それは自尊心を >>満たしたい願望ではないかと)自身を咎めるような想いがあって頭が痛くなる >>夢を見たのか、それとも神霊界からの警告?だったのでしょうか。  (スウ)  あはは、そうかもしれないです。(^^; でも、今のところ、一預言解読者に徹 することが課題です。自分で預言して自分で解読したら、なにがなんだか?本末 転倒ではないかと思ってしまいます。  チャネラーかぁ、なりたいと思ったこともあるよなぁ。みれさんが頭痛に悩ま されたり、とてつもなく大変だという話を聞く前までは。(^^;  いつもコメントありがとうございます。                       はな - FARION MES(11):狼を生きる  ★ 平井和正の著作から 96/03/21 - 02059/02063 JBH00712 桂 桂 天狗の話 (11) 96/03/20 21:33 コメント数:1  少女依が修行を積んでいる最中、おかしな天狗が出て来る。  小太郎坊とかいう天狗で、何やら古めかしい言葉を使うのが何やら時代がかっ ていて妙に滑稽(*^^*)  でも天狗って実際にいるのかな? 伝説じゃ赤ら顔で高い鼻、修験者の井手 達で一本歯の下駄を履いている。何やらものの本で読んだけど、履物の中で一 番合理的なのは一本歯の下駄なんだそうだ。履き慣れるのに時間が掛かりそう だけど、どうも健康にも良さそうだし、一度そんなものを履いて歩いてみたい(^^)  そういえば以前SHIBAさんが行かれた秋葉山というのは天狗を奉っていたっけ。  (お〜いSHIBAさん、元気にしてますかぁ)  しかしこの小太郎坊、このシーン以外は僅かにしか出て来ない。  う〜ん、美味しそうなキャラクターなんだけど残念だなぁ。  依との掛け合い漫才を期待していたのに(^^ゞ 桂 桂(JBH00712) 02061/02063 JBH00712 桂 桂 傷口 (11) 96/03/20 22:19  「<忍坊っちゃん>は大怪我をしているのと同じなんです。傷口が大きく開いて   血がどんどん流れ出ています。でも本人はそれに気がついていないんです。こ   のままでは出血多量で死んでしまいます。衰弱し切っているので、力が出ない   んです。本当の力を出す為には、傷口を塞がないといけないんです。でも本人   はそんなこと知りません。なぜ自分には力が出せないんだろうと不思議に思っ   ているだけです。血が胸の傷口からビュービュー噴き出しているのに、自分で   は全然わからないんですよ・・・・」(言霊の教え より)  うーん忍の傷口って一体何によって付けられたのだろう。只の切り傷って言う訳 でもあるまいなぁ。  もとより数奇な人生を辿る運命にある少年であるから、脛に傷の一つや二つとは 言わないまでもあるだろう。山のようにあってゴルゴ13みたかったりして(*^^*)  いわずもがな、この巻に入って既に忍ぶはアンチ願望達成能力によって万事が逆 さの方に動き出して苦しんでいる。スーパー中学生がフツー以下の少年になってし まったのだから人一倍苦しんでいる事だろう。  でもどうしてだろう、なぜ傷を開かせることになってしまったのか、そこまでは 書いていないようだ。  もしかすると四騎忍は、その優れた能力とは裏腹に大人顔負けの奥悩を秘めてい て今までは虚勢を張っていただけだったかもしれない。 桂 桂(JBH00712) - FARION MES(14):預言解読村  ★ 預言・予言は何を語るか 96/03/21 - 03843/03843 GBG02043 維/YUI RE^3:8を横にすると。 (14) 96/03/21 10:23 03838へのコメント 『本番、あなたがたの言動の全てが「そのまま」映される。』 砂時計から、ふと思いめぐらしたことです。 砂時計の砂は、下の器に落ちていくでしょ。 ”「そのまま」映される”というのが、”「そのまま」移される”に なっているんだなぁと(また、わけのわかんないことを)思ったわけ。 そして、落ちきるとひっくり返して、反対の立場になって同じことをする。 この構造って、1カ所で繰り広げられるけれど、はなさんが書いた螺旋の図 と同じじゃぁないの…。 