「私は凍えていたんです、でも焚き火の傍に招かれて…」と凍え人 - FARION MES( 6):ハロー・メッセージ ★ 今日のハロー・メッセージから 96/04/10 - 00937/00937 QZA02327 ノロガメ RE:で、結局何がしたいの? ( 6) 96/04/09 20:08 00933へのコメント 修羅さん、今日は。 始めまして、お名前は存じていましたが、よろしくお願いします。 >で、結局何がしたいの? と言うことですが、ノロガメは「自己確立」をする必要性を吹聴しているのです。 そのことが、枝葉がついて何かややこしくなってしまう場合があるようで、まだま だ至らない事で修羅さんにもイライラさせているようですみません。 >認識の根底からずれている自分と会話をしてくれっていうのは(そういう書き方 >に僕には読めるんだけど)、基本的におかしくないですか? ノロガメとしては、会話ではなく、議論をするための会議室であってほしいと願っ ているのですが。 自分とはこういうものです、いやそうではないこうだ、いや違うこうだ、というよ うな議論ができないかな〜と思うのです。 本番とは、議論をすることではないかと思ったりしていますが、どう思います? それにはまず自分とは何であるかを確立して人生において実践し確証を得ることが 必要になりますが、そんな体験で見つけた自分と言うものを披露しあう、それぞれ の「自己確立」を寄せ集めてその輪を広げて行けば、現実の精神的問題解決につな がって行くのでは無いかと思うのです。 ノロガメの問題意識が旺盛になって来たために、このような姿になってしまったの でしょう。 それはあまりにも社会問題に無関心に生きている社会人が増えて来たと感じられる からであります。 一人の人間の思いが表明出来る世界、それがパソ通の世界であると思うのです。 沢山のギャラリーが観ている中で自己を表現出来る世界、やはり現実的で人間的な 共同作業の社会構造ではなく、個々の人間がパソコンシステムを介して意志を通い 合わせることが、頭打ちの現実的精神問題の解決になにか道が開かれるのではない か、そんな予感がするのであります。 そういうことで、いろいろ発想を転換させ理屈を組み立てているのですが、修羅さ んの「自己確立」なるものがありましたらお聞かせ願えればありがたいです。 >いつも漠然とイライラしながらあなたの文章を読んでいる修羅と申します。 イライラを全部吐き出して観てはどうでしょう、全部吐き出せばカラッポになって スッキリするかもね(^^) スッキリすればスッキリした自分が見えるはずで〜す。 ノロガメでした。まる - FARION MES( 7):自分を観る  ★ ARIONを鏡にして 96/04/10 - 07211/07217 QZA02327 ノロガメ RE:MAKOTOさん&ALL ( 7) 96/04/09 23:40 07203へのコメント コメント数:1 MAKOTOさん、今日は。 あなたに一言言いたいことがあります。 なぜノロガメの顔を直視出来ないのか、むかついたらそれをノロガメにぶっつけれ ばいいではないですか。 あなたを見ているのは、あなたしかいません、あなたの心の中にノロガメもいます。 ノロガメの名前も出さないでRESなどつけて、RESはあなたの心を露呈してし まいます。みっともないMAKOTOさんが見られてしまいます。 素直な自分になれば、自分で自分が信じられるようになります。 あなたは今自分を信じられますか?定まりのない自分の心を信じられるはずはない でしょう。 ノロガメの事をとやかく言っていないで、自分をさらけ出す勇気を持ってください。 気分の悪いことは、心に止めておかないで、みんな吐き出してしまいましょう。 ノロガメは会話をしたいとは思っていません、議論がしたいのです。 議論をして、本番に突入ってのはどうでしゃろ〜(^^) どうだ、気合が入ったケ 以上。 ノロガメでした。まる 07217/07217 GBG02043 維/YUI RE^2:MAKOTOさん&ALL ( 7) 96/04/10 09:53 07211へのコメント わりこめなんだけど…、いいよね ALLってなってたから>ノロガメさん >ノロガメは会話をしたいとは思っていません、議論がしたいのです。 …ってことは、私は対象外に限りなく近いです。 会話の方が主体なんです、私は。 たまたま、その中から議論も生まれるって くらいで。 けどさ、ここって議論だけをするところじゃないから、いいよね。 ねえ、ねえ、ノロガメさん。 ノロガメさんも、結構他人のことばっかり 言っているような気がすることがあります、私は。 