「そりゃ心地悪い様に考える人は居ないでしょう」と凍え人 - FARION MES( 6):ハロー・メッセージ ★ 今日のハロー・メッセージから 96/04/04 - 00907/00916 GBG02043 維/YUI RE^3:翔ぶことについて……とか ( 6) 96/04/03 19:52 00899へのコメント うげっ!  … 失礼……(^^;) ARIONさんに、”ご支援、ありがとです m(_ _)mペコン”と、 お伝えください。 …しっかり他の会議室も読んでるのねぇ〜。 思ったのにそう言わなかったってのは、雲上仙人さんが書いていた、 実際には行われていなかったとされる、素直な心の想いを素直に表現している 言葉での会話にも、関係ありますね。 私は、幼い頃から自分が感じたままを言葉に表現しては、いけないような、 なにかそんな風に周りの世の中をとらえていました。 周りの人の気に入る ように、またはその人たちに受け入れられやすいようにと、子供の時から 人の顔色を見ていたように思います。とはいえ、内弁慶だったので、家の 中では、怒られるまではしたい放題でしたが。 私としては、それが辛いことであり、なんで素直な思いで語り合って いくことが、いけないのかとひそかに疑問を持ち続けていたのでした。 いつのまにか、”演じる”ことによって、自分の中の疑問を日常では、 仕方のないこととして、黙殺するようになりました。 でも、疑問はずっと自分の中で息を潜めているだけですからね。 その影響が、おそらくARIONさんがおしえててくれた、私は自己表現が できていなくて、それが喉の不調に出てきているってやつなんだと思います。 やっと、30過ぎる頃になって、それが出きるような自分になってきたんだなぁ って思うと、なさけないという半面、それでも気が付けてよかったぁ! です。 芸術的な演出は、ともかく、無用な演出はしなくてすむ世の中にしたいです。 つかれますもん。ただでさえ、やることいっぱい有るのに、そんな余計な ところにまでエネルギ−を使いたくないわ。(笑) 維/YUI 00908/00916 GBG02043 維/YUI RE:責任を持つこと ( 6) 96/04/03 19:52 00900へのコメント TAOさん、チョ−ごぶさたです〜。RESありがとうございます。 パソコン通信って、なんか特殊な世界〜ってイメージがありますね、いまだに。 実際、人々の出合い方として、既存のワクを破ったところはあると 思っているのですが………。 でもぉ、趣味であれこれと、仕事以外にも場を持ち続けている私には、 パソ通もそのなかの一つでしかないです。 パソ通以外の場でも、参加する意欲や気力が失せていくことは、結構 あります。 それについても、対処はおんなじです。 会社の仕事だってそう。 仕事に興ざめしてしまうことあります。 それだって、自分がその仕事に対して、ちゃんと責任を果たしているか、 どこか手を抜いていないか、めんどうがっていないかなどを考えてみると、 まるっきり落ち度がないってことは、めったにありません。 私は、嫌ならやめちゃえばいいって、基本的には安易に思っています。 でも、自分の気持ちに照らし合わせて、ひっかかることがあるなら、 そのひっかかりがなくなるまでは、その物事を手放したくないんです。 見栄なんでしょうけれども、おてんと様に向って、胸を張って、 「こんなん、やめたるわぃ、ここまでやったんだかんね!」と言えないと 悔しいし、うしろめたいんですね… (ただ、難儀な性格なだけなのね、 つまり(^^;) TAOさんが、”現実の世界でのと変わりない倫理や礼儀、或いは『責任』を 持たされること”と書かれていましたが、心ある人ならば、「そんなん最初っ から、あって当然。ないはずがないだろが」と思うことですもんね。 顔が見えなかろうと、実名で出なくてもよかろうと、画面の向うもこっちも 生身の人間なんだから。 責任をとらなくてもいいのは、人間に命令されて 動くしかないコンピュータくんだけです。 無意味な先入観や、階層意識をなくして、意見を交換できるのは、パソ通の メリットだけど、だからって人間同士の関わりとしての礼儀までなくして いいはずがないもの。 TAOさんの書いた結論、ありきたりだけど、だからこそなんですね。 