穴を通れる規格になってないと、はじかれちゃうのね。。。 んでもってさ、砂時計って、観ようによっては、三角が下向きと上向きで くっついているようにみれるじゃない。 いままで、螺旋はとめどなく繰り返し裏になり表になりして、世の中は 動いてきたけれど…。 それが本来の在り方なのかな? もし、その繰り返しを止めるってことをするなら、三角を重ねて外を 輪っかで止めて、真ん中に心棒をさして止めるのはどうかと思ってさ。 …などと考えていたら、どっかで似たようなこと考えてたのを思い出した んですよ。それが: 下向きの三角と、上向きの三角を統合するのが、カイで、シグマを 従えているというのって、ヘキサグラムのまわりに円、真ん中に点という図に でもなるのかなぁ〜。 ってぇの。 繰り返し=輪廻の輪としたら、そこから脱けようってのは有りかもしれないな。 う〜〜〜、話が破綻している気がする。 維/YUI  03842/03843 GBG02043 維/YUI RE^2:8を横にすると。 (14) 96/03/21 10:22 03837へのコメント DNAと、光の黙示録の中に出てくる、螺旋の図(先が窄んでいって、また 開いて行く奴)なども、連想されますねぇ、やっぱり。。 キャンディーは、最近のってねじってあるやつ、少ないんですよ。 タロットの方は、どっちともがうちにはあります。 力のほうを8にしてある日本製のかなりアバウトなものは、頭に天使の輪 状態に、∞をかぶった男がこん棒を片手に、ライオンを手なずけています。 正義のほうを8にしてあるイギリス製のものは、∞というよりかは、TAOの マークといったのを背景に背負っている、両刃の斧を手にした男の図です。 まぁね、時代で絵柄はどんどん変化するから、参考にはならないのかも。 維/YUI 03841/03843 KFQ02761 しまうま RE^2:もんじゅのこと (14) 96/03/20 21:57 03617へのコメント #03617 コットンマウスさん  こんにちは(^^)。記録的なまでの(^^;亀レスで申し訳ありませんm(__)m。 | 全くの私見ですが、亡くなられた方は、事件解明を求める上層部とそれに抵抗 |する現場レベルとの板挟みにあって心身ともに疲れはて、「自殺」に解決を求め |たと理解しています。本当に痛ましい事ですし、心からご冥福をお祈りしたいと |思います。  そうですね。もんじゅの事件の内容を深く知りすぎた担当者が、自殺を装っ て殺される、というような推測は、小説やマンがの読み過ぎかもしれませんね (我ながら不謹慎(^^;)。  ただ、一人の事件担当者が自殺するのを許してしまう組織、というのは、な んかちょっと歪んでいるなーと思ってしまいます。もちろん、周りの人は周り の人で忙しかったり悩んでいたりしたのでしょうが、どうも納得いかないなあ という感じです。担当者が自ら命を絶たざるを得ないほど追いつめられたのに、 なんで上層部はただの更迭ですんでしまうんじゃ!!と思ってしまいます。  ほとんど事件のアウトラインしか知らないのですが(^^;、しかし一応被爆者 二世の肩書き(?)を持つ僕としては「やっぱし原発は大嫌いじゃ! この世 から消えてなくなれ〜!」という思いを新たにした事件ではありました。  また何か情報がありましたら、お暇なときにでも教えてくださいね(^^)。  ではでは(^^)/"。 しまうま(KFQ02761) - FARION MES(15):マホロバ誕生 ★ 大和魂復活のために 96/03/21 - 00596/00598 NAG02033 EX RE^12:「悪」を見る (15) 96/03/21 02:57 00593へのコメント 火風水混合 さん、こんにちは。 > ますよね? でもしかして人間の肉体って様々な生物の集合体では > ないのだろうか? という考えにいたったわけです。こう考えると > 食べるという行為は、いわば人間の肉体という生物の集合体に新た > な生物が加わり、新たなる集合体になるということなのではないで > しょうか・・・食べる方も食べられる方も、食べるという行為によ > って新たな生物になるということはどちらにもメリットがあると > 思います。 