「ほらそうやってまた…欲しているとか言うし」と凍え人 - FARION MES( 3):Media Talk ◆ 本/映画/音楽を語る 96/03/29 - 01254/01255 PFA03563 YAHATA 太陽と水の恵み ( 3) 96/03/28 23:08 コメント数:1  ビールを飲んで「おー、ヒーリング」と妙なことを言う若者が登場するCM があるが、思わず画面に向かって「ビールで君の何が癒されるのだ?」と突っ 込んでしまう私であった。 YAHATA P.S.  「自由時間のビール」ってのがあるねぇ。  どっか、飲みながら仕事ができる「業務時間のビール」って作らない? - FARION MES( 5):**/////*/////*/////*/////*/////*/////** 96/03/29 - 00778/00785 PAF02400 湖の鷹 お願いだから、一歩前に ( 5) 96/03/28 20:29 00768へのコメント コメント数:1 前進してくれます?、 人はねー、他者の信頼こそが生きる糧であると私は思うのだな。 信頼というのはなー、相手をちゃんと見て、良いところも悪いところも把握し て、なおかつ、(たとえ自分が、あるいは相手が力不足だと思っていても)手を 貸してやろう、応えてあげよう、とかいうことから始まるわけなのだけれど・・・。 ARIONがどういう意図でもって、ここに来たかは MAKOTO さんは知っている はずだよね。そしてここを覗きに来ているすべての人が知っているべきことなわ けだけど。 > 他人がやろうがやるまいが、自分がやりたきゃやればいい。応えたいなら、 > 応えりゃいいんだよね。だって、他人がどうするかを気にしたって、なぁ〜ん > もはじまんないもん(^。^)(ま、それでも色々目についちゃうんだけどさ(^^;)) さてと、ここが肝心なところなんだけれども、私としては“他者の存在”という ものに気を使ってほしいわけね。結果的に、応えるために手を差し伸べる者がい なかったとしたら、自分の存在そのものが無意味になる。そうすると、なんのた めに自分がいるのかわからないじゃん。まずは、自分がたった一人だけでは生き ていくことが出来ないことを知るべきだね(私個人ですら、日々生きていくため に、様々な食い物の原料たちがそれなりに生まれ育って狩られて料理されて500 円の弁当として加工されコンビニにに運び込まれて、回りまわって500円(+TAX) というハシタガネであたしに買われて食われてしまって、糞になって、下水道に 流して・・・、下水道に流れた糞ってばどうなるんだろう?、いまだにわからん なぁ)。一握りの食料を手に入れることだけを考えてみても、その一握りの食料 がどれだけの犠牲の上で育つのかを知るべきだね。そして人はさらにそれを犠牲 にして・・・、 人は生きていくだけですらあらゆる物を犠牲にしているのだから・・・、人は犠 牲になっているあらゆる物に対して、その儀性が無駄では無いことを証明してい く義務がある、と、私は思うのだな。で、まぁ、目をあけたまま何も見ないでい られる人間の皮をかぶった××××があまりに多いので、悲しくなってしまった のさっ。 「他人がどうかなんて関係ない」、てのも、基本的に他人の存在を無視している ことに他ならないと思うわけだけども・・・、というわけで、お願いだから、他 の人はとりあえずどーでもいいから、ついでにARIONもどーでもいいから、 まずは私の存在そのもの、あなたの他に私もこの世界に生きて、日々の困難と周 囲の無理解にもめげずに頑張っていることを認めてちょうだいね(^_^)。んで、 それが出来たら、他人あっての自分がいるということを知ってもらって、自分が 幸せに暮らせるか不幸になるかは結局は周囲の他人しだいなんだってのに気づい てくれると嬉しいね。 96/03/27(水) 21:27 湖の鷹(PAF02400) - FARION MES( 6):ハロー・メッセージ ★ 今日のハロー・メッセージから 96/03/29 - 00869/00873 QZE14371 雲上仙人 RE>回顧シリーズってかぁ!? ( 6) 96/03/28 16:51 00857へのコメント >> 仙人さんの言う通り、FARION回顧シリーズっぽくなってきましたね・・・。  うんだねぇ…、で、このシリーズはただの回顧ではなくて軌跡を辿っている としたら、随分と長い間、それぞれがよく考えてはいても、考えて行動をして いたわけではないと言われているようだねぇ…。だって、もう4ヶ月を過ぎる のに誰からも柴を採ってきた事について話しをしていないもの。実際にとって 来たはずなんだから体験談なんかを話せるはずなんだもの…。深く考えている 事に満足しているだけみたいだねぇ。凍えさんとの話しあい、と言う傍流に流 されないでって言いたいけど…。凍えさんについて語る時ではないし、あるい は、凍えさんとの会話を楽しむ時でもないでしょうに。体験談を話している内 に凍えさんも気がついてくれるはずなんだから、先ずは自分たちで実際に体験 した事柄を話し合うべきなんじゃないかなぁ…。先ずは自ら実行する事から始 めると傍らで見ている凍えさんも気がつく事が出てくるんじゃないのかなぁ。 >> このHMを受け取って、一番「(^^;」しているのは、一番先に受け取る >> みれさんじゃないかと思うんですが(^^;  うん、そうは思うけど彼女はぶっとい神経持っているから大丈夫だよ。(^^ゞ 泣きぬいた人だけに、やっぱしその太さが違うもん<身体の事じゃないよ(^^ゞ せめて彼女の半分の太さが在れば本番の年も気持ちよく受け入れる事が出来る のにねぇ。…って、誰も本番だと思ってなかったりして・・・(^^ゞ >> 凍えていることって、カッコ悪いことじゃないと思う。 >> これから暖まることが出来れば、最初っからヌクヌクしてた人に比べて >> 経験が増えることになるんだもの。もうけもんだと思うけどなぁ。  受け取り方がするどい。何からでも学ぶ事が出来るって事だよね。                                雲上仙人 00872/00873 SDI00635 みれ RE^2:ウランちゃんに寄せて(笑) ( 6) 96/03/28 22:56 00853へのコメント RE:#00853 二木 聡さん  超亀RESですが(^O^;)  お久しぶりですねぇ…。 | ◎ 心に引掛かるHMがあったら、なぜ引掛かったのか。 |   その時の感じ方を忘れない様にして、何か判ったら即、行動しなさい。 | | と、いう事ですか?  そういう意味もあるんですが、最近の一連の焚き火シリーズは、他の方も言 われていたとは思うのですが、このFARIONで過去にあったようなやり取 りを再現して見せてくれている様に思います(この辺りはARIONから返事 が無いので何ともいえませんが)  それと同時に過去に無かったこともHMで表現しているんじゃないかな?と か私は思うのです。過去に実際にあったようなモチーフと無かったモチーフ… (-_-;??…ハテナ…。  ARION達が何を意図しているのかは分かり得ないのですが、なんとなく この頃の日本の状況(規制緩和なども含めて)を見ていると、今までのような 良い意味でも悪い意味でも、甘え合って許しあってきたような構造の中に漬か っている訳には行かないという状況になりつつあるなぁと思います。そんな日 本社会の変容と未来に向けて私達が一人一人シッカリと自分の足で立ち、自分 の権利と責任とに於いて取捨選択してゆく時期が来たことをARION達は、 かなり前から報せようとしていたんだなぁとか思うのです。  そういう観点からHMを見ると、今後私達がどのように諸事にあたってゆく べきかをそこから学んでゆくために多くの人と話し合いなさいと言っているよ うにも感じますね。  それと長期連載という形で、本当に興味を持ち真剣に考えてゆける人は誰な のか?と問われている様にも思います。長期連載になると、私達はダレてきて 興味を失いがちですものね。  ということでRESになってないかも知れませんが(^^;)                              ☆みれ・:・。,☆ 00871/00873 SDI00635 みれ RE:HMには掲示の時間指定が無いのかなぁ ( 6) 96/03/28 22:56 00868へのコメント コメント数:1 RE:#00868 雲上仙人さん  うぅ〜ん、鋭いっ(^O^;)  時間指定があるということ、実際にありますです。  これは会議室に書き込みする時にもありです。  仙人さんの推察、けっこう当たるんでドッキリもんです(笑)  チャネリングしてたりしてね(^^;)                              ☆みれ・:・。,☆ 00873/00873 QZE14371 雲上仙人 RE:HMには掲示の時間指定が無いのかなぁ ( 6) 96/03/29 02:38 00871へのコメント >> うぅ〜ん、鋭いっ(^O^;)  どもども(^^ゞ >> 時間指定があるということ、実際にありますです。 >> これは会議室に書き込みする時にもありです。  やはりね…、で、それ聞いて安心している自分がいるの (^^ゞ  なんちゅうか、一応に流れているわけではない潮流にあっては「時間」が 鍵を握る場合があるようにも思うものだからね。ただこの場合の時間が通常 の時計などに表示される時間感覚ではなくて、潮流の流れの中で起きる時間 なんだと理解している訳。だから、こちらから見ればなんちゅう時間に書か せるんじゃ(--)と言う感覚になる場合もあるけど、それはそれなりの理由が あると理解すべきなんではないかと思うの。つまり、指定出来るのは向こう であって、こちらではないと。だって、ワシ等は肉体を持っているぶん鈍い んだもの(^^ゞ。 >> チャネリングしてたりしてね(^^;)  まぁ、それを出来る人は他にも大勢いるだろうけどね、ワシはしたいとは 思わないしされたくもないの。まぁ、町中の雑踏で声をかける奴にろくなの が居ないと同じで、ワシはあちらの世界をじゅうぶんに理解していないんだ もの、下手に声を掛けられたくないし掛けたくも無い。だからある種のセミナー なんかで修行をしたからと言ってねチャネリングをする人達はなんだかなぁ… と思っている。そんな短時間に出来るものにろくたのが無いように思うもん。 まぁ、偏見なんだろうけど…(^^ゞ  それに突然アクセスしてきて、我は神なり、なんて言うより、こちらの準 備が充分調う間、5年でも10年でも辛抱強く見守った後に徐々にアクセス してきて、こちらが在る程度そのアクセスしてきた存在に信頼を持った時に 初めて、我は神なりなんて言うのなら、まぁ少しは信じるけど(^^ゞ 某宗教 団体のトップのあちこちの有名人の霊言は笑う以外に無いなあ…。  チャネリングに、こちらからの選択権が在る相手なら、大したこと無いん ではないべか。まぁ死んだ祖父ちゃんとか父さんからアクセスされるのは構 わないけどねぇ。知らない人にアクセスはされたくないものだ。まして神霊 なんていう存在からワシにアクセスするとはとても思えないもの。やっと、 この頃「在るがままに」と言う意味が判ってきただけだもの。それを行動に 移すのには、まだまだ時間がかかる‥‥(__;)  うっ、いかん。一言の言葉に感応して長く書いてしまった…(^^ゞ                               雲上仙人 # まぁ、気にせんといてね。「壁」に書いてるつもりの独白だから(^^ゞ  某とんとらせ様 m(__)m - FARION MES( 7):自分を観る  ★ ARIONを鏡にして 96/03/29 - 07166/07168 GED01563 水戸黄門 RE:暴走6 モチベーション ( 7) 96/03/29 02:08 07149へのコメント 心理学やら、経営学やらで、この言葉を研究しておる学者もおり、ワシも仕事柄 この領域は随分と勉強したし、夢中になったこともある。が、ワシは、今、こう した研究をうさんくさく感じておる。モチベーション云々や、その方法論は、自 己啓発セミナーで多用される言葉や方法と同じにおいがするのじゃ。モチベーシ ョンという言葉には、警戒した方が良いじゃろう。 もともと、職場でのモチベーション云々は、管理者が部下を気持ちよく働かせる ための理論や手法を語るとき使う言葉じゃ。モチベーション云々とは、リーダー が組織の目標を達成させるため、構成員に与える餌のようなものじゃ。この言葉 は、人事管理の基本用語のひとつじゃ。だから、従業員が、この言葉を使うのは 奇妙な話じゃ。従業員を使う上位者が、本来、使う言葉だからじゃ。うまく説明 できないのじゃが、それを自分で探すというのは、もっと奇妙じゃ。