たまに、私のRESにあった話とか、ARIONさんにちらっとしていた話は、 ノロガメさんの話だとおもうけれども。 それと、ノロガメさん演じているって何回か書いているでしょう? それがまさに”演じて”いるものだとすれば、ノロガメさんは自分を さらけ出してはいないのかな??あれ?って疑問がわいてきました。 あくまで私が受けた印象だから、私にとってのノロガメさんってことに なるんだけれど、なんだかすごく抑圧された生活をしているのではって 感じます。 それがいいとかわるいとかってのは、この際あまり気にして ないのだけれど、かたやパソコン通信の世界では、言いたい放題するんだ (っていうとちょっとニュアンスが違っちゃうかしら)というノリで、 人様のアドバイスにもめげず、書いているのは、いったいなんでなのかと 疑問になっています。 日常と非日常をわけてバランスをとっているという ことなのでしょうか? う〜ん、難しくてわかんなくなってきます。 なんかね、家族からすれば粗大ゴミとか、冗談だろうけど書いていらした でしょ、なんか悲しかったんですよ。 今はきっと、本当は仲がいい 一家だからこそ、書けるのかな〜って思っていますが。 ちなみに私は、特別自分を偽ったり演じたりして書き込みしてないのです けれど、どんなところがさらけ出してないって思うのでしょうか。 私はわざわざ自己を確立する必要は感じていません。だってさ、もともと あるものでしょう? あるのにその上にいろいろなデコレーションが されて、分け分からない状態になって、本来あった力を発揮できていない といったところだとおもうんです。  私はパソ通で話す友達も、パソ通やってない友達も別け隔てはないです。 相手との精神的距離も、パソ通だからとかパソ通でないからっていうので 変わるものでもないです。 それに、最近のノリでいけば、パソ通はあきらかに日常になりつつありますよ、 世間では。 日常がより広がりをもつって感覚ですね、私にとっては。 維/YUI 07215/07217 QZY01267 猫の手 当たりです。 ( 7) 96/04/10 06:29 07208へのコメント  初めましてsukeさん、  助さんの言うとおりです。  自分自身を観るというのは私もやっぱり難しいです。自分のやったことに対 して周りに起こる反応を通して、人から言われることを通してしか自分を観る ということはできないと思います。  と言って、あなたの問題は「ああだよ。こうだよ。」という方法も私は好き ではありません。  それよりも大切なのは、それぞれが滞っているテーマをスムーズに越えられ る援助をし合うことだと思っています。  もし何か気づいたら、私に対してそういう援助をしていただけると嬉しく思 います。  コメントを有り難うございました。  これからも宜しくお願いします。         ** QZY01267/『猫の手』 <96/04/10 00:17:37> ** 07216/07217 QZY01267 猫の手 悪気はないつもりだったんだけど・・・ ( 7) 96/04/10 06:29 07209へのコメント  みれさん、御免ね。  みれさんを悲しませてしまったみたいですね。    彰晃ちゃんと同列のちゃん付けをしたことがいけなかったのかな?  私は人の名前を呼ぶときに敬称も付けずに呼び捨てするのは苦手です。  よく、有名人の名前など呼び捨てにする人は多いけど、私はそういう風習に 違和感を感じてしまっています。欧米では親しい間柄同士ではMr.もMs.も付け ず呼び合うのが通例なのでそういう間柄になったらそうしています。  もし、この場合も呼び捨てにされる方が良いというならそうします。    一度も、対話したことのない存在を呼び捨てにするのははばかれたし、とい って「様」を付けるのも違和感があって、親しみを込めて「ちゃん」を付けま した。  麻原彰晃さんをちゃん付けするのは周りの多くの人が彼を憎悪していること に対する反発感があるからです。せめて私だけは親近感を持った在り方をした いと思っているからです。だからといって彼のしたことを全面的に肯定してい るわけではないことはご理解いただいていると思っています。  その辺のところをもう少し深く思い返してみると、私の理想の中に、何処の 誰であろうと何処のどんな存在であろうと対等でありたいという思いがあるか らだと思います。  相手がどうしても私との間に上下関係を持っていたいと言うならば、無理に それを崩そうとは思わないですが、誰かを上に持ち上げてしまうと、その比較 の中で誰かを下に置くことになる必然があるような気がしています。