確かに、自分と思っている個は実は膨大な数のいのちの集合体なのです ね、従って、ものを食べるのは、体内の微生物にえさを与えていること になり、微生物がそれを食べることで食べ物は分解され別の形で生かさ れていくのだとおもいます。 勿論表面的には「自分の」からだがそれで養われて行くのですが・・・ ミクロに見た場合は、個体が生まれて死ぬというより、沢山のいのちの 表れしかないのだとも言えるかもしれません。ミクロ−>ミロクとか。 このように個人を貫くいのちの根源を求めることで、より普遍的なもの に気付くことがあるのでしょうし、一方個人的なものに限定されない源 泉につながることへの可能性は、同時に個人からの「離脱」ということ も孕んでいるようという視点では、より深く自己を見つめることの重要 性が喚起されざるをえないような気がします。 96/03/21(木) 01:17 EX(NAG02033) 00597/00598 KHC01313 まるにちょん RE:RE^10:「悪」を見る (15) 96/03/21 05:30 00589へのコメント  #589 和 さん、まいどどうも(^_^) >>自分の技を命をかけて競う。この場合は、死んでもこいつに殺されるのなら満 >>足、という様な感覚があった様な気がします。 自分の己惚れや、技量の無さ、 >>また相手にの技に対する尊敬などを再度認識したりして、まるにちょんさんがお >>っしゃる通り、相手が悪と言う感覚は途中から無くなってしまうと思いますね。   しのぎを削って、死力を尽くすことにあこがれてしましますね、僕は。   命賭けて技を尽くすことなんて、光っていると思います。   例えば、18番で話題になっていた武蔵ですが、佐々木小次郎との決闘は、現  代人からみれば、なんの得になるんだとバカにするでしょうけど、僕はあの死闘  に憧憬の念を抱くんです。   何でも一生懸命やるってこと大切だと思うんですね。   青臭いかもしれませんが、つくづく最近そう思います、僕は32才ですけどね。   僕は、なんでも一生懸命することを怠ってきたような気がしています。   一生懸命することの面倒さと、まだ起こってもしない先のことをあれこれ心配  して、腰を引いていたように思います。それと自己抑制もありますね(^^; >> >> 一瞬にして、ズバッと殺られちゃったら、やっぱり「無念じゃ」と思うでしょ >> うけど。   先に言いましたが、一生懸命だっらた「無念じゃ」はないかもね。   「自分は満足だ」で終わるかもしれません、これは願望ね(^^; >> 考えてみると武道、武術だけでなく、今あるゲームやギャンブルも、真剣にやれ >> ば、得る事は沢山あり、存在価値もそれなりに有ると思いますね。 殺しあう必 >> 要もないし。   そうですね。真剣さ、懸命さ、気概、こういったものを持っていないと、得る  ものはあまりないかもしれませんね。   まあ、これも悲壮にならないようにしたいものです。   中途半端や分かったつもりが一番問題なんだと、自分を振り返ってみてつくづ  く思いますねぇ(^_^) >> 人は他の動物を食べて吸収する。というイメージが湧きました。 動物を殺して >> 食べる事を悪と見るか、善と見るか。 難しい....。  ほんと難しい。  でも、ひょっとすると生きていくことに罪など無いのかも知れない。  生きることに善悪は無いのかも知れないですね。  生き物を食べて生きる、殺生そのものは「悪」だとされていますが、  動物に悪や罪の意識はないと思うのですね、人間だけにあるものだと思うので す。  殺生を「悪」だと思う心は何処から来るのでしょうか?  生きていくだけの必要最低限の殺生で、それで自己の命を燃やしていれば罪悪 感なんて湧いてこないのかもしれないと思うのです。  霊的な解釈無くして、この罪悪感は解消しないかも知れません。  命は大切だと思う心はいいのですが、この世だけの肉体的命しかないと思うか ら、「かわいそうだ」とか「殺生がイケナイ」と無闇に思うのかも知れませんね。  