ありきたりの結論、誰もがわかるはずのこと、それがこんなにもないがしろに なってしまった…ってことが、何より問題です。 ありきたりのことが、ちゃんと通っている世の中なら、もっとまっとうな 世界になっていたはずですから。 維/YUI 00914/00916 KFQ02761 しまうま 責任のこと ( 6) 96/04/04 09:16 00893へのコメント #00893 維/YUIさん  こんにちは(^^)。早速のご返事ありがとうございましたぁm(__)m。 |お仕事、忙しかったり、なにかと大変だったりしてます? しまうまさん。  いえいえ、単なる怠慢です(自爆)。 |私が書き込む気が失せた後、再度書き込みを始めたのは、まず自分の責任を |果たしてから、それでもそぐわないと思ったら、気分良くすっぱりと退出も |できると思ったからなんです。  うむー、なるほど。この「責任」という捉え方は大切だなあ、と思いました。 どっちかというと、こういう場合は「書き込む気が失せたのだから自分には退 出の“自由”がある」というところばかりに目が行ってしまいがちですもんね。  しかし、その“場”に対する責任を果たすことなく退出する、というのは、 自由でも権利でもなくて、むしろ“自分をないがしろにすること”のような気 がします。そういう意味では、ここで維/YUIさんがおっしゃっている「責 任」には「自分に対する責任」という風にとらえることもできるのかな?と思 いました。 |もともと、あんまりRESがつくような書き込みしてきてないんで、RESが |ない分にはさほど気にもならないのもあって、はたからみると、「書きたい |放題」かもしれないな〜などと思いつつ。  たぶん、いちばん根っこに「書きたい放題」がないとおもしろくないし、長 続きしないんじゃないかと思います(自戒を込めて(^^;)。「書きたい放題」 な話を、主旨を曲げないようにちょちょっと最低限の形を整えてやる、とゆー 程度でいいんじゃないかなあ。  ではでは、もし何か思いつかれたら、またよろしくお願いします(^^)。   しまうま(KFQ02761) 00911/00916 KFQ02761 しまうま RE:約束を果たすということ ( 6) 96/04/04 01:31 00890へのコメント #00890 TAOさん  こんにちは〜(^^)。少しご無沙汰してしまっていました。  唐突ですが、ちょっと割りコメさせてくださいね(^^)。 | では誰と約束したのか? 臭い言い方になるけど(^^;、自分の“良心”な |のかもしれませんね。良心というのは、絶対に内なる逃避とか怠慢を見逃さ |ないからこそ、約束を履行する為の監視者になり得るのですね。約束を果た |せない人間はその良心という監視者を何とか誤魔化して、己の不義理を正当 |化しようと企むけど、良心というのはどこまでも決して誤魔化されないから |こそ良心たり得るのだし、良心を封じ込めようとするならば心自体も死ぬし |か無いのかもしれません。  身近な「約束」というと、待ち合わせだったり、仕事の納期だったり、ある いは借りたものをいついつまでに返す、ということだったりします。で、僕は そういう約束って、大切な友人と交わしたものだとまずそれに背くことはない し、ましてや忘れるなんてことは決してと言っていいくらいありません。  ところが、友人以外の人と交わした約束だと、たまに遅れてしまったり忘れ てしまったりする場合があります。  これは、結局僕の中の“優先順位”をそのまま反映しているんだと思うので、 まあ「それでよし」とは言えないまでも、それほど「よくない」ことではない だろうなあと漠然と思っていました(今までそう思っていたことに、TAOさんの 書き込みを読んで気付きました)。  しかし、誰かに対して“約束破り”な行動をする度に、僕の体や心に多少な りとも“約束破り”な思考回路が刷り込まれてしまうのかもしれない、と思い ました。もしそうだとしたら、やばいなあ。ふと気がつくと、約束を破ること 全般について、それほど悪いことだと思わなくなってしまうかもしれません。 少なくとも、誰に対してもどういう場合でも「約束を破ってしまったとき」と いうのはそれなりに心苦しく感じてしまいます。  