それは私 にとっては辛いことなんです。その辺のところを分かってくれる人達が多くな ってくれたら私は私の理想の世界に一歩近づいているという感覚が得られて嬉 しいのですが・・・。  もっとも、「私の思い浮かべるような理想は間違いだ。」と言われたら私は 黙り込むしかないような気がしています。でもその状態は形式的にそれに従っ ているだけで心から慕ってそうしているという状態ではなくなってしまいます。 それは私にとって不幸な状態として思い描かれています。    私はみれさんが好きだから、嫌われたくはないと思いつつ、誰とも、どんな 存在とも友達関係が築けたらいいなと思いつつ、びくびくしながら文章を書い てます。   ** QZY01267/『猫の手』 <96/04/10 01:02:06> ** - FARION MES(12):精神世界裏表 ★ ニューエイジビジネス を斬る 96/04/10 - 00879/00885 GEC00333 ルチル RE:NHK 公開質問書(超長文) (12) 96/04/09 22:14 00877へのコメント コメント数:1 船木大徳さん、はじめまして。 船木さんが紹介して下さった、大麻容認を求める動きに呼応するか のように、雑誌『スタジオ・ボイス』の最新号の特集も「大麻」で あり、その中では鎌田東二氏が徳島県の延喜式内社の大麻比古神社 を取り上げて、大麻と神道の関係について書いています。 古い時代から大麻が日本で栽培されていたというのは事実のようで す。しかし、鎌田氏は大麻が幻覚剤として服用(喫煙)されていた とは書いていないし、そのような証拠も見つかっていません。 鎌田氏の文章をああゆう形で使うのは、精神世界分野での鎌田氏の 影響力を考えると、かなり卑怯な編集手法に思えました。 今回の公開質問状と『スタジオボイス』とのタイミングの一致とい うのは、シンクロニシティではなくて、水面下で誰かが仕掛けてい るような気がします。そう思ってスタジオボイスの編集者名を調べ たのですが、公開質問状の質問者との関係はわかりませんでした。 ぴの 改め ルチル (GEC00333 ← 3で3重に封印されたID) 00885/00885 GFB00026 一輝 大麻と神道の関連性は服用にはない。 (12) 96/04/10 01:27 00879へのコメント >#00879 ルチルさん ちょっとワリコメします。 |船木さんが紹介して下さった、大麻容認を求める動きに呼応するか |のように、雑誌『スタジオ・ボイス』の最新号の特集も「大麻」で |あり、その中では鎌田東二氏が徳島県の延喜式内社の大麻比古神社 |を取り上げて、大麻と神道の関係について書いています。 ……………私もそれを読みまして、ニューエイジ特集の時と変わらず、ひどい      記事作りだなーと思いました。「巧みな情報操作」のテクニックの      典型です。 |古い時代から大麻が日本で栽培されていたというのは事実のようで |す。しかし、鎌田氏は大麻が幻覚剤として服用(喫煙)されていた |とは書いていないし、そのような証拠も見つかっていません。 |鎌田氏の文章をああゆう形で使うのは、精神世界分野での鎌田氏の |影響力を考えると、かなり卑怯な編集手法に思えました。 ……………まさにそこなんです。大麻と神道は関連性があると、そこまではわ      かります。しかし、神道では厄除けに使われても、それが服用(喫      煙)とは書かれていないのです。私はジャンキー時代、その辺を曖      昧なままに都合良く解釈して周囲に説明しておりました。しかし、      この部分をつつかれたら、もはや釈明のしようがありません。公開      質問状にも同じ部分が出てきますが、ジャンキーたちの正当化は、      実にいい加減なものです。 |今回の公開質問状と『スタジオボイス』とのタイミングの一致とい |うのは、シンクロニシティではなくて、水面下で誰かが仕掛けてい |るような気がします。そう思ってスタジオボイスの編集者名を調べ |たのですが、公開質問状の質問者との関係はわかりませんでした。 ……………そのへんは何とも言えませんが、史上最大の大麻密輸事件で国内に      一斉にバラまかれた大麻によって、「流行の兆し」が顕著になった      ことと、何らかの関連性があるのではないかと思っております。                 FARION 12番会議室*精神世界裏表案内人:一輝 00884/00885 GFB00026 一輝 ワンパターンな大麻肯定論者 (12) 96/04/10 01:20 00877へのコメント >#00877 船木さん いきなりの長文でびっくりしました。 