動物愛護団体の極端な保護運動をみていると、彼らは命を物質的なものとしか 捉えていないんだなぁなんて思ってしまいます。人間の勝手で、動物を虐待する こととは別にね。 >> >> 食卓に並ぶ動物達は我々に吸収されて、彼らは食べられて、役立つ事をどこかの >> レベル(次元)で合意、満足しているのだろうか??とか....。 >> もし合意、満足するレベルがあるとすればそのおレベルとは??とか....。 >> 考えてみたんですけど、やっぱり何事も善悪で判断するのはできないですね....。   そうなんですよ。善だ悪だと割り切れるモノでもないのだと思います。   どうせなら、善も悪も全部込み込みという感覚ですね。 >> ところで、実生活の話・・・。 >> 私の場合、会社で口論をするのは良くない(すなわち「悪」)と指摘を受けたり >> する事が、しばしばあるんですけどネ 、おまえは武道の稽古見て、「あ、取っ組 >> み合いの喧嘩してる。」って言うのかぁ。 せっかくの稽古を!!という感覚。 あはは、仕事や人間関係で納得のいかないものは、例え口論になったとしても 後にわだかまりを残す方が、爆発したとき取り返しのつかないことになるんだと 思います。  僕は、頭ではこれがわかったつもりでしたが、実際のところ「いい人」でいた い自分があるんですね。  気になることがあっても、口論して後で面倒な事になるのだろうなぁって勝手 に想像して、嫌になって、喉まで出かけた言葉を飲み込んでしまいます。 結局自分がかわいい訳ですが、考えてみれば、これほど相手をなめていることも 無いかもしれないですね。  真剣さや気概のかけらもないんですから(__; では、また。          気概をもっていたい  まるにちょん、○ゝ 00598/00598 KHC01313 まるにちょん RE:善悪は人だけの観念か (15) 96/03/21 05:30 00591へのコメント  #591 火風水混合 さん、まいどどうも(^_^) >>  (^^;) いや、私もそう思うのですが、これも個人個人ですごく違うと思うの >>  です。 例えば、空き缶を道の植え込みに捨てたりすることなどは私は >>  良心が痛むのですが(だから一応空き缶はごみ箱に入れるが・・・) >>  平気な人もいるわけですよね。 これを考えると強盗や人殺しにも >>  良心が痛まない人がいるような気がするのです(すごく極論(^^;)) >>  「そういう人がいる限りなぁ・・・・」とちょっと悲観的になったり >>  します・・・・ ううむ、良心の痛まない人を良く見かけますよね。 例えば、ゴミを平気でポイ捨てしちゃう人って…(__メですよね。 良心が麻痺してしまっている人って沢山いると思うんですよ。 僕自身も麻痺しているかもしれない…(^^; 自分をこれでいいやなんて自分に嘘ついてごまかしていると、良心の働きは鈍 りますね。 >>  じゃあ、どうすれば? って言われたら、即効性は全くないのですが、 >>  「教育」しかないと思います。といっても学問を教えるというのではなく >>  マナーを教えることですが、それとともに回りの親や人間が模範を >>  示していくことが必要になると思います。 >>  ただ、残念ながらというか、今はそういった「場」がどこにも無いような >>  気がします(本来は家庭や地域社会にあるべきなのでしょうが・・・)   教育ですか、そうですねぇ、まずは躾が大事ですね、小さい頃からの。   しっかし、躾もろくにできない親ばかりだと…困ったものですね。   「良心」の部分については、たぶん教育できないと思っています。   あえて言うなら自分自身で教育するしかないと思います。   「良心」について思うところを書きますね。   「良心」を単なる脳の中で発生するものと物質的に考えていると、何が良心な  のか分からないと思うのです。   僕は、「良心」は霊的部分からくるものだと思います。   この「良心」の声を聞く為には、何よりも自分に正直であることだと思います。   (自分の欲望に正直と言う意味ではないので注意)   謙虚で、ごまかしをしないことが「良心」の声を聞くことができる近道だと思  います。また、なんだか腑に落ち無いぞって思うことを、放っておかないことも  大切ですね。   言うは易し、行うは難しで、僕は自分の心をごまかし続けていることを最近に  なって観てしまって愕然としていますが(^^;  参考にARIONの言う霊的人間としての条件を挙げておきますね。   <霊的人間としての五大必須条件>   @ 純粋 A 無邪気    B 素直(正直)    C 謙遜    D 全知全能なる存在への畏敬の念      (Dは、宗教、宗派に関係なく、自分をいかしめている大宇宙への尊敬       と畏怖という意味)                        (光の黙示録 大陸書房 絶版)    >>  私も多いです、そういうこと(^^;) でも気付いただけでも良いですよ。 >>  その後悔が未来への糧になればそれでいいですよね(^^) とことんくよくよすると良いのかもしれません。 半端に反省なんかするから何も得るモノがなくなってしまうのかもしれないな ぁって思いますね。 >>  この問題については、まだまだ自分でも考えていきたい問題なので >>  しばらくは悩み続けることにします(^^) 悩めるときに悩んでおくことをお勧めします(^^; 後でいいやなんて思っていると、失うモノも多いと思います。 あ、これって自分のこと言っているのね。(^^; では、また                     まるにちょん、○ゝ - FARION MES(16):心霊学研究所 ★ シルバーバーチと共に 96/03/21 - 414/414 GBB03425 Paper Birch ペースダウン中です (16) 96/03/21 00:56 ども、Paper Birchです。  最近イロイロと「ケツに火がついた」状態になってまして、パソ通をサボり 気味です。この会議室をメインにご参加いただいている皆さんには申し訳ない と思っていますが、4月10日にはすべて片づきますので、それまでの間、ペ ースダウンすることをお許し頂きたいと思います。 (ホント、ヤバイのよ(^^;;;;)  グランブルーさんへのレスも、少しづつ書いていますので、気長に待ってい て下さいね。  「不在」では無くて「ペースダウン」ですので、そこんとこヨロシク。 では、では。(^^) △▼△ FARION mes(16) 心霊学研究所 / Paper Birch △▼△ - FARION MES(18):武道とは?  ★ 自分に勝つ! 96/03/21 - 02955/02957 BYK00511 導 RE:合気道草歌 (18) 96/03/20 22:16 02948へのコメント  はじめまして苗さん。合気道にも塩田剛三先生が水槽の金魚の動きを研究 されて、体捌きを学ばれたという話があります。 私はかつてこの会議室で樹木に触れると樹木の中を通る水の音が聞こえると 書いた事がありました。私は気というものを木に譬えて考えます。 気はTPOと考えます。時間、場所、必要という必然を気と考えます。 この世の中の全ては必然であり、偶然というものは人間の知の外側にあるだ けで、全ては因果という関係に依ってなりたっていると。 極端に言えば存在の実体は個別に実在するのではなく、関係そのものが存在 の実体であると思います。 即ち、全ての存在は関係という波であり、流れなのだと思うのです。 この波の早さ、大きさ、形、色がそれぞれの姿であり、故に一切の存在は無 常であるが、その波を作る水即ち海は存在の実在として普遍であると考えま す。 この海、この水即ち存在の根底にあるものを気とするなら、この海を感じる ことが自らの存在の実感を感じることであると思うのです。 木を眺めると大地と空とその狭間にいま存在することの形が枝の一本一本に 顕されている気がします。一つとして同じ形の木はなく、一本の木の枝さえ 同じ形の枝はなく、風が吹けば何千という葉が思い思いにそよぎます。 しかし、そこにあるのは人の心を震わす程の美しきシンフォニーです。 