どっかで歯 車がかみ合っていないのじゃな。 ワシの経験から申し上げるが、モチベートに気をとられだすと、遠回りになり、 あまり良い結果は生まないじゃろう。昔、ワシも、「モチベートされないよな。 これじゃあ」とか よく言ったものじゃ。「モチベートされるものを探そう」と 努力もしてみたものじゃ。しかし、ワシの場合、あまり良い結果はうまなかった のじゃ。たぶん、YUI殿の指摘が的を得ておるように思うの。じゃが、がまん しようとしたり、馬車馬のようにがんばってみるということでもないのじゃ。 これもワシの体験じゃが・・・。今の状況を避けようとすると、必ず、この災難 は、追いかけてくるじゃろう。また、うまく逃げおおせるか、「モチベートされ るものを探して、自分をだませたとしても」、いつかどこかで、同じ災難に合う じゃろう。面と向かって災難を受容すると、視界が開けてくることもあるようじ ゃ。 96/03/29(金) 01:14 水戸黄門(GED01563) 07164/07168 MHD02672 TAO マリオネット夫婦(^^; ( 7) 96/03/29 00:31 07124へのコメント  #7124 KAZEさん   どうも。お互いに相手の持つ価値観やその理想をどこまで理解し得ている  かどうかが、KAZEさんもおっしゃるように一番肝心なポイントでは無いかと  私も思います。そして人生のビジョンを語り合いながら、その実現に向けて  地道な努力を重ね合って行けるかも、大切なことですよね。   KAZEさん自身はよく「相棒」という言葉を使いますが、男−女/夫−妻と  いう役割分担に拘泥せず、人間同士としての会話を最も深く交わせる相手を  指すのに最適な言葉だと思いますね。実際、KAZEさん夫婦には一度お会いし  ていますが、お互いに向上心を絶やさず、刺激を与え合いながら学び合って  いるという印象でしたね。こういう印象を受ける夫婦と言えば、FARIONでは  みれさんと鷹さんも思い浮かびます。   こういう風にお互いに向上心や向学心を絶やさない夫婦というのはひょっ  としたら、現在の日本ではごく少数派なのかもしれませんが(^^;、何故そう  なってしまうのかというと、結局「外から規定されている役割」に自己同定  化してしまい、いわば「夫婦というのはこんなものだ」という自縛的なマイ  ンドコントロールに陥ってしまっているからでは無いでしょうか。   「型」とは本来は、あくまでも本人同士の関係性の模索から現れてくる「  結果」に過ぎないと考えるのですが、逆に「型」が関係性を鋳型に填め込む  という本末転倒が起こってしまうと、コミュニケーションが枯渇し、「型」  を言い訳にした“甘え”が忍びって来るのでは無いでしょうか。本人同士の  内面的な対話が遮断され、夫だの妻だのの「役割」に則った振る舞いが優先  されてくると、益々マリオネットじみてくるのでは無いでしょうか(^^;。   お互いが自分の責任を自覚し、及び相手に対する責任を貫くことが出来る  ならば(責任感の欠如した愛情なんて嘘だろ〜ね)、甘え愛…じゃない甘え合  い(う〜む『甘え愛』とは意味深な変換 ^^;)の跋扈を許さない、その成熟さ  故に煌めくような「大人の関係」が成り立つのだろうと思います。言うは易  し、行うは難しですが。(^^ゞ  TAO 07165/07168 MHD02672 TAO 夫婦関係の蘇生 ( 7) 96/03/29 00:32 07129へのコメント  #7129 まるにちょんさん   どうも。何だか最近は、夫婦関係の揺れがあちこちに伝染して来ているよ  うな気がしますが、FARIONの共振効果とでも言えるでしょうか?(^^;   結構、長い間一緒に暮らして来た夫婦が実は、お互いの内心を良く知って  いなかったという話はよく聞きますよね。しんどい思いをするのが嫌さに相  手にぶつからず、愚痴を外部に洩らしては憂さ晴らしを重ねるという、ある  意味では不誠実な関係をずるずると引きずること自体が信じ難いのですが、  真実の苦さよりも不誠実の甘さが好きな人もいるってことでしょうか。  まるにちょんさん達は会話を始めたのですね。お互いの内心を探って行く  と見たくも無いものがぞろぞろ出て来て、大変なことだろうと察しますが、  人間関係の蘇生のチャンスでもあるんですよね。自分と相手がともに立ち向  かって行く姿勢を持っていないと、一方だけが空回りしてしまって終わりと  いうこともあるので、どちらかが逃げないという覚悟も必要では無いでしょ  うか。自分なり相手なりが敵前逃亡しては駄目なんですよね(^^;。どちらか  が耐えられないということだったら、結局それまでの関係だったということ  になってしまいますから。   お互いが納得出来るところまで持って行くのは容易いことでは無いのです  けど、辿り着けた時にはそれだけの甲斐も生まれてくるじゃないかと思いま  す。アマデウスさんやめのうさんのケースも含めて、FARION独身連盟会員の  後学の為にも、今後の展開を楽しみにしております(^^)。  TAO 07167/07168 QZA02327 ノロガメ RE:ARIONよりノロガメへ ( 7) 96/03/29 07:05 07137へのコメント ARIONさま、おそれながらRESをつけさせて頂きます。 「F」については、気づいていながら修正を怠りました。 敬語のつけかたが分かりません、様、さん、殿、呼び捨て、ノロガメとしては、 「さま」が正解かな〜と思いますが、親しみをこめてARIONと呼び捨てでアッ プしてもいいのかな〜なんて思ったりしますが、失礼の段お許しください。 >>まず、この【「自己確立」を果たし、生き方を定めてしまったと言う自己認識】 >を、なんとかしてもらいたい。 >まずは誰でもが彼岸と此岸の双方を知ることから始める。そして彼岸と此岸の双 >方を知った辺りから、そのどちらにも与さずに生きることを知る、そして同時に >双方に生きることが必要だと分かる。この辺りの状態になると自己確立したと言 >えるようになる。 >然るにノロガメ、あなたはこれを行ったのだろうか? はい、ノロガメはこれを行ったと自覚しています。 少しくどく長くなりますが、経緯を書く必要を覚えますので、見てください。 ノロガメは会社のために一生懸命働いて来ました。 