読み辛いので、この次はもう少し行を切って下さい。 でも転載ありがとう。サンプルになります。 このメンバーで丸井英弘という弁護士は、ジャンキー時代よく世話になった人 です。国分寺の事務所では、彼の弁護に与かる人々のカンパの大麻で煙が絶え ないと聞いております。類は友を呼ぶで、「いいのがあるよ」と誘われて遊び に行ったものです。ある意味で、ジャンキーにとっての、オウムの青山弁護士 のような存在なのかな。 NHKの番組は、私が他から聞いている最新大麻情報と同じ部分が多かったで した。むしろ、丸山氏のほうが相変わらず昔と同じ風説をネタにしていますね。 このワンパターンな肯定論が、ジャンキーらしさ。自分も受け売りをやってい たので懐かしいものがあります。70年代にアメリカで流行った麻薬肯定論の 寄せ集め。彼らにすればNHKはワンパターンな否定論に見えるのでしょうが、 私には肯定論者の「流行だ、今だそれ行け、解禁だー」の茶番に見えてしまい ます。 結局みんな、自分がじゃんじゃん大麻を吸いたいというだけなのではないかな。 ふだん話しているように、そう正直に言ってしまえばいいのにと思いました。 そんなにいいものなら、自分自身の体験を書けばいい。 ちなみに、先に挙げた「日本史上最大の大麻密輸事件」(偶然ですが船木さん の書き込みを読む前に書き始めていました)の犯人は、極東会・松葉会・山口 組など3団体にまたがる暴力団員の連合チームです。大麻の背後に暴力団が居 たって居なくたって、ビジネスはビジネスですからね。今はシロートだって売 買してますから。売買せずに仲間うちで分け合ったりの時代は、もはや主流で はなく、とっくに終わってます。                 FARION 12番会議室*精神世界裏表案内人:一輝 00880/00885 GFB00026 一輝 日本史上最大の大麻密輸事件 (12) 96/04/09 23:04   これはヤバイことになってきたな、と思うことがあった。昨年9月 に東京練馬区の駐車場のトラックから押収された64キロの大麻が、実 はタイから密輸された1.3トンの大麻の一部だったという例の話だ。   この大麻は一昨年の12月12日未明、鹿児島県徳之島から漁船を 使って陸揚げされたもので、海産物と偽って東京に運ばれていったとい う。その1.3トンは昨年から今年にかけて日本全国へ流通されたわけ だ。推定末端価格約65億円。大麻一回の吸引量を仮に0.1グラムだ とすると、なんと1300万回分だ。ジャンキー未経験者にはピンと来 ないかもしれないが、いくらなんでもこの量は多い。ハンパではない。 日本人の10人に1人が吸える量だ。犯人の一人は拘置所で自殺した。   これは日本という国にとって、オウム事件並みの非常事態なのでは ないかと思う。かつて私が吸い始めのジャンキーだった頃、日本を混乱 に陥れるには莫大な量のドラッグがあれば十分と考えていたことがあっ た。全面解禁を目指すのなら、取り締まり不能になるほどの量が必要だ と。あの頃(10代)の私なら、この事件に驚喜していたことだろう。   しかし、だからと言って路上で吸うほどの光景が頻発しているとい うわけではない。やはり麻薬は麻薬だ。隠れてコソコソやっている。で は、どこで流布されているのだろうか。それはティーンエイジャー・ジ ャンキーやジャンキー予備軍の集まるクラブではないかと言われている。   ここのところ新宿で、レゲエ専門クラブの開店ラッシュがあったが、 あれもジャンキー激増の動きのひとつなのかもしれない。また『スタジ オヴォイス』などのいい加減な雑誌が、大麻の特集を始めたのも、これ らの水面下の動きの顕れだろうか(皆さんも読んでいたようですね。あ の内容は20年以上も前のアメリカ水準。大麻の後遺症に悩む今のアメ リカでは、時代遅れもいいところです)。   レゲエと言えばジャマイカだが、イギリス植民地のジャマイカは貧 困と犯罪の坩堝から、心の平安を求めて大麻が用いられている。平均寿 命は20歳にも満たないから、後遺症の心配も要らない。そもそも麻薬 は、世界支配層が「無力化兵器」として、民族文化の破壊の途上で第三 世界から取り上げ、時間をかけて開発してきたものだ。   それは、有色人種が白人社会の産業革命に追いつかぬよう、先手を 打って第三世界にバラまき、時間稼ぎをするための道具だったと言った 方が、わかりやすいだろう。阿片戦争は、イギリス諜報部のニセ宣教師 たちが中国沿岸部にバラまいた、無力化兵器のひとつである阿片から始 まった。   