木は大地と空の形なのでしょう。目に見えぬ気がゆっくり人の目に見える様 形を顕したものが木であるように思うのです。 私は太極拳を詳しく知りません。しかし、空気を感じること、水を感じるこ とは、相手を倒す、相手の攻撃を察知する目的という小さな事ではなく、こ の宇宙の存在の全てを気という水に譬えて感じ取ることではないかと思いま す。これは自分というものを実感することに他ならないと私はおもいます。 私が目差している愛機導はまさに太極拳に通じるところがあるようです。 苗さん、私は貴方の文章を見、読み、感じたことは貴方のしなやかな感性で す。その素晴らしい感性を更に磨かれて行くことを望みます。 そして、また気付いた事がありましたら、どうかコメントください。 今後とも宜しくお願いいたします。 02956/02957 PXY15374 和 RE^12:型の意味 「円転の理」 (18) 96/03/21 10:18 02950へのコメント あもり さん、こんにちは。 >> 螺旋....←まだ拘っている(^_^; 直線が主、螺旋が従で正解(近道)だと思います。精神(意識)が主で、肉体 が従と同じ考え方で....。 あもりさんの「 螺旋とは、トナール、中心線とはナワール。」という独り言と を聞いた後、「未知への次元」193頁まで読み進んでふと、合氣道の開祖の逸話 を思い出しました。 門人に忍術をやってくれとせがまれた開祖が、道場の真ん中で10数名の人に同時 にかからせたが、ヒューと音と共に姿を消し、門人がうろうろして探すと、二階 につながる階段の途中に腰掛けていた。階段の近くにいた門人も開祖がそこを通 った事を気が付かなかった。 この話がホントならナワールでしょうかね?? またその後も門人が忍術をやってくれとせがんだら「あれをやると5年も10年も 寿命を縮める。おまえらはわしを殺す気か。」と怒った。という話。これってト ナールのせい?? 逸話に事欠かない開祖ですが、この話も結構有名みたいです。 逸話ついでに、 実際に開祖に稽古をつけてもらった大先輩から聞いた話を一つ。 出された手をつかみにいったそうですが、確かにつかんだと思ったら、まるで空 気に浮かんでる枯れ木をつかんだ感覚で....。気が付いたら自分は畳に寝てた。 「あの翁さんは、手我(手の自我?)無かった。」と言う先輩の話。 空中に映写された物をつかんだってどうしようも無い。つまり我(が)の無い人 (我を消した人?) に向かって行っても絶対に勝てない(吸い込まれちゃう) 事を何度も実感させられたという話。 ついでにもう一つ。 開祖の周りにぐるっと丸く10人位人を並ばせて、ドン、と開祖が畳の上に足踏み をすると全員どっと倒れた。 この話もその先輩の経験談。 (理由不明) ))))) 和 ((((( 02957/02957 PXY15374 和 RE^12:型の意味 「円転の理」 (18) 96/03/21 10:19 02954へのコメント  ##02949 / ##02954 導 さん 導 さん、はじめまして。二つの発言にまとめてRESさせて下さい。 導 さんは、日頃、武道の理合いについて深く理論を研究され、また活発な発言に、 只々、感心しております。 >> 私の技は非常に直線的です。合気道の流れからすると異端かもしれません。しか >> し、実は人に見えない程小さく又大きな円を内在していおります。相手に見られ >> る円は弱いのです。自らの円は小さく、相手の描く円は大きく。螺旋を外に向か >> って描くと投げになり、螺旋を内に向かって描くと抑えになります。いずれにし >> ても螺旋を描くのは相手。自身は高速で円転する独楽の如く、鋭い直線で天地を >> 貫く気構えで立ちます。 導さんの合氣道から見れば、私は、まるで子供の遊びで、その様な技や、意識で 稽古ができたら素晴らしいと思います。 >> 合気道は左右対称に稽古するのが常識になっておりますが、私は左右に全く別な >> 意味を以て認識し、身体に反映し技に昇華します。右を陽、左を陰、動に変じて >> は右を陰として左を陽とする。即ち左右の意識を交流変転する力を以て身体を運 >> 用し、超高速の回転を生じさせます。 