それは何か事有ると社長の世話になるのだから、その時のために会社に貢献しなけ ればと言う思いで有りました。 社長はノロガメの義兄になります。 社長は頭の切れる人で有りますが、コンプレックスの塊のような経営哲学を持たな い職人肌の人間としてノロガメには見えます。 社長の席には社長の姿が無い状態が多く、忙しいときでも相談したり応援を頼む人 がいない状態でノロガメは縁の下の力持ち的な存在でありまして、働き虫になって 勤めて来たのです。 不満を言えば、社長はおまえは自分のすることをしていればよい、俺の言うことを 聞け、こんな調子で話になりません。 何が、なぜ、どうして、と自問自答を繰り返す日々が続く人生でありました。 それが有る時点でノロガメの独り相撲で有ることを思い知らされました。 ノロガメは見返りを要求して社長と衝突したのです。 普通であれば、こんな会社で働けないとやめてしまえばそれで終わりになりますが、 ノロガメには会社を育てて来たと言う誇りがいつの間にか身に染み込んでいて、ノ ロガメがいなくなれば、この会社は誰が育てて行くのかと考えると、やめるにやめ れない状態で、しかしこのまま続けるには精神が参ってしまう、お手上げ状態に神 が助け舟を差し向けてくれました。 宗教に魅せられる一連のパターンであります。 ノロガメの母は、金光教の信者で、家には金光大神を奉っています。 その母も昨年の暮れに91才で亡くなりました。 子供のころから母に連れられて教会へよく参ったものです。 しかし宗教には興味は有りませんでした。 興味を覚えて始めに出会った宗教は、天理教の話でした。 その話はノロガメの心にびんびん響いて来ました。 創価学会、キリスト、エホバ、ものみの塔、手当たり次第に首を突っ込み、ノロガ メの信心道の入り口を探したのです。 どの宗教も中身にはそう大差は無い事を知って、ノロガメはそれならばと、母の一 番喜ぶ金光教の信心を始めることに意志決定したのです。 ノロガメは金光大神の教に共鳴していますが、組織活動には否定的であります。 神とは、組織作るものではない、神を形作れば差別が生まれます。 信心とは個々に存在する宗教心の目覚めであると捉えています。 そんなノロガメの目に実態の伴わないパソ通の領域に新たなる宗教概念を見いだせ そうな予感がするのです。 教えを実践して、少しずつ神の手応えを感じるようになって、ますます信心道へと 突き進んで行きました。 とくに共鳴を覚えた教えに、道理に適う信心をせよと言うものが有ります。 道理とは、筋の通る話と解釈し、信心とは神の存在を認めることであり、存在して いるのであれば問えば答える道理として、ノロガメは神に問い続けたのです。 神に全てを委ね、生かされるがままの信心を心掛けて行くうちに、自分とは何かを 求めて、その答えを「自分とは物ではない、無である」と定めるに至ったのです。 教えには、物の道理を解いていて、その道理に適う信心をせよとありますが、自分 は物ではないという事であれば、自分には道理が存在していない、しかるに求めて も答えが無い、自分は自分であると言うしか表現のしようが無いのです。 自分とは道理の無いものなんだ、そして物質的に形作られた自分の体には物の道理 が存在し、人間として生まれた訳が自分の体にはあると言うこと、ここに自分と体 は分かたれたものであるという答えが生まれました。 そして自分と神が直結したのです。 神へのログインが果たされた感じであります。 ノロガメの難儀の原因は、自分を人間そのものとして認識していたことにある、勘 違いから生まれていたと言うことになります。 そして人間を自動車に例える理屈も生まれました。 交通社会、人間社会、両社会を成り立たせる物、それは個々の動物、そして動物は 創造され生かされている物であって、それを生かしているものは、それを創造した ものであること。 自動車の創造主は人間であり、人間の創造主は神であると言う答え。 神と直結したノロガメにはその後の理屈の組み立てはたやすいものになりました。 つまり自分は人間の運転手としての意志決定が出来あがったのです。 >そして彼岸と此岸の双方を知り・・・双方で生きる事が必要だと分かる。 自動車の道理を取り込んだノロガメには、ARIONの彼岸、此岸説はピンと来ま した。 つまり人間社会と交通社会の双方で生きることを知ったのです。 創造したものの世界「彼岸」と創造されたものの世界「此岸」これであっているで しょうか? どちらでも正しく生きることには変わりありません。 ノロガメの「自己確立」とは、自分とは人間の運転手であることを確立したと言う ことです。 人間の物質的な部分は自分ではなく、自分の体であって、それはただの動物という 答えが生まれました。 自分の存在は精神世界であり、人体を介して現実とつながっていると言う理屈であ ります。 人間は自動車を介して交通社会とつながっている道理に適合します これで自分は神としての基準点、原点が定められ、言葉はその基準点を中心に組み 立てられて来たのです。 自分とは「無」であるという意志決定で、神へのログインを果たし、心に問えば心 が答えるシステムが完成したようです。 問を発すれば答えが即座に心の中に浮かんでくるようになり、精神的問題の原因と なるもの、それは自己が確立していない自身の勘違いであると言う結論に至りまし た。 未開の土人が文明社会に出て来て自動車を運転したとしたらどうなるでしょう。 訳が分からないと言うことが人間には問題となって生まれて来ます。 反対に、訳が分かれば問題は解決されて行きます。 道理に適う信心をせよと言う教えに導かれて、訳が少しづつ見えて来たのです。心 眼が開くとはそういうことであろうかと思います。 会社でのノロガメの問題は、仕組みの中で生かされていると言う道理が分からなかっ たために、働く目的が見返りを求めようとしていたことに勘違いがあって独り相撲 を取っていたのです。 原因は社長にあるのではなく、ノロガメ自身にあったのです。 おまえは自分のすることをしていればいいと言う社長の言葉は、実は神の言葉であっ たのです。 ノロガメは今その言葉をそのように捉えています。 言葉が吹き出して来て、書きたい衝動に駆られ、どこへ出す当てもなくワープロの キーをたたき続けて20数年の年月が立ちました。パソ通を知る前の話です。 組織に投稿を繰り返して見ましたが、無駄を知ったのです。 ご存じのとおりの、ノロガメの吹聴であります。 