麻薬は、たびたび宗教との関連性を持ち出して正当化されてきた。 しかしそれを示す麻薬は、中米や南米などごく限られた地域のみである。 それらは、支配階級が被支配階級を誘導するために用いていたものだ( ここから世界支配層がマインドコントロール技術としての無力化兵器〔 =麻薬〕を開発したのではないかと思われる)。   バリ呪術とマッシュルーム、神道と大麻、いずれも宗教と麻薬との 関連性を示すものは存在しなかった。バリ島ではマッシュルームは毒キ ノコだし、神道では大麻は繊維にすぎない。今、ジャンキーたちは日本 での爆発的な流行を前に、必死で正当化を企てている。社長自らハード ジャンキーの第三書館という出版社など、その典型だろう。   かつて、アメリカインディアンには自制心(自己抑圧ではない)が あったと言われている。その証拠に白人が現れる前までは平原に牛や野 鳥やいろいろな動物が棲んでいた。ところが白人が現れた途端にそれら の動物のいくつかは絶滅していった。インディアンはアメリカの未来の ために自制ができたのに、白人はそれが出来なかった。   ジャンキーは、とかくこの自制心のあるアメリカインディアンを自 分と同一視するような傾向がある。私もその一人だった。しかしアメリ カインディアンはジャンキー(麻薬常習者は麻薬依存症でない者も含め た常習者すべてを指す)ではない。真に感性豊かな人間には麻薬など不 要なのだ。常習する心には、「習慣」に変わり果てた依存心はあっても 自制心はない。自制心のある人間は、最初から麻薬には手を出さないも のだ。   60年代以降の麻薬の流行ののち、アメリカの社会状況は、どのよ うに変化しただろうか。人々は麻薬を前に自制心を保てただろうか。自 制心があったのなら、なぜ麻薬絡みの少年犯罪が激増したのだろうか。   さて…。   我々日本人は、はたして自分を「白人と同じではない」と言い切れ るだろうか。そして、日々の不安から逃げずにいられるだけの、耐久力 があるだろうか。対岸の火が、いまこの国に燃え移ろうとしている。                 FARION 12番会議室*精神世界裏表案内人:一輝 00883/00885 GFB00026 一輝 作られたイルカのイメージ (12) 96/04/10 01:19 00874へのコメント >#00874 YAHATAさん | イルカの知能とチャネリングというキーワードで私の頭に想起されたのは、 |去年見た映画「JM」です。主人公ジョニー君が己の容量限界に迫るデータを |脳にぶち込んだせいで死にそうになる頃、その記憶をアウトプットするために |登場するのが、頭からコードを生やしたイルカなのです。イルカの意識とコネ |クトして出力キーが修復され、データがアウトプットされるシーンはまさに、 |どこぞのビールのCMよろしく「ヒーリング」に通ずるものがありました。あ |れも一つの「イルカって素晴らしい」幻想の現れでしょうね。 ……………私もその映画を観ました。      あの「コード生えイルカ」のモチーフは、フローティング      タンクに入っていたジョン・C・リリーではないかと思う      のですが、フローティング・タンクに人間ではなく、イル      カの方を放り込んでしまう逆転のアイデアには、驚きまし      た。でもやっぱりあのイルカも「そこそこにいい奴」って      登場の仕方でしたね。      じゃあ、「そこそこにいい奴」であるニューエイジャーた      ちが理想のパラダイスを作ったらどうなるのか、という映      画があるので紹介します。20年くらい前の映画で、ショ      ーン・コネリー主演の『未来惑星ザルドス』です。当時は      何の映画なんだかよくわかりませんでしたが、今観るとよ      くわかります。選民意識を秘めたニューエイジや精神世界      への痛烈な皮肉と批判なんです。面白いですよ。                 FARION 12番会議室*精神世界裏表案内人:一輝 - FARION MES(13):神秘学遊戯団 ★ 限りなき神秘への航海 96/04/10 - 04504/04510 GGA02514 KAZE RE:中道論10●風説維摩経3 (13) 96/04/09 18:21 04496へのコメント 諏訪みのるさん、どうも。 》維摩経、私も久々に 埃まみれの本箱から探し出して読み返しています。(^^;)  》ただ、解説本しか見つからず、経文そのものが読めないので、 》今度都会へ出た折りにでも買い直そうと思っています。 