この心苦しさが、良心のハザードだとすれば、それを無視して「まあいいや」 ですませてしまうことは、良心の働きを鈍らせることにつながりかねません。 というか、きっとつながっちゃうんだろうなあ(__;)。  そもそも、僕が“親しい友人”と思っている範囲内というのは、非常に狭い です。そういういわゆる“身内”だけを大切に思い、あとは“どーでもいいや” 的な態度で接する、というのは、自分の幅を狭めることにもなるし、また社会 的にも信用を失ってしまいます。もちろん、本当に“どーでもいい”ことはそ れなりに処理してしまえばいいのだと思うのですが……その行為が、自分の世 界を不本意に狭めることにつながってしまうようだと、やっぱまずいよなあ、 と改めて思いました。  最近僕は「完璧」という言葉を時々思い浮かべるのですが(ドン・ファンの 影響がモロです(^^;)揺るぎない完璧さ、を、ぜひとも身につけたいものだな あ、としみじみ思います。で「完璧さ」というのは、なんだかんだ言って「自 分の心の曇り」があっては体現できないものなんだから、約束を破ったりして “良心の呵責”を感じるようなことを繰り返してたら、ダメだなあ、と思った 次第です。  考えるヒントを、どうもありがとうございました(^^)。   しまうま(KFQ02761) 00910/00916 HGE02116 MAKOTO RE:裸の心の会話かぁ… ( 6) 96/04/04 00:23 00906へのコメント #906>雲上仙人さん、続けてRESつけちゃいますね(^^) > このHMシリーズの人たちって、現実には有り得ないほど自分の心に正直なんだ >ねぇ…心の言葉をストレートに出している…出しすぎてもいる…  そうですね。私も一連のHMでは、普段は覆い隠しているものが、あらわとなって いるだけだと思っています。また、そう感じるからこそ、自分の事を引き合いに出し て色々書けるんですよね(^。^)  私にとっては、どれも他人事じゃないんですよね。  凍えている人でもあるし、焚火の住人でもある。まぁ、「本音」って部分では、凍 えている人に一番近いかしらね。実際に、焚火の住人達に、かなりの反発を感じてま したもん(^。^)  まぁ、あまりに凍える人の表現が露骨なんで、苦笑いしっぱなしな んだけど…(^^;)  私ね、「もし○○だったら」という言葉は、もういらないと思います。起きた事は 変えようがないですから。なら、これからやればいいだけの事です。ま、最初は難し いかも知れないけどね(^。^)                            MAKOTO でした☆ 00915/00916 KFQ02761 しまうま RE:裸の心の会話かぁ… ( 6) 96/04/04 09:50 00906へのコメント コメント数:1 #00906 雲上仙人さん  こんにちはぁ(^^)。  今回の雲上仙人さんのご発言には、びびびーんと感じるものがありました。 | このHMシリーズの人たちって、現実には有り得ないほど自分の心に正直なんだ |ねぇ…心の言葉をストレートに出している…出しすぎてもいる… | だから、実際に起きなかったようなシチュエーションなんだけど…心と心との対 |話には実際に起きていたように感じる…。そう、実際に起きていたんだ、でも裸の |対話はなかったから、言葉を飾って心を隠した対話が多かったから、HMに現れる |ような対話はなかった…でも、われわれは感じてしまう、過去に起きていたような |感触を。そう、華燭な言葉使いをもしも使わなかったとしたら、過去に起きていた |んだねぇ。  な、なるほど! 僕は単に「寓話的に単純化して書かれている」と思ってい たのですが、「実際の出来事よりもストレートに書かれている」「実際の出来 事の内面的なものが描き出されている」と受け止めたほうがしっくりきますね。  そうかー。「過去に起きていたこと」と「過去に起きていなかったこと」と いうのは、個々に描かれている出来事と照合して「これは起きていた」「これ は起きていなかった」とかいう風に判別できるものではなくて、「この出来事 は、実際にはこういう現れ方をしたけれど、HMではこういう描かれ方をして いる」というあたりの微妙な“差”を見ていくことで明らかになってくるもの なのかもしれませんね。うーん。 |                      過去にして来なかった裸の対話を |見せ付けられているようだ。人々がもっと率直にもっと素直な会話が在ったのなら、 |もっと早く凍えさんをも仲間として歩めたのにって…。  そうですねー。「率直で素直な会話」って、もうずっと前からこのフォーラ ムでは推奨されていますが、なかなか……って感じです。僕なんかすぐに“言 葉を飾り立ててしまう”ほうなので(^^;。「率直な会話」がいつの間にか「言 いたい放題の泥仕合」になってしまっていた、なんてこともままありますが、 やはり会話の根底に流れる“思い”がどこにあるか、というところなんでしょ うね(ああ、あいまいな言葉遣い(^^;)。  もしかすると、今HMでやりとりされている天使と凍え人の対話って、「凍 え人に対するときはこういうやり方もあるよ」という一例を、天使が身をもっ て教えてくれているのかもしれないなあ、などとも思いました。  また何か思いつくことがありましたら、ぜひとも教えてくださいね(^^)。   しまうま(KFQ02761) 00916/00916 KFQ02761 しまうま 「裸の心の会話」に関する(?)HM ( 6) 96/04/04 11:49 00915へのコメント  雲上仙人さんのおっしゃる「裸の心の会話」について考えていたら、こんな HMがかつてあったのを思い出しました。何かのご参考になれば幸いです。  日付はすべて93年のものです。  03/24 あなたが本当の気持ちを表現すれば、出来れば…誤解は減る  03/25 本当の気持ちは、時たま「言いたいこと」とはズレることがある  03/26 しかし「言っていること」で相手は、あなたを理解しようとする…  03/27 あなたは相手の言っていることで、理解しようとしているか?  03/28 あなたは相手の言っていることで、理解しようとしているか?  03/29 自分の考える相手像を相手に投影して、会話を進めていないか?  03/30 それは見ているようで、相手を決して見ようとしない事に等しい…  03/31 自分の考える「相手像」を当てはめ、相手を見ようとしないのか?  04/01 自分の考える「相手像」は、あなたの分身の投影でしか無いのだよ  04/02 そうして、あなた方は「相手という名の自分」しか見ないのだが…  04/03 見ている対象が「自分」では無いので、厭な所は簡単に攻撃する  04/04 自分の厭な所を相手に見出して、それを攻撃することで何を得る?  04/05 自分に向けるべき刃を他人に向けても、自分の厭な所は変らない…  04/06 他に刃を向けると、相手が傷つき屈する事が目的になりかねない  04/07 己に刃を向けると、己が傷つくかも知れない…だから怖れ、避ける  04/08 本当に傷ついた経験の無い者ほど、傷つくことを怖れるという現象  04/09 傷つくことを知らないままに、傷つく想像は成長してゆくが…  04/10 肥大した「傷つく」想像の産物は、真に傷つく事より始末が悪い  04/11 真に傷ついた経験のある者は対処法を知るが、想像経験者には無い  04/12 傷つくことを恐れ、特定他者の言動を攻撃と勘違いしていないか?  04/13 己が傷つく仮定を基に、自己防衛しながら会話をしても響かない…  04/14 響かない理由を、更にそこで相手に追求すると…会話は成立しない  04/15 己の言いたい事を、お互いに声高に叫び続けるのは会話ではない  04/16 自分の主張を相手が聞き入れることが目的になってはいけない  04/17 あなたの意見に反することを言う相手を、あなたは嫌いだろうか?   しまうま(KFQ02761) 00912/00916 GHD00256 七穂 RE:RE^2:一人であること ( 6) 96/04/04 02:48 00866へのコメント    ジョリーさん、こんにちは。  ちょっと遅くなってすみませんm(..;)m >うーん、容易に結びつきますね(^^;)。こう考えてみると、「七人の侍」なん >かもそうだけど、黒澤映画とARIONの言っている内容って、似ていますね(^^;)。 >ARIONも、黒澤作品が好きなのだろうか(^^;)? 