なぜ精神世界を知った人間が活動を起こそうとするのか、そしてその行いに社会か ら拒否反応が生まれるのか、神と言う言葉に抵抗を感じるのか、宗教界と社会の接 点にある問題、別に神も宗教も無くても当たり前に生きる事が出来る、自分の意志 で堂々と我が道を生き抜く人生も存在している、などなど新たな問題意識に駆られ、 精神世界の現実化に取り組んだのです。 自分を神そのものとして認識したとしても、現実には人間社会で社会人として自分 は存在しています。 自分は神であるとほざいても、それは通じない話です。 あくまでも自分は現実には人間なのです。 人間社会は人間の理屈が優先され、神の理屈で社会運営は成り立ちません。 物理的で無く、計算が成り立たない話は何の役にも立たないのです。 いかに神を現実に直結させるかを模索しました。 そこで考えること(計算)ではなく、信じて行うという思考です。 最近では、「祈り」について何か感じつつあります。 自分とは「無」であると言う認識おいて、その心に浮かぶ言葉をアップする試みが ノロガメの書き込みになりました。 それが一年前のMES7での独白騒動です。 長文になりますので、2部に分けます。 ではノロガメ 07168/07168 QZA02327 ノロガメ RE:ARIONよりノロガメへ ( 7) 96/03/29 07:07 07137へのコメント ARIONさま、さらに続けます。 コミニュケーションは人間的には、ルールの枠組みの中で成り立ちますが、自分の 領域の求めようとしているものには、枠組みを外す必要があります。 つまりノロガメの今ある態度は人間的にはしてはならないものです。 人間はしてはいけないことをしません。 しかしノロガメはしてはいけないことをすればどんな結果が生まれるかを皆さんと 一緒に確認したいのです。その必要を感じるのです。 物理的な実態の世界では、この試みは出来ません。 そしてノロガメには、してはいけないとされる指摘が、指摘する人がノロガメに反 射しているに過ぎないと思えてなりません。 それは、社長の理解出来ない言葉は、実はノロガメが社長の心に反射していたと言 うことが分かり、社長を非難することではなくて、自分が改まることで問題が回避 出来たと言う体験で、今この場である問題の原因を同じ目で見ているのです。 ノロガメは相手のRESに対してその言葉から感じるままに生まれてくる言葉をアッ プしているのであって、ノロガメ自身には指摘を自覚していない、ましてや言葉だ けの世界で、相手との差別的要素がない状態で現実的なルールを当てはめられても、 ルールを無視してどうなるのか、何が問題になるのか、RESをつけなければ何も 起こらないと言う答えがあるにもかかわらず、ノロガメの態度が間違っていると指 摘されます。 指摘する人の確信的な言葉は見受けられません、どう見ても観念が固定されている ように伝わって来ます。 又一方では、共鳴を覚え、ガンバレのメールも届きます。 そういうことで、現時点ではノロガメ自身反省に至らしめる材料が見当たらない、 従ってこのまま進むしかないという結論であります。 「自己確立」がもたらしたもの、それは結果を恐れず勇気を出して進み続けること が出来て来た事です。 前進すれば結果に近付け、結果を見ることが出来ます。 してはいけないと指摘されて立ち止まってしまえば、その先にある結果を見ること が出来ません。 だから自分の考えが正しいのか、間違いなのか、分からないと言うことになります。 >また自己確立をした人は、人の生き方という本来マルチ指向性のものを定めると >言う語を用いて説明しようとはしないだろう。 分かたれた自分という理屈は、人の生き方と、人間の生き方を分けてしまいました。 人は生き物であり、人間は動物です。 生き物が動物を生かしていると言う理屈であります。 人間の自由意志と定まりない生き方が、構造破壊を招く原因として見つけたのです。 構造破壊、社会の仕組みの崩壊で社会生活が脅かされています。 交通社会で自動車(動物)にはマルチ、運転手(人)には自由と言う方便はいかが でしょう。 >何故、そんなに突っ走る必要があるのだろうか? ノロガメは人間的な枠組みを取り外してしまった為にそのように見えるのではない かと思います。 >自ら宣伝流布に努める必要など何処にもないのだ。 ようく心得ています。 ですから現実にはノロガメはただのサラリーマンで平凡な生活をしています。 誰ひとりこの場でのでのノロガメの姿は知る者はいません。 実態の伴わない世界、それは彼岸であって、ノロガメにはパソ通の世界とラップす るのです。 ですから皆さん相手は神を相手の書き込みとして受け止めています。 神を相手にするには、自分をごまかしたり、飾ったりしても意味はなく、正直であ ることが神に通じる自己表明として取り組んでいます。 ノロガメは人間相手ではなく、人を相手として見ています。 動物を相手ではなく、生き物を相手として見ています。 自分の心の中に生きている言葉をアップすることに努めています。 何が正しくて、間違いかはノロガメには判断出来ません。 判断は結果を見なければ出来ないものと捉えています。 神がその結果をもたらしてくれるでしょう。 その結果に従うつもりでいます。 無視される、それも結果には違いありません。 無視されることを恐れて、指摘に従えば、ここから始まろうとしている道は途絶え てしまいます。 >神をこの基盤の上で語ることは無理だと知りなさい。 誠に申し訳ございません、反射が生まれました。 ノロガメは神だとか、宗教と言う言葉を使うことが適当であるかイマイチ分かりま せんが、ノロガメの理屈としては、神を現実化と言うことは、自己を表明すると言 うことであるのです。 自分とは何か? それを表明したいのです。 この?が解決すれば、精神的問題は解決されてくると言う捉え方に立っての理屈で あります。 そして何故この場でそれをするのかについては、普通のコミニュケーションの場で 通じる話でなければならないと思うからであります。 パソ通の世界は用途が無限に広がっていると思います。 現実と直結している部分(膨大な資料)と、人間同士のコミニュケーションの場と いろいろであります。 人間対人間が現実とするならば、人対人がパソ通の実態の伴わないコミニュケーショ ンの場としてノロガメには映るのです。 自分を信じることは人を信じることになります。人は神の氏子であると教えにあり ますが、ARIONの言葉には光の子として語られていますね。 >ノロガメ、私のコメントは、あなたの目に快くない文字の羅列にしか映らないか >も知れない。だが、精一杯心掛けて内容を理解すべく努力して貰いたいものだと >思う。 ありがとうございます、努力するまでも無く重々心得ているつもりです。 ノロガメには神が創造した人間が何故神を知り、神を語ろうとする所に問題が生じ るのかについて、宗教界、精神界、その領域に存在する人間のあり方に疑問が生ま れます。 勘違いと言いましたが、人間の勘違いはつまりはノロガメの理屈から言えば、神の 勘違いと言うことになります。 神は、神の理屈を人間に当てはめようとしているように見えます。 人間社会の理屈を交通社会に当てはめる道理です。 人間はただの動物であって、問題の原因は全て神の勘違い、つまり自分の勘違いと なりました。ノロガメの結論が出ました。いかがですか? 交通社会の問題の原因は、全てドライバーの自由意志から生まれて来ます。 自動車はドライバーに操られているに過ぎず、原因は自動車にあるのではなく、ド ライバー、創造主にあるのです。 こんな調子でノロガメの心には、答えを導きだしシナリオが完成して、ノロガメは 独白者になってしまいました。 この一人芝居が観客に受けるかどうかは、演じて見なければ分かりません。 パソ通の世界では人間のコミニュケーションにギャラリーが付きます。 ですからノロガメには実体の伴わない世界のコミニュケーション概念の塗り替えが 必要のように思えるのです。 独白者はモグラたたきにあって追い出されてしまいます。 演じる世界には、一人芝居、独演会も存在しています。 場所が違うと言われるかも知れませんが、ギャラリーがいる場で見せる、聞かせる と言う事を考える必要を感じますがどうでしょう。 ARIONからコメントを頂いて、ノロガメとしては一生懸命自分を表明すること に努めました。 ARION始めギャラリーからブーイングが生まれるか、それとも鳴り止まない拍 手の嵐になるか、そんな奇跡は生まれるはずはありませんが、今のノロガメにはこ のような言葉しかアップ出来ません。 ARIONの御心にそうことが出来ないかも知れませんが、お許しください。 ARIONは本番を促していましたね、そういう意味ではノロガメに焦りがありま す。突っ走ってしまうのは、焦りからくるものであるかも知れません。 「自己確立」は難しいものと仰せですが、ノロガメ程度の人間にも出来ました。 それはどういうことでありましょう。ノロガメにはただの勘違いとしてその答えが 生まれました。 そして「自己確立」が果たされたとしても、生き方には何も変化は生まれません。 ただ、今この瞬間を信じて進むことが出来るようになったのです。 本能の赴くままにと言うことでありましょうか。 長文にてご迷惑をおかけしました。お許し下さい。 ノロガメの心には言葉が止めどもなく吹き出して来ます。 又書き込みが出来るチャンスをぜひ与えて頂きたいと願っています。 ありがとうございました、ARIONさま。                                      ノロガメでした。まる - FARION MES(12):精神世界裏表 ★ ニューエイジビジネス を斬る 96/03/29 - 00854/00858 GFB00026 一輝 ニューエイジ手品のタネ明かし (12) 96/03/29 02:17 00848へのコメント  「ニューエイジは、手品のようなもの」と、以前私は、ここで述べま した。手品師はテーブルの上で演じる手の動きとは、全く異なるプログ ラムに沿って目まぐるしく手を動かします。このテーブルの上と下での 手の動きが、当会議室に冠する「裏表」のことであり、その動きから何 を読み取るのかが、当会議室の狙いです。  「ニューエイジ」という名のテーブルの上で行われていた、「ポジテ ィブシンキング」や「セラピー」や「ヒーリング」という名のムーブメ ント。しかし、テーブルの下で行われていた動きは何だったのでしょう。 それは「判断力の欠如」です。ニューエイジが興隆すると犯罪が激増す るジンクスがあるのは、この「判断力の欠如」がテーブル下で潜行する ためであると言えましょう。以下のチャートで表してみます。   *「ニューエイジ」テーブル上での動き(→精神世界のビジネスとしての確立)       「ポジティブシンキング」「ホロトロピックセラピー」「パラダイムシフト」「ニューサイエンス」       「各種ヒーリング」 「自己啓発セミナー」「メディテーション」「チャネリング」       「トランスパーソナル心理学」「ネオシャーマニズム」「ディープエコロジー」  テーブル………………………………………………………………………       「判断力の欠如」「自己中心主義」「麻薬の奨励」       「現実逃避の奨励」「被害者意識の蔓延」「自己催眠」       「安易な優しさの押し売り」「傷付くことへの恐怖」   *「ニューエイジ」テーブル下での動き(→欲望に隷従する羊の群れの量産)   テーブルの上では、手品師がこんなことを人々に語っていました。    「この数年アメリカでは第2次ニューエイジブームが     起きている。70年代後半の第1次ニューエイジブー     ムに比べると、今回のブームは一般のあいだにはる     かに広く浸透しており、ニューエイジ大衆化の気配     さえあるようだ」(『Studio Voice』1991.9. C+     Fワークショップ前主幹・吉福伸逸)  当時アメリカのTV業界で働いていた友人は、これを読んで笑って言 いました。「こんな話は聞いたことがない。翻訳者は読者の信頼を得る べき存在なのに、よくこんな根拠の無い嘘を書けるもんだ」と。  また、幻覚キノコを初めて食べた白人というワッソン博士は、「人類 のあらゆる宗教の原点は幻覚植物である。今でも摂取を行っている民族 がいる」という暴説をブチ上げました。この話に乗ったヒッピーたちは、 世界中の幻覚植物を捜しにまずインドに集まりだし、やがて中東や東南 アジアに流れてゆきました。バリ島のマッシュルームも彼らのターゲッ トになったものの一つです。  しかし、バリ島のマッシュルームとアニミズムやバリ呪術との関連を 示す証拠は、何ひとつ無かったのです。現地の人々にとってマッシュル ームは、日本の毒キノコと同格でしかありませんでした。