解説本でも事足りるという感じもするんですが、 もちろん経文そのものが読めたほうがいいですよね。 さて、この維摩経は、内容的にはすごく破天荒な内容をもっているのですが、 「経文」ということになると、やはりそれなりの堅さがあります。 ほんとうは、かなり砕けた意訳のような維摩経があれば、 もっと多くの人に親しめるものになると思うんですが、 お経というとそういうのがなかなかないので、残念ですね。 》「意に介さない」「見て見ぬ振りをする」・・・ではなくて、 》「しっかり受けとめながら執着しない」・・・ですか、 そういう感じがいいですね。 知行合一という重要なあり方がありますが、 自分だけどこかに引きこもって修行するというのは、 まず、「知らなくていい」「知らないほうがいい」という逃げの姿勢ですし、 だからこそ、知らないものが多かったら、知ってるものだけを 実践していればいいという、非常に小さな、 臆病な知行合一の可能性しかありませんよね。 いや、そういうのを知行合一とは呼ばないのかもしれません。 知れば知るほどに、知行合一は困難になっていきます。 しかし、その困難さゆえに、学ばなければならないことが多くなるわけです。 いつまでも小学校に通っていれば、そのうちにどんな人でも そこで教えられている内容を理解することはできるようになりますが、 いつまでもそこにいるならば、それ以上の理解は閉ざされます。 先に進めば進むほど、挫折する可能性も大きくなりますが、 それをおそれていてはなにもできないように思うのです。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 04505/04510 GGA02514 KAZE RE:中道論10●風説維摩経3 (13) 96/04/09 18:21 04498へのコメント ジョリーさん、どうも。 》 これですよこれ!僕の求めてる生き方というのは。 》 》 修行僧には分かるまい!わっはっはっはっは)^o^( ジョリーさんらしいですね(^^)。 しかし、その通りだと思うんです。 「修行僧には分かるまい!」というのは。 もちろん、心乱れる可能性は恐ろしいですが^^;、 知らずに迷わないよりは、知って迷ったほうが、ぼくは好きですね。 汚れるのが恐くて潔癖症になるってのは、 ぼくの趣味ではないです、少なくとも^^;。 でもって、迷ってそのまま沈没してしまわないのが、難しいところで、 破滅の縁で生還さえできれば、ものすごく足腰強くなってますから、 できれば、その道を歩めればいいですね。 もちろん、わざわざ迷う必要はないんですが、 深く改心した悪魔っていうの、魅力あると思うんです。 ということで、維摩経、これからもお楽しみに! ☆☆☆KAZE☆☆☆ 04506/04510 GGA02514 KAZE RE:もうひとつの「ひぐまのプーさん」(2) (13) 96/04/09 18:21 04501へのコメント こむさん、どうも。 》 プーさんはあらためてチャックの顔を見つめなおした。チャックはにこにこ 》とおいしそうにお茶をすすっている。その瞳をどこかで見た気がした。あれ 》は...そう、アリスの瞳だ。 》 「本当の思い出....」プーさんは思わずつぶやいた。 私が私であるためのもっとも深いところにある宝物。 そのためなら、命だってかけてもいいと思うような宝物。 人は、それが何かがわからないものだから、 いや、忘れ去って、どうしても思い出せないものだから、 その代わりに、この世でさまざまなガラクタを背負い込んでしまいます。 「お金」や「地位」や「名誉」など・・・・。 思い出せさえすれば、それだけで、 今、自分がここにいることそのものの意味を 言葉ではなく、それこそ全身全霊で了解できるように思います。 それを見つけだすのは、目の前が曇ってしまっているぼくらには とってもむずかしいことになってしまっているけれど、 ほんとうは、それが見えそうになるときというのは、 必ずあるんだと思います。 でも、それで気づけるかどうかが、大きな帰路になっていきます。 ・・・・というようなことを、 読ませていただいて、あれこれと考えていました。 続き、楽しみですね。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 04507/04510 GGA02514 KAZE RE:Steiner fragments6:架け橋/一講-6 (13) 96/04/09 18:21 04503へのコメント 諏訪みのるさん、どうも。 》四肢人間の中にある諸力が霊化され魂化されるというのは 》どういう状態・状況を意味するのでしょうか?。 