「七人の侍」といえば、・・・これはかなり悲劇的な結末になるんだろうなぁ  と、この作品の予告をみていたときには勝手に想像していたのですが  実際にみてみたら、観終わった後、何か生まれ変わったような新鮮な感覚  (と、ありきたりな表現でしか言い表せないのがちょっと残念・・ーー;)が、  心の内にふつふつと湧いてきて、自分の想像していた悲観的な終わり方を  しなかったので、ものすごく意外な気持ちにさせられた映画でありました。   黒澤映画って、何か伝わってくるものがARIONの言っている内容と通じて  いるようにわたしも感じます。・・作品の息吹のようなものが、宇宙生命潮流  というものを感じさせてくれるのでしょうかね?(^0^;)ドウデショウカ、ヨクワカリマセンガ    それにしても、何か自分の身に迫ってくるように感じさせられるものばかり  ですよね。   わたしは「羅生門」(だったかな、間違っていたらごめんなさい^^;)を  みて結構痛烈なショックを受けた覚えがあるのですが、本当に、お互いに同じ  時間空間を共有していて、どうしてあれだけの認識のズレが出てくるのか!?  ということが、全く信じられない一方で、・・しかし個々の内宇宙ってものは  本来こういうものなのかなぁとも感じさせられたりもして、それじゃあ普段  わたしが現実にこうであって欲しいと信じ込んでいる世界って、  一体なんなんだろう?とも考えさせられたりして・・。すごい思い込みの世界・・    >主人公が、自分の「死」という現実から逃れる為に、何か頼れるものを模索 >するのですが、最後に、自分の内なる力で自分を生かそうとする。それは、 >役場の職員という、最も自分を生かしにくい職種の主人公が、初めて自立で >きるシーンてあったと言えるのかも知れません。そう考えると、自分で自分 >を殺していることって多いと思いますし、   今日朝、通勤途中の車の中で、つらつらと自分の場を生かすってことと、  それにくっついてくると思える安泰な気持ちということを考えたりしていた  のですが、自分が耕すことのできる場所ってのは、本当に自分の持ち場以外  にはないなぁと思ったりして。   自分の持ち場を生かしていないのであれば、これはやっぱり自分を本当に  は生かしていないということですよね。それで、実際生かしきれているか  どうかの判断は、自分の内に得ている手応えでわかるはずだよなぁと。   自分がどこを自分の持ち場と認識するかということでも自分の生かし方は  変わってきそうですが。・・・もっと自分の内側を耕していきたいなぁ、その  ためにいま目の前(外側)にある自分の持ち場を耕すということになるんだ  なぁ。自分のツチってこういうことなんだろうなぁと考えたりしました。 >                   逆に、一人の人間の「自立」って、 >とても感動的ですね。     この言葉に何故かジーンときた単純なわたしでありますが(^^;)、  また別にいえば、感動のある充実した人生を送りたければ、自立しろ、と  いうことがいえたりするのかもしれませんね〜。う〜むむむ。                                GHD00256/ 七穂   - FARION MES( 9):日本魔界巡航 ★ 神と人の関りを探る 96/04/04 - 831/831 MHD02672 TAO RE:Re: 二風谷ダム・その後 ( 9) 96/04/03 23:26 830へのコメント  #830 みんたさん   どうも(^^)。今回の貯水開始の報道には、本当に気が滅入るものを感じま  した。北海道旅行で二風谷に行った折に撮影した「沙流川」「二風谷ダム」  の写真をDLに登録してありますが、沙流川というのは本当に雄大で美しい  川です。その上流に建造されたダムは威圧的な印象で、二風谷の開放的な風  景とは甚だしく相反する違和感を醸し出していましたね。   本多勝一著「先住民族アイヌの現在」(朝日文庫)でも、二風谷ダム問題を  取り上げ、その基底にある行政の土建業界との癒着構造を指弾していますが、  今年に入ってから住専問題や薬害エイズ等、汚れた行政の破綻が次々と顕さ  れて来ていますね。そういう流れになって来たこと自体は歓迎すべきでしょ  うが、それまで失われたものも余りに大きかったと言わざるを得ないのが残  念です。   