バリ島のヒッ ピーは70年代末までには追放されましたが、今度は日本人がバリのアニ ミズムとマッシュルームの幻覚には相関関係があると倒錯(発端は1983 年のスネークマンショーのカセットブックではないかと思われる)して、 バリに殺到し始めたのです。私もその一人でした。そして、その中の何 十人かが、バリ島で懲役99年の刑に処せられることになったのです。  私は、幻覚植物の権威と言われたワッソン博士の経歴を調べて、唖然 としました。彼は国際ユダヤ財閥J.P.モルガン社の副社長だったの です。                 FARION 12番会議室*精神世界裏表案内人:一輝 00855/00858 GFB00026 一輝 他者催眠術師と自己催眠術師の戦い (12) 96/03/29 02:23 00849へのコメント >#0849 スウさん スウさんと話していると”とんち合戦”の様相を呈するので面白いです。 もうしばらくおつきあい下さい。  「催眠術師は人々の自己催眠(思い込みなのだが…)を促しているにすぎ ない」と言い換えることができるのではないかと思います。つまり、もとも と人々には眠りたい欲求というのがあって、それをちょっと背中から押して いるだけではないかと…。  セミナーのプログラムでは、まわりで被験者を追い詰めて感情のピークに 導くと、緊張に耐えられない状態になります。やがてそこから脱しようと、 脳内に避難場所(高杉弾氏が”脳内リゾート”と呼んでいるのは、これなの かもしれない)を求めるようになります。避難場所に逃げ込むことで緊張か ら脱するためです。これが自己催眠欲求が強くなっている状態です。「緊張 から避難できると思い込む」のです。マスターベーションにオカズが必要な ことに似ています。  インストラクターはピーク時に、ここぞとばかりに優しい言葉をかけ(例 :「そのままの君でいいんだよ」など)ることで、被験者にオカズを提供す る。ここでいうオカズとは、崩壊する自己イメージの代用となるイメージで す。それを「真の自己」と偽って与えるのです。被験者は新たな自己イメー ジに陶酔し始める。この場合、「偽りの自己」を与えることが、先の「ちょ っと背中から押しているだけ」ということになります。  これは、山部さんの話しておられる「シオンの議定書」を考案した人々が やっていたことと、本質的には同じではないかと思います。彼らは、自分を ユダヤ人と偽って「自分たちが催眠を仕掛ける」と名乗りを上げた。内容も さることながら、名乗りを上げること自体も催眠であるということは、わか りにくい。「いかに催眠に陥らないか」というところに着眼していいはずな のに、人々は「催眠を仕掛けたのは本当か、誰なのか」に突っ走る。これを ヒットラーは「誰が書いたのかということなど、どうでもいい」と側近に述 べて利用したそうです。  極論が許されるのであれば、人々は本当は誰もが「自己催眠術師」です。  このことに気づいてしまうと、面倒なことが増えます。本当の自分を識る 作業を始めざるを得なくなるからです。ですから、それを認めるわけにはゆ かない。そんな心理があるために「あいつら(例:「ユダヤ人」「フリーメ ーソン」など)が催眠術師なんだ」と言ってしまいたいのではないか、そん なことを考えております(これも自己催眠?)。                 FARION 12番会議室*精神世界裏表案内人:一輝 00856/00858 GFB00026 一輝 「笑い」という避難場所 (12) 96/03/29 02:26 00851へのコメント >#0850 わうさん >#0851 MAKOTOさん 「笑い」って、有り余るパワーが吹きこぼれるような状態ではないかと 思うことがあります。徹夜明けに内在していた第二のパワーが出てきた 時など、実につまらないことでへらへらと笑ってしまう。子供など調子 がいいと、早朝から笑い転げている。 「指圧の心は母心」のいつも笑ってたオジサンはどうしているんだろう。 「箸が転げても笑う」というのは、ハイティーンの余剰パワーの賜物。 たしかロシアの神秘思想家、G.I.グルジェフも「笑いは力」と言ってま したっけ。笑いは元気な証拠だし、創造と破壊の折返点のようなところ がありますね。疲れているときは、どうも笑いにくいもんです。 これはふだんの笑いとは、少し違う笑いの話かもしれませんが…。ここ 10年くらいに流行が始まった、恐怖や不安を基盤とした笑いの話です。 漫画家の水木しげるさんが、太平洋戦争の頃に南方の密林で戦友たちが、 バタバタと敵弾に倒れるのを目の前で見て、思わず笑ってしまったそう です。また、終戦後復員して、戦友の遺骨を遺族に届け、皆がワッと泣 きだしたのを見て、やはり笑いが止まらなくなってしまったと言います。 これを漫画評論家の夏目房之介さんは、「心理的逃避」ではないかと述 べています。現実の恐怖に耐えられなくて一時的な避難をする為に、脳 内の「笑い」を生み出す場所に逃げ込むわけです。 これは連続殺人犯にもたびたび見られることで、人を殺して血まみれに なりながらも思いっきり笑ってしまう。それが彼にとって「日頃の不安 や恐怖からの完璧な逃避を成就した」という行為であり喜びなのです。 脳内麻薬の常習者とも言えます。 こんな話をすると尋常な心境ではないように見えますが、誰の心の中に も多かれ少なかれ、このような恐怖から一時的な避難をする傾向を抱え ています。それが人によっては、避難場所が「笑い」であったり「泣き 」であったり「怒り」であったり「無反応(鬱状態)」であったりする のです。いずれも現実の直視に耐えられない状態です。表現の違いは様 々です。制御能力に個人差があるのでしょう。これが、思考の硬直化を 避ける部分ではないかと思います。 場合によっては「現実の恐怖に耐えられなくて一時的な避難をする」と いう部分が、「現実の緊張に耐えられなくて一時的な避難をする」とい うこともあるのではないかと思っています。始めての出会い頭につまら ない冗談ばかり言う行為なども、対人恐怖傾向の強い人が、自分の緊張 をほぐすためにやります。また映画館で、笑う場面でもないのにやたら クスクスと笑っている人などもそうですね。「そういうこと(逃避)が 皆に許されているんだ」という暗黙の了解でもあるかのような御時世が、 個人的には嫌なんですが…。 