人は、三分節化されています。 頭部・神経系と四肢系(手足)と循環器系です。 で、四肢人間は過去であり、頭部人間は未来であり、循環器系が現在です。 つまり、四肢は死を通して次の生で頭部を形成します。 ということは、現在の頭部であるものは、過去世の四肢が いわば「霊化」されたものなわけです。 そこに、宇宙的なものと地上的なものの相互作用があるわけです。 先の三分節では、頭部が思考、四肢が意志、循環器系が感情と 深く関係しています。 で、四肢が頭部になるというのは、 現在、意志、すなわちこの地上でいかに行動したかということが、 来世では、思考としてあらわれるということです。 現在、思考の力が弱いのだとしたら、 過去において意志が弱かったということであり、 思考の力が自在であるということは、 過去において強い意志を有していたということです。 で、さらにいうと、現在の思考の自由というのは、感情を通して、 深い意志として発展していくことができます。 逆にいうと、思考の自由がないと、深い意志が育たないということになります。 ここらへんのことが、シュタイナーの「自由の哲学」の基本的なテーマです。 でもって、実は、知行合一ということは、 行為は思考の基礎になり、思考は行動の基礎になるという、 人間の自由への道を表わしている。 そうぼくはとらえています。 ここらへんのことは、今後この講義が進むにつれて、 詳細に、グローバルに、そして多面的にとりあげられていきますので、 楽しみにお待ち下さい。 少しだけここで言っておきますと、 こうしたテーマは、人間存在が果たすべき地球での責任ということへと至ります。 そしてその責任を深く認識し、自覚するということを追求したのが この講義集の一貫したテーマなのです。 では、では(^^)。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 04508/04510 PXX03327 諏訪みのる RE^4:般若心経に思うこと(1) (13) 96/04/09 18:40 04470へのコメント   #4470 しまうまさん、こんにちは。    最近めっきりと暖かくなってきました。 私の住んでいるような山間部の田舎町では気温の変化が激しくて、 暖房を一時間毎に入れたり消したりという 慌ただしい今日このごろです。(^^)    >> 最近はどうしているかというと、今までの認識からずれる自分を見いだした >>ら、そこで「そうか、僕はこういうヤツだったんだ」と、“認識”のほうを改 >>めるようにしています。 性格の「癖」とでも言うのでしょうか、 私の場合、何度となく同じ過ちを繰り返し、その都度 肝に命じているつもりでも、 気がつけば 又もや同じ過ちに陥ってしまっているって事が多いです。 『お前は、いつまでたっても そういうヤツなんだな』…と、 内なる声に罵声を浴びる事しばしば・・・。(^^;) この「癖」ってのを矯正するのは、本当に至難技だと思っていますねぇ…。 “無くて七癖”って言いますよね。 どんなに癖の無いように見える人でも、 だれでも多かれ少なかれ癖はあるものだ…っていう意味なんだそうですが、 こうした「癖」ってのは ほとんどが無意識から働きかけているものですから 余計に自分自身で気付くのが難しいんですよね。 そして、たとえ気が付いたとしても その場限りで、 また知らぬ間に同じ事を繰り返してしまっている・・・。 物事の考え方や捉え方、行動の仕方、そういったものにも、 人それぞれに、こうした「癖」の様なものが在るんじゃないかと思うのですが、 もし そうだとすれば、 今の自分を自分自身で 今と異なる方向へ矯正させる事は、 理屈とか口で言うほど簡単には行かないだろうな…と、 最近ふと考え込んでしまうことが多いです。(^^;) 本番の年を迎えながら、いつまでたっても同じ場所を堂々巡りしているようでは、 ほんとに今後が思いやられます。(^^;;; ところで、矯正…と聞けば、私なんぞは、 歯並びを良くする為に歯の周りにワイヤーをかける“アレ”を連想するのですが、 “アレ”も 結果を急ぎ過ぎるあまりに 歯にかかる負荷を大きくし過ぎると、 歯が植わっている顎の骨の方が破壊されてしまって、 酷い場合は、歯そのものが抜け落ちてしまうそうです。 これって、示唆されるものがありますよね。(^^) でわ、では。(^^)              みのる♪デシタ。 - FARION MES(15):マホロバ誕生 ★ 大和魂復活のために 96/04/10 - 00643/00643 KHC01313 まるにちょん RE:悪神? (15) 96/04/10 01:21 00637へのコメント #637に自己RESしちゃいます。 >>  さて、人間にとっては上記のことは、自己の生命が危ぶまれますから、神様のさ >> れることは「悪」です。 >>  ところが、地球全体の事を考えれば、神様のされることはしごく当然で、善です 実はこの視点を変えるとどうなるかと言うことは、みれさんに言われてなるほど と思い書いてみたんです。 人間だけの範囲で考えるときと、地球全体の生命を考えるときに、それぞれの視 点が異なりますので、善悪の見方も変化すると思います。  視点を「全体の為」に向ければ、人間の存在は二の次になりますし、この場合、 「全体に為」になることが善な訳です。だから、人間は悪として滅ぼされることに なる。(まあ、種が存続できるぐらいは残れるかも知れませんが)    これを「人間の為」に視点を向ければ、天変地異をもたらす神様は、まさに悪神 な訳です。自分たちが今まで通り生き残ることが善なんです。  こうして見ると、面白いことに善悪が全く逆転しています。  善悪も視点や視野の広さによって変わっていくものと言えそうです。  では、また。                     まるにちょん、○ゝ - FARION MES(19):世も末ばなし ★ ぶっ飛び話・罰当たり話 96/04/10 - 900/900 QZY01267 猫の手 持ち主は誰? (19) 96/04/09 23:26  私の持ち主は誰?  私は父に造られたから父のもの?  私は母に生み出されたから母のもの?    私の造った粘土はは私のもの。  私が自由にできる。  壊すことも、  飾り付けることも  私が自由にできる。  そしてその粘土を誰かにあげることさえできる。  私の持ち主は誰?  私は誰の所有物?  私は私を自分のものと思ってた。  だったなら、  私が造った粘土は  粘土自身のものであっても良いはずなのに  私は粘土の所有権、  主張する。  親は子供の所有権、主張する。  子供は親に造られた。  子供は生み出した親の言いなりになり、  親の奴隷になるのが当たり前?  造った誰かは、  造ったものを  自分のものと主張する。  造られたものは造ったものに所有され、  造ったものが勝手に売買することに  何も言うことできず、  寿命が尽きたら勝手に壊れていくことだけが赦される。  寿命の前に壊されようと、  寿命の前に捨てられようと、  それは所有者の勝手。  人類を誰かが造ったなら  人類は誰かの所有物?  この地球を誰かが造ったならば  この地球は誰かの所有物?  この宇宙を誰かが造ったのなら  この宇宙は誰かの所有物?    人々が自分の造ったものに所有権主張するように  この我々造った誰かさえ、  この我々の所有権主張してないと  どうして言えようか?  そしてその所有権主張する誰だかが、  至高な公平な存在とどうして言えようか?    仮に造られたものが  造った誰かのものだったとしたら、  ずうっとその同じ  誰かのものであり続けるとは限らない。  私が自分で造った粘土細工を  誰かにあげるのと同様に  所有者替わるのはよくあることだから。  この世界を造った誰かが居たとして  その誰かが今もこの世界の所有権  主張しているとは限らない。  主張してたにしても  誰かに奪われているかもしれないし、  誰かに譲ってしまっているかもしれないし、  造った者が造ったものを  なんでも自由にできるとは限らない。  親が子供を自由にできないように  所有されるものに意志があるならば、  勝手に親の元を離れることもある。  自分の飼い犬に噛まれて死ぬこともある。  またその運命握る別の存在居るならば、  その存在に引き離されることもある。    持ち主と思っている誰かは  それを壊すことはできるかもしれないけれど、  それを捨てることはできるかもしれないけれど、  自分も同様に壊されるときが来る。  自分も同様に捨てられるときが来る。  自分が造ったもの  自分が生み出したものから学ぶことができたなら  本当の豊かさ手にできるはず。  自分で造り出し、  自分で生み出したそれに  自由意志見出して  表現したいようにさせたとき、  新たな発見があり、喜びがある。  今、宇宙には  その学びのときが来た。  そのことは、  地球人も、  宇宙人も、  神々も、  みんな同じレベルで起こってる。   ** QZY01267/『猫の手』 <96/04/09 23:13:03> **