人々の心や気概、ツチの恵みが欲望の暴走の果てに貪られ尽くし、破壊さ  れ尽し、やがて抜け殻しか残らなかったという結末は出来る限り回避するよ  うに努めなければならないのが、子孫にこの列島の未来を残して行く私達の  努めなのだろうと思います。そしてそう思う人々が少しでも増えて来てくれ  れば。   各々が微力を尽くし、日本列島の歴史が「自滅」という最悪の結末に至ら  ないように(これは世界全体にも言えることですが)させたいものです。  TAO - FARION MES(13):神秘学遊戯団 ★ 限りなき神秘への航海 96/04/04 - 04455/04459 GGA02514 KAZE 風の本棚●エルザ・バーカー/死者Xから 来 (13) 96/04/03 17:13 ■エルザ・バーカー「死者Xから来た手紙」  (キャシー・ハート編/同朋出版社) いわゆる自動書記ものですが、 これは、1914年にロンドンで刊行された幻の書の復刻版の翻訳です。 詩人・小説家エルザ・バーカーの手から、 死者Xからの53通の手紙が届くというもの。 Xというのはデイヴィッド・パターソン・ハッチという 哲学にも造詣の深い判事で、死後まもなく、 そこでの見聞などを話していくというものです。 内容的にはそう深いことが語られていることではないのですが、 死後の最初の基本的なところをきちんとおさえながら、ルポ風に書かれていて いわゆる「死後の世界」についての理解を求めていくという意味では、 ある意味では最良のもののひとつなのではないかと思います。 シュタイナーの「神智学」という著作がありますが、 この本を理解するための導入としてでも読まれれば、 抵抗感が少なくていいのではないでしょうか。 しかし、こうしたいわゆるスピリチュアリズム関係の本などを読むにつけ、 シュタイナーの遺した膨大な著作や講演集などは、 霊的世界だけではなく、この地上世界やその両者の関係などもふくめて、 その全体像と個々の詳細なあり方という双方の深い認識を得るには これ以上のものは望めないほどのものなんだろうなということがわかります。 おそらくは、死後もここまでのものはなかなか認識しがたいのだと思うのです。 このご紹介した本でも繰り返し述べられているように、 死んだからといって死後の霊的世界のことが理解できるわけではなく、 ある意味では、今こうして地上にいる間に、基本的な認識がなければ 死後もそれに応じた認識のままにまた生まれ変わってくるだけのようですから。 さて、この本の最後のほうの部分から、 重要なところをいくつかご紹介させていただくことにします。   おのれの魂を熟知しなさい。自分はなぜこういうことをするのか。なぜ   こう感じるのか、その理由を知らなくてはいけない。どんなことでも疑   問が生じたら、黙って腰をおろし、真実が心の奥底からわき上がってく   るのを待つことだ。自分の中にどんな動機があるのか、常に考えなさい。   「わたしはこれこれの理由により、こういう行動をとらねばならない。   よって、わたしはその理由のためにこれをする」などと言ってはならな   い。そういう論法は自己欺瞞だ。親切なことをすることきには、なぜ自   分はそれをするのか考えなさい。そうすれば、親切な行為にさえ、自己   探求という隠れた動機があることがわかるはずだ。そういう動機に気づ   いたら、自分に対しそれを否定してはいけない。その動機を、しっかり   自覚するのだ。といっても、わが家の壁にでかでかと書いて宣伝する必   要はない。そうやって、自分の動機をひそかに自覚していれば、他人が   どういう動機をもっているのか考えるときに、共感や思いやりを深める   ことができるだろう。   常に理想を求めるように努力しなさい。ただし、感情について考えると   き、本当は理想的でない感情にまで、理想的だというレッテルを貼って   はいけない。自分に正直になることだ。その勇気がもてるようになるま   では、自己の魂を探求しても、進歩はほとんど望めない。(P238-239)      努力の喜び!それが永遠の命の根幹であり、力の根幹なのだ。地上の人   々には、これを最後のことばとして贈りたい。彼らに伝えてほしい----   努力することを楽しみ、組み合わせと創造の無限の可能性に胸ときめか   せ、未来に備えつついまの瞬間を生きろ、いっときの挫折や失意にとら   われるな、と。   