ここまで来ると私の理解の限界を超えています。 話についていけなくて申し訳 ありません。 私のレベルは、コンピュータでいえば、その使い方を習っている 段階で、その中身の電子の回路や、動作原理についての詳しい説明を理解できる レベルには達していません....。すみません。 以前ある師範から、「難しい事はいいから、みぎ=水 ひだり=火 だと覚えて ればいいよ。」と言われた事がありますが、なぜ右が水で左が火なのか....?。 どちらも「み」がつくから右が水や、「ひ」がつくから左が火。これって、単な る語呂合わせ? それとも言霊の作用なでしょうか?? >> ある時、この事がふと分かり木刀を構え相手の木刀に触れたら、打ち込みもしな >> いのに、相手の木刀がまっぷたつになって飛んでしまいました。 開祖が、若松町の道場で、内弟子に木剣(木刀)で打たせた時、内弟子が突然振 った木剣が、はげた開祖の頭にボカッともろに当たっちゃったそうです。 一同 一瞬、蒼白になったそうですが、もっと驚いたのは、開祖は全然平気で、その木 剣はボッキリ折れてたそうです。「とにかく、すげえ翁さんだったよ。」と、 それを見てた人から前に聞いた事を思い出しました。 導さんの技も、きっと 物凄いんでしょうね。 >> 一つだけ説明にはなりませんが、尾てい骨と膝が力を産む重要な働きがありま >> す。尾てい骨と膝の位置がぴたっと定まると丹田が高速で円転します。左右陰様 >> が反転しても回転の方向は時計と逆回りで一定ですが、左右陰陽逆転は丁度ゼン >> マイを巻く様なものでしょうか。研究してみて下さい。 その様な実感を得てみたいのですが、残念ながら、その研究どころかイメージすら 湧きません。 稽古を重ねながら少しづつ体感していくしか道は無いのだろうな、 と思っています。 ##02954 導さんの発言は合氣道に対する真剣さ、自信が表われており、既に完成された域 に達したとの響きをもって感じます。 後輩に先人の技を伝える使命を感じていら っしゃるという事からも、ほんとにすごいなと感服しています。 是非、導さんの演武を拝見させて頂けたらと思います。 佐世保まではチョット遠 いし....。 ビデオとか見せてもらえれば、すごく幸せなんですが....(ワクワク)。 一方、私といえば、これからも「マイペースで楽める」という稽古方法で人生と 共に細く長く続く螺旋階段を無理をせず登っていきたいと思っております。 私は、実践は好きなのですが、難しい理論は苦手で、理論についてまともなお相 手が出来ず申し訳ありません。 もし、できましたら今後、武道を通じて得た事 や感じた事、実生活と武道の関わり方、活かし方、共通点なども、ご教示頂けた らと思っています。(出来るだけ初心者向けにお願いします。) 今後とも宜しくお願いします。 ))))) 和 ((((( - FARION MES(19):世も末ばなし ★ ぶっ飛び話・罰当たり話 96/03/21 - 880/880 NAG02033 EX RE:インターネット端末機 (19) 96/03/21 02:58 879へのコメント 猫の手 さん、こんにちは。 なるほどお。 スタンドアローンじゃなくて、つながっているのに何故気付かない、というのは おもしろいですね。 ネットワークPCですが、一企業の営利的な側面を極力排除した器が必要だという 議論にもつながってますね。 「聖なる予言」の無限のエネルギー源とつながる、という話も思い出します。 そして、「自分の器に相応のものにしかつながらない」関係では、そういえば、 キリスト教のお祈りなんかでも、自分に都合の良いことが実現しますように、と いうのではなく、 「御名が崇められますように。御国がきますように。御心が行われますように、 天におけるように地の上にも。」(マタイ6.9) と言われているのだなあと、想起されるのです。本来、これが御心だとか、特定 の御心を広めよではなくこう言われている所の意味は、「自分次第で器を広げよ」 とでもいうものなのかなと思ったものです。 96/03/21(木) 01:41 EX(NAG02033)