書籍の中で笑い飛ばす余裕を持つこと自体は、複眼の視点を許容するも ので、私も評価しています。しかし、これがその人だけが抱えている恐 怖や緊張や不安が基盤にあり、リアルタイムに第三者が居るとなると考 えねばなりません。これらの問題点は、第三者の前での自分の自慰行為 が目的になっていることです。「公然マスターベーション」とでも言い ましょうか。そして、緊張への耐久力の無さが最近の人々の傾向のよう に思えるんですが、いかがでしょうか。                 FARION 12番会議室*精神世界裏表案内人:一輝 00857/00858 GFB00026 一輝 RE:フィリ・フェスティバル (12) 96/03/29 02:29 00852へのコメント コメント数:1 >#0852 NOBUさん はじめまして、NOBUさん。 ここ何年かFILIを読んでいないので何とも言えませんが、警戒心は、 自分に迫る危険を促すシグナルの時もあります。安易な参加は注意す るに越したことはないのではないかと思います。 ニューエイジの実態については、これまで会議室で何度か取り上げら れてきました。あちこちの発言に分散して飛んでいるので、もしよろ しければ、リニューアル以降(NO.457〜)の発言をお読み下さい。い のりさんのセミナー体験「精神世界ビジネス放浪記」はNO.521からで す(連載中)。 今年は5月にトランスパーソナル心理学会(翻訳業者ばかりで、何ら 学術的権威性はないのだが、仕事欲しさに権威をデッチ上げた学会で はないかと噂されてる。10年ほど前にも同じ学会が開かれたのだが、 関係者の麻薬不法所持による逮捕で以後開催されなくなった。ここに はかつてあらゆる権威を一切否定していたはずの人々が、権威を欲す る姿がある)が開かれます。 FILI FESTIVAL JAPAN `96もそうですが、これらのイベントは、昨年 のオウム事件で遠のく客足に、ビジネスとしての危機を乗り越えんが ため、「オウムと自分たちは違うんだ」と言い訳をするイベントでは ないでしょうか。私は、ニューエイジ業者の悪あがきを感じています。 FILI FESTIVAL JAPAN `96の講演予定者には誰の名が出ていますか? どんなボディワークをやるんでしょうか。「レイキ」という言葉は初 耳です。私の勉強不足ですが、教えて頂けないでしょうか。 もう少し待って頂ければ、ワークショップを主催する著名団体の裏の 実態に関する報告を、数回に分けて発表する予定です。 これからもよろしくお願いします。                 FARION 12番会議室*精神世界裏表案内人:一輝 - FARION MES(13):神秘学遊戯団 ★ 限りなき神秘への航海 96/03/29 - 04421/04425 GGA02514 KAZE CRYSTAL EMOTIONに寄せて (13) 96/03/28 16:08 04415へのコメント         ほら ごらん   心の炎がゆらめいている   ときには大きく燃え盛り   ときには消え入るばかりになりながら      炎に映る世界をごらん   その世界は絶え間なく変わってゆくだろう   炎のゆらめきが世界をそう見せるのだ      世界をちゃんとみようとして   心の炎を静止させようとしても   炎はゆらめきつづける   静止したときに炎は消え   もはや世界を映し出すものはなくなっている      変わらないものを探してると君はいうんだね   いいだろう   では君の心を止めてみたまえ   ・・・・・   できないだろう   変わらないものは生きてはいないんだ      だからといって悲しむことはない   変わるものがないというのは   変わるものと変わらないものを   二つにわけるからこそなのだ      いいかい   ほんとうに変わらないものは   変わるとか変わらないということを超えたところにある   そしてそれは変化のなかにありながら   変化にとらわれない      ほら ごらん   心の炎がゆらめいているが   その炎をつくりだしている君がいるんだ   それは永遠と無常の間で結晶していく   クリスタルのようなものかもしれない         ☆☆☆by KAZE☆☆☆ - FARION MES(14):預言解読村  ★ 預言・予言は何を語るか 96/03/29 - 03863/03864 PAG03134 はな 二つの月 (14) 96/03/28 20:30  光の黙示録の背表紙には、菱形が描かれていて、菱形の上部と下部に、 それぞれ三日月が2つ描かれています。  なぜ三日月が2つ描かれているのか、何を象徴しているのかが疑問で した。  2つの三日月といえば、日食・月食を起こすラーフ神が思い浮かびま す。  ラーフ神は、両手にそれぞれひとつの三日月を持っている神です。ラ ーフが手に三日月を持っているのは、ラーフによって月食や日食がひき おこされると、古代の人々は信じていたからです。  このラーフ神は、おもしろい特徴があります。  それは、この会議室で何度も話にのぼっている「鬼」と関係している からです。鬼に関係しているというか、ラーフは「鬼神」そのものなの です。  両手に三日月を持って、中心にラーフ神が位置する。光の黙示録の背 表紙で言えば、ラーフ神=菱形と考えられますが、はたして関係がある のかどうか。  (参考):光の黙示録裏表紙説明    ここに三日月が    接触している      ↓      *     * *    *   *   *******    *   *     * *      *      ↑    ここにも三日月が    接触している                       はな - FARION MES(19):世も末ばなし ★ ぶっ飛び話・罰当たり話 96/03/29 - 891/891 GED01563 水戸黄門 御老公の独り言(8) (19) 96/03/28 23:36 セーラームーンは、タイトルも変わりセーラースターズに。 初回は、敵役のネヘリニアの復活。 裏の月の魔女とでもいうべき存在。そして、セーラームーンの鏡の中の姿? 彼女の鏡は粉々に砕け、地に落つ。その粉のひとつひとつがネヘリニアの分身。 これも月の粉? 月の粉には裏と表の意味がある? 今回の彗星の話とも連動する? 96/03/27(水) 23:08 水戸黄門(GED01563)