彼らがこちらに来て、それまでに過ごしたいくつかの人生を正しく理解   すれば、自分の悩みの種は大部分が些細なもので、どの光もどの影も人   生を作り上げるには不可欠だったと気づくだろう。(P243)    引用部分が、霊界もののイメージからは遠いものになっていますが、 人間は、生と死を貫いている存在なのだから、 ある意味では、そうとりざたすることでもないのかもしれません。 もちろん、基本的な認識があることはどうしても必要なことなのですが。 ともあれ、なかなか元気のでる本なので、 神秘学のイントロ的な入門としてお勧めしたいなあと思う1冊です。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ - FARION MES(14):預言解読村  ★ 預言・予言は何を語るか 96/04/04 - 03890/03892 PAG03134 はな χ=カイ=1 → 真実へ (13) (14) 96/04/03 20:58 03764へのコメント  ルカによる福音書に記された「使いを送る」「道を整えさせる」は、 なんとハローにでてくるのですよ(゚o゚;) 『火炎龍は麒麟の途均(ミチナラ)しを、鏡面の途切れる時まで続ける』                       (94/07/14 ハロー)  麒麟と火炎龍が同時にハローメッセージで取り上げられることはあ りませんでしたが、ルカによる福音書を参考にすることにより、   「 主 = 麒麟 」     「 従  = 火炎龍 」 と、麒麟と竜、とくに火炎龍との関係が見えてくるのです。  ここでも光の黙示録第13節と同様に、竜はサブの働きを担ってい ます。  火炎龍は麒麟の道を整えていました。ルカによる福音書では、「私 の使い」は「あなたの道」を整えていると書かれているのですから、 「私の使い」には「火炎龍」が対応し、整えられる「あなたの道」に は、「麒麟の途(ミチ)」が対応します。  「私の使い」=「火炎龍」  :  「あなた」=「麒麟」 です。対応関係を言われても、私も頭が混乱してしまうので、書き直 してみましょう。 「火炎龍と麒麟」、「私の使いとあなたの道」をあてはめてみると、 ルカによる福音書は、ハローをヒントにして次のように解釈できます。 (原文):「私はあなたの前に、私の使いを送る。       先立って、あなたの道を整えさせるために」   ↓ (解釈):「私は【麒麟】の前に、私の使いである【火炎龍】を送る。       先立って、【麒麟の道を火炎龍に整えさせる】ために」                       はな 03891/03892 PAG03134 はな χ=カイ=1 → 真実へ (14) (14) 96/04/04 13:25 03764へのコメント ------------------------------------------------------------ 『火炎龍は麒麟の途均(ミチナラ)しを、鏡面の途切れる時まで続ける』                       (94/07/14 ハロー) ------------------------------------------------------------  火炎龍のハローがはじめて現れたのが、1994年7月のこと。  そして、ルカによる福音書とハローを組み合わせて、次のような 解釈をしました。 (解釈A) 「私は 麒麟 の前に、私の使いである 火炎龍 を送る。       先立って、 麒麟の道を火炎龍に整えさせる ために」  では「私」とは何者でしょうか?  光の黙示録を何度も見直してみます。  『 御使いの守護の為に送られた竜は    人間の手には負えるものではない 』  竜は御使いの守護をするために送られています。竜は御使いから送 られているのではないでしょうか。  先の(解釈)において、「私」を「御使い」に置き換えてみます。 (解釈B) 「御使い は麒麟の前に、       御使い の使い(=御使いの守護)である火炎龍を送る。       先立って、麒麟の道を火炎龍に整えさせるために」                       はな